民数記36章

きょうは民数記36章から学びます。まず1節から4節までをご覧ください。 

Ⅰ.ヨセフ族の訴え(1-4) 

「ヨセフ族の一つ、マナセの子マキルの子ギルアデの氏族に属する諸家族のかしらたちが進み出て、モーセとイスラエル人の諸家族のかしらである家長たちに訴えて、言った。「主は、あの土地をくじによってイスラエル人に相続地として与えるように、あなたに命じられました。そしてまた、私たちの親類ツェロフハデの相続地を、彼の娘たちに与えるように、あなたは主に命じられています。もし彼女たちが、イスラエル人の他の部族の息子たちにとついだなら、彼女たちの相続地は、私たちの父祖の相続地から差し引かれて、彼女たちがとつぐ部族の相続地に加えられましょう。こうして私たちの相続の地所は減ることになります。イスラエル人のヨベルの年になれば、彼女たちの相続地は、彼女たちのとつぐ部族の相続地に加えられ、彼女たちの相続地は、私たちの父祖の部族の相続地から差し引かれることになります。」

ここには、マナセ族の一つの氏族のかしらたちが進み出て、モーセとイスラエル人の諸家族のかしらである家長たちに何やら訴えたことが記されています。その訴えの内容は、マナセ族のツェロフハデの相続地に関することです。彼らが他の部族の人と結婚してとついで行ったなら、その土地はその部族の土地に加えられるため、自分たちの相続地が減ることになるのではないか、というものです。 

思い出せるでしょうか、27章1節から11節までのところには、ヨセフ族のツェロフハデには男の子がなく5人の娘たちばかりだったので、この5人の娘たちが、自分たちに父の相続地が与えられないのはおかしいと、モーセに訴えたのでした。それでモーセがこれを主の前に出して祈ったところ、主はその訴えはもっともであると言われ、彼女たちにも父の相続地を渡すように仰せになられました。

しかし、ここでまた新たな問題が生じました。そのように彼女たちが父の相続地を受けるのは構わないけれども、もし彼女たちが別の部族の人と結婚するようなことがあれば、その土地はその部族の相続地に加えられることになり、自分たちの相続地が減ってしまうのではないかということです。そこでマナセ族のかしらたちがやって来て、モーセに訴えたのです。 

Ⅱ.主のみこころ(5-9)

そのことに対する主の答えはどのようなものだったでしょうか。5節から9節までをご覧ください。

「そこでモーセは、主の命により、イスラエル人に命じて言った。「ヨセフ部族の訴えはもっともである。主がツェロフハデの娘たちについて命じて仰せられたことは次のとおりである。『彼女たちは、その心にかなう人にとついでよい。ただし、彼女たちの父の部族に属する氏族にとつがなければならない。イスラエル人の相続地は、一つの部族から他の部族に移してはならない。イスラエル人は、おのおのその父祖の部族の相続地を堅く守らなければならないからである。イスラエル人の部族のうち、相続地を受け継ぐ娘はみな、その父の部族に属する氏族のひとりにとつがなければならない。イスラエル人が、おのおのその父祖の相続地を受け継ぐためである。こうして相続地は、一つの部族から他の部族に移してはならない。イスラエル人の部族は、おのおのその相続地を堅く守らなければならないからである。』」  主は、このヨセフ部族の訴えはもっともであると言われ、彼女たちは父の部族に属する氏族、すなわち、ヨセフ族の人たちのところにとつがなければならない、と言われました。なぜでしょうか。イスラエル人は、おのおの父祖の部族の相続地を堅く守らなければならないからです。神から与えられた相続地は、他の部族へ移してはなりませんでした。イスラエルの各部族は、おのおのその相続地を堅く守らなければならなかったのです。 

いったいなぜ神はこのように命じられたのでしょうか。いったいなぜこのことが民数記の最後のところに記されてあるのでしょうか。このことは私たちクリスチャンにどんなことを教えているのでしょうか。それは、私たちクリスチャンに与えられた相続地も変わらないということです。それは不変であり、不動のものなのです。私たちの行いにかかわらず、神が私たちに与えてくださった相続地はいつまでも変わることがないのです。 

ペテロはこう言いました。「また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。」(Ⅰペテロ1:4) 

私たちに与えられている相続地は、朽ちることも汚れることも、消えていくこともないものです。それが天にたくわえられているのです。そして、やがてそのような資産を受け継ぐようになると思うとき、たとえ今、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないようなことがあったとしても、喜びを持つことができます。たましいの救い、永遠のいのちを得ているからです。これはすばらしい約束ではないでしょうか。 

 また、ここには、「イスラエル人は、おのおのその相続地を堅く守らなければならないからである。」ということが強調されています。ということは、私たちが守らなければならない相続地があるということです。私たちには神からすばらしい相続地が与えられていながら、いろいろなことでそれを失ってしまうことがあります。その一つが試練でありましょう。私たちはこの地上にあってさまざまに試練にあうたびに信仰が試されることがありますが、どのようなことがあっても、神から与えられた相続地を堅く守っていかなければならないのです。 

Ⅲ.ツァロフハデの娘たちの応答(10-13) 

 さて、このように語られた主のことばに対して、ツァロフハデの娘たちはどのように応答したでしょうか。10節から13節までをご覧ください。

「ツェロフハデの娘たちは、主がモーセに命じられたとおりに行なった。ツェロフハデの娘たち、マフラ、ティルツァ、ホグラ、ミルカおよびノアは、そのおじの息子たちにとついだ。彼女たちは、ヨセフの子マナセの子孫の氏族にとついだので、彼女たちの相続地は、彼女たちの父の氏族の部族に残った。」 

ツァロフハデの五人の娘たちは、主がモーセに命じられたとおりに行い、そのおじの息子たち、すなわち、従兄弟のところにとつぎました。彼女たちがそのようにしたので、彼女たちの相続地は、彼女たちの父の氏族の部族に残ったのです。 

「これらは、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、主がモーセを通してイスラエル人に命じた命令と定めである。」 

 これらが、エリコに近いモアブの草原で、主がモーセを通してイスラエル人に命じたことでした。特にこの民数記の26章からは、イスラエルが約束の地に入ってからどうあるべきなのかについて語られましたが、それは私たちの信仰生活そのものでもあります。私たちは神の恵みにより、イエス・キリストを信じる信仰によって救いの中に入れられました。神の相続地に入れさせていただきました。そこでは堅く守らなければならないものがたくさんあることに気付かされます。神の相続を受けたからもう大丈夫だというのではなく、神の相続地を受けたからこそそれを堅く守り、神のみことばに従順に聞き従う者でなければなりません。それが神の恵みによって救われた者としてのふさわしい応答なのです。