ヨハネの福音書5章1~18節「ベテスダと呼ばれる池で」

ヨハネの福音書から学んでおりますが、きょうから5章に入ります。きょうは、イエス様がベテスダと呼ばれる池で38年間も病気で横になっていた人をいやされた出来事から学びたいと思います。

 

Ⅰ.良くなりたいか(1-9a)

 

まず1節から9節前半までをご覧ください。

「その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。」

 

1節には、「その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。」とあります。この「ユダヤ人の祭り」が何の祭りであったのかはわかりません。しかし、ユダヤ人が「祭り」という場合、それは過越しの祭りを意味していたので、おそらく過越しの祭りであったと考えられます。もしそうであったとすれば、イエス様が公生涯に入られてエルサレム上られたにのは、これが2回目となります。4章54節に、「イエスはユダヤを去ってガリラヤに来てから、これを第二のしるしとして行われた。」とありますが、最初にエルサレムからガリラヤに来られ、第二のしるしとして王室の役人の息子を癒されました。その後、イエスは再びこのユダヤ人の祭りがあって、エルサレムに上られたのです。

 

エルサレムには、羊の門の近くに、へブル語でベテスダと呼ばれる池がありました。「ベテスダ」とは「あわれみの家」という意味です。その池には五つの回廊がついていました。回廊とは、建物や中庭を囲むように巡らされた屋根付き廊下のことです。このベテスダの池にはその回廊が五つついていました。そしてそこに病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだが麻痺している人たちが大勢、横になっていました。なぜなら、その池の水が時々動き、その時に、真っ先にこの池に入った人は、どのような病気でもいやされる、という言い伝えがあったからです。

 

きょうの聖書の箇所を見ると、4節が抜けているのに気付いた方おられるかと思いますが、下の脚注を見ると、異本に3節後半と4節として、次の一部または全部を加えるものもあるとして、そのことが説明されてあります。つまり、「彼らは水が動くのを待っていた。4 それは、主の使いが時々この池に降りて来てみずを動かすのだが、水が動かされてから最初に入った者が、どのような病気にかかっている者でも癒されたからである。」ということです。この箇所は、多くの有力な写本には載っていないので、本文には含まれていませんが、当時、このような噂が広がっていたのでしょう。「溺れる者わらをもつかむ」ということわざがありますが、大勢の病人が一縷(いちる)の望みを置いて、そこにやって来ていたのです。

 

そこに、38年も病気にかかっている人がいました。彼の病気がどのような病気だったのかはわかりませんが、7節で、彼が、「水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」と言っているのを見ると、からだの機能が麻痺する病気だったのではないかと思います。それにしても38年ですよ。38年といったら本当に長い年月です。それは人生の半分、否、人生のほとんどと言っても過言ではないでしょう。彼はその期間を病気のために費やしてきたのです。そして今、神のあわれみを求めてここにいたのです。

 

そこにイエス様が来られると、イエス様は彼が横になっているのを見て、すでにそれが長い間そうしていることを知って、何と言われたでしょうか。イエス様は、「良くなりたいか」と言われました。「良くなりたいか」って、良くなりたいからここにいるのではないですか。病人ならだれでも良くなりたいと思うのは当然のことです。そんなことを言うとはちょっと失礼ではないかとさえ感じます。ではなぜイエス様はこのように言われたのでしょうか。それは、その後の彼の答えを見るとわかります。

 

7節を見ると、彼は「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」と答えています。この病人はイエス様から「良くなりたいか」と言われたとき、「はい、良くなりたいです。」と答えませんでした。彼は良くなりたいと答えたのではなく、どうして良くなれないのかの理由を述べただけでした。すなわち、水がかき回されたとき、池の中に自分を入れてくれる人がいないということ、そして、行きかけると、もうほかの人が先に下りて行くということでした。つまり、彼は最初からあきらめていたのです。病気がいやされることなどありえないし、そんなことは無理だ、と思っていました。ですから、イエス様はこの病人に「良くなりたいのか」と言われたのです。それは、本当に良くなりたいと思っているのか、そのことを本気で願っているのかということです。彼がイエス様から「良くなりたいか」と言われたとき、「もちろん、そうです」とすぐに答えることができなかったのは、そのような思いが、とっくの昔に失せていたからなのです。たとえそのような気持ちがあったとしても、「このままでいた方が楽だ」という思いが彼のどこかにあったかもしれません。このまま病気でいた方が人々から施しを受けながら生きていくことができるけれども、もし治ってしまったら、今度は自分の力で生きていかなければならない。病気以外の様々な問題に直面することもあるだろう。ですから、病気が治ることで生活が変わることに少なからず不安があったのです。それで、無意識のうちに「自分には無理だ」、「誰も助けてくれないから」ということを口実に、そのままの状態にとどまっていようとしたのです。

 

しかし、それはこの病人だけではありません。それは、私たちにも言えることです。たとえば、今の生活を変えたいと思っていても本当に変えたいのかというとそうではなく、「どうせ無理ですよ」「解決することなんてできるはずがない」と半ばあきらめていることということがあるのではないでしょうか。あるいは、良くはなりたいけれども、「このままでいた方が楽だ」という思いが、良くなりたいという思いにブレーキをかけていることがあるのです。

 

武庫之荘福音自由教会の大橋秀夫先生は、これをサーカスの象にたとえました。ある動物園の象の鎖が解けたというニュースを聞きました。幼稚園の園児が動物園に遠足に行って、その象さんを見たときに、重い鎖でつながれていました。しかも、その鎖は1.5mぐらいしかありませんでした。それで幼稚園の子どもたちが帰ってから、園長先生に、「象さんかわいそう」という手紙を書いたのです。動物園の方ではそれで数千万円の予算を割いて園舎を改造し、象の鎖を解いてあげたというわけです。

そのニュースを聞いた大橋秀夫先生は、一つのことを思い出しました。それはサーカスの象のことです。サーカスの象も鎖につながれているのですが、動物園の象と違って、コンクリートで固められた杭につながれていません。なぜならば、サーカスの象は、旅から旅へと移動するので、たいがいは、象の力ならば簡単に抜けてしまうような木の杭とか、鉄の杭につながれているだけなのです。それなのに、サーカスの象は、なぜ逃げないのでしょうか。その答えはこうです。子どもの時に、子どもの時の象なので、小象の時ですね。その小象の時から絶対に抜けないような鎖につながれているんです。そうすると、大きくなっても、この鎖を結んだ杭は抜けない、と思ってあきらめてしまうのだそうです。これが象の飼育係のコツなのでしょうか。一回でも抜くことに成功すると、これは抜けると思ってしまうんだそうです。ですから、小象の時に絶対に抜けない杭につないでおくのです。(「成長する人、しない人」P31~32)

 

私たちも、この象と同じように、自分の中に「できない」という思いが働いて、最初からあきらめていることがでるのではないでしょうか。イエス様はそんな私たちに「良くなりたいか」と問うておられます。私たちは、もっと良くなりたいと思っています。しかし、そこに「でも」という言葉が続くのです。「でも、私は受験に失敗した」「でも私にはそんな能力なんてない」「結婚生活もうまくいかなかった」と、自分で自分に鎖をかけてしまうことがあるのです。あのサーカスの象のように。

 

しかし、イエス様はこの鎖を解き放つことができます。大切なのは、私たちが本気で良くなりたいと願うかどうかです。イエス様は、私たちが求めていないのに無理矢理何かをすることはなさいません。イエス様は、まず私たちが自分の状態を知り、そこから解放されることを本当に求めているかどうかに気づかせることによって、生き生きした人生を歩ませようにされるのです。

 

この病人の場合はどうだったでしょうか。8節と9節をご覧ください。

「イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。」

 

「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」と答えた病人に対して、イエス様は、「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」と命じられました。すると、その人はどうなったでしょうか。その人はすぐに治って、床を取り上げて歩き出すことができました。象の鎖が引きちぎれた瞬間です。彼は38年間も自分を縛っていた問題から解放されたのです。

 

しかし、このところをよく見ると、彼がいやされるために、彼がイエス様を信じたということは一言も書かれていません。確かに、彼はイエス様のことばに応答して自分の足に力を入れて歩き出すことができたのでしょうが、そのためにイエス様を信じたといったことは全く書かれていないのです。それがイエス様であることすらわかりませんでした。それがイエス様であると分かったのは、後で彼が宮に行って、再びイエス様と出会った時です。それまではわかりませんでした。これはどういうことでしょうか。

 

これは、ヨハネが記す7つのしるしの第三番目のしるしです。「しるし」とは証拠としての奇跡のことです。イエス様がメシヤであることをユダヤ人たちに証明するためのものです。この「しるし」においては、その人に信仰があるかどうかは問われないということです。むしろ治してくださった方がどのような方であるのかが重要です。ですから、ここには彼がどれだけイエス様を信じたかということよりも、イエス様が彼をどのようにいやされたのかに力点が置かれているのです。すなわち、このいやしにおいては、徹頭徹尾、イエス様が主導権を握っておられたということです。イエス様の方からベテスダと呼ばれる池に行かれ、イエス様の方から38年も病気にかかっておられる人をご覧になら、イエス様の方から近づいて行かれました。そして、イエス様の方から「良くなりたいか」と言われたのです。彼は自分にはできない理由をいろいろ並べましたが、それでもイエス様はあわれみをもって「床を取り上げて歩きなさい」と言って彼をいやされました。そうです、すべてはイエス様の一方的なあわれみによるのです。この池が「ベテスダ」という名前であったのもそのためです。「ベテスタ」とは「あわれみの家」という意味です。イエス様はあわれみ深い方です。イエス様は、その深いあわれみをもって私たちをいやすことができる救い主なのです。

 

Ⅱ.もう罪を犯してはなりません(9b-14)

 

次に9節後半から15節までを見ていきたいと思います。

「ところが、その日は安息日であった。そこでユダヤ人たちは、その癒やされた人に、「今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない」と言った。しかし、その人は彼らに答えた。「私を治してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と私に言われたのです。」彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け』とあなたに言った人はだれなのか。」しかし、癒やされた人は、それがだれであるかを知らなかった。群衆がそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。後になって、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたは良くなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないと、もっと悪いことがあなたに起こるかもしれない。」

 

38年間病気だった人は治って、宮にいました。これは、ユダヤ教の神殿のことです。おそらく彼は、自分の床を家に運び、すぐに神殿に上って行って、神に感謝をささげようとしたのでしょう。しかし、そこで一つの問題が起こりました。それは、その日が安息日であったということです。10節には、「そこでユダヤ人たちは、その癒やされた人に、『今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない』と言った。」とあります。

なぜこれが問題だったのかというと、彼らは安息日に床を取り上げてはならないと思っていたからです。どういうことかというと、確かにモーセの十戒には安息日に関する規定がありますが、それは、「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。」(出エジプト20:8)というものでした。六日間働いて、すべての仕事をしなければなりませんでした。しかし、七日目は、主の安息の日です。この日にはいかなる仕事もしてはなりません。問題はこの「いかなる仕事」とは何かということです。彼らはそれを厳しく守るために安息日にしてはならない39項目からなる労働のリスト挙げていました。そして、その中に「どんなものでも運搬してはならない」という決まりがあったのです。ここでユダヤ人が問題にしたのはそれです。つまり、安息日に人をいやしたことが問題だったのではなく、安息日に床を取り上げて運んだことが問題だったのです。全くナンセンスです。彼らは安息日律法の文言に捉われ、その安息日律法が本来目指していた精神を見失っていました。

 

そこで彼は答えました。11節、「私を治してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と私に言われたのです。」すると今度は、そんなことを言ったのは誰かと、問い正しました。しかし、いやされた人は、それがだれであるかを知らなかったので、答えることができませんでした。群衆がそこにいる間に、イエスは立ち去っておられたからです。

 

しかし、後になって、イエスは宮の中で彼を見つけると、こう言われました。14節です。「見なさい。あなたは良くなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないと、もっと悪いことがあなたに起こるかもしれない。」

どういうことでしょうか。これを読むと、罪を犯すと、病気が再発してもっと悪くなるよと脅しているかのように感じるかもしれませんが、これはそういうことではありません。確かに、飲み過ぎで肝臓が悪くなったら、お医者さんはその人に、「これからは飲み過ぎに注意してください。そうでないともっと悪くなりますよ」と言うかもしれません。それに、当時は、病気の原因は罪を犯したからだと考えられていたので、そのように思うのも無理もなかったかもしれません。しかし、イエス様がここで言われたのはそういう意味ではなく、神との関係における罪のことでした。つまり、「もう罪を犯してはなりません」というのは、どんな罪も、どんな悪いことも一切してはならないということではなく、故意に神に背を向け、神との関係を自ら拒絶することがないようにということだったのです。私たちは罪を犯さずには生きて行けません。罪を犯さないように努力することは大切なことですが、もっと大切なことは、自分が罪を犯すような弱い者であることを認め、神の前に日々悔い改めて生きることです。つまり、神の恵みとあわれみに生きることなのです。

 

そうでないと、もっと悪いことが起こるかもしれないからです。この「もっと悪いこと」とは何でしょうか。これをこの罪との関係で考えるなら、これは肉体的な面だけでなく霊的な面も含めてのことであるのがわかります。つまり、もしあわれんでくださった神様に背を向けて生きるようなことがあるならば、今までの38年間の不自由な生活以上に、もっと悪いこと、すなわち、彼の人生から平安や安息が失われてしまうことになるかもしれないということです。ローマ6章32節に、「罪からくる報酬は死です。」とあるように、永遠に神との交わりから断たれてしまうことにもなりかねません。もしそのようなことがあるとしたら、からだは良くなったとしても、それ以上に不自由な者、最悪な結果になってしまいます。そうならないように、いつも神様に信頼し、感謝して生きるように、と言われたのです。

 

Ⅲ.ベテスダの池、イエス・キリスト(15-18)

 

最後に16から18節を見て終わりたいと思います。

「その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を治してくれたのはイエスだと伝えた。そのためユダヤ人たちは、イエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」そのためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っていただけでなく、神をご自分の父と呼び、ご自分を神と等しくされたからである。」

 

ベテスダの池でいやされた人は、自分が誰によっていやされたのかを知ると、ユダヤ人たちに、自分を治してくれたのはイエスだと伝えました。それを聞いたユダヤ人たちは、イエスを迫害し始めます。それは、イエスが安息日の律法を破ったからです。そればかりではありません。イエスを殺そうとするようになりました。それは、イエス様が「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです」と言って、ご自分を神と等しくされたからです。

 

この神をご自分の父と呼んだということですが、それは、イエス様がご自分を父なる神と等しい位置に置かれたということです。少なくとも、当時のユダヤ人たちはそのように理解していました。つまり、イエス様はご自分がメシヤであり、神と等しい者であると宣言されたのです。それでユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになったのです。

 

ヨハネが、第三のしるしとしてこの奇跡を取り上げた理由はここにあります。つまり、この38年も病気で横になっていた人をいやすことによって、イエスこそメシヤであられるということ、イエスこそ救い主であられるということを示そうとされたのです。これがわからなければ、どんなに律法を守っているようであっても全く意味がありません。なぜなら、律法が指し示していたのはこのイエス・キリストであったからです。律法は良いものですが限界があります。それは私たちに罪を示し、救いが必要であることを悟らせるものです。パウロはガラテヤ書の中で、律法はキリストのものに導く養育係だと言っているのはそのためです。しかし、ここに律法が指し示していた、しかも律法の要求を完全に満たした救いが現れました。それがイエス・キリストです。神の救いは自分の努力や力によってもたらされるのではなく、ただイエス・キリストによってもたらされます。このベテスダの池での出来事は、そのことを示していたのです。

 

このベテスダの池には五つの回廊がついていましたが、ある人たちは、この五つの回廊は、モーセ五書と呼ばれる律法を表していたと考えています。モーセ五書とは、創世記から申命記までの五つの書です。モーセが書いたのでモーセ五書と呼ばれています。その回廊にベテスダの池がありました。それは、この場所が神のあわれみを受けるためには、五つの回廊に象徴される律法の戒めをきちんと守らなければならない」ということを示していたというのです。それはこの律法と恵みとの関係から考えるとあながち間違いであるとは言えません。その回廊にいた人の中で、自分の力で救われた人がいたでしょうか。だれも律法を完全に守ることができる人などいないのです。

しかし、ここに律法とは別の、しかも律法によって証しされた救いがあります。それがイエス・キリストです。キリストはメシヤとしてこの世に来てくださり、神のあわれみを表してくださいました。「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と言われ、罪の中に伏せていた人をいやしてくださいました。私たちを罪から救うことができるのは、ただ神の恵み、神の子イエス・キリストの他にはいないのです。

 

ですから、この38年間も病気だった人がいやされた出来事は、私たちが律法の世界に留まるのではなく、自分の努力や力に頼るのではなく、キリストの言葉に信頼し、その言葉に従って新しい歩みを始めなさい、という招きだったのです。なぜなら、キリスト様こそあわれみの家、ベテスダの池そのものであられるからです。

 

イエス様は、あなたの罪と汚れをきよめる泉であり、あなたをあわれみ、あなたをいやす泉、ベテスダの池そのものです。この池で、あなたも罪の赦しときよめを受けませんか。心とからだのいやしを受けてください。そのために必要なのは、「掟、床を取り上げて歩きなさい」と言われる主イエスのことばを信じて、それに従うことです。キリストのあわれみは、尽きることがないからです。

出エジプト記3章

きょうは、出エジプト記3章から学びます。まず1~6節までをご覧ください。

 

Ⅰ.燃える柴(1-6)

 

「モーセは、ミディアンの祭司、しゅうとイテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の奥まで導いて、神の山ホレブにやって来た。すると主の使いが、柴の茂みのただ中の、燃える炎の中で彼に現れた。彼が見ると、なんと、燃えているのに柴は燃え尽きていなかった。モーセは思った。「近寄って、この大いなる光景を見よう。なぜ柴が燃え尽きないのだろう。」主は、彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の茂みの中から彼に「モーセ、モーセ」と呼びかけられた。彼は「はい、ここにおります」と答えた。神は仰せられた。「ここに近づいてはならない。あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。」さらに仰せられた。「わたしはあなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは顔を隠した。神を仰ぎ見るのを恐れたからである。」

 

モーセがミディアンの荒野に導かれて40年が経っていました。モーセは、ファラオの娘の子としてエジプトの宮廷で育ちましたが、イスラエル人を救おうと思いエジプト人を殺したことによって、エジプトから逃げミディアン人の地に来ました。その時、ここに書かれているイテロに出会い、その娘の一人チッポラと結婚したことで、イテロの羊を飼う仕事をしながら40年を過ごしていたのです。エジプトから逃げてきたのが40歳ですから、既に80歳になっていました。イスラエル人たちをエジプトから救い出すための計画は、完全に頓挫したかのように見えていました。しかし、神の側ではそうではなく、彼らを救い出すための計画は着々と進められていました。その最大の準備は、指導者であるモーセを訓練し、そのために彼を召し出すことでした。

 

1節をご覧ください。ここに、「モーセは、ミディアンの祭司、しゅうとイテロの羊を飼っていた。」とあります。しゅうとの「イテロ」は、2章では「レウエル」という名前で登場していました(2:18)。意味は「神の友」です。「イテロ」というのはタイトルで、「レウエル」が固有名詞です。モーセは、彼のしゅうとイテロの羊を飼っていました。この「飼っていた」というのは「常に飼っていた」ということで、彼がこれを仕事としていたことです。このような荒野での羊飼いとしての経験が、後に二百万人とも言われるイスラエルの民をエジプトから救い出し、40年にもわたる荒野での生活を送る際に生かされることになります。本当に神の成さることに無駄なことはありません。ミディアンの荒野で羊を飼いながら神について思い巡らし、エジプトにいる同胞イスラエル人のことを考えたりしながら、その時を待っていたのです。

 

ある日のことです。彼は羊の群れを追って、神の山ホレブにやって来ました。「ホレブ」とは山脈で、シナイ山はその山脈にある一つの山です。しかし、聖書の中に「ホレブ」とある時、それは「シナイ山」のことを指していると考えて差し支えありません。彼はそこで後に十戒を受けることになります。そこには豊かな緑があったのでしょう。シナイ半島は乾燥した地域ですが、家畜を飼う程度の草木は育ちます。あちこちに生えていた柴は、羊ややぎの餌になりました。その柴の茂みが燃えているのを見ました。空気が乾燥しているので、柴が自然に燃えるというのは決して珍しいことではありませんでした。しかし、彼が見たのは火で燃えているのに燃え尽きない柴でした。それは、エジプトで苦しめられていたイスラエルの民がその圧迫の中にあっても、滅びてしまうことがないことを表していました。それは今日に至るまでのイスラエルの姿でもあります。また、それはクリスチャンの姿でもあります。キリストの教会も、燃える柴の性質が与えられています。どんなに迫害されても滅びることはありません。むしろ、その中で成長し続けてきました。

 

その燃える柴の中に主の使いが現れました。旧約聖書で「主の使い」という言葉が出てくる時は、受肉前のキリストを指しています。ですから、この主の使いは4節で「主」(ヤハウェ)とあり、また「神」(エロヒム)と呼ばれています。ですから、主の使いが燃える柴の中に現れたというのは、主の臨在を象徴していました。

モーセは、柴が燃えているのに、その柴が燃え尽きていなかったのを見て、なぜ燃え尽きないのだろうと、近寄って、その大いなる光景を見ようと思いました。すると主は、モーセが横切って見に来るのをご覧になり、柴の中から彼の名を呼ばれました。彼が「はい、ここにおります。」と答えると、神は仰せられました。「ここに近づいてはならない。あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。」  どういうことでしょうか。この「聖なる」という言葉の本来の意味は、分離されているということです。それはこの世と分離されているということです。神はこの世とは全く分離しており、決して交わることのない方です。それが「聖」であるということなのです。ですから、汚れたままで近づくことはできませんでした。履き物を脱がなければならなかったのです。神に近づく者は聖でなければならないということです。なぜなら、神は聖なる方だからです。このことは聖書の中に何回も繰り返して言われています。たとえば、レビ記11章45節にこうあります。

「わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるからだ。あなたがたは聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。」」

ここには、「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない、とあります。同様の教えがⅠペテロ1章13~16節にもあります。また、Ⅱコリント6章14~18節にも、「それゆえ、彼らから出て生き、彼らから離れよ。主は言われる。汚れたものに触れてはならない。そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、あなたがたの父となり、あなたがはわたしの息子、娘となる。」とあります。

ですから、「あなたの履き物を脱げ」というのは、この世の汚れから離れ、神に全く献身することを表していました。聖なる神の前に自分自身を完全に明け渡すようにという意味です。このように神に近づくためには、まず自分自身を神に明け渡さなければなりません。

 

また、ここには「わたしはあなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」とあります。これはどういうことかというと、神は契約の神であるということです。そして、モーセの先祖と交わされた契約を決して忘れず、それを忠実に行われる方であるという意味です。神はかつてアブラハム、イサク、ヤコブと契約したとおりに、彼らを約束の地に導かれると言われました。それは人間的には不可能なことです。しかし、神にはどんなことでもできます。神は契約の神であり、約束されたことを必ず実現される方なのです。そして、その契約を果たすために、神は今モーセに現われてくださったのです。

 

それに対して、モーセはどうしたでしょうか。モーセは顔を隠しました。神を仰ぎ見ることを恐れたからです。なぜでしょうか。以前の彼であれば堂々と立ちあがったことでしょう。しかし、彼はミディアンに逃れ、その荒野での長きにわたる生活の中で、そうした自信を全く失っていました。

Ⅱ.モーセの召命(7-12)

 

次に7節から12節までをご覧ください。

「主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見、追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを確かに知っている。わたしが下って来たのは、エジプトの手から彼らを救い出し、その地から、広く良い地、乳と蜜の流れる地に、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる場所に、彼らを導き上るためである。今、見よ、イスラエルの子らの叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプト人が彼らを虐げている有様を見た。今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」 モーセは神に言った。「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは。」神は仰せられた。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない。」」

 

主は、エジプトにいるイスラエルの民ことを決して忘れておられませんでした。むしろ、その悩みを見、彼らの叫びを聞き、痛みを知っておられました。そして彼らの叫びが主に届いたとき、主は彼らを救うためにその御業を始められました。モーセを彼らの所へ遣わし、彼らをエジプトから連れ出すようにと命じられたのです。

それに対してモーセは何と言ったでしょうか。11節をご覧ください。

「モーセは神に言った。「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは。」  これはどういうことでしょうか。モーセはここで、神の召命に対して断っています。それはなぜかというと、ここに、「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは。」とあります。つまり、自分にはその資格がないということでした。エジプトの王子であった時はいざ知らず、今は無名の羊飼いです。ファラオは最高の権威を持って、軍隊を率いています。杖1本しか持っていない自分に、いったい何にができるというのでしょう。たとえエジプトに行ったとしても、イスラエル人が私を受け入れてくれるはずがありません。40年前でさえ自分を拒否した人がいるのです。行っても無駄なことです。そのような思いが、モーセの頭の中を巡ったのです。

 

それに対する神の回答はどんなものだったでしょうか。12節をご覧ください。「神は仰せられた。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない。」

ミディアンの荒野における40年間の生活は、確かにモーセのプライドが砕かれ、自分にできること

は何もないということを知るために大切な時でした。しかし、彼はまだ学んでいないことがありました。それは、神がともにいるなら、自分にその資格があるかどうかは関係ないということです。「これが、あなたがたのためのしるしである。」とは、神がともにいるというしるしのことです。そのしるしは何でしょうか。それは、「あなたがこの民をエジプトから導きだすとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない」ということです。つまり、神の山ホレブで神を礼拝するようになるということです。神の山ホレブは、エジプトからカナンの地への途上にはありません。しかし、イスラエルの民はこのシナイ山で神を礼拝するようになるというのです。

 

あれっ?しるしとは、証拠としての奇跡のことです。ここでは「神がともにいる」ということの証拠としての奇跡であるはずなのですが、そのしるしは、イスラエルがエジプトを出てカナンに向かう時に与えられるというのは不思議です。神がともにいるというしるしがあってこそ信仰によって行動ができるのですから、このように後で示されるのではしるしになりません。

実は、これは「歴史的しるし」と呼ばれるものです。目の前に起こるいやしや不思議だけがしるしなのではありません。神の存在を証明する最大のしるしは、歴史そのものです。特に、イスラエルの歴史を学ぶなら、そこにある確かな神のしるしを見て、まだ起こっていないことも、必ず起こると確信できるようになります。ですから、モーセはまだしるしを見てはいませんでしたが、歴史の中でこのしるしが与えられた時に、もっと深く神の臨在を確信するようになったでしょう。

 

Ⅲ.わたしはあるというものである(13-22)

 

それに対してモーセは何と答えたでしょうか。案の定、13節を見ると、彼はまた自分にはできないという言い訳を並べます。

「モーセは神に言った。「今、私がイスラエルの子らのところに行き、『あなたがたの父祖の神が、あなたがたのもとに私を遣わされた』と言えば、彼らは『その名は何か』と私に聞くでしょう。私は彼らに何と答えればよいのでしょうか。」」

 

モーセの次の言い訳は何でしょうか。それは、たとえ自分がイスラエルの民のところへ行っても、イスラエルの民は受け入れてくれないだろう、というものでした。「あなたがたの父祖の神が、あなたがたのものに私を遣わされた」と言えば、彼らは、「その名は何か」と聞くでしょう。そのとき、自分は彼らに何と答えたらいいのか、というのです。

おそらく彼の中には、かつての出来事がトラウマになっていたのではないかと思います。同胞へブル人が言い争っていたときその仲裁に入った彼は、仲間の一人から「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。おまえは、あのエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか。」(2:14)と言われました。だから、またエジプトに行って彼らを連れ出すと言ったら、彼らから何と言われるかわからないというのです。その時に問題になるのが、「その名は何か」ということです。イスラエルの民は、いつも神に叫んでいたので、神のことを知っていました。彼らは、神は働きの段階に応じて新しい御名を啓示されると思っていました。ですから、イスラエルをエジプトから救い出してくれる神の名は何かと聞かれたら何と答えたらいのかと尋ねているのです。

 

14節をご覧ください。「神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」」

何ですか、「わたしはある」という者である・・とは。これは神の本質を啓示する御名です。これは、神は存在の根源であり、他の何ものにも依存せず存在している自存の神であるということ、よって、いかなる限界もない神であるということです。その方があなたを遣わすというのです。

モーセがこの神のご性質について本当によく知るのならば、もはや何も恐れるものはないはずです。なぜなら、この方は創造主であり、すべてのものの存在の根源であられるからです。ローマ8章31節には「では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」とありますが、だれも敵対することなどできません。

 

この「わたしはある」という名前ですが、これはイエス・キリストに対して用いられたことばでもあります。イエス様は「わたしはある」という主の御名を、いろいろな形で示されました。「わたしはいのちである。」「わたしは光である。」「わたしは救いである。」「わたしは道である。」というようにです。そして、ユダヤ人には、「アブラハムが生まれる前から、わたしはある。」と答えられました(ヨハネ8:58)。永遠に存在されている方としての主(ヤハウェ)の御名を、ユダヤ人の前でお使いになられたのです。そして、これが永遠にわたる主なる神の御名です。「わたしはある」という主なる神が、モーセを遣わされるのです。

 

次に、主はモーセがエジプトに行ってどのような手順でそれを行ったら良いかを、事細かに説明されました。16~18節をご覧ください。

「行って、イスラエルの長老たちを集めて言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神、主が私に現れてこう言われた。「わたしは、あなたがたのこと、またエジプトであなたがたに対してなされていることを、必ず顧みる。だからわたしは、あなたがたをエジプトでの苦しみから解放して、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の地へ、乳と蜜の流れる地へ導き上ると言ったのである」と。』彼らはあなたの声に聞き従う。あなたはイスラエルの長老たちと一緒にエジプトの王のところに行き、彼にこう言え。『ヘブル人の神、主が私たちにお会いくださいました。今、どうか私たちに荒野へ三日の道のりを行かせ、私たちの神、主にいけにえを献げさせてください。』」

モーセはまず、エジプトにいるイスラエルの長老たちの所へ行き、主がこれから何をなさろうとしているのかを告げなければなりませんでした。彼らは、モーセの声に聞き従うでしょう。そしたら、今度は彼らと一緒にエジプトの王ファラオのもとに行き、「ヘブル人の神、主が私たちにお会いくださいました。今、どうか私たちに荒野へ三日の道のりを行かせ、私たちの神、主にいけにえを献げさせてください。」と言わなければなりませんでした。これは最低限の要求です。もしこれに応じないなら、何を提案しても無駄です。

 

さて、それに対してエジプトの王はどうするでしょう。主なる神はそのことも事前に知ってモーセに告げます。そして、それに対してどのように対処したら良いかを知らせるのです。19~22節です。

「しかし、エジプトの王は強いられなければあなたがたを行かせないことを、わたしはよく知っている。わたしはこの手を伸ばし、エジプトのただ中であらゆる不思議を行い、エジプトを打つ。その後で、彼はあなたがたを去らせる。わたしは、エジプトがこの民に好意を持つようにする。あなたがたが出て行くとき、何も持たずに出て行くことはない。女はみな、近所の女、および自分の家に身を寄せている女に、銀の飾り、金の飾り、そして衣服を求め、それを、自分の息子や娘の身に着けさせなさい。こうしてあなたがたは、エジプト人からはぎ取りなさい。」

事はそう簡単には進みません。モーセがイスラエルの民の長老たちと一緒にエジプトの王のところへ行き、自分たちを行かせよと要求しても、エジプトの王はそう易々と行かせるようなことはしません。そこで神はご自分の手を伸ばし、エジプトのただ中であらゆる不思議を行い、エジプトを打ちます。その後で、彼はイスラエルを行かせるようにするのです。そればかりではありません。彼らがエジプトを出て行く時には、何も持たずに出て行ってはならないと命じました。すなわち、近所の女や身を寄せている女から銀の飾り、金の飾り、そして衣服を求め、それを、自分の息子や娘の身に着けさせなければなりませんでした。どうしてこのようなことをしなければならなかったのでしょうか。それは、そのようにしてはぎ取った財産で、後に幕屋を建設するためです。そのために必要になります。神は、その後のこともすべてご存知であられ、そのための備えをしておられたのです。

私たちの神は大いなる神です。「わたしはある」というお方です。その神を見上げて、この方からいつも新しい力をいただきましょう。

ヨハネの福音書4章43~54節「見ないで信じる者に」

ヨハネの福音書4章から3回にわたってお話ししてきました。第一回目は救いと悔い改めについて、第二回目は礼拝について、そして第三回目は伝道についてです。今日は、この4章の終わりの箇所から、信仰の成長についてお話ししたいと思います。タイトルは、「見ないで信じる者に」です。

 

Ⅰ.見ないかぎり信じない(43-48)

 

まず、43節から48節までをご覧ください。45節までをお読みします。

「さて、二日後に、イエスはそこを去ってガリラヤに行かれた。イエスご自身、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言なさっていた。それで、ガリラヤに入られたとき、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎したが、それは、イエスが祭りの間にエルサレムで行ったことを、すべて見ていたからであった。彼らもその祭りに行っていたのである。」

 

「さて、二日後に」とは、イエス様がサマリヤに滞在されて二日後に、ということです(4:40)。イエス様はそこを去ってガリラヤへ行かれました。ガリラヤに行くことは、当初からの計画でした。しかし、イエス様は一人の魂に飢え渇いた女性を救うためにサマリヤを通過し、その途中スカルというサマリヤの町に滞在されたのです。それは、いわば寄り道でした。しかし、その寄り道は何とすばらしい結果をもたらしたことでしょう。イエス様はその町に二日間滞在し、さらに多くの人々が、イエス様を信じたのです。

 

その二日後に、イエス様はそこを去ってガリラヤに行かれました。なぜなら、イエスご自身が、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言なさっていたからです。自分の故郷では尊ばれないとわかっていたのに、どうしてわざわざガリラヤへ行かれたのでしょうか。そこである人たちは、この44節のことばは、イエスがガリラヤへ行かれた理由を説明しているのではないと考えます。そうでないとさっぱり意味が通じなくなるからです。この新改訳2017ではそのように訳しています。しかし、この44節の冒頭には日本語では訳されていませんが、「そういうわけで」とか「なぜなら」という理由を説明するギリシャ語の接続詞「ガル」ということばがあって、これは明らかにイエスがガリラヤへ行かれた理由を表しているのです。ですから、新改訳聖書第三版では、ここをちゃんと、「イエスご自身が、『預言者は自分の故郷では尊ばれない』と証言しておられたからである。」と訳しています。訳としては、こちらの方が正確です。問題は、であればイエス様はなぜガリラヤへ行かれたのかということです。自分が尊ばれない所には、だれも行きたいとは思わないはずです。それなのに、イエス様はあえてガリラヤへ行かれたのです。そこには二つの理由があったと考えられます。

 

一つは、このガリラヤというのはガリラヤ地方のことであって、ナザレのことではなかったからです。イエス様が言われた「自分の故郷」とはナザレのことであって、ガリラヤ地方全体のことを指していたのではなかったということです。確かにナザレもガリラヤ地方の町の一つではありますが、ナザレの町と他の町とではイエス様に対する感情に明らかに違いがありました。一般的にガリラヤの町々では尊ばれていましたが、ナザレではそうではなかったのです。そこには自分の家族も住んでおり、その家族にとってイエス様は単なる家族の一員にすぎず、神の預言者として尊ばれることはありませんでした。たとえば、ヤコブの手紙を書いたヤコブはイエス様の実の兄弟ですが、彼がイエス様をメシヤとして信じたのはイエス様が復活してからのことでした。それまではただの家族の一員、親切なお兄ちゃんくらいにしか受け止めていなかったのです。

ですから、イエス様がガリラヤに帰っても、ナザレを訪問することはありませんでした。その結果、遠くにいたサマリヤの人たちやガリラヤの他の町々村々の人たちが祝福を受け、近くにいたナザレの人たちが祝福を逃すことになってしまいました。これは何という皮肉なことでしょうか。私たちの祝福は、イエス様とどれだけ近くにいるかということによってではなく、イエス様をどのような目で見、どのように歓迎するかによって決まるのです。イエス様を私たちの人生に歓迎する人になりましょう。

 

では、そのガリラヤの人たちはどのようにイエス様を歓迎したでしょうか。45節をご覧ください。彼らはイエスがガリラヤに入られたとき、イエスを歓迎しました。すばらしいですね。でもどうして彼らはイエス様を歓迎したのでしょうか。その後のところに理由が述べられています。

「それは、イエスが祭りの間にエルサレムで行ったことを、すべて見ていたからであった。彼らもその祭りに行っていたのである。」

なるほど、彼らがイエスを歓迎したのは、過越しの祭りを祝うためにエルサレムに上ったとき、そこでイエスが行われたしるしを見たからです。彼らはガリラヤに帰るなり、エルサレムで起こった不思議な出来事を隣人たちに報告していたのです。ですから、イエス様がガリラヤに到着すると、熱狂的にイエス様を歓迎したのです。

 

でも、これは本物の信仰とは言えません。それは2章23~24節に出てくるエルサレムの人々と何ら変わりありません。そこにはこうあります。

「過越しの祭りの間、イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じた。しかし、イエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。」

イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスを信じましたが、それはどうしてかというと、イエスが行われたしるしを見たからです。ですから、たとえ彼らがイエス様を信じても、イエス様は彼らに自分を任せることはなさいませんでした。つまり、彼らを信頼しなかったのです。イエス様が行われたしるしを見て信じるだけなら、それは本物の信仰とは言えないからです。イエスのなされる御業を見て信じること自体が悪いのではありません。しかし、それは信仰の入口にすぎず、あくまでも神のみことばが真実であるということの証拠としての奇跡であって、そこから本物の信仰へと進んで行かなければならないのです。つまり、イエス様が私たちの罪のために十字架で死んでくださったメシヤ、救い主であるということをしっかりと告白し、新しく生まれ変わるという経験が必要なのです。それが信仰の第一ステップです。それがなければ、どんなに不思議なしるしや奇跡を見ても何の意味もありません。

 

ヨハネは、そのことを示すために、次に王室の役人の息子の話を取り上げています。46節から48節までをご覧ください。

「イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。イエスが水をぶどう酒にされた場所である。さてカペナウムに、ある王室の役人がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところに行った。そして、下って来て息子を癒やしてくださるように願った。息子が死にかかっていたのである。イエスは彼に言われた。『あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。』」

 

イエス様は再びガリラヤのカナへ行かれました。そこはかつてイエスが水をぶどう酒に変えるという奇跡を行われたところです。そこにカペナウムという町から、ある王室の役人が来ていました。この王室とはヘロデ・アンティパスに仕える役人のことで、今で言うと、政府の高官のことです。彼は息子が病気で死にかかっていたので、息子を癒してもらうためにカペナウムからわざわざやって来たのです。カペナウムからカナまでの距離は約30㎞、標高差は約600mあります。その距離を一気に上って来たのですから、彼がどれほど切羽詰まっていたかがわかります。

 

イエス様はいったいなぜガリラヤに行かれたのか、そのもう一つの理由がここにあります。それは、この役人を救いに導くためでした。イエス様は以前サマリヤの女を救いに導くためにわざわざスカルというサマリヤの町に行かれたように、この王室の役人を救うためにわざわざガリラヤへ行かれたのです。「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言なさっていたのに・・です。この役人はどのように救いに導かれて行ったのでしょうか。

 

彼には悩みがありました。彼の息子が病気で死にかかっていたという悩みです。身分が高ければ悩みがないというわけではありません。どんなに身分が高い人でも悩みごとを持っているのです。それは身分が低い人が持っているものとは違うものかもしれませんが、誰にでも悩みがあるのです。そして、その悩みはその人にとっては切実なものなのです。

 

しかしながら、そうした悩みや苦しみが、いつでも人を不幸にするのかというとそうではありません。むしろ、こうした悩みが私たちを救うための(罪から)一つの契機になる場合があります。この王室に役人も息子が病気で死にかかっていたという苦しみの中でイエス様のところへ助けを求めに来ることで、本当の救いを得ることができました。

 

彼はイエス様のところにやって来ると、何と言ったでしょうか。47節を見ると、彼はイエスのところに行き、「下って来て息子を癒してくださるように願った。」とあります。これはどういうことでしょうか。当時、多くの人々が、イエスが祭りの間にエルサレムでなさった「しるし」によって信じていました。ですから、この役人も、イエス様がエルサレムで多くの「しるし」を行ったといううわさを聞いて、イエス様に助けを求めに来たのでしょう。

 

しかし、それに対するイエスの答えは殺伐としたものでした。48節をご覧ください。

「イエスは彼に言われた。『あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。』」

どういうことですか。息子が病気で死にそうなのだから、来て癒してくださいと願うのは当然のことではないでしょうか。それなのに、「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」と言うのは理解できません。癒しを求めることが問題なのではありません。問題は、しるしや不思議を見ないかぎり信じないということです。それはあのガリラヤの人たちと少しも変わりません。彼らがイエスを歓迎したのは、イエスが祭りの間にエルサレムで起こったことを、すべて見ていたからでしたが、それはこの役人も同じでした。彼はイエスがユダヤからガリラヤにやって来たことを聞いて、自分の病気の息子が癒されたのなら信じようと考えていたのです。問題の解決を求めてイエスのところにやって来ることは大切なことです。しかし、それは信仰の入口にすぎず、そこから本物の信仰へと進んでいかなければならないのです。ですから、イエス様はここで、「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」と言われたのです。最初はそれでもいいでしょう。しかし、いつまでもそこにとどまっていてはなりません。そこから一歩進んでみことばに信頼する信仰を持たなければならないのです。

 

マタイの福音書8章に登場するあのローマの百人隊長はそうでした。彼は、イエス様の発せられる御言葉の権威を認め、それに従いました。ちょっと開いて確認してみましょう。

「イエスがカペナウムに入られると、一人の百人隊長がみもとに来て懇願し、『主よ、私のしもべが中風のために家で寝込んでいます。ひどく苦しんでいます』と言った。イエスは彼に『行って彼を治そう』と言われた。しかし、百人隊長は答えた。『主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。と申しますのは、私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。』

イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。『まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。』」(マタイ8:5-10)

 

この百人隊長は、イエスが御言葉を発せられれば、すべてのものはそれに服従すると信じて疑いませんでした。なぜなら、百人隊長である彼でさえ部下に命じれば、部下は必ずそのとおりにしたからです。ましてや、この天地万物の創造主であられる神が発するのであれば、すべてのものがそれに服するのは当然のことです。ですから、わざわざ来てもらう必要もありません。ただそのように言っていただくだけで良かったのです。そうすれば、すべてはそれに従うと信じて疑わなかったのです。

 

しかし、この役人は、まだそこまでの信仰を持ち合わせていませんでした。ですから、「下って来て息子をいやしてください」と願っているのです。何ですか、「下って来て息子をいやしてください」とは。彼はイエス様が下って来て、息子を癒してくださらなければ、息子は直らないと思っていました。しるしと不思議を見ない限り信じられない信仰、そのような信仰しか持ち合わせていなかったのです。

 

それは49節の彼のことばにも現れています。49節で彼はこのように言っています。「主よ。どうか子どもが死なないうちに、下って来てください。」

これはどういうことですか。死んだら終わりだということです。だから死なないうちに来てほしかったのです。イエス様がどんなに偉い方であっても、死んでしまえば、もう手の施しようがないと考えていました。主がよみがえらせる力を持っておられることは信じていなかったのです。

 

それは、あのラザロが病気だった時と同じです。ラザロが死んでから、イエスがマリヤとマルタの家にやって来ると、彼女たちは異口同音にこう言いました。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」(ヨハネ11:32)そうです、彼女たちもまた、死んだら終わりという信仰しか持っていませんでした。

そのような彼女たちにイエス様は何と言われましたか。有名なみことばです。イエス様はこのように言われました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)

 

すばらしい約束ですね。皆さん、私たちの人生には「死」のような出来事が起こることがあります。それが実際の死であることもありますし、もうすべてが終わった、お先真っ暗だというようなこともあります。けれども、イエス様はその死からよみがえりました。イエス様はよみがえりです。いのちです。イエス様を信じる者は死んでも生きるのです。イエス様は死に勝利されました。この方が私たちとともにおられるのです。この方が共におられるなら、私たちに絶望はありません。私たちはこの方にあって、常に勝利ある人生を送ることができるのです。それはしるしと不思議を見なければ信じない信仰からは生まれてきません。それは、見なくても信じる信仰、イエス様の御言葉を信じる信仰から生まれてくるのです。

 

Ⅱ.イエスが語ったことばを信じる(50)

 

そこでイエス様は、この王室の役人の信仰を次のステップへと導かれます。それは、「しるし」に頼る段階から「みことば」を信じる信仰です。50節をご覧ください。

「イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。」

 

「子どもが死なないうちに、下って来てください」という役人の願いに対して、イエス様は「行きなさい。あなたの息子は治ります。」と言われました。「わかりました。すぐに行きましょう」とか、「それは大変ですね。急いて行きましょう」とかではなく、ただ「行きなさい。あなたの息子は治ります。」と言っただけです。どうしてでしょうか。それは、この王室の役人に対して、信仰の飛躍を経験させようと考えておられたからです。

 

すると彼はどうしたでしょうか。「その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。」不思議ですね。あれほど切羽詰まってやって来た人が、「行きなさい。あなたの息子は治っています」と聞いただけで、そのことばを信じたのですから。私だったら、「いいえ、帰りません。あなたが一緒に来てくださるのでなければ、どんなことをしたって帰りません」と言い張ったのではないかと思います。たとえば、自分の孫がそういう状態だったら、「助けてくださいイエス様。何とかしてください。このピンチを乗り越えられたなら、何でもしますから」とか言って強引に連れて来ようとしたのではないかと思います。それなのに彼は、イエスが語ったことばを聞くと、すんなりと帰って行きました。なぜでしょうか?あきらめたのですか?どんなに言ってもだめだ・・・と。そうではありません。彼はこのイエスが語ったことばを信じたのです。彼はここで一つの信仰の冒険をしました。自分の思いに固執するのをやめ、主が言われることに従うことにしたのです。

 

これは、彼の信仰が次の段階に進んだことを示しています。事実、彼が帰途に着いたのは翌日のことでした。つまり彼は、イエス様にこのように言われた後ですぐに家に戻ったのではなく、そこにもう一泊しているのです。なぜそのことがわかるのかというと、後でこの息子の病気が治ったとき、その時刻を尋ねると、「昨日の第七時」と答えているからです。カペナウムからカナまでは30㎞、帰る気であれば帰れたのです。それなのにそこにもう一泊滞在したのは、彼がイエス様の言われたことばを信じたからなのです。確かに状況は絶望的でした。自分の無力さに打ちのめされる思いだったでしょう。しかし、そのような中にあってもイエス様のみことばに信頼することで、嵐の中でも動じない舟の錨のような安心感が与えられたのだと思います。

新聖歌248番の「人生の海の嵐に」は、そのような信仰が賛美されています。

「人生の海の嵐に もまれ来しこの身も

不思議なる神の手により 命拾いしぬ

いと静けき港に着き われは今 安ろう

救い主イエスの手にある 身はいともやすし」

 

私たちもこのようなことをよく経験します。もう自分の力ではどうしようもなくなったとき、すべてを主にゆだねることで人知をはるかに越えた不思議な神の平安を体験するということがあるのです。まさに彼はこれを体験したのです。キリストのことばに信頼すること・・で。

 

しかし、これがなかなか難しいのです。私たちは自分の持っているものをなかなか手放すことができません。自分の結婚にしても、将来のことについても、仕事のことや家庭のこと、あるいは自分の財産やいのちについても、自分でしっかり握りしめているだけで、それを主にゆだねることができなくて苦しむのです。信じなさいと言われても、信じることができなくて、自分で何とかしようともがくのです。それではなかなか主の力を体験することはできません。あなたが今しっかり握っているものを一度手放す時、主はそれを何倍にもして与えくださいます。その時、あなたの信仰も大きく飛躍することができるでしょう。

 

Ⅲ.みことばを体験する(51-54)

 

この王室の役人の信仰はどのように飛躍したでしょうか。彼は、そのみことばを体験しました。最後にそれを見て終わりたいと思います。51節から54節をご覧ください。

「彼が下って行く途中、しもべたちが彼を迎えに来て、彼の息子が治ったことを告げた。子どもが良くなった時刻を尋ねると、彼らは「昨日の第七の時に熱がひきました」と言った。父親は、その時刻が、「あなたの息子は治る」とイエスが言われた時刻だと知り、彼自身も家の者たちもみな信じた。

イエスはユダヤを去ってガリラヤに来てから、これを第二のしるしとして行われた。」

 

彼が下って行く途中、しもべたちが彼を迎えに来ると、彼の息子が治ったことを告げました。そこで、子どもが良くなった時刻を尋ねると、前日の第七時に熱が引いたということでした。それはユダヤの時刻で、今日の時刻では午後1時になります。それはちょうどイエス様が「あなたの息子は治る」と言われた時刻でした。それで彼自身も彼の家の者たちもみな信じたのです。あれっ、彼はイエス様が言われたことばを信じて帰って行ったのではなかったですか?それなのに、イエス様が「あなたの息子は治る」と言われた時刻と息子が癒された時刻が同じ時刻であったことを知って信じたというのはおかしいのではないでしょうか。いいえ、それは、彼がイエス様のことばを信じていなかったということではありません。イエス様が言われたことを信じた結果、本当にそのようになったことを知って改めて信じたということです。つまり、信仰によってみことばが真実であることを体験したということです。

 

皆さん、信仰において大切なことは、このみことばを体験するということです。信仰というのは、まず神のみことばの正しい解釈が求められますが、いくら神のみことばを知っていても、それが頭だけであるとしたら、いざという時に何の役にも立ちません。それこそ、実際の生活の中で自分が思ってもいなかったことが起こると、右往左往し、信仰につまずいてしまうことになるのです。しかし、みことばを体験した人は違います。ちょっとやそっとのことでは動じません。この不動の信仰に至るためには、どうしてもみことばの体験が必要なのです。自分の結婚の問題について、また自分の将来について、自分の仕事や生活、その他あらゆることについて、たえず聖書のみことばに生き、みことばの真実さを体験していく時、不動の信仰に至ることができるのです。その結果、彼だけでなく、彼の家族全員が同じ信仰を持つようになりました。

 

あなたはこの役人のように、イエス様のことばだけに信頼して、そのみことばを体験しておられるでしょうか。それとも、しるしと不思議を見ない限り、決して信じませんという段階でしょうか。しるしと不思議を見て信じる段階からイエス様のことば、聖書のことばに信頼する段階へ、そして、そのみことばを体験する信仰へと進ませていただきましょう。

 

54節を見ると、「イエスはユダヤを去ってガリラヤに来てから、これを第二のしるしとして行われた。」とあります。この奇跡は、ガリラヤでの二回目のしるしでした。「しるし」というのは、証拠としての奇跡です。イエス様が神の子、キリストであるということの証拠としての奇跡のことです。最初のしるしもこのカナで行われました。それは水がぶどう酒に変わることを通して、主はこの自然界をも支配しておられる方であり、私たちに真の喜びをもたらすことができるということを示していましたが、今回の奇跡は、この王室の役人の息子のいやしを通して、主は死にそうな病人をも癒すことがおできになられるいのちの主であられることを示されました。「信じるなら神の栄光を見る」(ヨハネ11:40)のです。ですから、信じない者にならないで、信じる者になりましょう。しるしと不思議を見る信仰から、見ないでも信じる信仰へ、そして、それを体験する確固たる信仰へと進ませていただきましょう。

出エジプト記2章

きょうは、出エジプト記2章から学びます。前回は、ヨセフのことを知らない新しいエジプトの王ファラオが、イスラエルの民が増え広がるのを恐れ、彼らに過酷な労働をさせたことを学びました。しかし、苦しめられれば苦しめられるほど、イスラエルの民はますます増え広がったので、どうにも手に負えませんでした。そこで彼は、ヘブル人の助産婦に、ヘブル人の女に分娩させるとき、もしも男の子なら殺すようにと命じましたが、神を恐れていた助産婦たちは、たとえファラオにそのように命じられてもそれに従わず、ただ神に従いました。殺さないで残しておいたのです。そこでファラオは、すべての民にこのように命じました。「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」

 

  1. 奇しい神のみわざ(1-10)

 

まず、1節から3節までをご覧ください。

「さて、レビの家のある人がレビ人の娘を妻に迎えた。彼女は身ごもって男の子を産み、その子がかわいいのを見て、三か月間その子を隠しておいた。しかし、それ以上隠しきれなくなり、その子のためにパピルスのかごを取り、それに瀝青と樹脂を塗って、その子を中に入れ、ナイル川の岸の葦の茂みの中に置いた。」(1-3)

 

レビの家のある人が結婚すると、妻は身ごもって男の子を産みました。その子の両親の名は、父がアムラム、母がヨケベデです(出エジプト6:20)。彼らは、この子をナイル川に投げ込まなければなりませんでしたが、できませんでした。それで、彼らはその子を三か月間隠しておきました。ヘブル11章23節には、それが信仰によってなされたと言われています。「信仰によって、モーセは生まれてから三か月の間、両親によって隠されていました。彼らがその子のかわいいのを見、また、王の命令を恐れなかったからです。」(ヘブル11:23)ここには、彼らがその子を隠したのはただかわいいという理由だけでなく、王の命令を恐れなかったからである、とあります。つまり、それは信仰によることだったのです。彼らは王の命令を恐れなかったのです。このように、信仰とは人を恐れないことで、神だけを恐れることです。そして、このように神を恐れて生きる人には、不思議な神のみわざが現れます。3節をご覧ください。

 

しかし、三か月が経った頃、もう隠しきれなくなると、その子をパピルス製のかごに入れ、それに瀝青と樹脂を塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置きました。赤ちゃんの泣き声が外に聞こえるのでもう隠しきれなくなったのでしょう。瀝青と樹脂を塗ったのは防水加工をするためです。防水加工をして水がかごの中に入らないようにして、それをナイル川の岸の葦の茂みの中に入れたのです。なぜそんなことをしたのでしょうか?そんなことをしたからといっていったい何が期待できるというのでしょうか。何も期待などできません。でも、もしかしたら、情け深い人の手によって救われるかもしれないと思ったのでしょう。いずれにせよ、彼女はすべてを神の御手にゆだね、ナイルの茂みに置いたのです。ここに彼女のバランスのとれた信仰を学ぶことができます。隠せる間は努力して隠しました。しかし、自分の限界を超えた事柄については、神の摂理にゆだねたのです。

 

するとどうなったでしょうか。4~10節までをご覧ください。

「その子の姉は、その子がどうなるかと思って、離れたところに立っていた。すると、ファラオの娘が水浴びをしようとナイルに下りて来た。侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みの中にそのかごがあるのを見つけ、召使いの女を遣わして取って来させた。それを開けて、見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をかわいそうに思い、言った。「これはヘブル人の子どもです。」その子の姉はファラオの娘に言った。「私が行って、あなた様にヘブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に乳を飲ませるために。」ファラオの娘が「行って来ておくれ」と言ったので、少女は行き、その子の母を呼んで来た。ファラオの娘は母親に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私が賃金を払いましょう。」それで彼女はその子を引き取って、乳を飲ませた。その子が大きくなったとき、母はその子をファラオの娘のもとに連れて行き、その子は王女の息子になった。王女はその子をモーセと名づけた。彼女は「水の中から、私がこの子を引き出したから」と言った。」

 

その子には姉がいました。15章20節を見ると、ミリアムという名の女性です。後に女預言者となります。モーセが生まれたとき、彼女は13歳でした。お母さんから、弟がどうなるか見て来てくれと頼まれたのでしょう。彼女は、離れたところから見ていました。すると、なんとファラオの娘が水浴びをしようとナイル川に下りて来ました。このファラオの娘は、トトメスⅠ世の娘ハトシェプストという人がではないかと考えられています。それにしても、その子がナイルに流されたちょうどその時に、彼女が水浴びをしようとナイルに下りてきたというのはものすごいタイミングです。その確率はあり得ないほど低いものですが、それは決して偶然ではありません。神がそのように導いていてくださったのです。人の目には一見偶然のように思える事柄の中にも、神が働いておられるのです。

 

ファラオの娘は、葦の茂みの中からそのかごを見つけると、召使いを遣わして取って来させました。そして、そのかごを開けて、中を見ると、そこに男の赤ちゃんが泣いていました。彼女はその子をかわいそうに思い、「これはきっとへブル人の子どもです。」と言いました。へブル人とエジプト人の割礼の方法が異なっていたので、それがへブル人の子どもであることがすぐにわかったのです。

 

すると、それを離れたところから見ていたその子の姉がファラオの娘に近づき、こう言いました。「あなた様に代わって、その子に乳をのませるために、私が行って、へブル人の中から乳母を呼んで参りましょうか。」これもすごいタイミングですよね。その子の姉がその様子を見ていなかったら、このように言うことはではなかったでしょう。でも離れた所からずっと見ていたので、「今だ」という時に、このように言うことができたのです。

すると、ファラオの娘が、「行って来ておくれ」と言ったので、彼女は行き、その子の母親を呼んで来ました。それで、その子の母親は息子を取り戻せただけでなく、賃金までもらって乳を飲ませることができたのです。こうしてモーセは、ファラオの娘の特別な保護のもと、実の母親の手によって、公然と育てることが許されました。こんなことってありますか?本当に不思議なことです。その子は、このような不思議な神の御手によって大きく成長していきました。その子の名は「モーセ」です。モーセが大きくなったとき母親は彼をファラオの娘のもとに連れて行き、その子はファラオの息子になりました。これはどういうことでしょうか?これは、彼がエジプトの王女の息子としてエジプトで最高の学問を身につけることができたということです。それは彼が後にイスラエルをエジプトから解放するために大きく用いられたことになります。皮肉にもエジプトの王子として受けた教育が、後にエジプトからイスラエルを解放するために用いられることになるのです。

そればかりではありません。彼がへブル人の実の母親の元で育てられたことで、彼はへブル人としての自覚を失いませんでした。彼が実母によって育てられた期間は彼が5歳くらいになるまでであったろうと思われますが、この時期にへブル人としての自覚とイスラエルの神についての概念を、しっかり確立することができたのです。

ここに幼児教育の重要性を見ることができます。その時期にどのような環境の中で育つかは、その人のその後の人格形成と信仰の形成に大きな影響をもたらします。鮭が生まれたところに戻るように、人は幼い頃に受けた環境に戻ります。「モーセ」という名前は、「引き出された者」という意味です。彼は水の中から引き出されただけでなく、後にイスラエルをエジプトから引き出すために用いられる人物になるのです。

 

2.ミディアンの地に逃れたモーセ(11-15)

 

次に、11節から15節までをご覧ください。

「こうして日がたち、モーセは大人になった。彼は同胞たちのところへ出て行き、その苦役を見た。そして、自分の同胞であるヘブル人の一人を、一人のエジプト人が打っているのを見た。彼はあたりを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺し、砂の中に埋めた。次の日、また外に出てみると、見よ、二人のヘブル人が争っていた。モーセは、悪いほうに「どうして自分の仲間を打つのか」と言った。彼は言った。「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。おまえは、あのエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか。」そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知られたのだと思った。ファラオはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜した。しかし、モーセはファラオのもとから逃れ、ミディアンの地に着き、井戸の傍らに座った。」

 

こうして日がたち、モーセが大人になった頃、一つの事件が起こります。彼が同胞のところに行ってみると、彼らが苦役に服しているのを見ました。そして、自分の同胞を一人のエジプト人が打っているのを見ると、彼はあたりを見回し、そこにだれもいないのを確認して、そのエジプト人を殺し、砂の中に埋めたのです。なぜ彼はこんなことをしたのでしょうか。彼はへブル人としての自覚を失っていませんでした。ですから、同胞のへブル人が苦しめられているのを見た時、黙っていられなかったのです。使徒7章23節には、「モーセが四十歳になったとき、自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こりました。」とあります。彼にはもともとそのようなタイプの人間でした。しかも、それが同胞のへブル人であったので、何とか助けてやりたいと思ったのでしょう。

しかし、ここに一つの誤解がありました。彼は自分がエジプトで高い地位についている者だから彼らを救い出すことができると思っていたことです。しかし、救ってくださるのはあくまでも神であって彼ではありません。そのことが次の事件で明らかになります。

 

次の日、また外に出てみると、なんと、ふたりのヘブル人が争っていました。そこで彼は悪いほうに「どうして自分の仲間を打つのか」と言うと、その人はこう言いました。「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。おまえは、あのエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか。」彼は、神が自分をへブル人の解放者として選んでいると思っていたのに、同胞のへブル人はそのように認めていまいばかりか、彼がエジプト人を殺したことをファラオに密告したのです。それでモーセはファラオが自分を殺そうとしているのを知り、ファラオのもとから逃れ、ミディアンの地に行ったのです。

 

このことについて、ステパノはこのように言っています。使徒7章23~29節です。

「モーセが四十歳になったとき、自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こりました。そして、同胞の一人が虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を打ち殺して、ひどい目にあっていた人のために仕返しをしました。モーセは、自分の手によって神が同胞に救いを与えようとしておられることを、皆が理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした。 翌日、モーセは同胞たちが争っているところに現れ、和解させようとして言いました。『あなたがたは兄弟だ。どうして互いに傷つけ合うのか。』すると、隣人を傷つけていた者が、モーセを押しのけながら言いました。『だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。昨日エジプト人を殺したように、私も殺すつもりか。』このことばを聞いたモーセは逃げて、ミディアンの地で寄留者となり、そこで男の子を二人もうけました。」

 

モーセは、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしていることをみんなが理解していると思っていましたが、実際はそうではありませんでした。むしろ、そのことに反発していたのです。その表れが、あの同胞の「だれがおまえを・・・」という言葉だったのです。彼は、自分の手によって神が同胞に救いを与えてくれると思い、また皆もそのことを理解してくれるものと思っていましたが、実際はそのように思っていたのは自分だけでした。このようなことがよくありますね。みんなもそう思っていると思っていたら全然違っていたということが。全くの誤解です。そもそも自分の力では無理なのです。イエス様は、「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」(ヨハネ15:5)と言われましたが、私たちは、イエス様を離れては何もすることができないのです。それなに、自分の力で何とかしなければならないと思ってしまったことが、彼の大きな間違いだったのです。

 

それで彼はミディアンの地へと逃れて行くわけですが、それは、彼がこのことを学ぶために必要な期間でした。それは四十年にわたる神による準備と訓練の時でしたが、この霊的訓練の時を経て、彼は本当の意味で神に用いられ器となっていきます。それは、神の方法によって彼らを救い出すことはできないということです。

 

私たちはここから学ばなければなりません。神の時、神の方法によらなければ、いかに信仰的な行為であっても、真の祝福をもたらすものとはならないということです。自分にとって神の時はいつなのか、神の方法とはどのようなものなのかを黙想してみましょう。

 

3.ミディアンの地で(16-25)

 

ミディアンの地に逃れたモーセはどうなったでしょうか。16節から23節までをご覧ください。

「さて、ミディアンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちは父の羊の群れに水を飲ませに来て、水を汲み、水ぶねに満たしていた。そのとき、羊飼いたちが来て、彼女たちを追い払った。するとモーセは立ち上がって、娘たちを助けてやり、羊の群れに水を飲ませた。彼女たちが父レウエルのところに帰ったとき、父は言った。「どうして今日はこんなに早く帰って来たのか。」娘たちは答えた。「一人のエジプト人が、私たちを羊飼いたちの手から助けてくれました。そのうえ、その人は私たちのために水汲みまでして、羊の群れに飲ませてくれました。」父は娘たちに言った。「その人はどこにいるのか。どうして、その人を置いてきてしまったのか。食事を差し上げたいので、その人を呼んで来なさい。」モーセは心を決めて、この人のところに住むことにした。そこで、その人は娘のツィポラをモーセに与えた。彼女は男の子を産んだ。モーセはその子をゲルショムと名づけた。「私は異国にいる寄留者だ」と言ったからである。」

 

このミディアンの地がどこなのかは正確にはわかりません。おそらくシナイ半島の南東地域だと思われます。ミディアン人の祭司ですが、彼の名はレウエル(2:18)、またはイテロと言います(3:1)。ミディアン人は、アブラハムの子どもの一人です。サラが亡くなった後、アブラハムはケトラというもうひとりの妻をめとりましたが、その間に産まれたのがミディアンです(創世記25:2)。ですから、ミディアン人はイスラエル人と血のつながりを持っていたのではないかと考えられます。そして、「レウエル」とは、「神の友」とか、「神の羊飼い」という意味です。古代のセムの神「エル」に仕えていたことを示しています。ですから、彼はまことの神を礼拝していた祭司だったのでしょう。そういうところに神はモーセを導かれましたというのも、また不思議なことです。

 

モーセは、そこの井戸のかたわらに腰を下ろしていました。するとそこへミディアン人の祭司の娘たちが、羊に水をやるためにやって来ました。ところが、他の羊飼いたちがやって来て、彼女たちを追い払いました。せっかく汲み上げた水を彼女たちから取り上げて、自分たちの羊に飲ませようとしていたのです。そこでモーセは彼女たちを助けてやり、彼女たちの羊の群れに水を飲ませてやりました。この小さな親切が、この地の祭司であったレウエルとその家族に近づけさせることになります。

娘たちが家に帰ってから、このことを父に告げると、父は、「その人はどこにいるのか。どうして、その人を置いてきてしまったのか。食事を差し上げたいので、その人を呼んで来なさい。」と言ったので、モーセは心を決めて、この人のところに住むようにしました.ただ住むようになっただけではありません。ツィポラという娘を嫁としてもらいました。そして、子供も生まれると、その子の名前を「ゲルショム」と名付けました。それは、「私は異国にいる寄留者だ。」という意味です。これはどういうことかというと、このように名づけることによって、彼は自分がミディアン人ではなくヘブル人であることを証していたのです。

 

こうしてモーセは、ミディアン人の地に住むことになりました。80歳になるまで、40年間、この地で羊飼いをすることになるのです。モーセは「神の友」レウエルのもとで、エジプトでは得られなかった内面の修行を積むことになるのです。彼は同胞からも、約束の地からも遠く離れて生活せざるを得ませんでしたが、そのような所で彼は、主のみこころに全く従うことを学んだのです。

 

23節から25節までをご覧ください。

「それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエルの子らは重い労働にうめき、泣き叫んだ。重い労働による彼らの叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの子らをご覧になった。神は彼らをみこころに留められた。」

 

それから何年もたって、エジプトの王が死にました。彼はイスラエル人をひどく苦しめました。彼らが重い労働にうめき、泣き叫んだとき、その叫びが神に届きました。神は彼らの嘆きを聞かれると、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。そして、神は彼らをみこころを留められました。

 

ここにすばらしい約束があります。イスラエル人はヤコブを通して神から語られてからずっと、400年以上も神からの語りかけを受けていませんでした。神の祝福どころか、ひどい苦しみの中に置かれていました。もう神から見捨てられたのではないかと思っていたでしょうか。しかし、神は決して彼らをお見捨てにはなりませんでした。彼らがうめき、泣き叫ぶその声を聞いておられたのです。そして、アブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた契約を決して忘れておられませんでした。そして、神は先祖たちに与えられた約束を、この世代のイスラエル人によって実現しようとされたのです。そうです、イスラエルを約束の地に再び連れ上るという約束です(創世記45:3-4)。

 

私たちにも、同じです。神は私たちに永遠のいのちを約束してくださいました。私たちはその約束を待ち望み、それが実現するのを期待しています。けれども、この世ではその約束とは反対の、うめきや苦しみの中で叫ばずにはいられない状況に置かれるがあります。敵である悪魔がほえたける獅子のように、食い尽くすべき獲物を捜しながら、歩き回っているのです。その中で私たちは「神は本当におられるんですか」と疑ったたり、嘆いたりしますが、神は私たちの嘆きを聞き、みこころに留めておられるのです。そして、その約束の実現のために、今も働いておられるのです。

 

このエジプトでのイスラエルの叫びは、この世におけるキリスト者の叫びでもあります。しかし、神は私たちの叫びを聞き、私たちをみこころに留めておられます。イスラエルをエジプトから救い出したように、私たちを罪から救ってくださいます。それがイエス・キリストです。神はこのキリストによって私たちとともにいてくださいます。私たちの嘆きと叫びを聞き、そこから救ってくださいます。この神の約束を信じ、神に力を与えていただきながら、与えられた信仰の道を歩ませていただきましょう。

士師記16章

士師記16章からを学びます。まず1節から3節までをご覧ください。

 

Ⅰ.ガザに下ったサムソン(1-3)

 

「サムソンはガザへ行き、そこで遊女を見つけて、彼女のところに入った。 「サムソンがここにやって来た」と、ガザの人々に告げる者があったので、彼らはそこを取り囲み、町の門で一晩中、彼を待ち伏せた。彼らは「明け方まで待ち、彼を殺そう」と言って、一晩中鳴りを潜めていた。サムソンは真夜中まで寝ていたが、真夜中に起き上がり、町の門の扉と二本の門柱をつかんで、かんぬきごと引き抜き、それを肩に担いで、ヘブロンに面する山の頂に運んで行った。」

 

サムソンはガザへ行き、そこで遊女を見つけて、彼女のところに入りました。ガザはペリシテ人

の町の中で最大の町です。つまり、彼はペリシテ人の中心にいたということになります。それは、ペリシテ人全体を敵に回したことを意味していました。彼はそこで遊女を見つけて、彼女のところに入りました。彼は以前もペリシテ人の女に惹かれて結婚しましたが、今度はただのペリシテ人ではありません。遊女です。これは彼がナジル人だからということだけでなく、だれにとっても罪であることは明らかです。それは、彼の霊性がそこまで堕ち、罪に対して無感覚になっていたことを表しています。

 

すると、「サムソンがここにやって来た」と、ガザの人々に告げる者があったので、ガザの人々は、

サムソンを捕らえるために、町の門で一晩中、待ち伏せますが、サムソンは真夜中に起き上がり、町の門の扉と二本の門柱を引き抜いて、それを肩にかつぎヘブロンに面する山の頂まで運んで行きました。これはどういうことかというと、当時、戦いに勝利した軍が、敵の門の扉を運び去るという習慣があったので、サムソンはここで勝利を宣言したということです。それにしても、ガザからヘブロンまでの距離は約60㎞もありました。標高差は約900mです。その距離を彼は重い扉を担いで歩いたのです。

 

サムソンは本当に問題の多い人物でしたが、神はこのような器を用いてご自身の御業を行われたことを見ると驚ろかされます。私たちもサムソンのように罪深く、弱い者ですが、そんな者でも神は用いて、ご自身の御業を成さろうとしておられることをしっかりと受け止めたいと思います。。

 

Ⅱ.ペリシテ人に捕らえられたサムソン(4-21)

 

次に、4節から21節までをご覧ください。まず9節までをお読みします。

「その後、サムソンは、ソレクの谷にいる女を愛した。彼女の名はデリラといった。ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、言った。「サムソンを口説いて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、縛り上げて苦しめることができるかを調べなさい。そうすれば、私たちは一人ひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」

そこで、デリラはサムソンに言った。「どうか私に教えてください。あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょうか。」サムソンは言った。「もし、まだ干していない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」そこで、ペリシテ人の領主たちは、干していない七本の新しい弓の弦を彼女のところに持って来たので、彼女はそれでサムソンを縛り上げた。彼女は、待ち伏せる者を奥の部屋に置いておき、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言った。しかし、サムソンはまるで麻の撚り糸が火に触れて切れるように、弓の弦を断ち切った。こうして、彼の力の源は知られなかった。」

 

その後、サムソンはソレクの谷にいる女を愛しました。名前は「デリラ」です。「ソレクの谷」は、サムソンの故郷ツォルアや国境の町ベテ・シェメシュ、またペリシテ人の町ティムナなどがあるところです。しかし、これ以降の話の展開から判断すると、デリラはやはりペリシテの女であったと考えられます。

 

サムソンがデリラの家にいることを知ったペリシテの領主たちは、デリラにサムソンを口説いて、彼の力の秘密がどこにあるかを調べてほしいと、一つの提案を持ちかけます。それは、もし彼女が調べることができたら、ペリシテの領主一人一人から銀1,100枚を受け取るというものでした。ペリシテ人の領主は5人いましたので、合計で銀5,500枚となります。イスカリオテのユダがイエスを売った代価は銀30枚でしたから、それを考えると、デリラが受け取る報酬は考えられないほど膨大な額でした。つまり、デリラは神に目がくらんだのです。お金のためなら平気で夫を裏切るような女でした。そんな女性を愛したサムソンは本当に愚かです。

 

そこで、デリラはサムソンに言いました。6節です。「どうか私に教えてください。あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょうか。」

するとサムソンは、「もし、まだ干していない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」と答えました。これは嘘です。でも全くの嘘かというとそうではありません。「まだ干していない7本の新しい弓の弦」とは、生乾きの動物の腸のことで、ナジル人にとっては汚れた物でした。ですから、それで縛れば弱くなるというのは、彼からナジル人としての本質を取り去ることができれば自分は弱くなるということを意味していました。ですから、全くの嘘ではなく、わからないであろうヒントが含まれていたのです。それから、7本の新しい弓の弦ですが、彼の髪の毛は7房になっていたことを考えると、髪の毛にその秘密があるということなので、これもまた全くの嘘ではありません。

 

でも、これは非常に危険なやり取りでした。彼はその危険な道を歩み始めていたのです。私たちにもこのようなことがあるのではないでしょうか。この程度なら大丈夫だろうと気持ちから失敗を招いてしまうことがあります。罪と戯れることがないように、そうした道を歩き始めていることに気づいたら、すぐに軌道修正しなければなりません。

 

しかし、幸いにも、彼の力の源は知られることはありませんでした。ペリシテ人の領主たちが、まだ干していない7本の新しい弓の弦で彼を縛り上げましたが、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲ってきます」とデリラが言うと、彼はまるで麻の撚り糸が火に触れて切れるように、断ち切ったのです。

 

するとデリラはどうしたでしょうか。次に、10節から12節までをご覧ください。

「デリラはサムソンに言った。「まあ、あなたは私をだまして?をつきましたね。今度こそ、どうしたらあなたを縛れるか教えてください。」サムソンは言った。「もし、仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛り、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言った。奥の部屋には待ち伏せしている者がいた。しかし、サムソンは腕からその綱を、糸のように断ち切った。

 

デリラは、サムソンが嘘をついたことを知り、さらにサムソンに食い下がります。そこでサムソンは言いました。

「もし、仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」

「仕事に使ったことのない新しい綱」とは、汚れた物に使ったことのない新しい綱という意味です。ここにも、ナジル人である彼の特質を取り去れば、力がなくなるというヒントが隠されています。

そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛ますが、デリラが、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言うと、彼はその綱を、まるで糸のように立ち切ってしまいました。

 

すると、デリラはどうしたでしょうか。彼女は、以前にも増してサムソンに懇願します。13節と14節です。

「デリラは、またサムソンに言った。「今まで、あなたは私をだまして?をついてきました。どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。」サムソンは、「もしおまえが機の経糸と一緒に私の髪の毛七房を織り込み、機のおさで締めつけておくならば」と言った。彼女は機のおさで締めつけて言った。「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます。」すると、サムソンは眠りから覚めて、機のおさと機の経糸を引き抜いた。」

 

サムソンは、「機の縦糸と一緒に髪の毛七房を折込み、それを機のおさで締め付けておくならば」と言いました。そこでデリラがそのようにして再び「サムソン、ペリシテがあなたを襲ってきます。」と言うと、今度も彼はいとも簡単に、機のおさと機の縦糸を引き抜いてしまいました。それも嘘だったのです。しかし、サムソンは、徐々に危険の深みに足を踏み入れていることがわかります。その答えの中には、髪の毛に秘密が隠されていると述べているからです。このように、堕落というのは徐々に進行していきます。サムソンの失敗も、徐々に進行していきました。

 

機の経糸も嘘であるということがわかると、デリラは泣き落としにかかります。15節から17節をご覧ください。

「彼女はサムソンに言った。「あなたの心が私にはないのに、どうして『おまえを愛している』と言えるのでしょう。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのか教えてくださいませんでした。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのか教えてくださいませんでした。」こうして、毎日彼女が同じことばでしきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほど辛かった。ついにサムソンは、自分の心をすべて彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎にいるときから神に献げられたナジル人だからだ。もし私の髪の毛が剃り落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなって普通の人のようになるだろう。」」

これはサムソンにとってとてもきつい状況でした。自分の妻に泣かれることほど男にとって辛いことはないからです。奥さんの立場の方で、夫を何とか口説きたいと思うなら、このデリラのようにすると言いのです。彼がどれほど辛かったかは、16節のことばを見るとわかります。ここには、「こうして、毎日彼女が同じことばでしきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。」とあります。サムソンにとってはかなりのプレッシャーでした。

 

そこで彼はついに、自分の心をすべて彼女に明かしてしまいました。すなわち、彼がナジル人であって、もし髪の毛が剃り落とされたら、彼の力は去り、弱くなって普通の人のようになるということを伝えたのです。なぜなら、髪の毛を剃り落とすということは彼がナジル人ではなくなり、主からの力を受けられなくなるということを意味していたからです。それは彼の不従順が外面的に現れた瞬間でした。これまでも彼は不従順な歩みをしてきましたが、これによって主との関係が最終的に断絶することになってしまったのです。いったいどこに問題があったのでしょうか。すべてはデリラという女性を愛したことから始まりました。罪の誘惑の根を早いうちに立ち切らなかったことが、悲劇的な結果を招くことになってしまったのです。

 

自分の力の秘密を明かしたサムソンはどうなってしまったでしょうか。18節から22節までをご覧ください。

「デリラは、サムソンが自分の心をすべて明かしたことが分かったので、こう言って、人を遣わし、ペリシテ人の領主たちを呼び寄せた。「今度こそ上って来てください。サムソンは心をすべて私に明かしました。」ペリシテ人の領主たちは、彼女のところに上って来たとき、その手に銀を持って来た。彼女は膝の上でサムソンを眠らせ、人を呼んで彼の髪の毛七房を剃り落とさせた。彼女は彼を苦しめ始め、彼の力は彼を離れた。彼女が「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言ったとき、彼は眠りから覚めて、「今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう」と言った。彼は、主が自分から離れられたことを知らなかった。ペリシテ人は彼を捕らえ、その両目をえぐり出した。そして彼をガザに引き立てて行って、青銅の足かせを掛けてつないだ。こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていた。しかし、サムソンの髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。」

 

デリラは、サムソンの秘密のすべてをペリシテの領主たちに明かすと、彼らから約束の銀を受け取ります。そして、サムソンを膝の上で眠らせると、人を呼んで彼の髪の毛七房を切り落とさせました。眠りから覚めたサムソンは、これまでのようにペリシテ人たちを蹴散らそうとしましたが、すでに神の力は彼から離れ去っていました。それで彼はペリシテ人に捕らえられ、両目をえぐり出され、ガザに連れて行かれました。そこで彼は、青銅の足かせをつけて牢につながれました。そこで彼が行っていたことは、臼をひく仕事です。それは婦人のする仕事でした。あの怪力を持ったサムソンが青銅の足かせをかけられ、婦人の労働に服したのです。これは、サムソンにとって最大の屈辱でした。

 

このようなサムソンの悲劇はどのようにして引き起こされたのかというと、彼からその力が取り去られたことによります。私たちクリスチャンも神に反抗し、罪の道を歩み続けるなら、そして、その罪を悔い改めないなら、神の力、聖霊が取り去られることがあるということを覚えておかなければなりません。もし自分から聖霊が取り去られたことに気づいていないなら、それこそ最大の悲劇です。

 

Ⅲ.再び髪が伸び始めたサムソン(22-31)

 

しかし、それですべてが終わったわけではありません。そこに回復の道もあるということを知らなければなりません。最後に22節から31節までを見て終わります。

「しかし、サムソンの髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。さて、ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神ダゴンに盛大ないけにえを献げて楽しもうと集まり、そして言った。「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手に渡してくださった。」民はサムソンを見たとき、自分たちの神をほめたたえて言った。「われわれの神は、われわれの敵を、われわれの手に渡してくださった。この国を荒らして、われわれ大勢を殺した者を。」彼らは上機嫌になったとき、「サムソンを呼んで来い。見せ物にしよう」と言って、サムソンを牢から呼び出した。彼は彼らの前で笑いものになった。彼らがサムソンを柱の間に立たせたとき、サムソンは自分の手を固く握っている若者に言った。「私の手を放して、この神殿を支えている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」神殿は男や女でいっぱいであった。ペリシテ人の領主たちもみなそこにいた。屋上にも約三千人の男女がいて、見せ物にされたサムソンを見ていた。サムソンは主を呼び求めて言った。「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」

サムソンは、神殿を支えている二本の中柱を探り当て、一本に右手を、もう一本に左手を当てて、それで自らを支えた。サムソンは、「ペリシテ人と一緒に死のう」と言って、力を込めてそれを押し広げた。すると神殿は、その中にいた領主たちとすべての民の上に落ちた。こうして、サムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。彼の身内の者や父の家の者たちがみな下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び上げて葬った。サムソンは二十年間イスラエルをさばいた。」

 

22節のことばはおもしろいですね。サムソンの髪の毛は、剃り落とされましたがまた伸び始めました。これはどんなことを表しているのかというと、彼がナジル人としての立場を回復したということです。神に反逆して罪を犯したらそれですべてが終わってしまうというわけではありません。髪の毛は再び伸び始めるのです。神の力、神の聖霊を取り戻す唯一の道は、罪の悔い改めと、神への立ち返りです。それによって、私たちも再びナジル人としての立場を回復することができます。この神の恵み深さを思い出し、今自らの罪を悔い改めて神に立ち返りましょう。信仰によって神の赦しと力を受け取りましょう。

 

さて、ナジル人としての立場を回復したサムソンは、その後どのように歩んだでしょうか。23節からの箇所には、ペリシテ人たちが、サムソンを捕らえたことを自分たちの神ダゴンに感謝するために、宴会を開いた様子が記録されてあります。そこにはペリシテの領主と、多くの男女が集っていました。彼らはサムソンを見せ物にしようと牢から呼んできました。

するとサムソンは自分の手を握っている若者に、宮を支えている2本の中柱に寄りかからせてくれと頼みます。神殿は男や女でいっぱいでした。屋上にも3,000人の男女がいて、見せ物にされていたサムソンを見ていました。

その時です。サムソンは主を呼び求めて祈りました。「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」そして、二本の中柱を探り当て、力を込めて押し広げると、神殿が崩れ落ち、その中にいたペリシテの領主たちと民が死にました。それはサムソンがそれまでに殺した者よりも多い数でした。

 

サムソンの人生は波乱に満ちた人生でした。どんな強敵にも打ち勝つことができた彼が、最も弱い女性に負けました。また、ナジル人として聖別されていた彼が、触れてはならない獅子の死体の中から蜂蜜を取って食べたことで、神の祝福を失いました。しかし、どんなに欠点の多い器であっても、主はご自身のご計画のために彼を用いられました。へブル11章32には、「これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても語れば、時間が足りないでしょう。」とあります。信仰に生きた人たちの中に、彼の名前が刻まれているのです。彼の生き方を見る限り、彼が信仰の人ということにはとても抵抗があるかもしれませんが、そんな彼についてこのように記されているのです。それは、彼がどんなに神に背き、罪の中を歩んでも、髪の毛が再び伸びてきたからであり、言うならば、彼はナジル人として神に選ばれた者であったからです。

 

私たちもサムソンのように罪の中に陥ることもありますが、それでもその罪を悔い改めるなら、再びナジル人として回復することができます。それは私たちの力ではありません。神がそのように選んでおられたからです。神のナジル人として、私たちも生まれるずっと前から神によって選ばれたいたことを思い、いつも悔い改めて、神の道を歩ませていただきましょう。

ヨハネの福音書4章27~42節「目を上げて畑を見なさい」

ヨハネの福音書4章のサマリヤの女から学んでおりますが、きょうは、イエス・キリストを信じたサマリヤの女がどのように変わったのか、また、そのことによってどのような影響がもたらされていったのかを学びたいと思います。

 

Ⅰ.水がめを置いたサマリヤの女(27-30)

 

まず、27節から30節までをご覧ください。

「そのとき、弟子たちが戻って来て、イエスが女の人と話しておられるのを見て驚いた。だが、「何をお求めですか」「なぜ彼女と話しておられるのですか」と言う人はだれもいなかった。

彼女は、自分の水がめを置いたまま町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。」そこで、人々は町を出て、イエスのもとにやって来た。

 

「そのとき」とは、イエスがサマリヤの女と話していた時のことです。そのとき、食べ物を町まで買いに出かけていた弟子たちが戻って来て、イエスがサマリヤの女の人と話しているのを見て驚きました。新改訳聖書第三版には、「不思議に思った」とあります。なぜ不思議に思ったのでしょうか?それは当時の習慣からすれば、あり得ないことだったからです。当時は、ユダヤ人がサマリヤ人に、しかも女の人に話をするなんて考えられないことでした。しかし、「何を求めておられるのですか」とか、「なぜ彼女と話しておられるのですか」と言う人はだれもいませんでした。言えるような雰囲気ではなかったのでしょう。弟子たちには、しばしばイエス様の言動が理解できないことがあったので、あまり気にしなかったのだと思います。

 

そうこうしているうちに、彼女は、自分の水がめを置いたまま町へ行ってしまいました。彼女は水を汲みに井戸までやって来たんじゃないですか。それなのに、水も汲まないで、その水がめを置いたまま町へ行ってしまったのです。いったいなぜ彼女は水がめを置いたまま町へ行ってしまったのでしょうか。

 

それは、彼女の放った次の言葉からわかります。29節をご覧ください。「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。」

彼女が町へ行ったのは、自分を全く変えてくださったキリストを、ほかの人たちに伝えるためでした。

 

このことから、彼女が全く新しく造り変えられたことがわかります。もはや以前のように人々を恐れ、人々を避け、人々が水を汲みにやって来ないような時間を見計らって、水を汲みに来るような人ではありませんでした。自分から積極的に町へ行き、「皆さん、来てください。この方がキリストなのでしょうか。いや、きっとそうです。たぶんそうでしょう。だって私のことを、すべて言い当てることができたんですもの。」と言えるようになったのです。コリント第二5章17節に、「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」とあります。彼女は新しく造られました。この水がめは、彼女が負っていた人生の重荷を象徴しています。彼女はその人生の重荷をキリストの下に下ろすことができたのです。それで彼女はうれしくて、うれしくて、黙ってなどいられませんでした。それで、積極的に自分の方からこの救い主を人々に伝えたいと思うようになったのです。

 

ここで大切なことは、彼女がしぶしぶ町に出て行ったのではないということです。そうせずにはいられなかったのです。これこそ、神の救いの恵みの御業にほかなりません。救いの恵みがその人の中に入ると、それまで持っていた考え方や価値観といったものが少しずつ変えられて行きます。それまでは、すべて自分が中心でした。自分の思いや考えに従って生きていましたが、キリストを信じて新しく生まれ変わると、今度は神中心に生きるようになるのです。神のために少しでもお役に立ちたいと思うようになります。少なくとも、聖書の原則からすればそうなるはずです。そうでないとしたら、どこかおかしいと言えます。

 

最近、聖書入門講座で学ばれたYさんが古本屋を始めたので、先週お祝いを兼ねて出かけて行きましたら、そこに尾山令仁先生が書かれた「教会の歴史」という本がおいてありましたので、「えっ、こういう本も置いておられるんですか。じゃ、これを買います。」と言って買いました。別に、ぜひ読んでみたいと思って買ったわけでなく、ちょっとでもYさんの励ましになればと思って買っただけですが、帰宅してパラパラとめくってみたら最後のところに「日本の教会の歴史」について書いてあったので読んでみましたが、まさに目から鱗でした。

 

尾山先生は、特に明治以降の日本のキリスト教の歴史を振り返りながら、日本では社会の情勢によって教会がころころ変わってきたと指摘しています。たとえば、明治時代の初期の頃、日本が欧化主義には傾いていたころは、近代化の過程にあった日本は、キリスト教に対して、一種の尊敬の念を持っていたので、比較的順調に進展していきましたが、その反動というべき欧化主義とキリスト教の流行をうれえた神道、仏教、儒教の三つの宗教が一致して国家主義を唱えるようになると、欧化主義の衰退とともにキリスト教への圧迫となって動き出し、キリスト教会は衰退の一途をたどるようになりました。その繰り返しだというのです。つまり、キリストがこの世のあらゆるものに優先するというキリスト告白よりも、自国が優先する自国主義が、日本の教会においても、その根本的特徴としてあげられるというのです。簡単に言えば、イエス様を信じても、イエス様よりも自分が中心となっているということです。「それはその時代の日本の教会の特徴であるというよりも、いつの時代の、どの国においても言えることであり、克服しなければならない弱さであると言えますが、それにしても、明治以来、形作られてきた日本の教会の特徴がここにあると言っていいでしょう。」と言っています。

 

これはものすごい指摘だと思いました。日本の教会がなぜ成長しないのか、その根本的な原因がここにある、教会自身の体質の中にあるということを忘れてはならないし、その中で新しい体質の教会が出現することが待望されているわけですが、どうしたら新しい体質の教会が出現するのか、尾山先生はそこまで触れることはありませんでしたが、改めて、その霊的洞察に感心させられました。

 

そして、その尾山先生が触れなかった点、すなわち、どうしたら新しい教会が出現するのかということですが、その答えがここにあるのだろうと思います。つまり、神の恵みによって全く新しい者に造り変えていただくということです。キリストの福音によって新しく造り変えられ、その福音によって神の恵みに触れ続けていくなら、神は私たちをもこのサマリヤの女のように変えてくださるのではないでしょうか。それは私たちの努力や鍛錬によってではできませんが、神にはそれがおできになります。神にはどんなことでもできるからです。神は私たちを新しく造り変え、その心にご聖霊の恵みで満たして下さる時、私たちも黙ってなどいられないような神の御思いに満ち溢れるようになるのです。

 

それは、あの取税人ザアカイを見てもわかります。彼はイエス様と出会い、自分の財産の半分を貧しい人たちに施し、だれかから騙し取った物があれば、それを四倍にして返しますと言いました。だれかにそう言われたからではありません。イエス様に出会い、その救いの恵みに与った結果、そのようにしたいと思うようになったのです。

 

また、パウロもそうでした。パウロは、それまで異端であると確信し迫害していたキリスト教の信仰を宣べ伝えるために、自分の有望な将来をことごとく捨ててしまいました。彼は、その理由を次のように言っています。

「しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。」(ピリピ3:7-8)

パウロは、この救いの恵みに圧倒されて、これまで得であると思っていたものが、損と思うようになりました。それは、キリスト・イエスのすばらしさを知ったからです。それゆえ、彼は、その他の相対的な価値しかないものを、「ちりあくた」と思ったのです。これは、そのように心の中ではっきりと整理することができた人の言葉です。あれも、これもではなく、この一事に励むことができました。それはこの救いの恵みがどれほどすばらしいものであるかを知ったからです。サマリヤの女も同じです。彼女も、そうしなければならなかったのではなく、そうせずにはいられなかったのです。

 

そしてそれは今日も同じです。キリストの救いの恵みを本当に知っていれば、その人の生き方は自ずと変えられて行きます。イエス・キリストの救いのすばらしさを知ったら、この救いの恵みに圧倒されて、神にすべてをゆだね、キリストをすべてに優先して生きるようになるのです。

 

あなたはどうですか?あなたにとって、霊的なことは、他のどんなものよりも重要な価値があると考えていますか?永遠のいのちを持つことは、この地上の過ぎ行くいかなるものよりも重要であると考えておられますか。もしそうであるなら、あなたの行動はおのずと決まってくると思います。

 

どうぞ、イエス様の足もとに、あなたの水がめを下ろしてください。そして、このイエス・キリストが与える水を飲んでください。この水はいつまでも渇くことなく、あなたの内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ますから。そうすれば、あなたも驚くべき変貌を体験することでしょう。

 

Ⅱ.わたしの食べ物(31-34)

 

次に、31節から34節までをご覧ください。

「その間、弟子たちはイエスに「先生、食事をしてください」と勧めていた。ところが、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたが知らない食べ物があります。」

そこで、弟子たちは互いに言った。「だれかが食べる物を持って来たのだろうか。」 イエスは彼らに言われた。「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。」

 

イエス様がサマリヤの女と話しているところに、町まで食べ物を買いに行っていた弟子たちが戻って来ると、サマリヤの女は、イエス様を証しするために町へ行ってしまいました。そこで、弟子たちは自分たちが買って来た食べ物をイエス様に差し出し、食事をしてくださいと勧めると、イエス様は意外なことをおっしゃられました。32節をご覧ください。「わたしには、あなたがたが知らない食べ物があります。」

どういうことでしょうか?弟子たちは、自分たちが町まで買いに行っている間、だれかが食べ物を持って来たのだろうか、と思いました。しかし、これはそういうことではありません。これは34節にあるように、霊の食べ物のことを指していたのです。そのことを、イエス様は次のように言っておられます。

「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。」

 

イエスの食べ物とは、イエスを遣わされた方、つまり父なる神のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。そもそも食べ物というのは、ごはんやパンのように、あるいはお肉や野菜のように、それを食べなければ生きていけないという意味で、その人を生かす命の源であります。しかし、イエス様が言われた食物とは、そうしたな物資的な物ではなく霊の糧のことでした。霊的に満足を与えてくれる食べ物のことだったのです。その食べ物とは何でしょうか。それは神のみこころを行い、神のみわざを成し遂げることです。

 

皆さん、神のみこころとは何ですか?神のみこころは、一人も滅びることなく、真理を知るようになることです。テモテ第一2章4節にそのようにあります。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」神様は、すべての人が、自分の問題に気づき、解決を見いだし、罪赦され、癒され、最善の人生を歩むようになることを望んでおられます。そのみこころを実現するために、神が人となって来てくださいました。それがイエス・キリストです。

 

イエス様はまた、「そのわざを成し遂げることです」とも言われました。イエス様が成し遂げようとしておられる「神のみわざ」とは何でしょうか。それは、私たちの罪をあがなうための十字架の死を意味しています。つまり、十字架において私たちの罪の問題を解決し、神の救いをもたらしてくださることが「神のみわざ」であるというのです。その救いのみわざを成し遂げることが、イエス様の食べ物であり、イエス様の喜び、力であると言われたのです。人のために十字架でいのちを捨てるほどの愛を最後の最後まで注ぎ出し、人の救いの道を整えていく働きが、イエス様の糧であったのです。ですから、イエス様にとっては、サマリヤの女を救いに導くことが神のみこころであり、霊的な満足を得ることでした。

 

あなたの食べ物は何ですか。あなたの霊の糧とは何でしょうか。魂の充足のために、どんな食べ物をいただいているのでしょう。私たちは、よく主の祈りで「日ごとの糧を今日も与えたまえ」と祈りますが、それは、いったいどんな糧なのでしょうか。

ヨハネ6章27節には「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。」とあります。なくなる食物ではなく、なくならない食物、永遠のいのちに至る食べ物のために働くこと、それが私たちの食べ物です。

 

私たちはしばしば問題にぶつかる時、その困難に押しつぶされそうになることがありますが、それは、このことを忘れているからです。すなわち、何のために生き、何のために存在しているのか、何のために働いているのかという根本的なことです。ですから、目先に問題が起こると、それに振り回されてしまうのです。しかし、もし私たちの人生の根本的なこと、すなわち、私たちが生きているのは神のみこころを行うためであるということがわかると、そうした問題に振り回されることから解放され、イエス様と同じような霊的喜びを味わうことができます。それは何にも代えがたい霊的喜びであり、私たちを生かす力となるのです。

 

Ⅲ.目を上げて畑を見なさい(35-42)

 

では、どのようにしてなくならない食べ物のために働けば良いのでしょうか。最後に、35節から42節までを見て終わりたいと思います。35節から38節までをご覧ください。

「あなたがたは、『まだ四か月あって、それから刈り入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに至る実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。

ですから、『一人が種を蒔き、ほかの者が刈り入れる』ということばはまことです。 わたしはあなたがたを、自分たちが労苦したのでないものを刈り入れるために遣わしました。ほかの者たちが労苦し、あなたがたがその労苦の実にあずかっているのです。」

 

ここには救霊のわざについてとても重要なことが記されてあります。つまり、救霊のわざについてどのように考えるべきであるかが教えられているのです。弟子たちは、刈り入れ時まで、まだ四カ月もあると思っていましたが、霊の刈り入れはそれとは違います。物質的な世界では、種を蒔いてから収穫するまでに、一定の時間がかかりますが、霊的な世界ではそうではありません。霊的な世界では、種まきと刈り入れとが同時に起こることがあるのです。このサマリヤの人たちはそうでした。彼らはサマリヤの女を通してイエスの話を聞くと、あっという間に多くの人々がイエス様を信じるようになりました。39節には、「さて、その町の多くサマリヤ人が、『あの方は、私がしたことをすべて私に話した』と証言した女のことばによって、イエスを信じた。」とあります。それで、サマリヤ人たちはイエスのところに来て、自分たちのところに滞在してほしいと願いました。そこでイエスは、二日間そこに滞在されると、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じるようになりました。まさにリバイバルです。サマリヤの町々に起こったリバイバルは、このようにもたらされました。種まきと刈り入れとが、同時に起こったのです。

 

どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。それは、36節にあるように、「蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。」どういうことですか?それは、37節と38節で、イエス様が説明しておられるように、魂の刈り取りにおいては、ひとりの人が種まきから刈り取りまでをするとは限らないということです。私たちが伝道して、だれかが決心をした場合、その多くは、すでにほかの人によって御言葉の種が蒔かれていて、心の準備ができていたということがよくあります。先月バプテスマに導かれたM兄は、幼い頃からクリスチャンの両親に導かれて教会に行っていました。しかし、中学、高校と学校の部活で忙しく教会から足が遠のいていましたが、大学で大田原に来たことがきっかけで信仰の決心へと導かれました。もうそのような心の準備ができていたのです。

ですから、多くの人々を救いに導いたからと言って、決して自慢などできるものではありませんし、すべきでもありません。それはただ神が憐みによって、私たちが失望しないようにと、既に準備されていた人を送ってくださり、巡り合わせてくださったにすぎないからです。

 

この出来事からずっと後に、初代教会において、ステパノの殉教の死を契機として、クリスチャンたちが迫害され、地方へ散らされるということが起こります。使徒の働き8章にある出来事です。その時、散らされた人たちは、みことばを伝えながら巡り歩きました。その中にピリポという伝道者がいて、彼はサマリヤの町に下って行きましたが、そこで人々にキリストを宣べ伝えると、多くの人々がイエス様を信じました。まさかサマリヤでこんなに多くの人々が信じるとは、だれが想像することができたでしょう。そこで、この知らせを聞いたエルサレムの教会は、急きょペテロとヨハネを遣わしますが、彼らはサマリヤへ行って、実際に自分の目でそれを確かめました。ヨハネとは、この福音書を書いたヨハネのことですが、彼は、昔、イエス様がここへ来て、サマリヤの女に御言葉を語られたことと、その時に自分たちに語られたこの御言葉を思い出したに違いありません。

 

ですから、一人が種を蒔き、ほかの者が刈り入れるということばはまことなのです。ある人は種を蒔くように召されていますが、別の人は刈り取りをするように召されています。でも、魂が刈り取られるとき、種を蒔く人と刈り取りをする人はともに喜びます。なぜなら、神の国においては両者ともに神からの報酬を受けるからです。

 

パウロは、このことを、コリント第一3章6~9節で、このように言っています。

「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植える者と水を注ぐ者は一つとなって働き、それぞれ自分の労苦に応じて自分の報酬を受けるのです。私たちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。」

 

大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。この神に期待して、私たちは種を蒔き続けていかなければならないし、刈り取りもしていかなければなりません。神がどのように用いられるかは、問題ではありません。どのように用いられても、神の国の働きに参加させていただけることを喜ぼうではありませんか。ですから、イエス様は、「目を上げて畑を見なさい。」と言われたのです。「色づいて、刈り入れるばかりになっています。」と。

 

あなたはどのような目で霊の畑を見ていらっしゃいますか。畑はもう色づいています。刈り入れを待つばかりとなっています。周りを見ると、まったく色づいていないように見えるかもしれません。特に、日本ではクリスチャンが少ないですから、余計にそう感じるかもしれません。しかし、イエス様は、「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」と言われます。この確信を持って歩んでいきましょう。パウロが言うとおり、「確かに、今は恵みの時、今は救いの日」(Ⅱコリント6:2)なのですから。

ヨハネの福音書4章19~26節「御霊と真理によって礼拝する」

新年おめでとうございます。この新しい年も、共に主を礼拝できることを心より感謝します。

 

今日は、新年最初の主の日の礼拝となりますが、ヨハネの福音書から続いて学んでいきたと思います。前回は4章前半のイエス様とサマリヤの女の会話から、どうしたら「生ける水」を得ることができるのかという救いと悔い改めをテーマに学びましたが、今日はその続きです。今日は、「御霊と真理によって礼拝する」というテーマでお話ししたいと思います。

 

Ⅰ.御霊と真理による礼拝(19-24)

 

まず、19節から24節までをご覧ください。19節と20節をお読みします。

「彼女は言った。『主よ。あなたは預言者だとお見受けします。私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。』」

 

「彼女」とはサマリヤの女のことです。サマリヤの女とイエス様との会話は、一般的な水の話題から、彼女自身の霊的問題へと進み、そんな彼女に対してイエスは、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言われました。つまり、彼女に自分の罪を自覚させ、悔い改めへと導こうとされたのです。

 

すると彼女は、何と言ったでしょうか。19節には、「彼女は言った。『主よ。あなたは預言者だとお見受けします。』」とあります。どういうことでしょうか。彼女は自分の内面が暴露されてしまったとき、自分の前に立っている人が、ただの人ではないことに気づいたということです。預言者だと思いました。

 

この「預言者だとお見受けします」ということばですが、これは彼女がイエス様をメシヤだと認めていたということを示しています。というのは、サマリヤ人はモーセを預言者と認めていましたが、それ以降の預言者は認めていなかったからです。モーセの次に登場する預言者は、メシヤご自身でした。ですから、彼女がここでイエス様に対して「あなたは預言者だと思います」と言ったのは、彼女がイエス様をメシヤ、救い主と認めていたからなのです。

 

ここで、今まで眠っていた彼女の信仰心が呼び覚まされました。彼女は生まれて初めて信仰を自分の問題として考えるようになりました。それまでは自分がどこから来てどこへ行くのか、何のために生きているのかもわからず、ただ彷徨っていましたが、ここに来て初めて自分の心の目を天に向けるようになったのです。

 

すると彼女は何と言ったでしょうか。20節をご覧ください。「私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」

ここで彼女は礼拝のことを話題にしています。どうしてかというと、彼女が信仰について考えた時、ある一つの疑問が生じてきたからです。それは、礼拝すべき場所はどこかということです。サマリヤ人はこの山で礼拝しましたが、ユダヤ人は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言っていたからです。「この山」とはゲリジム山のことです。サマリヤ人は、ゲリジム山こそ聖なる山だと主張していました。そしてそれを裏付けるために、彼らが正典と認めていたモーセ五書を書き換えていました。例えば、アブラハムがイサクをささげたのは、モリヤの山(エルサレム)ではなく、ゲリジム山になっています。それは、ユダヤ人に対抗するためにそのように書き換えたものでした。サマリヤに住んでいる人であれば、サマリヤ人の言うことに従うのでしょうが、彼女の心は開かれたので、このことを尋ねてみたいと思ったのです。

 

それに対してイエスは何と言われたでしょうか。21節とから24節までをご覧ください。

「イエスは彼女に言われた。『女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。』」

 

どこで礼拝すべきなのかという彼女の疑問に対して、イエス様はどこで礼拝するのかということではなく、どのように礼拝するのかが重要だと言われました。このどのように礼拝するのかというのは、どのような仕方で礼拝したら良いのかということだけでなく、どうしたらそのような礼拝をすることができるのかということも含まれていました。いったいどのように礼拝したら良いのでしょうか。

 

23節、24節をもう一度ご覧ください。そのことについて、主イエスは続けてこのように言われました。「しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」

 

ここには、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません、とあります。御霊と真理によって礼拝するとは、どういうことでしょうか。私たちは昨年まで新改訳聖書第三版を使用していましたが、第三版ではここを「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」とあります。実は、このように訳している聖書の方が圧倒的に多いのです。2017版のように「御霊と真理によって」と訳しているのは他にToday’s English Versionという英語の訳くらいで、他のほとんどの訳は「霊とまことによって」と訳しています。「霊とまことによって」と訳すると、心から礼拝するという意味になりますが、「御霊と真理によって」となると、神の御霊、聖霊によって礼拝するということになるので、ニュアンスが若干変わってきます。原語のギリシャ語では「プニューマテイ カイ アレーセイア」となっていますので、「霊とまことによって」となっています。2017版でこのように訳したのは、おそらく「神は霊ですから」に合わせて訳したためと思われます。しかし、このように訳しても特に問題はありません。事実、ピリピ3章3節には、「神の御霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇り、肉に頼らない私たちこそ、割礼の者なのです。」とあります。ここには肉によって礼拝することに対して「神の御霊によって礼拝する」とあります。ですから、「霊とまことによって礼拝する」とは、「神の御霊と真理によって礼拝する」ということと同じことなのです。

 

では、御霊と真理によって礼拝するとはどういうことなのでしょうか。これは、「肉」とか、「物質」、「偽り」に対するものとしての「御霊」、「真理」のことを指しています。具体的にはエルサレムの神殿における礼拝に対する霊とまことの礼拝のことです。どういうことかというと、ユダヤ人たちは、エルサレムにある荘厳な神殿で、律法に従って、動物などのいけにえをささげていれば礼拝していると思っていましたが、それは単なる形だけの礼拝、見せかけだけの礼拝であって、真の礼拝とはそのようなものではないということです。なぜなら、ここに「神は霊ですから」とあるように、神は単なる形だけの、見せかけだけの礼拝を求めておられるのではないからです。神は霊ですから、神の御霊による、霊と真心からの礼拝を求めておられるのです。ですから、この神を礼拝するためには、神の御霊を受けなければなりません。そうでなければ本当の礼拝をささげることはできないのです。

 

しかし、人間はこの神の御霊を失ってしまいました。もともと人間は神のかたちに造られたのに、これを失ってしまったのです。神のかたちとは何でしょうか。神のかたちとは神は霊のことです。人間はもともと神の霊を持つ者として造られたにもかかわらず、最初の人間が罪を犯してしまったことで神様との交わりが断たれてしまいました。それを霊的死と言います。霊的に死んでしまった人間は、神様も、神様の恵みも分からなくなってしまいました。このような人間がどうやって神を礼拝することができるでしょうか。できません。神は霊ですから、その霊によって礼拝しなければならないのに、その霊が死んでしまったわけですから。

 

ですから、神様を心から礼拝するためには、この神の霊を持たなければなりません。どうしたら持つことができるのでしょうか。イエス様はニコデモにこのように言われました。

「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)そうです、人は新しく生まれなければ、神の国を見ることができません。そのためには、自分の罪を悔い改め、イエス様を救い主として信じ受け入れなければならないのです。それが神の示してくださった唯一の方法でした。聖書ではこれを救いと言っています。神は私たちが救われるために、そのひとり子を天から送ってくださいました。それがイエス・キリストです。

 

「だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。」(同3:13-14)

 

ですから、私たちが救われるためには、十字架に付けられたイエス・キリストを信じなければなりません。信じる者は救われます。イエス様を信じる者は罪が赦され、神の御霊を受けることができます。そして、この神の御霊によって新しく生まれた人は、霊とまことによる礼拝することが出来るようになるのです。

 

自分の努力や熱心さだけでは、このような礼拝をささげることはできません。私たちが神を礼拝するためには、どうしても神の霊である御霊の助けが必要なのです。御霊の力によってこそ心からの礼拝をささげることができるのです。

 

Ⅱ.あなたと話しているこのわたしがそれです(25-26)

 

ではどうしたら、その神の御霊を受けることができるのでしょうか。25節をご覧ください。イエス様のことばに対して彼女はこう言いました。

「女はイエスに言った。『私は、キリストと呼ばれるメシヤが来られることを知っています。その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせてくださるでしょう。』」

 

イエス様がサマリヤの女に対して霊とまことによって礼拝することについてお話しすると、彼女はまだ納得がいかないのか、「私は、キリストと呼ばれるメシヤが来られることを知っています。その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせてくださるでしょう。」と言いました。これは、彼女がその御霊によって礼拝するためには、神のメシヤが必要性であることを認めていたということです。

 

それに対してイエス様は何と言われたでしょうか。26節です。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」と言われました。これはものすごいことばです。なぜなら、イエス様がご自分のことをメシヤと宣言されたからです。これは驚きです。メシヤというのは、神ご自身を意味することばでした。ですから、これはイエス様がここで、ご自身を神と宣言されたということなのです。これまで歴史上に多くの偉人と呼ばれる人が出てきましたが、このように自分のことを神と宣言された人は誰もいません。釈迦も、孔子も、だれもこのように宣言した人はいないのです。こんなふうに言える人なんて一人もいないからです。もしこのように言う人がいるとしたら、それはその人が本当にメシヤであるか、それとも、全くのペテン師であるかのどちらかでしょう。しかし聖書が人類に与え続けてきた影響を考えるなら、イエス様がペテン師であることは考えにくいことであり、むしろ、イエス様が言われたこのことばはまことに真実であると言えます。そして、イエス様がこの真実なことばを罪の中にあったこのサマリヤの女に啓示されたというのは、まことに恵み以外の何ものでもありません。

 

この女のイエス様に対する理解がどのように変化してか見るのはおもしろいです。9節では、「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」と言いました。それが11節では「主よ」に変わっています。第三版訳では「先生」です。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。」そして

19節では「預言者」になっています。それが25節になると、「キリスト」と呼んでいます。「私は、キリストと呼ばれるメシヤが来られることを知っています。」と言っています。

イエス様は、彼女が霊的なことを理解できるように少しずつ導いておられたのです。同じように主は、私たちの心の目も開いてくださり、イエス様のことがわかるように少しずつ導いておられます。

 

そんな彼女にイエスは、「あなたと話しているこのわたしがそれです。」と言われました。彼女は、主が目の前におられたのに、それが主であることを彼女はわかりませんでした。

私たちも毎週日曜日に教会に来て礼拝をささげていながらも、ここに主がおられることがわからないということがあります。私たちが御霊と真理によって礼拝をささげるために、まず私たちの霊の目を開いていただく必要があるのではないでしょうか。

 

Ⅲ.今がその時(23)

 

最後に、この御霊と真理によって礼拝をささげる時について考えたいと思います。23節をもう一度ご覧ください。イエス様はこのサマリヤの女に、「この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。」と言われると、「しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時がきます。」と言われました。その「時」はいつでしょうか。今です。「今」がその時です。「今でしょ。」この「今」とはいつのことを指して言われたのでしょうか。

 

それは、イエス・キリストが来られた今のことです。それまでは、こうした礼拝をささげることはできませんでした。それまでは旧約聖書の中で、定められているとおりに礼拝しなければならなかった。それ以外の礼拝は決して神に受け入れられなかったのです。礼拝する場所は、エルサレムであると定められていました。礼拝の仕方も事細かく律法に定められていました。しかし、イエス・キリストが来られた今、そのような礼拝の仕方とは違う「霊とまことによって」礼拝をささげることができるようになりました。いや、あの旧約聖書が定めていた礼拝の規定は、すべてイエス・キリストを指示していたのです。たとえば、出エジプト記に出てくる幕屋の構造の一つ一つは、イエス様のことを指し示していたことがわかります。すなわち、あの旧約聖書の律法にある礼拝の規定は、本体であるキリストを指し示している影のようなものだったのです。動物の犠牲は、キリストの十字架の贖いを示していました。しかし、キリストが来られ、キリストの教会が生まれると、もはやそのように影の礼拝ではなく、本体の礼拝をささげることができるようになりました。その本体がキリストです。ですから、キリストが来られた今は、そうしたさまざまな規定によって礼拝をささげるのではなく、キリストによって、真の礼拝がささげられるようになったのです。今がその時です。このサマリヤの女に現われてくださった主イエス様は、今も生きておられ、私たちが御霊と真理によって礼拝をささげることを求めておられるのです。

 

先々週はクリスマス礼拝でしたが、クリスマスとはキリストのミサ、キリスト礼拝のことです。あの東方の博士たちは、どのようにキリストを礼拝したでしょうか。マタイの福音書2章11節には、「それから家に入り、母マリヤとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。」とあります。彼らはイエス様の前にひれ伏して礼拝しました。皆さんはどうでしょうか。ひれ伏して礼拝しているでしょうか。礼拝とは原語のギリシャ語では「プロスクネオ」と言いますが、意味は「頭を低く下げ、または跪いてほめたたえる」ということです。ひれ伏して礼拝をささげることです。ですから、東方の博士たちはまことの礼拝をささげました。彼らは霊とまことによって礼拝したのです。

 

また、黙示録4章10~11節には、「二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。 「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」とあります。ここにも、24人の長老が「御前にひれ伏して」拝んだとありますね。「御座に着いておられる方」とは、イエス・キリストのことです。彼らはイエス・キリストの御前にひれ伏して礼拝し、「主よ。私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」と言いました。これが賛美です。

 

神を礼拝する時、御前にひれ伏して、ただ神だけを高めなければなりません。しかし今日、どれだけの人がこのような礼拝をささげているでしょうか。この真の礼拝とはかけ離れた状態になってはいないでしょうか。礼拝において、一番大切なのが神様ではなく自分自身で、自分が恵まれ満たされることや、自分の願いが叶えられることだけを求めるようになってはいないでしょうか。神様が高められることよりも、自分が高められることを求めています。

 

しかし、真の礼拝とは「プロスクネオ」、ただ神の御前にひれ伏すことです。私たちはそれができます。なぜなら、イエス・キリストが来てくださったからです。イエス・キリストが来られ、十字架で救いの御業を成してくださることによって、信じる者に永遠のいのち、神の御霊を与えられました。その御霊によって、私たちは真の礼拝をささげることができるのです。今がその時です。

 

私たちは今年、この御霊と真理によって神を礼拝しましょう。神はこのような礼拝者を求めておられます。そして、神はこのような礼拝者の祈りを必ず聞いてくださるのです。

士師記15章

士師記15章からを学びます。まず1節から8節までをご覧ください。

 

Ⅰ.サムソンの怒り(1-8)

 

「しばらくたって、小麦の刈り入れの時に、サムソンは子やぎを一匹持って自分の妻を訪ね、「私の妻の部屋に入りたい」と言ったが、彼女の父は入らせなかった。

彼女の父は言った。「私は、あなたがあの娘を嫌ったのだと思って、あなたの客の一人に与えた。妹のほうがきれいではないか。あれの代わりに妹をあなたのものにしてくれ。」

サムソンは彼らに言った。「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私は潔白だ。」

それからサムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえた。そして、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、二本の尾の間にそれぞれ一本のたいまつをくくり付けた。

彼はそのたいまつに火をつけ、それらのジャッカルをペリシテ人の麦畑の中に放し、束ねて積んである麦から、立ち穂、オリーブ畑に至るまで燃やした。

ペリシテ人たちは言った。「だれがこんなことをしたのか。」すると彼らは「あのティムナ人の婿サムソンだ。あの人が彼の妻を取り上げて、客の一人にやったからだ」と言った。ペリシテ人は上って来て、彼女とその父を火で焼いた。

サムソンは彼らに言った。「おまえたちがこういうことをするなら、私は必ずおまえたちに復讐する。その後で、私は手を引こう。」

サムソンは彼らの足腰を打って、大きな打撃を与えた。それから、彼は下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。」

 

「しばらくたって」とは、14章の出来事からしばくたってということです。サムソンは、ペリシテの娘

が気に入りティムナに下って行って彼女と結婚しましたがその祝宴でした謎かけに失敗し、怒りに燃えて自分の父の家に帰って行きました。その間サムソンの妻はどうなったかというと、彼につき添った客の一人のものとなってしまいました。それからしばらくたってのことです。

 

小麦の刈り入れの時に、サムソンは子やぎ一匹を持って自分の妻の家を訪ね、「私の妻の部屋に入りたい」と言いました。これには「通い婚」という制度が背景にあります。アラブ人の間では、今日でもこの通い婚を実行している人たちがいるそうです。この通い婚では、通って来る夫はみやげ物を持ってくるのが習わしとなっています。サムソンがここで子やぎ一匹を持ってきたというのも、そのためでした。

 

しかし、彼女の父はサムソンを家の中へ入らせませんでした。なぜなら、サムソンが自分の父の家に帰ったとき、娘を別の男に与えてしまったからです。それで、彼女の父は、代わりに妹を妻にしてくれないかと頼みましたが、サムソンは激怒して、「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私は潔白だ。」と言いました。

 

それで彼はどうしたかというと、ジャッカル三百匹を捕らえ、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、その間にたいまつをくくり付け、麦畑の中に放ちました。それで、積んである麦から、立ち穂、オリーブ畑に至るまで、すべて燃え尽きてしまいました。これは、ペリシテ人にとって大打撃となりました。

 

それでペリシテ人たちは怒り、だれがこんなことをしたのかと言うと、ティムナ人の婿であるサムソンだということがわかりましたが、その矛先をサムソンではなく、サムソンの妻と父に向け、彼らを火で焼いてしまったのです。

 

するとサムソンは、「おまえたちがこういうことをするなら、私は必ずおまえたちに復讐する。その後で、私は手を引こう。」と言って、今度は、妻とその父を焼き殺した人々を殺しました。何とも悲しい結末です。いったい何がこのような結果を招いてしまったのでしょうか。

 

サムソンの妻の父は、サムソンを裏切ることで災難を免れようとしましたが、結果的にはサムソンを裏切ったために、その災難を受けることになってしまいました。また、ペリシテの人たちも、それがサムソンの妻とその夫のためだとわかると、彼らを火で焼いて殺してしまったことで、彼らもまた災難を受けることになってしまいました。しかし、これらの出来事は、もとはと言えば神に選ばれたナジル人のサムソンが、その神の命令に背いたことに原因があったのです。彼は神の命令に背いて異邦人と結婚したかと思えば、ナジル人であることを自覚していたのにぶどうの実を食べたり、汚れたものに近づいたりしました。もとはといえば、すべてサムソンが招いた悲劇だったのです。

 

人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになるということです(ガラテヤ6:7)。箴言22章8節、9節には、次のようにあります。

「不正を蒔く者はわざわいを刈り取る。こうして彼への激しい怒りのむちは終わる。善意の人は祝福を受ける。自分のパンを貧しい者に与えるからだ。」

不正の種を蒔く者はわざわいを刈り取ります。反対に、善意の人は祝福を受けます。人は種を蒔けば、その刈り取りをするようになるのです。良い種を蒔けば、良い実を刈り取り、悪い種を蒔けば、悪い実を刈り取るようになります。

サムソンも、サムソンの妻とその父も、そしてペリシテ人たちも、みな悪い種を蒔きました。その結果、悪い実を結んだのです。あなたは、どのような種を蒔いているでしょうか。不正の種を蒔く者ではなく、善意の種を蒔きましょう。神のみことばに従って、正しい道を歩ませていただこうではありませんか。

 

Ⅱ.ろばのあご骨で三千人を打ち殺したサムソン(9-18)

 

次に、9節から18節までをご覧ください。まず13節までをお読みします。

「ペリシテ人が上って来て、ユダに向かって陣を敷き、レヒを侵略したとき、ユダの人々は言った。「なぜおまえたちは、私たちを攻めに上って来たのか。」彼らは言った。「われわれはサムソンを縛って、彼がわれわれにしたように、彼にもしてやるために上って来たのだ。」

そこで、ユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った。「おまえは、ペリシテ人がわれわれの支配者であることを知らないのか。おまえはどうしてこんなことをしてくれたのか。」サムソンは言った。「彼らが私にしたとおり、私は彼らにしたのだ。」

彼らはサムソンに言った。「われわれはおまえを縛って、ペリシテ人の手に渡すために下って来たのだ。」サムソンは言った。「あなたがたは私に討ちかからないと誓いなさい。」

彼らは答えた。「決してしない。ただおまえをしっかり縛って、彼らの手に渡すだけだ。われわれは決しておまえを殺さない。」こうして、彼らは二本の新しい綱で彼を縛り、その岩から彼を引き上げた。」

 

人は種を蒔けば、その刈り取りをするようになるというみことばの原則が、今度はサムソンに適用されます。サムソンがペリシテ人たちに大きな打撃を与えると、ペリシテ人たちが上って来て、ユダに向かって陣を敷きました。レヒはユダ族の領地にあった町です。

 

レヒの人々は、ペリシテ人たちが上って来た理由がサムソンにあることを知り、エタムの岩の裂け目にいたサムソンのところに下って行きますが、ここには三千人でやって来たとあります。なぜこれほど大勢の人たちでやって来たのでしょうか。サムソンは何も持たずに獅子を引き裂いた人です。これだけの人がいれば、どんなに力のあるサムソンでも捕らえることができると思ったのでしょう。

しかし、それだけいればペリシテ人と戦うこともできたはずです。あのギデオンは、主の勇士300人でミデヤン人と戦って勝利しました。それなのに彼らは、それほどの人がいてもペリシテ人と戦おうとしまなかったのです。なぜでしょうか。11節で彼らは、「ペリシテ人がわれわれの支配者であることを知らないのか」(11)と言っていますが、ペリシテ人を倒せると思っていなかったからです。つまり、彼らは主が彼らを救ってくださるということを信じていなかったということです。そのような信仰がなかったのです。

 

私たちも主が救いを与えてくださる方であるということをわきまえていないと、ギデオンのような偉大な主の御業を見ることができないばかりか、このようにかえって神に用いられている器に敵対することで、結果的に主の働きそのものを阻むことになってしまうことがあります。彼らはペリシテに支配されていても、主がそこから解放してくださると信じなければならなかったのです。

 

レヒの人々がそのことをサムソンに言うと、彼は自分に討ちかからないことを条件に、彼らの言うことを受け入れました。それは、同胞のイスラエル人を殺したくなかったからです。こうして、彼は二本の新しい綱で縛られ、ペリシテ人に引き渡されました。

 

ペリシテ人に引き渡されたサムソンはどうなったでしょうか。14節から17節までをご覧ください。

「サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、主の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕に掛かっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、その縄目が手から解け落ちた。

サムソンは真新しいろばのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、それで千人を打ち殺した。サムソンは言った。「ろばのあご骨で、山と積み上げた。ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」こう言い終わると、彼はそのあご骨を投げ捨てた。彼はその場所を、ラマテ・レヒと名づけた。 」

 

サムソンの姿を見たペリシテ人たちは、大声を上げて喜びました。戦わずして、サムソンを捕らえることができたからです。しかし、彼らはサムソンが神のナジル人であることを理解していませんでした。彼には全能の主の力が与えられていたのです。その主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼を縛っていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、焼け落ちてしまいました。すると、サムソンは真新しいろばのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、それで千人のペリシテ人を打ち殺しました。いったいこの力はどこから来たのでしょうか。この力は彼の内側から来たのではなく、神から来たものでした。主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はろばのあご骨で千人の敵を打ち殺すことができたのです。

 

これは、私たちにも言えることです。たとえ、私たちを縛るものがあっても、主の霊があなたに下るなら、その縄目は焼け落ちてしまいます。主の霊はあなたを開放し、自由にすることができるのです。さらに、取るに足りない「ろばのあご骨」のような私たちを用いて、神の敵を打ち破ることができるのです。使徒1章8節には、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」とあるとおりです。

 

あなたを縛っているものがありますか。この新しい一年が、主の聖霊が臨み、敵に勝利する一年とさせていただきましょう。ユダの人々のようにただ敵の言うままになるのではなく、自らを神にささげ、主の勝利を得させていただこうではありませんか。

 

Ⅲ.エン・ハ・コレ(18-20)

 

最後に、18節から20節を見て終わりたいと思います。

「そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主を呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えてくださいました。しかし今、私は喉が渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」

すると、神はレヒにあるくぼんだ地を裂かれたので、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで元気を回復し、生き返った。それゆえ、その名はエン・ハ・コレと呼ばれた。それは今日もレヒにある。こうして、サムソンはペリシテ人の時代に二十年間イスラエルをさばいた。」

 

「そのとき」とは、サムソンがろばのあご骨でペリシテ人千人を撃ち殺したときのことです。サムソンはひどく渇きを覚えました。なぜなら、ユダの人々はサムソンによって助け出されたのに、彼に援助の手を差し伸べようとしなかったからです。そこで彼は、主を呼び求めて言いました。彼は、このペリシテに対する勝利が、主によってもたらされたものであることをよく認識していました。それなにいま喉が渇いて死にそうであり、このままではペリシテ人と戦うことができなくなり、彼らの手に落ちることになってしまうと訴えているのです。

 

すると、神はその祈りにただちに答え、レヒにあるくぼんだ地を裂かれたので、そこから水が出ました。サムソンはその水を飲んで元気を回復し、生き返りました。それゆえ、その名は「エン・ハコレ」と呼ばれました。その意味は、「呼ばわる者の泉」です。

 

皆さん、主は呼ばわれる者の泉です。詩篇34篇6~8節には、「この苦しむ者が呼ぶと主は聞かれすべての苦難から救ってくださった。主の使いは主を恐れる者の周りに陣を張り彼らを助け出される。味わい見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ。主に身を避ける人は。」とあります。

これは、すべてのクリスチャンに与えられている祝福の約束です。私たちが叫ぶ時、主は必ず聞いてくださるのです。あなたは今何に渇いていますか。あなたが主に叫ぶなら、主はその叫びを聞かれ、すべての苦しみから救ってくださいます。主は主を恐れる者の周りに陣を張り、あなたを助け出してくださるのです。このみことばに信頼して、この新しい年も、主に叫び求めましょう。そして、主がどれほどいつくしみ深い糧であるかを味わい、主に身を避ける一年とさせていただきましょう。

ヨハネの福音書4章1~18節「生ける水」

今日は、今年最後の主日礼拝を迎えております。この年も、共に主を礼拝し、心からの感謝と賛美を献げることができたことを、感謝したいと思います。

 

今日は、ヨハネの福音書4章前半の箇所から、イエス様とサマリヤの女との会話を通して、いつまでも渇くことがない生ける水について、ご一緒に学びたいと思います。

 

ナポレオン・ヒル(Napoleon Hill)という人は、現代に7つの不安と恐怖が潜在していると言いました。

それは、貧しさの恐怖であり、失敗の恐怖、病気の恐怖、愛を失うことへの恐怖、老いていくことへの恐怖、自由を失うことへの恐怖、そして死の恐怖です。

そして、このような不安や恐怖から逃れようと、人々は、ありとあらゆることを試みますが、この世のものだけでは、決して解決できない精神的空虚と不安のために、人々は疲れ果てています。皆さんはいかがでしょうか。

 

イエス・キリストは、ある日、魂を生き返らせる、いのちの水に飢え渇いていた、一人の女性と出会いました。その女性は、かつて人生の幸せを求め、5回も結婚しましたが、その心は満足を得ることはできませんでした。しかし、イエス様との出会いを通して、その心の飢え渇きを、永遠のいのちの水で満たしていただくことができました。彼女は、どのようにして、満たしてもらうことができたのでしょうか。

 

Ⅰ.サマリヤを通って行かれたイエス(1-5)

 

まず、1節から5節までをご覧ください。

「パリサイ人たちは、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている、と伝え聞いた。それを知るとイエスは、 ──バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが──ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた。

しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それでイエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリヤの町に来られた。」

過越しの祭りをエルサレムで過ごしておられたイエスは、その後しばらく、ユダヤ地方に滞在し、そこでバプテスマを授けておられましたが、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けているということがパリサイ人の耳に入ったとき、ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれました。

 

なぜそのことが問題だったのかというと、イエスの奉仕のほうがバプテスマのヨハネのそれよりも影響力を増したために、パリサイ人の関心と敵意が、今やバプテスマのヨハネからイエスに向けられていたことを意味していたからです。

 

それはイエスが彼らを恐れていたということではありません。まだその時ではなかったということです。その時とは、イエスの時です。イエスが十字架にかかって死なれる時はまだ来ていませんでした。それでイエスは、ユダヤを去って再びガリラヤへ向かわれたのです。

 

しかし、サマリヤを通って行かなければなりませんでした。当時、パレスチナは南のユダと北のガリラヤの間にサマリヤという地方があって、ユダヤからガリラヤの間を行き来する時には、そこを通らず、わざわざヨルダン川を渡って、ヨルダン川に沿って北上しました。もっとも急ぎの用の人は、サマリヤを通って行く人もいないわけではありませんでしたが、この少し後の所に、「ユダヤ人はサマリヤ人と付き合いをしなかったのである」とあるように、普通ユダヤ人たちは、その道を通ることはほとんどありませんでした。ですから、「サマリヤを通って行かなければならなかった」というのは、単に急ぎの用事があったからではなく、もっとほかの理由があったからなのです。

 

それはいったいどのような理由だったのでしょうか。それは5節にあるように、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリヤの町に来るためでした。そこにはヤコブの井戸がありました。主イエスがここへ来られたのは、単に名所旧跡を見に来られたのではありません。そこで、名もない一人の人、しかも、人生の裏街道を歩いているような人と会うためでした。会うためとは言っても、事前に会う約束をしていたわけではありません。これまで一度も会ったことのない人です。しかし、イエスはこの人と会うために、わざわざ普通のコースを取らず、サマリヤを通って行かなければなりませんでした。名もない、一人の女性を救いに導くために、イエスは、初めから、そのように計画しておられたのです。

 

私たちも、それが自分の考えや計画と違っても、神の御心ならば、それを変える柔軟さが求められます。それはイエス様のように、自分に与えられている神の使命を知り、そこに生きることから与えられるものです。いつも神の御心は何か、何が良いことで神に受け入れられることなのかを求め、その使命に生きる者でありたいと願わされます。

 

Ⅱ.イエスが与える水(6-14)

 

次に、6節から14節までを見て行きましょう。まず、8節までをご覧ください。

「イエスは旅の疲れから、その井戸の傍らに、ただ座っておられた。時はおよそ第六の時であった。一人のサマリヤの女が、水を汲みに来た。イエスは彼女に、「わたしに水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた」

 

イエスは、旅の疲れで、井戸の傍らに、腰をおろしておられました。イエスは、私たちと同じような肉体をもってこの地上での生涯を歩まれたので、疲れを感じられることもあったのです。日々の奉仕と、歩きながらの旅は、肉体的に相当きつかったのでしょう。

 

時はおよそ第六時でした。これはユダヤの時刻のことで、現在の時刻で言うと、正午ごろとなります。つまり、太陽が最も高く上る時間です。イスラエルのこの時間は砂の上で卵が焼けるほど暑いと言われていて、人々は、大抵外へ出ずに家の中でゆっくりと過ごすのが習慣となっていました。

 

そんな時間に、ひとりのサマリヤの女が、水を汲みに来たのです。いったいなぜ彼女はこんな時間に水を汲みにやって来たのでしょうか。通常は朝夕の涼しい時間帯に水を汲み終えるのが当然ですから、人目を避けて水を汲みにやって来たこの女性には、何らかの事情があったことがわかります。その事情とはどんなことだったのでしょうか?

 

それは、他人に会いたくなかったということです。16節から18節にある、イエスと彼女との会話を見てください。ここでイエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言うと、彼女は、「私には夫がいません。」と答えています。するとイエスは、彼女の心のやみを暴き出すかのように、このように言われました。

「自分には夫がいない、というのはそのとおりです。あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないからですから。あなたは本当のことを言いました。」

つまり、彼女は五回も結婚しましたが、その五回とも別れ、今は別の男性と同棲していたということです。今でこそバツイチ、バツニ、バツサンも珍しくありませんが、バツゴというのはあまり聞きません。しかし、彼女は、かつて人生の幸せを求め、5回も結婚しましたが、その心は満たされることはありませんでした。だれと結婚しても同じ。それなら結婚するのなんて止めて、ただ自分を満足させてくれる相手がいれば十分と、別の男性と一緒に暮らしていたのです。

 

しかし、それで問題が解決したかというとそうではなく、そのことで他人から後ろ指を指されるようになると、だんだん心が重くなり、他人と距離を置くようになりました。話をするのが面倒くさいのです。だれとも会いたくありませんでした。それで、だれも来ないお昼の時間を見計らって水を汲みにやって来たのです。

 

以前私が住んでいた家の近くに福島女子短大があったため、家の周りにはたくさんのアパートがありましたが、住んでいれば当然ごみも出るわけで、それを町内会が管理しているごみ収集所に置くわけですが、燃えるゴミも、燃えないゴミも一緒に捨てるため、しかも町内会費を払っていないということで、近所の人たちがクレームをつけました。「あなたたち町内会費も払ってないのに勝手に捨ててもらっては困るわ!」

すると、ごみ収集所から、学生たちの姿が消えました。消えたと言っても、どこかに行ってしまったわけではなく、町内会の人たちと会わないような時間帯を見計らってごみを捨てるようになったのです。夜中の2時とか、3時とかの時間です。彼女たちにとっては、いろいろと文句を言われるのが嫌だったのです。できるだけ会いたくないし、何も言われたくないという思いから、通常捨てる時間帯ではない時間に捨てるようになったのです。それと同じです。

 

そんな彼女にイエスは、「わたしに水を飲ませてください」と言われました。これは、常識はずれのことでした。というのは、ユダヤ人とサマリヤ人とは付き合いをしなかったからです。もともとユダヤ人とサマリヤ人は、同じイスラエル民族でした。しかし、その昔イスラエル王国が今の朝鮮半島のように北と南に分裂した後で、北王国イスラエルは生けるまことの神から離れてしまったため、ついに紀元前722年に東方のアッシリア帝国によって滅ぼされてしまうと、主だった男たちはみなアッシリアへ連れて行かれ、その後に残った貧民たちの所にアッシリア人をはじめとした多くの異民族の男性が送り込まれて来たために、彼らは混血族になってしまったのです。ユダヤ人は血の純潔を特に重んじていたので、それ以来、彼らを異邦人同様に蔑視するようになりました。

 

しかも、ここに「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」とあるように、ユダヤ人の男性が、サマリヤ人の女性に語りかけるということは、考えられないことでした。というのは、当時、女性の地位はとても低く、男性が女性に話しかけるということは、一般にはほとんどなかったからです。それなのに、イエスは彼女に、「わたしに水を飲ませてください。」と言われました。なぜでしょうか。

 

それは、この女が本当に必要としているものは何かを、イエスが知っておられたからです。10節をご覧ください。「イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」」

 

イエスが言っていたのは、「生ける水」のことでした。イエスは「水」という平凡なものから、深い霊的真理を語っても、サマリヤの女にはそれを理解することはできませんでした。なぜなら、ニコデモの場合もそうでしたが、彼女は、あくまでも目に見えるこの世の物、物質的な世界にしか関心がなかったからです。それは彼らが宗教的ではなかったということではありません。ニコデモはユダヤ教の正当派であるパリサイ派に属していましたし、この女も後の箇所を見るとわかりますが、礼拝について関心を持っていました。しかし、彼らは霊的には盲目でした。ですから、イエスが語られた霊的真理に対する応答は、まことにトンチンカンなものだったのです。この女は11節、12節で、このように答えています。

「主よ。あなたは汲む物を持っておられませんし、この井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れられるのでしょうか。あなたは、私たちの父ヤコブより偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を下さって、彼自身も、その子たちも家畜も、この井戸から飲みました。」

 

覚えていらっしゃいますか。イエス様がニコデモに「新しく生まれなければならない」と言われたとき、彼がどのように答えたか・・を。ニコデモはこう言いました。

「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」(ヨハネ3:4)

ニコデモは、イエス様が「新しく生まれなければならない」と言われたことを、もう一度、お母さんの胎内で生まれてくることだと理解していました。それと同じです。サマリヤの女も、ニコデモも、霊的にはさっぱり理解できませんでした。

 

そこで、イエスは、彼女が理解できるように、同じ霊的真理を別の形で、少し違った言葉で、説明されました。13節、14節です。ご一緒に読んでみましょう。

「イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」」

 

イエスは、最初、「神の賜物」と言われたことを、10節で、「生ける水」と言い換えています。そして、ここに来てさらに、「永遠のいのちへの水」と言い換えています。この「生ける水」とか、「永遠のいのちへの水」とは、何のことを指していたのでしょうか。

 

ヨハネの福音書7章37-39節を開いてください。ここには、「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」 イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。」とあります。

これは神の御霊、聖霊のことを言っていたのです。つまり、イエスが与えられる生ける水とは、御霊と御言葉によって与えられる救いの恵みのことであり、これが与えられると、それまで求めても得られなかった本当の満足を得ることができるのです。それだけでなく、泉のように、永遠のいのちへの水が湧き出て来て、ほかの多くの人々を潤し、渇きを満たすことができるようになるのです。

 

これまで、この人類は、この心の渇きをいやしたいと思っていろいろなものを作り出してきました。それだけでなく、心の渇きをいやそうとして、目新しいものに取り組んでみたり、この世の中のどこかにそれがあるのではないかとずっと求めてきました。しかし、この世のものでは、また渇いてしまうのです。ちょうど、喉が渇くようにです。喉の渇きをいやそうと水を飲んでも、一時的にはいやされても、じきにまた渇いてしまいます。私たちが毎日していることは、このようなことなのです。人間が作ったものや、この世のものに求めても本当の満たしは得られないのです。主イエスに求めることです。イエスは言われました。「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

 

私たちは、「風と共に去りぬ」という有名な映画をよく知っています。そして、この映画の主演男優であったクラーク・ゲーブルについてもよく知っています。彼はオスカー賞を何度も取りました。幸せを求めて5回も結婚しました。彼にはお金もあり、恋もあり、名誉もあり、人気もありました。私たちから見れば、彼は自分が求めたこの世の物のすべてを手にしたかのように見えました。

しかしある朝、彼はむなしく疲れ果て、自分のベッドで自殺しているのが発見されました。飢え渇いたその魂を、この世のもので満たすことはできなかったのです。永遠のいのちの水を見つけられずに終わったその魂が、残念に思えてなりません。

 

あなたはどうですか。永遠のいのちという水を持っておられますか。まだ持っていないなら、主イエスにそれを求めてください。なぜなら、イエスは、「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも決して渇くことがありません。」と言われたからです。イエスが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。その水は、イエス・キリスト以外には、どこを探しても得ることはできません。イエス・キリストこそ、私たちに生ける水を与えることができる唯一の方なのです。そして、その水は、その人の内で泉となるだけでなく、永遠のいのちへの水が湧き出ますとあるように、私たちの周りのすべての人をも潤す水となるのです。

 

Ⅲ.行って、あなたの夫を呼んで来なさい(15-18)

 

いったいどうしたら、その水を得ることができるのでしょうか。最後に15節から18節までを見て終わりたいと思います。

「彼女はイエスに言った。「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」彼女は答えた。「私には夫がいません。」イエスは言われた。「自分には夫がいない、と言ったのは、そのとおりです。あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないのですから。あなたは本当のことを言いました。」」

 

イエスが、「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」と言うと、彼女は、イエスに「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」と言いました。すると、イエスは彼女にこのように言われました。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」

 

これはどういうことでしょうか。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言われても夫とは離婚していて、夫はいませんし、今一緒にいるのは夫ではなく、ただ同棲しているだけの人ですから、夫ではありません。それならば、なぜイエスはこのようなことを聞かれたのでしょうか。

 

それは、彼女が、主の御前に、自分をありのままにさらけ出し、それを悔い改める必要があったからです。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」というイエスのことばは、彼女にとって、とても痛い言葉だったでしょう。できれば、そこだけは触れてほしくなかった。それは、ちょうど石の割れ目に釘を突き刺すようなものだったに違いありません。ちょっとでもたたいたらパカンと割れてしまうようなものでした。それでもイエスがそのように言われたのは、彼女が永遠のいのちへの水を受けるには、どうしてもそのことが避けられなかったからです。彼女が永遠のいのちを得るためには、自分の中にある罪をそのままにしておくわけにはいきませんでした。それを、主の御前にさらけ出さなければならなかったのです。このサマリヤの女が隠していた罪に光を当てるために、主は夫のことに触れたのです。

 

それに対して、彼女が「私には夫がありません。」と答えると、イエスは何と言われたでしょうか。イエスはこのように言われた。「自分には夫がいない、と言ったのは、そのとおりです。あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないのですから。あなたは本当のことを言いました。」

このイエスの言葉は注目に値します。なぜなら、彼女の告白に対して、主イエスはそれを暖かく受け止めておられるからです。彼女に対して、なぜそんなに男を変えたのかとか、そのような同棲生活は正しくないと言うこともできたでしょうが、主はそのようなことは一言も言わず、むしろ愛と善意をもって受け止めてくださいました。それは、今日も同じです。主は、私たちの真実な悔い改めを、暖かく受け止めてくださるのです。

 

それは、主が彼女の罪をいい加減にして扱っておられたということではありません。主はここで、「今あなたと一緒にいるのは、あなたの夫ではないからです」と言われました。それが正しいことではないということをはっきりと言われたのです。しかし、だからといって彼女を叱責したり、断罪したりするのではなく、「あなたは本当のことを言いました。」と、受け止められました。これが、イエス・キリストが、私たちにも取ってくださる態度です。こうして初めて、自分の醜く汚れた本当の姿に気付くというか、自分の姿が示されるのです。

 

これは、私たちが他人に接する態度とはずいぶん違いますね。私たちが他人に接する時、たとえば、親が子供に対する場合などを考えてみると、子どもが自分の過ちを認めていても、正直に答えたことに対して、それを受け止めるというよりは、むしろそのしたこと自体を咎めたり、怒ってしまったりします。しかし、そのようにすれば、もう二度と正直に自分の間違いを認めることはしないでしょう。そして、むしろ怒られないようにと嘘をつくようになるものです。子どもが嘘をつく場合の多くは、このようにして起こります。これは、何も子どもに限ったことではなく、ほかの人に対する場合も同じで、多くの人間関係の中で、よく私たちがしてしまうことです。しかし、主イエスは違います。イエスは、私たちの罪の告白と悔い改めを、暖かく受け止めてくださるのです。

 

ですから、私たちに求められていることは、ありのままに、正直に、イエス様の前に出ることです、自分がどんなに汚れていても、それを隠すのではなく、それをさらけ出しながら、救い主イエスのところに来て、永遠のいのちへの水を求めるなら、主イエスは、決して渇くことがない、生ける水を与えてくださいます。その水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出るのです。

 

今日は、今年最後の礼拝となりましたが、この一年を振り返りながら、自分の罪、過ちがあればそれを主の御前にさらけだしてきよめていただきましょう。主は赦してくださいます。「もし私たちが、自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」そして、主が与えてくださる生ける水を持って、新しい生活を始めさせていただきましょう。

イザヤ書9章1~7節 「やみの中に輝く光」

皆様と共に、救い主イエス・キリストのご降誕を、お祝いできますことを、心から主に感謝いたします。

先週までアドベントクランツの3本のロウソクに灯がともされ、きょう4本目のロウソクに灯がともされました。これには意味がありまして、それぞれ平和の灯、希望の灯、喜びの灯、そして愛の灯です。

それは、神様と敵対していた私たちが、神様と和解して、神様との間に、平和がもたらされたということ、愛と、喜びと、希望がもたらされたということを表しています。

今の時代ほどやみに覆われた時代はありません。しかし、そのやみの中に輝く光としてイエス・キリストが来てくださいました。そのことを喜ぶのが、クリスマスです。

きょうは、この「やみの中に輝く光」という題で、メッセージを取り次がせていただきたいと思います。

 

Ⅰ.やみの中の光(1-5)

 

先ほど読んでいただいた聖書の箇所は、キリストが生まれる七百年ほど前に、預言者イザヤが、やがて来られるメシヤ、救い主がどのような方であるかを預言したものです。まず1節と2節をご覧ください。

「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」

 

この箇所は「しかし」という言葉で始まっています。ということは、前の章からの続きになっていることです。前の章にはどんなことが書かれてあったかというと、8章20節を見ていただくと、ここに「おしえとあかしに尋ねなければならない。」とあります。おしえとあかしとは、神の教え、神のあかしのことです。預言者を通して語られた神のことばを指しています。その教えに尋ねなければなりません。もし、そうでないと、どうなるのかというと、同じ20節の終わりのところにこうあります。「その人には夜明けがない。」その人に夜明けはありません。

 

皆さん、なぜこの世は暗いのでしょうか。それは、神のことばがないからです。神のみおしえと証しに聞こうとしないで、別のものに聞こうとするからです。具体的にはその前の19節にありますね。「霊媒や、さえずり、ささやきとか、口寄せ」といったものです。このようなものに聞いても、神に聞こうとしないと、だんだん暗くなっていきます。

 

8章21節、22節にはこうあります。「彼は、迫害され、飢えて、国を歩き回り、飢えて、怒りに身をゆだねる。上を仰いでは自分の王と神をのろう。地を見ると、見よ、苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放された者。」

神の民イスラエルは、神のみことばに従わなかったので、アッシリヤ帝国をはじめとした異邦の民に踏みにじられ、苦難とやみに覆われたのです。

 

「しかし」です。しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなります。先にはゼブルンとナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けたのです。

 

「ゼブルンの地とナフタリの地」とはガリラヤ湖の西側の地域で、いわゆるガリラヤ地方のことです。イエス様が育ったナザレもここにあります。そこがはずかしめを受けました。B.C.722年のことです。アッシリヤ帝国が侵入してきたとき、そこが最初に彼らの手に落ちました。そして、その地域には多くの異邦人が住むようになりました。それでその地は「異邦人のガリラヤ」と呼ばれるようになったのです。しかし、そのような苦しみのあった所に、やみがなくなります。ゼブルンとナフタリの地は、はずかしめを受けましたが、後に光栄を受けることになりました。異邦人のガリラヤは顧みられたのです。どのようにして?

 

やみの中を歩んでいた民が、大きな光を見ました。死の陰の地に住んでいた人に、光が照ったのです。これはどういうことかというと、それから約700年後に、神の御子がこの地に来られ、福音をもたらしてくださったということです。

 

マタイの福音書4章12節から17節までをご覧ください。

「ヨハネが捕えられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗やみの中に座っていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

イエスは、ゼブルンとナフタリとの境にある町カペナウムに来て、宣教を開始されました。これは、預言者イザヤを通して語られた事が、成就するためでした。このようにして、異邦人のガリラヤは光栄を受けたのです。イエスが語られた恵みのことば、イエスが行われた数々の奇跡、いやしは、その地の人たちにとってどれほど大きな慰めをもたらしたことでしょう。アッシリヤ帝国はさることながら、その後もバビロンやペルシャ、ギリシャやローマといった異邦人にずっと踏みにじられる中で、彼らは希望を見失っていました。それはまさに「やみ」の中を歩いているようなものでした。

しかし、そのように苦しみのあったところに、やみがなくなりました。はずかしめを受けた異邦人のガリラヤが、光栄を受けたのです。それは彼らにとって本当に大きな喜びであり、慰めであり、希望であったに違いありません。

 

そして、それは私たちに対する約束でもあります。私たちもよく人生のやみに覆われることがあります。それは病気であり、あるいは経済の悩みです。また、家族の問題、人間関係のこじれ、ひとりぼっちという孤独の苦しみ、老後に対する先行き不安などといったやみです。こうしたやみは、振り払おうとしてもなかなか消えません。また、罪というやみがあります。過去に犯した過ちにずっと責め立てられ、苦しみ続けています。そして誰もが迎えるであろう死というやみもあります。

 

「一寸先(いっすんさき)は闇(やみ)」という諺(ことわざ)があります。これは、「これから先のことはどうなるのやらサッパリわからないという」意味で使われていますが、私たちの人生は、この先、何が起こるのかわかりません。それが現実なのです。

 

しかし、こうしたやこの中にあって、それを照らす光があります。それが、救い主イエス・キリストです。使徒ヨハネは、このキリストについてこう証言しました。

「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:4-5)

光はやみの中に輝いているのです。やみの中に輝く光、やみを打ち破られる方、それがイエス・キリストです。キリストは、すべての人を照らすまことの光なのです。

 

そういえば、クリスマスが12月25日に定められたというのも、そのような意味があったのではないかと思います。クリスマスは、イエス・キリストの御降誕をお祝いする日ですが、イエス・キリストがこの日に生まれたわけではありません。A.D.336年に、ローマ帝国によって、この日がそのように定められたのです。それまでローマでは冬至を祝う「太陽の祭り」がありましたが、その祭りと結びつけて祝われるようになったのです。

なぜこの祭りと結びつけて行われるようになったのかというと、この祭りは一年で最も夜が長い日であったからです。この時期にキリストの御降誕を祝うのが最もふさわしいと考えたのです。それはキリストが私たちのやみを照らす光として来てくださったことを心に留めるためでもあったのです。

 

人は誰でも、やみを経験します。どこに進んで行ったらいいのかわからない時があります。しかし、そうしたやみの中にいても、かすかな明かりがあれば、その方向へ歩いて行くことができます。イエス・キリストはやみ中で不安にさいなまれ、道を失っている時の灯火として私たちの所に来てくださったのです。

 

オーストリアのザルツブルグの北にオーベルンドルフという小さな村があります。1818年のクリスマスの前日、その村の教会のパイプオルガンが鳴らなくなってしまいました。

この知らせを聞いて、2人の若者が苦境に立たされました。一人は、この教会のオルガニスト、フランツ・グルーバーという人です。もう一人は、この教会の若き牧師ヨゼフ・モールという人でした。

モールは、その教会に赴任したばかりでした。ですから、その年のクリスマス礼拝を、特別に恵みに満ちものとしたいと願っていました。それなのに、よりにもよって、その前日にパイプオルガンが故障してしまったのです。

モールは、乱れる心を静めようと、一人で村はずれの丘に登って祈りました。熱心に祈った後で、美しく輝く星空と、麓の村の平和な夜景を眺めていました。その時、讃美歌の歌詞が心の中にほとばしり出て来ました。急いで家に帰って、一気に歌詞を書き上げました。そして、翌日の朝、グルーバーのところに持って行って、作曲を依頼したのです。

その夜の礼拝では、ギターの伴奏で、モールとグル―バーのデュエットの賛美が献げられました。その時歌われた讃美歌がこの曲です。

 

「きよしこのよる 星はひかり

すくいのみ子は まぶねの中に

ねむりたもう いとやすく」

讃美歌109番「きよしこのよる」

 

ほぼ即興で作られたこの曲でしたが、その美しい歌詞と清らかなメロディーは、礼拝に集まった人々の心を強く捕えました。そして、人から人へと伝えられ、世界で最も愛されるクリスマスの讃美歌となったのです。

 

絶体絶命のピンチの中で、あの様に清らかな讃美歌が作られたことに、私は深い感動を覚えます。もし、私がモールであったら、どうしたでしょうか。きっと焦って、讃美歌を作るどころではなかったと思います。パイプオルガンを逆恨みして、蹴飛ばしたかもしれません。

 

どうして、モールはそんな危機的な状況の中で、あんなにも清らかで、美しい歌詞を書くことが出来たのでしょうか。どうして、グルーバーはあんなに澄み切った曲を作ることが出来たのでしょうか。

恐らく二人は、その混乱した中に、キリストの誕生に思いを馳せたのでしょう。そして、きれいに澄み渡った夜空の星を見て、そこに、やみを照らすキリストの光、キリストの平和を見出したに違いありません。

 

私たちにもやみがあります。しかし、キリストはそのやみを照らすために生まれてくださいました。それがクリスマスなのです。

 

Ⅱ.クリスマスの喜び(3-5)

 

ところで、やみが照らされるとどうなるのでしょうか。預言者イザヤは、そんな彼らの喜びを次のように表現しました。3節から5節までをご覧ください。

「あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれて、火のえじきとなる。」

 

それは刈り入れ時に喜ぶようです。また、戦争に勝利してその戦利品を分け合う時に楽しむようです。また、あのミデヤンの日になされた時のようです。ミデヤンの日になされた時のようとは、士師記7章に出てくる話ですが、士師であったギデオンがたった三百人の勇士によって、十三万五千人のミデヤン人を打ち破りました。それによって、それまで彼らにのしかかっていた重荷から解放されました。

 

私たちも、日々いろいろなストレスを抱えながら生きています。このストレスがどれほど体に悪いものであるかも知っています。そうした重荷の一切を、あのミデヤンの日になされたように、粉々に砕かれるのです。その結果、完全な平和と喜びがもたらされるのです。

 

もちろん、私たちはまだ完全な形で、その実現を見ていません。ここに記されてあるような解放というものを、まだ経験していません。その完成は、イエスが再臨される時まで待たなければなりません。イエスが再臨されるとき、私たちは復活のからだ、御霊のからだをいただいて墓からよみがえり、空中で主とお会いします。そして、いつまでも主と共にいるようになります。これが救いの完成の時です。

しかし、それを完全に体験してはいなくとも、イエスを信じたその瞬間から、私たちの中に神が共におられるという現実を体験します。それは、この世では得られない魂の完全なやすらぎです。もし、あなたがイエス・キリストを救い主として受け入れるなら、その神の支配が、あなたの中にも始まります。そして、あなたもこの喜びと解放を味わうようになるのです。

 

Ⅲ.ひとりのみどりご(6-7)

 

このように、私たちにまことの喜びと解放をもたらしてくださる救い主は、どのような方なのでしょうか。6節と7節をご覧ください。ここには、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」とあります。

 

その方は、「ひとりのみどりご」としてお生まれになられます。そして、ひとりの男の子が、私たちに与えられます。これはイエス・キリストの誕生によって実現しました。「みどりご」とは赤ちゃんのことです。ひとりの赤ちゃんが、私たちのために生まれる、というのです。そうです、永遠の神であられる救い主は、私たちと同じ人間として生まれるというのです。

 

ヨハネはこのことを次のように言っています。「ことばは、人となって、私たちの間に住まわれた。」この方は人となって来られた神なのです。

 

そればかりではありません。イザヤは、やがて来られるメシヤがどのような方であるかについて、次のように言っています。

「主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」

この方は、「不思議な助言者」です。ワンダフル・カウンセラー(wonderful counselor)です。イエス・キリストはワンダフルなカウンセラーなのです。私たちが心の中で考えていることも含め、私たちのすべてを知っておられるというだけでなく、私たちの人生における完全な計画を持っておられ、その道を示してくださいます。ですから、私たちは、安心してこの方にすべてをゆだねることができます。

 

また、この方は「力ある神」です。ただの神ではありません。「力ある神」です。「力ある神」とは、マイティー・ゴッド(mighty God)です。マイティーとは、力強いとか、大能という意味です。この方はただアドバイスをしてくれるだけでなく、そのアドバイスを実行するために必要な力も与えてくださるということです。

 

また、この方は「永遠の父」とあります。赤ちゃんとして生まれてきますが、父です。しかもただの父ではなく、永遠の父です。肉の父親は、年を取るとこの世を去って行かなければなりません。しかし、イエスは永遠の父として、いつまでも、私たちとともにいてくださるのです。

マタイの福音書28章20節には、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」とあります。イエスは世の終わりまで、いつもあなたとともにいてくださいます。

イエスは、決してあなたがたを捨てて孤児にはしません。ですから、安心して、自分の生涯をゆだねることができるのです。

 

そして、この方は「平和の君」です。「プリンス・オブ・ピース」(prince of peace)です。この方は平和の王として来られました。

この地上のどこに平和があるでしょうか。どこを探しても平和はありません。この人類は戦争の歴史です。いつも、どこかで戦争が繰り返されています。その悲劇を見ても、人類は少しも反省することなく、限りなく戦争を繰り返しているだけです。相対性理論を唱えたアインシュタインは、生前、「今や文明を破壊する武器に対する防備策はない」と言いました。また、ジョン・F・ケネディーは、「人間は戦争を終息させなければならない。そうでないと、戦争が人間を滅ぼしてしまう。」と言いました。いったいどうしたら平和になるのでしょうか。

この平和はお金で買うことはできません。ただ十字架に付けられて死なれたイエス・キリストを信じ、神と和解することによってのみもたられます。なぜなら、この方は平和の君として来られたからです。

 

かつてイギリスの作家ジェフリー・アーチャーが、「ケインとアベル」という小説を書きました。銀行の頭取ケインとアメリカのホテル王と言われたアベルが、ささいなことで喧嘩をし、反目しながら生活するようになりました。しかし、このケインの娘とアベルの息子が愛し合うようになり、親の反対を押し切って結婚し、こどもが生まれるのです。その子供の名前はウィリアム・アベル・ケインです。この子の誕生をきっかけに、長らく続いていたケインとアベルの家に和解がもたらされました。

イエス・キリストはこのウィリアム・アベル・ケインのように、神と人類が和解をするためにこの世に生まれてくださいました。そして、あくまでも神に背き、自己中心的に生き続ける人間のために十字架にかかって死なれることで、私たちが受けるべき一切の刑罰をその身に負ってくださいました。イエス・キリストこそまことの平和です。

 

7節の、最後のところにあることばをご覧ください。ここには、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」とあります。それは私たちがすることではありません。万軍の主の熱心がこれを成し遂げてくださいます。

そして、事実、万軍の主は、これを今から二千年前に、神の御子イエス・キリストをこの世に送ってくださることによって成し遂げてくださいました。それがクリスマスです。それは、神があなたのために成し遂げてくださった恵みのわざです。どうぞ、この神の恵みを受け取ってください。クリスマスには互いにプレゼントを贈りますが、イエス・キリストこそ、神からあなたへのプレゼントです。それは、あなたの心のやみが消え、あなたが平和と喜びに満たされるために、神が与えてくださったプレゼントなのです。

 

あの星野富弘さんの詩に、「花菖蒲」(はなしょうぶ)という詩があります。

「花菖蒲 黒い土に根を張り どぶ水を吸って なぜ きれいに咲けるのだろう

私は 大ぜいの人の 愛の中にいて なぜ みにくいことばかり 考えるのだろう」

(「花菖蒲」 星野富弘)

鉄棒から落ちて首の骨を折り、手も足も動かなくなってしまった時、星野さんは、自分のベッドの脇で、一生懸命看病してくれていたお母さんに、自分のイライラをぶつけて、つばを吐きかけました。しかし、そのつばが自分に戻ってきたとき、どうしようもない悲しみを感じたと言います。

しかし、そんな星野さんがイエス・キリストと出会い、その光で心が照らされたとき、少しずつではありましたが、変わり始めました。自分が生まれ育った村に美術館ができると、何十万人という人々が訪れるようになりました。そして、多くの人たちがその詩画の前でしばし足を止め、励ましを受け、涙するのです。それは星野さんがイエス様を信じて、その心のやみを照らしていただいたからです。その時から星野さんの生涯に大きく変えられたのです。

 

「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た、死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」

イエス様はあなたの心のやみも照らしてくださいます。あなたもこの光に照らしていただきませんか。そして、共にその喜びを味わいましょう。