Ⅱ列王記21章から学びます。
Ⅰ.とんでもない王マナセ(1-9)
ヒゼキヤの子マナセは12歳で王となり、エルサレムで55年間治めました。彼の母の名は、ヘツィ・バハです。彼は善王であった父ヒゼキヤの道ではなく、祖父アハズの悪の道に歩みました。彼は、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねて、主の目に悪であることを行いました。父ヒゼキヤが折角高き所を取り除いたのに、彼はそれを再び築き直したのです。また、イスラエルの王アハブがしたように、バアルのためにいくつもの祭壇を築き、アシェラ像を造り、天の万象を拝んでこれに仕えました。
さらに彼は自分の子どもに火の中を通らせ、卜占やまじないをし、霊媒や口寄せをして、主の目の前に悪であることを行い、いつも主の怒りを引き起こしていました。これらはオカルト的な行為で、神が禁止しておられたことです(レビ19:31,申命記18:10~11)。それなのに彼は、これらのことを平気で行ったのです。
さらに彼は、自分が造ったアシェラ像を宮に安置しました。アシェラ像は豊穣の女神です。異邦の民が拝んでいた偶像ですが、それを造り主の宮に安置したのです。実にとんでもないことです。
これはかつて主がダビデとソロモンに約束されたことに反することでした。主はかつてダビデとソロモンに、もし彼らが主の命じたすべてのこと、主のしもべモーセが彼らに命じたすべての律法を守り行いさえすれば、もう二度と、彼らの先祖たちに与えた地からイスラエルの足を迷い出させないと約束してくだいましたが、彼らはこれに聞き従いませんでした。マナセが彼らを迷わせて、主がイスラエルの子らの前で根絶やしにした異邦の民よりも、さらに悪いことを行わせたからです。ほんとうに、とんでもない王です。
それは、私たちも気をつけなければならないことです。主イエスはこのように約束してくださいました。「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。人々がそれを集めて火に投げ込むので、燃えてしまいます。」(ヨハネ15:5~6)
私たちは行ないではなく、神の恵みにより、信仰によって救われました。そして永遠の救いが保証されています。しかし、もし私たちが主のうちにとどまることなく、主から離れてしまうようなことがあるなら、枝のように投げ捨てられてしまうことになってしまいます。どんなにすばらしい約束が与えられても、その約束を与えられた方を見捨てるのであれば意味がなくなってしまうのです。
Ⅱ.マナセ王の結末(10-18)
その結果、マナセはどうなってしまったでしょうか。10~18節をご覧ください。「10 【主】は、そのしもべである預言者たちによって、次のように告げられた。11 「ユダの王マナセは、これらの忌み嫌うべきことを行い、実に彼以前にいたアモリ人が行ったすべてのことよりもさらに悪いことを行い、その偶像でユダにまで罪を犯させた。12 それゆえ、イスラエルの神、【主】はこう言われる。見よ、わたしはエルサレムとユダにわざわいをもたらす。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。13 わたしは、サマリアに使った測り縄と、アハブの家に使った重りをエルサレムの上に伸ばし、人が皿をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、わたしはエルサレムをぬぐい去る。14 わたしは、わたしのゆずりの民の残りの者を捨て去り、彼らを敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵の餌食となって奪い取られる。15 それは、彼らの先祖たちがエジプトを出た日から今日まで、わたしの目に悪であることを行って、わたしの怒りを引き起こしたからである。」16 マナセは、ユダに罪を犯させて、【主】の目に悪であることを行わせた罪だけでなく、咎のない者の血まで多量に流したが、それはエルサレムの隅々に満ちるほどであった。
17 マナセについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、彼が犯した罪、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。18 マナセは先祖とともに眠りにつき、その家の園、ウザの園に葬られた。彼の子アモンが代わって王となった。」
「だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る」とは、あまりにもびっくりして、耳が鳴る、ということです。「それ」とは、エルサレムとユダにもたらされるわざわいことです。マナセは主の忌み嫌われることを行い、それ以前にいたアモリ人が行ったすべてのことよりもさらに悪いことを行い、その偶像でユダにまで罪を犯させたので、主はユダとエルサレムにわざわいをもたらされるのです。それがあまりにもひどいので、それを聞く者は腰を抜かすほど驚くことになります。
そのわざわいとは13節にあるように、サマリアに使った測り縄と、アハブの家に使った重りをエルサレムの上に伸ばし、エルサレムを拭い去るというものです。そのために「測り縄」と「重り」が用いられることになります。「測り縄」とは、計測に用いられるひものことです。主はそのひもでサマリアの悪を測られましたが、その同じひもで今度はエルサレムを測られるというのです。また、アハブの家に使った「重り」とは「水準器」のことで、壁や様々な構造物を築く際に、水平を正確なものにするために使われました。その量り縄と重りで、エルサレムを拭い去る、つまり、皿洗いのように皿から汚れを拭い去るように、エルサレムの罪を拭い去るというのです。
そして、主は主のゆずりの民の残りの者を捨て去り、彼らの敵の手に渡します。「残りの者」とはユダの民のことです。「敵の手」とはバビロンのことを指しています。主はユダの民をバビロンの手に渡されるので、彼らはバビロンの餌食となって奪い取られることになります。それはユダの民がエジプトを出た日からずっと主の目に悪であることを行って、主の怒りを引き起こして来たからです。その中でもマナセの悪は際立っていました。彼はユダに罪を犯させて、主の目の前に悪であることを行わせただけでなく、咎のない者の血まで多量に流しました。偶像礼拝の罪ばかりでなく、罪のない者の血を流すという罪を重ねたのです。たとえば、6節には「自分の子どもたちを火の中を通らせ」とありますが、この中にはマナセの息子も含まれていました。またヘブル11章37節には、信仰の勇者たちの中にはのこぎりで引かれた者もいたことが記されてありますが、ユダヤ人の伝承によれば、マナセは預言者イザヤをのこぎりで二つに切り裂いたと言われています。彼は先祖たちと眠りにつき、その家の園、ウザの園に葬られました。
そんなマナセがエルサレムで王であった期間は55年であったということには驚かされます。これは北王国イスラエルと南ユダの王たちの中で最長となります。悪王の場合、大抵は短命です。それなのに彼はイスラエルの王たちの中で最も長く王位に就いたのです。なぜ彼はこんなに長く王位に就いていることができたのでしょうか。
彼の晩年については、Ⅱ歴代誌33章で興味深いことを伝えています(33:10-17)。彼はアッシリアの王によってバビロンに連行されますが、そこで彼はへりくだり、主こそ神であると知るようになるのです。つまり彼は悔い改めて、主に立ち返るのです。それで主はマナセを受け入れ、彼を再びエルサレムに戻し、王座に復帰させます。その後彼は、主の宮から偶像を取り除いて主の祭壇を築き、いけにえをささげました。つまり、彼の王としての在位が55年という長い期間であったのは、主があわれみをもって彼が主に立ち返るのを待っておられたからなのです。55年という年月のほとんどが主の目に悪であることを行ったマナセでも、最後に悔い改めて主に立ち返ったとき、彼は主の恵みを受けることができたのです。なんという、主のあわれみでしょうか。
それは私たちにも言えることです。その人生のほとんどが悪で主の目に叶わない者であっても、主に立ち返るなら主はその人を受け入れてくださり、すべての罪を赦してくださるのです。主は私たちがご自身に立ち返るのを、ずっと待っておられるのです。それが55年であっても。
Ⅲ.マナセの子アモン(19-26)
最後に、19~26節をご覧ください。マナセに代わって王となったのは、マナセの子アモンです。ここには、このアモンについて記されてあります。「19 アモンは二十二歳で王となり、エルサレムで二年間、王であった。彼の母の名はメシュレメテといい、ヨテバ出身のハルツの娘であった。20 彼はその父マナセが行ったように、【主】の目に悪であることを行った。21 彼は父の歩んだすべての道に歩み、父が仕えた偶像に仕え、それらを拝み、22 彼の父祖の神、【主】を捨てて、【主】の道に歩もうとはしなかった。23 アモンの家来たちは彼に謀反を起こし、その宮殿の中で王を殺した。24 しかし、民衆はアモン王に謀反を起こした者をみな打ち殺した。民衆はアモンの子ヨシヤを代わりに王とした。
25 アモンが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。26 人々は彼をウザの園にある彼の墓に葬った。彼の子ヨシヤが代わって王となった。」
アモンは22歳で王となり、エルサレムで2年間、王でした。彼の母の名はメシュレメテといい、ヨテバ出身のハルツの娘でした。
彼は父マナセが行ったように、主の目に悪であることを行いました。父が仕えた偶像に仕え、それらを拝み、彼の父祖の神主を捨てて、主の道に歩もうとはしなかったのです。
アモンは、父マナセの悔い改めと国内改革の努力を見ていたはずです。それにもかかわらず、彼は晩年の父を手本とはせず、偶像礼拝の道に歩みました。もし彼が父の失敗から教訓を学んでいたら、別の道が開かれていたはずです。このアモンの失敗から学びましょう。そして、私たちは聖書に出てくる様々な人物から教訓を学び、主に喜ばれる歩みを目指していきたいと思います。
結局、彼は家来たちの謀反によって、宮殿の中で殺されてしまいます。暗殺されたのです。混乱はそこで終わりませんでした。今度は民衆が蜂起し、王に謀反を起こした家来たちを皆殺しにしました。指導者を間違えると、国は混乱の中に投げ込まれることになります。神の恵みを軽んじる指導者は、愚か者です。神の恵みを知り、その恵みの中を生きる指導者こそ、愛と秩序に基づいた堅固の国を治めていく基盤なのです。