イザヤ書23章1~18節 「征服される神」

きょうは、イザヤ書23章からお話したいと思います。タイトルは「征服される神」です。イザヤは、13章からイスラエルを取り囲む周辺諸国に対する神のさばきの宣告を語ってきました。きょうのところはその最後のところです。この最後のところには、フェニキヤの主要都市であったツロに対する宣告が語られています。

ツロとは「岩」という意味ですが、地中海東岸のフェニキヤ人の古代都市国家でした。彼らはアッシリヤやバビロンのように広大な土地を有していませんでしたが、地中海を舞台に世界中の国々と貿易をして栄え、巨万の富を築いていました。今で言ったら日本みたいなところです。何の資源もありません。しかし、貿易によって莫大な富を得、世界経済を動かしています。そのツロに対する宣告です。いったいツロはどのようにして滅んでいったのでしょうか。

Ⅰ.経済大国ツロ(1-5)

まず初めに1節から5節までをご覧ください。 「ツロに対する宣告。タルシシュの船よ。泣きわめけ。ツロは荒らされて、家も港もなくなった、とキティムの地から、彼らに示されたのだ。海辺の住民よ。黙せ。海を渡るシドンの商人はあなたを富ませていた。大海によって、シホルの穀物、ナイルの刈り入れがあなたの収穫となり、あなたは諸国と商いをしていた。シドンよ、恥を見よ、と海が言う。海のとりでがこう言っている。「私は産みの苦しみをせず、子を産まず、若い男を育てず、若い女を養ったこともない。」エジプトがこのツロのうわさを聞いたなら、ひどく苦しもう。エジプトがこのツロのうわさを聞いたなら、ひどく苦しもう。」

タルシシュというのは、今のスペインにある町です。当時は地の果てと思われていました。預言者ヨナはアッシリヤのニネベに行ってみことばを語るようにと主から命じられましたが、そんな敵のところに行って語りたくないと、主の御顔を避けて向かったのがこのタルシシュでした。なぜここにタルシシュが出てくるのでしょうか。それはタルシシュがツロの貿易相手国だったからです。ツロは、それほど遠方の国々とも貿易をしていました。そのタルシシュに対して「泣きわめけ」と言われているのは、その最大の貿易相手国であったツロが滅びるからです。そこでツロによって収益を得ていたタルシシュは自分たちの損失を嘆き、泣きわめくようになるわけです。

それはタルシシュだけではありません。ここに「キティム」というのが出てきます。これはキプロスのことです。同じ地中海に浮かぶ島でした。このキティム嘆くようになります。

2節の「海辺の住民」とはフェニキヤの町々のことです。ツロやシドンといった町々です。彼らも地中海を交易する商人たちのおかげで多くの富を築いていましたが、それが無くなります。「黙せ」とはそのことです。これまで騒がしく、商売に明け暮れていた人たちに、今、黙れ、と言われているのです。3節の「シホルの穀物」とはエジプトの運河の穀物のことです。彼らはエジプト、ナイルから収穫した穀物を他国へ売り、多くの富を得ていましたが、それもできなくなります。

4節にはシドンが出てきます。シドンは同じフェニキヤ地方にある町で、ツロから北に32㎞離れている町です。聖書にはこのツロとシドンという町がいつもセットで出てきます。ですから、これはツロと同じことだと考えて良いと思います。ここにはそのシドンの人たちの姿が、子を産まず、産みの苦しみをしたことがない女にたとえられています。彼らは何の苦労もせず、莫大な富を得ていました。これは今日の経済大国の姿です。何の苦労もしないで、ちょっと数字を動かしただけで大金をせしめる人たちのことです。現代で言えば株とか不動産といった投資のことです。そこには何もしなくてもどんどんお金が貯まっていくからくりがあります。お金が貯まること自体は問題ではありませんが、そのようにお金が貯まると、いつしか自分は何でもできる者であるかのように錯覚し、神様なしでも十分やっていけると高ぶってしまいやすくなります。しかし、そこにはハイリスクが伴います。そのような国はやがて滅びてしまうことになるのです。

イエス様は、「しかし、あなたがた富む者は哀れです。慰めをすでに受けているから。いま食べ飽きているあなたがたは哀れです。やがて飢えるようになるから。いま笑うあなたがたは哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから。」(ルカ6:23,24)と言われました。富んでいるあなたがたは哀れだ。いま食べ飽きているあなたがたは哀れです。いま笑っているあなたがたは哀れです。なぜなら、もう既に慰めを受けているからです。やがて飢えるようになるからです。やがて悲しみ泣くようになります。自分は豊かになったから大丈夫だ。神にも、キリストにも頼らなくてもいい。自分は自分でやっていける。自分には家があり、貯金があり、健康があるから大丈夫だ。家族がみんな元気で、それぞれの目標に向かって着々と進んでいるから安心だ・・・。そういった慢心な思いがあると神は砕かれるのです。やがて飢えることに、やがて悲しみ泣くようになるのです。

パウロは、「衣服があればそれで満足すべきです。」(Ⅰテモテ6:8)と言いました。なぜなら、金持ちになりたがる人は、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥るからです。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」(同6:10)まさにツロとシドンの人たちは金銭を愛したことで、信仰から迷い出て、自分を刺し通すことになってしまったのです。

それは、私たちも同じではないでしょうか。日本とツロは非常に似ています。今は陸続きになっていますが、ツロはもともと小さな島国でした。陸地から550㍍ほど離れた島国だったのです。しかし、やがてバビロンがこの島を攻めるとき、海戦ではかなわないとがれきで海を埋め立て道を作りました。それで陸続きになったのです。でも、もともとは小さな島国でした。資源はほとんどありませんでした。そのツロが経済大国となって世界を支配するようになったのは海洋貿易の結果でした。世界中のお金が集まって、そのお金をもとに株や不動産に投資して、巨万の富を得ていたのです。日本も小さな島国です。資源もをあまりありません。持っているのはテクノロジーです。そうした技術力によって全世界に進出し、それで得たお金で企業買収を積極的に展開しました。一時はエコノミック・アニマルと称されたほどです。

家内の実家の隣にナパという町がありますが、そこはぶどう畑が広がっていて、ワインの生産で有名です。その町にはイタリアから移住した人たちが多く住んでいましたが、日本人はそのぶどう畑とワイナリーをすべて買収しました。そしてそこでただワインを生産するだけでなく、観光名所の一つにまでして多額の富みを得ました。また、日本の航空会社がパイロットの育成にとその町にあった空港も買い取りました。日本で用地を買収して空港を作ったら多額の費用がかかるからです。まさにエコノミック・アニマルです。そうやって世界中の不動産を買収しようとした日本は、ツロそのものです。しかし、そのような国はやがて滅んでしまいます。バブルがはじけて衰退の一途をたどるようになると、それまで世界第一だった国内総生産(GHP)は、中国、アメリカ、EUに抜かれ、第四位にまで後退しています。巨万の富を築き上げたと高ぶっていると、神はそうしたものを取り除かれるのです。それは人ごとではありません。

Ⅱ.高ぶったツロ(6-14)

次に6節から14節までのところに注目したいと思います。まず6節から9節までのところをご覧ください。「海辺の住民よ。タルシシュへ渡り、泣きわめけ。これが、あなたがたのおごった町なのか。その起こりは古く、その足を遠くに運んで移住したものを。だれが、王冠をいだくツロに対してこれを計ったのか。その商人は君主たち、そのあきゅうどは世界で最も尊ばれていたのに。万軍の主がそれを計り、すべての麗しい誇りを汚し、すべて世界で最も尊ばれている者を卑しめられた。」

こににも「海辺の住民」が出てきます。これもさきほどと同じようにツロをはじめとしたフェニキヤ地方の町々のことです。その海辺の住民に、タルシシュへ渡り、泣きわめくようにと言われています。タルシシュに移住するようにということです。なぜなら、このフェニキヤの町々は滅ぼされてしまうからです。その町は、前2,500年から前2,300年に建てられた古い町です。ここに「だれが王冠をいただくツロに対して」とあるように、かつて「海の女王」と呼ばれたほど貿易が盛んでした。彼らは世界で最も尊ばれていたのです。彼らの商売は世界一、超一流と称賛されていました。日本のビジネス業界そのものです。世界中に日本の企業が進出しています。日本人はビジネスに非常に長けていて、何をしても成功させてしまいます。アメリカから始まったセブン・イレブンも、日本のセブンイレブンがその経営を立て直し買収したほどです。今や日本式のビジネスモデルは、世界中で尊ばれています。なのにその麗しい誇りが汚され、世界中で最も尊ばれている者が卑しめられるのです。なぜでしょうか。9節、万軍の主がそれを計られたからです。すべての麗しい誇りを汚し、すべて世界で最も尊ばれている者を卑しめられたからです。

10節と11節をご覧ください。「タルシシュの娘よ。ナイル川のように、自分の国にあふれよ。だが、もうこれを制する者がいない。主は御手を海の上に伸ばし、王国をおののかせた。主は命令を下してカナンのとりでを滅ぼした。」

ツロが滅んだので、その貿易相手国であったタルシシュに、何らかの対策を模索するようにと言われています。「主は御手を海の上に伸ばし」とは、海を舞台に富と名声を得ていたツロとシドンに対して神のさばきが始まったことを示しています。カナンの堅固なとりでをも破壊する神のさばきは、フェニキヤと多くの国々をおののかせました。このカナンとはフェニキヤのことを指しています。

12節から14節までをご覧ください。そして仰せられた。「もう二度とこおどりして喜ぶな。しいたげられたおとめ、シドンの娘よ。立ってキティムに渡れ。そこでもあなたは休めない。」見よ、カルデヤ人の国を。―この民はもういない。アッシリヤ人がこれを荒野の獣の住むところにした。―彼らは、やぐらを立てて、その宮殿をかすめ、そこを廃墟にした。タルシシュの船よ。泣きわめけ。あなたがたのとりでが荒らされたからだ。」

神のさばきに落ちたシドンには何の喜びもありません。それはシドンだけではありません。ツロも、フェニキヤの町々も同じです。キティム、これは先ほども申し上げましたがキプロス島ですね。そこへ逃れても平安を得ることはできません。一時は地中海を支配していたシドンは、どこに行っても平安を得ることはできません。13節のカルデヤ人の国とはバビロンのことです。かつてアッシリヤはバビロンを滅ぼして占領しました。その頃はまだバビロンは小国でした。そして、アッシリヤによって破壊され廃墟となりました。前710年のことです。そのようにツロやシドンもまた完全に廃墟になるのです。

あれほど輝いていたツロが、まさに美の極み、知恵に満ちていたツロが、完全に廃墟と化したのです。なぜでしょうか。彼らが高ぶったからです。エゼキエル書28章1節から19節までを開いてみたいと思います。

「次のような主のことばが私にあった。「人の子よ。ツロの君主に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは心高ぶり、『私は神だ。海の真ん中で神の座に着いている』と言った。あなたは自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない。あなたはダニエルよりも知恵があり、どんな秘密もあなたに隠されていない。あなたは自分の知恵と英知によって財宝を積み、金や銀を宝物倉にたくわえた。商いに多くの知恵を使って財宝をふやし、あなたの心は、財宝で高ぶった。それゆえ、神である主はこう仰せられる。あなたは自分の心を神の心のようにみなした。それゆえ、他国人、最も横暴な異邦の民を連れて来て、あなたを攻めさせる。彼らはあなたの美しい知恵に向かって剣を抜き、あなたの輝きを汚し、あなたを穴に投げ入れる。あなたは海の真ん中で、刺し殺される者の死を遂げる。それでもあなたは、自分を殺す者の前で、『私は神だ』と言うのか。あなたは人であって、神ではない。あなたはあなたを刺し殺す者たちの手の中にある。あなたは異邦人の手によって割礼を受けていない者の死を遂げる。わたしがこれを語ったからだ。―神である主の御告げ―」次のような主のことばが私にあった。「人の子よ。ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。あなたの行いは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した。そこで、わたしはあなたを汚れたものとして神の山から追い出し、守護者ケルブが火の石の間からあなたを消えうせさせた。あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。あなたは不正な商いで不義を重ね、あなたの聖所を汚した。わたしはあなたのうちから火を出し、あなたを焼き尽くした。こうして、すべての者が見ている前で、わたしはあなたを地上の灰とした。 国々の民のうちであなたを知る者はみな、あなたのことでおののいた。あなたは恐怖となり、とこしえになくなってしまう。」

これはツロの君主の姿を描いたものです。もちろん、その背後には天使の長であったルシファーが堕落したことが描かれています。おもしろいですね。天使長の堕落がこのツロの堕落と重ねて描かれているわけです。彼の問題は何だったのでしょうか。それは彼が心の中で「自分は神だ」と言って高ぶったことです。彼はダニエルよりも知恵があり、自分の知恵と英知によって財宝を積み上げ、金や銀を宝物倉に蓄え、商いに知恵を使って財宝を増し加えると、自分を神のようにみなしてしまいました。それゆえに神は、最も横暴な民を連れて来て、彼を責めさせ、彼を滅びの穴の中に投げ入れました。彼は全きものの典型であり、知恵に満ち、美の極みでした。しかし、彼は自分の豊かさに酔いしれ、自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせました。しかし、彼は人なのであって神ではありません。なのに自分が神であるかのように高ぶって罪を犯してしまったのです。それが問題でした。悪の根源は、高ぶることです。高ぶって、自分を神とすることなのです。神はそういう人を退けられるのです。

先月行われたロンドンオリンピックは、私たちに多くの感動をもたらして閉幕しましたが、中でも男子100㍍と200㍍、そして400㍍×4のリレーは、注目の的でした。そこで優勝したのがジャマイカのボルトでした。ウサイン・ボルトです。彼の走りはそれを見る多くの人たちを魅了しました。特に、昨年韓国テグで行われた100㍍レースでフライングで失格となり、今年のジャマイカの国内選手権ではチームメイトのヨハン・ブレークに敗れていただけあって、いったいどんなレースになるかと固唾をのんで観ていました。結果、ボルトが北京オリンピックに続いて100、200、400㍍リレーを見事の連覇しました。それは本当にすばらしい走りでした。しかし、彼はこのオリンピックが始まる前にしきりにいいました。「俺は伝説になる」と。今までオリンピックで100、200を連覇した人はいません。ですから、それによって伝説になろうとしたのです。  それを聞いていたIOCのロゲ会長は、オリンピックの歴史におけるボルトの評価はボルトが引退した後に定まるとして次のように述べました。「五輪に4度出場して毎回メダルを取ったカール・ルイス(Carl Lewis)は伝説だ。 ウサイン・ボルトもコンディションとモチベーションを維持できれば五輪に4度出場できるだろう。今はまだ注目を集めているだけで、伝説と呼ぶには値しない」  ボルト本人は五輪で2大会連続の短距離2冠を達成すれば自分を伝説と見なす、と 話していましたが、周りはそう見ていませんでした。自分でそのように思い込んでいただけなのです。彼が伝説になるかどうかはどうでもいいことで、彼は、神から与えられた賜物を最大限発揮し神の栄光をあがめればいいのです。 実は、このウサイン・ボルトはクリスチャンです。ボルトは、メダルを獲得後、神に感謝し、ツイッターで次のようにコメントしています。「私は神が私のためにしてくださったすべてのことを感謝したい。なぜなら、神なしではこれらすべては不可能であったからだ。」

このコメントが全面に出れば良かったのに、どうも「伝説になる」と言ったことが前面に出て、彼はかなり誤解されて報道されてしまいました。いずれにせよ、 どんなに偉大な人でも「彼は人であって神ではない」のです。もし自分が神であるかのように高ぶるなら、神はツロに対してなされたようにそういう人を退けられるのです。

ですから皆さん、神の御前にへりくだりましょう。あなたがどれだけ立派でも、どれだけ知恵があって、どれだけ美しく、どれだけ肉体的に優れたところがあっても、あなたは人なのであって、神ではありません。そのことをわきまえ、神の御前にへりくだらなければなりません。

13章から始まったこのイザヤ書の第二部はイスラエルを取り囲む周辺諸国に対する神のさぱきの宣告でしたが、その最初に出てきたのがバビロンでした。なぜバビロンだったのでしょうか。それは当時バビロンが軍事力によって世界を支配していたからです。そして最後に登場したのがツロでした。それは、ツロが経済力によって世界を制覇していたからです。しかし、それがたとえ軍事力であっても、経済力であっても、神の御前に高ぶる者を、神は卑しめられるのです。バビロンの王ネブカデネザルは、自分の力によってすべての栄光を得たと思った瞬間に獣のようにされました。自分が頂点に立っていると思った瞬間に、すべての者の上におられる神がさばかれるのです。人はみな自分を誇りたくなる傾向がありますが、私たちが誇らなければならないのは神なのであって、自分ではありません。それは私たちは鼻で息をしなければ生きていくことができない朽ちていく存在にすぎないからです。誇るならば神を誇りましょう。そのような人に神は、さらに豊に恵みを与えてくださるのです。

Ⅲ.征服されたツロ(15-18)

最後に15節から18節までをご覧ください。「その日になると、ツロは、ひとりの王の年代の七十年の間忘れられる。七十年が終わって、ツロは遊女の歌のようになる。「立琴を取り、町を巡れ、忘れられた遊女よ。うまくひけ、もっと歌え、思い出してもらうために。」七十年がたつと、主はツロを顧みられるので、彼女は再び遊女の報酬を得、地のすべての王国と地上で淫行を行う。その儲け、遊女の報酬は、主にささげられ、それはたくわえられず、積み立てられない。その儲けは、主の前に住む者たちが、飽きるほど食べ、上等の着物を着るためのものとなるからだ。」

ここではツロが遊女にたとえられています。その日になると、ツロは、ひとりの年代の七十年間忘れられます。この七十年というのは、神のさばきが行われるための期間を表す象徴的な数字だと思われます。ここではアッシリヤがツロを攻撃して破壊される期間のことです。しかし、その七十年が終わると、ツロは再び回復します。主がツロを顧みられるので、彼女は再び遊女の報酬を得、地の全ての王国と地上で淫行を行うようになります。これは、ツロが再び繁栄して国々と商いを再開することを示しています。商いを淫行にたとえてあるのは、商業自体が罪だということでありません。その利益のためには何でもするといった否定的な側面が表現されているからです。遊女には節制がありませんから、信念やイデオロギー、伝統、体面といったことにこだわりがなく、お金がもうかるなら何でもするといった一面があるのです。

しかし、最後はどうなるのでしょうか。18節をご覧ください。ここには、「その儲け、遊女の報酬は、主にささげられ、それはたくわえられず、積み立てられない。その儲けは、主の前に住む者たちが、飽きるほど食べ、上等の着物を着るためのものとなるからだ。」とあります。

どういうことでしょうか。そのようにして儲けた遊女の報酬が、何と主の栄光のために用いられるようになるというのです。エズラ記3章7節をご覧ください。ここには、「彼らは石切り工や木工には金を与え、シドンとツロの人々には食べ物や飲み物や油を与えた。それはペルシヤの王クロスが与えた許可によって、レバノンから海路、ヤフォの杉材を運ぶためであった。」とあります。これはユダヤ人がバビロン捕囚からエルサレムに帰還し、そこで神殿を再建していた時の様子が記されてあるところですが、ここに、ツロとシドンの人たちがいるのです。彼らはこの神殿再建のために、ツロとシドンからやって来て働いていました。つまり、ツロは再び商いによって富を得る町に復興するわけですが、それによって得た報酬や富といったものが、今度は主の栄光のために用いられていくということです。言い換えるなら、それらのものも主の目的のために呑み込まれていくということです。それは、主が征服されたと言っても良いでしょう。それぞれの国が、自分たちは他国を滅ぼして征服していたかのように思い込んでいたでしょうが、実際はそうではありませんでした。実際は、主がそうした国々を呑み込んでいたのです。すべてのことをその主権の下に置かれ、完全に掌握していたのです。主の栄光の中に呑み込まれていくというシナリオになっていたのです。18章7節では、クシュ、エチオピアに対して預言が語られた中で、このような約束がありました。

「そのとき、万軍の主のために、背の高い、はだのなめらかな民、あちこちで畏れられている民、多くの川の流れる国から、万軍の主の名のある所、シオンの山に、贈り物が運ばれて来る。」

また、19章25節には、「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシ リヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。」とありました。これはどういうことなのかというと、エチオピアも、アッシリヤも主に仕えるようになるということです。その日になると、この世にあるすべてのものが、主のご支配の下に置かれるようになるのです。自分の欲望、自分の権力のために得た財産や権力、土地といったすべてのものが、最後には神の国の中に呑み込まれていくようになるのです。

これが福音です。福音にはそれほどの力があるのです。今はどこか肩身の狭い思いをしているかのようですが、その日になると、圧倒的な勝利者になるのです。ローマ人への手紙8章37節に、「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」とあります。これらすべての中にあっても、圧倒的な勝利者となります。世の中がどんなに暗くても、敵である悪魔がどんなに攻撃してきても、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべての中にあって圧倒的な勝利者となるのです。それは、「イエス・キリストにあるいのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」(ローマ8:1)私たちはこの支配の中にいるのです。この勝利が約束されています。私たちは福音による勝利者、征服者なのです。

このことを信じましょう。罪さえも呑み込んでしまうこの神の恵みの中に入れさせていただいたことを感謝して、その恵みの中を歩む者でありたいと思います。そして、この恵みの中に一人でも多くの人が加えられるように祈りつつ、労していこうではありませんか。それが勝利者である者の姿なのです。