ヨハネの福音書12章4~11節「礼拝を妨げるもの」

前回は、イエスが過越の祭りの6日前にベタニアに来られた時、マルタとマリアとラザロがどのようにしていたのかを見ました。すなわち、マルタの奉仕とラザロの証し、そしてマリアの礼拝です。特にマリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油をイエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐいました。それはマリアにとってイエスがすべてのすべてであったからです。彼女は自分自身を主にささげました。それが礼拝です。なぜ彼女はそのようにしたのでしょうか。それは勿論イエスが兄弟ラザロを生き返らせてくださったことへの感謝もありましたが、それ以上の理由がありました。それは、主が彼女のためにいのちを捧げるほど深く愛してくださったからです。その愛に対する応答でした。彼女にはそれがよくわかりました。いつも主の足もとにひれ伏して、主のみことばを聞いていたのでわかったのです。そしてそれが礼拝となって表れたのです。

 

きょうのところには、それとは裏腹にそうした主への礼拝を妨げる者の姿が描かれています。イスカリオテのユダや、祭司長たちです。いったい何が問題だったのでしょうか。私たちはイスカリオテのユダや祭司長たちのように礼拝を妨げる者ではなく、マリアのようにイエスに心から礼拝をささげる者でありたいと思います。

 

Ⅰ.イスカリオテのユダ(4-6)

 

まず、4~6節をご覧ください。

「弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。」

 

ここにイエスの弟子の一人で、イスカリオテのユダという人物が出てきます。新改訳聖書第三版には「ところが」という接続詞があります。残念ながらこの新改訳2017と他の日本語の聖書には訳されていません。英語では「but」(New International Version)、あるいは「Then」(King James Version)と訳しています。原語には、「ουν」という接続詞があって、これは「しかし」とか、「それから」、「ところが」という意味の言葉です。これは訳してほしかったですね。なぜなら、このイスカリオテのユダの行為が3節のマリアの行為と対比されているからです。マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油をイエスの足にぬり、それを自分の髪の毛でぬぐいましたが、一方、弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダはそうではありませんでした。

 

「イエスを裏切ろうと」の直訳は、脚注にもあるように「引き渡そうと」です。ユダはイエスをユダヤ人の当局者たちに引き渡そうとしていました。イエスを裏切ろうとしていたとはそういうことです。「イスカリオテ」とはカリオテの人という意味です。「カリオテ」とはイスラエル南部の地方都市の名前で、「大都会」という意味があります。イエスの弟子たちのほとんどがガリラヤ地方出身の田舎者であったのに対して、彼はユダヤ地方の大都会の出身でした。今で言うとシティボーイです。ですから、それなりにプライドもあったでしょう。何よりも頭が切れていました。会計管理の才能を生かして弟子団の財務担当を担っていたのですから。財務省です。かなり優秀でないとなれません。ですから、人からの信頼も厚かったようです。そのイスカリオテのユダがマリアに言いました。「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」

 

これが聖書の中に出てくるユダの最初の言葉です。「どうして」ここに彼のメンタリティーがよく表われているのではないでしょうか。マリアが心から主イエスに対して向き合ったのに対して、彼はそのマリアに「どうして」と言いました。私たちもよく「どうして」と言うことがあるかと思いますが、このように「どうして」という時は気を付けなければなりません。そこにはナルドの香りではなく危険な香りがするからです。他の人を批判して「どうして」と言うのは危険です。彼はマリアを公然と批判しました。「どうして、この香油を300デナリで売って、貧しい人々に施さないのか。」と。この香油とは、3節で彼女がイエスに注いだナルドの香油のことです。これは純粋で非常に高価なものでした。300デナリもの価値がありました。300デナリとは300日分の労働者の賃金に相当します。つまり年収ですね。マリアはそれをすべてイエスにささげました。おそらく、結婚の準備のためにとコツコツと蓄えていたものでしょう。もしかすと、両親の遺産の一部であったのかもしれません。いずれにせよ、それを全部イエスにささげました。それを見ていたユダは、「どうして、この香油を300デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」と言ったのです。どうして彼はこのように言ったのでしょうか。

 

6節をご覧ください。ここにその理由が記されてあります。「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。」彼がこのように言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではありません。彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからです。どういうことでしょうか?貧しい人に施しをするということはユダヤ教では非常に大切なことでした。それは律法にこうあるからです。「あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みの中ででも、あなたの同胞の一人が貧しい者であるとき、その貧しい同胞に対してあなたの心を頑なにしてはならない。また手を閉ざしてはならない。必ずあなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。」(申命記15:7-8)

これが律法です。これが主のみおしえなのです。それは主が彼らを祝福してくださるからです。マタイ25:40でイエスが、「すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』」と言われたのは、こうした律法の背景があったからです。最も小さい者たちにしたこととは何ですか。空腹であったときに食べ物を与え、渇いたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに服を着せ、病気であったときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれるといったことです。つまり、貧しい人々に施すことです。それは神を信じて生きる者たちにとってとても大切なことだったのです。ですから、イスカリオテのユダが言っていることは正しいのです。

 

しかし、彼には問題がありました。それは、彼がこのように言ったのは貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かっていながら、そこに入っているものを盗んでいたことです。どういうことかというと、ヨハネ13:27-29を見てください。ここには、「ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。すると、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、すぐしなさい。」席に着いていた者で、なぜイエスがユダにそう言われたのか、分かった者はだれもいなかった。ある者たちは、ユダが金入れを持っていたので、「祭りのために必要な物を買いなさい」とか、貧しい人々に何か施しをするようにとか、イエスが言われたのだと思っていた。」とあります。これは最後の晩餐の席でのことです。イエスは弟子たちの一人が、自分を裏切ると言われました。弟子たちが、それはだれですかと尋ねると、イエスは「わたしがパン切れを浸して与える者が、その人です。」と答えました。そしてイエスはパン切れをユダに与えると、彼にこう言いました。「あなたがしようとしていることを、すぐにしなさい。」弟子たちはなぜイエスがそのように言ったのかが分かりませんでした。彼らはユダが金入れを預かっていたので、「祭りのために必要な物を買いなさい」とか、貧しい人々に何か施しをするようにと、言われたのではないかと思ったのです。でも実際は違いました。彼はその金入りから盗んでいたのです。つまり、フェイントですね。そのように見せかけておいて、実際には自分の利益を追及していたのです。

 

このように、人の言葉には、その裏に、それとは別の本当の意図が隠されていることがあります。ことに、りっぱなことを言う人は、その陰に全く違った動機が隠れている場合があります。ほかの人を批判したり、裁いたりする人も、あたかも正しいことを言っているようですが、実はその言葉の裏には、自分を正当化しようという思いが働いていることがあります。だから注意しなければなりません。イスカリオテのユダは確かにりっぱなことを言いましたが、一つとしてりっぱなことはしませんでした。彼はただ自分の利益を追及していただけだったのです。

 

でもこれはユダだけではありません。私たちにもあります。口ではりっぱなことを言っていても、その動機を探られたら、このユダと五十歩百歩ということがあるのではないでしょうか。たとえば、私はこうやって毎週講壇から説教していますが、それがもし人から称賛されたいからとか、名誉なことだからとか、注目されたい、かっこいいといった動機からだとしたら、このユダと全く変わりません。それはただの見せかけであって、偽善にすぎないのです。私は自分を戒めてこう言っているのですが・・。私たちが奉仕をするのはどうしてでしょうか。もし自分が敬虔なクリスチャンに見せたいからとか、教会のリーダーとして認められたいから、あるいは、何か大きなことを成し遂げたという達成感なり自己満足を得たいからというなら、それはこのユダと少しも変わりません。彼が本当に心にかけていたのは貧しい人々のことではなく自分自身でした。イエスを愛していたのではなく、自分を愛していたのです。彼は霊的なことには全く価値を見出すことができませんでした。だからイエスに対する愛情の表現としてささげたマリアの礼拝を全く理解できず、むしろそれを真っ向から非難して蔑んだのです。礼拝にそんなにお金をかけるなんてもったいない。そんなお金があるんだったら貧しい人々を支援した方がずっといいに決まっている。もっと実際的なことのためにお金を使うべきだ・・。どうですか、皆さん、何だかもっともらしいと思いませんか。でもそれは単なる口実です。彼がそのように言ったのは本当にそのように思っていたからではなく、自分の利益を求めていたからなのです。彼の心を支配していたのは損得勘定でした。本当に貧しい人のことを考えていたわけではありませんでした。

 

礼拝に行けませんという人の多くは同じ問題を抱えています。「忙しくて礼拝になかなか行けません。」「いろいろやらなければならないことが多くて礼拝に行っている時間がないのです。」これらはもっともらしい口実ですが、でも本当の理由はそこにあるのではなく、まさにユダが言っているように、自分のことしか考えていないことです。彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたのではなく、金入れに入ってくるものを盗んでいたのである。つまり、イエスのことを心にかけていたのではなく、イエスを愛しているのではなく、自分を愛していたのです。これが本当の問題です。イエスはこう言われました。「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。」(マタイ6:24)

 

皆さん、だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を重んじて他方を軽んじることになるからです。私たちは神にも仕え、富にも仕えることはできないのです。それなのに、あたかも神に仕えているかのようにふるまうとしたら、そこにユダのような偽善が生じてしまいます。そのような偽善こそがイエスを礼拝することを妨げてしまうことになるのです。イスカリオテのユダはそういう仮面をかぶり、自分をごまかして、神と人を欺いていました。もし私たちにこうした思いがあるなら悔い改めなければなりません。そして、マリアのように純粋にキリストを愛し、キリストを礼拝する者でなければならないのです。

 

Ⅱ.りっぱなこと(7-8)

 

次に、7-8節をご覧ください。イスカリオテのユダのことばに対して、イエスは何と言われたでしょうか。

「イエスは言われた。「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいますが、わたしはいつも一緒にいるわけではありません。」

 

並行箇所のマルコ14:6(新改訳聖書第三版)には、「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。」とあります。イエスは彼女がしたことをりっぱなことであるとほめてくださいました。そればかりではなく、「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」(マルコ14:9)と仰せになられました。これほどほめられた人はそれほど多くはありません。弟子たちでさえここまでほめられた人はいません。しかも、彼女の場合、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょうと言われました。そのことが聖書に記され、賛美歌にもなって語り伝えられるというのです。そんなこと当の本人でさえ想像することができなかったでしょう。彼女のこの奉仕は、彼女自身の小さな感覚をはるかに越えて用いられていったのです。

 

こうしたイエスに対する奉仕は、もしかしたら周りの人たちに理解されず、非難されていたかもしれません。しかし、イエスは理解し、評価して、このように認めてくださるのです。イエスにほめられたら本望です。それで十分です。マリアのようにイエスを礼拝することは、イエスにとってもとてもうれしいことなのです。どうしてマリアはこのような奉仕をささげることができたのでしょうか。

 

ここにもう一つの理由が語られています。それは、マリアは、イエスを埋葬するために、それを取っておいたということです。どういうことですか?マリアがナルドの香油をイエスにささげたのは、イエスの死を予見して埋葬の用意をするような、神の十字架のご計画の中にきちんと組み込まれたタイムリーな奉仕であったということです。

これは本当に驚くべきことです。私たちは11章でラザロの死とよみがえりの出来事を見ましたが、マリアの香油はそのために使われても不思議ではありませんでした。自分の愛する弟が葬られたとき、その死体が腐らないように、あるいは臭いを消すために使われても少しもおかしくなかったのに、マリアはそれを使いませんでした。なぜなら、イエスの葬りのために取っておきたかったからです。マリアはイエスの葬りのために取っておこうと、前もって決めていました。ラザロが死ぬはるか前からです。だから、マリアがイエスに香油を塗ったのは思いつきや気まぐれによってではなく、ずっと前から決めていたことだったのです。

 

同じマリアでもマグダラのマリアは、イエスが復活した朝、イエスのからだに香料を塗ろうと墓に出かけて行きましたが、このベタニアのマリアのように、前もってイエスのからだに香料を塗ることはしませんでした。イエスが死ぬ前に塗ったのか、後に塗ったのかでは大きな違いがあります。また、こんなにイエスを愛したマリアが、イエスが十字架につけられた時そこにいなかったことは不思議です。イエスの十字架のそばには、イエスの母マリアとその姉妹、そしてクロパの妻マリアとマグダラのマリアといったたくさんのマリアがいました。でも、このベタニアのマリアはいませんでした。なぜこれほどイエスを愛していたベタニアのマリアがそこにいなかったのでしょうか。なぜベタニアのマリアは、イエスの死と埋葬に直接関わらなかったのでしょうか。もしかしたら、他の弟子たちのように脅えて逃げ隠れしていたのでしょうか。そうではありません。この12章でユダヤ人たちから迫害を受けることを覚悟してイエスを食事に招いていました。ですから、イエスが十字架につけられるからといって、逃げ隠れするようなことはしなかったでしょう。だったらなぜ彼女はイエスの死と葬りに全く関わらなかったのでしょうか。それは彼女が他のだれも理解できなかったことを理解していたからです。それはイエスが十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられるということです。イエスは弟子たちにそのことを語っていました。でも弟子たちのだれ一人としてそのことをまともに受け止めることができなかったのです。でも彼女だけは別です。彼女は、イエスのことばを額面通りに受け入れていました。だから、彼女はイエスが葬られた墓には行かなかったのです。行く必要がなかったのです。なぜなら、イエスは死んでよみがえられるからです。彼女はまさにイエスが語った福音を信じていたのです。皆さん、福音とは何ですか。それはイエスの十字架と復活です。Ⅰコリント15:1~5にこうあります。

「兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」

彼女は、この福音を信じていたのです。彼女はイエスが葬られて終わりだとは思っていませんでした。三日目によみがえることを信じていたのです。死人の埋葬のために香料はとても役に立ちます。でもよみがえってしまうのであれば無駄になってしまいます。それこそもったいない話です。だから、ベタニアのマリアにとっては今がチャンスだったのです。それはまさにタイムリーな奉仕だったと言えるのです。マリアの驚くべき洞察力というか信仰には驚かされます。いったいどうして彼女はそのような知識なり、信仰なり、啓示を持っていたのでしょうか。

 

それは、彼女がいつも、どんな時でも、主の足もとにひれ伏していたからです。そこでただ主のみことばに聞き入っていました。新約聖書には、彼女が登場する場面が3回出てきますが、3回とも彼女はイエスの足もとにいます。それ以外には出てきません。たとえば、その1回はルカ10:39ですが、そこには「彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。」とあります。もう1回は、ちょっと前に学びましたが、このヨハネ11:32です。そこには、「マリアはイエスがおられるところに来た。そしてイエスを見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」」とあります。ここでも彼女はイエスの足もとにひれ伏しています。そしてもう1回がこの箇所です。ここで彼女は、自分のすべてをイエスにささげています。マリアの信仰は、このラザロのよみがえりを通して揺るがないものになっていました。他のマリアたちはイエスの十字架と復活についてその重要性に気付いていましたが、信じることができませんでした。しかし、このベタニアのマリアだけはその重要性に気付いていただけでなく、それを額面通り信じて受け入れることができました。それは彼女がイエスの足もとにいて、いつもイエスの話に聞き入っていたからです。

 

私たちもイエスの足もとにいて、イエスのことばに聞き入って、イエスを礼拝する者となりましょう。そしてそでイエスとの麗しい関係を体験し、あなたにしかわからない真理をしっかりと受け止めたいと思うのです。

Ⅲ.イエスに敵対する人たち(9-11)

 

最後に9~11節を見て終わりたいと思います。

「すると、大勢のユダヤ人の群衆が、そこにイエスがおられると知って、やって来た。イエスに会うためだけではなく、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。」

 

ここにはマルタとマリア、そして兄弟ラザロ、またイスカリオテのユダの他に、あと2種類の人たちが登場しています。大勢のユダヤ人の群衆と祭司長たちです。彼らはイエスに対してどんな応答をしたでしょうか。まず大勢のユダヤ人たちです。彼らは9節にあるように、そこにイエスがおられると知って、やって来ました。いったい何のためにやって来たのでしょう。それはイエスに会うためではなく、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロを見るためでした。それは過越しの祭りといってユダヤ教三大祭の時でした。ユダヤ人の歴史家ヨセフスによると、当時250万人のユダヤ人が集まっていたと記録されています。そこはイエスのうわさでもちきりでした。イエスがラザロをよみがえらせたということで、一目そのラザロを見たいと集まって来たのです。彼らはただ好奇心で、興味本位で見たいと思っていただけです。これが人間の性質です。彼らは信じようとして来たのではなく、異常なものを見たいと思って来ました。でもそれを自分のこととして受け止めることができませんでした。いわゆる傍観者にすぎなかったのです。

 

一方、祭司長たちはどうだったかというと、ラザロを殺そうと相談していました。なぜラザロを殺す必要があったのでしょうか。それは彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからです。彼がよみがえったことでイエスの影響があまりにも大きくなっていました。それまでは自分たちが中心でした。しかし、ラザロがよみがえったことでその人気が全部イエスの方に流れていくのを見て、証拠隠滅を図ろうとしていたのです。彼はまさに目の上のたんこぶでした。聖書には、ラザロの言葉は一つも記録されていませんが、彼がそこに存在していたというだけで、大きなインパクトがありました。彼は生きた証人だったのです。それで多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになりました。そこには一般群衆だけでなく、ラビと呼ばれていたイスラエルの教師もいたでしょう。あるいは、宮に仕える祭司たちもいたでしょう。そうした人までもイエスを信じるようになっていくのを見て焦りを感じ、ラザロを殺そうとしたのです。

 

パウロは、「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(Ⅱテモテ3:12)と言っています。この世は、自分たちと同じ価値観を持たないクリスチャンを迫害します。それは、使徒たちとその後の時代ばかりでなく、現代でも同じです。信仰の自由のない国だけでなく、アメリカや日本でも、迫害は形を変えて存在します。「どうして、この香油を300デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」もったいない。礼拝のためにそんなにお金や時間やエネルギーを使うなんて考えられない。そんなお金があれば、もっと実際的なことのために使うべきだ。現に今、台風の災害でどれだけ多くの人々が苦しんでいると思うんだ!そういう人のために使うべきではないかと公然と非難してくるのです。まことの礼拝者はいつの時代でも非難の的となります。ノンクリスチャンからだけでなく、クリスチャンからも非難されることがあります。そのような非難に対して、あなたはどのように応答しますか。マリアは、なりふり構わずイエスに礼拝をささげました。他の人にどう思われても、イエスに自分のすべてをささげたのです。そんなマリアの礼拝をイエスは「りっぱなことをしてくれたのです。」とほめてくださいました。そして、「世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」と評価してくださいました。イエスにほめられ、評価されるなら本望です。あなたの礼拝はどうでしょうか。あなたの奉仕はどうでしょうか。そこに打算を越えた、主に対する燃えるような応答の心があるでしょうか。それとも人からの評価を気にして、人との比較の中でささげられる、義務的な奉仕になってはいないでしょうか。キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。でも、イエスが私たちのために成してくださった大きな愛のゆえに、その愛に応答して、マリアのように心からの礼拝をささげる者でありたいと思います。

ヨハネの福音書12章1~3節「ナルドの香油」

ヨハネの福音書12章に入ります。ヨハネの福音書は、大きく分けると二つに分けられます。1章から11章までのキリストの公的宣教と、12章から21章までの最後の1週間です。ですから、ここはイエスの公的宣教の最終段階の場面です。過越しの祭りの六日前にベタニアの村に来られたイエスは、ここでマリアの高価な香油の注ぎを受け、その翌日、最後のエルサレム入場をされ、13章からの受難物語へと続いていくのです。そんなピリピリと張り詰めた空気の中で、一切の打算抜きの一人の女性の奉仕があったことを、ヨハネはここに記しているのです。その女性とは、ベタニアのマリアです。かつて兄弟のラザロを、イエスによみがえらせていただいた彼女は、心からの感謝と献身の思いを込めて、心からの奉仕をささげるのです。それはまさに、この直後十字架に向かって行くキリストの道にふさわしい麗しい奉仕でもありました。きょうは、このマリアの奉仕を中心に、イエスに喜ばれる奉仕とはどのようなものなのかをご一緒に学びたいと思います。

 

 

Ⅰ.マルタの奉仕(2)

 

まず、マルタの奉仕です。もう一度12:1~3をお読みします。

「さて、イエスは過越の祭りの六日前にベタニアに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」

 

イエスは過越しの祭りの六日前にベタニアに来られました。ベタニアは、マルタとマリアの兄弟ラザロが生き返るという奇跡が行われた村です。その奇跡を見た多くのユダヤ人はイエスを信じましたが、しかし、何人かはパリサイ人たちのところに行って、イエスがなさったことを裂耐えたので、祭司長たちやパリサイ人たちは焦りを感じ、遂に、イエスを殺そうと企みました(11:53)。それでイエスはもはやユダヤ人たちの間を歩くことをせず、そこから北に20キロほど離れたエフライムという町に入りました。そこはのどかな牧草地でしたので、そこで父なる神様とのしばしの交わりの時、祈りの時を過ごされたのです。

 

「しかし」(11:55)、ユダヤ人の過越しの祭りが近づいたとき、イエスは弟子たちを連れてエルサレムに上られました。なぜ?前回お話ししました。それが神のみこころだったからです。イエスはこの時に捕らえられ、十字架につけられることになります。それを重々承知の上で、キリストはこの過越しの祭りに行かれたのです。

 

その過越の祭りの六日前、イエスはベタニアに来られました。ベタニアはエルサレムか3キロメートルほどの道のりだったので、イエスがエルサレムに来られた時にはいつもここに泊まっておられたようです。そこにはあのラザロもいました。イエスが死人の中からよみがえらせたラザロです。

 

人々はイエスのためにそこに夕食を用意しました。おそらくそれは、ツァラートに冒された人シモンの家であったろうと思われます。というのは、同じ出来事を記したマタイ26章とマルコ14章にそのようにあるからです。ちなみに、ルカ7章にある同様の出来事は、全く別のものです。シモンという人の家であるということと、婦人が香油を注ぐという点では似ていますが、一方はツァラートに冒された人人シモンであるのに対して、ルカの記述にはパリサイ人シモンとあるからです。また、一方はベタニアのマリアであるのに対して、ルカには罪深い女とあり、しかも状況が全く違うからです。ですから、イエスがベタニアにやって来たとき、このツァラートに冒された人シモンの家に、ラザロとその姉妹マルタとマリアも集まっていたのでしょう。

 

その夕食を用意していたとき、マルタは何をしていたでしょうか。ここには「マルタは給仕し、」とあります。彼女は相変わらず給仕していました。覚えていますか、ルカ10:38~42にあった出来事を。この数か月前にイエスがマルタとマリアの家に来た時も、彼女は給仕していました。でも、あの時と今回は状況が違います。あの時はもてなしのために心が落ち着かず、イエスのところに来て、「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」(ルカ10:40)と不満を訴えました。でも今回はそういうことはなく、黙って仕えています。今回はあの時に比べてかなりの大人数であるにもかかわらずです。夕食を準備するのも大変だったろうと思いますが、ただ淡々と給仕に専念しているのです。いったい何があったのでしょうか。

 

彼女はあの出来事から学んでいたのです。イエス様から「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」(ルカ10:41-42)と言われた時、「ああそうか、主のためにおもてなしをするということは大切なことだけれども、いろいろなことを心配して思い煩っているとしたら本末転倒だ。何をするかということよりも、誰に対してしているのか、どのような心でするかが大切なんだ」を教えられ、イエスがしてくださったことに感謝して、心から喜んで仕えていたのです。

 

マルタは私たちの模範です。私たちの中にも、どちらと言えばマルタのように体を動かすのが好きです、という方がおられるのではないでしょうか。人をもてなすことが好きなんです、食事を作ることが生きがいなんです、掃除をすることなら全然苦になりません。そういう人がいるでしょう。それ自体は全然問題ではありません。むしろ、すばらしいことです。教会はマルタのような働き人を本当に必要としています。しかし、注意しなければなりません。最初のうちは喜んでやっていてもだんだん疲れて来て、いつの間にかそれが重荷となり、そこに何の喜びも感じられなくなっていることがあります。その結果、愚痴や不平不満が出てきているとしたら、それこそ本末転倒です。それが原因で口論や争いに発展することもあります。ですから、心から感謝して、喜んでささげられるのならいいのですが、そうでないとしたら、どこに問題があるのかを点検し、主の前に静まることから始めなければなりません。コロサイ3:20には「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」とあります。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からすることが大切です。マルタはそれを学んだのです。

 

Ⅱ.ラザロの証し(2)

 

次に、兄弟ラザロを見たいと思います。もう一度2節をご覧ください。ここには、「ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。」とあります。彼については、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた、とあるだけです。彼は何もしていないし、何もしゃべっていません。聖書には、彼が何かをしゃべったという記録は一つもないんですね。彼はどちらかというと無口だったのかもしれません。無口でも全く問題ありません。なぜなら、彼の存在そのものが大きな証しだったからです。キリストを証しするというのは何かを語ることだけではないからです。キリストを証しするというのは、キリストによって生きること、キリストの証人となることです。むしろ、そっちの方が効果的な証だと言えるでしょう。使徒1:8をご覧ください。ここには、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」とあります。ここには「地の果てまでわたしを証言します」ではなく「わたしの証人となります」とあります。聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたは単に証言をする人になるのではなく、証人になるのです。私たちもかつてはラザロのように死んでいたような者でした。しかし、神の救い、イエス・キリストを信じたことで、その中から救われました。罪の奴隷から解放され神の子としていただけたのです。それはまさにあのラザロが死人の中からよみがえったような衝撃をもたらすことでしょう。

 

ある人が牧師にこう尋ねました。「空っぽの教会を一杯にするにはどうしたらいいでしょうか」するとその牧師はこう答えました。「ラザロを連れて来なさい。そうすれば、教会は一杯になるでしょう。」なるほど、人々はいったいこの人はどのようにしてよみがえったのかを見たさに教会にこぞって来るようになるでしょう。そのラザロとはだれですか。それは私たちです。私たちは死人の中からよみがえらされました。罪に死んでいたのがキリストにあって新しいいのちによみがえったのです。今私が生きているのは私を愛し、私のためにご自身のいのちを与えてくださったこのキリストの力によってなのです。それはどれほど大きな衝撃を人々にもたらすのです。

 

きょう、この後でバプテスマを受けられる下野さんと任さんの証を週報にはさんでおきました。お二人に証を見て共通していると思ったことは、二人がキリストを信じるように導かれたきっかけが息子、あるいは娘の証しによるものであったということです。任さんは中国にいる娘さんの証しを通して、また、下野さんは、今は天国にいる次男の文男さんの証しを通して教会に導かれました。

私は昨日、下野さんから与った文男の証しを読みました。それは本当に分厚いファイルにまとめられていました。

文男さんは、私と同じ年ということですが、信仰に導かれたのも同じ頃で、高校3年生の終わり頃でした。ある教会で上映した「塩狩峠」という映画と集会でのメッセージを通して「愛」というテーマで随分悩みました。この「塩狩峠」という映画は、三浦綾子さんの小説を映画化したものですが、汽車が北海道の塩狩峠という峠に差し掛かった時に、車両が外れてしまうんですね。しかし、ブレーキが思うように利かず、このままでは目前に迫ったカーブを曲がり切れないと判断した車掌が、自らの身体を車両の前に投げ出して身体で車両を止め乗客の命を救ったという実話に基づいた話です。

この映画を観たとき、人を愛するって本当はどういうことなんだろうかと、自分の今までの生活に当てはめて考えたのです。例えば、中学生の頃、その当時親友と思っていた友達が体育の授業中にリンチにあいましたが、その時、足が竦(すく)んで何一つできなかった自分自身に無力さを痛感し、人のために自分を犠牲にすることはできないが、それこそ大きな愛はないということを知り、その後何度か教会に行くようになって、キリストを信じる信仰を持ちました。それで浪人期間の2年間と大学での4年間、合計6年間をほとんど教会を中心に費やすのです。

その後、一時的に教会から離れ、本当に大変な苦労をされますが、その苦労を通して再びキリストのもとに戻り、それからはもう迷いがありませんでした。2001年3月にご病気で東大病院に入院以降、教えられた聖書の言葉が21書き止められていて、文男さんがどれほど誠実に主の前に歩まれたかがわかります。それは文男さんが天国に行かれる直前にお母さんに言われた最後の言葉からもわかります。

「おかあちゃん、ぼく、もうすぐ天国に行くのでぼくの分まで生きて、教会に行ってイエス・キリスト神さまを信じてと約束して」

それは文男さんのいのちをかけた祈りでした。そのような祈りが伝わらないはずがありません。それから何年経ったでしょうか、今年下野さんが教会に電話をくださって来られようになり、イエス様を信じて、きょうバプテスマの恵みに与るようになりました。ハレルヤ!それは主イエス・キリストのあわれみと、文男さんの生きた証によるものだったのです。下野さんは一昨日85歳の誕生日を迎えましたが、天国に行くまでにはまだまだかとは思いますが、その前にイエス様を信じることができて本当に良かったと思います。

 

Ⅲ.マリアの礼拝(3)

 

次にマリアです。3節をご覧ください。マルタは奉仕の模範でした。ラザロは証の模範でした。ではマリアはどうでしょうか。マリアは礼拝の模範です。ここには、「一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」とあります。

 

先ほども申し上げましたが、並行箇所のマルコの福音書には、ある女がナルドの香油が入った小さな壺を持って来て、それを割って、イエスの頭に注いだ、とあります。これは非常に高価なものでした。どれほど高価なものであったのかは、この後でイスカリオテのユダが語ったことばからもわかります。5節には、「どうして、この香油を300デナリで売って、貧しい人に施さなかったのか」とあります。1デナリは1日分の給料に相当する金額ですから、300デナリとは300日分の給料、すなわち年収に相当する額です。このような香油は、通常王族や貴族が使用しました。おそらく、マリアがこれだけの香油を持っていたのは、両親の遺産として相続していたのかもしれません。当時は財産を銀行に預けておくのではなく、金とか、銀とか、香油にして壺の中に入れ、地面に隠しておきました。女性であれば、香油を壺に入れて蓄えておくのが一般的でした。というのは、そこにはある一つの大きな目的があったからです。それは、結婚に備えるということです。少しでもいい男性と結婚するためにコツコツと蓄えたのです。愛があればお金なんてと言う人もいますが、当時はそうではありませんでした。どれだけ結婚持参金があるかによって結婚が決まりました。少しでもお金を蓄えていれば、それだけ結婚に有利だったのです。いい人と結婚できるかどうかは、どれだけお金を持っているかによって決まったのです。

でもマリアはその香油をイエスに注ぎました。しかもそれを入れておいた壺を割ってです。壺を割ってとは、全部使い切ったということです。もう香油は一滴も残されていません。全部イエスにささげたのです。これはどういうことでしょうか。これでマリアがいい人と結婚できる可能性はほぼ無くなったと言うことです。彼女は無一文の女性になりました。そんな人と結婚したい男性なんてほとんどいません。だから、マリアがこのナルドの香油をすべてイエスに注いだというのは、自分のすべてをイエスにささげたということなのです。自分の結婚も、自分の将来も、すべてイエスにささげたのです。それは目に見える高価な香油をささげたというだけでなく、彼女のすべてをささげたということなのです。いったいなぜ彼女はこのようなことをしたのでしょうか。

 

それはマリアにとってイエスがすべてであったからです。マリアにとってイエスは結婚以上に大切な方でした。一般的に女性なら、結婚すれば幸せになれると思うでしょう。安定した生活が送れるし、安心して生きられると思います。しかし、マリアはそうではありませんでした。彼女にとってはイエスがすべてでした。だから喜んで犠牲を払うことができたのです。そればかりではありません。イエスの足に塗った香油を自分の髪の毛で拭うということまでしました。これは当時として考えられないことでした。というのは、当時は女性が人前で髪の毛をほどいてバラバラにするということは恥ずべきことだとされていたからです。その髪の毛でイエスの足に塗った香油を拭いました。まさに「なりふりかまわず」です。だれがいようが、だれが見ていようが構いません。自分の思いのたけをそのように表したのです。

 

そこには弟のラザロを生き返らせていただいたことへの感謝の気持ちもあったでしょう。しかしそれだけでなく、彼女はもっと深いものを感じていました。それはこの後の所に出てきますが、イエスが自分のためにいのちを捧げてくださったということ、そして自分を罪から救ってくださったという感謝に溢れていたからなのです。この時点でそれがまだ明らかにはされていませんが、彼女はイエスが語ることばを聞いて、そのように受け止めていました。それを深く感じていました。次元が違います。もうこの世の次元ではありません。霊的な次元でイエスを見ていたのです。

 

彼女は文字通りイエスのために人生を投げ打ちました。壺を割るかのように自分の人生を投げ打ったのです。自分の人生を生きた供え物として捧げました。これこそ神に喜ばれる礼拝です。ローマ12:1にはこうあります。

「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」(ローマ12:1)

「それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」は、新改訳聖書第三版では、「それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」と訳されています。あなたがたにふさわしい礼拝、霊的な礼拝とはどのような礼拝でしょうか。それは、あなたがたのからだを、神に受け入れられる、生きたささげものとして献げる礼拝です。あなたがたのからだとは、あなたがたのすべてと言ってもいいでしょう。あなたがたのすべてをささげる礼拝、それこそ神が望んでおられる礼拝です。神に喜ばれる礼拝なのです。マリアの礼拝はまさにそれでした。彼女は自分のすべてをイエスに捧げました。誰かに強制されてそうしたのではありません。自ら進んで、喜んで自分のすべてを主に捧げたのです。

 

同じように、自分のすべてをささげた女性がいます。だれでしょう。そうです、あのレプタ銅貨2枚をささげたやもめです。多くの金持ちはあり余るお金の中からたくさん投げ入れましたが、このやもめはレプタ銅貨2枚しかささげることができませんでした。レプタ銅貨というのは1デナリの128分の1、それを2枚ですから、今で言ったら100円というところでしょうか、それを捧げたのです。しかし、イエスは弟子たちにこう言われました。

「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」(マルコ12:43-44)

 

同じです。マリアは、年収に相当するだけの香油をイエスに献げ、やもめはレプタ銅貨2枚を献げましたが、そこにあった思いは同じです。それは自分のすべてをささげたということです。自分のいのちそのものをささげたのです。これが礼拝するということです。

 

「礼拝」とはギリシャ語で「プロスクネオー」と言いますが、意味は「ひれ伏す」とか、「尊敬を帰する」です。何ものかに価値や尊敬を帰することです。イエスを、礼拝を受けるのにふさわしいお方として認め、心からの尊敬をささげることを意味しています。礼拝というと、どちらかというと受けるというイメージがありますが、礼拝とはささげることです。イエスに価値と尊敬を帰すること、それが礼拝です。マリアにとってイエスは最高に価値あるお方でした。だから自分のもっていた最高のものをささげることができたのです。レプタ銅貨2枚をささげたやもめも、イエスが最高に価値あるお方でした。だから、自分のすべてをささげることができたのです。それは金額の問題ではありません。ハートの問題です。どれだけささげるのかということではなく、どのような心でささげるのかです。イエスは尊い犠牲を払っても尊敬を受けるに値する方です。なぜなら、イエスは私たちを罪から救ってくださるために、ご自分のいのちを投げ打ってくださったからです。

 

昔、ひとりのイギリス人の少女がドイツのある町に留学しました。彼女はその町の美術館で、一枚の忘れることができない絵に出会いました。

その絵には、「エッケ・ホモ(この人を見よ)」という題が付けられていました。そしてその絵の下には、その絵を描いた画家のことばが書かれてありました。

「私はあなたのために命を捨てた。あなたは、私のために何をしたか」

少女はこの絵とこの画家のことばを深く心に刻みつけました。イギリスに帰った彼女は成長して、賛美歌作家になりました。彼女の名前は、フランシス・ハヴァーガルと言います。彼女は、ドイツで出会ったあの絵と画家のことばをもとに、私たちがイエス様の十字架の愛にどのように応えるかという歌詞の賛美歌を作りました。それが「主はいのちを与えませり」(新聖歌102番)です。

1. 主は生命を与えませり

主は血しおを流しませり その死によりてぞわれは生きぬ われ何をなして主に報いし

  1. 主はみ父のもとを離れ

わびしき世に住みたまえり かくもわがために栄えを捨つ われは主のために何を捨てし

  1. 主は赦しと慈しみと 救いをもて降りませり 豊けき賜物身にぞあまる ただ身と魂とを捧げまつらん

 

「私はあなたのために命を捨てた。あなたは、私のために何をしたか」主が求めておられるのは、霊的な礼拝です。主を最高に価値のある方として認め、全身全霊をもって主を愛すること、自分のいのちをかけて主を愛すること、それを求めておられるのです。

 

スコットランドの探検家で、宣教師、また医師でもあったデイヴィッド・リヴィングストンは、ヨーロッパ人として初めて、当時「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸を横断した人です。彼がアフリカのある村で伝道していたとき、イエス様を信じたその村の村長が喜びに溢れ、自分の気持ちを何らかの形で表現したいと思いました。それで彼はリヴィングストンのもとに小麦粉を持ってきました。「宣教師先生。私は神様に感謝をささげたくて、小麦粉を持ってきました。」私だったら、それはすばらしい。神様はきっと喜んでくださいますよ、と言うでしょうが、リヴィングストンは、こう言いました。「すみませんが、神さまは小麦粉などでは満足されません。」それで彼は、白馬なら喜ばれるだろうと、今度は白馬を連れて来ました。するとリヴィングストンは笑いながらこう言いました。「神様は白馬などでは満足されません。」しばらくして、また村長がやって来ました。「今回は、村長の権威と名誉を象徴しているこのピンを持ってきました。これがなければ私は死んだも同然です。」するとリヴィングストンは「どうでしょう。神様はそれくらいで満足されるでしょうか。」と答えました。するとその村長は怒って言いました。「それでは、何をささげればよいのですか。もう「私」しか残っていません。」するとリヴィングストンは言いました。「そうです。神様が願っておられるのは、そのあなたです。」

 

マリアが石膏の壺を割ったのはそういうことでした。マリアは石膏の壺を割るように、自分自身という壺を割ったのです。自分自身を主にささげたのです。いったい彼女はどうしてそのようなことができたのでしょうか。それは彼女がイエスという方がどのような方であるのかをよく知っていたからです。イエスを知れば知るほど豊かな礼拝をささげることができるようになります。そのためにはイエスの足もとに行かなければなりません。イエスの足もとに行って、イエスのみことばに聞き入る必要があるのです。あなたがどのように礼拝をささげておられるかを見れば、あなたの価値観がわかります。どれほどイエスを愛しておられるかがわかるのです。もしイエスを礼拝することがただの義務感でしかないとしたら、重荷になっているとしたら、その人はほんとうの意味でイエスのことを知らないということです。だから、イエスの足もとに行って、イエスのことばを聞きましょう。そして、イエスがどれほど価値ある方なのかを知り、心からイエスを礼拝する者となりましょう。

 

きょうバプテスマを受けられたお二人に主イエスが最も願っておられるのはこのことではないでしょうか。ただ形でイエスに向き合うのではなく、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主を愛することです。それが、主が私たちに求めておられることです。マリアはそれに応答しました。非常に高価なナルドの香油を主にささげたのです。私たちも主の愛に応答し、心からの感謝と礼拝を主にささげる者となりたいと思います。

Ⅰサムエル記8章

サムエル記第一8章から学びます。

 

Ⅰ.王を求めたイスラエルの民(1-9)

 

まず、1~3節までをご覧ください。

「サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとして任命した。長男の名はヨエル、次男の名はアビヤであった。彼らはベエル・シェバでさばきつかさをしていた。しかし、この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げていた。」

 

サムエルは、一生の間、イスラエルをさばきました。彼は年ごとにベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルをさばきました。そのサムエルが年老いたとき、彼は息子たちをイスラエルのさばきつかさとしてベエル・シェバに遣わしました。巻末の地図を見るとわかりますが、ベエル・シェバはイスラエル南部の地方です。年老いてイスラエル中を巡回することができなくなったのでしょう、自分は北部地方の責任を持ち、南部地方を息子たちに任せたのです。二人の息子たちの名は、長男が「ヨエル」で、次男が「アビヤ」でした。「ヨエル」という名前の意味は「主は神である」です。また、「アビヤ」は「主は私の父」という意味があります。しかし、彼らはその名とは裏腹に、恥じるような行動をしていました。彼らは父サムエルの道に歩まず、利得を追及し、賄賂を受け取り、さばきを曲げていました。サムエルもまた彼の師エリと同じ問題がありました。息子の養育に失敗したのです。

 

4~9節をご覧ください。それでイスラエルの民はどうしたでしょうか。

「イスラエルの長老たちはみな集まり、ラマにいるサムエルのところにやって来て、彼に言った。ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」彼らが、「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは主に祈った。主はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのしたことといえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えることだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」」

 

そこでイスラエルの長老たちはみなラマにいたサムエルのもとに集まって、ほかのすべての国民のように、自分たちをさばく王を立ててほしいと言いました。それは、サムエルが高齢となり彼の息子たちが彼の道、すなわち、主の道を歩んでいないからです。彼らの要求は、一見妥当なものでした。確かにサムエルが、よこしまな息子たちをさばきつかさにしたことは間違っていました。けれども間違っていたのは、ほかの国民のように王を立ててください、と世的な方法によってこの問題を解決しようとしたことです。主にこの問題を解決していただくように、祈り求めませんでした。

 

サムエルがそれを聞いたとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことでした。第三版には「気に入らなかった」とあります。なぜなら、それは彼の働きを否定するようなことだったからです。彼はこれまでイスラエルが混乱し、ペリシテとの戦いにおいても預言者として、またさばきつかさとしてイスラエルを霊的に建て上げることによって勝利と祝福をもたらしてきました。それなのに今、そのことについて何の感謝もないばかりか、自分たちをさばく王を立ててほしいと言ったのでから。それでサムエルは主に祈りました。すると、主はサムエルに、彼らが言うことを聞き入れるようにと言われました。なぜなら、彼らはサムエルを拒んだのではなく、イスラエルの神、主が王として彼らを治めることを拒んだのだからです。どういうことですか。イスラエルはこれまで預言者であるサムエルを通して語られた主のことばを受け入れ、主に信頼して歩んできましたが、今、その主に支配されることを拒み、人間の王に支配されて生きることを求めたということです。主によって支配される政治形態を神制政治と呼びます。これは神が王である政治形態です。それに対して人間の王によって支配される政治形態を王制と呼びます。彼らは神によって支配される政治ではなく、人間の王によって支配される政治を望みました。これが問題だったのです。彼らの問題は、間違ったところに信頼を置いたことにありました。でもそれは今に始まったことではありません。彼らがエジプトを出た日からずっとそうでした。彼らがしたことと言えば、主を捨て、他の神々に仕えることでした。あなたはどうですか。神に信頼して歩んでいますか。あなたの日々の判断や決断は、神のみことばに導かれたものとなっているでしょうか。イスラエルの失敗から教訓を学びましょう。

 

Ⅱ.王の権利(9-18)

 

そこで主はサムエルにこう言いました。「今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」その権利とはどんなことでしょうか。10-18節をご覧ください。

「サムエルは、自分に王を求めるこの民に対して、主のすべてのことばを話した。彼は言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。あなたがたの息子たちを取り、戦車や軍馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。また、自分のために千人隊の長や五十人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や戦車の部品を作らせる。また、あなたがたの娘たちを取り、香料を作る者や料理する者やパンを焼く者とする。あなたがたの畑やぶどう畑や良いオリーブ畑を没収し、自分の家来たちに与える。あなたがたの穀物とぶどう畑の十分の一を取り、廷臣や家来たちに与える。あなたがたの奴隷や女奴隷、それにあなたがたの子牛やろばの最も良いものを取り、自分の仕事をさせる。あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがた自身は王の奴隷となる。その日、あなたがたが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、その日、主はあなたがたに答えはしない。」」

 

どういうことでしょうか。イスラエルの民は王を求めましたが、王によって敵から守られるという利点がある反面、王によって自分たちのものが取られていく不利益を被らなければいけません。その王が民に要求するものがどれほど厳しいものであるかを理解していませんでした。そこでサムエルは彼らを治める王の権利を宣言しています。

 

まず、王は彼らの息子たちを取り、戦士として戦場に送り出します。また、王のために千人隊の長や百人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、刈り入れに従事させ、武器や戦車の部品を作らせます。さらに、彼らの娘たちを取り、王宮で仕えさせるでしょう。また、彼らの畑やぶどう畑、オリーブ畑を没収して、家来たちに与えます。いわゆる税として徴収するのです。つまり重税で苦しむようになるでしょう。日本もそうでしょう。最近消費税も10パーセントになりましたが、それ以外に固定資産税や住民税、所得税、介護保険料と、かなりの税金が徴収されています。時々何のために働いているのかさえ分からなくなる時があります。そればかりではありません。彼らの奴隷や女奴隷、子牛やろばなどの家畜を取り、自分の仕事をさせたりします。それまで彼らが持っていた自由は、かなり制限されるようになります。その日、彼らが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、主は彼らに答えることはしません。それでも良いのかということです。

 

主イエスはこう言われました。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコ10:42-45)

まことの王は、私たちを支配し、私たちのものを搾取される方ではなく、私たちのためにご自身のいのちをささげられる方です。その方こそ主イエス・キリストです。私たちが信頼し、従わなければならないお方は、この方なのです。それなのに、そうしたことを良く考えないで、自分たちの利益ばかりを追及し、他の国のようにこの世の王を求めるとしたら、そこには奴隷のような束縛と犠牲しかありません。そのことをよく考えなければなりません。

 

Ⅲ.民の応答(19-22)

 

このサムエルの忠告に対して、イスラエルの民はどのように応答したでしょうか。19~22をご覧ください。

「しかし民は拒んで、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です。そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」サムエルは、民のすべてのことばを聞いて、それを主の耳に入れた。主はサムエルに言われた。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」それで、サムエルはイスラエルの人々に「それぞれ自分の町に帰りなさい」と言った。」

 

これほどの忠告に対しても、民はサムエルの言うことを聞こうとしませんでした。彼らは、「いや、どうしても、私たちの上には王が必要です。」と言って、サムエルの忠告を拒みました。そうすれば、他の国民のようになれると思ったのです。つまり、王が自分たちをさばき、自分たちの先頭に立って戦いに出て行き、自分たちの戦いを戦ってくれると思ったのです。彼らは自分たちのアイデンティティーというものを完全に失っていました。自分たちが神から特別に選ばれた民であることを、自ら放棄したのです。かつて主はイスラエルに、「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。」(出エジプト19:5)と言われました。彼らはあらゆる国民の中から、選び別たれた神の民であるのに、ほかのすべての国民のようになることを求めたのです。

 

それで、サムエルが民のすべてのことばを聞いて、それを主の耳に入れると、主はサムエルに、「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」と言われました。これは許容的指示と呼ばれるものです。民のかたくなさのゆえに、主が許容されたという意味です。それでサムエルはイスラエルの長老たちを、それぞれ自分の町に帰しました。

 

このことからわかることはどんなことでしょうか。先ほど申し上げたように、これは神のみこころではありませんでした。彼らが求めなければならなかったのは人間の王ではなく、神が王として彼らを支配することでした。けれども、そればかりではなく、彼らはその時を待つことができませんでした。神はイスラエルに王が必要になることをご存知であられ、そのための人材を用意しておられました。それがダビデです。しかし、当時ダビデはまだ若すぎたため、その時を待たなければなりませんでした。それでサウル王が選ばれるのです。神の時を待てないと、このように墓穴を掘ってしまうことになります。神からの究極的な答えは、ホセア13:9~11にあります。

「イスラエルよ、あなたは滅ぼされる。あなたの助け手である、わたしに背いたからだ。では、あなたの王はどこにいるのか。すべての町のうちで、あなたを救う者は。あなたをさばく者たちはどこにいるのか。かつてあなたが『私に王と高官たちを与えよ』と言った者たちは。わたしは、怒ってあなたに王を与え、また憤ってこれを奪い取る。」

これは、バビロン捕囚の時に成就します。私たちを支配する王はだれでしょう。それは私たちのためにご自分のいのちを与えてくださった救い主イエス・キリストであることを覚え、この方に信頼して歩みましょう。

出エジプト記18章

出エジプト記18章から学びます。  Ⅰ.モーセのしゅうとイテロ

 

まず1-6節をご覧ください。

「さて、モーセのしゅうと、ミデヤンの祭司イテロは、神がモーセと御民イスラエルのためになさったすべてのこと、すなわち、どのようにして主がイスラエルをエジプトから連れ出されたかを聞いた。 それでモーセのしゅうとイテロは、先に送り返されていたモーセの妻チッポラとそのふたりの息子を連れて行った。そのひとりの名はゲルショムであった。それは「私は外国にいる寄留者だ」という意味である。もうひとりの名はエリエゼル。それは「私の父の神は私の助けであり、パロの剣から私を救われた」という意味である。モーセのしゅうとイテロは、モーセの息子と妻といっしょに、荒野のモーセのところに行った。彼はそこの神の山に宿営していた。イテロはモーセに伝えた。「あなたのしゅうとである私イテロは、あなたの妻とそのふたりの息子といっしょに、あなたのところに来ています。」」

アマレクとの戦いに勝利したイスラエルは、さらに南下を続け神の山ホレブに宿営していました。

そこは、一年前にモーセが燃える柴を見たホレブの山の近くであったようですが、そこでモーセは彼のしゅうとで、ミデヤンの祭司イテロの訪問を受けます。

「イテロ」は、2:18では「レウエル」と呼ばれています。これが本来の彼の名前です。意味は「神の友」です。彼はここで「イテロ」と呼ばれていますが、これは地位を表すタイトルで、「卓越した」という意味があります。ミデヤンには王がいなかったので、祭司が首長となっていました。彼はミデヤンの祭司で、他国で言えば王のような存在であったのです。創世記36:4を見ると、「バセマテはレウエルを産み」とあります。つまり、彼はエサウとイシュマエルの娘でネバヨテの妹バセマテとの間に生まれた子どもです。アブラハムのひ孫に当たります。モーセが彼の娘ツィポラと結婚したことから、彼はモーセのしゅうとなっていました。モーセがどのようにイテロの娘と結婚するようになったかは2:16-22にその経緯が説明されています。エジプトからミデヤンに逃れたモーセは、そこで井戸のそばでイテロの7人の娘たちを助けたことで、父イテロはモーセに彼の娘の一人でツィポラを与えたのでした。そのイテロが、神がモーセと御民イスラエルのためになされたすべてのこと、どのようにして主がイスラエルをエジプトから導き出されたのかを聞いて、荒野にいたモーセのところにやって来たのです。

 

イテロはモーセの妻ツィポラと彼の二人の息子を連れて行きました。ここには、「先に送り返されていた」とあります。何があったのでしょうか。覚えていますか?4章には、モーセが妻のツィポラと二人の息子を連れてエジプトに行こうとしていたことが記されてあります。ところが、彼らがエジプトに向かっていた途中でモーセが寝ていたとき、主が彼を殺そうとしたのです。それはふたりの息子が割礼を受けていなかったからです。そこでツィポラは息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足につけて、「まことに、あなたは血の花婿です」(4:25)と言いました。それで、主はモーセから御手を放されましたが、ツィポラとモーセにとってこの旅が、妻子がいてはあまりにも危険すぎると判断して、彼らを実家のイテロのもとに帰していたのです。それでモーセは、ツィポラと二人の息子と離れ離れになっていたのです。そのモーセのもとにイテロはこの三人を連れて来ました。久しぶりの家族水入らずの生活に、モーセもリラックスしたことでしょう。

 

二人の息子のうちの一人は「ゲルショム」です。意味は、「私は他国にいる寄留者だ」です。新共同訳では、「私は異国にいる寄留者だ」と言って、ゲルショムと名付け」と訳されています。これはモーセの信仰告白でもありました。彼はエジプトでも、ミディアンでも、他国人として生活していることを認識していました。彼の帰るべき所はカナンです。それは私たちも同じです。私たちが帰るべき所は天のカナンです。今はこの地に寄留者として生きていますが、それは一時的に滞在しているにすぎません。へブル11:13には、「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。」とあります。聖書に登場した信仰者たちは皆このように告白して生きていました。私たちもそのように告白しながらこの地上の旅路を歩んでいきたいものです。

 

もう一人の子どもの名前は「エリエゼル」です。意味しは「私の父の神は私の助けであり、ファラオの剣から私を救い出された」です。新共同訳では、「もう一人は、「わたしの父の神はわたしの助け、ファラオの剣からわたしを救われた」と言って、エリエゼルと名付けた」とあります。これはエジプト人を殺したモーセが、エジプトを逃れた時の心境を表しています。モーセはそれを父なる神のおかげであると認識していました。エリエゼルという名前はここで初めて登場しますが、彼は、4章でツィポラが急いで割礼を施した息子です。

 

ここにわざわざ二人の息子が連れて来られたのは、彼らが重要な人物になっていたからでしょう。そしてわざわざ名前の意味まで記されているのは、モーセがどのように神に信頼して歩んできたのかを示す意図があったのではないかと思います。すなわち、彼は神とともに、神を畏れながら歩んできたということです。その信仰告白だったのです。神を恐れる者こそ、最終的に神の祝福を受ける者なのです。

 

Ⅱ.モーセとイテロの会見(7-12)

 

次に7-12節をご覧ください。

「モーセはしゅうとを迎えに出て行き、身をかがめ、彼に口づけした。彼らは互いに安否を問い、天幕に入った。モーセはしゅうとに、主がイスラエルのために、ファラオとエジプトになさったすべてのこと、道中で自分たちに降りかかったすべての困難、そして主が彼らを救い出された次第を語った。イテロは、主がイスラエルのためにしてくださったすべての良いこと、とりわけ、エジプト人の手から救い出してくださったことを喜んだ。イテロは言った。「主がほめたたえられますように。主はあなたがたをエジプト人の手とファラオの手から救い出し、この民をエジプトの支配から救い出されました。今、私は、主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。彼らがこの民に対して不遜にふるまったことの結末によって。」モーセのしゅうとイテロは、神への全焼のささげ物といけにえを携えて来たので、アロンとイスラエルのすべての長老たちは、モーセのしゅうととともに神の前で食事をしようとやって来た。」

 

モーセはしゅうとを迎えに出て行きました。ここには「身をかがめ」とあります。イテロはモーセのしゅうとであると同時にミデヤンの祭司でもあったので、最大限の敬意を表しているのです。モーセはしゅうとに、主がイスラエルのために、ファラオとエジプトになさったすべてのこと、また道中で自分たちに降りかかったすべての困難、そして主が彼らを救い出された次第を語りました。

 

モーセの報告を聞いたイテロは、非常に喜んでこう言いました。「主がほめたたえられますように。主はあなたがたをエジプト人の手とファラオの手から救い出し、この民をエジプトの支配から救い出されました。今、私は、主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。彼らがこの民に対して不遜にふるまったことの結末によって。」(10-11)異邦人であるイテロがイスラエルの神である主(ヤハウェ)をほめたたえたのです。彼はこれまでにも主に関する知識を持っていましたが、モーセの話を聞いて体験的に主を知ったのです。そしてアロンとイスラエルのすべての長老たちとともに神の前で食事をしました。

 

このように異教徒への証がなされることによって、やがてイスラエルの主ヤハウェこそ神であるという認識に至るケースが聖書の中にいくつか見られます。たとえば、バビロンの王ネブカデネザルは、バビロンの神ベルを拝んでいましたかが、ダニエルが彼の夢を言い当てて、それを解き明かしをしたこと、またダニエルの3人の友人が燃える火の炉の中に投げ入れられても、無傷だったこと、そして自分自身が獣のようになってそこから回復したことを通して、ヤハウェのみが神々の神、王の王、主の主であると告白するに至りました。  私たちは西欧の文化とは違い、エジプトやバビロンのような偶像の中に生きています。福音を伝えてもなかなか信じてもらえないことが多い中で、このように主の証がなされていく中で、イエスが主であるということを多く人が認めるようになることを信じて、根気よく証しする者でありたいと思います。

 

Ⅲ.イテロの助言(13-27)

 

最後に、13節から終わりまで見ていきたいと思います。まず13-16節までをご覧ください。

「翌日、モーセは民をさばくために座に着いた。民は朝から夕方までモーセの周りに立っていた。モーセのしゅうとは、モーセが民のためにしているすべてのことを見て、こう言った。「あなたが民にしているこのことは、いったい何ですか。なぜ、あなた一人だけがさばきの座に着き、民はみな朝から夕方まであなたの周りに立っているのですか。」モーセはしゅうとに答えた。「民は神のみこころを求めて、私のところに来るのです。彼らは、何か事があると、私のところに来ます。私は双方の間をさばいて、神の掟とおしえを知らせるのです。」」   翌日、モーセは民をさばくために座に着きました。そして、民は朝から夕方までモーセの周りに立っていました。「座に着く」とは、さばきつかさとしての責務を行っているということです。今で言うなら、牧師に信徒が相談しにいって、そのアドバイスを聞くようなものです。それを朝から夕方まで行っていました。200万人の問題がすべてモーセのところに持ち込まれていたのですから、それはかなりの激務です。

 

その様子を見ていたイテロがこう言いました。「あなたが民にしているこのことは、いったい何ですか。なぜ、あなた一人だけがさばきの座に着き、民はみな朝から夕方まであなたの周りに立っているのですか。」(14)「見る」とは「観察している」ということです。イテロは、モーセが一人でさばきをしているのを見て驚きました。「なぜ責任を分担しないのか」、「民はいつまであなたの周りに立っていなければならないのか」と。

 

それに対してモーセは答えました。「民は神のみこころを求めて、私のところに来るのです。彼らは、何か事があると、私のところに来ます。私は双方の間をさばいて、神の掟とおしえを知らせるのです。」

「神のみこころを求めて」とは、何かの決定にあたって何が神のみこころなのかわからない時、その解決を求めてということです。私たちにもよくありますね。天が地より遠く離れているように、自分の思いと神の思い、自分の道と神の道が違うことがあります。確かに常識的に考えればこうするということでも、それが必ずしも神のみこころなのかどうかわからないことがあります。でも、大きな事であればあるほどその決定に大きな影響を及ぼすので、その前に神のみこころは何なのか、何が良いことで神に受け入れられ、完全をあるのかをわきまえ知るために、神のみこころを求めてモーセのもとに来ていたのです。

 

また「何か事があると」というのは、何らかの事件のことです。モーセは、双方の言い訳を聞いて判断し、何をなすべきかを教えました。今の裁判官のような役割です。まだ律法が与えられていなかったので、個別に判断する必要があったのです。

 

それに対してイテロは何と言ったでしょうか。17-23節です。

「すると、モーセのしゅうとは言った。「あなたがしていることは良くありません。あなたも、あなたとともにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことは、あなたにとって荷が重すぎるからです。あなたはそれを一人ではできません。さあ、私の言うことを聞きなさい。あなたに助言しましょう。どうか神があなたとともにいてくださるように。あなたは神の前で民の代わりとなり、様々な事件をあなたが神のところに持って行くようにしなさい。あなたは掟とおしえをもって彼らに警告し、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを知らせなさい。あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人たち、不正の利を憎む誠実な人たちを見つけ、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として民の上に立てなさい。いつもは彼らが民をさばくのです。大きな事件のときは、すべてあなたのところに持って来させ、小さな事件はみな、彼らにさばかせて、あなたの重荷を軽くしなさい。こうして彼らはあなたとともに重荷を負うのです。もし、あなたがこのことを行い、神があなたにそのように命じるなら、あなたも立ち続けることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができるでしょう。」」  それに対してイテロはきっぱりと言います。「あなたのしていることは良くありません。」なぜなら、そんなことをしていたらモーセも、またモーセとともにいるこの民も、疲れ果ててしまうことになるからです。モーセだけで行なっていたら、モーセは燃え尽きてしまうことになります。また、長い列をつくって待っているイスラエル人たちも、早く解決しなければならないのに、なかなか解決しないため疲れ果ててしまうことになります。それは双方にとって良くありません。

 

ではどうしたらいいのでしょうか。イテロはモーセに具体的に助言しました。まず、モーセは民の代表として神の前に出て、様々な事件をモーセが神の前に持って行くようにします。彼がすべきことは、神の教えとなすべきことを民に伝えることです。そして、イスラエルの民の管理については、民の中から、神を恐れる、力のある人たち、不正の利を憎む誠実な人たちを見つけ、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として民の上に立て、いつもは彼らがさばくようにするのです。大きい事件はすべてモーセのところに持って来させ、小さな事件は彼らにさばかせて、モーセの重荷を軽くしなければなりません。そのようにして彼らはモーセとともに重荷を負うのです。そのようにするならモーセは立ち続けることができ、民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができるでしょう。  すばらしい助言ですね。これは、教会においても言えることです。教会のことすべてを牧師一人で行なうなら、牧師が疲れ果ててしまいます。でも、新約聖書にあるようにすべての人が神の祭司としてその働きをするなら、神の恵みによって与えられた賜物を用いながら、共に主に仕えることができます。これこそ神の与えてくださった神の知恵です。

 

それにしても、このイテロの助言は折にかなった助けでした。このままではモーセは疲れ果ててしまい、民全体が進んでいくことができなかったでしょう。しかし、こうした助言をしてくれる人がいたので、彼は助けられ、支えられ、守られました。こうした助言者を持っている人は幸いです。その助言によって助けられ、勝利を得ることができるからです。(箴言24:6)そして、何といっても最大の助言者は、私たちの主イエス・キリストです。イザヤ9:6には、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」とあります。これはメシア預言です。キリストは「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」です。Wonderful Counselorなのです。この方は疲れ果てることはありません。私たちの問題に完全な解決と助言を与えることができる方なのです。この方の助言を聞き受け入れること、そして、この方に信頼して生きることこそ、私たちにとっての真の助けなのです。  それに対してモーセはどのように応答したでしょうか。24-27節をご覧ください。ここには、「モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて彼が言ったとおりにした。モーセはイスラエル全体の中から力のある人たちを選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上にかしらとして任じた。いつもは彼らが民をさばき、難しい事件はモーセのところに持って来たが、小さな事件はみな彼ら自身でさばいた。それからモーセはしゅうとを送り出した。しゅうとは自分の国へ帰って行った。」とあります。

モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて彼が行ったとおりにしました。すなわち、イスラエル全体の中から力のある人たちを選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上にかしらとして任じました。そして、いつもは彼らが民をさばき、難しい事件はモーセのところに持って来ましたが、小さな事件はみな彼ら自身でさばきました。なかなかできることではありません。それがどんなに良いアドバイスであっても受け入れ、実行に移すことは簡単なことではありません。それなのに彼は、イテロの助言を受け入れ、その通りにしました。モーセはとても謙遜な人でした。民数記12:3には、「モーセという人は、地の上のだれにもまさって柔和であった。」とあります。彼には謙遜という資質がありました。200~300万人を率いるリーダーであれば、そんな助言を退けることは簡単なことでした。しかし彼は謙遜にその助言に耳を傾けたのです。それは彼が確かにイスラエルのリーダーであっても、神のしもべであるという自覚を持っていたからです。

 

しかし、モーセが実際にこれを実行に移したのは、かなり後になってからのことです。申命記1:9~18で、モーセはイテロの案を採用していますが、そのタイミングは、モーセに律法が与えられてからのことです。つまりそれはこの時からかなり後になってからの事であるということです。それはモーセがその前に神に祈りながら熟慮していたからでしょう。それが神のみこころだからとすぐに行動に移す前に、状況を熟慮しながらよく祈って実行に移すことの大切さを教えられます。すなわち、神のみこころを求め、状況を確認しながら、民の同意も得て、その上で実行に移すという慎重さも必要なのです。

 

「それからモーセはしゅうとを送り出した。しゅうとは自分の国へ帰って行った。」この時からチッポラと二人の息子はイスラエル人の旅に加わることになります。イテロだけが自分の国へ帰って行きました。

ヨハネの福音書11章47~57節「神のみこころのままに」

前回まで、ラザロのよみがえりの奇跡を学んできました。イエスは、この奇跡を通してご自身が神から遣わされたメシアであるということ、そして、ご自身を信じる者は死んでも生きるということ、そして、終わりの日にこのイエスを信じる者は、イエスと同じ復活のからだ、栄光のからだによみがえるということを語っておられたということを学びました。きょうはその後の箇所から「神のみこころのままに」というタイトルでお話しします。

 

皆さんは何を基準に、また、どのような考えで生きておられるでしょうか。これはとても重要なことです。なぜなら、これによって私たちの行動が決まるからです。そして、私たちの行動の基準とは、イエスさまならどうされるかです。しばらく前に、W.W.J.Dと印字されたブレスレットが流行りました。これは、What would Jesus do?の頭文字のW.W.J.D.を取ったものですが、主イエスならどうされるかということです。そして、主イエスの考えの最も基本的なものは、神のみこころのままにということでした。たとえそれが自分にとって不利なことであっても、たとえそれが自分にとって損と思われることであっても、それが神のみこころであるならば、喜んで自分のいのちをささげられました。これがイエスさまの行動の基準でした。

 

これは、私たちも見習うべきことです。自分の損得勘定ではなく、神のみこころは何なのか、何が良いことで神に受け入れられることなのかを考え、それを基準に生きる者でありたいと思います。

 

Ⅰ.祭司長たちとパリサイ人たちの行動基準(47-48)

 

まず、47~48節をご覧ください。ここには、祭司長たちやパリサイ人たちの判断基準がどのようなものであったかが記されてあります。

「祭司長たちとパリサイ人たちは最高法院を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの者が多くのしるしを行っているというのに。あの者をこのまま放っておけば、すべての人があの者を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も取り上げてしまうだろう。」

 

イエスが死んだラザロをよみがえらせた奇跡を見た多くのユダヤ人はイエスを信じましたが、何人かはパリサイ人たちのところにやって来て、イエスがなさったことを伝えました。すると、祭司長たちとパリサイ人たちは最高法院を招集しました。「最高法院」とは、「サンヘドリン」と呼ばれるユダヤの最高議会のことです。祭司長たちやパリサイ人たちなど71人の長老たちによって構成されていました。彼らはイエスがラザロをよみがえらせたということを聞くと、この最高議会を招集してこう言いました。「われわれは何をしているのか。あの者が多くのしるしを行っているというのに。あの者をこのまま放っておけば、すべての人があの者を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も取り上げてしまうだろう。」

 

何人かの報告を聞いた祭司長たちやパリサイ人たちはかなり動揺していました。「あの者」とは主イエスのことです。イエスが多くのしるしを行っているというのに、われわれは何をしているのか。何もしていないではないか。このままでは、すべての者があの者を信じるようになってしまう。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も取り上げてしまうのではないかと。

 

この「しるし」とは、下の脚注にあるように「証拠としての奇跡」のことです。イエスが神の子であることを証明するための奇跡です。彼らは、イエスがそのしるしを行っているというのを聞き、すべての人がイエスを信じるようになるのではないかと恐れたのです。なぜでしょうか?なぜなら、そんなことになれば、ローマ人がやって来て、自分たちの土地も国民も取り上げてしまうのではないかと思ったからです。この時代イスラエルはローマ帝国の支配下にありましたから、実際には土地も国民もローマに奪い取られている状態だったのに、自分たちの土地も国民も取り上げられてしまうと言っているのは、彼らの中には、土地も国民も自分たちのものだという認識があったということです。確かにローマ帝国の支配下であっても彼らの利権が守られていたので安心ですが、もしローマがやって来てそれを取り上げてしまうようなことにでもなれば、その利権が奪われてしまうことになります。そのことを恐れていたのです。つまり、彼らにとってイスラエルの土地のこととか国民のことなどどうでも良かったのです。それよりもローマ帝国とうまくやっていた方が得策だと考えていたのでした。

 

ここに人々がイエスを信じたくない本当の理由が見られます。つまり、イエスを信じてしまうと、自分たちの利権を失ってしまうのではないかという恐れを抱いてしまうのです。イエスを信じると、これまで当たり前のようにやって来たことができなくなってしまうのではないか。たとえば、仕事もまともにやらなければならなくなるし、不正などできなくなります。当たり前といえば当たり前のことですが、この世においては当たり前であることが難しいのです。そんなことをしていたら生活が成り立たなくなってしまうのではないかと恐れるのです。暴利をむさぼるようなことはできません。税金も正しく申告しなければなりません。イエスを信じると不正なことはできなくなってしまいます。その結果、仕事がうまく回らなくなってしまうかもしれない。自分の好きなようには動かなくなるかもしれない。この世の地位や名誉、肩書きも失ってしまうかもしれない。そういうことを恐れてしまうのです。つまり、信仰というものを打算的に考えてしまいます。すべてが損得勘定で動いているのです。これがイエスを信じることができない本当の理由です。

 

ローマ1:20-21には、「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。」とあります。彼らとは、神を信じない人たちのことです。彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなりました。神の永遠の力は、被造物を通してはっきりと認められ、弁解の余地もないのに、その神を神としてあがめようとしないからです。

 

詩篇19:1には、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」とあります。天を見上げれば、それは神の栄光を語り告げています。大空を見れば、神の御手のわざを告げ知らせているのです。今は秋の紅葉が見事ですね。というか、自分は紅葉を見に行っていないですが、テレビを見ていると画面から色鮮やかな光景が映し出されます。いったいだれがこんなにきれいな紅葉を創り出せるでしょう。神の、目に見えない性質、神の永遠の力と神性は、世界が創造された時から被造物を通してはっきりと知られ、弁解の余地もないのです。それでも信じないのは、人間が罪ゆえに、打算的な考えで、損得勘定で動いているからなのです。

 

そのような人たちは、この祭司長たちやパリサイ人たちのように、主イエスを真っ向から否定して、イエスを排除しようとします。彼らは古い自分を捨てたくないのです。悲しいことに、彼らはイエスが私たちを愛して、私たちの罪のために十字架で死んでくださったということも知らずに、自分の目の前からイエスを排除しようとするのです。しかし、この世のはかないもののために躍起なっていったい何になるというのでしょうか。そのようなものはどんなに輝いていているようでも、やがて虫やさびで傷物になり、滅びて行きます。これをエントロピーの法則と言います。進化するのではなく退化していくのです。私たちの体もそうでしょう。いつまでも若いわけではありません。だんだん老化していきます。この世のものはすべて一時的で、やがて朽ち果てていくのです。しかし、天の御国は決して朽ちることはありません。だから、主イエスは、「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。」と言われたのです。天に宝を蓄えなさいと。「そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。」(マタイ6:20)

 

皆さんはどうでしょうか。皆さんはどこに宝を蓄えていますか。祭司長たちやパリサイ人たちは、自分の土地も国民も奪われてしまうと恐れましたが、私たちが恐れなければならないのはこの世における土地とか国民ではなく、天における場所です。イエスさまと一緒にいる場所が一番重要です。地上の居場所がどこにあるのか、地上の分け前、財産はどれだけあるか、地上の地位、名誉がどうであるかなんて、どうでもいいことなんです。私たちにとって最も大切なのは天国です。たとえ地上のものを失うことがあったとしても、決して失ってならないもの、それは天にある私たちの居場所であり、天にある私たちの分け前です。もしあなたが心配することがあるとしたらこの地上の土地や国民ではなく、天の土地、天の国民を気にかけてください。

 

あのニコデモはどうなったでしょうか。彼はイエスを信じ、新しく生まれ、神の子としていただきました。彼もこのサンヘドリン、ユダヤの最高議会の議員でした。でも彼はイエスを信じました。このサンヘドリンの議員の中でイエス様を信じたのはこのニコデモ以外にもう一人います。アリマタヤのヨセフという人です。ですから、71人の中で2人が信じたことになります。これを多いと取るか少ないと取るかは別として、これは神の奇跡です。というのは、マタイ19:23~26でイエスは、このように言っておられるからです。「そこで、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。もう一度あなたがたに言います。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」弟子たちはこれを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」イエスは彼らをじっと見つめて言われた。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」

金持ちが天の御国に入るのは、らくだが針の穴を通るよりも難しいことです。それは不可能だという意味です。それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。ニコデモはかなりのお金持ちでした。人間的には救われることは不可能だったでしょう。しかし、神にはどんなことでもできるのです。そんなニコデモでもイエスを信じることができました。

ニコデモは、イエスを信じたことで多くの困難があったでしょう。彼はユダヤ教の教師で、ユダヤの最高議会サンヘドリンの議員で、最高の権威がありました。しかし、イエスを信じたことでその職を追われ、エルサレムからも追放されたかもしれません。当時のラビの文書には、そのような記録が残っています。その伝承が事実であったかどうかはわかりませんが、十分考えられることです。しかし、彼はこの地上のものを失ったとしても、天国のいのち、永遠のいのちをいただき、永遠にイエスとともに過ごす特権に与ることができました。

 

あなたの土地はどこにありますか。あなたはどの国民ですか。あなたは天の国民であり、イエスさまと一緒にいる天国に行くのです。それこそ私たちが真に追い求めなければならないものです。この地上の土地なんてどうでもいいとは言っているのではありません。そうしたものも神から与えられた大切なものであるのには違いありませんが、しかし、もっと大切なものは天における土地、天国の国民であるということを忘れないでいただきたいのです。

 

Ⅱ.大祭司カヤパの行動基準(49-52)

 

次に、大祭司カヤパの判断基準を見たいと思います。49~52節をご覧ください。

「しかし、彼らのうちの一人で、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人が民に代わって死んで、国民全体が滅びないですむほうが、自分たちにとって得策だということを、考えてもいない。」

 

ここには「その年の大祭司であったカヤパ」とありますが、大祭司は毎年のように交代するようなものではありませんがあえて「その年の大祭司であった」とあるのは、彼がたまたまその年の大祭司であったということではなく、この記念すべき年の大祭司であったという意味です。それはイエスが十字架で死なれ復活された年の大祭司であったということです。その時の大祭司はカヤパでした。その年が何年であったのを特定するのは困難ですが、カヤパは紀元17年に祭司として任命されてから紀元37年に解任されるまで、実に20年にわたって大祭司として君臨していました。この彼の大祭司としての任職中にイエスが十字架で死なれ、よみがえるという出来事が起こります。ですから、その年の大祭司とは、彼がその記念すべきことが起こった年の大祭司であったということなのです。

 

そのカヤパが、ユダヤの最高議会サンヘドリンの人たちにこう言いました。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人が民に代わって死んで、国民全体が滅びないですむほうが、自分たちにとって得策だということを、考えてもいない。」

イスラエルの指導者たちを前にずいぶん傲慢な言い方をしています。彼はローマ帝国によって任命され、ローマ帝国の息のかかった大祭司ということで、また彼はその在職期間も最も長いということもあって王様気取りだったのでしょう。

 

このカヤパの発言は実に驚くべきものでした。というのは、彼は、キリストの身代わりの死について預言しているからです。50節の「一人の人が民に代わって死んで、国民全体が滅びないですむほうが、自分たちにとって得策だということを、考えてもいない。」という言葉です。どういうことでしょうか?彼は、ひとりの人の人物の死によって、自分たちユダヤ民族の生き残りを願い無意識のうちに言っただけでしたが、それが全く違った意味で、キリストの身代わりの死を指し示すこととなったのです。

 

そのことについて、ヨハネは次のように説明しています。51~52節です。

「このことは、彼が自分から言ったのではなかった。彼はその年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子らを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。」

つまり、キリストの死は私たちの身代わりであったということです。これまでイエスが教えて来られたことは、ご自分がいのちのパンであるとか、いのちの水であるということでした。そして、イエスを信じる者には永遠のいのちを与えてくださるということでしたが、ここで初めて、それが私たちの身代わりとなって死なれることによって与えてくださるものであるということが明らかにされたのです。

 

そればかりでなく、ここには、「また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子らを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言していたのである。」とあるように、キリストのからだである教会を形成するためであったということです。このことについては、既に10:16のところで語られました。「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊たちがいます。それらも、わたしは導かなければなりません。そして、一つの群れ、一人の牧者となるのです。」とあります。

 

カヤパは、これほどまでに鮮明に、的確にキリストの十字架の死についてその意味を語っていたというのはすごいことです。なぜ彼はそれほどまでに十字架の意味を語ることができたのでしょうか。51節には、「このことは、彼が自分から言ったのではなかった。」とあります。彼はそのように言うつもりはありませんでしたが、無意識のうちにただ口走ってしまったのです。自分でも何を言っているのかわかりませんでした。彼はただ自分たちのことしか考えないで語ったことが、こんなにすごい預言となってしまったのです。

 

このように神は、それがたとえ打算であったとしても、救い主が生まれる場所が預言通りに成就するために、強大なローマ皇帝の人口調査を用いられたように、どんなものでも用いて語られるのです。たとえば、民数記24章には、モアブの王バラクがイスラエルを呪わせるためにバラムという偽預言者を雇いますが、神はこの偽預言者バラ無を通して、逆にイスラエルを祝福してしまうのです。しかも、その中でメシアの預言までしちゃうのです。「私には彼が見える。しかし今のことではない。私は彼を見つめる。しかし近くのことではない。ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみを、すべてのセツの子らの脳天を打ち砕く。」(17)「ヤコブから一つの星が進み出る」とは、イエス・キリストのことです。それは今のことではありません。近くのことではない。しかし、やがて確かにヤコブから一つの星が進み出るのです。これはメシア預言でした。その預言のとおりに、キリストはこのヤコブの子孫から出ました。また「イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみを、すべてのセツの子らの脳天を打ち砕く。」とありますが、この杖とは権威の象徴です。イスラエルから一本の杖が起こり、すべての敵を打ち砕きます。ものすごい預言です。これが何と偽預言者バラムを通して語られたのです。こんな偽預言者を通してでも神はみこころを語られることがあるのです。

 

このように神は、どんな人でも、どんな物でも、どんな事でも用いて、ご自身のみこころを語られるのです。たとえそれが自分に敵対するように者であっても、です。神はロバさえも用いて語られました。時にはサタンを用いても語られることもあります。Ⅱコリント11:14には、「しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。」とあります。この「光の御使い」とは神のことばのメッセンジャーのことですが、サタンも時々神の使いのメッセンジャーに変装して、私たちにご自身のみこころを語られることがあるのです。

 

そうであれば、私たちはへりくだって、神が語ることに耳を傾けなければなりません。神を知らないあなたに何がわかるかとか、聖書も知らないあなたに神のことがわかるかといった高飛車な態度ではなく、「主よ、お語りください。しもべは聞いています」というへりくだった態度で、常に神のみこころを求めなければなりません。

 

ところで、先ほども申し上げたように、この大祭司カヤパをも用いて神はみこころを示されましたが、カヤパはそれを言いたくて言ったのではなく、ただ無意識のうちに言っただけでした。彼の頭の中にあったのは、自分たちにとって何が得策かということ、つまり打算的な考えしかありませんでした。損得勘定で動いていたのです。カヤパの判断基準もこの損得勘定であり、ご都合主義に基づいたものでした。彼は大祭司としてどうすれば安泰でいられるのかを考えた結果、イエスを拒絶すれば彼も彼の仕事も安泰ですが、もしイエスを受け入れるようなことがあれば、自分も家族も不利益を被るということで、イエスを拒絶することを選んだのです。それは私たちにもあるのではないでしょうか。イエスを選ぶことで、不利益が生じてしまうと思うと、そうでない道を選んでしまうということがあります。

 

皆さんはどうでしょうか。いったい何を基準に動いているでしょうか。あなたの行動基準は何ですか。カヤパのように自分の都合によって物事を判断しているということはないでしょうか。自分や家族にとって何が得で、何が損かというような基準で判断していることはないでしょうか。私たちはそうした基準によってではなく、霊的な損得勘定を基準にして判断しなければなりません。

 

パウロは、「しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。それは、私がキリストを得て、キリストにある者と認められるようになるためです。」(ピリピ3:7-9)と言っています。「このようなすべてのもの」とは、肉にあって誇れるものですね。自分の経歴や業績、地位や名誉といったものです。そうしたものはちりあくただと考えるようになりました。それは彼がキリストを得て、キリストにある者と認められるようにたるためです。彼の行動の基準はキリストと同じようになることでした。言い換えると、キリストに似た者となるということです。これがクリスチャンの目標です。キリストならどう考え、どう行動するか、それがクリスチャンの判断と行動の基準なのです。パウロは、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという栄冠をいただくためにその目標に向かって一心に走りました。

 

それはパウロだけでなく、私たちにも求められていることです。なぜなら、ここには、「大人である人はみな、このように考えましょう。もしも、あなたがたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。」(ピリピ3:15-16)とあるからです。これは、私たちも基準にして進むべき考え方なのです。

カヤパの判断基準は、自分にとって何が得策なのかということでした。いつでも自分が基準だったのです。しかし、キリストを信じ、キリストに従う者にとっての基準は、自分ではなくキリストなのです。キリストならどう考えるのか、どう行動されるのか、私たちもその基準に従って歩むべきです。

 

Ⅲ.イエスの行動基準(53-57)

 

最後に主イエスの行動基準を見たいと思います。53~57節をご覧ください。

「その日以来、彼らはイエスを殺そうと企んだ。そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをせず、そこから荒野に近い地方に去って、エフライムという町に入り、弟子たちとともにそこに滞在された。さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づいた。多くの人々が、身を清めるため、過越の祭りの前に地方からエルサレムに上って来た。彼らはイエスを捜し、宮の中に立って互いに話していた。「どう思うか。あの方は祭りに来られないのだろうか。」祭司長たち、パリサイ人たちはイエスを捕らえるために、イエスがどこにいるかを知っている者は報告するように、という命令を出していた。」

 

その日以来、彼らはイエスを殺そうと企みました。これまでも彼らはイエスを殺そうとしていましたが、しかしここで公にイエスの処刑が決定されたのです。その決定的な要因は何だったのでしょうか。それはラザロをよみがえらせたという出来事です。そうです、イエスはラザロをよみがえらせることによってご自分が正式に処刑されるということを知っていて、自分にとってそれが不利になるということが分かっていてもあえて危険を冒し、ベタニアに来られたのです。あの大祭司カヤパとは大違いです。彼は自分の損得勘定によって生きていましたが、イエスは自分の損得勘定ではなく、たとえそれが自分にとって不利になることであっても、それが神のみこころであるならば、喜んで自分のいのちをささげられたのです。これは私たちが見習わなければならない基準です。

 

そのことは、その後のイエスの行動にも如実に表れています。54節には、「そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをせず、そこから荒野に近い地方に去って、エフライムという町に入り、弟子たちとともにそこに滞在された。」とあります。そこはエルサレムから北に20㎞ほど下ったところです。そこは荒野になっていましたが、同時に放牧地でもありました。しかし、イエスはそこで静かに祈り、神との交わりの時を持たれました。

 

しかし、再びエルサレムに上られます。55節には、「さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づいた。多くの人々が、身を清めるため、過越の祭りの前に地方からエルサレムに上って来た。」とあります。この「さて」という言葉はギリシャ語では「δη」という接続詞で、これは「しかし」とも訳されることばです。祭司長たちやパリサイ人たちがイエスを殺そうとしていたのでイエスはエフライムという町に逃れ、そこに滞在しておられましたが、しかし、ユダヤ人の過越しの祭りが近づいていたので、エルサレムに上って来たのです。どうしてもエルサレムに行かなければならなかったのです。どうしてでしょうか。それは、これがイエスの生涯における最後の過越しの祭りであったからです。イエスはこの過越しの祭りの時に捕らえられ、十字架につけられることになります。そんなところにどうして行かなければならなかったのでしょうか。それは、神の永遠の救いの計画を成し遂げるためです。私たちの罪のための子羊となって十字架にかかって死なれるためです。それが神のご計画だったのです。その神のご計画を成し遂げるために、イエスはエフライムでの静かな時、祈りの時を持ち、エルサレムへと向かわれたのです。

 

イエスは、十字架を前に弟子たちを伴いゲッセマネの園に向かいました。その時イエスはひれ伏してこう祈られました。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むことではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」(マタイ26:39)

これがイエスの生きる基準でした。すなわち、「わたしが望むことではなく、あなたの望まれるままに、なさってください」ということです。ユダヤ人たちが自分を殺そうとしていることがわかっていても、それがもし父なる神のみこころであるなら、そのとおりにしてください。これがイエスさまの判断基準だったのです。

 

イエスはどのような思いでエルサレムに上られたのでしょうか。私たちも自分の判断の基準というものを、行動の基準というものを考えたいものです。そして、私たちもイエスさまのように、「わたしが望むことではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」と自らを神に明け渡し、神のみこころのままに歩ませていただきたいと思います。

Ⅰサムエル記7章

サムエル記第一7章から学びます。

 

Ⅰ.主にのみ仕えなさい(1-4)

 

まず、1~4節までをご覧ください。

「キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、丘の上のアビナダブの家に運んだ。そして、主の箱を守るために彼の息子エルアザルを聖別した。箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。サムエルはイスラエルの全家に言った。「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます。」イスラエル人は、バアルやアシュタロテの神々を取り除き、主にのみ仕えた。」

 

主の箱がベテ・シェメシュに戻って来たとき、ベテ・シェメシュの住人はそれを見て非常に喜びました。しかし、彼らはしてはならないことをしてしまいました。それは、主の箱の中を見るということです。それで主は、民のうちの70人を、それはベテ・シェメシュの人口の5%にあたる人々ですが、激しく打たれました。しかし、彼らは自分たちの問題を悔い改めるよりも、それを他の地に追いやることによって解決を図ろうとしました。それで彼らはキルヤテ・エアリムの住民に使者を遣わし、「下って来て、運び上げてください。」と言いました。

 

するとキルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、丘の上のアビナダブの家に運びました。そこはキルアテ・エアリムで一番高い所でした。彼らはベテ・シェメシュの人々が犯した間違いから学んでいたようです。そこに主の箱を安置しました。そして主の箱を守るために彼の息子エルアザルを聖別したのです。これは、祭司として聖別したということではなく、人々が主の箱に対して不敬虔な行為をすることがないように監視させたということです。

 

キルヤテ・エアリムに主の箱がとどまってから20年が経ちました。それはダビデ王の時代まで続きますから、実際はおよそ100年ということになります。この間イスラエルはペリシテ人によって苦しめられてきました。そして彼らの中にはペリシテ人の神々や異国の神々を礼拝する者たちもいました。しかし、そのような中でイスラエル人たちの中に霊的飢え渇きが生まれていました。2節をご覧ください。ここには「イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」とあります。

 

そのとき、サムエルがイスラエルの全家に言いました。「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます。」

ここからサムエルの公の活動が始まります。彼は士師たちの時代と預言者たちの時代の中間にあって、その橋渡し役を果たしました。イスラエルの民は直ちにその勧めに応答し、バアルやアシュタロテの神々を取り除きました。バアルはカナン人の神で、雨と雷を支配し、豊穣をもたらす神とされていました。また、アシュタロテはバアルの妻で、愛と戦争の神であり、やはり豊穣をもたらす神です。サムエルの勧めは、こうした異国の神々を取り除き、主に心を向け、主にのみ仕えなさいということでしたが、イスラエルの民は、そのことばに応答したのです。

 

神のみことばに心から従うとき、主なる神との本当の関係を持つことができます。どんなに表面的に、あるいは形式的に宗教的行為を行っていても、主との関係は生まれません。主との本当の関係は、自分の生活のど真ん中から、自分と神との間に立ちはだかっているものを取り除くことから始まります。どんなに大きな集会に行っても、どんなに大声で賛美をささげても、家の中で罪を犯していたら何の意味もありません。何時間もの賛美よりも、家の中での一言の悔い改めて祈り、神のみことばをいただいて自分を変えるほうが有効なのです。  それにしても、彼らがこのようになるまでに20年という年月がかかりました。このような期間の中で彼らの心が徐々に溶かされてきたのでしょう。私たちも、表面的な信仰ではなく、こうした深く、人格の奥にまで探ってくださる御霊の働きを通して心が溶かされ、霊的飢え渇きが起こるように祈らなければなりません。

 

Ⅱ.エベン・エゼル(5-12)

 

次に5~12節をご覧ください。

「サムエルは言った。「全イスラエルを、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈ります。」彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。彼らはそこで、「私たちは主の前に罪ある者です」と言った。こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに向かって上って来た。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。イスラエル人はサムエルに言った。「私たちから離れて黙っていないでください。私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。主が私たちをペリシテ人の手から救ってくださるようにと。」サムエルは、乳離れしていない子羊一匹を取り、焼き尽くす全焼のささげ物として主に献げた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。すると主は彼に答えられた。サムエルが全焼のささげ物を献げていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来た。しかし主は、その日ペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエルに打ち負かされた。イスラエルの人々は、ミツパから出てペリシテ人を追い、彼らを討ってベテ・カルの下にまで行った。サムエルは一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。」

 

サムエルは全イスラエルをミツパに招集しました。ミツパはエルサレムの北10㎞に位置する町で、ベニアミン族の領地にありました。ミツパは、イスラエル人たちがしばしば集まるところでした。士師の時代から、イスラエル人が国民的な集会を招集する場所として用いられていたようです。たとえば、イスラエルがアモン人と戦うとき、このミツパに陣を敷きました(10:17)。また、イスラエルで女が強姦され殺害されるという恥ずべきことが行ったとき、どうすれば良いかを話し合うためにこのミツパに集まりました(20:1)。

 

全イスラエルはミツパに集まると、水を汲んで主の前に注ぎ、断食しました。彼らはそこで、「私たちは主の前に罪ある者です。」と言いました。どういうことでしょうか。彼らは罪を告白し、悔い改めたのです。サムエルをとおして神のみことばが語られたとき、聖霊によって彼らの心に罪が示され、それを告白したのです。これらの行為は、主の前にへりくだっていることを示しています。聖霊の働きによって民の中に霊的飢え渇きが起こされ、サムエルをとおして神のことばが語られたとき、そこに悔い改めが起こりました。彼らは心をかたくなにせず、神ことばに応答したのです。これがリバイバルの第一歩です。

 

イスラエル人がミツパに集まったということをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテの領主たちはイスラエルに向かって上って来ました。それを戦争の準備と見たので、先制攻撃を仕掛けてきたのです。リバイバルが起こると、サタンの攻撃も激しくなります。それまでは安心して眠っていたサタンが、主の民が飢え渇いて主を求めるようになると、とたんにそれを阻害しようとして躍起になるのです。

これを聞いたイスラエル人は恐れ、「私たちから離れて黙っていないでください。私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。主が私たちをペリシテ人の手から救ってくださるようにと。」熱心にとりなしの祈りを捧げるように願い求めました。

 

するとサムエルはその願いに答え、乳離れしていない子羊を一匹取り、全焼のいけにえとして主に捧げて祈りました。それは祈りというよりも叫びでした。すると主は彼に答えてくださいました。そして、サムエルがいけにえを捧げていたちょうどその時、イスラエルに対するペリシテの攻撃が始まりましたが、主はペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエルに打ち負かされてしまいました。

 

イスラエルの人々は、ミツパから出てペリシテ人を追い、彼らを討ってガテ・カルの下にまで行きましたが、サムエルはそこで一つの石を取り、それをミツパとエシュンの間に置き、それにエベン・エゼルという名を付けました。意味は、「主はここまで私たちを助けてくださった」です。つまり、「助け石」です。ペリシテ人に対する勝利は、主の勝利でした。サムエルはそのことを忘れないために、また主に感謝を表すために記念の石を置いたのです。この「エベン・エゼル」という言葉は、代々神の民が解放を経験する時に語る合言葉のようなものなります。私たちはどうでしょうか。主が与えてくださった勝利を記念して主に感謝を表しているでしょうか。パウロは、「神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。」(Ⅱコリント1:10)と言って、ここに将来の希望と確信を置いています。私たちもエベン・エゼルの石を置きましょう。そして、神への感謝とともに、この神に将来の希望と確信を置こうではありませんか。

 

Ⅲ.取り戻された平和(13-17)

 

その結果はどうなったでしょうか。13-17節をご覧ください。

「ペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領土に入って来なかった。サムエルの時代を通して、主の手がペリシテ人の上にのしかかっていた。ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガテまでが、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、その領土を解放した。そのころ、イスラエルとアモリ人の間には平和があった。サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。彼は年ごとに、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルをさばき、ラマに帰った。そこに自分の家があり、そこでイスラエルをさばいていたからである。彼はそこに主のために祭壇を築いた。」

 

その結果、ペリシテ人は征服され二度とイスラエルの領土に入って来ませんでした。そして、ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガテまでが、イスラエルに取り戻されました。サムエルが生きている間、ペリシテ人との戦いが止みました。再開されるのは、サウル王の時代に入ってからです。そればかりでなく、イスラエルはアモリ人との間にも平和がありました。アモリ人とは、イスラエルの東側に住む人たちです。つまり、東の国境地帯も平和であったということです。この時期イスラエルは西のペリシテ人とも、東のアモリ人とも戦う必要がない平和な時代を過ごすことができたのです。

 

ミツパでのリバイバル(宗教改革)は主を喜ばせ、結果としてイスラエルに平和をもたらしました。「恵みとまことによって、咎は赦され、主を恐れることによって、人は悪を離れる。主が人の行いを喜ぶとき、敵さえもその人と和らがせる。」(箴言16:6-7)こうした平和はどこからもたらされるのでしょうか。それは、主との平和によってです。恵みとまことによって、咎は許され、主を恐れることによって、人は悪から離れ、それを主が喜ばれるとき、そこに主の平和がもたらされるのです。すべてはミツパでのリバイバルから始まっているのです。私たちも目の前の問題が問題なのではなく、主との関係がどうなのかが問われています。イスラエル人が主の前にひざまずき、主の前に悔い改めたとき、そこに主の喜びがあり、主が彼らを祝福したように、私たちも主の前にへりくだり、罪を悔い改め、主にのみ仕えるとき、私たちにもこうした祝福がもたらされるのです。

 

サムエルは、一生の間、イスラエルをさばきました。これは、サムエルの生涯のまとめです。彼は生涯現役を貫きました。彼は年ごとにベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルをさばきました。つまり、イスラエルの民が難問題を抱えて彼のもとにやって来たとき、

それを解決したということです。これら三つの町には、預言者のための学校が設立されました。巡回して後、彼はラマにある家に帰り、そこでもイスラエルをさばいていました。ラマは彼の出身地です。彼の両親もその町の出身でした。彼はレビ族の出身でもあったので、そこで祭壇を築き、祭司としていけにえを捧げました。ラマに祭壇が築かれたのは、幕屋があったシロの町が破壊されてから、エルサレムがイスラエルの都となるまでの間です。私たちもサムエルのように生涯信仰の現役者として、自分に与えられた使命と役割を果たしたいものです。

ヨハネの福音書11章38~46節 「信じるなら神の栄光を見る」

ヨハネの福音書11章を学んでおります。ベタニアのマルタとマリアの兄弟ラザロが死んで四日後に、イエスはヨルダンの川向うからベタニアにやって来られました。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」というマルタに対してイエスは、「あなたの兄弟はよみがえります。」と言われました。しかし、そのことばを信じることができなかったマルタは、「終わりの日のよみがえりの時に、私の兄弟がよみがえることは知っています。」と答えると、イエスは、あの有名なみことばを語られました。25節です。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」しかし、そればかりではありません。26節にあるように、「また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」とも言われました。確かにイエスを信じる者は死んでも生きる永遠のいのちを持ちます。しかし、そればかりではなく、生きていてイエスを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことはありません。もうすでに永遠のいのちを持っています。死んでも生きるのです。イエスを信じる者が「死」という絶望に苛(さいな)まれることはありません。どんな困難にも勝利することができるのです。死んだラザロもよみがえります。「あなたは、このことを信じますか。」と言われたのです。マルタは、「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」と言いましたが、それはイエスが期待していた信仰ではありませんでした。イエスは、今、この地上にあって神の国が来ていることを信じてほしかったのです。

 

それはマリアも同じでした。マリアがイエスに会うと、マルタが言った言葉と同じ言葉を言いました。32節、「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」彼女もまたラザロの死を受け止めることができませんでした。「どうしてもっと早く来てくれなかったのですか。」「どうしてここにいてくださらなかったのですか。」「もしここにいてくださったなら、私の兄弟ラザロは死ななかったでしょうに。」そして、大声で泣きました。号泣したのです。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、

心の動揺を感じて、涙を流されました。英語では、゛Jesus wept.”です。たった2文字です。聖書の中で一番短い聖句となっています。イエスは涙を流された。なぜ涙を流されたのでしょうか。それは、イエスは私たちと同じ人間として来られたからです。私たちと同じ感情をもっておられました。ですから、マレアが泣いているのをご覧になられ、その弱さに同情されたのです。私たちの主イエスは、私たちの弱さに同情できない方ではないのです。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じようになられました。イエスは、あなたの痛み、あなたの悲しみ、あなたの苦しみ、あなたの涙を知り、あわれんでくださるのです。ですから、私たちに必要なことは、そのあわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づくことです。言い換えるなら、どんな時でもこのイエスに信頼するということです。信じるなら神の栄光を見るのです。きょうは、このことについてご一緒に考えたいと思います。

 

Ⅰ.その石を取りのけなさい(38-40)

 

まず、38~40節をご覧ください

「イエスは再び心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓は洞穴で、石が置かれてふさがれていた。イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだラザロの姉妹マルタは言った。「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」 イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」

 

イエスは再び心のうちに憤りを覚えながら、ラザロの墓に来られました。イエスは何に対しテ憤っておられたのかについては先週お話しした通りです。それは人類に死をもたらした罪の現実と、それを支配している悪魔に対する憤りです。当時、墓は洞穴になっていて、その入口に石が置かれていました。するとイエスは、「その石を取りのけなさい」(39)と言われました。「その石」とは墓をふさいでいた石です。いったい何をするというのでしょうか。死んだラザロの姉妹マルタは、「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」(39)と答えました。私たちも今週の土曜日に埋葬式を行いますが、当時の埋葬は、今日のように火葬にはせず、死体には香料や没薬を塗り、長い布で巻きつけて、洞穴の中に置きました。でもさすがに四日も経つと腐ってきます。ただ腐るというだけではありません。当時のユダヤ教のラビたちは、死者の魂は死後三日間は遺体の周りを漂っているが、四日になるとその遺体から完全に離れていくと教えていました。ですから、死んで四日になるというのは、その人が完全に死んでしまったということを言っているのです。死んで三日以内であれば蘇生する可能性もあるかもしれませんが、四日にもなるとそういうことはあり得ません。遺体の腐敗も進んでいるでしょう。もう無理です。その望みは完全に断たれてしまいました。しかし、イエスはその石を取りのけなさいと言われました。いったいなぜそのように言われたのでしょうか。

 

40節には、「イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」」とあります。確かに常識で考えれば、一度死んでしまった者が生き返るなどということがあろうはずがありません。終わりの日によみがえることはあるでしょう。でも実際に死んだ人がよみがえるなどということは考えられません。しかし、イエスは「信じるなら神の栄光を見る」と言われました。問題は、私たちが信じられないことです。マルタと同じように「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」と言ってしまいます。「無理ですよ」「お先真っ暗です」「もうどうしようもありません」と言ってしまうのです。でもそのような時こそイエスがやって来てこう言われます。「その石を取りのけなさい。」イエスがラザロの死後四日も経ってから来られたのはそのためでした。マルタがもうだめです、終わりです、と言うそのタイミングで来られたのです。もし私たちの中にまだ可能性があるかもしれない、他に何らかの道があるかもしれないという状況ではイエスは来られません。もうだめです。何もできません。絶望です。そういう時にこそ来てくださるのです。それはイエスが遅れているからではありません。そのような時だからこそ主の力が発揮され、主の栄光が現されるためです。私たちに求められているのは、信じてその石を取りのけることです。

 

先日、武藤兄姉を訪問しました。これまでお一人で寂しいこともありましたが、武藤兄が退院してとても安心しておられました。ところが、武藤兄もリハビリがあるので、車椅子の姉妹にはご主人を介護するのには限界があります。そんな時、東京にいた頃に所属していた教会の牧師先生が語ったことばを思い出しているとのことでした。それは「人の限界の時が、神が働かれる時である」という言葉です。自分にはもうできないという時こそ、神が働いてくださる時だというのです。まだ自分にはできると思っているうちには神は働かれませんが、もうだめだという時にこそ神が働かれるのです。あなたはそれを信じなければなりません。信じるなら神の栄光を見るのです。本気で信じていないのに、神の栄光を見せてくださいというのは全くのお門違いです。神の栄光を見たいなら、本気で信じなければなりません。あなたの問題をすべて神にゆだねなければならないのです。

武藤さんの家から帰ろうとしていたら、「先生、主人のためにも祈ってください」というので、ご主人のお部屋に行きました。ご主人は部屋を暗くして寝ておられましたが、奥様が、「ねぇ、ちょっと先生が来たから電気つけるわよ」と部屋を明るくしました。そして、「夫はあの、父、御子、御霊の、という頌栄がありますよね、あれが好きなんですよ。」と言われたので、「あっ、ちょうどヒムプレーヤーを持って来たので一緒に賛美しましょう。私は何でも弾けますから」と、ヒムプレーヤーの伴奏で一緒に新聖歌63番を賛美しました。ご主人は目をつぶり、涙を流しながら、父、御子、御霊の、おおみ神に、とこしえ、たえせず、御栄えあれ」と賛美しました。それを見ていた武藤姉も涙しました。私はそこに主の臨在を強く感じました。体も思うようにいかない中でも、主を見上げ、主を信じ、主の栄光をあがめるところに、必ず主が働かれることを確信しました。信じるなら、神の栄光を見るのです。信じて、その石を取りのけなければなりません。

 

私たちは「臭い物に蓋をする」ということわざがあるように、どちらかというと、臭いものには蓋をしようとする傾向があります。できるだけ臭い自分に蓋をして、匂いが外に漏れないように隠してしまうのです。でも主の栄光を見たいなら、臭いものに蓋をしてはなりません。逆に、その石を取りのけなければならないのです。たとえそれがたまらなく臭いようなものでも、他の人から見たら醜い問題でも、その蓋を取りのけてイエスに触れていただくようにしなければなりません。それが主にすべてをゆだねるということです。あなたの問題を主にゆだねてください。あなたを塞いでいるものは何ですか。その石を取りのけてください。そして、神の栄光を見させていただこうではありませんか。

 

Ⅱ.ラザロよ、出て来なさい(41-43)

 

次に、41~43節をご覧ください。

「そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」 そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」」

 

そこで彼らが石を取りのけると、イエスはこう言われました。「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。」これは祈りです。その祈りはまず「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します」という感謝の祈りでした。イエスの願いとはどんなことだったのでしょうか。ここには書かれていないのではっきりはわかりませんが、この文脈からするとラザロがよみがえることではないかと思います。そうだとすれば、イエスはここに来られる前からラザロのために、そしてマルタやマリアのために祈っていたということがわかります。そうです、何のアクションもないからといってイエスは何もしておられないのではありません。何もしていないようでも、いつもあなたのために祈っておられるのです。ローマ8:34には、「だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。」とあります。イエスは今も、神の右の座でとりなしていてくださるということを覚えていただきたいと思います。

 

そして、42節には「あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。」とあります。私たちもこのように祈りたいですね。「あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っております」私たちの願いは父のみこころにかなったものであり、もうすでに聞いていただいているという確信をもって祈らなければなりません。

 

そのように祈られると、イエスは大声で叫ばれました。「ラザロよ、出て来なさい。」なぜ大声で叫ばれたのでしょうか。マタイ12:19には、「彼は言い争わず、叫ばず、通りでその声を聞く者はなく」とあります。イエスは日ごろあまり大きな声を出されるということはありませんでしたが、ここでは大声で叫ばれました。それはあたかも天地創造の時に、神が「光よ、あれ」と仰せられた時のようです。それは無から一切のものを創造し、人にいのちを与えられた主の権威ある一言でした。つまり、イエスは人にいのちを与えることがおできになる方であることを印象付けるために、大声で叫ばれたのです。主はそのような権威を持っておられる方なのです。その声にすべてのものはひれ伏し、伏し拝み、服従します。それが私のようにかん高い声だったかどうかわかりませんが、どんな声であっても、その声にすべてのものが服従するのです。それはあなたが抱えている困難も、です。私たちは時として大きな困難に出会い絶望してしまうことがありますが、イエスが御声を発すると、すべてのものは服従するのです。イエスにはそのような権威を持っておられるということを覚えていただきたいのです。

 

Ⅲ.ほどいてやって、帰らせなさい(44)

 

第三に、44節をご覧ください。主イエスがそのように叫ばれるとどうなったでしょうか。「すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布で包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」」

おもしろいですね。亜麻布でぐるぐる巻きに巻かれて死んでいた人が、墓から出て来ました。手足はもちろんのこと、ここには「彼の顔は布で包まれていた」とあります。全身が布で包まれていました。ほとんど身動きできないような状態だったでしょう。そういう人が墓から出てきたのです。開いた口がふさがらないとはこのことです。とても信じられません。ここに信じがたい光景が映し出されています。だいたいどうやって出てきたのでしょうか。全身が布で包まれているわけですから、普通に歩いて出てくることはできなかったでしょう。ピョンピョンと跳ねながら出て来たのでしょうか、あるいは、肘をついて這いつくばるようにして出てきたのでしょうか。わかりません。ただ確かなことは、死んだはずのラザロが墓から出てきたということです。

 

死んだ人が生き返ったという話は新約聖書に何回か出てきますが、あの会堂管理人ヤイロの娘の場合は、死んでからすぐのことでした。また、ナインの町のやもめの息子の時は、死んで埋葬のために墓に向かって行く途中でした。すなわち、死んですぐのことでした。しかし、このラザロの場合は死んで四日も経っていました。それは完全に死んだということを意味しています。イエスはそんなラザロを生き返らせたのです。そうです、イエスは死人をよみがえらせることができる方です。死んでいる人にいのちを与えることができる方なのです。

 

ヨハネの福音書の中には、イエスが神から遣わされたメシアであることを示すためのしるしが7回出てくるということを何度かお話してきました。それは証拠としての奇跡です。その最後のものが、このラザロのよみがえりです。ですから、このしるしはヨハネの福音書の中のクライマックスであり、最大のしるしであったと言えます。ヨハネはこの奇跡によって何を示そうとしていたのかというと、イエスは神から遣わされたメシアであるということ、そして、霊的に死んでいる人をもよみがえらせることができるということです。まさにこれこそヨハネが伝えたかったことであり、聖書の中心です。永遠の滅びから救われ、永遠のいのちを与えることができるということは、神の奇跡の中でも最大の奇跡なのです。イエスはそのように死んでいる人にいのちを与えることができるお方なのです。

 

皆さんは、クリスチャンになってからも神の奇跡を体験したいと願い、自分の人生に奇跡が起こったらどんなにすばらしいだろうと思うことがあるでしょう。こんなにお金が必要な時に、宝くじ一つにでも当ったらどんなにすばらしいものかと思うかもしれません。原因不明の病気にかかりどの医療機関に行ってもどうにもならないと医者から宣告されたけど、神が奇跡を起こして完全に癒してくれたらどんなにすばらしいことかと思います。愛する者が亡くなったとき、このラザロのようにキリストが直接現れて生き返らせてくれたらどんなにすごいだろうと思うでしょう。神の奇跡を期待して何度も叫びたくなる時があります。でも忘れてはならないことがあります。それは、人が永遠の滅びから救われるということ以上に大きな奇跡はないということです。霊的に死んでいた人がよみがえるということ以上に大きな奇跡はありません。これは最大の奇跡です。

 

先日、ある方がこう言われました。「先生、今関わっている人は本当にひどい人で、携帯の料金も払わないので自分が立て替えてあげたんですけれども、結局、支払うことができずブラックリストに載ってしまいました。仕事はやっているんですけれど、給料日になるとパーっとお酒を飲んで使ってしまうので、全然生活が成り立たないんです。こういう人でも救われますか」皆さん、どうですか。こういう人でも救われますか。救われます。なぜなら、イエスは死んでいた私たちを救いいのちを与えてくださるのですから。死んでいるということはもう何もできないということです。神に対して叫ぶこができません。しかし、神は、そんな状態からも救ってくださいました。それは一方的な神の恵みによるのです。エペソ書の中にはこうあります。

「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」(エペソ2:1-8)

 

ここには、私たちは、自分の背きと罪の中に死んでいたとあります。でもあわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。それは神の恵みによるのです。そればりではありません。神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。私たちはもう天上に座らせていただいたのです。いつ死んでも天国です。イエス・キリストによって神がともにいてくださるようにしてくださいました。これが永遠のいのちです。それは私たちから出たことではなく、神からの賜物です。すごいでしょ。あのウエスレーが「私たちにとって一番良いことは、神がともにおられることです」と言った言葉が響いてきます。この永遠のいのちを持つようにしてくださいました。これはものすごいことなのです。これよりも大きな奇跡はありません。イエスは、このラザロの生き返りを通して、ご自分が死んだ私たちを生き返らせることができるいのちの主であることを示してくださったのです。

 

しかし、それだけではありません。ラザロはイエスのことばを聞いて墓から出てきましたが、私たちもイエスのことばを聞いて墓から出てくる時が来る時がやって来ます。ラザロのよみがえりは、私たちもやがてよみがえるということの型でもあったのです。

ヨハネ5:25~29をご覧ください。ここには、「まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。また父は、さばきを行う権威を子に与えてくださいました。子は人の子だからです。このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。」とあります。死んだ人が神の声を聞く時が来るとは、霊的に死んでいる人が神の声を聞くということです。それを聞いて、それを信じる者には、永遠のいのちを持ちます。死んでいた者がいのちを受けるのです。イエスが道であり、死んであり、いのちです。ですから、イエスを信じるなら、だれでもこのいのちを持つことができるのです。しかし、それだけではありません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受け、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出てきます。これはキリストが再臨される時に受けるよみがえりのことを言っています。その時、キリストを信じた者はみな墓からよみがえります。それはラザロがよみがえったように、再び死ななければならないからだによみがえるのではなく、決して死ぬことのない霊のからだ、栄光のからだによみがえります。それは、イエスが十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられた時のからだと同じです。もはや死ぬことはありません。イエスが死からよみがえられたのは、私たちもやがて終わりの日にこのからだによみがえるということを示すためでした。それは初穂だったのです。ラザロのよみがえりはそれとはちょっと違いますがこの型でした。私たちはやがてこの霊のからだによみがえります。イエスが死んだラザロをよみがえらせてくださったのは、私たちにそのことを示すためでもあったのです。イエスはそれがおできになられます。なぜなら、イエスは完全に死んだラザロをよみがえらせることができたからです。イエスは、死んだ者にいのちを与えることができます。そうです、イエスは霊的に死んだ私たちにいのちを与え、やがて滅びた肉体を朽ちることのない栄光のからだに変えてくださるのです。これほど大きな奇跡がほかにあるでしょうか。これは最高にして、最大の奇跡です。あなたは、この奇跡を経験したのです。感謝しましょう。

 

そればかりではありません。イエスはこのように命じられました。「ほどいてやって、帰らせなさい。」どういうことですか?なぜ、ほどいてやる必要があったのでしょうか。勿論、ラザロは全身が布でぐるぐる巻かれていたので自分でそれをほどくことができなかったでしょう。だれか他の人にほどいてもらう必要がありました。しかし、それだけではありませんでした。それを見ていた人が自分の手で触れて確かめることができるためだったのです。そのことによって彼らは、それが幻想ではなくイエスによって実際に行われた奇跡であることを確認することができました。確認して、神の栄光を見ることができたのです。

 

マリアのところに来ていて、この出来事を見たユダヤ人の多くが、イエスを信じました。しかし、何人かはこれを信じないばかりか、パリサイ人たちのところに行って、イエスがなさったことを伝えました。信じるなら、神の栄光を見ます。それがたとえ死であっても、必ず神の栄光を現すようになります。なぜなら、イエスは、私たちにとって最悪だと思える死であってもいのちを与えることができる方であり、そこから引き上げることがおできになられる方だからです。イエスは霊的に死んでいる私たちにいのちを与えてくださいました。その方は、私たちの現実の生活の中に起こるかいなる問題にも解決を与えてくださいます。私たちは時としてあまりにも大きな困難に出会うと、絶望してしまうことがありますが、そこにいのちの主がおられる限り、絶望の2文字はないということを覚え、ますます主に信頼していきたいと思います。信じるなら神の栄光を見るからです。

ヨハネの福音書11章28~37節「涙を流されるイエス」

きょうは、「涙を流されるイエス」というタイトルでお話します。聖書の中には、イエスが笑われたという表現は一度も出ておりませんが、涙を流されたというのは、三回出てきます。ルカ19:41とへブル5:7とここです。どうして主イエスは涙を流されたのでしょうか。それは、マルタやマリアやそこにいた人たちの悲しみに同情されたからです。主イエスは、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように試みに会われました。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づくことができるのです。きょうは、このあわれみ深いイエスについて三つのことをお話ししたいと思います。第一のことは、イエスは私たちを呼んでおられるということです。

 

Ⅰ.あなたを呼ばれるイエス(17-22)

 

28~32節をご覧ください

「マルタはこう言ってから、帰って行って姉妹のマリアを呼び、そっと伝えた。「先生がお見えになり、あなたを呼んでおられます。」マリアはそれを聞くと、すぐに立ち上がって、イエスのところに行った。イエスはまだ村に入らず、マルタが出迎えた場所におられた。マリアとともに家にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリアが急いで立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、ついて行った。マリアはイエスがおられるところに来た。そしてイエスを見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」

 

ラザロが死んで四日経っていました。イエスが来られたことを聞いたマルタは、すぐに出迎えに行きました。一方、マリアは、イエスが来られたと聞いても、家に座っていました。あまりにも悲しくて立ちあがれなかったのかもしれません。イエスを出迎えに行ったマルタが、「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言うと、イエスは「あなたの兄弟はよみがえります」と言われました。マルタは、終わりの日に、よみがえることは知っていますと答えると、主はあの有名なみことばを語られました。

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことはありません。」(25-26)

すると彼女はイエスに「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の御子キリストであると信じております。」と答えました。彼女は確かにイエスが旧約聖書で預言されていたメシアであると信じていましたが、それ以上の方として受け入れることはできませんでした。つまり彼女はイエスを神の子として信じていましたが、また、そういう意味では彼女も救われ永遠のいのちを受けていましたが、同時にそれがこの世におけるさまざまな問題においても実際に解決をもたらす力があるということを理解していなかったのです。彼女の信仰には欠陥というか、不完全な要素がありました。

 

マルタは、そのように言うと、自分の家に帰って姉妹のマリアを呼び、そっと伝えました。「先生がお見えになり、あなたを呼んでおられます。」(28)マリアはそれを聞くと、すぐに立ち上がって、イエスのところに行きました。「すぐに立ち上がって」という言葉は、ギリシャ語ではエゲイローという語ですが、眠りから覚めるという意味があります。5:21には、「死人をよみがえらせ」とありますが、この「よみがえらせ」という言葉がエゲイローです。12:1にも「そこには、イエスが死人からよみがえらせたラザロがいた」とありますが、この「よみがえらせた」も「エゲイロー」です。イエスの呼びかけは、死んでいたような彼らの霊を呼び覚ましました。あなたはどうでしょうか?あなたの腰は重くなっていないでしょうか?眠ったままになってはいませんか?マリアはそれを聞くとすぐに立ち上がりました。それほどに彼女はイエスを愛していたというか、信頼していたことがわかります。私たちもイエスさまの呼びかけにすぐに応答する者となりたいですね。

 

30節をご覧ください。イエスはまだ村に入らず、マルタが出迎えた場所にいました。なぜイエスは村に入らなかったのでしょうか?それはマルタと個人的な時間を持ちたかったからです。村に入ってしまうとそのような時間を持つことができないと思われたのでしょう。28節にも、マルタは、イエスがマリアを呼んでおられることを「そっと伝えた」とありますが、それはこのためでしょう。すぐに大勢の人々が集まって来るのを望まなかったのです。ところが、結果的にはそのようにはなりませんでした。31節を見ると、「マリアとともに家にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリアが急いで立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、ついて行った。マリアはイエスがおられるところに来た。」とあります。「彼女を慰めていたユダヤ人たち」とは、多くの親戚たちや、親しい友人たちのことです。そして当時ユダヤには「泣き女」と呼ばれる人たちがいました。泣くことを職業にしていた人たちです。そういう人たちものいました。ですから、そういう人たちすべてのことです。イエスは、こういう人たちを振り払ってできるだけ個人的に、静かな時間を持ちたいと思われたのです。しかし、この人たちは、マリアが急いで立ち上がって出て行くのを見て墓に泣きに行くのだろうと思い、ついて行きました。

 

マリアはイエスのおられるところに来るとどうしましたか?彼女はイエスを見ると、足もとにひれ伏して言いました。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」どこかで聞いたことのあることばです。そうです、これは21節でマルタがイエスに言ったことばと全く同じです。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」マルタが言ったことばが山彦(やまびこ)のようにこだましています。なぜマリアは同じセリフを言ったのでしょうか?言ったというよりも自然に出て来たのでしょう。それは、マルタとマリアがイエスを待っている間ずっと同じことばを繰り返していたからです。これが人間の性です。言葉使いとか、口癖というものは、実に感染していきます。すぐに周囲に影響をもたらすのです。ですから、皆さんは普段付き合っている人と同じように話すようになるのです。あなたが「疲れた、疲れた」と言っていると、あなたの子供たちも「疲れた、疲れた」と言うようになります。夫婦もよく似てきます。同じ時間を共有しているからです。そうやって互いに影響を及ぼしているわけです。

 

かなり前のことですが、家内の母親がアメリカから来日した時のことです。二女の英語の発音を聞いてびっくりしました。あまりもひどい。どうしてそんなにひどいのかと思ったら、私の発音にそっくりだというのです。考えてみたら娘が小さかった時、何とか英語ができるようにと一生懸命に英語で話しかけていました。それが悪かった。私の発音にそっくりになってしまいました。それ以降、なるべく良い発音ができるように私は一切話さないようにしました。貝のように堅く口を閉ざしたのです。それでも娘の発音はずっとひどかったらしいです。小さい時の耳はその通り覚えているんですね。だから、何に触れるかはとても重要なことです。

 

パウロは、コリント第一15:33で、「惑わされてはいけません。「悪い交際は良い習慣を損なう」のです。」と言っています。これは真実です。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。

マルタとマリアは、弟のラザロの容態が悪くなるにつれ、主はいったいどこへ行ってしまったのか、私たちのメッセージを受け取らなかったのだろうか、それを聞いて、何ともお思いになられなかったのでしょうか、早く来てくれれば何とかなるのにと、ずっと言い合っていたのです。

 

友達が悪ければ、良い習慣が損なわれます。いつもすねてばかりいて、いぶかしそうにしている人、不平不満と苦々しい思いを持った人、不機嫌な人たちといると、それがあなたにも移ります。だから、だれと付き合うかというのは大切なことなのです。勿論、重荷を負っている人とは関わらない方がいいと言っているのではありません。否定的な人とは一切交わらない方がいいと勧めているのではありません。ただ長い付き合いとなる人間関係において、信仰の言葉を語り、神を愛し、神に信頼している人たちと共に時間を過ごすなら、そのような人になっていくということを覚えておくことは大切なことです。うちの夫はいつも否定的で、時間があったら上司の悪口しか言わないけど、別れるわけにもいかないし、どうしたら良いかという人もいるかもしれません。大丈夫です。そういう時は、イエス様と一緒に過ごす時間を多くしてください。その上で一緒にいれば、イエス様の影響を受けるようになるでしょう。

 

マリアは、マルタとの生活の中で否定的な思いに感染していました。でもイエスを見たとき、彼女はその足もとにひれ伏しました。この「ひれ伏す」という言葉は「礼拝する」ということです。通常は、王様や高貴な人に対してしか、このような態度を取りません。マリアは、イエスを神の子と信じていたので、ひれ伏したのです。これはすばらしい態度です。この後12章に入ると、イエスが過越しの祭りの時に再びこのベタニアに来られた時のことが記されてありますが、おそらくらい病人シモンの家でのことでしょう。人々が食卓に着いていた時イエスのもとにやって来て、非常に高価なナルドの香油をイエスに注ぎ、それを髪の毛でそれをぬぐい、その足に口づけしました。その時も彼女は主の足もとにひれ伏しました。彼女はいつも主の足もとにひれ伏しています。順境の時でも、逆境の時でも、主の足もとにひれ伏しました。ある人たちは順境の時にはイエスと時を過ごしても、逆境になったとたんに身を引いてしまうという人がいます。自分の思い通りにならなかったり、辛いこと、苦しいことがあると、怒りと失望と困惑によって、主から離れてしまうのです。なぜこんなに時間をかけてまで教会に行かなければならないのか、それだったら家で寝ながらユーチューブを観ていた方がいい・・・と。

 

一方他の人たちは、逆境になると教会に駆け込みますが、問題が解決すると、そのとたん教会から去って行きます。いわゆる駆け込み寺ですね。しかし、マリアは、順境の時も、逆境の時も、いつもイエスの足もとにひれ伏しました。これが重要です。いったいどうしたら、マリアのようにイエスと親密な関係を築くことができるのでしょうか。その答えはシンプルです。イエスさまの足もとにひれ伏せばいいのです。イエスさまの足もとにひれ伏して、共に過ごす時間を持てばいい。そうすれば、あなたも主イエスと親密な関係を持つことができ、主イエスから多くの影響を受け、主イエスのようになることができるのです。

 

イエスさまは、あなたを呼んでおられます。あなたを取り巻く人たちの中からあなたを呼んでおられるのです。それが教会です。教会とは、ギリシャ語でエクレシアと言いますが、意味は「呼び出された者たちの群れ」です。私たちは、主イエスによって呼び出された者たちです。それは、私たちが行って、実を結ぶためです。(ヨハネ15:6)主イエスの言葉は、あなたの死んだような心をよみがえらせてくれます。ですから、どうか、この主イエスの声を聞き、主イエスの足もとに行ってください。そしてイエスの足もとにひれ伏して、イエスの言葉を聞きましょう。そうすれば、あなたがたとえこの世でさまざまな声を聞いて影響を受け、疲れ果て、悩み、苦しんでいても、イエス様の言葉によってよみがえることができます。あなたがすべきことは、主イエスの言葉を聞いて、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行き、イエスの足もとにひれ伏すことなのです。

 

Ⅱ.あなたの涙をご覧になられるイエス(33-35)

 

次に33~35節をご覧ください。イエスさまはあなたを呼ばれますが、ただ呼ばれるだけでなく、あなたの涙をご覧になられ、深くあわれんでくださいます。

「そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」イエスは涙を流された。」

 

イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になられると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じられました。この「泣く」という言葉は、原語のギリシャ語では「クライオ」という語です。意味は大声で泣くとか、号泣する、泣きじゃくるです。特に、悲しみや痛みを表現する時に用いられます。彼らはなぜ泣いていたのでしょうか。彼らの心に死の悲しみが重くのしかかっていたからです。彼らには、イエスが死に打ち勝つ力があることを信じることができませんでした。死んだら終わりという現実に打ちのめされていたのです。イエスはそんな彼らの姿を見て、霊の憤りを覚え、心を騒がして、「彼をどこに置きましたか」と言われたのです。

 

「霊の憤りを覚える」とはどういうことでしょうか。イエスはなぜ霊の憤りを覚えれたのでしょうか。いくつかの理由が考えられます。一つは、彼らの不信仰に対する憤りです。彼らはイエスに死に打ち勝つ力があることを認めることができませんでした。「あなたの兄弟はよみがえります」と言っても、だれも信じられなかった。まあ、当然と言えば当然かもしれません。死んだ人がよみがえるなんて考えられないことですから。それで嘆き悲しんでいました。すばらしい良い知らせをまともに受け止めることができませんでした。喜びの知らせがもたらされているのに喜べないばかりか、嘆き悲しんでいまのです。その不信仰さ、かたくなさを憤っておられたのでしょう。。

 

第二の理由は、愛するラザロの命を奪った死に対する憤りです。へブル2:14には、この死の力を持つ者は悪魔であるとあります。イエスはその悪魔という死の力に憤っておられるのです。

 

第三の理由は、もっとより深い次元で、人類に死をもたらした罪の現実に対する憤りです。罪がもたらしたもの、それは死です。病もそうです。すべての問題の根源はこの罪です。誤解しないでください。もし皆さんが今病気だからといって、それが罪を犯したことで引き起こされたということではありません。そうではなく、最初の人アダムとエバが罪を犯したことで、私たちはみな生まれながらに罪を持っているということです。その罪が病を引き起こしているのです。だから、人は例外なく病気になるし、肉体的に死ぬわけです。それは最初の人アダムとエバによって全人類にもたらされた罪の結果なのです。もしアダムとエバが罪を犯さなかったら人は病気になることはなかったし、死ぬこともありませんでした。ですから、イエスはその罪に対して憤っておられたのです。

 

恐らく、この三つの理由が複合的に絡み合ってのことだと思います。つまり、イエスは罪とその結果もたらされた死の現実に対して憤っておられたのであって、その罪と死の現実に勝利し、新しいいのちを与えるために来てくださったのに、それを信じようとしない不信仰に対して憤られたのです。

 

それでは「心を騒がせて」とはどういうことでしょうか。イエスはどんな時にも心を騒がせてはならないと言っておられるのに、ここではイエスご自身が心を騒がせておられます。この「心を騒がせる」というのは「タラッソ-」という言葉ですが、かき乱すとか、平静を失うという意味があります。感情を強く揺り動かされることです。ヨハネの福音書では何回も使われています。たとえば、5:4では「水を動かす」とありましたね。そして5:7では「かき回される」とありました。12:27には、「今わたしの心は騒いでいる」とあります。13:21では「心が騒いだ」とあります。イエスは何回も心が騒ぐことがあったのです。どうしてでしょうか?イエスは神だからどんなことにも動揺しないと思われるかもしれませんが、イエスは同時に100%人間でもあられました。血の通った私たちと同じ人間だったのです。つまり、感情を持っておられたのです。だから心の動揺を感じることもあったでしょうし、感情的に高ぶることもあったのです。心が乱されることもありました。へブル4:15-16にこうあります。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」

イエスは私たちの弱さを知っておられます。私たちの痛みを知っておられる。なぜなら、罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように試みに会われたからです。私たちは本当に心が病んでみないと、その人の気持ちはわかりません。肉体的にも病気になってみないと、本当の意味でその人の苦しみはわからないものです。しかし、イエスは私たちの痛み、苦しみ、悩みを知っておられます。私たちと同じ姿になってくださったからです。この方だけが、私たちに本当に同情できる方なのです。

 

そればかりではありません。35節をご覧ください。ここには、イエスがそんな彼らに深く同情されたというだけでなく、涙を流されたとあります。「イエスは涙を流された。」英語では、”Jesus wept” です。聖書の中で最も短い節です。ちなみに、日本語で最も短いのは、ルカ20:30の「次男も」です。英語では、キングジェームズ訳ですと、”And the second took her as wife, and he died childless.と少し長くなります。英語で一番短いのはこの箇所になります。まあ、どうでもいいことですが、ここで大切なことは、イエスは涙を流されたということです。ラザロが死んで、マリアが泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になられ、イエスも涙を流されました。

 

先ほども申し上げたように、イエスが涙を流されたのは聖書に三回出てきます。一回はルカ19:41で、主がエルサレムの都をご覧になった時です。やがてアルサレムが敵によって攻撃され、その町に住む子どもたちを地にたたきつけ、粉々に砕かれることを預言して涙を流されたのです。もう一つは、へブル5:7で、主が祈られた時です。「キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。」そして、もう一回がこの箇所です。どうして主はここで涙を流されたのでしょうか。文脈から見て、最も自然な解釈は、マルタとマリアやそこに来ていた人々の悲しみに同情されたからです。主はマルタやマリアがまもなくラザロの生き返りを見て喜ぶことを十分知っていながら、こうして悲しんでいる人々のために心を動かされ、涙を流されたのです。

 

このことを考えると、泣くことですね、それは決して信仰と矛盾しないことがわかります。日本では泣くことがどこか良しとされないところがあります。逆に、ひんしゅくをかったり、白い眼で見られるということがありますが、悲しみの表現として涙を流すということはむしろ自然なことであり、恥ずかしいことではありません。最近の研究では、このように涙を流すことはストレスの発散につながるとも言われています。でも注意しなければならないことは、このように悲しい時に泣くことは自然なことですが、自分が悲劇のヒロインであるかのように泣くことは、神を冒涜することにもつながりかねないので注意しなければなりません。自己憐憫の涙ですね。それは神中心ではなく、自分が中心となるからです。自分がいかに不幸で、惨めで、かわいそうであるのかを訴えて同情を引き寄せようとすることは、神を冒涜することにつながりかねません。しかし、悲しみを表すことは少しも悪いことではなく、むしろ自然なことであるということ、そして、私たちもそのように悲しんでいる人、苦しんでいる人を見て涙を流すほど、あわれみの心を持つことは大事なことなのです。それがイエスの心です。

 

イエスが涙を流されると、ユダヤ人たちはこう言いました。「ご覧なさい。どんなにラザロを愛しておられたことか。」彼らは素直にイエスの愛をそこで感じ取ったわけです。あなたはこの愛を感じ取っておられますか。そして、悲しんでいる人、苦しんでいる人に対して、イエスのように、あわれみの心を持っておられるでしょうか。イエスは、あなたの悲しみをご覧になられます。そして、そのために心を動かせ、涙を流しておられるのです。私たちもイエスからあわれみと恵みをいただいて、同じように悲しみの中にある人たちにあわれみ深い者とさせていただきたいと思います。

 

この後で賛美する「いつくしみ深き」は、歌われている讃美歌の一つで、教会では礼拝ではもちろんのこと、葬儀や結婚式においてもよく歌われる有名な賛美歌の一つです。

この歌の歌詞を書いたのは、ジョゼフ・スクラビンという19世紀のアイルランド人ですが、彼の生涯は、この世的には全く恵まれないものでした。大学卒業後に事業を営みますが、結婚式を目前にして婚約者を湖の事故で亡くし、事業も破産します。その後アイルランドからカナダに渡り、大学で教鞭を取りながら、不幸な人や貧しい方たちへの奉仕活動にその生涯を献げました。そんな活動の中で出会った女性と婚約するものの、その女性も結核を患い、帰らぬ人となるのです。彼は1度ならず2度までも愛する婚約者を失いました。世をはかなみ、自分の人生をどれほど呪ったことでしょうか。神を恨んでも仕方がないと思えるような状況の中で、彼は郷里のアイルランドで病に苦しむ母を慰めるために、この讃美歌を書いたのです。神を呪いたくなるほどの試練と苦悩を味わいつつ、彼は「苦しむ自分を励まし、力づけてくれたキリストを母に伝えたい」そんな思いがこの歌詞の中には込められています。

  1. いつくしみ深き 友なるイエスは 罪、咎、憂いを とり去りたもう

心の嘆きを 包まず述べて などかは下(おろ)さぬ 負える重荷を

  1. いつくしみ深き 友なるイエスは 我らの弱きを知りて 憐れむ

悩み悲しみに 沈めるときも 祈りにこたえて 慰めたまわん

  1. いつくしみ深き 友なるイエスは 変わらぬ愛もて 導き給う

世の友我らを捨て去る時も 祈りに応えて いたわりたまわん

 

イエスはあなたを深く愛しておられます。あなたの苦しみ、嘆きのすべてをご存知であられるのです。ですから、このイエスにすべての重荷を置いて、なぐさめとあわれみをいただき、同じように苦しんでいる人たちに対して慰めを与える者となりたいと思うのです。

 

Ⅲ.主のあわれみを感じて(36-37)

 

ですから、第三のことは、この主のあわれみに応答しましょうということです。36節と37節をご覧ください。「ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。どんなにラザロを愛しておられたことか。」しかし、彼らのうちのある者たちは、「見えない人の目を開けたこの方も、ラザロが死なないようにすることはできなかったのか」と言った。」

 

イエスが涙を流されたのを見たユダヤ人たちは、「ご覧なさい。どんなにラザロを愛しておられたことか。」と言いましたが、しかし、彼らのうちのある者たちは、「見えない人の目を開けたこの方も、ラザロが死なないようにすることはできなかったのか」と言いました。つまり、このように主のあわれみを素直に感じ取る人々もいましたが、そうでない人もいたということです。このような人は、いつでも悪意を持っている人であって、批判の目を持って見てばかりいる人です。

 

あなたは、この二つのタイプのうち、どちらでしょうか。あわれみ深いイエスが目の前にいても、それを認めようとしない、ねじけた心は、下向きに置かれた器のように、どんなに雨が降ってもそれを受け止めることができません。上向きの器にしか雨水はたまらないのです。それと同じように、主に対して心を閉ざしている人は、下向きの心の人です。しかし心が主に向いている人には、主の恵み、あわれみが十分注がれます。あなたの心はどちらに向いているでしょうか。「私はこれを心に思い返す。それゆえ、私は言う。「私は待ち望む。主の恵みを。」実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。」」(哀歌3:21-23)主のあわれみは尽きることがありません。それは朝毎に新しいのです。あなたも、この尽きない主のあわれみを感じ取り、ぜひこの恵みの中に生きる者となろうではありませんか。

出エジプト記17章

きょうは、出エジプト記17章から学びます。

 

Ⅰ.マサ、またメリバ(1-7)

 

まず、1-7節をご覧ください。

「イスラエルの全会衆は、主の命によりシンの荒野を旅立ち、旅を続けてレフィディムに宿営した。しかし、そこには民の飲み水がなかった。民はモーセと争い、「われわれに飲む水を与えよ」と言った。モーセは彼らに「あなたがたはなぜ私と争うのか。なぜ主を試みるのか」と言った。民はそこで水に渇いた。それで民はモーセに不平を言った。「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのか。私や子どもたちや家畜を、渇きで死なせるためか。」そこで、モーセは主に叫んで言った。「私はこの民をどうすればよいのでしょう。今にも、彼らは私を石で打ち殺そうとしています。」主はモーセに言われた。「民の前を通り、イスラエルの長老たちを何人か連れて、あなたがナイル川を打ったあの杖を手に取り、そして行け。さあ、わたしはそこ、ホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む。」モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりに行った。それで、彼はその場所をマサ、またメリバと名づけた。それは、イスラエルの子らが争ったからであり、また彼らが「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。」

 

イスラエルの全会衆は、シンの荒野を旅立ち、旅を続けてレフィディムに導かれました。レフィディムに着くと、今までよりもさらに深刻な状況が訪れました。「そこには飲み水がなかった」のです。いったいなぜこのような試練があるのでしょうか。それは、彼らの信仰を試すためです。ここには「主の命により」(1)とあります。イスラエルの民がシンの荒野からレフィディムに向かったのは、主がそのように導かれたからです。そうであれば、主が最後までちゃんと導いてくださるはずです。それなのに、イスラエルの民はそのように受け止められませんでした。2節をご覧ください。ここには、「民はモーセと争い、「われわれに飲む水を与えよ」と言った。」とあります。彼らはモーセに訴えました。ただ訴えたのではありません。ここには「争い」とあります。彼らはモーセと争ったのです。つぶやきが、争いに変わりました。

 

それに対するモーセは何と言ったでしょうか。「あなたがたはなぜ私と争うのか。なぜ主を試みるのか」と言いました。どういうことですか。7節には、「『主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。」とあります。つまり、彼らは主が彼らの間におられるのかどうか、主が彼らを本当に守ってくれるのかどうかを試みたのです。主を試みることは罪です。イエスは申命記6:16を引用して、「あなたの神である主を試みてはならない」と言われました。それなのに彼らは主を試したのです。

 

イスラエルの民は、さらにモーセに反撃しました。3節、「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのか。私や子どもたちや家畜を、渇きで死なせるためか。」と。これは少し前に、彼らがエジプトを出て荒野に導かれた時に叫んだ叫びと同じです。のど元過ぎれば熱さ忘れる、です。彼らは、以前主がどのように追って来るエジプト軍から救われたかをすっかり忘れていました。何と目の前の紅海を分け、そこに乾いた道を作って救われました。ものすごい奇跡です。その大いなる主のみわざを忘れていたのです。

 

彼らの誤解は、自分たちをエジプトから連れ上ったのはモーセであると思っていたことでした。しかし、イスラエルの民をエジプトから連れ上ったのはモーセではなく主です。彼らはそのことを忘れていたのです。また、「私や子どもたちや家畜を、渇きで死なせるためか。」と言っていますが、あのマラでの出来事もすっかり忘れています。

 

民の不満を聞いて、モーセはいつものように主に祈りました。それは祈りというよりも叫びでした。というのは、民の不満は単なる不満の域を越え、暴徒化していたからです。すると主は、「民の前を通り、イスラエルの長老たちを何人か連れて、あなたがナイル川を打ったあの杖を手に取り、そして行け。さあ、わたしはそこ、ホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む。」(5-6)と言われました。

 

「民の前を通り」とは、民はあなたを打つことはないから堂々と行けいうことです。また「イスラエルの長老たちを何人か連れて」というのは、証人となる人を連れて行けということです。確かに、モーセが奇跡を行ったと証言する人が必要でした。そうでないと、民はそれを否定するでしょう。「ナイル川を打ったあの杖を手に取り」とは、「杖」とは神の権威と力を象徴していました。今、神が、再びご自分の大いなる御業をお示しになるというしるしです。それを見れば、民も希望を抱くようになるでしょう。さらに主は、「さあ、わたしはそこ、ホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む。」と言われました。これは主がこの問題の解決のために積極的に関わってくださるということです。モーセが岩を打てば、そこから水が流れ出て、民はそれを飲むようになるのです。

モーセはそのとおりにしました。するとどうでしょう。岩から水が出て、イスラエルの民はそれを

飲みました。これはどういうことでしょうか。詩篇78:15-16には、その情景を詳しく描いています。「荒野で神は岩を割り大いなる深淵の水を豊かに飲ませてくださった。あふれる流れを岩からほとばしらせ水を豊かな川のように流れさせてくださった。」

岩から出た水は、ちょろちょろとした流れではありませんでした。それはほとばしり出る水でした。勢いよく飛び散る、激しく流れ出る豊かな川のように流れる水だったのです。主は岩から水が流れ出るようにされました。しかも、ちょろちょろとした流れの水ではなく、ほとばしり出る水です。このことはどんなことを意味していたのでしょうか。

 

主イエスはサマリアの女にこう言われました。「この水を飲む人はみな、また渇きます。 しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネ4:13-14)主イエスは私たちに決して渇くことのない水を与えてくださいます。それは永遠のいのちへの水です。ヨハネ7:39には、それは後になってから受ける聖霊のことであるとあります。主イエスはその水を与えてくださるのです。

 

それにしても、なぜ、岩を打つ必要があったのでしょうか。実は、民数記20章に似たような出来事が記してあります。1-13節です。少し長いですが、開いて確認してみましょう。これは同じ「メリバ」という地名での出来事ですが、場所は異なります。しかも、これは約40年後のことです。このメリバで主は、「岩に命じなさい」と言われました。しかし、モーセは主のことばに従わないで、岩を打ってしまいました。しかも二度までも・・・。その結果、水はほとばしり出たのですが、主はモーセに、「あなたは約束の地に入ることはできない。」と言われました。いったい何が問題だったのでしょうか。  Ⅰコリント10:1-4を開いてください。ここには、「兄弟たち。あなたがたには知らずにいてほしくありません。私たちの先祖はみな雲の下にいて、みな海を通って行きました。そしてみな、雲の中と海の中で、モーセにつくバプテスマを受け、みな、同じ霊的な食べ物を食べ、みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。」とあります。このところを見ると、あの「岩」とはキリストであったことがわかります。イスラエルの民は、「主は私たちの中におられるのか。」と言って主を試みましたが、主は実際はおられたのです。それがキリストであり、パウロは、「その岩とはキリストのことです。」と言ったのです。つまり、モーセが打った岩とはキリストのことだったのです。キリストは、聖書の至るところに「岩」とか「石」にたとえられています。教会の礎であり、かなめ石です。また、終わりの日に世界の諸国をことごとく打ち砕く石であり、救いの岩です。そして、その岩を打つということはどういうことかというと、キリストが十字架で死なれることを表していました。イザヤ書53:4には、「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。」とあります。これはキリストが十字架で打たれることを指していたのです。私たちは、その打ち傷によって癒されるのです。そして、民数記には岩を打つのではなく、岩に命じるように(岩に語るように)と言われました。なぜでしょうか。それはキリストが再び死ぬ必要はなかったからです。キリストは、すべての人のために、ただ一度だけ死なれたのです。

そして、岩から水があふれ出ましたが、この水についてパウロは、「御霊の飲み物」と呼んでいます。さらに、詳しく見るためにヨハネ7:37-39を見てください。ここには、「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。」とあります。ですから、岩から出た水は御霊のことを表していました。キリストの十字架の御業を信じた者には、この神の御霊、聖霊の満たしを与えてくださるのです。  つまり、こういうことです。イスラエルの民は不信仰になって神がおられるかどうか試しましたが、神はご自分が彼らの中におられることを示すために、キリストなる岩を見せてくださり、キリストが打たれることで、そこから聖霊があふれ出る事を表してくださったのです。このことを信じる者は、聖書が言っているように、その人の心の奥底から聖霊の水が流れ出るようになります。神がともにおられることを絶えず経験することができるのです。主が私たちの中におられることを体験し、私たちをとおして周りの人に潤いをもたしてくださることを知ることができるのです。
モーセはその所の名を「マサ」、また「メリバ」と名付けました。「マサ」とは、「試みる」あるいは、「テストする」という意味です。イスラエルの民が主を試みたので、そういう名前になりました。もう一つは「メリバ」です。意味は「争う」です。イスラエルの民がモーセと争ったので、そういう名前になりました。私たちは、イスラエルの民のように不信仰になり、ここに神がおられるかどうかと神を試したりするのではなく、ここに主がおられることを信じることによって、主の与えてくださる御霊の豊かさの中を生きる者となりましょう。

 

Ⅱ アマレクとの戦い(8-13)

 

次に、8-13節をご覧ください。

「さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で討ち破った。」

 

イスラエルがレフィディムにいたとき、今度はアマレク人の攻撃を受けます。アマレクとの戦いは、イスラエルにとって最初の戦いとなります。それはイスラエルの存立に関わる重大な事件でした。いったいイスラエルは、どのようにアマレクと戦ったでしょうか。

 

まず、モーセはヨシュアを指揮官に任命してこう命じました。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」(9)「男たちを選び」とは、最強の兵士たちを選び、陣営を整えるということです。戦いにおける勝利の秘訣は、最も優秀な兵士を揃えることです。

 

しかし、それだけでは戦いに勝つことはできません。最も重要なことは、自分の力ではなく、神の力で戦うことです。それでモーセは、さらにこう言いました。「私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」散歩するためではありません。とりなしの祈りをささげるためです。ヨシュアはモーセが言ったとおり、アマレクと戦い、モーセとアロンとフルは丘の頂に登りました。そして、モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手をおろすとアマレクが優勢になりました。すなわち、この戦いの勝敗の鍵は、モーセの祈りにあったのです。それで、彼らはモーセの手が下りないように必死に支えました。アロンとフルが一人はこちらから、もう一人はあちらからモーセの手を支えました。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていたので、イスラエルはアマレクを打ち破ることができました。いったいこの出来事はどんなことを私たちに教えているのでしょうか。

 

霊の戦いにおける勝利の鍵は、祈りにあるということです。エペソ6:18には、「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」とあります。私たちの戦いは血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、この戦いでは神の武具を身に着けなければなりません。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべての上に、信仰の盾を取らなければなりません。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができるからです。救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取らなければなりません。そして、あらゆるときに、御霊によって祈らなければなりないのです。それによって敵である悪魔に勝利することができます。悪魔は私たちが想像している以上に手ごわい相手です。この敵に自分の力で対抗しようものならひとたまりもありません。しかし、神が与えてくださる御霊の武具を取り、それによって戦うなら必ず勝利することができます。どんな時にも目を覚まし、御霊によって祈らなければならないのです。モーセの手が重くなってきたように、祈ることは戦いなのです。敵は、なんとかして私たちが祈るのを妨げようとしています。祈ることが勝利の決め手であると悟らせないようにしようとするのです。だから戦いなのです。そして、モーセの手が重くなったときに、アロンとフルが手を支えました。私たちには祈りの支えが必要です。互いに祈り合うことが必要なのです。そして指導者であるモーセが支えられたように、教会の指導者は祈りによって支えられなければいけません。 大事なことは、戦いはヨシュアにあったのではなくモーセにあったということです。

 

また、このモーセを支えた二人の援助者の存在を忘れてはなりません。アロンとフルです。このフルという人物がだれであったのかは不明ですが、ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、これがモーセの姉ミリアムの夫であったとしています。この二人の援助によって、モーセは日が沈むまで継続して祈りをささげることができ、ヨシュアに勝利をもたらしました。祈る人も大切ですし、それを支える人も大切です。また、ヨシュアのように実際に出て行って戦う人も大切です。あなたにはどのような役割が与えられているでしょうか。神の栄光と、神の家族の勝利のために、自分に与えられている役割を果たしましょう。

 

Ⅲ.アドナイ・ニシ(14-16)

 

最後に14-16節を見て終わりたいと思います。

「主はモーセに言われた。「このことを記録として文書に書き記し、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去る。」モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、そして言った。「主の御座の上にある手。主は代々にわたりアマレクと戦われる。」」

 

イスラエルがアマレクとの戦いに勝利した後、主はモーセに、「このことを記録として文書に書き記し、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去る。」と言われました。その目的は、ヨシュアに読んで聞かせるためです。これは次世代のリーダー訓練のためであったのです。そして、主はアマレクの記憶を天の下から永遠に消し去ると言われました。それはアマレクが神の民イスラエルに敵対し、神の計画に反抗したからです。

 

モーセは祭壇を築き、それを「アドナイ・ニシ」と呼びました。それは「主がわが旗」という意味です。勝利の旗です。主が勝利をもたらしてくださいます。16節には、「主の御座の上の手」とあります。これは、主が手を上げられたという意味です。主が手を上げられるとき、勝利が与えられます。主は世々にわたりアマレクと戦われるのです。

 

悪魔の攻撃を受けるとき、このアマレクとの戦いを思い起こしましょう。私たちのためには、大祭司であられるイエス様がいつもとりなしていてくださいます。主イエスの執り成しの祈りを思い出し、勇気と力をいただいて、悪魔に立ち向かっていきましょう。キリストが勝利の旗です。私たちはキリストによって悪魔に勝利することができるのです。

Ⅰサムエル記6章

サムエル記第一6章から学びます。

 

Ⅰ.祭司たちと占い師たちの進言(1-9)

 

まず、1~9節までをご覧ください。

「主の箱は七か月間ペリシテ人の地にあった。ペリシテ人は祭司たちと占い師たちを呼び寄せて言った。「主の箱をどうしたらよいでしょうか。どのようにして、それを元の場所に送り返せるか、教えてください。」彼らは答えた。「イスラエルの神の箱を送り返すのなら、何もつけないで送り返してはなりません。神に対して償いをしなければなりません。そうすれば、あなたがたは癒やされるでしょう。また、なぜ、神の手があなたがたから去らないかが分かるでしょう。」人々は言った。「私たちが送るべき償いのものは何ですか。」彼らは言った。「ペリシテ人の領主の数に合わせて、五つの金の腫物、つまり五つの金のねずみです。彼ら全員、つまりあなたがたの領主たちに、同じわざわいが下ったのですから。あなたがたの腫物の像、つまり、この地を破滅させようとしているねずみの像を造り、それらをイスラエルの神に貢ぎとして献げなさい。もしかしたら神は、あなたがたと、あなたがたの神々、そしてあなたがたの地の上にのしかかっている、その手を軽くされるかもしれません。なぜ、あなたがたは、エジプト人とファラオが心を硬くしたように、心を硬くするのですか。神が彼らに対して力を働かせたときに、彼らはイスラエルを去らせ、イスラエルは出て行ったではありませんか。今、一台の新しい車を用意し、くびきを付けたことのない、乳を飲ませている雌牛を二頭取り、雌牛を車につなぎ、その子牛は引き離して小屋に戻しなさい。また、主の箱を取って車に載せなさい。償いとして返す金の品物を鞍袋に入れて、そのそばに置きなさい。そして、それが行くがままに、去らせなければなりません。注意して見ていなさい。その箱がその国境への道をベテ・シェメシュに上って行くなら、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのはあの神です。もし行かないなら、神の手が私たちを打ったのではなく、私たちに偶然起こったことだと分かります。」

 

神の箱がペリシテの五つの町のいくつかの町々、アシュドデ、ガテ、エクロンに運ばれると、主の手がその町々の住民に重くのしかかり、非常に大きな恐慌を引き起こし、彼らを腫物で打ちました。5:12には、「助けを求める町の叫び声は天にまで上った。」とあります。主の箱は七カ月間ペリシテの領地にありました。それでペリシテ人は祭司たちと占い師たちを呼び集め、この主の箱をどのようにしたらよいかを協議します。どのようにして、それを元の場所に送り返せるかを、尋ねたのです。

 

すると彼らは、イスラエルの神を送り返すのなら、何もつけないで返してはならないと言いました。神に対して償いをしなければなりません。そうすれば彼らは癒され、なぜ神の手が彼から去らないのかがわかるだろうと言いました。「償い」は、新改訳第三版では「罪過のためのいけにえ」と訳しています。要するに、彼らは自分たちが罪を犯したことを認めているのです。イスラエルの物を奪ってしまったという罪です。何を盗んだんですか?神です。彼らは何とイスラエルの神を盗んでしまったのです。それを送り返すには、何もつけないでというわけにはいきません。その償いをしなければならない。ペリシテ人がしなければならない償いとはどんなものでしょうか。

 

4節には彼らが送るべき償いとはどんなものかが記されてあります。すなわち、ペリシテ人の領主の数に合わせて、五つの金の腫物、つまり五つの金のねずみです。ここに彼らが苦しんだ腫物がどのようなものであったかがわかります。すなわちそれは、ねずみが感染源となって引き起こされる腫物であったということです。それがリンパ腺の腫物であれば、最終的には卵くらいの大きさになったでしょう。彼らが償いとして五つの金のねずみを送ったのはそのためでした。それらをイスラエルの神に貢ぎとして送れば、もしかしたら、イスラエルの神は、彼らと彼らの神々、そして彼らの地にのしかかっている、神の手を軽くしてくれるのではないかと考えたのです。

 

なぜ彼らはそのように考えたのでしょうか。6節をご覧ください。ここには、「なぜ、あなたがたは、エジプト人とファラオが心を硬くしたように、心を硬くするのですか。神が彼らに対して力を働かせたときに、彼らはイスラエルを去らせ、イスラエルは出て行ったではありませんか。」とあります。ここで彼らは400年以上も前の出来事を取り上げています。すなわち、イスラエルの民がエジブトから出た出来事です。400年以上も前のあの出来事が、彼らの心に鮮明に記録されていたのです。彼らはその歴史に言及して、だから心をかたくなにしてはならないと進言したのです。

 

では、具体的にどうしたらいいのでしょうか。7節を見てください。彼らの提案は、神の箱を新しい車に乗せ、まだ乳離れしていない子牛を持つ2頭の雌牛に引かせるというものでした。勿論、償いとして返す金の品物を添えてです。そしてその牛を行くがまま、去らせるのです。もしその箱が国境を越えてベテ・シェメシュに上って行くのなら、自分たちにこの大きなわざわいをもたららしたのはイスラエルの神であるということがはっきりとわかります。もし行かないのなら、それは神の手が打ったのではなく、偶然に起こったことだと分かります。どういうことかというと、雌牛は本来子牛のところに行きたいという本能がありますから、もしその本能に逆らってイスラエルの地に向かうとしたら、そのわざわいはイスラエルの神によってもたらされたものであることがわかるということです。ベテ・シェメシュという町はイスラエルの町ですがこの町はレビ人たちの町ですから、神の箱がそこに行けば、彼らはどうしたら良いかがわかるでしょう。

 

これらのことからどのようなことが言えるでしょうか。苦難の中から神の声が聞こえてきたら、ただちに悔い改めるべきであるということです。ペリシテ人たちは、自分たちに神の手が重くのしかかっていても、七カ月間もそれを放置しておきました。その原因がイスラエルの神の箱にあるということがわかっていても、です。その結果、ペリシテ人の町中に助けを求める叫び声が絶えませんでした。苦難の中から神の声が聞こえてきたなら、ただちに悔い改めるべきです。そうすれば、主は赦してくださいます。罪の悔い改めこそ、神との和解を土台とした希望と喜びに満ちた人生の出発点となります。へブル3:15には、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」とあります。あなたは、主の御声を聞くとき心を頑なにしていませんか。主の御前にへりくだり、ただちに悔い改めましょう。

 

Ⅱ.ベテ・シェメシュに運ばれた神の箱(10-18)

 

次に、10-18節をご覧ください。

「人々はそのようにした。彼らは乳を飲ませている雌牛を二頭取り、それを車につないだ。子牛は小屋に閉じ込めた。そして主の箱を車に載せ、また金のねずみ、すなわち腫物の像を入れた鞍袋を載せた。雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一本の大路をまっすぐに進んだ。鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、その後について行った。ベテ・シェメシュの人たちは、谷間で小麦の刈り入れをしていたが、目を上げると、神の箱が見えた。彼らはそれを見て喜んだ。車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に来て、そこにとどまった。そこには大きな石があった。人々は、車の木を割り、雌牛を全焼のささげ物として主に献げた。レビ人たちは、主の箱と、そばにあった金の品物の入っている鞍袋を降ろし、その大きな石の上に置いた。その日、ベテ・シェメシュの人たちは全焼のささげ物を献げ、いけにえを主に献げた。ペリシテ人の五人の領主は、これを見て、その日エクロンに帰った。ペリシテ人が償いとして主に返した金の腫物は、アシュドデのために一つ、ガザのために一つ、アシュケロンのために一つ、ガテのために一つ、エクロンのために一つであった。すなわち、金のねずみは、五人の領主に属するペリシテ人の町の総数によっていた。それは、砦の町と城壁のない村の両方を含んでいる。彼らが主の箱を置いたアベルの大きな台は、今日までベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑にある。」

 

ペリシテ人たちは、祭司たちや占い師たちの助言を受け、新しい車に神の箱と金のねずみを乗せ、2頭の雌牛につないで引かせました。雌牛は、子牛恋しさに泣きながら進み続け、右にも左にもそれることなく、ベテ・シャメシュの方へまっすぐに進んで行きました。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、その後をついて行きました。神の箱が国境を越えベテ・シェメシュに行った時、彼らは、イスラエルの神がこの雌牛を導いていることがはっきりとわかりました。

 

ベテ・シェメシュは、エクロンから南東に10㎞、ガテからは北東に10㎞にある国境の町です。ベテ・シェメシュの人たちは、谷間で小麦の刈り取りをしていました。しかし、目を上げると、神の箱が見えるではありませんか。彼らはそれを見て大いに喜びました。彼らは小麦の刈り入れ以上に、神の箱が戻って来たことを喜んだのです。

 

車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に来て、そこにとどまりました。そこに大きな石があったからです。それで人々は、車の木を割り、その雌牛を全焼のいけにえとしてささげました。全焼のいけにえは血の犠牲が必要であることを知っていたからです。彼らにとってどれほどうれしかったでしょう。ペリシテ人に奪われていた契約の箱が戻って来たのですから。しかし、その喜びとは裏腹に、この町もまた神のさばきを受けることになります。

 

Ⅲ.神に打たれたベテ・シェメシュの人たち(19-21)

 

19-21節をご覧ください。

「主はベテ・シェメシュの人たちを打たれた。主の箱の中を見たからである。主は、民のうち七十人を、すなわち、千人に五人を打たれた。主が民を激しく打たれたので、民は喪に服した。ベテ・シェメシュの人たちは言った。「だれが、この聖なる神、主の前に立つことができるだろう。私たちのところから、だれのところに上って行くのだろうか。」彼らはキルヤテ・エアリムの住民に使者を遣わして言った。「ペリシテ人が主の箱を返してよこしました。下って来て、あなたがたのところに運び上げてください。」」

 

19節には、「主はベテ・シェメシュの人たちを打たれた。」とあります。どうして主はベテ・シェメシュの人たちを打たれたのでしょうか。ここには、その理由として「主の箱の中を見たからである。」と述べられています。しかし、ベテ・シェメシュの人たちが打たれたのは、ペリシテの人たちに下った神のさばきとは違います。彼らは主の箱を見たので打たれたのです。これは明らかにモーセの律法に違反することでした。民数記4:17-20を開いてください。ここには、「主はモーセとアロンにこう告げられた。「あなたがたは、ケハテ人諸氏族の部族をレビ人のうちから絶えさせてはならない。あなたがたは彼らに次のようにして、彼らが最も聖なるものに近づくときに、死なずに生きているようにせよ。アロンとその子らが入って行き、彼らにそれぞれの奉仕と、運ぶ物を指定しなければならない。彼らが入って行って、一目でも聖なるものを見て死ぬことのないようにするためである。」」とあります。モーセの律法によると、主の箱を取り扱うことができたのはレビ人だけでした。そのレビ人の中でも神の箱をかつぐことができたのはケハテ族だけでした。しかも、それを手で触れてはならなかったので、かつぐ時には所定の棒を用いなければならなかったのです。ゲルション族とメラリ族は、神殿の用具を運ぶことさえ許されていませんでした。そのケハテ族でさえ、その中を見ることは許されていませんでした。それに触れるなら、一目でもそれを見るなら死んでしまうからです。神は、人間が見ることも触れることもできないほど聖いお方なのです。ベテ・シェメシュの人たちは、この神の箱の中を見てしまいました。彼らは、神の前に不敬虔な態度を取ったので、神のさばきが彼らの上に下ったのです。その日打たれた人数は70人です。それは1,000人に5人ですから、ベテ・シェメシュの人口は14,000人であったことがわかります。

 

それでベテ・シェメシュの人たちはどうしたでしょうか。彼らは、「だれが、この聖なる神、主の前に立つことができるだろう。私たちのところから、だれのところに上って行くのだろうか。」(20)と言って、キルヤテ・エアリムの住民に使いを送り、彼らのところに下って来て、この主の箱を運び上げてほしいと言いました。だから違うというのに、わかっていません。問題は、この神の箱がベテ・シェメシュに来たことではなく、彼らが神の命令に背いて、神の箱の中を見てしまったことです。神の箱が問題だったのではありません。むしろ、神の箱は神の臨在の象徴であって、神が共におられることのしるしでしたから、すばらしい祝福なのです。彼らはこのすばらしい祝福を自ら放棄してしまうことになってしまいました。なぜでしょうか。自分たちの過ちには目をつぶり、ただ神の箱がもたらす恐ろしいさばきだけを見ていたからです。もし彼らが敬虔な態度で神の箱を守っていたら、彼らの町は大いに祝福されたのです。彼らが成すべきことは神の箱を追放することではなく、悔い改めることだったのです。

 

でも、私たちもこのような過ちを犯していることがあるのではないでしょうか。問題は自分の中にあるのにそれを見ないというか、それに蓋をして見えないようにし、原因を他の何かになすりつけようとするのです。神のことばによって罪が指摘されたのにそれを悔い改めるのではなく、神のことばそのものを通さげようとします。このような態度ではいつまでも祝福されることはありません。原因は自分の中にあることをしっかりと受け止め、それを悔い改め、神のことばに従って歩もうではありませんか。