ヨハネの福音書7章40~53節「キリストに出会って」

ヨハネの福音書から学んでいます。きょうは、7章の最後の部分から「キリストに出会って」というタイトルでお話ししたいと思います。あなたは、キリストに出会ってどのように応答しますか、ということです。

 

Ⅰ.群衆たちの反応(40-44)

 

まず、40~44節をご覧ください。

「このことばを聞いて、群衆の中には、「この方は、確かにあの預言者だ」と言う人たちがいた。別の人たちは「この方はキリストだ」と言った。しかし、このように言う人たちもいた。「キリストはガリラヤから出るだろうか。キリストはダビデの子孫から、ダビデがいた村、ベツレヘムから出ると、聖書は言っているではないか。」こうして、イエスのことで群衆の間に分裂が生じた。彼らの中にはイエスを捕らえたいと思う人たちもいたが、だれもイエスに手をかける者はいなかった。」

 

「このことばを聞いて」とは、その前でイエスが語られたことばを聞いてということです。イエスは仮庵の祭りを祝うために、ガリラヤからエルサレムに上られました。その祭りは一週間ほど続きました。その祭りの終わりの大いなる日に、イエスは人々に向かって、こう叫ばれました。

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」(37-38)  すると、群衆の中に、さまざまな反応が起こりました。ある人たちは、「この方は、確かにあの預言者だ」と言い、別の人たちは、「この方はキリストだ」と言いました。また、このように言う人たちもいました。「キリストはガリラヤから出るだろうか。キリストはダビデの子孫から、ダビデがいた村、ベツレヘムから出ると、聖書は言っているではないか。」

 

まず、「この方は、確かにあの預言者だ」と言う人たちがいました。「あの預言者」とは、申命記18章15節に預言されていたモーセのような預言者のことで、来るべきメシヤのことを指しています。つまり、救い主を意味していました。それはモーセがイスラエルの民をエジプトから救い出したように、罪の奴隷として捕らえられている人たちを救い出す方であるという意味です。ですから申命記の中には、「あなたがたはその人に聞き従わなければならない。」とあるのです。その方こそメシヤ、救い主であられるからです。

 

また、別の人たちは「この方はキリストだ」と言いました。「キリスト」とは、「油注がれた者」という意味で、メシヤのことを指しています。ですから、「この方はキリストです」というのは、「確かにあの預言者だ」と言うのと、本質的には同じです。彼らはイエスのことばを聞いた時、イエスについてのうわさであるとか、だれか他の人から聞いたことばとかによって判断したのではなく、イエスが語られたことばそのものによってそのように受け止めたのです。

 

しかし、群衆の別の者たちはそうではありませんでした。彼らは「キリストはガリラヤから出るだろうか」と言いました。なぜなら、キリスト(メシヤ)はダビデの子孫であって、ダビデの町ベツレヘムから出ると、聖書にあるからです。彼らが言っていることはある意味で正しいです。旧約聖書のミカ書5章2節にはそのように預言されてありますから。でも彼らはイエスがダビデの町ベツレヘムで生まれたという事実を知りませんでした。

 

こうして、イエスのことで群衆たちの間に分裂が生じました。昔も今も、イエスは誰かということについて、人々の意見は分かれます。イエス・キリストの福音は、人々に一致をもたらすのではなく、このように分裂をもたらすのです。真理とは、そのような性質を持っています。いったい何が問題なのでしょうか。真理が問題なのではありません。その真理をどのように受け止めるのかという受け止め方に問題があるのです。彼らは偏見を持っていました。その偏見によって、真理がゆがめられていたために、正しく判断することができないのです。

 

ある註解者は、こうした群衆たちの中にメシヤに対する考え方の違いがあったことを指摘しています。つまり、やがて来るべきメシヤはダビデの王位を継ぐ政治的解放者として、イスラエルをローマの支配の支配から救い出し、イスラエル民族を中心とした世界を統一する王として期待していましたが、イエスはそのような王としてではなく、彼らの罪を赦し、悪魔とその支配から救い出すたましいの救い主として来られました。そうした違いがあったのです。そして、こうした誤解が真実を見る目というものを曇らせていたのです。

 

これは、私たちにもよくあることではないでしょうか。よくキリスト教についてこのように言う人たちがいます。「キリスト教は西洋の宗教じゃないか。日本には日本の宗教があるんだから、それを信じていればいいんだ。」どう思いますか?キリスト教は西洋の宗教であるという先入観です。でも私たちがキリストを信じるのは、それが西洋の宗教だからとか、日本の宗教だからということではなく、それが真理だからです。それは私たちが学校で数学や物理を学ぶのと同じで、私たちが数学や物理を学ぶのはそれが西洋から来たものだからではなく、真理そのものだからです。それに日本には日本の宗教があると言う人の多くが信じている仏教は、もともと外来の宗教であって、日本古来のものではありません。ですから、こうした誤解なり偏見なりといったものが取り去られない限り、本当のものを知ることはできないのです。

Ⅱ.役人たちと祭司長やパリサイ人たち(45-49)

 

このような偏見を持っていたのは、一般の群衆だけではありませんでした。もっとひどかったのは、祭司長やパリサイ人たちでした。45節から49節までをご覧ください。

「さて、祭司長たちとパリサイ人たちは、下役たちが自分たちのところに戻って来たとき、彼らに言った。「なぜあの人を連れて来なかったのか。」下役たちは答えた。「これまで、あの人のように話した人はいませんでした。」そこで、パリサイ人たちは答えた。「おまえたちまで惑わされているのか。議員やパリサイ人の中で、だれかイエスを信じた者がいたか。それにしても、律法を知らないこの群衆はのろわれている。」」

 

祭司長やパリサイ人たちは、役人たちが戻って来た時、彼らが「これまで、あの人のように話した人はいませんでした。」とありのままを告げると、「おまえたちまで惑わされているのか」と言いました。律法を知らない愚かな者だけが、イエスのことばに惑われている・・・と。その証拠に、議員やパリサイ人たちの中で、イエスを信じた者が誰かいるか。だれもいないだろう。それだけお前たちは惑わされているのだ。そう言ったのです。つまり、彼らはこの世の権力を笠に着て、役人たちを威圧したのです。いったいこの違いはどこから来たのでしょうか。キリストに対する受け止め方が、役人たちと祭司長やパリサイ人たちとでは大きく異なっていました。一方は肯定的であり、他方は否定的です。同じキリストとその語られた言葉に対して、このように人によって違いが生じたのです。

 

役人たちは、キリストに対してあまり偏見を持っていませんでした。祭司長やパリサイ人たちは、キリストを捕らえて殺そうというたくらみをもっていたので、「なぜあの人を連れて来なかったのか。」と問い詰めましたが、役人たちはそのような意図を持ってはいなかったので、「これまで、あの人のように話した人はいませんでした。」とありのままに答えることができたのです。イエスの言葉を聞くなら、これが自然の反応でしょう。

 

私は最近車を運転する時「聴く聖書」というCDを聞いています。新約聖書を朗読したCDです。マタイの福音書からずっと聴いていると、イエス様の言葉はすごいなぁと、改めて感じます。だれかこんなふうに話すことができる人がいるだろうか。どんなに考えても、人間には考え付かない言葉です。ですから、役人たちが、「これまで、あの人のように話した人はいませんでした。」と答えたのはもっともなことでしょう。彼らはほかの人がどう言うかということよりも、イエスが実際に語る言葉を聞いて、率直にそう思ったのです。この役人たちがイエスを信じたかどうかはわかりませんが、彼らは、自分の前にいる人物を間違いなく正しく見ることができる可能性を持っていました。それは、イエスに対する祭司長やパリサイ人のような偏見やたくらみがなかったからだです。それゆえに、イエスという存在を曇りのない目で見ることができたのです。

 

一方の祭司長やパリサイ人たちは、全く異なっていました。彼らはキリストをありのままに見ることができませんでした。それは彼らの中にねたみがあったからです。マルコの福音書15章10節を見ると、このように記されています。 「ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである。」

もしねたみをもってイエスを見るならば、イエスがどんなに素晴らしい方であっても、そのように受け止めることができなくなってしまいます。いいえ、素晴らしければ素晴らしいほど、かえってその思いは膨らんでいくでしょう。まさに、こうしたねたみが、イエスと向きあった時に、彼らの目を曇らせていたのです。

 

あなたはどうでしょうか。役人たちのように全く曇りのない目で、イエスを見ているでしょうか。それとも、祭司長やパリサイたちのように、ねたみや偏見に囚われて見ているということはないでしょうか。人と人との関係、そして神と人との関係は、いつでもそのことが問われていると思います。ねたみや偏見といった曇りのない目でイエスを見る者でありたいと思います。

 

Ⅲ.ニコデモの信仰(50-53)

 

最後に、そのような中にあっても勇気をもってイエスを告白したニコデモという人の姿を見たいと思います。50節から53節までをご覧ください。

「彼らのうちの一人で、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。 「私たちの律法は、まず本人から話を聞き、その人が何をしているのかを知ったうえでなければ、さばくことをしないのではないか。」彼らはニコデモに答えて言った。「あなたもガリラヤの出なのか。よく調べなさい。ガリラヤから預言者は起こらないことが分かるだろう。」〔人々はそれぞれ家に帰って行った。〕

 

「彼らのうちで」とは、ユダヤ教の議員やパリサイ人たちのうちで、ということです。彼らは、いわばユダヤ人の社会におけるエリートたちでした。その中の一人で、以前イエスのもとに来たことのあるニコデモが、こう言いました。

「私たちの律法は、まず本人から話を聞き、その人が何をしているのかを知ったうえでなければ、さばくことをしないのではないか。」

 

ニコデモは、ここで主イエスを弁護しています。覚えていらっしゃいますか。彼は、以前イエスのもとに夜こっそりとやって来た人物です。なぜ夜こっそりとイエスのもとにやって来たんですか?人から見られたくなかったからです。そのような立場にある自分がイエスのもとに行ったということが知られたら、大変なことになるでしょう。でも、どうしても知りたかったのです。人はどうしたら神の国を見ることができるのか、どうしたら神の国に入ることができるのか。

すると、イエスから「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。」と言われました。社会的な地位や名誉、立場が邪魔をしていたのか、ニコデモは霊的なことがあまりよくわかりませんでした。それほど鋭い人ではなかったのです。それでも真理を求め、自分の悩みをごまかすことをせず、イエスのもとにやって来ました。そして、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言われ、神の救いについて、真理について、もっと深く求めるようになり、信仰が芽生えました。

しかし、48節の「議員やパリサイ人たちの中で、だれかイエスを信じた者がいたか。」という言葉から考えると、この時点ではまだ公に信仰を告白するまでには至っていなかったようです。しかし、彼のイエスに対する信仰は、確実に成長していました。彼は、「私たちの律法は、まず本人から話を聞き、その人が何をしているのかを知ったうえでなければ、さばくことをしないのではないか。」と問題提起をしたのです。

 

「私たちの律法」とは、ユダヤ教の律法のこと、つまり、モーセ五書のことです。その律法には、まず本人から話を聞き、その人が何をしているのかを知ったうえでなければ、さばくことをしないのではないか、なのに、何も聞かないで、何も知らないのに、イエスを殺そうというのはおかしいのではないか、と声を上げたのです。これはとても勇気のいることだったと思います。

 

それに対して、祭司長やパリサイ人たちはニコデモに言いました。「あなたもガリラヤの出なのか。よく調べなさい。ガリラヤから預言者は起こらないことが分かるだろう。」「ガリラヤの出」とは、「愚か者」という意味があります。あなたもガリラヤの出なのか、ガリラヤの出身なのか、そう言ってニコデモを軽蔑したのです。

 

信仰を告白するとか、公に表明することが得策ではないと思われる時、あなたはどのような態度を取るでしょうか。それでもニコデモのように勇気をもって、信仰の一歩を踏み出しますか。それとも、長い物に巻かれて黙り込んでしまうでしょうか。最初の一歩を踏み出すことには恐れも伴うでしょう。しかし、そうした一歩を踏み出すと、次の一歩がより易しくなります。この一歩が彼の信仰を大きく飛躍させました。彼はやがてイエスが十字架に付けられて、私たちの罪の贖いのために死なれた時、イエスの12弟子のほとんどが逃げて行ったにもかかわらず、アリマタヤのヨセフと一緒にイエスの遺体の下げ渡しを願い出ました。ヨハネの福音書19章38~41節にはこうあります。

「その後で、イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取り降ろすことをピラトに願い出た。ピラトは許可を与えた。そこで彼はやって来て、イエスのからだを取り降ろした。以前、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを、百リトラほど持ってやって来た。彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料と一緒に亜麻布で巻いた。イエスが十字架につけられた場所には園があり、そこに、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。」

彼は、目覚ましい信仰生活ではなかったかもしれませんが、最終的にそこに辿り着いたのです。

 

このニコデモの姿に、私たちは自分の信仰を見ます。六日間、神に背を向けた社会で過ごし、時には周囲のさまざまな圧迫に耐えながら、かろうじて信仰を保っているような者ですが、そして、そんな姿に情けない思いを抱きながら、毎週の礼拝に集ってくることが少なくありません。けれども、そんな私たちもニコデモのような信仰に辿り着くことができるのです。それは、主が私たちの信仰の戦いと苦悩をご存知であられ、受け入れておられるからです。この箇所を見る限り、聖書はニコデモの信仰の不徹底さを責めることを一切せず、むしろ受け入れていることがわかります。それは主がそこに信仰の芽をご覧になっておられたからです。私たちも今はか細い信仰かもしれませんが、勇気をもってその一歩を踏み出すとき、やがて大きな信仰の飛躍を遂げていくことになるのです。

 

アメリカの名門プリンストン大学の大学院に入学したコートニー・エリスというクリスチャンの証です。

彼は教会の中や友人たちの間では、自分がクリスチャンであることを大胆に証ししていましたが、大学では、沈黙を保ちました。なぜなら、大学院では、院生たちがイエスの御名をあざけるのを何度も聞いていたので、自分の評判が落ちるのではないかと恐れていたからです。大学院生のほとんどが、イエスについて無知であったり、中には、今まで一度もクリスチャンに出会ったことがないという人たちもいて、クリスチャンは教養のない、批判的な人たちだと思っていたのです。

時が経つにつれて、彼は罪責感を感じるようになりました。こんなに基本的な点で主に忠実でないとしたら、他の点でどのように神に仕えることができるだろうかと思うと、自分の信仰にはがゆさを感じていたのです。神は彼に、証の機会を与えてくれても、彼は恐れのために行動に移すことができなかったのです。

ある日、ひとりの院生がクラスの中で、「あなたはクリスチャンか」と尋ねてきました。彼は、どのように答えたらいいか決めなければなりませんでした。

そして、深呼吸をして、神の助けによって、震える声で言いました。

「そうだ」

質問をした院生は不思議そうな顔をしながら彼の顔を見つめて言いました。

「驚いたわ。クリスチャンというと、サーカスに出てくるような変人ばかりかと思っていたのに、あなたの場合そうじゃないわね。頭もいいし。」

それは彼にとって小さなステップでありましたが、大きな進歩でもありました。彼はこう思いました。神は自分たちに、自分の評価はどうなるかを気にするなと語っておられると。真理に立つ者は、必ず勝利できるからです。

 

最後に53 節をご覧ください。「人々はそれぞれ家に帰って行った。」

キリストに出会った人々は、それぞれ家に帰ってどうしたのでしょうか。聖書には何も記されていませんが、私なりに想像そうぞうするに、たとえば、役人は家に帰りその日にあったことを奥さんや家族の誰かに話したかもしれません。しかし、次の日からは忙しさや雑事に追われ、キリストとの出会いを忘れてしまったかもしれませんね。

祭司長やパリサイ人はどうでしょう。彼らは家に帰り、キリストに対するねたみがエスカレートしていったかもしれません。今のようにラインといったものはありませんでしたが仲間と連絡を取り合って、さらにキリストを追い詰めていく策を相談したかもしれません。

では、ニコデモはどうだったでしょうか。彼はひとり思い悩んでいたかもしれません。どうしたら良いだろうか・・と。しかし、行きつ戻りつしながらも、彼の心はキリストへと引き寄せられていったのではないでしょうか

 

あなたはどうでしょうか。それぞれがいろいろな反応を示しました。あなたはどのように応答しますか。これから私たちもそれぞれ自分の家に帰って行きます。帰って行ってどうなるでしょうか。キリストと出会いその言葉に感動しても、家に帰って瞬間に冷めていくでしょうか。あるいは、いくらキリストと出会っても自分の思い通りにならないということで嫌になり、キリストと縁を切ろうとするでしょうか。それとも、その出会いを大切にして、キリストへの愛がますます深めていくのでしょうか。

 

このニコデモのように、勇気をもって信仰の一歩を踏み出しましょう。それは小さな一歩かもしれませんが、やがて大きな結果へとつながっていくのです。