イザヤ13:1-22 レジュメ

「バビロンは滅びる」                       N019

はじめに

ここから新しい段落が始まる。これまではイスラエルに対する神の言葉が語られていたが、ここからは、イスラエルの周辺諸国に対する神のさばきの宣告が語られていく。その最初に登場するのがバビロンである。なぜバビロンから始まるのか?それはバビロンが単なる一つの国ということ以上に、霊的に神に敵対する勢力の象徴であったからだ。黙示録18章2節に記されているあの「大バビロン」である。

Ⅰ.神はあらゆるものをざきの道具として用いられる(1-3) 

バビロンを滅ぼすために神が用いられた道具の一つは、クロス王率いるメディアとペルシャの連合軍であった。この連合軍を用いて当時難攻不落と言われていたバビロンを神は滅ぼされた。主は、かつて北イスラエルを懲らしめるためにアッシリヤを用いたように、今度は高慢なバビロンを滅ぼすためにペルシャの王クロスを用いられたのである。元々このクロスは異教徒の王である。にもかかわらず、神はバビロンをさばくために彼を用いられた。それだけではない。5節には「彼らは遠い国、天の果てからやって来る。彼らは全世界を滅ぼすための、主とその憤りの器だ。」とある。これはメディアやペルシャのことではない。これは黙示録17章、18章に登場する反キリスト、獣のことである。神は、ご自身の目的を遂行するために、あらゆるものを道具として用いられる。神はクリスチャンしか用いられないというのは大間違いである。異教徒だから、偶像崇拝者だから用いられないということはない。神は、ご自身の目的を果たすためにありとあらゆるものを用いられる。であれば、神はあなたや私をも用いてくださるということになる。たとえあなたがろばのように鈍感であっても、石のように堅い頭でも、神に用いられるのである。であれぱ、神に用いられる器となるために、へりくだって、神に従う心を持たなければならない。

Ⅱ.神は罪人を根絶やしにされる(6-16)

このような言葉を聞くと、あなたは驚かれるに違いない。愛の神がいったいどうして人を滅ぼすようなことをされるのか?優しくあわれみ深い神が、そんな恐ろしいことをするはずはない・・・と。しかし、神は愛であると同時に義なる方なので、いつまでも悪を放っておくようなことはなさらない。必ず正しくさばかれる日がやってくる。一時は栄華を誇っていたバビロンに対して神は、「泣きわめけ」(6)と言われた。神のさばき、神の破壊が来るからだ。その時すべての者は気力を失い、すべての者の心はしなえる。彼らはおじ惑い、子を産む女が身もだえするように、苦しみと、ひどい痛みが彼らを襲うようになる。神は人間を純金よりもまれにし、オフェルの金よりも少なくされるのである。(12)

しかし、主に信頼する者は決してさばきに会うことはない。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いてわたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5:24)とイエスは言われた。神の義であるイエス・キリストを信じた瞬間に、これまでのすべての罪が赦され、神の恐ろしいさばきに会うことがないようにしてくださるのである。イエスを信じる者には、決して揺り動かされることのない御国が与えられる。ここにこそあなたの絶対的な安心の保障があるのだ。

Ⅲ.主のほかに神はいない(17-22) 

ゆえに、結論は、この主を仰ぎ見て救われよ、ということである。ここにもう一つ不思議な記述がある。それは、バビロンを滅ぼすためにメディヤ人クロスを奮い立たせるということである。しかし、この時まだクロスは生まれていなかった。これが書かれたのはB.C.715の年ことだが、クロスがバビロンからイスラエルを解放したのはB.C.539年のことである。176年も先のことを、いったいどうやって預言することができたのか?しかも「クロス」という名前まで正確に預言している。それは、この主こそ神であるということの明確な証拠なのである。「遠い昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる』と言う。」(イザヤ46:9-10)聖書のユニークさはここにある。神でなければ未来のことを正確に告げることはできない。その未来のことを正確に告げているのが聖書である。これが私たちの信じている神だ。

であれば、この神にすべてをゆだねなければならない。すべてはこの方の御手の中にある。だから、私たちはこの方にすべてをゆだねることができる。将来のことがよくわからなかったり、先が見えないことほど不安なことはない。しかし、神はその先のことをはっきりと告げてくださる。何もかもすべてわかっておられる方なのだから、この方にお任せすることが確かな平安を受けることにつながる。「わたしのほかに神はいない」と言われる方を信じ、この方を恐れかしこんで生きること。この方を拠り所として生きることが、神のさばきから逃れ平安をもって一生を生きるための源なのである。

まとめ(自分に適用してみましょう!) 

・あなたは、イエスを信じて神のさばきから逃れていますか?

・あなたにとっての安心の保障は何ですか?「わたしのほかに神はいない」と言われる神に対して、あなたはどのように応答しますか?

・あなたが今不安に感じていることは何ですか?何もかもすべてのことを知っておられる神に、あなたの人生をおゆだねしてください。