申命記28章

申命記28章から学びます。まず1節から14節までをご覧ください。モーセは、27章において、イスラエルの12部族のうち6つの部族をイスラエルの民を祝福するためにゲリジム山に立たせて、残る6つの部族をイスラエルの民をのろうためにエバル山に立たせました。そして、どのような者が呪われるのかを述べた後で、ここから逆に、どのような者が祝福されるのかを語っています。

 

 1.あなたは祝福される(1-14

 

「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。あなたのかごも、こね鉢も祝福される。あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。」

 

まず1節から6節までをご覧ください。1節と2節には、「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。」とあります。ここには、神の祝福を受ける条件が述べられています。それは、「あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、」であり、また、「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので」ということです。主の命令に従うなら、主は、地のすべての国々の上に彼らを高く上げ(1)、彼らがどこにいても(3)祝福されます。それは彼らの子孫ばかりか、地の産物も、家畜も、すべてが祝福されるのです(4-5)。6節の「あなたは、入るときも祝福され、出て行く時も祝福される。」とは、日常の生活のどんな時においてもという意味です。いつも祝福されるのです。

 

次に7節から14節までをご覧ください。

「主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。あなたが、あなたの神、主の命令を守り、主の道を歩むなら、主はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。あなたは、私が、きょう、あなたがたに命じるこのすべてのことばを離れて右や左にそれ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。」

 

引き続き、神の民が享受する祝福が述べられています。7節では、戦争における勝利が、8節では、すべての手のわざが祝福されるとあります。9節と13節では再び祝福の条件として、主の命令を守り、主の道を歩むなら、また、主の命令に聞き従い、それを守り行うなら・・・とあります。このように何度も繰り返して条件が述べられているのは、それがとても重要なことだからです。これを抜きに祝福はありません。しかし、これを守り行うなら、彼らが想像していた以上の祝福が彼らに臨むというのです。10節をご覧ください。あらゆる民族は、イスラエルの民には神の名がつけられているのを見て、恐れるようになるとあります。イスラエルは四国ほどの面積しかない小さな国ですが、世界に及ぼしている影響を考えると、まさしくこの預言が成就していると言えます。そして、イスラエルの民は、豊かな神の祝福の中で、多くの国々に貸すことはあっても、借りる必要がない豊かな民族となると述べられています。あなたもこのような祝福を受けたいと思いませんか。神のみことばに従うなら、あなたにもこのような祝福が臨むのです。

 

2.契約を破った時の呪い(15-48

 

次に、15節から48節までをご覧ください。まず15節から19節までをご覧ください。

「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。あなたのかごも、こね鉢ものろわれる。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊ものろわれる。あなたは、はいるときものろわれ、出て行くときにものろわれる。

 

もし、イスラエルが神の御声に聞き従わず、命令とおきてとを守らなければ、神ののろいが彼らに臨みます。その神ののろいとは、ちょうど祝福の時と対照的です。36節と1619節を比べてみてください。ちょうど対照的にのろいが臨むと言われています。

モーセは、神の律法が守られない場合、祝福の六倍も多いのろいの項目を列挙しています。すなわち、神の怒りが不従順なイスラエルの民の上に臨むのです。国家的なことであれ、個人的なことであれ、神の命令に従わなければ神ののろいを招くことになるのです。

 

次に、20節から24節をご覧ください。ここには、神に従わない者に対する多様な神ののろいが挙げられています。

「主は、あなたのなすすべての手のわざに、のろいと恐慌と懲らしめとを送り、ついにあなたは根絶やしにされて、すみやかに滅びてしまう。これはわたしを捨てて、あなたが悪を行なったからである。主は、疫病をあなたの身にまといつかせ、ついには、あなたが、はいって行って、所有しようとしている地から、あなたを絶滅される。主は、肺病と熱病と高熱病と悪性熱病と、水枯れと、立ち枯れと、黒穂病とで、あなたを打たれる。これらのものは、あなたが滅びうせるまで、あなたを追いかける。またあなたの頭の上の天は青銅となり、あなたの下の地は鉄となる。主は、あなたの地の雨をほこりとされる。それで砂ほこりが天から降って来て、ついにはあなたは根絶やしにされる。」

 

神ののろいはまず肉体的な病気として現れるということが、21節と22節前半で述べられています。ヨハネの福音書9章で、弟子たちが生まれつき目が見えない人がそのようにして生まれてきたのはだれの罪のせいかとイエスに問うたのは、このような背景があったからです。しかし、幸いなことは、たとえ罪の結果そのような病を受けても、主はそれをご自身の栄光に変えて下さるということを思うとき、たとえ病気になっても主に従うことの大切さを覚えます。そうすれば、罪のゆえに受けた不幸さえも、神の栄光が現される機会として用いられることがわかります。

 

人間の罪はこうした病気ばかりでなく、地の産物にも影響を及ぼします。22節の「水枯れ」と「立枯れ」とは、地の産物に現れる災害としての慣用句です(Ⅰ列王8:37、Ⅱ歴代6::28、アモス4:9、ハガイ2:17)。これらは砂漠から吹き込む熱くて乾いた東風の結果であり、反対に黒穂病とは、高温多湿の熱い気候によって腐る災害です。どちらにしても、地が産物を生産しなくなることを表しています。

 

次に25節から37節までをご覧ください。

「主は、あなたを敵の前で敗走させる。あなたは一つの道から攻撃するが、その前から七つの道に逃げ去ろう。あなたのことは、地上のすべての王国のおののきとなる。あなたの死体は、空のすべての鳥と、地の獣とのえじきとなり、これをおどかして追い払う者もいない。主は、エジプトの腫物と、はれものと、湿疹と、かいせんとをもって、あなたを打ち、あなたはいやされることができない。主はあなたを打って気を狂わせ、盲目にし、気を錯乱させる。あなたは、盲人が暗やみで手さぐりするように、真昼に手さぐりするようになる。あなたは自分のやることで繁栄することがなく、いつまでも、しいたげられ、略奪されるだけである。あなたを救う者はいない。あなたが女の人と婚約しても、他の男が彼女と寝る。家を建てても、その中に住むことができない。ぶどう畑を作っても、その収穫をすることができない。あなたの牛が目の前でほふられても、あなたはそれを食べることができない。あなたのろばが目の前から略奪されても、それはあなたに返されない。あなたの羊が敵の手に渡されても、あなたを救う者はいない。あなたの息子と娘があなたの見ているうちに他国の人に渡され、あなたの目は絶えず彼らを慕って衰えるが、あなたはどうすることもできない。地の産物およびあなたの勤労の実はみな、あなたの知らない民が食べるであろう。あなたはいつまでも、しいたげられ、踏みにじられるだけである。あなたは、目に見ることで気を狂わされる。主は、あなたのひざとももとを悪性の不治の腫物で打たれる。足の裏から頭の頂まで。主は、あなたと、あなたが自分の上に立てた王とを、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった国に行かせよう。あなたは、そこで木や石のほかの神々に仕えよう。主があなたを追い入れるすべての国々の民の中で、あなたは恐怖となり、物笑いの種となり、なぶりものとなろう。

 

神の命令を守らない結果、戦争に敗北するのろいを受けます。彼らが神の命令を守った時に与えられた祝福は勝利でしたが、守らない時には正反対の結果がもたらされます。ここで言われている七つの道に逃げ去るとは、完全な敗走を意味しています。また、彼らの死体は葬式を執り行うことも出来ず、空の鳥と地の獣のえじきとなります。これは最も恥ずべき死を意味しています。27節の「エジプトの腫物と、はれもの」とは、エジプトでよく知られていたらい病ではないかと考えられています。28節には、「気を狂わせる」とか、「気を錯乱させる」とありますが、精神的におかしくなることを意味しています。結局のところ、盲人が暗やみで手探りするように、進むべき方向性を見失い、解決策がないまま、彷徨いながら生きることになるのです。

 

30節からは、人間が体験するのろいの項目が列挙されています。婚約した女が取られる。建てた家が住めなくなる。ぶどう畑を作っても、収穫がない。自分の家畜がほふられても、自分は食べることができない。自分で労苦しても、報いどころかマイナスになるというのです。しかも、このようになってもだれも助ける者がなく、自分でもどうすることもできません。常に略奪と圧制が行われるのです。それに加えて足の裏から頭のてっぺんまで、悪性の腫物で打たれます。あたかも、ヨブが体験した疾病を想起させます(ヨブ2:7)。神ののろいは、「これでもか、これでもか」と、徹底的に臨むのです。

 

36節と37節は、イスラエルの民が離散することの預言です。イスラエル人たちが、異邦人の国に住み、その中で、彼らが恐怖となり、物笑いとなり、なぶりものとなります。これは、文字通り、祖国を失い離散の民となったユダヤ人において、実現しました。ユダヤ人がいるところに、どこにでも反ユダヤ主義がありました。ユダヤ人であるという理由で、憎まれ、あざけりを受け、また脅威に見られました。これは、彼らが神の命令に聞き従わなかったからです。

 

次に38節から44節までをご覧ください。

「畑に多くの種を持って出ても、あなたは少ししか収穫できない。いなごが食い尽くすからである。ぶどう畑を作り、耕しても、あなたはそのぶどう酒を飲むことも、集めることもできない。虫がそれを食べるからである。あなたの領土の至る所にオリーブの木があっても、あなたは身に油を塗ることができない。オリーブの実が落ちてしまうからである。息子や娘が生まれても、あなたのものとはならない。彼らは捕えられて行くからである。こおろぎは、あなたのすべての木と、地の産物とを取り上げてしまう。あなたのうちの在留異国人は、あなたの上にますます高く上って行き、あなたはますます低く下って行く。彼はあなたに貸すが、あなたは彼に貸すことができない。彼はかしらとなり、あなたは尾となる。」

 

ここでも彼らの罪によって、地がのろいを受けるようになると警告しています。彼らが畑に多くの種を蒔いても、少ししか収穫できず、ぶどう畑を耕しても、ぶどう酒を飲むことも、集めることもできません。いなごが、虫がそれを食べてしまうからです。彼らの領土の至るところにオリーブの木があっても、油を取ることもできません。オリーブの実が落ちてしまうからです。彼らはすべての国々の尾となり、彼らから借りることはあっても、貸すことはありません。

 

45節から48節です。

「これらすべてののろいが、あなたに臨み、あなたを追いかけ、あなたに追いつき、ついには、あなたを根絶やしにする。あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、主が命じられた命令とおきてとを守らないからである。これらのことは、あなたとあなたの子孫に対して、いつまでも、しるしとなり、また不思議となる。あなたがすべてのものに豊かになっても、あなたの神、主に、心から喜び楽しんで仕えようとしないので、あなたは、飢えて渇き、裸となって、あらゆるものに欠乏して、主があなたに差し向ける敵に仕えることになる。主は、あなたの首に鉄のくびきを置き、ついには、あなたを根絶やしにされる。」

 

これらのすべてののろいが彼らに臨みます。それは彼らを根絶やしにするまで追いかけて行くのです。それは、彼らが、主が命じられた命令とおきてとを守らないからです。しかも、そののろいは、不従順な世代だけでなく、彼らの子孫までも及ぶのです。事実、イスラエルは、苦難と悲惨の歴史として人々に知られるようになりました。

 

.捕囚(49-57

 

次に49節から57節までをご覧ください。

「主は、遠く地の果てから、わしが飛びかかるように、一つの国民にあなたを襲わせる。その話すことばがあなたにはわからない国民である。その国民は横柄で、老人を顧みず、幼い者をあわれまず、あなたの家畜の産むものや、地の産物を食い尽くし、ついには、あなたを根絶やしにする。彼らは、穀物も、新しいぶどう酒も、油も、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も、あなたには少しも残さず、ついに、あなたを滅ぼしてしまう。その国民は、あなたの国中のすべての町囲みの中にあなたを包囲し、ついには、あなたが頼みとする高く堅固な城壁を打ち倒す。彼らが、あなたの神、主の与えられた国中のすべての町囲みの中にあなたを包囲するとき、あなたは、包囲と、敵がもたらす窮乏とのために、あなたの身から生まれた者、あなたの神、主が与えてくださった息子や娘の肉を食べるようになる。あなたのうちの最も優しく、上品な男が、自分の兄弟や、自分の愛する妻や、まだ残っている子どもたちに対してさえ物惜しみをし、自分が食べている子どもの肉を、全然、だれにも分け与えようとはしないであろう。あなたのすべての町囲みのうちには、包囲と、敵がもたらした窮乏とのために、何も残されてはいないからである。あなたがたのうちの、優しく、上品な女で、あまりにも上品で優しいために足の裏を地面につけようともしない者が、自分の愛する夫や、息子や、娘に、物惜しみをし、自分の足の間から出た後産や、自分が産んだ子どもさえ、何もかも欠乏しているので、ひそかに、それを食べるであろう。あなたの町囲みのうちは、包囲と、敵がもたらした窮乏との中にあるからである。」

 

49節以下のみことばは、将来、神がイスラエルをさばくために、どのような民族が、どのようにイスラエルを包囲し、どのような方法で破滅し、その時、イスラエルの民がどのような目に遭うかを描写しています。49節の、「遠くの地の果てから、鷲が飛びかかるように、一つの国民にあなたを襲わせる。」とは、アッシリヤのことを指しています。ホセア書8章1節に、アッシリヤが「鷲」として喩えられていることからもわかります。事実、北イスラエル王国は、B.C.722年にアッシリアに滅ぼされました。また、南王国ユダもB.C.586年にバビロンによって滅ぼされ、捕囚として連れて行かれました。そして、敵に包囲され、攻撃される時、両親が子供を殺して食べる悲劇が起こると預言されていますが(53,55,57)、歴史的事実となりました。

 

.神ののろいの結論(58-68

 

最後に、58節から68節までを見て終わりたいと思います。

「もし、あなたが、この光栄ある恐るべき御名、あなたの神、主を恐れて、この書物に書かれてあるこのみおしえのすべてのことばを守り行なわないなら、主は、あなたへの災害、あなたの子孫への災害を下される。大きな長く続く災害、長く続く悪性の病気である。主は、あなたが恐れたエジプトのあらゆる病気をあなたにもたらされる。それはあなたにまといつこう。主は、このみおしえの書にしるされていない、あらゆる病気、あらゆる災害をもあなたの上に臨ませ、ついにはあなたは根絶やしにされる。あなたがたは空の星のように多かったが、あなたの神、主の御声に聞き従わなかったので、少人数しか残されない。かつて主があなたがたをしあわせにし、あなたがたをふやすことを喜ばれたように、主は、あなたがたを滅ぼし、あなたがたを根絶やしにすることを喜ばれよう。あなたがたは、あなたがはいって行って、所有しようとしている地から引き抜かれる。主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。これら異邦の民の中にあって、あなたは休息することもできず、足の裏を休めることもできない。主は、その所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を弱らせる。あなたのいのちは、危険にさらされ、あなたは夜も昼もおびえて、自分が生きることさえおぼつかなくなる。あなたは、朝には、「ああ夕方であればよいのに。」と言い、夕方には、「ああ朝であればよいのに。」と言う。あなたの心が恐れる恐れと、あなたの目が見る光景とのためである。」私がかつて「あなたはもう二度とこれを見ないだろう。」と言った道を通って、主は、あなたを舟で、再びエジプトに帰らせる。あなたがたは、そこで自分を男奴隷や女奴隷として、敵に身売りしようとしても、だれも買う者はいまい。」

 

ここでは、神ののろいを再び要約し、結論付けています。神ののろいを引き起こす原因は、神の律法を守り行わないことです。神の律法に反することは、栄光の御名を敬わないことと同じです。それは神の御名が、神の本質と品性を現し、真実な契約の神を表しているからです。彼らの不従順は、神が下したエジプトにおけるもっとも恐ろしい病気をもたらします(58-60)。それだけでなく、このみおしえの書に記されていない、あらゆる病気、あらゆる災害をもたらし、ついには彼らを滅ぼしてしまうのです。この問題の解決は、神のみことばに従うことだけです。

 

62節から最後までをご覧ください。国家として急成長したイスラエルであっても、神ののろいが臨めば、一瞬にして滅んでしまいます。アブラハム、イサク、ヤコブのもとで、空の星のように増え広がった民も少人数しか残されなくなります。その民もすべての国民の中に散らされてしまうことになります。その場所で彼らは、これまで知りもしなかった偶像の神をあがめるようになるのです。約束の地で安息と平安を失い、心配と恐れの中で生きるようになるのです。あなたは祝福の中にいますか、それとも、のろいの中にいるでしょうか。祝福とのろいを分けるたった一つの基準、それは、神のみおしえに従うかどうかなのです。

 

ある本に、天国と地獄の電話番号があるとありました。ちなみに、天国の電話番号は66-3927で、地獄の電話番号は11-1111だそうです。その理由は、天国の電話番号は、旧約と新約の巻数で、地獄の電話番号は、自分が最高であるという意識と、自分だけが一番であるという思いが合わさっているからだと言います。

そうしますと、天国の電話番号よりも地獄の電話番号の方がずっと、簡単で覚えやすく、その座席数もずっと多いことがわかります。天国の座席を予約するには聖書を一生懸命に学び、その教えに聞き従わなければならず、地獄の座席を予約するには自分が最高だと言い続けていれば良いということが癒えます。そうすれば当然、天国の座席を予約するのは難しく、地獄の座席を予約するのはやさしいと言えるのではないかというのです。

 

確かに、神のみことばに従うよりも自分の思いに生きた方がやさしいですが、そこには神の祝福はありません。そこにあるのはただ神ののろいだけです。それはやがて滅びと地獄につながります。私たちが神の祝福を受ける唯一の道、それは神を信じ、私たちののろいを一身に受けてくださったイエス・キリストの贖いを受け入れ、へりくだって、神のみおしえに聞き従うことなのです。