きょうは「イエスという別の王」というタイトルでお話をしたいと思います。7節からとりました。ピリピを去ったパウロたちが、次に向かった町はテサロニケという町でした。この町は、マケドニヤ州の首都で、ユダヤ人の会堂もありましたが、彼らはその町で三週間くらいにわたり聖書からお話すると、ある人たちはよくわかって信仰に入りましたが、ある人たちはそうではありませんでした。そのある人たちというのは5節にありますように、ユダヤ人たちのことです。彼らはねたみにかられて町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、ヤソンと兄弟たちの幾人かを役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言ったのです。6,7節です。
「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。」
彼らはヤソンと兄弟たちを、「世界中を騒がせて来た者たち」とか「イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行いをしている」と訴えたのです。しかし、これはある意味で事実なのです。クリスチャンというのはある意味で世界中を騒がせている者たちであり、イエスという別の王がいると言って、この世とは別のものに従って歩んでいる者たちです。では、どういう点でこの世を騒がせている者たちであり、どういう点でイエスという別の王に従って歩んでいる者たちなのでしょうか。
きょうは、このことについて三つのポイントでお話したいと思います。まず第一のことは、テサロニケにおけるパウロの伝道です。それは、聖書に基づいて論じるというものでした。第二のことは、ヤソンと兄弟たちが訴えられた一つの理由についてです。彼らは「世界中を騒がせて来た者たち」と訴えましたが、いったいそれはどういう意味なのでしょうか。第三のことは、彼らが訴えられたもう一つの理由についてです。すなわち、イエスという別の王に従っているとはどういうことかについてです。
Ⅰ.聖書から論じる(1-4)
まず第一に、テサロニケにおけるパウロの伝道について見ていきたいと思います。1~4節までに注目していただきたいと思います。まず1,2節です。
「彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。」
ここには「彼らはアムポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。」とあります。16章10節で突然、「私たちは」と書いたルカは、ここで再び「彼らは」に戻ります。「私たちは」という言い方は16章17節で終わっているので、ルカはピリピに残ったものと思われます。トロアスで一緒になり、そこから船に乗ってマケドニヤにやって来たルカは、ピリピでの伝道を終えるとパウロの体調が安定したのか、あるいはこのピリピで救われた人たちのケアが必要だったのかわかりませんがそのままピリピに留まり、パウロたちを次の伝道地へと見送ったのです。
さて、こうしてパウロたちが次に向かった町はテサロニケという町でした。テサロニケは、ピリピから南西に約160㎞ほど離れたところにあって、マケドニヤ州の首都でしたが、首都だけあってか、ここにはユダヤ人も大ぜい住んでいたようです。ユダヤ人の会堂もありました。そこでパウロは「いつもしているように」会堂に入り、三つの安息日にわたって、聖書に基づいて彼らと論じました。この「論じる」ということばは、「並び立てる」という意味で、聖書に書かれてある文章をそこに並べ、その事実が聖書の真理に裏付けられたものであることを立証することを意味します。伝道とか、説教というのは、本来、このようなものでした。聖書的な説教というのは、おもしろい話や人の気に入るようなことを伝えたり、あるいはそれらしきことを臭わせて、それがイエスによっていかに満足されるのかを訴えることでもありません。まず聖書のことばを並べ、救い主とはいかなる者なのかを提示し、次に、それがイエスと一致することを示すことです。
イエス様が復活後、エマオに向かって歩いていた二人の弟子に話をされたときもそうでした。ふたりが歩いているところにイエス様が近づいて行かれ、「歩きながらふたりで話し合っていることは、何のことですか」と尋ねると、「ナザレのイエスのことです」と、近ごろ起こった十字架と復活のことを告げると、イエス様、「キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」(ルカ24:26)と言われ、「それから、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされ」ました。イエスは、聖書に書かれてある通りの救い主であることを示されたのです。聖書に基づいて論じるとは、そういうことです。
ではパウロは、どのように聖書から論じたのでしょうか。3節です。
「そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。」
ここでパウロは、イエスがキリスト、救い主であることを簡潔に三つのポイントで説明しました。第一に、聖書には来るべきメシヤは必ず苦しみを受け、死人の中からよみがえられなければならないということの説明です。第二に、論証です。イエスはその通りに苦難を受けて死なれ、三日目によみがえられたということ。そして第三に、結論です。だから私があなたに伝えているこのイエスこそ、キリスト、救い主なんですよ・・・と。
実にシンプルです。これがパウロがユダヤ人に伝道した時の典型的なアプローチの仕方でした。旧約聖書の背景を持たない私たち日本人に伝えるときには、その背景などをもう少し説明する必要がありますが、しかし、基本的には同じです。説明して、論証して、結論づける、この三つ。すなわち、神のみことばを正しく説き明かすことです。そのような説き明かしがなされるとき、そこに必ず救われる人々が起こされてきます。4節をご覧ください。
「彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。」
パウロの説教は非常にじみで、単純なようでありましたが、そのような率直な福音のメッセージが、人々の心をとらえました。彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従いました。ユダヤ人たちの幾人かは信じたのです。しかし、それ以上に注目したいのは、神を敬うギリシャ人が大ぜい信じたことです。この「神を敬うギリシャ人」というのは、改宗した異邦人のことです。そこには貴婦人たちもたくさんいました。このような人たちはユダヤ人ではありませんでしたが、旧約聖書に記された神を信じていて、安息日ごとに会堂に集まって礼拝していました。そこでパウロの語る福音のメッセージを聞いた時、大ぜいの人たちが信じ、テサロニケ教会を形成した最初の人たちとなったのです。十字架のことばが語られるとき、そこには必ずそれを信じて救われる人々が起こされるのです。
「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(Iコリント1:18)と言いました。「この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」と。(同1:21~24)神は、みことばの宣教という方法を通して、信じる人を救おうと定められたのです。
私たちはこの朝、この聖書から論じるということの大切さをしっかりと心に留めておきたいと思うのです。私たちがキリストを宣べ伝えようとする時、知恵を用い、知識を傾け、熱心に議論して何とか相手の人を説得しようと試みることがありますが、最も大切なことは、何に基づいて論じようとしているかということです。私たちの知識や言葉の巧みさ、熱心さ、綿密さといったものによってててはなく、聖書に基づいて論じているかが最も中心的な事柄なのです。十字架のことば、滅びに至る人には愚かであっても、救いを受ける私たには神の力だからです。
ある一人のご婦人の方が、どのようにしてイエス・キリストの十字架がわかったのかという体験談を話してくださいました。その方が何度か教会の礼拝に行っていたとき、牧師が説教で十字架の言葉を話してくれました。それは感動的な表現というよりも、ただ淡々としたストーリーでしたが、その話を聞いているうちに、なぜだか、自分でも説明ができないけれども、「ああ、このお方が、本当に、私の罪のために死なれたのだ」ということがわかったというのです。十字架の言葉を聞きながら、聖霊が働いてくださって、「この出来事と私は、深い関係があるのだ」ということがはっきりわかったのです。
ある人はこういうでしょう。「教祖様が、十字架にはりつにされて殺されてしまったような宗教が、どうして人を救うことなんできるのか。」と。あるいは、「だいたいキリスト教というのは非科学的だ。処女から子供が生まれただの、死んだ人が生き返ったなんていうのはありっこない。そんなことを信じてるなんて、クリスチャンはよっぽどおめでたんいだね。」と。
そうです、十字架のことばは、滅びる人々には愚かに見えるでしょうが、救いを受ける私たちには神の力です。大切なのは、聖書そのものを語ることです。そうすれば聖霊が働いて、そのことばによって救いへと導いてくださるのです。
Ⅱ.世界中を騒がせて来た者たち(5-6)
このようにパウロが語った福音のことばに対して、すべての人が信じたかというとそうではなく、そこには反対する人たちも大ぜいいました。5節をご覧ください。
「ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。」
ユダヤ人の中の幾人かだけでなく、神を敬う大ぜいのギリシャ人が信仰に入るのを見たユダヤ人は、ねたみにかられ、町のならず者をかり集めて暴動を起こしました。そして、パウロとシラスが宿泊していたであろうヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引きだそうとしましたが、見つからなかったので、ヤソンと新たに信者になったばかりの数人を引き連れて、市の当局者に告訴したのです。ねたみというのはほんとうに恐ろしいものです。あたかもそれが政治上の問題であるかのようにして反逆罪に問おうとしているのですから・・・。そしてそれが生まれながらの人間のだれもが持っている古い性質であることを思うとき、私たちもまたこの罪に陥らないように注意する必要があります。
ところで、それが彼らのねたみからであれ、その告訴の理由がこじつけであっても、その中で彼らが言っている内容は、当時のクリスチャンたちへの評価を含んでいてとても興味深いものです。その一つは16節に記されてあることです。彼らはヤソンと兄弟たちを町の役人たちのところへひっぱって行くと、大声でこう言いました。
「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます。」
彼らは当時のクリスチャンたちを「世界中を騒がせてきた者たち」と見ていたのです。この「世界中を騒がせて来た者たち」という言い方は、文語訳では「天下を覆(くつがえ)したる彼(か)の者たち」となっています。「天下をひっくり返して来た者たち」という意味です。まるでクリスチャンが物騒な革命家でもあるかのように表現したのです。確かにそれは大げさな言い方ではありますが、しかし、ある意味で真理なのです。クリスチャンは今日のゲリラや時限爆弾をしかけるような過激派ではありませんが、福音のダイナマイトを至る所に仕掛けて歩く革命家なのです。そしてそれらが仕掛けられた所では、個人の人生でも、また家庭でも、その地域社会でも、革命が頻繁に起きているのです。福音が宣べ伝えられる所で何の変化も起こらないという方が、むしろおかしいくらいなのです。以前、アメリカで「イエス愛の革命」という革命が起こりました。かつてヒッパーだった人たちが次々にハッピーに変えられていったのです。そしてその灯がアメリカ全土に、いや全世界に飛び火したのです。イエス・キリストの福音を信じると、これまで体験したことのない平和を得ることができます。それは罪が赦されることによってもたらされるところの神との深い平和なのです。
リビング・プレイズに、「平和 はじめて知った」という賛美があります。
「平和 はじめて知った イエスに出会ってから
平和 それは湧き上がる 満たし いかす
私たちの心を」
イエス・キリストに出会うことによって、その人の心からキリストの臨在によるほんとうの平和がもたらされるのです。れはその人の人生ばかりか、その家庭、国、世界をもひっくり返すほどの力があるのです。
ある方のお話を聞きました。この方は1953年3月と言いますから、ずいぶん前にイエス様を信じました。その頃はまだ17歳と若い時でしたが、日曜日の夕方、映画でも観ようかと町を散歩に出かけました。すると、5~6人の人たちが手にちょうちんをもってチラシを配ったりしていました。そのうちの一人がニコニコしながら近寄って来て、「良かったどうぞ来て下さい」とチラシを私てくれました。そこには「イエス・キリストの話をします。どうぞいらしてください」と書いてありました。どうしようかと思いましたが、ふと「行ってみようかしら」という思いがわき上がり、行ってみることにしたのです。好奇心旺盛な17歳の春です。「何のために生きているのか。なぜ人は苦労しなければならないのか。生き甲斐とは何か」などを真剣に考えていたときでもありました。
行ってみると、そこは時計屋の2階で、牧師が一生懸命にお話していました。話の内容はよくわかりませんでしたが、そこに集まっていた人たちの目を見ると、みんなキラキラ輝いていたのです。「キリストを信じるとそうなるのだろうか」と、そんなことを思って、その日は帰りました。
その女性はそのときの温かい雰囲気を忘れることができず、また教会を訪ねることにしました。そして「キリストこそ私の救い主」と告白して救われることができたのです。あれから55年が過ぎましたが、今でもご健在で、いろいろな所で、「私の人生はほんとうに喜びと幸せに包まれています」と証ししておられます。
3月の、あの肌寒い中を、青年たちが伝道していなければ、彼女の人生には何の変化も起こらず、何の目的もないまま、だらだらと生きていたことでしょう。しかし、外灯で配られた1枚のチラシによって、彼女の人生がひっくり返ったのです。時計屋の2階で、ひっくり返ってしまったのです。
イエスは、このような革命をもたらしてくださいます。それは愛の革命です。私たちはそんな革命をもたらしてくれる主イエスの福音を携えて、どこまでも宣べ伝えていく者でありたいと思います。そして、彼らが当時のクリスチャンたちを見て、「世界中を騒がせて来た者たち」と叫んだような、そんな存在にさせていただきたいと思うのです。
Ⅲ.イエスという別の王(7-9)
彼らがヤソンと数人のクリスチャンたちを町の役人に訴えたのは、それだけではありませんでした。もう一つの理由がありました。それは7節にあるように、「彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行いをしている」ということでした。どういうことでしょうか。クリスチャンとは、この世の王をはるかにしのぐ別の王であられるイエスがいて、このイエスに忠誠を尽くしている民であるということです。ですから、このイエスを一国の王や会社の社長が持っているのと同じような支配権を持っておられる方として、従うのです。それはキリストが、私たちの生活と行動の最高の規範であられるということです。とは言っても、イエス様はこの世のものではありませんから、実際的には、クリスチャンであっても、人の立てたすべての権威に従うのです。それがこの世の主権者である王であっても、また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうするのです。それは、善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることが、神のみこころだからです(Iペテロ2:13~15)。問題は、そうしたこの世の為政者なり、カイザルの詔勅が、このイエスという王にそむくことを命じたり、イエスという別の王への服従を妨げるように干渉して来たときにどうするかです。その時には、ここに記されてあるように「イエスという別の王がいると言って」戦わなければなりません。
かつてペテロとヨハネが午後3時の祈りの時間に宮に上って行った時、そこに生まれつき足のなえた人が運ばれて来た事がありました。この人は、宮に入る人たちから施しを求めるために「美しの門」という名の門に置かれていたのですが、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めました。するとペテロは、イエス・キリストの御名によって歩きなさい。」と命じて彼の右手を取って立たせると、たちまちのうちに足とくるぶしが強くなり、まっすぐに立ち上がり、歩き出しました。そして、歩いたり、はねたりしながら、神を賛美して、ふたりといっしょに宮に入って行きました。ここまでは良かったのですが、このことがきっかけで説教したペテロの言葉によって大ぜいの人々が信じると、ユダヤ人指導者は困り果て、ペテロとヨハネを捕らえて尋問しました。「何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と。するとペテロはそれがナザレ人イエスの名によるもので、この方以外にはだれによっても救いはないと大胆に語りました。すると返すことばもなかったユダヤ人たちは、どうすることも出来なかったので、これ以上民の間に広がらないように、今後はだれもこの名によって語ってはならないときびしく戒めたのです。するとペテロとヨハネは何と言ったでしょうか。彼らはこのように言いました。4章19~20節です。
「神に聞き従う拠り、あなたがたに聞き従うことの方が、神の前に正しいかどうか、判断して下さい。私たちは、自分の見た事、また聞いた事を、話さないわけにはいきません。」
この原則は、現代のクリスチャンにも同じです。この世の王がイエスという別の王にそむくことを命じたり、このイエスに従うのを妨げたりするようなことをするときには、その時にはカイザルの命令にそむくようでも、イエスという別の王に従うことを選び取らなければなりません。なぜなら、上に立てられたそうした権威もまた神によって立てられているのであり、神から遣わされた神の僕に過ぎないからです。ですから、もしそうした権威者が、私たちに神とキリストにそむくようなことを強いる時には、その権威者が神からゆだねられた分を越えて、自ら神になろうとしているわけですから、その場合は、クリスチャンは、権力者をサタンの権力の下にあると判断して、神に従うことを選び取らなければならないのです。
このことは、理屈の上では自明の真理ですが、実際に適用しようとすると、いろいろな難しい問題が絡んでいるのも事実です。どこまで為政者に従ったらいいのかを判断するのが、なかなか容易ではないからです。特に今日の日本のように、そうした為政者が、国民の選挙によって選ばれているとしたら、なおさらのことでしょう。しかし、そうした中にあって考えなければならないと思う事は、どうしてクリスチャンはそこまでしてこの別の王であるイエスに従うのかということです。
答えは明らかです。それは、このイエスこそ救い主であられるからです。この御名のほかには、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。先ほど申し上げたように、救い主、メシヤは、苦しみを受けて死なれ、その死の中からよみがえられなければなりませんが、そのような方はこの長い歴史といえど、このイエス様以外にはだれもいませんでした。イエスは、苦しみを受けて死なれましたが、その苦しみは私のためでした。私の罪の身代わりとなって十字架で死なれ、私のためによみがえって下さいました。それこそ、イエスが私にとってカイザルとは別の次元の王であられる理由です。
どの国の王が、私たち国民のために苦しんでくれたでしょうか。どの政府が、私たちのために死に至るまでの苦しみと恥を受けるほどの愛を、示してくれたでしょうか。どの内閣が、私たちの代わりに十字架についてくれたでしょうか。どの知事、総督が、私たちが生きるべき新しい命を、身をもって示してくれたでしょうか。だれもいません。ただ十字架につかれて死なれ、三日目によみがえってくださった主イエス・キリストだけであります。ですから私たちは、最後の票を献げるのは、このイエスのほかにはひとりもいないということを確認することが出来るのです。
2世紀の中ごろ、スミルナという地域にあった教会の監督ポリュカルポスが、皇帝礼拝を拒否する無神論者のかしらとして捕らえられ、衆人たちが見ている中、ライオンが群がるスタジアムに連れて来られました。総督は、この老人ポリュカルポスに、ねんごろに背教を勧めて言いました。「あなたの年齢のことも、考えて見なさい。カイザルの守り神に違いなさい。無神論を滅ぼせと、ひとことでいいから言いなさい」と。
するとポリュカルポスは、並み居る群衆を見渡し、彼らを指さして天を仰ぐと、「あの無神論者どもを滅ぼしたまえ」と言いました。
総督はなおも、「キリストを呪い、カイザルの神によって誓え」と勧めると、ポリュカルポスは答えました。「私は、86年間キリストにお仕えしてきましたが、彼は何一つ悪いことをなさいませんでした。それなのに、どうして、私を救ってくださった主を冒涜することなどできましょうか。」こうして、彼は殉教の死を遂げたのです。
それはポリュカルポスではありません。実は、この国でも昔、その多くは、キリシタンの時代でしたが、主イエス・キリストを心から愛し、ついには殉教の死を遂げた人々がいたのです。その数何と十数万人もいたと言われております。そうした人々は、激しい迫害の中にあっても互いに愛し合い、助け合い、励まし合って、主を一途に信じて従いました。主イエス・キリストを否むようにという誘惑を受けても断固としてそれを拒み、殉教の死を遂げていったのです。今、そうした殉教者スピリットを継承していくことこそ、日本のキリスト教界全体の復興につながるのではないかと、その祈念碑を建てようという動きがあります。微力ながら、私もそのために祈っている者の人ですが、しかし、問題は、なぜこうした人々は命を捨ててまでも主に従ったのかということです。それは、主がまず愛して下さったからです。このような罪に汚れた者のために、ご自分の命を捨ててまで、十字架にかかって下さり、よみがえって下さったからです。この神の愛と恵みをほんとうに知る時、私たちもまたこの王のために率先して死ぬ事を、本能的に選び取るはずなのです。
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:6-8)
このキリストの十字架の愛にふれるとき、私たちもまた、この方に自分のいのちを献げても惜しくないと思うようになるのは当然なのです。どうかこの主イエスに心が開かれますように。そして、キリスト・イエスにある神の愛がゆたかに注がれますように。そのとき私たちは、どんなことがあってもこのまことの王であられる主イエスに従っていくことができるようになるのです。