「征服される神」 N031
Ⅰ.経済大国ツロ(1-5)
13章から始まったイスラエルを取り囲む周辺諸国に対する神のさばきの宣告の最後である。最後に語られたのは、フェニキヤ地方の主要都市であったツロである。ツロはバビロンやアッシリヤのような広大な土地を有していなかったが、地中海を舞台に世界中の国々との貿易をして栄え、巨万の富を築いていた。経済大国であった。そのツロに対する宣告である。4節には、「私は産みの苦しみをせず、子を産まず、若い男を育てず、若い女を養ったことがない。」とある。これはシドンに対して言われていることだが、ツロに対して言われていると考えてよい。ツロとシドンは同じフェニキヤの都市だから。彼らは何の苦労もせずに、ちょっと数字を動かすだけで、莫大の富を得ていた。それゆえに、彼らは神なんていなくても十分やっていけると高ぶってしまった。そのような国はやがて必ず滅びてしまうことになる。
日本もかつては国内総生産が世界第一位となった経済大国である。小さな島国で、何の資源も持たないこの国が、世界一のお金持ちになった。得意の技術力によって世界に進出し、それで得たお金で世界中の企業を買収した。それで日本はエコノミック・アニマルと称されたほどだ。その日本は、このツロ同様に高ぶったので、その結果、衰退の一途を辿ることになってしまった。私たちに求められていることは、へりくだって神を求めることである。
Ⅱ.高ぶったツロ(6-14)
ここには、そんなツロの高ぶった姿が描かれている。かつて彼らは「海の女王」と呼ばれたほど尊ばれていた。彼らの商売は世界一と称賛されていた。その彼らの麗しい誇りは汚れ、卑しめられた。万軍の主がそれを計られたからである。12節には「もう二度とこおどりして喜ぶな。」とある。彼らはどこへ行っても喜びと平安を得ることができず、やがてアッシリヤによって廃墟と化してしまう。
エゼキエル書28章を見ると、このツロがいかに輝いていたかがわかる。彼らは美の極み、全き者の典型であった。その彼らが滅びの穴に投げ入れられたのは、彼らが高ぶったからだ。「私は神だ」と心の中で言った。しかし、彼らは人であって、神ではない。このツロの姿は、悪しき者、堕落した天使、悪魔の姿である。悪魔とは、天使の長であったルシファーが堕落したものである。ルシファーが堕落したのはなぜか。彼は自分の美しさのゆえに高ぶり、自分が神だと思い込んだからであった。神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。バビロンの王ネブカデネザルは、自分が頂点に立っていると思った瞬間に獣のようにされた。あなたがどれほど美しくても、どれだけ知恵があっても、どれだけ肉体的に力があっても、あなたは人なのであって、神ではない。そのことをわきまえ主の御前にへりくだらなければならない。
Ⅲ.征服されたツロ(15-18)
そのようなツロは70年間忘れられる。しかし、その70年がたつと、主はツロを顧みられるので、再び遊女の報酬を得、地のすべての王国と地上で淫行を行う。これは、ツロが再び繁栄して国々と商売を再開するということである。商売を淫行にたとえてあるのは、商売自体が悪いということではなく、その利益のためには何でもするといった否定的な側面が表現されているからだ。
しかし、最後はどうなるか。ここには、「その儲け、遊女の報酬は、主にささげられる。」とある。その儲けは、主の前に住む者たちが、飽きるほど食べ、上等の着物を着るために用いられるようになる。つまり、その儲けが、何と主の栄光のために用いられていく。言い換えるなら、それらのものも主の栄光のためにのみ込まれていくということである。それぞれの国は、自分たちが諸国を滅ぼして征服していたと思い込んでいただろうが、実際には、主がそうした国々をのみ込んでいたのである。
これが福音である。福音にはそれほどの力がある。今はどこか肩身の狭い思いをしているようなところがあるが、その日になると、クリスチャンは圧倒的な勝利者となる。この世の中がどんなに暗くても、敵である悪魔がどんなに攻撃してきても、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべての中にあっても圧倒的な勝利者となるのである。私たちにはこの勝利が約束されている。だから、この恵みの中に入れていただいた者として、この恵みの中を歩む者でありたい。そして、この恵みの中にひとりでも多くの人が加えられるように祈りつつ、労していく者でありたい。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたの中に何かすぐれていると思えるものがありますか。それによって自分は神のように偉大な者だという思いはありませんか。どのようにへりくだっていますか。
・あなたは人生の中で敗北感を味わっていませんか。あなたの味わっている敗北感は何ですか。歴史における神の勝利のシナリオを見て、あなたは将来にどのような希望を告白すべきですか。