Ⅰサムエル記11章

 今回は、サムエル記第一11章から学びます。

 Ⅰ.アンモン人ナハシュの圧力(1-5)

 まず、1~5節までをご覧ください。
「さて、アンモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、あなたに仕えます。」アンモン人ナハシュは彼らに言った。「次の条件でおまえたちと契約を結ぼう。おまえたち皆の者の右の目をえぐり取ることだ。それをもってイスラエル全体に恥辱を負わせよう。」ヤベシュの長老たちは彼に言った。「イスラエルの国中に使者を遣わすため、七日の猶予を与えてください。もし、私たちを救う者がいなければ、あなたのところに出て行きます。」使者たちはサウルのギブアに来て、これらのことばを民の耳に語った。民はみな、声をあげて泣いた。ちょうどそのとき、サウルが牛を追って畑から帰って来た。サウルは言った。「民が泣いているが、いったい何が起こったのか。」彼らは、ヤベシュの人々のことばを彼に告げた。」

サウルは王として油注ぎを受けたとき、神に心を動かされた勇者たちは彼について行きましたが、よこしまな者たちは、「こいつがどうしてわれわれを救えるのか」と言って軽蔑し、彼について行きませんでした(10:26-27)。彼は自分の町ギブアに帰り、農夫としての仕事を続けながら、神の時が来るのを待っていました。

すると、アンモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷きました。ヤベシュ・ギルアデは、ヨルダン川東岸にあるイスラエルの町です。アンモン人が住んでいるところのすぐそばにあった町です。そのヤベシュ・ギルアデに対して、アンモン人が戦いを挑んで陣を敷いたのです。

ヤベシュの人々は自分たちに勝つ見込みがなかったので、和平条約を申し入れます。それは、自分たちと契約を結んでほしいということでした。そうすれば、あなたがたに仕えます・・・と。するとアンモン人ハナシュは、無理難題を突き付けてきました。何と右の目をえぐり取ることを条件に契約を結ぼうというのです。右目をえぐり取られるとは、戦うことができなくなることを意味していました。それは非常に屈辱的な要求でした。それで、ヤベシュの長老たちは7日間の猶予をもらい、イスラエル全土にこの状況を伝え、救いを求めました。

彼らはまず、サウルのいるギブアに使者を遣わしました。ヤベシュからの使者たちの知らせを聞いたギブアの人たちはみな、声を上げて泣きました。自分たちに近いヤベシュの町があまりにも屈辱的な状況に直面していたからです。

すると、ちょうどそのとき、サウルが牛を追って畑から帰って来ました。そして、民が泣いているのを見て、「何が起こったのか」と尋ねると、彼らはヤベシュの人々のことばを彼に告げました。ここから、サウルの王としての活動の火ぶたが切られることになります。神は思いもかけない方法で、その道を開いてくださいました。サウルは、自分が王になったことを言いふらさなくても、その機会が自然に向こうからやってきたのです。それは神の導きにほかなりません。このように、こうした機会は意外と問題を通してやって来ることがあります。しかし、問題が起こると私たちは恐れを抱いてしまうため、それを見逃してしまうことがあるのです。私たちは信仰によって恐れを克服し、神の機会を見失うことがないようにしなければなりません。

Ⅱ.アンモン人との戦い(6-11)

次に、6~11節までをご覧ください。
「サウルがこれらのことばを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。彼の怒りは激しく燃え上がった。彼は一くびきの牛を取り、それを切り分け、使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」と言った。主の恐れが民に下って、彼らは一斉に出て来た。サウルはベゼクで彼らを数えた。すると、イスラエルの人々は三十万人、ユダの人々は三万人であった。彼らは、やって来た使者たちに言った。「ヤベシュ・ギルアデの人にこう言いなさい。「明日、日が高くなるころ、あなたがたに救いがある。」使者たちは帰って行って、ヤベシュの人々に告げたので、彼らは喜んだ。ヤベシュの人々は言った。「私たちは、明日、あなたがたのところに出て行きます。あなたがたの良いと思うように私たちにしてください。」 翌日、サウルは兵を三組に分け、夜明けの見張りの時に陣営に突入し、昼までアンモン人を討った。生き残った者は散り散りになり、二人の者がともにいることはなかった。」

サウルがヤベシュの人々のことばを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下りました。このように、旧約聖書においては、神がゆだねられたある使命を果たさせるために、その人物の上に激しく下ることがありました。その結果、サウルの怒りが激しく燃え上がりました。それはそうでしょう。同胞が敵に虐げられているのを見て黙ってなどいられるはずがありません。これは聖なる怒りとも言うべきものです。

それでサウルは一くびきの牛を取り、それを切り分けて,使者に託してイスラエルの国中に送ってこう言いました。「サウルとサムエルに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」これによって、イスラエルの全部族を招集したのです。それにしても、なぜサウルはここでサムエルの名前を加えたのでしょうか。まだ自信がなかったのでしょう。まだサウルのことを認めていない人たちがいたので、サムエルの名前を出せば、民の敬意と服従を得られるのではないかと思ったのです。

すると主の恐れが民に下って、彼らは一斉に出てきました。その数を数えるとイスラエルの人々が30万人、ユダの人々が3万人でした。彼らは、やって来た使者たちにこう言いました。「明日、日が高くなるころ、あなたがたに救いがある。」ヤベシュの人たちはどれほど心強かったことでしょうか。使者たちが帰って行って、ヤベシュの人たちにそのことを告げると、彼らは非常に喜びました。

すると、ヤベシュの人々がサウルに、「私たちは、明日、あなたがたのところに出て行きます。あなたがたの良いと思うように私たちにしてください。」と言ったので、翌日、サウルは兵を三組に分け、夜明けに奇襲攻撃をかけて、昼までアンモン人を討ちました。その結果、アンモン人は散り散りになり、二人の者がともにいることはありませんでした。

サウルは戦争の経験がない王様でしたが、その彼がこの戦いに勝利することができたのはどうしてでしょうか。それは、神の霊が彼の上に下り、知恵と力を与えてくださったからです。「聖霊があなたがたの上に臨む時、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまでわたしの証人となります。」(使徒1:8)私たちも宣教においてアンモン人という敵の前にすぐに怖気着くような者ですが、神の聖霊によって勝利することができます。神の使命を果たそうとする時、恐怖心が湧いてくることがありますが、そのような時、聖霊の導きを信じて一歩踏み出すなら、聖霊が勝利をもたらしてくださるのです。

Ⅲ.サウルの王権の更新(12-15)

最後に、12~15節までをご覧ください。
「民はサムエルに言った。「『サウルがわれわれを治めるのか』と言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」サウルは言った。「今日はだれも殺されてはならない。今日、主がイスラエルにおいて勝利をもたらしてくださったのだから。」サムエルは民に言った。「さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。」民はみなギルガルに行き、ギルガルで、主の前にサウルを王とした。彼らはそこで、主の前に交わりのいけにえを献げた。サウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだ。」

イスラエルがアンモン人を討ち破ると、民はサウルに言いました。「『サウルがわれわれを治めるのか』と言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」この者たちとは、10:27に出てきた「こいつがどうしてわれわれを教えるのか」と言ってサウルを軽蔑した人たちです。その時サウルは黙っていました。言いたい者には言わせておこうと思ったのでしょう。しかし、そんな者たちにギャフンと言わせる絶好の機会が訪れました。

しかし、サウルは神に栄光を帰し、「きょうはだれも殺してはならない」と言いました。そして、彼らの提案を退けました。これは神の知恵による寛大な処置でした。悔い改めた敵対者たちを殺すよりは、自分の味方につけた方が何倍も良いからです。復讐は何の益ももたらすことはありません。

そして、イスラエルの民にこう言いました。「さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。」王政を樹立するとは、王権を新しくすると言う意味です。サウルは既にミツパで王としての油注ぎを受けていました。それをギルガルで更新しようというのです。ギルガルは、かつてイスラエルの民が約束の地に入り、割礼の儀式を再開した場所です。そこで民は再びサウルを王としました。これは王権を確立したということでしょう。彼らはそこで、主の前に和解のいけにえをささげ、サウルが王になったことを喜びました。

この日の喜びは、サウルが神の知恵によって寛大な心を示し、また、この勝利を自分の手柄としないで「主がイスラエルにおいて勝利をもたらしてくださった」と語り、主に栄光を帰したことでもたらされました。サウルの王としての歩みは、最初は順調であったというか、非常に良かったのです。しかし、最初の思いを忘れてしまうことで、この後で致命的な失敗を犯してしまうことになります。黙示録2章には、主がエペソの教会に書き送った手紙がありますが、その中で主は、「あなたは初めの愛から離れてしまった。」(2:4)と言われました。「だから、どこから落ちたのかを思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。」(2:5)

これはサウルだけのことではありません。私たちも同じです。初めの愛から離れてしまうことがあります。ですから、どこから落ちたのかを思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなければなりません。そうすれば、主が赦してくださいます。問題は、私たちが何をしたかではなく、何をしなかったかです。悔い改めて、初めの愛に帰ることを神は願っておられるのです。

ヨハネの福音書12章20~26節「一粒の麦となって」

新年おめでとうございます。この新しい年も、主の栄光が現される年となるように祈ります。この新年の初めに、まず一つのクイズから入りたいと思います。「りんごの種の中にはいくつのりんごがあるでしょうか?」答えは、「無数」です。どうですか、正解だったでしょうか。正解した人はきっといい年になるでしょう。そうでなかった人もいい年になります。主が共におられるなら、すべては「良い」ですから。

きょうは、イエス様が言われた御言葉、「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(12:24)から、「一粒の麦となって」という題でお話しします。

 Ⅰ.イエスとの出会いを求めて(20-21)

 まず、20~22節をご覧ください。
「さて、祭りで礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシア人が何人かいた。この人たちは、ガリラヤのベツサイダ出身のピリポのところに来て、「お願いします。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポは行って、イエスに話した。」

この祭りとは「過越しの祭り」です。イエス様は、この祭りの間にほふられる子羊となって十字架につけられて死なれます。この祭りに、何人かのギリシア人がいました。ここには「礼拝のために上って来た人々」とありますから、彼らはユダヤ教に改宗した異邦人であったことがわかります。ここには、「主イエスにお目にかかりたいのです」と言っていることから、彼らはイエス様に会うことを熱心に願っていました。なぜ彼らはイエス様に会いたかったのでしょうか。おそらく、イエス様に対する群衆の熱狂ぶりを見て、自分たちもイエスという方に是非とも会ってみたいと思ったのでしょう。そして、確かに彼らはユダヤ教に改宗していましたが、どこかマンネリ化していたユダヤ教の教えに限界を感じていたのかもしれません。主なる神との生ける交わりを求めていたのです。

様々な人々が、様々な理由でイエス様のもとに来られます。教会には、他の場所には無い安らぎがあります。そこに自分の疲れた身を置き、暫しの安息の時を持ちたいという動機で来られる方もいるでしょう。また、妻や夫や子供が、教会に行きたいと言っているから仕方なく着いてきた、という人もいるかもしれません。あるいは、ただ讃美歌を歌いたくて来た、という人もいるでしょう。それがどのような動機であったとしても、キリストのもとに来るなら、キリストとの出会いを通して真の解決を得ることができます。ですから、それがどのような動機であっても、キリストのもとに来て、キリストと会いたいという人々を、教会は心から歓迎するのです。なぜなら、それらの人々を招かれたのは、他でもない、教会の頭であられるイエス・キリストご自身であられるからです。

このギリシア人たちは、ガリラヤのベツサイダ出身のピリポのところに来て、そのことを頼みました。なぜ彼らは直接イエス様のところへ行かなかいで、ピリポのところに来たのでしょうか。おそらく、イエス様に直接声をかけるのは畏れ多いと思ったのでしょう。それでだれか弟子の一人にお願いしようと思ったのですが、それがピリポだったのです。なぜピリポだったのか?それは、彼がガレラヤのベツサイダという所の出身だったからです。ここにはわざわざ「ガリラヤのベツサイダ出身のピリポ」とあります。ベツサイダという町は、ヘロデ大王の子ピリポが再興した町です。そこはローマ帝国の色彩が強い町でした。このピリポという名前もこのヘロデ大王の子ピリポにちなんで付けられた名前ですがギリシア名であったことから、彼らにとっては近づきやすい存在だったのでしょう。ピリポはその役割を果たすにはピッタリの人物でした。というのは、彼は、人々を執り成す役割をよくしていたからです。弟子のナタナエルをイエス様のところに導いたのも彼でした。神様は、願い求める者に最も相応しい導き手を用意してくださるんですね。

さて、何人かのギリシア人たちに頼まれたピリポはどうしたでしょうか。彼はいきなりイエス様の所には行かないで、まず弟子の仲間のアンデレに話しました。このアンデレも、執り成し手です。覚えていらっしゃいますか。イエス様に最初に着いて行った弟子のうちの一人がこのアンデレでした。彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシア(訳すと、キリスト)に会った」(ヨハネ1:41)と言いました。そのようにしてアンデレは、自分の兄弟のペテロをイエスのもとに導いたのです。ピリポはこのアンデレに話し、アンデレとピリポは行って、イエスに伝えたのです。

このように、様々な理由でイエス様に会いたいという人を、イエス様のもとに導くこと、これが伝道です。伝道とは、何かすばらしい音楽を聞かせることとか、だれかすばらしい人を紹介するということではなく、人々をイエスのもとに導くことです。私たちは先に救われた者として、このように人々をイエス様のもとに導く役割が与えられています。それは、私たち自身が福音を理路整然と語らなくてはいけないということではなく、人々を、イエスのもとに連れて行くことなのです。具体的には、教会に案内することです。今私たちはこのように教会に来ていますが、最初から一人で来た訳ではありません。必ず、誰かが執り成し手になってくれたので来ることができました。ピリポやアンデレのような人がいたので教会に来てイエス様に出会い、救われることができたのです。

全世界に教会が存在する限り、人々は教会の門を叩いてこう尋ねるでしょう。「本当に、神様はおられるんですか。」「いったい私たちは何のために生きているのですか。」「私たちの人生に確かな望みはあるのでしょうか。」「この世にあって、愛するということが本当に可能なのでしょうか。」「今の私の悩みは、どうしたら解決するんですか。」そうした様々な問い掛けに対して、主イエスが確かな答えを与えてくださるのです。

Ⅱ.一粒の麦(23-24)

では、その答えとはどのようなものでしょうか。23節と24節をご覧ください。ここには、「すると、イエスは彼らに答えられた。『人の子が栄光を受ける時が来ました。まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。』」とあります。

これが答えです。彼らはいったい何のことを言っているのかと、驚いたのではないかと思います。でも、これが答えなんです。すべての問いに対する答えがここにあります。それは、一粒の麦が、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ねば、実を結ぶということです。どういうことでしょうか。

「まことに、まことに」というのは、イエス様が重要なことを語られる時に言われる言葉です。意味は「アーメン、アーメン」です。まことにそのとおりです、真実です、という意味です。何が真実なのでしょうか。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままですが、しかし、死ねば、豊かな実を結ぶということです。

イエス様はここで旧約聖書の言葉を一切用いず、あえて自然の法則を用いて語られました。それは、語っている相手がギリシア人であったからです。パウロも言っているように、ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシア人にはギリシア人のように語られました。彼らがよく理解できるように、彼らの思考レベルに合わせて語られたのです。それがこの一粒の麦のたとえでした。

時は、過越の祭りの時でしたから3~4月頃です。大麦の収穫が終わり、小麦の収穫が始まる頃です。小麦はギリシア人にとってもとても身近な食べ物でした。その一粒の麦が地に落ちることを死ぬと言っていますが、そのように死ぬことがなければ、多くの実を結ぶことはできません。しかし、死ねば、豊かな実を結ぶのです。

これは一般的な真理として語られただけでなく、ご自分について語られたのです。また、その後の言葉を見ると、これがご弟子たちへの勧めとして、あるいは、覚悟として語られたことがわかります。一粒の麦は、そのまま食べてしまえばそれだけのことです。しかし、もしこれを地中に蒔けば一粒の麦としては食べられなくなってしまいますが、その麦から芽が出て、やがて多くの実を成らせることになります。それと同じように、イエス様が地上の王、政治的な救い主として、この地上のいのちを用いるのであれば、そこにいる人々が一時的に良い生活をすることができるかもしれませんが、それまでのことです。しかし、十字架に掛かって死なれるのなら、多くの人々を救うことになります。それはその時代の人々だけでなく、それ以前に生きた人も、それ以後に生まれて来る人も含めたすべての人です。そのすべての人を救うことができるのです。それはただ単にこの地上で良い生活をすることができるというだけではなく、永遠に神の国において主と共に生きるという、豊かないのちのことです。ですから、これは直前に迫って来ていた十字架上での贖いの死を予告しておられたのです。この一粒の麦のたとえによって、イエス様の死が、殉教の死とか、自己否定の模範としての死ではなく、私たちの身代わりとしての死であるということを、はっきりと示されたわけです。

これが、すべての問いに対する答えであり、私たちに与えられている唯一の答えです。麦が、土の中に姿を隠してしまった。見えなくなってしまった。死んだとしか思えない。しかし、そんなところから緑の芽が芽生え、やがて豊かな実が実るようになるのです。そして、その実が私たちの養いになります。毎年、繰り返されている自然の営みですが、しかし、もし、この一粒の麦が、ここで死んでしまうのは嫌だと言って、倉庫の片隅に、留まっているとしたら、この実りはもたらされません。私たちのいのちが養われることはありませんでした。イエス様ご自身が、一粒の麦として死ぬことが、父なる神様の御心であることを、だれよりもはっきりと知っておられました。

そして、この過ぎ越しの祭りの時こそが、それが成される時でした。ですから、主はここで、「人の子が栄光を受ける時が来た」と言われたのです。「人の子」というのは、イエス様ご自身のことです。「栄光を受ける」とは、イエス様が十字架に掛けられて死なれ、復活されることを意味しています。一般的に「栄光を受ける」という言葉を聞いて私たちが思い浮かべるのは、オリンピックの表彰台ではないでしょうか。優勝者が、金メダルを授けられる場面です。それは人生の頂点に立つようなすばらしい瞬間です。イエス様も、ここで、栄光を受けようとしておられました。しかし、それは華やかな表彰台に上って、金メダルを授けられることではありません。それは、「一粒の麦」として死なれることでした。イエス様が栄光を受けられた場所は、晴れやかな表彰台ではなく、ゴルゴダの丘に立てられた十字架でした。イエス様は、表彰台に上られたのではなく、十字架に上られました。授けられたメダルは金メダルではなく、茨の冠でした。そのどこにも、人々が考えていたような、栄光の輝きはありませんでした。そのように、イエス様の栄光は、最も低い所に現れたのです。主イエスは、最も低い所に立たれました。しかし、私たちは、この主の十字架の犠牲によって罪赦され、希望に生きることができるのです。私たちは、そのことを知っています。つまり、イエスの死と埋葬と復活がなければ、永遠のいのちはないということです。これが答えです。私たちが求めなければならないのは、この十字架につけられたイエス・キリストなのです。パウロはそのことを、次のように言いました。
「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシア人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことですが、ユダヤ人であってもギリシア人であっても、召された者たちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。」(Ⅰコリント1:22-24)

いったい私たちは何を求めているでしょうか。ユダヤ人のようにしるしや奇跡でしょうか。あるいは、ギリシア人たちのように、知恵や知識でしょうか。しかし、どんなにしるしを求めても、またどんなに知恵を追及しても、イエスのいのちにあずかることはできません。でも、十字架につけられたキリストを求めるなら、そこにキリストのいのちが溢れるようになります。なぜなら、ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことでも、ユダヤ人であっても、キリシア人であっても、召された者たちにとっては、十字架こそ神の力、神の知恵だからです。十字架につけられたキリストが答えです。この世は知恵とか、知識とか、力とか、しるしとか、奇跡を追い求めるでしょうが、私たちが求めるのは、十字架につけられたキリストなのです。これが答えであり、すべてのニーズに応えるものなのです。

100歳を超えても現役の医師として活躍された日野原重明先生が、最も大切にしていたという御言葉も、これでした。日野原先生は、「私を変えた聖書の言葉」、という本の中で、その理由を書いておられます。
1970年3月30日、羽田から、福岡空港に向かって、飛び立った「よど号」が、日本赤軍によってハイジャックされました。日野原先生は、この飛行機に乗っていました。飛行機は韓国の金浦空港に拘留され、四日間に亘って韓国当局と、赤軍の交渉が続けられました。もし、交渉が上手くいかなければハイジャック犯は、ポケットに持っているダイナマイトを使うかもしれない。そうなったら、命が危ない。そうした緊張と不安の中で、日野原先生は、ハイジャック犯から借りた「カラマーゾフの兄弟」という本を読みました。そして、その本の表紙に書かれていた御言葉がこれでした。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ねば実を結ぶ」。日野原先生は、この御言葉によって平安を与えられました。
無事に、日本に帰還できた日野原先生は、心配してくれた多くの方々へのお礼状で、こう述べました。「許された第二の人生が、多少なりとも、自分以外のことのために捧げられればと願ってやみません」。
この御言葉が、日野原先生に新しい人生観をもたらしてくれたのです。それは日野原先生だけでなく私たちも同じです。この御言葉が、私たちの人生にも新しい人生観をもたらしてくれます。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」

Ⅲ.一粒の麦となって(25-26)

ですから、第三のとこは、私たちも一粒の麦となりましょう、ということです。25-26節をご覧ください。ここには、「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。」とあります。

「自分の命を愛する者」とは、自分が自分の命の主人になろうとしている人のことです。イエス様を自分の命の主人として受け入れない人のことです。この私を生かすために、主イエス様が一粒の麦となって死んでくださったということを受け入れないのです。自分は、自分の力だけで生きている。そう思っている人。それが、「自分の命を愛する者」です。もっと分かり易く言えば、自分中心に生きている人のことです。

一方、「自分の命を憎む者」とは、自分中心の生き方からキリスト中心の生き方へと向きを変えた人のことです。自分が今生かされているのは、一粒の麦が死んでくださったからだ。自分は、キリストによって、生かされているのだ。そういう思いに生きている人のことです。そういう人は、永遠の命に至ることができる、と主は言われたのです。

星野富弘さんが「いのちよりも大切なもの」という詩を書きましたが、それはこの真理を語ったものです。
「いのちが一番大切だと思っていたころ 生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった」
いのちよりも大切なものとは何でしょうか。それはキリストにあるいのち、永遠のいのちです。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者、すなわち、自分中心の生き方からキリスト中心の生き方へと向きを変えた人は、永遠のいのちに至るのです。それがあると知った時、生きるのが嬉しくなったのです。人生のベクトルが自分、自分と、自分の方を向いている時は、これほど楽しいことはないと思うでしょう。でも実際は違います。生きるのが苦しくなります。自分のすべてが満たされていて、もう何もすることがない。これほど辛いことはありません。しかし、イエス・キリストを信じて、永遠のいのちが与えられ、世のため、人のため、そして神の栄光のために自分が生かされているという新しい使命が与えられ、その使命に生きる人は幸いです。そのような人は古い殻が破られて、そこに神のいのちが流れるようになります。そういう人は、生きるのが嬉しくなるのです。

私たちは、どんな人でも犠牲を払うことを好みません。そういう意味では、みな自己保身的であるわけです。これは人間の生まれながらの性質です。しかし、主に従って行こうと思うなら、イエス様のように一粒の麦にならなければなりません。自分がいのちを全うし、自分は少しも傷つかないで、主の弟子という栄誉だけを得ようとしても、それは無理なことなのです。自分のいのちを愛する者は、永遠のいのちを失ってしまいます。しかし、自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠いのちに至るのです。

26節をご覧ください。ここで、主は、このように言っておられます。
「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。」

主に仕えようと思う人は、主が行かれるところへ行き、主がおられるところにいなければなりません。なぜなら、私たちはキリストと一つにされた者だからです。それはキリストのいのちに与ったというだけでなく、キリストの死にも与ったということです。キリストの苦しみをも賜ったのです。賜ったのです。イエス様はこのように言われました。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」(マタイ16:24)
また、こう言われました。
「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:27)
キリストの弟子というのは、十字架を負う者です。自分の十字架を負って、キリストに従う者、それがキリストの弟子です。自分の十字架を負ってキリストについて行かない者は、キリストの弟子になることはできません。

インドの宣教師にエミー・カーマイケルという人がおられますが、彼女は「カルバリの愛を知っていますか」という本の中でこう言っています。「地に落ちて死ぬ。そういう一粒の麦となることをもし拒絶するならば、その時私はカルバリの愛を全く知らない。」一粒の麦として、自己否定、自己犠牲を拒むならば、カルバリの愛、十字架の愛を全く知らない、というのです。

私たちもクリスチャンとしてイエス様のいのちに与りましたが、同時に、イエス様の死にも与っているのです。これがキリストの弟子像です。ですから、キリストの弟子たる者は、イエス様と同じ性質、同じ考え、同じ価値観、同じ歩みをすべきなのです。

よく「才能が埋もれる」とか、「異国の土となる」という言葉を聞くことがありますが、これは骨を埋めるということです。これを聞くと、宣教師たちのことを思い出します。イエス・キリストもさることながら、イエス・キリストによって遣わされた宣教師たちは、まさにこの一粒の麦となって地に落ちてくだいました。日本にも大勢の宣教師が来て、文字通り骨を埋めてくれました。その結果、彼らが蒔いた種によって新しく生まれた人がたくさんいるのです。私もそのうちの一人ですが、最近の宣教師はそれほどでもありませんが、昔の宣教師が日本に来るということはまさに命がけでした。自分を犠牲にして、自分の命を犠牲にしてまで日本を愛し、日本人のために生涯をささげられました。そうした一粒の麦によって、多くの実を結ぶことができたのです。

これは宣教師だけのことではありません。私たちも同じなのです。同じ使命が与えられています。もし豊かな実を結びたいと思うなら、多くのたましいを獲得したいと思うなら、私たちも地に落ちなければなりません。死ねば、豊かな実を結ぶのです。イエスは種まきのたとえの中で、良い地に蒔かれた種は、30倍、60倍、100倍の実を結んだと話されましたが、それが良い地に蒔かれるということです。良い地に蒔かれた種とは、御言葉を聞いてそれを悟る人のことですが、究極的には、このイエス様と同じようになることです。そういう人は豊かな実を結びます。そればかりではありません。ここには、「わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます」とあります。これは、主が与えてくださる報いのことです。自分を捨て、自分の十字架を負ってキリストに従うなら、父なる神はその人を重んじてくださいます。「重んじてくださる」は、新共同訳では「大切にしてくださる」と訳しています。主に従い、喜びも、悲しみも共にし、どんな時も主と共にいる者を、父なる神様が大切にしてくださるのです。

父なる神様がおられ、そして、主イエスがおられる。この聖なる交わりの中に、私たちを招いてくださるために、主は、一粒の麦となって死んでくださいました。それほどまでに、神は私たちを愛してくださいました。イエスは言われました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」

大正から、昭和の前半にかけて、素晴らしい働きをした人で、升崎外彦(ますざきそとひこ)という伝道者がおられます。この人の伝記、『荒野に水は湧く』という本に、一粒の麦のように生きた、若い女性の話が書かれています。
キリスト教に対する迫害の激しかった出雲の地で、秘かに信仰を持った旧家の娘がいました。名前を香代と言いますが、その香代が、若くして結核にかかり、死も間近と宣告されます。
そこで、最後の願いを聞いてあげよう、ということになりました。香代は、土地の人たちから迫害されていた升崎牧師からバプテスマを受けたい、と言いました。その願いがかなえられ、香代は、病床でバプテスマを受けました。
ところが、その後、奇跡的に、病状が回復し、香代は、元気を取り戻したのです。そこで、困ったのは、家の人たちです。「香代さんが、ヤソになった」、という噂が村中に知れ渡り、大問題になったからです。家の人たちは、香代に、信仰を捨てるようにと、強く迫りました。でも、彼女は、頑として、信仰を捨てませんでした。そこで、家の人たちは、彼女を座敷牢に閉じ込めてしまいました。
ある冬の寒い朝、香代が、祈りの姿勢のままで死んでいるのが発見されました。その後、香代の遺品を整理したところ、彼女の日記が出て来ました。その日記は、死の二日前までのことが、綴られていました。そこには、家の者に対する恨みや辛みは、一言も書かれておらず、それどころか、どのページも、両親のための祈りと、神様への賛美の言葉で満ちていました。
家の人たちは、それを読んで、激しい感動を覚えました。彼らの心は、一変しました。そして、何と、一家11人が、イエス様を信じたのです。香代の墓標には、この24節の御言葉が、記されています。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」

香代は、大正時代の出雲の村で豊かな実を結んだ、一粒の麦だったのです。イエス様は一粒の麦が地に落ちて死ぬように、十字架で死なれました。しかし、それによって、私たちは、永遠の命に生きる者とさせて頂くことができたのです。この主イエスの愛を自分のものとして受け取って生きる時に、私たちも一粒の麦としての生き方に招かれます。周りの人たちのために、自分を献げて生きる生き方へと招かれるのです。

先ほど、日野原先生のことを話させていただきました。日野原先生も、命の危険が迫る中で、この御言葉に出会い、平安へと導かれました。そして、その後の人生を、自分のためだけに生きるのではなく、多少なりとも、自分以外のことのために、献げたいという願いに導かれていったのです。私たちも、主イエスという、一粒の麦によって、生かされた者です。そうであるなら、周りの人たちの救いのために、小さな実を結ぶことを、願う生き方へと、導かれてまいりたいと思うのです。この新しい年がそのような一年になりますように。主の聖霊によって、主イエスの価値観と考え方をもって、与えられた人生を全うさせていただきたいと思うのです。

ヨハネの福音書12章12~19節「ろばの子に乗って来られた主イエス」

今年最後の主日礼拝を迎えました。この1年も主が一人一人と共におられ、みことばをもって励ましてくださったと信じて感謝します。きょう、主が私たちに与えてくださった御言葉は、ヨハネの福音書12章12~19節のみことばです。きょうはこの箇所から、「ろばの子に乗って来られた主イエス」という題でお話ししたいと思います。

 

ヨハネの福音書は、12章から後半部分に入ります。ここから主イエスの最後の一週間が始まります。主イエスは、過越の祭りの六日前にベタニアに来られました。そこでベタニアのマリアからの驚くべき愛、純粋で非常に高価なナルドの香油を受け、それを自分の髪の毛で拭うという行為を受けると、いよいよエルサレムに入場して行きます。十字架に掛けられて死なれるためです。ここにはその様子が記録されてあります。そして、それによると、イエスは何とろばの子に乗って入場されました。なぜ、ろばの子に乗って入られたのでしょうか。それは、イエスは平和の王として来られたからです。

 

Ⅰ.群衆たちの叫び(12-13)

 

まず、12~13節をご覧ください。

「その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。『ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。』」

 

「その翌日」とは、1節から11節までの出来事の翌日のことです。イエス様は過越の祭りの六日前にベタニアに来られました。そこでマリアからの心からの礼拝を受けられました。その翌日のことです。祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行きました。

 

この祭りとは過越の祭りです。イスラエルには三つの大きな祭りがありました。それは、過越の祭りと七週の祭り(ペンテコステ)、それと仮庵の祭りです。その中でもこの過越の祭りは最も重要な祭りで、盛大に祝われました。それは、神がイスラエルをエジプトの奴隷の中から救い出してくださったことを記念して行われる祭りでした。イスラエルはモーセの時代、400年もの間、エジプトの奴隷でした。彼らはその苦しみの中で主に助けを求めると、主は助けを送ってくれました。それがモーセです。神はモーセを遣わして、彼らをエジプトの奴隷の中から救い出されました。同じように神は救い主を遣わして、罪の奴隷であった私たちを救い出されます。ですから、キリストが十字架にお掛かりになられるのも、この過越の祭りの時でなければならないのです。それは神が予め定めておられたことでした。それはちょうど神がモーセを通してイスラエルをエジプトの奴隷から救い出したように、キリストを通して私たちを罪の奴隷から救い出されるためです。それが過越の祭りでした。その祭りが近づいていたのです。

 

この祭りには大勢の人々が集まっていました。当時のユダヤ人の歴史家でヨセフスという人の記録によると、250万人以上の人々がこの祭りに集まっていたとあります。それほど大勢の群衆が、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を持って迎えに出て来たのです。

 

「なつめ椰子の枝」は「しゅろの木の枝」のことです。英語では「Palm」と言うことから、この日はPalm Sundayと呼ばれています。旧約聖書では、この「しゅろ」は喜びの日、祝いの日、あるいは勝利の日に用いられました。たとえば、レビ記23:40には、仮庵の祭りの時に、このなつめ椰子の木を取って、主の前で喜び楽しむとあります。モーセの時代、彼らはエジプトの奴隷でしたが、神が彼らを救い出してくださり、約束の地に導き入れてくださいました。そしてダビデの時代にその王国が建てられると、その子ソロモンによって確立され、繁栄していきました。しかし、彼らが繁栄すると自分たちを奴隷の中から救い出してくださった主を忘れてしまいました。その結果、イスラエルは様々な国に支配されるようになります。紀元前722年には北王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、紀元前586年には、南王国ユダがバビロンに滅ぼされ捕囚として連れて行かれます。その後、旧約聖書は預言者マラキを最後に400年間沈黙の時代を迎えますが、その400年の間にもペルシャ、ギリシャ、エジプト、シリアといった国々に支配されます。その中でも特筆すべきく出来事は、紀元前200年にシリアの王アンティオコスⅣエピファネスが、エルサレムの神殿に豚をささげ、また、ゼウスの偶像でエルサレムの神殿を汚したという出来事です。その時に立ちあがったのがハスモン家の祭司ユダ・マカベアという祭司でしたが、彼は神殿を奪い返すことに成功するのですと、人々はこのなつめ椰市の枝、しゅろの木の枝を手に取って彼を迎えました。つまり、ここで群衆がなつめ椰子の枝を持ってイエスを迎えに出て来たというのは、イエスがあのハスモン家の祭司ユダ・マカベアのように、当時ユダヤを支配していたローマ帝国から独立を勝ち取るための政治的な王として迎えたということだったのです。彼らはラザロのことも聞いていましたから、死人をもよみがえらせることができるこのお方なら、ローマ帝国にも打ち勝つことができるはずだと思ったのです。

 

それは彼らの叫びにも表れています。13節後半から14節をご覧ください。彼らはこう叫びました。

「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」

これは詩篇118:25~27の引用です。「ホザナ」とは、「主よ、今、私たちを救ってください」という意味です。苦しいんです。助けてください。ローマの支配から解放してください。神様、私たちをあわれんでください。この苦しみから解放してください。あなたならおできになります。あのシリアから救い出したマカベアのように、ローマ帝国の圧政から救ってください。そう叫んだのです。そして、「イスラエルの王に」と言って、喜んで迎えました。

 

しかし、熱狂的に叫べば良いというわけではありません。18節には、彼らがイエスを出迎えた理由が記されてあります。それは、「イエスがこのしるしを行われたことを聞いたからであった。」からです。「このしるし」とは何ですか。それはイエスがラザロを死人の中からよみがえらせたという奇跡です。その時イエスと一緒にいた群衆がそのことを証し続けていたので、祭りのためにエルサレムに集まっていた群衆はこのように叫んだのです。死人が生き返ったというのは大きなインパクトがありますから、すぐに祭りに来ていた大勢の人たちに広まりました。しかし、それは単なる好奇心でしかありませんでした。みんなが集まっているから自分も行ってみよう。なんか楽しそうだし・・。いわゆる「ノリの信仰」です。イエスのことばに聞こうとするのではなくその流れに乗ろうというものです。群衆心理とも呼ばれます。何か自分のためになることがあるんじゃないかと、ただご利益を求めるだけです。死人がよみがえったなんてすごいじゃないか。いったいこの人はどういう人なんだろう。そうした好奇心から集まっていただけでした。こうした好奇心が全く悪いわけではありません。そこから少しずつ神について知り、本物の信仰に至ればいいわけですから。しかし、この段階では本物ではありませんでした。ですから、自分たちが期待していたメシアではないということがわかると、彼らはどうなりますか。手のひらを返したかのような態度を取るようになるのです。このわずか五日後のことですよ。イエスが捕らえられると、それまで「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」と叫んでいたこの群衆が、今度は、「十字架につけろ。十字架につけろ」と狂ったように叫ぶのです。同じ群衆です。何ということでしょうか。でもイエス様は、人々の心というものがどのようなものであるかをよく知っておられたので、最初からそのような人々に自分をゆだねるということはしませんでした。2章で見たように、イエスのなされた多くのしるしを見て、その名を信じた人たちに、自分をお任せにならなかったのです(2:24)。感情はすぐに冷めてしまいます。だから感情ではなく、イエスのことばに聞かなければなりません。イエスのことばを聞いて、イエスがどのような方であり、何を求めておられるのかを知らなければならないのです。

 

Ⅱ.ろばの子に乗って来られた主イエス(14-15)

 

第二のことは、イエスはろばの子に乗って来られたということです。14~15節です。「イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。次のように書かれているとおりである。『恐れるな、娘シオン。見よ、あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。』」

 

イエスはろばの子を見つけ、それに乗ってエルサレムに入場されました。それは遡ること、およそ500年前に書かれたゼカリヤ書の預言にこうあるからです。「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。」(ゼカリヤ書9:9)この預言が成就するためでした。

 

先日、テレビを見ていたら、北朝鮮の金正恩総書記が、軍事施設を視察する際に妻と白馬に乗っているのを見ました。そうなんです、王であれば白馬に乗って勇ましく登場しまが、イエス様は馬ではなく、ろばに乗って来られました。しかも、雌ろばの子のろばにです。「ろば」は英語で「donkey」と言いますが、「愚か者」とか「まぬけ」という意味があります。千本松牧場に行くとこの「ろば」を見ることができます。その顔をじっと見ると、実に情けない顔をしています。私はろばの顔を見ながら、それが自分のようであるのを感じて、とても親近感を感じます。ろばは当時荷物の運搬のために用いられました。このろばの子に乗って来られたのです。どうして馬ではなくろばだったのでしょうか。それはイエスが平和をもたらすために来られたことを示すためでした。当時馬は戦争の象徴でした。戦う時はみんな馬に乗って行きます。だれもろばになんて乗って行きません。そんな、のろいろばに乗って行ったら、たちまち敵に打ち負かされてしまいます。だから、戦いに行く時には馬に乗って行くのです。それに対してろばは平和の象徴でした。イエスは戦いのために来られたのではなく、平和の王として来られました。だからろばなのです。これはどういうことでしょうか?

 

それは、イエス様が2000年前に来られた時は、私たちと神様との間に平和をもたらすために来られたということです。私たちは生まれながら自分の罪のゆえに神に対して敵対していました。神を知らないというだけでなく、神を全く無視していました。いや神にいてほしくなかったのです。なぜなら、神がいると都合が悪いからです。自分の好きなように生きることができません。だから神を認めたくなかったのです。そのようにして神に敵対していたのです。神が私たちに敵対していたのではありません。敵対していたのは私たちの方です。しかし神は私たちをあわれみ、私たちを愛し、私たちに救いの手を差し伸べられました。それがイエス・キリストです。私たちに和解の方法を備えてくださいました。それが十字架と復活です。神のひとり子が人となって来られ、私たちの罪のために十字架で死んでくださり、その死の中からよみがえられました。このキリストを信じる者はだれでも救われます。罪が赦されるのです。これが、私たちの罪が赦される唯一の方法であり、神との平和を持つために神が永遠の昔から持っておられた計画でした。ローマ4:25~5:1にこうあります。

「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」

イエスが十字架に掛けられたのは私たちの罪のためでした。そして、よみがえられたのは、私たちが義と認められるためでした。ですから、このイエスを信じる信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っているのです。このようにイエスが2000年前に最初に来られたのは、神と私たちの間に平和をもたらすためでした。ですから、イエスは平和の象徴であるろばの子に乗って来られたです、それはゼカリヤによって預言されたとおりでした。

 

しかし、イエス様が再び来られる時にはそうではありません。再び来られる時には栄光の主として白い馬に乗って来られると黙示録19:11にあります。

「また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。」

黙示録は同じヨハネが書いたものですが、将来のことを預言しています。そしてここには、白い馬に乗って来られ、義をもってさばき、戦いをされる、とあります。2000年前に来られた時は柔和な方として、平和の王として、私たちと神との和解のために来られましたが、しかし再び戻って来られる時にはそうではありません。罪をさばくために戻って来られるのです。どうして神がおられるのにこんな悲惨なことが起こるのか、どうして神がおられるのに悪が栄えるのか、あんな悪いことをしている者を、どうして神はさばきをなさらないのかと思うことがあるでしょう。しかし、神はさばきをなさらないのではなく、さばきを遅らせておられるのです。そして最後に正しくおさばきになります。それぞれ各々の行いに応じてさばきをされます。それが終わりの時に起こるのです。だれも隠すことはできません。私たちは自分の行いに応じてさばきを受けることになります。しかし、感謝なことに、イエス・キリストを信じた者はさばきに会うことがありません。良いことをした評価は受けます。しかし、さばかれることはありません。なぜなら、あなたの罪はすべて十字架の上に置かれ、キリストが代わりにさばきを受けてくださったからです。これが神の恵みです。何が恵みかって、これが恵みです。あっと驚くべき恵み、アメージング・グレースです。

 

あの有名なアメージング・グレースを書いたジョン・ニュートンは、かつて奴隷船の船長でした。ある日、奴隷たちを積んで英国に戻る途中、大嵐の中で船が転覆しそうになったとき、彼は神に祈りました。すると、神は彼を助け、無事にイギリスに帰港することができたのです。それから数年経って、彼はその時の経験を思い起こし、何という恵みだろう。こんな自分を救ってくださったと、この讃美歌を書いたのです。

 

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:9-10)

 

だから、今は恵みの時、今は救いの日なのです。信じる者はだれでも罪から救われます。ヨハネ3:17にこうあります。「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」

さらにこうあります。「御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。」(3:18)

私たちはさばかれません。御子を信じているからです。代わりに御子がさばかれました。御子イエスが身代わりに死んでくださったのです。でも御子を信じない者はさばかれます。それは神のひとり子の名を信じなかったからです。ここには、「すでにさばかれている」とあります。これは有罪が確定しているということです。信じなければその有罪のとおりになります。でも信じるならキリストがすべての罪の身代わりとなって死んでくださったので、さばかれることはありません。神との平和を持つことができるのです。

 

あなたはどうでしょうか。あなたの罪は赦されているでしょうか。心に罪の責めを感じることはないでしょうか。神の前にさばかれるのではないかという恐れや不安はないでしょうか。きょうは2019年の最後の主の日の礼拝です。私たちの罪の精算をして新しい年を迎えたいですね。その罪の精算とは、私たちの罪を悔い改め、その罪のために十字架で身代わりとなってくださった主に感謝し、主に信頼することではないでしょうか。そうすれば、主はすべての罪からあなたを清めてくださいます。主はあなたをさばきたいのではありません。救いたいのです。あなたを罪から救いたいのです。主イエスはさばくためではなく救うために来られました。ですから、イエスはろばの子に乗って来られたのです。この平和の王であるキリストを信じる時なら、すべての罪が赦され、神との平和を持つことができるのです。

 

Ⅲ.イエスを平和の王として迎えよう(16-19)

 

ですから、第三のことは、このイエスを平和の王として迎えましょう、ということです。16~19節をご覧ください。

「これらのことは、初め弟子たちには分からなかった。しかし、イエスが栄光を受けられた後、これがイエスについて書かれていたことで、それを人々がイエスに行ったのだと、彼らは思い起こした。さて、イエスがラザロを墓から呼び出して、死人の中からよみがえらせたときにイエスと一緒にいた群衆は、そのことを証しし続けていた。群衆がイエスを出迎えたのは、イエスがこのしるしを行われたことを聞いたからであった。それで、パリサイ人たちは互いに言った。「見てみなさい。何一つうまくいっていない。見なさい。世はこぞってあの人の後について行ってしまった。」」

 

「これらのこと」とは何でしょうか。それは、群衆が大声で「ホサナ。祝福あれ、主の御名よって来られる方に。イスラエルの王に。」と叫んだことです。また、イエスがろばの子に乗ってエルサレムに入場されたことです。これらのことは、このヨハネを含め、初め弟子たちにもわかりませんでした。弟子たちも群衆たちと同じように、イエスがすぐにローマの圧政から自分たちを救い出してくれるものと思っていたのです。ですから、この後でイエスが捕らえられると、彼らはすぐに逃げ出してしまいます。十字架につけられると自分たちも捕らえられるのではないかと恐れて、部屋に閉じこもってしまいました。彼らもこれらのことがどういうことなのか分かりませんでした。彼らがそれらのことが分かったのは、イエスが栄光を受けられた後でした。

 

イエスが栄光を受けられたのはいつでしょうか。それはイエスが十字架で死なれ、復活した後、弟子たちの見ている前で天に昇り、神の右の座に着かれた時です。それまでは分かりませんでした。なぜその時に分かったのでしょうか。なぜなら、その時聖霊が降ったからです。聖霊が降ったので、イエスが彼らに教えたすべてのことを思い出させてくださったのです。それは真理の御霊で、この御霊が来ると、すべての真理に導いてくれます。これを書いたヨハネも、この時の様子を見ていました。イエスがろばの子に乗って来るのを見て、「なんでだろう」と思っていました。また、大勢の群衆が「ホザナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」と言うのも聞いていました。でもよく理解していませんでした。それがどういうことなのか分からなかったのです。しかし、イエスが十字架にかかって死なれ、三日目によみがえり、天に昇って行かれてから、約束の聖霊が降った時、それがあのゼカリヤ書9:9の預言の成就だったということ、また、群衆が「ホサナ」と叫んだのも詩篇118篇の預言の成就だったんだということが分かったのです。それが預言の成就だったんだ、ということを思い出したのです。

 

今日でも多くのユダヤ人は、旧約聖書に書かれてあるメシアの預言が、イエス・キリストによって成就したということを知りません。いや、認めようとしないのです。それはユダヤ人ばかりでなく私たち日本人も同じです。そのことを受け入れようとしません。それは、聖書に次のようにある通りです。

「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。」(Ⅰコリント2:14)

生まれながらの人間は、神の真理を理解することができません。なぜなら、それは神の御霊に属することだからです。御霊に属することは御霊によって判断しなければなりません。ですから、どんなに知的に優れていても、霊的には全く盲目であるということがあるのです。ピントがずれています。しかし、これは決して他人事ではなく、私たちにも言えることで、私たちもピントがズレていないかどうかを検証しなければなりません。

 

19節をご覧ください。ここには、もう一種類の人たちのことが記されてあります。パリサイ人たちです。「それで、パリサイ人たちは互いに言った。「見てみなさい。何一つうまくいっていない。見なさい。世はこぞってあの人の後について行ってしまった。」

このパリサイ人とはユダヤ教の宗教指導者たちのことです。彼らはすでにイエスを殺す計画を立てていました。しかし、祭りの間はいけない。多くの群衆がイエスを政治的なメシアとして期待していたので、そこで殺そうものなら大騒ぎになるからです。そうなれば、ローマ軍が攻めて来てエルサレムを滅ぼしてしまうことになります。そうなると自分たちの立場が危うくなります。それで祭りが終わった後でイエスを殺すつもりでした。しかし、あまりにも大勢の人が熱狂的にイエスを歓迎するので、彼らは互いにこう言いました。「見てみなさい。何一つうまくいっていない。見なさい。世はこぞってあの人の後について行ってしまった。」

彼らのイライラ感、焦り、怒り、ねたみが見えます。結局、彼らのこうしたねたみによってイエスは十字架につけられるわけです。その敵意が彼らの中でますます大きくなっていきました。

 

でも彼らは、イエスを訴える口実を何一つ見つけることができませんでした。それもそうです。イエス様は全く罪の無い方なのですから。言葉にも、行いにも、罪の無い完全な神の子でした。その方が私たちを神と和解させるために、平和の王として来てくださいました。ろばの子に乗って。それは、私たちに神との平和をもたらすためでした。神と私たちとの間にある壁はどんなものをもってしても壊すことができませんが、しかし、キリストはその隔ての壁を打ち破ることができます。そして、神との平和を持つことができるように、平和の王として、ろばの子に乗って来てくださったのです。そして私たちの罪を負い十字架で死なれ、三日目によみがえられました。この方を信じる者はだれでも罪が赦され、神との平和を持つことができるのです。

 

あなたはどうでしょうか。あなたの罪は赦されましたか。キリストを信じて受け入れましたか。キリストを信じたのであればあなたのすべての罪は赦され、神との平和を持つことができます。そして神との平和が与えられると、今度は周りの人との間にも平和を持つことができます。神との平和がないと、自分の内に平和がないので、いつもイライラすることになり、いつもだれかのせいにしたり、だれかをさばくようになるので、周りの人とも平和がないんです。これは罪の問題なんです。でも神によって罪が赦されると心に平安が与えられます。神の愛が注がれ、赦す心が与えられ、喜びで満たされ、感謝の心に満ち溢れるようになります。平和を作り出す人は幸いです。あなたもその平和を持つことかできます。そのためにイエス様が来てくださいました。この方に心を開き、この方を信じて、神との平和を持ってください。また、キリストをあなたの心の王座に迎え入れ、キリストの平和があなたを支配しますように。そうすれば、「ああ、キリストは本当にすばらしい」とキリストの御名があがめられるようになるでしょう。あなたの心に、神の平和が豊かにありますように。

2019年12月22日クリスマス礼拝メッセージ 

Merry Christmas!私たちのために生まれてくださった救い主イエス・キリストの御降誕をお祝いし、心から主を賛美します。今年のクリスマス礼拝はEnglish Worshipの皆さんと一緒にささげることができることを感謝します。きょうは、使徒ヨハネが語るクリスマスからお話ししたいと思います。

 

Ⅰ.人となって来られたキリスト(14a)

 

ヨハネが語るクリスマス、それは、人となって来られた神です。14節をご覧ください。ここには、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」とあります。

「ことば」とはイエス・キリストのことです。この方は初めからおられました。この「初め」とは永遠のはじめのことです。キリストは、永遠の初めから神とともにおられました。そうです、この方は神であられました。神とともにおられた神です。そして、すべてのものは、この方によって造られました。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもありません。創世記1:1には、「はじめに神が天と地を創造された。」とありますが、この「神」は、イエス・キリストのことだったのです。正確には、イエス・キリストと父なる神、そして聖霊なる神の三位一体の神でした。ですから、あの「神」という語が複数形で表されているのです。キリストは、永遠から永遠まで神とともに存在しておられた神なのです。その方が人となって、私たちの間に住まわれました。

 

この「人」と訳されている言葉は、原語のギリシャ語では「サルクス」という語です。これは欄外の説明にもあるように、直訳すると「肉」です。ことばが肉体を取って私たちの間に住まわれました。これを神学用語で「受肉」と言います。神は霊ですから、私たちの肉眼で見ることはできませんが、その神が私たちと同じ肉体を取ってくださったので、神がどのような方なのかを見せてくださったのです。当時の人々は「肉」は弱いものであり、すぐに朽ち果てていくものだと考えていました。ですから、神が肉体を取られるということは考えられないことでした。けれども、ことばであられた神が肉体を取って生まれてくださいました。これがクリスマスです。神の栄光に満ちておられたひとり子の神が人として生まれてくださり、実に飼い葉桶にまで下ってくださいました。限りなく高いところにおられた神が、最も低い所に生まれてくださったのです。これは奇跡です。いったいなぜ神が人となられたのでしょうか。

 

Ⅱ.恵みとまことに満ちておられたキリスト(14b)

 

14節の後半をご覧ください。ここには、「私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」とあります。それはこの方の栄光を見るためです。神のひとり子としての栄光です。その栄光を見るなら、この方がどんなに恵みとまことに満ちておられるかがわかるでしょう。

 

当時、これを書いた使徒ヨハネは、長い信仰生活の体験として「私たちはこの方の栄光を見た」と言っているのです。クリスマスの出来事を巡る大事な言葉は、この「見る」ということです。福音書の中では、「見る」という言葉は大切に用いられています。たとえば、2000年前のクリスマス、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの番をしていたとき、主の使いが彼らに現れてこう言いました。

「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。

Then the angel said to them, “Do not be afraid, for behold, I bring you good tidings of great joy which will be to all people.

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

“For there is born to you this day in the city of David a Savior, who is Christ the Lord.

あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。」(ルカ2:10-12)

“And this will be the sign to you: You will find a Babe wrapped in swaddling cloths, lying in a manger.”

 

また、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていたシメオンは、幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言いました。「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。」(ルカ2:29-30)

“Lord, now You are letting Your servant depart in peace, According to Your word; For my eyes have seen Your salvation

 

時折、「神がいるなら、見せてくれ」と言う人がいます。乱暴な言い方ですね。私はこういう方に対しては、できるだけ答えないようにしています。ただの水掛け論に終わってしまうからです。しかし、ここにおられる皆さんには、ぜひ、覚えていてほしいのです。それは、神は見ることができないお方ですが、見ることが出来るということです。どういうことですか?神を見ることはできませんが、イエス・キリストは見ることはできるということです。イエス・キリストを見ることは、神を見ることだからです。聖書を読み、この歴史の中を歩まれたキリストを知ることは、神を知ること、神を見ることと同じことなのです。永遠にして無限、また、常に変わることのない霊でいます神を、私たちの肉眼をもって見ることは出来ませんが、この主イエス・キリストを見たら、「あなたは神を見た」と言えるのだと、ヨハネは語っているのです。

 

クリスマスの恵み、クリスマスの幸いは何かというと、それはこの神を見ることができるということです。ヨハネが主イエスの身近にいて、キリストにおいて見た神の恵みがどんなにすばらしいものであるかを述べています。それは、16節の「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。」という言葉です。これは、使徒ヨハネが自分の信仰の生涯を振り返っての感謝の言葉です。信仰をもって歩む者の旅路は決して平穏なものではありません。今日、初めて教会に来られた方がおられるかもしれません。あるいは求道中だという方もおられるでしょう。それがどのような方でも覚えおいていただきたいことは、キリストを信じるということは、この世的な意味で幸福になることではありません。苦しいことが続くこともあります。経済的に悩むことも、病気で不安になることや家族や職場の人間関係で人知れず悩むこともあります。愛する人との別れも経験することがあるでしょう。しばしば涙の谷を歩むようなこともあるのです。

 

しかし、キリストを信じる者の生涯は「恵みの上にさらに恵みを受ける」生涯なのです。「恵みの上にさらに恵みを受ける」とはどういうことでしょうか。それは、一つの恵みを受けたらそれでおしまいということではなく、その代わりにまた新しい恵みを受けるということです。哀歌3:22には、「神のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい」

Through the Lord’s mercies we are not consumed, Because His compassions fail not.

とあります。1つの恵みの上に、さらに新しい恵みが積み上げられ、次々に恵みが積み上げられ、増し加えられるのです。ちょうど泉から水が湧き出て来るように尽きることがありません。

 

また、それは、その時その時に最も適切な恵みが与えられるということでもあります。ヨハネは、これがキリストを信じた者の祝福なのだと言っています。長い信仰の歩みを経て、ヨハネは深い感謝と喜びをもってこのように語っているのです。あの恵み、この恵みと数え上げるだけでなく、イエス・キリストそのものをいただいた。キリストに繋がれ、神の恵み一切をいただいている。この恵みの中に生かされているのだと告白しているのです。

 

17節には、「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」とあります。律法とは、神の「教え」、「戒め」のことです。神はモーセを通して神の民イスラエルにこの律法を与えてくださいました。それは、その命令を守る者には祝福が与えるというものです。もし彼らが主の御声に聞き従い、神の契約を守るなら、神の宝となるのです。ですから、律法そのものは神からの啓示でありすばらしいものですが、問題はだれもこれを行うことができないということです。

 

アウグスチヌスは、この律法の役割をこう言いました。「律法は命じたが、いやさなかった。律法は我々の弱さを示したが、その弱さを取り除くことはしなかった。ただこの律法は恵みと真理を携えて到着する医者のために準備をした」。律法の役割は、人の罪を指摘し、その罪を人間の力では取り除くことが出来ないという人間の弱さを明らかにすることです。今日の医療の言葉で言えば診察と検査です。あなたの悪いところはここですよ、ここにポリープがありますね、と検査して悪いところをはっきり示すのが旧約律法の役割です。しかし、いやすことはできません。

 

しかし、恵みとまことはイエス・キリストによって実現しました。イエス・キリストは、私たちの罪と弱さを取り除く医者として来られました。だから、イエス様はこう言われのです。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」(ルカ5:31-32)

Jesus answered and said to them, “Those who are well have no need of a physician, but those who are sick. “I have not come to call the righteous, but sinners, to repentance.”

主イエスは、律法によって明らかになった人間の罪を取り除く医者としてこの世に来られたのです。罪人を愛する神の愛が明らかになり、キリストご自身が罪人の身代わりとなって罪の贖いを完成して下さいました。このキリストにこそ、神の愛、神の恵み、神のまこと(真理)が形をとって現されたのです。自分の罪を自覚して、主イエスのもとに来るなら、その人はいやされ、罪赦され、神との交わりが回復され、永遠のいのちを持つことができるのです。

 

皆さんは、「ハドソン川の奇跡」という映画をご覧になられたでしょうか。これは実話に基づいた映画です。

今から10年ほど前の2009年1月15日、3時26分に、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立った、USエアウェイズ1549便は、離陸直後に、ガンの群れに遭遇し、両方のエンジンに、同時に鳥が巻き込まれるという、極めてまれなバードストライクによって、二つともエンジンが停止し、飛行高度を維持することが出来なくなりました。

機長のサレンバーガーさんは、空港への着陸を目指しましたが、高度と速度が低すぎるため、それは不可能と判断しました。そこで機長は、市街地への墜落を防ぐため、とっさの判断でハドソン川への緊急着水を決行したのです。しかし、着水時に、機体が少しでも傾いていれば、飛行機は水面に衝突して分解してしまいます。無事に着水することは高度の操縦技術を必要とする、極めて難しい仕事でした。トラブル発生から僅か3分後、飛行機は、ニューヨークのマンハッタンとニュージャージー州の間を流れるハドソン川へ、時速270kmというスピードで滑るような着水をしました。そして、スムーズな着水によって、機体の損傷は最小限に抑えられ、乗員乗客155人全員が、脱出シューターや両方の主翼の上に避難することができたのです。全員の救助を、未届けたかのように、事故機は、着水から1時間後に、水没しました。人々は、これを、「ハドソン川の奇跡」、と呼んで、称賛しました。

 

この事故は、クリスマスの出来事を思い起こさせてくれます。この飛行機は、通常、一万メートルの高度で飛行する予定でした。地上からは目に見えない程の高い空を飛ぶべき飛行機が、最も低いハドソン川に着水したのです。そして、乗員乗客155人全員の命を救い、冷たい川底に沈んでいきました。それは、限りなく高いところにおられた神のひとり子が、最も低い所にお生まれになって、全ての人を救うために十字架にその命を献げてくださったのと重なって見えます。私にはこの飛行機が、主イエスを象徴しているように思えるのです。川に着水すれば、いずれ沈んでしまうことは分かっています。しかし、乗客の命を救うためには、それしか方法がありませんでした。だから、敢えて、ハドソン川に着水したのです。そして、その僅か一時間後に、飛行機は川底に沈んでいきました。この飛行機と主イエスの姿とが、重なって見えます。私たちは、神様が操縦する御子イエスという飛行機に乗って命を救われたのです。しかし、御子イエスは、そのために冷たい川底に沈んでいかなければなりませんでした。

 

この飛行機を操縦していた、サレンバーガー機長は、操縦歴42年の大ベテランでしたが、このように言っています。「それまで、私は、42年間も、操縦技術を学んで来た。様々な、厳しい訓練を受けて来た。どんな時にも、備えられるように、経験を積んできた。その様な、42年間の厳しい訓練と、様々な経験を通して、私は大きな貯金を蓄えてきた。その貯金が、この時に一気に引き出されたのだ。」

今までコツコツと積み上げてきた経験と技術が、この時一気に発揮されて、このような奇跡を生んだのです。

 

クリスマスもそのような時です。人間は神様から与えられたたった一つの約束さえも守ることができず、罪を犯してしまいました。そのため、神様との麗しい関係が崩れ、神様の許を離れてしまいました。しかし、あわれみ深い神様は、人間が罪を犯して離れていったその瞬間から、ずっと人間との関係を回復することを願っておられたのです。そして、様々な事を通して、人間をご自身の許に呼び戻そうとされました。様々な歴史的な出来事を通して、神様のご支配を解らせようとされました。あるいは、自然の力を通してご自身の御力を示され、人間に語り掛けられました。そして、何度も預言者を遣わして御言葉を伝えました。でも人間は、神様に立ち帰ろうとしませんでした。それで、とうとう最後に、神様は最愛のひとり子をこの世に送られたのです。それは、私たちに代ってそのひとり子を十字架につけることによって立ち帰ろうとしない私たちを救うためでした。神様が歴史の初めからひたすらに願われ、計画された、救いの御業が、一気に爆発するかのように実現した愛の奇跡。それがクリスマスなのです。

 

サレンバーガー機長の42年の経験と技術が一気に引き出されて、ハドソン川の奇跡が生まれました。もちろん、サレンバーガー機長と神様とでは全く次元が異なりますが、しかし、歴史が始まって以来の、神様のひたすらな願いと熱い思いが一気に実現したのが、この飼い葉桶の奇跡とも言うべきクリスマスの出来事なのです。まさにこの時に、神の救いの出来事が私たちにもたらされたのです。

 

Ⅲ.わたしを見た人は父を見た(18)

 

18節をご覧ください。ここには、「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」とあります。主イエス・キリストの決定的なすばらしさは、神ご自身を見せてくれたことです。文字通り「見える神」となられました。神は私たちの肉眼で見ることはできませんが、そんな私たちでも神を知ることができるように、神はご自身のひとり子をこの世に送られ、神がどのような方であるのかを私たちにはっきりと示してくださいました。

 

ですから、もし「神がいるなら見せてくれ」という人がいるなら、私たちはこう言うことができます。「この人を見よ」と。この人を見れば、神がどのような方であるかがわかります・・と。

新聖歌99番に「馬槽の中に」という賛美がありますが、これはそのような賛美です。

  1. 馬槽(まぶね) の中に 産声(うぶごえ) 上げ 大工(たくみ)の家に 人となりて 貧しき憂(うれ)い 生くる悩み つぶさになめし この人を見よ

In a lowly manger born, Humble life begun in scorn; Under Joseph’s watchful eye, Jesus grew as you and I; Knew the suff’ring of the weak. Knew the patience of the meek, Hungered as but poor folk can; This is he. Behold the man!

 

  1. 食(しょく)する 暇(ひま)も うち忘れて 虐(しいた)げられし 人を 訪(たず)ね 友なき者の 友となりて 心砕きし この人を見よ

Visiting the lone and lost, Steadying the tempest tossed, Giving of himself in love, Calling minds to things above. Sinners gladly hear his call; Publicans before him fall, For in him new life began; This is he. Behold the man!

 

  1. すべてのものを 与えしすえ 死のほか何も 報いられで 十字架の上に 上げられつつ 敵を赦しし この人を見よ
  2. この人を見よ この人にぞ こよなき愛は 現われたる この人を見よ この人こそ 人となりたる 活(い)ける神なれ

Then to rescue you and me,Jesus died upon the tree. See in him God’s love revealed; By his Passion we are healed. Now he lives in glory bright, Lives again in Pow’r and might; Come and take the path he trod, Son of Mary, Son of God.

 

この人を見れば、神がどのような方であるかがわかります。この方は神を見せてくださいました。いや、この方こそ私たちの信じている神ご自身であられます。なぜなら、この方は父のふところにおられたひとり子の神なので、完全に神を説き明かすことができたからです。

 

「父のふところにおられるひとり子の神」とは、イエス・キリストが父なる神と不断の親しい交わりを持っておられる方であるということを表しています。父なる神といつも一緒にいて親しく交わっておられたので、父なる神がどのような方なのかを完全に知ることができました。ですから、このひとり子の神イエス・キリストは、神を完全に神を説き明かすことができたのです。

 

弟子の一人ピリポはイエス様にこう言いました。

「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」(ヨハネ14:8)

Philip said to Him, “Lord, show us the Father, and it is sufficient for us.”

 

すると、主イエスはこのように言われました。

「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。」(ヨハネ14:9) Jesus said to him, “Have I been with you so long, and yet you have not known Me, Philip? He who has seen Me has seen the Father; so how can you say, ‘Show us the Father’?

 

私たちも、神を見ることができたらと思うことがあります。しかし主イエスは、「わたしを見た人は、父を見たのです。」と言われました。キリストを見れば、神を見ることができます。キリストを見るということは神を見るということ、キリストを知るということは神を知るということなのです。このキリストが私たちの間に住んでくださいました。この主イエスにおいて見る神の姿は、私たちに寄り添ってくださる神です。主イエスは私たちに寄り添いながら、父なる神との交わりの中に導き入れてくださるのです。

 

那須の井筒姉のご主人が、一昨日、老衰のため召されました。ちょうど、私がお見舞いに行っていた時で、奥様と三番目の娘さんと談話室でお話ししていたとき看護師が来られ、ご主人の容態が急変したと告げたのです。私たちは急いで部屋に行ってみると、もう呼吸が止まっているかのようでした。私はご主人の上に手を置き、耳元で、「『主の御名を呼び求める者は、みな救われます。』どうぞ主イエスを信じてください」と祈り、ご主人のたましいを主の御手にゆだねました。その祈りが届いたかどうかはわかりませんが、一つだけ確かなことは、そのことで井筒姉がどれほど癒されたかということです。

 

昨年10月に自宅で転倒して股関節を脱臼して入院しましたが回復し、退院することができましたが、今年の9月に、心臓に水が溜まっているということで再入院されました。その間、教会は井筒姉とご主人のためにずっと祈ってきました。特にこの1か月間は容態が悪くなってきており、寝ているということが多かったのですが、不思議なことに、教会の礼拝や祈祷会で祈った後で病院に行くと、決まってご主人が目を開けておられました。

二週間ほど前にお見舞いに伺った時、井筒さんがそのことに触れてこうおっしゃられました。「いや、本当に不思議ですね。礼拝や祈祷会でお祈りしていただいて病院に来ると、ちゃんと目を開けているんです。いつもは閉じたままなんですけど、祈った後に来るといつも開けているんです。神様は本当にいらっしゃるんですね。」

「神様って本当にいらっしゃるんですね」

井筒姉が初めて教会に来られたのは2007年3月に教会で行ったごずるコンサートでした。それから礼拝にも来られるようになり信仰に導かれ、その年の11月に洗礼の恵みに与りました。ですから、あれからもう12年も経っているんです。それは神はおられるという信仰が、確信に変えられる経験でした。神は霊ですから、私たちの目には見ることができませんが、イエス・キリストを通してはっきりと見せてくださいました。神は、御子イエス・キリストをこの世に送り、十字架と復活の御業を通して救いの道を用意してくださいました。その名を信じる信仰によって、私たちは神をはっきりと見ることができるのです。

 

この父なる神とひとり子イエスとの深い愛の交わりの中に、あなたも招かれています。「さあ、この交わりの中に入りなさい」と呼びかけてくださっているのです。この呼びかけに応答するなら、あなたもクリスマスの本当の喜び、神を見る幸いを味わうことができるのです。

Ⅰサムエル10章

サムエル記第一10章から学びます。

Ⅰ.サウルの油注ぎと3つのしるし(1-9)

まず、1~9節までをご覧ください。

「サムエルは油の壺を取ってサウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った。「主が、ご自分のゆずりの地と民を治める君主とするため、あなたに油を注がれたのではありませんか。今日、私のもとを離れて行くとき、ベニヤミンの領内のツェルツァフにあるラケルの墓のそばで、二人の人に会うでしょう。彼らはあなたに、『捜し歩いておられた雌ろばは見つかりました。あなたの父上は、雌ろばのことはどうでもよくなり、息子のためにどうしたらよいのだろうと言って、あなたがたのことを心配しておられます』と言うでしょう。そこからなお進んで、タボルの樫の木のところまで行くと、そこで、神のもとに行こうとベテルに上って行く三人の人に会います。一人は子やぎを三匹持ち、一人は円形パンを三つ持ち、一人はぶどう酒の皮袋を一つ持っています。彼らはあなたにあいさつをして、あなたにパンを二つくれます。彼らの手から受け取りなさい。それから、ペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに着きます。その町に入るとき、琴、タンバリン、笛、竪琴を鳴らす者を先頭に、預言をしながら高き所から下って来る預言者の一団に出会います。主の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。私より先にギルガルに下って行きなさい。私も全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げるために、あなたのところへ下って行きます。私があなたのところに着くまで、そこで七日間待たなければなりません。それからあなたがなすべきことを教えます。」サウルがサムエルから去って行こうと背を向けたとき、神はサウルに新しい心を与えられた。これらすべてのしるしは、その日のうちに起こった。」

サムエルは、サウルが君主に任じられていることを伝えるために、彼の頭に油を注ぎました。この油注ぎは、物や人を聖別するために行われたものですが、神が王を任命されるときだけでなく、祭司、預言者を任命する時にも行なわれました。ここでは、サウルを神に聖別された王として立てるために、油注ぎが行われました。へブル語の「メシア」という言葉は、「油注がれた者」という意味ですが、人類の救い主として登場するイエス・キリストこそ、究極的な意味で神から油注ぎを受けたお方です。

サムエルはサウルに油を注ぎ、彼に口づけして、彼が神から王として立てられていることを証明するために、三つのことが起こると預言しました。第一に、サウルがサムエルのもとを離れて行くとき、ベニヤミンの領内のツェルツァフにあるラケルの墓のそばでふたりの人に会い、彼らが、雌ろばが見つかったことを告げます(2)。また、サウルの父親がサウルのことを心配していることも告げます。

第二に、そこからなお進んで行き、タボルの樫の木のところまで行くと、そこで、神のもとに行こうとベテルに上って行く3人の人に出会います。彼らのうちの1人は子やぎを3匹持ち、もう1人は円形のパンを三つ、もう1人はぶどう酒の皮袋を3つ持っていますが、彼らはサウルにパンを2個くれるので、それを彼らの手から受け取りなさい、ということでした(3-4)。

そして第三に、サウルがギブア・エロヒムに到着すると、そこに琴、タンバリン、笛、竪琴を鳴らす者を先頭に預言をしながら高き所から下って来る預言者の一団に出会いますが、そのときサウルの上に主の霊が激しく下り、彼も彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられるというのです(5-6)。

これが、神がサウルとともにおられるしるしです。これらのしるしが起こったら、自分の力でできることをしなければなりません。「自分の力でできることをしなさい」は、新改訳第三版では「手当たりしだいに何でもしなさい」と訳されています。つまり、時に応じてなんでもしなさい、ということです。サムエルはサウルに、自分より先にギルガルに下って行くように命じました。しかし、彼はそこで七日間待たなければなりません。サムエルが全焼のいけにえを献げるために彼のところへ下って行くからです。それまでの間待たなければなりませんでした。サムエルがそこに着く時、サウルがなすべきことを教えるからです(8)。その結果どうなったでしょうか。サウルがサムエルから去って行こうとしたとき、神はサウルに新しい心を与えられました。これらすべてのしるしが、その日のうちに起こったのです(9)。

ここで問題なのは、6節に、「主の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。」とありますが、サウルは新しく生まれ変わったのかということです。つまり、彼は救われていたのか、ということです。この箇所を見ると、「主の霊が彼の上に激しく下り」とあるので、彼は聖霊を受けたかのように見えますが、これが新訳聖書で教えている新生の体験と同じかどうかは疑問があります。というのは、彼は王権が確立されていくにつれて傲慢になり、ギルガルでサムエルが到着するまでそこで七日間待たなければなりませんでしたがその命令に従わず、サムエルに代わって全焼のいけにえをささげてしまうからです。確かに、聖霊を受けて新しく生まれるという体験をしても罪を犯します。しかし、16:14には、「主の霊はサウルを離れ去り、主からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。」とあるように、彼には主からの、わざわいの霊が送られていることを考えると、本当に彼が救われていたのかどうかは疑問があります。確かに救われていても罪を犯します。しかし、救われていれば、その人のすべき第一の反応はその罪を悔い改めることです。そして、そこから学ぶことは何であるのかを求めることです。

けれども、サウルは罪を悔い改めませんでした。結局、彼はダビデに嫉妬し、堕落の道を辿り、最終的に、ペリシテとの戦いの中で致命傷を負い、敵に追い詰められ、一緒にいた護衛兵に殺してくれるよう頼みますがためらわれ、自らの剣で自殺しました(Ⅰサムエル31:4)。彼の問題は何だったのでしょうか。それは、悔い改めなかったということです。彼の問題は、「した」からでなく「しなかった」からなのです。彼は二度にわたって神の命令に背きましたが、問題はそのように神に背いたことではなく、それを悔改めなかったことです。悔い改めるなら、神はすべての悪から清めてくださいます。
「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:8-9)つまり、サウルは元々救われていなかったのです。
 

このことについて、久保有政師がご自身の著書「レムナント」の中で次のように言っています。少し長いですが、引用したいと思います。  「多くの人は、「もし、私が天国に入れないとしたら、それは私が悪いことをしたからだ」とか「罪を犯したからだ」と思っていないでしょうか。しかし、この考え方は聖書の教えるところではありません。もしあなたが、不幸にも死後天国に入れないとしたら、それはあなたが何かを「した」かたではありません。むしろ、あなたがあることを「しなかった」からなのです。

これがダビデと決定的に違う点でした。ダビデも人生の中で罪を犯しました。ダビデの犯した罪は深刻で重いものでした。彼は人の妻を横取りし、姦淫したうえ、彼女の夫を戦闘の最前線に出して故意に死なせたのですから(Ⅱサムエル11章)。しかしダビデの罪は赦され、サウルの罪は赦されませんでした。それは、ダビデが心から悔改めたのに対し、サウルは悔改めなかったからです。彼は自分の罪が発覚したとき、預言者サムエルに「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で、私の面目を立ててください。どうか私と一緒に帰って、あなたの神、主を礼拝させてください」(Ⅰサムエル15:30)と言いました。しかし、それは表面的なことで、真実なものではありませんでした。というのは、そのすぐあとに「私の面目を立ててください」と言っているからです。自己保身をはかりました。「罪を犯しました」というのはタテマエで、「面目を立ててください」がホンネでした。ですから、神はこうした態度を、悔改めととしてお受けにならなかったのです。神はサウルを、王位から退けられました。サウルの晩年は、悲惨さを感じさせるものでした。一方、ダビデは、自分の罪を指摘されたとき、「私は主に対して罪を犯しました」(Ⅱサムエル12:13)と言い、自分のしたことが「主に対する」重大な罪であったということを表明しました。ダビデは自分の面目を保つことを求めず、神の懲らしめに身をまかせました。やがてダビデの家庭と王位には、様々の災いがふりかかりました。しばらくして、息子と家臣がダビデに反逆し、ダビデは王座とエルサレムを去らなければならなくなりました。そのとき、ベニヤミン人のある男がダビデに近寄ってきて、嘲笑とのろいの言葉を浴びせました。さらに、ダビデや家来たちに石を投げつけました。もしダビデが、家来に命じれば、家来はその男を捕らえて黙らせたり、斬り捨てることもできたでしょう。しかしダビデはそうせず、むしろ、その男ののろいの言葉を甘んじて受けてこう言いました。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私の命をねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほおって起きなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう」(Ⅱサムエル16:11~12)。これは彼が真に悔い改めていたことを示すものです。ダビデのなした真実な悔改めは、神に知られるところとなり、神はダビデの罪を赦し、彼を再び王座に戻し、誉れと幸福をお与えになりました
サウルとダビデ――この二人の違いは、どこにあったのでしょうか。サウルもダビデも罪を犯しました。しかし、サウルは悔い改めなかったのに対しして、ダビデは悔い改めました。ですから、ダビデは赦され、サウルは神から退けられたのです。サウルが退けられたのは、彼が何かを「した」からではなく、悔改めを「しなかった」からなのです。

ですから、問題は罪の大小ではありません。そこに真の悔い改めがあったかどうかです。確かに、サウルは神に選ばれ、聖霊の油注ぎを受けたにも関わらず、悔い改めることをしませんでした。それが問題だったのです。つまり、彼は表面的には聖霊を受けていたかのように見えますが、実際には神から離れていたのです。彼は最初から救われていなかったのです。もし、自分の罪を悔い改めて主イエスを信じたなら、どんな罪でも神は赦していただけます。サウルは主の霊によって新しい人に変えられましたが、それは新約聖書が教えている新しく生まれるという体験ではなかったのです。

Ⅱ.サウルも預言者の一人なのか(10-16)

次に10~16節をご覧ください。

「彼らがそこからギブアに行くと、見よ、預言者の一団が彼の方にやって来た。すると、神の霊が彼の上に激しく下り、彼も彼らの間で預言した。以前からサウルを知っている人たちはみな、彼が預言者たちと一緒に預言しているのを見た。民は互いに言った。「キシュの息子は、いったいどうしたことか。サウルも預言者の一人なのか。」そこにいた一人も、これに応じて、「彼らの父はだれだろう」と言った。こういうわけで、「サウルも預言者の一人なのか」ということが、語りぐさになった。サウルは預言を終えて、高き所に帰って来た。サウルのおじは、彼とそのしもべに言った。「どこに行っていたのか。」サウルは言った。「雌ろばを捜しにです。どこにもいないと分かったので、サムエルのところに行って来ました。」サウルのおじは言った。「サムエルはあなたがたに何と言ったか、私に話してくれ。」サウルはおじに言った。「雌ろばは見つかっていると、はっきり私たちに知らせてくれました。」しかし、サムエルが語った王位のことについては、おじに話さなかった。」

サムエルが預言した三つの預言は、その日のうちに起こりました。その中でも三番目の預言が最も重要だったので、そのことについてここで詳細に語られています。つまり、彼らがそこからギブアに行くと、そこで預言者の一団が出会ったということです。彼らがサウルの方にやって来ると、神の霊が彼の上の激しく下り、彼も彼らの間で預言しました。以前からサウルのことを知っている人たちは、彼が預言者たちと一緒に預言しているのを見て、びっくりしました。そして、互いにこう言いました。「キシュの息子は、いったいどうしたことか。サウルも預言者の一人なのか。」

サウルが預言を終えて帰宅すると、サウルのおじが彼とそのしもべたちに、「どこに行っていたのか」と尋ねました。サウルが、雌ろばを捜しに行っていたがどこにもいなかったので、サムエルのところに行って来た」と答えると、おじはサムエルが彼に何を言ったのかと聞きました。しかし、彼はただ雌ろばのことを告げただけで、自分が王として油を注がれたことについては話しませんでした。彼は、事態の進展を神とサムエルにゆだね、自分は状況が開かれるのを待とうと思ったのでしょう。なかなかの慎重さが伺えます。

しかし、サウルの変化を過大評価することはできません。なぜなら、先ほども述べたように、それは永遠に続く霊的変化ではなく、一時的で、表面的な変化にすぎなかったからです。使徒パウロも劇的な変化をしました。彼は以前サウルと同じ名前でしたし、ともにベニヤミンの出身でしたが、両者の変化の内容は全く違うものでした。パウロはキリストを信じて霊的に生まれ変わりましたが、サウロはそうではありませんでした。サウルも劇的に変えられましたがそれは聖霊による新生の体験ではなく、表面的で、一時的な変化にすぎませんでした。

Ⅲ.サウルの選出(17-27)

最後に17節から27節までを見て終わります。まず24節までをご覧ください。

「サムエルはミツパで、民を主のもとに呼び集め、イスラエル人に言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『イスラエルをエジプトから連れ上り、あなたがたを、エジプトの手と、あなたがたを圧迫していたすべての王国の手から救い出したのは、このわたしだ。』しかし、あなたがたは今日、すべてのわざわいと苦しみからあなたがたを救ってくださる、あなたがたの神を退けて、『いや、私たちの上に王を立ててください』と言った。今、部族ごと、分団ごとに、主の前に出なさい。」サムエルは、イスラエルの全部族を近づかせた。すると、ベニヤミンの部族がくじで取り分けられた。 そして、ベニヤミンの部族を、その氏族ごとに近づかせた。すると、マテリの氏族がくじで取り分けられた。そして、キシュの息子サウルがくじで取り分けられた。人々はサウルを捜したが、見つからなかった。人々はさらに、主に「あの人はもう、ここに来ているのですか」と尋ねた。【主】は「見よ、彼は荷物の間に隠れている」と言われた。彼らは走って行って、そこから彼を連れて来た。サウルが民の中に立つと、民のだれよりも、肩から上だけ高かった。サムエルは民全体に言った。「主がお選びになったこの人を見なさい。民全体のうちに、彼のような者はいない。」民はみな、大声で叫んで、「王様万歳」と言った。

サウルがイスラエルの王として立てられていることを公にするため、サムエルはイスラエルの民をミツパに集め、王を選出するための行事を行います。彼はまず、王を選出する前にイスラエルの神がどのような方であるかを確認します。すなわち、イスラエルの神はイスラエルの民をエジプトから救い出してくださった方であるということです。さらに彼は、イスラエルに王を立てるということは、この神を退ける行為であることを伝えます。その上で、くじによって王を選ぶ作業に入ります。するとベニヤミン部族が取り分けられ、マテリ氏族が取り分けられ、そして、キシュの子サウルが取り分けられました。そこでサウルを捜しましたが、見つかりませんでした。彼は荷物の間に隠れていたのです。なぜ彼は荷物の間に隠れたのでしょうか。

このサウルの態度は、一見、謙遜であるかのように見えますが、後になってわかるように、これは謙遜ではなく自信のなさの現われでした。自信のなさと傲慢さとは表裏一体です。荷物の間からサウルを連れて来ると、彼は民のだれよりも肩から上だけ高く、威風堂々としていました。それでイスラエルの民は非常に喜び、「王様万歳」と叫んで、彼を王として受け入れました。なぜ彼らはそんなに喜んだのでしょうか。それはただ、サウルの体格が良く、堂々としていたからです。

しかし、後にダビデが次の王として選ばれますが、ダビデはサウルとは違いそれほど背が高くありませんでした。しかし、その時主が言われたことはこうでした。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(16:7)私たちもうわべではなく心を見て判断する者となりましょう。

25-27節をご覧ください。ここには、「サムエルは民に王権の定めについて語り、それを文書に記して主の前に納めた。それから、サムエルは民をみな、それぞれ自分の家へ帰した。サウルもギブアの自分の家へ帰って行った。神に心を動かされた勇者たちは、彼について行った。しかし、よこしまな者たちは、「こいつがどうしてわれわれを救えるのか」と言って軽蔑し、彼に贈り物を持って来なかった。しかし彼は黙っていた。」とあります。

「神に心動かされた勇者たち」とは、その時代の真の信仰者たちです。彼らはサウルに傾倒していたというよりも、今サウルを盛り立てることが自分に与えられた主のみこころであると確信して、彼について行きました。

一方、「よこしまな者たち」とはは、「こいつがどうしてわれわれを救えるのか」と言って彼を軽蔑した者たちです。彼らはサウルに贈り物を持って来ませんでした。彼らは主のみこころを理解せず、いつも自分中心に判断し、動いていたからです。私たちは、よこしまな者にならないで、主に心動かされる者となり、主のみこころが実現するためにへりくだって仕える者となろうではありませんか。

出エジプト記19章

Ⅰ.神との契約(1-9)

 

「エジプトの地を出たイスラエルの子らは、第三の新月の日にシナイの荒野に入った。彼らはレフィディムを旅立って、シナイの荒野に入り、その荒野で宿営した。イスラエルはそこで、山を前に宿営した。モーセが神のみもとに上って行くと、主が山から彼を呼んで言われた。「あなたは、こうヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ。 『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。』これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。」

エジプトを出たイスラエルの民は、約束の地を目指して旅を続けてきましたが、レフィディムから次の宿営地であるシナイの荒野に入りました。それは、第三の新月の日でした。つまり、3月1日のことです。イスラエルがエジプトを出たのは第一の月の14日でしたから、ここまで来るのに約1か月半かかったことになります。休みながらの移動だったので、相当な時間を要したのでしょう。シナイの荒野に入ると、彼らは山を前に宿営しました。この山とはシナイ山です。かつてモーセはこの山で神から召命を受けました。あれから1年後、モーセは再び神の山に戻ってきたのです。

モーセが神のみもとに上って行くと、主が山から彼を呼んでこう言われました。「あなたは、こうヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ。あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。」

主は、ご自身がイスラエルの民をエジプトから解放するために何をしたのか、また、どのようにここまで導いて来られたのかを語られました。「鷲の翼に乗せて」とは、追って来る敵の手からすみやかに救出したという意味です。また、「わたしのもとに連れて来た」とは、このシナイ山に来たことを指しています。なぜ主は彼らにこのように過去のことを回顧させているのでしょうか。それは、これがこれから民と契約を結ぶ前提となるからです。

5節、6節をご覧ください。ここでは、その契約の内容が語られています。それは、「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」ということです。どういうことでしょうか。もし、神の声に聞き従い、神の契約を守るなら、あらゆる民族の中にあって、彼らは神の宝の民となるというのです。つまり、神が所有される特別な宝となるということです。これは特別な祝福です。というのは、全世界は主のものであり、それゆえに主は、ご自分のみこころのままに人を祝福したり、罰したりすることができるわけですが、イスラエルの民は、その神の特別な宝となるのです。つまり、神の特別な所有財産となるのです。これ以上の特権はありません。

そればかりではありません。ここには、「全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」とあります。祭司とは、神と人を仲介する人のことです。イスラエルの民を見て、神がどのような方であるのかを人々が知るようになり、また人々のためにイスラエルが神に執り成しをするのです。これはアブラハムと結ばれた契約の延長でもあります。かつて神はアブラハムにこう仰せられました。「地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3)。それは彼らの自己満足のためではなく、すべての国々の中で光となるためであり、他の民族がこの方が主であると認めるためでした。けれどもイスラエルは自分を求めるだけで、この使命を失ってしまいました。

そればかりではありません。ここには、「聖なる国民となる」とも言われました。「聖」とは、分離するという意味があります。つまり、諸国の中から分離された国民となるということです。これまでは他の国民のように自分の欲望と満足のために生きてきましたが、これからは神の民として、真の神を信じ、その神の教えと戒めに従って歩む聖なる国民となるのです。

モーセは、神から告げられたことを民の長老たちに示すと、彼らはどのように応答したでしょうか。8節には「民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主の言われたことをすべて行います。」それでモーセは民のことばを携えて主のもとに帰った。」とあります。民はモーセが語ることばに同意し、自分たちは、主が仰せられたことを、すべて行います、と言いました。すばらしいですね。主が仰せになられたことをすべて行うことは不可能なことですが、それでも彼らはそのようにしたいと応答しました。

それで、モーセは、民のことばを携えて主のもとに戻りました。すると主はモーセに言われました。「見よ。わたしは濃い雲の中にあって、あなたに臨む。わたしがあなたに語るとき、民が聞いて、あなたをいつまでも信じるためである。」(9)

主は濃い雲の中にあって、モーセに現われました。それは主がモーセに語られるとき、イスラエルの民がそれを聞いて、彼らがモーセを信じるためです。つまり、モーセが本当に神と語っていることを彼らが知り、モーセのリーダーシップを認めるためです。モーセはここで仲介的な役割を果たしています。民の言葉を神に告げ、主のみことばを民に告げています。同じような役割をイスラエルの民にも与えられていました。それは、神の愛と義を諸国民に示し、また、神と諸国民の間に立って、両者をとりなす役割です。しかし、後の歴史が示しているように、彼らはその使命を果たすことができませんでした。彼らの信仰があまりにも表面的であったというか、みことばに深く根差していなかったからです。確かに彼らは、「私たちは主の言われたことをすべて行います」と応答しましたが、それがどういうことなのかを深く考えることができなかったのです。

イエスは種まきのたとえ話の中で、岩地に蒔かれた種は、土が深くなかったので、すぐに芽を出したが、しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまったと話されました。この時のイスラエルはまさに岩地に蒔かれた種のようでした。神のことばを聞いて「私たちは主の言われたことをすべて行います。」と応答しましたが、それがどういうことなのかを深く考えることをしませんでした。

私たちも同じです。主はご自身を信じる者にすばらしい約束を与えておられますが、その約束を受けるためには、「もし、あなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、」とあるように、神の声に聞き従い、神との契約を守ることが求めてられています。そのためには、神のことばが何と言っているのかを良く聞き、ご聖霊の助けと力を仰ぎながら、神に全く信頼しなければなりません。私たちの表面的な感情や力だけでは、主の御声に聞き従うことはできないのです。神のことばに深く根差しながら、イエス・キリストの救いの恵みに感謝して、神の声に聞き従う者でありたいと思います。

Ⅱ. イスラエルの民の聖別(10-15)

モーセが民のことばを主に告げると、主は何と言われたでしょうか。10~15節までをご覧ください。

「主はモーセに言われた。「あなたは民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、自分たちの衣服を洗わせよ。彼らに三日目のために準備させよ。三日目に、主が民全体の目の前でシナイ山に降りて行くからである。あなたは民のために周囲に境を設けて言え。『山に登り、その境界に触れないように注意せよ。山に触れる者は、だれでも必ず殺されなければならない。その人に手を触れてはならない。その人は必ず石で打ち殺されるか、矢で殺されなければならない。獣でも人でも、生かしておいてはならない。』雄羊の角が長く鳴り響くときは、彼らは山に登ることができる。」 モーセは山から民のところに下りて行って、民を聖別した。彼らは自分たちの衣服を洗った。モーセは民に言った。「三日目のために準備をしなさい。女に近づいてはならない。」」

モーセが民のことばを主に告げると、主はモーセに、民のところに行き、きょうとあす彼らを聖別し、自分たちの衣服を洗わせるようにと言いました。三日目に、主が民全体の前でシナイ山に降りて来られるからです。彼らは二日間かけて自らをきよめなければなりませんでした。具体的には、衣服を洗うということです。自分の衣服を洗うことが、どうしてきよめることと関係があったのでしょうか。主はきよめるということがどういうことなのかを教えるために、外側のきよめという目に見える形を通して示されたのです。神が聖なる方であるから、彼らにも聖であることを求められました。その聖であるということがどういうことであるのかを理解させるために、外側のきよめを命じたのです。イエスは、外側からのものは厠に流されるだけで、人を汚すのは内側から出てくるもの、嘘、偽り、好色、殺人といった類のものであると言われました。ただキリストの血によって、また神のみことばによって私たちの心はきよめられるのです。

次に主は、周囲に境を設けるようにと言われました。12~13節です。「あなたは民のために周囲に境を設けて言え。『山に登り、その境界に触れないように注意せよ。山に触れる者は、だれでも必ず殺されなければならない。その人に手を触れてはならない。その人は必ず石で打ち殺されるか、矢で殺されなければならない。獣でも人でも、生かしておいてはならない。』雄羊の角が長く鳴り響くときは、彼らは山に登ることができる。」

シナイ山の周囲に境を設ける必要がありました。なぜなら、そこには聖なる主が下りてこられるからです。山に触れる者があれば、その人は石で打ち殺されなければなりませんでした。主はそれほど聖なる方であられるからです。人間も動物も、その境を越えることは許されませんでした。汚れたものが聖なる地に足を踏み入れることは、そのまま死を意味したのです。では、いつ山に登ることができたのでしょうか。このように二日間身を聖め、角笛が長く鳴り響くのを待たなければなりませんでした。

新約の時代に生きている私たちは、別の方法で神に近づくことができます。それはイエス・キリストによってです。イエスは私たちの罪のために十字架で死んでくださいました。この十字架の血が私たちをきよめることができます。だれでも、神に近づきたいと思うなら、この血のきよめを受けなければなりません。へブル7:24-25には、「イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」とあります。これが、私たちが神に近づくことができる唯一の方法です。これ以外の方法で神に近づくことはできません。そのようにすることは、「境」を越えることであり、神の裁きを身に招くことになります。「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネ14:6)主イエスだけが、罪と死の問題から私たちを解放してくださるお方であり、このイエスによってのみ、すなわち、イエスを信じることによってのみ、神に近づくことができるのです。

モーセは、山から民のところに下って行って、民を聖別し、彼らの衣服を洗いました。そしてこう言いました。「三日目のために準備をしなさい。女に近づいてはならない。」ここにはもう一つのことが付け加えられています。それは、「女に近づいてはならない」ということです。これはどういうことでしょうか。これは、必ずしも不品行のことではありません。自分の妻との性的な関係を控えなさい、という意味です。夫婦の肉体関係が罪であるとか汚れているということではありません。衣服を洗って身を聖めるように、外側の行ないによって、内側の聖さを示す必要があったのです。

Ⅲ.神の顕現(16-25)

次に16~25節をご覧ください。

「三日目の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。モーセは、神に会わせようと、民を宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全山が煙っていた。主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。煙は、かまどの煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。角笛の音がいよいよ高くなる中、モーセは語り、神は声を出して彼に答えられた。主はシナイ山の頂に降りて来られた。主がモーセを山の頂に呼ばれたので、モーセは登って行った。主はモーセに言われた。「下って行って、民に警告せよ。彼らが見ようとして主の方に押し破って来て、多くの者が滅びることのないように。主に近づく祭司たちも自分自身を聖別しなければならない。主が彼らに怒りを発することのないように。」モーセは主に言った。「民はシナイ山に登ることができません。あなたご自身が私たちに警告して、『山の周りに境を設け、それを聖なるものとせよ』と言われたからです。」主は彼に言われた。「下りて行け。そして、あなた自身はアロンと一緒に上れ。しかし、祭司たちと民は、主のところに上ろうとして押し破ってはならない。主が彼らに怒りを発することのないように。」

三日目の朝になると、山の上に雷鳴と稲妻と厚い雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がりました。神の臨在に触れたからです。モーセは、神に会わせようと、彼らを宿営から連れ出し、山のふもとに立たせました。するとシナイ山は全山が煙っていました。主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからです。煙はかまどの煙のように立ち上り、山全体が激しく震えました。ものすごい光景ですね。そして、主がモーセを山の頂に呼ばれたので、モーセが登って行くと、主は、「まず、下って行って、彼らが主を見ようとして主の方に近寄って来て、滅びることがないように警告するように」と言われました。それは祭司たちも例外ではありませんでした。主に近づく祭司たちも、自分自身を聖めなければなりませんでした。主は限りなく聖なるお方なので、この方に近づこうとするなら、主が怒りを発して、滅ばされてしまうからです。

ヘブル12:18~24には、これがどういうことなのかが記されています。

「あなたがたが近づいているのは、手でさわれるもの、燃える火、黒雲、暗闇、嵐、ラッパの響き、ことばのとどろきではありません。そのことばのとどろきを聞いた者たちは、それ以上一言も自分たちに語らないでくださいと懇願しました。彼らは、「たとえ獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない」という命令に耐えることができませんでした。また、その光景があまりに恐ろしかったので、モーセは「私は怖くて震える」と言いました。しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。」

これは、この時のことを述べています。それは、シナイ山が揺れ動くほど恐ろしいものでした。だれも主の山に近づくことなどできませんでした。近づこうものなら、たちまちのうちに滅ぼされてしまうことになります。主はあまりにも聖なる方なので、だれも近づくことができなかったのです。

しかし、私たちには、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。どうやって?イエスの血の注ぎかけによってです。私たちが近づいているのは、地上のシナイ山ではなく、天のエルサレム、「生ける神の都」です。そこでは無数の御使いたちの大宴会が開かれています。これはただ神の恵み、イエスの血の注ぎかけによるのです。つまり、恵みの時代に生きている私たちクリスチャンは、恐れることなく大胆に、恵みの座に近づくことができるのです。これらのことを可能にするのは、すべて、新しい契約の仲介者である主イエスが、ご自身の血を御座にお注ぎになったからです。
私たちは、どのように神に近づいているでしょうか。旧約時代のイスラエルの民のように、自分が何か悪いことをしたのでは神は受け入れてくださらないのではないかと、びくびくしながら近づいてはいないでしょうか?もし、そうであれば、それは神がキリストによって成してくださった神の恵みに対する信仰が薄くなっているからです。私たちが近づいているのは、黒雲と煙が立ち上がっているシナイ山ではなく、シオンの山です。主が、私たちが神に近づくことができるためのすべてのことを、ご自分の血とその肉体によって成し遂げてくださったのです。だから、良心をきよめられて、大胆に神に近づくことができるのです。

神が聖なる方であることを知ることはとても大事です。しかし聖なる方に近づくためにその尊いひとり子の血が流されたことを忘れないでください。この方によって、私たちは大胆に神に近づくことができるのです。これ以外に、私たちが神に近づく方法はありません。天の下で、私たちが救われるべき御名は、人間に与えられていないからです。まだこの神に近づいていない方は、どうかこの神の救い、イエス・キリストを信じてください。キリストが十字架で流された血潮を信じて、すべての罪をきよめていただき、大胆に神に近づこうではありませんか。

Ⅰサムエル記9章

サムエル記第一9章から学びます。

 

Ⅰ.キシュの子サウル(1-10)

 

まず、1~10節までをご覧ください。1-2節をお読みします。

「ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。キシュはアビエルの子で、アビエルはツェロルの子、ツェロルはベコラテの子、ベコラテはベニヤミン人アフィアハの子であった。彼は有力者であった。キシュには一人の息子がいて、その名をサウルといった。彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。」

 

いよいよ、初代イスラエルの王となる人物が選ばれます。それはサウルです。ここには、サウルがどのような人物であったかが描かれています。

彼はまずベニヤミン人で、キシュという人の一人息子でした。そして彼は、美しい若者であったとあります。その美しさは、イスラエル人の中で彼よりも美しい者はいなかったと称されているほどです。それは彼の背の高さを見てもわかります。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かったのです。女の人たちが一番結婚したいと思う理想の男性、というところでしょうか。神は、イスラエルの民が王として望んでおられるような人物を用意されたのです。

 

3~10節までをご覧ください。

「あるとき、サウルの父キシュの雌ろば数頭がいなくなったので、キシュは息子サウルに言った。「しもべを一人連れて、雌ろばを捜しに行ってくれ。」サウルはエフライムの山地を巡り、シャリシャの地を巡り歩いたが、それらは見つからなかった。さらに、シャアリムの地を巡り歩いたが、いなかった。ベニヤミン人の地を巡り歩いても、見つからなかった。二人がツフの地にやって来たとき、サウルは一緒にいたしもべに言った。「さあ、もう帰ろう。父が雌ろばのことはさておき、私たちのほうを心配し始めるといけないから。」すると、しもべは言った。「ご覧ください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへ参りましょう。私たちが行く道を教えてくれるかもしれません。」サウルはしもべに言った。「もし行くとすると、その人に何を持って行こうか。私たちの袋には、パンもなくなったし、神の人に持って行く贈り物もない。何かあるか。」しもべは再びサウルに答えた。「ご覧ください。私の手に四分の一シェケルの銀があります。これを神の人に差し上げたら、私たちの行く道を教えてくださるでしょう。」昔イスラエルでは、神のみこころを求めに行く人は「さあ、予見者のところへ行こう」とよく言っていた。今の預言者は、昔は予見者と呼ばれていたからである。サウルはしもべに言った。「それはよい。さあ、行こう。」こうして、彼らは神の人のいる町へ行った。」

 

あるとき、サウルの父キシュの雌ろば数頭がいなくなったので、キシュは息子のサウルに、若い者一人を連れて捜しに行くようにと言いました。それで彼はエフライムの山地からベニヤミンの地を巡り歩きましたが、見つかりませんでした。そして、彼らがツフの地に来たとき、サウルは一緒にいた若い者に、「もう帰ろう。父親が自分たちのことを心配するといけないから」と、言いました。

 

するとそのしもべが言いました。「ご覧ください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへ参りましょう。私たちが行く道を教えてくれるかもしれません。」(6)

 

「神の人」とはとはもちろんサムエルのことです。当時サムエルは、全イスラエルに神の預言者として認められていました。彼のもとに行けば、自分たちが行くべき道が示されるかもしれないと思ったのです。サウルは、その神の人のところに行くとしたら何かみやげを持って行かなければならないが、果たして何を持っていったら良いだろうかと心配します。するとそのしもべは、自分が持っていた銀4分の1シェケルを差し出しました。当時は、預言者という言葉の代わりに、「予見者」と言う言葉が使われていました。予見者は、助言を求めてやって来る人たちからの捧げ物によって生計を立てていたのです。サウルは、「それは良い」と言い、彼らは神の人がいる町へと行きました。

 

道に迷った時、あなたはだれに助けを求めますか。サウルと若者は、神の人サムエルを訪ねました。これは賢明な判断でした。私たちも人生の方向性が分からなくなったとき、神に尋ね求めましょう。聖書を開き、霊的指導者からみことばを通しての助言を聞きましょう。人にではなく、神に向かうようにしたいものです。

 

Ⅱ.神の不思議な導き(11-21)

 

11~14節をご覧ください。

「彼らがその町への坂道を上って行くと、水を汲みに出て来た娘たちに出会った。彼らは「予見者はここにおられますか」と尋ねた。すると娘たちは答えて言った。「はい。この先におられます。さあ、急いでください。今日、町に来られました。今日、高き所で民のためにいけにえをお献げになりますから。町に入ると、あの方が見つかるでしょう。あの方が食事のために高き所に上られる前に。民は、あの方が来られるまで食事をしません。あの方がいけにえを祝福して、その後で、招かれた者たちが食事をすることになっているからです。今、上って行ってください。あの方は、すぐに見つかるでしょう。」彼らが町へ上って行き、町に入りかかったとき、ちょうどサムエルが、高き所に上ろうとして彼らの方に向かって出て来た。」

 

彼らがその町への坂道を上って行くと、水を汲みに出て来た娘たちに出会ったので、彼らはその娘たちに「予見者はここにおられますか」と尋ねました。すると、娘たちは、この先にいると教えてくれました。その日サムエルは、高きところでいけにえをささげるためにその町に来ていたのです。いけにえをささげた後、サムエルは招かれた者たちと食事をすることになっていたので、いますぐ上って行くようにと教えてくれました。すると、「彼らが町へ上って行き、町に入りかかったとき、ちょうどサムエルが、高き所に上ろうとして彼らの方に向かって出て来た。」のです。何というタイミングでしょう。サウルたちが町に入ったその日、サムエルがいけにえをささげるためにその町に来ていたというだけでなく、ちょうどそのときサムエルが彼らのところにやって来たので、彼らはその町で会うことができたのです。これはまさに神のタイミングでした。神は私たちの見えない所で働いておられ、このように必要な出会いを与えてくださるのです。

 

そればかりではありません。15節から21節までをご覧ください。

「主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて告げておられた。「明日の今ごろ、わたしはある人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ。」サムエルがサウルを見るやいなや、主は彼に告げられた。「さあ、わたしがあなたに話した者だ。この者がわたしの民を支配するのだ。」サウルは、門の中でサムエルに近づいて、言った。「予見者の家はどこですか。教えてください。」サムエルはサウルに答えた。「私が予見者です。私より先に高き所に上りなさい。今日、あなたがたは私と一緒に食事をするのです。明日の朝、私があなたを送ります。あなたの心にあるすべてのことについて、話しましょう。三日前にいなくなったあなたの雌ろばについては、もう気にかけないようにしてください。見つかっていますから。全イスラエルの思いは、だれに向けられているのでしょう。あなたと、あなたの父の全家にではありませんか。」サウルは答えて言った。「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、取るに足りないものではありませんか。どうしてこのようなことを私に言われるのですか。」」

 

サムエルは、前もってサウルのことを聞かされていました。「明日の今ごろ、わたしはある人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ。」と。そして、サムエルがサウルを見るやいなや、主は彼に告げられました。「さあ、わたしがあなたに話した者だ。この者がわたしの民を支配するのだ。」と。

そんなこともいざ知らず、サウルは門の中でサムエルを見つけると、「予見者の家はどこですか。教えてください。」と尋ねました。サムエルは自分がその予見者であることを告げると、いけにえをささげた後で一緒に食事をするようにと誘います。さらに、雌ろばは見つかっていることを告げ、サウルが本当に心配しなければならないことは、全イスラエルのことであると告げるのです。そして、イスラエルの王権は彼に与えられると預言しました。

 

するとサウルは何と答えたでしょうか。彼は驚いてこう言いました。「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、取るに足りないものではありませんか。どうしてこのようなことを私に言われるのですか。」

どういうことでしょうか。彼はイスラエル部族の中で最も小さな部族に属しているということ、そして、その部族の中でも一番つまらない者だと言うのです。サウルは非常に謙遜でした。いなくなったろばを捜しに出て、王権を発見したという人は、世界広しと言えども、彼しかいないでしょう。サウルは、最初は謙遜な器でしたが、やがてその性質を失ってしまいます。神は今でも謙遜に、神と人に仕える器を求めておられるのです。

 

Ⅲ.サウルをもてなすサムエル(22-27)

 

最後に22節から27節までを見て終わります。

「サムエルはサウルとそのしもべを広間に連れて来て、三十人ほどの招かれた人たちの上座に着かせた。サムエルは料理人に、「取っておくようにと渡しておいた、ごちそうを出しなさい」と言った。料理人は、もも肉とその上にある部分を取り出し、サウルの前に置いた。サムエルは言った。「これはあなたのために取っておいたものです。あなたの前に置いて、食べてください。その肉は、私が民を招いたと言って、この定められた時のため、あなたのために取り分けておいたものですから。」その日、サウルはサムエルと一緒に食事をした。彼らは高き所から町に下って来た。それからサムエルはサウルと屋上で話をした。彼らは朝早く起きた。夜が明けかかると、サムエルは、屋上にいるサウルに叫んだ。「起きてください。あなたを送りましょう。」サウルは起きて、サムエルと二人で外に出た。二人が町外れへと下っていたとき、サムエルがサウルに「しもべに、私たちより先に行くように言ってください」と言ったので、しもべは先に行った。「あなたは、ここにしばらくとどまってください。神のことばをお聞かせしますから。」」

 

サムエルは、サウルとそのしもべを広間に連れて来て、30人ほどの招かれた人たちの上座に着かせ、最高のもてなしをしました。というより、すでに彼を王になる人として、丁重に接しています。他に招待された人たちの中に彼らを座らせ、上等のももの肉を与えました。これは、サムエルがサウルのためにわざわざ取り分けておいたものです。サウルは破格の扱いを受けました。同席した者たちはさぞ驚いたことでしょう。しかし、一番驚いたのは誰よりもサウル自身であったと思われます。

 

食事が終わると、サムエルとサウルは、ある町の屋上で二人だけで話をしました。おそらくこのときサムエルは、主から受けていた啓示を彼に伝えたことでしょう。そして翌朝早く、サムエルはサウルを起こすと、彼を町外れまで見送りますが、しもべに先に行ってくれるように言ったので、しもべは先に行きました。それでサムエルは神のことばを彼に聞かせました。

 

この時、サムエルはどんな気持ちだったでしょうか。8:6には、このことはサムエルの目には悪しきことでした。これまで自分が必死に主に仕えてきたのに、そのことを認めないで民が勝手に求めた王を今、目の前にして複雑な気持ちだったことでしょう。それなのに、ここにはそんな彼の迷いは微塵も見られません。彼は神のことばをサウルに告げ、彼に油を注いでイスラエルの王とするのです。どこまでも主に忠実なサムエルの姿を見ます。私たちも、自分の目には悪しきことがたくさんあっても、あるいはそれが受け入れられないことでも、そのことにも主の摂理と導きがあると信じて、自分の思いや感情ではなく、主のみこころに歩ませていただきたいと思うのです。

ヨハネの福音書12章4~11節「礼拝を妨げるもの」

前回は、イエスが過越の祭りの6日前にベタニアに来られた時、マルタとマリアとラザロがどのようにしていたのかを見ました。すなわち、マルタの奉仕とラザロの証し、そしてマリアの礼拝です。特にマリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油をイエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐいました。それはマリアにとってイエスがすべてのすべてであったからです。彼女は自分自身を主にささげました。それが礼拝です。なぜ彼女はそのようにしたのでしょうか。それは勿論イエスが兄弟ラザロを生き返らせてくださったことへの感謝もありましたが、それ以上の理由がありました。それは、主が彼女のためにいのちを捧げるほど深く愛してくださったからです。その愛に対する応答でした。彼女にはそれがよくわかりました。いつも主の足もとにひれ伏して、主のみことばを聞いていたのでわかったのです。そしてそれが礼拝となって表れたのです。

 

きょうのところには、それとは裏腹にそうした主への礼拝を妨げる者の姿が描かれています。イスカリオテのユダや、祭司長たちです。いったい何が問題だったのでしょうか。私たちはイスカリオテのユダや祭司長たちのように礼拝を妨げる者ではなく、マリアのようにイエスに心から礼拝をささげる者でありたいと思います。

 

Ⅰ.イスカリオテのユダ(4-6)

 

まず、4~6節をご覧ください。

「弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。」

 

ここにイエスの弟子の一人で、イスカリオテのユダという人物が出てきます。新改訳聖書第三版には「ところが」という接続詞があります。残念ながらこの新改訳2017と他の日本語の聖書には訳されていません。英語では「but」(New International Version)、あるいは「Then」(King James Version)と訳しています。原語には、「ουν」という接続詞があって、これは「しかし」とか、「それから」、「ところが」という意味の言葉です。これは訳してほしかったですね。なぜなら、このイスカリオテのユダの行為が3節のマリアの行為と対比されているからです。マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油をイエスの足にぬり、それを自分の髪の毛でぬぐいましたが、一方、弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダはそうではありませんでした。

 

「イエスを裏切ろうと」の直訳は、脚注にもあるように「引き渡そうと」です。ユダはイエスをユダヤ人の当局者たちに引き渡そうとしていました。イエスを裏切ろうとしていたとはそういうことです。「イスカリオテ」とはカリオテの人という意味です。「カリオテ」とはイスラエル南部の地方都市の名前で、「大都会」という意味があります。イエスの弟子たちのほとんどがガリラヤ地方出身の田舎者であったのに対して、彼はユダヤ地方の大都会の出身でした。今で言うとシティボーイです。ですから、それなりにプライドもあったでしょう。何よりも頭が切れていました。会計管理の才能を生かして弟子団の財務担当を担っていたのですから。財務省です。かなり優秀でないとなれません。ですから、人からの信頼も厚かったようです。そのイスカリオテのユダがマリアに言いました。「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」

 

これが聖書の中に出てくるユダの最初の言葉です。「どうして」ここに彼のメンタリティーがよく表われているのではないでしょうか。マリアが心から主イエスに対して向き合ったのに対して、彼はそのマリアに「どうして」と言いました。私たちもよく「どうして」と言うことがあるかと思いますが、このように「どうして」という時は気を付けなければなりません。そこにはナルドの香りではなく危険な香りがするからです。他の人を批判して「どうして」と言うのは危険です。彼はマリアを公然と批判しました。「どうして、この香油を300デナリで売って、貧しい人々に施さないのか。」と。この香油とは、3節で彼女がイエスに注いだナルドの香油のことです。これは純粋で非常に高価なものでした。300デナリもの価値がありました。300デナリとは300日分の労働者の賃金に相当します。つまり年収ですね。マリアはそれをすべてイエスにささげました。おそらく、結婚の準備のためにとコツコツと蓄えていたものでしょう。もしかすと、両親の遺産の一部であったのかもしれません。いずれにせよ、それを全部イエスにささげました。それを見ていたユダは、「どうして、この香油を300デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」と言ったのです。どうして彼はこのように言ったのでしょうか。

 

6節をご覧ください。ここにその理由が記されてあります。「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。」彼がこのように言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではありません。彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからです。どういうことでしょうか?貧しい人に施しをするということはユダヤ教では非常に大切なことでした。それは律法にこうあるからです。「あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みの中ででも、あなたの同胞の一人が貧しい者であるとき、その貧しい同胞に対してあなたの心を頑なにしてはならない。また手を閉ざしてはならない。必ずあなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。」(申命記15:7-8)

これが律法です。これが主のみおしえなのです。それは主が彼らを祝福してくださるからです。マタイ25:40でイエスが、「すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』」と言われたのは、こうした律法の背景があったからです。最も小さい者たちにしたこととは何ですか。空腹であったときに食べ物を与え、渇いたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに服を着せ、病気であったときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれるといったことです。つまり、貧しい人々に施すことです。それは神を信じて生きる者たちにとってとても大切なことだったのです。ですから、イスカリオテのユダが言っていることは正しいのです。

 

しかし、彼には問題がありました。それは、彼がこのように言ったのは貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かっていながら、そこに入っているものを盗んでいたことです。どういうことかというと、ヨハネ13:27-29を見てください。ここには、「ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。すると、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、すぐしなさい。」席に着いていた者で、なぜイエスがユダにそう言われたのか、分かった者はだれもいなかった。ある者たちは、ユダが金入れを持っていたので、「祭りのために必要な物を買いなさい」とか、貧しい人々に何か施しをするようにとか、イエスが言われたのだと思っていた。」とあります。これは最後の晩餐の席でのことです。イエスは弟子たちの一人が、自分を裏切ると言われました。弟子たちが、それはだれですかと尋ねると、イエスは「わたしがパン切れを浸して与える者が、その人です。」と答えました。そしてイエスはパン切れをユダに与えると、彼にこう言いました。「あなたがしようとしていることを、すぐにしなさい。」弟子たちはなぜイエスがそのように言ったのかが分かりませんでした。彼らはユダが金入れを預かっていたので、「祭りのために必要な物を買いなさい」とか、貧しい人々に何か施しをするようにと、言われたのではないかと思ったのです。でも実際は違いました。彼はその金入りから盗んでいたのです。つまり、フェイントですね。そのように見せかけておいて、実際には自分の利益を追及していたのです。

 

このように、人の言葉には、その裏に、それとは別の本当の意図が隠されていることがあります。ことに、りっぱなことを言う人は、その陰に全く違った動機が隠れている場合があります。ほかの人を批判したり、裁いたりする人も、あたかも正しいことを言っているようですが、実はその言葉の裏には、自分を正当化しようという思いが働いていることがあります。だから注意しなければなりません。イスカリオテのユダは確かにりっぱなことを言いましたが、一つとしてりっぱなことはしませんでした。彼はただ自分の利益を追及していただけだったのです。

 

でもこれはユダだけではありません。私たちにもあります。口ではりっぱなことを言っていても、その動機を探られたら、このユダと五十歩百歩ということがあるのではないでしょうか。たとえば、私はこうやって毎週講壇から説教していますが、それがもし人から称賛されたいからとか、名誉なことだからとか、注目されたい、かっこいいといった動機からだとしたら、このユダと全く変わりません。それはただの見せかけであって、偽善にすぎないのです。私は自分を戒めてこう言っているのですが・・。私たちが奉仕をするのはどうしてでしょうか。もし自分が敬虔なクリスチャンに見せたいからとか、教会のリーダーとして認められたいから、あるいは、何か大きなことを成し遂げたという達成感なり自己満足を得たいからというなら、それはこのユダと少しも変わりません。彼が本当に心にかけていたのは貧しい人々のことではなく自分自身でした。イエスを愛していたのではなく、自分を愛していたのです。彼は霊的なことには全く価値を見出すことができませんでした。だからイエスに対する愛情の表現としてささげたマリアの礼拝を全く理解できず、むしろそれを真っ向から非難して蔑んだのです。礼拝にそんなにお金をかけるなんてもったいない。そんなお金があるんだったら貧しい人々を支援した方がずっといいに決まっている。もっと実際的なことのためにお金を使うべきだ・・。どうですか、皆さん、何だかもっともらしいと思いませんか。でもそれは単なる口実です。彼がそのように言ったのは本当にそのように思っていたからではなく、自分の利益を求めていたからなのです。彼の心を支配していたのは損得勘定でした。本当に貧しい人のことを考えていたわけではありませんでした。

 

礼拝に行けませんという人の多くは同じ問題を抱えています。「忙しくて礼拝になかなか行けません。」「いろいろやらなければならないことが多くて礼拝に行っている時間がないのです。」これらはもっともらしい口実ですが、でも本当の理由はそこにあるのではなく、まさにユダが言っているように、自分のことしか考えていないことです。彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたのではなく、金入れに入ってくるものを盗んでいたのである。つまり、イエスのことを心にかけていたのではなく、イエスを愛しているのではなく、自分を愛していたのです。これが本当の問題です。イエスはこう言われました。「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。」(マタイ6:24)

 

皆さん、だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を重んじて他方を軽んじることになるからです。私たちは神にも仕え、富にも仕えることはできないのです。それなのに、あたかも神に仕えているかのようにふるまうとしたら、そこにユダのような偽善が生じてしまいます。そのような偽善こそがイエスを礼拝することを妨げてしまうことになるのです。イスカリオテのユダはそういう仮面をかぶり、自分をごまかして、神と人を欺いていました。もし私たちにこうした思いがあるなら悔い改めなければなりません。そして、マリアのように純粋にキリストを愛し、キリストを礼拝する者でなければならないのです。

 

Ⅱ.りっぱなこと(7-8)

 

次に、7-8節をご覧ください。イスカリオテのユダのことばに対して、イエスは何と言われたでしょうか。

「イエスは言われた。「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいますが、わたしはいつも一緒にいるわけではありません。」

 

並行箇所のマルコ14:6(新改訳聖書第三版)には、「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。」とあります。イエスは彼女がしたことをりっぱなことであるとほめてくださいました。そればかりではなく、「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」(マルコ14:9)と仰せになられました。これほどほめられた人はそれほど多くはありません。弟子たちでさえここまでほめられた人はいません。しかも、彼女の場合、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょうと言われました。そのことが聖書に記され、賛美歌にもなって語り伝えられるというのです。そんなこと当の本人でさえ想像することができなかったでしょう。彼女のこの奉仕は、彼女自身の小さな感覚をはるかに越えて用いられていったのです。

 

こうしたイエスに対する奉仕は、もしかしたら周りの人たちに理解されず、非難されていたかもしれません。しかし、イエスは理解し、評価して、このように認めてくださるのです。イエスにほめられたら本望です。それで十分です。マリアのようにイエスを礼拝することは、イエスにとってもとてもうれしいことなのです。どうしてマリアはこのような奉仕をささげることができたのでしょうか。

 

ここにもう一つの理由が語られています。それは、マリアは、イエスを埋葬するために、それを取っておいたということです。どういうことですか?マリアがナルドの香油をイエスにささげたのは、イエスの死を予見して埋葬の用意をするような、神の十字架のご計画の中にきちんと組み込まれたタイムリーな奉仕であったということです。

これは本当に驚くべきことです。私たちは11章でラザロの死とよみがえりの出来事を見ましたが、マリアの香油はそのために使われても不思議ではありませんでした。自分の愛する弟が葬られたとき、その死体が腐らないように、あるいは臭いを消すために使われても少しもおかしくなかったのに、マリアはそれを使いませんでした。なぜなら、イエスの葬りのために取っておきたかったからです。マリアはイエスの葬りのために取っておこうと、前もって決めていました。ラザロが死ぬはるか前からです。だから、マリアがイエスに香油を塗ったのは思いつきや気まぐれによってではなく、ずっと前から決めていたことだったのです。

 

同じマリアでもマグダラのマリアは、イエスが復活した朝、イエスのからだに香料を塗ろうと墓に出かけて行きましたが、このベタニアのマリアのように、前もってイエスのからだに香料を塗ることはしませんでした。イエスが死ぬ前に塗ったのか、後に塗ったのかでは大きな違いがあります。また、こんなにイエスを愛したマリアが、イエスが十字架につけられた時そこにいなかったことは不思議です。イエスの十字架のそばには、イエスの母マリアとその姉妹、そしてクロパの妻マリアとマグダラのマリアといったたくさんのマリアがいました。でも、このベタニアのマリアはいませんでした。なぜこれほどイエスを愛していたベタニアのマリアがそこにいなかったのでしょうか。なぜベタニアのマリアは、イエスの死と埋葬に直接関わらなかったのでしょうか。もしかしたら、他の弟子たちのように脅えて逃げ隠れしていたのでしょうか。そうではありません。この12章でユダヤ人たちから迫害を受けることを覚悟してイエスを食事に招いていました。ですから、イエスが十字架につけられるからといって、逃げ隠れするようなことはしなかったでしょう。だったらなぜ彼女はイエスの死と葬りに全く関わらなかったのでしょうか。それは彼女が他のだれも理解できなかったことを理解していたからです。それはイエスが十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられるということです。イエスは弟子たちにそのことを語っていました。でも弟子たちのだれ一人としてそのことをまともに受け止めることができなかったのです。でも彼女だけは別です。彼女は、イエスのことばを額面通りに受け入れていました。だから、彼女はイエスが葬られた墓には行かなかったのです。行く必要がなかったのです。なぜなら、イエスは死んでよみがえられるからです。彼女はまさにイエスが語った福音を信じていたのです。皆さん、福音とは何ですか。それはイエスの十字架と復活です。Ⅰコリント15:1~5にこうあります。

「兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」

彼女は、この福音を信じていたのです。彼女はイエスが葬られて終わりだとは思っていませんでした。三日目によみがえることを信じていたのです。死人の埋葬のために香料はとても役に立ちます。でもよみがえってしまうのであれば無駄になってしまいます。それこそもったいない話です。だから、ベタニアのマリアにとっては今がチャンスだったのです。それはまさにタイムリーな奉仕だったと言えるのです。マリアの驚くべき洞察力というか信仰には驚かされます。いったいどうして彼女はそのような知識なり、信仰なり、啓示を持っていたのでしょうか。

 

それは、彼女がいつも、どんな時でも、主の足もとにひれ伏していたからです。そこでただ主のみことばに聞き入っていました。新約聖書には、彼女が登場する場面が3回出てきますが、3回とも彼女はイエスの足もとにいます。それ以外には出てきません。たとえば、その1回はルカ10:39ですが、そこには「彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。」とあります。もう1回は、ちょっと前に学びましたが、このヨハネ11:32です。そこには、「マリアはイエスがおられるところに来た。そしてイエスを見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」」とあります。ここでも彼女はイエスの足もとにひれ伏しています。そしてもう1回がこの箇所です。ここで彼女は、自分のすべてをイエスにささげています。マリアの信仰は、このラザロのよみがえりを通して揺るがないものになっていました。他のマリアたちはイエスの十字架と復活についてその重要性に気付いていましたが、信じることができませんでした。しかし、このベタニアのマリアだけはその重要性に気付いていただけでなく、それを額面通り信じて受け入れることができました。それは彼女がイエスの足もとにいて、いつもイエスの話に聞き入っていたからです。

 

私たちもイエスの足もとにいて、イエスのことばに聞き入って、イエスを礼拝する者となりましょう。そしてそでイエスとの麗しい関係を体験し、あなたにしかわからない真理をしっかりと受け止めたいと思うのです。

Ⅲ.イエスに敵対する人たち(9-11)

 

最後に9~11節を見て終わりたいと思います。

「すると、大勢のユダヤ人の群衆が、そこにイエスがおられると知って、やって来た。イエスに会うためだけではなく、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。」

 

ここにはマルタとマリア、そして兄弟ラザロ、またイスカリオテのユダの他に、あと2種類の人たちが登場しています。大勢のユダヤ人の群衆と祭司長たちです。彼らはイエスに対してどんな応答をしたでしょうか。まず大勢のユダヤ人たちです。彼らは9節にあるように、そこにイエスがおられると知って、やって来ました。いったい何のためにやって来たのでしょう。それはイエスに会うためではなく、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロを見るためでした。それは過越しの祭りといってユダヤ教三大祭の時でした。ユダヤ人の歴史家ヨセフスによると、当時250万人のユダヤ人が集まっていたと記録されています。そこはイエスのうわさでもちきりでした。イエスがラザロをよみがえらせたということで、一目そのラザロを見たいと集まって来たのです。彼らはただ好奇心で、興味本位で見たいと思っていただけです。これが人間の性質です。彼らは信じようとして来たのではなく、異常なものを見たいと思って来ました。でもそれを自分のこととして受け止めることができませんでした。いわゆる傍観者にすぎなかったのです。

 

一方、祭司長たちはどうだったかというと、ラザロを殺そうと相談していました。なぜラザロを殺す必要があったのでしょうか。それは彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからです。彼がよみがえったことでイエスの影響があまりにも大きくなっていました。それまでは自分たちが中心でした。しかし、ラザロがよみがえったことでその人気が全部イエスの方に流れていくのを見て、証拠隠滅を図ろうとしていたのです。彼はまさに目の上のたんこぶでした。聖書には、ラザロの言葉は一つも記録されていませんが、彼がそこに存在していたというだけで、大きなインパクトがありました。彼は生きた証人だったのです。それで多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになりました。そこには一般群衆だけでなく、ラビと呼ばれていたイスラエルの教師もいたでしょう。あるいは、宮に仕える祭司たちもいたでしょう。そうした人までもイエスを信じるようになっていくのを見て焦りを感じ、ラザロを殺そうとしたのです。

 

パウロは、「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(Ⅱテモテ3:12)と言っています。この世は、自分たちと同じ価値観を持たないクリスチャンを迫害します。それは、使徒たちとその後の時代ばかりでなく、現代でも同じです。信仰の自由のない国だけでなく、アメリカや日本でも、迫害は形を変えて存在します。「どうして、この香油を300デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」もったいない。礼拝のためにそんなにお金や時間やエネルギーを使うなんて考えられない。そんなお金があれば、もっと実際的なことのために使うべきだ。現に今、台風の災害でどれだけ多くの人々が苦しんでいると思うんだ!そういう人のために使うべきではないかと公然と非難してくるのです。まことの礼拝者はいつの時代でも非難の的となります。ノンクリスチャンからだけでなく、クリスチャンからも非難されることがあります。そのような非難に対して、あなたはどのように応答しますか。マリアは、なりふり構わずイエスに礼拝をささげました。他の人にどう思われても、イエスに自分のすべてをささげたのです。そんなマリアの礼拝をイエスは「りっぱなことをしてくれたのです。」とほめてくださいました。そして、「世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」と評価してくださいました。イエスにほめられ、評価されるなら本望です。あなたの礼拝はどうでしょうか。あなたの奉仕はどうでしょうか。そこに打算を越えた、主に対する燃えるような応答の心があるでしょうか。それとも人からの評価を気にして、人との比較の中でささげられる、義務的な奉仕になってはいないでしょうか。キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。でも、イエスが私たちのために成してくださった大きな愛のゆえに、その愛に応答して、マリアのように心からの礼拝をささげる者でありたいと思います。

ヨハネの福音書12章1~3節「ナルドの香油」

ヨハネの福音書12章に入ります。ヨハネの福音書は、大きく分けると二つに分けられます。1章から11章までのキリストの公的宣教と、12章から21章までの最後の1週間です。ですから、ここはイエスの公的宣教の最終段階の場面です。過越しの祭りの六日前にベタニアの村に来られたイエスは、ここでマリアの高価な香油の注ぎを受け、その翌日、最後のエルサレム入場をされ、13章からの受難物語へと続いていくのです。そんなピリピリと張り詰めた空気の中で、一切の打算抜きの一人の女性の奉仕があったことを、ヨハネはここに記しているのです。その女性とは、ベタニアのマリアです。かつて兄弟のラザロを、イエスによみがえらせていただいた彼女は、心からの感謝と献身の思いを込めて、心からの奉仕をささげるのです。それはまさに、この直後十字架に向かって行くキリストの道にふさわしい麗しい奉仕でもありました。きょうは、このマリアの奉仕を中心に、イエスに喜ばれる奉仕とはどのようなものなのかをご一緒に学びたいと思います。

 

 

Ⅰ.マルタの奉仕(2)

 

まず、マルタの奉仕です。もう一度12:1~3をお読みします。

「さて、イエスは過越の祭りの六日前にベタニアに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」

 

イエスは過越しの祭りの六日前にベタニアに来られました。ベタニアは、マルタとマリアの兄弟ラザロが生き返るという奇跡が行われた村です。その奇跡を見た多くのユダヤ人はイエスを信じましたが、しかし、何人かはパリサイ人たちのところに行って、イエスがなさったことを裂耐えたので、祭司長たちやパリサイ人たちは焦りを感じ、遂に、イエスを殺そうと企みました(11:53)。それでイエスはもはやユダヤ人たちの間を歩くことをせず、そこから北に20キロほど離れたエフライムという町に入りました。そこはのどかな牧草地でしたので、そこで父なる神様とのしばしの交わりの時、祈りの時を過ごされたのです。

 

「しかし」(11:55)、ユダヤ人の過越しの祭りが近づいたとき、イエスは弟子たちを連れてエルサレムに上られました。なぜ?前回お話ししました。それが神のみこころだったからです。イエスはこの時に捕らえられ、十字架につけられることになります。それを重々承知の上で、キリストはこの過越しの祭りに行かれたのです。

 

その過越の祭りの六日前、イエスはベタニアに来られました。ベタニアはエルサレムか3キロメートルほどの道のりだったので、イエスがエルサレムに来られた時にはいつもここに泊まっておられたようです。そこにはあのラザロもいました。イエスが死人の中からよみがえらせたラザロです。

 

人々はイエスのためにそこに夕食を用意しました。おそらくそれは、ツァラートに冒された人シモンの家であったろうと思われます。というのは、同じ出来事を記したマタイ26章とマルコ14章にそのようにあるからです。ちなみに、ルカ7章にある同様の出来事は、全く別のものです。シモンという人の家であるということと、婦人が香油を注ぐという点では似ていますが、一方はツァラートに冒された人人シモンであるのに対して、ルカの記述にはパリサイ人シモンとあるからです。また、一方はベタニアのマリアであるのに対して、ルカには罪深い女とあり、しかも状況が全く違うからです。ですから、イエスがベタニアにやって来たとき、このツァラートに冒された人シモンの家に、ラザロとその姉妹マルタとマリアも集まっていたのでしょう。

 

その夕食を用意していたとき、マルタは何をしていたでしょうか。ここには「マルタは給仕し、」とあります。彼女は相変わらず給仕していました。覚えていますか、ルカ10:38~42にあった出来事を。この数か月前にイエスがマルタとマリアの家に来た時も、彼女は給仕していました。でも、あの時と今回は状況が違います。あの時はもてなしのために心が落ち着かず、イエスのところに来て、「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」(ルカ10:40)と不満を訴えました。でも今回はそういうことはなく、黙って仕えています。今回はあの時に比べてかなりの大人数であるにもかかわらずです。夕食を準備するのも大変だったろうと思いますが、ただ淡々と給仕に専念しているのです。いったい何があったのでしょうか。

 

彼女はあの出来事から学んでいたのです。イエス様から「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」(ルカ10:41-42)と言われた時、「ああそうか、主のためにおもてなしをするということは大切なことだけれども、いろいろなことを心配して思い煩っているとしたら本末転倒だ。何をするかということよりも、誰に対してしているのか、どのような心でするかが大切なんだ」を教えられ、イエスがしてくださったことに感謝して、心から喜んで仕えていたのです。

 

マルタは私たちの模範です。私たちの中にも、どちらと言えばマルタのように体を動かすのが好きです、という方がおられるのではないでしょうか。人をもてなすことが好きなんです、食事を作ることが生きがいなんです、掃除をすることなら全然苦になりません。そういう人がいるでしょう。それ自体は全然問題ではありません。むしろ、すばらしいことです。教会はマルタのような働き人を本当に必要としています。しかし、注意しなければなりません。最初のうちは喜んでやっていてもだんだん疲れて来て、いつの間にかそれが重荷となり、そこに何の喜びも感じられなくなっていることがあります。その結果、愚痴や不平不満が出てきているとしたら、それこそ本末転倒です。それが原因で口論や争いに発展することもあります。ですから、心から感謝して、喜んでささげられるのならいいのですが、そうでないとしたら、どこに問題があるのかを点検し、主の前に静まることから始めなければなりません。コロサイ3:20には「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」とあります。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からすることが大切です。マルタはそれを学んだのです。

 

Ⅱ.ラザロの証し(2)

 

次に、兄弟ラザロを見たいと思います。もう一度2節をご覧ください。ここには、「ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。」とあります。彼については、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた、とあるだけです。彼は何もしていないし、何もしゃべっていません。聖書には、彼が何かをしゃべったという記録は一つもないんですね。彼はどちらかというと無口だったのかもしれません。無口でも全く問題ありません。なぜなら、彼の存在そのものが大きな証しだったからです。キリストを証しするというのは何かを語ることだけではないからです。キリストを証しするというのは、キリストによって生きること、キリストの証人となることです。むしろ、そっちの方が効果的な証だと言えるでしょう。使徒1:8をご覧ください。ここには、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」とあります。ここには「地の果てまでわたしを証言します」ではなく「わたしの証人となります」とあります。聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたは単に証言をする人になるのではなく、証人になるのです。私たちもかつてはラザロのように死んでいたような者でした。しかし、神の救い、イエス・キリストを信じたことで、その中から救われました。罪の奴隷から解放され神の子としていただけたのです。それはまさにあのラザロが死人の中からよみがえったような衝撃をもたらすことでしょう。

 

ある人が牧師にこう尋ねました。「空っぽの教会を一杯にするにはどうしたらいいでしょうか」するとその牧師はこう答えました。「ラザロを連れて来なさい。そうすれば、教会は一杯になるでしょう。」なるほど、人々はいったいこの人はどのようにしてよみがえったのかを見たさに教会にこぞって来るようになるでしょう。そのラザロとはだれですか。それは私たちです。私たちは死人の中からよみがえらされました。罪に死んでいたのがキリストにあって新しいいのちによみがえったのです。今私が生きているのは私を愛し、私のためにご自身のいのちを与えてくださったこのキリストの力によってなのです。それはどれほど大きな衝撃を人々にもたらすのです。

 

きょう、この後でバプテスマを受けられる下野さんと任さんの証を週報にはさんでおきました。お二人に証を見て共通していると思ったことは、二人がキリストを信じるように導かれたきっかけが息子、あるいは娘の証しによるものであったということです。任さんは中国にいる娘さんの証しを通して、また、下野さんは、今は天国にいる次男の文男さんの証しを通して教会に導かれました。

私は昨日、下野さんから与った文男の証しを読みました。それは本当に分厚いファイルにまとめられていました。

文男さんは、私と同じ年ということですが、信仰に導かれたのも同じ頃で、高校3年生の終わり頃でした。ある教会で上映した「塩狩峠」という映画と集会でのメッセージを通して「愛」というテーマで随分悩みました。この「塩狩峠」という映画は、三浦綾子さんの小説を映画化したものですが、汽車が北海道の塩狩峠という峠に差し掛かった時に、車両が外れてしまうんですね。しかし、ブレーキが思うように利かず、このままでは目前に迫ったカーブを曲がり切れないと判断した車掌が、自らの身体を車両の前に投げ出して身体で車両を止め乗客の命を救ったという実話に基づいた話です。

この映画を観たとき、人を愛するって本当はどういうことなんだろうかと、自分の今までの生活に当てはめて考えたのです。例えば、中学生の頃、その当時親友と思っていた友達が体育の授業中にリンチにあいましたが、その時、足が竦(すく)んで何一つできなかった自分自身に無力さを痛感し、人のために自分を犠牲にすることはできないが、それこそ大きな愛はないということを知り、その後何度か教会に行くようになって、キリストを信じる信仰を持ちました。それで浪人期間の2年間と大学での4年間、合計6年間をほとんど教会を中心に費やすのです。

その後、一時的に教会から離れ、本当に大変な苦労をされますが、その苦労を通して再びキリストのもとに戻り、それからはもう迷いがありませんでした。2001年3月にご病気で東大病院に入院以降、教えられた聖書の言葉が21書き止められていて、文男さんがどれほど誠実に主の前に歩まれたかがわかります。それは文男さんが天国に行かれる直前にお母さんに言われた最後の言葉からもわかります。

「おかあちゃん、ぼく、もうすぐ天国に行くのでぼくの分まで生きて、教会に行ってイエス・キリスト神さまを信じてと約束して」

それは文男さんのいのちをかけた祈りでした。そのような祈りが伝わらないはずがありません。それから何年経ったでしょうか、今年下野さんが教会に電話をくださって来られようになり、イエス様を信じて、きょうバプテスマの恵みに与るようになりました。ハレルヤ!それは主イエス・キリストのあわれみと、文男さんの生きた証によるものだったのです。下野さんは一昨日85歳の誕生日を迎えましたが、天国に行くまでにはまだまだかとは思いますが、その前にイエス様を信じることができて本当に良かったと思います。

 

Ⅲ.マリアの礼拝(3)

 

次にマリアです。3節をご覧ください。マルタは奉仕の模範でした。ラザロは証の模範でした。ではマリアはどうでしょうか。マリアは礼拝の模範です。ここには、「一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」とあります。

 

先ほども申し上げましたが、並行箇所のマルコの福音書には、ある女がナルドの香油が入った小さな壺を持って来て、それを割って、イエスの頭に注いだ、とあります。これは非常に高価なものでした。どれほど高価なものであったのかは、この後でイスカリオテのユダが語ったことばからもわかります。5節には、「どうして、この香油を300デナリで売って、貧しい人に施さなかったのか」とあります。1デナリは1日分の給料に相当する金額ですから、300デナリとは300日分の給料、すなわち年収に相当する額です。このような香油は、通常王族や貴族が使用しました。おそらく、マリアがこれだけの香油を持っていたのは、両親の遺産として相続していたのかもしれません。当時は財産を銀行に預けておくのではなく、金とか、銀とか、香油にして壺の中に入れ、地面に隠しておきました。女性であれば、香油を壺に入れて蓄えておくのが一般的でした。というのは、そこにはある一つの大きな目的があったからです。それは、結婚に備えるということです。少しでもいい男性と結婚するためにコツコツと蓄えたのです。愛があればお金なんてと言う人もいますが、当時はそうではありませんでした。どれだけ結婚持参金があるかによって結婚が決まりました。少しでもお金を蓄えていれば、それだけ結婚に有利だったのです。いい人と結婚できるかどうかは、どれだけお金を持っているかによって決まったのです。

でもマリアはその香油をイエスに注ぎました。しかもそれを入れておいた壺を割ってです。壺を割ってとは、全部使い切ったということです。もう香油は一滴も残されていません。全部イエスにささげたのです。これはどういうことでしょうか。これでマリアがいい人と結婚できる可能性はほぼ無くなったと言うことです。彼女は無一文の女性になりました。そんな人と結婚したい男性なんてほとんどいません。だから、マリアがこのナルドの香油をすべてイエスに注いだというのは、自分のすべてをイエスにささげたということなのです。自分の結婚も、自分の将来も、すべてイエスにささげたのです。それは目に見える高価な香油をささげたというだけでなく、彼女のすべてをささげたということなのです。いったいなぜ彼女はこのようなことをしたのでしょうか。

 

それはマリアにとってイエスがすべてであったからです。マリアにとってイエスは結婚以上に大切な方でした。一般的に女性なら、結婚すれば幸せになれると思うでしょう。安定した生活が送れるし、安心して生きられると思います。しかし、マリアはそうではありませんでした。彼女にとってはイエスがすべてでした。だから喜んで犠牲を払うことができたのです。そればかりではありません。イエスの足に塗った香油を自分の髪の毛で拭うということまでしました。これは当時として考えられないことでした。というのは、当時は女性が人前で髪の毛をほどいてバラバラにするということは恥ずべきことだとされていたからです。その髪の毛でイエスの足に塗った香油を拭いました。まさに「なりふりかまわず」です。だれがいようが、だれが見ていようが構いません。自分の思いのたけをそのように表したのです。

 

そこには弟のラザロを生き返らせていただいたことへの感謝の気持ちもあったでしょう。しかしそれだけでなく、彼女はもっと深いものを感じていました。それはこの後の所に出てきますが、イエスが自分のためにいのちを捧げてくださったということ、そして自分を罪から救ってくださったという感謝に溢れていたからなのです。この時点でそれがまだ明らかにはされていませんが、彼女はイエスが語ることばを聞いて、そのように受け止めていました。それを深く感じていました。次元が違います。もうこの世の次元ではありません。霊的な次元でイエスを見ていたのです。

 

彼女は文字通りイエスのために人生を投げ打ちました。壺を割るかのように自分の人生を投げ打ったのです。自分の人生を生きた供え物として捧げました。これこそ神に喜ばれる礼拝です。ローマ12:1にはこうあります。

「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」(ローマ12:1)

「それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」は、新改訳聖書第三版では、「それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」と訳されています。あなたがたにふさわしい礼拝、霊的な礼拝とはどのような礼拝でしょうか。それは、あなたがたのからだを、神に受け入れられる、生きたささげものとして献げる礼拝です。あなたがたのからだとは、あなたがたのすべてと言ってもいいでしょう。あなたがたのすべてをささげる礼拝、それこそ神が望んでおられる礼拝です。神に喜ばれる礼拝なのです。マリアの礼拝はまさにそれでした。彼女は自分のすべてをイエスに捧げました。誰かに強制されてそうしたのではありません。自ら進んで、喜んで自分のすべてを主に捧げたのです。

 

同じように、自分のすべてをささげた女性がいます。だれでしょう。そうです、あのレプタ銅貨2枚をささげたやもめです。多くの金持ちはあり余るお金の中からたくさん投げ入れましたが、このやもめはレプタ銅貨2枚しかささげることができませんでした。レプタ銅貨というのは1デナリの128分の1、それを2枚ですから、今で言ったら100円というところでしょうか、それを捧げたのです。しかし、イエスは弟子たちにこう言われました。

「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」(マルコ12:43-44)

 

同じです。マリアは、年収に相当するだけの香油をイエスに献げ、やもめはレプタ銅貨2枚を献げましたが、そこにあった思いは同じです。それは自分のすべてをささげたということです。自分のいのちそのものをささげたのです。これが礼拝するということです。

 

「礼拝」とはギリシャ語で「プロスクネオー」と言いますが、意味は「ひれ伏す」とか、「尊敬を帰する」です。何ものかに価値や尊敬を帰することです。イエスを、礼拝を受けるのにふさわしいお方として認め、心からの尊敬をささげることを意味しています。礼拝というと、どちらかというと受けるというイメージがありますが、礼拝とはささげることです。イエスに価値と尊敬を帰すること、それが礼拝です。マリアにとってイエスは最高に価値あるお方でした。だから自分のもっていた最高のものをささげることができたのです。レプタ銅貨2枚をささげたやもめも、イエスが最高に価値あるお方でした。だから、自分のすべてをささげることができたのです。それは金額の問題ではありません。ハートの問題です。どれだけささげるのかということではなく、どのような心でささげるのかです。イエスは尊い犠牲を払っても尊敬を受けるに値する方です。なぜなら、イエスは私たちを罪から救ってくださるために、ご自分のいのちを投げ打ってくださったからです。

 

昔、ひとりのイギリス人の少女がドイツのある町に留学しました。彼女はその町の美術館で、一枚の忘れることができない絵に出会いました。

その絵には、「エッケ・ホモ(この人を見よ)」という題が付けられていました。そしてその絵の下には、その絵を描いた画家のことばが書かれてありました。

「私はあなたのために命を捨てた。あなたは、私のために何をしたか」

少女はこの絵とこの画家のことばを深く心に刻みつけました。イギリスに帰った彼女は成長して、賛美歌作家になりました。彼女の名前は、フランシス・ハヴァーガルと言います。彼女は、ドイツで出会ったあの絵と画家のことばをもとに、私たちがイエス様の十字架の愛にどのように応えるかという歌詞の賛美歌を作りました。それが「主はいのちを与えませり」(新聖歌102番)です。

1. 主は生命を与えませり

主は血しおを流しませり その死によりてぞわれは生きぬ われ何をなして主に報いし

  1. 主はみ父のもとを離れ

わびしき世に住みたまえり かくもわがために栄えを捨つ われは主のために何を捨てし

  1. 主は赦しと慈しみと 救いをもて降りませり 豊けき賜物身にぞあまる ただ身と魂とを捧げまつらん

 

「私はあなたのために命を捨てた。あなたは、私のために何をしたか」主が求めておられるのは、霊的な礼拝です。主を最高に価値のある方として認め、全身全霊をもって主を愛すること、自分のいのちをかけて主を愛すること、それを求めておられるのです。

 

スコットランドの探検家で、宣教師、また医師でもあったデイヴィッド・リヴィングストンは、ヨーロッパ人として初めて、当時「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸を横断した人です。彼がアフリカのある村で伝道していたとき、イエス様を信じたその村の村長が喜びに溢れ、自分の気持ちを何らかの形で表現したいと思いました。それで彼はリヴィングストンのもとに小麦粉を持ってきました。「宣教師先生。私は神様に感謝をささげたくて、小麦粉を持ってきました。」私だったら、それはすばらしい。神様はきっと喜んでくださいますよ、と言うでしょうが、リヴィングストンは、こう言いました。「すみませんが、神さまは小麦粉などでは満足されません。」それで彼は、白馬なら喜ばれるだろうと、今度は白馬を連れて来ました。するとリヴィングストンは笑いながらこう言いました。「神様は白馬などでは満足されません。」しばらくして、また村長がやって来ました。「今回は、村長の権威と名誉を象徴しているこのピンを持ってきました。これがなければ私は死んだも同然です。」するとリヴィングストンは「どうでしょう。神様はそれくらいで満足されるでしょうか。」と答えました。するとその村長は怒って言いました。「それでは、何をささげればよいのですか。もう「私」しか残っていません。」するとリヴィングストンは言いました。「そうです。神様が願っておられるのは、そのあなたです。」

 

マリアが石膏の壺を割ったのはそういうことでした。マリアは石膏の壺を割るように、自分自身という壺を割ったのです。自分自身を主にささげたのです。いったい彼女はどうしてそのようなことができたのでしょうか。それは彼女がイエスという方がどのような方であるのかをよく知っていたからです。イエスを知れば知るほど豊かな礼拝をささげることができるようになります。そのためにはイエスの足もとに行かなければなりません。イエスの足もとに行って、イエスのみことばに聞き入る必要があるのです。あなたがどのように礼拝をささげておられるかを見れば、あなたの価値観がわかります。どれほどイエスを愛しておられるかがわかるのです。もしイエスを礼拝することがただの義務感でしかないとしたら、重荷になっているとしたら、その人はほんとうの意味でイエスのことを知らないということです。だから、イエスの足もとに行って、イエスのことばを聞きましょう。そして、イエスがどれほど価値ある方なのかを知り、心からイエスを礼拝する者となりましょう。

 

きょうバプテスマを受けられたお二人に主イエスが最も願っておられるのはこのことではないでしょうか。ただ形でイエスに向き合うのではなく、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主を愛することです。それが、主が私たちに求めておられることです。マリアはそれに応答しました。非常に高価なナルドの香油を主にささげたのです。私たちも主の愛に応答し、心からの感謝と礼拝を主にささげる者となりたいと思います。

Ⅰサムエル記8章

サムエル記第一8章から学びます。

 

Ⅰ.王を求めたイスラエルの民(1-9)

 

まず、1~3節までをご覧ください。

「サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとして任命した。長男の名はヨエル、次男の名はアビヤであった。彼らはベエル・シェバでさばきつかさをしていた。しかし、この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げていた。」

 

サムエルは、一生の間、イスラエルをさばきました。彼は年ごとにベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルをさばきました。そのサムエルが年老いたとき、彼は息子たちをイスラエルのさばきつかさとしてベエル・シェバに遣わしました。巻末の地図を見るとわかりますが、ベエル・シェバはイスラエル南部の地方です。年老いてイスラエル中を巡回することができなくなったのでしょう、自分は北部地方の責任を持ち、南部地方を息子たちに任せたのです。二人の息子たちの名は、長男が「ヨエル」で、次男が「アビヤ」でした。「ヨエル」という名前の意味は「主は神である」です。また、「アビヤ」は「主は私の父」という意味があります。しかし、彼らはその名とは裏腹に、恥じるような行動をしていました。彼らは父サムエルの道に歩まず、利得を追及し、賄賂を受け取り、さばきを曲げていました。サムエルもまた彼の師エリと同じ問題がありました。息子の養育に失敗したのです。

 

4~9節をご覧ください。それでイスラエルの民はどうしたでしょうか。

「イスラエルの長老たちはみな集まり、ラマにいるサムエルのところにやって来て、彼に言った。ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」彼らが、「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは主に祈った。主はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのしたことといえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えることだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」」

 

そこでイスラエルの長老たちはみなラマにいたサムエルのもとに集まって、ほかのすべての国民のように、自分たちをさばく王を立ててほしいと言いました。それは、サムエルが高齢となり彼の息子たちが彼の道、すなわち、主の道を歩んでいないからです。彼らの要求は、一見妥当なものでした。確かにサムエルが、よこしまな息子たちをさばきつかさにしたことは間違っていました。けれども間違っていたのは、ほかの国民のように王を立ててください、と世的な方法によってこの問題を解決しようとしたことです。主にこの問題を解決していただくように、祈り求めませんでした。

 

サムエルがそれを聞いたとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことでした。第三版には「気に入らなかった」とあります。なぜなら、それは彼の働きを否定するようなことだったからです。彼はこれまでイスラエルが混乱し、ペリシテとの戦いにおいても預言者として、またさばきつかさとしてイスラエルを霊的に建て上げることによって勝利と祝福をもたらしてきました。それなのに今、そのことについて何の感謝もないばかりか、自分たちをさばく王を立ててほしいと言ったのでから。それでサムエルは主に祈りました。すると、主はサムエルに、彼らが言うことを聞き入れるようにと言われました。なぜなら、彼らはサムエルを拒んだのではなく、イスラエルの神、主が王として彼らを治めることを拒んだのだからです。どういうことですか。イスラエルはこれまで預言者であるサムエルを通して語られた主のことばを受け入れ、主に信頼して歩んできましたが、今、その主に支配されることを拒み、人間の王に支配されて生きることを求めたということです。主によって支配される政治形態を神制政治と呼びます。これは神が王である政治形態です。それに対して人間の王によって支配される政治形態を王制と呼びます。彼らは神によって支配される政治ではなく、人間の王によって支配される政治を望みました。これが問題だったのです。彼らの問題は、間違ったところに信頼を置いたことにありました。でもそれは今に始まったことではありません。彼らがエジプトを出た日からずっとそうでした。彼らがしたことと言えば、主を捨て、他の神々に仕えることでした。あなたはどうですか。神に信頼して歩んでいますか。あなたの日々の判断や決断は、神のみことばに導かれたものとなっているでしょうか。イスラエルの失敗から教訓を学びましょう。

 

Ⅱ.王の権利(9-18)

 

そこで主はサムエルにこう言いました。「今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」その権利とはどんなことでしょうか。10-18節をご覧ください。

「サムエルは、自分に王を求めるこの民に対して、主のすべてのことばを話した。彼は言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。あなたがたの息子たちを取り、戦車や軍馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。また、自分のために千人隊の長や五十人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や戦車の部品を作らせる。また、あなたがたの娘たちを取り、香料を作る者や料理する者やパンを焼く者とする。あなたがたの畑やぶどう畑や良いオリーブ畑を没収し、自分の家来たちに与える。あなたがたの穀物とぶどう畑の十分の一を取り、廷臣や家来たちに与える。あなたがたの奴隷や女奴隷、それにあなたがたの子牛やろばの最も良いものを取り、自分の仕事をさせる。あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがた自身は王の奴隷となる。その日、あなたがたが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、その日、主はあなたがたに答えはしない。」」

 

どういうことでしょうか。イスラエルの民は王を求めましたが、王によって敵から守られるという利点がある反面、王によって自分たちのものが取られていく不利益を被らなければいけません。その王が民に要求するものがどれほど厳しいものであるかを理解していませんでした。そこでサムエルは彼らを治める王の権利を宣言しています。

 

まず、王は彼らの息子たちを取り、戦士として戦場に送り出します。また、王のために千人隊の長や百人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、刈り入れに従事させ、武器や戦車の部品を作らせます。さらに、彼らの娘たちを取り、王宮で仕えさせるでしょう。また、彼らの畑やぶどう畑、オリーブ畑を没収して、家来たちに与えます。いわゆる税として徴収するのです。つまり重税で苦しむようになるでしょう。日本もそうでしょう。最近消費税も10パーセントになりましたが、それ以外に固定資産税や住民税、所得税、介護保険料と、かなりの税金が徴収されています。時々何のために働いているのかさえ分からなくなる時があります。そればかりではありません。彼らの奴隷や女奴隷、子牛やろばなどの家畜を取り、自分の仕事をさせたりします。それまで彼らが持っていた自由は、かなり制限されるようになります。その日、彼らが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、主は彼らに答えることはしません。それでも良いのかということです。

 

主イエスはこう言われました。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコ10:42-45)

まことの王は、私たちを支配し、私たちのものを搾取される方ではなく、私たちのためにご自身のいのちをささげられる方です。その方こそ主イエス・キリストです。私たちが信頼し、従わなければならないお方は、この方なのです。それなのに、そうしたことを良く考えないで、自分たちの利益ばかりを追及し、他の国のようにこの世の王を求めるとしたら、そこには奴隷のような束縛と犠牲しかありません。そのことをよく考えなければなりません。

 

Ⅲ.民の応答(19-22)

 

このサムエルの忠告に対して、イスラエルの民はどのように応答したでしょうか。19~22をご覧ください。

「しかし民は拒んで、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です。そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」サムエルは、民のすべてのことばを聞いて、それを主の耳に入れた。主はサムエルに言われた。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」それで、サムエルはイスラエルの人々に「それぞれ自分の町に帰りなさい」と言った。」

 

これほどの忠告に対しても、民はサムエルの言うことを聞こうとしませんでした。彼らは、「いや、どうしても、私たちの上には王が必要です。」と言って、サムエルの忠告を拒みました。そうすれば、他の国民のようになれると思ったのです。つまり、王が自分たちをさばき、自分たちの先頭に立って戦いに出て行き、自分たちの戦いを戦ってくれると思ったのです。彼らは自分たちのアイデンティティーというものを完全に失っていました。自分たちが神から特別に選ばれた民であることを、自ら放棄したのです。かつて主はイスラエルに、「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。」(出エジプト19:5)と言われました。彼らはあらゆる国民の中から、選び別たれた神の民であるのに、ほかのすべての国民のようになることを求めたのです。

 

それで、サムエルが民のすべてのことばを聞いて、それを主の耳に入れると、主はサムエルに、「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」と言われました。これは許容的指示と呼ばれるものです。民のかたくなさのゆえに、主が許容されたという意味です。それでサムエルはイスラエルの長老たちを、それぞれ自分の町に帰しました。

 

このことからわかることはどんなことでしょうか。先ほど申し上げたように、これは神のみこころではありませんでした。彼らが求めなければならなかったのは人間の王ではなく、神が王として彼らを支配することでした。けれども、そればかりではなく、彼らはその時を待つことができませんでした。神はイスラエルに王が必要になることをご存知であられ、そのための人材を用意しておられました。それがダビデです。しかし、当時ダビデはまだ若すぎたため、その時を待たなければなりませんでした。それでサウル王が選ばれるのです。神の時を待てないと、このように墓穴を掘ってしまうことになります。神からの究極的な答えは、ホセア13:9~11にあります。

「イスラエルよ、あなたは滅ぼされる。あなたの助け手である、わたしに背いたからだ。では、あなたの王はどこにいるのか。すべての町のうちで、あなたを救う者は。あなたをさばく者たちはどこにいるのか。かつてあなたが『私に王と高官たちを与えよ』と言った者たちは。わたしは、怒ってあなたに王を与え、また憤ってこれを奪い取る。」

これは、バビロン捕囚の時に成就します。私たちを支配する王はだれでしょう。それは私たちのためにご自分のいのちを与えてくださった救い主イエス・キリストであることを覚え、この方に信頼して歩みましょう。