士師記15章

士師記15章からを学びます。まず1節から8節までをご覧ください。

 

Ⅰ.サムソンの怒り(1-8)

 

「しばらくたって、小麦の刈り入れの時に、サムソンは子やぎを一匹持って自分の妻を訪ね、「私の妻の部屋に入りたい」と言ったが、彼女の父は入らせなかった。

彼女の父は言った。「私は、あなたがあの娘を嫌ったのだと思って、あなたの客の一人に与えた。妹のほうがきれいではないか。あれの代わりに妹をあなたのものにしてくれ。」

サムソンは彼らに言った。「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私は潔白だ。」

それからサムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえた。そして、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、二本の尾の間にそれぞれ一本のたいまつをくくり付けた。

彼はそのたいまつに火をつけ、それらのジャッカルをペリシテ人の麦畑の中に放し、束ねて積んである麦から、立ち穂、オリーブ畑に至るまで燃やした。

ペリシテ人たちは言った。「だれがこんなことをしたのか。」すると彼らは「あのティムナ人の婿サムソンだ。あの人が彼の妻を取り上げて、客の一人にやったからだ」と言った。ペリシテ人は上って来て、彼女とその父を火で焼いた。

サムソンは彼らに言った。「おまえたちがこういうことをするなら、私は必ずおまえたちに復讐する。その後で、私は手を引こう。」

サムソンは彼らの足腰を打って、大きな打撃を与えた。それから、彼は下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。」

 

「しばらくたって」とは、14章の出来事からしばくたってということです。サムソンは、ペリシテの娘

が気に入りティムナに下って行って彼女と結婚しましたがその祝宴でした謎かけに失敗し、怒りに燃えて自分の父の家に帰って行きました。その間サムソンの妻はどうなったかというと、彼につき添った客の一人のものとなってしまいました。それからしばらくたってのことです。

 

小麦の刈り入れの時に、サムソンは子やぎ一匹を持って自分の妻の家を訪ね、「私の妻の部屋に入りたい」と言いました。これには「通い婚」という制度が背景にあります。アラブ人の間では、今日でもこの通い婚を実行している人たちがいるそうです。この通い婚では、通って来る夫はみやげ物を持ってくるのが習わしとなっています。サムソンがここで子やぎ一匹を持ってきたというのも、そのためでした。

 

しかし、彼女の父はサムソンを家の中へ入らせませんでした。なぜなら、サムソンが自分の父の家に帰ったとき、娘を別の男に与えてしまったからです。それで、彼女の父は、代わりに妹を妻にしてくれないかと頼みましたが、サムソンは激怒して、「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私は潔白だ。」と言いました。

 

それで彼はどうしたかというと、ジャッカル三百匹を捕らえ、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、その間にたいまつをくくり付け、麦畑の中に放ちました。それで、積んである麦から、立ち穂、オリーブ畑に至るまで、すべて燃え尽きてしまいました。これは、ペリシテ人にとって大打撃となりました。

 

それでペリシテ人たちは怒り、だれがこんなことをしたのかと言うと、ティムナ人の婿であるサムソンだということがわかりましたが、その矛先をサムソンではなく、サムソンの妻と父に向け、彼らを火で焼いてしまったのです。

 

するとサムソンは、「おまえたちがこういうことをするなら、私は必ずおまえたちに復讐する。その後で、私は手を引こう。」と言って、今度は、妻とその父を焼き殺した人々を殺しました。何とも悲しい結末です。いったい何がこのような結果を招いてしまったのでしょうか。

 

サムソンの妻の父は、サムソンを裏切ることで災難を免れようとしましたが、結果的にはサムソンを裏切ったために、その災難を受けることになってしまいました。また、ペリシテの人たちも、それがサムソンの妻とその夫のためだとわかると、彼らを火で焼いて殺してしまったことで、彼らもまた災難を受けることになってしまいました。しかし、これらの出来事は、もとはと言えば神に選ばれたナジル人のサムソンが、その神の命令に背いたことに原因があったのです。彼は神の命令に背いて異邦人と結婚したかと思えば、ナジル人であることを自覚していたのにぶどうの実を食べたり、汚れたものに近づいたりしました。もとはといえば、すべてサムソンが招いた悲劇だったのです。

 

人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになるということです(ガラテヤ6:7)。箴言22章8節、9節には、次のようにあります。

「不正を蒔く者はわざわいを刈り取る。こうして彼への激しい怒りのむちは終わる。善意の人は祝福を受ける。自分のパンを貧しい者に与えるからだ。」

不正の種を蒔く者はわざわいを刈り取ります。反対に、善意の人は祝福を受けます。人は種を蒔けば、その刈り取りをするようになるのです。良い種を蒔けば、良い実を刈り取り、悪い種を蒔けば、悪い実を刈り取るようになります。

サムソンも、サムソンの妻とその父も、そしてペリシテ人たちも、みな悪い種を蒔きました。その結果、悪い実を結んだのです。あなたは、どのような種を蒔いているでしょうか。不正の種を蒔く者ではなく、善意の種を蒔きましょう。神のみことばに従って、正しい道を歩ませていただこうではありませんか。

 

Ⅱ.ろばのあご骨で三千人を打ち殺したサムソン(9-18)

 

次に、9節から18節までをご覧ください。まず13節までをお読みします。

「ペリシテ人が上って来て、ユダに向かって陣を敷き、レヒを侵略したとき、ユダの人々は言った。「なぜおまえたちは、私たちを攻めに上って来たのか。」彼らは言った。「われわれはサムソンを縛って、彼がわれわれにしたように、彼にもしてやるために上って来たのだ。」

そこで、ユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った。「おまえは、ペリシテ人がわれわれの支配者であることを知らないのか。おまえはどうしてこんなことをしてくれたのか。」サムソンは言った。「彼らが私にしたとおり、私は彼らにしたのだ。」

彼らはサムソンに言った。「われわれはおまえを縛って、ペリシテ人の手に渡すために下って来たのだ。」サムソンは言った。「あなたがたは私に討ちかからないと誓いなさい。」

彼らは答えた。「決してしない。ただおまえをしっかり縛って、彼らの手に渡すだけだ。われわれは決しておまえを殺さない。」こうして、彼らは二本の新しい綱で彼を縛り、その岩から彼を引き上げた。」

 

人は種を蒔けば、その刈り取りをするようになるというみことばの原則が、今度はサムソンに適用されます。サムソンがペリシテ人たちに大きな打撃を与えると、ペリシテ人たちが上って来て、ユダに向かって陣を敷きました。レヒはユダ族の領地にあった町です。

 

レヒの人々は、ペリシテ人たちが上って来た理由がサムソンにあることを知り、エタムの岩の裂け目にいたサムソンのところに下って行きますが、ここには三千人でやって来たとあります。なぜこれほど大勢の人たちでやって来たのでしょうか。サムソンは何も持たずに獅子を引き裂いた人です。これだけの人がいれば、どんなに力のあるサムソンでも捕らえることができると思ったのでしょう。

しかし、それだけいればペリシテ人と戦うこともできたはずです。あのギデオンは、主の勇士300人でミデヤン人と戦って勝利しました。それなのに彼らは、それほどの人がいてもペリシテ人と戦おうとしまなかったのです。なぜでしょうか。11節で彼らは、「ペリシテ人がわれわれの支配者であることを知らないのか」(11)と言っていますが、ペリシテ人を倒せると思っていなかったからです。つまり、彼らは主が彼らを救ってくださるということを信じていなかったということです。そのような信仰がなかったのです。

 

私たちも主が救いを与えてくださる方であるということをわきまえていないと、ギデオンのような偉大な主の御業を見ることができないばかりか、このようにかえって神に用いられている器に敵対することで、結果的に主の働きそのものを阻むことになってしまうことがあります。彼らはペリシテに支配されていても、主がそこから解放してくださると信じなければならなかったのです。

 

レヒの人々がそのことをサムソンに言うと、彼は自分に討ちかからないことを条件に、彼らの言うことを受け入れました。それは、同胞のイスラエル人を殺したくなかったからです。こうして、彼は二本の新しい綱で縛られ、ペリシテ人に引き渡されました。

 

ペリシテ人に引き渡されたサムソンはどうなったでしょうか。14節から17節までをご覧ください。

「サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、主の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕に掛かっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、その縄目が手から解け落ちた。

サムソンは真新しいろばのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、それで千人を打ち殺した。サムソンは言った。「ろばのあご骨で、山と積み上げた。ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」こう言い終わると、彼はそのあご骨を投げ捨てた。彼はその場所を、ラマテ・レヒと名づけた。 」

 

サムソンの姿を見たペリシテ人たちは、大声を上げて喜びました。戦わずして、サムソンを捕らえることができたからです。しかし、彼らはサムソンが神のナジル人であることを理解していませんでした。彼には全能の主の力が与えられていたのです。その主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼を縛っていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、焼け落ちてしまいました。すると、サムソンは真新しいろばのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、それで千人のペリシテ人を打ち殺しました。いったいこの力はどこから来たのでしょうか。この力は彼の内側から来たのではなく、神から来たものでした。主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はろばのあご骨で千人の敵を打ち殺すことができたのです。

 

これは、私たちにも言えることです。たとえ、私たちを縛るものがあっても、主の霊があなたに下るなら、その縄目は焼け落ちてしまいます。主の霊はあなたを開放し、自由にすることができるのです。さらに、取るに足りない「ろばのあご骨」のような私たちを用いて、神の敵を打ち破ることができるのです。使徒1章8節には、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」とあるとおりです。

 

あなたを縛っているものがありますか。この新しい一年が、主の聖霊が臨み、敵に勝利する一年とさせていただきましょう。ユダの人々のようにただ敵の言うままになるのではなく、自らを神にささげ、主の勝利を得させていただこうではありませんか。

 

Ⅲ.エン・ハ・コレ(18-20)

 

最後に、18節から20節を見て終わりたいと思います。

「そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主を呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えてくださいました。しかし今、私は喉が渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」

すると、神はレヒにあるくぼんだ地を裂かれたので、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで元気を回復し、生き返った。それゆえ、その名はエン・ハ・コレと呼ばれた。それは今日もレヒにある。こうして、サムソンはペリシテ人の時代に二十年間イスラエルをさばいた。」

 

「そのとき」とは、サムソンがろばのあご骨でペリシテ人千人を撃ち殺したときのことです。サムソンはひどく渇きを覚えました。なぜなら、ユダの人々はサムソンによって助け出されたのに、彼に援助の手を差し伸べようとしなかったからです。そこで彼は、主を呼び求めて言いました。彼は、このペリシテに対する勝利が、主によってもたらされたものであることをよく認識していました。それなにいま喉が渇いて死にそうであり、このままではペリシテ人と戦うことができなくなり、彼らの手に落ちることになってしまうと訴えているのです。

 

すると、神はその祈りにただちに答え、レヒにあるくぼんだ地を裂かれたので、そこから水が出ました。サムソンはその水を飲んで元気を回復し、生き返りました。それゆえ、その名は「エン・ハコレ」と呼ばれました。その意味は、「呼ばわる者の泉」です。

 

皆さん、主は呼ばわれる者の泉です。詩篇34篇6~8節には、「この苦しむ者が呼ぶと主は聞かれすべての苦難から救ってくださった。主の使いは主を恐れる者の周りに陣を張り彼らを助け出される。味わい見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ。主に身を避ける人は。」とあります。

これは、すべてのクリスチャンに与えられている祝福の約束です。私たちが叫ぶ時、主は必ず聞いてくださるのです。あなたは今何に渇いていますか。あなたが主に叫ぶなら、主はその叫びを聞かれ、すべての苦しみから救ってくださいます。主は主を恐れる者の周りに陣を張り、あなたを助け出してくださるのです。このみことばに信頼して、この新しい年も、主に叫び求めましょう。そして、主がどれほどいつくしみ深い糧であるかを味わい、主に身を避ける一年とさせていただきましょう。

ヨハネの福音書4章1~18節「生ける水」

今日は、今年最後の主日礼拝を迎えております。この年も、共に主を礼拝し、心からの感謝と賛美を献げることができたことを、感謝したいと思います。

 

今日は、ヨハネの福音書4章前半の箇所から、イエス様とサマリヤの女との会話を通して、いつまでも渇くことがない生ける水について、ご一緒に学びたいと思います。

 

ナポレオン・ヒル(Napoleon Hill)という人は、現代に7つの不安と恐怖が潜在していると言いました。

それは、貧しさの恐怖であり、失敗の恐怖、病気の恐怖、愛を失うことへの恐怖、老いていくことへの恐怖、自由を失うことへの恐怖、そして死の恐怖です。

そして、このような不安や恐怖から逃れようと、人々は、ありとあらゆることを試みますが、この世のものだけでは、決して解決できない精神的空虚と不安のために、人々は疲れ果てています。皆さんはいかがでしょうか。

 

イエス・キリストは、ある日、魂を生き返らせる、いのちの水に飢え渇いていた、一人の女性と出会いました。その女性は、かつて人生の幸せを求め、5回も結婚しましたが、その心は満足を得ることはできませんでした。しかし、イエス様との出会いを通して、その心の飢え渇きを、永遠のいのちの水で満たしていただくことができました。彼女は、どのようにして、満たしてもらうことができたのでしょうか。

 

Ⅰ.サマリヤを通って行かれたイエス(1-5)

 

まず、1節から5節までをご覧ください。

「パリサイ人たちは、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている、と伝え聞いた。それを知るとイエスは、 ──バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが──ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた。

しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それでイエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリヤの町に来られた。」

過越しの祭りをエルサレムで過ごしておられたイエスは、その後しばらく、ユダヤ地方に滞在し、そこでバプテスマを授けておられましたが、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けているということがパリサイ人の耳に入ったとき、ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれました。

 

なぜそのことが問題だったのかというと、イエスの奉仕のほうがバプテスマのヨハネのそれよりも影響力を増したために、パリサイ人の関心と敵意が、今やバプテスマのヨハネからイエスに向けられていたことを意味していたからです。

 

それはイエスが彼らを恐れていたということではありません。まだその時ではなかったということです。その時とは、イエスの時です。イエスが十字架にかかって死なれる時はまだ来ていませんでした。それでイエスは、ユダヤを去って再びガリラヤへ向かわれたのです。

 

しかし、サマリヤを通って行かなければなりませんでした。当時、パレスチナは南のユダと北のガリラヤの間にサマリヤという地方があって、ユダヤからガリラヤの間を行き来する時には、そこを通らず、わざわざヨルダン川を渡って、ヨルダン川に沿って北上しました。もっとも急ぎの用の人は、サマリヤを通って行く人もいないわけではありませんでしたが、この少し後の所に、「ユダヤ人はサマリヤ人と付き合いをしなかったのである」とあるように、普通ユダヤ人たちは、その道を通ることはほとんどありませんでした。ですから、「サマリヤを通って行かなければならなかった」というのは、単に急ぎの用事があったからではなく、もっとほかの理由があったからなのです。

 

それはいったいどのような理由だったのでしょうか。それは5節にあるように、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリヤの町に来るためでした。そこにはヤコブの井戸がありました。主イエスがここへ来られたのは、単に名所旧跡を見に来られたのではありません。そこで、名もない一人の人、しかも、人生の裏街道を歩いているような人と会うためでした。会うためとは言っても、事前に会う約束をしていたわけではありません。これまで一度も会ったことのない人です。しかし、イエスはこの人と会うために、わざわざ普通のコースを取らず、サマリヤを通って行かなければなりませんでした。名もない、一人の女性を救いに導くために、イエスは、初めから、そのように計画しておられたのです。

 

私たちも、それが自分の考えや計画と違っても、神の御心ならば、それを変える柔軟さが求められます。それはイエス様のように、自分に与えられている神の使命を知り、そこに生きることから与えられるものです。いつも神の御心は何か、何が良いことで神に受け入れられることなのかを求め、その使命に生きる者でありたいと願わされます。

 

Ⅱ.イエスが与える水(6-14)

 

次に、6節から14節までを見て行きましょう。まず、8節までをご覧ください。

「イエスは旅の疲れから、その井戸の傍らに、ただ座っておられた。時はおよそ第六の時であった。一人のサマリヤの女が、水を汲みに来た。イエスは彼女に、「わたしに水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた」

 

イエスは、旅の疲れで、井戸の傍らに、腰をおろしておられました。イエスは、私たちと同じような肉体をもってこの地上での生涯を歩まれたので、疲れを感じられることもあったのです。日々の奉仕と、歩きながらの旅は、肉体的に相当きつかったのでしょう。

 

時はおよそ第六時でした。これはユダヤの時刻のことで、現在の時刻で言うと、正午ごろとなります。つまり、太陽が最も高く上る時間です。イスラエルのこの時間は砂の上で卵が焼けるほど暑いと言われていて、人々は、大抵外へ出ずに家の中でゆっくりと過ごすのが習慣となっていました。

 

そんな時間に、ひとりのサマリヤの女が、水を汲みに来たのです。いったいなぜ彼女はこんな時間に水を汲みにやって来たのでしょうか。通常は朝夕の涼しい時間帯に水を汲み終えるのが当然ですから、人目を避けて水を汲みにやって来たこの女性には、何らかの事情があったことがわかります。その事情とはどんなことだったのでしょうか?

 

それは、他人に会いたくなかったということです。16節から18節にある、イエスと彼女との会話を見てください。ここでイエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言うと、彼女は、「私には夫がいません。」と答えています。するとイエスは、彼女の心のやみを暴き出すかのように、このように言われました。

「自分には夫がいない、というのはそのとおりです。あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないからですから。あなたは本当のことを言いました。」

つまり、彼女は五回も結婚しましたが、その五回とも別れ、今は別の男性と同棲していたということです。今でこそバツイチ、バツニ、バツサンも珍しくありませんが、バツゴというのはあまり聞きません。しかし、彼女は、かつて人生の幸せを求め、5回も結婚しましたが、その心は満たされることはありませんでした。だれと結婚しても同じ。それなら結婚するのなんて止めて、ただ自分を満足させてくれる相手がいれば十分と、別の男性と一緒に暮らしていたのです。

 

しかし、それで問題が解決したかというとそうではなく、そのことで他人から後ろ指を指されるようになると、だんだん心が重くなり、他人と距離を置くようになりました。話をするのが面倒くさいのです。だれとも会いたくありませんでした。それで、だれも来ないお昼の時間を見計らって水を汲みにやって来たのです。

 

以前私が住んでいた家の近くに福島女子短大があったため、家の周りにはたくさんのアパートがありましたが、住んでいれば当然ごみも出るわけで、それを町内会が管理しているごみ収集所に置くわけですが、燃えるゴミも、燃えないゴミも一緒に捨てるため、しかも町内会費を払っていないということで、近所の人たちがクレームをつけました。「あなたたち町内会費も払ってないのに勝手に捨ててもらっては困るわ!」

すると、ごみ収集所から、学生たちの姿が消えました。消えたと言っても、どこかに行ってしまったわけではなく、町内会の人たちと会わないような時間帯を見計らってごみを捨てるようになったのです。夜中の2時とか、3時とかの時間です。彼女たちにとっては、いろいろと文句を言われるのが嫌だったのです。できるだけ会いたくないし、何も言われたくないという思いから、通常捨てる時間帯ではない時間に捨てるようになったのです。それと同じです。

 

そんな彼女にイエスは、「わたしに水を飲ませてください」と言われました。これは、常識はずれのことでした。というのは、ユダヤ人とサマリヤ人とは付き合いをしなかったからです。もともとユダヤ人とサマリヤ人は、同じイスラエル民族でした。しかし、その昔イスラエル王国が今の朝鮮半島のように北と南に分裂した後で、北王国イスラエルは生けるまことの神から離れてしまったため、ついに紀元前722年に東方のアッシリア帝国によって滅ぼされてしまうと、主だった男たちはみなアッシリアへ連れて行かれ、その後に残った貧民たちの所にアッシリア人をはじめとした多くの異民族の男性が送り込まれて来たために、彼らは混血族になってしまったのです。ユダヤ人は血の純潔を特に重んじていたので、それ以来、彼らを異邦人同様に蔑視するようになりました。

 

しかも、ここに「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」とあるように、ユダヤ人の男性が、サマリヤ人の女性に語りかけるということは、考えられないことでした。というのは、当時、女性の地位はとても低く、男性が女性に話しかけるということは、一般にはほとんどなかったからです。それなのに、イエスは彼女に、「わたしに水を飲ませてください。」と言われました。なぜでしょうか。

 

それは、この女が本当に必要としているものは何かを、イエスが知っておられたからです。10節をご覧ください。「イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」」

 

イエスが言っていたのは、「生ける水」のことでした。イエスは「水」という平凡なものから、深い霊的真理を語っても、サマリヤの女にはそれを理解することはできませんでした。なぜなら、ニコデモの場合もそうでしたが、彼女は、あくまでも目に見えるこの世の物、物質的な世界にしか関心がなかったからです。それは彼らが宗教的ではなかったということではありません。ニコデモはユダヤ教の正当派であるパリサイ派に属していましたし、この女も後の箇所を見るとわかりますが、礼拝について関心を持っていました。しかし、彼らは霊的には盲目でした。ですから、イエスが語られた霊的真理に対する応答は、まことにトンチンカンなものだったのです。この女は11節、12節で、このように答えています。

「主よ。あなたは汲む物を持っておられませんし、この井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れられるのでしょうか。あなたは、私たちの父ヤコブより偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を下さって、彼自身も、その子たちも家畜も、この井戸から飲みました。」

 

覚えていらっしゃいますか。イエス様がニコデモに「新しく生まれなければならない」と言われたとき、彼がどのように答えたか・・を。ニコデモはこう言いました。

「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」(ヨハネ3:4)

ニコデモは、イエス様が「新しく生まれなければならない」と言われたことを、もう一度、お母さんの胎内で生まれてくることだと理解していました。それと同じです。サマリヤの女も、ニコデモも、霊的にはさっぱり理解できませんでした。

 

そこで、イエスは、彼女が理解できるように、同じ霊的真理を別の形で、少し違った言葉で、説明されました。13節、14節です。ご一緒に読んでみましょう。

「イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」」

 

イエスは、最初、「神の賜物」と言われたことを、10節で、「生ける水」と言い換えています。そして、ここに来てさらに、「永遠のいのちへの水」と言い換えています。この「生ける水」とか、「永遠のいのちへの水」とは、何のことを指していたのでしょうか。

 

ヨハネの福音書7章37-39節を開いてください。ここには、「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」 イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。」とあります。

これは神の御霊、聖霊のことを言っていたのです。つまり、イエスが与えられる生ける水とは、御霊と御言葉によって与えられる救いの恵みのことであり、これが与えられると、それまで求めても得られなかった本当の満足を得ることができるのです。それだけでなく、泉のように、永遠のいのちへの水が湧き出て来て、ほかの多くの人々を潤し、渇きを満たすことができるようになるのです。

 

これまで、この人類は、この心の渇きをいやしたいと思っていろいろなものを作り出してきました。それだけでなく、心の渇きをいやそうとして、目新しいものに取り組んでみたり、この世の中のどこかにそれがあるのではないかとずっと求めてきました。しかし、この世のものでは、また渇いてしまうのです。ちょうど、喉が渇くようにです。喉の渇きをいやそうと水を飲んでも、一時的にはいやされても、じきにまた渇いてしまいます。私たちが毎日していることは、このようなことなのです。人間が作ったものや、この世のものに求めても本当の満たしは得られないのです。主イエスに求めることです。イエスは言われました。「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

 

私たちは、「風と共に去りぬ」という有名な映画をよく知っています。そして、この映画の主演男優であったクラーク・ゲーブルについてもよく知っています。彼はオスカー賞を何度も取りました。幸せを求めて5回も結婚しました。彼にはお金もあり、恋もあり、名誉もあり、人気もありました。私たちから見れば、彼は自分が求めたこの世の物のすべてを手にしたかのように見えました。

しかしある朝、彼はむなしく疲れ果て、自分のベッドで自殺しているのが発見されました。飢え渇いたその魂を、この世のもので満たすことはできなかったのです。永遠のいのちの水を見つけられずに終わったその魂が、残念に思えてなりません。

 

あなたはどうですか。永遠のいのちという水を持っておられますか。まだ持っていないなら、主イエスにそれを求めてください。なぜなら、イエスは、「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも決して渇くことがありません。」と言われたからです。イエスが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。その水は、イエス・キリスト以外には、どこを探しても得ることはできません。イエス・キリストこそ、私たちに生ける水を与えることができる唯一の方なのです。そして、その水は、その人の内で泉となるだけでなく、永遠のいのちへの水が湧き出ますとあるように、私たちの周りのすべての人をも潤す水となるのです。

 

Ⅲ.行って、あなたの夫を呼んで来なさい(15-18)

 

いったいどうしたら、その水を得ることができるのでしょうか。最後に15節から18節までを見て終わりたいと思います。

「彼女はイエスに言った。「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」彼女は答えた。「私には夫がいません。」イエスは言われた。「自分には夫がいない、と言ったのは、そのとおりです。あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないのですから。あなたは本当のことを言いました。」」

 

イエスが、「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」と言うと、彼女は、イエスに「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」と言いました。すると、イエスは彼女にこのように言われました。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」

 

これはどういうことでしょうか。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言われても夫とは離婚していて、夫はいませんし、今一緒にいるのは夫ではなく、ただ同棲しているだけの人ですから、夫ではありません。それならば、なぜイエスはこのようなことを聞かれたのでしょうか。

 

それは、彼女が、主の御前に、自分をありのままにさらけ出し、それを悔い改める必要があったからです。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」というイエスのことばは、彼女にとって、とても痛い言葉だったでしょう。できれば、そこだけは触れてほしくなかった。それは、ちょうど石の割れ目に釘を突き刺すようなものだったに違いありません。ちょっとでもたたいたらパカンと割れてしまうようなものでした。それでもイエスがそのように言われたのは、彼女が永遠のいのちへの水を受けるには、どうしてもそのことが避けられなかったからです。彼女が永遠のいのちを得るためには、自分の中にある罪をそのままにしておくわけにはいきませんでした。それを、主の御前にさらけ出さなければならなかったのです。このサマリヤの女が隠していた罪に光を当てるために、主は夫のことに触れたのです。

 

それに対して、彼女が「私には夫がありません。」と答えると、イエスは何と言われたでしょうか。イエスはこのように言われた。「自分には夫がいない、と言ったのは、そのとおりです。あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないのですから。あなたは本当のことを言いました。」

このイエスの言葉は注目に値します。なぜなら、彼女の告白に対して、主イエスはそれを暖かく受け止めておられるからです。彼女に対して、なぜそんなに男を変えたのかとか、そのような同棲生活は正しくないと言うこともできたでしょうが、主はそのようなことは一言も言わず、むしろ愛と善意をもって受け止めてくださいました。それは、今日も同じです。主は、私たちの真実な悔い改めを、暖かく受け止めてくださるのです。

 

それは、主が彼女の罪をいい加減にして扱っておられたということではありません。主はここで、「今あなたと一緒にいるのは、あなたの夫ではないからです」と言われました。それが正しいことではないということをはっきりと言われたのです。しかし、だからといって彼女を叱責したり、断罪したりするのではなく、「あなたは本当のことを言いました。」と、受け止められました。これが、イエス・キリストが、私たちにも取ってくださる態度です。こうして初めて、自分の醜く汚れた本当の姿に気付くというか、自分の姿が示されるのです。

 

これは、私たちが他人に接する態度とはずいぶん違いますね。私たちが他人に接する時、たとえば、親が子供に対する場合などを考えてみると、子どもが自分の過ちを認めていても、正直に答えたことに対して、それを受け止めるというよりは、むしろそのしたこと自体を咎めたり、怒ってしまったりします。しかし、そのようにすれば、もう二度と正直に自分の間違いを認めることはしないでしょう。そして、むしろ怒られないようにと嘘をつくようになるものです。子どもが嘘をつく場合の多くは、このようにして起こります。これは、何も子どもに限ったことではなく、ほかの人に対する場合も同じで、多くの人間関係の中で、よく私たちがしてしまうことです。しかし、主イエスは違います。イエスは、私たちの罪の告白と悔い改めを、暖かく受け止めてくださるのです。

 

ですから、私たちに求められていることは、ありのままに、正直に、イエス様の前に出ることです、自分がどんなに汚れていても、それを隠すのではなく、それをさらけ出しながら、救い主イエスのところに来て、永遠のいのちへの水を求めるなら、主イエスは、決して渇くことがない、生ける水を与えてくださいます。その水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出るのです。

 

今日は、今年最後の礼拝となりましたが、この一年を振り返りながら、自分の罪、過ちがあればそれを主の御前にさらけだしてきよめていただきましょう。主は赦してくださいます。「もし私たちが、自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」そして、主が与えてくださる生ける水を持って、新しい生活を始めさせていただきましょう。

イザヤ書9章1~7節 「やみの中に輝く光」

皆様と共に、救い主イエス・キリストのご降誕を、お祝いできますことを、心から主に感謝いたします。

先週までアドベントクランツの3本のロウソクに灯がともされ、きょう4本目のロウソクに灯がともされました。これには意味がありまして、それぞれ平和の灯、希望の灯、喜びの灯、そして愛の灯です。

それは、神様と敵対していた私たちが、神様と和解して、神様との間に、平和がもたらされたということ、愛と、喜びと、希望がもたらされたということを表しています。

今の時代ほどやみに覆われた時代はありません。しかし、そのやみの中に輝く光としてイエス・キリストが来てくださいました。そのことを喜ぶのが、クリスマスです。

きょうは、この「やみの中に輝く光」という題で、メッセージを取り次がせていただきたいと思います。

 

Ⅰ.やみの中の光(1-5)

 

先ほど読んでいただいた聖書の箇所は、キリストが生まれる七百年ほど前に、預言者イザヤが、やがて来られるメシヤ、救い主がどのような方であるかを預言したものです。まず1節と2節をご覧ください。

「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」

 

この箇所は「しかし」という言葉で始まっています。ということは、前の章からの続きになっていることです。前の章にはどんなことが書かれてあったかというと、8章20節を見ていただくと、ここに「おしえとあかしに尋ねなければならない。」とあります。おしえとあかしとは、神の教え、神のあかしのことです。預言者を通して語られた神のことばを指しています。その教えに尋ねなければなりません。もし、そうでないと、どうなるのかというと、同じ20節の終わりのところにこうあります。「その人には夜明けがない。」その人に夜明けはありません。

 

皆さん、なぜこの世は暗いのでしょうか。それは、神のことばがないからです。神のみおしえと証しに聞こうとしないで、別のものに聞こうとするからです。具体的にはその前の19節にありますね。「霊媒や、さえずり、ささやきとか、口寄せ」といったものです。このようなものに聞いても、神に聞こうとしないと、だんだん暗くなっていきます。

 

8章21節、22節にはこうあります。「彼は、迫害され、飢えて、国を歩き回り、飢えて、怒りに身をゆだねる。上を仰いでは自分の王と神をのろう。地を見ると、見よ、苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放された者。」

神の民イスラエルは、神のみことばに従わなかったので、アッシリヤ帝国をはじめとした異邦の民に踏みにじられ、苦難とやみに覆われたのです。

 

「しかし」です。しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなります。先にはゼブルンとナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けたのです。

 

「ゼブルンの地とナフタリの地」とはガリラヤ湖の西側の地域で、いわゆるガリラヤ地方のことです。イエス様が育ったナザレもここにあります。そこがはずかしめを受けました。B.C.722年のことです。アッシリヤ帝国が侵入してきたとき、そこが最初に彼らの手に落ちました。そして、その地域には多くの異邦人が住むようになりました。それでその地は「異邦人のガリラヤ」と呼ばれるようになったのです。しかし、そのような苦しみのあった所に、やみがなくなります。ゼブルンとナフタリの地は、はずかしめを受けましたが、後に光栄を受けることになりました。異邦人のガリラヤは顧みられたのです。どのようにして?

 

やみの中を歩んでいた民が、大きな光を見ました。死の陰の地に住んでいた人に、光が照ったのです。これはどういうことかというと、それから約700年後に、神の御子がこの地に来られ、福音をもたらしてくださったということです。

 

マタイの福音書4章12節から17節までをご覧ください。

「ヨハネが捕えられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗やみの中に座っていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

イエスは、ゼブルンとナフタリとの境にある町カペナウムに来て、宣教を開始されました。これは、預言者イザヤを通して語られた事が、成就するためでした。このようにして、異邦人のガリラヤは光栄を受けたのです。イエスが語られた恵みのことば、イエスが行われた数々の奇跡、いやしは、その地の人たちにとってどれほど大きな慰めをもたらしたことでしょう。アッシリヤ帝国はさることながら、その後もバビロンやペルシャ、ギリシャやローマといった異邦人にずっと踏みにじられる中で、彼らは希望を見失っていました。それはまさに「やみ」の中を歩いているようなものでした。

しかし、そのように苦しみのあったところに、やみがなくなりました。はずかしめを受けた異邦人のガリラヤが、光栄を受けたのです。それは彼らにとって本当に大きな喜びであり、慰めであり、希望であったに違いありません。

 

そして、それは私たちに対する約束でもあります。私たちもよく人生のやみに覆われることがあります。それは病気であり、あるいは経済の悩みです。また、家族の問題、人間関係のこじれ、ひとりぼっちという孤独の苦しみ、老後に対する先行き不安などといったやみです。こうしたやみは、振り払おうとしてもなかなか消えません。また、罪というやみがあります。過去に犯した過ちにずっと責め立てられ、苦しみ続けています。そして誰もが迎えるであろう死というやみもあります。

 

「一寸先(いっすんさき)は闇(やみ)」という諺(ことわざ)があります。これは、「これから先のことはどうなるのやらサッパリわからないという」意味で使われていますが、私たちの人生は、この先、何が起こるのかわかりません。それが現実なのです。

 

しかし、こうしたやこの中にあって、それを照らす光があります。それが、救い主イエス・キリストです。使徒ヨハネは、このキリストについてこう証言しました。

「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:4-5)

光はやみの中に輝いているのです。やみの中に輝く光、やみを打ち破られる方、それがイエス・キリストです。キリストは、すべての人を照らすまことの光なのです。

 

そういえば、クリスマスが12月25日に定められたというのも、そのような意味があったのではないかと思います。クリスマスは、イエス・キリストの御降誕をお祝いする日ですが、イエス・キリストがこの日に生まれたわけではありません。A.D.336年に、ローマ帝国によって、この日がそのように定められたのです。それまでローマでは冬至を祝う「太陽の祭り」がありましたが、その祭りと結びつけて祝われるようになったのです。

なぜこの祭りと結びつけて行われるようになったのかというと、この祭りは一年で最も夜が長い日であったからです。この時期にキリストの御降誕を祝うのが最もふさわしいと考えたのです。それはキリストが私たちのやみを照らす光として来てくださったことを心に留めるためでもあったのです。

 

人は誰でも、やみを経験します。どこに進んで行ったらいいのかわからない時があります。しかし、そうしたやみの中にいても、かすかな明かりがあれば、その方向へ歩いて行くことができます。イエス・キリストはやみ中で不安にさいなまれ、道を失っている時の灯火として私たちの所に来てくださったのです。

 

オーストリアのザルツブルグの北にオーベルンドルフという小さな村があります。1818年のクリスマスの前日、その村の教会のパイプオルガンが鳴らなくなってしまいました。

この知らせを聞いて、2人の若者が苦境に立たされました。一人は、この教会のオルガニスト、フランツ・グルーバーという人です。もう一人は、この教会の若き牧師ヨゼフ・モールという人でした。

モールは、その教会に赴任したばかりでした。ですから、その年のクリスマス礼拝を、特別に恵みに満ちものとしたいと願っていました。それなのに、よりにもよって、その前日にパイプオルガンが故障してしまったのです。

モールは、乱れる心を静めようと、一人で村はずれの丘に登って祈りました。熱心に祈った後で、美しく輝く星空と、麓の村の平和な夜景を眺めていました。その時、讃美歌の歌詞が心の中にほとばしり出て来ました。急いで家に帰って、一気に歌詞を書き上げました。そして、翌日の朝、グルーバーのところに持って行って、作曲を依頼したのです。

その夜の礼拝では、ギターの伴奏で、モールとグル―バーのデュエットの賛美が献げられました。その時歌われた讃美歌がこの曲です。

 

「きよしこのよる 星はひかり

すくいのみ子は まぶねの中に

ねむりたもう いとやすく」

讃美歌109番「きよしこのよる」

 

ほぼ即興で作られたこの曲でしたが、その美しい歌詞と清らかなメロディーは、礼拝に集まった人々の心を強く捕えました。そして、人から人へと伝えられ、世界で最も愛されるクリスマスの讃美歌となったのです。

 

絶体絶命のピンチの中で、あの様に清らかな讃美歌が作られたことに、私は深い感動を覚えます。もし、私がモールであったら、どうしたでしょうか。きっと焦って、讃美歌を作るどころではなかったと思います。パイプオルガンを逆恨みして、蹴飛ばしたかもしれません。

 

どうして、モールはそんな危機的な状況の中で、あんなにも清らかで、美しい歌詞を書くことが出来たのでしょうか。どうして、グルーバーはあんなに澄み切った曲を作ることが出来たのでしょうか。

恐らく二人は、その混乱した中に、キリストの誕生に思いを馳せたのでしょう。そして、きれいに澄み渡った夜空の星を見て、そこに、やみを照らすキリストの光、キリストの平和を見出したに違いありません。

 

私たちにもやみがあります。しかし、キリストはそのやみを照らすために生まれてくださいました。それがクリスマスなのです。

 

Ⅱ.クリスマスの喜び(3-5)

 

ところで、やみが照らされるとどうなるのでしょうか。預言者イザヤは、そんな彼らの喜びを次のように表現しました。3節から5節までをご覧ください。

「あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。」

 

それは刈り入れ時に喜ぶようです。また、戦争に勝利してその戦利品を分け合う時に楽しむようです。また、あのミデヤンの日になされた時のようです。ミデヤンの日になされた時のようとは、士師記7章に出てくる話ですが、士師であったギデオンがたった三百人の勇士によって、十三万五千人のミデヤン人を打ち破りました。それによって、それまで彼らにのしかかっていた重荷から解放されました。

 

私たちも、日々いろいろなストレスを抱えながら生きています。このストレスがどれほど体に悪いものであるかも知っています。そうした重荷の一切を、あのミデヤンの日になされたように、粉々に砕かれるのです。その結果、完全な平和と喜びがもたらされるのです。

 

もちろん、私たちはまだ完全な形で、その実現を見ていません。ここに記されてあるような解放というものを、まだ経験していません。その完成は、イエスが再臨される時まで待たなければなりません。イエスが再臨されるとき、私たちは復活のからだ、御霊のからだをいただいて墓からよみがえり、空中で主とお会いします。そして、いつまでも主と共にいるようになります。これが救いの完成の時です。

しかし、それを完全に体験してはいなくとも、イエスを信じたその瞬間から、私たちの中に神が共におられるという現実を体験します。それは、この世では得られない魂の完全なやすらぎです。もし、あなたがイエス・キリストを救い主として受け入れるなら、その神の支配が、あなたの中にも始まります。そして、あなたもこの喜びと解放を味わうようになるのです。

 

Ⅲ.ひとりのみどりご(6-7)

 

このように、私たちにまことの喜びと解放をもたらしてくださる救い主は、どのような方なのでしょうか。6節と7節をご覧ください。ここには、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」とあります。

 

その方は、「ひとりのみどりご」としてお生まれになられます。そして、ひとりの男の子が、私たちに与えられます。これはイエス・キリストの誕生によって実現しました。「みどりご」とは赤ちゃんのことです。ひとりの赤ちゃんが、私たちのために生まれる、というのです。そうです、永遠の神であられる救い主は、私たちと同じ人間として生まれるというのです。

 

ヨハネはこのことを次のように言っています。「ことばは、人となって、私たちの間に住まわれた。」この方は人となって来られた神なのです。

 

そればかりではありません。イザヤは、やがて来られるメシヤがどのような方であるかについて、次のように言っています。

「主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」

この方は、「不思議な助言者」です。ワンダフル・カウンセラー(wonderful counselor)です。イエス・キリストはワンダフルなカウンセラーなのです。私たちが心の中で考えていることも含め、私たちのすべてを知っておられるというだけでなく、私たちの人生における完全な計画を持っておられ、その道を示してくださいます。ですから、私たちは、安心してこの方にすべてをゆだねることができます。

 

また、この方は「力ある神」です。ただの神ではありません。「力ある神」です。「力ある神」とは、マイティー・ゴッド(mighty God)です。マイティーとは、力強いとか、大能という意味です。この方はただアドバイスをしてくれるだけでなく、そのアドバイスを実行するために必要な力も与えてくださるということです。

 

また、この方は「永遠の父」とあります。赤ちゃんとして生まれてきますが、父です。しかもただの父ではなく、永遠の父です。肉の父親は、年を取るとこの世を去って行かなければなりません。しかし、イエスは永遠の父として、いつまでも、私たちとともにいてくださるのです。

マタイの福音書28章20節には、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」とあります。イエスは世の終わりまで、いつもあなたとともにいてくださいます。

イエスは、決してあなたがたを捨てて孤児にはしません。ですから、安心して、自分の生涯をゆだねることができるのです。

 

そして、この方は「平和の君」です。「プリンス・オブ・ピース」(prince of peace)です。この方は平和の王として来られました。

この地上のどこに平和があるでしょうか。どこを探しても平和はありません。この人類は戦争の歴史です。いつも、どこかで戦争が繰り返されています。その悲劇を見ても、人類は少しも反省することなく、限りなく戦争を繰り返しているだけです。相対性理論を唱えたアインシュタインは、生前、「今や文明を破壊する武器に対する防備策はない」と言いました。また、ジョン・F・ケネディーは、「人間は戦争を終息させなければならない。そうでないと、戦争が人間を滅ぼしてしまう。」と言いました。いったいどうしたら平和になるのでしょうか。

この平和はお金で買うことはできません。ただ十字架に付けられて死なれたイエス・キリストを信じ、神と和解することによってのみもたられます。なぜなら、この方は平和の君として来られたからです。

 

かつてイギリスの作家ジェフリー・アーチャーが、「ケインとアベル」という小説を書きました。銀行の頭取ケインとアメリカのホテル王と言われたアベルが、ささいなことで喧嘩をし、反目しながら生活するようになりました。しかし、このケインの娘とアベルの息子が愛し合うようになり、親の反対を押し切って結婚し、こどもが生まれるのです。その子供の名前はウィリアム・アベル・ケインです。この子の誕生をきっかけに、長らく続いていたケインとアベルの家に和解がもたらされました。

イエス・キリストはこのウィリアム・アベル・ケインのように、神と人類が和解をするためにこの世に生まれてくださいました。そして、あくまでも神に背き、自己中心的に生き続ける人間のために十字架にかかって死なれることで、私たちが受けるべき一切の刑罰をその身に負ってくださいました。イエス・キリストこそまことの平和です。

 

7節の、最後のところにあることばをご覧ください。ここには、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」とあります。それは私たちがすることではありません。万軍の主の熱心がこれを成し遂げてくださいます。

そして、事実、万軍の主は、これを今から二千年前に、神の御子イエス・キリストをこの世に送ってくださることによって成し遂げてくださいました。それがクリスマスです。それは、神があなたのために成し遂げてくださった恵みのわざです。どうぞ、この神の恵みを受け取ってください。クリスマスには互いにプレゼントを贈りますが、イエス・キリストこそ、神からあなたへのプレゼントです。それは、あなたの心のやみが消え、あなたが平和と喜びに満たされるために、神が与えてくださったプレゼントなのです。

 

あの星野富弘さんの詩に、「花菖蒲」(はなしょうぶ)という詩があります。

「花菖蒲 黒い土に根を張り どぶ水を吸って なぜ きれいに咲けるのだろう

私は 大ぜいの人の 愛の中にいて なぜ みにくいことばかり 考えるのだろう」

(「花菖蒲」 星野富弘)

鉄棒から落ちて首の骨を折り、手も足も動かなくなってしまった時、星野さんは、自分のベッドの脇で、一生懸命看病してくれていたお母さんに、自分のイライラをぶつけて、つばを吐きかけました。しかし、そのつばが自分に戻ってきたとき、どうしようもない悲しみを感じたと言います。

しかし、そんな星野さんがイエス・キリストと出会い、その光で心が照らされたとき、少しずつではありましたが、変わり始めました。自分が生まれ育った村に美術館ができると、何十万人という人々が訪れるようになりました。そして、多くの人たちがその詩画の前でしばし足を止め、励ましを受け、涙するのです。それは星野さんがイエス様を信じて、その心のやみを照らしていただいたからです。その時から星野さんの生涯に大きく変えられたのです。

 

「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た、死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」

イエス様はあなたの心のやみも照らしてくださいます。あなたもこの光に照らしていただきませんか。そして、共にその喜びを味わいましょう。

士師記14章

士師記14章からを学びます。まず1節から4節までをご覧ください。

 

Ⅰ.ペリシテ人の娘を気に入ったサムソン(1-4)

 

「サムソンは、ティムナに下って行ったとき、ペリシテ人の娘で、ティムナにいる一人の女を見た。

彼は上って行って、父と母に告げた。「私はティムナで一人の女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、彼女を私の妻に迎えてください。」

父と母は言った。「あなたの身内の娘たちの中に、また、私の民全体の中に、女が一人もいないとでも言うのか。無割礼のペリシテ人から妻を迎えるとは。」

サムソンは父に言った。「彼女を私の妻に迎えてください。彼女が気に入ったのです。」

彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのである。そのころ、ペリシテ人がイスラエルを支配していた。」

 

サムソンは、ティムナに下って行き、そこでペリシテの娘をみそめます。サムソンが住んでいた

のはダン族のツォルアという山地の町でしたが、ペリシテ人の町ティムナは、目と鼻の先にありました。ですから、サムソンはその町に下って行ったのですが、そこで美しい一人の女を見たのです。サムソンはその娘を見て、ひとめぼれしてしまいました。それで、彼は自分の父と母に告げて言いました。「私はティムナで一人の女を見ました。ペリシテの娘です。今、彼女を私の妻に迎えてください。」(2)

 

するとサムソンの両親は、「あなたの身内の娘たちの中に、また、私の民全体の中に、女が一

人もいないとでも言うのか。無割礼のペリシテ人から妻を迎えるとは。」(3)と言いました。それは明らかにモーセの律法に違反していたからです。モーセの律法には、異邦の民と姻戚関係に入ってはならないとあります。申命記7章3節には、「あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としたりしてはならない」とあります。なぜなら、「彼らは自分たちの神々と淫行をし、自分たちの神々にいけにえを献げ、あなたを招く」(出エジプト34:15)ようになるからです。ペリシテ人は割礼を受けていませんでした。また、ダゴンという偶像を礼拝していました。ですから、彼の両親が反対したのは当然のことです。しかも彼はナジル人として聖別された人でした。そのような人が異邦人と結婚するなど考えられませんでした。

 

しかし、サムソンは彼の願いを取り下げようとはしませんでした。「彼女を私の妻に迎えてください。彼女が気に入ったのです。」(3)と、頑として受け入れなかったのです。何だか幼子がただをこねているみたいですね。いったいこのことどういうことだったのか、4節には次のようにあります。

「彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのである。そのころ、ペリシテ人がイスラエルを支配していた。」

 

どういうことでしょうか?これは、サムソンの思いが正しかったということではありません。明らかに彼は過ちを犯そうとしていました。しかし主はその過ちさえも用いて、ご自身の計画を実現させようとしておられたのです。つまりサムソンを用いてイスラエルをペリシテ人から救おうとしておられたのです。

 

このように神は、人の頑なさや自己中心的な態度さえもご自身の計画を実現させるために用いられることがあるのです。それはちょうどヤコブの子たちが弟ヨセフをエジプトに売り渡した時と同じです。彼らがやったことは明らかに悪でしたが、神はそれをヤコブの家族を救うために用いてくださいました。ですから、サムソンの思いが正しかったということではなく、神はそれを許容されたということです。

 

だからと言って、神の恵みとあわれみを試すようなことをしてはいれません。ただ過去において失敗した経験がある人は、主がそのことさえも益としてくださると信じて主の御名をあがめ、神のみこころに歩まなければなりません。神は、私たちの失敗さえも良き目的のために用いてくださる方なのです。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ2:13)

 

Ⅱ.獅子を引き裂いたサムソン(5-9)

 

次に5節から9節までをご覧ください。

「サムソンは彼の父と母とともにティムナに下り、ティムナのぶどう畑にやって来た。すると見よ、一頭の若い獅子が吼えたけりながら彼に向かって来た。

このとき、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、何も手に持たず獅子を引き裂いた。サムソンは自分がしたことを父にも母にも告げなかった。

サムソンは下って行って、その女と話した。サムソンは彼女が気に入った。しばらくたってから、サムソンは彼女を妻にしようと戻って行った。あの獅子の死骸を見ようと、脇道に入って行くと、なんと、獅子のからだに蜜蜂の群れがいて、蜜があった。

彼はそれを両手にかき集めて、歩きながら食べた。彼は自分の父母のところに行って、それを彼らに与えたので、彼らも食べた。その蜜を獅子のからだからかき集めたことは、彼らには告げなかった。」

 

サムソンは、彼の父と母とともにティムナに下って行きました。その女と会うためです。そしてぶどう畑にやって来たとき、一頭の若い獅子が彼に襲いかかりました。この時は父と母は一緒ではなかったようです。後のところに、彼はこのことを父と母に告げなかったとありますから・・。

すると、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、獅子を引き裂きました。何も手に持たずして、です。しかし、サムソンはそれを自分の両親に告げませんでした。なぜでしょうか。なぜなら、彼はナジル人として聖別されていたからです。このナジル人については前回学びましたが、三つのことが禁止されていました。その一つは、ぶどう酒や強い酒を飲んではならないということでした。しかし彼はティムナに下ったとき、ぶどう畑にやって来ました。何のためですか?ぶどうの実を食べるためでしょう。しかし、それはナジル人として禁じられていたことでした。ですから、彼はそのことを両親に告げなかったのです。そして、サムソンは下って行って、その女と話をしました。すると彼はもっと彼女が気に入りました。

 

それから、しばらくたってからのことです。サムソンは彼女を妻にしようとティムナに戻って来ました。「しばらくたってから」とは、この時からしばらくたってという意味です。サムソンはツォアルの自分の家に戻っていたのでしょう。それからしばらくたって、彼は彼女を妻にしようと戻って来たのです。

 

そのとき、サムソンはあの獅子の死骸がどうなっているのか見ようと、脇道に入って行くと、なんと、獅子のからだに蜂蜜の群れが巣を作っていました。するとその中に密があったので、彼はそれをかき集めて、歩きながら食べました。そのときそこに両親はいませんでしたので、自分の両親のところに行ってそれを与えたので、彼らも食べました。彼は、それが獅子の死体から集めたものであることは告げませんでした。なぜでしょうか。ここも彼がナジル人として神に聖別された者であることと関係があります。ナジル人として禁止されていたもう一つのことは、汚れたものに近づいてはならないということでした。死体に近づいてはならなかったのです。しかし、彼はそれを無視して蜜を食べました。それがバレないように、そのことを父母には内緒にしたのです。

 

こうやって見ると、彼は早くも神の命令に背いていたことがわかります。一度ならず二度も・・。彼がぶどう畑にやって来たとき、一頭の若い獅子が彼に襲いかかったのは、このことを思いださせるためだったのでしょう。しかし、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、獅子を引き裂いてしまいました。彼にそれができたのは、彼がナジル人であるがゆえにそのような力が与えられていたのに、そのナジル人の誓いを簡単に破ってしまったのです。いったいなぜ彼は神の命令に背いてしまったのでしょうか。

 

勿論、彼はそのことを十分自覚していたでしょう。しかし彼の行動は、自分の思いとは全く別のことをしていました。これはサムソンばかりでなく、私たちもよく経験することです。

パウロは、このことをローマ人への手紙7章15節で次のように言っています。

「私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。

そして、そんな自分の姿を嘆き、「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(同7:24)と叫びました。それはパウロだけではなく、私たちも同じではないでしょあうか。私たちはイエスを信じ、イエスに結び合わされた者として、神に聖別された者であるにもかかわらず、ここでサムソンがしているように、平気で神のみこころに背くようなことをしてしまいます。その結果、パウロのように、「私は本当にみじめな人間です。」と叫んでいるような者です。サムソンも同じでした。彼はわかっちゃいるけど止められなかったのです。彼は、自分がしたいことではなく、したくない悪を行っていたのです。

 

いったいどうしたら良いのでしょうか。どこにその解決の鍵があるのでしょうか。パウロは続く7章25節からのところで、その解決を見出しました。それはイエス・キリストです。イエス・キリストにあるいのちの御霊の原理です。

「私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。こうして、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。 肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従うことができないのです。 肉のうちにある者は神を喜ばせることができません。しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」(ローマ7:25-8:11)

そうです、私たちの混乱した状態から私たちを救うことができるのは、イエス・キリストのいのちの御霊でしかありません。もし神の御霊が私たちのうちに住んでおられるなら、私たちは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。そして、この御霊が、私たちの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。ですから、私たちにとって必要なことは、神の御霊によって生きることです。そうすれば、肉の欲求を満足させることはありません。サムソンの問題はいのちの御霊によってではなく、自分の肉の欲求に従って行動したことだったのです。

 

Ⅲ.謎かけ(10-20)

 

最後に、10節から終わりまでを見て終わりたいと思います。まず14節までをご覧ください。

「彼の父がその女のところに下って来たとき、サムソンはそこで祝宴を催した。若い男たちはそのようにするのが常だった。人々はサムソンを見て、客を三十人連れて来た。彼らはサムソンに付き添った。

サムソンは彼らに言った。「さあ、あなたがたに一つの謎をかけよう。もし、あなたがたが七日の祝宴の間に、それを見事に私に解き明かし、答えを見つけることができたなら、あなたがたに亜麻布三十着と晴れ着三十着を差し上げよう。もし、それを解き明かすことができなければ、あなたがたが私に、亜麻布の衣服三十着と晴れ着三十着を差し出すことにしよう。」彼らは言った。「謎をかけなさい。われわれは聞こう。」

そこで、サムソンは彼らに言った。「食らうものから食べ物が出た。強いものから甘い物が出た。」彼らは三日たっても、その謎を解き明かすことができなかった。」

 

サムソンの父がその女のところに下って来たとき、彼はそこで七日間祝宴を催しました。ペリシテ人たちは、サムソンに三十人の客を連れて来ました。そのようにすることが常だったからです。それで彼らはサムソンに付き従いました。

 

するとサムソンは、彼らに謎かけをします。これは古代ギリシャの習慣です。ペリシテ人たちはギリシャ系の民族だったので、このような習慣があったのです。謎かけというのは楽しいですね。私もよく孫と「なぞなぞクイズ」をやります。「花子さんのお母さんには四人の娘がいました。春子、夏子、秋子、さて、もう一人の娘の名前は何でしょう?」答えは「冬子」ではありません。「花子」です。こういう「なぞなぞ」をよくします。

サムソンが出した謎かけとはどういうものであったかというと、「食らうものから食べ物が出た。強いものから甘い物が出た。」いったいこれは何だ!というものでした。そして、彼らのやる気を引き出すためか、彼は正解者には豪華な賞品を約束します。それは亜麻布三十着と晴れ着三十着です。もし彼らが祝宴の七日の間に、その答えを見つけることができたら、これらを差し上げるというのです。通常、謎かけというのは、論理的に考えれば答えが見つかるものですが、サムソンのなぞかけは本人しかわからないものでした。ですから、どんなに豪華な賞品を出しても決して問題にはならないはずでした。むしろ、それは彼にとって好都合でした。なぜなら、もし、それを説き明かすことができなければ、逆に彼らからそれらを受けることができたからです。

 

すると彼らは「いいでしょう。謎をかけなさい。われわれは聞こう」と言って、その謎かけにチャレンジすることにしました。しかし、三日たっても、その謎を解き明かすことができませんでした。それて彼らはどうしたかというと、彼の妻を利用して答えを引き出そうとします。

 

15節から20節までをご覧ください。

「七日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。「おまえの夫を口説いて、あの謎をわれわれに明かしなさい。そうしないと、火でおまえとおまえの父の家を焼き払ってしまうぞ。おまえたちはわれわれからはぎ取ろうとして招待したのか。そうではないだろう。」

そこで、サムソンの妻は夫に泣きすがって言った。「あなたは私を嫌ってばかりいて、私を愛してくださいません。あなたは私の同族の人たちに謎をかけて、それを私に明かしてくださいません。」サムソンは彼女に言った。「見なさい。私は父にも母にもそれを解き明かしてはいないのだ。おまえに解き明かさなければならないのか。」

彼女は祝宴が続いていた七日間、サムソンに泣きすがった。七日目になって、彼女がしきりにせがんだので、サムソンは彼女に明かした。それで、彼女はその謎を自分の同族の人たちに明かした。

町の人々は、七日目の日が沈む前にサムソンに言った。「蜂蜜よりも甘いものは何か。雄獅子よりも強いものは何か。」すると、サムソンは彼らに言った。「もし、私の雌の子牛で耕さなかったなら、あなたがたは私の謎を解けなかっただろうに。」

そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った。彼はアシュケロンに下って行って、そこの住民を三十人打ち殺し、彼らからはぎ取って、謎を明かした者たちにその晴れ着をやり、怒りに燃えて父の家に帰った。サムソンの妻は、彼に付き添った客の一人のものとなった。」

 

彼らはいくら考えてもわからなかったので、サムソンの妻に脅しをかけ、その謎の秘密を探らせます。「おまえの夫を口説いて、あの謎をわれわれに明かしなさい。そうしないと、火でおまえとおまえの父の家を焼き払ってしまうぞ。おまえたちはわれわれからはぎ取ろうとして招待したのか。そうではないだろう。」

 

そこで、サムソンの妻は夫に泣きすがります。妻にこんなふうにされたら、答えない訳にはいきません。私などはこんなふうにされなくても答えてしまうでしょう。サムソンは非常に悩みますが、彼女は祝宴が続いた七日間、ずっとサムソンに泣きすがったので、ついにその秘密を彼女に明かしてしまいました。彼女はそれを同族のペリシテ人たちに明かすと、彼らは、七日目の日が沈む前にサムソンに言いました。

「蜂蜜よりも甘いものは何か。雄獅子よりも強いものは何か。」(18)

「食らうものから食べ物が出」の「食らうもの」とは「獅子」のこと、「強いものから甘い物か出た」の「甘い物」とは「蜂蜜」のことでした。

 

すると、サムソンは彼らに言いました。「もし、私の雌の子牛で耕さなかったなら、あなたがたは私の謎を解けなかっただろうに。」(18)

「私の雌の子牛」とは、サムソンの妻のことです。つまり、サムソンの妻が教えてくれなかったら、この謎を解けなかっただろう、ということです。

 

サムソンは、ペリシテ人の別の町アシユケロンに下って行き、そこの住民三十人を打ち殺し、彼らから着物をはぎ取とって、謎を解いた者たちに与えました。そして、彼は怒りに燃えて父の家に帰ると、その女の父は、他の男に娘をやってしまいました。

 

子やぎを引き裂くように素手で獅子を引き裂いたサムソンでしたが、たった一人の女の口説きによって、墓穴を掘ってしまったのです。いったい何が問題だったのでしょうか。それは、彼が神のみこころに反して、無割礼のペリシテ人から妻を迎えたことです。そして、そのペリシテ人たちを軽々しく挑発してしまったことです。彼は神のナジル人であり、主の霊が彼とともにあったのに、その主のみこころを求めて歩まなかったのです。

 

私たちも神のナジル人として神にささげられた者であっても、サムソンのようにすぐに神のみこころに背いてしまう者ですが、一方的な神の恵みによって救われた者として、常に神の御言葉を通してみこころを求め、みこころにかなった歩みができるように求めていきたいと思います。

出エジプト記1章

今日から、出エジプト記を学んでいきたいと思います。きょうは、1章から学びます。

Ⅰ.エジプトで増え広がったイスラエル(1-7)

まず、1節から7節までをご覧ください。

「さて、ヤコブとともに、それぞれ自分の家族を連れてエジプトに来た、イスラエルの息子たちの名は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ。イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン。ダンとナフタリ。ガドとアシェル。ヤコブの腰から生まれ出た者の総数は七十名であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。それから、ヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。イスラエルの子らは多くの子を生んで、群れ広がり、増えて非常に強くなった。こうしてその地は彼らで満ちた。」

この出エジプト記の原題は、へブル語では「ウェエーレ・シェモース」となっています。意味は、「さて、名は次のとおりである。」です。つまり、この1節の初めの言葉が、そのまま表題になっているのです。これを書いたモーセは、創世記と出エジプト記を別々の話としてではなく、創世記の続きとして書いたということす。それは、私たちが創世記で学んだ、ヤコブの家族がエジプトに下ってきた所から始まります。

ヤコブとともに、エジプトに来た、イスラエルの息子たちの名は、「ルベン、シメオン、レビ、ユダ。イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン。ダンとナフタリ。ガドとアシェル。」です。その総数は、全部で七十名でした。それから、ヨセフも兄弟たちも、またその時代の人々もみな死にました。ヤコブがエジプトに下ってから四百年くらい経っていたのです。その頃、イスラエルはどのようになっていたのでしょうか。

7節をご覧ください。ここには、「イスラエルの子らは多くの子を生んで、群れ広がり、増えて非常に強くなった。こうしてその地は彼らで満ちた。」とあります。

神は、ヨセフがいなくなった後も、イスラエルとの約束を守ってくださいました。イスラエルがカナンの地を出てエジプトに下られる時、神はヤコブに何と仰せられたでしょうか。創世記46章3-4節にはこうあります。

「すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。」

この約束のとおり、神は、ヤコブがエジプトに下った後もずっと彼らを守り、彼らをその地で大いなる国民としてくださいました。この約束は、もともとヤコブの父イサクに、そしてイサクの父アブラハムに約束されていたことです。神はアブラハムに、「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。」(創世記12:1-2)と約束してくださいました。

ヤコブも、ヨセフも、自分たちが生きている間、子沢山に恵まれました。けれども、彼らがいなくなったら神の時代が過ぎ去ったのかというと、そうではなく、神は続けて生きて働いておられました。

私たちはとかく自分の頭の中で時代を区分して考えがちです。アブラハムの時代は神が働いておられたが今は時代は違うとか、キリストの時代は宗教の時代だったが、今は違う、というようにです。しかし時代がどんなに変わっても、神の約束は決して変わることはありません。神はいつの時代も働いておられ、その約束を果たしてくださるのです。

Ⅱ.エジプトの王パロの恐怖(8-14)

次に、8節から14節までをご覧ください。10節までをお読みします。

「やがて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民はわれわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くことがないように。」」

「やがて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった」とあります。ヨセフの時代のエジプトの王は、イスラエルの家族に対して非常によくしてくれました。ヨセフのゆえにエジプト全土が祝福されているのを見て、彼をエジプトの第二の地位にまで就けました。それは、神が彼と共におられることをよく知っていたからです。

ところが、ヨセフのことを知らない新しい王が起こると、彼はエジプトの民に言いました。「見よ。イスラエルの民はわれわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くことがないように。」新しい王にとってイスラエルの存在は、脅威でしかなかったのです。この新しい王とは、エジプト史上最大の帝国を築いたと言われているトトメス1世(Thutmose III,在位:紀元前1504-B.C.1450)です。この王がモーセの命を狙っていた王です。そして、その後の王が、出エジプトの時のパロアメンホテプ2世(Amenhotep II, 在位:紀元前1453年-1419年)です。

この時期、エジプトは絶頂期を迎えていましたが、それは少なからず、へブル人の働きによるものでした。それでパロは、彼らにイスラエルに出て行ってもらいたくないという思惑があったのです。エジプトの王は、それは神が彼らと共におられるからであることを知りませんでした。神が、彼らのゆえに、エジプト全体を祝福してくださったことを知らなかったのです。そこでパロ(ファラオ)はどうしたでしょうか?

「そこで、彼らを重い労役で苦しめようと、彼らの上に役務の監督を任命した。また、ファラオのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。しかし、苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がったので、人々はイスラエルの子らに恐怖を抱くようになった。」(11-12)

ピトムとラメセスは、かつてパロがヨセフを通してヤコブの家族に与えた、ナイル下流東部にあるゴシェンの地の中にあります。しかし、苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がったので、人々はイスラエルの子らに恐怖を抱くようになりました。

これは神を信じる人々の恵みです。これがキリストを信じて歩む私たちクリスチャンの姿でもあります。私たちは、イエス・キリストを信じこの方についていく決断をしたときから、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っている悪魔の攻撃を受けます。キリストの教会がいのちを持ち始めると、必ずその働きを止めさせようとする動きが起こるのです。しかし、どんなに反対や迫害が起こっても、教会はかえって強められ、神の御業が大きく前進するのです。それは使徒の働きを見ればわかります。また、現在も、中国の地下教会の成長を見ても明らかです

私は2年前に中国に行き、家の教会に起こっている神の働きを実際に見る機会がありましたが、中国は新たな指導者のもとで家の教会ばかりでなく、政府公認教会の十字架も破壊されたりと、当局からの締め付けが年々厳しくなっています。そのような中でもクリスチャンは減少していくところか、ますます増え広がっているのです。彼らは口をそろえてこう言います。「それはむしろ神の恵みです」と。聖書にそう書いてある・・と。神の働きは、人々の反対によって阻まれるものではありません。むしろ、迫害されればされるほど、ますます成長するのです。ある人はこう言いました、「殉教者は教会の種である」。

300年前にフランスの哲学者で、啓蒙思想家であったヴォルテールは、理神論の立場から教会を批判し、その人生の多くの時間をキリスト教批判に注ぎ、「50年後にはキリスト教を抹消する」と言いましたが、何と、彼の家が聖書を印刷する場所になりました。

それは、ヨセフの生涯も同じでした。彼は兄たちの陰謀でエジプトに売られて行きましたが、そのことによっても、ますます彼は祝福されて行き、やがてエジプトの第二位の地位に就くことができたばかりか、かつて見た夢の実現を見るのです。

それで、エジプト人は、イスラエルをどうしたでしょうか。「それでエジプト人は、イスラエルの子らに過酷な労働を課し、漆喰やれんが作りの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、彼らに課す過酷なすべての労働で、彼らの生活を苦しいものにした。」(13-14)

神の働きに対して、さらに反対を強めました。しかし、そのことによって、彼らは呪いを受けることになります。なぜなら、神は、アブラハムを祝福する者を祝福し、アブラハムをのろう者をのろわれるからです。

Ⅲ.パロの命令(15-22)

それで、パロはどうしたでしょうか。15節から22節までをご覧ください。「 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに命じた。一人の名はシフラ、もう一人の名はプアであった。彼は言った。「ヘブル人の女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。」しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておいた。そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼んで言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」助産婦たちはファラオに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女とは違います。彼女たちは元気で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」神はこの助産婦たちに良くしてくださった。そのため、この民は増えて非常に強くなった。助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。ファラオは自分のすべての民に次のように命じた。「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」」

パロは、初めはイスラエル人を何とか自分の手中で取り扱おうという程度の悪意でしたが、自分の手に負えないことが分かると、ヘブル人の助産婦たちに、もし男の子が生まれてきたら殺し、女の子なら、生かしておくように、と命じました。しかし、助産婦たちは神を恐れていたので、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておきました。

すばらしいですね、ここに「神を恐れ」とあります。私たちは、他の誰にも見られていなくても、一般には「これは行っても良いよ」と言われたとしても、「これはしてはいけないことではないか。」という良心があります。助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王の命令には従いませんでした。

そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言いました。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」すると、助産婦たちはこのようにパロに答えました。「ヘブル人の女はエジプト人の女とは違います。彼女たちは元気で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」

これが本当のことかどうかは分かりません。もしかすると、わざとゆっくり行くようにし、病室に行ってみたらもう赤ちゃんが生まれていた、というようにしていたのかもしれません。しかし、神はこのことで、この助産婦たちによくしてくださいました。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなったのです。

すると、パロはすべてのエジプトの民にこう命じました。「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」(1:22)

ついにパロは、狂気の沙汰になってしまいました。この「すべての民」とはエジプト人のことです。この箇所は、ヘブル人もエジプト人も男の子はすべてナイル川に投げ込まれなければいけない、という意味にも取れますが、そうではなく、エジプト国民すべてに対して、ヘブル人の男の子を見つけたらナイル川に投げ込みなさい、という命令です。つまり、これまでは五人組のような監視制度を設けたということです。互いに監視して、連帯責任とし、通告しなければ罰するようにしたのです。

けれども、出エジプト記の話を先に進めると、パロはエジプト軍と共に紅海の水の中で溺れ死ぬ運命を辿ります。イスラエルの民を水の中で殺すという呪いを与えたので、自分たちが水の中で溺れ死ぬことになってしまいました。まさに、「あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。」(創世記12:3)です。わたしはという呪いを受けたのです。

ここから、神の「贖い」の計画が始まっていきます。私たちは、創世記において、神の祝福の約束について学びました。神がアダムとともにおられた、あの祝福を私たちが受けることができるという約束です。そのために、神はアブラハムを召し出し、彼の子孫からこの祝福を与えるように計画を立てられたのです。

 

その約束は、イサク、ヤコブに引き継がれました。けれども、ヤコブの時代に彼の家族は、ヨセフのいるエジプトへと下って行きました。その祝福は、カナンの地を所有して多くの子孫が与えられるというものでしたが、彼らはエジプトに下って行かなければなりませんでした。

 

しかし、それは一つの大きな神のご計画が実現されるためでもあったのです。それは、彼に苦難を与えるためでした。神はただ単にイスラエルを祝福されるのではなく、まず彼らが苦しむのを許され、その苦しみから彼らを救い出し、その後で彼らを祝福されるというものだったのです。

 

でも、なぜ、神はそのようなことをわざわざされたのでしょうか。イザヤ書43章10節には、神はイスラエルに、「あなたがたは、わたしの証人」であると言われました。私たちがイスラエルを見るとき、神がどのような方であるか、また、神が何をなされるのかがわかります。アダムの子孫である人間は、神から引き離され、のろいの下にいましたが、神は、女の子孫から出るキリストによって人類を救い出し、ご自分の祝福に置かれようとされたのです。

 

これが、神の贖いの計画です。それゆえ、神の証人であるイスラエルは、まず苦しみを受けなければなりません。それは彼らがそれによって滅んでしまうためではなく、罪の中に苦しんでいる人をどのように救ってくださるのかを知るためでした。

私たちが、出エジプト記を通してイスラエルのたどった道を読むとき、神がどのように私たちを贖われるかを見ることができるのです。

ヨハネの福音書3章31~36節「上から来られる方」

今日は、「上から来られる方」というタイトルでお話します。今、M兄とT姉のバプテスマ式を行いました。お二人は、イエス・キリストを信じてバプテスマを受けらました。キリスト教の信仰では、この誰を信じるかというのがとても重要です。

 

宗教と呼ばれるものにはたくさんありますが、中には何を信じているのかがよくわからないものも少なくありません。何を信じているのかということよりも、とにかく信じることが重要だと、信じることだけを強調するものも多いのです。鰯の頭も信心から、というわけです。ひどい言い方をすれば、何を信じるかなんてどうでもいいのです。確かに信じる対象がどうであれ、熱心に手を合わせることで一時的な心の安らぎが与えられるかもしれませんが、それで問題が解決されるのかというとそうではありません。どんなに信じても、自分が信じている対象が本当に救ってくれる力を持っているものでなければ、何の意味もないのです。ですから、信仰において最も重要なことは、その信じている対象がどのような方であるかということです。

 

今読んでいただいた箇所には、私たちの信じている方、イエス・キリストがどのような方であるのかがよく教えられています。

 

Ⅰ.上から来られた方(31-33)

 

まず31節から33節までをご覧ください。

「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地のことを話す。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。

この方は見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。 その証しを受け入れた者は、神が真実であると認める印を押したのである。」

 

27節から30節まではバプテスマのヨハネの言葉が記されてありますが、この箇所は、そのバプテスマのヨハネの言葉の続きなのか、この福音書を書いた使徒ヨハネの言葉なのかははっきりわかりません。バプテスマのヨハネの引用をここまでとしないで、36節の終わりまでとして訳すこともできるからです。しかし、36節の言葉を見ると、これは使徒ヨハネの言葉と考えるのが自然かと思います。なぜなら、3章18節にも、「御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。」と語れているからです。どちらが語った言葉であるにせよ、大切なのはその内容です。

 

「上から来られた方」とは、イエス・キリストのことです。キリストはただの人ではなく、上から来られた方です。つまり、天から来られた方なのです。それに対して「地から出る者は地に属し、地のことを話します。」これはだれのことを言っているのかというと、私たち人間のことです。私たちは、地から出た者なので、地のことを話します。しかし、キリストは天から来られた方なので、天からの言葉を語られるのです。ご自分が天において見たことを、聞いたことを証しされるのです。

 

これは驚くべきことではないでしょうか。私たちはだれも天に行ったことがない

で、そこがどういうところなのかわかりませんが、この方はもとから天におられたので、天上のことがどうなっているのか、その現実を証しすることができるのです。

 

1975年に、レイモンド・ムーディという有名な内科医が、「死後の生」という本を書きました。彼は、死んでからまた生き返ったという100人の人々に会って、調査し、死後どういうことがあったのか、その体験をまとめました。

ある人は、「一人しか通ることのできないような、暗いトンネルを通った」とか、「すでに死んでいる、自分の身内や友人を含めた、いろいろな魂や、天使のような案内者に会った」とか、あるいは、「言葉に言い表すことができないような平安と喜びを体験した」と答えました。

 

しかし、実際のところは、それが本当に天国だったのかどうかわかりません。なぜなら、その人たちは死にかけたかもしれませんが、本当に死んだのかどうかさえわからないからです。つまり、天国に行ったのかどうかわからないのです。

 

しかし、キリストはもとから天におられたので、天上のことがどうなっているのか、はっきり伝えることができたのです。1章18節には、「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」とありますが、ひとり子の神であられるキリストが、神を説き明かされたのです。

 

しかしここにはもっと驚くべきことが記されてあります。それは、この方は自分が見たこと、聞いたことを証ししているのに、だれもそのあかしを受け入れないということです。それは、私たちの回りを見れば一目瞭然でしょう。私たちの回りに、どれだけの人がそのあかしを受け入れているでしょうか。本当に一握りの人しかいません。

 

日本では、クリスチャンは人口のおよそ1%であると言われていますが、実際にはそんなにいないでしょう。日本の人口はおよそ1億2645万人ですから、仮にその1%がクリスチャンだとすると、126万人となります。しかも、その半分がカトリックですから、プロテスタントは50~60万人くらいでしょう。その中で日曜日に教会に行っているのは24万人くらいだと言われていますから、仮に電車に200人乗っていれば、クリスチャンが1人いるかどうかです。M兄が通っている大学の学生数は約6,500人ですから、30人くらいいても不思議ではありませんが、そんなにいないでしょう。ここには3~4人だけです。だれもそのあかしを受け入れません。

 

でも、わずかでもそのあかしを受け入れる人がいます。そういう人はどういうことになるのかというと、33節にあるように、神が真実な方であると認める印を押した人です。ここには、「その証しを受け入れた者は、神が真実であると認める印を押したのである。」とあります。この32節と33節の言い方は、1章11~12節のみことばを思い出させます。「この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」

 

私たちが犯しやすい過ちは、神がお語りになったことを受け入れようとしないことです。そればかりか、その上に立って判断しようとします。それは先生が生徒に教えようとしている時、その教えを受け入れないで、それを批判するようなものです。いや、それ以上でしょう。なぜなら、先生も人間である以上、間違えることもあって、時として先生以上に優秀な生徒がいるということもあるからです。しかし、神の場合はそのようなことは絶対にありません。それなのに、人間が神の上に立って、それが正しいか、間違っているのかを、判断しているとしたら、本末転倒もいいところで、そのような態度では、いつになっても神を理解できるはずがありません。被造物である人間にできることは、ただ神の証しを受け入れることしかないのです。なぜなら、この方はすべてのものの上におられる方だからです。すべてのものの上におられ、すべてを支配しておられる方の証しをそのまま受け入れること、それが信じるということにほかなりません。

 

クリスチャンとは、このイエスの証しを受け入れた者です。その人は、ただイエスのことばが真実であることを確認したというだけでなく、神は真実であるということを認める印を押しました。なぜなら、イエスを遣わされたのはその父なる神であられるからです。イエス様を信じても、その初めの頃は、神様が真実な方なのかどうかよく分からないこともあります。イエス様を信じたのに、どうして私の人生にこんなことが起こるのかということがありますと、神様なんていないんじゃないか、と思うこともあります。しかし、時が経てば経つほど、本当に神は真実なお方であるということが分かってくるものです。

 

先日、末期のすい臓がんで、ご自宅で療養されているYさんを尋ね、一緒に賛美戸祈りの時を持たせていただきました。今年の6月にご病気であることがわかった時には、夏を乗り越えられないのではないかと思いましたが、不思議な神の恵みによって、ずっと命が保たれているというだけでなく、平安の中に過ごしておられます。痛みがある時は鎮痛剤を飲む程度で、他に特別な治療はしておられません。

ローマ人への手紙8章28節の御言葉、「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)を読んだ時、Y姉がこうおっしゃられました。「いや、クリスチャンになったばかりの頃は次から次に試練がやって来て、神様なんていないんじゃないかと思ったこともありましたが、しかしあれから25年、振り返ってみると、本当に神様に守られていたということがよくわかります。もっと早く信じればよかったと思います。ただこうして信仰によって救われた今、イエス様にいつも見守られて、平安が与えられていることを感謝しています。幸いなことに、死ぬことに恐れはないんです。死は終わりの始まりですから。」

本当にそうではないでしょうか。時が経てば経つほど、神がいかに真実な方であるかということが実感として分かってきます。その証しを受け入れた者は、この神が真実な方であるということを認めるだけでなく、その真実な神に励まされて生きる力が与えられるのです。

 

Ⅱ.キリストは神のことばを語られる(34-35)

 

次に、34節と35節をご覧ください。「神が遣わした方は、神のことばを語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからである。父は御子を愛しておられ、その手にすべてをお与えになった。」

 

「神が遣わした方は、神のことばを語られる」。これは、イエス・キリストのことです。キリストは神から遣わされた方なので、神のことばを語られます。なぜなら、「神が御霊を限りなくお与えになるから」です。新改訳聖書第三版には、「神が御霊を無限に与えられるからである。」とあります。

 

これはどういうことかと言うと、一般に預言者と呼ばれる人は神のことばを語りますが、どのようにして語るのかというと、神の御霊、聖霊に導かれてです。預言者は自分が語りたいことではなく、神が語るようにと導いてくださっていることを語るのです。しかし、私たちが神のことばを語るのと、キリストが語るのとでは少し違いがあります。確かに私たちも御霊に導かれて語っていますが、限界があるのです。そのために祈り、聖書をよく調べ、神が語っておられることはこういうことだと確信をもって語りますが、時々わからないということや、間違って理解することがあります。しかし、イエス様はそういうことがありません。イエス様は完全に神のことばを語ることができました。なぜなら、神が御霊を無限に与えられたからです。

 

これは、神のことばを語る私たちがいつも目指していることです。説教者(預言者)は、自分の思いや考えを語るのではなく、神から預かった言葉を、神からのことばとして語らなければならないということです。その神のことばこそ聖書です。キリストが地上におられた時は、キリストからじかに神のことばを聞くことができましたが、キリストが昇天して天に行かれた後は、神は私たち人間の救いに関する御心を、この聖書に啓示してくださいました。ですから、神の御心のすべては、この聖書の中に書かれてあるのです。聖書が神からの啓示であると言えるのは、これが神の御霊である聖霊によって書かれたものだからです。テモテ第二の手紙3章16節に、「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」と書かれてあるとおりです。聖書こそ100%神の御霊によって書かれた書であり、キリストが地上におられた時に語られた時と同じ権威をもった神のことばにほかなりません。だから説教者は、この神のことばである聖書を語らなければならないのです。

 

しかし、それは説教者だけではありません。その説教を聞く人も同じで、それを説教者のことばとしてではなく、また人間のことばとしてではなく、神のことばとして聴かなければなりません。

 

私はこれまで毎週日曜日の礼拝で説教を語ってきました。神のあわれみによって35年間語らせていただいたので、礼拝説教だけで1820回語ってきたことになります。その他に祈祷会やさまざまな集会で語って来たことを合わせると相当数の説教を語って来たことになります。私はよくしゃべるので、中には私は口から生まれて来た人間だと思っている人もいますが、実はそうではなく、本当に口下手で、シャイで、できれば誰かの陰に隠れていたいタイプなのです。そんな私が語り続けることができたのは、それは私の中に語るものがあったからではなく、神が語るべきことばを与えてくださったからです。そうでなければ、そんなに語り続けることなんてできなかったでしょう。

 

でも、もっと驚くべきことは、そこにそれを聴いてくださる方がおられたということです。学校ならば卒業もありますが、教会には卒業がありません。何年も、何十年も、教会を移らない限り、ずっと同じ牧師からの説教を聴き続けなければならないのです。それも大変なことだとつくづく思います。語る方も大変ですが、聴く方はもっと大変です。「また同じことを言っている。前にも聞いたなぁ」と愚痴の一つが出ても不思議ではありません。それなのにずっと同じ牧師から聴き続けることができるのは、それを人間の言葉としてではなく、神からの言葉として聴いておられるからです。それが、人間の言葉であれば、聴き続けることなんてできないでしょう。そうです、私たちがいつも礼拝で耳を傾けている聖書は、人間から出た言葉ではなく、神から来た言葉なのです。説教者はただそれを取り次がせていただいているに過ぎません。ですから、いつまでも語り続けること、また聴き続けることが可能になってくるのです。

 

あなたは、神のことばである聖書のことばをどのように受け止めておられるでしょうか。聖書のことばを神のことばとして受け止め、そこに信頼をおいていますか。聖書のことばをそのように受け止めるなら、あなたの人生にもこの豊かな神の恵みが注がれるのです。

 

Ⅲ.永遠のいのちを持つ者(36)

 

最後に36節のことばを見て終わりたいと思います。この節は、これまで語ってきたことの結論です。「御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」

 

「御子を信じる者は永遠のいのちを持っている」御子イエスを信じる者には、今、この地上で生きている時点で、すでに永遠のいのちが与えられているのです。永遠のいのちは、死後に与えられるものだけではなく、信じた時から体験できる神との生きた交わりであり、神の臨在であるからです。

 

それはまた、この御子イエスを信じない者に対する霊的現実でもあります。ここには、「御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがとどまる。」とあります。それは死後のことだけでなく、今すでに始まっているのです。いくら神のことばを聞き、イエス・キリストの福音を聞いても、それに従う意志がない人には、永遠の祝福にあずかることがないというだけでなく、今も神の怒りがその上にとどまっているのです。神との生ける交わりがありません。人のからだも血管が詰まると重大な病気を引き起こすように、神との交わりが断たれると、そこに神のいのちが流れることはありません。霊的に死んでいるのです。しかし、あわれみ豊かな神様は、その死の原因である罪を取り除くために、御子イエスを遣わしてくださいました。この方を信じる者はひとりも滅びないで、永遠のいのちを持つのです。

 

あなたは、この永遠のいのちを持っておられますか。それとも、まだ神の怒りがとどまっているでしょうか。T姉とM兄は、御子イエスを信じて永遠のいのちを持つことができました。その答えを御子イエスに見出したのです。あなたも御子イエスを信じてください。信じて、この方の中にしっかりととどまってください。それが、神が御子をこの世に遣わされた目的だったのです。

士師記13章

士師記13章から学びます。

Ⅰ.マノアとその妻(1-7)

まず1~7節までをご覧ください。「1 イスラエルの子らは、【主】の目に悪であることを重ねて行った。そこで【主】は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡された。2 さて、ダンの氏族に属するツォルア出身の一人の人がいて、名をマノアといった。彼の妻は不妊で、子を産んだことがなかった。

13:3 【主】の使いがその女に現れて、彼女に言った。「見よ。あなたは不妊で、子を産んだことがない。しかし、あなたは身ごもって男の子を産む。4 今後あなたは気をつけよ。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。5 見よ。あなたは身ごもって男の子を産む。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人だから。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」6 その女は夫のところに行き、次のように言った。「神の人が私のところに来られました。その姿は神の使いのようで、たいへん恐ろしいものでした。私はその方がどちらから来られたか伺いませんでした。その方も私に名をお告げになりませんでした。7 けれども、その方は私に言われました。『見よ。あなたは身ごもって男の子を産む。今後、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。その子は胎内にいるときから死ぬ日まで、神に献げられたナジル人だから』と。

イスラエル人は、再び主の目の前に罪を行いました。それで主は40年間、彼らをペリシテ人の手に渡されました。ペリシテ人は地中海に面している地域に住んでいた民族で、イスラエルの地においてもガザやアシュケロンなど、沿岸地域に住んでいました。そのペリシテ人の手に渡されたのです。しかも、40年の長きに渡ってです。これは、預言者サムエルがペリシテ人に勝利する時まで続きます(Ⅰサムエル7章)。サムソンが士師として活躍するのは20年間ですが、それはペリシテ人による圧政の期間の間に入る出来事です。

ところで、ダン族に属するマノアという人がいました。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがありませんでした。当時は、子どもがいないということを神の呪いと受け止められていたので、そのことは彼らにとってとても悲しい出来事でした。そんな彼女に、ある日主の使いが現れて、男の子を産む、と告げました。それゆえ、ぶどう酒や強い酒を飲んだり、汚れた物をいっさい食べないように気を付けよ、と告げたのです。また、その子の頭にかみそりを当ててはならない、とも言いました。なぜなら、その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人であるからです。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始めるというのです。

ナジル人とは、「聖別されたもの」という意味です。民数記6章1~8節には、このナジル人について、次のように記されてあります。「主はモーセに告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。男または女が、主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、その人は、ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。また、ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも、干したものも食べてはならない。ナジル人としての聖別の全期間、彼はぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間は、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであり、頭の髪の毛を伸ばしておかなければならない。主のものとして身を聖別している間は、死人のところに入って行ってはならない。父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らとの関わりで身を汚してはならない。彼の頭には神への聖別のしるしがあるからである。ナジル人としての聖別の全期間、彼は主に対して聖なるものである。」

ここにはナジル人に対して、三つの命令が与えられています。一つは、ぶどう酒や強い酒を飲んではならないということ、二つ目のことは、ナジル人としての聖別の誓願を立てている間は、頭にかみそりをあててはならないということ、そして三つ目のことは、死人のところに入って行き、身を汚してはならないということです。ぶどう酒や強い酒を飲んではならないというのは、生活の楽しみを自発的に断ち、神への献身を表明することを表していました。また、頭にかみそりをあてないというのは、そのことで軽蔑されるようなことがあっても、神への献身のゆえにどのような軽蔑をも甘んじて受けることを表していました。当時の人は前髪を短く刈っていたので、ナジル人の誓願をすることで前髪が伸び、人々から軽蔑されるということもありました。しかし、どんなに軽蔑されても、神に献身した者はそれさえも甘んじて受けなければならなかったのです。そして、死体に近づくことは、汚れを避けることを意味していました。たとえそれが肉親であっても、死体に近づいて身を汚すことは許されませんでした。その厳格さは、大祭司と同等のものでした。一般の祭司でさえ、肉親の死体に近づくことは許されていたのです(レビ記21:1-4,10-11)。

このナジル人の誓願には、一定期間で終わるものと、終生の誓願とがありましたが、サムソンは終生のナジル人でした。しかし、彼の父母も一定期間ナジル人として生きることが求められたのです。

聖書の中には、生まれながらのナジル人が3人います。このサムソンと預言者サムエル(Ⅰサムエル1:11)、そして、バプテスマのヨハネ(ルカ1:15)です。彼らは、主のために聖別された僕としての人生を歩みました。そして、主イエスもこのナジル人としての生涯を歩まれました。主イエスは、この世から分離し、父なる神に完全に従うことによって、聖別された生涯を歩まれたのです。そして、そのイエスを信じ、イエスにつながり、イエスに従う私たちにも、霊的には、このナジル人とされたと言ってもよいでしょう。ですから、クリスチャンはみな、ナジル人として生きることが求められているのです。

パウロはⅡコリント6章14~18節で、次のように言っています。「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らから離れよ。──主は言われる──汚れたものに触れてはならない。そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。──全能の主は言われる。」」

ここで勧められていることは、まさにこのナジル人として生きなさいということです。それはこの世から隔離された修道院のような生活をしなさいということではありません。この世にいながらも、この世のものではなく、神のものとして、この世と分離して生きなさいということです。それは主イエスがこの世から分離し、父なる神に完全に従ったように生きるということです。なぜなら、私たちはこの世から救い出され、神のものとされたものだからからです。神のものとされた者は、この世にあっても神のものとして聖別し、世の光、地の塩として生きていかなければならないのです。

Ⅱ.マノアに現れた主の使い(8-14)

次に8~14節までをご覧ください。「8 そこで、マノアは【主】に願って言った。「ああ、主よ。どうか、あなたが遣わされたあの神の人を再び私たちのところに来させ、生まれてくる子に何をすればよいか教えてください。」9 神はマノアの声を聞き入れられた。それで神の使いが再びこの女のところに来た。彼女は畑に座っていて、夫マノアは彼女と一緒にはいなかった。10 この女は急いで走って行き、夫に告げた。「早く来てください。あの日、私のところに来られたあの方が、また私に現れました。」11 マノアは立ち上がって妻の後について行き、その人のところに行って尋ねた。「この女にお話しになった方はあなたなのですか。」その人は言った。「わたしだ。」12 マノアは言った。「今にも、あなたのおことばは実現するでしょう。その子のための定めと慣わしはどのようなものでしょうか。」13 【主】の使いはマノアに言った。「わたしがこの女に言ったすべてのことに気をつけなければならない。14 ぶどうからできる物はいっさい食べてはならない。ぶどう酒や、強い酒も飲んではならない。汚れた物はいっさい食べてはならない。わたしが彼女に命じたことはみな守らなければならない。」

それで女は夫のところに行き、そのことを告げると、マノアは主に願って言いました。「ああ、主よ。どうか、あなたが遣わされたあの神の人を再び私たちのところに来させ、生まれてくる子に何をすればよいか教えてください。」

マノアは妻の報告を聞き、主に願って言いました。神が遣わされた神の人を再び遣わして、生まれてくる子に何をすれば良いか教えてくれるように・・・と。

すると、神はマノアの祈りを聞かれたので、神の使いが再び彼の妻のところに来ました。その時マノアは彼女と一緒にいなかったので、彼女はすぐに夫を呼びに行き、その人のもとに連れて来ました。おもしろいですね。マノアが懇願したのに、神の使いはまたマノアのところではなく妻のところにやって来ました。また、マノアが妻に連れられてその神の人のところへ行ったとき、その神の使いが言ったことは、以前彼の妻に告げたことを繰り返しただけでした。つまり、「わたしが彼女に命じたことはみな守らなければならない。」(13)ということだけだったのです。なぜでしょうか?それはその必要がなかったからです。神のみこころはすでにマノアの妻に告げられました。彼にとって必要だったことは、そのことに聞き従うことだったのです。

時として、私たちも、既に与えられている御言葉で満足できず、もっと先のことや新しいことを知りたいと願うことがありますが、大切なのは、先のことが見えなくても、新しい情報が示されなくても、今与えられていることに感謝し、目の前に示されたことを忠実に行っていくことです。そうすれば、次にすべきことが示されるようになるでしょう。

Ⅲ.わたしの名は不思議(15-25)

次に、15~23節までをご覧ください。「15 マノアは【主】の使いに言った。「私たちにあなたをお引き止めできるでしょうか。あなたのために子やぎを料理したいのですが。」16 【主】の使いはマノアに言った。「たとえ、あなたがわたしを引き止めても、わたしはあなたの食物は食べない。もし全焼のささげ物を献げたいなら、それは【主】に献げなさい。」マノアはその方が【主】の使いであることを知らなかったのである。17 そこで、マノアは【主】の使いに言った。「お名前は何とおっしゃいますか。あなたのおことばが実現しましたら、私たちはあなたをほめたたえたいのです。」18 【主】の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはそれを聞くのか。わたしの名は不思議という。」19 そこでマノアは、子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で【主】に献げた。主のなさる不思議なことを、マノアとその妻は見ていた。20 炎が祭壇から天に向かって上ったとき、【主】の使いは祭壇の炎の中を上って行った。マノアとその妻はそれを見て、地にひれ伏した。21 【主】の使いは再びマノアとその妻に現れることはなかった。そのときマノアは、その人が【主】の使いであったことを知った。22 マノアは妻に言った。「私たちは必ず死ぬ。神を見たのだから。」23 妻は彼に言った。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、【主】は私たちの手から、全焼のささげ物と穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。また、これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、今しがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったはずです。」

マノアとその妻は、その時点でも主の使いが誰なのかを理解していませんでした。彼らはその人を預言者のひとりだと思っていたのです。そこで、その人をもてなしたいと思い、彼らの家に留まってもらうようにお願いしました。しかし、その人は、たとえ留まっても、食事のもてなしは受けないと断りました。そして、もし全焼のささげ物を献げたいなら、主に献げなさい、と命じたのです。

するとマノアは、その人に名前を尋ねました。「お名前は何とおっしゃいますか。」彼としては、このことが成就したら、預言者としてその人をほめたたえようと思ったのでしょう。すると、主の使いは、「なぜ、あなたはそれを聞くのか。わたしの名は不思議という。」と言いました。「不思議」という名前は不思議な名前です。しかし、それはその人物が神であることを指していました。というのは、不思議を行うことができるのは神だからです。神は不思議な方です。そして、その不思議を千年以上も後にご自身の御子イエス・キリストを通して表してくださいました。まさに、神のなさった最高・最大の「不思議」は神の御子が人となってこの世に来られ、その十字架の御業によって救いの道が開いてくださったことです。預言者イザヤはそのことを前もって預言し、やがて来られるメシヤがどのような方であるのかをこう告げました。「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」。(イザヤ9:6)

そして、主はマノアとその妻に不思議な御業を見せてくださいました。マノアが主の使いに言われるとおり子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で主に献げると、炎が祭壇(岩)から出てきて捧げ物を焼き尽くしたかと思ったら、主の使いが天に向かって上って行ったのです。それで、マノアとその妻は地にひれ伏しました。自分たちは死ぬのではないかと思ったのです(出エジプト記33:20)

しかし、マノアの妻は、こう言いました。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から、全焼のささげ物と穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。また、これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、今しがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったはずです。」

それはそうです。彼らを殺すつもりであれば、彼らがささげた全焼のいけにえをお受けになられるはずはありません。主が全焼のいけにえをお受けになられたというのは、主が彼らの祈りを聞かれたことを示していました。ですから、マノアの妻の言っていることは正しいのです。妻の方が霊的な目が開かれていました。

私たちもクリスチャンになってからでも、このように神のさばきを恐れてしまうことがあります。けれども、神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためです(ヨハネ3:17)。もし神が私たちを滅ぼすつもりなら、私たちに御子を与えられるはががありません。神は私たちを救い、私たちに永遠のいのちを与えるために、御子を与えてくださいました。私たちは、御子にあって、神の御救いに入れていただいたのです。この神の愛を受け取り、安心して主の道を歩ませていただきましょう。

最後に24節と25節をご覧ください。「24 この女は男の子を産み、その子をサムソンと名づけた。その子は大きくなり、【主】は彼を祝福された。25 【主】の霊は、ツォルアとエシュタオルの間の、マハネ・ダンで彼を揺り動かし始めた。」

主の使いの言ったとおり、マノアの妻は男の子を産み、その子を「サムソン」と名づけました。「サムソン」という名前は、「太陽」という意味の言葉から来ています。いわば、「太陽の子」という意味です。それはまた、彼の使命を象徴している名前でもありました。彼はイスラエルの民をペリシテ人の圧政から救い出す太陽となるからです。主が彼を祝福してくださったので、彼は大きく成長して行きました。それは肉体的にというだけでなく、知的にも、霊的にも、です。そして、彼が大きく成長して行ったとき、主の霊が彼を揺り動かしました。「マハネ・ダン」とは、「ダンの陣営」という意味です。主はダンの陣営で、彼を揺り動かし始めたのです。

このサムソンの姿には、いくつかの点でイエス・キリストとの類似点があります。たとえば、その出産が通常とは違っていたという点です。サムソンの母は不妊の女でしたが、主の助けによって男の子を身ごもりました(ルカ1:34-35)。そして、主イエスの母マリヤも処女でしたが、いと高き方の力、聖霊の力によって男の子を宿しました。また、サムソンは「太陽の子」という意味の名前でしたが、イエス・キリストは、「すべての人を照らすまことの光」(ヨハネ1:9)と呼ばれました。さらに、サムソンが主の祝福を受けて成長したように、主イエスも、神の恵みがその上にあったので、成長し、強くなり、知恵に満ちて行きました(ルカ2:40)。そして何よりも、サムソンも主イエスも、主の霊に揺り動かされて活動されました。つまり、サムソンは来るべきメシヤのひな型であったのです。私たちも、主の霊に揺り動かされ、主の霊に満たされて、神から与えられた使命を全うさせていただけるように祈りましょう。

ヨハネの福音書3章22~30節「主役はキリスト」

きょうは、ヨハネの福音書3章22節から30節までの箇所から、「主役はキリスト」というタイトルでお話しします。

 

Ⅰ.ヨハネの弟子たちのいらだち(22-26)

 

まず22節から26節までをご覧ください。

「その後、イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、彼らとともにそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。

一方ヨハネも、サリムに近いアイノンでバプテスマを授けていた。そこには水が豊かにあったからである。人々はやって来て、バプテスマを受けていた。ヨハネは、まだ投獄されていなかった。

ところで、ヨハネの弟子の何人かが、あるユダヤ人ときよめについて論争をした。彼らはヨハネのところに来て言った。「先生。ヨルダンの川向こうで先生と一緒にいて、先生が証しされたあの方が、なんと、バプテスマを授けておられます。そして、皆があの方のほうに行っています。」」

 

「その後」とは、ニコデモとの会話の後で、のことです。イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、彼らとともにそこに滞在して、バプテスマを授けておられました。それがどこであったかのかははっきりわかりませんが、おそらくヨルダン川でのことでしょう。というのは、26節に、「先生。ヨルダンの川向うで先生と一緒にいて、先生が証しされたあの方が、なんと、バプテスマを授けておられます。」とあるからです。おそらく、ヨハネがいた所からそう遠くない場所でイエスはバプテスマを授けておられたのだと思います。

 

一方ヨハネはというと、サリムに近いアイノンという所でバプテスマを授けていました。そこには水が豊かにあったからです。その頃はまだ、ヨハネは投獄されていませんでした。ヨハネはこの後でガリラヤの領主であったヘロデ・アンティパスに捕らえられ投獄されますが、まだ捕らえられていなかったので、バプテスマを授けていたのです。

ですから、その頃はイエスとバプテスマのヨハネの双方がバプテスマを授けていました。これは、どういうことでしょうか?それはちょうどリレーのバトンの受け渡しのようです。ヨハネは旧約聖書の最後の預言者でした。彼において旧約の時代は終わります。旧約聖書の主な役割は、キリストが来られることを予め前もって告げることでした。そのキリストが来られたのです。ですから、ヨハネの働きが終わって、ヨハネが指し示していたキリストの働きが今まさに始まろうとしていました。そのバトンがキリストへと渡されようとしていたのです。

 

ところが、ヨハネの弟子たちはそのことが理解できませんでした。それで彼らはヨハネのところに来て、こう言いました。26節、「先生。ヨルダンの川向うで先生と一緒にいて、先生が証しされたあの方が、なんと、バプテスマを授けておられます。」

 

バプテスマのヨハネが、以前ヨルダン川でバプテスマを授けていた時は、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川の全地域から人々がやって来ました。その中には、パリサイ人やサドカイ人も大勢いれば、ローマの兵士たちもいました。ところが、バプテスマのヨハネが主イエスのことを、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」(1:29)と言ってあかしし始めると、人々はどんどん彼から離れて行き、イエスの方について行くようになりました。彼らは、それがおもしろくなかったのです。

 

ある註解者は、この時のヨハネの弟子たちの心境をこのように推察しています。

「ヨハネの弟子たちは、多くの者がイエスのもとに行くのを見て、いらだちを覚えたのであろう。ヨハネの使命が、イエスを指し示すことであることは百も承知していたはずなのに、『皆があの方のほうに行きます』という言葉から想像できるように、人の波が大きくイエスの方に移っていくのを見た時、弟子たちは切ない気持ちになったのであろう。そして、その切ない気持ちはいらだちへとふくれあがっていったに違いない。ヨハネの弟子たちの心の中にはイエスに対するねたみの思いが湧き上がってきたのではないだろうか。人が離れていくのを寂しいと思う気持ちが雪だるま式にふくれあがり、やがてねたみへと変わっていったのである。人間の争いのほとんどは、この感情を震源地としているのである。イエスを十字架につけたのも、ユダヤの指導者たちのねたみのせいであったと他の福音書には記されている。」

 

この時のヨハネの弟子たちの心境がよく表されているのではないでしょうか。人間の争いのほとんどは、この感情を震源地としているのです。すなわち、人をねたむ心こそが、人間の争いの原因なのです。

 

先日祈祷会で士師記12章から学びましたが、エフタに詰め寄ったエフライム人の問題もここにありました。彼らはアンモン人に勝利したエフタに詰め寄ってこう言い増した。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。」(士師記12:1)

なぜって、以前エフタがアンモン人と戦ったとき、彼らに助けを求めたのに、彼らは助けてくれなかったからです。それなのに、今ごろになって不平を漏らし、戦いを挑んでくるなんて、筋が違います。それは彼らの中に高ぶりとエフタに対するねたみがあったことが問題でした。

 

パウロは、コリントの教会に宛てて書いた手紙の中で、彼らは御霊の人ではなく、まだ肉の人だと言っています。なぜなら、彼らの間にはねたみや争いがあったからです。それである人は「私はパウロにつく」と言い、別の人は「私はアポロに」と言っていたのです。アポロとは何ですか。またパウロとは何ですか。彼らは、あなたがたが信じるために用いられた奉仕者であって、主がそれぞれに与えられたとおりのことをしたのです。「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」(Ⅰコリント3:6-7)

 

あなたにはこのような思いはないでしょうか。私たちは、すぐに人と自分を比較してはねたみを抱いてしまいます。自分よりもほかの人の方が優れているのを見ると、あるいは、ほかの人がうまく行っているのを見ると、その人が妬ましくなるのです。しかし、それはただの人、つまり、イエスを知らない人と同じです。そうした思いはただ争いを引き起こすだけで、そこからは何も良いものが生まれてきません。ですから、もしあなたの中にこうした思いがあるならば、イエス様に赦していただきながら、神の御霊によって聖めていただかなければなりません。

 

Ⅱ.自分の立場をわきまえる(27-28)

 

次にそうした弟子たちの訴えに対して、バプテスマのヨハネがどのように答えているかを見てみましょう。27節と28節をご覧ください。

「ヨハネは答えた。「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることができません。『私はキリストではありません。むしろ、その方の前に私は遣わされたのです』と私が言ったことは、あなたがた自身が証ししてくれます。」

 

「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることができません。」とは、どういう意味でしょうか?人々がキリストの方に行くのは、神がそうさせておられるからであるということです。それなのに、ねたみを抱くことがあるとしたら、その神の主権を侵害すことになります。私たちは、どんな場合でもそこに神の御手があることを認めなければなりません。

 

それは私たちの生死に関しても言えることでしょう。たとえば、私たちの家族の中に障害のある子どもが生まれてくると、なかなかそれを受け入れることができないかもしれません。そのことで親は自分を責め続けるでしょう。しかし、そこに神の御手があると信じ、神が与えてくださったものであると受け止めるなら、その苦しみから解放されるでしょう。

 

それは自分のいのちについても同じことが言えます。人は自分の死が近づいて来るとなかなかそれを受け入れることができません。そのためにもがき苦しむのです。しかし、クリスチャンは違います。クリスチャンは、自分の人生すら自分のものではなく、自分がこの世に生かされているのは、神が自分にいのちを与えてくださったからであると受け止めているので、そして、この世での使命を果たし終える時、神はこの世のすべての苦しみから解放して、もっとすばらしい天の御国に入れてくださるということを信じているので、安らかに死を迎えることができるのです。

 

今、さくら市ミュージアムで「青木義雄と内村鑑三」展をやっておりますが、昨日はその記念講演として内村鑑三の人と信仰についての講演会がありました。講師が、黒川知文先生と言って、私の神学校の時の講師だったので、講演を聞きに行きました。内村鑑三の信仰に改めて感動しました。

何に感動したのかというと、その講演の中で内村鑑三が愛娘のルツ子さんを天に送るのですが、その告別式で内村鑑三がこのように言ったことです。「今日はルツ子の葬儀ではなく、結婚式であります。私は愛する娘を天国に嫁入りさせたのです」そして、墓地に埋葬する際には、一握りの土をつかみ、その手を高く上げ、甲高い声で「ルツ子さん、万歳!」と大勢の参列者の前で叫んだのです。後に東大の総長となった矢内原忠雄は、当時19歳でしたが、この叫びを聞いて雷に撃たれたような衝撃を受けたと言っています。

なぜ内村鑑三がこのように言うことができたのか。それは彼の中にキリストの再臨信仰があったからです。かなわち、キリストが再臨されるとき、キリストにあって死んだ者の復活があり、生ける者の携挙があると堅く信じて動かなかったからです。その時から、彼の再臨運動が一層熱を帯びていくわけです。そして、各地での聖書講義には平均で800人もの人々が集まったと言われています

17歳で札幌農学校に入学した彼は、キリストとの出会うわけですが、26歳の時にアメリカのアマースト大学でシーリー学長との出会いによって真の救いの体験をすると、このルツ子さんの死という試練を乗り越えて、死んでも復活する再臨信仰に至り、このように言うことができたのです。

 

それは生死に関することだけでなく、私たちの人生のすべてにおいて言えることです。人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることができません。今、私たちに起こっているすべてのことが神によって与えられているものであると受け止められるなら、すべての心のいらだちから解放されるでしょう。たとえ人が自分のところから他の人のところへ移って行くようなことがあったとしても、それが天から与えられたことであると受け止めるなら、すべてを神にゆだねることができるのです。

 

バプテスマのヨハネの場合はどうだったでしょうか。彼は28節でこのように言っています。「私はキリストではありません。むしろ、その方の前に私は遣わされたのです』と私が言ったことは、あなたがた自身が証ししてくれます。」

 

彼は、自分に与えられている立場がどのようなものであるかを、よく自覚していました。自分がどのような者であるかが分からない人は、とかく傲慢になります。パウロはコリントの教会の人たちに対してこう言っています。「いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、人からもらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」(Ⅰコリント4:7)

これはどういうことかというと、彼らが持っているものはすべて神からもらったものなのに、どうしてもらったものでないかのように誇るのかということです。彼らは、自分がどこから出発したのかを忘れていました。罪と汚れの中から、神の一方的な恵みによって、キリストの十字架の贖いによって救われたのに、そして、その神の恵みとして御霊の賜物が与えられたのに、あたかも自分の力で得たかのように錯覚していたのです。ですから、「あの人は、なぜ、自分たちのように神に仕えていないのか」と批判していたのです。それは彼らが、自分たちがどのような者であるのかを忘れていたからです。

 

自分を誇る人の多くは、この点がよくわかっていません。頭がよいということにしても、努力できるということにしても、ある種の才能を持っているということにしても、どれもすばらしいことですが、しかし、どれ一つとして自分の力で得たものではないのです。それらはみな与えられたものなのです。そういうことが分かってくると、自分の分もまたおのずと分かってくるのではないでしょうか。

 

バプテスマのヨハネは、自分に与えられていたものをよく自覚していました。「私はキリストではありません。むしろ、その方の前に私は遣わされたのです。」私はそういう者でしかないのです。だから、人々があの方の方へ行ったとしても、何の問題もありません。むしろ、それが本望です、と言うことができたのです。

 

謙遜ということは、口で言うのはやさしいことですが、実際にそれを行うということは、決してやさしいことではありません。特に、いかに人を蹴り落として自分が上に立つかを求めているこの競争社会の中に生きている私たちにとっては、本当に難しいことです。しかし、そのような中にあっても真に謙遜に生きるコツは、このバプテスマのヨハネのように自分に与えられた立場をわきまえ、そこに生きることなのです。

 

Ⅲ.主役はキリスト(29-30)

 

では、主役は誰でしょうか。主役はキリストです。バプテスマのヨハネはそのことを29節と30節でこのように言っています。

「花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」

 

バプテスマのヨハネは、続けて弟子たちに語っています。「花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。」

ヨハネはここで自分のことを、結婚式における花婿の友人にたとえています。花婿の友人とは、ベストマンとかブライズメイトのことです。日本ではベストマンとかブライズメイトのいる結婚式はあまり見られませんが、アメリカの結婚式ではよく見られます。というか、ほとんどの結婚式におります。彼らの役割は何かというと花嫁や花婿を引き立て、彼らを助け、彼らが結婚して、喜びの生活に入れるようにすることです。あくまでも結婚式の主役は花嫁であり、花婿です。その主役である花嫁を引き立て、そばに立って耳を傾け、大いに喜んでいるのが花婿の友人なのです。間違っても、自分が出すぎてはいけません。バプテスマのヨハネはここで、自分はその花婿の友人であり、花婿であられるキリストの声を聞いて喜びに満ち溢れていると告白しているのです。

 

これこそヨハネが彼の弟子たちに求めたことでした。そして、これはすべてのクリスチャンにも求められていることです。クリスチャンはみなこの花婿であられるキリストの友人であり、あくまでも主役はキリストなのです。このことを忘れてはいけません。というのは、謙遜はこのことをわきまえることから得られるものだからです。つまり謙遜は、謙遜になろうと努力することによって獲得できるようなものではなく、キリストとの正しい関係にあることによってもたらされるものであるということです。キリストはこのように言われました。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28-30)

どうすれば、たましいに安らぎが来るのでしょうか。キリストのくびきを負って、キリストから学ぶことによってです。なぜなら、キリストは柔和でへりくだっているからです。ですから、このキリストのくびきを負って、キリストから学ぶなら、たましいに安らぎを得ることができるのです。くびきとは、牛や馬など二頭の家畜をつなぐ棒のことですが、普通は牛や馬の頸部に取り付けられます。つまり、このくびきを負って、キリストとつながれているなら、私たちも柔和で、へりくだった者になることができるということです。

 

私たちは、花婿に仕える友人のように、花婿であるキリストを喜び、キリストに仕える者です。そして、花婿が花嫁と結ばれることによってその役目を果たし終えるように、キリストによって成し遂げられた救いの御業が全世界に宣べ伝えられ、多くの人々が救われて、世の終わりに天において子羊の婚宴が開かれることを待ち望みつつ、主に仕えて行く者なのです。

 

来週はM兄とT姉のバプテスマ式が行われますが、それはまさに花婿であられるキリストとの結婚式でもあります。やがて世の終わりにキリストとの婚宴が開かれる時、そこに招かれることでしょう。それはキリストの喜びであり、私たちの喜びでもあります。なぜなら、私たちは花婿のそばに立って、花婿が語ることに耳を傾け、花婿の声を聞いて大いに喜んでいる者だからです。それが私たちの喜びでもあるのです。

 

最後のところでヨハネは、「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」と言っています。これこそクリスチャンとしての最大のあかしです。「私が盛んになり、あの方は衰えなければなりません。」ではなく、「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」それでいいのです。それが私たちの人生であり、私たちの喜びだからです。

 

パウロは、コリント人への手紙の中で、「私たちは自分自身を宣べ伝えているのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝えています。私たち自身は、イエスのためにあなたがたに仕えるしもべなのです。」(Ⅱコリント4:5)と書きましたが、それはまさにこのことでした。私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝えるのです。あくまで主役はキリストなのです。そのことを忘れないでください。

 

今日からアドベントが始まりました。クリスマスの12月25日と言えば、冬至のころです。一年で一番夜が長い時期です。それから少しずつ昼が長くなっていきます。キリストがいよいよ光り輝き、栄光をお受けになられるのです。それに対して、バプテスマのヨハネは半年早く誕生しました。これはあくまでもそのように定められたということであって、実際のキリストの誕生日はいつなのかははっきりわかりません。ただわかっていることは、その半年前にバプテスマのヨハネが誕生したということです。ということは、クリスマスが12月25日とすれば、彼の誕生は6月24日となります。6月24日は夏至のころで、それから次第に昼が短くなっていきます。これは極めて象徴的であると言えるのではないでしょうか。バプテスマのヨハネは、この方をあかしさえすれば、それでこの世における使命は終わり、消えていくのです。まさに彼の人生は、「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」でした。

 

それは、私たちの人生も同じです。私たちの人生は、この方をあかしさえすれば、それでいいのです。それが本望です。それでこの世における使命は終わり、消えていくべき者にすぎないのです。私たちは、この神の定めを本当に理解しているでしょうか。それが本当に分かると、私たちの心は真の自由を得ることができます。私たちもこのバプテスマのヨハネから学び、彼のような生涯を送らせていただきましょう。あくまでも主役はキリストです。この方が盛んになり、私は衰えていかなければなりません。この方の声を聞いて大いに喜びましょう。キリストの心を心とする者、それが花婿であるキリストの友なのです。

ヨハネの福音書3章16~21節「永遠のいのちを持つために」

きょうは、ヨハネの福音書3章16節からのところから、「永遠のいのちを持つために」というタイトルでお話しします。

今お読みした聖書の箇所、特に3章16節は、聖書の中でも特に有名な箇所です。それは、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」という言葉です。なぜこの言葉が有名なのかというと、聖書には多くのことが書かれてありますが、その最も大切なことがここにあるからです。聖書のエッセンスがこの言葉の中にすべて含まれていると言えるでしょう。それゆえに、この箇所は「聖書の中の聖書」、「聖書の中の小聖書」と言われているほどです。

きょうは、この有名な箇所から、永遠のいのちを持つためにはどうしたらよいかについて、ご一緒に考えていきたいと思います。

 

Ⅰ.ひとり子を与えるほどの神の愛(16a)

 

まず16節に注目してください。ここには、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」とあります。

 

今日ほど愛という言葉が使われている時代はないでしょう。至る所で愛という言葉がささやかれていますが、その愛は、愛の形をしてはいても、実際には、そうではありません。むしろ愛とは正反対である場合がほとんどです。というのは、愛は自己犠牲が伴うものだからです。しかし、大抵の場合は、ほかの人に与えるものではなく、自分のためにすべてを奪うものになっています。

 

しかし、ここに本当の愛があります。それは、神が、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛されたことの中に現されました。ある註解者は、「ここに神の無限の愛がある。この愛は人間の知らない愛である」と言っています。何ゆえに、この愛は人間の知らない愛なのでしょうか。たとえば、この愛に最も近いものに母親の愛があるでしょう。母親にとってわが子は特別の存在で、まさに目の中に入れても痛くない存在です。母親であればわが子のために自分を犠牲にすることもいとわないでしょう。しかし、そのような愛でさえ「わが子」に限定されたもので、それを超えて愛するということはほとんどありません。
しかし、神の愛はそうではありません。神の愛は、全く愛される価値のない者でさえも愛する愛です。人間は神によって造られたにもかかわらずその神を愛することはおろか、神に背を向け、罪の奴隷となっていました。聖書では、これを罪と言っていますが、この罪深い人間のために、神はそのひとり子をお遣わしになり、十字架で死んでくださったのです。

 

旧約聖書のホセア書に出てくる物語は、この神の愛がどのようなものかをよく表しています。

ホセアという預言者は、神の愛をあかしするために、彼自身得意な生活を余儀なくされました。ホセアは、ディブライムの娘ゴメルと結婚し、三人の子どもが生まれました。しかし、妻のゴメルはホセアと結婚しながらも不貞を続け、彼よりも別の男性を求めたのです。夫のホセアは彼女を愛するあまり、その心は引き裂かれるばかりに痛み、苦しみます。けれども、ゴメルは夫から離れ、愛人たちのところに身を潜め、売春までするようになるのです。そのことを知ったホセアは恥を忍んでその場に出向き、お金を払って彼女を連れ戻します。ホセアは彼女が悔い改めることを願い、彼女のすべての罪を赦そうとするのです。

 

このたぐいまれな経験は、神が神の民イスラエルに対して抱いていた思いを表していました。背かれる者の苦しみと、その背く者への愛の深さを、彼は自分の経験を通して知り、神に反逆しているイスラエルの民を神がどんなに深く愛しておられるのかを語ったのです。いったいどこに夫を捨てて別の男に身も心も寄せた女を愛する人がいるでしょうか。しかし、ホセアは神の命令に従い、別の男に身を売っている妻を愛し、彼女を多くの代価を払って買い戻したのです。これが神の愛です。

 

この妻ゴメルの姿やイスラエルの姿は、私たちの姿でもあります。私たちは神を愛し、神の喜びと栄光のために造られたにもかかわらず、その神を愛することはおろか、神に背を向け、自分勝手に生きていました。それなのに、神はそんな背信と不遜のかたまりのような私たちを愛し、多くの代価を払って罪の奴隷から買い戻してくださいました。神は、全く愛される価値のない者さえをも愛してくださったのです。

 

いったい神はどのように愛してくださったのでしょうか。ここには、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」とあります。「ひとり子」とは、イエス・キリストのことです。この「ひとり子」という言い方は、神そのものであられるお方を意味しています。神ご自身が犠牲となってこの世に来られ、十字架にかかって死なれるほどに、愛してくださいました。その愛の広さはいかばかりかというと、「世を」という言葉の中に表されています。神の愛はその選ばれた民イスラエル人だけでなく、この世を愛されました。神の愛は、全世界のあらゆる民族に及ぶのです。しかも、その愛の大きさは、ひとり子をお与えになったほどでした。これは十字架での犠牲を指しています。尊い神の御子イエス・キリストの死こそ、神が私たちを買い戻すために支払われた代価だったのです。

 

皆さん、物の価値というのは、差し出された代価よって決まります。たとえば、ここにマイクがありますが、これは3万円くらいで買いました。3万円を払って買ったわけですが、それはそれだけの価値があったからです。では、神様は、私たちのためにどれだけの代価を払ってくれたでしょうか。何とそのためにご自身のひとり子をお与えになりました。本来であれば全く価値がない者なのに、神はそれほど価値ある者と見てくださったのです。それほどまでに愛してくださいました。

 

ローマ人への手紙5章7節~8節には、こうあります。「正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」

神は、私たちがまだ罪人であったときに、キリストが私たちのために死んでくださったことによって、ご自身の愛を明らかにしてくださいました。罪人である私たちのためにいのちを捨ててくださる方がおられる。これが神の愛です。これが聖書の中心なんです。このような愛は私たち人間の中にはありません。それは、私たち人間の知らない愛です。神はこの愛を、ひとり子であられるイエス・キリストをこの世に与えることによって表してくださったのです。

 

Ⅱ.永遠のいのちを持つために(16b-18)

 

いったいなぜ神はそれほどまでに愛してくださったのでしょうか。16節後半から18節にこのように記されてあります。

「それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」

 

それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。永遠のいのちとは何でしょうか?永遠のいのちとは、単に長生きすることではありません。ヨハネの福音書17章3章には「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」とあります。

 

私たちは「永遠のいのち」という言葉を聞くと、死んだあとも続くいのちであるかのように考えがちですが、確かに、死んでからも続くいのちのことでもありますが、その本質は神の臨在のことです。唯一まことの神とキリストを知ることに他なりません。私たちが、日々の祈りの中で、あるいは神のみことばを読む中で、主がどのように自分と関わっておられるのかを知り、その神を仰ぎ見て、神の御前にひれ伏す中で生ける神と交わることこそ、永遠のいのちなのです。そこに神がおられるということです。神とキリストの臨在の中で生きること、それが永遠のいのちです。

 

それは、人がそのように造られたからです。創世記1章27節には、「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」とあります。「神のかたち」とは何でしょうか?それは霊のことです。神は、私たちを肉体を持つ者として造られただけでなく霊を持つ者として造ってくださいました。これは神を慕い求め、神に祈る存在として造られたということです。ですから、人は神につながり、神に祈り、神と交わり、神のいのちを持つことで、本当に人間らしく、真の喜びと満足を得て生きることができるのです。

 

それなのに、最初の人であったアダムが神の命令に背いて罪を犯したことによって、この神との関係が切れてしまいました。つまり、霊的に死んでしまったのです。神との交わり、永遠のいのちを失ってしまいました。それゆえに神は、そのように霊的に死んだ人が新しく生まれ変わって神との関係を回復するために、すなわち、永遠のいのちを持つために、御子をこの世に送ってくださったのです。それは、御子を信じる者が、一人として滅びることなく、このいのち、永遠のいのちを持つためです。

 

それはまた、この地上での肉体のいのちがのちが尽きても、決して終わることがない神との交わりのことでもありのす。

母が脳梗塞で召されて10年が経ちました。召された日の朝方まだ薄暗い時間にカタッと音がしたので「大丈夫?」と起きてみると、母は意識がはっきりしていて、「いや、何だか目が覚めたんだ」というので、「そう、まあ、安心して、イエス様が一緒にいるから」というと、「そうだね」と言ってまた静かに眠りに就きました。そして、だいぶ明るくなったころ少し経って息づかいが荒くなったかと思うと、静かに息を引き取りました。母は私が手を握り締めている中で、天に帰って行きました。静かな死でした。それは、天国を確信し、まるで、ふすまをあけて隣の部屋にいくように、召されて行きました。83歳の生涯でした。私は、母との別れの悲しみや寂しさで涙を流しましたが、それは決して絶望の涙ではありません。しばしの別れの涙です。なぜなら、死は、決してイエス・キリストが与えてくださった永遠のいのちを奪うことはできないからです。永遠のいのち、それは、決して変わることのない希望なのです。

神様は、私たちにこの永遠のいのちを与えるために、そのひとり子を遣わしてくださったのです。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではありません。御子によって世が救われるためです。御子を信じる者はさばかれません。

 

ここから、私たちが救われるためには二つの側面があることがわかります。それは神がしてくださったことと、私たちがしなければならないことです。神がしてくださったこととは、もちろん、神がこの世を愛してくださったということです。神は、実に、そのひとり子をお与えになるほどに愛してくださいました。しかし、私たちが救われるためにはもう一つの側面があります。それは、私たちがその神の愛に応答して、御子を信じるということです。御子を信じる者は、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つのです。

 

それは前回のメッセージで語った通りです。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって、永遠のいのちを持つためです。」(3:14-15)十字架に上げられたイエス・キリストを仰ぎ見るなら、救われるのです。仰ぎ見るとは、信じるなら、ということですが、イエスを、自分の罪の救い主として信じるなら、救われるということです。

 

実は、前回のメッセージをホームページにアップしたところ、本当に多くの方々からメールをいただきました。その中には、十字架に付けられたイエスを信じるだけでは救われないというものもありました。自分の罪は、自分で背負って、イエス様に着いていくのが、正しいです、というのです。また、イエスが命じられたとおり、神を愛し、隣人を愛さなければ救われない、というのもありました。でも、自分の罪を、自分で背負うことができますか?神を愛し、隣人を愛することができますか?できません。だから、神様は信仰によって救われる道を用意してくださったのです。私たちが救われる道は、神がしてくださった十字架と復活の御業を信じて受け取る以外にないのです。確かに、イエスは、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに着いて来なさい、と言われましたが、それは私たちが救われるためではなく、救われた私たちがその救いの恵みに感謝してささげる応答なのであって、私たちが救われる唯一の道は、神の一方的な恵みの賜物、プレゼントであるイエスの救いの御業を信じて受け入れることしかないのです。

 

これはリーダースダイジェストという雑誌に載っていた実話ですが、カナダのある町の町はずれに刑務所がありました。

冬の寒い日、その刑務所の高い塀の外の寂しい道を12、3歳の少女が一人、粗末な外套の襟を立てて、行ったり来たりしていました。

ちょうど、刑務所の所長さんが、そこを通りかかりました。そして、「どうしたの?」と、声を掛けました。

少女は、怯えたように、小さな声で言いました。「わたし、この中にいるお父さんにクリスマスプレゼントを届けに来たのです」。

「じゃあ、私が届けてあげよう。ちゃんとあなたが届けに来たことを話して、渡してあげるから、早く家にお帰り。風邪をひかないようにね」。

その少女のお父さんは、強盗犯人で、その刑務所でも有名な、嫌われ者でした。乱暴で、直ぐに喧嘩をし、規則を守らず、看守たちの言うことを聞かず、手のつけられない囚人でした。

所長さんは、自分で、その少女のプレゼントを渡しに行って、こう言いました。「さあ、君の娘さんが、この吹雪の中を届けに来たクリスマスプレゼントだよ。開けてごらん」。

でも、そのお父さんは一言も口をきかず、包みを開こうともしませんでした。そして、恐い顔をして、所長さんをにらみつけています。

所長さんは、優しく言い続けました。「君の娘さんの心のこもったプレゼントなんだよ。さあ開けてごらん」。やっと、お父さんは、ノロノロとリボンをほどき、小さな紙の箱を開けました。

箱を開けたお父さんは、「あぁー、これは!」と大きな声をあげました。なんと、その箱の中には、目も覚めるようなきれいな金髪の巻き毛が入っていました。少女は、自分の髪の毛を、惜しげもなく、ばっさりと切って、箱に入れたのです。

そして、娘さんからのカードが添えてありました。そこにはこう書かれていました。

「愛するお父さん。クリスマスおめでとうございます。私はお父さんに何か良いプレゼントをと考えたのですが、お金がありません。だから、お父さんも大好きだった、私の大切な髪の毛を、クリスマスのプレゼントとして贈ります。

私の愛するお父さん、早くうちに帰って来てちょうだい。私はいつまでも待っています。お母さんもいなくなったので、わたしは今、伯父さん叔母さんの所にいます。二人とも、お父さんのことを良く言いません。でも、お父さん、私にとって世界でたった一人のお父さん、私はお父さんが大好きよ。どんなに辛くても、寂しくても、私はお父さんを待っています。

お父さん、お体を大切にね。私は毎晩毎朝、神様にお父さんのことを祈っています」。

手紙を読んでいるうちに、この男の目から、涙がどっと溢れ出て、子供のように泣き出しました。涙が後から後から流れ、本当に長い間、このお父さんは泣き続けました。

自分の一番大切な金髪の巻き毛をささげた娘さんの愛が、荒れてすさんだお父さんの心に平和をもたらしたのです。

その時から、このお父さんは、生まれ変わったように良い人になって、刑務所でも模範的な囚人になったそうです。

 

最も大切なものさえ与える愛は私たちを変えます。私たちを新しく造り変えるのです。そして、私たちの心に平和をもたらします。でも、そのためには、その愛を受け取らなければなりません。神があなたに贈られた大切な贈り物を、信仰によって受け取らなければならないのです。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。ユダヤ人であっても異邦人であっても、救われる唯一の道は、神の御子イエス・キリストを信じること以外にはないからです。

 

Ⅲ.そのさばきとは(19-21)

 

では、信じないとどうなるでしょうか。信じない者はさばかれます。いや、すでにさばかれています。神のひとり子の名を信じなかったからです。19節から21節をご覧ください。

「そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。」

 

さばきというものは、普通世の終わりにあるものだと考えられていますが、事実、世の終わりにもありますが、しかし世の終わりにだけあるのではなく、もうすでに今現在始まっていると、聖書は言っています。これはどういうことかというと、悪いことをする者は、自分の行っていることや、その動機が神の光に照らし出されることを恐れるため、光であるイエス・キリストのもとに来ようとしないということです。そうすることによって、神のさばきを自分自身に招いているのです。つまり、イエスを信じないこと自体、神から離れていること自体が、神のさばきであるというのです。最初の人間アダムが罪を犯した時のことを考えてください。「あなたはどこにいるのか」と神に呼びかけられたとき、はどうしたでしょうか。彼は、神を恐れて、隠れました。それが神のさばきです。神によって造られ、神を愛し、神に従って生きるように造られた人間が、神を恐れて隠れたということ自体が、さばきなのです。

 

私は、以前、刑務所で教誨師をしていたことがあります。教誨師というのは、刑務所に収容されている人たちにそれぞれの宗教の立場から教え諭すことを目的に、個人と集団に行われるものですが、ある時、それに出席していた収容者たちに尋ねたことがあります。「皆さんは、実際に罪を犯して捕まるまでどんなお気持ちでしたか?」

するとそこにいるほとんどの人が同じように答えました。「あれは、生きた心地がしなかった!」

いつ捕まるかという恐れで不安でたまらなかったというのです。警察官に職務質問されようものなら、その緊張は極度に達しました。捕まって安心したというか、捕まるまでが地獄だったというのです。

これと同じです。捕まるまでが地獄です。捕まっても地獄ですが、捕まるまでも地獄です。すでにさばかれているからです。神のもとに来ようとしないこと自体、神のさばきにほかなりません。

 

それではなぜ人は神のもとに来ようとしないのでしょうか。それは光がこの世に来ているのに、自分の行いが悪いため、それが明るみに出されることを恐れるからです。つまり、悪い行ないを愛しているからです。神が望むようにではなく、自分の望むように生きていきたいのです。イエス様を信じると新しく生まれ、罪から離れなければならないと知っているので、イエスのところに来ようとしないのです。人はイエス様を信じない理由をいくつも並べ立てますが、本当の理由はただ一つ、今の生活を変えたくないだけです。

 

力ルヴァンはそのことについて、このように言っています。「彼らがキリストに近づくことの妨げとなっているのは、明らかに彼ら自身の邪悪さなのである。彼らが光よりも闇を選び、彼らに差し出されている光を避けるのは、悪意からそのようにしているばかりでなく、更に自分の罪深さを感じている心に由来しているのである」 確かにその通りではないでしょうか。そして、そのようなことは、私たちにも思い当たる節があります。キリストはそのような私たちの心の深いメカニズムを明らかにしておられるのです。

 

しかし、これは単に悪者はキリストを避け、善人はキリストに近づくということではありません。キリストが十字架につけられたあのゴルゴタの丘を思い出してください。ほかにも二人の犯罪人が、キリストと一緒に十字架につけられました。一人はキリストの右に、もう一人は左につけられました。民衆が「おまえが神のキリストなら、自分を救ってみろ」とあざけったとき、十字架にかけられた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「お前はキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言いました。

しかし、もう一人の犯罪人は彼をたしなめてこう言いました。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているのではないか。私たちは、自分がしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことは何もしていない。」(ルカ23:40-41)

そして、こう言いました。「イエス様。あなたが御国に入れられるときには、私を思い出してください。」(ルカ23:42)

するとイエスは彼に言われました。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)

悪人がキリストを否定して、善人がキリストを受け入れたのではありません。この二人はどちらも犯罪人でした。その犯罪のゆえに処刑されなければならなかった罪深い人間だったのです。  では、なぜ一人の犯罪人はキリストをあざけり、一人は受け入れたのでしょうか。分かりません。ただ分かることは、もしイエス様が私にどちらになりたいのかと問われたら、私もキリストを受け入れる者になりたいということです。福音は、神様の一方的な恵みですから、私たちは何をしなくてもよいのかというと、そうではありません。御子を信じなければなりません。それが私たちに求められている応答なのです。福音は神様の一方的恵みですが、私たちはそれを受け取らなければならないのです。

 

「ちいろば」という本を書いた榎本保郎先生は、そのことを次のように言っています。「朝が来るのは私の努力ではない。しかし、早朝の素晴らしさを味わうためには、早起きが必要なのである」

私たちも、神がイエス・キリストを通して与えてくださった愛に対して、その愛に心から応える者でありたいと思います。そして、イエス様があの一人の犯罪人に、「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われたように、私たちも永遠のいのちを持つ者でありたいと思うのです。

士師記12章

士師記12章からを学びます。

Ⅰ.エフライム人との内紛(1-7)

まず1~7節までをご覧ください。「1 エフライム人が集まってツァフォンへ進んだとき、彼らはエフタに言った。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」2 エフタは彼らに言った。「かつて、私と私の民がアンモン人と激しく争ったとき、私はあなたがたに助けを求めたが、あなたがたは彼らの手から私を救ってくれなかった。3 あなたがたが救ってくれないことが分かったので、私はいのちをかけてアンモン人のところへ進んで行った。そのとき、【主】は彼らを私の手に渡されたのだ。なぜ、あなたがたは今日になって、私のところに上って来て、私と戦おうとするのか。」4 エフタはギルアデの人々をみな集めてエフライムと戦った。ギルアデの人々はエフライムを打ち破った。これは、エフライムが「あなたがたはエフライムからの逃亡者だ。ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべきだ」と言ったからである。5 ギルアデ人はさらに、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取った。エフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言うとき、ギルアデの人々はその人に、「あなたはエフライム人か」と尋ね、その人が「そうではない」と答えると、6 その人に、「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺した。こうしてそのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。7 エフタはイスラエルを六年間さばいた。ギルアデ人エフタは死んで、ギルアデの町に葬られた。」

エフタがアンモン人との戦いを終えると、エフライム人がツァフォンに進み、エフタに詰め寄って来てこう言いました。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」

彼らの不満は、エフタがアンモン人と戦う際になぜ自分たちに声をかけなかったのかということでした。エフライム族は、マナセ族とともにヨセフ族から枝分かれした部族です。そのエフライム族が、どうしてここでエフタに不満を述べたのでしょうか。それは彼らには、自分たちこそ卓越した部族であるという自負心があったからです。その自負心が高ぶりとなって表面化することがたびたびありました。

たとえば、ヨシュア記17章14節のには、土地の分割の際にヨシュアに詰め寄り、「あなたはなぜ、私たちにただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらないのですか。これほどの数の多い民になるまで、主が私を祝福してくださったのに。」と言っています。自分たちは主に祝福された特別な部族だと主張したわけです。それに対してヨシュアは、「あなたが数の多い民であるなら、森に上って行って行きなさい。そこでペリジ人やレファイム人の地を切り開くがよい。エフライムの山地はあなたには狭すぎるのだから。」(ヨシュア17:15)と答えました。ヨシュアが言ったことはもっともなことでした。そんなに主に祝福されたのなら、そんなに数の多い民であるなら、自分たちで切り開けばいいではないか。それなのに、そのことでつべこべ言っているのは、彼ら自身の中に問題があるからではないかと諫めたわけです。

また、士師記8章1節でも、ギデオンがミディアン人との戦いを終えた後で彼のところに詰め寄り、「あなたは私たちに何ということをしたのか。ミディアン人と戦いに行くとき、私たちに呼びかけなかったとは。」(8:1)と激しく責めました。この時はギデオンが彼らをなだめ、平和的な解決を図りましたが、今回は違います。エフタは強硬な姿勢で対応しました。

2節と3節を見ると、そうしたエフライム人のことばに対して、かつてエフタがアンモン人と戦った際にエフライム族に呼びかけたものの彼らが出て来なかったからだと語り、自分を脅迫するのは筋違いだと反論しています。そして、ギルアデの人々をみな集めてエフライムと戦い、彼らを打ち破ったのです。それは、エフライムが、「あなたがたはエフライムからの逃亡者だ。ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべきだ」と言ったからです。エフライムはギルアデ人のことを侮辱して、逃亡者呼ばわりしたのです。それは、異母兄弟たちから追い出され逃亡者となった経験があったエフタにとっては断じて受け入れられることではなく、逆に彼の神経を逆なですることになりました。

ついに、あってはならない部族間の内紛が勃発しました。ギルアデの人々はエフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取り、エフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言うとき、その人がエフライム人かどうかを方言によって見分け、もしエフライム人ならその場で殺しました。すなわち、その人に「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺したのです。こうして四万二千人のエフライム人が倒れました。

元はと言えば、エフライム人の高ぶりがこの悲劇の原因でした。箴言16章18節に、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」とあります。心の高慢は隣人との間に争いを生み、やがてその人を滅ぼすことになります。あなたはどうでしょうか。隣人との間に平和がありますか。もし争いがあるとしたら、あなたの中にエフライムのような自負心や高ぶりがあるからかもしれません。へりくだって.自分の心を点検してみましょう。

Ⅱ.9番目の士師イブツァン(8-10)

次に8~10節までをご覧ください。ここには、9番目の士師でイブツァンのことが記されてあります。「8 彼の後に、ベツレヘム出身のイブツァンがイスラエルをさばいた。9 彼には三十人の息子がいた。また、彼は三十人の娘を自分の氏族以外の者に嫁がせ、息子たちのために、よそから三十人の娘たちを妻に迎えた。彼は七年間イスラエルをさばいた。10 イブツァンは死んで、ベツレヘムに葬られた。」

「イブツァン」という名前の意味は「速い」です。その名に相応しく、彼についての言及はわずか3節だけです。彼はベツレヘムの出身で、三十人の息子と、三十人の娘がいました。それだけ彼は裕福であり、権力を持っていたということです。しかし、何と言っても彼の特徴は、その三十人の娘たちを自分の氏族以外の者に嫁がせ、自分の息子たちのためには、よそから三十人の娘たちを迎えたという点です。なぜこんなことをしたのでしょうか。彼は息子と娘たちを他の氏族と結婚させることによって争いを回避し、平和を確保しようとしたのです。いわば、それは政略結婚でした。このようなことは日本の戦国時代ではよく行われていたことでしたが、当時の士師たちの間では珍しいことでした。彼はこのようなことによって氏族の結束を強めようと思ったのかもしれません。

Ⅲ.10番目の士師エロンと11番目の士師アブドンの時代(11-15)

最後に、10番目の士師エロンと11番目の士師アブドンを見て終わります。11~15節までをご覧ください。「11 彼の後に、ゼブルン人エロンがイスラエルをさばいた。彼は十年間イスラエルをさばいた。12 ゼブルン人エロンは死んで、ゼブルンの地アヤロンに葬られた。13 彼の後に、ピルアトン人ヒレルの子アブドンがイスラエルをさばいた。14 彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていた。彼は八年間イスラエルをさばいた。15 ピルアトン人ヒレルの子アブドンは死んで、アマレク人の山地にあるエフライムの地ピルアトンに葬られた。」

エロンについての言及はもっと短いです。彼については、彼がゼブルン人で、十年間イスラエルをさばいたということ、そして、ゼブルンの地アヤロンに葬られたということだけです。つまり、彼の出身地と士師としてさばいた期間、そして葬られた場所だけです。

そして、彼の後に登場するのはピルアトン人ヒレルの子アブドンです。彼についての言及も同じで、彼についてもその出身地と生活、そしてさばいた年数、葬られた場所しか記されてありません。

「ピルアトン」とは「丘の頂」という意味で、その町はエフライムにありました。ですから、彼はエフライムの出身でした。彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていたとあります。当時ろばは高貴な人が乗る動物だったので、ここから彼は非常に裕福で社会的地位が高かった人物であったことがわかります。彼が士師としてさばいたのはわずか8年間でした。しかしそれは、平和と繁栄の時代でした。

このエロン、アブトンがイスラエルをさばいたのはわずか18年間という短い期間でしたが、それは10章1~5節で見てきたトラやヤイルの時代のように、平和と繁栄の時代でした。それはトラとヤイルの時のように特記すべきことが少ない平凡な日々の積み重ねであったかもしれませんが、それこそが神の恵みだったのです。それは何よりも神が与えてくださった秩序の中で、互いに神を見上げ、神とともに歩んだということの表れでもあります。何気ない当たり前の平凡な日々中に隠されている主の恵みに目を留める者でありたいと思います。そして、そのような中で一生を終えてこの世を去っていく人こそ、本当に幸いな人生を歩んだ人と言えるのです。あなたにとっての幸いな人生とは、どのような人生でしょうか。