Ⅰペテロ4章1~6節 「自分自身を武装しなさい」

 きょうは、「自分自身を武装しなさい」というタイトルでお話ししたいと思います。1節に、「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」とあります。この「武装する」という言葉は軍事用語で、兵士が戦いに出かけていく時の様を表しています。兵士はどのような格好で戦いに出て行くのでしょうか。まさかマラソンのような短パンとランニングシャツで出て行くというようなことはありません。兵士が戦いに出かけていくときは重装備で出かけて行きます。腰には帯を締め、胸には胸当てを着け、足にはすね当てを着け、頭には兜をかぶります。また、敵の放つ火矢を消すために大盾を持ち、敵を倒すために鋭い剣を持って出かけるのです。

ペテロはここでなぜ自分自身を武装しなさいと言っているのでしょうか?それは、私たちの信仰生活はまさに戦いだからです。私たちの信仰生活にはいろいろな問題や葛藤が起こりますが、それは表面的なことであって、本当の戦いはその背後にある悪魔との戦いなのです。

パウロは、私たちの戦いは血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊との戦いであると語り、その戦いに対抗できるように神のすべての武具をとるようにと言っています。エペソ6:10~18をご覧ください。
「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」

皆さん、私たちの戦いは血肉に対するものではなく、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものなのです。この戦いに対処するためには、神のすべての武具を取り、それで自分自身を武装しなければなりません。「私は大丈夫です。私は悪魔になんて絶対にやられません。悪魔がやって来たら私のパワーでやっつけてやますから・・・。」だめです。これは霊の戦いですから、私たちがどんなに肉体を鍛え、強靭な身体を持っていても、この悪魔の前には太刀打ちできないのです。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、罪を犯します。また、悪魔はさまざまな問題を利用して、私たちを何とかして神から引き離そうと躍起になっています。私たちの思いの中にいろいろな否定的な思いを植えつけては、私たちを神から引き離そうとするのです。何で信仰を持ったのにこんなに苦しまなければならないのか、神がおられるならなぜこのようなことが起こるのか、神は私を愛しておられないんじゃないか、そもそも神なんていないに決まっている、信じたって、信じなくたってちっとも変わらない、いや、もっと苦しくなるだけだ、いったい神を信じることにどんな意味があるというのか・・。悪魔は私たちの中にこのような思いを吹き込んでくるのです。ほとんど毎日のように、です。
あのC.S.ルイスの「悪魔の手紙」にあるように、この世の現実を見せることによって、神を信じることがいかに愚かなことであるのかを訴えてくるのです。これがとても厄介な問題です。というのは、だれもそれが悪魔の誘惑だなんて思わないからです。そして、いかにもそれが正しいことであるかのように思い込んでしまうのです。それが敵である悪魔の常套手段でもあります。悪魔は私たちが気づかないうちにそのような思いを与えて神に対する疑いを引き起こし、不信仰に陥れるのです。

このペテロ自身がその一番良い例です。なぜなら、彼はこの霊的な武装にことごとく失敗してしまった過去があるからです。彼はイエス様のように目を覚まして祈っていなかったので、主を三度も知らないという罪を犯したのです。彼は、「主よ。ごいっしょなら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカ22:33)と言ったほどです。けれども、その数時間後には「イエスなんて知らない」と否定してしまいました。なぜでしょうか。この霊の戦いのことを本気にしていなかったからです。イエス様と同じ心構えで、自分自身を武装していなかったからです。

しかし、イエス様が復活した後、その主とお会いして、彼は、イエス様が言われたことがほんへんとうであったということに気付かされました。そして、自分と同じ失敗をすることがないように、ここで「あなたがたも同じ心構えで武装しなさい」と勧めているのです。きょうはこの自分自身を武装することについて三つのことについてお話ししたいと思います。

 Ⅰ.キリストと同じ心構えで(1)

 まず1節をご覧ください。
「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」

「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから」というのは、3章18節から22節までの内容を受けてのことです。特に18節を念頭に語られていると思われます。キリストは、私たちの罪のために苦しみを受け、十字架で死なれました。キリストは正しい方であられたのに、悪い人々の身代わりとなって死なれたのです。それは、肉において、死に渡され、霊において生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。すなわち、私たちを罪から救うためでした。私たちはこのキリストを信じて罪から救われました。私たちが救われたのは、キリストが私たちの罪を負って死んでくださったからです。「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、癒されたのです。」(2:24)
それなのに、罪を楽しむことができるでしょうか。もしキリストが私たちの罪のために死んでくださったのであれば、その罪から救われた私たちは、そこから離れようとするはずです。なぜなら、キリストはそのために苦しみを受けてくださったからです。ですから、ペテロはここで「あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」と言っているのです。「同じ心構えで」とは、イエスさまと同じ心構えでということです。

キリストはどのような心構えだったのでしょうか。それは、ここに、キリストは正しい方が悪い人々の身代わりとなられた、とあるように、人のためには自分のいのちを捨てるという覚悟、心構えです。これはものすごい覚悟です。そして、ものすごく大きな愛です。使徒ヨハネはこのように言っています。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)
これよりも大きな愛はだれも持っていません。これがキリストの心構えでした。あなたがたもこれと同じ心構えで自分自身を武装しなさい、というのです。

この心構えについて、パウロはピリピ2:5~9で次のように言っています。
「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」
キリストは神であられるのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿を取られ、実に十字架の死にまでも従われました。これは、ほんとうにへりくだっていなければできないことです。自分を無にするって難しいことですよね。これができなくてみんな悩んでいるのです。みんな自分の思うように生きていきたいのです。けれども、キリストは自分を無にして、仕える者の姿をとり、神の御旨に従って死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。この心構えです。

また、イエス様はこう言われました。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マルコ8:34)
これがキリストに従う者の心構えです。だれでもキリストについて行きたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてキリストについて行かなければなりません。自分を捨て、自分の十字架を負うとはどういうことでしょうか?それは別に毎日十字架のネックレスを着けるということではありません。十字架の意味は一つだけです。それは死ぬということです。ですから、十字架を負いなさいとは、死になさいということです。何に対して死ぬのでしょうか。自分に対してです。以前は罪の奴隷として生きていましたが、今はそうではありません。今は自分に死んで、神のみこころに生きるべきなのです。

最近、牧師の娘ですという方のお話しを聞く機会がありました。牧師である父親はこどもの伝道にも熱心で、彼女が小学校の頃にはマウンテンバイクで彼女の通う小学校の校門のところにやって来て子どもの集会のチラシを配っているのを見て、心の中で「止めて!」と叫んだそうです。父親が、一生懸命子ども伝道をすればするほど、「自分は愛されていない」と思いました。お父さんが愛しているのは他の子どもたちだ・・・。それから両親にも、イエス様にも反抗して、ずっと信仰から離れていたのです。
しかし、ある時父親が「ごめんなさい」と謝ってくれたことで彼女の心が開け、父親の語るメッセージがすんなり心にしみるようになりました。そして、約10年間の放浪生活を経て、イエス様のもとに戻ることができました。
イエス様のもとに戻った彼女は、最初はクリスチャンであればそれでいいと、礼拝には行ける時に行けばいいと思っていましたが、聖書を読んでいるうちに、いや、それではだめだと、少しずつ教会の奉仕にも携わるようになりました。そうしているうちに、キリストにあって励ましをいただき、愛の慰めと、御霊の交わりを受けて、自分のすべてを主に捧げたいと思うようになったと言うのです。

クリスチャンはみな、最初から自分に死んで、神のみこころに生きることはできませんが、キリストにある神の恵みを知れば知るほど、その愛の高さ、広さ、深さを知れば知るほど、このように変えられていきます。だれでもキリストについて行きたいと思う者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしについて来なさい、ではなく、あなたについていきたい!という思いになるのです。

ペテロはここで、「肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。」と言っています。どういうことでしょうか?肉体において苦しみを受けた人とは、死んだ人のことを指しています。イエス様が十字架にかかって死なれたように、罪に対して死にました。罪に対して死んだ人は、もう罪とのかかわりを断ったのです。いま私たちがこの世に生きているのは、私たちを愛し、私たちのためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。これがバプテスマの意味です。バプテスマの時に水の中に沈められるのは、私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたことを、また、水から上がることは、キリストとともに生きる新しいいのちを象徴しています。

死んでしまった人は何の反応もないはずです。死んだ人が「ヨイシュ、ドッコイショ」と突然起き上がったかと思ったら、「私はあれがしたい」「これがしたい」とか言いますか?言いません。死んでいるからです。死んだ人はもう罪から解放されているのです。罪から自由にされました。もはや罪に支配されることはありません。以前は罪の奴隷でしたが、今は義の奴隷となりました。キリストが死からよみがえったとき、私たちもキリストともに新しく生きるものにとされたのです。このように、肉において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ったのです。

Ⅱ.神のみこころのために生きる(2-5)

次に、2節から5節までをご覧ください。2節をご一緒に読みましょう。そのように、罪とのかかわりを断った人はどのようになるのでしょうか。
「こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。」
このように罪とのかかわりを断った人は、この地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために生きるようになります。皆さん、これが神の知恵です。いったい私たちは、地上の残された時を、何のために生きるのでしょうか。どのように過ごしたらいいのでしょうか。それはここにあるように、自分の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすのです。

ですから、モーセはこう祈りました。詩篇90篇10、12節です。
「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び散るのです。・・・それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。」
知恵ある生き方とは、いのちがどれだけあるかを数えて、いまを生きることです。地上の残された時はそう長くありません。それは早く過ぎ去ります。人生はほんとうに短いですね。あっという間に過ぎて行きます。ちょっと前まではあんなにピチピチしていたのに、今はもう首もよく回りません。身体をひねることさえ困難になりました。あっちこっちに弱さを覚えるようになりました。あの元気はどこへ行ってしまったのでしょう。私もあと何年生きられるかわかりません。その残された人生をどのように過ごすのか、ということです。何のために生きるのでしょうか。人生はどれだけ長く生きるかということではありません。神によって与えられたこの期間をどのように過ごすかということです。ペテロはここで、その残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごそうではないかと言っています。モーセは、それこそが知恵の心であり、知恵ある生き方だと勧めているのです。あなたはどうですか。残されたこの地上の時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごそうではありませんか。

3節をご覧ください。ここでペテロは、「あなたがたは、異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です。」と言っています。
私たちは過ぎ去った過去がどういうものであったのかを、覚えておく必要があります。以前は異邦人たち、すなわち、神を知らない人たちがしたいと思っていることにふけっていました。それは好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝といった類のものです。しかし、それは過ぎ去った時で、もう十分です。もう二度と以前のような生活に後戻りすべきではありません。それはもう過ぎ去ったのです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)
古いものは過ぎ去りました。すべてが新しくなりました。その新しい時代にふさわしい生き方とは、これまでのような自分の欲望のために生きるのではなく、神のみこころのために生きることなのです。

ところで、そのように私たちが神のみこころに生きようとすると、思わぬところに波紋が広がります。それはこれまで仲間だったはずの人たちからの攻撃です。彼らから思わぬ嫌がらせを受けることがあります。ペテロはそのことを4節で次のように言っています。
「彼らは、あなたがたが自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないのを不思議に思い、また悪口を言います。」

「彼ら」とは、これまでいっしょに罪にふけっていた仲間たちのことです。彼らは、あなたがこれまでのように酒を飲んでドンチャン騒ぎをしたり、下ネタに耳を貸さないのを見て、あれっ、どうしたんだろうと不思議に思い、馬鹿にしたりします。それはそうです。それまでは神さまのことなんてさっぱりわからなかったのに、聖書を学んでいくうちに、自分の愚かさや罪深さがわかり、こんな罪深い自分を救ってくださった神の恵みがわかるようになると、それに応答して生きていきたいと思うようになるからです。罪の赦しと救いの喜びを体験すると、もはや以前のような罪の生活に戻りたいとは思わなくなります。今まで楽しいと思っていたことが虚しく感じられるようになるからです。しかし、私たちの生活が変わったことは、友人たちには全く意味がわかりません。何で毎週日曜日に教会に行くのかと不思議に思います。最近付き合いが悪くなったなと言ったりもします。以前はいっしょに飲みに行き、ドンチャン騒ぎをし、何でもやりたい放題だったのに、度を過ぎた放蕩にも走らないので不思議に思うのです。何度誘っても応じないとだんだん腹を立てて、「あつはああなんだ、こうなんだ」と他の人に悪口を言ったりします。こうした仲間からのプレッシャーを受けるのです。

これは日本の社会によくあることだと思います。会社の仲間に見られるプレッシャーです。「仲間との和」を重んじる家族的な環境では、「仲間に迷惑をかけられない」といった心理が働きます。そのことが仲間との関係をより密接にし、大きな成果に結びつく一方で、こうした傾向が行き過ぎると、互いが監視し合う居心地の悪い環境が生まれてきます。すなわち、仲間と同じ行動をとらないと仲間はずれにされるといった息苦しい人間関係になってしまうのです。まさにペテロがこの手紙を書き送ったクリスチャンたちは、その直前まで圧倒的多数の異教社会の中にどっぷりと浸かり、彼らと同じような行動やふるまいをしていました。それがクリスチャンになったことで、聖い生き方を送ろうとしたときに、こうした仲間からのプレッシャーを受けて苦しんでいたのです。
しかし、神の恵みをほんとうに知った人は、人から何を言われようと、再び罪の生活に戻りたいとは決して思いません。なぜなら、罪の生活の結末がどのようなものであるかを知っているからです。

5節には、「彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。」とあります。
申し開きをするとは、英語では〝give account〞という言葉が使われています。この〝give account〞という言葉は「会計報告をする」というニュアンスがあります。会計報告をする際は、お金の出し入れについて一切の曖昧さが許されません。お金の出し入れについて、帳尻があっていなければならないのです。すなわち、完全な透明性が求められるのです。ここでペテロは、彼らはこの神の前に完全な申し開きをしなければならないと言っているのです。そこでは一切の曖昧さも許されません。彼らがこの地上でどのように歩んだのかをすべて透明にして、その行いに応じてさばかれることになるのです。

それは彼らだけのことではありません。生きている人も死んだ人々も、正しくさばかれる神の前に申し開きをしなければなりません。ヘブル9:27にこう書かれてあります。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」
私たちはみなこの地上に生まれてきました。生まれてきた者はだれでも必ず一度死にます。死んだ後どうなるのでしょうか?聖書は、死後にさばきがあると教えています。死後にみな神の前に立たされるというのです。そのさばきの場で、これまで生きてきたことの報告をしなければなりません。

ヘブル4:13には、「造られたもので、神の前で隠せるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。」とあります。人の前には隠せても、神の前には何一つ隠せるものはありません。私たちはこの神の前に弁明をするのです。あなたはどのように自分を弁明されますか?

それは、私たちのこの地上の残された時を、どのように過ごすのかにかかっています。キリストの十字架と復活によって新しく造られた者として、この地上の残された時を、自分の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごそうではありませんか。そこには仲間からのプレッシャーを受けることもあるかもしれませんが、そうした仲間の顔色を見て恐れるのではなく、生きている人も死んだ人も正しくさばかれる方を覚え、この方から受ける報いのすばらしさに目を留めて、この道を進んでいきたいと思います。

Ⅲ.霊において生きる(6)

最後に6節を見て終わりたいと思います。
「というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられたのですが、それはその人々が肉体において人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるためでした。」

どういうことでしょうか。この箇所は前回の箇所でも説明しました。キリストが捕らわれの霊たちのところに行ってみことばを語ったとの関連で、キリストは死んだ人たちのとこに行って福音を語った、すなわち、死後にも福音を聞いて救われるチャンスがあるということではありません。死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたとは、福音を聞いて死んだ人々のことです。最近新しく出された新改訳聖書の改訂版では、「このさばきがあるために、死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられていたのです。」と訳されています。つまり、この手紙の読者たちも福音を聞いて信じましたが、今は死んでしまったということです。ここでペテロが言っているのは、その人たちのことです。彼らは生きている時に福音を聞きました。そして、イエス・キリストを信じて救われたのです。そのことで、悪口雑言を言われたり、仲間はずれにされたりすることもありましたが、このさばきがあることを信じていたので、どんなに仲間はずれにされても、福音を聞いて信じたのです。彼らは肉においてはさばかれることもありました。不思議に思われ、悪口も言われました。不当な苦しみにも会いました。そのことでいのちを失う人たちもいました。しかし、そのように肉体において苦しみを受けても、霊においては生きました。それはちょうど、イエス・キリストが肉においては殺されたけれども、霊は生かされたということと同じことです。3章18節にあるとおりです。キリストは肉においては死に渡されましたが、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導いてくださいました。キリストを信じた者は、同じように肉体は死んだとしても、その霊は永遠のいのちが与えられているので、永遠に神とともに生きるのです。

ですから、どんな不当な苦しみを受けても、迫害する者たちがいたとしても、恐れることはありません。たとえそのために命を落とすことがあったとしても、それは栄光の御国の入口であり、永遠に神とともに生きることになるのです。
イエス様は、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはいけません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)と言われました。私たちが恐れなければならないのは、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことができる神だけなのです。そんな雀の一羽でも、ちゃんと覚えられています。
「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。」(マタイ10:29)
二羽の雀が一アサリオンというのは、一羽では値段が付けられないくらいの雀のこと、いわばおまけのようなものです。そんな雀の一羽でも、神の御許しがなければ地に落ちることはないのです。

私たちはそんな一羽の雀のようなものですが、神に覚えられ守られていることを覚え、ただこの方だけを恐れて歩んでいきたいと思います。たとえあなたが仲間から馬鹿にされたり、辱められるようなことがあっても、何も恐れる必要はないのです。キリストによって新しく造られた者として、キリストと同じ心構えで自分自身を武装し、この残された地上での生涯を、罪とのかかわりを断って、ただ神のみこころのために過ごしていきましょう。

ヨシュア記11章

きょうはヨシュア記11章から学びたいと思います。

 Ⅰ.馬の足の筋を切り、戦車を焼かなければならない(1-15)

 まず1節から15節までをご覧ください。1節から5節までをお読みします。
「ハツォルの王ヤビンは、このことを聞いて、マドンの王ヨバブ、シムロンの王、アクシャフの王、また北方の山地、キネレテの南のアラバ、低地、西方のドルの高地にいる王たち、すなわち、東西のカナン人、エモリ人、ヘテ人、ペリジ人、山地のエブス人、ミツパの地にあるヘルモンのふもとのヒビ人に使いをやった。それで彼らは、その全陣営を率いて出て来た。その人数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多かった。これらの王たちはみな、相集まり、進んで来て、イスラエルと戦うために、メロムの水のあたりに一つになって陣を敷いた。」

これまで、イスラエルに対峙してきた王たちはカナンの南部の地域の王たちですが、ここに登場する王たちはカナンの北部の王たちです。聖書の巻末の地図「12部族に分割されたカナン」を見ていただくとわかりますが、ハツォルはガリラヤ湖の北に約15㎞に位置しています。マドンはガリラヤ湖の西側、シムロンはガリラヤ湖の西40㎞のところにあります。また、アクシャフはシムロンの北に30㎞のところにあります。こうした北パレスチナの連合軍が戦いを挑んできたのです。その数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多くありました。おそらく何十万という軍勢だったのでしょう。これらの王たちがみな、相集まり、進んで来て、イスラエルと戦うために、メロムの水のあたりに一つになって陣を敷いたのです。こうした状況の中でヨシュアにはどれほど大きな不安と恐れがあったことかと思います。この大軍にいかに対応していったらよいものか。彼は必死に神に祈ったに違いありません。その時です。主はヨシュアに仰せられました。6節です。

「主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らをことごとくイスラエルの前で、刺し殺された者とするからだ。あなたは、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない。」

主はヨシュアに仰せられました。「彼らを恐れてはならない」と。なぜなら、「あすの今ごろ、わたしは彼らをことごとくイスラエルの前で、刺し殺された者とするから」です。主が戦ってくださるのでイスラエルは必ず勝利するのです。しかし、そのために主はイスラエルに一つの命令を下されました。それは、「彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない」ということでした。馬の足の筋を切り、戦車を火で焼くとは、戦うために必要な武器を廃棄するということです。これは人間的に考えれば非常に理解に苦しみます。というのは、その後の戦いで敗北を招くことになるかもしれないからです。むしろ、そうした武器を少しでも多く奪い取りそれを有効に用いた方が次の戦いには有利です。それなのに、主はそれらをすべて廃棄せよと言われました。なぜでしょうか。それは彼らが自分の力で戦うのではなく、主の力によって戦うためです。詩篇20篇7節には、「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」とあります。神の力に賭け、自分の力を捨てるためです。本気で神に賭けているかどうかは、自分の力を捨て、捨て身で生きているかどうかでわかります。私たちは全能の神を信じていると言いながら、一方で自分の思いで成し遂げようとしていることがあります。全面的に神に信頼するのではなく、自分自身で計算しそれに従って動こうとするのです。それは言うならば「二足のわらじ」的な信仰です。しかし、聖書が言っている信仰はそのようなものではなく、この神に全面的に信頼する信仰です。背水の陣ということばがありますが、まさに背水の陣で臨む信仰、そこに考えられないほどの大いなる主の御業が起こされていくのです。

歴史学者のトインビーは、次のように言っています。「イスラエルのパレスチナ制覇は、歴史学的常識では到底考えられない出来事である。しかし、イスラエルには、他の国になかったものが一つだけあった。それはヤハウェなる神への信仰であった。」(「歴史の研究」第一巻)それはそうです。当時パレスチナにはペリシテといった強力な敵がおり、またフェニキアのような経済的に豊かな国もありました。そんな大国に何もなかったイスラエルが勝てるはずがありません。それなのにどうして勝利を収めることができたのか?それはイスラエルには全能の神への信仰があったからです。主が彼らとともにおられたので、彼らは勝利することができたのです。そのためには馬や戦車を破棄しなければなりませんでした。そんなものがあると容易くそれに頼ってしまうのが人間だからです。だから主はそれらを破棄して、ただ神に信頼するようにと仰せられたのです。7節から9節までをご覧ください。

「そこで、ヨシュアは戦う民をみな率いて、メロムの水のあたりで、彼らを急襲し、彼らに襲いかかった。主が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは、彼らを打ち、大シドン、およびミスレフォテ・マイムまで追い、さらに東のほうでは、ミツパの谷まで彼らを追い、ひとりも生き残る者がないまでに彼らを打った。ヨシュアは、主が命じたとおりに彼らにして、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼いた。」

そこで、ヨシュアは民を率いて、メロムの水のあたりで彼らに襲いかかり、ひとりも生き残る者がないまでに彼らを打ちました。主が彼らをイスラエルの手に渡されたからです。そしてヨシュアは、主が命じられたとおりに、彼らの馬の筋を切り、彼らの戦車を火で焼きました。そうです、もし全能の神が共におられるならば、ペリシテに勝り、フェニキアに勝利することができるのです。私たちは弱くとも、主は強いのです。私たちは他の何ものよりも大きな力を持っているのです。このことを信じ、感謝しようではありませんか。私たちの人生に立ちはだかる様々な問題や試練をも乗り越えて、勝利ある人生を歩むことができるのです。

Ⅱ.主が命じられたとおりに(10-15)

次に10節から15節までをご覧ください。

「そのとき、ヨシュアは引き返して、ハツォルを攻め取り、その王を剣で打ち殺した。ハツォルは以前、これらすべての王国の首都だったからである。彼らは、その中のすべての者を剣の刃で打ち、彼らを聖絶した。息のあるものは、何も残さなかった。彼はハツォルを火で焼いた。ヨシュアは、それらの王たちのすべての町々、および、そのすべての王たちを捕え、彼らを剣の刃で打ち殺し、聖絶した。主のしもべモーセが命じたとおりであった。ただしイスラエルは、丘の上に立っている町々は焼かなかった。ヨシュアが焼いたハツォルだけは例外である。これらの町々のすべての分捕り物と家畜とは、イスラエル人の戦利品として自分たちのものとした。ただし人間はみな、剣の刃で打ち殺し、彼らを一掃して、息のあるものはひとりも残さなかった。主がそのしもべモーセに命じられたとおりに、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりに行ない、主がモーセに命じたすべてのことばを、一言も取り除かなかった。」

ヨシュアは北パレスチナの連合軍を打ち滅ぼすと引き返して来て、ハツォルを攻め取り、その王を剣で打ち殺しました。それは、ハツォルが以前、これらすべての王国の首都だったからです。カナンの住民は、中央主権ではなく、各町を治めていた王たちがいただけだったようです。そのような中にあってハツォルだけは別格で、それらすべての王国の首都として存在していたので、ヨシュアはこの町を聖絶し、火で焼きました。ハツォルだけではありません。ヨシュアは、それらの王たちのすべての町々、および、そのすべての王たちを捕らえ、彼らを剣の刃で打ち殺し、聖絶しました。何とも惨いことです。なぜそこまでしなければならなかったのでしょうか。それは前回も学んだように、イスラエルが聖となるためです。その地の住人の異教的な習慣と分離して、神の民としての聖さを保ち、神に喜ばれる歩みをするためです。そして、それは主のしもべモーセによって命じられていたことでもありました。15節にあるように、ヨシュアは主のしもべモーセが命じたすべてのことばを行ったのです。ヨシュアはそのことばを一言も取り除きませんでした。一部だけを守って、他は無視するというのではなく、すべてを守ったのです。これが大切です。時として私たちは主のことばに従っていると言っていいながら、その一部しか従っていない場合があります。一部だけを守って他は無視するというのは、すべてを守っていないのと同じです。あのサウル王がそうでした。主はサウル王に、「行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子ども乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。」(Ⅰサムエル15:3)と命じられたのに、彼は上等な羊と牛を殺さずに残しておきました。彼は、それは主にささげるためだと言い訳をしましたが、主はサムエルを通してこのように言われました。
「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」(Ⅰサムエル15:22)
私たちはサウル王のように失敗する者にならないで、ヨシュアのようにすべての点で主に聞き従う者でありたいと思います。

Ⅲ.彼らの心をかたくなにしたのは・・(16-23)

最後に16節から23節までを見て終わりたいと思います。
「こうして、ヨシュアはこの地のすべて、すなわち山地、ネゲブの全地域、ゴシェンの全土、低地、アラバ、およびイスラエルの山地と低地を取り、セイルへ上って行くハラク山から、ヘルモン山のふもとのレバノンの谷にあるバアル・ガドまでを取った。また、それらの王をことごとく捕えて、彼らを打って、殺した。ヨシュアは、これらすべての王たちと長い間戦った。ギブオンの住民ヒビ人を除いては、イスラエル人と和を講じた町は一つもなかった。彼らは戦って、すべてのものを取った。彼らの心をかたくなにし、イスラエルを迎えて戦わせたのは、主から出たことであり、それは主が彼らを容赦なく聖絶するためであった。まさに、主がモーセに命じたとおりに彼らを一掃するためであった。そのとき、ヨシュアは行って、アナク人を、山地、ヘブロン、デビル、アナブ、ユダのすべての山地、イスラエルのすべての山地から断ち、彼らをその町々とともに聖絶した。それでイスラエル人の地には、アナク人がいなくなった。ただガザ、ガテ、アシュドデにわずかの者が残っていた。こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った。すべて主がモーセに告げたとおりであった。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに分け与えた。その地に戦争はやんだ。」

ヨシュアはパレスチナの北部連合軍に勝利したものの、それで戦いが終わったわけではありませんでした。カナンのすべてを征服するために、その後も引き続いて戦いを継続しなければなりませんでした。ヨシュアは、そのすべての王たちと長い間戦いました。彼らはギブオンの住民ヒビ人を除いては、その地のすべての住民と戦い、すべてのものを取ることができました。いったいなぜそれほどまでに戦わなければならなかったのでしょうか?その理由が20節にあります。
「彼らの心をかたくなにし、イスラエルを迎えて戦わせたのは、主から出たことであり、それは主が彼らを容赦なく聖絶するためであった。まさに、主がモーセに命じたとおりに彼らを一掃するためであった。」

「彼らの心をかたくなにし」という言葉は、モーセがエジプトのパロと対峙したときにも出てきた言葉です。出エジプト記14:8には、「主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。」とあります。その結果、パロは破滅の一途を辿っていき、ついには力強い主の御業に屈服することになります。ここでも同じように、主が彼らの心をかたくなにし、イスラエルを迎えて戦わせたことで、カナンの住民は滅びていくことになりました。これはどういうことなのでしょうか。

これは一見悲劇的なように思えますが、実はそうではありません。主がそのようにかたくなにされたことで、彼らを容赦なく聖絶することができ、イスラエルの民をして、偶像の悪影響から守ることができたからです。確かに、彼らが滅びていったことは悲劇でしたが、神はそれを悲劇のまま終わらせることをせず、それを祝福へと変えられました。その中で彼らを一掃するというご自身のみこころを実現されたのです。

神は、このようにしてもご自身のみ旨を実現されることがあります。その最たるものは、主イエスの十字架です。主なる神がある人々の心をかたくなにし、主イエスを憎ませ、彼を十字架につけて殺しました。しかし、神はそれを悲劇のまま終わらせることをせず、そのことを通して全人類を救うという神の救いの御業を実現されました。神の永遠の救いのご計画がこの悲劇を通してこの地上に実現し、彼を信じるすべての者がこの大きな喜びの中に入れられることになったのです。このことを思うとき、確かに神はある人の心をかたくなにし、神に敵対させ、滅ぼすようなことをされますが、それは神の民のためであり、神のご計画が実現するためなのです。

ヨシュアの時代も、そのことでイスラエルは多くの敵と戦わなければなりませんでしたが、そのことによって彼らは容赦なく彼らを聖絶し、一掃することができました。23節にあるように、こうしてヨシュアは、その地をことごとく取ることができたのです。このことを思うと、「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神はすべてのことを働かせて益としてくださるということを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)というみことばは真実であることがわかります。主はその全知全能の御手をもって、今に至るまで働いておられると信じ、この方にすべてをゆだねして、主がお命じになられることをことごとく行っていく者でありたいと思います。

Ⅰペテロ3章13~22節 「キリストを主としてあがめなさい」

  きょうは、「キリストを主としてあがめなさい」という題でお話ししたいと思います。前回のところでペテロは、「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(8節)と勧めました。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈るなんてできるわけがありません。そこで彼はダビデの詩篇を引用し、「主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」(12節)と語り、すべてを主にゆだねるようにと語りました。きょうの箇所はその続きです。つまり、悪をもって向かってくる相手にどのように対処したらよいのかとです。

Ⅰ.義ための苦しみ(13-14)

まず13節と14節をご覧ください。
「もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。」

この手紙は、ペテロからローマの迫害によって、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビデニヤに散らされ、寄留していたクリスチャンに宛てて書き送られたものです。彼らは圧倒的多数の異邦人社会の中で、また、数は少ないながらもキリスト教に反感を持っていた保守的ユダヤ教徒に囲まれながら、見える形、見えない形のさまざまな圧迫を受けて苦しんでいました。そうした彼らを励ますためにペテロは、悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです、と勧めました。そして、ここでは「もしあなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなた方に害を加えるでしょう。」と言っています。どういうことでしょうか。

普通、たとえ人種が違っても、宗教が違っても、良いことをする人は回りの人から認められ、尊敬されます。たとえば、近所の貧しい人々を一生懸命に励ましたり、助けたりしている人は社会からも認められ、尊敬されるでしょう。それはどんな宗教を持っているかということとは関係ないのです。そのような人は、たとい回りの人が攻撃しようとしてもその口実さえも与えないでしょう。たとえ義のために苦しむことがあっても、それは回りの人たちがただ誤解しているだけであって、そのようなことがあるとしたら、それはまさに天において受ける報いが大きいということの保証でもあるわけですから、それは幸いなことなのです。

イエス様は山上の垂訓の中でこのように言われました。「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだから。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜び踊りなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。」(マタイ5:10-12)

確かにクリスチャンであるということは、多かれ少なかれこうした迫害を受けるということです。IIテモテ3:12には「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」とあります。また、ピリピ1:29には、「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。」ともあります。それがどのような苦しみなのかはわかりませんが、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願うなら、多かれ少なかれこうした圧迫を受けるのです。それは、クリスチャンはこの世のものではなく神のものだからです。ですから、そこに何らかの摩擦が生じるのはむしろ当然のことなのです。しかし、そのような迫害にあっても善に熱心であるなら、だれもあなたに危害を加えるようなことはないどころか、むしろあなたを尊敬するようにさえなるのです。ですから、彼らの脅かしを恐れてはいけません。それによって心を動揺させたりしてはいけないのです。あなたが成すべきことは、この世において善に熱心であることです。

皆さんは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩をご存知だと思います。この詩はある一人のクリスチャンがモデルになっていると言われています。そのクリスチャンとは斎藤宗次郎という人で、岩手県花巻市で最初にクリスチャンになった人です。彼は1877年、岩手県花巻で、禅宗の寺の三男として生まれた。15歳の時、母の甥にあたる人の養子となり、斉藤家の人となります。彼は小学校の先生となり、一時、国粋主義に傾きましたが、やがてふとしたきっかけで内村鑑三の著書に出会い、聖書を読むようになりました。そして1900年に信仰告白をし、洗礼を受けてクリスチャンになるのです。
彼がクリスチャンになったのは、キリスト教が「耶蘇教(やそ)」とか、「国賊(こくぞく)」などと呼ばれていた時代のことです。クリスチャンとして生きていくことがどれほど苦しい時代であったかわかりません。洗礼を受けたその日から、彼に対する迫害が強くなりました。親からは勘当され、以後、生家には一歩たりとも入ることを禁じられてしまいます。町を歩いていると「ヤソ、ヤソ」とあざけられ、何度も石を投げられました。近所で火事が起きた時には、全然関係ないのに家の窓ガラスを割られたこともありました。いわれなき中傷を何度も受け、ついには小学校の教師を辞めさせられてしまうのです。
迫害は彼だけにとどまらず、家族にまでも及んでいきました。長女の愛子ちゃんはある日、国粋主義思想が高まる中、ヤソの子供と言われて腹を蹴られ、腹膜炎を起こし、何日か後に、9歳という若さで主の御元に召されました。その葬儀の席上、賛美歌が歌われ、天国の希望のなかに平安に彼女を見送りましたが、愛する子を、このようないわれなきことで失った斉藤宗次郎の内なる心情はどのようなものであったか、察するに余りあります。
彼はその後、新聞配達と牛乳配達をして生計を立てました。雪の日には、朝の仕事が終わる頃、小学校への通路の雪かきをして道を作りました。小さい子どもを見ると、抱っこして校門まで走ったと言われています。雨の日も、風の日も、雪の日も休むことな
く、地域の人々のために働き続けました。病気の人がいると聞きつけると、新聞配達の帰りに、病人を見舞い、励まし、慰めました。彼は、「でくのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。
その宗次郎が、内村鑑三の勧めで上京することになりました。1926年、住み慣れた故郷を離れ、東京に移る日、‘誰も見送りに来てくれないだろう’と思って駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者たち、学校の教師、またたくさんの生徒たちが見送りに来ていました。中には神社の神主や僧侶もいました。さらに一般の人たちも来ていて、駅は身動きができないほどでした。それで駅長は停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたほどです。その群衆の中に、実は若き日の宮沢賢治がいたのです。「雨ニモマケズ」の詩は、この時の感動に基づいて、彼の生きざまを書かれたものだと言われているのです。

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けず
丈夫な体をもち
慾はなく 決して怒らず
いつも 静かに笑っている
一日に 玄米四合と 味噌と
少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく 見聞きし 分かり
そして 忘れず
野原の 松の林の 陰の
小さな 萱ぶきの 小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って 看病してやり
西に疲れた母あれば
行って その稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って 怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、
つまらないから やめろと言い
日照りの時は 涙を流し
寒さの夏は おろおろ歩き
みんなに 木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい
(宮沢賢治、「雨ニモマケズ」)

この詩の締め括り「そういう者に私はなりたい」とは、宮沢賢治のその思いが込められています。斎藤宗次郎がそれだけ多くの人々に愛されていたのは、彼が普段からしていたことを、周囲の人たちが見ていたからなのです。彼は、人にほめられたいなど、人を基準にして生きていたのではなく、ただ、神を、主イエス・キリストを基準に物事を考え、キリストと同じ思いを感じることができるように変えられていたのです。人々は斎藤宗次郎の内側から醸し出されていたキリストの香りを感じ、彼を通して表されたキリストを見ていたのです。

ですから、彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させてはなりません。もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれもあなたがたに害を加えることはできないからです。

Ⅱ.キリストを主としてあがめなさい(15-17)

第二のことは、キリストを主としてあがめなさい、ということです。15節から17節までをご覧ください。
「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです。」

人から脅かしを受けているときに、何も言えないときがあります。ただ我慢するしかないと思う時、ただそのように防御的になるだけでなく、もっと積極的にすべきことがあります。それは、心の中でキリストを主としてあがめることです。キリストを主としてあがめるとはどういうことでしょうか。この「あがめる」という言葉は、原語で「ハギアゾー」という言葉が使われていて、これき「きよめる」ということを意味しています。ですから、直訳としては、「むしろ、心の中でキリストを主としてきよめなさい」となります。キリストをきよめなさいと言っても、キリストはもともときよい方ですから、きよめる必要などありません。では、キリストをきよめなさいとはどういうことなのでしょうか?それはキリストをきよい方として尊びなさいとか、敬いなさいということです。たとえ義のために苦しむことがあっても、彼らの脅かしを恐れたり、心を動揺するのではなく、キリストがすべてを支配しておられることを認めて、信頼しなさいということです。

そればかりではありません。ここには、「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」とあります。「あなたがたのうちにある希望」とは、1:3にある「生ける望み」のことです。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持つようにしてくださいました。それは朽ちて行くようなものではなく、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともないものです。それは天にたくわえられている資産なのです。私たちは、この資産、永遠のいのちを受け継ぐようになりました。それは私たちにとって最もすばらしい望みではないでしょうか。これこそ本当の希望です。この希望について説明を求める人には、だれでもいつでも弁明できる用意をしていなければなりません。

ペテロはここで、「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明しなさい」ではなく、「弁明できる用意をしていなさい」と言っているのは意味深です。私たちは、誰かに悪口を言われた時などそれにすぐに反応して言い返してしまうということがあります。その結果どうなるかというと、争いがおさまるどころかますますエスカレートすることも少なくありません。しかし、悪口を言われてもじっと我慢して、すぐに言い返すのではなく一呼吸おいて静かになると、相手が心を開いてくることがあります。「そんな風に言われてもあなたが穏やかにしていられるのはどうしてなの?」その時、「それはね、イエス様のおかげなの。ほんとうに私はだめな人間で、あなたのように全然立派な人じゃないから、どうしてこうなのかといつも落ち込んでばかりいるのよ。でも、教会に行ってイエス様の話を聞いているうちに少しずつ変えられて、こんな私でも愛されているということがわかると、他の人に何と言われても我慢できるようになったのよ。」と伝えることができます。

いま、さくらで看護学校に通うある青年と聖書を学んでいますが、この方がどうして聖書を学ぶようになったのかというと、実は同じクラスにクリスチャンの友人がいて、その方に自分の悩みを相談したのがきっかけでした。クラスには48人の生徒が学んでいますが、48人もいるといろいろな人がいて、中には「この人どうかな?」と思う人もいるらしいのです。ところが、ある時そのクリスチャンの友人とお話ししていたら、よく話を聞いてくれるので、「どうしてあなたはそんなに優しいの?」と尋ねたら、「別に優しいわけじゃないけど、私、クリスチャンで教会に行っているの。」と答えたのです。「へぇ、それじゃ私も行ってみたい」と、聖書を学ぶようになったのです。

伝道ってこういうことではないかと思います。こちらから一方的に聖書のことを説明するのではなく、むしろ相手の話をよく聞いて、「どうしてなの?」とか「どうしたらそのようにできるの?」と聞いてきた時にさりげなくお話しするのです。それが弁明するということです。そのためには、ここにあるように、いつでも、だれにでも、弁明できる用意をしておかなければなりません。その用意とはよく聖書を学ぶというのは勿論ですが、それを自分の生活にあてはめ、そのみことばに生きるということが大切です。なぜなら、そのようなみことばの実践が大きな裏付けとなるからです。

 そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。それは2:12にあるように、「何かのことで悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになる」ということです。すばらしいことではないですか。

Ⅲ.栄光の主を見上げて(17-22)

第三に、栄光の主を見上げることです。17~22節をご覧ください。17節と18節をお読みします。
「もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです。キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」

「もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです」というテーマは、すでに2章20節でも語られてきました。私たちが召されたのは実にそのためだと、ペテロはそこでキリストの十字架の模範を取り上げ、そのキリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのですと語ったのです。すべての解決はここにあります。私たちの人生のさまざまな苦しみや悩みの解決は十字架にあるのです。ですから、ペテロはイザヤ書53章から引用して、キリストの打ち傷のゆえにあなたがたはいやされたのです、と語ったのです。

そして、彼はここで再びキリストの模範を取り上げています。しかし、ここでは単に、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいということの模範としてではなく、キリストが悪い人々、すなわち私たちのために身代わりとなったのはどうしてなのかという、その目的なり、理由を語っているのです。それは、「肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」どういうことでしょうか?誰に近づくよりも神に近づくことは困難なことです。罪に汚れた人間が、聖なる神の前に出ようものなら、たちまちその場で倒れてしまいます。罪深い人間がこの聖なる神に近づくことなどできないのです。しかし、神の子イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださったことで、その不可能なことを可能にしてくださいました。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」というインマヌエルの預言が成就したのです。これ以上の喜びはありません。キリストはご自身の苦しみによってその喜びをもたらしてくださいました。それは私たちの模範であり、慰めです。私たちも、神のみこころを行って苦しみを受けることがあるかもしれませんが、そのことがわかったら力が与えられます。悪を行って苦しみを受けるよりも善を行って苦しみを受ける方がよいのです。ペテロはこの決定的で完全な救いという事実こそが、信仰者の人生に起こる様々な不条理に対する解毒剤であり、解決であると言っているのです。

いったいなぜそのような苦しみ起こるのかわかりません。そこでペテロはこれをノアの箱舟の事実によって説明を加えています。19節から21節です。「その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを語られたのです。昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。」

ここは非常に難解な箇所です。いったいなぜこんなことが書かれてあるのかわかりません。ここではイエス・キリストの苦難がクリスチャンに対する模範であり、慰めであり、究極的な解決であるということが語られているのに、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたとか、ノアの箱舟があらかじめバプテスマを示した型であるといったことが語られているからです。ですから、多くの学者は、この箇所は、後代の人が付け加えたのではないかと考えているほどです。つまり、前後の文脈との関係で書かれてあるのではなく、そうしたこととは全く関係なくここにポッと挿入されたと考えた方がよい、というのです。どうですか?しかし、ペテロがここでこのことを取り上げているのは、やはりそれなりに意味があったからです。それは何かというと、このことを記すことによって読者たちを励まそうとしていたということです。いったいこれがどういう点で励ましになるというのでしょうか。

それは、彼らがあのノアの箱舟によって救われたわずか8人の者たちと同じであるという点においてです。圧倒的多数の異教的社会の中にあって、本当に一握りの者たちでした。でも恐れることはありません。イエス様もおっしゃられました。「小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」(ルカ12:32)まさにここで言いたかったことはこのことだったと思うのです。どんな小さな者でも、神は守ってくださいます。それは、昔、箱舟の中で救われたノアの家族のように、です。彼らは大洪水の中を通りながらも救われ、守られました。わずか8人の人々が、箱舟の中にあって水の中を通って救われたのです。ペテロはそれを、この不条理な人生における唯一の支えだと言いたかったのでしょう。

この「水を通る時も救われる」というのは、イザヤ43:2にも出てきます。
「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」
私たちは、「水の中を通らない」とか「火の中を歩かない」というのではありません。水の中をとおった、火の中を歩くような時もあります。しかし、そのような時にも「神はあなたと共にあり」「あなたは押し流されない」「炎はあなたに燃えつかない」のです。これこそが、不条理とも思える苦難の中にあって最大の支えとなり、慰めとなるのです。それほどキリストの救いは完全であり、圧倒的に大きいのです。

ところで、この話はこれで終わっていません。19節と20節の前半のところに、「その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。」とあるのです。その霊とは、「昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。」とある。これはいったいどういうことなのでしょうか。

この箇所は、大きく分けると三つの解釈があります。一つは、これは受肉前のキリストが聖霊によってノアの時代に神を信じなかった人たちに宣教したという考えです。この解釈によると、キリストが捕らわれの霊たちのところへ行ってみことばを語ったのはノアの時代のことであり、十字架で死なれた後、よみへ行かれた時ではないと考えます。

もう一つの考えは、これはキリストが十字架につけられて死んだ後、復活する前に、霊において生かされて、よみへ下り、捕らわれている人たちにみことばを語ったとするものです。この説によると、キリストがよみ下ったことを受け入れます。そして、捕らわれの霊たちにみことばを語られましたが、問題はそのみことばとはどのようなみことばであったのかということです。ある人たちはそれを4:6のみことばとの関連で福音のことばと解釈し、ノアの時代に悔い改めなかった人々、すなわち、捕らわれた霊たちのところに行って、福音を宣べ伝えた、と言います。ということは、死んだ後でも救われるチャンスがあるということになります。死んだ後でも福音を聞くチャンスがあるわけですから。こういうのをセカンドチャンス論と言います。死んでからでも救われるチャンスがあるという考えです。しかし、死後に救いのチャンスがあるという考えは聖書全体の教えから見ても困難です。たとえば、イエス様はラザロと金持ちの話をされましたが、生きている間に神を信じなかった金持ちは、死んで後悔い改める機会がなかったばかりか、彼の兄弟がそのような辛い思いをすることがないようにラザロを私の父の家に送ってくださいと言ったとき、アブラハムは何と言いましたか?アブラハムはこう言いました。「彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。」(ルカ16:28)
彼らにはモーセと預言者、つまり聖書があります。その言うことを聞くべきです。それを聞かないなら、どんなことがあっても信じることはありません。
「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリント6:2)なのです。したがって死んでから救われるということはありません。

ではこれはどういうことでしょうか。そこである人たちはこのように解釈します。つまり、キリストが十字架で死なれ、よみに下られ、キリストの福音を信じなかった人たち、すなわち、捕われの霊たちのところへ行ってみことばを語りましたが、そのみことばは救いのことばではなく、さばきのことばであったというものです。キリストは彼らのところに下って行き、救いの勝利を宣言されたというのです。というのは、喜びの訪れを伝える場合、ギリシャ語では「ユーアンゲリゾウ」という言葉を用いますが、ここでは単にみことばを告げ知らせるという意味の「ケリグマ」が使われているからです。そしてその後のところにキリストが復活され、天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座に着かれたとあるのも、このことを証明していると言えます。

ですから、これはキリストの勝利の宣言なのです。キリストは私たちの罪の身代わりとなって死に渡されましたが、三日目によみがえり、天に昇られ、神の右の座に着座されました。キリストは圧倒的な勝利者なのです。この栄光の主が、私たちとともにおられるなら、たとえ不条理と思えるような状況に置かれていたとしても、私たちはキリストが死から復活して神の栄光の座に着いたように、やがて神の栄光を受け継ぐ者となるのです。

であれば、それでもう十分ではないでしょうか。私たちに求められているのは、私たちがどのような状況に置かれていても、私たちの心の中でこのキリストを主としてあがめることなのです。義のために苦しむとき、あなたは何を見ておられますか。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させてはなりません。あなたが見つめなければならないもの、それはあなたのために十字架で死なれ、三日目によみがえられ、神の右の座に着かれた栄光の主イエス・キリストです。この主を見上げるとき、どんな苦しみにあってもあなたは勝利することができるのです。ですから、信仰の勝利者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。この主を見上げること、それがあなたの勝利の力なのです。

Ⅰペテロ3章8~12節 「祝福を受け継ぐ者」

 きょうは、「祝福を受け継ぐ者」というタイトルでお話ししたいと思います。ペテロは、異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさいという勧めを、それぞれの立場の人たちに具体的に勧めてきました。きょうのところには、こうした具体的な勧めのまとめとして、どうすれば祝福を受け継ぐことができるのかを教えられています。

Ⅰ.心を一つにし(8)

 まず8節をご覧ください。
「最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。」

「最後に申します」の「最後に」とは、2章11節以降語られてきたことを受けてのことです。ペテロは、神の民とされたクリスチャンはこの地上でどのように生きていくべきかというテーマに対して、この地上にあっては旅人であり寄留者であるのだから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけ、異邦人の中にあっても、りっぱにふるまいなさい、と勧めました。そして、その具体的な内容が「従いなさい」ということだったのです。人の立てたすべての制度に、主のゆえに従うように。また、主人に対しては、尊敬の心を込めて服従するように。それは善良でやさしい主人に対してだけではありません。横暴な主人に対してもそうです。同じように、妻たちも、夫たちも、互いに服従しなければなりません。それはすべての人に言えることなのです。ですから2章17節には、「すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。」とあるのです。こうした内容を受けて、ペテロが最後に勧めていることが、これなのです。

ペテロはまず、「あなたがたはみな、心を一つにし」と言っています。心を一つにするとは、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにすることです。教会が主を愛し主に仕えるとき、それと同じ方向を向くことなのです。いったいどうしたら同じ方向を向くことができるでしょうか。ここには、そのために四つのことが挙げられています。それは同情し合うこと、兄弟愛を示すこと、あわれみ深くあること、そして謙遜であることです。自然に一つになることはありません。私たちはみなそれぞれに思いがあり、考えがありますから、その思いや考えに従っていたらいつまでたっても一つになることはできません。私たちが一つになるためには互いに同情し合い、互いに兄弟愛を示し、互いにあわれみ深く、互いに謙遜にならなければなりません。ここで「互いに」と言ったのは、私たちは一人では神の神のみこころを行うことはできないということです。一人で静かに神との交わりを持つことは大切です。しかし、神のみこころは、私たちが互いに愛し合うことなのです。そのためには他の兄弟姉妹との交わりは欠かせません。だから教会があるのです。神のみことばを実践する場として、神は教会を与えてくださいました。私たちは互いを必要としているのです。私たちは教会を通して共に主を礼拝し、共に祈り、共に交わり、共に仕えるのです。そこにはいろいろな性格の人やいろいろな考えの人がいますから、必ずしも自分の思うようにはいかずしばしば苦悩することもありますが、神はこの教会を通してご自分のみこころを成し遂げようとしておられるのです。そして、そのような問題を乗り越える力も与えておられます。それが御霊の一致です。

ピリピ人への手紙2章1~3節をご覧ください。
「こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされているように、あなたがたは同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」
これは使徒パウロの言葉ですが、パウロはどうしたら心を合わせ、志を一つにすることができると言っているでしょうか?キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、です。これは自分の意志によってできることではありません。キリストにある励ましとキリストにある慰め、御霊の交わり、愛情とあわれみがあるなら、です。だからパウロはここで、「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者となりなさい。」と言っているのです。自分の考えに固執していたら、いつまでたっても一つになることはできません。ですから、私たちの一致は人間的なものではなく、キリストに従い、キリストの愛と慰めによってもたらされる御霊の一致なのです。そのとき初めて同じ方向を向くことができる。それがへりくだるということなのです。

ペテロはここで同じことを言っています。心を一つにするということは全体が一つにまとまるように体裁を整えるということではありません。それは互いに同情し合い、互いに愛し合い、互いに共感し合い、互いに尊敬し合うという御霊の一致によってもたらされるものなのです。相手に同情するとき、その人と心を一つにすることができます。兄弟姉妹として愛するときも同じです。人はだれでも完全ではありませんので、時として嫌だなぁと思うこともあれば、受け入れられないこともありますが、それでも神のみこころに従って同情し、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜であるなら、その人と一つになることができるのです。

「そんなことできません。私は嫌です。私にはできません。私は自分の信念に従って決めるのであって、決して人の言いなりにはなりません。」皆さん、どうですか?このような人の問題は、いつも自分が中心であることです。神のみこころがどうであっても自分の思いや考えに従っているかぎり、何の解決も生まれてきません。このような態度ではいつまでも心を一つにすることはできないばかりか、神からの祝福も失ってしまうことになります。それは、自分がどのような者であるのかという根本的な理解が欠如していることに起因しています。ですからペテロは2章9節と10節のところでこのように言っているのです。皆さんで読んでみましょう。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。」

ペテロがこのように語るのは、この御言葉に基づいているからなのです。すなわち、私たちはどのような者なのか、そうです、私たちは神の所有とされた民です。私たちの古い性質はキリストとともに十字架につけられました。もはや私たちが生きているのではなく、キリストが私たちのうちに生きているのです。いま私たちがこの世に生きているのは、私たちを愛し私たちのために命を捨ててくださった神の御子を信じる信仰によっているのです。これは、私たちは神の所有とされた民であるということです。神の民、神のしもべ、それがクリスチャンです。しもべは主人に従います。ですから、神のしもべであるクリスチャンは神に従うのです。それをしたくないと言うなら、それは園人の信仰の理解に問題があるのか、そもそも罪から救われるということがどういうことなのかを理解していないからなのです。私たちが神の所有とされた民であるのなら神に従うのが当然であって、私たちがどのように思うかとか、どのように考えているかは関係ないのです。私たちが神の御言葉に従って互いに同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜であるなら、心を一つにすることができる。それが神からの祝福を受け継ぐ者なのです。

Ⅱ.かえって祝福を与えなさい(9)

次に9節をご覧ください。ここには、「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」とあります。

悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えるということは、パウロも言っています。ローマ人への手紙12章17節には、「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。」とあります。また、それはイエス様ご自身の教えでもありました。少し長いですが、マタイの福音書5章38~45節をお開きください。
「『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。あなたに1ミリオン行けと強いるような者とは、2ミリオン行きなさい。求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」

「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」とか、「あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。」といったことは、なかなかできることではありません。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい、というのは頭ではわかってもいざ実行に移そうとしたら簡単なことではありません。

アメリカにラインホルト・二―バーという神学者がいますが、彼はこれを現実の世界で実践することには無理があると言っています。そんなことをしたら家族は守れないし、国は滅びてしまいます。神の国が完成していない今の世界にあっては、これは理想論にすぎず現実的には不可能なことなのだから、その理想をそのまま現実の社会の中で実践することはできない、というのです。どうでしょうか?

それに対して、ハワード・ヨーダーという神学者は、聖書の教えは、私たちがそれをどのように受け入れるかということ以上に、イエス様と弟子たち、そして初代教会の人たちが、それをどのように受け止めていたのかをまず第一に考えるべきだ、と言いました。つまり、イエス様やペテロが、「悪に対して悪に報いず、侮辱に対して侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。」と言われたとき、それをどのように受け止めていたのかを考え、それを実際に受け止めるということです。それは理想論ではなくて、現実的なリアリティーをもったテーマとして、当時の初代教会の人たちがきちんと受け取っていたように受け止めるということです。確かにこの世の現実という問題はありますが、あくまでも私たちの現実に聖書を合わせるのではなく、聖書の教えに私たちの現実を合わせていかなければならない、というのです。

それを実践した人がいます。私の手元に「闇に輝くともしびを継いで」(Take the torch shining in the Dark)という本がありますが、これを読んでとても感動しました。これはスティーブン・メティカフ(Stephen A. Metcalf)というイギリス人宣教師が書いた本です。彼は1952年にOMFの宣教師としてイギリスから来日し38年間日本で宣教活動を続けられました。そして、1990年に母国に帰国されました。彼は青森を中心に5つ6つの教会を開拓されました。私も開拓伝道者のはしくれとして、開拓伝道の厳しさを知っている者ですが、東北地方の端のような所で教会を建て上げることは並大抵のことではなく、相当のご苦労があったかと思いますが、メティカフ先生は、それを実践されました。いったいどこからそんな宣教のスピリットを得ておられたのでしょうか。
それは、あの映画「炎のランナー」のモデルとなったエリック・リデルとの出会いによるのです。エリック・リデルは、1924年に行われたパリオリンピックで男子100メートル走の代表に選ばれていながら、その予選がどうしても日曜日の午前中にあたる、自分はどうしても神様を礼拝したいということで、代表を辞退しました。そして代わりに400メートルリレーのアンカーを走り、イギリスに金メダルをもたらすのです。彼は最下位でバトンを受け取って、なんとトップに躍り出て優勝したのです。これは実話です。
一躍ヒーローとなった彼は、すべての陸上競技を捨てて、ハドソン・テーラーとともに、中国の奥地に福音を伝えるために、宣教師となって生涯をささげるのです。しかし、太平洋戦争がはじまり、妊娠中の妻と二人の娘を母国に戻し、残務処理をするために一人残っていたところを日本軍につかまり、上海の日本軍の強制収容所に入れられました。しかし、エリック・リデルはその収容所でも聖書のクラスを開いていました。そこにいたのが当時14歳だったメティカフ少年だったのです。宣教師の子どもたちが学んでいた学校の生徒であったメティカフ少年も同じ収容所に入れられ、共に暮らすようになり、エリック・リデルが教えるその聖書のクラスで学んでいたのです。
そして「山上の垂訓」を学んでいたときに、少年たちから質問が出されました。「『汝の敵を愛せよ』とキリストは言っているが、そんなことは実際にできっこない。これは単なる理想なのではないか?」彼らにしてみたら、その時の敵とは自分たちを散々いじめていた日本兵でした。するとリデルは微笑みながらこのように言いました。「ぼくもそう思うところだったんだ。だけど、この言葉には続きがあることに気が付いたんだよ。『迫害する者のために祈りなさい。』ってね。・・イエスは愛せない者のために祈れと言われたんだ。だから君たちも日本人のために祈ってごらん。人を憎むとき、君たちは自分中心の人間になる。でも祈るとき、君たちは神中心の人間になる。神が愛する人を憎むことはできない。祈りは君たちの姿勢を変えるんだ。」そういうリデル自身、毎朝早く起きて日本と日本人のために祈っていました。リデルは脳腫瘍で間もなく収容所で亡くなりますが、しかし、メティカフは、その墓前で、リデル先生が残した仕事をするために「宣教師になって日本へ行く」という決意をするのです。そしてハドソン・テーラー宣教団体に入り、やがてOMFの宣教師として来日、1953年から38年間、日本人のために伝道し、神様の愛を伝えたのです。彼の人生を変えた言葉、それは「祈るとき、君は神中心の人間になる。祈りは君の姿勢を変える」という言葉だったのです。

だから、不可能ではないのです。聖書の教えに自分の現実を合わせていくことができるのです。祈るなら神中心の人になることができる。それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできるのです。私たちが神の言葉である聖書に自分を合わせていくのなら、私たちも神の人に変えられるのです。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えることができる。

いったいなぜクリスチャンは悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなければならないのか、ペテロはその理由を次のように言っています。「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」どういうことでしょうか。これは三つの意味に捉えることができると思います。

一つは、私たちは祝福を受け継ぐように召されているということです。だから、どんなことがあっても祝福されるということです。たとえ敵が私たちに悪意をもって向かって来ようとも、たとえ敵が私たちを侮辱するようなことがあっても、神が私たちを守り、助けてくださいます。私たちは祝福を受け継ぐために召されているのだからです。私たちがすべきことは悪をもって悪に報いることではなく、侮辱をもって侮辱に報いることでもなく、かえって祝福を与えることです。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈ることなのです。

第二のことは、悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えることによって、その祝福が倍になって返ってくるという解釈です。悪に対する報復は何も生み出しません。生み出すものがあるとしたら、それは悪意の増幅です。しかし、祝福を祈るとき、その祝福は悪を行う者に注がれ、それが自分自身への祝福となって跳ね返ってくるというのです。

しばらく前に「倍返し」という言葉が流行になりました。「やられたらやり返す。倍返しだ!」これはドラマ「半沢直樹」の名言というか、決めセリフで、2013年の流行語大賞になりました。なぜこのセリフが人気あったのかというと、スカッとするからでしょ。やられたらやり返す、いや、倍返しにしたら、どれほどスカッとすることか・・。しかし、実際にはできないのです。やられたらやられっぱなしです。ですから、あのドラマのように倍返ししている人を見ると、気持ちがスカッとするわけです。みんなそうなんだと思いますよ。でもそんなことをしたらどうなるのかもわかっている。だからできないわけです。だからいつも心がムズムズするのです。そして赦せないという気持ちでいっぱいになり、だんだん暗くなっていく。だからそこには何の解決もありません。悪に対して報復しても何も良いものは生まれてこないのです。ではどうしたらいいのでしょうか。かえって祝福を与えるのです。なぜなら、あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。そのように祝福を与えることによって、その祝福が倍になって返ってくる。祝福の倍返しです。

第三に、私たちには祝福するという使命が与えられているということです。召命という言葉を聞くとき、私たちは自分にはどのような召しが与えられているのかと悩むことがありますが、そのような思いはとかく、自己実現のような、自分自身の可能性を求めるものになりがちです。けれども、聖書は、何のために私たちを召してくださったのかを、はっきりと書いています。それは「祝福を受け継ぐため」、「祝福を与えるため」です。皆さん、私たちは何のために召されたのでしょうか。祝福を与えるためです。皆さんはどのように祝福を与えているでしょうか?神様から呼びかけられているのは、「ほら、あそこにいる人を、祝福しなさい」「ここにいる人を、祝福しなさい」ということであって、呪うことではありません。

それはアブラハムの生涯を見るとわかります。創世記12章1~3節には、「主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』」とあります。
いったいアブラハムは何のために召されたのでしょうか。それは祝福の基となるためです。地上のすべての民族は、彼によって祝福されるのです。そのために召されたのです。同じように、私たちもそのために召されました。地上のすべての民族はあなたを通して祝福されるように、あなたは召されたのです。それは正確に言うと、あなたの信じた救い主イエス・キリストを信じることによってという意味です。あなたは祝福するために召されたのであって、のろうためではありません。どうしたら悪をもって向かってくる相手を祝福することができるのでしょうか。たとえ相手が悪をもって向かってくるような人であっても、尊敬の心をもって従い、その人の上に神が働いてやがておとずれの日に神をほめたたえるように祈ることによって、祝福を与えることができるのです。私たちはそのために召されているのです。そのことを信じ、従う者でありたいと思います。

Ⅲ.すべてを神にゆだねて(10-12)

第三のことは、すべてを神にゆだねましょう、ということです。10節から12節までをご覧ください。ペテロは、「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐだめに召されたのだからです。」ということを説明するために、旧約聖書の言葉を引用して、次のように言っています。
「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」

これは詩篇34篇からの引用です。ここで、その詩篇34篇を開いてみたいと思います。ペテロが引用しているのは詩篇34篇12~16節の部分です。冒頭に表題がありまして、そこには、「ダビデによる。彼がアビメレクの前で気が狂ったかのようにふるまい、彼に追われて去ったとき」とあります。ダビデはサウル王の嫉妬と悪意によって殺されかけ王宮を追われ、国外での逃亡生活を余儀なくされました。その逃亡生活の中で、ダビデがペリシテ人の王アビメレクのもとに逃げ込むと、彼がサウル王のもとから逃げて来たことが分かり、アビメレクはダビデを殺そうとしました。そのときダビデはどうしたかというと、気が狂ったふりをしたのです。口からよだれを垂らして泡を吹き、気がくるっているかのように振る舞いました。(Ⅰサムエル21:13)サウル王に王宮を追われたことも屈辱であれば、追われた先で再びいのちを狙われ、その難を逃れるために気が狂ったふりをしなければならないことはもっと惨めです。しかし、そのような苦しみの中から助け出されたとき、彼はこのように主を賛美しました。6~10節です。
「この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。」
ダビデは自分のことを「悩む者」と呼んでいます。その悩む者が呼ばわったとき、主は聞いてくださいました。こうして主はすべての苦しみから彼を救ってくださった。彼は、主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出されるということを確信し、この主のすばらしさを味わい、これを見つめよ、と歌ったのです。若い獅子も乏しくなって飢えるが、主を尋ね求める者には、良いものに何一つ欠けることはない、と神を賛美したのです。つまり、どんなに周囲から非難されても、悪意を向けられても、呪われても、批判されても、神様は私を愛し、私を守ってくださるがゆえに、この主に身を避けると賛美したのです。

私たちの人生においても、ものすごい失望と屈辱を味わうような時があります。しかし、それでも、悪に悪をもって報いたり、侮辱に侮辱をもって報いたり、人間的な方法で打って出ないのは、神様が私を守ってくだるという確信があるからです。私たちはそのように召されているからです。どんなことがあっても神は私を助け、私を祝福してくださるということがわかっていれば、そうした失望や屈辱を味わうようなことがあっても、それを乗り越えることができる。いや、そうした相手さえもかえって祝福することができるのです。

ダビデは、この経験に基づいて、悪をなす者に対して悪をもって報いず、神にすべてをゆだねることを学びます。それが13~16節の言葉です。
「あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。」

私たちは時に、悪口を言う者に対して、実際、直接に言い返した方が効果的のある場合もあります。しかし、多くの場合、それを行うとき、私たちの中にある怒りや苦々しさといった感情が入ってしまい、冷静に言えないものです。そしてかえって人間関係を悪くするのが落ちです。ですからダビデは、「あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。」と言っているのです。言葉を慎むことを学び、「主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。」と言って、そのさばきを神にゆだねるようにと語るのです。ペテロがダビデを引用した狙いはここにあったのです。

私たちはその人生の中で、色々な人とぶつかります。すべての人が自分のことをよく思ってくれるのであれば良いのですが、そういう人はめったにいません。私たちのことをよく思っていない人がいれば、直接悪意をもって向かってくる人もいます。しかし、私たちはそんな人に対しても、悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えることができます。なぜなら、私たちは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対することができるでしょうか。
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:38-39)
私たちは神に深く愛されているのです。どんなことがあっても神はあなたを助け、あなたを守ってくださいます。なぜなら、あなたは祝福を受け継ぐために召されたのですから。それゆえ、あなたの思い煩いを、いっさい神にゆだねましょう。神があなたがたのことを心配してくださいます。あの人が祝福されるなんて許せない、などといったケチをつけずに、かえってその人の祝福を祈りましょう。それが、あなたが祝福を受ける道なのです。

ヨシュア記10章

きょうはヨシュア記10章から学びたいと思います。

 Ⅰ.日よ、ギブオンの上で動くな(1-15)

 少し長いですが、まず1節から15節までを読みましょう。
「さて、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、先にエリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを聞き、大いに恐れた。それは、ギブオンが大きな町であって、王国の都の一つのようであり、またアイよりも大きくて、そこの人々はみな勇士たちであったからである。それで、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヘブロンの王ホハム、ヤルムテの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルに使いをやって言った。「私のところに上って来て、私を助けてください。私たちはギブオンを打ちましょう。ギブオンがヨシュア、イスラエル人と和を講じたから。」それで、エモリ人の五人の王たち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王とその全陣営は、相集まり、上って行って、ギブオンに向かって陣を敷き、それを攻めて戦った。ギブオンの人々は、ギルガルの陣営のヨシュアのところに使いをやって言った。「あなたのしもべどもからあなたの手を引かないで、早く、私たちのところに上って来て私たちを救い、助けてください。山地に住むエモリ人の王たちがみな集まって、私たちに向かっているからです。」そこでヨシュアは、すべての戦う民と、すべての勇士たちとを率いて、ギルガルから上って行った。主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」それで、ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、イスラエルはギブオンで彼らを激しく打ち殺し、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダまで行って彼らを打った。彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急がなかった。主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった。主がイスラエルのために戦ったからである。ヨシュアは、全イスラエルを率いてギルガルの陣営に引き揚げた。」

前回は、ヨルダン川のこちら側の王たち、すなわち、カナンの王たちが連合してイスラエルと戦おうとした時、ギブオンの住民たちは賢くも策略を巡らして、イスラエルと平和条約を締結し、イスラエルに滅ぼされることを免れたことを見ました。きょうの箇所には、その一方で、これを面白くないと思ったカナンの王たちが、そのギブオンを攻撃することが記されてあります。1節と2節には、「さて、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、先にエリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを聞き、大いに恐れた。それは、ギブオンが大きな町であって、王国の都の一つのようであり、またアイよりも大きくて、そこの人々はみな勇士たちであったからである。」とあります。

エルサレムは、ギブオンから南東に15キロメートルほどのところにあります。このエルサレムの王は「アドニ・ツェデク」という名で、意味は、「義なる主」という意味です。このアドニ・ツェデクは、創世記14章に登場したメルキゼデクの子孫であると言われています。そこには「シャレムの王メルキゼデク」(創世記14:18)とありますが、「シャレム」とは「エルサレム」のことです。メルキゼデクはそのエルサレムの王であり、祭司でもありましたが、カナンの連合軍と戦って勝利したアブラハムを祝福しました。アブラハムはそのことに大いに感激して、大祭司であったこのメルキゼデクにすべてのものの十分の一をささげました(創世記14:19-20)。このメルキゼデクは、ヘブル人への手紙においては真の大祭司であるイエス・キリストのひな型であったと記されてあります(7章)。おそらく、彼はアブラハムの信じる神を真の神として認め、彼自身も同じ神を信じていたので、カナンの連合軍には加わらず、むしろアブラハムの勝利を祝ったのであろうと思われます。それなのに、ここではその子孫であるアドニ・ツェデクが、他の王たちとともにイスラエルに対して戦いを挑んできたのです。いったいなぜでしょうか。ある人は、「昨日の友は今日の敵だ」ということを言いたかったのではないかと考えます。人間ほど信じられない存在はないのだという教訓を私たちに示そうとしているのだというのです。またある人は、信仰は極めて個人的なものであって、たとえ先祖にどんなに立派な信仰者がいても、その子孫が必ずしもその信仰を受け継ぐものではないということを教えているのではないかと言います。

1節と2節を見ると、その鍵となる言葉があることがわかります。それは「聞き」という言葉と、「大いに恐れた」という言葉です。彼はヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、先にエリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを聞き、大いに恐れたのです。それは、ギブオンが大きな町であって、王国の都の一つのようであり、またアイよりも大きくて、そこの人々はみな勇士たちであったからです。そのギブオンがイスラエルと和を講じたことを聞いて、恐れたのです。

このようなことは私たちにもあるのではないでしょうか。そうした噂を聞いて恐れてしまい、正しい判断が出来なくなってしまうということが・・。いったいなぜイスラエルがエリコとアイを攻略することができたのか、なぜキブオンがイスラエルと和を講じたのかということを考えるなら、自ずと自分たちの成すべきことが見えてくるのではないでしょうか。すなわち、イスラエルの陰には全能の神がともにおられるのであって、ギブオンの住民がイスラエルと和を講じたのは戦っても勝つ見込みがないと判断したからであって、彼らにできる唯一のことはこのイスラエルの神を神とすることであるということです。それ以外に救われる道はありません。この神に敵対すること自体間違っているのです。彼らはその判断を誤ってしまったのです。

私たちも噂を聞いて、恐れてしまい、判断を誤ってしまうことがあります。神が求めておられることよりも、目の前の状況に振り回されてしまい、目先の解決を求めてしまうことがあるのです。そういうことがないように、私たちは常に祈らなければなりません。判断を焦ってはならないのです。うわさを聞いて、恐れてはなりません。むしろ、神のみこころは何か、何が良いことで完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなければなりません。これが解決の道です。それなのに、アドニ・ツェデクはその判断を誤ってしまいました。そして、カナンの他王たちと、ギブオンを攻撃しようとしたのです。

それに対して、ギブオンの人々はどうしたでしょうか。当然、イスラエルに援軍を要請します。6節には、「ブオンの人々は、ギルガルの陣営のヨシュアのところに使いをやって言った。「あなたのしもべどもからあなたの手を引かないで、早く、私たちのところに上って来て私たちを救い、助けてください。山地に住むエモリ人の王たちがみな集まって、私たちに向かっているからです。」とあります。そこでヨシュアは、すべての戦う民と、すべての勇士たちとを率いて、ギルガルから上って行きました。

その時、主はヨシュアにこう仰せられました。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」たとえ神がともにおられると信じていても、それほど多くの敵と戦わなければならないとしたら、だれでも恐れを抱くでしょう。それはヨシュアも同じでした。そんなヨシュアに、主は開口一番「恐れてはならない」と言われました。なぜなら、主が彼らをヨシュアの手に渡されたからです。この「渡したからだ」というのは完了形になっています。これから先のことでも、主の側ではすでに完了していることです。主はすでに彼の手に、彼らを渡しておられるのです。私たちに必要なことは、その主のことばを信じて前進することです。

それに対してヨシュアはどのように応えたでしょうか。9節をご覧ください。「それで、ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。」
それでヨシュアは急襲をしかけます。夜通しギルガルから上って行き、突然彼らを襲いました。それが神のみこころだと確信した彼は、すぐに行動に移します。もたもたしませんでした。「ちょっと待ってください。もう少し祈ってみますから」と言わず、夜のうちに出発し、攻撃したのです。私たちは時々待ち過ぎるときがあります。もちろん、祈ることは大切なことですが、私たちが祈るのは主のみこころを知るためです。主が、「これをしなさい」と言われたのに、「いや、もうちょっと待ちます」というのは、信仰でありません。信仰とは、主が語られたことにすぐに応答することです。
アブラハムは、ひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行き、そこで全焼のいけにえとしてイサクをささげなさい、と主から命じられたとき、「翌朝早く」イサクといっしょに神が示された場所へ出かけて行きました。それが信仰です。私たちは、神が与えられたチャンスを逃すことがないように、ヨシュアのように主のことばに従う者でありたいと思います。

さて、主のことばにしたがってヨシュアが出て行った結果、どうなったでしょうか。10節と11節をご覧ください。
「主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、イスラエルはギブオンで彼らを激しく打ち殺し、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダまで行って彼らを打った。彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。」
主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、イスラエルはギブオンで彼らを激しく打ち殺しました。そして、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダまで行って彼らを打ちました。彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死にました。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かったのです。最近、よく雹が降ったとニュースで聞きますが、雹は大きいと野球ボールぐらいのもありますから、容易に彼らを殺すほどの威力を持っていたのでしょう。その雹で死んだ人のほうが、剣で殺した人たちよりも多かったのです。どういうことですか?主が戦ってくださったということです。主が彼らをヨシュアの手に渡されたのです。それで主は激しく敵を打つことができました。

12節から15節をご覧ください。ここにはヨシュアの祈りが記されてあります。「主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急がなかった。主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった。主がイスラエルのために戦ったからである。ヨシュアは、全イスラエルを率いてギルガルの陣営に引き揚げた。」
これは、どういうことですか?日が沈んでしまうと、彼らを追跡することができなくなるので、ヨシュアは日が沈まないようにと主に祈ったのです。太陽がギブオンの上にあり、月がアヤロンの谷にありました。このままでは、あと数時間後には日が沈んでしまいます。ですから、少しでも日がとどまり、明るいうちに敵を全滅させるために、もう少し時間をください。太陽よ、止まれ!と命じたのです。するとどうでしょう、民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまりました。主がこのような祈りを聞かれたことは、先にもあとにもありません。それはそうです、太陽がまる一日沈むことなく、天にとどまっているということなど考えられないからです。ある人たちはこのような箇所を見ると、そんなことあり得ない、ヨシュアはただそのように感じただけにすぎない、と言います。同じ時間でも長く感じたり短く感じたりすることがあるように、この日もそれだけ長く感じられただけのことだというのです。そうではありません。人間の頭では考えられないことを、主はなさるのです。これは、聖書の全歴史においても特に際立つ不思議な主のみわざの記録です。それは主がイスラエルのために戦われたからです。私たちもヨシュアのように主のことばに従い、前進するなら、私たちの頭では想像もできないようなことを、主がしてくださるのです。

Ⅱ.勝利の主(16-27)

次に16節から27節までをご覧ください。
「これらの五人の王たちは逃げて、マケダのほら穴に隠れた。その後、マケダのほら穴に隠れている五人の王たちが見つかったという知らせがヨシュアにはいった。そこでヨシュアは言った。「ほら穴の口に大きな石をころがし、そのそばに人を置いて、彼らを見張りなさい。しかしあなたがたはそこにとどまってはならない。敵のあとを追い、彼らのしんがりを攻撃しなさい。彼らの町にはいらせてはならない。あなたがたの神、主が彼らをあなたがたの手に渡されたからだ。」ヨシュアとイスラエル人は、非常に激しく打って、彼らを絶ち滅ぼし、ついに全滅させた。彼らのうちの生き残った者たちは、城壁のある町々に逃げ込んだ。そこで民はみな無事にマケダの陣営のヨシュアのもとに引き揚げたが、イスラエル人に向かってののしる者はだれもなかった。その後、ヨシュアは言った。「ほら穴の口を開いて、ほら穴からあの五人の王たちを私のもとに引き出して来なさい。」彼らはそのとおりにして、ほら穴からあの五人の王たち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王を彼のもとに引き出して来た。彼らがその王たちをヨシュアのもとに引き出して来たとき、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、自分といっしょに行った戦士たちを率いた人たちに言った。「近寄って、この王たちの首に足をかけなさい。」そこで彼らは近寄り、その王たちの首に足をかけた。ヨシュアは彼らに言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵は、主がこのようにされる。」このようにして後、ヨシュアは彼らを打って死なせ、彼らを五本の木にかけ、夕方まで木にかけておいた。日の入るころになって、ヨシュアは彼らを木から降ろすように命じ、彼らが隠れていたほら穴の中に投げ込み、ほら穴の口に大きな石を置かせた。今日もそうである。」

5人の王たちの軍隊を完全に打ち負かした後、ヨシュアはギルガルの陣営に引き上げましたが、そのちょっと前に、イスラエルの前から逃れた5人の王がマケダのほら穴に隠れた話が記録されています。この5人の王たちはほら穴に隠れたとき、ヨシュアは彼らをそのままにしておいて、敵のあとを追うように命令します。そして、敵を絶滅させた後でこの5人の王たちを引き出し、彼らの首に足をかけさせました。そればかりではありません。ヨシュアは彼らを打って死なせ、彼らを5本の木にかけ、夕方まで木にかけておきました。このように首に足をかけるとか、死体を木にかけるというのは、イスラエルがこの5人の王たちに勝利したことの見せしめです。
「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵は、主がこのようにされる。」
これが一目瞭然です。主がどれほど力ある方であるかは、それをみればわかります。だから私たちも恐れてはなりません。おののいてはなりません。私たちの主は全能の神であって、私たちが真に恐れなければならないのは、この神だけなのです。

Ⅲ.聖絶しなさい(28-43)

最後に28節から43節までを見て終わりたいと思います。
「その日、ヨシュアはマケダを攻め取り、剣の刃で、この地とその王とを打った。彼は、この地とその中にいたすべての者を聖絶し、ひとりも生き残る者がないようにした。彼はエリコの王にしたように、マケダの王にもした。ヨシュアは全イスラエルを率いて、マケダからリブナに進み、リブナと戦った。主が、その地も、その王も、イスラエルの手に渡されたので、彼は、この地とその中のすべての者を、剣の刃で打ち、その中にひとりも生き残る者がないようにした。彼はエリコの王にしたように、その王にもした。ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、リブナからラキシュに進み、それに向かって陣を敷き、それと戦った。主がラキシュをイスラエルの手に渡されたので、彼は二日目にそれを取り、それと、その中のすべての者を、剣の刃で打った。すべてリブナにしたとおりであった。そのとき、ゲゼルの王ホラムが、ラキシュを助けるために上って来たので、ヨシュアは、彼とその民を打ち、ひとりも生き残る者のないまでにした。ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、ラキシュからエグロンに進み、それに向かって陣を敷き、それと戦った。彼らはその日それを取り、剣の刃でそれを打ち、その日、その中のすべての者を聖絶した。すべてラキシュにしたとおりであった。ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、エグロンからヘブロンに上り、彼らはそれと戦った。彼らは、それを取り、それとその王、およびそのすべての町々とその中のすべての者を、剣の刃で打ち、ひとりも生き残る者がないようにした。すべてエグロンにしたとおりであった。彼は、それとその中のすべての者を聖絶した。ヨシュアは全イスラエルを率いて、デビルに引き返し、これと戦った。そして彼は、その地とその王、およびその中のすべての町々を取り、剣の刃でこれらを打ち、その中のすべての者を聖絶し、ひとりも生き残る者がないようにした。彼がデビルとその王にしたことは、ヘブロンにしたとおりであり、またリブナとその王にしたとおりであった。こうして、ヨシュアはその全土、すなわち山地、ネゲブ、低地、傾斜地、そのすべての王たちを打ち、ひとりも生き残る者がないようにし、息のあるものはみな聖絶した。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。ヨシュアは、また、カデシュ・バルネアからガザまで、およびゴシェンの全土をギブオンに至るまで打った。ヨシュアはこれらすべての王たちとその地とをいちどきに攻め取った。イスラエルの神、主が、イスラエルのために戦われたからである。」

マケダでヨシュアに歯向かった5人の王たちを殺した後、ヨシュアは、それを皮切りに、リブナ、ラキシュ、ゲゼル、エグロン、ヘブロン、デビルの町々を攻め、これらの町々を陥落させます。しかし、それだけではありません。ヨシュアは容赦なくこれらの町々のすべての住民を聖絶しました。40節には、「こうして、ヨシュアはその全土、すなわち山地、ネゲブ、低地、傾斜地、そのすべての王たちを打ち、ひとりも生き残る者がないようにし、息のあるものはみな聖絶した。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。」とあります。いったいこれはどういうことでしょうか。あまりにも残酷な行為です。戦いで敵を破るというのはわかりますが、一人も残さずにことごとく滅ぼすというのは、あまりにも非道に感じます。ヨシュアはそれほど冷酷無比な人間だったということでしょうか。

そうではありません。今読んだ40節にあるように、あるいは、25節にもあったように、それはヨシュアから出たことではなく、神の命令であり、神がそのようにせよと命じられたので、ヨシュアはそのようにしたのです。すなわち、主の命令どおりに彼は聖絶したのです。それではいったいなぜ神はそのような命令を出されたのでしょうか。それは単なる大量虐殺として行われたのではありません。それはここに「聖絶」とあるように、イスラエルが聖さを守り、神の祝福の基として彼らを置くためにそのようにさせたのです。これは「聖絶」あるいは「分離」のためだったのです。彼らがカナンの異教的な習慣から守られ、神の民としての聖さを保つためだったのです。

私たちはこの世で、神の民として祝福の基としての使命を果たしていくためには、どうしてもこの世と分離しなければなりません。この世の力はとても強いものがあります。その背後には悪魔の力が働いており、罪に陥れる罠がたえずあります。だからこそ私たちは意識的にこの世から分離して、信仰の主体性というものを確立しなければなりません。そうでないと、私たちは容易にこの世の力にのみ込まれてしまうことになるからです。

それゆえに、パウロはⅡコリント6章17~18節でこう言ったのです。「それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
これは、この世と交わってはならないということではありません。私たちはこの世に遣わされている者として、絶えずこの世との関わりの中で生かされているからです。ここでパウロが言う「彼らと分離せよ」とは、霊的に交わることがないようにという意味です。私たちは確かにこの世に生きていますがこの世のものではなく神のものとして、神に従って生きていかなければなりません。この世と妥協してはならないのです。分離しなければなりません。そして、時には実際に分離する必要があります。

私は、1993年に韓国の光琳教会というメソジスト派では世界で一番大きな教会に行ったことがあります。韓国の教会の成長の要因はどこにあるのかを学びに行きましたが、その要因の一つはこの分離にあることがわかりました。この教会だけでなく韓国の多くの教会では祈祷院を持っています。この光琳教会の祈祷院はとても立派なもので、毎月信徒が集まって断食の祈りをするのです。断食聖会です。それはこの世との全くの分離の時です。家を離れ、仕事を離れ、食事からも離れて、ただ神との交わり、祈りとみことばの時を過ごすのです。その中で彼らは聖霊に満たされ、信仰に満たされ、そしてまたこの世に出て行くのです。韓国にはこのような祈祷院がたくさんあるのです。そこで一月に一度とか、二月に一度、三月に一度、あるいは一年に一度、聖別して祈るのです。必ずしも祈祷院に行かなければならないということではありません。祈祷院に行く目的は、聖別することですから、この聖別することを私たちが求め、この世と分離して、主体的な信仰を持つことができるのであればいいわけですが、なかなかそれを実現していくことは容易なことではありません。その点でこうした祈祷院で祈ることは大きな助けになるのは間違いありません。

では、私たちの教会のように祈祷院のない教会の信徒たちは、どのようにして聖別することができるのでしょうか。聖書には何と書いてあるでしょうか。出エジプト記20章8節には「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」とあります。これは十戒の第四の戒めです。「聖なる日とせよ」ということばは「カーデシュ」というヘブル語で、「分離する」という意味があります。つまり、日曜日は他の曜日とは違って分離された特別な日であることを覚えて、これを聖なる日とせよということです。他の曜日の延長に日曜日があるのではありません。もちろん、主にあっては日曜日だけが主の日でなく、毎日が主の日です。しかし、それはこの日が他の日と同じであるということではありません。これは「聖なる日」なのです。他の日とは区別された日なのです。毎週日曜日ごとに造り主なる主の前に出て、この世とのいっさいの関わりを断ち、ただ主との交わりを通して信仰を強められ、月曜日からもう一度この世に遣わされていくのです。ですから、日曜日が週の初めにあるのです。六日間働いて休む日なのではなく、一週の初めに神を礼拝し、自分が神のものであることを確信し、神から力をいただいて強められ、月曜日からまた新たにこの世での生活を営んでいくのです。それゆえに私たちは日曜日を「聖なる日」としなければなりません。これを軽んじてはならないのです。ここから聖別が始まっていくからです。

今から百年以上前に、アメリカにジョン・ワナメイカーという人物がいました。彼は「百貨店王」と呼ばれるほど優れた実業家として有名な人です。しかし彼は貧しい家で育ち、14歳で働きに出なければなりませんでした。彼は幼い頃教会学校において、日曜日は神様を礼拝する日であり、神様を礼拝することなくて他のことをすることは空しいと教えられていました。しかし、その後彼が14歳で書店に勤めると、そこでは日曜日に休むことができませんでした。彼は教会学校での教えを思い出し、若かった彼は「教会に行かせてください」と正直にその書店に主人に申し出ましたが、主人はそれを許しませんでした。そこで仕方なく彼はその書店を辞めました。そして日曜日に休むことができる仕事はないかと必死に探し始め、間もなくある一つの仕事を見つけました。それは衣料品のセールスマンの仕事でした。セールスマンなら自由に働くことができると、日曜日に仕事を休むために、月曜日から土曜日まで一生懸命に働いたのです。すると、だんだんと彼の才能が認められるようになりました。やがて彼は一つの衣料店を任せられるようになり、そしてそれがどんどん大きな業績につながってくと、ついに百貨店の経営者に上り詰めたのです。そして1889年から1893年の期間、当時のアメリカ大統領ハリソンの下で郵政大臣をも務めるほどの人物になったのです。しかし、大臣という多忙な執務の中にあっても、彼は一日たりとも聖日礼拝を休むことはありませんでした。

私たちはこのジョン・ワナメイカーに学びたいものです。このワナメイカーのように日曜の礼拝を厳守し、この世と分離することによって、自分が主のものであることを確信し、そこから恵みと力をいただいて強められていく信仰を持ちたいと思います。それが聖別するということであって、そのような信仰者を主は必ず祝福してくださるのです。

Ⅰペテロ3章1~7節 「妻たちよ、夫たちよ」

 きょうは、「妻たちよ、夫たちよ」というタイトルでお話ししたいと思います。ペテロは、異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさいと勧めましたが、その具体的な一つのことは、人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい、ということでした。それが主権者である王であっても、また、王から遣わされた総督であっても、です。

それはまた、当時の奴隷制度においても同じでした。18節には、「しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。」とありましたね。それが「善良でやさしい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても」そうです。

また、それは結婚関係においても同じです。3章1節には、「同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。」とありますし、7節には、「同じように、夫たちよ。」とあります。この「同じように」というのは、これまで語られてきたことと同じようにということです。クリスチャンが異邦人の社会において王や主権者に従うように、また、しもべたちが、自分の主人に従うように、夫婦関係においてもそれぞれ自分の夫に、自分の妻に従いなさい、というのです。

Ⅰ.妻たちよ(1-2)

 まず、妻に対して勧められていることから見ていきましょう。1節と2節をご覧ください。1節には、「同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。」とあります。

ここでペテロは妻たちに、「同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。」と言っています。市民が主権者である王や総督に従うように、あるいは、しもべが主人に従うように、妻は夫に従いなさいというのです。冗談じゃない!!夫が自分に従うというのならわかるけど、自分が夫に従わなければならないなんて、何とも古めかしくて聞いていられない、という方もおられるかもしれません。エペソ人への手紙5章22~24節を見ると、パウロも同じように勧めていることがわかります。
「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。」

ここでは、夫が妻のかしらであると言われています。キリストが教会のかしらであって、教会はどんなことでもキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきである、というのです。ですから、これはペテロだけが言っていることではなく、パウロも言っていることであり、聖書全体が教えていることなのです。ウーマンリブ運動が盛んになって以来、このような教えはあまり魅力がないというか、受け入れられなくなってしまいました。男女は平等であって、女が男に従わなければならないとか、妻が夫に従わなければならないというのはおかしい!と言うのです。だからでしょうか、リビングバイブルでは、もっと柔らかい口調で訳されています。「妻は夫に歩調を合わせなさい」となっています。また、J.B.フィッリプス訳では「夫に順応しなさい」と訳しています。しかし、これは「歩調を合わせる」とか、「順応する」ということではないのです。もしそのように訳するのであれば、この2章13節以降の内容もすべてそのように訳さなければなりません。「人の立てたすべての制度に、主のゆえに歩調を合わせなさい。」どうですか、変でしょう。しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に順応しなさい。」変です。これは「従いなさい」と訳さなければならない言葉です。「歩調を合わせなさい」とか、「順応しなさい」というのは、いかにも聞き触りのいい言葉ですが、それがどんなに聞き触りのいい言葉であっても、それは「従いなさい」ということであって、聖書が一貫して教えていることなのです。

では、夫に従うとはどういうことなのでしょうか。ある奥さんがご主人に聞きました。「あなた、従うってどういうこと?」すると夫は答えました。「ひとかけらの抵抗もないことだ。」これが従うということです。「従えばいいんでしょう、従えば!」と大声を上げながらすることではありません。

それはこの「同じように」という言葉からもわかります。「同じように」とは、これまで勧められてきたことと同じように、という意味です。市民はどのように王や主権者に従うようにと言われていたでしょうか。人の立てたすべての制度に、主ゆえに従いなさい、ということです。これには従うけれど、これには従わないということではなく、すべての制度に従うのです。勿論、それが神のみこころに反することであるなら、その限りではありませんが・・。ですから、「あなたがたは自由人として行動しなさい。」と言われていたのです。しかし、このようなことは稀にしかないことです。つまり、私たちは主が敵をも愛したように、この世の主権者に対してすべてにおいて従わなければならないのです。

また、2章18節にはしもべに対して、このように勧められていました。「しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良でやさしい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。」と。人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばしいことです。イエス様もそのようにされました。イエス様はその模範を残されたのです。「同じように」です。ですから、ここでも、「たとい、みことばに従わない夫であっても」と言われているのです。そのように従わなければなりません。

柿谷正期先生が、「しあわせな夫婦になるために」という本を書いておられますが、その中で先生は、夫に従うということがどういうことなのかを、次のように言っておられます。
「夫に従うというのは、「主に従うように」と記されているように、キリストに従うような従い方が要求されているのです。仮にキリストが「花子。仕事を辞めなさい」と言われたら、クリスチャン女性はそれに従うことでしょう。たとえもう少し仕事を続けていたいという気持ちがあったとしても、です。同じように夫が、「花子。仕事をやめてほしい」と言った時、「はい」とそれに従うことが求められているのです。何も話し合ってはいけないということではありません。しかしやめることが夫の最終的意志だとわかったら、それに従うことです。このような従い方ができたら夫婦関係に変化が起こること間違いなしです。
「夫は妻のかしらである」とはどういうことでしょうか。夫が王様ぶって妻を使用人のように扱うことではありません。民主主義のルールで説明すれば次のようになります。夫にも妻にも一票ずつの投票権があるが、夫がかしらということは、夫にはさらに議長権があるということです。仮に台所の壁紙を何色にするかということで夫と妻が話し合っているとします。妻は落ち着いたグリーンがいいと言います。夫はピンクがいいと言っています。ここで賢明な夫ならこう考えます。「台所仕事するのは僕じゃない、彼女だ。だったら壁紙も妻の言う通りグリーンにしよう。」ここでグリーンが決まるわけです。
しかし賢明でない夫も時にいるものです。賢明でない夫はどうしても「ピンク」を主張し、議長権を行使して2対1でピンクが決定します。すると従うことが求められている妻は、ピンクをまるで自分が選んだ色かのように受け入れることです。台所に立ちながら、「このピンク野郎!」などと思わないことです。
しばらくすると、ピンクに飽きた夫が言うかもしれません。「台所の壁紙、何か別の色にしようか。」この時、待ってましたとばかりに、「だからあなた、言ったでしょう!」と言ってはいけないのです。自分がピンクを選んだかのように応答することです。」

わかりやすい例だと思います。夫に従うというのは、それがたとい自分の意志ではなくても、主のみこころに反しない限り、それを自分の意志であるかのように受け入れることなのです。

いったいなぜ妻は夫に従わなければならないのでしょうか。1節の後半から2節にかけて、その理由が書かれています。「たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるからです。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。」

みことばに従わない夫であっても、というのは、未信者の夫であってもという意味です。当時の教会も、今日の日本の教会のように、女性が先に信仰を持つというケースが多かったようです。するとクリスチャンになった妻が取りやすい行動は、未信者の夫を何とかして救いに導こうと、必死に伝道することです。部屋の至るところにみことばを貼ったり、車の助手席で永遠に夫に証をしたりします。面白いことを聞いたことがあります。実際にクリスチャンになった奥さんが、車を運転している旦那さんに証をしていたら、その旦那さんは顔を横に向けながら、目だけが前方を向いて運転していたそうです。夫は聞きたくないのです。クリスチャンになると真理がわかってくるので、だんだん夫が無能に見えてくることがあります。するといつしか夫を見下げた態度を取りやすいのです。そのような態度ではいくら「教会に行きましょう!」と誘っても決して来てくれることはありません。なぜなら、夫はそんな妻に負けたくないからです。しかし、みことばにあるように、夫を敬い、夫に従い、夫に仕えるなら、逆に夫の方からこう言ってくることでしょう。「妻をこんなに変えた教会が、どんなところか一度行ってみたい」と。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。

善良でやさしい夫に従うことは何の抵抗もないでしょう。鼻歌でも歌いながら喜んで従うことができます。しかし、みことばに従わない夫に従うことは、時に涙することもあります。それでも聖書は「従いなさい」と言うのです。「こんな横暴な夫に従っていたら家庭がめちゃくちゃになる」と心配される方もおられるかもしれません。しかしそのような夫であっても従うなら、そのようなあなたの、神を恐れかしこむ清い生き方を見て、あなたの夫も神のものとされるようになるのです。

それは、「夫が何かを盗んでこいと」言うことに従うことではありません。夫の要求することが聖書の要求することと対立する時は、あくまでも人に従うよりも神に従うべきですという原則が適用されます。しかし、このような極限の状況は、そうめったに起こるものではありません。

Ⅱ.サラの子となるのです(3-6)

 次に3節から6節までをご覧ください。3節と4節をお読みします。
「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」

ここでペテロは、「神を恐れかしこむ清い生き方」とはどのようなものなのかを説明しています。それは神を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人柄を飾りにすることです。

「柔和で穏やかな霊」とはどのような霊のことでしょうか。英語のN.I.V.では「gentle and quiet spirit」(優しく静かな霊)と訳しています。また、K.J.V.では「meek and quiet spirit」(謙遜で静かな霊)と訳しています。つまり、ヒステリックでなく、怒りっぽくなくということです。たまに、ひとこと言うと、10倍くらいにして言い返してくる方もいます。箴言21章9節には、「争い好きな女と社交場にいるよりは、屋根の片隅に住むほうがよい。」とあります。怒ったり、争ったりするのではなく、柔和に穏やかに接するのです。生まれつき穏やかで控え目な方もいます。しかし、これは御霊が与える人格的な実です。なぜなら、ガラテヤ5章22、23節に、「御霊の実は、愛、喜び、平安,寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」とあるからです。神を知れば知るほど、神に従えば従うほど、このような御霊の実を結ぶようになるはずですし、そのようになりたいものです。実際長年主に従ってきた婦人たちの多くは、どこか品があるというか、やっぱりこの世の女性とは違うなぁと感じます。それは、本当に価値あるものは何かを求めて歩んでこられた結果と言えるでしょう。

5節と6節をご覧ください。ここには、そのように生きた一つの例として、アブラハムの妻であったサラについて取り上げています。
「むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行なえば、サラの子となるのです。」

いったいなぜペテロはここでサラのことを取り上げているのでしょうか。文語訳ではここを、「神に望みを置きたる清き女たち」と訳しています。その代表としてサラのことが取り上げられているのは、やっぱり彼女が忍耐をもって夫に従った妻の模範であったからだと思います。

 サラは夫に対してずっと忍耐してきました。アブラハムが、神から「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい。」と召しを受けたとき、彼女は、夫に従ってカルデヤのウルからカナンに向かって引っ越しました。この時アブラハムは75歳、サラは65歳でした。当時、ウルと言えば大都会です。それがわけのわからない田舎に引っ越すと言われたらどうでしょう。「あなた、何歳だと思っているんですか。勝手にしてください。私は行きませんからね。」と言うでしょう。しかし、彼女はそんなことを言わないで、黙ってアブラハムについて行きました。アブラハムは「あなたの生まれ故郷とあなたの家を捨てて、わたしが示す地に行きなさい」と神様に言われた時彼に問われたのは信仰だったかと思いますが、サラに問われたのは、もしかしたら忍耐だったのかもしれません。

 そして、約束されている子どもがなかなか与えられなかった時、彼女は諦めていました。そして、自分の女奴隷ハガルをアブラハムに与え、彼女との間に子どもをもうけました。イシュマエルです。それはサラにとっては、きっとものすごく屈辱的で苦しい出来事だったに違いありません。しかも生まれたイシュマエルが後に生まれた自分の息子イサクをいじめるのを見ていると、苦しくて、苦しくてたまらなかったでしょう。実にサラの人生は複雑でした。それでも、彼女は忍耐しました。神に望みを置いて生きたのです。時にはその苦しみを夫にぶつけることもありました。すると夫もまた忍耐して彼女をなだめたりしました。実に、夫婦生活というのはこんな感じですね。気持ちにズレを感じながらも、互いにフーフー言いながらじっと忍耐する。それが夫婦なんです。

 35年間仲の良い夫婦がいました。妻は結婚して以来毎朝毎朝、夫が好物だと思っていたグレープフルーツを出していました。ところが35年目のある朝、グレープフルーツが冷蔵庫の中に入っていないのに気づきました。買ってくるのを忘れてしまったのです。これだけは忘れまいと、35年間頑張ってきた妻は主人に謝りました。
「あなた、ごめんね。グレープフルーツを出せなくて」
するとご主人は素っ気なく言いました。「いいんだよ。気にしなくてもいい。僕は、そもそもグレープフルーツはあまり好きじゃない」
 夫婦ってこんな感じじゃないですか。悪いと思ってなかなか自分の気持ちをストレートに言えないこともあります。35年間じっと忍耐してグレープフルーツを食べ続けているということがあるのです。これが夫婦の何とも言えない複雑さで、二つの人格がすれ違うというか、ま、人生の悲哀と言えばいいのか、時にはおかしくなるほど、私たちはやっぱりどこかですれ違っているんですよね。

 ペテロはそんなどこにでもあるサラの人生を振り返りながら、心に留めたことは、それでも神に望みを置いて、忍耐して生きた敬虔な妻としての姿だったと思うのです。確かにアブラハムは信仰の人でしたが、彼女にとってはついていくのが一苦労で、「もうこれ以上は無理です」と弱音を吐いてもおかしくなかったのに、「あなたはなんて人の気持ちがわからない人なんでしょうか」と思うようなことがあっても、アブラハムを「主」と呼んで彼に従ったのです。「主」とは「主人」という意味です。

皆さんは自分のご主人を何と呼んでいるでしょうか。名前で呼ぶこともあれば、「うちの旦那」と呼ぶこともあるでしょう。ひどいのになると「うちのあれ」とか「うちのこれ」とか言うのを聞くことがあります。でもサラは違います。サラはアブラハムがそんな夫であったにもかかわらず、「主人」と呼んだのです。「ご主人」なんて呼んだら、何だか自分が奴隷みたいで嫌だと言う方もおられるかもしれませんが、ま、そのように呼ぶかどうかはともかく、そのような気持ちで敬っていたということです。ペテロはサラのそのような態度を評価したのです。彼女にもずいぶん人間的な面もありましたが、しかし、そのような中にあっても、神に望みを置き、忍耐して生きました。自分の内側を飾って、夫に従いました。それこそ妻の鏡です。そして、あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行えば、サラの子となるのです。

「どんなことでも恐れないで善を行えば」というのは、このように生きることには恐れが生じることもあるということです。どんな恐れがあるでしょうか。回りの人たちからあまり理解されずに苦しむことがあるかもしれません。このように柔和で穏やかに振る舞っていると嫌味を言われたり、いじわるされたり、脅かされたりすることもあります。あるいは、こんなに頑張っているのに、それがなかなか夫に届かないというもどかしさもあるかもしれません。それでも恐れないで、忍耐しつつ、善を行うなら、あなたもサラの子となるのです。サラのように心の中の隠れた人柄を飾りとする敬虔な人となるのです。

Ⅲ.夫たちよ(7)

最後に、夫たちに勧められていることを見ていきたいと思います。7節をご覧ください。
「同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。」

夫に勧められていることは非常に少ないです。妻に対しては6節も使って勧められているのに、夫に対してはたった1節だけです。不公平ではないですか。もっと言ってください、夫はこうあるべきだとか、こくこくと説得してください・・、というのが妻の本音ではないかと思いますが、夫にはこれだけでいいのです。なぜなら、夫は単純だからです。どういう意味で単純なのかというと、まず脳の仕組みが違います。女性は左脳と右脳を結ぶ、海馬というのが男性よりも太いそうです。この海馬が太いとどうなるかというと、海馬というのは情報を伝達する役割を果たすのですが、それだけたくさんの情報を右脳から左脳に、左脳から右脳に伝達することができるということなのです。ピッ、ピッ、ピッと絶えず伝達しているから忙しいのです。ですから、女性は一度にいろいろなことが考えられるし、同時にいろいろなことができるのです。テレビを見ながら洗濯物をたたみ、こどもと会話ができます。これはすごい能力です。歯を磨きながら洗濯をし、食洗機の食器を片付けることができます。すごい能力です。男性にはできません。男性はこの海馬が細いので、一回に一つのことしかできないのです。男性は一度に複数のことを行うのは苦手なのです。魚を焼いて、味噌汁の鍋をかける。そしてフライパンで何かを揚げていると、フライパンと味噌汁に集中するので、魚が焦げてしまうのです。「あっ、魚焼いていたんだ」と気付く頃には真っ黒くなっています。しかし、男性は、一つのことに集中できるという長所があります。一度にたくさんの情報が飛び交うということがないので、パニックになりにくいのです。しかし、女性は一度にいろいろなことができますが、あまりにもたくさんの情報が飛び交うので、パニックになりやすいという欠点があるのです。ま、いい意味で気が付くのですが、悪い意味では混乱しやすいということです。でも男は単純だからそんなにたくさんいらないのです。夫に対して勧められていることはこれです。

「同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。」

ここで重要なのは、妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい、ということです。ここに、「自分よりも弱い器だということをわきまえて」とあります。「えっ、本当に弱いの?」と疑問に思う方もおられるかもしれません。女性は子供を産むときにあれだけの痛みに耐えられるのだから、肉体的にも強いのではないかと思うかもしれませんが、そうではないのです。最近では女性の社会進出も大きく取り上げられ、男性を頼らなくても生きていける時代です。職場においても男女平等が叫ばれているので、女性が弱いとは思えません。女性の方も「男になんて負けていられない」と思って、それをエネルギーに頑張っています。しかし、神の言葉である聖書は何と言っているかというと、「妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し」と言っているのです。

この「弱い器である」というのは長生きするかどうかという意味ではありません。女性は男性に比べて肉体的に弱いということです。たとえば、ペットボトルのキャップを開ける時はどうでしょうか。家内はいつも私のところに来て、ペットボトルのふたを開けてちょうだい、と頼みます。「こんなの開けられないの?」と思いながら「どれどれ」と開いてやると「ありがとう」と言って喜びます。簡単なことです。ペットボトルのふたを開けてやるだけでそんなに喜んでくれるなら、何回でも開けてやります。でもそれは妻にとって大変なことなのです。力がありません。高い所に上って作業するのはどうでしょうか?「あの換気扇のカバーを取ってください。掃除しますから。」そんなの自分でやったらいいと思いますが、「いいよ」と言って椅子に上がり、ちょ、ちょい、のちょい、と取りますと、「ありがとう」と言って喜びます。どうですか、もし家の中にゴキブリが出たら?ある日家に帰ったら床にカップが置いてあったので、「これ、何?」と尋ねると、中にゴキブリがいる、というのです。どれどれとカップを取ってみると、それはゴキブリではないのです。本当に小さな蚊みたいな虫です。そんなの箒を持ってきてパーンと叩いてテッシュでごみ箱にポーンと捨てれば何でもないことです。でも家内にとっては怖いことなのです。あんなに大きな体をしているのに爪の垢ほどの小さな虫でも怖い。それは、ここにあるように女性は弱い器だからです。

それは肉体だけのことではありません。実は感情的にも脆さがあるのです。こみあげてくる感情を抑えることができません。それがまた女性の美しいところでもありますが、そういう面での弱さもあるのです。男性はあまりにも単純なため、むしろ逆に自分を責め立てる妻の姿を見て自分よりも弱いのだということを忘れて、敵対心を抱くことさえありますが、そうではなくて、妻が女性であるということ、そして、自分よりも弱い器だということをわきまえて、妻とともに生活しなければなりません。

そしてここには、「いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい」とも言われています。「いのちの恵みをともに受け継ぐ者」とはどういうことでしょうか。それは、主にある姉妹として、ともに永遠のいのちを受け継ぐ者であるということです。つまり、この世にあっては共に住み、来るべき世にあっては、永遠のいのちをともに受け継ぐ者としてということです。この世における関係だけかと思ったら、来るべき世においてもまだ関係が続くのですか?と言われる方がおられますが、そういうことではありません。結婚関係はこの世に限ってのことであって、来るべき世にまで続くものではありません。なぜなら、神の国はとついだり、とつがれたりすることはないからです。私たちはみなキリストの花嫁として、キリストとの婚宴に入るのですから。しかし、たとえそれがこの世だけの関係であっても、ともに永遠のいのちを受け継ぐ者として、互いにいたわり合い、尊敬し合うということが求められているのです。

韓国のある牧師の証です。この牧師の奥様は音楽家で大変プライドの高い人でした。それで夫であるこの牧師は、奥様の些細な欠点を攻撃しました。「どかん」とではなく、針で刺すように、あっち、こっちと、ちくちくと刺したのです。すると、この奥様はどうなったでしょうか。すっかり自信をなくしてしまいました。それで家庭生活にも影響を及ぼすようになりました。それでこの牧師は悔い改めて、奥様のことを尊敬し、小さなことでもほめるようにしました。食卓の椅子をそろえただけでも、「ありがとう」と感謝し、奥様が奏でる音楽には「すばらしい」とほめました。すると奥様はだんだんと自信を取り戻し、お元気になられたそうです。

ダムが決壊するのは、蟻の穴のような小さなところからだそうですが、私たちはその小さなことを意外と無視していることが多いのかもしれません。それが日本の文化の一つだと言えばそれまでですが、そうした文化の中にあっても、神の言葉に従うことを求めていかなければなりません。いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなければならないのです。

最後に、その理由が記されてあります。それは、あなたの祈りが妨げられないためです。これはどういうことかというと、このように妻をいたわり、妻を尊敬していないと、それがあなたの祈りに影響を及ぼすことになる、祈りが妨げられてしまうことになるということです。妻と喧嘩をすると祈れなくなります。妻をいたわり、大切にしていないと、あなたの霊的生活にも大きな問題が生じることになる、ということです。なぜなら、夫が妻をいたわり、いのちの恵みをともに受ける者として尊敬するのは、神のみこころだからです。もしそれがなされなければ、神との関係にも影響をきたすことは当然のことであって、祈りが妨げられてしまうことになるのです。ですから、夫たちは、妻が女性であって、自分よりも弱い器であるということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなければならないのです。

これが結婚関係における、妻に対して、また夫に対して、神が私たちに求めておられることです。これは今日の社会とはかなりかけ離れた教えのようですが、神のことばである聖書が教えていることなのです。この神のことばにしたがって、妻は自分の夫に従い、夫は自分の妻をいたわり、尊敬する。その関係に生きることを求めていきたいと思います。

ヨシュア記9章

きょうはヨシュア記9章から学びたいと思います。

 Ⅰ.敵の策略(1-6)

 まず1節から6節までをご覧ください。
「さて、ヨルダン川のこちら側の山地、低地、およびレバノンの前の大海の全沿岸のヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちはみな、これを聞き、相集まり、一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。」(1-2)

ヨルダン川のこちら側の山地、低地とは、ヨルダン川西岸の地域、すなわち、カナンの地域を指します。このカナンの王たちはみな、これを聞き、相集まり、一つとなってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとしました。「これを聞き」とは、ヨシュア率いるイスラエルがエリコとアイを打ち破ったことを指すのか、それとも、その前のヨシュアがエバル山でモーセの律法を宣言したことを指しているのかは、はっきりわかりません。しかし、いずれにせよ、ヨシュアとイスラエル軍が破竹の勢いで進撃してきたことを指していることは間違いありません。これを聞いたパレスチナの王たちはおののき、何とかイスラエル軍の進撃を阻止しなければならないと、連合して立ち向かおうとしたのです。しかし、ギブオン人だけは別行動を取りました。3~6節をご覧ください。

「しかし、ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行なったことを聞いて、彼らもまた計略をめぐらし、変装を企てた。彼らは古びた袋と古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、繕った古いはきものを足にはき、古びた着物を身に着けた。彼らの食料のパンは、みなかわいて、ぼろぼろになっていた。こうして、彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国からまいりました。ですから、今、私たちと盟約を結んでください。」

ギブオンは、イスラエルが攻め取ったエリコとアイの少し南に位置する町です。このギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞いて、イスラエルと和解の条約を結ぼうとしました。彼らはわざわざ自分たちが遠くから来たかのように見せかけるため、古びた袋と古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の革袋とを、ろばに負わせ、繕った古いはきものを足にはき、古びた着物を身につけて、ヨシュアのところにやって来ました。また、かわいて、ぼろぼろになったパンを持っていました。なぜ彼らはこのような計略を企てたのでしょうか。彼らはそのことを聞いて、ヨシュアとその民に対して勝つことはできないと判断したからです。それにしても、わざわざ変装したり、偽ってまで同盟を結ぶ必要があったのでしょうか。おそらく彼らは戦いに勝てないというだけでなく、この戦いがどのような戦いであるのかをよく理解していたのでしょう。すなわち、これは聖なる戦いであり、カナン人を聖絶するものであるということです。それゆえ、彼らがその地の住人であることがわかったら聖絶されるのは落であって、そのことだけは避けなければなせないと思ったのでしょう。孫子の兵法には、戦いに絶対に勝つ秘訣は負ける相手とは戦わないとありますが、まさに彼らは最初から負ける戦いとは戦わない道を選択したのです。それはとても賢い判断でした。一方、イスラエルにとっては判断を誤り、後々までも尾を引く結果となっていくことになります。私たちの敵である悪魔はこのように巧妙に襲いかかってきます。悪魔は偽りの父であり、このように計略をめぐらし、変装を企て、知らず知らずのうちに私たちの内側に忍び込み、私たちを信仰から引き離そうとするのです。だれの目にも明らかな方法によってではなく、だれも気付かないような罠を仕掛けてくるのです。

ペテロは、「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」(Ⅰペテロ5:8)と言っています。
ペテロはだれよりもこのことを体験させられたことでしょう。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカ22:33)と言った次の瞬間、イエスが捕らえられ大祭司のところで尋問を受けると、彼はそこでイエスを知らないと三度も言いました。人間の力なんてそんなものですよ。私たちがどんなに「私はこうだ」と豪語しても、自分の決意などというものは脆くも崩れてしまうのです。いったいなぜこんなことになってしまったのか・・と嘆いてみても後の祭りです。私たちの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜しながら、歩きまわっていることを覚えておかなければなりません。

Ⅱ.主の指示をあおがなかったイスラエル(7-15)

「イスラエルの人々は、そのヒビ人たちに言った。『たぶんあなたがたは私たちの中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結ぶことができようか。』すると、彼らはヨシュアに言った。『私たちはあなたのしもべです。』しかしヨシュアは彼らに言った。『あなたがたはだれだ。どこから来たのか。』彼らは言った。『しもべどもは、あなたの神、主の名を聞いて、非常に遠い国からまいりました。私たちは主のうわさ、および主がエジプトで行なわれたすべての事、主がヨルダン川の向こう側のエモリ人のふたりの王、ヘシュボンの王シホン、およびアシュタロテにいたバシャンの王オグになさったすべての事を聞いたからです。それで、私たちの長老たちや、私たちの国の住民はみな、私たちに言いました。『あなたがたは、旅のための食料を手に持って、彼らに会いに出かけよ。そして彼らに、私たちはあなたがたのしもべです。それで、今、私たちと盟約を結んでくださいと言え。』この私たちのパンは、私たちがあなたがたのところに来ようとして出た日に、それぞれの家から、まだあたたかなのを、食料として準備したのですが、今はもう、ご覧のとおり、かわいて、ぼろぼろになってしまいました。また、ぶどう酒を満たしたこれらの皮袋も、新しかったのですが、ご覧のとおり、破れてしまいました。私たちのこの着物も、はきものも、非常に長い旅のために、古びてしまいました。』そこで人々は、彼らの食料のいくらかを取ったが、主の指示を仰がなかった。ヨシュアが彼らと和を講じ、彼らを生かしてやるとの盟約を結んだとき、会衆の上に立つ族長たちは、彼らに誓った。」

さて、それに対してイスラエルはどのように対応したでしょうか。ここでギブオン人がヒビ人と言われているのは、ギブオン人がヒビ人のグループの一つだったからです。イスラエルの人々はそのことを見抜いてこう言いました。「たぶんあなたがたは私たちの中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結ぶことができようか。」それは、かつてモーセによって次のように命じられていたからです。
「あなたが、はいって行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる。あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。また、彼らと互いに縁を結んではならない。あなたの娘を彼の息子に与えてはならない。彼の娘をあなたの息子にめとってはならない。彼はあなたの息子を私から引き離すであろう。彼らがほかの神々に仕えるなら、主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主はあなたをたちどころに根絶やしにしてしまわれる。むしろ彼らに対して、このようにしなければならない。彼らの祭壇を打ちこわし、石の柱を打ち砕き、彼らのアシェラ像を切り倒し、彼らの彫像を火で焼かなければならない。あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。」(申命記7:1~6)

すると、彼らは偽って、彼らが非常に遠い国から来たということ、そこで主がエジプトで行なわれたこと、またヨルダン川の東でエモリ人の王と、ヘシュボンの王、またバシャンの王になさったすべてのことを聞いたと、イスラエルの過去の出来事に言及しています。つい先ごろ起こったエリコとアイをイスラエルが攻め取ったことについては言及していません。なぜなら、彼らは遠くの国に住んでいるため、そのようなことは聞いていないふりをしているからです。悪魔は実に巧妙に襲いかかってきます。そして、彼らは古くなった着物、古くなったぶどう酒の皮袋、また古くなったパンを見せて、それを遠い国から来た証拠として差し出すのです。その結果、ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしてやると同盟を結ぶことができました。

主はモーセを通してあれほどカナンの民と契約を結んではならないと命じられたのに、どうしてヨシュアは彼らと契約を結んでしまったのでしょうか。14節にその原因が書かれてあります。それは、「主の指示をあおがなかった」からです。私たちは前回、アイとの最初の戦いにおいて敗北した原因を見てきました。それはイスラエルが不信の罪を犯したからです(7:1)。アカンが聖絶のものをいくらか取ったために、主の怒りがイスラエル人全体に燃え上がったのです。それなのに彼らは偵察を送り、二、三千人の兵を上らせれば十分だと判断しました。自分が見るところに頼って、主の指示を仰がなかったのです。ここでも同じ失敗を繰り返しています。彼らは自分たちで判断し、主の指示をあおぎませんでした。

このことはイスラエルだけでなく、私たちにも言えることです。自分たちで判断して、主の指示を仰ごうとしない傾向があります。イスラエルが同じ失敗を繰り返したのは、それだけ人間にはその傾向が強いということを示しているのです。

私たちは、今週の日曜日の礼拝後臨時総会を開き、三原神学生の招聘について話し合いました。私は、この総会に臨むにあたり、二か月前からこのことを皆さんと分かち合い、このために祈ってほしい旨を伝えました。他の人と話すのではなく、ただ神が示してくださることを求めて祈ってほしかったのです。二週間前にはこの臨時総会に臨むにあたって示されたことを具体的に書いてほしいとお願いしました。実際、何人かの方々が出してくださいました。出せなかった方々もそれぞれに祈って臨んでくださいました。
結果はどうだったでしょうか。結果は、三原神学生を招聘するかどうかということではなく、私たちがどのようにこの教会を建て上げていくのかということが問われているのであって、そのためにみんなで取り組んでいくことが求められているのではないかということが示され、一同涙ながらに祈ることができました。
私は本当にすばらしい祈りの時だったと思います。後で何人かの方がメールをくださり、「出席されていた皆さんが、その課題を認識し、何とかしなければいけない、そしてその一歩は「私」からなのだ、そのために「キリストのからだの一員として」全員の参与が必要なのだと気づいたことはとても良かったと思います。何よりも、皆さんが大田原教会を愛し、その成長・発展を願っているということが分かったことは、私にとっても大きな励まし、かつ主からの恵みであったと思います。」とか、「シモン君に関する議題でしたが、教会員のみんなが、それぞれの役割と賜物を考えさせる、我々の目的を遥かに超えた交わりでした。神に感謝しています。」と言ってくださいました。それは私たちが自分の思いや考えによる判断ではなく、主の判断を求めた結果だと思います。

箴言には、「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」(箴言14:12)とあります。また、「主を恐れることは知識の初めである。」(箴言1:7)ともあります。私たちは自分の判断に頼るのではなく、主を恐れ、主の知恵を求め、主の判断を求めていかなければなりません。

Ⅲ.約束に忠実な神(16-27)

さて、そのようにギブオンの住民と契約を結んだイスラエルはどうなったでしょうか。16節から27節までをご覧ください。
「彼らと盟約を結んで後三日たったとき、人々は、彼らが近くの者たちで、自分たちの中に住んでいるということを聞いた。それから、イスラエル人は旅立って、三日目に彼らの町々に着いた。彼らの町々とは、ギブオン、ケフィラ、ベエロテ、およびキルヤテ・エアリムであった。会衆の上に立つ族長たちがすでにイスラエルの神、主にかけて彼らに誓っていたので、イスラエル人は彼らを打たなかった。しかし、全会衆は族長たちに向かって不平を鳴らした。そこで族長たちはみな、全会衆に言った。「私たちはイスラエルの神、主にかけて彼らに誓った。だから今、私たちは彼らに触れることはできない。私たちは彼らにこうしよう。彼らを生かしておこう。そうすれば、私たちが彼らに誓った誓いのために、御怒りが私たちの上に下らないだろう。」族長たちが全会衆に、「彼らを生かしておこう。」と言ったので、彼らは全会衆のために、たきぎを割る者、水を汲む者となった。族長たちが彼らに言ったとおりである。ヨシュアは彼らを呼び寄せて、彼らに次のように言った。「あなたがたは、私たちの中に住んでいながら、なぜ、『私たちはあなたがたから非常に遠い所にいる。』と言って、私たちを欺いたのか。今、あなたがたはのろわれ、あなたがたはいつまでも奴隷となり、私の神の家のために、たきぎを割る者、水を汲む者となる。」すると、彼らはヨシュアに答えて言った。「あなたの神、主がそのしもべモーセに、この全土をあなたがたに与え、その地の住民のすべてをあなたがたの前から滅ぼしてしまうようにと、お命じになったことを、このあなたのしもべどもは、はっきり知らされたのです。ですから、あなたがたの前で私たちのいのちが失われるのを、非常に恐れたので、このようなことをしたのです。ご覧ください。私たちは今、あなたの手の中にあります。あなたのお気に召すように、お目にかなうように私たちをお扱いください。」ヨシュアは彼らにそのようにし、彼らをイスラエル人の手から救って、殺さなかった。こうしてヨシュアは、その日、彼らを会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれた場所で、たきぎを割る者、水を汲む者とした。今日もそうである。」

彼らと同盟を結んで三日後、人々は、彼らが近くの者たちで、自分たちの中に住んでいるということを聞きました。イスラエルは騙されたことに気付きます。三日後に彼らがパレスチナ人であることが判明したのです。そのことが判明したとき、ヨシュアはどうしたでしょうか。イスラエルの全会衆は族長たちに不平を言いましたが、ヨシュアは彼らを滅ぼしませんでした。なぜでしょうか?18節にはその理由が、「全会衆の上に立つ族長たちがすでにイスラエルの神、主にかけて誓っていたので」とあります。

ヨシュアはなぜギブオン人たちにこれほどまでに義理を立てなければならなかったのでしょうか。なぜこの契約を無効にしなかったのか。ギブオン人たちはヨシュアを騙したのです。騙した契約は無効なはずです。民法でも騙された契約は、それが騙されたものであることが証明されると無効にされます。その上、主はヨシュアにカナンの地の異邦の民をみな聖絶するようにと命じておられました。であれば、その契約を無効にし、彼らを滅ぼしても良かったはずです。それなのに、どうして彼らを助ける必要があったのでしょうか。それはヨシュアと族長たちが、イスラエルの神、主にかけて誓ったからです。ヨシュアは一度契約したことに対して、どこまでも忠実に果たそうとしたのです。なぜなら、主なる神ご自身がそのような方であられるからです。イスラエルの神は人間との契約、約束に対してどこまでも忠実に守られる方なのです。それは私たちがどのような者であるかとか、私たちがこれまでどれほどひどいことをしてきたかということと関係なく、主の語られた約束に同意したことによって、それを最後まで果たしてくださるのです。なぜなら、主は真実な方だからです。主は真実な方なので、どこまでもそれを貫いてくださるのです。

私たちがこのような神のご性質を覚えておくということは、極めて重要なことです。なぜなら、神が私たちといったん約束されたなら、そのことは必ず成就するからです。神は契約を遵守される方なのです。それゆえに私たちは神の約束を求め、その約束を受け取るまで、忍耐して祈らなければなりません。なぜなら、ヘブル人への手紙10章35~36節には、「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」とあるからです。

それならばなぜ神はすぐに約束を成就されないのでしょうか。それは、私たちのためです。私たちがあえて忍耐することによって、私たちが主の御前にへりくだるためなのです。もし約束されたことがすぐに成就するとしたらどうなるでしょうか。いつの間にかそれを自分の手によって成し遂げたかのように思い込み、高ぶってしまうことになるでしょう。自分自身の努力や熱心さによって達成したかのように思い、神の栄光を奪ってしまうことになってしまいます。ですから、神は忍耐することを通して、待つことを通して、それが自分の力ではなく神の力によって成し遂げられたことを深く刻みつけようとされるのです。

もう一つの理由は、そのように忍耐することによって、私たちの信仰や人格を磨き上げようとしておられるからです。ローマ5章3~5節には、「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることはありません。」とあります。こうした忍耐を通してこそ練られた品性と希望が生み出されていくということを覚えるとき、むしろ困難を静かに耐えることが神のみこころであり、そのとき私たちの人格が成長させられていくのです。

それゆえ、神が約束されたことが成就しないと嘆いたり、疑ったりしてはなりません。約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。その忍耐を働かせることによって、練られた品性が生み出され、希望が生み出されると信じて、この神の約束の御言葉に信頼して歩みましょう。主は必ずご自身の約束を成就してくださいますから。

Ⅰペテロ2章18~25節 「主人に従う」

 きょうのテーマは「主人に従う」です。「主人」と言ってもその「主人」とは主イエスのことのことではなく、この世の主人ことです。これを現代風に当てはめるなら、会社の社長や職場の上司に従いなさい、ということになるでしょう。しかも善良でやさしい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさいというのです。冗談じゃない!やさしい上司になら従うことができるかもしれませんが、ガミガミ言うような横暴な上司に従うことなんてできません。しかし、ここではそのような主人にも尊敬の心を込めて従いなさい、というのです。いったいこれはどういうことなのでしょうか。

Ⅰ.不当な苦しみに耐える(18-21)

 まず18節から21節までをご覧ください。18節をご一緒にお読みしましょう。
「しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。」

ペテロは、ローマ皇帝の迫害によって小アジヤ地方に散らされていたクリスチャンを励ますために、この手紙を書きました。その中で最も重要なことは、彼らはどのような者であるか、ということです。そこでペテロは2章9節、10節で、このように言いました。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。」

この事実に基づいてペテロは、具体的な勧めを語るのです。それは12節にあるように、この「異邦人の中にあっても、りっぱにふるまいなさい」(12)ということです。「そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、そのりっぱな行いを見て、やがておとずれの日に神をほめたたえるようになります。」そうか、それじゃ頑張ろうと、この異教社会の中にあっても、主の証になるようにりっぱにふるまおうと思った次の瞬間、「えっ」と思うようなことばが続くのです。13節です。
「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者であっても、また、悪を行う者を罰し、善を行うように王から遣わされた総督であっても、」
とても無理です。当時はローマ帝国が支配していましたから、当時の主権者といったらローマの皇帝です。しかし、そもそも彼らが各地に散らされ肩身の狭い思いで生きなければならないのは、そのローマのせいです。そんな人たちに従うなんてできるはずがありません。しかし、そのように善を行って、愚かな人々の口を封じることは、神のみこころなのです。もちろん、それが神のみこころと違うことを命じるのであればあくまでも神に従うことが優先されますが、そうでない限り、人の立てたすべての制度に従わなければなりません。そのようにしてすべての人を敬い、兄弟たちを愛し、主権者を敬うことが神のみこころなのです。

その流れの中で今回の言葉が続くのです。「しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良でやさしい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。」と。

今から約2千年前のローマの社会では、奴隷制が敷かれていました。もともとギリシャもローマも戦勝国でしたから、植民地から大量の奴隷を連れて来たのです。借金で我が身を売った者たちもいました。中には生まれながらに奴隷という境遇の人もいました。いろいろな事情で奴隷として生きなければならない人たちが相当数いたのです。歴史の記述を見ると、当時ローマ帝国全体には6千万人の奴隷がいたと言われています。奴隷というと、鎖で数珠つなぎにされ、鞭でたたかれ、集団できつい労働に酷使されているようなイメージがありますが、実際は少し違っていたようです。中には家の管理を任せられたり、家庭教師や医者である奴隷もいました。当時、こうした労働や実業といったことは奴隷が担い、主人は政治に携わるか、もっぱら趣味や娯楽に興じていたのです。ですから、ここにある「しもべ」というのは、どちらかというと「その家に属する者」というニュアンスがありました。けれども、奴隷であることには変わりはありません。奴隷は主人の所有物であり、もし主人に従わなければ殺されることもありました。奴隷の人権などというものは全く認められていなかったのです。そうしたしもべたちに対してペテロは、奴隷の状態から解放されるように祈りなさいとは言わないで、むしろ、「尊敬の心を込めて主人に服従しなさい」と勧めたのです。それは善良でやさしい主人に対してだけでありません。横暴な主人に対してもそうしなさいというのです。

冗談じゃない!と私たちなら思うかもしれません。否、当時のしもべたちも、そのように思ったことでしょう。奴隷だから、制度だから従うのは仕方がないけれども、尊敬の心を込めて従うなんてできない。善良でやさしい主人になら従ってもいいけど、横暴な主人に従うなんてとんでもないと思ったとしても不思議ではありません。いったいなぜそのように主人に従わなければならないのでしょうか。ペテロはその理由を次のように語っています。19節と20節をご覧ください。
「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。」

どういうことでしょうか?ペテロはここで善良でやさしい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従わなければならないのは、それが神に喜ばれることだからであると言っています。しもべがもし罪を犯したために打ちたたかれそれを耐え忍んだからといっても何の誉れにもなりませんが、もし善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることだというのです。しもべが罪を犯すというのは、たとえば、主人の言いつけを守らなかったとか、言われたのにやりたくなかったからやらなかった、ということでしょうか。つまり、しもべとしての務めを果たさなかったとか、その務めに怠慢であった、明らかに違反していたということでしょう。そうしたことで主人に打ちたたかれたとしてもそれはある意味当然のことであって、それを耐え忍んだからといっても、何の誉めるべきことではありません。しかし、正しいことを行って打ちたたかれるようなことがあるとしたら、しかもその苦しみを耐えるとしたら、それは神に喜ばれることなのです。

なぜでしょうか?21節をご覧ください。ここには、「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」とあります。「そのため」とは何のためでしょうか?不当な苦しみに耐えることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。なぜなら、私たちの主イエスも、私たちのために苦しみを受けられ、その足跡に従うようにと、私たちに模範を残されたからです。

この「模範」という言葉は、習字の時に先生が書いた筆に沿って書くような様を表しています。つまり、キリストが不当な苦しみを受けられたのは、私たちが同じように不当な苦しみを受けても、その足跡に従うための模範となるためであったということです。私たちはそのために召されたのです。

キリストが担われた十字架の苦しみは、まさに不当な苦しみであり、全く理不尽なことでした。それは当時のユダヤ教の宗教指導者のねたみのゆえに引き起こされたことであり、ローマの極刑という厳しい刑罰、恥と苦しみに耐えるというものでした。それはご自身の罪のためではなく、私たちの身代わりのためでした。けれども、キリストはその不当な十字架の苦しみによって、私たちの罪のさばきを負ってくださったのです。それゆえ神は、キリストを高くあげられ、神の右の座に着座させました。そのキリストに、あなたがたも召されているというのです。

この召されていることに気付くことは、私たちの生涯において極めて重要なことではだと思います。私はよく「牧師にとって一番重要なことは何ですか」と尋ねられることがありますが、その時には迷わずこう答えます。「それは神に召されているという確信です」。神に召されているという確信がなければ続けていくことはできないし、逆に召されているという確信があれば、どんな困難でも乗り越えることができると思います。ですから召されているということを知ること、気付くことはとても重要なことなのです。

それは牧師に限らずすべてのことに言えるのではないでしょうか。クリスチャン生活においてもそうです。神様が私を呼んでおられることに気付いた時に、私たちのクリスチャン生活が始まります。イエス・キリストに召していただいた、イエス・キリストが私に目を留め、私の名を呼び、私を召してくださったので、この方についていくのです。それがわからなかったらついて行くなんてできません。嫌なこと、苦しいことがあったらすぐにポイッと投げ捨ててしまうことでしょう。私たちは私たちの人生の様々な局面で「わたしに従ってきなさい」という主の御声を聞くことによって、「そうだ、私は主に召されているんだ。だから主に従っていこう」ということになるのです。

ここでペテロは、「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。」と言っています。しもべとしての歩みの中で、どこかで不当な扱いを受け、どこかで人のいいようにされていると感じる時に、謙虚にへりくだった姿勢で、私たちを召してくださった方のことを考えてみなさい、というのです。

キリストは、最後まで苦しみを忍ばれただけでなく、自分を十字架につけた人々さえも赦してくださいました。自分を不当に扱う人間を、その不当な扱いに耐えるのみならず、赦されたのです。だから私たちも、不当な苦しみを与える人に対してそれに耐えるだけでなく、その人を愛し赦さなければなりません。なぜなら、キリストはその足跡に従うようにと、私たちに模範を残されたからです。私たちはそのように召されているからです。ですから、しもべとして主人に従うことができるかどうかという、ただ表面的に従うというのではなく、尊敬の心を込めて従うことができるかどうか、しかも、善良でやさしい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従うことができるかどうかは、私たちがこの方に召されているということにどれだけ気付いているかにかかっているのです。あなたがたが召されたのは、実にそのためなのです。そのことにあなたは気付いておられるでしょうか。そのことをどのように受け止めているでしょうか。

Ⅱ.キリストの模範(22~24)

第二のことは、そのキリストの模範とはどのようなものであったのかということです。
22節から24節までをご覧ください。
「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

ここに記されてあるほとんどのことは、イザヤ書53章からの引用です。イザヤ書53章は、旧約聖書の中で最も有名な箇所の一つで、キリストの受難を預言しています。ペテロはここでそれをそのまま引用しているのです。
22節の「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした」というのは、イザヤ書53章9節の「彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが」という言葉の引用です。
 23節の「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず」というのは、イザヤ書53章7節の「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、彼は口を開かない」からの引用です。
 それから24節の「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました」というのは、イザヤ書53章12節からの引用です。そこには、「彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする」とあります。
そして24節の最後の「それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」というのは、イザヤ書では53章5節の「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」という言葉の引用です。
 また、先ほどはお読みしませんでしたが、25節の「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが」というのは、イザヤ書53章6節の「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。」の引用です。
 このようにペテロは、キリストの模範をイザヤ書53章のみことばから、そっくりそのまま引用しているのです。どうして彼はそのように旧約聖書から引用したのでしょうか。ペテロは主イエスと3年半もの間一緒に過ごし、そのお姿をつぶさに見、その語られる言葉を聞くことによって、旧約聖書以上にイエスのことを知っていたはずですから、そのイエスについて語るのに、わざわざ旧約聖書をから引用しなくてもよかったはずです。それなのに、イエスの苦しみを語るのに、彼はあえて神の言葉である聖書の言葉を引用したのです。

それは、そのように聖書の言葉を引用することが、自分が語る言葉よりもはるかに意味があると思ったからです。ペテロはキリストを自分の目でじっと見、自分の耳でじっと聞いてきました。しかし、いざキリストの十字架の苦しみとその忍耐を説明しようとした時に、そうだ、神の言葉を引用しよう、と思ったのです。所詮、自分が経験したどんなことも神の言葉にはかなわない、ということを悟ったのです。自分書くどんな言葉よりも、一つの神の言葉の方が真理を語ると思ったのです。それほどに、神の言葉には力があるのです。

ところで、そのようにしてペテロが見出したキリストの姿とはどのようなものだったのでしょうか。第一に、キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見出されなかったということです。22節をご覧ください。「見出されなかった」とは、どんな風にあら探しをしても見つからなかった、という意味です。普通の人間ならば、「叩けば埃が出る」ものです。しかし、キリストはどこを叩いても、埃が出ませんでした。

第二に、彼はののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。23節です。十字架のそば近くにいたペテロは、真に主イエスの苦しみを目撃したものとして、毛を刈られる羊のように、黙って苦難を忍ばれる姿を印象的に覚えていました。兵士たちに拳でたたかれ、むち打たれ、いばらの冠をかぶせられるという痛みと苦しみの中にあっても、その苦しみに黙々と耐えられました。ユダヤ教の裁判では、全く事実無根の罪名を着せられ、祭司たちからあざけられ、あらゆる屈辱を受けました。それでもキリストは黙って、それを静かに受けられました。イザヤ書53章7節にあるように、「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、彼は口を開かな」かったのです。それは、すべてを知り、正しくさばかれる神にすべてをゆだね切っていたからです。これこそ、私たちが習うべき模範ではないでしょうか。

第三に、キリストは自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。24節です。なぜでしようか。それは、私たちが罪から離れ、義のために生きるためです。そのキリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

ペテロはここで「あなたがたは、いやされたのです」と言っています。打ち傷によっていやされたというのは不思議な表現ですが、それはある意味で、キリストの傷は私の傷との交換であったということです。それは心に受けた傷もあるでしょうし、あるいは身体に受けた傷もあるでしょう。もしかすると人生そのものに刻んでしまった傷というのもあるかもしれない。しかし主は、それらの傷のすべてを十字架の上で、私に代わって負ってくださったのです。

ところで、ペテロのそもそもの話は何だったかというと、しもべたちに対して、尊敬の心を込めて主人に従いなさいということでした。善良でやさしい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさいということでした。それなのに、いつの間にか、そういう話ではなく、イエス様の十字架の打ち傷によって私たちの罪は赦され、その傷はいやされて、平安をいただいたという話にポイントが移っていることがわかります。いったいなぜポイントがズレてきてるのでしょうか。それは、これこそ最も重要なポイントであるからです。このことがわかれば全ての問題が解決するからです。十字架がわかるということが、私たちの人生におけるすべての不条理なことや苦しみの解決なのです。

私たちの人生ってそんなものですよ。私たちの人生にはいろいろなことがあるわけですが、結局のところ、最後は一番重要なところに行きつくわけです。それが十字架なのです。イエス様の十字架によって罪が赦され、天の御国に召されていくということです。これが本当の平安です。このことがわかったら、私たちの生活のすべての領域において解決が与えられるのです。

私たちは自分の人生の中でいろいろなことを経験します。時に苦々しいことや、悲しいこと、辛いこと、信じられないこと、そうしたすべてのことが神の御手の中で練られながら、最終的にはやっぱりここに行きつくのです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。私たちのすべての傷は、キリストの十字架の贖いでいやされたのです。もうこれ以上、何が必要でしょうか。もう何もいりません。キリストの打ち傷によってすべての傷がいやされたのですから、私たちはキリストの示された模範にならって、不当な苦しみをも、耐え忍ぶことができるのです。

かつてイギリスにヘレン・ローズベリーと女性宣教師がいました。彼女はケンブリッジ大学で外科医になり、アフリカのコンゴ共和国の宣教師になって遣わされました。少し前に亡くなりましたが、この方は、宣教師の中でもヘレン・ローズベリーの右に出る人はいないと言われるほど壮絶な生涯を送られた方です。
 彼女は、病院が少ないコンゴに医療宣教師として遣わされ、そこで小さなクリニックを始め、やがて病院を建てるのですが、コンゴの革命に巻き込まれる中で虐待され、レイプされ、投獄されるのです。彼女はその中でイエス様との体験を深めていくのです。
彼女の証しには、その壮絶な体験が書かれてあります。その壮絶な体験の中で、ヘレン・ローズベリーはイエス様の声を聞くのです。「ヘレン、この壮絶な経験をあなたにゆだねたことで、あなたはわたしに感謝できるか?たとえ、その理由をわたしがあなたに話さないとしても、感謝できるか?」
 その中で彼女は、答えるのです。「主よ。私はどんなことがあってもあなたに感謝します。なぜなら、私はあなたへの信頼を絶対に捨てませんから。」

このとき彼女が体験したのは、より深いキリストとの一体感でした。そうした不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは神に喜ばれることだからです。キリストもそうされました。私たちが召されたのは、実にそのためです。私たちが不当な苦しみを受けながらも、それに耐え忍ぶとしたら、それは神に喜ばれることであり、キリストとの一体感をより深く体験するという恵みがあるのです。

Ⅲ.牧者のもとに帰る(25)

第三のことは、その結果です。25節をご覧ください。
「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」

これがキリストの十字架の贖いの結果です。「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」これもイザヤ書53章6節の言葉のからの引用です。「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。」

「あなたがたは羊のようにさまよっていた」という言葉は、ある日、道に迷ったというような軽いものではありません。ずっと前から、そして継続的に、神に背を向けて、自分勝手な道を歩んでいたという意味です。私たちは迷える小羊なのです。羊は目の前のことしか見えないので、いつしかどこかに迷い込んでしまうわけです。私たちはその迷える羊なのです。そんな者が、キリストの十字架の贖いによって、キリストが身代わりとなって私たちの罪を負ってくださったので、心おきなく、神のみとに帰ることができました。

ここには、主なる神の姿が二つの言葉で表されています。一つは「たましいの牧者」であり、もう一つは「たましいの監督者」です。たましいの牧者とは、羊飼いが羊をケアするように、私たちの人生そのものをケアしてくださり、正しい道に導き、守ってくださる方であるということです。100匹の羊のうち1匹が失われたとき、羊飼いは山や谷を巡って、見つかるまで捜し続けます。そして見つかったとき、「大喜びでその羊をかついで、こういうのです。「いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。」(ルカ15:5)「たった1匹でしょ、しょうがない。羊は落ち着きがないからすぐにどこかに行っちゃうのよね。こういうことはよくあるの」なんて言ったりはしないのです。見つかるまで、どこまでも捜しし続けます。

それからもう一つのイメージは、「監督者」です。「監督者」とは、「見張るもの」とか、「見守るもの」という意味です。「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」(詩篇121:4)とあるように、主は私たちをしっかり守ってくださいます。キリストの十字架の贖いによって、私たちはこのたましいの牧者であり監督者のもとに帰ることができたのです。

けさ私たちは、このたましいの牧者であり監督者である主のもとに帰りましょう。そこでたましいの安らぎと喜びを味わいたいと思います。私たちのたましいがこの方のもとに帰るとき、私たちは真の安らぎを得ることができるからです。

初代キリスト教最大の神学者と言われたアウグスチヌスは、母モニカの心配をよそに放蕩生活を続けていましたが、「涙の子は決して滅びることはない」という司教アンブロシウスの言葉のとおり、母モニカが召される1年前に、遂に主のもとに立ち返りました。そのたましいの遍歴をアウグスチヌスはその著「告白」の中でこう述べています。
「あなたは人を目覚めさせて、あなたを賛美することを人の喜びとされました。というのもあなたは、私たちをあなたに向かうようにお造りになったからです。私たちの心はあなたの内で安らぎを得るまで揺れ動いています。」

この主の懐に憩いましょう。そして、不当な苦しみを受けることがあっても、それを耐え忍ぶ者でありたいと思います。あなたがたが召されたのは、実にそのためなのです。

ヨシュア記8章

きょうはヨシュア記8章から学びたいと思います。

 Ⅰ.アイの攻略(1-9)

 まず1節から3節までをご覧ください。
「主はヨシュアに仰せられた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民全部を連れてアイに攻め上れ。見よ。わたしはアイの王と、その民、その町、その地を、あなたの手に与えた。あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。ただし、その分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい。あなたは町のうしろに伏兵を置け。」

前回は7章からイスラエルがアイとの戦いに敗れた原因を学びました。それは、イスラエルの子らが、聖絶のもののことで不信の罪を犯したからです。ユダ部族のカルミの子アカンが、聖絶のもののいくらかを取ったため、主の怒りがイスラエル人に向かって燃え上がったのです。そこでヨシュアは失意の中で主に解決を求めると、その者を一掃するようにと命じられました。そこでヨシュアはその言葉のとおり、それがアカンによる犯行であることが明らかになると、彼とその家族のすべてと、彼の所有するすべてをアコルの谷に連れて行き、それらに石を投げつけ、火で焼き払いました。

あまりにも残酷な結果に、いったいなぜ神はそんなことをされるのかと不思議に思うところでしたが、それは神の残酷さを表していたのではなく罪の恐ろしさとともに、私たちも皆アカンのような罪深い者であるにもかかわらず、神はひとり子イエス・キリストの十字架の死によってその刑罰を取り除いてくださったがゆえに、そうしたすべての罪から赦されている者であり、神にさばかれることは絶対にないという確信を与えるためでありました。それゆえ、神を信じる信仰者にとって最も重要なのは自分には罪がないと言うのではなく、その罪を言い表して、悔い改めるということです。悔い改めこそが信仰生活の生命線なのです。

今回の箇所では、聖絶のものを一掃しイスラエルに対する燃える怒りをやめられた主が、再びヨシュアに語られます。主は、ヨシュアに対してまず「恐れてはならない。おののいてはならない。」と語られました。「戦う民全部を連れてアイに攻め上」らなければなりません。ヨシュアは前回の敗北の経験を通してどれほどのトラウマがあったかわかりません。相当の恐れがあったものと思いますが、恐れてはならないのです。おののいてはなりません。なぜなら、主が彼らとともにおられるからです。彼らの罪は取り除かれ、かつてヨルダン川を渡ったときのように、またエリコの町を攻略したときのように、彼らを勝利に導いてくださるからです。その勝利はここに「見よ。わたしはアイの王と、その民、その町、その地を、あなたの手に与えた。」とあるように、もう既に彼らに与えられているのです。ですから、彼らはかつてエリコとその王にしたように、アイとその王にもしなければなりませんでした。しかし、ここにはエリコの時とは三つの点で異なっていることがわかります。第一に、「戦う民全部を連れてアイに攻め上れ」ということ、第二に、「分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい。」ということと、そして第三に、「町のうしろに伏兵を置け。」ということです。どういうことでしょうか。

まず「戦う民全部を連れてアイに攻め上れ」ということについてですが、前回の攻略で攻め上ったのは3千人でしたが、今回は「全部の民」です。恐らくイスラエルの軍隊は20万人ほどであったと考えられます。その20万人すべてが戦いに参加するようにというのです。それは神が助けを必要とされるからではなく、すべての神の民が神の戦いに参加するためです。できることはひとりひとり皆違います。できないこともあるでしょう。しかし、神の戦いは全員で戦うものなのです。

先日サッカーのワールドカップアジヤ最終予選で、日本はオーストラリアと戦いました。これに負けると日本は本大会に出場することができません。勝てば本体行きの切符を手にすることが出来るという大一番でした。その大一番で活躍したのは若干21歳の井手口選手と22歳の浅野選手の二人の若い力でした。しかし、この戦いで目立ったのはこの二人だけではなかったのです。他のフィールドに立つ選手も、ベンチにいる選手も、さらには日本中のサポーターたちも一つになりました。みんなで戦った勝利でした。その結果、これまで最終予選では一度も勝ったことがないオーストラリアに勝利して本大会行きを決めることができたのです。

それは、神の戦いも同じです。戦う民全員が出て行かなければなりません。自分ひとりくらいいなくても大丈夫だろうなどというかんが考えを抱いてはならないのです。全員で戦うという覚悟が求められているのです。

次に、「その分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい」ということですが、エリコとの戦いにおいては、金、銀、銅、鉄以外のすべてを聖絶しなければなりませんでした(6:18-19)。しかし、アイとの戦いにおいては、その分捕り物と家畜だけは、彼らの戦利品とすることが認められたました。すなわち、普通の聖絶の原則が適用されたのです(申命記2:34-35,3:6-7)。重要なことは、原則の適用が人によって判断されるのではなく、神のみことばによってなされなければならないということです。自分が欲しいから取るのではなく、主が与えてくださるのを待たなければならないのです。主は、ご自分が良いと思われるときに、必要なものをちゃんと与えてくださるからです。

そして町のうしろに伏兵を置くことですが、エリコの戦いのときとは、戦術にかなりの違いが見られます。エリコの戦いでは、伏兵というものを全く用いず、ほとんど戦わずして勝利することができました。彼らは神の指示されたとおり6日間町の周りを回り、そして7日目には7回ひたすら回り、ラッパの音とともに時の声を上げると、エリコの城壁が崩れ落ち、そこに上って行くことができました。しかし、アイとの戦いにおいてはそうではありません。町のうしろに伏兵を置くようにと言われたのです。これはどういうことでしょうか。神は必ずしも超自然的な方法のみによって敵を打ち破られるわけではないということです。むしろ、ご自分の民が正々堂々と戦い、また、ある場合には、策略をも用いることによっても、敵を打ち破られることもあるのです。神はそのとき、そのときに応じて最善に導いてくださるのであり、神が成されることを一定の法則の中に当てはめることはできないのです。よく「前の教会ではこうだったのに・・」という不満を耳にすることがあります。確かにそれまでの経験が生かされる時もありますが、神の働きにおいてはその時、その時みな違うのです。事実、私たちは大田原と那須とさくらで同時に教会の形成を担っていますが、この三つの場所での働きを考えてもそこに集っておられる方々や置かれている状況が違うため、やり方は全く違うことがわかります。ですから、大切なことは主が言われることを行なうことであり、御霊に導かれて進むことなのです。

次に、3節から9節までをご覧ください。
「そこで、ヨシュアは戦う民全部と、アイに上って行く準備をした。ヨシュアは勇士たち三万人を選び、彼らを夜のうちに派遣した。そのとき、ヨシュアは彼らに命じて言った。「聞きなさい。あなたがたは町のうしろから町に向かう伏兵である。町からあまり遠く離れないで、みな用意をしていなさい。私と私とともにいる民はすべて、町に近づく。彼らがこの前と同じように、私たちに向かって出て来るなら、私たちは彼らの前で、逃げよう。彼らが私たちを追って出て、私たちは彼らを町からおびき出すことになる。彼らは、『われわれの前から逃げて行く。前と同じことだ。』と言うだろうから。そうして私たちは彼らの前から逃げる。あなたがたは伏している所から立ち上がり、町を占領しなければならない。あなたがたの神、主が、それをあなたがたの手に渡される。その町を取ったら、その町に火をかけなければならない。主の言いつけどおりに行なわなければならない。見よ。私はあなたがたに命じた。」こうして、ヨシュアは彼らを派遣した。彼らは待ち伏せの場所へ行き、アイの西方、ベテルとアイの間にとどまった。ヨシュアはその夜、民の中で夜を過ごした。」

ヨシュアは戦う民全部と、アイに上って行く準備をしました。そしてその中から勇士たち3万人を選ぶと、主が命じられたとおり、伏兵として夜のうちに彼らを派遣し町のうしろに配置しました。ヨシュアは前回と同じように、アイの町を北のほうから攻めますが、それはおとりです。アイの人々を町からおびき出すのです。アイから人々が出て来たら、ヨシュアたちは彼らの前で、逃げるふりをします。そしてアイの町に戦う人たちがいなくなったところに、伏兵として待機していたイスラエルの勇士たちが入って行って占領するという戦略です。それはヨシュアの考えに基づいてのことではなく、主に命じられた命令に基づいてのことでした。ヨシュアは、主が言いつけられたとおりに行ったのです。

Ⅱ.勝利の投げ槍(10-29)

さて、その結果どうなったでしょうか。まず10節から23節までをご覧ください。
「ヨシュアは翌朝早く民を召集し、イスラエルの長老たちといっしょに、民の先頭に立って、アイに上って行った。彼とともにいた戦う民はみな、上って行って、町の前に近づき、アイの北側に陣を敷いた。彼とアイとの間には、一つの谷があった。彼が約五千人を取り、町の西側、ベテルとアイの間に伏兵として配置してから、民は町の北に全陣営を置き、後陣を町の西に置いた。ヨシュアは、その夜、谷の中で夜を過ごした。アイの王が気づくとすぐ、町の人々は、急いで、朝早くイスラエルを迎えて戦うために、出て来た。王とその民全部はアラバの前の定められた所に出て来た。しかし王は、町のうしろに、伏兵がいることを知らなかった。ヨシュアと全イスラエルは、彼らに打たれて、荒野への道を逃げた。アイにいた民はみな、彼らのあとを追えと叫び、ヨシュアのあとを追って、町からおびき出された。イスラエルのあとを追って出なかった者は、アイとベテルにひとりもないまでになった。彼らは町を明け放しのまま捨てておいて、イスラエルのあとを追った。
そのとき、主はヨシュアに仰せられた。「手に持っている投げ槍をアイのほうに差し伸ばせ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」そこで、ヨシュアは手に持っていた投げ槍を、その町のほうに差し伸ばした。伏兵はすぐにその場所から立ち上がり、彼の手が伸びたとき、すぐに走って町にはいり、それを攻め取り、急いで町に火をつけた。アイの人々がうしろを振り返ったとき、彼らは気づいた。見よ、町の煙が天に立ち上っていた。彼らには、こちらへも、あちらへも逃げる手だてがなかった。荒野へ逃げていた民は、追って来た者たちのほうに向き直った。ヨシュアと全イスラエルは、伏兵が町を攻め取り、町の煙が立ち上るのを見て、引き返して来て、アイの者どもを打った。ある者は町から出て来て、彼らに立ち向かったが、両方の側から、イスラエルのはさみ打ちに会った。彼らはこの者どもを打ち、生き残った者も、のがれた者も、ひとりもいないまでにした。しかし、アイの王は生けどりにして、ヨシュアのもとに連れて来た。」

ヨシュアは先の3万人に加えて5千人を伏兵として町の西側に回らせました。そして民を町の北側に置くと、ヨシュアは,その夜、谷の中で夜を過ごしました。アイの王が気付くと、翌朝早く急いで、イスラエルを迎えて戦うために、出てきました。ヨシュアと全イスラエルが打たれたふりをして、荒野への道に逃げたとき、アイの民はみな、彼らのあとを追って出て来ると、ヨシュアの合図とともに伏兵が走って町に入り、それを攻め取り、急いで町に火をつけたのです。荒野に逃げていた民も、追って来た者たちのほうに向き直ると、ちょうどアイの民をはさみ打ちにするような形となり、アイの者たちを打ちました。イスラエルはアイの民を打つと、生き残った者も、のがれた者も、ひとりもいないまでにしました。しかし、アイの王は生けどりにして、ヨシュアのもとに連れてきました。イスラエルは、主が言われるとおりにしたことで、完全な勝利を収めることができたのです。

ところで18節には、アイがイスラエルの戦略にはまり、町を明けっ放しのままにしてイスラエルのあとを追ったとき、主はヨシュアに「手に持っている投げ槍をアイのほうに差し出せ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」と言われました。いったいこの「投げ槍」とは何だったのでしょうか。その手が伸びたとき、陰に隠れていた伏兵が立ち上がり、町に入り、それを攻め取り、急いで町に火をつけました。それはかつてイスラエルがアマレクと戦ったとき、モーセが神の杖を手に持って、戦いの間中手を上げていた姿を思い起こさせます(出17:8-16)。ヨシュアはそれを記録するようにと命じられましたが、ここでは投げ槍が差し伸ばされたことが勝利の合図となり、敵を聖絶する力となりました。まさにそれは祈りの手だったのです。ヨシュアは主に命じられたとおりに投げ槍をアイの方に差し伸ばし、主が戦ってくださるのを祈ったのです。

これは私たちにも求められていることです。祈りの手を差し伸ばさなければなりません。それを止めてはならないのです。主がよしと言われるまで差し伸ばし、主が働いてくださることを待ち望まなければならないのです。

そして24節から29節までをご覧ください。
「イスラエルが、彼らを追って来たアイの住民をことごとく荒野の戦場で殺し、剣の刃で彼らをひとりも残さず倒して後、イスラエルの全員はアイに引き返し、その町を剣の刃で打った。その日、打ち倒された男や女は合わせて一万二千人で、アイのすべての人々であった。ヨシュアは、アイの住民をことごとく聖絶するまで、投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。ただし、イスラエルは、その町の家畜と分捕り物を、主がヨシュアに命じたことばのとおり、自分たちの戦利品として取った。こうして、ヨシュアはアイを焼いて、永久に荒れ果てた丘とした。今日もそのままである。ヨシュアはアイの王を、夕方まで木にかけてさらし、日の入るころ、命じて、その死体を木から降ろし、町の門の入口に投げ、その上に大きな、石くれの山を積み上げさせた。今日もそのままである。」

こうしてアイの軍隊を打ち破ると、イスラエルはアイの町に入って住民を皆殺しにしました。女子供を含めた全住民を殺すことはヒューマニズムに反するようであるが、聖絶するためという明白な理由のためにそのようにしたのです。聖絶とは何ですか?聖絶とは、神のものを神のものとして分離することです。そうでないものを徹底的に取り除くのです。イスラエルにとってこれは聖戦だったのです。彼らがその地に入って行っても、神の民として、神の聖さを失うことがないように、主はそうでないものを聖絶するようにと命じられたのです。

それは、神の民である私たちも同じです。私たちは常に肉との戦いがあります。そうした戦いの中で、それと分離しなければなりません。(Ⅱコリント6:14~18)それによって主は私たちの中に住み、共に歩んでくださるからです。それなのに、私たちはどれほどそのことを真剣に求めているでしょうか。この世と妥協していることが多くあります。「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。」(Ⅰペテロ2:15)と書かれてあるように、あらゆる行いにおいて聖なるものとされることを求めていきたいと思います。

Ⅲ.エバル山の祭壇(30-35)

終わりに30節から35節までを見ていきたいと思います。
「それからヨシュアは、エバル山に、イスラエルの神、主のために、一つの祭壇を築いた。それは、主のしもべモーセがイスラエルの人々に命じたとおりであり、モーセの律法の書にしるされているとおりに、鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇であった。彼らはその上で、主に全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげた。その所で、ヨシュアは、モーセが書いた律法の写しをイスラエルの人々の前で、石の上に書いた。全イスラエルは、その長老たち、つかさたち、さばきつかさたちとともに、それに在留異国人もこの国に生まれた者も同様に、主の契約の箱をかつぐレビ人の祭司たちの前で、箱のこちら側と向こう側とに分かれ、その半分はゲリジム山の前に、あとの半分はエバル山の前に立った。それは、主のしもべモーセが先に命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。それから後、ヨシュアは律法の書にしるされているとおりに、祝福とのろいについての律法のことばを、ことごとく読み上げた。モーセが命じたすべてのことばの中で、ヨシュアがイスラエルの全集会、および女と子どもたち、ならびに彼らの間に来る在留異国人の前で読み上げなかったことばは、一つもなかった。」

それからヨシュアは、エバル山に、イスラエルの神、主のために、一つの祭壇を築きました。ヨルダン川を渡ることも、エリコとアイの攻略も、信仰生活の一部であり、祭儀の執行であったにもかかわらず、また、ギルガルでは40年ぶりに割礼を施し、過越しのいけにえをささげました(5:2-12)。それにもかかわらず、なぜアイの攻略後に再び祭壇を築いたのでしょうか。

「エバル山」は「はだか山」という意味で、アイの北方50キロにある山です。標高は940メートル、谷からは367メートルもそびえている山です。アイからそこへ向かうには最低でも2日はかかります。それゆえ、戦いを終えたばかりのヨシュアがこのような遠路を旅することができるはずがなく、これは後代の挿入ではないかと主張する人たちもいるのです。

しかし、それは申命記27章で、モーセによって命じられていたことでした。すなわち、イスラエルがヨルダン川を渡ったならば、エバル山に主のための祭壇、石の祭壇を築き、そこで全焼のいけにえと和解のいけにえをささげなさい、ということです。ヨシュアはそのとおりに行ったのです。それにしても、なぜこの時だったのでしょうか。エリコ及びアイとの戦い、アカンの事件を経験し、これからさらに多くの敵と戦わなければならないイスラエルにとって、エバル山での祝福と呪いの律法の確認は、まことにふさわしいものであったからです。

石の上に律法が写されると、イスラエルの民はゲリジム山とエバル山の二つに分かれて立ち、律法の書に記されているとおりに、祝福とのろいについての律法のことばをことごとく読み上げました。ヨシュアはモーセが命じたとおりにし、読み上げられなかったことばは一つもありませんでした。それは、イスラエルの中心は神のことばであり、その神のことばによってこそ彼らは強くなり、勝利することができるからです。それは、私たちも同じです。私たちも神のみことばによって強められ、神のことばに徹底的に従い、信仰によって神の約束を自分のものにしていく者でありたいと思います。

Ⅰペテロ2章13~17節 「人の立てたすべての制度に従いなさい」

 きょうは、「人の立てたすべての制度に従いなさい」というタイトルでお話ししたいと思います。聖書の中には、「これはいい言葉だ」と、赤い線を引いたり、一生懸命暗唱して覚えたりしようする言葉があれば、なんでこんな言葉があるのだろうと、戸惑いを覚える言葉もあります。きょう、私たちに与えられている聖書の言葉も、そのような戸惑いを覚える言葉の一つかもしれません。それは、「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。」という言葉です。主に従いなさい、というのならわかりますが、ここには、人の立てたすべての制度に従いなさい、と命じられています。それがどのようなものなのかというと、13節と14節には「主権者である王であっても」、また、「悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても」と言っています。また、18節には、しもべたちに対して、主人に従いなさい、とあります。この「しもべたち」とは、家の中で働く奴隷たちのことです。そのしもべたちに対して、尊敬の心を込めて主人に服従しなさい、というのです。善良で優しい主人だけではなく、横暴な主人に対しても従いなさい、と言うのです。さらに3章には、妻たちに対して、「自分の夫に従いなさい」と続きます。ペテロは、政治や奴隷制度、そして結婚制度に至るすべてにおいて、「主のゆえに従いなさい」と命じているのです。

この聖書の箇所は、教会の歴史の中で、様々な問題を起こしてきた箇所でもあります。ある人々は、この聖句を読んで、「聖書にこう書いてあるのだから、あなたがたは、この制度に従わなければならない」と国家権力に従うことを強要したり、侵略戦争を正当化する根拠にまでしました。事実、日本の教会は、第二次世界大戦の時に軍事政権に飲み込まれていったという苦い歴史があります。

逆にある人々は、「人の立てた制度に従いなさい」とか、「上に立つ権威に従うべきです」ということを聞くだけで拒絶反応を起こす人もいます。君主制度や奴隷制度、あるいは封建的な結婚制度において人に従うなんてとんでもない、というのです。ペテロがここで語っているのは、その時代だけの特殊な状況の中での勧めであって、今の私には関係がないし、適用することはできない、というのです。

しかし、果たしてそのような読み方が、正しい聖書の読み方なのでしょうか。人の立てたすべての制度に従うとはどういうことなのでしょうか。きょうはこのことについてご一緒に考えていきたいと思います。

Ⅰ.人の立てたすべての制度に従いなさい(13-14)

まず13節と14節をご覧ください。
「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。」

ペテロは12節で、「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい」と勧めました。ここからそれが具体的な勧められていくわけですが、その一つが「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい」ということです。それがローマ皇帝のような主権者であっても、あるいは、王から遣わされた総督であっても、です。

ペテロは、当時のクリスチャンたちが、どういう状況のもとに置かれていたかを良く知っていたはずです。ローマ皇帝は、その支配力を強めるために、支配しているすべての民に対して、自分を神として礼拝することを命じました。それは唯一の神だけを礼拝するクリスチャンにはできないことです。そのためクリスチャンは激しく迫害されることにもなったのです。事実、この手紙の受取人たちは、そのローマ皇帝の迫害によって散らされていた人たちです。そのような人たちに対して、たとえそのような支配者であっても「人の立てたすべて制度に従いなさい」と言っているのです。

確かに、私たちはイエス・キリストを信じたことで神の民とされました。この世のものではなく、神のもの、天に市民権を持つものとされました。しかし、それはこの世の制度に従わなくてもいいということではありません。この世に生きている者として、この世の制度にも従わなければならないのです。「人の立てたすべての制度に」従わなければならないのです。それが異邦人の中にあって、りっぱにふるまうということなのです。

それはイエス様の教えでもありました。マタイの福音書22章21節をお開きください。ここには、「イエスは言われた。『それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。』」とあります。
これは、パリサイ人たちがイエス様をことばのわなにかけようとして、税金をカイザルに納めることは律法にかなっていることなのか、そうでないのか、という質問に対してイエス様がお答えになられたことです。イエス様はデナリ硬貨を手に取り、そこにカイザルの肖像が描かれているのを見せて、カイザルのものはカイザルに、そして神のものは神に返すようにと言われました。すなわち、たとえローマという異教社会であっても、その制度に従うことは神の御心であり、その責任を果たすことは正しいことであると言われたのです。

ローマ人への手紙13章1節、2節には、そのことがもっと強く勧められています。「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。」
ここには、人の立てたすべての制度は神によって立てられたものであると言われています。それゆえ、その権威に従わないとしたらそれは神の定めに背いていることになるというのです。そして、そういう人は自分の身にさばきを招くことになると言われているのです。たとえそれが異邦人の社会であっても、人はみな、上に立つ権威に従うべきなのです。

それゆえにパウロは、「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、感謝がささげられるようにしなさい。」(Ⅰテモテ2:1)と勧めているのです。なぜなら、そのことによって私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすようになるからです。神はすべての人が救われて真理を知るようになることを願っておられるのです。

それにしても、いったいなぜ人の立てた制度に従わなければなせないのでしょうか。ここにその一つの理由が記されてあります。それは、「主のゆえに」です。この主のゆえにという言葉は、その制度に従う根拠とか、理由ととることができます。どうして人の立てた制度に従わなければならないのでしょうか。それは、主のゆえであるということです。それは、敵をも愛されたキリストの愛のゆえに、なのです。それゆえに従うのです。

新共同訳聖書ではこれを「主のために」と訳されています。「主のために」と訳しますと、どちらかいえば、その目的となります。すなわち、私たちが、「人の立てたすべての制度に従う」のは、私たちを愛してくださった主のため、主の栄光のためであるということです。

いずれにせよ、私たちは自分たちを迫害する者を愛することなどできません。それは当然のことなのです。ですから、ペテロは人の立てたすべての制度に一生懸命頑張って従うようにしなさいとか、従える時には従いなさいと言っているのではなく、「主のゆえに」、「主のために」従いなさいと言っているのです。それが主のみこころだからです。それは人間の思いや力ではできないことですが、神にはどんなことでもできます。その神が敵をも愛されたキリストの愛のゆえに、また、キリストの栄光のために、どんな制度であっても、それが神のみこころに反しないものである限り、すべての制度に従うことが求められているのであり、そのことによって、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすことができるのです。

このように、私たちは異教社会の中で、神が無視されているような社会の中にあっても、人の立てた制度に従うということが求められているのです。もし異教徒が立てた制度だから従わないということがあるとしたら、それはりっぱなふるまいとは言えず、神の御心ではありません。私たちは天に国籍を持つ者ですが、同時にこの世に遣わされている者として、人の立てたすべての制度に従わなければならないのです。

Ⅱ.善を行って愚かな人々の無知の口を封じる(15)

いったいなぜクリスチャンは人の立てたすべての制度に従わなければならないのでしょうか。ペテロはここで別の理由をあげてそのことを勧めています。15節をご覧ください。それは、「というのは、善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。」これはどういうことでしょうか。ここで言われている「善」とか、「愚かな人々」とはだれのことを指しているのでしょうか。

この文脈では、「善」とは人の立てた制度に従うことであり、「愚かな人々」とは、12節のクリスチャンたちを悪人呼ばわりしている人たちのことでしょう。つまり、そのようにクリスチャンがこの世の制度に従うことによって、クリスチャンたちに対して誤解と偏見を持ち彼らを悪人呼ばわりしている人たちでさえ、口が封じられる、すなわち、神のものとされるようになるというのです。

それは3章1節の、「みことばに従わない夫」も同じです。彼らはあなたがクリスチャンだということで悪人呼ばわりまではしないかもしれませんが、あまり快く思っていないかもしれません。しかし、たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるのです。あなたが黙って夫に従う態度を見て、神に従うということがどれほどすばらしいことであるかを、はっきりと知るようになるのです。「従えばいいんでしょ、従えば・・」というのは、ここで言われていることではありません。神に従うことは自分の夫に従うことであると受け止め、心から夫に従うのです。そうした妻の無言のふるまいによって、神をも恐れない横暴な夫であっでも、やがて神のものとされるようになるのです。

事実、初代教会のクリスチャンたちがこうした使徒たちの教えに従って、ローマ皇帝が定めた制度に従った結果、どのようなことになったでしょうか。彼らはローマの神々には仕えなかったし、皇帝を主と呼ぶこともしませんでした。また、不道徳とされるものにも参加しなかったので、激しい迫害を受けることになりました。これまで住んでいた所から追い出され、小アジヤの地方に散らされて寄留することを余儀なくされました。けれども、自分たちの信教の自由を守るべく、反ローマの政治活動に参加したりはせず、主の愛をもって従ったのです。そうした異教社会の中にあっても人の立てた制度に従い、異邦人の中にあって、忍耐をもってりっぱにふるまいました。その結果、ついにはローマ皇帝コンスタンチヌスがキリスト教に回心するまでの影響力を持つことができたのです。それは紀元312年のことです。つまり、主権者に対して服従したことによって、かえって主権者をキリストの主権の中にいれる支配力を持つことができたのです。

先週礼拝後にAさんの誕生日をお祝いました。その席で私が「Aさんはどのようにクリスチャンになられたのですか。」と尋ねると、彼女は「姉が先にクリスチャンになったので、その姉について教会に行くうちにクリスチャンになりました。でもつい最近までは母について来ているような感じでした。」と言われたので、「そうでしたか、ところで、お母さんはかつてキリスト教には大反対だったと聞いていましたが、その時どんなお気持ちだったんですか」とお聞きすると、同席しておられたお母さんがこう言われました。
「そうなんです、私は当時佛所護念を熱心に信じていたので、何とかやめさせようと必死でした。特に娘が結婚するときTさんもキリスト教を信じると言うものですから、何とか止めさせようと思ってTさんの家へ行きお願いしたのです。するとTさんのおじいちゃんは、かつて内村鑑三の教えに感動しキリスト教に入信しようと思うも家が農家だということであきらめなければならなかったので、その自分が果たせなかったことを孫がするということはこれほどいいことはないと、逆に丸め込まれてしまったんです。それなら私も行ってみなくちゃいけないと、教会に行くようになったのですが、本当に良かったです。」と言われました。
あれほど反対していたお母さんが逆に信仰に導かれたばかりでなく、今では毎朝3時半には起きてスクワットをし、その後欠かさず1時間はデボーションをせずにはいられないほどイエス様にとらえられるようになったのは、まさに神様の御業というよりほかにありまん。

善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころなのです。異邦人の中にあっても、りっぱにふるまうなら、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになるのです。

Ⅲ.自由人として行動しなさい(16-17)

第三のことは、自由人として行動しなさい、ということです。16節と17節をご覧ください。「あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。」

ここまで、「人の立てたすべての制度に従いなさい」ということをお話してきましたが、ここで一つの疑問が残ります。それは、この世の制度や秩序がいつも正しいとは限らないということです。人の上に立つ権威がもし神のみこころに反することを強いたとしたら、または、悪を行なうような場合にはどうしたらいいのでしょうか。そのことに光を与えてくれる御言葉が、この「自由人として行動しなさい」(16)という御言葉です。

たとえば、ローマ皇帝は自分を「人の姿をとった神」と主張し、自分を礼拝するようにと強要しました。しかし、クリスチャンはそのような力に屈しないのです。クリスチャンは、そのようなものからは解放されて自由なのです。たとえ絶頂を極めたローマ帝国であっても、やがてはしおれていく草にすぎません。私たちは、主なる神によって本質的に自由な存在として創造されているのです。

しかし、ふつう自由に生きなさいというとき、多くの場合それを自分の好き勝手にすることだと解釈したり、自分中心に生きることだと思いがちです。そこでペテロは、16節後半で次のように釘を刺すのです。「その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。」原文では「行動しなさい」という言葉はなく、ただ「自由人として、神の奴隷として」とあるだけです。自由人として、神の奴隷として、というのはどういうことなのか、そのことばがどこにつながるのかについてはいろいろな解釈があります。その中で最も多いのは、自由人として、神の奴隷として、13節の、従いなさい、につなげるというものです。つまり、キリスト者が人の立てた制度に従うというのは自由人として、神の奴隷として従うということなのです。

では、自由人として、神の奴隷として従うとはどういうことでしょうか。クリスチャンは、すべての人に対して自由であり、キリストの福音によって罪から解放された者です。そういう意味では本当の自由をいただいている者なのです。しかし同時に、キリストに贖われた者であり、キリストに属する者として、神の奴隷、神の僕です。そのような者として行動するようにということです。

宗教改革者マルチン・ルターは、これをこのように表現しました。
「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であり、すべてのものに奉仕する僕である」
キリスト者の自由は、神さまからの賜物であり、神と隣人に仕えるという服従の生活において全うされるのです。ですから、ペテロは信者と国家の問題を、単にそれだけ切り離して考えるようなことをせず、神さまとの関係において考えているのです。そして、この個所のまとめとしてこういうのです。「すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい」(17節)

神様が私たちクリスチャンに願っておられることは、この世のすべての人を心から敬うというりっぱな態度です。皇帝や国の指導者たちは、その一例として引き合いに出されているに過ぎません。「すべての人を敬う」のです。ですから、神さまを信じている人はもちろんのことですが、神さまを信じていない人も、自分の好きな人もそうでない人も、すべての人を敬うのです。教会の仲間だけを愛し、この世の人々を軽蔑するようなことがあってはなりません。信仰を同じくする兄弟姉妹が互いに愛し合うのはもちろんですが、神さまの愛は、神さまに造られたすべての人へと広げられているのです。私たちの信仰を理解しようとしない人々や、国の指導者たちにまで広げられているのです。

それは、私たちがキリストの十字架によって自由にされたからです。「真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32)もう私たちを縛るものは何もありません。私たちはただ神の愛にとらえられているのです。死も、いのちも、御使いも、権威あるものも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高さも、深さも、そのほかどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスの愛から、私たちを引き離すことはできません。そして、王であろうが、主人であろうが、夫であろうが、すべてのものがみな神さまの愛の中にあるのです。主イエスは、敵をも愛してくださいました。その主イエスの愛が、私を愛してくださり、また、同じように、人々を愛していてくださることを認めているので、その愛のゆえに、私たちは神のしもべとして、「人の立てたすべての制度に従う」のです。

しかし、その制度が神さまの領域にまで踏み込んできた時、私たちは、神の自由を与えられた者として、ペテロのように「人に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と力強く宣言しなければなりません。これこそがキリスト者としての「りっぱなふるまい」なのです。

かつて日本を代表するクリスチャンの一人に矢内原忠雄という人がいました。彼は1937年、昭和12年、当時、東大の教授でしたが、その座を退くために大学に辞表を提出しました。
提出した前の年の2月26日に、いわゆる二・二六事件が起こるんですね。政府を軍部が指導し、日本の中国侵略はますます激しさを増して行きます。彼は、東大で植民地政策を教える専門家でしたが、熱心なクリスチャンであったため、この頃から平和のために戦うべきだと強く意識するようになるのです。そして、1937年の夏に、山陰、山陽、四国へと、自分の信仰の友を伴って、講演旅行に出かけるのです。それは、当時の軍国主義の中で決死の大伝道旅行でした。20日間をかけて、毎日、各地で福音を語り、平和を祈り、戦争を批判します。そして夏が終わった9月、中央公論に「国家の理想」と出した論文を発表するのです。
 「国家が目標とすべき理想は正義である。それは聖書の語る『義』『公義』である。正義とは、弱い者の権利を強い者の侵害から守ることだ。そして、国家が正義に反した時は、国民の中からそれに対する批判がなされなければならない。しかし今の日本は、概して誰一人それを批判する者がいない。」
この論文が、東大の経済学部の教授会で問題にされます。当時すでに、軍部、警察、司法、文部省は、全部連携を取っていました。そして、国と大学を挙げて、矢内原追放運動が展開されるのです。そのような中で彼は辞表を提出するのです。辞表を出した時の彼のことばは、こうでした。  
「私は広い野に出ました。たといそこが荒野であっても、吹く風は実に自由です。」
 たといそこが荒野であっても、吹く風は自由です。それは彼が周りのプレッシャーをはねのけてでも、自分のゆくべき道を見定め、信仰の良心の自由を守り通したがゆえに、心の中に与えられた自由でした。その自由は、たといそれが荒野であっても、神を信じてそれを成したのであれば、神さまは必ず守ってくださるという自由です。

自由というのは時に、勇気と犠牲を払います。戦後彼は東大の総長として返り咲きますが、中には、同じようなことをしていのちを落とす人も出ました。でもどんなにいのちを落としたとしても、生きて幸せになる以上に、自分の信仰の良心を貫くことの方が尊いと、多くの人は考え、それらの人の流された血によって、私たちは今自由を獲得しているのです。

獲得した自由をもし守るとしたら、やがて私たちも勇気と犠牲を払うべき時が来るかもしれない。そんなに大きなことは考えなくていいのかもしれない。でも覚えておきたいことは、小さな人間関係でも、学校の問題でも、会社の問題でも、周囲のプレッシャーをはねのけて、神の御心を生きるために、胸を張って主張し、それがゆえに追い出されるようなことがあったとしたら、この矢内原忠雄のことばを覚えておくべきだということです。「私は広い野に出ました。たといそこが荒野であっても、吹く風は実に自由です。」
 ある方が今月末に腎臓の摘出手術をすることになりました。ところが、最近の検査で脳に3ミリ程度の腫瘍が見つかりました。担当医の話では、腎臓の手術の前に脳の腫瘍の摘出をしなければならないが、腫瘍の大きさが3ミリということで、手術して摘出した方がいいかどうかギリギリのところにあるということです。「それは大変ですね」と言うと、その方がこう言われました。「ええ、でもそれほど悲観していないんです。すべてを主にゆだねていますから。」

これがキリスト者の自由です。たとえ問題があってもその問題に縛られるのではなく、その問題のすべてを主にゆだねることができるのです。あなたを縛っているものは何でしょうか?将来に対する不安でしょうか?人に対する憤りでしょうか?健康に対する不安ですか?様々なものに縛られながらも、すべてを主にゆだねて自由に生きていく者でありたいと思うのです。そして、その置かれた所で人の立てたすべての制度に従うことを通して、クリスチャンとしてりっぱにふるまう者でありたいと思います。