使徒の働き6章8~15節 「御使いの顔のような人」

 きようは「御使いの顔のような人」というタイトルでお話したいと思います。15節のところに、「議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた」とあります。このときステパノの顔が御使いの顔のようであったというのです。ステパノとは、七人の執事の一人です。初代教会の中にギリシャ語を使う外国育ちのユダヤ人がいて、彼らのうちのやもめたちの毎日の配給がなおざりにされているということで苦情を申し立てると、使徒たちはその問題の解決として七人の役員を選び、彼らにその奉仕をゆだねることによって、いのりとみことばの奉仕に専念できるようにし、それを克服しました。その七人の役員の筆頭の上げられたのがこのステパノです。ステパノという名前は、「冠」という意味のギリシャ語です。彼はどういう意味で「冠」だったのでしょうか。キリスト教史上最初の殉教者になったという意味においてです。彼にはそのような輝きがありました。それはまるで御使いの顔のようだったのです。きょうはそんな彼の姿から三つのことを学んでいきたいと思います。

 第一のことは、ステパノは恵みと力に満ちていたということです。第二に、彼は知恵と御霊に満ちていました。第三に、その結果彼の顔は御使いの顔のようであったということです。

 Ⅰ.恵みと力とに満ちた人

まず8節をご覧ください。ここには「さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。」とあります。この不思議なわざやしるしとは、人々がそれを見たとき驚き、それが神から与えられたものだということを裏付け後押ししているかのように感じ取れるほどの、この世の常ならぬ驚異的なわざです。それによって、イエスこそ神から遣わされた救い主であることをあかしするためです。これまではもっぱら使徒たちの手によって行われてきました(2:43,5:12)が、それを、使徒でもなかったステパノも行うことができたというのです。いったいなぜ使徒でもなかったステパノが、このようなわざを行うことができたのでしょうか。それは彼が恵みと力に満ちていたからです。「恵み」とは、本来、「容姿端麗なこと、人を引きつける素質、魅力」を表すことばです。どうして彼はそんなに魅力があったのでしょうか。それは彼が神の恵みに満たされていたからです。神の恵みに満たされていたからこそ、貧しいやもめたちの苦情を聞いて配慮することができ、また、病気などで苦しんでいた人を見てかわいそうに思っては、彼らをいやしてやったのです。それが彼の魅力だったわけです。こうした魅力はクリスチャンとして欠かすことのできない徳であり、大きな力でもあります。こうした人柄を身につけておくためにも、私たちは神の恵みに満たされる必要があります。エペソ人への手紙2章8節には、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」とありますが、それは、は神の恵みに触れることによってもたらされる賜物であることを覚え、いつもこの恵みにとどまっていなければなりません。

 また、ステパノは「力」に満ちていました。この「力」とは聖霊の力のことです。イエス様は、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」(使徒1:8)と言われましたが、その力のことです。ステパノは、この聖霊の力に満ちていたのです。ですから、使徒たちと同じような驚異的なわざを行うことができたのです。ステパノは食卓のことに仕える奉仕においても、病人をいやす奇跡においても、力強い証人でしたが、そればかりでなく、みことばの宣教においても力ある証人でした。ですから10節を見ていただくとわかりますように、彼の語っていることに対して、だれも対抗することができなかったのです。彼の働きはそれほど力強いものでした。教会は牧師や役員が、また奉仕者一人一人がこうした力ある働きができるように、この力に満たされるように祈らなければなりません。

 Ⅱ.知恵と御霊に満ちた人

 第二に、彼は知恵と御霊にも満ち手いました。9節をご覧ください。

「ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリア人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。」

 ステパノが神の恵みと力によって、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていると、それにむ敵対する人たちがいました。リベルテンの会堂に属する人々です。「リベルテン」とは、「自由にされた人、解放奴隷」のことです。紀元前61年に、ローマの将軍ポンペイウスがローマに引き連れて行った大ぜいのユダヤ人奴隷が、まもなく解放されますと、その人たちとその子孫はリベルテンと呼ばれるようになりました。彼らはエルサレムに帰りますと、もともとエルサレムに住んでいた人たちとは別に会堂を持って礼拝をささげていました。それがリベルテンの会堂です。こうした人々は世界各地に散らされていたので、クレネ人とか、アレキサンドリヤ人とか、キリキヤ人、アジア人とか、世界中から集まって、それぞれのグループを形成していたのです。このように散らされたユダヤ人のことをディアスポラと呼びましたが、こうした人たちはエルサレムに住んでいたユダヤ人に比べてあまり熱心ではありませんでした。もともとのヘブル語ではなくギリシャ語の聖書を使っていたことや、神殿礼拝なしの生活を送っていたので、どちらかというとルーズで、リベラルな考え方を持っていたからです。しかし、そのような人たちの中でもわざわざエルサレムに戻り、神殿のおひざもとで礼拝していた人たちというのは、逆に非常に熱心な人たちが多かったのです。たとえば、後にキリスト教に回心し、キリスト教を世界に広めたパウロは、こうしたリベルテンの会堂に属する人でした。21章39節を見ると、彼はキリキヤのタルソという町の出身であったことがつ記されてありますが、非常に熱心なユダヤ教徒でした。あまりにも熱心すぎてステパノの殺害にも加わったほどです。(7:58)
それほどにこのリベルテンの会堂に属する人たちの中で熱狂的な人がいたのです。そして、そういう人たちの中から幾人かがステパノの議論を吹きかけてきたのです。おそらく律法に関する事についてだったでしょう。というのは、使徒たちはイエスがキリスト、救い主だと叫んでいましたから、それを受け入れられない彼らは、使徒たちが神を冒涜していると感が手いたに違いありません。しかし、ステパノが知恵と御霊によって語っていたので、彼らはそれに対抗することができませんでした。そこで彼らはどうしたでしょうか。彼らはある人々をそそのかし、偽りの証言をさせると、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを議会にひっぱって行ったのです。これまでは長老や律法学者が先頭に立って使徒たちを迫害していたのに、ここではこうしたリベルテンの人たちが音頭をとり、騒ぎを起こしているという点で、これまでとは違った様相を呈しているのがわかります。しかも、箴言18章17節には、「最初に訴える者は、その相手が来て調べるまでは、正しく見える。」というみことばがありますが、最初に訴える者の方が、決定的に有利です。もし法廷が公正ならば訴えられた人があとから来て調べてもらえば、事の真相は明らかにもなるでしょうが、ステパノの立った法廷というのは、以前、使徒たちを迫害してきた法廷でしたから、ここで何かを立証するということは難しい状況でした。

 さて、彼らはステパノを議会に引っ張って行って、何をしたでしょうか。13,14節をご覧ください。彼らは、偽りの証人の立てて、このように言わせました。

「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう』と言うのを、私たちは聞きました。」

 聖なる所と律法とに逆らうことを言うことは、ユダヤの宗教裁判で死刑に値することでした。議論で対抗できなかった彼らは、ステパノを殺そうと思いました。それが彼らの最初からの魂胆でした。しかし、それが偽りであったことは明らかです。

 第一に、11節のところに、彼らはある人たちをそそのかして、「私たちは彼がモーセと神をけがすことばを語るのを聞いた」と言わせた」とありますが、それはもともと彼らがしくんだ罠でした。

 第二に、13節を見ると、ここに、「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません」とありますが、ここでステパノを指して使っている「この人」ということばは軽蔑をこめて用いられる「こいつ」とか「あいつ」といった表現のことばです。14節をみると、そのことばが「あのナザレ人イエス」の「あの」と同じことばが使われているわけですが、ステパノがイエス様に対してそのように用いたと言っていますが、ステパノがイエス様に向かってそんなことばを使うわけがないじゃないですか。ですから、彼らはステパノが言ったことばをそのまま証言しているのではなく、自分たちの憎しみとか敵意とかといった感情をここに移入していることがわかります。彼らはステパノのちょっとしたことばじりをとらえて、それを悪用しているだけです。それだけでも、彼らが偽りの証人であったことがわかります。

 しかし、もっと大きな偽りは、イエス様が「この聖なる宮をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう」と言われたのを聞いたということです。それは嘘です。イエス様はそんなことを言ってはおりません。イエス様が言われたのは逆で、この聖なる宮を建てるということでした。ヨハネの福音書2章19節をご覧ください。

「イエスは彼らに言われた。『この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。』」

 これは、13節からの文脈で読んでいけばわかりますが、彼らが聖なる祈りの家を強盗の巣にしていたことに対して言われたことばです。すなわち、彼らはそのようなことをして、神の宮を壊すようなことをしていたのです。それに対してイエスはそれを建てようと言われたのでした。そのようなイエス様の積極的建設的な主張を伏せたのには、彼らの中にそうした悪意があったからであるのは一目瞭然です。

 もう一つの偽りは、イエス様が言われた神殿とは、ご自分のからだのことでしたが、それを理解することができなかったというか、エルサレムの神殿にすりかえた点です。たとえ霊的に盲目であってイエス様が言われた真意を理解することができなかったとはいえ、それを理解できなかったというのも、実は、彼らの中にもともとそうした悪意や偽りがあったからなのです。イエス様に好意的であったら、それがどういうことなのかを聞いたことでしょう。聞きもしないで勝手にそのように決めつけたのは、彼らがただ自分たちの主張を正当化し、ステパノを攻める材料にしていたからなのです。

 弟子たちも当初はイエス様が言われたことの意味がわかりませんでしたが、ヨハネ2章22節にあるように、イエス様がよみがえらたとき、イエス様の言われたことを思い出し、聖書とイエス様が言われたことを初めて信じることができました。また、ステパノは7章48節を見ると、この後の説教で、まことの神殿とは何かということに言及し、それは復活の主のからだであって、手で造った宮ではないことを示していますから、この当時の人たちは徐々にでしたが、イエス様が言われたことを悟り始めていたのです。にもかかわらず、彼らがこのように証言したのは、彼らの中にステパノに対して敵意と憎悪があって、何とかして彼を葬り去りたいという思いがあったからだったのです。何と恐ろしいことでしょうか。しかし、注意しないと、私たちの中にもそのような思いが芽生えないとは限りません。もっと令婿に、また客観的に何が正しいことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなければなりません(ローマ12:1、2)。

 では、そうした敵の攻撃に対して、ステパノはどのように対処したのでしょうか。もう一度10節を見ると、ここには「しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので」とあります。彼は知恵と御霊によって語っていました。どういう点で彼は知恵と御霊によって語っていたのでしょうか。

 もう一度先ほどのステパノの説教の一部を見ていただきたいのです。7章48節です。ステパノはここで、

「しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みにはなりません。預言者が語っているとおりです。」

と言っています。これはどういうことなのでしょうか。ここでステパノは、いと高き方は、どこに住まわれるのかについて言及しています。いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。これは何を指していたかというと、実はユダヤ教の会堂です。つまり、いと高き方がお住みになられるのは、このユダヤ教の神殿ではなく、キリストのからだなる教会なのだということを示していたのです。すなわち、イエス様が「三日でそれを建てよう」と言われたのは、キリストのみからだなる教会の建設のことでした。つまり、キリストの教会こそエルサレムの神殿に代わる真の神の家、神がお住みになられる所であると言いたかったのです。ここに彼の知恵があります。

「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」(コロサイ2:3)

「しかし、ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」(Iコリント1:24)

 ステパノが人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行うことができた最も深い秘密がここにあります。それは彼がキリストに信頼していたことです。キリストこそ神の力、神の知恵であると信じ、そのキリストに生かされていたことです。それが彼の魅力となって表れていたわけです。

 教会は、どんな問題があったとしても問題ではありません。なぜなら、そこによみがえられたキリストを通して神のいのちが流れているからです。神がともにおられるなら、何を心配する必要があるでしょうか。問題はそのことに気づかずに、自分の力や感情で動いてしまうことです。もし自分の力で問題を解決しようとしたら、そこには何の恵みも力もなくなってしまうでしょう。ただ神のみことばとみこころに従っていこうという信仰のゆえに、どんな問題があってもそれをもろともせず、乗り越えていくことができるのです。それがステパノの信仰でした。ですから、彼は知恵と御霊に、恵みと力に満ちていたのです。ですから、たとえ、リベルテンの会堂に属する人たちのような強烈な批判や敵意の中にあっても、少しも動じることなく、深い平安を得ることができたのです。それが15節に出てくる彼の顔です。

 Ⅲ.御使いの顔のよう

「議会で席についていた人はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」

 これは驚くべき記録です。というのは、人はみな、普通穏やかな人でも、不当な中傷を受けたりすると激高するものだからです。しかしステパノはそうではありませんでした。彼はそうした憎しみとうその訴えに対しても、その心は乱されることなく、その表情は御使いの顔のようだったのです。かつて変貌山でイエス様の御顔が光り輝いたように、ステパノの顔も光り輝いていたのでしょう。それは彼が神の代弁者であり、聖霊に満たされていたからです。そうした敵意や非難の中にあっても、彼が御使いの顔のようでいられたのは、彼が心から主に信頼し、聖霊に満たされていたからだったのです。

 皆さんはどんな顔をしておられますか。よく娘からもらうメールに絵文字が使われていることがあります。涙を流した顔であったり、プンとふくれ面している顔もあります。怒ってるんでしょうね。どうしようと焦っているような顔もあります。その顔は顔の半分が青くなっているからわかります。中にはマスクまでしている顔もあります。体調が悪いんでしょうね。中には普通の顔、喜んだ顔、悲しんだ顔、叫んだ顔が一瞬のうちに変化する顔があります。意味不明です。また、頬が赤くなっている顔もあります。恥ずかしいんでしょうね。まあ、いろいろな顔があります。しかし、ステパノの顔は御使いの顔のようでした。今度携帯にもそういう顔を付け足した方がいいかもしれません。皆さんもそんな顔になりたいと思いませんか。ステパノはそういう顔を持っていました。それは彼が神の恵みと力に満ち、キリストの教会にこそ神が共にいてくださると信じ、そのいのちに生かされていたからです。

 私たちもキリストが三日でそれを建てようと約束してくださったこのご自身の教会を通してこのいのちにいつも触れさせていただき、みことばに歩み続けることによって聖霊に満たされ、たとえどのような状況にあっても、御使いのような顔でいられることを求めてまいりたいと思います。

 クリスチャン作家として社会に大きな影響を与え、数年前に天に召された三浦綾子さんの本に「道ありき」という本がありますが、その中で三浦さんを信仰に導くきっかけとなった前川という青年のことが紹介されています。彼は北大の医学部の秀才で、クリスチャンの素敵な男性でした。当時三浦さんは学校の先生をしておられましたが、日本が敗戦を迎えたとき、それまで「天皇陛下万歳」とこどもたちに教えていたのが、間違いだったと気づかされたとき、そして、そのようにして戦争に行って死んで行った子供たちのことを思うとき、本当に子供たちに申し訳なく思い、学校を辞めるのです。そして、学校を辞めるだけでは自分を許すことができず、オホーツクの冷たい海に入って自殺しようと考えたりもしましたが、クリスチャンであったその前川正さんが一生懸命にイエス様のことを伝えたのです。この地上には信ずることに値するものなんてありはしないと反発を繰り返す三浦さんに、前川さんは、真剣に、どんなに何を言われても、終始穏やかに接してくれたのです。それがきっかけで彼女の心が開かれていきました。
 それでも、なかなか信じないでいると、ある時、彼は三浦さんを旭川の小高い丘の上につれて行くのです。そして三浦さんがタバコに火をつけようとしたとき、彼は「綾ちゃん、そんなことをしたら死んじゃうよ」と、急にその場に座り込んで、石ころを拾って自分の足を打ち続けたのです。このとき三浦さんは美容器でしたから、そうした彼女のからだをいたわってのことでした。三浦産はそれを見て驚いて、「何をするの。正しさん。辞めて」と言うと、彼は叫びました。
「僕は一生懸命、イエス様のお話をして、綾ちゃんがまじめに生きるようにとお願いしているのに、綾ちゃんは僕の言うことを聞いてくれない。僕は自分の言葉の足りなさ、ふがいなさのゆえに、自分の足をたたいているんだ」と言ったのです。
 そのことばを聞いた三浦さんは心を開きました。間違ってもいい、こんな真実な生き方をしている彼。彼が信じている神様に従っていこう。そして、彼女の人生は変えられました。どのくらい変えられたかは、三浦綾子さんの本を読んだことのある方ならおわかりでしょう。三浦さんもイエス・キリストを信じて、永遠の祝福の中を歩み続けました。それは前川正という信仰に生きたひとりのクリスチャンの姿にふれたからです。前川さんの顔は、このときのステパノのように、実に御使いの顔のようだったのではないでしょうか。

 私たちもそうした人生を歩ませていただきたいものです。たとえ人から非難され、苦しみの中に置かれていても、イエス・キリストを信じる信仰によって神の臨在をいただき、御霊に満たされ、恵みと力に溢れた生涯を送ることができるのです。