使徒の働き8章1~13節 「キリストを宣べ伝える」

 きょうは「キリストを宣べ伝える」というタイトルでお話をしたいと思います。1節をみると、「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」とあれます。ステパノの殉教の死は、初代教会に大きな転機をもたらしました。すなわち、教会に対する迫害が本格化し、それにつれてクリスチャンたちも各地に散らされていったのです。しかし、不思議なことに、そのように散らされた人たちがキリストをを宣べ伝えたことによって、福音はかえって各地に広まり、信仰も伝道も本格的になっていきました。福音はこのようにして1章8節で主イエスが約束されたとおりに、エルサレムからユダヤとサマリヤへと広がっていったわけです。だれがこんなことを考えることができたでしょうか。しかし、これが神の為さることなのです。神は私たちの思いを超えて、ご自身のご計画を推進しておられるのです。きょうは、この散らされた人たちについてご一緒にみていきたいと思います。

 まず第一のことは、迫害によって散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いたということです。第二のことは、その具体的な例としてのピリポのサマリヤ伝道です。それはものすごい力ある働きでした。ですから第三のことは、みことばに信頼してということです。

 I.散らされた人たち
 
まず第一に、1~4節までを見ていきましょう。

「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」

 「その日」とは、ステパノが殉教の死を遂げた日のことです。その日どんなことが起こりましたか?エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者がみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされたのです。何のためでしょうか。みことばを宣べ伝えるためです。4節をご覧ください。ここには、「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」とあります。この「他方」と訳されていることばは、「それゆえ」という接続詞です。エルサレムにあった教会が迫害されたので彼らは、散らされた先々でみことばを宣べながら、巡り歩いたのです。おもしろいですね。普通だったら、迫害されたらしょぼんとなってそこから逃れようとしたり、隠れたりするものですが、彼らはそうではありませんでした。迫害されたので、逆に、みことばを宣べ伝えたのです。どこにでしょうか。?ユダヤとサマリヤの諸地方にです。ユダヤとサマリヤという地名を聞くと、中にはピンと来て、あるみことばを思い出される方もおられるのではないでしょうか。そうです、使徒1:8の主イエス様のことばです。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

 そうです、この主イエス様の約束は、初代教会に対する迫害が激しくなり、人々がいろいろな地方に散らされていくことによって成就していったのです。いったいそんなことを誰が考えることができたでしょうか。ステパノが殺されて大きな迫害が起こったことは悲しいことでしたが、そのことによってユダヤとサマリヤに福音が広げられ、神の約束が実現する契機となっていったことは驚くべき神の計画ではないでしょうか。また、ここに「サウロ」という人物が登場してきますが、彼こそ後に回心してキリスト教を地の果てにまで運んでいったパウロのことです。この時クリスチャンを迫害していたパウロが、後に全世界に福音を広げていくようになったということを考えても、すごいことだと思います。おそらくルカがここにサウロのことを取り上げたのは、そうしたことの伏線として描きたかったのだと思います。

 このように見ると、私たちの目の前に起こる不幸だと思えるような出来事も、実は神のご計画の実現のための一つのステップであることがわかります。皆さんは目の前の暗い状況を見て、「どうしてこんなことになってしまったんだろう」と嘆いたり、「神様は私に関心を持っておられない」とつぶやいたりしてはいないでしょうか。しかし神様は、皆さんが直面しておられるその状況を用いて実は福音を伝える絶好の機会にしようと願っておられるのです。であるならば、皆さんがおかれた状況さえも神の栄光のために用いられると信じて、それがどのように福音宣教のために用いられるのかを考えるべきではないでしょうか。

 私は、東北福島で教会を開拓し、20年間仕えさせていただきましたが、まあ、栃木も東北とあまり変わりがありませんが、このような地域に置かれた教会の抱える問題の一つに信徒の流出というものがあります。若者の多くが進学や就職のために都会へ出て行ってしまうため、教会がなかなか建て上げられていかないのです。私たちの教会も同じような問題を抱えたことがありました。開拓して7年が経とうとしていた時、教会がやっと20名になった1990年の年でした。その年の4月に5名の兄姉が就職や進学のため地元から離れることになりました。20名の内の5人は大きいですよ。全体の1/4でしょ。私の中にはやっとここまで来て、これからだという時だったので、なかなかその現実を受け止めることができませんでした。
 ちょうどそのような時に、神様は米沢から千田次郎という牧師を教会の修養会にに遣わしてくださいました。千田先生は恵泉キリスト教会の牧師ですが、山形県米沢市で牧会している中で同じような経験をされたことをその修養会の中で話されました。しかし、あるときから「信徒は出て行くのではない。主が自分たちを用いて若者を救い出し、育て上げ、遣わしてくださるのだ」と考えるようになりました。そして、その現状を恵みとして受け入れるようになったのです。それまで教会の名前は福田町キリスト教会という名前でしが、それから教会は恵みの泉を掘り起こしていく教会という意味で、恵泉キリスト教会としたのです。
 そして、この聖書の箇所に触れたとき、まさに初代教会は、迫害によって信徒たちが全世界に散らされ、それによって福音の宣教が拡大していったように、現在の日本では、就職や進学という形で、主は福音の拡大を計っておられると確信するようになったのです。
 それ以来、教会では3月になるとそれまでやっていた「送別会」をやめ、「派遣会」として、喜んで信徒を派遣することができるようになりました。そして、茨城県牛久に、千葉県関宿に、神奈川県湘南に、埼玉県戸田市にと次々に教会が建てられ、今ではそれらの教会が中心となってつくばや小平にも新たに宣教の働きが広がっているのです。何とすばらしいことでしょうか。これらのことは、教会に起こっている不幸かと思えるような出来事を、むしろ神の計画として信仰によってしっかりと受け止めた結果ではないでしょうか。

 私たちの目の前には多かれ少なかれこのような出来事が必ず起こりますが、大切なことは、たとえどのようなことが起こっても、それらのことはすべて神様の深いご計画の中にあり、神様はそれらのことをとおして福音を広げようとしておられるということです。私たちはそのことを信じて受け止めながら、主がそれをどのように用いようとしておられるのかを知るために、もっと祈らなければなりません。

 ところで、ここには「使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」(1節)とあります。いったいなぜ使徒たち以外の者だけが散らされたのでしょうか。多くの学者は、それはこの散らされた人たちの多くがステパノと関連の深い人たち、すなわち、ギリシャ語を話すユダヤ人クリスチャンたちであったからだと考えています。彼らは宮と律方についてステパノと同じような考え方を持っていたので、ステパノが殺された後で、ギリシャ語を話すユダヤ人クリスチャンたちも、ユダヤ教の脅威になるのではないかと思い、それで彼らをも迫害したのだというのです。しかし、それがどのような理由であるにせよ、一つだけ確かなことは、迫害のために散らされていった人たちは、使徒たちのように特別な訓練を受けた指導者ではなく、いわゆる一般の平信徒たちであったということです。にもかかわらず彼らは、散らされた先々で福音を伝えました。

 この信徒による伝道が、これまでの教会の歴史にどれほど大きな結果をもたらしてきたかは、測り知れないものがあります。それまでは、みことばを語りしるしを行ってきたのは12使徒たちでしたが、ステパノの死とともに始まった大迫害は、そうした使徒たちの働きを封じ、一般平信徒に働きの場を提供していったのです。14節には、「さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。」とありますが、このような記述をみると、まるで、エルサレムに居残っていた使徒たちが虚を突かれ、平信徒たちが始めた新しい伝道の場に、あわてて引きずり出されて行ったかのような印象を受けます。このような記述は他にもあります。どこですか?11章です。19-22節のところにも同様のことが記録されてあります。それは、このステパノのことで散らされた人たちがフェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んでいき、それまではユダヤ人以外の人たちにはみことばを語りませんでしたが、アンテオケに来てからはギリシャ人にもみことばを語り、主イエスのことを伝えたのです。それで大勢の人が信じて主に立ち返りますと、慌てたのはエルサレムにいた使徒たちでした。その知らせを耳にした彼らは、何事が起こったのかとバルナバをアンテオケに派遣して状況把握に努めるわけです。
 
 いつも教会側はまさかサマリヤ人はイエス様を信じないだろうとか、ギリシャ人まで伝道する必要はないんじゃない?なんて考えていますが、信徒たちはそう考えません。彼らはその行く先々で新しい伝道対象者を発見しては、思いもよらない伝道の道を切り開き、さっさと成果まで上げてしまうのです。このような点で、教会の創造的な発展は、多く場合、信徒一人一人のエネルギーに負っているのです。ヘンドリー・クレイマーという神学者が「信徒の神学」という本を書きましたが、彼はその本の中で、教会は聖職者と平信徒の区別はなく、あるのは働きの違いだけであって、みんな神の民(ラオス)だと言いました。そして、信徒一人一人が神の働きに参与していってこそ、教会は大きく前進していくのだ・・と。まさにそのとおりです。神様は信徒一人一人を用いて福音を宣べさせ、その働きを広げようとしておられるのです。まさに信徒一人一人こそ伝道のエネルギーの大きな源なのです。

 Ⅱ.ピリポのサマリヤ伝道

 次に、そうした信徒による伝道の具体的な例として、ピリポのサマリヤ伝道を見たいと思います。5-11節をご覧ください。

「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊に疲れた多くの人たちからは、その霊が大声で出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。それでもその町に大きな喜びが起こった。ところがこの町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行って、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、『この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ』と言っていた。人々が枯れに関心を抱いたのは、長い間、その魔術に脅かされていたからである。」

 ピリポとは、6章のところで、毎日の配給のことでなおざりにされていたということで、ギリシャ語を使うユダヤ人たちがヘブル語を使うユダヤ人たちに苦情を申し立てたとき、その問題解決のために立てられたあの七人の執事のひとりのピリポです。彼は会計と救済を担当するために選ばれた働き人でしたが、ステパノのように、福音を伝える働きもしました。彼が散らされて行った先はサマリヤでした。サマリヤとは、紀元前722年にアッシリヤに侵略された時、混血族になったため、同族のユダヤ人から捨てられ、蔑視されしたいた民です。というのは、ユダヤ人というのは、血の純血を特に重んじていたからです。そのサマリヤ人たちは、旧約聖書の初めの五冊だけを経典として信じ、ユダヤ人のエルサレムでの神殿に対抗してゲリジム山に神殿を建て、彼らなりにメシヤを待ち望んでいました。そのサマリヤの町でピリポは、キリストを宣べ伝えたのです。すなわちイエスこそその待望のメシヤであると語ったわけです。
 しかし、ピリポの働きは単に福音を宣べ伝えただけではありませんでした。彼は福音を伝えるとともに、悪霊を追い出し、多くの病人をいやしました。それはイエス様がなされた働きを継承し、神の国が到来していることを示すしるしでした。それでその町に大きな喜びが起こりました。

 それにしてもなぜ、ピリポの働きはそんなに大きな成果を収めることができたのでしょうか。それは、彼がキリストを宣べ伝えたからです。彼は自分の考えとか、ある種の治療を行ったのではなく、キリストを宣べ伝えたので、このキリストが救いをもたらし、人々を生まれ変わらせ、立ち上がらせたのです。キリストの福音にはそれだけの力があるからです。これは9節からのところに出てくる魔術師シモンと大きく異なる点です。シモンは魔術を行って、サマリヤの人々を驚かせ、自分は偉大な者だと話していましたが、ピリポが行っていたのはそうした魔術ではなく、本物の救いであるイエス・キリストを伝えたのです。そもそも「魔術」とは、人間的にはあり得ないことを、あっという間にやり遂げて、人々を驚かすテクニックにすぎません。

 先日、那須塩原駅前の道路を車で走っていたら、日本的なきれいな建物が建っていたので、何だろうと思ってよく見てみたら、何と崇教真光と言われる団体でした。皆さんは、このグループについてご存じでしょうか。このグループは、神道系の新興宗教で「テカザシ」を標榜する団体(のうちの1つ)です。健康、平和、富飲む三つを幸福の三原則と説き、この健・和・富の三拍子を得るための霊術が〈真光の業〉(まひかりのわざ)です。彼らの主張によると、病気や災難に見舞われるのは80%「霊障」のせいであり、それは「テカザシ」でしか解消できないというのです。よいことも悪いことも、テカザシを通してその光がもたらしたものとみなされていて、もしある人が「よく感じる」ことができれば、それは光が働いているとされ、もし「悪く感じる」ことがあれば、それは光が毒素を溶かし、毒素が排泄される過程で悪く感じるとされています。もし何も感じなければ、それは段階を経るために時間がかかっているのだとされるのです。
 だれがそんなインチキ宗教を信じるのかと思いますが、このようなことを信じている日本人は意外と多いのです。それは人はみな多かれ少なかれ悩みを持っていて、そうした悩みを解決してくれるものがあるとしたら、それがどのようなものであれ信じたいと思うからです。そして、自分の目の前で病気が治ったり、問題が解決したりしますと、「この人こそ大能と呼ばれる人であり、神の力だ」と思ってしまうのです。しかし、それは魔術にすぎず、本物の救いではありません。

 しかし、ピリポの宣べ伝えたのはそうした魔術ではなく、本物でした。それは魔術を越えた聖霊なる神の働きであり、現世利益を越えた聖霊による祝福の信仰であり、新しく生まれ変わるいのちの輝きであり、キリストを信じる信仰による人格と人生が変革が伴うものでした。

 皆さんには、このキリストが人を救い、人を苦しめるあらゆる病気、災いから解放してくださるという確信があるでしょうか。キリストもいいけど、あの人の話もうんと感動的でいいとか、キリストもいいけど、あっちでは病気が治ったんだと・・。などとる、そうしたものに心が引かれてはいることはないでしょうか。この終わりの時代には、そうした人々をあっと驚かすような不思議な奇跡を行う人や魔術を行う人が出てくることが聖書にも書かれてありますが、そうしたものに惑わされることがないように、霊の目をしっかりと開いて、それらを見分けていかなければなりません。

 Ⅲ.キリストに信頼して

 ですから第三のことは、キリストに信頼してということです。12~13節をご覧ください。

「しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇跡が行われるのを見て、驚いていた。」

 ピリポが来るまで、サマリヤの人たちはみな、魔術師シモンに大きな関心を抱いていました。「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ」と言っていたのに、ピリポがやってきて神の国とイエス・キリストの御名について語るのを聞くと、今度はそれを信じ、男も女もバプテスマを受けました。そればかりか、そのシモン自身までも信じて、バプテスマを受け、ピリポについて行くようになったのです。何ということでしょうか。いったいどうして彼らはみな、それまで信じていたシモンについて行くのを止め、ピリポについて行くようになったのでしょうか。イエスがキリスト、救い主であるという喜びの知らせは、それほどまでに人の生活を変える、神の力だったからです。

「十字架のことばは、滅びに至る人々にはおろかであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(Iコリント1:18)

 シモン自身が、ピリポの福音のメッセージを聞き、めざましいいやしの働きと数々の奇跡をじっくりと観察・熟視して、「これは本物だ」と結論づけました。「勝ち目はない」と悟ったのです。魔術はどこまでも魔術です。聖霊による使徒たちや教会の奇跡にかなうはずがないのです。力の対決において、どのような悪霊も、聖霊にはかなわない。かないっこないのです。私たち、キリストを信じる人たちの心の中にすんでおられる聖霊は、そのあたりをうろちょろしている悪霊の何倍も、何十倍も、何百倍も、何千倍も、何万倍、何億倍、何兆倍も強いのです。聖霊は全知全能の神なのです。サタンも悪霊も、その聖霊の完全な支配の下に置かれている存在にすぎません。福音にはそれほどの力があるのです。であれば、私たちはこの福音に生きることが大切です。あれもこれもではなく、キリストにだけ信頼して生きることが求められるのです。

 先日、東京のある牧師からお便りをいただきました。一度も面識のない先生で、大きな教会を牧会しておられるこの先生が、いったいなぜお手紙をくださったのかと内容を見たところ、どうも先日東京で首都圏青年キリスト教宣教大会という集会があったらしく、そこで愛喜恵がお話した証しに感動して、祈りとともにお手紙を書いてくださいました。そんな大きな教会の牧師がどこの牧師だかわからないような者にわざわざお手紙をくださったというその暖かい心に感動しながら、同時に、いったいどんな話をしたのかと心配になって本人に尋ねてみたら、「まぁ、人生いろいろなことが起こるけど、すべてのことに神のご計画があるということを信じて、乗り越えられる。だから皆さんもがんばってください、みたいな話かな」と言った後で、「ところで、グレースの話を聞いてた牧師さんたちが、君は話をまとめる力があるし、話し方も上手だから、将来牧師になった方がいいというから、将来は脳科学を勉強して、それから聖書も勉強しようかな」と言いました。
 それを聞きながら「そうだね」と言いながらも、心の中では「聖書もか」と思いました。「聖書も」ではなく、「聖書を」「聖書こそ」となったらすごいのになぁ・・・と。

 多くの人が同じように思っているのではないでしょうか。「聖書もいいけどあれもいい」とか、「聖書もいいけどあれもなかなか魅力的だ」とか。しかし、しかし、ピリポが伝えたのはキリストでした。このキリストが人を変え、人をいやし、人を立ち上がらせてくださり、いその町全体に喜びをもたらしました。みことばこそ人を救い、育て、助け、励ましてくださる力あるものなのです。であれば、このみことばに、キリストに信頼して生きるべきではないでしょうか。パウロはエペソの長老たちに次のように言いました。

「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を次がせることができるのです。」(使徒20:32)

 皆さんはどのようにみことばを聞き、それに従っておられるでしょうか。イエス様は種蒔きのたとえの中で、四つの畑について言及されました。まず道ばたです。道ばたに落ちた種は、鳥が来て食べしまったので、実を結ぶことができませんでした。次に岩地です。岩地に巻かれた種は、根が浅かったので、しばらくの間は聞いていましたが、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいました。三つ目はいばらの中です。いばらの中に蒔かれた種は、みことばを聞く聞きますが、この世の心づかいや富の惑わしがみことばをふさぐため、実をむすばないのです。しかし四つ目の良い地に蒔かれた種は、何倍もの実を結びました。それを聞いて悟るからです。それを聞いて悟る人は、何倍もの実を結ぶことができる。みことばに、それほとの力があるからです。

 皆さんは、どんな畑の心でしょうか。どうかみことばを聞いて、それを悟る人になってください。これが本物であると信じ、このみことばにかける人になってください。そうすれば、神の力が皆さんの中に充満することでしょう。それはそれまでサマリヤの人たちの心を支配していた魔術にも勝利するほどの力です。この福音の信仰こそ、私たちに、私たちのためではなくイエス・キリストのために生き、また死なせる力でもあるのです。この福音信仰が、魔術と迷信にとらわれている人々を救い力でもあるのです。この信仰が、どこに散らされて行っても、その散らされた先々で、独創的な工夫と力をもって福音を宣べ伝えさせる力なのです。