使徒の働き15章22~35節 「互いに励まし合って」

 きょうは、「互いに励まし合って」というタイトルでお話したいと思います。異邦人が救われるためにはイエス・キリストを信じるだけでなく、モーセの慣習に従って割礼を受けなければならないのか、すなわち、救われるためには信仰だけでなく律法の行いも求められるのかについて話し合われたエルサレム会議は、28節に「聖霊と私たちは・・・決めました」とあるように、聖霊の導きの中で、救いはただイエス・キリストを信じる信仰によってであるということを全会一致で決議しました。ただそのように信じているユダヤ人たちもいるので、そうした人たちを配慮することも大切なので、彼らが堅く信じていた律法の中心的な四つのことには注意しようということになりました。きょうのところには、その知らせがアンテオケ教会を中心とした異邦人教会に伝えられた様子が記されてありますが、その知らせを聞いた異邦人のクリスチャンたちは励まされ、大いに喜び、さらに福音宣教に励むようになりました。このような「励まし」がもたらす効果がいかに大きいかを感じます。

 きょうはこのことから互いに励まし合うことの大切さについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、なぜエルサレム教会はユダとシラスをアンテオケ教会に送ったのかということです。それは彼らを励まし、力づけるだめでした。第二のことは、エルサレム教会が書き送った手紙の内容です。それはまさに励ましの手紙でした。そして第三のことは、そのような励ましを受けたアンテオケ教会の人たちは、どのように変えられていったかです。彼らはその励ましによって強められ、次の宣教へと向かっていきました。

 Ⅰ.励ましのことば(22)

 まず、22節をご覧ください。

「そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった。」

 エルサレム会議で御霊によって一致し、救いの問題について決議すると、教会は彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケに送ることを決めました。選ばれたのは兄弟たちの指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダとシラスでした。このユダとシラスの身元は不詳ですが、ここには兄弟たちの中の指導者であったこと、そして32節を見ると、二人とも預言者であったことがわかります。エルサレム教会は、この二人をアンテオケに遣わしたのです。会議の決定を伝えるだけなら手紙だけで事足りるのに、こうしてわざわざ二人の使者たち、しかもエルサレム教会の指導者であったユダとシラスを遣わしたのにはそれなりの意味があったからだと思います。それは、彼らがアンテオケの人たち(クリスチャン)を励ますためでした。もしただ単に会議で決まった内容を伝えるだけだったら、こうしてわざわざ二人の指導者を遣わすことまではしなかったでしょう。しかし彼らが願っていたことはそれだけではありませんでした。彼らはこうして二人の指導者を遣わし直接アンテオケの人々と会い、彼らの顔を見て、懇切丁寧に語ることによって、自分たちの思いというものを伝えたかったのではないかと思います。そしてそれをもって異邦の地にあってこの信仰に生きる人たちに具体的な励ましを与え、力づけたかったのだと思います。このような信仰の営みは、時には無駄なことかと思われることで、何もそこまでしなくてもと思われるようなことですが、実は大きな意味を持つのです。事実32節を見ると、「ユダとシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた」とあります。彼らは、この手紙には書き切れない多くの内容をみことばをもって語り、そこにいた多くの兄弟たちに励ましを与えることができたのです。今であればメール一通で住むところを電話をかけて声を聞き、手紙一つで済むところを直接訪ねて行っては顔を見て安否を問う。そういう血の通った交わりの中で人は愛され、覚えられ、大切にされていることを感じ、具体的に励まされていくものです。まさに教会の交わりは、そうした具体的な励ましの中で豊かにされていくのではないでしょうか。Ⅰテサロニケ5:11には、

「ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」

とあります。テサロニケの人たちは眠った人々のことについて正しい知識がなかったため、悲しみに沈んでいました。死んだらすべてが終わると思っていた彼らは生きる望みを失い、投げやりな生活に陥っていたのです。そんな彼らに対してパウロは、よみがえりの希望を語ることによって、彼らを慰め、励ましました。やがて主が再臨されるそのとき、まずキリストにあって既に死んだ人が、続いて生き残っている人たちが雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです・・・と。それは彼らにとって大きな慰めでした。神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになられたのではなく、イエス・キリストにあって救いを得るように定めておられた。その主が死なれたのは、私たちが目覚めていても、眠っていても、この方とともに生きるためであるということがわかったのです。であればもはや死は怖くありません。生きることも希望です。彼らはこのことばによって励まされ、喜んで信仰に生きることができるようになったのです。

 このように、励ましはお互いが慰められ、励まされて、建て上げます。それを聖書では何と言ってるかというと「徳を高める」と言います。お互いの足を引っ張り合うのではなく、あるいはお互いが破壊するのでもなく、お互いに建て上げられるのです。。お互いの徳が高められる。それが励ましや慰めの目的です。まさに預言者はそのために立てられたのでしょう。聖書のみことばをもって勧め、励まし、慰めて、その人を建て上げていくのです。ユダとシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけたのです。

 「アン・ビリーバボー」というテレビの番組がありますが、しばらく前にアメリカのリネイ・ポイリアーさんという方が紹介されました。彼はクリスチャンの方ですが、その彼の生涯にあるときアン・ビリーバボーな出来事が起こりました。
 彼は電気工事の技師ですが、あるとき工事中に誤って高圧電線に触れ、「バーン」と吹き飛ばされてしまい、そのショックで失明し、両目とも完全に見えなくなってしまいました。もちろん、電気工事士という仕事も失いました。そして経済的にも精神的にも深刻な淵に立たされたのです。そのとき彼はこう思いました。「どうして自分の身にこんなことが起こってしまったんだろう。どうして神は守ってくれなかったのだろう。どうして・・・」そんな時彼が通っていた教会の仲間からこんなアドバイスをもらいました。

「私たちの状況には関係なく神様は完全なお方なので、神様はあなたを最善に導いてくださいます。ですから聖書に書いてあるように、いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。これが、神が私たちに望んでおらることです。」

 彼はそのことばを聞いて「そうだ」と素直に思いました。そして、彼はただ自分の身に起こったことを嘆いていても何も始まられないと感じ、最善に導いてくださる神様を信じて感謝し、賛美をささげ、仕事を探すことにしたのです。
 それから彼は、リハビリの仕事、理学療法に携わるべく学校に通い始めました。やがて資格を得て、ある病院で働き始めました。それは身体障害者のリハビリを手伝う仕事でしたが、彼は人を助ける仕事に就くことができてとても喜んでいました。しかし、事故からちょうど10年目の2000年5月23日に、仕事中に突然、頭が痛くなり、意識を失って倒れてしまったのです。一瞬、心臓麻痺だと思いました。気がついたとき、そこはものすごく明るい光が飛び込んできました。「ああ、天国だ。天国に来たんだ」と思いました。それで、天国ってどんなところかをよく見ようと思って、ぐるっと見回したところ、そこは自分が働いていた病院の9階のフロアだということに気づきました。驚くべき事に、彼はそのときに、また目が見えるようになったのです。彼は喜びの余り、「目が見える。目が見える」と言って、病院中を駆けめぐりました。どうして突然見えるようになったのかはわかりません。医学的には説明できないことだそうです。そんなことは普通はあり得ないことだからです。でもそういうことが実際に起こったのです。彼はこのように言っています。

「私は見えなくなった時に、しばらくは神に文句を言い、神を恨みました。しかし、どんな時にも神を賛美することが私たちの取るべき道である、ということを学びました。そしたら、私の心の中にいつも賛美と喜びが溢れるようになりました。神はその賛美の中に来てくださったのだろうと思います。これを奇跡と呼ぶならば、まさに奇跡です。私がささげた賛美の中に、神は来てくださったのです。そうして私は、もう一度見えるようになったのです。」

 私たちの心は、一度不信仰に陥ると、それを信仰的な心に回復するには時間がかかります。不満な心を感謝に満ちあふれた心にするには時間がかかるようにです。しかしそのような不満な心が感謝に変えられ、その人の中に神の国が形づくられるために用いらるのは、そうした信仰の友による励ましのことばでした。

 時として私たちもいろいろな出来事で動揺し、心が乱されることがありますが、そのような心が守られ、徳が高められるために、お互いにみことばによって励まし合っていかなければならないのです。

 Ⅱ.励ましの手紙(23-31)

 次に23~29節までに注目したいと思います。
「兄弟である使徒および長老たちは、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつをいたします。私たちの中のある者たちが、私たちからは何も指示を受けていないのに、いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。そこで、私たちは人々を選び、私たちの愛するバルナバおよびパウロといっしょに、あなたがたのところへ送ることに衆議一決しました。このバルナバとパウロは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。こういうわけで、私たちはユダとシラスを送りました。彼らは口頭で同じ趣旨のことを伝えるはずです。聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」

 この手紙の内容をよく見てみるとられます。この手紙にはアンテオケ教会にいた異邦人クリスチャンへに対する配慮といったものが随所に見られます。23節には、「兄弟である使徒および長老たち」とありますが、エルサレム教会の使徒や長老たちが自分たちりことをそのようにんだのは、彼らがアンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人たちと同じ立場にいるクリスチャンであるということを伝えたかったのでしょう。子供と話す時には膝を折って同じ目の高さで話すように、
それは24節にありますように、彼らの中のある者たちが、何の指示も受けていないのに、いろいろなことを言って彼らを動揺させ、その心を乱してしまったという経緯があったからです。彼らの中のある者たちとは、15:1に出てきた「ユダヤから下って来」た人たちのことで、彼らはアンテオケの異邦人クリスチャンたちに「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と言っては、彼らの心を動揺させていたのです。
 
 この「心を乱した」と訳されていることばは「破壊する」という意味の言葉で、建っていた家を壊してしまうという意味です。9章31節に「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち・・・」とありますが、その「築き上げられ」という言葉とちょうど反対の言葉です。つまり、彼らはせっかく建て上げられたアンテオケ教会を解体しかけ、異邦人クリスチャンに大きな動揺を与えてしまいました。そこで会議ではどんなことが決められたかというと、三つのことでした。一つは28節にあるように、異邦人クリスチャンの方々に、どんな重荷も負わせないということ。第二に、29節にあるように、ユダヤ人クリスチャンたちのことを配慮して、偶像に備えられた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とは避けるようにお願いすること。そして三つ目のことは、この決まったことを彼らに伝えるために人々を選び、バルナバやパウロといっしょに彼らのところに送るということです。すなわち、その二人からなる使節団のねんごろな言葉によって、彼らの崩れかけた心を立て直そうとしたのです。そういう意味でこの手紙は会議で決まったことのただの議事録や、これこれこのようにするようにということを指示した使徒教令ではなく、彼らの心を立て直すための「励まし」の手紙だったということがわかります。

 ですから、その手紙を読んだ人たちはどうなったかというと、喜んだのです。31節をご覧ください。「それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。」それを読んだ人たちは、そのことばで落ち込んだとか、悲しんだというのではなく、その励ましによって喜んだのです。振り返ってみればそもそもの事の発端は1節にあるように、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」という一部のユダヤ人クリスチャンが発したことばでした。もしその主張が正しければ異邦人の中ですでにイエス・キリストを信じている人たちの救いの確かさが揺るがされることになってしまいます。なぜなら、彼らは救いはただイエス・キリストの十字架を信じる信仰によってのみということを聞いて信じたからです。それが割礼も必要だった、律法のあれも、これも必要だったということになると、彼らは救われていなかったのかということになってしまいます。ですから彼らはこの問題について真っ向から反論し、彼らと大激論を交わしたのです。その結論が今、エルサレムでの公式な会議を経て彼らのもとにもたらされたのです。それがこの手紙の内容です。ですから、その内容を読んだ人たちにどれほどの喜びがもたらされたかが想像できると思います。彼らは「その励ましによって喜んだ」のです。

 一通の手紙が人々に大きな励ましを与え、喜びをもたらす。それは今、私たちがこうして聖書を開き、その御言葉を一生懸命に読んで、そこから励ましを受け、喜びが与えられていることとも、深い関係があります。というのは、聖書は、神から私たちに向けられた愛の手紙だからです。聖書にはたくさんの手紙が収められていて、その手紙によって養われ、導かれ、建て上げられているのです。であれば、私たちはますますこの神からの手紙を読んで、そこから励ましと慰めをいただいて養われ、建て上げられていかなければならないのです。

 アメリカ第16代大統領のアブラハム・リンカーンは、この聖書によって大いに養われた人の一人です。彼は、1809年にケンタッキーの貧しい丸太小屋で生まれました。両親は無学な貧しい農民でしたが、このリンカーン家には、大声で聖書を読む習慣がありました。それでリンカーンは自然に聖書に親しみ、聖書が教える真理に従うようになりました。
 働きながら苦学して弁護士になったリンカーンは、村民からも尊敬されるようになりました。特に奴隷制度をめぐっては南部の人たちと激しく対立し、その反乱に悩まされました。それでもリンカーンは、神への信頼を失わず、「現在のあらゆる困難の中にも、知識を愛し、国を愛し、キリストを愛するこの国を、神様は決して忘れることなく愛しておられる」と言うのでした。
 11歳になる息子が天に召されると、リンカーンは、ますます神様を求めるようになり、神様のみこころを求めて生きるようになりました。そしてあるときこう語りました。「私は大きな苦難に出逢っているけれど、私の上に置かれている神様の御手を強く感じています。だから、神様の導きの中にすべてをゆだねているのです。神様は道を開いてくださるでしょう。私たちは、そこを歩きさえすればよいのです。神様の助けにすがり、そのすばらしい知恵に信頼して・・」こうして神様は、ご自身に信頼して従うリンカーンの信仰に応えて、アメリカの奴隷解放を成功させてくださいました。
 バルチモアの黒人代議士から聖書を贈られたとき、リンカーンは、それを受け取りながらいう言いました。「これこそ、神様が人類に与えた最上の贈り物です。人類の幸福を願うなら、それを聖書から見いだすべきです。
 リンカーンは、この聖書を愛し、聖書を通して受け取った神の愛と恵み、励ましを通して、その人生を建て上げていったのです。

 「さよなら、さよなら、さよなら」の台詞で有名だった映画評論家の淀川長治さんは、毎朝、こんな言葉を唱えたそうです。「今日は25日。25日は、1年に12回ある。きょうは4月25日。1年に1回しかない。今日は1997年の4月25日。私の人生にたった1回しかない。たった1回しかない日だから、今日もニコニコしていよう。」
 朝から機嫌が悪ければ、一日中嫌な気持ちで過ごすことになります。そんな気持ちは友達や家族にも伝染するばかりか、何をしても、うまくいくはずのこともうまくいかなくなってしまいます。1日をどのように始めるかはとても大事なことなのです。

 アンドリュー・マーレーという人は、朝早く起き、聖書を読んでいました。そして、イエス様の愛が心の中にいっぱいになるまで立ち上がらなかったといいます。人生は、1日1日の積み重ねです。そして、一生に1回しかない大切な日をどのように過ごすかは、朝一番のデボーションで決まります。朝ごとに神様の前に静まって聖書を読み、その日のためにみことばの糧をいただくことが大切です。なぜなら、聖書は神からの励ましのことばだからです。

 Ⅲ.互いに励まし合って(33-35)

 第三のことは、そのようにして励まされたアンテオケのクリスチャンたちはどうなったのかを見て終わりたいと思います。33~35節をご覧ください。

「彼らは、しばらく滞在して後、兄弟たちの平安のあいさつに送られて、彼らを送り出した人々のところへ帰って行った。パウロとバルナバはアンテオケにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のみことばを教え、宣べ伝えた。」

 ユダとシラスはエルサレム教会からの手紙を手渡し、そこで多くのことばをもって兄弟たちを励ますと、エルサレムへと帰って行きました。彼らが与えた励ましは、アンテオケ教会の人たちが信じ、拠って立っている福音に対する確信を与えただけでなく、彼らが今後も引き続き宣べ伝える福音の宣教の力にもなりました。それはアンテオケ教会にとどまって、みことばを教え、宣べ伝えたパウロとバルナバにも現れています。彼らもまたアンテオケにとどまって、ほかの多くの人たちともに、主のみことばを教え、宣べ伝えたのです。このように真の慰めは人の徳を高め、その人を立たせ、建て上げる力があります。それはその人の内に慰める力があるからというよりも、その人の内に働く神が慰めに満ちた方だからです。元々、聖書の語る「慰め」や「励まし」ということばにはは「傍らに呼ぶ」という意味がありますが、それは相手を自分の傍らに呼んで慰めてあげるということではなく、その人を自分の傍らに呼んで、真の慰めと励ましを与えてくださる神の御前に一緒にデルことです。それが聖書の語る慰めであり、励ましなのです。そのようにエルサレムから遣わされたユダとシラスはアンテオケにやって来てこの主の慰めによって励まし、彼らを力づけて去って行きました。また、一方のパウロとバルナバはアンテオケにとどまり、そこでみことばを教え、福音を語ることによって彼らを励ましました。そこから帰って行っても、とどまっていても、大切なのは主にあって励ますことなのです。

 ところで、このところをよく見てみると、34節がないことがわかります。欄外に34節として「しかし、シラスはそこにとどまることに決めた」とありますが、この文章は後の40節の文章と辻褄を合わせるために後の時代に挿入した文章だと言われています。元々の写本にはありません。では34節はどこに行ってしまったのでしょうか。何冊もの注解書を見ましたが、不思議なことにこのことについて触れているものが一つもありませんでした。だれもわからない。ただないからないとしか言いようがないということなのでしょう。わからないことはわからないでいいのかもしれませんが、あえて大胆に想像することが許されるならば、この34節には、ユダやシラスによる励ましやパウロやバルナバの励ましの源であった神の慰めが描かれていたのではないでしょうか。この方こそ真に慰めを与えることかでぎる方なのです。

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。」(Ⅱコリント1:4~6)

 もしかするとこの中には大きな試練の中におられる方がいらっしゃかもしれません。どうして自分だけがこのような問題を抱えなければならないのかと嘆いておられる方もいらっしゃるかもしれません。そのような苦しみがあるとしたら、それはその人が神から慰めを受けるためです。神から慰めを受けその慰めによって、同じような苦しみの中にいる人をも慰めるためです。神は私たちに、そのように他の人々を慰める人になってほしいのです。

 「瞬きの詩人」と呼ばれた水野源三さんは、9歳の時に赤痢になり、脳膜炎を起こし、全身が不自由になりました。この大きな苦難の中で、水野さんは聖書に出会います。毎日聖書を読み続ける中で、神様の愛を知り、慰められ続けたのです。やがて、源三さんはその生き方や詩を通して、慰めを受ける人から、慰めを与える人に変わっていったのです。
 ある時、姪の美雪さんが源三さんに「病気をしたことをどう思っているの?」と聞きました。すると源三さんは即座に「感謝している。キリストを信じることができたから」と答えたそうです。これは苦しみの中で慰めを受けた人にしか言えない言葉ではないでしょうか。その水野さんが書かれて詩の中に、「苦しまなかったら」という詩があります。それはこの後で賛美する新聖歌292番の歌詞にもなっている詩です。

「もしも私が苦しまなかったら
 神様の愛を知らなかった
 もしもおおくの兄弟姉妹が苦しまなかったら
 神様の愛は伝えられなかった
 もしも主なるイエス様が苦しまなかったら
 神様の愛はあらわれなかった」

  「わが恵み汝に足れり  水野源三第一詩集」(アシュラムセンター発行)

 苦難の中で神に望みを置くとき、神様は必ず慰めの種を蒔いてくださいます。この種を受け取り、この種を咲かせる人は幸いです。私たちもこの神に身をゆだねて、「慰め」のという名の花を咲かせたいものです。

 少し前にフジテレビで三谷幸喜さん脚本の「わが家の歴史」というテレビドラマが放映されました。これは激動の昭和の歴史を生き抜いた家族の姿を描いたドラマですが、このドラマの最後にナレーターがこう言うのです。「ここには歴史を動かした偉大な人は一人もいない。しかし、これが戦後の昭和に生きた家族の姿なのである」と。激動の昭和を生き抜いた家族とはどんな家族だったのでしょうか。このドラマの最後のところに女で一つで育てられた息子、実の運動会のシーンが出てきます。夫を亡くし働かなければ生きていけない母親は、その運動会に行ってやることができなませんでした。そこで他の家族5人が連絡を取り合って応援にやって来る。また、夫と親交があった人の好意によって彼女も務めていた工場から運動会に駆けつけることができ、家族全員が見守る中で実るは一等賞を取るのです。これが激動の昭和を生き抜いた家族の姿だった。つまり、そのような激動の昭和を生き抜くことができたのは、そこに家族の助け合い、励まし合いがあったからなのです。

 私たちは神の家族です。それぞれの人生には実にいろいろな出来事が起こるでしょう。そうした激動の人生を生き抜く力は、互いに愛し合い、助け合い、励まし合うところから生まれてくるのです。ここには偉大な人は一人もいないかもしれません。しかし、神によって愛され、励まされ、慰められた人たちが集められている。そのような人たちが互いに励まし合うとき、その励ましによって私たちは生き抜いて行くことができるのです。