イザヤ37:1-13 レジュメ 

「困難に直面する時」                           N051

Ⅰ.主の宮に入ったヒゼキヤ(1) 

南ユダ王国に迫った国家的レベルの危機に対して、ヒゼキヤ王はどのように対処したか?まず彼は自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮に入った。衣を裂くとか、荒布を身にまとうとは、悲しみと悔い改めを表現する当時の風習である。ヒゼキヤはこれまで主に頼ることをせず自分の考えでエジプトと同盟を結び、アッシリヤに金銀を差し出すことによって難局を乗り越えようとした結果、アッシリヤに取り囲まれることになってしまった。そのことを悔い改め、荒布をまとって主の御前の出たのである。私たちもヒゼキヤのように危機的な状況に直面することがある。そのような時私たちがしなければならないことは、主の宮に入り、主の御前に心を注いで祈ることである。そうすれば私たちは、いつでもどこからでも祝福を受けられる。その鍵は、どこにへたり込んでいても、自在に引き上げることがおできるになる方に向かって祈り求めるか否かにある。

 Ⅱ.祈りをささげてください(2-4)

それだけではない。ヒゼキヤは宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちを預言者イザヤのところに遣わしてこう言った。「きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。子どもが産まれようとするのに、それを産み出す力がないのです。おそらく、あなたの神、主は、ラブ・シャケのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリヤの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、主は、その聞かれたことばを責められますが、あなたはまだいる残りの者のため、祈りをささげてください。」(3-4)

彼は自分が祈っただけでなく、自分のカウンセラーとしていつも指導を仰いでいたイザヤに、祈りの応援を求めた。「子どもが生まれようとしているのに、それを産み出す力がない。」と。祈りは内容も大切だが、その態度が重要である。彼は自分をさらけ出して祈った。私たちはこのように自分をさらけ出すことが苦手である。人の前である程度社会性をもった人間であるように思われたいためか、自分の感情を抑圧する傾向がある。そのため、ありきたりの、形式的な祈りで終わってしまうことが多い。時にはヒゼキヤのように、自分をさらけ出して祈ることも必要である。そのように自分をさらけ出せる人は、「どうか、私のために祈ってください。」と言える。苦難に会う時自分で祈ることも大切だが、このように祈ってもらうことも大切である。ヒゼキヤは「自分には産み出す力がない」と認めていたからこそ、そのように言うことができた。そのように認めることができる人だけ「祈ってください」とお願いすることができる。私たちも互いのために祈ろう。そうすれば、その一つ一つの祈りが水滴のように集まって、やがて逆らうすべてのものを寄せ付けないほどの大海になるからだ。

Ⅲ.あのことばを恐れるな(5-13) 

その結果、ヒゼキヤはイザヤを通して主のことばをいただいた。それはあのラブ・シャケのことばを恐れるなということであった。それはヒゼキヤやユダの住民をバカにしたというよりも、彼らが信頼していたイスラエルの神、主を冒涜することであった。それゆえに主は彼らに立ち向かってくださる。ヒゼキヤは何も恐れる必要はない。このことばはヒゼキヤにとってどれほどの慰めと励ましを与えてくれたことか。というのは、この恐れこそ私たちにとっての最大の敵であるからだ。私たちが恐れるとき、私たちは力を失う。立ち上がることができなくなり、まるで風船から空気が抜けてしまうように萎えてしまう。それがひどくなると生きていくことさえできなくなる。そんなヒゼキヤに対して主は「恐れるな」と語って励ましてくれたのである。

そればかりではない。主は具体的にご自身がどのように働かれるのかを示してくださった。それは、主はラブ・シャケの中に一つの霊を入れ、彼はあるうわさを聞いて、自分の国に引き上げるようになるということであった。果たせるかな、それが実際に起こった。ラブ・シャケはクシュの王ティルハカが戦うために出てくるという噂を聞いて、一時エルサレムを退いた。そして結局、アッシリヤの王セナケリブは自分の国に帰って行き、そこで二人の息子に殺されてしまうことになる。(Ⅱ列王記19章)主が言われたとおりになった。ヒゼキヤはイザヤを通して主のことばを聞いたとき、目の前にあった問題を完全に解決することができたのである。私たちもヒゼキヤのように自分の衣を裂き、荒布を身にまとい、神の御前にひれ伏して祈るなら、神は私たちにもみことばを与え、今の問題から解放し、その危機的な状況から完全に救い出してくださるのである。

まとめ(自分に適用してみましょう!)

・あなたは問題に直面するとき、それをどのように解決しようとしていますか。主の宮に入っていくことを妨げているものは何ですか?

・あなたは自分の問題について他の兄弟姉妹に祈ってもらおうとしていますか?それを妨げているものがあるとしたら、それは何ですか?

・あなたは神のことばによって問題から解放されたという経験がありますか?