イザヤ11:10-16 レジュメ

「再び集められる主」                       N017

はじめに

きょうのところには、主が再臨されるときに起こる大きな出来事が預言されている。それは主がイスラエルを再び集められるということである。

Ⅰ.全世界の王キリスト(10) 

10節に、「その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く」とある。エッサイの根とはメシヤの称号で、イエス・キリストのことである。その日、イエス・キリストは国々の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝くようになる。パウロはローマ15:12でこの箇所を引用し、「異邦人はこの方に望みをかける」と言っている。ユダヤ人だけではない。異邦人も神のあわれみによって救われ、ユダヤ人と一つになりイエス・キリストの父なる神をほめたたえるようになる。やがて来られるメシヤは、ユダヤ人だけでなく異邦人も含めた全世界の王となられる。キリストは、ユダヤ人ばかりでなく全世界の民にとっての王であり、いこいの場所となるのである。

Ⅱ.再び集められる主(11-13)

ここにも「その日」という言葉が出てくる。「その日、主は再び御手を伸ばし、ご自分の民の残りを買い取られる。」(11)かつてエジプトにいたイスラエルが救い出されたようなことが起こる。それはイザヤの時代ではバビロン捕囚からの解放のことであり、遠い未来の終末のことで言えば、全世界に散らされたユダヤ人が集められるということである。この預言のごとく1900年代に入ってから全世界に散らされていたユダヤ人がエルサレムに帰還し国を再建した。スラエル共和国である。1900年もの間流浪していた民が再び国を建てるということなど考えられない。しかし、これが実際に起こった。それは聖書の預言に書いてあったからだ。聖書に預言されていることは必ず成就する。世の終わりには、天の果てから果てまで、四方からその選びの民が集められる。イスラエル共和国の再建は、その預言の成就の始まりである。この世は確実にその成就に向かって動いている。もう夏は近い。主が再び来られる日がすぐそこまで来ている。主がいつ戻って来られても大丈夫のように備えておくことが求められている。

Ⅲ.大路が備えられる(13-16) 

ここには世の終わりに起こるもう一つの出来事が預言されている。それは北と南に分裂していたイスラエルが統一するということである。ソロモンの死後以降分裂していたイスラエルが一つになる。そしてイスラエルを脅かしていた敵がユダヤ人に従うようになる。今もイスラエルを脅かしている勢力がある。周辺のアラブ諸国である。これらの国もイスラエルに服し、協力するようになる。そして、ユダヤ人はもはや誰にも妨げられることなくエルサレムに戻ることができるようになるのである。かつてイスラエルがエジプトから上って来たような大路が備えられる。問題はその道を通るかどうかである。エジプトの奴隷であったイスラエルが主の力強い御手によって解放されたように、主は、再び、まことの救い主イエス・キリストによって、罪の滅びの穴から救い出してくださる。ご自身のもとに集められる。私たちがそこから解放されるには、この道を通らなければならない。主の招きに応じて、信仰の一歩を踏み出さなければならない。私たちの古い性質は、慣れ親しんだ罪の生活に留めようとするが、主が用意してくださった大路を歩まなければならないのである。

まとめ(自分に適用してみましょう!) 

・あなたにとってのいこいの場所はどこですか。あなたは何に望みを置いていますか。

・あなたは主が来られる備えが出来ていますか。あなたのともしびには油が入っていますか。

・あなたは主が備えてくださった大路を歩んでいますか。あなたを古い生活に留めようとしているものは何ですか。