Ⅰ列王記22章

 今日は、列王記第一22章から学びます。列王記第一の最後の章となります。

 Ⅰ.預言者ミカヤ(1-23)

まず、1~23節までをご覧ください。5節までをお読みします。「1 アラムとイスラエルの間に戦いがないまま、三年が過ぎた。2 しかし、三年目になって、ユダの王ヨシャファテがイスラエルの王のところに下って来ると、3 イスラエルの王は自分の家来たちに言った。「おまえたちは、ラモテ・ギルアデがわれわれのものであることをよく知っているではないか。それなのに、われわれはためらっていて、それをアラムの王の手から奪い返していない。」4 そして、彼はヨシャファテに言った。「私とともにラモテ・ギルアデに戦いに行ってくれませんか。」ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。」5 ヨシャファテはイスラエルの王に言った。「まず、主のことばを伺ってください。」

アラムとイスラエルの間に戦いがないまま、三年が過ぎました。思い出してください。20章で見たとおり、アラムすなわちシリヤの王ベン・ハダドが、イスラエルに戦いをしかけて敗北しました。それでイスラエルの王アハブは彼を聖絶しなければならなかったのに、やすやすと逃してしまいました。あれから三年が経過しました。この間、アラムとイスラエルの間には戦いがありませんでした。

その頃、南ユダの王ヨシャファテがイスラエルの王のところにやってきました。南ユダ王国に関する記述は、Ⅰ列王記15章24節のアサ王の死後ありませんでした。アサ王は15章11節に「父祖ダビテのように、主の目にかなうことを行った」とあるように善い王だったので、41年間南ユダを統治することができましたが、ヨシャファテはその息子です。あれからずっと南ユダ王国に関しての記述がなかったのは、北イスラエルの王アハブに関する出来事を伝えたかったからです。しかし、この22章40節でアハブに関する記述が終わるので、41節から再び南王国ユダに関する戻ります。

そのユダの王ヨシャファテがアハブところにやって来ました。これまでイスラエルとユダの関係は敵対関係にありましたが、アラムという共通の敵を前にして、友好関係を築いていたのでしょう。ですから、このヨシャファテの訪問は、いわゆる表敬訪問だったということです。

しかし、ヨシャファテがアハブのところに下って来たとき、自分の家来たちに言いました。「おまえたちは、ラモテ・ギルアデがわれわれのものであることをよく知っているではないか。それなのに、われわれはためらっていて、それをアラムの王の手から奪い返していない。」どういうことでしょうか。アラムの王ベン・ハダドは、アハブとの戦いに敗れ恩赦を受けた時、そのお礼としてかつて彼の父がアハブの父親から奪い取った町々を返却すると約束しました(Ⅰ列王記20:34)が、ラモテ・ギルアデという町が返却されていなかったので、それを奪い返そうとしたのです。巻末の地図4「イスラエルの各部族への土地の割り当て」をご覧ください。ラモテ・ギルアデの位置を確認しましょう。そこは、ヨルダン川の東にあるガド族の領地にある町です。この町は、軍事的に戦略的に重要な町でした。その町をアラムの王の手から奪い返すのに、ヨシャファテの力を借りようと思ったのです。それで南ユダ王国のヨシャパテが来たとき、一緒に戦いに行ってくれるように頼んだのです。

それに対して、ヨシャファテはどのように応答したでしょうか。彼は一つ返事で快諾しました。4節です。「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。」しかし、彼はまず「主のことばを伺ってください。」とアハブに言いました。さすがヨシァファテですね。南王国ユダの善王の一人です。しかし、順序が逆でした。彼はアハブから協力を依頼されたとき「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。」とすぐに返事をするのではなく、その前に主に伺いを立てるべきでした。まず主のみこころを確かめてから答えるべきだったのです。これはヨシャパテばかりでなく、私たちもよく犯すものです。私もよく失敗します。その時の自分の思いで即答してしまうのです。しかし、後になって冷静に考えてみると、必ずしもそれが良い判断ではないことに気付いて撤回しようとすると、後に引けなくなってしまうことがあります。まず、主に伺いを立て、まず、主の導きを祈り求めること、それが私たちの確かな信仰生活につながる鍵なのです。

次に、6~18節をご覧ください。「6 イスラエルの王は約四百人の預言者を集めて、彼らに尋ねた。「私はラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、やめるべきか。」彼らは答えた。「あなたは攻め上ってください。主は王様の手にこれを渡されます。」7 ヨシャファテは、「ここには、われわれがみこころを求めることのできる主の預言者が、ほかにいないのですか」と言った。8 イスラエルの王はヨシャファテに答えた。「ほかにもう一人、主に伺うことのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。イムラの子ミカヤです。」ヨシャファテは言った。「王よ、そういうふうには言わないでください。」9 イスラエルの王は一人の宦官を呼び、「急いでイムラの子ミカヤを連れて来い」と命じた。10 イスラエルの王とユダの王ヨシャファテは、それぞれ王服をまとって、サマリアの門の入り口にある打ち場の王の座に着いていた。預言者はみな、彼らの前で預言していた。11 ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って言った。「主はこう言われます。『これらの角で、あなたはアラムを突いて、絶ち滅ぼさなければならない。』」12 預言者たちはみな、同じように預言した。「あなたはラモテ・ギルアデに攻め上って勝利を得てください。主は王の手にこれを渡されます。」

13 ミカヤを呼びに行った使者はミカヤに告げた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に対して良いことを述べています。どうか、あなたも彼らと同じように語り、良いことを述べてください。」14 ミカヤは答えた。「主は生きておられる。主が私に告げられることを、そのまま述べよう。」15 彼が王のもとに着くと、王は彼に言った。「ミカヤ、われわれはラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、やめるべきか。」彼は王に答えた。「あなたは攻め上って勝利を得なさい。主は王の手にこれを渡されます。」16 王は彼に言った。「私が何度おまえに誓わせたら、おまえは主の名によって真実だけを私に告げるようになるのか。」17 彼は答えた。「私は全イスラエルが山々に散らされているのを見た。まるで、羊飼いのいない羊の群れのように。そのとき主はこう言われた。『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ。』」18 イスラエルの王はヨシャファテに言った。「あなたに言ったではありませんか。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言すると。」

イスラエルの王アハブは約四百人の預言者を集めて、ラモテ・ギルアデに上って行くべきか、それとも、やめるべきか尋ねます。彼らはバアルの預言者ではありません。そんなことをしたらヨシャファテを大いに侮辱することになるでしょう。彼らは主の預言者でした。しかし、真の預言者ではなくただ王が喜ぶことだけを告げる偽預言者でした。彼らは「攻め上ってください。主は王様にこれを渡されます。」と答えました。これはまさに、アハブ王が聞きたいと思っていた言葉です。聞きたいと思っていることを告げるのが良い預言者ではありません。真の預言者とは民が聞きたいことではなく、神が語れと言われることを語る預言者です。

ヨシャファテはそれを聞いて、「ここには、われわれのみこころを求めることのできる主の預言者が、ほかにいないのか」(7)と言いました。おそらくヨシャファテは、彼らが告げることばを聞いて違和感を覚えたのでしょう。四百人が四百人同じように答えたからです。ヨシャファテには霊的洞察力が備わっていました。私たちも預言者である牧師が語る主のことばを聞いて、それが本当に主から来たものなのかを見分ける霊的洞察力が求められます。

イスラエルの王アハブはヨシャファテに答えました。8節です。「ほかにもう一人、主に伺うことのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです。イムラの子ミカヤです。」

いるにはいるけど、自分はあまり好きではない。なぜなら、彼は自分について良いことは預言せず、悪いことばかり預言するからです。その人は、イムラの子ミカヤです。ミカヤはエリヤと同時代の預言者で主のことばを忠実に伝えていました。ですから、彼の告げることばは必ずしもアハブにとって都合が良いことばかりではありませんでした。都合が悪いことでも語る、いや、悪いことばかり語るのではないかとアハブには思われていました。ヨシャパテはピンとくるものがあったのでしょう。アハブに「そういうふうにいわないでください」と言って、ミカヤを連れて来させました。

イスラエルの王アハブと南ユダの王ヨシャファテは、それぞれ王服をまとって、サマリアの門の入り口にあるうちばの王の座に着いていました。「打ち場」とは麦打ち場のことです。そこは他の場所より一段高くなっていました。ですから、王たちが座り預言者たちのことばを聞くのに適していた場所でした。

まず登場したのは、ケナアテの子ゼデキヤでした。彼は、鉄の角を作ると、それを振りかざしながら、「これらの角でアラムを突いて、絶ち滅ぼさなければならない」と言いました。他の預言者たちもみな、同じように預言しました。

次に、ミカヤが連れて来られました。彼は連れて来られ前に使いの者から、「いいですか」と、彼らと同じように良いことを語るようにと忠告を受けていました。彼は王たちの前に連れて来られると、主が告げられたとおりのことを語りました。それは15節にあるように、「あなたは攻め上って勝利を得なさい。主は王の手にこれを渡されます。」と言いました。

これを聞いたアハブ王はハレルヤ!と喜ぶかと思ったら、彼にこのように怒って言いました。「私が何度おまえに誓わせたら、おまえは主の名によって真実だけを私に告げるようになるのか」どういうことでしょうか。これこそ彼が聞きたかったことばじゃないですか。他の預言者たちが告げた内容と同じです。それなのにアハブ王はそれを聞いて怒りました。なぜでしょうか。それはこれが他の預言者が語った内容と同じでも、皮肉って語ったからです。「行ったらいいんじゃないですか。主はあなたの手にこれを渡されますよ。きっと・・・」といった感じです。それを聞いたアハブはすぐにわかりました。皮肉っていると。そういう語り口調だったのでしょう。それは、その後の彼のことばを見ればわかります。ミカヤはその後ですぐ真実な預言を語り始めます。それが17節にある内容です。「彼は答えた。「私は全イスラエルが山々に散らされているのを見た。まるで、羊飼いのいない羊の群れのように。そのとき主はこう言われた。『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ。』」

「全イスラエルが山々に散らされる」とは、アラムとの戦いに敗れて散り散りになるということです。それはまるで羊飼いのいない羊のようになるということです。戦いに敗れて主人がいなくなってしまうからです。それは、アハブ王が死ぬことを意味していました。

それを聞いたアハブはヨシァファテに告げます。「あなたに言ったではありませんか。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言すると。」(18)アハブは、ミカヤの預言は信じるに値しないもので、信ずべきものは四百人の預言者たちの一致した預言であると強調したのです。つまり、自分と同盟関係を結んで、一緒にアラムと戦ってほしいと懇願しているのです。

自分の計画に固執していると、神の声が聞こえなくなってしまうことがあります。そして、やがて神の声を無視するという行為が習慣となり、滅びを招くことになるのです。

するとミカヤは、主のことばに耳を貸そうしないアハブに対して、別の角度から神のことばを告げます。それはミカヤが見た幻を通してです。それが19~23節にある内容です。「19 ミカヤは言った。「それゆえ、主のことばを聞きなさい。私は主が御座に着き、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。20 そして、主は言われました。『アハブを惑わして攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせるのはだれか。』すると、ある者はああしよう、別の者はこうしようと言いました。21 ひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、『この私が彼を惑わします』と言うと、主は彼に『どのようにやるのか』とお尋ねになりました。22 彼は答えました。『私が出て行って、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』主は『きっとあなたは惑わすことができる。出て行って、そのとおりにせよ』と言われました。23 今ご覧のとおり、主はここにいるあなたのすべての預言者の口に、偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」

ミカヤは、主が御座に着き、天の万軍がその左右に立っているのを見ました。そこで主が、「アハブを惑わして攻め上がらせ、ラモテ・ギルアデで彼を倒れさせるのはだれか」と言うと、ある御使いはこうしようといい、また別の御使いはああしようと提案しますが、その時ひとりの天使が御前に進みで、「この私が彼を惑わします。」と告げるのです。「どうやって惑わすのか」と尋ねると、彼は答えました。『私が出て行って、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』

すると主は、「きっとあなたは惑わすことができる。出て行って、そのとおりにせよ」と言われました。その偽りを言う霊こそ、ここにいるすべての預言者たちであるというのです。そして、それはアハブに下るわざわいのことばだというのです。

ここで注目すべきことは、主はご自身のみこころを実行するために、悪霊さえも用いられるということです。しかし、それは神が悪霊を遣わしたということではありません。ただ悪霊が惑わすことを許可されたということです。同じようなことがヨブ記にも見られます。サタンはヨブに害を加えようと神の前に出ています。そうすればどんなに正しい人でも、神をのろうようになると。それで神はサタンにこう言われました。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」(ヨブ2:6)主は、サタンがヨブに害を加える事を許されたのです。サタンは神に反抗する霊ですが、そのようなものさえも神が用いられることがあるのです。しかし、それさえも神の御手の中にあります。それを超えてサタンが働くことはできません。ここでも、主に背くアハブ王を倒すために悪霊が用いられ、偽りを言う預言者たちの口を通して、アハブにわざわいを下されるのです。

Ⅱ.アハブ王の死(24-40)

次に、24~40節をご覧ください。28節をお読みします。「24 ケナアナの子ゼデキヤが近寄って来て、ミカヤの頬を殴りつけて言った。「どのようにして、主の霊が私を離れ、おまえに語ったというのか。」25 ミカヤは答えた。「あなたが奥の間に入って身を隠すその日に、あなたは思い知ることになる。」26 イスラエルの王は言った。「ミカヤを捕らえよ。町の長アモンと王の子ヨアシュのもとに連れて行き、27 王がこう命じたと言え。『この男を獄屋に入れ、私が無事に帰るまで、わずかなパンと、わずかな水だけ与えておけ。』」28 ミカヤは言った。「もしも、あなたが無事に戻って来ることがあるなら、主は私によって語られなかったということです。」そして、「すべての民よ、聞きなさい」と言った。」

するとゼデキヤがミカヤに近寄り、彼の頬を殴りつけて言いました。「どのようにして、主の霊が私を離れ、おまえに語ったというのか。」ひどいですね。ミカヤの頬を殴りつけるなんて。おそらくゼデキヤは自分が神の霊によって語ったと思い込んでいたのでしょう。それを「偽りを言う霊」、悪霊によって語ったと言われたので頭にきたのではないかと思います。

ミカヤはその質問には一切答えず、ただ「あなたが奥の間に入って身を隠すその日に、あなたは思いしることになる。」と言いました。これは、アハブ王が死ぬときゼデキヤは奥の間に隠れるようになるが、その時、彼は自分が語ったことが偽りの預言であったことを知るようになるということです。時がすべてを証明するということです。だから青筋を立てて怒る必要はないのです。

するとアハブ王はミカヤを捕え、監獄に入れ、自分が無事に帰るまで、わずかなパンと、わずかな水だけを与えて養っておけ、と命じました。

するとミカヤは「もしも、あなたが無事に戻って来ることがあるなら、主は私によって語られなかったということです。」と言い、「すべての民よ、聞きなさい」と言いました。これは、すべての民がこのことの証人であるということです。

ここでアハブは悔い改めの機会が与えられたにもかかわらず、その頑なな心を変えようとしませんでした。彼は21章27節ではエリヤのことばを聞いて悔い改めましたが、ここではそうしませんでした。残念ですね。一度悔い改めたから大丈夫だということはありません。私たちはすぐに高ぶり、神の前に罪を犯す者ですが、大切なのはその都度悔い改めることです。そうでなければ、悲惨な最後を迎えることになるからです。

次に、29~40節までをご覧ください。「29 イスラエルの王とユダの王ヨシャファテは、ラモテ・ギルアデに攻め上った。30 イスラエルの王はヨシャファテに言った。「私は変装して戦いに行きます。しかし、あなたは自分の王服を着ていてください。」イスラエルの王は変装して戦いに行った。31 アラムの王は、自分の配下の戦車隊長たち三十二人に次のように命じた。「兵とも将軍とも戦うな。ただイスラエルの王だけを狙って戦え。」32 戦車隊長たちはヨシャファテを見つけたとき、「きっと、あれがイスラエルの王に違いない」と思ったので、彼の方に向きを変え、戦おうとした。ヨシャファテは助けを叫び求めた。33 戦車隊長たちは、彼がイスラエルの王ではないことを知り、彼を追うことをやめて引き返した。34 そのとき、ある一人の兵士が何気なく弓を引くと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を陣営から出させてくれ。傷を負ってしまったから。」35 その日、戦いは激しくなった。王はアラムに向かって、戦車の中で立っていたが、夕方になって死んだ。傷から出た血が戦車のくぼみに流れた。36 日没のころ、陣営の中に「それぞれ自分の町、自分の国へ帰れ」という叫び声が伝わった。

37 王は死んでサマリアに運ばれた。人々はサマリアで王を葬った。38 それから戦車をサマリアの池で洗った。犬が彼の血をなめ、遊女たちがそこで身を洗った。主が語られたことばのとおりであった。39 アハブについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、彼が建てた象牙の家、彼が建てたすべての町、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。40 アハブは先祖とともに眠りにつき、その子アハズヤが代わって王となった。」

イスラエルの王アハブとユダの王ヨシャファテは、ラモテ・ギルアデに攻め上りました。しかし、イスラエルの王アハブは変装して行きました。たぶん、ミカヤの預言を恐れたからでしょう。変装して行けば、攻撃される可能性は低くなると考えたのです。しかし彼はヨシャファテには、自分の王服を着るようにと言います。自分は着たくないのに、ヨシャファテには着せようとしました。どうしてでしょうか。何かあった時にはヨシャファテの命が狙われても自分の命は助かると思ったからです。アハブはどこまでも身勝手な人間でした。

しかし、結果的に、王服を来たヨシャファテは助かり、変装したアハブが死ぬことになります。アラムの王が狙っていたのはイスラエルの王アハブの命だけでした。アラムの戦車隊長はヨシャファテを見つけたときそれがイスラエルの王アハブだと思って戦おうとしましたが、ヨシャァファテが助けを叫び求めたので、それがイスラエルの王ではないことを知り、彼を追うことをやめて引き返しました。

そのとき、ある一人の兵士が何気なく弾いた弓が、イスラエルの王アハブの胸当てと草摺りの間を射抜きました。胸当てと草摺の間とは、鎧の隙間のことを指しています。ある兵士が偶然放った矢が、何とアハブの鎧の間を射抜いたのです。これは偶然のように見えますが、38節を見ると、そうではないことがわかります。これは、主が語られたことばが成就するためであったことがわかります。それがこのような経緯で実現したのです。そのことを記したかったのです。彼はその兵士が放った矢によって負傷したので自分の陣地に戻りましたが、その日、戦いは激しさを増し、結局、アハブはその日の夕方に死んでしまいました。彼が戦車の中で立っていたのは指揮官としての自分の姿を見せることで、自陣の兵士たちを鼓舞するためです。

日没のころ、自営の中に「それぞれ自分の街、自分の国へ帰れ」という叫び声が伝わったのでアハブ王もサマリアに運ばれましたが、彼はそこで死んで、葬られました。血のついた戦車はサマリアの池で表れ、流れた血を犬たちがなめました。また遊女たちがその身を洗いました。これは、エリヤが語った預言のとおりです(Ⅰ列王21:19)。主が語られたことばのとおりになりました。アハブが先祖たちとともに眠りにつくと、その子アハズヤが代わって王となりました。

アハズヤについては、51~53節に記録されてあります。「51 アハブの子アハズヤは、ユダの王ヨシャファテの第十七年にサマリアでイスラエルの王となり、二年間イスラエルの王であった。52 彼は主の目に悪であることを行い、彼の父の道と彼の母の道、それに、イスラエルに罪を犯させた、ネバテの子ヤロブアムの道に歩んだ。53 彼はバアルに仕え、それを拝み、彼の父が行ったのと全く同じように行って、イスラエルの神、主の怒りを引き起こした。」

彼の治世は、わずか2年間でした。それは彼が主の目に悪であることを行い、彼の父の道と母の道、それに、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの道に歩んだからです。彼はバアルに仕え、それを拝み、彼の父が行ったのと全く同じように行って、イスラエルの神、主の怒りを引き起こしたからです。

主が語られたことは必ず成就します。主を恐れることが、知恵のはじまりです。主を恐れ、主に従いしましょう。それが確かな人生の鍵なのです。

Ⅲ.ヨシャファテの治世(41-50)

最後に、41~50節をご覧ください。「41 アサの子ヨシャファテがユダの王となったのは、イスラエルの王アハブの第四年であった。42 ヨシャファテは三十五歳で王となり、エルサレムで二十五年間、王であった。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。43 彼はその父アサのすべての道に歩み、そこから外れることなく、主の目にかなうことを行った。しかし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。44 ヨシャファテはイスラエルの王と友好関係を保っていた。

45 ヨシャファテについてのその他の事柄、彼が立てた功績とその戦績、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。46 彼は、父アサの時代にまだ残っていた神殿男娼をこの国から除き去った。

47 そのころ、エドムには王がなく、守護が王であった。48 ヨシャファテはタルシシュの船団をつくり、金を得るためにオフィルに行こうとしたが、行けなかった。船団がエツヨン・ゲベルで難破したからである。49 そのとき、アハブの子アハズヤはヨシャファテに、「私の家来をあなたの家来と一緒に船で行かせましょう」と言ったが、ヨシャファテは同意しなかった。50 ヨシャファテは先祖とともに眠りにつき、先祖とともに父ダビデの町に葬られた。その子ヨラムが代わって王となった。」

ここから、南王国ユダの王ヨシャファテの記録に移ります。彼については、アハブ王との関係の中で、その活動の一部が紹介されていましたが、ここに彼の一生の記録がまとめられています。

彼は35歳で王となり、エルサレムで25年間王として南ユダを統治しました。彼は父アサのすべての道に歩み、そこから外れることなく、主の目にかなうことを行いました。彼は南ユダ王国に登場する8人の善王の一人です。彼は父アサにならい宗教改革に尽力しましたが、完全に偶像を取り除くことができませんでした。一度は取り除いたのでしょうが、高き所、偶像礼拝の場所を再建したのです。ヨシャファテはイスラエルの王アハブと敵対することを止め、同盟関係を結びました。その結果、ヨシャファテの息子ヨラムとアハブの娘のアタルヤが結婚することになります。アタルヤはイゼベルの娘でもありますが、このことによって南ユダにも偶像礼拝をもたらすことになります。ヨシャファテは父アサのように偶像礼拝の撲滅に熱心でしたが、その働き中途半端で終わりました。父アサの時代にまだ残っていた神殿男娼を除き去ることをしませんでした。

ヨシャファテは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにダビデの町に葬られました。そして、その子ヨラムが代わって王となりました。ヨシャファテは時には愚かな選択をしたこともありましたが、その中心は主に向かっていました。その結果、彼は8人の善王の中に数えられるようになりました。私たちも失敗することがありますが、いつも主に立ち返り、主に信頼して歩みましょう。その心がどこに向かっているのかが問われているのです。