きょうは、ルツ記2章から学びます。まず1節から3節までをご覧ください。
Ⅰ.はからずも(1-3)
「さて、ナオミには、夫エリメレクの一族に属する一人の有力な親戚がいた。その人の名はボアズであった。モアブの女ルツはナオミに言った。「畑に行かせてください。そして、親切にしてくれる人のうしろで落ち穂を拾い集めさせてください。」ナオミは「娘よ、行っておいで」と言った。ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。」
モアブの野から戻って来たナオミとルツはどうなったでしょうか。ルツはベツレヘムに着くと、ナオミに言いました。「畑に行かせてください。そして、親切にしてくれる人のうしろで落ち穂を拾い集めさせてください。」ナオミには、夫エリメレクの一族に属する一人の有力な親戚がいたのです。その人の名はボアズです。彼女は、その人の畑に行かせて、落ち穂を拾い集めさせてほしいと言いました。落ち穂拾いとは、収穫が終わった畑に落ちている麦の穂を集めることです。律法には、貧しい人や在留異国人が落ち穂を拾うことができるように、すべてを刈り取ってはいけない、というおきてがあります。レビ記19章9-10節です。
「あなたがたが自分の土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。収穫した後の落ち穂を拾い集めてはならない。また、あなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑に落ちた実を拾い集めてはならない。それらを貧しい人と寄留者のために残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
ルツは、神のおきてをよく知っていて、それに従ってナオミと自分の生計を立てようと考えたのです。彼女は、ナオミにそうするようにと言われたから出かけて行ったのではなく、自分の方からそのように申し出ました。
ナオミが、「娘よ、行っておいで」と言うと、ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めましたが、何とそれは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑でした。「はからずも」という言葉は、それが偶然のことではなく、そこに神の御手が働いていたことを表しています。ルツが行った畑はボアズという人の畑でした。彼は、エリメレクの一族に属する人、つまり、ナオミの夫の親戚にあたる人で有力者でした。「有力者」であったというのは単に資産家であったというだけでなく、神に従い、人格的にも優れた人物であったということを意味しています。このボアズの畑に導かれたのです。
私たちの人生にも、神の御手が働いています。私たちが、日々、主の御声を聞き従いながら歩んでいると、主は次の進むべき道を開いてくださいます。多くの人は、自分に対する神のご計画がよくわからないと言いますが、ルツのように今神から示されていることに忠実に従っていくなら、神は、ご自身の御業を表してくださるでしょう。
Ⅱ.主の慰め(4-16)
するとどのようなことが起こったでしょうか。4節から16節までをご覧ください。12節までをお読みします。
「ちょうどそのとき、ボアズがベツレヘムからやって来て、刈る人たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように」と答えた。ボアズは、刈る人たちの世話をしている若い者に言った。「あれはだれの娘か。」刈る人たちの世話をしている若い者は答えた。「あれは、ナオミと一緒にモアブの野から戻って来たモアブの娘です。彼女は『刈る人たちの後について、束のところで落ち穂を拾い集めさせてください』と言いました。ここに来て、朝から今までほとんど家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」ボアズはルツに言った。「娘さん、よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ってはいけません。ここから移ってもいけません。私のところの若い女たちのそばを離れず、ここにいなさい。刈り取っている畑を見つけたら、彼女たちの後について行きなさい。私は若い者たちに、あなたの邪魔をしてはならない、と命じておきました。喉が渇いたら、水がめのところに行って、若い者たちが汲んだ水を飲みなさい。」 彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「どうして私に親切にし、気遣ってくださるのですか。私はよそ者ですのに。」ボアズは答えた。「あなたの夫が亡くなってから、あなたが姑にしたこと、それに自分の父母や生まれ故郷を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私は詳しく話を聞いています。主があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」
「ちょうどそのとき」、ボアズがベツレヘムからやって来て、ルツたちが働いていた畑にやって来ました。すると彼は刈る人たちに、「主があなたがたとともにおられますように。」とねぎらいの言葉をかけました。すると、刈る人たちは「主があなたを祝福されますように。」と答えています。実に麗しい関係ですね。ボアズは心から神を慕い求め、神の言葉に生きていました。そんな彼を、しもべたちも尊敬していたのです。
するとボアズはルツに目を留め、刈る人たちの世話をしている若い者に、「あれはだれの娘か」と聞きました。勤勉に働いている姿に目が留まったのか、見た瞬間に美しい人だと思ったのかはわかりません。その若い者がルツについて知らせると、ボアズはその献身的な姿に感動し、ルツに、自分のところの若い女たちのそばを離れず、彼女たちの後について行くように、と言いました。そればかりではありません。喉が渇いたら、水がめのところに行って、若い者たちが汲んだ水を飲むように、と言いました。ルツを労り、外国人であるがゆえの嫌がらせを受けないように取り計らってくれたのです。
ルツは顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言いました。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」すると、ボアズは答えて言いました。
「あなたの夫が亡くなってから、あなたが姑にしたこと、それに自分の父母や生まれ故郷を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私は詳しく話を聞いています。主があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」(11-12)
ボアズは、この一連のルツの行動が、単にナオミに対する愛情だけではなく、イスラエルの神、主に対する信仰から出たものであると受け止め、主がその行為に報いてくださるようにと祈っています。つまり、ルツがその翼の下に身を避けようとしてやって来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように、と祈ったのです。
この言葉には本当に慰められます。私たちは、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)私たちもイエス・キリストを通してイスラエルの神の翼の下に避け所を見出した者です。つまり、このボアズの姿は、イエス・キリストの姿を表していたのです。キリストこそ私たちの避け所です。その主に身を避ける者は幸いです。その人は、主から豊かな報いを受けることができるからです。
それに対して、ルツはこう答えています。13節です。
「彼女は言った。「ご主人様、私はあなたのご好意を得たいと存じます。あなたは私を慰め、このはしための心に語りかけてくださいました。私はあなたのはしための一人にも及びませんのに。」
ルツは、自分が、このような取り計らいを受けるに値しない者であることを知っていました。ボアズが雇っているわけでもない娘です。それにモアブ人でした。本来なら追い出されても仕方ない者であるにもかかわらず、ボアズの特別な計らいと好意にあずかることができました。このように、受けるに値しない者が受けることを「恵み」と言います。私たちも、神の民となるには全く値しない者であったにもかかわらず、神の民となりました。それは私たちに何かそれだけの価値があったからではなく、そうでないにもかかわらず、イエス・キリストの十字架の贖いを信じたことによって、そのようにさせていただけたのです。そうです、私たちが救われたのは、一方的な神の恵みによるのです。
14節から16節までをご覧ください。
「食事の時、ボアズはルツに言った。「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」彼女が刈る人たちのそばに座ったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、余りを残しておいた。彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若い者たちに命じた。「彼女には束の間でも落ち穂を拾い集めさせなさい。彼女にみじめな思いをさせてはならない。それだけでなく、彼女のために束からわざと穂を抜き落として、拾い集めさせなさい。彼女を叱ってはいけない。」
ボアズはルツに、パン切れを酢に浸して食べるように勧めています。また、炒り麦を取って、彼女に与えています。そして、ルツが知らないところでも、ボアズは、ルツに良くしています。彼は若い者たちに、たくさん穂が落ちる束の間から拾い集めさせ、彼女にみじめな思いをさせてはならない、と言いました。それだけでなく、彼女のためにわざと束から穂を抜き落としておくようにさせました。
このように、ルツは、ボアズをとおして、主から大きな慰めを受けました。これが、私たちが主からうける慰めです。私たちが主イエス・キリストに従うと決心したことで、確かに今まで慣れ親しんできた習慣から離れ、これまでの仲間から離れることで寂しい思いをすることがあるかもしれませんが、そのことによって私たちは主との深い交わりの中に入れていたたき、主の深い配慮にあずかるようになったのです。確かにルツは、自分の家族を失ったかもしれません。頼りにすることはできない、モアブ人の神々を頼りにすることもできません。けれども、主ご自身との個人的な関係、愛し合う関係を得たのです。これが、主にお従いする者にもたらされる報いです。
Ⅲ.帰宅して(17-23)
最後に17節から23節までをご覧ください。
「こうして、ルツは夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。集めたものを打つと、大麦一エパほどであった。彼女はそれを背負って町に行き、集めたものを姑に見せた。また、先に十分に食べたうえで残しておいたものを取り出して、姑に渡した。姑は彼女に言った。「今日、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女は姑に、だれのところで働いてきたかを告げた。「今日、私はボアズという名の人のところで働きました。」ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまない主、その方を祝福されますように。」ナオミは、また言った。「その方は私たちの近親の者で、しかも、買い戻しの権利のある親類の一人です。」モアブの女ルツは言った。「その方はまた、『私のところの刈り入れが全部終わるまで、うちの若い者たちのそばについていなさい』と言われました。」
ナオミは嫁のルツに言った。「娘よ、それは良かった。あの方のところの若い女たちと一緒に畑に出られるのですから。ほかの畑でいじめられなくてすみます。」それで、ルツはボアズのところの若い女たちから離れないで、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れが終わるまで落ち穂を拾い集めた。こうして、彼女は姑と暮らした。
こうして、ルツは夕方まで畑で落ち穂を拾い集めました。集めたものを打つと、大麦一エパほどでした。大麦一エパとは23リットルです。ボアズの配慮があったとはいえ、これは大変な量です。彼女はそれを家に持って帰り、姑のナオミに見せました。また、それとは別に、十分に食べから残しておいた炒り麦を、ナオミに渡しました。驚いたナオミはルツに、どこで落ち穂を拾い集めたのかを聞くと、ルツが、ボアズという人のところですと答えたので、ナオミはさらに驚きました。ボアズはナオミの近親者で、買戻しの権利のある親戚のひとりだったからです。
買戻しの権利とは、だれかが所有していた土地が売られてしまい。それを再び自分のものにするとき、代価を払って買い戻すことを言います。レビ記25章25節には、「もしあなたの兄弟が落ちぶれて、その所有地を売ったときは、買い戻しの権利のある近親者が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」とあります。この権利については3章でもう少し詳しく学びたいと思いますが、ボアズは、その買戻しの権利のある親戚のひとりだったのです。
ルツは、その方がこれからも自分の畑に来るように、と言ったことを伝えると、ナオミは「それは良かった」と答えました。ほかの畑でいじめられなくてすむからです。それで、ルツはボアズのところの若い女たちから離れないで、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れが終わるまで落ち穂を拾い集めました。こうして、彼女は姑と暮らしたのです。
ナオミとルツがモアブの野からベツレヘムに戻って来た時には、これから先どうなるか全くわかりませんでした。ナオミは自分を「ナオミ」と呼ばないで、「マラ」と呼んでください、と言いました。全能者である神が大きな苦しみにあわせたのですから。でも、その全能者であられる神が、ルツを通して彼女に報いてくださいました。はからずも、ルツはボアズの畑へと導かれたのです。誰がそのようになることを想像することができたでしょうか。しかし、話はそれで終わりません。それよりももっとすごいことになっていきます。人類の救済の歴史へと発展していくのです。これが神の世界です。人間の目では八方塞がりのような状況でも、そこに神の御手があるなら、私たちの知らない大いなることがそこに広がっていくのです。大切なのは、ルツが神の導きに忠実に従っていったように、今自分の目に広がっていることを自分に与えられた神の計画として受け止め、それに従っていくことです。私たちの信仰の道は必ずしも自分が思い描いたようには進んでいないかのように見えるかもしれませんが、主はあなたの信仰に報いてくださいます。雌鳥がその翼の下に身を避けるように、あなたの人生をかくまってくださるのです。これが主を信じて歩む私たちに与えられている約束なのです。