イザヤ43:1-13 レジュメ

「たとえ火の中、水の中」                    N064

Ⅰ.たとえ火の中、水の中(1-4) 

神に背き、その教えに聞き従わなかったイスラエルに対して、主は「恐れるな」と言われた。主が彼らを贖ったからである。贖うとは代価を払って買い取るということ。主は罪深い彼らを、代価を払って買い取ってくださった。その代価とはエジプトであり、クシュ(エチオピヤ)であり、セバである。主はイスラエルをバビロンから解放するために代わりにこれらの国々を身代金とされた。これは究極的には私たちの罪の贖いとなってくださった神の御子イエス・キリストのことを指している。神がイスラエルを救うためにエジプトやクシュを身代金としたように、全人類を罪から救うために、尊い御子イエス・キリストを身代金としてくださったのである。そのことによって私たちを罪から解放してくださった。神は、それほどに私たちを愛してくださった(ヨハネ3:16)。4節には、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」とある。「あなた」とはイスラエルのこと。神に背を向け、自分勝手な道を歩んでいた者である。神に愛される資格など全くない彼らに対して、主は「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と言われた。重要なのは、神の目にとってあなたがどのような存在であるかということだ。これこそ絶対的な基準である。あなたが自分のことをどう思うかとか、他の人があなたをどう思うかといったことは関係ない。神があなたをどのように見ておられるかである。そして、神はあなたを高価で尊い者として見ておられる。私たちは本来、神に愛される資格など何もない。生まれながら地獄に行かなければならないような者であるにすぎないのに、主はそのような者を「愛している」と言われるのだ。神は愛すると決めてくださったので、どんなことがあってもとことん愛してくださる。たとえこの地球上にあなた1人しかいなくても、主はあなたのために来てくださって、十字架でその尊いいのちを投げ打ってくださる。そして、そのようにあなたを愛しておられる主は、あなたがどのようなところに置かれても、必ず守ってくださる。「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」(2)それゆえ、あなたは全く恐れる必要はないのである。

Ⅱ.神の栄光のために(5-7)

ここで再び主はイスラエルに「恐れるな」と語られた。彼らが恐れていたことは何だったのか?バビロンに捕らえられている中で自分たちが将来どのようになってしまうのかという恐れである。しかし恐れることはない。主が彼らとともにおられるからだ。主は彼らを東から来させ、西から集める。北に向かって「引き渡せ」と言い、南に向かって、「引き止めるな」と言う。主は彼らを地の果てから集めると約束された。アッシリヤやバビロンによって離散した民を再び集めてくださる。これは世の終わりの預言でもある。イエスは世の終わりに全世界に離散しているユダヤ人を、天の果てから果てまで、四方から集める(マタイ24:31)と言われた。果たせるかな、A.D.70年にローマ帝国によって全世界に散らされたユダヤ人がイスラエルに帰還し、1948年5月14日にはイスラエル共和国が建国された。人間的には考えられないことだが実現した。いったいなぜこのようなことが起こるのか?それは聖書に預言されていたからだ。その預言のとおりに、世界中に離散していたユダヤ人が集められたのである。だから将来のことは何も恐れることはない。

いったいなぜ主はこのようなことを行われるのだろうか?ここに「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」(7)とある。それは神の栄光のためである。イスラエルがいかに優れた民族であるのかを示すためではなく、神がいかに偉大な方であるかを示すためである。それは私たちも同じ。私たちがこの世に存在しているのは、私たちを愛し、私たちのためにいのちを捨ててくださったキリストの栄光を現すためである。そのとき私たちは自分の存在の目的を果たすことができ、それまで味わったことのないような充足感を得るのである。

Ⅲ.わたしの証人(8-13)

ここで主はイスラエルは「わたしの証人」と言われた(10)。なぜなら、彼らは神に選ばれたしもべだからである。神の証人は自分でなりたくてなれるものではない。選ばれた者だけがなることができる。彼らはそのために選ばれた。同じように、私たちも主イエスを証するために選ばれた。イエスは、「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(ヨハネ15:16)と言われた。この方こそ主であって、ほかに救い主はいない。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名としては、人に与えられていないからである。その主の御名を宣べ伝える証人としてあなたは選ばれたのだ。だから、決して口をつぐんではならない。この方があなたをどれほど愛しておられるか、また、そのためにどんなに大きなことをしてくださったのか、そして、この方を信じて歩む者を主がどのように守り、支えてくださるのかを、証ししていかなければならないのである。

(自分に適用してみましょう!)

・あなたは神があなたをどれほど愛しておられるかを考えたことがありますか?あなたに対する神の愛をどのように理解していますか?

・あなたは将来に対する不安はありませんか?神はあなたとともにいるという約束は、あなたにどのような平安と力を与えてくれますか?

・あなたの生きる目的は何ですか?あなたはどのようにキリストの証人になりたいと考えていますか?