使徒の働き12章18~25節 「神に栄光を帰せて」

 きょうは、「神に栄光を帰せて」というタイトルでお話をしたいと思います。23節には、「するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである」とあります。ここには神に栄光を帰さなかったヘロデと、それとは対照的に神に栄光を帰せた人たちの姿が、ドラマチックに対比されながら描かれています。きょうはこの対比を通して、神に栄光を帰することについて三つの点で学びたいと思います。まず第一に神に栄光を帰さなかったヘロデの姿です。第二に、それとは対照的にますます盛んに広がっていく神のことばについてです。第三のことは、そのように神の栄光を現して生きた人たちの姿です。

 I.神の声、人間の声

まず第一に、ヘロデの問題についてです。18~23節までをご覧ください。

「さて、朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間に大騒ぎが起こった。ヘロデは彼を捜したが見つけることができないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤに下って行って、そこに滞在した。さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。そこで民衆は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。」

 ヘロデ・アグリッパによって獄に捕らえられていたペテロは、教会の必死の祈りによって、奇跡的に獄中から脱出することができました。するとヘロデは、彼を捜しましたが見つけることができなかったので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じました。ヘロデにしてみれば、あれほど厳重な警備態勢を敷いて監禁していた囚人に逃げられたとあってはメンツ丸つぶれですし、万が一、身内の看守たちの中にペテロの脱獄に加担した者がいたとということになったら大問題になります。そもそも逃げ出したペテロをすぐにでも捕まえることができれば最低限の面目は保てたでしょうが、そのペテロをなかなか見つけることができないままに、まさか御使いが不思議な方法でペテロを連れ出したことなど夢にも思わなかったヘロデにとっては、自らの権威の失墜を避けるので精一杯でした。ローマ法には、このように囚人を取り逃がした番兵は、その責任を取って囚人に課せられた刑罰と同じ罰を受けなければならないという定めがあったので、ヘロデはペテロを取り逃がした看守たちを処刑することで自分の権力を誇示し、一連の騒動の幕引きを計ろうとしたのです。そして彼は、ユダヤからカイザリヤへと下って行き、そこに滞在しました。

 20節をご覧ください。そのカイザリヤにヘロデが滞在していた時のことです。ツロとシドンの人たちがやって来て、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めました。ヘロデがこれらの人たちに対して強い敵意を抱いていたからです。なぜヘロデが彼らに対して敵意を抱いていたのかはわかりません。しかし、それがどのような理由であったにせよユダヤから食料を得ていた彼らにとって王を怒らせることはその道が断たれることであり、死活問題でした。そこで彼らはヘロデのもとに陳情に上がり、王の侍従であったブラストに取り入って和解を求めたのです。そしてこの問題が解決されると、これを祝うための行事が催されました。21、22節です。

「定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。そこで民衆は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。」

 この「定められた日」とは、ローマ皇帝の誕生日を祝う日のことでしょう。この日にローマの支配下にあった国々は、ローマ帝国の安泰と皇帝に対する忠誠を表明するためにこれを盛大に祝ったのです。この日にヘロデ(アグリッパ)は、自らの権力を誇示する絶好の機会として、あたかも自分が神であるかのように演説を始めたのでした。ユダヤ人の歴史家であったヨセフスは、その時の様子を次のように記録しています。

「アグリッパは銀の糸で織られたすばらしい布地で裁った衣装を着けて、暁の劇場へと入場した。太陽の最初の光が銀の糸に映えてまぶしく照り輝くその光景は、彼を見つめる人たちに畏敬の念を与えずにはおられなかった。すると突然、各方面から人々が、『陛下が私たちにとって吉兆でありますように。たとえこれまでは陛下を人間として恐れてきたとしても、これからは不死のお方であります。私たちはこのことを認めます』と。王はこれらの者たちを