「神を賛美しよう」 N034
Ⅰ.神は真実な方である(1-5)
ここには、大患難時代を通って残されたイスラエルの賛美が描かれている。彼らは、「主よ。あなたは私の神。私はあなたをあがめ、あなたの御名をほめたたえます。」(1節)と賛美した。すばらしい賛美のことばである。主は遠い昔から永遠のご計画を、忠実に成し遂げられた。これが、私たちが神を賛美する理由である。あなたはどれだけこの神の真実を体験しているだろうか。真実な神を体験すればするほど、神への賛美が溢れてくるのである。
それだけではない。ここに「あなたは弱っている者のとりで、貧しい者の悩みのとりで、あらしのときの避け所、暑さを避ける陰となられたからです。」(4節)とある。来るべき大患難時代において、どれほど多くの人が滅びていくことか。しかし、主はその中にもわずかな者を残し、守ってくださる。その人たちのことをイザヤは弱っている者たちと呼んだ。主はそのような人たちの陰として、また避け所として守ってくださる。それゆえに、私たちはこの方に心からの賛美と感謝をささげることができるのである。
Ⅱ.神は豊かに祝福してくださる(6-8)
それだけではない。ここには「万軍の主はこの山の上で万人のために、あぶらの多い宴会を、良いぶどう酒の宴会、随の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。」(6節)とある。もうコレステロールの心配はない。カロリーも気にすることもない。メタボとか、メタボ予備軍といった健康指導も受ける必要もない。焼き肉食べ放題、ステーキ食べ放題である。もっともこれは文字通りの焼き肉食べ放題のことではない。古代社会においてこのように油の多い肉とは大きな豊かさを意味していた。そのような宴会に加えられるのである。だれでも、イエスを信じ、救われた人々は、この宴会に加わることができる。何と大きな喜びであろう。
また、ここには万民をおおっている顔おおいと、万民の上にかぶさっているおおいを取り除き、死を滅ぼされるとある。(7節)何とこれまでキリストの栄光を遮断していたおおいが取り除かれ、顔と顔とを合わせて、キリストにまみえるようになる。そして、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていくのだ。もはや死もなく、嘆き、悲しみ、叫びもない。なぜなら、そのとき、主はあなたの涙をすっかりぬぐい去ってくださるからである。
Ⅲ.主を待ち望んで(9-12)
それゆえに、私たちはその日を待ち望まなければならない。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」(9節)今はどんなに主を慕い求めても限界がある。朝から晩まで聖書を読もうとしても時間的な制約があったり、肉体的な限界がある。しかし、その日私たちは朝から晩まで思う存分みことばを慕い求めることができる。主を喜び、楽しむことができるのである。そこに希望がある。その希望を待ち望む者でありたい。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたはどれだけ主の真実を体験していますか。主はあなたのためにどんなことをしてくださったかを思いめぐらしてみましょう。
・あなたには今、どんな悲しみや叫びがありますか。その日、主はあなたの涙をすっかりぬぐい去ってくださいます。ここに慰めと希望を求めましょう。
・あなたはどれほど主を待ち望んでいますか。あなたはどこに希望を置いていますか。