「救いの神を忘れないで」 N024
Ⅰ.この世と調子を合わせてはならない(1-3a)
ダマスコに対する宣告である。ダマスコはアラム(シリヤ)の首都である。このダマスコに対して何と言われているか?ダマスコは取り去られ、廃墟となるということ。これはまだ歴史においては実現していない。ということは、これからこの町は廃墟になるということだ。ここで注目すべきことは、「エフライムは要塞を失い、ダマスコは王国を失う」(3a)ということだ。いったいこれはどういうことだろう?神の民であったエフライム(北イスラエル)が、異教の国と同様に滅ぼされてしまうということである。なぜ?彼らと手を組んだからだ。ゆえに神の民であっても異教の国と同じ運命をたどることになってしまった。ローマ人への手紙12:2には、「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」とある。クリスチャンになってもこの世と調子を合わせこの世の中に埋没していくことがあるとすれば、エフライムと同じような結果を招くことになってしまうということを覚悟しておかなければならない。
Ⅱ.アラムの残りの者(3b-6)
ダマスコは取り去られて廃墟となると宣告した後で、主はその中でも残りの者を残してくださると約束しておられる。3節後半に「アラムの残りの者は、イスラエル人の栄光のように扱われる」とある。私たちは、礼拝に来ている人が少ないと落胆してみたり、祈祷会にあまり集まっていないと気落ちしてしまう。しかし、この落胆は正しいものではない。主はそうしたわずかな人を残しておられ、その人たちを通してご自身のみわざを行ってくださるからだ。かつてエリヤは「私しか残りませんでした」と嘆いたとき、神様はエリヤ以外に七千人を残しておくと言われた。神様は必ず信仰を持って祈る人を残しておられるのだ。
Ⅲ.救いの神を忘れないで(7-11)
では残りの民の特徴は何か?それは、神の救いの恵みを覚え、そこにしっかりととどまっている人である。10節に「あなたが救いの神を忘れて、あなたの力の岩を覚えていなかったからだ。」とある。アラムはもちろんのこと、イスラエルがアッシリヤによって滅ぼされわずかな者しか残らなくなったのは、彼らが救いの神を忘れてしまったからだ。力の岩である神を忘れたからである。非常に重要な警告である。決して犯してはならない過ちだ。あなたの救いの神を忘れてはならない。私たちにとって一番大きな危機は何かというと、この救いの神を忘れてしまうことである。それによって、私たちの霊的な運命が決まってしまうからだ。ことわざに「恵みは水に記し、恨みは石に刻む」という言葉がある。恵みはすぐに忘れても、恨みは絶対に忘れない。しかし、神の恵みを忘れてはいけない。
イエスは「わたしを覚えてこれを行いなさい」と言われた。聖餐式はイエスの恵みを覚えるものである。神がイエスを通してあなたに何をしてくださったのかをいつも覚えていなければならない。私たちは皆、らい病人のように腐り果てていく罪人にすぎなかった。この罪のゆえに、私たちの人生は本当に虚無的で悲劇的なものでしかなかった。しかし、そんな私たちのために神はご自分のひとり子を遣わし、十字架の上で死んでくださった。そして、私たちの罪を贖い、永遠に生きる者としてくださった。私たちはこの愛と恵みを惜しげもなく与えてくださった救いの神を忘れてはならないのだ。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたの中にこの世が麗しく感じ、そこからなかなか出られないでいることはありませんか。あなたをこの世に引きずっているものは何ですか?
・あなたの中にクリスチャンが少ないという落胆はありませんか。神様は残りの者を残しておられ、そのわずかな者を通してご自身のわざを進めておられることを信じましょう。
・あなたは救いの神を覚えていますか?神の恵みを忘れないために、あなたはどのようにしていますか?