イザヤ48:1-11 レジュメ

「練られる神」                                   N074

Ⅰ.わたしに聞け(1-5) 

主はイスラエルに「わたしに聞け」と命じている。これからイスラエルに起こる新しい事について注意深く聞くようにというのだ。その内容とは何か?「わたしがそれだ。」ということである。イスラエルは、主の御名によって誓い、イスラエルの神を呼び求めるが、誠実をもってせず、また正義をもってしない。彼らは自分たちこそ神に選ばれた民であり、主の御名によって祈っていたつもりだったが、肝心なところが抜けていた。そこに誠実と正義がなかった。「誠実」とは、変わりなく神に信頼する心であり、「正義」とは、神の道にかなった正しい歩みのことである。彼らはイスラエルの神を呼び求めていたのに、その信仰は口先だけの、形だけのものであった。

それはイスラエルだけのことではない。クリスチャンに対する警告でもある。クリスチャンはこの世の人たちのように偶像礼拝をしていないかもしれないが、その心が神から離れていることがある。救われたということに甘んじて、いつの間にか形だけの信仰生活に陥ってしまうことがある。世の楽しみという偶像に、自分の肉欲という偶像に、自分で造った神に引かれていく危険がある。しかし神が求めておられるのは、ただ公義を行い、神の前に誠実に歩むことである。神の前に誠実に歩むとは、何一つ過ちのない完璧な人生を歩むということではない。たとえ人生に過ちがあったとしても、神の恵みの中で悔い改め、神の恵みに支えられながら、神に従って生きることである。だから、神に示されることがあればそのたびに悔い改め、へりくだって神とともに歩むことが大切なのである。

Ⅱ.新しい創造(6-8)

主はイスラエルに「新しい事」を聞かせると言われた。それは彼らがこれまで聞いたことのないことだ。もしずっと前から聞いて、知っていたとしたら、「ああ、私は知っていた」と言うだろう。彼らは強情で、かたくなな民なので、そうやっていつも主に反逆してきた。だから主は、これまで彼らが聞いたことのない新しい事を告げよう、と言われたのである。その新しい事とは何だろうか。直接的には、神が異教徒のクロス王を立ててバビロンを滅ぼし、そこからイスラエルを解放するということだ。しかし、これは究極的には全人類を罪から救われる神の御業のことである。神は私たちを罪から救うために私たちが全く考えられない方法を用いられた。何と全く罪のない神のひとり子が私たちと同じ人間の姿で生まれ、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれ、三日目によみがえられるということである。いったいだれがこのようなことを考えることができたであろう。このような方法は神にしか考えられない方法である。まさに「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」とある通りだ。パウロはこの十字架のことを「新しい創造」(ガラテヤ6:15)と言った。これこそ私たちにとって大事なことである。割礼を受けているかいないかといったことはどうでもいいことなのである。私たちはこの基準に従って歩むべきであって、それ以外のものを誇りとしてはいけない。

Ⅲ.練られる神(9-11)

このように神は、イスラエルがどんなにかたくなで、強情であっても、彼らを滅ぼさなかった。本来であればすぐにでも滅ぼされても致し方ないのに、神はそうされなかった。神は恵みの契約に従って、いつまでも変わることなく、彼らに恵みを与えてくださった。イスラエルがどんなに神にそむいても彼らを滅ぼすことをせず、そのそむきに耐え、さばきを遅らせ、軽い懲らしめを与えて、彼らに気付かせようとされた。それが「悩みの炉」である。悩みの炉とは彼らが悩むことによって、彼らのかたくなな思いを砕く炉のことである。ここではバビロン捕囚のことを指している。申命記4:20には「鉄の炉」という言葉がある。エジプトに捕らえられていたことを「鉄の炉」と表現した。このように神は、悩みの炉とか鉄の炉によって彼らを砕き、従順な心を持つようにされた。

私たちもイスラエルのようにすぐに高ぶっては神に背いてしまうようなうなじのこわい民である。そんな私たちを清めるために、時として神はこのような悩みの炉の中に送られることがある。しかし、それは私たちを滅ぼすためではなく、私たちを練りきよめるための神の手段にすぎない。神は私たちを愛しておられるので、この悩みの炉を用いて、私たちを練ってくださる。詩篇の作者は、「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)と告白した。私たちもそのように告白しよう。苦しみに会ったことは私にとって幸せです。それで私たちはあなたのおきてを学びました・・・と。あなたにとっての悩みの炉とは何だろうか。その悩みの中で悔い改め、神のみこころに歩ませていただこうではないか。

(自分に適用してみましょう!)

・あなたの信仰は形式的になっていませんか。主のみこころを行うことを求め、誠実を愛し、へりくだって神とともに歩んでいますか。

・あなたが今、受けている悩みや苦しみは何ですか。あなたはそこから何を学んでいますか。