創世記8章

創世記8章を学びます。神様はノアに仰せられたように、ノアの生涯の600年目の第二の月に、天の水門を開かれ、この地上のすべての生き物を消し去られました。ただ箱舟に入ったノアとその家族、そして地上の動物で一つがいずつの動物たちが生き残りました。それから水は150日間、地の上に増え続けました。

1.心を留められる神(1-5)

まず1節から5節までをご覧ください。「1 神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。2 また、大いなる水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨が、とどめられた。3 そして、水は、しだいに地から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始め、4 箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。5 水は第十の月まで、ますます減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。」

そのとき神は、ノアと箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とに心を留められました。「心を留める」とは、神が約束でその心を一杯にしておられるということです。神は真実なお方ですから、ご自分が民との間に立てた契約に対して誠実で、懲らしめの中にもご自分の民を覚えておられたことを表しています。神が民との間に立てた契約とはどのようなものだったでしょうか?それは6章13節から21節までのところにあります。神はノアに箱舟を作り、その中に入るように言われました。その約束の通りに神は、この地上のすべての生き物を滅ぼされました。しかしそれは同時に、箱舟に入ったノアたちにとっては、やがて神が洪水の水を退けて、再び乾いた土地で生活することをゆるされるということでもありました。そして神は時至ってそのとおりにされたのです。それは神のあわれみによるものでした。神は、そうした洪水の苦しみの中でもご自分の民を覚えていてくださり、顧みておられたのです。神がいかに真実な方であるかが表されていると思います。

さて、神がそのように心を留めておられたので、地の上に風を送って水を引かせました。この「風」とは神の霊をも表しています。神は風をとおして、新しい創造を始められました。大いなる水の源と天からの大雨がとどめられると、水は、しだいに地から引いていき、150日の終わりに減り始め、ついに箱舟がアララテ山の上にとどまったのです。おそらく、この大洪水の水は、海へ流れ出たのではないかと思いますが、そのように水が海に流れ出れば、後は水かさが次第に減っていくだけです。そのようにして陸が現れ、箱舟も地にとどまったのです。

2.ノアの従順(6-14)

それでノアは陸地から水をひいたことを確かめます。6節から12節までをご覧ください。「6 四十日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、7 烏を放った。するとそれは、水が地からかわききるまで、出たり、戻ったりしていた。8 また、彼は水が地の面から引いたかどうかを見るために、鳩を彼のもとから放った。9 鳩は、その足を休める場所が見あたらなかったので、箱舟の彼のもとに帰ってきた。水が全地の面にあったからである。彼は手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のところに入れた。10 それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。11 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。12 それからなお、七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。13 ノアの生涯の第六百一年の第一の月の一日になって、水は地上からかわき始めた。ノアが、箱舟のおおいを取り去って、ながめると、見よ、地の面は、かわいていた。14 第二の月の二十七日、地はかわききった。」

40日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、烏を放ちました。水が地の表から引いたかどうかを見るためです。ノアは、神が啓示されたさばきが行われている間に、窓を開いたりしませんでした。ロトの妻のように神のさばきを振り返って塩の柱になるような悲劇を求めず、飢えに耐えかねて長子の権利を売ったエサウのように軽々しい態度をとったりすることなく、神が言われることをしっかりと待ち望んだのです。彼は徹底して神のみことばに従い、真っ暗な箱舟の中で、40日間が過ぎてから窓を開けたのです。まだ神が箱舟から出るようにと言われていなかったので、鳥たちの助けを得て、水が引いたかどうかを調べたのでした。それは本当に慎重な信仰者の姿ではないでしょうか。時として私たちはこうした態度を忘れて、軽々しく行動してしまうことがあります。何かしないと悪いのではないかという焦りから、自分の思いで語ったり、動いたりしてしまいがちなのです。神が何を願っておられるのかを知り、そのために祈り、船底の暗闇の中にあってただ神を待ち望むことも必要なのです。いや、このバランスが必要なのです。

柏木哲夫先生の本に、動物と植物の名前の由来が書かれてありました。動物は動く物であるのに対して、植物は植えられる物。私たちの人生にはこの両面が必要だ・・・と。しかし、マルタではないけれども、どちらかというと動物的な面が強いのではないかと思います。そしてイライラしたりして・・・。そうではなく、時には船底の暗闇の中でじっと祈って待つことも必要です。孤独に思えるそのような中で、主が語ってくださることがあるのです。まさにノアはずっと神のさばきを待ち望み、神の時が来るまで慎重に行動したのでした。

それから七日経ったとき、ノアは再び鳩を箱舟から放ちました。するとむしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるのを見て、ノアは水が地から引いたのを知りました。そしてそれから七日経ってもう一度鳩を放ったところ、その鳩はもう彼のところには戻ってきませんでした。それでノアは箱舟のおおいを取って外を眺めてみると、地の表は乾いていたのです。

3.箱舟から出なさい(15-19)

そこで神はノアとその家族に、箱舟から出るようにと命じられました。15節から19節のところです。「15 そこで、神はノアに告げて仰せられた。16 「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。17 あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」18 そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。19 すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。」

実に40日ぶりにノアに示された神からの啓示です。ノアの生涯というのは、まず主の命令があり、それに従うというものでした。5章32節と6章13-22節のところで、彼が500歳になったとき、箱舟を造るようにと命じられました。次に啓示があったのは約100年後の彼が600歳になったときでした。(7:1-5)、そして、洪水があり、地上のすべての生き物が滅ぼされ、新しい創造の中で、いよいよ箱舟から出るようにとの啓示があって、彼は地に降り立ったのです。神の啓示が与えられる度ごとに、人生の大きな目印が立てられました。ですから私たちもいつもこの神からの啓示を受けるために、みことばを黙想する者でなければなりません。みことはを黙想する人の人生の方向性は実にはっきりとしていて、その確信の中で進んでいくことができるのです。

4.ノアの礼拝(20-22)

さて、箱舟から出たノアたちは、最初に何をしたでしょうか?20節から22節までをご覧ください。「主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちからいくつかを選び取って、祭壇の飢えで全焼のいけにえをさげた。21 は、そのなだめのかおりをかがれ、は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」

アダムの新しい創造であるノアは、礼拝によって新しい人生を始めました。ノアの心は、神が自分と自分の家族を守ってくれたことに対して、感謝の気持ちでいっぱいだったに違いありません。この「祭壇」についてしるされているのは、聖書の中でここが最初です。祭壇を築くということの中に、ノアの信仰がよく表現されていると思います。全焼のいけにえをささげるというのは、自分のすべてを神にささげることを表しています。つまり、ノアが箱舟から出て真っ先に行ったのは、神への礼拝だったのです。彼にとっては、確かに住居の問題や、衣服の問題、食物の問題、つまり生活の問題が差し迫っていたはずです。しかし、そうした中で彼は、神を礼拝することを第一にしたのです。

これは私たちの生活の中において何を第一にすべきかが教えられています。つまり、神の国とその義とを第一に求めていくことこそ、神が最も喜んでくださることなのです。私たちの生活の節目、節目に神を覚え、神に感謝して礼拝をささげていくこと、そのような信仰を神がどれほど喜ばれ、受け入れてくださることでしょうか。

事実、21節を見ると、「主は、そのなだめのかおりをかがれ、心の中でこう仰せられた・・・」とあります。もう決して再び人を滅ぼすまい・・と。すべての生き物に対する神のあわれみが約束されたのです。そしてこの神の約束は拡大され、一定の季節の移り変わりがもうけられ、人間や動物の食物を十分に保証すると言われたのです。神はこの約束を今日もなお守っておられることを考えますと、このときのノアの信仰、神礼拝というものが、いかに重要なことであるかがわかると思います。私たちも、私たちの生活の中に祈りの祭壇、礼拝の祭壇をもうけていつも神を覚え、神に感謝と礼拝をささげるものでありたと思います。そのとき神が働いてくださり、私たちに恵みを持って導いてくださるのです。