イザヤ29:1-24 レジュメ

 [アリエルのうめき]                             N040

 Ⅰ.しいたげられるアリエル(1-8)

 アリェルとはエルサレムの名である。「神のライオン」とか[祭壇の炉]という意味かおる。アリエルはダビデによって都に定められた。神の箱がエルサレムに運ばれてきたとき、ダビデは力の限り踊った。それはまさにライオンのように勇ましい姿であった。しかしそれは同時に祭壇の炉をも意味する。いけにえをささげる炉のことてある。そこで彼らは大のような試練を受ける。なぜなら、彼らの心が神から遠く離れていたからだ。

 しかしそんなアリエルを神は救われる。敵が彼らを取り囲んでも、神の奇跡的なご介入によって彼らは救われる。これはB.C.701年のアッシリヤの攻撃の様子が背景にある。アッシリヤはエルサレムを取り囲み、エルサレムはまさに風前のともしびのようになったが、神の使いが出て行き、一晩で185、000入のアッシリヤ兵を撃ち殺した。どんなに敵が襲っても、万軍の主は雷と地震と大きな音をもって、つむじ風と暴風と焼き尽くす炎をもって彼らのところに訪れてくれる。アリエルが、エルサレムが滅ぼされることなど決してない。なぜなら、エルサレムはダビデによって定められたからである。ダビデの子イエス・キリストが臨在しておられる神の都だからである。その神の都を破壊しようとすることなどまさに夢物語であり、非現実的なことなのである。そのような者だらけ、夢見る者たちのように、干からびたのどのようになる。

 Ⅱ.深い眠りの霊(9-16)

 いったいなぜアリエルはうめくようになったのか。それは彼らの目が閉ざされており、彼らの頭小おおわれていたからである。彼らはぶどう酒や強い酒は飲んでいなかったが、エフライムのようにふらついていた。それは彼らに深い眠りの霊が注がれていたからである。彼らは神のことばを全く理解することができなかった。それは封じられた書物のようであった。読み書きできる人も、できない人も屯、理解できなかった。それはこの書物がそれほど難しかったからではない。理解しようという気持ちがなかったからだ。悟りたいと思っていなかった。どんなに知識のある人でも聖書を理解したいと思わなければ、その意味はわからない。それは退屈で、無味乾燥な、どこを読んでもわからないミステリヤスなものになってしまう。しかし、どんなに無学な者であっても、聖書を学びたい、もっと深く知りたいと願うなら、理解が与えられる。

 その根本的な原因は何だったのか。彼らは目先では神を敬っていても、その心は神から遠く離れていたことである。ワーシップサービスではなく、リップサービスになっていた。神を賛美しながら全く別のことを考えていた。心が伴っていなかったのだ。心ここにあらずであった。これが問題である。それは彼らが人の教えを教えとして、神の教えを教えていなかったからだ。自分に都合がいいように、自分の考えや主義主張を唱えていたからである。その結果、彼らの心は神から遠く離れていたのである。聖書を教えているようでも、実際は聖書の教えではなかった。人間の教えを教えとしていたのだ。これでは神の御業は現れない。たとえ私たちが理解できようができまいが神のことばを神のことはとして受け入れ従うときに、私たちが理解できないはどのすばらしい御業が現れるのである。

 III.つぶやく者も教えを学ぶ(17-24)

 ここにはアリエルの回復が述べられている。「もうしばらくすれば、確かに、レバノンは果樹園に変わり、果樹園は森とみなされるようになる。」(17)聖書の確かな約束である。その約束のとおりに、かつて地雷が埋め込まれていたレバノンは、今や立派な果樹園に変えられた。レバノンの人口の40%はクリスチャンである。やがて終わりの日に、レバノンは完全なかたちで回復することであろう。その日、耳の聞こえない者が書物のことばを聞き、目の見えない者の目が暗黒とやみから物をみるようになる。これまで「ああ眠い。聖書はほんとうに退屈な本だ。何か書いてあるかわからない。読みたくない。」と言っていた人が、こぞって聞くようになる。心の迷っていた者は悟りを得、つぶやく者もおしえを学ぶようになるのだ。神は必ずこのようにしてくださる。なぜなら、そこは神が臨在しておられる神の都だからである。神があなたとともにおられ、あなたをすべてのわざわいから守ってくださる。アブテハムを贖われた主はあなたをも贖ってくださり、この神の都に置いてくださった。あなたもまた回復されるのである。あなたの心は迷っていないか。つぶやいていないか。へりくだって神のことばを聞き、貧しい者の心とかって神のことばを求めよう。そうすれば、あなたにも悟りが与えられ、この約束に立つことができるようになる。水遠の神の深いご計画に目を留めることができるようになるのだ。主のおしえを学ぶこと。それが私たちの信仰の原点である。

まとめ(自分に適用してみましょう)

・あなたはしいたげられていませんか。あなたがどんなにしいたげられても、神はあなたを守ってくださると 信じていますか。

・あなたは神のことばを求めていますか。知りたいと願って卜ますか。それを実際の生活の中でどのように表 していますか。

・あなたの信仰は目先だけの形式的なものにはなっていませんか。心が伴った信仰であるために必要なことは何ですか。