士師記14章

士師記14章からを学びます。まず1節から4節までをご覧ください。

 

Ⅰ.ペリシテ人の娘を気に入ったサムソン(1-4)

 

「サムソンは、ティムナに下って行ったとき、ペリシテ人の娘で、ティムナにいる一人の女を見た。

彼は上って行って、父と母に告げた。「私はティムナで一人の女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、彼女を私の妻に迎えてください。」

父と母は言った。「あなたの身内の娘たちの中に、また、私の民全体の中に、女が一人もいないとでも言うのか。無割礼のペリシテ人から妻を迎えるとは。」

サムソンは父に言った。「彼女を私の妻に迎えてください。彼女が気に入ったのです。」

彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのである。そのころ、ペリシテ人がイスラエルを支配していた。」

 

サムソンは、ティムナに下って行き、そこでペリシテの娘をみそめます。サムソンが住んでいた

のはダン族のツォルアという山地の町でしたが、ペリシテ人の町ティムナは、目と鼻の先にありました。ですから、サムソンはその町に下って行ったのですが、そこで美しい一人の女を見たのです。サムソンはその娘を見て、ひとめぼれしてしまいました。それで、彼は自分の父と母に告げて言いました。「私はティムナで一人の女を見ました。ペリシテの娘です。今、彼女を私の妻に迎えてください。」(2)

 

するとサムソンの両親は、「あなたの身内の娘たちの中に、また、私の民全体の中に、女が一

人もいないとでも言うのか。無割礼のペリシテ人から妻を迎えるとは。」(3)と言いました。それは明らかにモーセの律法に違反していたからです。モーセの律法には、異邦の民と姻戚関係に入ってはならないとあります。申命記7章3節には、「あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としたりしてはならない」とあります。なぜなら、「彼らは自分たちの神々と淫行をし、自分たちの神々にいけにえを献げ、あなたを招く」(出エジプト34:15)ようになるからです。ペリシテ人は割礼を受けていませんでした。また、ダゴンという偶像を礼拝していました。ですから、彼の両親が反対したのは当然のことです。しかも彼はナジル人として聖別された人でした。そのような人が異邦人と結婚するなど考えられませんでした。

 

しかし、サムソンは彼の願いを取り下げようとはしませんでした。「彼女を私の妻に迎えてください。彼女が気に入ったのです。」(3)と、頑として受け入れなかったのです。何だか幼子がただをこねているみたいですね。いったいこのことどういうことだったのか、4節には次のようにあります。

「彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのである。そのころ、ペリシテ人がイスラエルを支配していた。」

 

どういうことでしょうか?これは、サムソンの思いが正しかったということではありません。明らかに彼は過ちを犯そうとしていました。しかし主はその過ちさえも用いて、ご自身の計画を実現させようとしておられたのです。つまりサムソンを用いてイスラエルをペリシテ人から救おうとしておられたのです。

 

このように神は、人の頑なさや自己中心的な態度さえもご自身の計画を実現させるために用いられることがあるのです。それはちょうどヤコブの子たちが弟ヨセフをエジプトに売り渡した時と同じです。彼らがやったことは明らかに悪でしたが、神はそれをヤコブの家族を救うために用いてくださいました。ですから、サムソンの思いが正しかったということではなく、神はそれを許容されたということです。

 

だからと言って、神の恵みとあわれみを試すようなことをしてはいれません。ただ過去において失敗した経験がある人は、主がそのことさえも益としてくださると信じて主の御名をあがめ、神のみこころに歩まなければなりません。神は、私たちの失敗さえも良き目的のために用いてくださる方なのです。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ2:13)

 

Ⅱ.獅子を引き裂いたサムソン(5-9)

 

次に5節から9節までをご覧ください。

「サムソンは彼の父と母とともにティムナに下り、ティムナのぶどう畑にやって来た。すると見よ、一頭の若い獅子が吼えたけりながら彼に向かって来た。

このとき、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、何も手に持たず獅子を引き裂いた。サムソンは自分がしたことを父にも母にも告げなかった。

サムソンは下って行って、その女と話した。サムソンは彼女が気に入った。しばらくたってから、サムソンは彼女を妻にしようと戻って行った。あの獅子の死骸を見ようと、脇道に入って行くと、なんと、獅子のからだに蜜蜂の群れがいて、蜜があった。

彼はそれを両手にかき集めて、歩きながら食べた。彼は自分の父母のところに行って、それを彼らに与えたので、彼らも食べた。その蜜を獅子のからだからかき集めたことは、彼らには告げなかった。」

 

サムソンは、彼の父と母とともにティムナに下って行きました。その女と会うためです。そしてぶどう畑にやって来たとき、一頭の若い獅子が彼に襲いかかりました。この時は父と母は一緒ではなかったようです。後のところに、彼はこのことを父と母に告げなかったとありますから・・。

すると、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、獅子を引き裂きました。何も手に持たずして、です。しかし、サムソンはそれを自分の両親に告げませんでした。なぜでしょうか。なぜなら、彼はナジル人として聖別されていたからです。このナジル人については前回学びましたが、三つのことが禁止されていました。その一つは、ぶどう酒や強い酒を飲んではならないということでした。しかし彼はティムナに下ったとき、ぶどう畑にやって来ました。何のためですか?ぶどうの実を食べるためでしょう。しかし、それはナジル人として禁じられていたことでした。ですから、彼はそのことを両親に告げなかったのです。そして、サムソンは下って行って、その女と話をしました。すると彼はもっと彼女が気に入りました。

 

それから、しばらくたってからのことです。サムソンは彼女を妻にしようとティムナに戻って来ました。「しばらくたってから」とは、この時からしばらくたってという意味です。サムソンはツォアルの自分の家に戻っていたのでしょう。それからしばらくたって、彼は彼女を妻にしようと戻って来たのです。

 

そのとき、サムソンはあの獅子の死骸がどうなっているのか見ようと、脇道に入って行くと、なんと、獅子のからだに蜂蜜の群れが巣を作っていました。するとその中に密があったので、彼はそれをかき集めて、歩きながら食べました。そのときそこに両親はいませんでしたので、自分の両親のところに行ってそれを与えたので、彼らも食べました。彼は、それが獅子の死体から集めたものであることは告げませんでした。なぜでしょうか。ここも彼がナジル人として神に聖別された者であることと関係があります。ナジル人として禁止されていたもう一つのことは、汚れたものに近づいてはならないということでした。死体に近づいてはならなかったのです。しかし、彼はそれを無視して蜜を食べました。それがバレないように、そのことを父母には内緒にしたのです。

 

こうやって見ると、彼は早くも神の命令に背いていたことがわかります。一度ならず二度も・・。彼がぶどう畑にやって来たとき、一頭の若い獅子が彼に襲いかかったのは、このことを思いださせるためだったのでしょう。しかし、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、獅子を引き裂いてしまいました。彼にそれができたのは、彼がナジル人であるがゆえにそのような力が与えられていたのに、そのナジル人の誓いを簡単に破ってしまったのです。いったいなぜ彼は神の命令に背いてしまったのでしょうか。

 

勿論、彼はそのことを十分自覚していたでしょう。しかし彼の行動は、自分の思いとは全く別のことをしていました。これはサムソンばかりでなく、私たちもよく経験することです。

パウロは、このことをローマ人への手紙7章15節で次のように言っています。

「私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。

そして、そんな自分の姿を嘆き、「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(同7:24)と叫びました。それはパウロだけではなく、私たちも同じではないでしょあうか。私たちはイエスを信じ、イエスに結び合わされた者として、神に聖別された者であるにもかかわらず、ここでサムソンがしているように、平気で神のみこころに背くようなことをしてしまいます。その結果、パウロのように、「私は本当にみじめな人間です。」と叫んでいるような者です。サムソンも同じでした。彼はわかっちゃいるけど止められなかったのです。彼は、自分がしたいことではなく、したくない悪を行っていたのです。

 

いったいどうしたら良いのでしょうか。どこにその解決の鍵があるのでしょうか。パウロは続く7章25節からのところで、その解決を見出しました。それはイエス・キリストです。イエス・キリストにあるいのちの御霊の原理です。

「私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。こうして、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。 肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従うことができないのです。 肉のうちにある者は神を喜ばせることができません。しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」(ローマ7:25-8:11)

そうです、私たちの混乱した状態から私たちを救うことができるのは、イエス・キリストのいのちの御霊でしかありません。もし神の御霊が私たちのうちに住んでおられるなら、私たちは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。そして、この御霊が、私たちの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。ですから、私たちにとって必要なことは、神の御霊によって生きることです。そうすれば、肉の欲求を満足させることはありません。サムソンの問題はいのちの御霊によってではなく、自分の肉の欲求に従って行動したことだったのです。

 

Ⅲ.謎かけ(10-20)

 

最後に、10節から終わりまでを見て終わりたいと思います。まず14節までをご覧ください。

「彼の父がその女のところに下って来たとき、サムソンはそこで祝宴を催した。若い男たちはそのようにするのが常だった。人々はサムソンを見て、客を三十人連れて来た。彼らはサムソンに付き添った。

サムソンは彼らに言った。「さあ、あなたがたに一つの謎をかけよう。もし、あなたがたが七日の祝宴の間に、それを見事に私に解き明かし、答えを見つけることができたなら、あなたがたに亜麻布三十着と晴れ着三十着を差し上げよう。もし、それを解き明かすことができなければ、あなたがたが私に、亜麻布の衣服三十着と晴れ着三十着を差し出すことにしよう。」彼らは言った。「謎をかけなさい。われわれは聞こう。」

そこで、サムソンは彼らに言った。「食らうものから食べ物が出た。強いものから甘い物が出た。」彼らは三日たっても、その謎を解き明かすことができなかった。」

 

サムソンの父がその女のところに下って来たとき、彼はそこで七日間祝宴を催しました。ペリシテ人たちは、サムソンに三十人の客を連れて来ました。そのようにすることが常だったからです。それで彼らはサムソンに付き従いました。

 

するとサムソンは、彼らに謎かけをします。これは古代ギリシャの習慣です。ペリシテ人たちはギリシャ系の民族だったので、このような習慣があったのです。謎かけというのは楽しいですね。私もよく孫と「なぞなぞクイズ」をやります。「花子さんのお母さんには四人の娘がいました。春子、夏子、秋子、さて、もう一人の娘の名前は何でしょう?」答えは「冬子」ではありません。「花子」です。こういう「なぞなぞ」をよくします。

サムソンが出した謎かけとはどういうものであったかというと、「食らうものから食べ物が出た。強いものから甘い物が出た。」いったいこれは何だ!というものでした。そして、彼らのやる気を引き出すためか、彼は正解者には豪華な賞品を約束します。それは亜麻布三十着と晴れ着三十着です。もし彼らが祝宴の七日の間に、その答えを見つけることができたら、これらを差し上げるというのです。通常、謎かけというのは、論理的に考えれば答えが見つかるものですが、サムソンのなぞかけは本人しかわからないものでした。ですから、どんなに豪華な賞品を出しても決して問題にはならないはずでした。むしろ、それは彼にとって好都合でした。なぜなら、もし、それを説き明かすことができなければ、逆に彼らからそれらを受けることができたからです。

 

すると彼らは「いいでしょう。謎をかけなさい。われわれは聞こう」と言って、その謎かけにチャレンジすることにしました。しかし、三日たっても、その謎を解き明かすことができませんでした。それて彼らはどうしたかというと、彼の妻を利用して答えを引き出そうとします。

 

15節から20節までをご覧ください。

「七日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。「おまえの夫を口説いて、あの謎をわれわれに明かしなさい。そうしないと、火でおまえとおまえの父の家を焼き払ってしまうぞ。おまえたちはわれわれからはぎ取ろうとして招待したのか。そうではないだろう。」

そこで、サムソンの妻は夫に泣きすがって言った。「あなたは私を嫌ってばかりいて、私を愛してくださいません。あなたは私の同族の人たちに謎をかけて、それを私に明かしてくださいません。」サムソンは彼女に言った。「見なさい。私は父にも母にもそれを解き明かしてはいないのだ。おまえに解き明かさなければならないのか。」

彼女は祝宴が続いていた七日間、サムソンに泣きすがった。七日目になって、彼女がしきりにせがんだので、サムソンは彼女に明かした。それで、彼女はその謎を自分の同族の人たちに明かした。

町の人々は、七日目の日が沈む前にサムソンに言った。「蜂蜜よりも甘いものは何か。雄獅子よりも強いものは何か。」すると、サムソンは彼らに言った。「もし、私の雌の子牛で耕さなかったなら、あなたがたは私の謎を解けなかっただろうに。」

そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った。彼はアシュケロンに下って行って、そこの住民を三十人打ち殺し、彼らからはぎ取って、謎を明かした者たちにその晴れ着をやり、怒りに燃えて父の家に帰った。サムソンの妻は、彼に付き添った客の一人のものとなった。」

 

彼らはいくら考えてもわからなかったので、サムソンの妻に脅しをかけ、その謎の秘密を探らせます。「おまえの夫を口説いて、あの謎をわれわれに明かしなさい。そうしないと、火でおまえとおまえの父の家を焼き払ってしまうぞ。おまえたちはわれわれからはぎ取ろうとして招待したのか。そうではないだろう。」

 

そこで、サムソンの妻は夫に泣きすがります。妻にこんなふうにされたら、答えない訳にはいきません。私などはこんなふうにされなくても答えてしまうでしょう。サムソンは非常に悩みますが、彼女は祝宴が続いた七日間、ずっとサムソンに泣きすがったので、ついにその秘密を彼女に明かしてしまいました。彼女はそれを同族のペリシテ人たちに明かすと、彼らは、七日目の日が沈む前にサムソンに言いました。

「蜂蜜よりも甘いものは何か。雄獅子よりも強いものは何か。」(18)

「食らうものから食べ物が出」の「食らうもの」とは「獅子」のこと、「強いものから甘い物か出た」の「甘い物」とは「蜂蜜」のことでした。

 

すると、サムソンは彼らに言いました。「もし、私の雌の子牛で耕さなかったなら、あなたがたは私の謎を解けなかっただろうに。」(18)

「私の雌の子牛」とは、サムソンの妻のことです。つまり、サムソンの妻が教えてくれなかったら、この謎を解けなかっただろう、ということです。

 

サムソンは、ペリシテ人の別の町アシユケロンに下って行き、そこの住民三十人を打ち殺し、彼らから着物をはぎ取とって、謎を解いた者たちに与えました。そして、彼は怒りに燃えて父の家に帰ると、その女の父は、他の男に娘をやってしまいました。

 

子やぎを引き裂くように素手で獅子を引き裂いたサムソンでしたが、たった一人の女の口説きによって、墓穴を掘ってしまったのです。いったい何が問題だったのでしょうか。それは、彼が神のみこころに反して、無割礼のペリシテ人から妻を迎えたことです。そして、そのペリシテ人たちを軽々しく挑発してしまったことです。彼は神のナジル人であり、主の霊が彼とともにあったのに、その主のみこころを求めて歩まなかったのです。

 

私たちも神のナジル人として神にささげられた者であっても、サムソンのようにすぐに神のみこころに背いてしまう者ですが、一方的な神の恵みによって救われた者として、常に神の御言葉を通してみこころを求め、みこころにかなった歩みができるように求めていきたいと思います。

出エジプト記1章

今日から、出エジプト記を学んでいきたいと思います。きょうは、1章から学びます。

Ⅰ.エジプトで増え広がったイスラエル(1-7)

まず、1節から7節までをご覧ください。

「さて、ヤコブとともに、それぞれ自分の家族を連れてエジプトに来た、イスラエルの息子たちの名は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ。イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン。ダンとナフタリ。ガドとアシェル。ヤコブの腰から生まれ出た者の総数は七十名であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。それから、ヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。イスラエルの子らは多くの子を生んで、群れ広がり、増えて非常に強くなった。こうしてその地は彼らで満ちた。」

この出エジプト記の原題は、へブル語では「ウェエーレ・シェモース」となっています。意味は、「さて、名は次のとおりである。」です。つまり、この1節の初めの言葉が、そのまま表題になっているのです。これを書いたモーセは、創世記と出エジプト記を別々の話としてではなく、創世記の続きとして書いたということす。それは、私たちが創世記で学んだ、ヤコブの家族がエジプトに下ってきた所から始まります。

ヤコブとともに、エジプトに来た、イスラエルの息子たちの名は、「ルベン、シメオン、レビ、ユダ。イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン。ダンとナフタリ。ガドとアシェル。」です。その総数は、全部で七十名でした。それから、ヨセフも兄弟たちも、またその時代の人々もみな死にました。ヤコブがエジプトに下ってから四百年くらい経っていたのです。その頃、イスラエルはどのようになっていたのでしょうか。

7節をご覧ください。ここには、「イスラエルの子らは多くの子を生んで、群れ広がり、増えて非常に強くなった。こうしてその地は彼らで満ちた。」とあります。

神は、ヨセフがいなくなった後も、イスラエルとの約束を守ってくださいました。イスラエルがカナンの地を出てエジプトに下られる時、神はヤコブに何と仰せられたでしょうか。創世記46章3-4節にはこうあります。

「すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。」

この約束のとおり、神は、ヤコブがエジプトに下った後もずっと彼らを守り、彼らをその地で大いなる国民としてくださいました。この約束は、もともとヤコブの父イサクに、そしてイサクの父アブラハムに約束されていたことです。神はアブラハムに、「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。」(創世記12:1-2)と約束してくださいました。

ヤコブも、ヨセフも、自分たちが生きている間、子沢山に恵まれました。けれども、彼らがいなくなったら神の時代が過ぎ去ったのかというと、そうではなく、神は続けて生きて働いておられました。

私たちはとかく自分の頭の中で時代を区分して考えがちです。アブラハムの時代は神が働いておられたが今は時代は違うとか、キリストの時代は宗教の時代だったが、今は違う、というようにです。しかし時代がどんなに変わっても、神の約束は決して変わることはありません。神はいつの時代も働いておられ、その約束を果たしてくださるのです。

Ⅱ.エジプトの王パロの恐怖(8-14)

次に、8節から14節までをご覧ください。10節までをお読みします。

「やがて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民はわれわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くことがないように。」」

「やがて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった」とあります。ヨセフの時代のエジプトの王は、イスラエルの家族に対して非常によくしてくれました。ヨセフのゆえにエジプト全土が祝福されているのを見て、彼をエジプトの第二の地位にまで就けました。それは、神が彼と共におられることをよく知っていたからです。

ところが、ヨセフのことを知らない新しい王が起こると、彼はエジプトの民に言いました。「見よ。イスラエルの民はわれわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くことがないように。」新しい王にとってイスラエルの存在は、脅威でしかなかったのです。この新しい王とは、エジプト史上最大の帝国を築いたと言われているトトメス1世(Thutmose III,在位:紀元前1504-B.C.1450)です。この王がモーセの命を狙っていた王です。そして、その後の王が、出エジプトの時のパロアメンホテプ2世(Amenhotep II, 在位:紀元前1453年-1419年)です。

この時期、エジプトは絶頂期を迎えていましたが、それは少なからず、へブル人の働きによるものでした。それでパロは、彼らにイスラエルに出て行ってもらいたくないという思惑があったのです。エジプトの王は、それは神が彼らと共におられるからであることを知りませんでした。神が、彼らのゆえに、エジプト全体を祝福してくださったことを知らなかったのです。そこでパロ(ファラオ)はどうしたでしょうか?

「そこで、彼らを重い労役で苦しめようと、彼らの上に役務の監督を任命した。また、ファラオのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。しかし、苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がったので、人々はイスラエルの子らに恐怖を抱くようになった。」(11-12)

ピトムとラメセスは、かつてパロがヨセフを通してヤコブの家族に与えた、ナイル下流東部にあるゴシェンの地の中にあります。しかし、苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がったので、人々はイスラエルの子らに恐怖を抱くようになりました。

これは神を信じる人々の恵みです。これがキリストを信じて歩む私たちクリスチャンの姿でもあります。私たちは、イエス・キリストを信じこの方についていく決断をしたときから、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っている悪魔の攻撃を受けます。キリストの教会がいのちを持ち始めると、必ずその働きを止めさせようとする動きが起こるのです。しかし、どんなに反対や迫害が起こっても、教会はかえって強められ、神の御業が大きく前進するのです。それは使徒の働きを見ればわかります。また、現在も、中国の地下教会の成長を見ても明らかです

私は2年前に中国に行き、家の教会に起こっている神の働きを実際に見る機会がありましたが、中国は新たな指導者のもとで家の教会ばかりでなく、政府公認教会の十字架も破壊されたりと、当局からの締め付けが年々厳しくなっています。そのような中でもクリスチャンは減少していくところか、ますます増え広がっているのです。彼らは口をそろえてこう言います。「それはむしろ神の恵みです」と。聖書にそう書いてある・・と。神の働きは、人々の反対によって阻まれるものではありません。むしろ、迫害されればされるほど、ますます成長するのです。ある人はこう言いました、「殉教者は教会の種である」。

300年前にフランスの哲学者で、啓蒙思想家であったヴォルテールは、理神論の立場から教会を批判し、その人生の多くの時間をキリスト教批判に注ぎ、「50年後にはキリスト教を抹消する」と言いましたが、何と、彼の家が聖書を印刷する場所になりました。

それは、ヨセフの生涯も同じでした。彼は兄たちの陰謀でエジプトに売られて行きましたが、そのことによっても、ますます彼は祝福されて行き、やがてエジプトの第二位の地位に就くことができたばかりか、かつて見た夢の実現を見るのです。

それで、エジプト人は、イスラエルをどうしたでしょうか。「それでエジプト人は、イスラエルの子らに過酷な労働を課し、漆喰やれんが作りの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、彼らに課す過酷なすべての労働で、彼らの生活を苦しいものにした。」(13-14)

神の働きに対して、さらに反対を強めました。しかし、そのことによって、彼らは呪いを受けることになります。なぜなら、神は、アブラハムを祝福する者を祝福し、アブラハムをのろう者をのろわれるからです。

Ⅲ.パロの命令(15-22)

それで、パロはどうしたでしょうか。15節から22節までをご覧ください。「 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに命じた。一人の名はシフラ、もう一人の名はプアであった。彼は言った。「ヘブル人の女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。」しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておいた。そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼んで言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」助産婦たちはファラオに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女とは違います。彼女たちは元気で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」神はこの助産婦たちに良くしてくださった。そのため、この民は増えて非常に強くなった。助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。ファラオは自分のすべての民に次のように命じた。「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」」

パロは、初めはイスラエル人を何とか自分の手中で取り扱おうという程度の悪意でしたが、自分の手に負えないことが分かると、ヘブル人の助産婦たちに、もし男の子が生まれてきたら殺し、女の子なら、生かしておくように、と命じました。しかし、助産婦たちは神を恐れていたので、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておきました。

すばらしいですね、ここに「神を恐れ」とあります。私たちは、他の誰にも見られていなくても、一般には「これは行っても良いよ」と言われたとしても、「これはしてはいけないことではないか。」という良心があります。助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王の命令には従いませんでした。

そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言いました。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」すると、助産婦たちはこのようにパロに答えました。「ヘブル人の女はエジプト人の女とは違います。彼女たちは元気で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」

これが本当のことかどうかは分かりません。もしかすると、わざとゆっくり行くようにし、病室に行ってみたらもう赤ちゃんが生まれていた、というようにしていたのかもしれません。しかし、神はこのことで、この助産婦たちによくしてくださいました。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなったのです。

すると、パロはすべてのエジプトの民にこう命じました。「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」(1:22)

ついにパロは、狂気の沙汰になってしまいました。この「すべての民」とはエジプト人のことです。この箇所は、ヘブル人もエジプト人も男の子はすべてナイル川に投げ込まれなければいけない、という意味にも取れますが、そうではなく、エジプト国民すべてに対して、ヘブル人の男の子を見つけたらナイル川に投げ込みなさい、という命令です。つまり、これまでは五人組のような監視制度を設けたということです。互いに監視して、連帯責任とし、通告しなければ罰するようにしたのです。

けれども、出エジプト記の話を先に進めると、パロはエジプト軍と共に紅海の水の中で溺れ死ぬ運命を辿ります。イスラエルの民を水の中で殺すという呪いを与えたので、自分たちが水の中で溺れ死ぬことになってしまいました。まさに、「あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。」(創世記12:3)です。わたしはという呪いを受けたのです。

ここから、神の「贖い」の計画が始まっていきます。私たちは、創世記において、神の祝福の約束について学びました。神がアダムとともにおられた、あの祝福を私たちが受けることができるという約束です。そのために、神はアブラハムを召し出し、彼の子孫からこの祝福を与えるように計画を立てられたのです。

 

その約束は、イサク、ヤコブに引き継がれました。けれども、ヤコブの時代に彼の家族は、ヨセフのいるエジプトへと下って行きました。その祝福は、カナンの地を所有して多くの子孫が与えられるというものでしたが、彼らはエジプトに下って行かなければなりませんでした。

 

しかし、それは一つの大きな神のご計画が実現されるためでもあったのです。それは、彼に苦難を与えるためでした。神はただ単にイスラエルを祝福されるのではなく、まず彼らが苦しむのを許され、その苦しみから彼らを救い出し、その後で彼らを祝福されるというものだったのです。

 

でも、なぜ、神はそのようなことをわざわざされたのでしょうか。イザヤ書43章10節には、神はイスラエルに、「あなたがたは、わたしの証人」であると言われました。私たちがイスラエルを見るとき、神がどのような方であるか、また、神が何をなされるのかがわかります。アダムの子孫である人間は、神から引き離され、のろいの下にいましたが、神は、女の子孫から出るキリストによって人類を救い出し、ご自分の祝福に置かれようとされたのです。

 

これが、神の贖いの計画です。それゆえ、神の証人であるイスラエルは、まず苦しみを受けなければなりません。それは彼らがそれによって滅んでしまうためではなく、罪の中に苦しんでいる人をどのように救ってくださるのかを知るためでした。

私たちが、出エジプト記を通してイスラエルのたどった道を読むとき、神がどのように私たちを贖われるかを見ることができるのです。

ヨハネの福音書3章31~36節「上から来られる方」

今日は、「上から来られる方」というタイトルでお話します。今、M兄とT姉のバプテスマ式を行いました。お二人は、イエス・キリストを信じてバプテスマを受けらました。キリスト教の信仰では、この誰を信じるかというのがとても重要です。

 

宗教と呼ばれるものにはたくさんありますが、中には何を信じているのかがよくわからないものも少なくありません。何を信じているのかということよりも、とにかく信じることが重要だと、信じることだけを強調するものも多いのです。鰯の頭も信心から、というわけです。ひどい言い方をすれば、何を信じるかなんてどうでもいいのです。確かに信じる対象がどうであれ、熱心に手を合わせることで一時的な心の安らぎが与えられるかもしれませんが、それで問題が解決されるのかというとそうではありません。どんなに信じても、自分が信じている対象が本当に救ってくれる力を持っているものでなければ、何の意味もないのです。ですから、信仰において最も重要なことは、その信じている対象がどのような方であるかということです。

 

今読んでいただいた箇所には、私たちの信じている方、イエス・キリストがどのような方であるのかがよく教えられています。

 

Ⅰ.上から来られた方(31-33)

 

まず31節から33節までをご覧ください。

「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地のことを話す。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。

この方は見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。 その証しを受け入れた者は、神が真実であると認める印を押したのである。」

 

27節から30節まではバプテスマのヨハネの言葉が記されてありますが、この箇所は、そのバプテスマのヨハネの言葉の続きなのか、この福音書を書いた使徒ヨハネの言葉なのかははっきりわかりません。バプテスマのヨハネの引用をここまでとしないで、36節の終わりまでとして訳すこともできるからです。しかし、36節の言葉を見ると、これは使徒ヨハネの言葉と考えるのが自然かと思います。なぜなら、3章18節にも、「御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。」と語れているからです。どちらが語った言葉であるにせよ、大切なのはその内容です。

 

「上から来られた方」とは、イエス・キリストのことです。キリストはただの人ではなく、上から来られた方です。つまり、天から来られた方なのです。それに対して「地から出る者は地に属し、地のことを話します。」これはだれのことを言っているのかというと、私たち人間のことです。私たちは、地から出た者なので、地のことを話します。しかし、キリストは天から来られた方なので、天からの言葉を語られるのです。ご自分が天において見たことを、聞いたことを証しされるのです。

 

これは驚くべきことではないでしょうか。私たちはだれも天に行ったことがない

で、そこがどういうところなのかわかりませんが、この方はもとから天におられたので、天上のことがどうなっているのか、その現実を証しすることができるのです。

 

1975年に、レイモンド・ムーディという有名な内科医が、「死後の生」という本を書きました。彼は、死んでからまた生き返ったという100人の人々に会って、調査し、死後どういうことがあったのか、その体験をまとめました。

ある人は、「一人しか通ることのできないような、暗いトンネルを通った」とか、「すでに死んでいる、自分の身内や友人を含めた、いろいろな魂や、天使のような案内者に会った」とか、あるいは、「言葉に言い表すことができないような平安と喜びを体験した」と答えました。

 

しかし、実際のところは、それが本当に天国だったのかどうかわかりません。なぜなら、その人たちは死にかけたかもしれませんが、本当に死んだのかどうかさえわからないからです。つまり、天国に行ったのかどうかわからないのです。

 

しかし、キリストはもとから天におられたので、天上のことがどうなっているのか、はっきり伝えることができたのです。1章18節には、「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」とありますが、ひとり子の神であられるキリストが、神を説き明かされたのです。

 

しかしここにはもっと驚くべきことが記されてあります。それは、この方は自分が見たこと、聞いたことを証ししているのに、だれもそのあかしを受け入れないということです。それは、私たちの回りを見れば一目瞭然でしょう。私たちの回りに、どれだけの人がそのあかしを受け入れているでしょうか。本当に一握りの人しかいません。

 

日本では、クリスチャンは人口のおよそ1%であると言われていますが、実際にはそんなにいないでしょう。日本の人口はおよそ1億2645万人ですから、仮にその1%がクリスチャンだとすると、126万人となります。しかも、その半分がカトリックですから、プロテスタントは50~60万人くらいでしょう。その中で日曜日に教会に行っているのは24万人くらいだと言われていますから、仮に電車に200人乗っていれば、クリスチャンが1人いるかどうかです。M兄が通っている大学の学生数は約6,500人ですから、30人くらいいても不思議ではありませんが、そんなにいないでしょう。ここには3~4人だけです。だれもそのあかしを受け入れません。

 

でも、わずかでもそのあかしを受け入れる人がいます。そういう人はどういうことになるのかというと、33節にあるように、神が真実な方であると認める印を押した人です。ここには、「その証しを受け入れた者は、神が真実であると認める印を押したのである。」とあります。この32節と33節の言い方は、1章11~12節のみことばを思い出させます。「この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」

 

私たちが犯しやすい過ちは、神がお語りになったことを受け入れようとしないことです。そればかりか、その上に立って判断しようとします。それは先生が生徒に教えようとしている時、その教えを受け入れないで、それを批判するようなものです。いや、それ以上でしょう。なぜなら、先生も人間である以上、間違えることもあって、時として先生以上に優秀な生徒がいるということもあるからです。しかし、神の場合はそのようなことは絶対にありません。それなのに、人間が神の上に立って、それが正しいか、間違っているのかを、判断しているとしたら、本末転倒もいいところで、そのような態度では、いつになっても神を理解できるはずがありません。被造物である人間にできることは、ただ神の証しを受け入れることしかないのです。なぜなら、この方はすべてのものの上におられる方だからです。すべてのものの上におられ、すべてを支配しておられる方の証しをそのまま受け入れること、それが信じるということにほかなりません。

 

クリスチャンとは、このイエスの証しを受け入れた者です。その人は、ただイエスのことばが真実であることを確認したというだけでなく、神は真実であるということを認める印を押しました。なぜなら、イエスを遣わされたのはその父なる神であられるからです。イエス様を信じても、その初めの頃は、神様が真実な方なのかどうかよく分からないこともあります。イエス様を信じたのに、どうして私の人生にこんなことが起こるのかということがありますと、神様なんていないんじゃないか、と思うこともあります。しかし、時が経てば経つほど、本当に神は真実なお方であるということが分かってくるものです。

 

先日、末期のすい臓がんで、ご自宅で療養されているYさんを尋ね、一緒に賛美戸祈りの時を持たせていただきました。今年の6月にご病気であることがわかった時には、夏を乗り越えられないのではないかと思いましたが、不思議な神の恵みによって、ずっと命が保たれているというだけでなく、平安の中に過ごしておられます。痛みがある時は鎮痛剤を飲む程度で、他に特別な治療はしておられません。

ローマ人への手紙8章28節の御言葉、「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)を読んだ時、Y姉がこうおっしゃられました。「いや、クリスチャンになったばかりの頃は次から次に試練がやって来て、神様なんていないんじゃないかと思ったこともありましたが、しかしあれから25年、振り返ってみると、本当に神様に守られていたということがよくわかります。もっと早く信じればよかったと思います。ただこうして信仰によって救われた今、イエス様にいつも見守られて、平安が与えられていることを感謝しています。幸いなことに、死ぬことに恐れはないんです。死は終わりの始まりですから。」

本当にそうではないでしょうか。時が経てば経つほど、神がいかに真実な方であるかということが実感として分かってきます。その証しを受け入れた者は、この神が真実な方であるということを認めるだけでなく、その真実な神に励まされて生きる力が与えられるのです。

 

Ⅱ.キリストは神のことばを語られる(34-35)

 

次に、34節と35節をご覧ください。「神が遣わした方は、神のことばを語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからである。父は御子を愛しておられ、その手にすべてをお与えになった。」

 

「神が遣わした方は、神のことばを語られる」。これは、イエス・キリストのことです。キリストは神から遣わされた方なので、神のことばを語られます。なぜなら、「神が御霊を限りなくお与えになるから」です。新改訳聖書第三版には、「神が御霊を無限に与えられるからである。」とあります。

 

これはどういうことかと言うと、一般に預言者と呼ばれる人は神のことばを語りますが、どのようにして語るのかというと、神の御霊、聖霊に導かれてです。預言者は自分が語りたいことではなく、神が語るようにと導いてくださっていることを語るのです。しかし、私たちが神のことばを語るのと、キリストが語るのとでは少し違いがあります。確かに私たちも御霊に導かれて語っていますが、限界があるのです。そのために祈り、聖書をよく調べ、神が語っておられることはこういうことだと確信をもって語りますが、時々わからないということや、間違って理解することがあります。しかし、イエス様はそういうことがありません。イエス様は完全に神のことばを語ることができました。なぜなら、神が御霊を無限に与えられたからです。

 

これは、神のことばを語る私たちがいつも目指していることです。説教者(預言者)は、自分の思いや考えを語るのではなく、神から預かった言葉を、神からのことばとして語らなければならないということです。その神のことばこそ聖書です。キリストが地上におられた時は、キリストからじかに神のことばを聞くことができましたが、キリストが昇天して天に行かれた後は、神は私たち人間の救いに関する御心を、この聖書に啓示してくださいました。ですから、神の御心のすべては、この聖書の中に書かれてあるのです。聖書が神からの啓示であると言えるのは、これが神の御霊である聖霊によって書かれたものだからです。テモテ第二の手紙3章16節に、「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」と書かれてあるとおりです。聖書こそ100%神の御霊によって書かれた書であり、キリストが地上におられた時に語られた時と同じ権威をもった神のことばにほかなりません。だから説教者は、この神のことばである聖書を語らなければならないのです。

 

しかし、それは説教者だけではありません。その説教を聞く人も同じで、それを説教者のことばとしてではなく、また人間のことばとしてではなく、神のことばとして聴かなければなりません。

 

私はこれまで毎週日曜日の礼拝で説教を語ってきました。神のあわれみによって35年間語らせていただいたので、礼拝説教だけで1820回語ってきたことになります。その他に祈祷会やさまざまな集会で語って来たことを合わせると相当数の説教を語って来たことになります。私はよくしゃべるので、中には私は口から生まれて来た人間だと思っている人もいますが、実はそうではなく、本当に口下手で、シャイで、できれば誰かの陰に隠れていたいタイプなのです。そんな私が語り続けることができたのは、それは私の中に語るものがあったからではなく、神が語るべきことばを与えてくださったからです。そうでなければ、そんなに語り続けることなんてできなかったでしょう。

 

でも、もっと驚くべきことは、そこにそれを聴いてくださる方がおられたということです。学校ならば卒業もありますが、教会には卒業がありません。何年も、何十年も、教会を移らない限り、ずっと同じ牧師からの説教を聴き続けなければならないのです。それも大変なことだとつくづく思います。語る方も大変ですが、聴く方はもっと大変です。「また同じことを言っている。前にも聞いたなぁ」と愚痴の一つが出ても不思議ではありません。それなのにずっと同じ牧師から聴き続けることができるのは、それを人間の言葉としてではなく、神からの言葉として聴いておられるからです。それが、人間の言葉であれば、聴き続けることなんてできないでしょう。そうです、私たちがいつも礼拝で耳を傾けている聖書は、人間から出た言葉ではなく、神から来た言葉なのです。説教者はただそれを取り次がせていただいているに過ぎません。ですから、いつまでも語り続けること、また聴き続けることが可能になってくるのです。

 

あなたは、神のことばである聖書のことばをどのように受け止めておられるでしょうか。聖書のことばを神のことばとして受け止め、そこに信頼をおいていますか。聖書のことばをそのように受け止めるなら、あなたの人生にもこの豊かな神の恵みが注がれるのです。

 

Ⅲ.永遠のいのちを持つ者(36)

 

最後に36節のことばを見て終わりたいと思います。この節は、これまで語ってきたことの結論です。「御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」

 

「御子を信じる者は永遠のいのちを持っている」御子イエスを信じる者には、今、この地上で生きている時点で、すでに永遠のいのちが与えられているのです。永遠のいのちは、死後に与えられるものだけではなく、信じた時から体験できる神との生きた交わりであり、神の臨在であるからです。

 

それはまた、この御子イエスを信じない者に対する霊的現実でもあります。ここには、「御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがとどまる。」とあります。それは死後のことだけでなく、今すでに始まっているのです。いくら神のことばを聞き、イエス・キリストの福音を聞いても、それに従う意志がない人には、永遠の祝福にあずかることがないというだけでなく、今も神の怒りがその上にとどまっているのです。神との生ける交わりがありません。人のからだも血管が詰まると重大な病気を引き起こすように、神との交わりが断たれると、そこに神のいのちが流れることはありません。霊的に死んでいるのです。しかし、あわれみ豊かな神様は、その死の原因である罪を取り除くために、御子イエスを遣わしてくださいました。この方を信じる者はひとりも滅びないで、永遠のいのちを持つのです。

 

あなたは、この永遠のいのちを持っておられますか。それとも、まだ神の怒りがとどまっているでしょうか。T姉とM兄は、御子イエスを信じて永遠のいのちを持つことができました。その答えを御子イエスに見出したのです。あなたも御子イエスを信じてください。信じて、この方の中にしっかりととどまってください。それが、神が御子をこの世に遣わされた目的だったのです。

士師記13章

士師記13章から学びます。

Ⅰ.マノアとその妻(1-7)

まず1~7節までをご覧ください。「1 イスラエルの子らは、【主】の目に悪であることを重ねて行った。そこで【主】は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡された。2 さて、ダンの氏族に属するツォルア出身の一人の人がいて、名をマノアといった。彼の妻は不妊で、子を産んだことがなかった。

13:3 【主】の使いがその女に現れて、彼女に言った。「見よ。あなたは不妊で、子を産んだことがない。しかし、あなたは身ごもって男の子を産む。4 今後あなたは気をつけよ。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。5 見よ。あなたは身ごもって男の子を産む。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人だから。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」6 その女は夫のところに行き、次のように言った。「神の人が私のところに来られました。その姿は神の使いのようで、たいへん恐ろしいものでした。私はその方がどちらから来られたか伺いませんでした。その方も私に名をお告げになりませんでした。7 けれども、その方は私に言われました。『見よ。あなたは身ごもって男の子を産む。今後、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。その子は胎内にいるときから死ぬ日まで、神に献げられたナジル人だから』と。

イスラエル人は、再び主の目の前に罪を行いました。それで主は40年間、彼らをペリシテ人の手に渡されました。ペリシテ人は地中海に面している地域に住んでいた民族で、イスラエルの地においてもガザやアシュケロンなど、沿岸地域に住んでいました。そのペリシテ人の手に渡されたのです。しかも、40年の長きに渡ってです。これは、預言者サムエルがペリシテ人に勝利する時まで続きます(Ⅰサムエル7章)。サムソンが士師として活躍するのは20年間ですが、それはペリシテ人による圧政の期間の間に入る出来事です。

ところで、ダン族に属するマノアという人がいました。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがありませんでした。当時は、子どもがいないということを神の呪いと受け止められていたので、そのことは彼らにとってとても悲しい出来事でした。そんな彼女に、ある日主の使いが現れて、男の子を産む、と告げました。それゆえ、ぶどう酒や強い酒を飲んだり、汚れた物をいっさい食べないように気を付けよ、と告げたのです。また、その子の頭にかみそりを当ててはならない、とも言いました。なぜなら、その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人であるからです。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始めるというのです。

ナジル人とは、「聖別されたもの」という意味です。民数記6章1~8節には、このナジル人について、次のように記されてあります。「主はモーセに告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。男または女が、主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、その人は、ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。また、ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも、干したものも食べてはならない。ナジル人としての聖別の全期間、彼はぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間は、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであり、頭の髪の毛を伸ばしておかなければならない。主のものとして身を聖別している間は、死人のところに入って行ってはならない。父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らとの関わりで身を汚してはならない。彼の頭には神への聖別のしるしがあるからである。ナジル人としての聖別の全期間、彼は主に対して聖なるものである。」

ここにはナジル人に対して、三つの命令が与えられています。一つは、ぶどう酒や強い酒を飲んではならないということ、二つ目のことは、ナジル人としての聖別の誓願を立てている間は、頭にかみそりをあててはならないということ、そして三つ目のことは、死人のところに入って行き、身を汚してはならないということです。ぶどう酒や強い酒を飲んではならないというのは、生活の楽しみを自発的に断ち、神への献身を表明することを表していました。また、頭にかみそりをあてないというのは、そのことで軽蔑されるようなことがあっても、神への献身のゆえにどのような軽蔑をも甘んじて受けることを表していました。当時の人は前髪を短く刈っていたので、ナジル人の誓願をすることで前髪が伸び、人々から軽蔑されるということもありました。しかし、どんなに軽蔑されても、神に献身した者はそれさえも甘んじて受けなければならなかったのです。そして、死体に近づくことは、汚れを避けることを意味していました。たとえそれが肉親であっても、死体に近づいて身を汚すことは許されませんでした。その厳格さは、大祭司と同等のものでした。一般の祭司でさえ、肉親の死体に近づくことは許されていたのです(レビ記21:1-4,10-11)。

このナジル人の誓願には、一定期間で終わるものと、終生の誓願とがありましたが、サムソンは終生のナジル人でした。しかし、彼の父母も一定期間ナジル人として生きることが求められたのです。

聖書の中には、生まれながらのナジル人が3人います。このサムソンと預言者サムエル(Ⅰサムエル1:11)、そして、バプテスマのヨハネ(ルカ1:15)です。彼らは、主のために聖別された僕としての人生を歩みました。そして、主イエスもこのナジル人としての生涯を歩まれました。主イエスは、この世から分離し、父なる神に完全に従うことによって、聖別された生涯を歩まれたのです。そして、そのイエスを信じ、イエスにつながり、イエスに従う私たちにも、霊的には、このナジル人とされたと言ってもよいでしょう。ですから、クリスチャンはみな、ナジル人として生きることが求められているのです。

パウロはⅡコリント6章14~18節で、次のように言っています。「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らから離れよ。──主は言われる──汚れたものに触れてはならない。そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。──全能の主は言われる。」」

ここで勧められていることは、まさにこのナジル人として生きなさいということです。それはこの世から隔離された修道院のような生活をしなさいということではありません。この世にいながらも、この世のものではなく、神のものとして、この世と分離して生きなさいということです。それは主イエスがこの世から分離し、父なる神に完全に従ったように生きるということです。なぜなら、私たちはこの世から救い出され、神のものとされたものだからからです。神のものとされた者は、この世にあっても神のものとして聖別し、世の光、地の塩として生きていかなければならないのです。

Ⅱ.マノアに現れた主の使い(8-14)

次に8~14節までをご覧ください。「8 そこで、マノアは【主】に願って言った。「ああ、主よ。どうか、あなたが遣わされたあの神の人を再び私たちのところに来させ、生まれてくる子に何をすればよいか教えてください。」9 神はマノアの声を聞き入れられた。それで神の使いが再びこの女のところに来た。彼女は畑に座っていて、夫マノアは彼女と一緒にはいなかった。10 この女は急いで走って行き、夫に告げた。「早く来てください。あの日、私のところに来られたあの方が、また私に現れました。」11 マノアは立ち上がって妻の後について行き、その人のところに行って尋ねた。「この女にお話しになった方はあなたなのですか。」その人は言った。「わたしだ。」12 マノアは言った。「今にも、あなたのおことばは実現するでしょう。その子のための定めと慣わしはどのようなものでしょうか。」13 【主】の使いはマノアに言った。「わたしがこの女に言ったすべてのことに気をつけなければならない。14 ぶどうからできる物はいっさい食べてはならない。ぶどう酒や、強い酒も飲んではならない。汚れた物はいっさい食べてはならない。わたしが彼女に命じたことはみな守らなければならない。」

それで女は夫のところに行き、そのことを告げると、マノアは主に願って言いました。「ああ、主よ。どうか、あなたが遣わされたあの神の人を再び私たちのところに来させ、生まれてくる子に何をすればよいか教えてください。」

マノアは妻の報告を聞き、主に願って言いました。神が遣わされた神の人を再び遣わして、生まれてくる子に何をすれば良いか教えてくれるように・・・と。

すると、神はマノアの祈りを聞かれたので、神の使いが再び彼の妻のところに来ました。その時マノアは彼女と一緒にいなかったので、彼女はすぐに夫を呼びに行き、その人のもとに連れて来ました。おもしろいですね。マノアが懇願したのに、神の使いはまたマノアのところではなく妻のところにやって来ました。また、マノアが妻に連れられてその神の人のところへ行ったとき、その神の使いが言ったことは、以前彼の妻に告げたことを繰り返しただけでした。つまり、「わたしが彼女に命じたことはみな守らなければならない。」(13)ということだけだったのです。なぜでしょうか?それはその必要がなかったからです。神のみこころはすでにマノアの妻に告げられました。彼にとって必要だったことは、そのことに聞き従うことだったのです。

時として、私たちも、既に与えられている御言葉で満足できず、もっと先のことや新しいことを知りたいと願うことがありますが、大切なのは、先のことが見えなくても、新しい情報が示されなくても、今与えられていることに感謝し、目の前に示されたことを忠実に行っていくことです。そうすれば、次にすべきことが示されるようになるでしょう。

Ⅲ.わたしの名は不思議(15-25)

次に、15~23節までをご覧ください。「15 マノアは【主】の使いに言った。「私たちにあなたをお引き止めできるでしょうか。あなたのために子やぎを料理したいのですが。」16 【主】の使いはマノアに言った。「たとえ、あなたがわたしを引き止めても、わたしはあなたの食物は食べない。もし全焼のささげ物を献げたいなら、それは【主】に献げなさい。」マノアはその方が【主】の使いであることを知らなかったのである。17 そこで、マノアは【主】の使いに言った。「お名前は何とおっしゃいますか。あなたのおことばが実現しましたら、私たちはあなたをほめたたえたいのです。」18 【主】の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはそれを聞くのか。わたしの名は不思議という。」19 そこでマノアは、子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で【主】に献げた。主のなさる不思議なことを、マノアとその妻は見ていた。20 炎が祭壇から天に向かって上ったとき、【主】の使いは祭壇の炎の中を上って行った。マノアとその妻はそれを見て、地にひれ伏した。21 【主】の使いは再びマノアとその妻に現れることはなかった。そのときマノアは、その人が【主】の使いであったことを知った。22 マノアは妻に言った。「私たちは必ず死ぬ。神を見たのだから。」23 妻は彼に言った。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、【主】は私たちの手から、全焼のささげ物と穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。また、これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、今しがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったはずです。」

マノアとその妻は、その時点でも主の使いが誰なのかを理解していませんでした。彼らはその人を預言者のひとりだと思っていたのです。そこで、その人をもてなしたいと思い、彼らの家に留まってもらうようにお願いしました。しかし、その人は、たとえ留まっても、食事のもてなしは受けないと断りました。そして、もし全焼のささげ物を献げたいなら、主に献げなさい、と命じたのです。

するとマノアは、その人に名前を尋ねました。「お名前は何とおっしゃいますか。」彼としては、このことが成就したら、預言者としてその人をほめたたえようと思ったのでしょう。すると、主の使いは、「なぜ、あなたはそれを聞くのか。わたしの名は不思議という。」と言いました。「不思議」という名前は不思議な名前です。しかし、それはその人物が神であることを指していました。というのは、不思議を行うことができるのは神だからです。神は不思議な方です。そして、その不思議を千年以上も後にご自身の御子イエス・キリストを通して表してくださいました。まさに、神のなさった最高・最大の「不思議」は神の御子が人となってこの世に来られ、その十字架の御業によって救いの道が開いてくださったことです。預言者イザヤはそのことを前もって預言し、やがて来られるメシヤがどのような方であるのかをこう告げました。「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」。(イザヤ9:6)

そして、主はマノアとその妻に不思議な御業を見せてくださいました。マノアが主の使いに言われるとおり子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で主に献げると、炎が祭壇(岩)から出てきて捧げ物を焼き尽くしたかと思ったら、主の使いが天に向かって上って行ったのです。それで、マノアとその妻は地にひれ伏しました。自分たちは死ぬのではないかと思ったのです(出エジプト記33:20)

しかし、マノアの妻は、こう言いました。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から、全焼のささげ物と穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。また、これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、今しがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったはずです。」

それはそうです。彼らを殺すつもりであれば、彼らがささげた全焼のいけにえをお受けになられるはずはありません。主が全焼のいけにえをお受けになられたというのは、主が彼らの祈りを聞かれたことを示していました。ですから、マノアの妻の言っていることは正しいのです。妻の方が霊的な目が開かれていました。

私たちもクリスチャンになってからでも、このように神のさばきを恐れてしまうことがあります。けれども、神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためです(ヨハネ3:17)。もし神が私たちを滅ぼすつもりなら、私たちに御子を与えられるはががありません。神は私たちを救い、私たちに永遠のいのちを与えるために、御子を与えてくださいました。私たちは、御子にあって、神の御救いに入れていただいたのです。この神の愛を受け取り、安心して主の道を歩ませていただきましょう。

最後に24節と25節をご覧ください。「24 この女は男の子を産み、その子をサムソンと名づけた。その子は大きくなり、【主】は彼を祝福された。25 【主】の霊は、ツォルアとエシュタオルの間の、マハネ・ダンで彼を揺り動かし始めた。」

主の使いの言ったとおり、マノアの妻は男の子を産み、その子を「サムソン」と名づけました。「サムソン」という名前は、「太陽」という意味の言葉から来ています。いわば、「太陽の子」という意味です。それはまた、彼の使命を象徴している名前でもありました。彼はイスラエルの民をペリシテ人の圧政から救い出す太陽となるからです。主が彼を祝福してくださったので、彼は大きく成長して行きました。それは肉体的にというだけでなく、知的にも、霊的にも、です。そして、彼が大きく成長して行ったとき、主の霊が彼を揺り動かしました。「マハネ・ダン」とは、「ダンの陣営」という意味です。主はダンの陣営で、彼を揺り動かし始めたのです。

このサムソンの姿には、いくつかの点でイエス・キリストとの類似点があります。たとえば、その出産が通常とは違っていたという点です。サムソンの母は不妊の女でしたが、主の助けによって男の子を身ごもりました(ルカ1:34-35)。そして、主イエスの母マリヤも処女でしたが、いと高き方の力、聖霊の力によって男の子を宿しました。また、サムソンは「太陽の子」という意味の名前でしたが、イエス・キリストは、「すべての人を照らすまことの光」(ヨハネ1:9)と呼ばれました。さらに、サムソンが主の祝福を受けて成長したように、主イエスも、神の恵みがその上にあったので、成長し、強くなり、知恵に満ちて行きました(ルカ2:40)。そして何よりも、サムソンも主イエスも、主の霊に揺り動かされて活動されました。つまり、サムソンは来るべきメシヤのひな型であったのです。私たちも、主の霊に揺り動かされ、主の霊に満たされて、神から与えられた使命を全うさせていただけるように祈りましょう。

ヨハネの福音書3章22~30節「主役はキリスト」

きょうは、ヨハネの福音書3章22節から30節までの箇所から、「主役はキリスト」というタイトルでお話しします。

 

Ⅰ.ヨハネの弟子たちのいらだち(22-26)

 

まず22節から26節までをご覧ください。

「その後、イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、彼らとともにそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。

一方ヨハネも、サリムに近いアイノンでバプテスマを授けていた。そこには水が豊かにあったからである。人々はやって来て、バプテスマを受けていた。ヨハネは、まだ投獄されていなかった。

ところで、ヨハネの弟子の何人かが、あるユダヤ人ときよめについて論争をした。彼らはヨハネのところに来て言った。「先生。ヨルダンの川向こうで先生と一緒にいて、先生が証しされたあの方が、なんと、バプテスマを授けておられます。そして、皆があの方のほうに行っています。」」

 

「その後」とは、ニコデモとの会話の後で、のことです。イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、彼らとともにそこに滞在して、バプテスマを授けておられました。それがどこであったかのかははっきりわかりませんが、おそらくヨルダン川でのことでしょう。というのは、26節に、「先生。ヨルダンの川向うで先生と一緒にいて、先生が証しされたあの方が、なんと、バプテスマを授けておられます。」とあるからです。おそらく、ヨハネがいた所からそう遠くない場所でイエスはバプテスマを授けておられたのだと思います。

 

一方ヨハネはというと、サリムに近いアイノンという所でバプテスマを授けていました。そこには水が豊かにあったからです。その頃はまだ、ヨハネは投獄されていませんでした。ヨハネはこの後でガリラヤの領主であったヘロデ・アンティパスに捕らえられ投獄されますが、まだ捕らえられていなかったので、バプテスマを授けていたのです。

ですから、その頃はイエスとバプテスマのヨハネの双方がバプテスマを授けていました。これは、どういうことでしょうか?それはちょうどリレーのバトンの受け渡しのようです。ヨハネは旧約聖書の最後の預言者でした。彼において旧約の時代は終わります。旧約聖書の主な役割は、キリストが来られることを予め前もって告げることでした。そのキリストが来られたのです。ですから、ヨハネの働きが終わって、ヨハネが指し示していたキリストの働きが今まさに始まろうとしていました。そのバトンがキリストへと渡されようとしていたのです。

 

ところが、ヨハネの弟子たちはそのことが理解できませんでした。それで彼らはヨハネのところに来て、こう言いました。26節、「先生。ヨルダンの川向うで先生と一緒にいて、先生が証しされたあの方が、なんと、バプテスマを授けておられます。」

 

バプテスマのヨハネが、以前ヨルダン川でバプテスマを授けていた時は、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川の全地域から人々がやって来ました。その中には、パリサイ人やサドカイ人も大勢いれば、ローマの兵士たちもいました。ところが、バプテスマのヨハネが主イエスのことを、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」(1:29)と言ってあかしし始めると、人々はどんどん彼から離れて行き、イエスの方について行くようになりました。彼らは、それがおもしろくなかったのです。

 

ある註解者は、この時のヨハネの弟子たちの心境をこのように推察しています。

「ヨハネの弟子たちは、多くの者がイエスのもとに行くのを見て、いらだちを覚えたのであろう。ヨハネの使命が、イエスを指し示すことであることは百も承知していたはずなのに、『皆があの方のほうに行きます』という言葉から想像できるように、人の波が大きくイエスの方に移っていくのを見た時、弟子たちは切ない気持ちになったのであろう。そして、その切ない気持ちはいらだちへとふくれあがっていったに違いない。ヨハネの弟子たちの心の中にはイエスに対するねたみの思いが湧き上がってきたのではないだろうか。人が離れていくのを寂しいと思う気持ちが雪だるま式にふくれあがり、やがてねたみへと変わっていったのである。人間の争いのほとんどは、この感情を震源地としているのである。イエスを十字架につけたのも、ユダヤの指導者たちのねたみのせいであったと他の福音書には記されている。」

 

この時のヨハネの弟子たちの心境がよく表されているのではないでしょうか。人間の争いのほとんどは、この感情を震源地としているのです。すなわち、人をねたむ心こそが、人間の争いの原因なのです。

 

先日祈祷会で士師記12章から学びましたが、エフタに詰め寄ったエフライム人の問題もここにありました。彼らはアンモン人に勝利したエフタに詰め寄ってこう言い増した。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。」(士師記12:1)

なぜって、以前エフタがアンモン人と戦ったとき、彼らに助けを求めたのに、彼らは助けてくれなかったからです。それなのに、今ごろになって不平を漏らし、戦いを挑んでくるなんて、筋が違います。それは彼らの中に高ぶりとエフタに対するねたみがあったことが問題でした。

 

パウロは、コリントの教会に宛てて書いた手紙の中で、彼らは御霊の人ではなく、まだ肉の人だと言っています。なぜなら、彼らの間にはねたみや争いがあったからです。それである人は「私はパウロにつく」と言い、別の人は「私はアポロに」と言っていたのです。アポロとは何ですか。またパウロとは何ですか。彼らは、あなたがたが信じるために用いられた奉仕者であって、主がそれぞれに与えられたとおりのことをしたのです。「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」(Ⅰコリント3:6-7)

 

あなたにはこのような思いはないでしょうか。私たちは、すぐに人と自分を比較してはねたみを抱いてしまいます。自分よりもほかの人の方が優れているのを見ると、あるいは、ほかの人がうまく行っているのを見ると、その人が妬ましくなるのです。しかし、それはただの人、つまり、イエスを知らない人と同じです。そうした思いはただ争いを引き起こすだけで、そこからは何も良いものが生まれてきません。ですから、もしあなたの中にこうした思いがあるならば、イエス様に赦していただきながら、神の御霊によって聖めていただかなければなりません。

 

Ⅱ.自分の立場をわきまえる(27-28)

 

次にそうした弟子たちの訴えに対して、バプテスマのヨハネがどのように答えているかを見てみましょう。27節と28節をご覧ください。

「ヨハネは答えた。「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることができません。『私はキリストではありません。むしろ、その方の前に私は遣わされたのです』と私が言ったことは、あなたがた自身が証ししてくれます。」

 

「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることができません。」とは、どういう意味でしょうか?人々がキリストの方に行くのは、神がそうさせておられるからであるということです。それなのに、ねたみを抱くことがあるとしたら、その神の主権を侵害すことになります。私たちは、どんな場合でもそこに神の御手があることを認めなければなりません。

 

それは私たちの生死に関しても言えることでしょう。たとえば、私たちの家族の中に障害のある子どもが生まれてくると、なかなかそれを受け入れることができないかもしれません。そのことで親は自分を責め続けるでしょう。しかし、そこに神の御手があると信じ、神が与えてくださったものであると受け止めるなら、その苦しみから解放されるでしょう。

 

それは自分のいのちについても同じことが言えます。人は自分の死が近づいて来るとなかなかそれを受け入れることができません。そのためにもがき苦しむのです。しかし、クリスチャンは違います。クリスチャンは、自分の人生すら自分のものではなく、自分がこの世に生かされているのは、神が自分にいのちを与えてくださったからであると受け止めているので、そして、この世での使命を果たし終える時、神はこの世のすべての苦しみから解放して、もっとすばらしい天の御国に入れてくださるということを信じているので、安らかに死を迎えることができるのです。

 

今、さくら市ミュージアムで「青木義雄と内村鑑三」展をやっておりますが、昨日はその記念講演として内村鑑三の人と信仰についての講演会がありました。講師が、黒川知文先生と言って、私の神学校の時の講師だったので、講演を聞きに行きました。内村鑑三の信仰に改めて感動しました。

何に感動したのかというと、その講演の中で内村鑑三が愛娘のルツ子さんを天に送るのですが、その告別式で内村鑑三がこのように言ったことです。「今日はルツ子の葬儀ではなく、結婚式であります。私は愛する娘を天国に嫁入りさせたのです」そして、墓地に埋葬する際には、一握りの土をつかみ、その手を高く上げ、甲高い声で「ルツ子さん、万歳!」と大勢の参列者の前で叫んだのです。後に東大の総長となった矢内原忠雄は、当時19歳でしたが、この叫びを聞いて雷に撃たれたような衝撃を受けたと言っています。

なぜ内村鑑三がこのように言うことができたのか。それは彼の中にキリストの再臨信仰があったからです。かなわち、キリストが再臨されるとき、キリストにあって死んだ者の復活があり、生ける者の携挙があると堅く信じて動かなかったからです。その時から、彼の再臨運動が一層熱を帯びていくわけです。そして、各地での聖書講義には平均で800人もの人々が集まったと言われています

17歳で札幌農学校に入学した彼は、キリストとの出会うわけですが、26歳の時にアメリカのアマースト大学でシーリー学長との出会いによって真の救いの体験をすると、このルツ子さんの死という試練を乗り越えて、死んでも復活する再臨信仰に至り、このように言うことができたのです。

 

それは生死に関することだけでなく、私たちの人生のすべてにおいて言えることです。人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることができません。今、私たちに起こっているすべてのことが神によって与えられているものであると受け止められるなら、すべての心のいらだちから解放されるでしょう。たとえ人が自分のところから他の人のところへ移って行くようなことがあったとしても、それが天から与えられたことであると受け止めるなら、すべてを神にゆだねることができるのです。

 

バプテスマのヨハネの場合はどうだったでしょうか。彼は28節でこのように言っています。「私はキリストではありません。むしろ、その方の前に私は遣わされたのです』と私が言ったことは、あなたがた自身が証ししてくれます。」

 

彼は、自分に与えられている立場がどのようなものであるかを、よく自覚していました。自分がどのような者であるかが分からない人は、とかく傲慢になります。パウロはコリントの教会の人たちに対してこう言っています。「いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、人からもらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」(Ⅰコリント4:7)

これはどういうことかというと、彼らが持っているものはすべて神からもらったものなのに、どうしてもらったものでないかのように誇るのかということです。彼らは、自分がどこから出発したのかを忘れていました。罪と汚れの中から、神の一方的な恵みによって、キリストの十字架の贖いによって救われたのに、そして、その神の恵みとして御霊の賜物が与えられたのに、あたかも自分の力で得たかのように錯覚していたのです。ですから、「あの人は、なぜ、自分たちのように神に仕えていないのか」と批判していたのです。それは彼らが、自分たちがどのような者であるのかを忘れていたからです。

 

自分を誇る人の多くは、この点がよくわかっていません。頭がよいということにしても、努力できるということにしても、ある種の才能を持っているということにしても、どれもすばらしいことですが、しかし、どれ一つとして自分の力で得たものではないのです。それらはみな与えられたものなのです。そういうことが分かってくると、自分の分もまたおのずと分かってくるのではないでしょうか。

 

バプテスマのヨハネは、自分に与えられていたものをよく自覚していました。「私はキリストではありません。むしろ、その方の前に私は遣わされたのです。」私はそういう者でしかないのです。だから、人々があの方の方へ行ったとしても、何の問題もありません。むしろ、それが本望です、と言うことができたのです。

 

謙遜ということは、口で言うのはやさしいことですが、実際にそれを行うということは、決してやさしいことではありません。特に、いかに人を蹴り落として自分が上に立つかを求めているこの競争社会の中に生きている私たちにとっては、本当に難しいことです。しかし、そのような中にあっても真に謙遜に生きるコツは、このバプテスマのヨハネのように自分に与えられた立場をわきまえ、そこに生きることなのです。

 

Ⅲ.主役はキリスト(29-30)

 

では、主役は誰でしょうか。主役はキリストです。バプテスマのヨハネはそのことを29節と30節でこのように言っています。

「花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」

 

バプテスマのヨハネは、続けて弟子たちに語っています。「花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。」

ヨハネはここで自分のことを、結婚式における花婿の友人にたとえています。花婿の友人とは、ベストマンとかブライズメイトのことです。日本ではベストマンとかブライズメイトのいる結婚式はあまり見られませんが、アメリカの結婚式ではよく見られます。というか、ほとんどの結婚式におります。彼らの役割は何かというと花嫁や花婿を引き立て、彼らを助け、彼らが結婚して、喜びの生活に入れるようにすることです。あくまでも結婚式の主役は花嫁であり、花婿です。その主役である花嫁を引き立て、そばに立って耳を傾け、大いに喜んでいるのが花婿の友人なのです。間違っても、自分が出すぎてはいけません。バプテスマのヨハネはここで、自分はその花婿の友人であり、花婿であられるキリストの声を聞いて喜びに満ち溢れていると告白しているのです。

 

これこそヨハネが彼の弟子たちに求めたことでした。そして、これはすべてのクリスチャンにも求められていることです。クリスチャンはみなこの花婿であられるキリストの友人であり、あくまでも主役はキリストなのです。このことを忘れてはいけません。というのは、謙遜はこのことをわきまえることから得られるものだからです。つまり謙遜は、謙遜になろうと努力することによって獲得できるようなものではなく、キリストとの正しい関係にあることによってもたらされるものであるということです。キリストはこのように言われました。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28-30)

どうすれば、たましいに安らぎが来るのでしょうか。キリストのくびきを負って、キリストから学ぶことによってです。なぜなら、キリストは柔和でへりくだっているからです。ですから、このキリストのくびきを負って、キリストから学ぶなら、たましいに安らぎを得ることができるのです。くびきとは、牛や馬など二頭の家畜をつなぐ棒のことですが、普通は牛や馬の頸部に取り付けられます。つまり、このくびきを負って、キリストとつながれているなら、私たちも柔和で、へりくだった者になることができるということです。

 

私たちは、花婿に仕える友人のように、花婿であるキリストを喜び、キリストに仕える者です。そして、花婿が花嫁と結ばれることによってその役目を果たし終えるように、キリストによって成し遂げられた救いの御業が全世界に宣べ伝えられ、多くの人々が救われて、世の終わりに天において子羊の婚宴が開かれることを待ち望みつつ、主に仕えて行く者なのです。

 

来週はM兄とT姉のバプテスマ式が行われますが、それはまさに花婿であられるキリストとの結婚式でもあります。やがて世の終わりにキリストとの婚宴が開かれる時、そこに招かれることでしょう。それはキリストの喜びであり、私たちの喜びでもあります。なぜなら、私たちは花婿のそばに立って、花婿が語ることに耳を傾け、花婿の声を聞いて大いに喜んでいる者だからです。それが私たちの喜びでもあるのです。

 

最後のところでヨハネは、「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」と言っています。これこそクリスチャンとしての最大のあかしです。「私が盛んになり、あの方は衰えなければなりません。」ではなく、「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」それでいいのです。それが私たちの人生であり、私たちの喜びだからです。

 

パウロは、コリント人への手紙の中で、「私たちは自分自身を宣べ伝えているのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝えています。私たち自身は、イエスのためにあなたがたに仕えるしもべなのです。」(Ⅱコリント4:5)と書きましたが、それはまさにこのことでした。私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝えるのです。あくまで主役はキリストなのです。そのことを忘れないでください。

 

今日からアドベントが始まりました。クリスマスの12月25日と言えば、冬至のころです。一年で一番夜が長い時期です。それから少しずつ昼が長くなっていきます。キリストがいよいよ光り輝き、栄光をお受けになられるのです。それに対して、バプテスマのヨハネは半年早く誕生しました。これはあくまでもそのように定められたということであって、実際のキリストの誕生日はいつなのかははっきりわかりません。ただわかっていることは、その半年前にバプテスマのヨハネが誕生したということです。ということは、クリスマスが12月25日とすれば、彼の誕生は6月24日となります。6月24日は夏至のころで、それから次第に昼が短くなっていきます。これは極めて象徴的であると言えるのではないでしょうか。バプテスマのヨハネは、この方をあかしさえすれば、それでこの世における使命は終わり、消えていくのです。まさに彼の人生は、「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」でした。

 

それは、私たちの人生も同じです。私たちの人生は、この方をあかしさえすれば、それでいいのです。それが本望です。それでこの世における使命は終わり、消えていくべき者にすぎないのです。私たちは、この神の定めを本当に理解しているでしょうか。それが本当に分かると、私たちの心は真の自由を得ることができます。私たちもこのバプテスマのヨハネから学び、彼のような生涯を送らせていただきましょう。あくまでも主役はキリストです。この方が盛んになり、私は衰えていかなければなりません。この方の声を聞いて大いに喜びましょう。キリストの心を心とする者、それが花婿であるキリストの友なのです。

ヨハネの福音書3章16~21節「永遠のいのちを持つために」

きょうは、ヨハネの福音書3章16節からのところから、「永遠のいのちを持つために」というタイトルでお話しします。

今お読みした聖書の箇所、特に3章16節は、聖書の中でも特に有名な箇所です。それは、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」という言葉です。なぜこの言葉が有名なのかというと、聖書には多くのことが書かれてありますが、その最も大切なことがここにあるからです。聖書のエッセンスがこの言葉の中にすべて含まれていると言えるでしょう。それゆえに、この箇所は「聖書の中の聖書」、「聖書の中の小聖書」と言われているほどです。

きょうは、この有名な箇所から、永遠のいのちを持つためにはどうしたらよいかについて、ご一緒に考えていきたいと思います。

 

Ⅰ.ひとり子を与えるほどの神の愛(16a)

 

まず16節に注目してください。ここには、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」とあります。

 

今日ほど愛という言葉が使われている時代はないでしょう。至る所で愛という言葉がささやかれていますが、その愛は、愛の形をしてはいても、実際には、そうではありません。むしろ愛とは正反対である場合がほとんどです。というのは、愛は自己犠牲が伴うものだからです。しかし、大抵の場合は、ほかの人に与えるものではなく、自分のためにすべてを奪うものになっています。

 

しかし、ここに本当の愛があります。それは、神が、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛されたことの中に現されました。ある註解者は、「ここに神の無限の愛がある。この愛は人間の知らない愛である」と言っています。何ゆえに、この愛は人間の知らない愛なのでしょうか。たとえば、この愛に最も近いものに母親の愛があるでしょう。母親にとってわが子は特別の存在で、まさに目の中に入れても痛くない存在です。母親であればわが子のために自分を犠牲にすることもいとわないでしょう。しかし、そのような愛でさえ「わが子」に限定されたもので、それを超えて愛するということはほとんどありません。
しかし、神の愛はそうではありません。神の愛は、全く愛される価値のない者でさえも愛する愛です。人間は神によって造られたにもかかわらずその神を愛することはおろか、神に背を向け、罪の奴隷となっていました。聖書では、これを罪と言っていますが、この罪深い人間のために、神はそのひとり子をお遣わしになり、十字架で死んでくださったのです。

 

旧約聖書のホセア書に出てくる物語は、この神の愛がどのようなものかをよく表しています。

ホセアという預言者は、神の愛をあかしするために、彼自身得意な生活を余儀なくされました。ホセアは、ディブライムの娘ゴメルと結婚し、三人の子どもが生まれました。しかし、妻のゴメルはホセアと結婚しながらも不貞を続け、彼よりも別の男性を求めたのです。夫のホセアは彼女を愛するあまり、その心は引き裂かれるばかりに痛み、苦しみます。けれども、ゴメルは夫から離れ、愛人たちのところに身を潜め、売春までするようになるのです。そのことを知ったホセアは恥を忍んでその場に出向き、お金を払って彼女を連れ戻します。ホセアは彼女が悔い改めることを願い、彼女のすべての罪を赦そうとするのです。

 

このたぐいまれな経験は、神が神の民イスラエルに対して抱いていた思いを表していました。背かれる者の苦しみと、その背く者への愛の深さを、彼は自分の経験を通して知り、神に反逆しているイスラエルの民を神がどんなに深く愛しておられるのかを語ったのです。いったいどこに夫を捨てて別の男に身も心も寄せた女を愛する人がいるでしょうか。しかし、ホセアは神の命令に従い、別の男に身を売っている妻を愛し、彼女を多くの代価を払って買い戻したのです。これが神の愛です。

 

この妻ゴメルの姿やイスラエルの姿は、私たちの姿でもあります。私たちは神を愛し、神の喜びと栄光のために造られたにもかかわらず、その神を愛することはおろか、神に背を向け、自分勝手に生きていました。それなのに、神はそんな背信と不遜のかたまりのような私たちを愛し、多くの代価を払って罪の奴隷から買い戻してくださいました。神は、全く愛される価値のない者さえをも愛してくださったのです。

 

いったい神はどのように愛してくださったのでしょうか。ここには、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」とあります。「ひとり子」とは、イエス・キリストのことです。この「ひとり子」という言い方は、神そのものであられるお方を意味しています。神ご自身が犠牲となってこの世に来られ、十字架にかかって死なれるほどに、愛してくださいました。その愛の広さはいかばかりかというと、「世を」という言葉の中に表されています。神の愛はその選ばれた民イスラエル人だけでなく、この世を愛されました。神の愛は、全世界のあらゆる民族に及ぶのです。しかも、その愛の大きさは、ひとり子をお与えになったほどでした。これは十字架での犠牲を指しています。尊い神の御子イエス・キリストの死こそ、神が私たちを買い戻すために支払われた代価だったのです。

 

皆さん、物の価値というのは、差し出された代価よって決まります。たとえば、ここにマイクがありますが、これは3万円くらいで買いました。3万円を払って買ったわけですが、それはそれだけの価値があったからです。では、神様は、私たちのためにどれだけの代価を払ってくれたでしょうか。何とそのためにご自身のひとり子をお与えになりました。本来であれば全く価値がない者なのに、神はそれほど価値ある者と見てくださったのです。それほどまでに愛してくださいました。

 

ローマ人への手紙5章7節~8節には、こうあります。「正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」

神は、私たちがまだ罪人であったときに、キリストが私たちのために死んでくださったことによって、ご自身の愛を明らかにしてくださいました。罪人である私たちのためにいのちを捨ててくださる方がおられる。これが神の愛です。これが聖書の中心なんです。このような愛は私たち人間の中にはありません。それは、私たち人間の知らない愛です。神はこの愛を、ひとり子であられるイエス・キリストをこの世に与えることによって表してくださったのです。

 

Ⅱ.永遠のいのちを持つために(16b-18)

 

いったいなぜ神はそれほどまでに愛してくださったのでしょうか。16節後半から18節にこのように記されてあります。

「それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」

 

それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。永遠のいのちとは何でしょうか?永遠のいのちとは、単に長生きすることではありません。ヨハネの福音書17章3章には「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」とあります。

 

私たちは「永遠のいのち」という言葉を聞くと、死んだあとも続くいのちであるかのように考えがちですが、確かに、死んでからも続くいのちのことでもありますが、その本質は神の臨在のことです。唯一まことの神とキリストを知ることに他なりません。私たちが、日々の祈りの中で、あるいは神のみことばを読む中で、主がどのように自分と関わっておられるのかを知り、その神を仰ぎ見て、神の御前にひれ伏す中で生ける神と交わることこそ、永遠のいのちなのです。そこに神がおられるということです。神とキリストの臨在の中で生きること、それが永遠のいのちです。

 

それは、人がそのように造られたからです。創世記1章27節には、「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」とあります。「神のかたち」とは何でしょうか?それは霊のことです。神は、私たちを肉体を持つ者として造られただけでなく霊を持つ者として造ってくださいました。これは神を慕い求め、神に祈る存在として造られたということです。ですから、人は神につながり、神に祈り、神と交わり、神のいのちを持つことで、本当に人間らしく、真の喜びと満足を得て生きることができるのです。

 

それなのに、最初の人であったアダムが神の命令に背いて罪を犯したことによって、この神との関係が切れてしまいました。つまり、霊的に死んでしまったのです。神との交わり、永遠のいのちを失ってしまいました。それゆえに神は、そのように霊的に死んだ人が新しく生まれ変わって神との関係を回復するために、すなわち、永遠のいのちを持つために、御子をこの世に送ってくださったのです。それは、御子を信じる者が、一人として滅びることなく、このいのち、永遠のいのちを持つためです。

 

それはまた、この地上での肉体のいのちがのちが尽きても、決して終わることがない神との交わりのことでもありのす。

母が脳梗塞で召されて10年が経ちました。召された日の朝方まだ薄暗い時間にカタッと音がしたので「大丈夫?」と起きてみると、母は意識がはっきりしていて、「いや、何だか目が覚めたんだ」というので、「そう、まあ、安心して、イエス様が一緒にいるから」というと、「そうだね」と言ってまた静かに眠りに就きました。そして、だいぶ明るくなったころ少し経って息づかいが荒くなったかと思うと、静かに息を引き取りました。母は私が手を握り締めている中で、天に帰って行きました。静かな死でした。それは、天国を確信し、まるで、ふすまをあけて隣の部屋にいくように、召されて行きました。83歳の生涯でした。私は、母との別れの悲しみや寂しさで涙を流しましたが、それは決して絶望の涙ではありません。しばしの別れの涙です。なぜなら、死は、決してイエス・キリストが与えてくださった永遠のいのちを奪うことはできないからです。永遠のいのち、それは、決して変わることのない希望なのです。

神様は、私たちにこの永遠のいのちを与えるために、そのひとり子を遣わしてくださったのです。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではありません。御子によって世が救われるためです。御子を信じる者はさばかれません。

 

ここから、私たちが救われるためには二つの側面があることがわかります。それは神がしてくださったことと、私たちがしなければならないことです。神がしてくださったこととは、もちろん、神がこの世を愛してくださったということです。神は、実に、そのひとり子をお与えになるほどに愛してくださいました。しかし、私たちが救われるためにはもう一つの側面があります。それは、私たちがその神の愛に応答して、御子を信じるということです。御子を信じる者は、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つのです。

 

それは前回のメッセージで語った通りです。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって、永遠のいのちを持つためです。」(3:14-15)十字架に上げられたイエス・キリストを仰ぎ見るなら、救われるのです。仰ぎ見るとは、信じるなら、ということですが、イエスを、自分の罪の救い主として信じるなら、救われるということです。

 

実は、前回のメッセージをホームページにアップしたところ、本当に多くの方々からメールをいただきました。その中には、十字架に付けられたイエスを信じるだけでは救われないというものもありました。自分の罪は、自分で背負って、イエス様に着いていくのが、正しいです、というのです。また、イエスが命じられたとおり、神を愛し、隣人を愛さなければ救われない、というのもありました。でも、自分の罪を、自分で背負うことができますか?神を愛し、隣人を愛することができますか?できません。だから、神様は信仰によって救われる道を用意してくださったのです。私たちが救われる道は、神がしてくださった十字架と復活の御業を信じて受け取る以外にないのです。確かに、イエスは、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに着いて来なさい、と言われましたが、それは私たちが救われるためではなく、救われた私たちがその救いの恵みに感謝してささげる応答なのであって、私たちが救われる唯一の道は、神の一方的な恵みの賜物、プレゼントであるイエスの救いの御業を信じて受け入れることしかないのです。

 

これはリーダースダイジェストという雑誌に載っていた実話ですが、カナダのある町の町はずれに刑務所がありました。

冬の寒い日、その刑務所の高い塀の外の寂しい道を12、3歳の少女が一人、粗末な外套の襟を立てて、行ったり来たりしていました。

ちょうど、刑務所の所長さんが、そこを通りかかりました。そして、「どうしたの?」と、声を掛けました。

少女は、怯えたように、小さな声で言いました。「わたし、この中にいるお父さんにクリスマスプレゼントを届けに来たのです」。

「じゃあ、私が届けてあげよう。ちゃんとあなたが届けに来たことを話して、渡してあげるから、早く家にお帰り。風邪をひかないようにね」。

その少女のお父さんは、強盗犯人で、その刑務所でも有名な、嫌われ者でした。乱暴で、直ぐに喧嘩をし、規則を守らず、看守たちの言うことを聞かず、手のつけられない囚人でした。

所長さんは、自分で、その少女のプレゼントを渡しに行って、こう言いました。「さあ、君の娘さんが、この吹雪の中を届けに来たクリスマスプレゼントだよ。開けてごらん」。

でも、そのお父さんは一言も口をきかず、包みを開こうともしませんでした。そして、恐い顔をして、所長さんをにらみつけています。

所長さんは、優しく言い続けました。「君の娘さんの心のこもったプレゼントなんだよ。さあ開けてごらん」。やっと、お父さんは、ノロノロとリボンをほどき、小さな紙の箱を開けました。

箱を開けたお父さんは、「あぁー、これは!」と大きな声をあげました。なんと、その箱の中には、目も覚めるようなきれいな金髪の巻き毛が入っていました。少女は、自分の髪の毛を、惜しげもなく、ばっさりと切って、箱に入れたのです。

そして、娘さんからのカードが添えてありました。そこにはこう書かれていました。

「愛するお父さん。クリスマスおめでとうございます。私はお父さんに何か良いプレゼントをと考えたのですが、お金がありません。だから、お父さんも大好きだった、私の大切な髪の毛を、クリスマスのプレゼントとして贈ります。

私の愛するお父さん、早くうちに帰って来てちょうだい。私はいつまでも待っています。お母さんもいなくなったので、わたしは今、伯父さん叔母さんの所にいます。二人とも、お父さんのことを良く言いません。でも、お父さん、私にとって世界でたった一人のお父さん、私はお父さんが大好きよ。どんなに辛くても、寂しくても、私はお父さんを待っています。

お父さん、お体を大切にね。私は毎晩毎朝、神様にお父さんのことを祈っています」。

手紙を読んでいるうちに、この男の目から、涙がどっと溢れ出て、子供のように泣き出しました。涙が後から後から流れ、本当に長い間、このお父さんは泣き続けました。

自分の一番大切な金髪の巻き毛をささげた娘さんの愛が、荒れてすさんだお父さんの心に平和をもたらしたのです。

その時から、このお父さんは、生まれ変わったように良い人になって、刑務所でも模範的な囚人になったそうです。

 

最も大切なものさえ与える愛は私たちを変えます。私たちを新しく造り変えるのです。そして、私たちの心に平和をもたらします。でも、そのためには、その愛を受け取らなければなりません。神があなたに贈られた大切な贈り物を、信仰によって受け取らなければならないのです。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。ユダヤ人であっても異邦人であっても、救われる唯一の道は、神の御子イエス・キリストを信じること以外にはないからです。

 

Ⅲ.そのさばきとは(19-21)

 

では、信じないとどうなるでしょうか。信じない者はさばかれます。いや、すでにさばかれています。神のひとり子の名を信じなかったからです。19節から21節をご覧ください。

「そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。」

 

さばきというものは、普通世の終わりにあるものだと考えられていますが、事実、世の終わりにもありますが、しかし世の終わりにだけあるのではなく、もうすでに今現在始まっていると、聖書は言っています。これはどういうことかというと、悪いことをする者は、自分の行っていることや、その動機が神の光に照らし出されることを恐れるため、光であるイエス・キリストのもとに来ようとしないということです。そうすることによって、神のさばきを自分自身に招いているのです。つまり、イエスを信じないこと自体、神から離れていること自体が、神のさばきであるというのです。最初の人間アダムが罪を犯した時のことを考えてください。「あなたはどこにいるのか」と神に呼びかけられたとき、はどうしたでしょうか。彼は、神を恐れて、隠れました。それが神のさばきです。神によって造られ、神を愛し、神に従って生きるように造られた人間が、神を恐れて隠れたということ自体が、さばきなのです。

 

私は、以前、刑務所で教誨師をしていたことがあります。教誨師というのは、刑務所に収容されている人たちにそれぞれの宗教の立場から教え諭すことを目的に、個人と集団に行われるものですが、ある時、それに出席していた収容者たちに尋ねたことがあります。「皆さんは、実際に罪を犯して捕まるまでどんなお気持ちでしたか?」

するとそこにいるほとんどの人が同じように答えました。「あれは、生きた心地がしなかった!」

いつ捕まるかという恐れで不安でたまらなかったというのです。警察官に職務質問されようものなら、その緊張は極度に達しました。捕まって安心したというか、捕まるまでが地獄だったというのです。

これと同じです。捕まるまでが地獄です。捕まっても地獄ですが、捕まるまでも地獄です。すでにさばかれているからです。神のもとに来ようとしないこと自体、神のさばきにほかなりません。

 

それではなぜ人は神のもとに来ようとしないのでしょうか。それは光がこの世に来ているのに、自分の行いが悪いため、それが明るみに出されることを恐れるからです。つまり、悪い行ないを愛しているからです。神が望むようにではなく、自分の望むように生きていきたいのです。イエス様を信じると新しく生まれ、罪から離れなければならないと知っているので、イエスのところに来ようとしないのです。人はイエス様を信じない理由をいくつも並べ立てますが、本当の理由はただ一つ、今の生活を変えたくないだけです。

 

力ルヴァンはそのことについて、このように言っています。「彼らがキリストに近づくことの妨げとなっているのは、明らかに彼ら自身の邪悪さなのである。彼らが光よりも闇を選び、彼らに差し出されている光を避けるのは、悪意からそのようにしているばかりでなく、更に自分の罪深さを感じている心に由来しているのである」 確かにその通りではないでしょうか。そして、そのようなことは、私たちにも思い当たる節があります。キリストはそのような私たちの心の深いメカニズムを明らかにしておられるのです。

 

しかし、これは単に悪者はキリストを避け、善人はキリストに近づくということではありません。キリストが十字架につけられたあのゴルゴタの丘を思い出してください。ほかにも二人の犯罪人が、キリストと一緒に十字架につけられました。一人はキリストの右に、もう一人は左につけられました。民衆が「おまえが神のキリストなら、自分を救ってみろ」とあざけったとき、十字架にかけられた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「お前はキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言いました。

しかし、もう一人の犯罪人は彼をたしなめてこう言いました。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているのではないか。私たちは、自分がしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことは何もしていない。」(ルカ23:40-41)

そして、こう言いました。「イエス様。あなたが御国に入れられるときには、私を思い出してください。」(ルカ23:42)

するとイエスは彼に言われました。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)

悪人がキリストを否定して、善人がキリストを受け入れたのではありません。この二人はどちらも犯罪人でした。その犯罪のゆえに処刑されなければならなかった罪深い人間だったのです。  では、なぜ一人の犯罪人はキリストをあざけり、一人は受け入れたのでしょうか。分かりません。ただ分かることは、もしイエス様が私にどちらになりたいのかと問われたら、私もキリストを受け入れる者になりたいということです。福音は、神様の一方的な恵みですから、私たちは何をしなくてもよいのかというと、そうではありません。御子を信じなければなりません。それが私たちに求められている応答なのです。福音は神様の一方的恵みですが、私たちはそれを受け取らなければならないのです。

 

「ちいろば」という本を書いた榎本保郎先生は、そのことを次のように言っています。「朝が来るのは私の努力ではない。しかし、早朝の素晴らしさを味わうためには、早起きが必要なのである」

私たちも、神がイエス・キリストを通して与えてくださった愛に対して、その愛に心から応える者でありたいと思います。そして、イエス様があの一人の犯罪人に、「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われたように、私たちも永遠のいのちを持つ者でありたいと思うのです。

士師記12章

士師記12章からを学びます。

Ⅰ.エフライム人との内紛(1-7)

まず1~7節までをご覧ください。「1 エフライム人が集まってツァフォンへ進んだとき、彼らはエフタに言った。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」2 エフタは彼らに言った。「かつて、私と私の民がアンモン人と激しく争ったとき、私はあなたがたに助けを求めたが、あなたがたは彼らの手から私を救ってくれなかった。3 あなたがたが救ってくれないことが分かったので、私はいのちをかけてアンモン人のところへ進んで行った。そのとき、【主】は彼らを私の手に渡されたのだ。なぜ、あなたがたは今日になって、私のところに上って来て、私と戦おうとするのか。」4 エフタはギルアデの人々をみな集めてエフライムと戦った。ギルアデの人々はエフライムを打ち破った。これは、エフライムが「あなたがたはエフライムからの逃亡者だ。ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべきだ」と言ったからである。5 ギルアデ人はさらに、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取った。エフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言うとき、ギルアデの人々はその人に、「あなたはエフライム人か」と尋ね、その人が「そうではない」と答えると、6 その人に、「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺した。こうしてそのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。7 エフタはイスラエルを六年間さばいた。ギルアデ人エフタは死んで、ギルアデの町に葬られた。」

エフタがアンモン人との戦いを終えると、エフライム人がツァフォンに進み、エフタに詰め寄って来てこう言いました。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」

彼らの不満は、エフタがアンモン人と戦う際になぜ自分たちに声をかけなかったのかということでした。エフライム族は、マナセ族とともにヨセフ族から枝分かれした部族です。そのエフライム族が、どうしてここでエフタに不満を述べたのでしょうか。それは彼らには、自分たちこそ卓越した部族であるという自負心があったからです。その自負心が高ぶりとなって表面化することがたびたびありました。

たとえば、ヨシュア記17章14節のには、土地の分割の際にヨシュアに詰め寄り、「あなたはなぜ、私たちにただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらないのですか。これほどの数の多い民になるまで、主が私を祝福してくださったのに。」と言っています。自分たちは主に祝福された特別な部族だと主張したわけです。それに対してヨシュアは、「あなたが数の多い民であるなら、森に上って行って行きなさい。そこでペリジ人やレファイム人の地を切り開くがよい。エフライムの山地はあなたには狭すぎるのだから。」(ヨシュア17:15)と答えました。ヨシュアが言ったことはもっともなことでした。そんなに主に祝福されたのなら、そんなに数の多い民であるなら、自分たちで切り開けばいいではないか。それなのに、そのことでつべこべ言っているのは、彼ら自身の中に問題があるからではないかと諫めたわけです。

また、士師記8章1節でも、ギデオンがミディアン人との戦いを終えた後で彼のところに詰め寄り、「あなたは私たちに何ということをしたのか。ミディアン人と戦いに行くとき、私たちに呼びかけなかったとは。」(8:1)と激しく責めました。この時はギデオンが彼らをなだめ、平和的な解決を図りましたが、今回は違います。エフタは強硬な姿勢で対応しました。

2節と3節を見ると、そうしたエフライム人のことばに対して、かつてエフタがアンモン人と戦った際にエフライム族に呼びかけたものの彼らが出て来なかったからだと語り、自分を脅迫するのは筋違いだと反論しています。そして、ギルアデの人々をみな集めてエフライムと戦い、彼らを打ち破ったのです。それは、エフライムが、「あなたがたはエフライムからの逃亡者だ。ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべきだ」と言ったからです。エフライムはギルアデ人のことを侮辱して、逃亡者呼ばわりしたのです。それは、異母兄弟たちから追い出され逃亡者となった経験があったエフタにとっては断じて受け入れられることではなく、逆に彼の神経を逆なですることになりました。

ついに、あってはならない部族間の内紛が勃発しました。ギルアデの人々はエフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取り、エフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言うとき、その人がエフライム人かどうかを方言によって見分け、もしエフライム人ならその場で殺しました。すなわち、その人に「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺したのです。こうして四万二千人のエフライム人が倒れました。

元はと言えば、エフライム人の高ぶりがこの悲劇の原因でした。箴言16章18節に、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」とあります。心の高慢は隣人との間に争いを生み、やがてその人を滅ぼすことになります。あなたはどうでしょうか。隣人との間に平和がありますか。もし争いがあるとしたら、あなたの中にエフライムのような自負心や高ぶりがあるからかもしれません。へりくだって.自分の心を点検してみましょう。

Ⅱ.9番目の士師イブツァン(8-10)

次に8~10節までをご覧ください。ここには、9番目の士師でイブツァンのことが記されてあります。「8 彼の後に、ベツレヘム出身のイブツァンがイスラエルをさばいた。9 彼には三十人の息子がいた。また、彼は三十人の娘を自分の氏族以外の者に嫁がせ、息子たちのために、よそから三十人の娘たちを妻に迎えた。彼は七年間イスラエルをさばいた。10 イブツァンは死んで、ベツレヘムに葬られた。」

「イブツァン」という名前の意味は「速い」です。その名に相応しく、彼についての言及はわずか3節だけです。彼はベツレヘムの出身で、三十人の息子と、三十人の娘がいました。それだけ彼は裕福であり、権力を持っていたということです。しかし、何と言っても彼の特徴は、その三十人の娘たちを自分の氏族以外の者に嫁がせ、自分の息子たちのためには、よそから三十人の娘たちを迎えたという点です。なぜこんなことをしたのでしょうか。彼は息子と娘たちを他の氏族と結婚させることによって争いを回避し、平和を確保しようとしたのです。いわば、それは政略結婚でした。このようなことは日本の戦国時代ではよく行われていたことでしたが、当時の士師たちの間では珍しいことでした。彼はこのようなことによって氏族の結束を強めようと思ったのかもしれません。

Ⅲ.10番目の士師エロンと11番目の士師アブドンの時代(11-15)

最後に、10番目の士師エロンと11番目の士師アブドンを見て終わります。11~15節までをご覧ください。「11 彼の後に、ゼブルン人エロンがイスラエルをさばいた。彼は十年間イスラエルをさばいた。12 ゼブルン人エロンは死んで、ゼブルンの地アヤロンに葬られた。13 彼の後に、ピルアトン人ヒレルの子アブドンがイスラエルをさばいた。14 彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていた。彼は八年間イスラエルをさばいた。15 ピルアトン人ヒレルの子アブドンは死んで、アマレク人の山地にあるエフライムの地ピルアトンに葬られた。」

エロンについての言及はもっと短いです。彼については、彼がゼブルン人で、十年間イスラエルをさばいたということ、そして、ゼブルンの地アヤロンに葬られたということだけです。つまり、彼の出身地と士師としてさばいた期間、そして葬られた場所だけです。

そして、彼の後に登場するのはピルアトン人ヒレルの子アブドンです。彼についての言及も同じで、彼についてもその出身地と生活、そしてさばいた年数、葬られた場所しか記されてありません。

「ピルアトン」とは「丘の頂」という意味で、その町はエフライムにありました。ですから、彼はエフライムの出身でした。彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていたとあります。当時ろばは高貴な人が乗る動物だったので、ここから彼は非常に裕福で社会的地位が高かった人物であったことがわかります。彼が士師としてさばいたのはわずか8年間でした。しかしそれは、平和と繁栄の時代でした。

このエロン、アブトンがイスラエルをさばいたのはわずか18年間という短い期間でしたが、それは10章1~5節で見てきたトラやヤイルの時代のように、平和と繁栄の時代でした。それはトラとヤイルの時のように特記すべきことが少ない平凡な日々の積み重ねであったかもしれませんが、それこそが神の恵みだったのです。それは何よりも神が与えてくださった秩序の中で、互いに神を見上げ、神とともに歩んだということの表れでもあります。何気ない当たり前の平凡な日々中に隠されている主の恵みに目を留める者でありたいと思います。そして、そのような中で一生を終えてこの世を去っていく人こそ、本当に幸いな人生を歩んだ人と言えるのです。あなたにとっての幸いな人生とは、どのような人生でしょうか。

ヨハネの福音書3章1~15節「新しく生まれる」

きょうは、聖書の中でも有名なニコデモの話から、「新しく生まれる」というタイトルでお話しします。

 

Ⅰ.ニコデモの悩み(1-2)

 

まず1節と2節をご覧ください。

「さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。

この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」

 

ここに、ニコデモという人が登場します。1節には、彼がとのような人であったかが紹介されています。つまり、彼はパリサイ人の一人で、ユダヤ人の議員であったということです。パリサイ人とは、ユダヤ教の一派で、聖書を重んじ、その教えを真剣に守ろうとしていた人々のことです。当時は六千人ぐいいたと言われています。彼らは、人々から尊敬の目をもって見られていました。ニコデモはそのパリサイ派に属していました。

 

それだけではありません。彼はユダヤ人の議員でもありました。ユダヤ人の議会は、サンヘドリンと呼ばれていたユダヤの最高議会のことです。祭司や長老、学者たち等71人で構成されていました。そこでは政治的なことだけでなく、宗教的なことも含め、すべてのことがここで議決されていました。彼はその議員だったのです。

 

つまり、彼は当時のユダヤ人としては最高の社会的地位と名誉、そして、財産の持ち主であったということです。それは今日でいうと、東大の教授であり、衆議院議員であり、最高裁の判事でもある、といった立場の人です。

 

そんな彼が、ある夜、イエスのもとに来てこう言いました。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」

 

ニコデモはなぜ、イエスのもとにやって来たのでしょうか。3節のところで主イエスは、「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と答えていますが、このことばから考えると、彼はどうしたら神の国を見ることができるのかがわからなかったのです。神の国を見るということは、永遠のいのちを得るということです。すなわち、それは救われるということです。いったいどうしたら救われるのか、ニコデモはわからなかったのです。彼はパリサイ派の人で聖書を重んじ、聖書に従って生きてきましたが、聖書の中で最も重要なこの救いに関することがわからなかったのです。そして、何としても知りたくて、イエスのもとにやって来たのです。

 

彼はここでイエスを「先生」と呼んでいます。大工の子であったイエスを「先生」と呼ぶのは異例です。「先生」という言葉は、当時最大級の敬意を払った言葉だったからです。それは彼が、イエスが行ったしるしは、神が共におられるのでなければできないと考えていたからでしょう。もしかすると彼は、ガリラヤのカナの婚礼で、イエスが水をぶどう酒に変えられた奇跡のことを聞いていたのかもしれません。あるいは、エルサレムの神殿でイエスが行われたしるしについて聞いたのかもしれません。それとも、直接それらを目撃していたのかもしれません。いずれにせよ、彼はそのような不思議なしるしは神によらなければできないと考えたので、恥も外聞も捨てて、イエスのもとにやって来たのです。夜に・・。

 

ここでは、彼が「夜」やって来たとあります。どうしてわざわざ夜「夜」やって来たのでしょうか。ある人は、それはイエスは日中とても忙しかったので、じっくりと話すために夜やって来たのではないかと考えています。また、ユダヤ教のラビは、夜、律法を勉強する習慣があったので、その夜にやって来たのではないかと考える人もいます。けれども、彼が夜、イエスのもとにやって来たのは、やはり人に知られないようにしたかったからではないかと思います。というのは、このヨハネの福音書19章39節にもニコデモのことが言及されているのですが、そこにも「以前、夜イエスのところに来たニコデモも」と、彼が夜イエスのもとにやって来たことが強調されているからです。それが彼の特徴でした。彼はそこまでしてイエスのもとに行こうとしたのです。

 

この時彼はすでに確固たる地位を築いていました。名誉もありました。そんな彼が若干33歳のイエスのもとに教えを受けに行くということには相当抵抗もあったことでしょう。そのような彼の姿が、「夜イエスのもとにやって来た」ということで表されているのです。しかし、彼はそれでもイエスのもとにやって来ました。それは、彼がそれほど真剣に救いを求めていたからです。皆さん、それが求道の第一歩です。このような求道心こそ、私たちが救われるために、また、救われてキリストをさらに深く知っていくために必要なことなのです。

 

Ⅱ.新しく生まれる(3-8)

 

それに対して、イエスは何と答えたでしょうか。3節をご覧ください。

「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

 

「まことに、まことに」という言葉は、原語では「アーメン、アーメン」です。ヨハネの福音書では、イエス様が大切なことを語られる時、このように「アーメン、アーメン」という言葉で語っておられます。それは、これからとても大切なことを告げますよ、というニュアンスです。その大切なこととはどんなことでしょうか?それは、人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない、ということです。これはニコデモがどうしたら神の国を見ることができるのか、どうしたら永遠のいのちを得ることができるかと尋ねたことに対するイエスの答えです。これはどういう意味でしょうか。

 

これは、聖書で言う救いとはどのようなものであるかを教えています。ここに「新しく」と訳された言葉は、「上から」という意味があります。「上」とは神様ご自身のことを指しています。つまり、「人は、神様によって生まれなければ、神の国を見ることが出来ない」というのです。というのは、聖書で言う救いとは、単に良い人間になろうとすることとは違うからです。一般に良い人間になろうとすることは、人間の努力や教育によって進歩することを意味しますが、新しく生まれるというのは、神のいのちである聖霊を受け入れ、聖霊が自分の内に住んでくださることを意味しているからです。たとえば、猫や猿をどんなに教育し、良い服を着せたとしても、猫や猿が人間になることはできません。人間の子供になるには、人間のいのちを持たなければなりません。そのように、人が新しく生まれるためには、神のいのちである聖霊を持たなければならないのです。つまり、人は母の胎内で肉体のいのちを得ますが、神の聖霊を受け入れ、その聖霊が私たちの魂の中に入っていただくことによって、神の子どもとして新しく生まれることができるのです。

 

ウィリアム・ジェームズという心理学者は、「宗教体験の種々相(しゅじゅそう)」という本の中で、こんなことを言っています。「一度しか生まれたことのない人は二度死ぬ。しかし、二度生まれた人は一度しか死なない。」

少しわかりずい言葉ですが、この二度生まれるということは、普通の肉体の誕生と今ここで取り上げられている霊の誕生という二つの誕生のことを意味しています。つまり、普通の肉体の誕生しか経験していない人は、肉体の死とともに、永遠の死を経験しなければならないということです。それに対して、普通の肉体の誕生とともに、霊的誕生を経験している人、すなわち新生を体験した人は、肉体の死を経験するだけで、最後の永遠の死は経験しないということです。つまり、最後の神の裁きに会うかどうかは、新しく生まれているかどうか、霊的に誕生したかどうかで決まるというのです。

 

ところが、ニコデモは、そのことがよく理解できませんでした。それで4節でこのように言いました。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」

彼はユダヤ教の教師でありながら、イエス様が言われたことを全然理解できませんでした。この言葉の中に彼のとまどいがよく表れているのではないでしょうか。そんなことを言ったって、もう一度母の胎に入って、生まれ直すなんてできないでしょう、と言っているのです。彼は「新しく生まれる」ということを耳にしたとき、赤ちゃんとして生まれてくるあの肉体の誕生のことしか考えられなかったのです。

 

しかし、イエスはあくまでも霊的誕生のことを語っておられました。それで5節と6節でこのように言われました。

「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」

人はどのようにしたら新しく生まれることができるのでしょうか?イエスはここで、「水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。」と言われました。「水と御霊によって生まれる」とはどういう意味でしょうか?

 

これについては、大きく分けて三つの解釈がありますが、多くの註解者は、この水は水のバプテスマを指し、御霊は御霊のバプテスマを指していると考えています。すなわち、救い主イエスを信じ、水のバプテスマを受けることによって救われるというのです。しかし、聖書はそのように言っておりません。人はイエスを認め、信じることによって救われるのであって、バプテスマを受けなければ救われないとはどこにも書かれていないからです。

 

そこで、ある註解者は、この「水と御霊によって生まれなければ」というのは、「水すなわち御霊によって生まれなければ」という意味だと解釈しています。なぜなら、マタイの福音書3章11節に、「その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。」とありますが、この「聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられる」というのは、「聖霊すなわち火のバプテスマ」という意味であるからです。ですからこの「水と御霊によって生まれなければ」という表現も、「水すなわち御霊によって生まれなければ」と理解すべきだというのです。すなわち、御霊は水のように洗い、私たちを救ってくださるということです。このように解釈する人たちは、それを裏付けるみことばとしてテトス3章5節を取り上げています。そこには、「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。」とあります。

 

しかし、もっと適切な解釈は、この「水」を「みことば」と解釈することです。なぜなら、エペソ5章26節を見ると、ここには「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、」とあるからです。「キリストがそうされたのは」の「そうされた」とは、キリストが十字架で死なれたことを指していますが、キリストが十字架で死んでくださったのはいったい何のためだったのでしょうか。それは、みことばにより、水の洗いをもって、私たちをきよめて聖なるものとするためでした。ここでは「みことば」が水の洗いのことを示しているのは明らかです。ですから、この「水と御霊によって生まれなければ」というのは、人は神のみことばを受け入れ、主イエスを罪からの救い主として信じるなら、神の御霊によって新しく生まれると解釈するのが一番適切ではないかと思います。

 

それにしても、いったいなぜ人は新しく生まれなければならないのでしょうか。なぜなら、生まれながらの人は、罪を持っているからです。これを原罪と言います。ですから、その罪を赦していただかなければ神の国に入れていただくことができないのです。そのためには新しく生まれなければなりません。イエス・キリストを信じて新しく生まれた人、つまり神のみことばを受け入れ、御霊によって新しく生まれた人だけが神に国に入ることができるのです。

 

このことをなかなか理解できず不思議に思っていたニコデモに対して、イエス様は一つの譬えで語られました。何ですか?「風」です。7節と8節をご覧ください。

「あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」

 

風は吹いていても、それがどこから来て、どこへ行くのかわかりません。ただ「ピュー」と風が吹いている音を聞いたり、「バタン、バタン」というトタン屋根が風に煽られている音を聞くことによって「あ、風が吹いているな」とわかるのです。また、部屋から外の街路樹を眺めたとき、枝が大きくなびいているのを見たり、雲や煙がたなびくのを見て、風が吹いているのがわかります。御霊によって新しく生まれるのも同じです。それは人の目で見ることはできませんが、御霊によって新しく生まれると、その人の人生がすっかり変わるので、だれの目にも明らかとなるのです。そして風は右から吹いてきたかと思ったら今度は左から吹いて来るというようにその動きが一定でないように、神の御霊も思いのままに吹くのです。そうです、それは決して私たち人間がコントロールできるものではなく、全く自由な神のご意志によってなされることなのです。私たちは、その御霊の働きを妨げではなりません。

 

するとニコデモはどのように答えたでしょうか。9節、ニコデモはこう言いました。「どうして、そのようなことがあり得るでしょうか。」

彼にはそのことがなかなか理解できませんでした。どうして理解できなかったのでしょうか?それは、彼は自分の理性と経験を頼りにしていたからです。つまり、自分の頭で理解できることと、自分が体験したことしか受け入れられなかったのです。

イスラエルの宗教指導者であった彼がこのように考えていたというのは不思議なことです。というのは、彼には神からの啓示である旧約聖書が与えられていたからです。旧約聖書をみれば、そこには超自然的なことがたくさん出てきます。たとえば、イスラエルがエジプトから出てくるとき神がエジプト中の初子という初子を皆滅ぼされたこととか、後ろからエジプト軍が追って来て逃げ場を失い絶対絶命のピンチに陥ったとき紅海が二つに分かれたとか、ユダヤ人が絶滅の危機に陥ったとき、神はエステルを用いてその絶滅の危機から救ってくださったとか、バビロンに70年間も捕らえられていたユダヤ人がペルシャの王によって解放されユダヤの地に帰還することができたとか、どれも神のご介入がなければ決して起こり得なかったことばかりです。それなのにニコデモが理解できなかったのは、彼が御霊に属していたのではなく、この世にぞしていたからです。コリント第一2章14節に次のようにあります。

「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。」

 

つまりニコデモはユダヤ教の宗教指導者ではありましたが、御霊に属することを受け入れなかったので、御霊のことがさっぱり理解できなかったのです。これは今日でもよく見られます。社会的にどんなに学力に優れていても、聖書が言っていることがどういうことなのかがさっぱりわからないというのと同じです。それは、自分の理性と経験だけを判断のよりどころとしているからです。でも、自分の理性がどれほど正しいでしょうか。自分の経験がどれほど確かだと言うのでしょうか。自分では何でも知っていると思っていても、実は本当に知らなければならないことさえ理解していないことが多いのです。そんな私たちの理性や経験によって霊のことを理解しようとしても理解できないのは当然のことです。御霊のことは御霊によって判断するものだからです。大切なのは、私たちが霊的には本当に無知であるということを認め、神の真理を知りたいという思いで、神に求めることです。そうすれば、知ることができます。求めなさい。そうすれば与えられるのです。

 

Ⅲ.永遠のいのちを持つために(11-15)

 

そんなニコデモに対して、イエスはどうしたら新しく生まれることができるのか、どうしたら永遠のいのちを持つことができるのかを説明されました。11節から15節までをご覧ください。

「まことに、まことに、あなたに言います。わたしたちは知っていることを話し、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れません。わたしはあなたがたに地上のことを話しましたが、あなたがたは信じません。それなら、天上のことを話して、どうして信じるでしょうか。だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

 

イエスは、ニコデモが霊的なことに鈍感であることに対してあきれながらも、忍耐をもって真理を説いてくださいました。それがこの11節以降にあることです。そして、ニコデモがよく知っている旧約聖書の出来事を引用して説明なさいました。14節です。

「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。」

 

これは民数記21章にある内容で、イスラエルの民が昔、経験したことです。イスラエルの民が、神の力強い御手によってエジプトから救い出され、約束の地カナンに向かって荒野を旅していた時、主は彼らが生きていくために必要なパンや水を何回もお与えになりました。それなのに彼らは神とモーセに対してつぶやきました。

「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」(民数記21:5)

すると神は怒られて彼らに毒蛇を送り、それにかませたので、つぶやいた者たちはその毒蛇にかまれ、イスラエルのうちの多くの者が死んだのです。これは、神に反逆する者たちへの神の裁きでした。この苦しみの中からイスラエルの民は自分たちの罪を悔い改め、モーセにとりなしの祈りをするように願いました。それでモーセが祈ると、神は不思議なことを言われたのです。燃える蛇を作り、それを旗さおの上に付けよ、と言うのです。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる・・と。モーセは主が仰せられたとおりに青銅の蛇を作り、それを旗さおの上につけました。そして、蛇にかまれた者が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きたのです。

これは、どう考えても理屈に合わない出来事です。青銅の蛇を仰ぎ見ただけで、いのちが助かるというのは、普通だったら考えられません。しかし、理解できなくても、神様の言葉を信じてその通りにした人たちは救われました。

 

いったいこれはどういうことを意味していたのでしょうか。イエスは、この出来事を引用し、「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」と言われました。「それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」つまり、旗さおの上につけられた青銅の蛇を仰ぎ見た者が救われたように、私たちの罪のために十字架に付けられて死なれたイエス・キリストを仰ぎ見る者は救われるということです。私たちは、最初の人アダムが罪に陥って以来、何千年という間、その罪のために死ななければならない運命にありました。それは、ちょうどイスラエルの民が荒野で神につぶやいて、毒蛇にかまれた時のようです。しかし、神はあの時モーセに命じて青銅の蛇を旗さおに上げたように、天から下りて来られた神の御子イエス・キリストを十字架につけてくださったので、このイエスを仰ぎ見る者は救われるようにしてくださったのです。あの青銅の蛇は、十字架につけられたイエス・キリストの姿であったのです。それは、人の子を信じる者がみな、永遠のいのちを持つためです。十字架のキリストを仰ぎ見る者、すなわち、イエス・キリストを自分の罪の救い主と信じる者は、だれであっても、罪から救われ、永遠のいのちが与えられ、神の国に入れていただくことができるのです。

 

このようなことを聞くと、そんな非科学的で迷信じみたことに惑わされるものかと言う人もいるでしょう。そんなことは、自分の理性が許さない、という人もおられるでしょう。事実、旗さおの上につけられた青銅の蛇を仰ぎ見る者は死ななくても済むんだと聞いた人々の中にも、その反応は必ずしも同じではなかったでしょう。中には、そんなことは自分の今までの長い経験の中で一度もなかったし、そんなばかげたことで人が救われるはずがないじゃないか、という人もいたでしょう。あるいは、そんな迷信じみたことをだれが信じるものかと拒絶した人もいたでしょう。そういう人はみな、どうなりましたか?そういう人はみな死んで行きました。

しかし、苦しみのあまり、わらをもすがるような思いで、天幕からはい出し、旗さおの見えるところまで来て、その上に付けられていた青銅の蛇を仰ぎ見た人は救われました。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、人の子を信じる者がみな永遠のいのちを持つためです。

 

皆さんはどうですか。旗さおにつけられた青銅の蛇を仰ぎ見ていますか。十字架のイエスを仰ぎ見ているでしょうか。仰ぎ見ることが骨の折れることでしょうか。いいえ、簡単なことです。だれにでもできます。そして、信仰をもって仰ぎ見るなら、どんな人でも救われるのです。これが信仰です。この信仰によって、私たちは新しく生まれることができるのです。別に高価な薬を飲まなければ救われないとか、お百度参りをしなければならないと言っているのではありません。ただ旗さおに付けられた青銅の蛇を仰ぎ見るだけでいいのです。私たちが救われるのは、ただイエス・キリストを信じること、それ以外に道はありません。

 

ヨハネ19章39~41節をご覧ください。先ほど言及した箇所です。ニコデモはイエス様を信じて、新しく生まれ変わったでしょうか。

「以前、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを、百リトラほど持ってやって来た。彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料と一緒に亜麻布で巻いた。イエスが十字架につけられた場所には園があり、そこに、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。」

これはイエスが十字架で息を引き取られた直後のことです。以前、夜イエスのところに来たニコデモとは、この時のことを指しています。彼はイエスが十字架で息を引き取られた直後、十字架のもとに進み出て、イエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料と一緒に亜麻布で巻きました。これは午後3時頃の出来事です。彼は以前、夜イエスのところに行きましたが、この時は違いました。白昼公然とイエスのもとに進み出たのです。それは彼が十字架に付けられたイエスを仰ぎ見て救われたからです。彼は水と御霊によって新しく生まれたのです。

 

あなたはどうでしょうか。ニコデモのように罪から救われて、永遠のいのちを持っていますか。ここにニコデモのように神を見出し、永遠に生きる道を見つけた大学者たちの証しがあります。

天文学者ヨハネス・ケプラーは、星が一定の法則に従って動いていることを最初に発見した人です。彼の星の運動についての3つの法則は、宇宙旅行のための研究の基礎となったと言われています。その彼がこう言っています。

「この発見によって、父である神のお名前が少しでもあがめられるなら、私の名前は、永遠に忘れられてもよい」

なぜなら、彼は偉大な神の救い、永遠のいのちを得ることができたからです。またアイザック・ニュートンは、誰もが知っている偉大な科学者ですが、彼は、「私のすべての発見は、祈りの答えでした。」と言っています。

また世界的に有名な、ドイツの医師で、宣教師でもあったアルバート・シュバイッツァーは、ある日、ニコデモのように主イエスに出会い、永遠のいのちをいただき、限りない喜びに与りました。そして彼は思いました。あのアフリカには、どれほど多くの人が神の愛を知らずに死んで行くのだろう。それで彼はドイツでも有名な大学の教授職を退き、アフリカに生き、生涯を黒い大陸の星のように生きました。そのおかげで、今日アフリカでは、最も多くの人々が新しいいのちを得ています。

 

あなたもニコデモのように神を見出し、永遠のいのちをいただいてください。もう既にイエスを信じて、この永遠のいのちを受けておられる方もいると思いますが、まだ信じていない方のために、その方が心から信じて受け入れることができるために、今、祈りの時を持ちます。この祈りの終わりのところで、「アーメン」と言いますが、それは、「今、祈ったことはほんとうです」という意味です。あなたが、「アーメン」と心から言えたなら、あなたのすべての罪が赦され、あなたも永遠のいのちを持つことができます。ですから、私の後に続いて祈ってください。そして、「アーメン」と心から告白してください。

「主イエスさま。私はあなたを必要としています。あなたが、私の罪のために十字架で死なれたことを感謝します。私は、あなたを、私の罪からの救い主、人生の主としてお迎えいたします。私のすべての罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださったことを感謝します。どうか私の心の王座に座して、私の人生を導いてください。イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。」

どうでしょうか。あなたも心からイエス様をあなたの人生の主として受け入れることができたでしょうか。イザヤ書45章22節にはこうあります。

「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。」

私たちが救われる道はただ一つ、キリストを仰ぎ見ることです。キリストを仰ぎ見る者は、みな救われ、神の国に入れていただくことができるのです。あなたもキリストを信じ、その生涯、キリストを仰ぎ見続けてください。

士師記11章

士師記11章からを学びます。

Ⅰ.第8番目の士師エフタ(1-11)

まず1~11節をご覧ください。「1 さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。2 ギルアデの妻も、男の子たちを産んだ。この妻の子どもたちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して、彼に言った。「あなたはほかの女の息子だから、私たちの父の家を継いではならない。」3 そこで、エフタは兄弟たちのところから逃げて行き、トブの地に住んだ。エフタのもとには、ならず者が集まっていて、彼と一緒に出入りしていた。4 それからしばらくして、アンモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきた。5 アンモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れ戻そうと出かけて行き、6 エフタに言った。「来て、私たちの首領になってください。そしてアンモン人と戦いましょう。」7 エフタはギルアデの長老たちに言った。「あなたがたは私を憎んで、父の家から追い出したではないか。苦しみにあったからといって、今なぜ私のところにやって来るのか。」8 すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、今、私たちはあなたのところに戻って来たのです。あなたは私たちと一緒に行き、アンモン人と戦って、私たちギルアデの住民すべてのかしらになってください。」9 エフタはギルアデの長老たちに言った。「もしあなたがたが私を連れ戻してアンモン人と戦わせ、【主】が彼らを私に渡してくださったなら、私はあなたがたのかしらとなろう。」10 ギルアデの長老たちはエフタに言った。「【主】が私たちの間の証人となられます。私たちは必ずあなたの言われるとおりにします。」11 エフタがギルアデの長老たちと一緒に行き、民が彼を自分たちのかしらとし、首領としたとき、エフタは自分が言ったことをみな、ミツパで【主】の前に告げた。」

ギデオンの子アビメレクの死後、イスラエルを救うために立ちあがったのは、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラでした。彼について聖書は多くを語っていませんが、彼は23年間イスラエルをさばきました。それは平凡な日々の積み重ねであったかもしれませんが、そうした平凡な中にも主の恵みがあったのです。

そして次に立ちあがったのがギルアデ人ヤイルでした。彼は非常に裕福で、権力がありましたが、何といっても彼がギルガルから出たということは特質すべきことでした。ギルアデはヨルダン川の東側の地にあり、早くに異教化していった地であるからです。そんなギルアデから士師が出たということは、主はそのような人たちをも忘れていなかったということです。イスラエルは彼によって 22年間、平和な時代を過ごしました。

しかし彼が死ぬと、イスラエルはめいめい主に背き、主の目の前に悪を行いました。それはこれまでのバアルやアシュタロテといった神々に加え、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンの神々、ペリシテの神々と、カナンの住民が拝んでいたほとんどすべての神々に仕えるという異常なほどの背きでした。

そんなイスラエルの態度に主はあきれかえり、彼らが悔い改めて主に立ち返り、主に叫んでも、「わたしはこれ以上あなたがたを救わない」(10:13)と言われました。しかし、彼らが真に悔い改めたとき、すなわち、彼らの中から異国の神々を取り除いて主に仕えたとき、主は彼らの苦しみを見るのが忍びなくなり、彼らを救われました。そのために用いられたのがギルアデ人「エフタ」です。彼は八番目の士師となります。

1節を見ると、彼の生い立ちについて記されてありますが、彼は遊女の子でした。父親のギルアデ゙には妻がいたので、彼女は男の子たちを産みその子どもたちが成長したとき、彼らはエフタを追い出しました。それで彼は兄弟たちのところから逃げてトブの地に住みました。彼の周りにはならず者が集まっていましたが、これが彼らに戦闘の経験を与えることになりました。彼らは生活のために敵の領土に侵入し、食物や生活の必需品などを略奪していたのです。

人は、その人自身の生き方や生活によって評価されるべきであって、両親の地位や家系によって判断されるべきではありません。そういう意味でエフタは不幸な取り扱いを受けましたが、主はそんなエフタを顧みてくださり、イスラエルの士師として立ててくださいました。それは、その人の生き方はその人の家柄や両親の地位とは全く関係ないことを示しています。

さて、アンモン人がイスラエルに戦争をしかけてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れ戻そうと出かけて行きました。彼らは、この戦いに勝利するためには、強力なリーダーが必要であると感じていたからです。エフタは当初、その申し出に反発しました。「あなたがたは私を憎んで、父の家から追い出したではないか。それなのに、苦しみにあったからと言って、今なぜ私のところにやってくるのか。」(7)と。しかし、彼はギルアデの長老たちのお詫びの言葉を聞いて怒りを鎮めました。そして、もし主が彼らを自分に渡してくれたのなら、自分がギルアデ人のかしらになることを条件に、アンモン人との戦いに出て行くことを了承しました。

もしエフタが命がけでアンモン人と戦いギルアデ゙人を救うことができたなら、彼がギルアデ人のかしらになることは当然のことです。なぜなら、彼は命をかけてたたかったからです。それは主イエスにおいても言えることです。主イエスは私たちのために命を捨ててくださり、罪人の救い主となられました。であれば、イエスによって救われた者がこの方を主(かしら)として受け入れるのは当然のことです。あなたは、あなたの救い主を主(かしら)として仰いでおられるでしょうか。

Ⅱ.アンモン人との戦い(12-28)

次に12~28節をご覧ください。「12 エフタはアンモン人の王に使者たちを遣わして言った。「あなたは私とどういう関わりがあるのですか。私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするとは。」13 すると、アンモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の土地を取ったからだ。今、これらの地を穏やかに返しなさい。」14 エフタは再びアンモン人の王に使者たちを遣わして、15 こう言った。「エフタはこう言う。イスラエルはモアブの地も、アンモン人の地も取ってはいない。16 イスラエルはエジプトから上って来たとき、荒野を通って葦の海まで歩き、それからカデシュまで来た。17 そこでイスラエルはエドムの王に使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせてください』と。ところが、エドムの王は聞き入れなかった。同様にモアブの王にも使者たちを遣わしたが、彼も受け入れなかったので、イスラエルはカデシュにとどまった。18 それから荒野を行き、エドムの地とモアブの地を迂回し、モアブの地の東まで来て、アルノン川の対岸に宿営した。しかし、モアブの領土には入らなかった。アルノンはモアブの国境だったからだ。19 そこでイスラエルは、ヘシュボンの王で、アモリ人の王シホンに使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせて、目的地に行かせてください』と。20 しかし、シホンはイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったばかりか、兵をみな集めてヤハツに陣を敷き、イスラエルと戦った。21 イスラエルの神、【主】が、シホンとその兵全員をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち破った。そしてイスラエルは、その地方に住んでいたアモリ人の全地を占領した。22 こうしてイスラエルは、アルノン川からヤボク川まで、および荒野からヨルダン川までのアモリ人の全領土を占領したのだ。23 今すでに、イスラエルの神、【主】が、ご自分の民イスラエルの前からアモリ人を追い払われたというのに、あなたはその地を取ろうとしている。24 あなたは、あなたの神ケモシュがあなたに占領させようとする地を占領しないのか。私たちは、私たちの神、【主】が、私たちの前から追い払ってくださる者の土地をみな占領するのだ。25 今、あなたはモアブの王ツィポルの子バラクよりもまさっているだろうか。彼はイスラエルと争ったり、戦ったりしたことがあったか。26 イスラエルが、ヘシュボンとそれに属する村々、アロエルとそれに属する村々、アルノン川の川岸のすべての町に三百年間住んでいたのに、なぜあなたがたは、その間にそれを取り戻さなかったのか。27 私はあなたに罪を犯していないのに、あなたは私に戦いを挑んで、私に害を加えようとしている。審判者であられる【主】が、今日、イスラエル人とアンモン人の間をさばいてくださるように。」28 しかし、アンモン人の王はエフタが送ったことばを聞き入れなかった。」

エフタはアンモン人の王に使者を遣わして、「あなたは私とどういうかかわりがあるのですか。私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするとは。」と問いかけました。

するとアンモン人の王はエフタの使者たちに答えます。イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの土地を取ったからだと。その地を今すぐ、穏やかに返しなさい・・と。巻末の地図をご覧いただくとわかりますが、アルノン川とは死海に向かって流れている川、ヤボク川とはその北にありヨルダン川に流れている川です。その間に、ルベン族とガド族の相続地があります。アンモン人の王は、イスラエルがその土地を取ったからだ、と訴えているのです。

そこでエフタは再びアンモン人の王に使者たちを遣わし、歴史を回顧して、そうではないことを伝えます。モーセに率いられてイスラエルが戦ったのは、アモリ人の二人の王シホンとオグであって、アンモン人やモアブ人、エドム人ではなかったと。彼らがイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったので、仕方なく戦わざるを得なかったが、イスラエルの神、主が、シホンとその兵全員をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち破ることができました。その地方に住んでいたアモリ人の全域、すなわち、アルノン川からヤボク川まで、および荒野からヨルダン川までのアモリ人の全領土を占領するようになったのです。だから、それはアンモン人とは全く関係のない話です。

このようにしてみると、エフタはイスラエルの歴史に精通していたことがわかります。つまり、モーセの律法をよく学んでいたということです。神は幼子のような素直な信仰を喜ばれますが、決して、無知であることを望んではおられるのではありません。Ⅰペテロ3章15節には、「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。」とあります。私たちも、信仰に関する質問を受けた時、いつでも弁明できるように備えておかなければなりません。

エフタの説明はこれだけで終わりません。彼はイスラエルの神、主がアモリ人の王シホンとその勢力を追い払われたのであって、アンモン人がその地を奪い返そうとするのは間違いであること、それに25節を見ると、モアブの王ツィポルの子バラクでさえ、イスラエルと戦うことを断念したというのに、それよりも劣るアンモン人が戦いを挑んでくるなんて考えられない。そんな無茶なことはすべきではない、と言いました。

さらに、26節と27節には、イスラエルがカナンに定住して以来、ヨルダンの東側の地に三百年も住んでいたのだから、もしアンモン人に不満があったのなら、なぜもっと早く申し立てて土地を取り戻さなかったのか、今になって無理難題を押し付けてくるのはおかしいのではないか、と言うのです。

こうしたエフタの順序立てた説明を聞いても、アンモン人の王は聞き入れませんでした。どうしてでしょうか。それは、主なる神への挑戦であったからです。心を頑なにし、神の警告や説得に耳を傾けようとしない人は愚か者です。このような人は、必ず自らが下す愚かな判断の刈り取りをすることになります。あなたはどうでしょうか。心を柔らかくして神のことばを聞いているでしょうか。

Ⅲ.エフタの誓願(29-40)

次に、29~40節までをご覧ください。「29 【主】の霊がエフタの上に下ったとき、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経て、そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行った。30 エフタは【主】に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、31 私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を【主】のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」32 こうして、エフタはアンモン人のところに進んで行き、彼らと戦った。【主】は彼らをエフタの手に渡された。33 彼はアロエルからミニテに至るまでの二十の町、またアベル・ケラミムに至るまでを非常に激しく討ったので、アンモン人はイスラエル人に屈服した。34 エフタがミツパの自分の家に帰ると、なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もなかった。35 エフタは彼女を見るや、自分の衣を引き裂いて言った。「ああ、私の娘よ、おまえは本当に私を打ちのめしてしまった。おまえは私を苦しめる者となった。私は【主】に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。」36 すると、娘は父に言った。「お父様、あなたは【主】に対して口を開かれたのです。口に出されたとおりのことを私にしてください。【主】があなたのために、あなたの敵アンモン人に復讐なさったのですから。」37 娘は父に言った。「このように私にさせてください。私に二か月の猶予を下さい。私は山々をさまよい歩き、自分が処女であることを友だちと泣き悲しみたいのです。」38 エフタは、「行きなさい」と言って、娘を二か月の間、出してやったので、彼女は友だちと一緒に行き、山々の上で自分が処女であることを泣き悲しんだ。39 二か月が終わって、娘は父のところに帰って来たので、父は誓った誓願どおりに彼女に行った。彼女はついに男を知らなかった。イスラエルではしきたりができて、40 年ごとに四日間、イスラエルの娘たちは出て行って、ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を歌うのであった。」

主の霊がエフタに下った時、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経て、そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行きました。その時彼は誓願を立てて言いました。誓願とは何でしょうか。誓願とは、神に誓いをたて事の成就を願うことです。30節、31節をご覧ください。「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」

すると主はエフタの願いどおり彼らをエフタの手に渡されました。問題は、エフタがミツパの自分の家に帰った時です。なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来たのです。彼女はひとり娘で、エフタにはほかに息子も娘もいませんでした。その彼女が家から最初に出てきたのです。

エフタは唖然としました。なぜなら、彼は自分がアンモン人のところから無事に帰ることができたなら、自分の家の戸口から自分を迎えに出てくるものを、全焼のいけにえとして主にささげると誓ったからです。娘をささげるということは、娘が子を産まなくなるということであり、それは自分の名が途絶えることを意味していました。これは私たちが想像する以上の呪いでした。エフタは彼女を見るや、自分の衣を引き裂いて嘆きました。

いったいなぜ彼はそのような誓願をしたのでしょうか。おそらく、自分が家に帰ったとき、自分の家の戸口から迎えに出てくるのは自分のしもべたちの内のだれかだと思ったのでしょう。まさか娘が出てくるとは思わなかったのです。それにアンモン人との戦いは激しさを増し、何としても勝利を得たいという気持ちが、性急な誓いとなって出てきたのでしょう。

こうした性急な誓いは後悔をもたらします。また、神へ誓いは、神に何かをしていただくためではなく、すでに受けている恵みに対する応答としてなされるべきです。ですから、エフタの誓願は信仰の表明というよりは、むしろ、彼が抱いていた不安の表れにすぎなかったのです。

私たちも、このように軽々しく誓うことがあります。それが自分の力ではどうすることもできないと思うような困難に直面したとき、「神様助けてください。もし神様がこの状況を打開してくださるのなら、私の・・・をささげます」というようなことを言って誓うことがあるのです。イエス様は「誓ってはいけません」と言われました。誓ったのなら、それを最後まで果たさなければなりません。果たすことができないのに誓うということは神との契約を破ることであり、神の呪いを招くことになってしまいます。エフタは自分の直面している困難な状況を誓願を通して乗り越えようとしましたが、軽々しく誓うべきではなかったのです。

ところで、旧約聖書の律法によれば、この時エフタは娘をささげなくても良かったのです。というのは申命記12章31節には、「あなたの神、主に対して彼らのように礼拝してはならない。彼らは主が憎むあらゆる忌み嫌うべきことをその神々に行い、自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために火で焼くことさえしたのである。」とあるからです。

ではどうすれば良かったのでしょうか。そこで律法では、もし人間そのものをささげたいのであれば、その評価額として金銭を神殿にささげるようにと定められていたのです。それはレビ記27章1~8節にあります。「1 【主】はモーセにこう告げられた。2 「イスラエルの子らに告げよ。人が人間の評価額にしたがって【主】に特別な誓願を立てるときには、3 その評価額を次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男子なら、その評価額は聖所のシェケルで銀五十シェケル。4 女子なら、その評価額は三十シェケル。5 五歳から二十歳までなら、その男子の評価額は二十シェケル、女子は十シェケル。6 一か月から五歳までなら、男子の評価額は銀五シェケル、女子の評価額は銀三シェケル。7 六十歳以上なら、男子の評価額は十五シェケル、女子は十シェケル。8 その人が落ちぶれていて評価額を払えないなら、その人を祭司の前に立たせ、祭司が彼の評価をする。祭司は誓願をする者の能力に応じて彼を評価する。」

それなのに、エフタはどうして娘をささげようとしたのでしょうか?それは彼が無知であったか、あるいは頑なであったかのどちらかによります。彼は戦いについては、イスラエルの神が戦ってくださることをよく知っていました。またイスラエルの歴史もよく知っていました。彼は神への信仰と、神のことばである律法をきちんと持っていました。それなのに彼が娘を神にささげたのは、この聖書の理解が足りなかったからか、それとも彼の心が頑なだったからかです。

結局、彼女はどうなりましたか。彼女は二か月の猶予をもらい、自分の友達と一緒に山へ行き、自分が処女であることを嘆き悲しみました。そして二か月が終わると、父のところに帰ったので、エフタは誓ったとおりのことを彼女に行いました。

ここにはエフタは誓願どおりに娘に行ったとありますが、誓願どおりにしたとはどういうことなのでしょう?二つの解釈があります。一つは、彼女は文字通り全焼のいけにえとしてささげられた(殺された)ということ、そしてもう一つは、彼女は終生幕屋で仕えるために主に捧げられたということです。どちらが正しいかはわかりません。しかし37節以降の娘の言動を見ると、処女であることを悲しんだことが強調されてあるので、終生神の幕屋で仕えるために主にささげられたのではないかとも考えられます。それにこれが「主の霊がエフタの上に降ったとき」(29)に立てられた誓願であることや、モーセの律法自体が、人間のいけにえを禁じているということから考えても、主がそのようないけにえを喜ばれるはずがないからです。

しかし、この士師時代の混迷していた時代のことを考えると、やはり文字通り全焼のいけにえとしてささげられたと考えるのが自然だと思います。それは神が喜ばれることではありませんでしたが、エフタは神に誓ったとおりに彼女を全焼のいけにえとしてささげたのです。

いずれにせよ、エフタは勢いに任せて安易に神に誓ったことは確かです。その結果、彼は後悔することになりました。私たちは、自ら発する言葉に注意し、いつも主の言葉に従って生きる者とさせていただきましょう。

ヨハネの福音書2章12~25節「主に信頼される者に」

きょうは、ヨハネの福音書2章12節から25節までにある「宮きよめ」の出来事から「主に信頼されるに」というタイトルでお話しします。

 

皆さんは、イエス様に対してどのようなイメージを持っておられるでしょうか。子どもたちを抱いて優しくお話しされる姿ですか。それとも病人の手を取っていやされるあわれみ深いイエス様のお姿でしょうか。あるいは、弟子たちとガリラヤ湖を舟で渡られたときに嵐を静めたような、力強いお姿ですか。

聖書を見るとイエス様のいろいろなお姿が出てきますが、きょうの箇所には普通とはちょっと違うイエス様の姿が描かれています。それは憤られるイエス様です。勿論、その怒りや憤りは私たちのように利己的な動機によるものとは違い、天地万物を造られた創造主としての、何が正しくて、何が間違っているのかを示す、正しい憤り、怒りです。

 

きょうは、この箇所からイエス様に喜ばれる者とはどのような者かについて学びたいと思います。

 

 

Ⅰ.神の家を商売の家にしてはならない(12-17)

 

まず12節から17節までをご覧ください。

「その後イエスは、母と弟たち、そして弟子たちとともにカペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された。

さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、

細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。」

 

「その後」とは、イエス様がガリラヤのカナでご自分の栄光を現された後で、ということです。イエス様は母マリヤ、そしてイエス様の弟子たちはともに婚礼に招かれましたが、婚礼の宴会でぶどう酒がなくなったときユダヤ人のきよめのしきたりによってそこに置いてあった水がめに水を満たし、それをぶどう酒に変えられました。それがイエス様の最初のしるしでした。「その後」のことす。

その後イエス様は、母と弟たち、そして弟子たちとともにカペナウムに下って行き、長い日数ではありませんでしたが、そこに滞在されました。

 

そして、ユダヤ人の過ぎ越しの祭りが近づいたので、イエス様はエルサレムに上られました。イエス様の公の生涯、公生涯においては、過越の祭りが4回ありましたが、13節の過越しの祭りはその最初のものです。イエス様の公生涯を3年半と計算する理由は、その間に4回の過越しの祭りがあったからです。 イエス様は、最初の過越の祭り約半年前にバプテスマを受けておられます。

 

「過越の祭り」とは、かつてイスラエルがエジプトの奴隷として捕らえられていたとき、神はモーセを通してそこから解放してくださいましたが、そのことをお祝いする祭りです。そのとき、神はモーセを通して「わたしの民を行かせなさい」とエジプトの王パロに言いましたが、パロは頑なでなかなか行かせなかったので、エジプトに十の災いを送られました。その最後の災いは、エジプト中の初子という初子を皆滅ぼすというものでした。ただ、神が命じるとおりに羊の血を取りそれを家の門柱とかもいに塗った家だけは、災いを通り越すというのです。

それでイスラエル人はみな神が命じられたとおりに羊をほふって血を取り、その血を自分たちの家の門柱とかもいに塗ったので神のさばきが通り過ぎていきました。しかし、エジプトの王とその民はそれを拒んだので神のさばきが彼らに臨み、エジプト中の初子という初子は人から家畜に至るまですべて死んでしまいました。それでイスラエルの民は長い間、実に430年間もエジプトの奴隷として捕らえられていましたが、そこから奇跡的に解放されたのです。それはまさに一方的な神の御業によるものでした。それで神はこのことを忘れないようにと、これを過越しの祭りとして行うように命じられたのです。

これはユダヤ人にとって最大の祭りでした。モーセの律法によると、巡礼祭と呼ばれる祭り、つまりエルサレムに上って祝う祭りが三つありましたが、過越の祭りは、その最初のものでした。そこには離散したユダヤ人たちが、何万人、何十万人と集まっていたのです。

 

その過越の祭りが近づいたとき、イエスがエルサレムの宮の中へ入って行くと、そこに牛や羊や鳩を売っている者たちと、両替人が座っているのを見て、激怒されました。そして、細縄でむちを作り、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒したのです。いったいなぜこんなことをしたのでしょうか。

 

そこにいた牛や羊や鳩は、犠牲として神にささげられる動物です。モーセの律法の規定によると、それらの動物は、傷もしみもないものでなければなれませんでした。自分で犠牲の動物を持って来ても良かったのですが、それは祭司によって吟味されなければならず、外部から持ち込まれた動物が検査に合格することはありませんでした。結局、巡礼者たちは、検査で「適格」の印のついた動物を、高い値段で買うしかなかったのです。

 

また、すべての男子が半シェケルの神殿税を治めることになっていましたが、ローマの貨幣はカイザルの肖像が刻まれていたため使用することができませんでした。そのため、人々は高い手数料を払って、ユダヤの貨幣に両替していたのです。

 

そうした腐敗した神殿の様子を目の当たりにして、主イエスは激怒されました。そして、商売人や両替商たちを神殿から追い出されたのです。しかも、細なわでむちを作り、商売用の台を倒して、それを実行されました。

 

それはイエスが神殿の所有者であること、つまり、ご自身がメシヤであることを主張するためでした。16節を見てください。イエスは、羊や牛を宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒すと、鳩を売っている者たちにこう言われました。

「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」

 

どういうことでしょうか。神の家であるはずのエルサレムの神殿が商売の家となっている。そういうことがあってはならない、というのです。神のささげる動物を売る人たちや両替人たちが、そこで大儲けしていました。そしてその利益の一部がその神殿の業務を司っていた大祭司や宗教指導者たちのところに流れていました。そういうことがあってはならない、というのです。なぜなら、ここは「わたしの父の家」だからです。父の家であるということは、子であるイエスの家でもあります。そうです、この神の家であなたがたは何をしているのか、というのです。イエス様はそれをご自分の家であると言われたのです。つまり、イエス様はご自分がメシヤであることを示されたのです。

 

皆さん、神の家は本来何をするところなのでしょうか。そうです、神の家は本来神を礼拝するところです。心から神に礼拝がささげられるところであるはずなのです。それなのに、その大切なことをおろそかにされているとしたら、それは本末転倒です。神の家の主人公は神であり、また、キリストであるはずなのに、いつしかその神とキリストがどこかに追いやられてしまい、形式的な活動が繰り返されているだけだとしたら、それはもはや神の家とは言えないのです。彼らは形式的なささげものをすることで、神を礼拝しているつもりでした。決められた儀式さえ行っていれば、神様に喜ばれるはずだと思っていました。その結果、こうしたことが平気で行われていたのです。また、それを見ても誰も何とも思わなくなっていました。霊的に鈍感になっていたのです。

 

こうしたことは、私たちにもあるのではないでしょうか。ただ礼拝に出席していれば宗教的な務めを果たしていると思ったり、与えられた奉仕を行っていれば神に喜ばれるものと思っていることがあります。勿論、このようなことがどうでもいいというのではありませんが、そこに肝心の神が、キリストがどこかへ追いやられているとしたら、何の意味もないのです。

 

Ⅰサムエル記15章22節にはこうあります。

「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」

また、同じⅠサムエル記16章7節には、「人はうわべを見るが、主は心を見る。」とあります。

 

パウロは、ローマ人への手紙の中でこのように勧めています。

「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたにお勧めします。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」(ローマ12:1)

あなたがたのからだを、あなたがた自身を、神に喜ばれる、聖い生きた供え物としてささげること、これこそ神が喜ばれる礼拝であって、それ以外のことが、そのこと以上に大きくならないように絶えず吟味しなければなりません。

 

17節をご覧ください。ここには、「弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。」とあります。弟子たちは、イエス様のあまりの激しい憤りに、旧約聖書の言葉を思い出しました。それは「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」という言葉です。これは詩篇69篇9節の言葉ですが、リビングバイブルでは、「神の家を思う熱心が、わたしを焼き尽くす」と訳されています。イエス様はご自分を食い尽くすほどに、焼き尽くすほどに、神の家を思うことに命をかけておられたのです。

あなたはどうですか。イエス様のように神の家を思う熱心で焼き尽くされるほど、神の家を、神ご自身を求めておられるでしょうか。

 

ダビデは、敵にいのちを狙われる困難な状況の中で、このように告白しました。

「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすために。」(詩篇27:4)

あなたが一つのことを主に願うとしたらいったい何を願うでしょうか?ダビデは、主の家に住むことを願いました。そこで主の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすためです。それこそがすべての問題の根本的な解決だと知っていたからです。

 

私たちにはたくさんの願いがあります。しかしその中で、何を第一に願うかによって、私たちの生き方が決まってきます。確かに日ごとにたくさんの必要があります。しかし、その中にあっても主の家を熱心に思い、主の家に住むことを第一に求め、主に喜ばれる礼拝をささげる者でありたいと願います。

 

Ⅱ.本当の礼拝のために(18-22)

 

では、本当の礼拝をささげるためにはどうしたらいいのでしょうか?18節をご覧ください。

「すると、ユダヤ人たちがイエスに対して言った。「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか。」

神殿をビジネスの場としていた大祭司にとって、イエスの行為は到底容認できるものではありませんでした。そこで彼らは、「あなたがそのようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか」とイエスに問いました。このしるしとは、メシヤとしてのしるしです。前にお話ししたように、イエスが宮きよめをされたのは、ご自身がメシヤであることを宣言するためでした。そのメシヤのしるしを求めたのです。パウロは、「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシャ人は知恵を追及します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」(Ⅰコリント1:22-23)と言っていますが、しるしを求めるのがユダヤ人の特徴なのです。

 

これに対してイエスはこう言われました。19節です。

「イエスは彼らに答えられた。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」

どういうことでしょうか?これは復活の預言です。このあたりから、イエス様とユダヤ人の間に食い違いが生じてきます。彼らは、イエス様がご自分のからだについて言われたことを理解することができず、そこに建っていた神殿のことだと思い込み、こう言いました。20節です。

「この神殿は建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか。」

この神殿の改修工事はヘロデ大王によって始められ、その工事が46年目に入っていました。1882年にスペインのバルセロナに建築中のサグラダ・ファミリアは、着工から144年後の2026年に完成するということで話題になっていますが、このヘロデの神殿も着工から46年経ってもまだ完成していないという建物でした。エルサレムが滅びたのは紀元70年ですが、改修工事はその6年前の紀元64年まで続きました。その神殿を三日で建てるというのか、と言ったのです。

 

けれどもイエスが言われた神殿とはヘロデが建てた神殿のことではなく、ご自分のからだのことを指して言われたのでした。つまり、イエスは十字架にかけられて死なれますが、三日目によみがえられるということだったのです。

 

弟子たちも、この時点ではイエスが何を言っておられるのかさっぱりわかりませんでした。ですから、ヨハネは21、22節で開設の文章を入れて、説明を加えています。「しかし、イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった。それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。」

イエスはすでにこの時点で、十字架と復活の預言をしておられたのですが、彼らには理解することができませんでした。

 

イエスの思いと、宗教指導者たちの思いは遠くかけ離れていました。また弟子たちも、イエスの心を理解することができませんでした。私たちはどうでしょうか。私たちの信仰は、イエスの思いから遠く離れているということはないでしょうか。イエス様は確かに壊れた神殿を三日でお建てになりました。そして、イエス様は今も生きておられます。私たちもその生きておられるイエスに呼びかけ、宮きよめをしていただこうではありませんか。

 

しかし、このことと宮きよめとは、どのような関係があるのでしょうか。それは、イエス様が宮きよめをなさった本当の目的がここにあったということです。つまり、イエス様が宮きよめをなさったのは、ただ単に神の家を商売の家としてはならないということではなく、神殿の礼拝に関わる律法の規定を廃棄してそれに代わる新しい礼拝の秩序を確立するためだったということです。つまり、あのサマリヤの女に対して、「しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時がきます。」(ヨハネ4:23)と言われたように、どのようにすれば霊とまことによる礼拝をささげることができるのかということを教えるためだったのです。そしてそれは神殿で動物のいけにえや献金をささげるといった形式的なことによってではなく、それはイエス・キリストが十字架上で死なれ、三日目によみがえられることによってもたらされるものなのです。

ですから、私たちは旧約時代のような動物の犠牲をささげることによってではなく、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる礼拝、本当の礼拝をささげることができるのです。

 

22節をご覧ください。ここには、弟子たちが「聖書とイエスが言われたことばを信じた。」とあります。ガリラヤのカナでイエス様が水をぶどう酒に変えた時は、「それで、弟子たちはイエスを信じた」ありました。弟子たちは既に信じていたんじゃないのですか?それなのに、「聖書とイエスのことばを信じた」というのはおかしいではないでしょうか。

この「聖書」とは、旧約聖書のことです。つまり、旧約聖書に書かれてある預言が成就したことを知ったということです。詩篇16篇10節には、「あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。」とありますが、その預言が成就したことに気付いたのです。また、イエスが言われたことばとは、新約聖書のことと理解して良いでしょう。この時点ではまだ新約聖書は完成していませんでしたが、弟子たちは旧約聖書に書いてある預言が、イエス・キリストの十字架と復活によって成就したことを知って、イエスこそ救い主であると信じたということなのです。

 

皆さんは今、どのように礼拝をささげておられるでしょうか。あなたを霊とまことによる真の礼拝に導いてくださる方は、あなたのために十字架で死なれ、三日目によみがえられた救い主イエス・キリストを通してなのです。このイエスを通して、私たちは心からの礼拝をささげていきましょう。あなたの思いとイエス様の思いが離れることがありませんように。いつもイエス様と共に歩み、イエス様に喜ばれる者となりましょう。それがイエスの心と一つにさせていただく鍵なのです。

 

Ⅲ.主に信頼される者に(23-25)

 

ところで、この宮きよめの話はこれで終わりではありません。その結果について聖書は興味深いことを記しています。23節から25節までをご覧ください。

「過越の祭りの祝いの間、イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じた。

しかし、イエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。すべての人を知っていたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。イエスは、人のうちに何があるかを知っておられたのである。」

 

イエス様が過越しの祭りの間、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じましたが、イエス様ご自身は、彼らに自分をお任せになりませんでした。この「お任せになる」と訳された言葉は、その前の節の「信じた」と訳されている言葉と同じ言葉です。つまり、「信じなかった」ということです。ですから、ここでは、確かに多くの人々がイエス様の行われたしるしを見て、イエス様を信じましたが、その一方で、イエス様はどうだったかというと、そうした彼らを信頼されなかったというのです。どうしてでしょうか。

 

その後のところに理由が記されてあります。それは、イエスがすべての人を知っておられたからです。それどころか、人の内にあるものを知っておられました。人が心の中でどんなことを考えているかを知っておられました。それゆえ、イエスは、その人が善人であるか悪人であるかを他人から教えてもらう必要はなかったのです。へブル人への手紙4章12節には、「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。」とあります。この「神のことば」をイエスに置か消えてみると、イエスがどのような方であるかがわかります。イエスは、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心の思いやはかりごとを見分けることがおできになるのです。

 

この方の御前に、隠しおおせるものはありません。人はうわべを見ますが、主は心を見られるのです。つまりイエスは人間ではなく、全地全能の神であられるのです。確かに彼らはイエス様の奇跡を見て信じましたが、その信仰はまだ本物ではありませんでした。それはちょうど種まきのたとえの中で、種を蒔いた人の種が四種類の違ったところに落ちたようにです。それは道ばたであり、岩地であり、いばらであり、良い地です。

道ばたに落ちた種は、すぐに悪魔が来てその人の心に蒔かれた種を奪って行きました。岩地に落ちた種は、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れましたが、みことばのための困難や迫害に会うと、すぐに躓いてしまいました。いばらの中に蒔かれた種は、みことば聞いて信じ、順調に成長しましたが、この世の心遣いや富の惑わしがみことばをふさいでしまうので、実を結ぶことができませんでした。しかし、良い地に落ちた種は、三十倍、六十倍、百倍の実を結びました。

 

これは、みことばの種が蒔かれるとき、四種類の人がいるということではありません。同じ人でも、ある時には、道ばたであったり、岩地であったり、いはらの中であったり、また良い地であったりすることがあるということです。しかし、そうした中にあっても、キリストのことばにとどまり、キリストとの交わりを持ち続けていくこ人は、多くの実を結ぶことができるようになります。それが主の弟子となるということです。

 

確かに、彼らはイエスを信じました。しかしその信仰というのは、まだ困難や迫害があると後戻りするような信仰だったのです。そのような人を信頼することができるでしょうか。私たちも、いざというとき、退いてしまうような友人がいるとしたら、そのような人に身を任せることはできないでしょう。それと同じです。しるしを見て信じることが悪いのではありません。病気が癒されたり、困難な問題が解決したという体験はすばらしいことです。しかし状況が悪くなると手のひらを返したかのように信仰から離れてしまうというのでは、ジェットコースターに乗っているかのように安定感がありません。そのような人に身を任せることはできません。

 

キリストとの出会いは大切です。けれども、その後ずっと、そのキリストに継続して従い続けることは、それと同じくらいに、否、ある面でそれにも増して大切なのです。私たちの信仰は信じて終わりというのではなく、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ者になるということ、つまり主の弟子になることが求められているのです。

 

いったいどうしたらそのような者になることができるのでしょうか。イエス様はご自分を信じたユダヤ人たちに、次のように言われました。

「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。」(ヨハネ8:31)

この言葉からわかることは、私たちがキリストの弟子になるためには、キリストを信じることから始まるのですが、それだけで終わらず、主のみことばにとどまり、主に堅く結びつき、主との交わりの中に生きることが大切です。

 

私たちもキリストのことばにとどまり、キリストとの交わりの中に生きることによってキリストの弟子とさせていただきましょう。そのような者こそ主がご自分をお任せになる人なのです。少なくても自分に関しては、全身全霊をもって主イエスに従う決心をしようではありませんか。