「完全な勝利」 N053
Ⅰ.あなたへのしるし(30-32)
アッシリヤの王セナケリブの言葉を聞いたヒゼキヤは、主の宮に上り、主の御前にひれ伏して祈った。すると主は、イザヤを通して「あなたの祈ったことを、わたしは聞いた」(21)と言われた。そして、アッシリヤの王はさばかれ、もと来た道に引き返す、というのだ。そのしるしは何であろうか。それは「ことしは、落ち穂から生えたものを食べ、二年目も、またそれから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。」(30)ということである。アッシリヤによって土地が荒らされ、荒廃するため、すぐには収穫は望めないが、徐々に回復していき、やがて安定した生活ができるようになるというのだ。神は少しずつではあるが、しかし確実に回復させてくださる。それゆえ、現状が苦しくてもつぶやいたりせず、神の約束を信じ、忍耐しながらその時を待たなければならない。
そのために必要なことは、下に根を張ることである。「ユダの家ののがれて残った者は、下に根を張り、上に実を結ぶ。」(31)下にしっかりと根を張ってこそ、上に実を結ぶことができる。確かに、やればすぐに成果が現れるというものではない。しかし、だからといって手をこまねいているのではなく、見えない大地の下深くに、下へ下へと根を伸ばしていかなければならない。実は目に見ることができるが、根は外からは見えない。ややもすると私たちは、たちどころに成果が現れるものを求めがちだが、大地にしっかりと根を張るというプロセスなしには実を結ぶことはできないということを覚えておきたい。
Ⅱ.彼はこの町に侵入しない(33-35)
「それゆえ、アッシリヤの王について、主はこう仰せられる。彼はこの町に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾をもって迫らず、塁を築いてこれを攻めることもない。」(33)何と力強い約束であろうか。ここで主はアッシリヤの王について、はっきりと語られた。この町に侵入することはない・・・と。一本の矢も放つ事もなく、エルサレムをまともに攻撃することはないと。なぜ、そのようなことになるのだろうか。ここには「わたしのために、わたしのしもべダビデのために。」(35)とある。主は、そのしもべダビデに、彼から出る世継ぎの子を、彼のあとに起こし、彼の王国を確立させると約束された(Ⅱサムエル7:12)。「世継ぎの子」とはイエス・キリストのことである。イエス・キリストによってもたらされる神の国のことである。もしユダが滅ぼされることになったら、この約束が反故にされてしまう。しかし、主は約束されたことを必ず成し遂げられる。主が語られたことは一つもたがわずみな実現する。主は真実なお方であられるからだ。その約束のゆえに、主はエルサレムを守り、これを救われると言われたのである。
Ⅲ.完全な勝利(33-35)
その結果、どうなったか?「主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。」(37)いったい何が起こったのだろうか?人々が翌朝早く起きて見ると、アッシリヤの陣営にいた十八万五千人の兵士が打ち殺されていた。ユダヤ人の歴史家ヨセフスによると、これは疫病であったと記録している。それが何であったのかを議論することは全く意味がない。大切なことは、主はヒゼキヤの祈りに答えてくださり、勝利を与えてくださったということである。これは万軍の主の熱心による勝利であった。
このときのヒゼキヤの感極まった心境を歌にしたと言われているのが詩篇46篇の歌である。「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさがまして山々が揺れ動いても。」(1-2)神は我らの避け所であり、力である。苦しむときそこにある助けである。私たちもアッシリヤ包囲されるような事態に遭遇することがあるかもしれない。しかし、どのような事態になっても、神は私たちの避け所であり、助けである。そして、完全な勝利をもたらしてくださる。問題はあなたがこのことを信じて、本気で祈り求めるかどうかなのである。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたは下に根を葉っていますか?あなたにとって下に根を張るというどういうことですか?
・ヒゼキヤの祈りに答えてくださった主は、必ずあなたの祈りにも答えてくださいます。あなたはそのことを
信じていますか?あなたにとって主を避け所にするとはどういうことですか?