「全き平安」 N035
Ⅰ.私たちには強い町がある(1-2)
1節に「その日、ユダの国でこの歌が歌われる」とある。「その日」とは、世の終わりのことを指す。世の終わりの千年王国とその後に続く栄光の御国に起こることである。その日、ユダでこの歌が歌われるようになる。それは、神はその城壁と塁で私たちを救ってくださるということだ。神の救いが城壁であり、とりでである。それは敵が指一本もふれることができない堅固な町である。その町に入れてくださるというのだ。いったいどのような人がその中に入れていただけるのか?ここには「誠実を守る正しい民を入らせよ。」とある。神が求めておられることは私たちがどれだけ偉大なことをしたかではなく、どれだけ忠実であったかということだ。神はそれぞれにふさわしい働きをゆだねてくださった。それに対してどれだけ忠実であったかである。誠実を守る正しい民は、その堅固な町に入ることができる。
Ⅱ.全き平安のうちに守られる(3)
第二のことは、その町に入れられた人にどのような祝福が約束されているかである。3節には「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られる。」とある。全き平安とは、ヘブル語で「シャローム、シャローム」だ。英語では「Perfect peace」と訳されている。「完全な平安」である。今は平安でもいつ崩れてしまうかわからないような平安ではなく、何の欠けもない、また、何物にも脅かされることのない平安である。主イエスは、「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)と言われた。そのような平安である。
いったいどうしたらそのような平安を持つことができるのか?ここには「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られる。」とある。「志の堅固な者」とは、自分の思いがしっかりと主に向けられている人のことである。他のものに心が向いていると平安がない。ただ神に心と思いが集中することによってのみこの平安が与えられるのである。なぜなら、神はシャロームだから。神は満ち満ちた方であり、ご自身のもとに来る者をこの平和で満たすことができる。パウロは、「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって神との平和を持っています。」(ローマ5:1)と言った。私たちが平安を得るためには、まず神との平和を持たなければならない。主イエスが来られたのはそのためだった。主イエスは私たちの罪を赦すために十字架にかかって死んでくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。だれでもこのイエスを救い主として信じるなら、すべての罪が赦され、神との平和を持つことができる。
Ⅲ.いつまでも主に信頼せよ(4-6)
第三のことは、いつまでも主に信頼せよということである。主イエスを信じても平安がないとしたら、いったい問題はどこにあるのか?主に信頼していないことである。まだ主にすべてを任せていない。というのは、信頼するというのは感情的なことではなく、意志の問題だからである。自分の意志によってすべてを主に明け渡すように決断しなければならないのだ。ピリピ4:6-7に、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスあって守ってくれます。」とある。自分の感情がどうであっても、それがどれだけ大きな問題であっても、何も思い煩ってはならない。むしろ、そのような中にあっても、感謝をもって祈らなければならない。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくださる。
私たちの人生には失望とか、とてもではないが信仰など持てないという時がある。そのような時こそ信仰を働かせなければならない。信仰を発揮してキラリと光る者でなければならない。キリストの弟子たちは、イースターの後で、自分たちも捕らえられて処刑されるのではないかと恐れ、部屋に鍵をかけて隠れるように息をひそめていたが、そこに主イエスが現れて言われた。「平安があるように。」神のシャロームがあなたがたを取り囲んでいるのだ。恐れてはならないと言われたのである。すると「弟子たちは、主を見て喜んだ。」(ヨハネ20:20)あなたもこの時弟子たちが体験した平安をいただくことができる。志を堅固にし、いつまでも主に信頼するなら、主はあなたにもこの平安を与えてくださるのだ。信じて求める者には必ず、神は信頼に応えてくださるからである。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたの心には「全き平安」がありますか?もしないとしたら、その原因はどこにありますか?あなたの心はしっかりと神に向けられているでしょうか?
・あなたの生活の中に理不尽だと思われることがありますか?あなたはそれをどのように解決していましたか?すべてを神にゆだねて祈りましょう。そして、人のすべての考えにまさに神の平安をいただいてください。