「主に身を避けて」 N021
Ⅰ.主の計ったとおりに成就する(24-27)
アッシリヤに対する宣告である。主はアッシリヤを打ち破り、主の山で踏みつける、と言われた。(25)そして、アッシリヤに虐げられている民は、そのくびき、その重荷から解放される。このみのことばの通りに、アッシリヤはバビロンによって滅ぼされた。ここで主が誓って仰せになられたとおりになったのである。主が考えられたとおりに事は成り、主が計られたとおりに成就する。であれば、主のみこころに従って生きることが最善である。人類の歴史は、この宇宙に含まれている全てのものを造られた創造主なる神と私たち人間の歴史である。その歴史の中に私たち一人一人のストーリーも含まれている。私たちのすべての歴史が、この神の御手に握られているのである。だから、私たちにとって必要なことは、この神のことばを信じ、この方にすべてをゆだねて歩むことである。神のことばは必ず成るということを知るとき、私たちは神が真実な方であり、力ある方であることを確信し、この神にすべてをゆだねることができるのである。
Ⅱ.喜ぶな、ペリシテの全土よ(28-31)
ここにはペリシテに対する宣告が記されてある。「おまえを打った杖」(29)とはイスラエルのことである。昔からペリシテ人はいつもイスラエルの敵であった。そのイスラエルがアッシリヤに滅ぼされたとき、彼らは手をたたいて喜んだ。しかし、喜ぶのはまだ早い。彼らの敵であったイスラエルが折られたからといって、喜んではならない。なぜなら、蛇の子孫からまむしが出、その子は飛びかける燃える蛇となるからである。これはアッシリヤのことを指している。イスラエルが折られてももっと残虐なアッシリヤが出て来て、彼らを苦しめることになるというのだ。果たせるかな、このみことばの通りにペリシテはB.C.701年にアッシリヤによって滅ぼされることになる。そして、B.C.332年にアレクサンドロス大王によって攻略されると、ペリシテ人は歴史から姿を消すことになった。
Ⅲ.主に身を避けて(32)
ではどうしたらいいのか。主に身を避けることである。「主はシオンの礎を据えられた。主の民の悩む物たちは、これに身を避ける。」北の大国アッシリヤに対抗するために周辺諸国の弱小国が考えた対策は、互いに同盟を結んで戦うことであった。しかし、時の南ユダ王国の王であったヒゼキヤは、これをきっぱりと断った。彼は、「主はシオンの礎を据えられる。主の民の悩む者たちは、これに身を避ける」と言ったのである。主に身を避ける者は幸いである。なぜなら、主がその人を守ってくださるからだ。私たちは何か問題があるとすぐに目に見える物や人に頼ろうとするが、本当に頼りとしなければならないのは神ご自身である。聖書のちょうど真ん中の聖句は詩篇119篇8節である。そこにはこのように記されてある。「主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。」これが私たちの信仰生活の中心である。私たちの生活の中心は神であって、神に祈り、神を讃美し、神に身を避けることである。主に信頼を置くとき、そこに奇跡が生まれる。すべての祝福は、主に信頼することから生まれるのである。主に信頼することは、人に信頼するよりもよい。そのことを覚えて、私たちの思いや考えをはるかに越えて働いておられる神にすべてをゆだねて歩んでいこう。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたは、主のはかりごとは必ず成るという信仰がありますか。あなたは、このことを信じて、すべてを主にゆだねていますか。それとも、なかなか信じられずに不信仰に陥ってはいませんか。
・あなたは何に身を避けていますか。何を信頼していますか。主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい、というみことばを、あなたはどのように受け入れていますか。