「救いの泉」 N018
はじめに
ここには、再び集められたイスラエルが、主に感謝し、賛美している姿が描かれている。
Ⅰ.神は私の救い(1-2)
「その日」とは、イスラエルがバビロンから解放されエルサレムに帰還した日のことであり、また、世の終わりの患難時代のことでもある。その日、彼らは主に感謝し、「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。」(2)と言って、主を賛美するようになる。「神は私の救い」は、ヘブル語で「ヨシュア」(イェホーシュア)である。このギリシャ語が「イエス」だ。イエスが救いである。救いはイエスに信頼することから生まれる。イエスに信頼する者は、何も恐れることはない。「信頼する」とは、「ゴロンと横になること」である。自分のすべてを神に明け渡すこと、それが信頼である。F・B・マイヤーは、「信仰はバケツだ」と言った。信仰というバケツで救いの泉であるイエス・キリストから汲み取るので、何の恐れもいらないのである。
Ⅱ.救いの泉(3)
3節に「あなたがたは喜びながら、救いの泉から水を汲む。」とある。主の救いを体験すると、そこに喜びが溢れるようになる。この救いの泉こそイエスである。イエス様は、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水が流れ出るようになる」(7:37-38)と言われた。「この水を飲む者は、だれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:13-14)イエスは、決して渇くことのない水を与えてくださる。だれでも渇いているなら、もう渇きたくないなら、いつも不平不満ばかり言っている人生から解放されたければ、イエスの所に行って飲まなければならない。イエスこそこの救いの泉なのである。
Ⅲ.そのみわざを語り告げよ(4-6)
「その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。」(4)主に救われた人は、主の救いを体験した人は、それを国々の民の中に知らせるようになる。黙ってなどいられない。そのみわざがあまりにもすばらしいので、一人でも多くの人に伝えたいと思うようになるのである。その日が必ずやって来る。今はとても賛美する気にもならないという人も、その日が来ると賛美したくなる。主はあなたの救いとなられた。あなたは喜びながら、救いの泉から水を汲む。そのすばらしいみわざをほめ歌い、国々の民の中で語り継げよう。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたは主に信頼していますか?イスラエルのように主への感謝と賛美に満ち溢れていますか。あなたが恐れていること、心配していることは何ですか?
・あなたは渇いていますか?その渇きをどのようにいやしていますか?救いの泉であるイエスから汲んでいますか?
・あなたは救われた喜びを人々に知らせていますか?主はあなたにどんなすばらしいことをしてくださいましたか?