きょうは、初代教会の発展の秘訣をご一緒に学びたいと思います。「使徒の働き」には、そのところどころに教会がどうなっていったのか、その様子が要約して書かれてあるところがありますが、きょうのところもその一つです。13節と14節のところには、
「ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。」
とあります。このころ、主を信じる人たちがますます増えていきました。それは、ついには、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてもその影でも、だれかにかかるようにするほどでした。また、エルサレムの付近の町々から、大ぜいの人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて来て、その全部がいやされたほどです。28節のところでは、そのことで腹を立てた大祭司が使徒たちに、「エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい・・・」と言っていますが、この「広める」ということばは「満たす」という意味です。口語訳では「はんらんさせている」と訳していますが、それほどにものすごい勢いで教会は前進していったのです。いったいどうしてでしょうか。
その一つは、先週学びました。アナニヤとサッピラの事件を通して、教会が神を恐れ、神を神として歩む、すなわち、教会の中に聖さというものがあって教会は真の意味で成長していくということでした。神は愛です。しかし、その愛とはこうした神の聖さから出たものであって、何でも受け入れるということではないのです。そうした聖書の上に立った愛と恵みによって、教会は成長していくのであって、それがなかったら成長していくことはできないのです。きょうのところは「また」という書き出しになっいます。「また」というのは、先週まで語られてきたことを受けて、それから「また」という意味です。そうした聖さのほかに、教会が教会として成長していった理由があったということです。いったいそれはどんなことだったのでしようか。
きょうはそのことについて三つのことをお話したいと思います。まず第一に、初代教会の著しい発展の様子をもう少し詳しく見ていきましょう。第二に、そのように発展していったもう一つの理由は、そこに多くのしるしと不思議なわざがあったということです。第三のことは、その発展のもう一つの理由です。それは、みなが一つ心になっていたということです。
Ⅰ.著しい教会の発展
まず第一に、初代教会の著しい発展の様子を見ていきましょう。13~16節までをご覧ください。ここで初代教会が発展していった様子をよく表しているとことばは、13節の「尊敬していた」ということばと、14節の「ますますふえていった」ということばではないかと思います。まず、13節です。
「ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。」
「ほかの人々」とは、教会以外の人々のことです。彼らは、ひとりもこの交わりに加わろうとしませんでしたが、それらの人々は彼らを尊敬していました。いや、その数はますます増えていきました。ひとりも加わろうとしなかったのに回りの人たちから尊敬されていたとか、ますます増えていったというのはおかしいということで、この文章を読み換えようとする学者もいますが、特に、そうする必要はありません。この「交わりに加わろうとしなかった」ということばは、マタイの福音書19章5節に出てくる「その妻と結ばれ」と訳されていることばで、「にかわ付けにされる」とか、「のり付けされる」という意味の、強い結びつきを表すことばです。町の人々は、教会に対してそれほどの強い結びつきを持とうとはしませんでしたが、尊敬していた様子がよく表されているからです。おそらく、あのアナニヤとサッピラの事件の後で、彼らの間には非常な恐れが生じ、ちょっとやそっとの生半可な気持ちではこの群れに加わることはできないと考えていたのでしょう。それでも心の中では彼らを尊敬していたのです。この「尊敬していた」ということばは「大きくする」とか「偉大だと思う」、「ほめたたえる」という意味です。人々は、キリスト教の集会を遠目で見ながら、その心中はというと、これが偉大な集団だと認めていたのです。これはすごいことでしょう。だれもその仲間に加わりたいとは思わないけれども、この世の人たちは、やっぱりクリスチャンってすごいなぁと思っているのです。私はよく人とお話をする時に、相手の方から「やっぱり牧師さんは、我々、俗の人間とは違って清い方だから」なんて言われることがあります。どこが清いのかわかりません。本当に汚れた者にすぎないのにそのように思っているというのは、彼らがキリスト教に対してそのようなイメージを抱いているからなのです。
A.トフラーという人が、「傍観者の時代」という本を書きましたが、いつの時代でも傍観者はいるものです。1982年に発表されたNHKの宗教調査によると、「もし、将来あなたが宗教を選ぶとしたら、どれにするか」という質問に対して、実に全体の36%の人が「キリスト教」と答えました。実際には全人口の1%にも満たないと言われるこの日本で、キリスト教やクリスチャンに関心を持っている人は意外に多いのです。ただしそれは、あくまでも傍観者の域を出ないのでありますが・・・。けれども、それだけの人が感心を持っている、尊敬しているというのは励みになります。この時代の人々も、クリスチャンに関心があり、その交わりに強い結びつきは持とうとは思いませんでしたが、尊敬の目を持って眺めていたのです。
リビングライフの今月号に衆議院議員の土肥隆一(どいりゅういち)さんが「日本宣教150周年にあたって」という文章を書いておられますが、その中で彼が政治家として、世俗の仕事をしながら不思議だと思うことは、牧師としてまたクリスチャンであるということを知られながらも、19年もの間受け入れてもらい、受け入れられてきたことです。これは社会学的現象として検討するに値すると言っています。それは、キリスト教あるいはクリスチャンが社会から信頼されているということなのです。じゃ、だからといってキリスト教の深い部分に触れようとするとかつというとそうではありません。信頼しつつも遠くから眺めているのというのが日本人だというのです。しかし、それは日本人に限らず、初代教会も同じでした。クリスチャンってすごいなぁ、いい人だなぁ、大したもんだいと思っていても、じゃ、自分はその中に入るかというとそうでもない。それが社会の取る態度です。しかし、そのような中でも、主を信じる人たちはますますふえていくのです。
14節には「ますますふえていった」とあります。ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったのに、それでも信じる人たちはますます増えていった。矛盾しているようですが、特に問題はありません。アナニヤとサッピラの事件の後で神のさばきの恐ろしさに、人々は驚き恐れ、ちょっとやそっとの決心では、教会の交わりに加わる勇気は出ませんでしたが、しかし、病人のいやしを含む救いの奇跡がどんどん行われていく中で、彼らの中にも、神への恐れをもって、主を信じる人たちが現れてきたいたからです。この14節の「そればかりか」という接続詞は「そして」という意味の接続詞です。そうした非常な恐れの中にあっても、彼らは尊敬されていただけでなく、そして、です。そうした中でもこの交わりに加わろうとする人たちが多くいたのです。それは、15節と16節にあるように、ついには、病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロがそこを通りかかるときには、せめて彼の影だけでも、だれかにかかるようにしたほどでした。人々はキリスト教会を大いなるものと認めていただけでなく、実際にその中に加わることによって、大きくふえていったのです。
いったいなぜ最初の教会はそんなに力強く発展していったのでしょうか。次に、その要因を見ていきたいと思います。
Ⅱ.多くのしるしと不思議なわざ
12節の前半の部分をご覧ください。ここには、
「また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行われた。」
とあります。初代教会の著しい発展の陰には、使徒たちによるしるしと不思議なわざがあったのです。いったいこれはどういうことでしょうか。というのは、狭い意味での「使徒」というのはこの聖書に出てくる12使徒だけであって、「使徒」と呼ばれる人がいない現代の教会においては、これをただまねるというのでは意味がないからです。もちろん、現代においてもこのようなしるしや不思議なわざはあるでしょう。イエス様は、「わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりも大きなわざを行います。」(ヨハネ14:12)と言われました。イエス様を信じる者は、イエス様が行ったわざ、いや、翁わざを行うことができるのです。しかし、ここでもっと重要だと思われることは、そうしたわざを行えばいいということではなく、このようなしるしと不思議なわざが示していることは何ということです。
第一に、それは彼らの祈りの応答であったということがわかります。4章30節を見ると、彼らは「御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしると不思議を行わせてください」と祈りましたが、そのとおりのことがここで起こったのです。彼らがここでこのようなしるしと不思議を行うことができたのは、そうした彼らの祈りの応答であったということです。ということは、教会は、たとえ使徒たちがいたとしても、祈りなしには何事もできなかったということです。とすれば、どうでしょう。今日の私たちはどんなに祈らなければならないかがわかると思います。世の尊敬を集められるほどの大いなるわざを成していくためには、祈らなければならないのです。
第二のことは、このようなしるしと不思議なわざが、人々の尊敬と信頼を受け、信仰に入る人の数の増加につながっていったということは、それが単なる慈善事業ではなく、肉体的な面や物質的な面、あるいは霊的、精神的な面に至るまで、すべての領域においてその時代の人々が抱えていた悩みや、現実の問題を解決する働きであったということです。平たく言うならば、人々のニーズに応えていく中で、伝道が進められていったということです。それはどういうことかというと、彼らの伝道は、人々の現実の問題や悩みから離れた形で行われていたのではなく、また、現実の生活における悩みや問題を解決するだけで終わっていたのでもなく、その両面をしっかりと見据えたうえでの働きだったということです。そうした問題の解決を通して、真の解決であるところの霊の救いへと導いていくものであったわけです。これこそほんとうに人を救うわざです。このようなわざが行われていたからこそ教会は世間から多くの尊敬を受け、救霊の実を得ることができたのです。
1982年にマザーテレサが来日したとき、彼女のお話に感動した学生が、ぜひ、カルカッタに行ってボランティアをしたいと申し出たとき、マザーテレサは、このように言われたそうです。
「わざわざカルカッタに来なくても、あなたがたの周辺のカルカッタで働く人になってください」
私たちの周囲にあるカルカッタ、そこには物質的に飢え、病み疲れた人はいなくても、愛に飢え、仕事に疲れ、人間としての尊厳を失っている人がくさんおられます。そうした人たちの悩みや苦しみに寄り添いながら、そうした問題を解決していく中で、救霊の働きが進められていくとき教会は、世間から多くの尊敬と信頼を受けてその働きを力強く進めていくことができるのです。
少し前にある方から、この地域の問題と、特別の祈りの課題を書いて送ってほしいと言われたとき、果たしてこの地域にはどんな問題があるのかと調べてみましたが、そんなに目立った問題は見あたりませんでした。しかし、そんな中でも自殺者と中絶の件数が多いことには驚きました。人口に対する自殺者の割合は、全国平均の2.4%であるのに対して、この地域は3.6%と高かったのです。自殺の原因には健康の問題や家庭の問題、経済の問題、人間関係の問題などが複合的に絡み合って引き起こされると言われていますが、実際には統計上に出てくる数値の10倍はいると言われます。そういう意味では私たちの周囲のカルカッタは重いのです。病んでいるのです。教会がそうした人たちの悩みや問題に向き合い、一緒になってその問題に取り組みながら、真の解決を与えてくださるイエス様に救いを求めていかなければならないのです。
あのアッシジの聖フランシスコは、いつも次のように祈ったと言われています。「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに愛をもたらす人に、
争いのあるところに許しを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらす人にしてください。
主よ、慰められるよりも慰めることを、
理解されることよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを求めることができますように。
私たちは、人にあたえることによって多くを受け、
許すときに許されるのですから。」
私たちがこのような祈りをもってこの世に遣わされていき、その中で人々の悩みや苦しみ、痛みや悲しみに触れ、それが解決していくようにと共に祈っていくこと。それがカルカッタで生きるということなのではないでしょうか。そうした中で人々の光となっていく。この世からの尊敬を受け、たとえ神のさばきの恐ろしさという厳粛な中にあっても、その仲間に加えていただきたいと思うほどの魅力が溢れるようになるのです。多くのしるしと不思議なわざの示すものとは、こうした喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣くといった初代教会の愛のわざだったのです。
Ⅲ.一つ心になって
教会が著しい発展を遂げていったもう一つの要因は、彼らが一つ心になって集まっていたことです。12節の後半のところをご覧ください。ここには、「みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。」とあります。「ソロモンの廊」とは、初代教会が集会を持っていたところです。何万人とふえていた当時の教会員は、個人の家には入りきれず、エルサレム神殿の「ソロモンの廊」を集会所にしていたのです。今でいえば、創価学会が東京代々木のオリンピック競技場で全国集会を開いたり、エホバの証人が郡山のビックパレットで何千人の大きな集会を開くようなものです。そうした集会は、世間を驚かし、そのエネルギーに羨望の念を駆り立てられるように、この神殿の境内に集まっていた何万人という大集会は、参拝者たちの目を奪い、心を引きつけたに違いありません。
いくらキリスト教会が神の国だと口先で言っても、またキリスト教徒が世に遣わされた神の民だと叫んだところで、それが一つに集まって具体的な姿を見せることがなければ、世の人々は、この地上に神の国が来ていることも、普段付き合っているあの人がクリスチャンだということにも、気づかずに終わってしまいます。クリスチャンが一つ心で集まること、これこそ、散らされたクリスチャンがまことに神の民であることの身分証明なのです。ヘブル人への手紙10章25節には、
「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」
とあるように、かの日が近づいていることを感ずれば感ずるほど、ますます集会を重んじなければなりません。逆に、こうした集会を持ち続けることこそ、かの日が近づいていることをこの世に最もよく証しする方法でもあるのです。
今日、家庭でも、社会でも、学校でも、どこにおいも、みんなばらばらです。みんなてんでばらばらなことを言います。それぞれがそれぞれの意見を持っていること自体は問題はありませんが、何の従うべき基準がないために、それぞれの価値観と尺度で物を言うために、まとまりがないのです。しかし、クリスチャンは違います。クリスチャンには従うべき一定の基準があるのです。それが聖書です。神のみことばは、神のみこころが記されてありますから、それにみんなが従うのです。ですから、心を一つにすることができる。だれかが号令をかけて、統一を図っていくのとは違い、だれから言われることなく、内側から一致が生まれてくるのです。こうした一致には自由があるのです。そのようないのちと自由のあふれた交わりが、どれほどこの世の人たちにとってどれほど魅力的なものであった計り知れません。初代教会にはこうした一致があったのです。
要するに、初代教会が世間からの尊敬を集め、次から次へと主を信じる人たちが増えていった背景には、こうした多くのしるしと不思議なわざに表された祈りと愛の行いが、また、一つ心になって集まり、祈っていたというクリスチャンの生活があったからだったのです。教会が発展していくために、あれやこれやといった人気とりのフェスティバル・ショーやPRではなく、ほんとうに人を救うわざがそこにあったということです。私たちが求めていかなければならないのは、このような教会なのです。
それは教会だけのことではなく、私たちが人として人を引きつけ、周りから尊敬された魅力的な者であるためにも言えることです。何かあったら主の前にひざまずいて祈り、隣人が悩んでいること、苦しんでいることに寄り添い、何とかそれに答えていけるように心を砕きながら求めていくとき、それはその人の心に必ず響くものです。また、自己中心や虚栄といった態度によって人を遠ざけ、人を顧みない心ではなく、へりくだって互いに人を自分よりもすぐれた者と思う、つまり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしていくように努める人は魅力があるのです。そういう人は家庭でも、職場でも、学校でも用いられる人になるでしょう。魅力的な人、魅力的な教会とは、そうした祈りと愛の心、志を一つにしようという一致の心から生まれてくるのです。
それが初代教会が発展していった要因でした。私たちはそうした人、そうした教会を目指していきたいものです。そのような人に、そのような教会に神様の恵みがあって、初代教会のような著しい発展を見ることができるのです。