使徒の働き14章19~28節 「神の恵みにゆだねられて」

 きょうは「神の恵みにゆだねられて」というタイトルでお話をしたいと思います。シリヤのアンテオケから遣わされたパウロとバルナバは、その伝道の旅を終えてアンテオケ教会に戻ります。そこはかつて彼らが主の恵みにゆだねられて送り出された所です。彼らはアンテオケを出てから、キプロス、ピシデヤのアンテオケ、イコニウム、ルステラを巡って福音を伝えました。きょうのところにはその伝道の旅の終わりに彼らがしたことと、そのアンテオケ教会に戻ってからしたことについて記されてあります。きょうはこのところから、教会が生み出され、建て上げられていくために必要な三つのことを学びたいと思います。第一のことは、信徒には励ましが必要であるということ。第二のことは、彼らが教会ごとに長老を選び出したことについて。そして第三のことは、神の恵みを数え上げることです。

 I.信仰には励ましが必要(19-22)

 まず第一に、信仰には励ましが必要であるということについて見ていきたいと思います。19~22節までをご覧ください。

「ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、
弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。」

 ルステラの町でギリシャの神々と崇め奉られそうになったパウロとバルナバは、そうしたむなしい偶像を捨て生ける神に立ち返るようにと語りましたが、今度は一転して死の危険にさらされるような出来事が起こりました。19節です。アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちがやって来て、群衆を抱き込んで、パウロを石打ちにしたのです。彼が瀕死の重傷を負ったことは、群衆がパウロは死んだものと思って、彼を町の外にひきずり出したという言葉からもわかります。恐れていたことがついに現実になってしまいました。しかし、死んだものだと思って取り囲んでいたら、突然彼が立ち上がり、町に入っていきました。聖書は、このときのパウロの心情を語ってはいませんが、傷だらけの体を押して再びルステラに入って行った彼の姿を見た弟子たちは、主に従うとはどういうことなのかをまざまざと見せつけられたに違いありません。そして彼は、その翌日バルナバとともにデルベに向かうと、その町で福音を宣べ伝え多くの人を弟子としました。

 問題は、その後どうしたかです。デルベで福音を宣べ伝えたパウロとバルナバは、事もあろうに、少し前にあんなに迫害されたルステラ、イコニオム、アンテオケの町々に引き返しているのです。地図をみるとわかりますが、このデルベから南東に進んで行けばパウロの生まれ故郷のタルソがあって、そのまま進んで行くとすぐに母教会のあるアンテオケに戻れるのです。なのに彼らはわざわざ逆の道を引き返して行きました。いったいどうしてそんなことをしたのでしょうか。その理由は22節に記されてあります。それは、「弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりととどまるように勧め」るためでした。つまり、伝道して救われたクリスチャンたちを励ますためだったのです。

 パウロたちの伝道をみると、畑に種を蒔くだけのいわゆる「種まき伝道」ではなかったことがわかります。そこには種を蒔いて芽が出た人への信仰の教育と牧会的配慮が伴っていました。なぜ種まきだけで終わってはならないのでしょうか。それは、信仰にとどまるということが、そう簡単なことではないからです。人は福音を聞き、ここに救いがあると確信して洗礼を受けますが、だからといって、そこにずっととどまっていることができるのかというとそうではありません。実際には、何度も何度も手を変え品を変えて、心を強め、勧められなければ全うできることではないのです。そう、信仰には励ましが必要なのです。支えが必要です。そのようなクリスチャンの交わりの中で励まされ、支えられてこそ、信仰にとどまっていることができるのです。

 なぜでしょうか。なぜなら、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」からです。おそらく、アンテオケ、ルステラ、イコニオムでパウロが受けたような迫害が、もうすぐこれらのクリスチャンにも迫ってくることでしょう。こうした人たちの信仰が強くなり、彼らが大胆に証しされるようになると、それに伴ってもっと多くの苦しみも襲ってくるのです。そのような中でもこの信仰にしっかりととどまっているためには、こうした励ましが欠かせなかったのです。

 私たちが住むこの日本では、こうした迫害や苦しみはないかもしれませんが、それとはまた違う形の困難があるのではないでしょうか。イエス様はマタイ7:13,14で、「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」と言われました。圧倒的大多数の人たちがクリスチャンを無視して正反対の道に殺到していくのを見るだけでも、焦りとか劣等感といった精神的苦痛を味わうものです。そしてこのような葛藤ほど苦しいものはありません。時代のバスに乗り遅れたら人間失格者になりかねないという焦りから、多くのクリスチャンが、一度は踏み入れた狭い道から、引き返すことも少なくないのです。ですから、私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならないということと、この信仰の道こそ、神の国に入る正しい道なのだということを、繰り返し繰り返して確認していかなければなりません。

 「ジャックと豆の木」という童話がありますが、私たちが天に登る道は、豆の木ではありません。私たちが登る木はばらの木のようないばらの道で、その途中には多くのとげがあります。しかし、その途中にどんなに苦痛に満ちたとげがあっても、その頂には、きれいな花が、すばらしい栄光の花が咲いているのだということを、いいえ、このような針やとげがない茎には、ばらの花は咲くことがないのだということを、よく理解していなければなりません。

 バイオリンを作るある職人がいました。彼は最上のバイオリンを作るために、質のよい木を探そうとあらゆる力を尽くしました。そして、最良の国産の木を選び、また良質の外国産の木も取り寄せたりしましたが、そうした努力にも関わらず、自分の望むバイオリンを作ることができませんでした。
 ところがある日、樹木の境界線で苦労して育った木を発見しました。その木は節が多く、ねじれていました。冬の厳しい風と山頂から吹きおろす荒涼とした風雨に打たれて育ったため、形はまっすぐではありませんでしたが、とても頑丈でした。彼はその木でバイオリンを作りました。すると、そのバイオリンは、それまで作ったどのバイオリンよりもすばらしい音を奏でたのです。

 それは私たちの信仰も同じです。信仰という困難な環境の中で厳しい試練と苦しい経験を通って生きた人は、やがて神の国という栄光を見るようになるのです。私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければなりません。ある人は信仰に無理解な家族から、ある人は職場の同僚や上司から嫌がらせを受けることもあるかもしれない。またある人は教会の中であらぬ誤解を受け心に痛みを抱えてしまうこともあるでしょう。しかし、私たちの道は間違っているのではありません。私たちは確実に、いのちに至る狭い門、狭く細い道から入っているのです。そしてやがていのちに至るまでの間に様々な苦難を通し、それにふさわしく整えられているのです。このことを覚えて互いに励まし合い、支え合っていかなければなりません。信仰は決して孤独な営みではないのです。

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12:1)

 雲のように私たちを取り巻いている多くの証人たちをはじめ、同じ信仰に歩んでいる友がたくさんいるのです。そうした人たちとともに、励まし合って、御国に向かって進んでいく。それが教会なのです。

 Ⅱ.教会ごとに長老たちを選び(23)

第二のことは、パウロとバルナバが教会ごとに長老たちを選んだことです。23節をご覧ください。

「また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」

 パウロは、これまで伝道して救われたクリスチャンを励ますためにそれが危険なことだと分かっていても、引き返して、弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりととどまるように励ましましたが、彼がしたことはそれだけではありませんでした。教会ごとに長老たちを選び、断食して祈った後、彼らをその信じていた主にゆだねたのです。どういうことでしょうか。異邦人に福音を伝えるという使命が与えられていたパウロは、いろいろなところを巡回しながら福音を伝えていかなければならなかったので、ずっと一つの群れにとどまっていることはできませんでした。彼が教会のためにできることは限られたことであり、教会にいられる時間も限られていました。ですから、主イエスを信じた人たちがずっと信仰にとどまっているために彼がしたことは、彼らをその信じていた主にゆだねるということでした。その具体的なことが、教会ごとに長老たちを選ぶということだったのです。

 教会ごとに長老たちを選ぶということが、どうして主にゆだねることにつながるのでしょうか。それは主にゆだねるということが、具体的にはそのように長老たちを選び、彼らの指導にゆだねることだからです。そのようにすることによって、教会の主であり、かしらであられるイエス・キリストが、御言葉と聖霊によってご自身の教会を治め、守り、建て上げてくださるのです。ですからパウロはここで、教会ごとに長老たちを選び、・・・彼らをその信じていた主にゆだねたのです。教会の組織や政治といったものをいかにも俗っぽいもののように毛嫌いし、ただ、みことばの説教を味わい、祈りに逃避するだけの個人主義的信仰は、このような意味からも間違っていると言えます。教会が一定の秩序と組織に整えられているということは、私たちが抱える様々な苦しみを克服し、この信仰にしっかりととどまっているうえで重要なことであり、福音宣教という神様からゆだねられている使命を果たしていくためにも必要なことなのです。

 ところで、このように牧師、長老、役員が選ばれるということはどういうことなのでしょうか。まずここでは、教会ごとに長老たちが選ばれたとあります。信仰が長く、しっかりしていれば、ルステラでもイコニオムでもアンテオケでも長老として通用するかというとそうではなく、ルステラではルステラの会衆から、イコニオムではイコニオムの会衆の中から立てられる必要がありました。それはどんなに小さな教会であっても、それそへれの置かれていた状況は様々で、そうした状況に適応した人たちが必要だったからです。そうした違う教会のそれぞれの個性が生かされ、会衆の総意というものが反映されていくためにも、それぞれの教会ごとに長老たちが選ばれたのです。

 そればかりではありません。ここには、「長老たち」と複数で選ばれたことがわかります。それは言うまでもなく教会が一人の人の独裁を避け、個人が持っている短所や癖といったものを補い合って、個人的好みや主義主張を避けるための工夫でもありました。能率的な面から言えば、有能な牧師や役員がひとりで何もかもした方がやりやすいかもしれませんが、それでは教会に牧師や長老を立てることの意義を見失ってしまうことになります。その意義とは、教会が主の御声を聞くことです。教会が長老を立て、このように組織することの最も重要なことは、このように牧師や長老を立てることによって主のみことばを聞くことなのです。それは単なる組織上の利便性を考えてとか、会員たちの声が教会の運営に反映されるといった人間的な理由によるのではなく、あるいは、そのようにして教会が風通しがよくなるといったことでもなく、このことによって主の御声を聞くことができるためなのです。主の御声を聞いて、主のみこころが明らかにされ、この方にお従いするためです。それが主にゆだねるということだったのです。

 私たちの教会も二週間後には総会が行われますが、この総会において最も重要なことはこのことではないではないかと思います。すなわち、教会は私たちの考えや好みがどうのこうのではなく、主の御声を聞いて、主のみこころがどこにあるのかを知り、それに従っていくことです。それが主にゆだねていくということなのです。イエス様は、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:18)と言われましたが、そのような教会こそ、決して揺れ動くことのないイエス・キリストを頭としたご自身の教会なのです。

 Ⅲ.神の恵みを数えて(24-28)

 第三のことは、パウロとバルナバが母教会のアンテオケ教会に戻り、そこでどのような報告をしたかです。24~28節までをご覧ください。

「ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。」

 パウロとバルナバはもと来た道を引き返して、弟子たちを励まし、教会ごとに長老たちを選び、彼らをその信じていた主にゆだねると、パンフリヤ、ペルガ、アタリヤへと進み、そこからようやくのことで船に乗り込み、アンテオケに帰りました。そして、そこで教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人にも信仰の門戸を開いてくださったことを報告したのです。

 ここで注目したいことは、このアンテオケが、「以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった」と記されてあることです。彼らの伝道の旅を振り返ってみると、それは必ずしも神の恵みとは言えないことがたくさんありました。キプロス島では魔術師エルマとの戦いがあり、勝利してさあ次へ向かおうとしたら今度は同行していたヨハネ・マルコが脱落して離れて行ったり、ルステラではギリシャの神々に奉られることもありました。かと思ったら、ユダヤ人たちの陰謀によって、激しい敵対のために、石打ちにあって死にそうになったこともありました。こうした彼らの旅を振り返ってみると、それは神の恵みというよりも苦難の連続であったわけです。しかし、パウロにとってはこの旅全体を振り返ったとき、確かにそれは神の恵みにゆだねられて始まった旅であり、その旅を終えた今も、そのように言うことができたのです。なぜなら、彼らはこの伝道旅行の中で行われたすべてのことが、神がともにいて行われたことと信じていたからです。実際に汗水流して働いたのはパウロとバルナバですが、そうした働きの背後には、神がともにいて行ってくださったと理解していたのです。そういう意味では、パウロもバルナバも、徹頭徹尾、自分たちは主なる神のしもべであって、教会の働きもその主のみわざであるという意識に貫かれていたのです。

 それはちょうどラグビーのようではないでしょうか。ラグビーは前進しながらもボールを後ろに回して行きます。前に投げることはできません。そして前に進もうとすると相手にタッグルされて倒されてしまいます。倒れれば相手が折り重なってつぶされる。けれども、それをまた次の選手が拾い上げ、受け取って、再び走り出し、ゴールへと向かって進んでいくわけです。この地上の教会の歩みはまさにそうです。いろいろな困難に直面し、倒され、つぶされ、奪われ、前に進んでいるのか、後ろに後ずさりしているのか時には分からないような経験を通されることがありますが、しかしボールは確実に手から手へと受け渡され、全体として神の国の完成へと向かって進んでいくのです。後退しているようでも、倒され、つぶされ、もみくちゃにされながらも、ボールは確実にゴールを目指して進んでいるのです。それがわかるからこそ、その置かれた状況、状況の中でも全力を出し切ることができるのです。

 パウロとバルナバもそうでした。彼らの伝道の旅には多くの困難があって、時には倒され、本当に福音が前進しているのかさえもわからなくなる時もありましたが、今、こうやって振り返ってみたとき、そこに神の御手がともにあり、すべてが神の恵みによるものであったということが分かったのです。

 ですから、たとえそこに失敗や挫折があったとしても、主の恵みとそのみわざを数えるという冷静な心を失ってはなりません。主の恵みを正しく数えるならば、私たちは必ず、第二、第三のもっと意欲的なみわざに取り組んでいくことができるようになるでしょう。今、私たちは新しい年度の歩みに入りますが、このことを忘れないでいたいものです。すなわち、昨年度のすべてのことは神がともにいて行ってくださったことであり、そこには失敗も成功もいろいろありましたが、それらすべてのことは神の恵みであったということです。そのように人にではなく神の恵みに期待する人は、さらに大きな力を得ることができるのです。主の恵みを豊かに数え上げた上で、新しい年度も大いなる幻を描きながら前進していきたいものです。