申命記24章

 

 申命記24章です。まず1節から5節までをご覧ください。

 

 1.結婚、離婚、再婚について(1-5

 

「人が妻をめとり夫となり、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなり、離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせ、彼女がその家を出て、行って、ほかの人の妻となり、次の夫が彼女をきらい、離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせた場合、あるいはまた、彼女を妻としてめとったあとの夫が死んだ場合、彼女を出した最初の夫は、その女を再び自分の妻としてめとることはできない。彼女は汚されているからである。これは、主の前に忌みきらうべきことである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地に、罪をもたらしてはならない。」

 

ここには、人が妻をめとり、その妻に何か恥ずべき事を発見して、気にいらなくなり、離婚した場合、どうしたら良いかが教えられています。まずここには「妻に何か恥ずべき事を発見したため」とありますが、この恥ずべき事とはいったいどんな事でしょうか。多くの学者は、これは姦淫のことではないかと考えていますが、これは決して姦淫ではないことは明らかです。なぜなら、姦淫を行った者は、離婚ではなく死をもって償わなければならなかったからです。ですから、それ以外の何かで、夫が気にいらない事があった場合ということなのでしょう。そのような場合は、夫は離婚上を書いて彼女を家から去らせることができました。

 

あれっ、ちょっと待ってくださいよ。妻が気に入らなくなった場合、勝手に離婚しても良かったのですか?このことについてイエス様はこう言っています。マタイの福音書193節から9節です。ここではパリサイ人がイエス様のところにやって来て、「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」と尋ねます。それに対してイエス様はこう言われました。「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりはではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」(マタイ19:4-6そして、「だれでも、不貞のためではなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。」(マタイ19:9と言われたのです。つまり、妻を離別することは、神のみこころではないということです。それならばなぜここで、妻が気に入らなくなったら、離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせなさいとあるのでしょうか。それはイエス様も言われたように、人々の心がかたくななので、その妻を離別することを許したのです。つまり、離別することは神のみこころではなく、罪なのですが、自己中心的な人間はそういうことをするので、そういうことをする場合は、そのようにしなさいと言われたのであって、初めからそういうわけではなかったのです。

 

しかし、ここで問題になっているのは離婚しても良いかどうかということよりも、そのように離別された妻が、ほかの人の妻となり、次の夫も彼女をきらい、離婚状を書いてその女を去らせた場合、あるいはまた、その夫が何らかの理由で死んだ場合、最初の夫は、その女を再び自分の妻としてめとることができるかということです。できません。彼女は汚されているからです。それは主の忌みきらうことであります。そのようなことをして主の相続地を汚してはならないのです。

 

これはどういうことでしょうか。ここで、彼女は汚れていると言われていますが、彼女は好きで汚れたのではありません。それはすべて男の身勝手な思いによってそうさせられたのであって、彼女には何の罪もないのです。ですから、ここで問題になっているのは彼女が汚れているかどうかということではなく、最初の夫の身勝手な行動が戒められているのです。嫌になったから別れたいとか、やっぱりあなたがいいから戻って来てという不誠実な態度を、主は忌み嫌われるということなのです。ですから、この女性がほかの男性と再婚することは禁じられていないのです。そのように一方的に夫から離婚させられ、家から去らせられても、再婚は許されていました。女の権限が全くなかった古代社会で、離婚と再婚が許されていたことは、妻により大きな傷を与えないための神の方法だったのです。

 

このことは、男と女の関係だけのことではなく、キリストと私たちの間にも当てはまることです。私たちは神の恵みにより、キリスト・イエスを信じることで神の子とされました。それはある意味でキリストとの婚姻関係に入ったことを意味しています。しかし、現実の生活は厳しくて、このまま信仰を続けていくことは困難なのでもう信仰を捨てよう、そして、もう少し落ち着いたら、人生を精一杯満喫して、もういいです、もう何の未練もないです、という時に再び信仰生活を始めようというのであれば、それはこの最初の夫がしていることと同じことです。もちろん、信仰から離れていた者が再び戻ってくるということは神のあわれみによって行なわれるかもしれませんが、しかし初めからそのようなことを考えて信仰から離れるということがあるとしたら、それは汚れることであり、再び戻ることはできないということを覚えておかなければなりません。

 

ところで5節を見ると、ここには、新しく結婚して1年間は、その夫を戦場に送ったり、他の社会的な義務を負わせてはならない、と命じられています。なぜでしょうか。なぜなら、もし、彼が戦争に出て死亡した場合、子孫もなく、妻を未亡人にしてしまうからです。夫は、自分の家のために自由の身になって、めとった妻を喜ばせなければなりません。このことからも、神はあわれみ深い方であり、結婚を通して私たちに喜びを与えてくださる方であるかがわかります。

 

2.貧しい者、弱い者たちに対する配慮(6-16

 

次に6節から15節までをご覧ください。6節には、「ひき臼、あるいは、その上石を質に取ってはならない。いのちそのものを質に取ることになるからである。」とあります。ひき臼は、家族のための日ごとのパンを作るのに、必要不可欠な道具でした。毎朝、女たちがひき臼を回して穀粒ををひき、その日のパンのための粉にしました。従って、ひき臼、あるいは上石を質に取られてしまうなら、家族が食べることができなくなり、いのちそのものが取られることになってしまいます。それで、ひき臼を質に取ることが禁じられているのです。朝ごとにひきうすの音が聞こえるのは、平和と幸せのしるしだったのです。

 

7節には、「あなたの同族イスラエル人のうちのひとりをさらって行き、これを奴隷として扱い、あるいは売りとばす者が見つかったなら、その人さらいは死ななければならない。あなたがたのうちからこの悪を除き去りなさい。」とあります。人をさらい、奴隷として外国に売り飛ばすといったことの禁止です。このようなことは主が忌みきらわれることであり、主の相続の地においてはあってはならないものなのです。

 

また、ツァラートの患部には気を付けて、レビ記にあったように、祭司が教えるとおりにしなければなりませんでした。祭司はそれをよく調べ、それがツァラートであると判断したら、隔離してもう一度調べなければなりませんでした。そして、きよめられた者だけが宿営に戻ってくることができました。なぜ、そのように慎重にしなければならなかったのでしょうか。なぜなら、9節にあるように、それが神からの罰であったかもしれないからです。モーセはここでイスラエル人に、ミリヤムのことを思い起こさせていますが、それはミリヤムがモーセを非難したために、主の前に連れて来られ、その罪のためにツァラートなりました。彼女は七日間、宿営の外にとどまっていなければなりませんでした。そのように、それが神からの刑罰であるかもしれないのです。

 

10節から13節には、担保を取ることに関する規定が記されてあります。すでにひき臼や上石を担保として取ることについては6節で禁止されていましたが、それ以外の担保を取って金を貸す場合のことです。10,11節には、担保を取るために、その家に入ってはならないと言われています。外に立っていなければなりませんでした。どうしてでしょうか。お金を貸す者がその家に入っていけば、その人の家に何があるかと注意深く見て回り、担保物件として取ってしまう危険があったからです。担保物件の設定は、あくまでもお金を借りる者が決めなければなりませんでした。ここにも、貧しい者への神のあわれみが示されています。

 

また、12節には、もしその人が貧しい人であるなら、その担保を取ったままで寝てはならないと命じられています。日没のころには、その担保を必ず返さなければなりませんでした。なぜなら、その上着は夕方になって寝るとき、彼の身体を寒さから守る唯一の物であったからです。ですから、彼がそれを着て寝ることができれば、彼はあなたを祝福するだろうし、また、それは神の前に喜ばれることなので、結局のところ、あなた自身が祝福されることになるというのです。そのことがここでは「義」となるとまで言われています。それは神の前に義なる行為として認められるということです。神によって贖われた私たちにふさわしい態度は、この神にならってあわれみ深くあることであり、貧しい人たちを顧みることなのです。

 

14節は、貧しい雇い人を働かせる場合の規定です。貧しい雇い人を働かせる場合は、日没前までに、賃金を払わなければなりませんでした。この定めは、それが同胞イスラエル人であっても、在留異国人であっても、同じように適用されました。彼らは貧しいことで、その日の収入で、その日を食べていかなければならないため、賃金を先送りされては、生きていくことができなかったからです。ですから、賃金を先送りすることは、彼らをしいたげることであり、罪なのです。このことを見ても、神が貧しい人たちのことをどれほど顧みておられる方であり、あわれみ深い方であるかがわかります。

 

16節には、各個人が自分の罪の結果として死刑になる以外に、親が子どもの罪のために殺されたり、子どもが親の罪のために死刑にされるようなことがあってはならないと教えられています。家族が罪を犯すと、多かれ少なかれ、その親や子どもが影響を受けることになりますが、あくまでもそれはその罪を犯した本人の問題であり、家族がその責任を受けるということがあってはならないのです。

 

3.在留異国人やみなしごに対して(17-22

 

最後に17節から22節を見て終わりたいと思います。17節には、「在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。やもめの着物を質に取ってはならない。思い起こしなさい。あなたがエジプトで奴隷であったことを。そしてあなたの神、主が、そこからあなたを贖い出されたことを。だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。」とあります。在留異国人やみなしごの権利を侵してはいけません。なぜなら、彼らもかつてはエジプトで奴隷だったからです。そのような彼らを、神はあわれみをもって救い出してくださいました。であれば、今度は彼らがそのような不遇な人たちに対してあわれみ深くなければなりません。

 

19節から21節には、「あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。」とあります。

 

レビ記19:9や、23:22には、「畑の隅々まで刈ってはならない。収穫の落穂を集めてはならない。」と述べられていました。農作物を収穫する時に、完全に収穫するのではなく、わざわざ一部を残しておかなければならなかったのです。それは、在留異国人や、みなしご、やもめたちが、残っている未収穫分を食べて生きることができるためです。ここにも在留異国人やみなしご、やもめに対する配慮が語られています。そのようにすることによって、主があなたのすべての手のわざを祝福してくださるためです。

 

今日の社会では、文字通り適用することは難しいかもしれませんが、しかし、その精神は継承され、実践されなければならない大切な信仰の基準です。不遇な隣人たちに対してどのように思いやり、彼らの必要に対してどのように支援できるかを、より具体的に実践する必要があります。それは必ずしも経済的な支援に限らず、霊的、精神的な支援も含みます。今日の社会では、どれほど多くの人たちが生活に困窮していることでしょう。

 

先日さくらチャペルで行われたキッズの集会の時、ふたりのお母さんとヨハネの福音書9章から聖書の学びの時を持ちました。生まれつき目が見えない盲人に対して、弟子たちが、「この人がこのように生まれたのはこの人が罪を犯したからですか、それとも、この人の両親が罪を犯したからですか。」と尋ねると、イエス様は、「この人が罪を犯したからではなく、この人の両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」(ヨハネ9:3と言われました。すると、このふたりのお母さんは、それぞれ自分の子どものことで悩みを打ち明けられたのです。はた目では何の問題もないかのようでも、みんな何らかの問題を抱えておられるんだなぁと思ったとき、そのような問題に取り組むことは、こうした在留異国人やみなしご、やもめたちのために労することでもあるということを思わされました。

 

ジョージ・ミューラーは1805917日、ドイツ領プロセインで生まれ、英国に長く暮らしました。彼はA.H.フランケの生涯を読んで深く感銘を受け、30歳の時、英国ブリストルで孤児院を始めました。彼が初めて孤児院を始めた時、準備したものはもらいものの皿3枚とフォーク4つ、そして野菜をおろすおろしがね1枚だけでした。それから62年間、750万ドル以上がその孤児院に送られてきましたが、彼は一度も人に頼んだり、訴えたりしたことはありませんでした。

英国の地に足を踏み入れてから、彼はその日誌にこう書き記しています。「私の残りの人生すべてを生きておられる神にささげる。」彼は聖書のみことばに基づいた原理にそって生きました。そして彼の人生は死ぬまで一貫していました。彼はだれにも助けを求めたり、それをほのめかしたりしませんでした。

晩年、彼は42か国にわたりほぼ20万マイルを回り、300万人のたましいに福音を伝えました。このように神に仕えた後、18983月10日の早朝、93歳でこの世を去りましたが、彼の生涯は、ただ神に祈り、神が導かれた孤児院の子どもたちにあわれみを示すということでした。それは彼のヒューマニズムから出たことではなく、この神の教えから示されてのことだったのです。

 

イエス様は、「あなたも行って、同じようにしなさい。」(ルカ10:37と言われました。私たちに示されていることは違うかもしれませんが、原則は同じです。すなわち、在留異国人やみなしご、やもめたちをあわれむことです。天の父があわれみ深いように、私たちもあわれみ深い者でありたいと思います。それがエジプトから救い出された者としての、罪の奴隷の中から贖われた者にとって、ふさわしいあり方なのです。