「わたしのほかに神はない」 N066
Ⅰ.あなたを形造り、あなたを助ける主(1-5)
主はイスラエルに「恐れるな」(2)と言われた。なぜなら、主は彼らが母の胎内にいる時から彼らを選び、支えておられた方だからだ。そして神は彼らに、「わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。」(3)と言われた。これは神の御霊、聖霊のことである。神は終わりの日に、彼らに聖霊を注ぐと約束された。聖霊が注がれると力を受ける。ちょうど水が人のからだに命と潤いを与えるように、神の霊は私たちに霊的ないのちと力を与えてくれる。そして、彼らが聖霊に満たされると、「私は主のものです」と言うようになる。人が変わることは山を動かすよりも難しいと言われるが、神の霊が注がれるとき、そのように変えられる。それはまさに御霊なる主の働きなのである。
Ⅱ.わたしのほかに神はない(6)
ここで主なる神は、ご自分がどのような方であるかを示された。「イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。」(6)エホバの証人は、これはエホバなる神のことだと信じているが、これはエホバも含めた三位一体の神ことである。というのは、ここでエホバなる神について使われていることが、イエスに対しても使われているからだ。たとえば、イエスがイスラエルの王であることについてはヨハネ1:49に、また、贖う方であることについてはマタイ20:28で、そして万軍の主であることについてはヨハネ12:41(イザヤ6:3)に、また、初めであり、終わりであることについては黙示録1:17-18に出てくる。しかも、「わたしのほかに神はない」の「神」は複数形で、三つ以上のものを指す「エロヒーム」という言葉が使われている。三位一体という言葉は聖書に出てこないが、その概念はいたるところに見られる。エホバなる神は同時にイエスご自身のことを指しているのであって、この三位一体の神こそまことの神であり、ほかに神はいないのである。
Ⅲ.未来のことを告げられる神(7-8)
ここで主は偶像に、ご自身のほかに神がいるというならその証拠を見せてみよ、とチャレンジしている。神は神としての証拠を見せることによってのみ、その正当性が認められる。その証拠として主が求められたのは、未来のこと、来るべきことを告げてみよ、ということであった。未来のことを告げることができる神こそ本当の神である。聖書が他に類のないユニークな書物であることのゆえんは、ここにある。聖書はこれから後に起ころうとすることを、あらかじめ具体的に告げている。それはこの聖書の神こそ本当の神だからである。この方以外に神はいない。かつてペテロをはじめとする初代教会のクリスチャンたちは、「この方以外には、だれによっても救いはありません。」(使徒4:12)と宣言した。私たちに求められているのはかつてのキリストの弟子たちのように、このように宣言して神の証人になることである。
(自分に適用してみましょう!)
・あなたは何かで恐れていませんか。神はあなたが母の胎内にいる時から形造られ、守り、支えておられたということは、あなたにどんな確信を与えてくれますか。
・あなたの心は荒地のように渇いていませんか。神はあなたの心を聖霊で満たしてくださいます。あなたも神の霊、聖霊を求めてください。
・あなたは、聖書の神だけがまことの神であるという確信がありましたか。神以外のものに頼ろうとする思いはありませんか。