使徒の働き12章1~17節 「祈る教会」

 きょうは「祈る教会」というタイトルでお話たいと思います。きょうの箇所はアンテオケから舞台を一転してエルサレムに移し、そこで起こった出来事を通して、教会の進展のためになくてはならない重要なことを私たちに教えています。それは祈りです。11章19節のところには「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまで進んで行ったが、ユダヤ人以外にはだれにもみことばを語らなかった」とありますが、このアンテオケは、主の御手がともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返りました。それだけではありません。弟子たちは、ここで初めて、「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。それほどに信仰が生きて働いていたのでしょう。さらにこの教会は、ききんで苦しんでいたエルサレム教会のためにパウロとバルナバを遣わして救援物質を送りました。そんなめざましい活動がこのアンテオケで展開されていたのです。

 しかし、そのようなすばらしい御業はアンテオケ教会ばかりではありませんでした。母教会のエルサレム教会でも、それに勝るとも劣らない主の御業が展開されていたのです。それがここに記されてある祈りの姿です。この「使徒の働き」において、エルサレム教会のことが記されてあるのは、これが最後です。これからあとはアンテオケ教会を中心に、いかに福音が異邦人の世界に広がっていったのかが伝えられていきます。その最後の記録は、実にめざましいものでした。

 きょうはこのエルサレム教会の祈りについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、このエルサレム教会は祈る教会であったということです。第二のことは、その祈りに対する答えです。教会が心を一つにして熱心に祈り続けたとき、人間的には不可能だと思われるほどの神様の御業が起こりました。第三のことは、そこにまつわるエピソードを通して教えられることです。すなわち、たとえ確信のない祈りでも主は答えてくださるということです。だから祈りましょうということです。

 Ⅰ.祈る教会(1~6節)

 まず第一に、このエルサレム教会は祈る教会であったということを見ていきましょう。1~6節までをご覧ください。

「そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕えにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。
ヘロデはペテロを捕えて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。」

 「そのころ」とは、バルナバとサウロがアンテオケから救援の物資を携えてエルサレムに遣わされていったころです。当のエルサレム教会ではヘロデ王による迫害の手が使徒たちの上にも及んでいました。11章30節をみると、その救援の物資は、バルナバとサウロの手によって長老たちに送ったとあり、使徒たちにと書かれていないことを見ると、使徒たちへの迫害がかなり深刻な状態であったことがわかります。今回の迫害は単にユダヤ教当局によるものではなく、ヘロデ王によるものであったと書かれてありますから、それは国家権力によるより大がかりな迫害でした。

 この「ヘロデ」という人物は、ヘロデ・アグリッパと言って、イエス・キリストが誕生したときにユダヤを支配していたヘロデ大王の孫にあたる人です。彼は祖母がハスモニア家出身であったことから、ユダヤ人に気に入られようと教会を苦しめ、迫害の手を伸ばしたのです。その最初の犠牲者が十二弟子の一人で、ヨハネの兄弟ヤコブでした。そしてヤコブを処刑するとそれをユダヤ人たちが気に入ったのを見て、今度はペテロをもとらえて投獄しました。ペテロは以前にもユダヤ人議会の手によって投獄されたことがありましたが、その時には御使いによって助け出されたことがあったので、今度はより厳重な警戒をして監視させました。ここには「四人一組の兵士四組」に引き渡したとあります。すなわち、四人一組になって6時間ずつ、四交代で監視したということです。しかも6節を見ると、彼は二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していたとあります。普通のローマ軍の牢屋では、ひとりの兵士が囚人を鎖でつなぐのが関の山でしたから、二人の兵士につながれ、しかもさらに二人の兵士が戸口を見張るというのは、異常なほどの用心深さであったことがわかります。そのうえ第一、第二の衛所があり、最後は「鉄の門」まであったのですから、完璧なまでの監視でした。もしかしたら彼らは、以前ペテロが捕らえられたとき獄をもぬけのからにした話を聞いていて、絶対にそんなことはさせないと躍起になっていたのかもしれません。しかし、今度の警戒はかなり厳重です。これでは手も足も出ないでしょう。絶体絶命のピンチです。このままでは教会の存続さえも危ぶまれます。エルサレム教会の指導者たちがねらい打ちにされるということは、そのまま教会の根幹に打撃を与えることであり、その存立を脅かすような重大な問題だったからです。このような教会存亡の危機的な状況のとき、教会はいったい何をしたのでしょうか。5節をご一緒に読んでみたいと思います。

「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」

 教会は彼のために祈っていました。ヤコブの殉教、ペテロの逮捕といった絶体絶命の状態の中で、もはや何の成す術がなくなっても、ただ茫然としてしまうのではなく、最後の最後まで諦めずに、祈っていたのです。

 皆さん、クリスチャンのすばらしさは、このように人間的にはどうすることもできないという状態にあっても、祈ることができることです。医者にも見捨てられ、頼るべきものが何もなくなってしまったかのように見える病気の時でも、決して絶望することなく、ほんとうに頼るべき方に心を注いで祈れるということです。

 日本が生んだ大伝道者、内村鑑三の本に、こんな話があります。田んぼの中にいたカエルに、少年たちが石を投げて遊んでいました。子どもたちにとってはそれは単なる遊びですが、カエルにとっては命がけです。当たり所が悪ければ死んでしまうわけです。そこでカエルたちは、「こんなの嫌だ。わたしはもうカエル」と言って近くの池に逃げて行きました。その池に飛び込んで深くもぐり、傷をいやし、いたずら小僧がいなくなたころ、また出てくるわけです。

 実はこの話は、内村鑑三の無教会主義の信徒たちが迫害されたときのことをたとえて話したものです。外から見たら何やら戯れているかのように見える教会の中で、命がけの出来事が起こっている。しかし、そうした出来事の中にあってもクリスチャンにはそれをいやす池がある。それがイエス・キリスト様だ・・・と。

 私たちの人生には、初代教会のような迫害が襲ってくることはないかもしれませんが、絶望的な状況に陥ることがしばしばあります。そのような状況の中で、「もう無理だ」と思うことがどんなにあることでしょう。しかし、私たちは祈ることができる。ほんとうに頼るべき方に心を注いで祈ることができるのです。

「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:28~31)

 この方が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちにはこのような方がついておられるのです。だから祈らなければならないのです。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば、見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7:7,8)初代教会は、実に、祈る教会でした。教会の中に問題が起こったら、それは祈りに導かれる素晴らしいチャンスだと受け止めたのです。

 オランダにヘンドリック・クレイマーという神学者がおられましたが、彼が日本の教会のリサーチを頼まれて調査したところ、日本の教会について次のように報告しました。「日本の教会は議論する教会です。問題が起こると議論します。韓国では祈ります。台湾では賛美します。しかし、日本では議論します。議論の教会です。」

 いろいろと議論して何が起こるのでしょうか。大切なのは祈ることです。問題があっても、なくても、熱心に祈り、神に求める教会、そういう教会となることを主は願っておられます。そういう教会は、驚くほどの御業を経験し、力強く前進していくことができるのです。

 Ⅱ.すべての災いから救い出してくださった主(7~11節)

 次に、祈りに対する答えをみていきたいと思います。7~11節までをご覧ください。

「すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい。」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい。」と言った。そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」

 教会はペテロのために祈り続けていましたが、何の変化もないまま、とうとうペテロが処刑される前の日になってしまいました。ところが、その最後の瞬間に、奇跡が起こりました。それはペテロもクリスチャンも、信じられないほどの奇跡でした。何とあれほど厳重にとらえられていたペテロが解放されたのです。9節には、「彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた」とありますが、それほど不思議なことでした。ヨッパの皮なめしのシモンの家で幻を見ていたときのように、またもや幻を見ているのだと思ったのでしょう。その経緯とはこうです。

 7節、主の使いが突然現れたかと思うと、ペテロのわき腹をたたいて起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言いました。何だろうと思っていたら、突然、手から鎖がはずれ落ちたのです。すると御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい」と言うのでその通りにすると、今度は「上着を着て、私について来なさい」と言うではありませんか。そして、第一の衛所も第二の衛所も、また最後の第三の鉄の門も自動的に開いたので、彼は外に出ることができたのです。彼はまるであやつり人形のようにあやつられ、夢遊病者のように歩いてきましたが、外に出て、御使いが彼から離れて行ったとき、それが現実のことであり、主が御使いを通して、ヘロデの手から自分を救い出してくださったのだということがわかったのです。

 こういう話を読むと、現代人はクリスチャンでも首をかしげてしまいます。現代では、このような天使の実在や働きがあるなど信じることができないからです。しかし、神を信じるクリスチャンにとって、このような天使の存在とその働きを疑う必要はありません。人生を深く、しかも体当たりで生きてきた人なら、この時ペテロが体験したように、「今、確かにわかった」と我に返ることがあるからです。主が御使いを遣わして、私を救い出し、守ってくださったのだということを悟ることがあるのです。もちろん、肉眼で天使を見たわけではありませんが、信仰の目が開けて我に返るとき、「今、確かにわかった」ということがあるのです。ですから、ペテロも、「主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ちかまえていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」(11節)と言ったわけです。言い換えると、鎖が落ちたこと、立ち上がれたこと、帯を締められたこと、くつをはけたこと、上着を着られたこと、外に出られたことなど、自分の身の回りに起こった一つ一つの具体的な動きと自分の歩みのすべてのことが、祈りに対する答えであったということです。祈りに対して、主の御手が働いてくださったことの結果だったのです。そのようにたとえ目には見えなくても、確かにそこに主が働いておられることを信じ、その御業の数々を数え上げ、主をあがめて賛美しながら歩めることこそ、クリスチャン生活の醍醐味ではないでしょうか。それがクリスチャンの強さの秘密なのです。

 19世紀にロンドンのバプテスト教会の説教家だったチャールズ・スポルジョンは、しばしば「説教のプリンス」と呼ばれていました。スポルジョンは27歳の時から、ロンドンにあるメトロポリタン・タバナクルという教会で6千人の聴衆に説教しました。活字にされた3,561編の説教は、彼がこの世を去って1世紀以上が過ぎた今でも出版され続けています。
 1879年8月10日の聖日も、いつもと同じようにメトロポリタン・タバナクル教会で礼拝が行われました。信徒たちは、新来者たちに座席を譲るために、みな礼拝堂の外に出ることになりました。そして、しばらくると礼拝堂は6千人の聴衆で満員になりました。
 新しく教会を訪れたある人が信徒の一人にスポルジョンの成功の秘訣を尋ねました。するとその信徒は、「それでは教えて差し上げましょう。こちらにどうぞ」と訪問客を地下室に案内しました。するとそこには4百人もの信徒たちが、説教中の牧師のためにとりなしの祈りをしていたのです。
 そうです、スポルジョンが神の大いなる祝福を受け、神に用いられた秘訣は、まさにここにありました。神様は、そのようなとりなしの祈りに答えて、何千、何万という天使を送り、彼を支えておられたのです。教会はそれを信じていた。だから熱心に祈っていたのです。

 それは今日も同じです。私たちが祈るとき、主の御手が動きます。そして、何千、何万という天使を送り、守り、支え、導いてくださるのです。それがたとえどんなに頑丈な鎖や、強力な兵士の監視であっても、あるいは、どんなに堅固な門でも、問題ではありません。神にとって不可能なことは一つもありません。私たちの思いをはるかに越えた方法で、御業を行ってくださるのです。

 このように申し上げますと、中には、だったらヤコブの場合は何だったのかと疑問を持たれる方もおられるでしょう。教会はペテロだけでなく、ヤコブのためにも祈っていたのではないですか。なのに彼は殺されてしまいました。神様は教会の祈りに答えてくださらなかったのでしょうか。

 そうではありません。その時でも神は答えてくださいました。しかし、私たちが覚えておかなければならないことは、祈りとは必ずしも私たちの願いどおりになるこではないということです。こちらの願い、こちらの注文がどうであろうとも、神のみこころに私たちの願いや思いを合わせていくこと、それが祈りです。なぜなら、神様は完全だからです。私たちがいいことだと思っていることでも、必ずしもそれが良いことだとは限りません。私たちの判断は、私たちの限られた範囲でしか見ることができない狭く、誤りやすいものだからです。けれども、神のみこころは完全であり、最善です。すべてのものを正しくご覧になり、判断されるのです。ですから、神のみこころに従うことが一番いいのです。ヤコブの場合は、必ずしも教会の祈りがそのまま答えられたわけではありませんでしたが、神が最善に導いておられるということがわかるとき、それがどのような答えであったとしても、私たちはそれに満足することができるのです。そのことを悟り得ることこそ、祈りの応答なのです。

 Ⅲ.それでも祈りましょう

 さてこの話は、教会が熱心に祈り、その祈りが答えられたというだけで終わっていません。聖書はその後に起こった一つのエピソードを紹介しながら、それでも祈ることの必要性を教えています。12~17節をご覧ください。

「こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。彼らは、「あなたは気が狂っているのだ。」と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ。」と言っていた。しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください。」と言って、ほかの所へ出て行った。」

 ペテロは、今、確かに、主が御使いを遣わして、ヘロデの手から救い出してくださったということがわかったとき、マルコと呼ばれるヨハネの母マリヤの家へと向かいました。このマルコとはこの後25節のところで、バルナバとサウロと一緒にアンテオケに行った人で、マルコの福音書を書いたマルコです。彼の家はエルサレムにあって、初代エルサレム教会の働きにおいて重要な役割を果たしました。伝承によるとこのマルコの家、すなわちこのマルコの母マリヤの家こそ主イエスと弟子たちが最後の晩餐をし、信徒たちが集まっては祈っていた家であり、あのペンテコステにおいて聖霊降臨の舞台となった家ではないかと言われています。いわばエルサレム教会がまだ定まった場所を持っていなかった時の大切な集会場だったわけです。ですから、5節で、ペテロがとらえられた時に祈っていたのもこのマルコ、マリヤの家であり、ペテロが解放れたときにも夜を徹して祈っていたのも、このマリヤの家でした。初代教会の強さ、たくましさの陰には、こうした信徒たちの家庭を挙げての献身があったことを忘れてはなりません。このときもペテロがこのマリヤの家に行きますと、彼らは集まって、祈っていました。

 しかし、13節からのところを見ますと、このような緊張感溢れる描写の中に、何ともユーモラスな光景が描かれています。ペテロが入り口の戸をたたきますと、中からロダという女中が応対に出ました。ところが、それがペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、さささっと奥へ駆け込み、ペテロが門の外にいることをみなに知らせたのです。追っ手が迫るのを気づかいつつ、「早く開けてください」という気持ちで門をたたき続けるペテロ。過越の夜のエルサレムは冷え冷えとして、脱獄したばかりのペテロには冷えすぎます。そんなペテロを外に放っておいて家の奥の方に駆け込むとは、何と気が効かない女だろうと思われるかもしれません。しかし、ルカはそんな批判されてもしかたがない彼女をそのようなうわべの行動で批判しないで、彼女の失敗が「喜びのあまり」出たことだと、あたたかい目で心の奥まで読み取りました。そういえばルカは、イエス様が生前ペテロとヨハネとヤコブを連れてゲッセマネの園で祈ったとき彼らが眠りこけてしまったときも、「彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまった」(ルカ22:45)と描きました。信仰がないためすぐにこけてしまったなどと言わず、悲しみが深く、その果てに眠ってしまったんですよと紹介した。祈りにおいてイエス・キリストと交わり、キリストのやさしやあたたかさ、思いやりを学んだ人は、他人の行動に対しても、まず心をみて評価する思いやりを示すものです。

 しかし、もっとひどいのは、そんなロダの報告を聞いた弟子たちの反応です。ロダが部屋の奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることと告げると、それを聞いた人たちは何と言ったでしょうか。15,16節です。彼らは「あなたは気が狂っている」と言いました。そして彼女がほんとうだと言うと、「それは彼の御使いだ」と言ったのです。「とうとう来たか」そう言ったわけです。それでも戸をたたく音がするのであけてみると、そこにペテロがいたので、彼は驚いて言いました。「ウッソ!」「ユウ、ア、キディング!」

 彼らはペテロが釈放されるようにと祈っていたのではないのですか。そのように祈ってはいても、信じていなかった。つまり彼らは、自分たちの祈りが答えられるという確信がないまま祈っていたのです。けれども、それだけに私たちは彼らの姿に、言いようもない親近感を覚えるのです。彼らもまた、祈ってはいたもののそれが答えられるとは信じられず、疑いながら祈っていましたが、にもかかわらず神は、あふれる恵みをもって彼らの「願うところ、思うところをはるかに越えて、あらゆることを」かなえてくださったのです。私たちと同じ弱さ、同じ不安、同じ疑いを抱えていた人たちが、そこにはいたのです。しかし、彼らの祈りは答えられました。それは彼らの祈りや信仰の熱心さが、国家権力に勝利したからではなく、主が勝利してくださったからです。ペテロが、「今、確かにわかったことは、主が・・・救い出してくださった」と言っているとおりです。

 しかし、それでも教会は祈っていました。祈り続けていた。私たちはこの朝、この事実をしっかりと心に刻んでおきたいと思うのです。完全な確信も持てないような弱い者であっても祈り続けていくのなら、主が救い出してくださるということを。とは言っても、そのような中で祈り続けていくことはそんなに優しいことではありません。しかし、私たちが経験する苦しみや試練を通して、私たちの教会もまた祈りの家とされていくのです。教会を挙げて祈らなければならないという苦難や試練は、私たちにとっては決して喜ばしいことではないかも知れませんが、しかしそのような経験を通して、教会は祈りの家として整えられ、築き上げられていくのです。ですから、もし私たちの家庭や教会に問題があるなら、祈りに導かれている時であると受け止め、感謝したいと思います。そして、その問題が解決できるという確かな確信がなくても祈り続けていく中で主が働いて御業を成してくださると信じ、祈り続けていく者でありたいものです。その答えの意味が今はわからなくとも、あとで分かるようになるからです。