きょうは、「救いの喜び」というタイトルでお話したいと思います。きょうのタイトルは39節からとりました。「水からあがって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。」
ステパノの迫害によって散らされた信徒たちは、みことばを宣べながら、巡り歩きましたが、その一人ピリポはサマリヤの町に下って、そこでキリストを宣べ伝えますと、多くの人たちがイエス・キリストを信じて、バプテスマを受けました。そればかりでなく、その町で魔術を行って人々を驚かしていたシモンも信じるほどでした。
そして、このピリポの伝道はさらに続きます。26節を見ると、主の使いがピリポを、今度はガザという荒れ果てた所へ導きます。彼はその道でエチオピア人に伝道して救いに導いたかと思ったら、39節では、また主の霊に連れ去られ、それからアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行ったのです。実にめまぐるしい巡回伝道旅行です。しかし、彼が次に登場するのは21:8-9ですが、そこにもまだカイザリヤに住んでいて、四人の成人した娘とともにいると記されてありますから、カイザリヤでやっと落ち着いたのでしょう。ともかく、このサマリヤで伝道した頃や、エチオピアで伝道した頃というのは、彼にとっても特に動きがあったというか、ドラマチックな伝道の働きが多かったのだと思います。
そのピリポが次に遣わされた所は、ガザという所でした。そこでエチオピア人の宦官と出会い、彼に主イエスのことを宣べ伝えて、救いに導くわけです。
きょうは、このエチオピア人の宦官が救いに導かれていった過程から、救いの喜びについて三つのことをお話したいと思います。まず第一のことは、ガザに導かれたピリポについてです。第二のことは、エチオピア人の宦官が救いに導かれていく過程です。第三のことは、彼が救われバプテスマに導かれた様子です。この三つのことを見ていきましょう。
Ⅰ.ガザに下る道に出なさい
まず第一に、ピリポがガザに導かれていった記述を見てみましょう。26,27節をご覧ください。
「ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。『立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。』(このガザは今、あれ果てている。)そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためにエルサレムに上り・・・」
エルサレムで多くの人々が主イエス様を信じたとき、突然主の使いが彼に、「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」と言われました。ガザは、エルサレムから南西に、直線距離にして80㎞にあります。日本語の訳ではこのガザについて、ルカが注釈を加えたかのようになっていますが、実際には下の欄外にあるように、「これは荒れ果てた道である」というだけのことです。つまり、エルサレムからガザに下る道はいくつかありましたが、私の言っているのは荒野に下る道のことだと付け加えているのです。それにしても、サマリヤでの伝道で大活躍していたピリポを、こんな人影少ない、荒野の道に下らせるというのは、人間の計算には合わない非能率的な配置転換であったかのように見えます。いったい神様はなぜこんなことをされたのでしょうか。
それは27節を見るとわかりますが、主の使いに言われた通りにピリポが出て行きますと、そこにエチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピア人が通りかかります。そうです、神様はこのエチオピア人の宦官に出会わせるために、ピリポをわざわざこの荒れ果てた道へと遣わされたのです。ピリポにとってもこのエチオピア人にとっても、それは未知の遭遇であったかもしれませんが、すべてをご存知であられる神様は、明らかに二人がここで会うようにと導いておられたのです。
時として神様は、私たちを荒野へと導かれることがありますが、けれども、そこには人間の考えや思いをはるかに超えた神様の導きがあるのです。であるならば、たとえ自分が思っていなかったような道に導かれたり、願ってはいないような道を歩くことがあっても、そのことを嘆いたり、つぶやいたりしないで、そうした中にも神様の導きがあると信じて、一歩一歩進んでいかなければならないのです。いったいそこにどんな意味があるのかわからなくても、やがて時が来て、神様はその意味についても示してくださることでしょう。ですから、たとえそれが荒野であったとしても、神様が示してくださったのならば、導かれるままに進んで行かなければなりません。そうすれば、そこに主が備えておられる人がいて、その人と出会わせてくださるのです。
Ⅱ.どうか教えてください
次に、このエチオピア人の宦官に救いに導かれていった過程を見ていきましょう。27~35節をご覧ください。
ピリポがガザに下って行ったとき、そこで出会ったのはエチオピア人の女王カカンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピア人でした。「カンダケ」とは、エジプトの王を「パロ」、ローマの皇帝を「カイザル」と言うように、エチオピア人の女王の称号です。この人はエチオピア人の女王から信任され、女王の財産全部を管理していた高官でした。どうして彼がこんな所にいたのかというと、彼は礼拝のためにエルサレムに上り、まさにいま馬車に乗って帰る途中だったからです。
それにしても、このエチオピア人は宦官であったと紹介されています。宦官とは男性の生殖器官が切除された人のことです。古代では女王のそばで仕える官吏は、大概このように生殖器官が取り除かれた宦官でした。しかし、旧約聖書申命記23:1によると、このように生殖器官が取り除かれた人はみな汚れた者とみなされ、心で改宗していても割礼を受けることができなかったので、エルサレムの神殿の外庭からしか入ることが許されず、そこで礼拝するしかなかったのです。いわば、神から拒絶されていたかのようであったということです。そればかりではありません。彼が住んでいたエチオピアという所は、南の果ての異国とみなされていました。社会的にも見下げられていた人だったのです。にもかかわらず彼は、延々千数百㎞以上、日本でいえば九州から北海道まで旅をして巡礼したのですから、その求道心は並々ならぬものがありました。それほどの犠牲を払ってまで彼は、神を礼拝することに熱心でした。
私たちがだれかを知ろうとするとき、一番手っ取り早い方法は、その本人と会うことです。それが昔の人であったとか、外国の人でなかなか会うことが難しいという場合は別ですが、会おうと思えば会うことができる近くにいる人でその人のことを知りたいと思うなら、まずその人のところに行って、その人の話を聞きます。神を知るときも同じです。私たちが神を知りたいと思うなら、神に会いに行くのが一番わかりやすく、正しい道です。その神に会う道こそ礼拝なのです。なのにその礼拝に行こうとしないで、まず一人で聖書を読んだり、キリスト教の書物を読み、だいたいわかってから礼拝に行こうというのは、その心構えからして間違っているのです。だいいち、キリスト教の書物の中にもいろいろな書物があって、どれを読んだらいいかすらわからないで悩んでしまうのが現実です。ですから、神を知りたいと思うなら、まず教会の礼拝に行って、そこで神に出会うのが一番いいのです。
中には、いや、礼拝に行ってはみたけれど、何を言ってるのかチンプンカンプンで、何の益も得られなかったから、別に行く意味がないと性急な判断をされる方もおられますが、礼拝の益というのは、礼拝堂にいるうちからひしひしと感じ出すとは限りません。このエチオピア人にしても、果たして礼拝でどれほどの益を受けることができたでしょうか。神殿の外庭で、たたずんでいる感じで、日頃の疑問に解答を得たかというと、そうでもなかったのではないかと思います。彼はその帰路、イザヤ書という有名な聖書を読んでいても、「導く人がいなければ、どうしてわかりましょう」と言っています。彼は、聖書のきわめて基本的な事柄すら、わかりませんでした。こんな状態で礼拝に出たって、どれだけ光が得られたかわかりません。しかし、神様は彼をむなしく帰されはしませんでした。そこに伝道者を備え、待ち受けさせてくださったのです。つまり神様は、礼拝の帰り道で、すばらしい恵みをもって彼に会ってくださったのです。礼拝で神様に会えたらもっとすばらしいですが、たとえそうでなくても、礼拝で神様にお会いしたいという思いは、必ず報いられるのです。ですから、性急に判断しないで、執念深く礼拝に出席し続けることが大切です。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(ルカ11:9,10)
とあるとおりです。
それから、このエチオピア人のすばらしかった点は、彼が求道者であったにもかかわらず、自分の聖書を持って、読んでいた点です。当時は、今日のように印刷された聖書が簡単に手に入る時代ではありませんでした。手で筆者された聖書は、かなりの高価なものだったに違いありません。ですから、だれもが入手できるわけではなかったのです。おそらく彼は、それをエルサレムで購入したのでしょう。それを馬車の上で読んでいたのです。今日のように舗装された道路ではないガタガタした道を走る馬車の上で、体を揺られながら、必死で読んでいた。このような求道者を、どうして神様がいつまでも見過ごされるというようなことがありましょうか。
私は小さな頃教会学校に行っていましたが、それでも聖書そのものを読んだことはありませんでした。そんな私が最初に聖書を手にしたのは、中学生のときに校門の前で配られた赤い表紙の新約聖書でした。いま思うとそれは、国際ギデオン協会で配布してくださった聖書でした。私は聖書にはどんなことが書いてあるかと思って興味を持ち、友達から馬鹿にされないようにその聖書をそっとかばんの中に入れ、家に帰ってからわくわくしながら開きましたら、そこには次のようにかかれてありました。「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、ユダに、タマルによってパレスとラザが生まれ・・・」(マタイ1:1~3)この箇所を読んだとき、「何だこれは・・」と思って、すぐに読むのを止めて寝てしまいました。それからというもの、滅多に聖書を開くということはありませんでしたが、不思議なことに、その後何度か家を引っ越すことがあっても、その聖書だけはずっと大事に取ってありました。本が嫌いな私が、いかにも学がありそうなふりをして、本棚をこっひりと飾っていたのです。
しかし、どんなに難解な箇所があっても、何回読んでもわからない箇所でも、それでもコツコツと読んでいる人には、神様は必ず、聖書のあちこちの箇所を通して、真理を示してくださるのです。
日本にプロテスタントが来日し宣教を開始してから今年で150年を迎えましたが、その前にもフランシスコ・ザビエルなど、いわゆるキリシタン・バテレンを通して1549年から始まっていましたが、徳川幕府の鎖国政策によって、キリスト教は忘れ去られ、信徒は隠れキリシタンとなり、宣教はなかなか進みませんでした。この日本における宣教の最大の失敗は、最初にキリスト教が日本に入ってきたときに、それを日本語に訳さなかったことにあるといっても過言ではないでしょう。そのために最初の人たちは自分たちで聖書を読むことができなかったのです。
しかし、このエチオピア人はそうではありませんでした。彼が持っていたのはおそらくアレキサンドリヤで紀元前2世紀にギリシャ語に訳された、旧約聖書のギリシャ語訳、いわゆる「七十人訳聖書」だったと思いますが、それを購入し、それをコツコツと読んでいました。だからこそ、このような形でもっと理解する機会が与えられたのです。聖書のどこを読んだらいいのか、どのように読んだらいいのかについて、それを助けるための本も出ています。「リビングライフ」とか「幸いな人」です。そんなにいっぱい読めないという人のためには「アパールーム」というものも出ています。これはその日の箇所の中心的な1節だけを取り出し、それについて黙想できるようなコラムが掲載されています。どれがよいかはその人のレベルによっても違いますが、大切なのは、わかっても、わからなくても、それをコツコツと読んでいくことです。そうすれば、神様は必ず真理を示してくださるでしょう。
それから、このエチオピア人の求道のすばらしかった点は、彼が導く人を求めたことです。29~31節には、御霊がピリポに、「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われると、ピリポは馬車に走って行って行きました。馬車に近づいていけるほどのスピードですから、かなり足が速かったんでしょうね。先の世界陸上男子100メートル決勝では、ジャマイカのウサイン・ボルトが9.58の驚異的な世界新記録で優勝しまたが、それに勝るとも劣らないスピードだったかもしれません。馬車に近づいていけたスピードだったんですから・・・。それで、馬車に近づいてみると、エチオピアの宦官は預言者イザヤの書を読んでいたので、ピリポは、「あなたは、読んでいることがわかりますか」と尋ねると、彼は言いました。「導く人がいなければ、どうしてわかりましょう」そして、馬車に乗って、いっしょにすわるようにとピリポに頼んみました。
このエチオピア人は、みずから聖書を読みながらも、謙虚になって自分の無力さを認め、指導と解説を求めたのです。実際、自分で聖書を読めば読むほど、質問と疑問がわいてくるので、それを解説してくれる人の必要性というものを感じるものです。そして、そのような人は、必ず、説教から解答のヒントを得て帰ることができるのです。中には、別に教会に行って説教を聞かなくても、聖書辞典と聖書注解があれば自分で解釈できるという人がいますが、それは単なる思い上がりです。まずもって聖書辞典や聖書注解が必要だということ自体、導きが必要だということであって、また、神様がわざわざ教会をお建てになり、そこに説教者を置いてくださったということの恵みについての認識が不足していると言えるのではないでしょうか。というのは、なぜ神様はエチオピア人の宦官に、ピリポを送られたのでしょうか。御霊が直接エチオピア人に現れて、彼を直接回心させても良かったでしょうが、神様はそのようにはなさいませんでした。それは、求道者が直接御霊や天使から御声をかけられるよりも、人間のくちびるを通して解説してもらった方がよいとされたからだと思います。おそれおおい神様の御声に震え上がるよりも、伝道者と肩を並べて座りながら、気さくに話し合って、「どういうことですか。教えてください」と気がねなく質問できる方が良かったからなのです。神様は、このような宣教、あるいは、説教という方法を通して、ご自分のことを伝えることを願っておられるのです。
ところで、ここでこのエチオピア人が読んでいたのは、預言者イザヤ書でした。宦官はピリポに向かって言いました。「預言者はだれについてこう言っているのですか。教えてください。」するとピリポは口を開き、この聖句から、イエスのことを彼に伝えたのです。つまり、福音を語ったのです。これは私たちが聖書を読むときのかなめです。すなわち、そこからキリストをとらえるということです。なぜなら、聖書の中心は、イエス・キリストだからです。イエスさまこそ、すでに預言者イザヤが預言していたとおり、大勢の人々を救うために、自分のいのちを捨て、身代わりに罪の罰を十字架の上で受けてくださいました。それは彼を信じる人が一人として滅びることなく、永遠のいのちを受けるためです。神は、それほどまでに、私たちを愛してくださいました。神様はそのためにピリポを遣わしてくださいました。このエチオピア人が救われるためにです。もちろん、これほど熱心に求道していたエチオピア人でしたから、ピリポの解き明かしを理解し、信じることができました。すると、このエチオピア人は何と言ったでしょうか。第三のことは、バプテスマです。バプテスマの恵みです。36~39節をご覧ください。
Ⅲ.バプテスマの恵み
「道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。ご覧なさい。『水があります。私が水でバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。』そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。」
このエチオピア人の宦官はピリポの話を聞き、主イエスを信じてバプテスマを受けました。バプテスマとは、求道して主イエスを信じた結果授けてもらう儀式であると同時に、それはそれを受けることによってさらに恵みを受ける手段でもあります。ウエストミンスター小教理問答書の中に、「キリストが、あがないの恵みを私たちに伝達される外的な、そして普通の手段は何であるか。」という問いがありますが、そこにはこうあります。「キリストが、あがないの恵みを私たちに伝達される外的な、そして普通の手段は、キリストの規定、特に、御言葉と礼典と祈りであって、これらすべては、選ばれた者にとって救いのために有効とされるのである。」(第88問)ですから、御言葉という恵みの手段を忠実に用いてきたこのエチオピア人は、バプテスマを受けることによって、さらに恵みを受けたのです。
バプテスマを受けるべき理由の第一は、ここにあります。すなわち、この儀式そのものはただ水の中に浸るだけのことで、特に何かの益をもたらすようなものではありませんが、キリストの御言葉に従ってバプテスマを受けることによって、さらなる恵みがもたらされるのです。たとえば、洗礼準備会などはその一つでしょう。洗礼の準備の中で指導者と交わり、特別の教育を受けることができるというのは恵みではないでしょうか。
また、このようにバプテスマを受けることは、それが信仰の告白でもあるからです。36節を見ると、そこには星印が付いてありまして、下の方にその節の説明が記されてありますが、そこには、異本には「そこでピリポは言った。『もしあなたが心底から信じるならば、よいのです。』すると彼は答えて言った。『私は、イエス・キリストが神の御子であると信じます。』」と挿入しているとあります。これはこのエチオピア人の信仰告白です。このように信仰を具体的に言い表すことは、クリスチャンにとって不可欠なことです。というのは、聖書に「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるからです。」(ローマ10:9,10)とあるからです。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるからです」とはどういう意味でしょうか。人は心に信じて義と認められますが、そのあがないの恵みを受ける手段がその信じていることの告白である、つまり、バプテスマであるという意味です。ですから主イエスは、「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。」(マルコ16:15)と言われたのです。信じるだけで救われるはずなのに、なぜバプテスマを受ける必要があるのでしょうか。その理由がこれなのです。信じて、バプテスマを受けることによって、本当に私たちの心にあったモヤモヤていたものが無くなって、本当に救われたという確信を持つことができるからです。それこそクリスチャンの特権であり、喜びではないでしょうか。
ですから、39節をご覧ください。このエチオピア人の宦官は、それから後ピリポを見ませんでしたが、喜びながら帰って行ったのです。この文章は、「宦官はそれから後彼を見なかったが、・・・」とありますが、もともとの文章では、「が」ではなく「なぜなら」という文章です。「それから後彼を見なかった。なぜなら、喜びながら帰って行ったからである。」という文章です。どういうことかというと、このエチオピア人が喜びながら帰って行ったのは、主の霊がピリポを連れ去って見えなくなったという物理的な理由によったのではなく、このエチオピア人自身に喜びが溢れていたからだったのです。ですから、ピリポが見えなくなっても、彼を捜し回ったりしませんでした。ピリポを失っても、彼の中に「喜び」があったからです。彼が、「喜び」を与えてくださる主イエス・キリストを持ったからです。
このように主イエス・キリストを見い出し、主イエス・キリストを持つ人には、大きな喜びがもたらされるのです。その喜びは何ものにもかえがたいほどの喜びであります。彼は今、これまで官吏してきたエチオピア人の女王の財産全部にまさる宝を、手に入れたのです。ピリポを失うにせよ、友人を失うにせよ、身分と地位を追われるにせよ、イエス・キリストを得た喜びは、他の何にも比べられないほどの喜びなのです。