「いこわせてくださる神」 N020
Ⅰ.いこわせてくださる神(1-8)
1節に、「まことに、主はヤコブをあわれみ、再びイスラエルを選び、彼らを自分たちの土地にいこわせる。」とある。主は、かつてエジプトに捕らえられていたイスラエルを救い出してくださったように、バビロンに捕らえられていたイスラエルを解放し、いこわせてくださるというのだ。いったいなぜ主はこのようなことが行ってくださるのか?それは、主が彼らを選ばれたからである。彼らを選ばれたので、彼らをあわれみ、自分たちの土地にいこわせてくださるのである。そのために主は彼らの痛み、また激しい怒りを除き、過酷な労役を解いてくださる。かつてダビデは、「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」(詩篇23:1)と告白した。主はわたしたちをいこわせてくださる。敵である悪魔を打ち破り、その縄目から解放してくださるのである。
Ⅱ.どうして天から落ちたのか(9-15)
バビロンの問題は何だったのか。12節から15節までの聖句は、悪の起源を考えるにあたりとても重要な箇所である。「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。」「暁の子、明けの明星」とは、バビロンの王の背後で彼を動かしていた張本人、つまり悪魔のことです。悪魔は、もともと光輝く天使であった。天使たちの最高位に位置していた天使長だったのである。ラテン語ではこれを「ルシファー」と言う。天使長ルシファーは光輝く存在であったが、堕落した。堕落して天から落ちたのである。これが悪魔の起源である。
いったい何が問題だったのか。彼は心の中でこう言った。「私は天に上ろう。神々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。」つまり、ルシファーは高ぶったのである。神のようになろうとした。神のようになることは問題ではない。問題はその動機にある。自分が神のようになり、神からの指図を何も受けることなく、何でも自分で思う通りに判断し、自分勝手に行動しようとした。それが問題だったのである。神によって造られた人間にとって最も大切なことは、自分を造ってくださった神を敬い、神に信頼し、その御声に従うことである。なのにルシファーは自分の美しさ、自分の能力に酔いしれて、本来の目的を失ってしまった。それが問題だったのである。
キリストは神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることはできないとは考えず、自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられた。そればかりではなく、自分を卑しくし、死にまでも従い、実に十字架の死にまでも従われた。(ピリピ2:6-8)キリストは私たちの模範であり、私たちの目標である。罪から解放された私たちは自分中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりも優れた者と思わなければならない。自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなければならないのである。それがクリスチャンの求める姿なのである。
Ⅲ.勝利の神(16-23)
そのような悪魔を、神は完全に滅ぼされる。どんなに王国を震撼させ、町々を絶滅し、世界を荒野のようにした者であっても、最終的には墓の外に投げ出される。神が完全に勝利してくださるからである。その勝利の源が小羊の血である。黙示録12章11節には、「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。」とある。小羊の血と神のあかしのことばのゆえに、完全に勝利できるのである。過去においても、現在でも、あるいは未来においても、私たちは罪だらけな者である。そんな者であってもキリストがその罪の一切を身に受け十字架で血を流してくださったので、それらすべてを洗い清めてくださった。私たちは、この小羊の血によって勝利を得ることができるのである。どんなにサタンである悪魔が罪を責め立てても、キリストにある神の愛から引き離されることはない。大切なこのことは、この神に信頼し、神の御前にへりくだって生きることだ。それが神の恵み、神のあわれみに応えるクリスチャンの歩みなのである。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたの中には「私は・・」といった自分中心の思いや虚栄はありません?あなたはどのように他の人に仕えることができるかを考えてみましょう。
・あなたは自分の罪のことで悩み、苦しんでいませんか。もし自分の中に罪があれば、その罪を悔い改め、キリストの十字架の血を受け入れ、赦していただきましょう。キリストにある神の愛の大きさに感謝しましょう。