出エジプト記13章

きょうは、出エジプト記13章から学びます。

 

Ⅰ.わたしのために聖別せよ(1-10)

 

まず1節から10節までを見ていきましょう。イスラエルをエジプトの地から導き出された時、主は

モーセにこのように告げられました。2節、「イスラエルの子らの間で最初に胎を開く長子はみな、

人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それは、わたしのものである。」(2)つまり、初子と

いう初子は、人であれ家畜であれ、主に聖別するようにということです。聖別するとは、主のため

にささげるという意味です。それは世俗的な目的のためではなく、ただ神のためだけに用いられま

す。なぜなら、それは神のものだからです。出エジプトの夜、神がイスラエルの初子を死から救い

出されました。彼らは、鴨居と二本の門柱に塗られた子羊の血によって贖い出されたのです。です

から、それは神のものであって、神のために聖別されなければならないのです。

 

それは、私たちも同じです。パウロは、コリント第一6:19-20で、こう言っています。「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」私たちは、小羊の血によって買い取られました。それゆえに、私たちは神のものであり、神のために自分をささげなければならないのです。

 

3節から10節までをご覧ください。「モーセは民に言った。「奴隷の家、エジプトから出て来た、この日を覚えていなさい。力強い御手で、主があなたがたをそこから導き出されたからである。種入りのパンを食べてはならない。アビブの月のこの日、あなたがたは出発する。主は、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ヒビ人、エブス人の地、主があなたに与えると父祖たちに誓った地、乳と蜜の流れる地にあなたを連れて行かれる。そのときあなたは、この月に、この儀式を執り行いなさい。

13:6 七日間、あなたは種なしパンを食べる。七日目は主への祭りである。七日間、種なしパンを食べなさい。あなたのところに、種入りのパンがあってはならない。あなたの土地のどこにおいても、あなたのところにパン種があってはならない。その日、あなたは自分の息子に告げなさい。『このことは、私がエジプトから出て来たときに、主が私にしてくださったことによるのだ。』これをあなたの手の上のしるしとし、あなたの額の上の記念として、主のおしえがあなたの口にあるようにしなさい。力強い御手で、主があなたをエジプトから導き出されたからである。あなたは、この掟を毎年その定められた時に守らなければならない。」

 

モーセは、イスラエルが約束の地に入った後で守らなければならないことを命じています。それは、過越しの祭りと種なしパンの祭りです。「この日」とは、イスラエルがエジプトを出た日のことです。この日、主が力強い御手で、彼らをエジプトから導き出されました。このことを覚えるために、過越しの祭りと種なしパンの祭りを行わなければならないのです。七日間種なしパンを食べなければなりません。この祭りの期間中は、パン種があってはなりませんでした。そして、この祭りの意味を、子供たちに教えなければなりませんでした。さらに、これを手の上のしるし、額の上のしるしとしなければなりません。それは、主の教えが彼らの口にあるためであり、主が力強い御手で、彼らをエジプトから導き出されたからです。ユダヤ人はこれを文字通り解釈し、皮ひもに小箱がついたものを腕と頭に巻きつけました。腕につけるものは「テフィリーン・シェル・ヤード」と言い、箱の中には羊皮紙の巻物が一つ入っていました。もう一つのものは「テフィリーン・シェル・ローシュ」は額につけました。その箱の中は四つに仕切られ、仕切られたそれぞれの中には四つの聖書のことばが記された羊皮紙が入っていました。ちなみに、その箇所は出エジプト記13:1-10,11-16,申命記6:4-9,11:13-21です。ユダヤ人たちは、週日の朝の祈祷の時にこれをつけて祈りました。安息日や祭礼にはつけませんでした。それは安息日や祭礼そのものが、彼らにとって神とイスラエルの契約の「しるし」だったからです。

しかし、このようなことは現代の教会で行っている洗足式と同様に形骸化しやすいものです。事実、イエス様の時代、彼らはそれを人々に見せびらかすために行っていたので、イエス様はそれを見て、「経札の幅を広くしたりする」と指摘されました(マタイ23:5)。大切なことはその精神であって、このような形式にとらわれる必要はありません。最初は良いものでも、いつしか見せかけのものになってしまうことがあります。私たちは、神がこの私のために何をしてくださったのか、こんなにも大きな救いを与えてくださったことを絶えず心に留めることが大切なのです。

 

Ⅱ.初子の聖別(11-16)

 

次に11節から13節までをご覧ください。 「主が、あなたとあなたの父祖たちに誓われたとおりに、あなたをカナン人の地に導き、そこをあ

なたに与えられるとき、最初に胎を開くものはみな、主のものとして献げなければならない。家畜から生まれ、あなたのものとなるすべての初子のうち、雄は主のものである。ただし、ろばの初子はみな、羊で贖わなければならない。もし贖わないなら、首を折らなければならない。また、あなたの子どもたちのうち、男子の初子はみな、贖わなければならない。」

 

イスラエル人が約束の地、カナン人の地に導かれた時、最初に胎を開くものはみな、それが人

であれ、あるいは家畜であれ、主のものとして献げなければなりません。なぜなら、それは主のも

のだからです。主のものとしてささげるというのは、それをほふるということです。家畜の場合はそ

れができますが、ある特定の動物や人の場合はそれができません。そのような時はどうすれば良

いのでしょうか。

ここにはそのことが教えられています。13節を見ると、まずろばの初子はみな、羊で贖わければ

なりませんでした。なぜなら、ろばは汚れた動物とされていたからです。汚れた動物の初子はほふ

ることができません。それは羊で贖われなければなければならなかったのです。もし贖わない場合

は、その首を折らなければなりませんでした。ここにはろばのことしか書かれていませんが、それ

はろばが汚れた動物の代表として書かれているからです。おそらく、頭数が最も多かったのでしょ

う。その他に、馬、らくだなどもいました。

人の場合は、男子の初子はみな、贖われなければなりませんでした。贖いの代価は、民数記

18:6によると、5シェケルでした。1シェケルは3日分の賃金に相当すると言われていますから、5

シェケルは15日分の賃金に相当することになります。仮に1日5千円だとすると、現代の値で7

万5千円くらいになるかと思います。それを代価としてささげなければならなかったのです。

 

いったいなぜこのようなことをしなければならないのでしょうか。その目的が14節から16節まで

にあります。すなわち、「後になって、あなたの息子があなたに『これは、どういうことですか』と尋

ねるときは、こう言いなさい。『主が力強い御手によって、私たちを奴隷の家、エジプトから導き出

された。ファラオが頑なになって、私たちを解放しなかったとき、主はエジプトの地の長子をみな、

人の長子から家畜の初子に至るまで殺された。それゆえ私は、最初に胎を開く雄をみな、いけに

えとして主に献げ、私の子どもたちの長子をみな贖うのだ。』このことは手の上のしるしとなり、あ

なたの額の上の記章となる。それは主が力強い御手によって、私たちをエジプトから導き出された

からである。」

つまり、子孫に出エジプトの出来事を伝えるためでした。その内容は、出エジプトの際に、主は

エジプトの初子という初子を人から家畜に至るまで打たれたということ、それゆえに、イスラエル人はみな初子を贖うのだということです。このことは、手の上のしるし、額の上の記章となります。

 

このことからわかることは、新約の時代に生きる私たちクリスチャンも、主の圧倒的な力によっ

て罪の中から贖い出された者であるということ、そして、そのために神の子羊であられるイエス・キリストの血が流されたということです。それゆえに、私たちは主のものであり、自分のからだをもって主の栄光を現さなければなりません(Ⅰコリント6:20)。自分のからだはすでに買い取られたと認めるなら、私たちの生き方はどのように変わるでしょうか。それを、次の世代にも伝えていかなければなりません。

 

Ⅲ.荒野の道に(17-22)

 

最後に17節から22節までをご覧ください。17節と18節には、「さて、ファラオがこの民を去らせたとき、神は彼らを、近道であっても、ペリシテ人の地への道には導かれなかった。神はこう考えられた。「民が戦いを見て心変わりし、エジプトに引き返すといけない。」それで神はこの民を、葦の海に向かう荒野の道に回らせた。イスラエルの子らは隊列を組んでエジプトの地から上った。」とあります。

 

こうして、主は彼らをファラオのちころから去らせ、約束の地へと導かれるとき、彼らを近道であっても、ペリシテ人の地には導かれませんでした。なぜでしょうか?なぜなら、民が戦いを見て心変わりし、エジプトに引き返すといけないと考えられたからです。カナンの地に至る最短のコースは、ペリシテ人の地を北上することでした。そこを通れば、10日もあればカナンの地に到着することができます。しかし、その途中にはペリシテ人の都市国家が点在していました。エジプトから出たばかりのイスラエルにとって強大なペリシテ人に立ち向かうことは「死」を意味していました。それで主はどうされたかというと、最短コースではなく、より安全な道に導かれたのです。それは葦の海に向かう荒野の道を回るルートでした。それはただ単に強大なペリシテ人との戦いを避けるためだけではなく、その荒野の中で主が先頭に立って戦ってくださること、主が彼らを導いてくださるということを、彼らが学ぶためでもありました。

 

19節から22節を見てください。

「モーセはヨセフの遺骸を携えていた。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせていたからである。彼らはスコテを旅立ち、荒野の端にあるエタムで宿営した。主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。」

 

モーセは、ヨセフの遺骸を携えていました。これは、創世記50:24~25にあるヨセフとの約束を実行するためでした。ヨセフはエジプトで死にましたが、ミイラになった自分の遺骸がエジプトに残っているのをよしとしませんでした。彼は、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。」と確信したのです。それが今、現実のものとなりました。

 

彼らはスコテを旅立ち、荒野の端にあるエタムで宿営しました。昼は、雲の柱が、夜は、火の柱が、彼らの荒野の生活を導きました。これは、主の臨在、つまり、主が彼らとともにおられることを示しています。雲の柱は、彼らが進むべき道の案内役となり、砂漠の中で彼らを灼熱の太陽から守りました。また、夜は民を照らす火の柱となりました。ですから、昼も夜も主が彼らとともにおられたので、彼らが荒野の中にいても迷うことなく、進んでいくことができたのです。

 

クリスチャンの生活は、この荒野の生活から始まります。罪の世界から救い出され、自分のすべてを神にささげる決断をしたわけですが、神が約束されたものを手に入れるまで、荒野の中を進んでいかなければなりません。けれども、主が昼は雲の柱で、また夜は火の柱によってイスラエルを導かれたように、私たちを聖霊によって導いてくださり、また主ご自身のみことばによって導いてくだるので、私たちは何も恐れる必要がありません。22節には、「昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。」とあります。主は、いつも私たちの前から離れることはないのです。イエス様は、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と約束してくださいました。私たちの人生にも、荒野を通る時があります。しかし、そこにも主がともにおられ、私たちを守り、導いてくださると信じて、主により頼みながら、この信仰の旅路を進んでいく者でありたいと思うのです。