「祈りは壁を突き破る」 N054
Ⅰ.あなたの家を整理せよ(1)
エルサレムがアッシリヤに包囲されていたころ、ユダの王ヒゼキヤはもう一つ深刻な問題を抱えていた。病気で死にかけていたのである。そして、預言者イザヤを通して死の宣告を受けた。「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。」(1)ヒゼキヤにとってどんなにショックなことであったか。自分の肉体が試練を受けるということは、外側から来る試練よりも辛いものがある。しかし、神を信じる者にとって絶望はない。むしろそのような時こそ神の栄光が現される時でもある。本当の絶望とは試練に襲われることではなく祈れないこと。もし祈る信仰が残されているなら、そこにはまだ希望がある。
Ⅱ.壁に向かって祈ったヒゼキヤ(2-3)
死の宣告を受けたヒゼキヤはどうしたであろうか?彼は顔を壁に向けて祈った。それは彼の置かれていた状況が八方塞がりのようだったからであり、神以外のものには目を向けないという信仰の決断からであった。彼は立ち上がり、神のもとに行き、神のあわれみを求めて泣きながら祈った。これこそ、困難に直面するときに私たちが取らなければならない態度である。私たちの人生にもヒゼキヤと同じような試練が襲ってくることがある。しかし、そのことで振り回されていたら、激しい絶望にうちひしがれ、立ち上がることができなくなってしまう。そういう時こそ神を見上げなければならない。顔を神に向け、神に信頼して、集中して祈らなければならない。ヒゼキヤは、「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行ってきたことを。」(3)と祈った。自分がどんなに不完全な者で、すねに傷を持っているような者であっても、神はご自身が約束してくださったその契約のゆえにあわれんでくださる方であると信じて祈らなければならない。
日本人の宗教観にはどこか「こんなことをしたら罰があたる」とか、「あんなことをしたから呪われる」といったものがある。しかし、聖書の神はあわれみ深く、恵み深い方である。無限に私たちを愛し、私たちを絶対に退けることはなさらない。神は無限の恩寵者であって、だれが忘れても決して私たちを忘れることはしない方である。そう信じて祈らなければならない。
Ⅲ.わたしはあなたの祈りを聞いた(4-8)
ヒゼキヤが涙をもって祈った結果、どうなったか?イザヤを通して神のことばが告げられた。「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう15年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、この町を守る。これがあなたへのしるしです。・・・・見よ。わたしは、アハズの日時計におりた時計の影を、10度あとに戻す。」(5-8)神はヒゼキヤの祈りを聞かれ、その涙を見られ、彼の寿命を15年延ばすと言われた。そればかりではなく、彼が祈らなかったことまで、つまり、アッシリヤの手から彼とエルサレムを救い出すと語られた。そして、それが必ず成就するしるしまで与えてくださった。
何とすばらしいことか。神は涙をもって切に祈る祈りに必ず答えられる。このような祈りは神の心を動かす。そして、それまで八方塞がりだった壁に希望の扉を開くのである。だから、どんな試練が襲ってきてもあきらめたり、絶望してはいけない。そのようなときにあなたがすべきことは、ヒゼキヤのように祈ることである。神のあわれみにすがって祈ればいい。そうすれば主は答えてくださる。そのような祈りは絶望の壁を突き破るのである。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・いまあなたが苦難の中にいるなら、あなたはどのように祈るべきでしょうか?
・あなたは神に対してどのようなイメージを持っていますか?神はあなたの父であると信じて、あわれんでくださると信じて、幼子のように、ありのままに、すべてをゆだねて祈りましょう。