イザヤ49:7-12 レジュメ

「今は恵みの時、救いの日」                  N077

Ⅰ.あわれみの神(7) 

イザヤは、バビロンに捕虜として連れて行かれ、彼らの奴隷として、何の希望も見い出せずに過ごしていたイスラエルに、神の慰めの言葉を語った。「王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。主が真実であり、イスラエルの聖なる方があなたを選んだからである。」(7)今、バビロンに捕らえられ奴隷となっているイスラエルをその悲惨な状態から救ってくださるばかりか、後にバビロンは彼らにひれ伏すようになるというのである。

いったいどうやってそのようなことが起こるのか。彼らはバビロンに捕虜として連れて来られてから、もう70年が経とうとしていた。そんなことは全く不可能である。これまでだって「解放する、解放する」と言っても、何の兆しも見えなかった。神なんか全くあてにならない、と彼らは思っていた。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と思っていたのだ。

しかし、そうではない。イスラエルを贖う方、その聖なる方であられる主は、決して彼らを見捨てたり、忘れたりすることはない。「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(15)この主が彼らを慰め、その悩める者をあわれんでくださる。主が彼らをその中から解放してくださるのである。

Ⅱ.今は恵みの時、救いの日(8)

いったいそれはいつのことか。「主はこう仰せられる。『恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』」(8)「恵みの時、救いの日」とは、バビロンから解放される日のことである。パウロはこれをイエス・キリストによって罪から解放される日として引用し、次のように言った。「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリント6:1-2)神はイエス・キリストによって罪を赦してくださり、この世とご自分と和解させてくださった。神の祝福はあなたの目の前に備えられている。それをむだに受けることがないように、今、それをつかみなさい、というのだ。

私たちは誰でも、過去と現在と未来を持っている。過去がない人も、未来がない人もいない。しかし確かなことは、過去は過ぎ去っていて、未来はまだ来ていないということ。あるのは今だけである。私たちは「今」しか生きることができない。今、神が備えておられる救いを受け取らなければ、もう二度とそれをつかむチャンスはやって来ない。神が備えてくださった救いを受け入れること、それが神の恵みを無駄にしないことなのである。

Ⅲ.生ける水の川が流れ出る(9-12)

この神の恵みを受け取るとどうなるのか?「わたしは捕らわれ人には『出よ』と言い、やみの中にいる者には『姿を現せ』と言う。彼らは道すがら羊を飼い、裸の丘の至る所が、彼らの牧場となる。彼らは飢えず、渇かず、熱も太陽も彼らを打たない。彼らをあわれむ者が彼らを導き、水のわく所に連れて行くからだ。」(9-10)

これはバビロンから解放された者たちの姿である。バビロンから出て約束の地カナンに向かって進むことには大きな危険もあるが、主が彼らを完全に守り、水のある所に連れて行ってくださる。

主イエスは、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37-38)と言われた。これは罪から解放された者の姿でもある。罪から解放され、神の恵みに生きる者は、確かに困難はあっても、その人の心の奥底から生きる水の川が流れ出るようになる。神から受けた恵みは川のように流れて、周りの人々を潤す。そんな人生を送れたらどんなに幸いなことか。そんな人生をご一緒に始めていきたい。確かに、今は恵みの時、今は救いの日なのである。

(自分に適用してみましょう!)

・今、あなたを縛っているものは何ですか。神はあなたを解放してくださると信じていますか?