きょうは「その新しい教え」というタイトルでお話したいと思います。テサロニケからやって来たユダヤ人たちの激しい迫害によってベレヤからアテネにやって来たパウロは、その町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じ、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと、また、広場ではそこに居合わせた人たちと論じましたが、その町は昔から芸術と文化、学問の町であったこともあり、彼の教えはなかなか受け入れられませんでした。そのような状況にもかかわらず、パウロはそこでイエスと復活とを大胆に宣べ伝えました。
きょうはこのパウロのこのアテネでの宣教の姿を通して、主イエス・キリストの福音を宣べ伝えていくことについて三つのことをお話したいと思います。まず第一のことは、パウロを宣教に駆り立てた怒り、憤りについてです。第二のことは、そのような憤りが宣教の情熱を生み出すことについて。ですから第三のことは、パウロが宣べ伝えたこの新しい教えに生きましょうということです。
Ⅰ.聖なる憤り(16)
まず第一に16節をご覧ください。
「さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。」
ベレヤを追われたパウロが、次にやって来た町はギリシャのアテネでした。アテネはベレヤから約320㎞ほど離れたところにありましたが、世界の芸術と文化、学問の中心地でした。今日世界を覆っている哲学や思想、文化や芸術は、すべてここから発していると言っても過言ではありません。アクロポリスの頂に建つパルテノン神殿をはじめとして、野外劇場や音楽堂、さまざまな彫刻は、それを見る人たちの目を釘付けにするほどの魅力があり、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった古代ギリシャの一流の哲学者や思想家たちは、だれもが知っているほどです。パウロの時代にはすでに最盛期をすぎていましたが、そうした面影は依然として残っていたのか、古代ギリシャを代表する美しい町の一つに数えられていました。パウロはベレヤにとどまったシラスとテモテを待っている間にこの美しい町を見学しようと思ったのでしょう。町の中を巡り歩いたようです。
ところが、そのように見て回るうちにそこに偶像がいっぱいあるのを見て、心に憤りが沸いてきました。フィディアスやプラクシテレスなどが飾られたパルテノン神殿をはじめ、広場にもソロンやコノンといったアテネの名士たちの像が建立していたのです。それは確かに人間の技術や考案によって作られた最高の芸術作品であったかもしれませんが、しかしそれは、異教の祭りのためにささげられた偶像にほかなりませんでした。生けるまことの神ではなく、人間が手でこしらえた偶像の数々です。これほど生ける神を冒涜することはありません。このような現実の姿を目の当たりにしたパウロは、心のうちに憤りがわき上がってきたのです。この「憤りを感じる」という言葉は、他の訳では「怒りに燃える」とか「憤慨する」と訳されている言葉で、新約聖書の中には2回しか出てこない珍しい言葉です。もう一回はどこに出てくるかというと、Iコリント13:5の「怒らず」と訳されている言葉です。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。」の「怒らず」です。パウロは一方で「怒るな」(エペソ4:31,ガラテヤ5:20)と教えておきながら、もう一方では怒りに燃える、憤慨するというのはどういうことかと首をかしげたくなります。それはこういうことです。クリスチャンは基本的には怒ってはならないのです。怒りたいと思う時でも、愛は寛容であり、愛は親切ですから、ご聖霊の励ましと助けによってそうした肉に勝利し、御霊に喜ばれるように生きるようにと努めなければなりません。しかし、そんなクリスチャンでも怒る時がある。いや怒らなければならないとき時があるのです。それはどういう時でしょうか。それはここでパウロが経験したように、神の義が損なわれるような時です。神の御名があがめられるどころかないがしろにされているような時にです。そういう時に、クリスチャンはただ黙ってえへらえへらとやり過ごしていてはいけない。そういう時には怒らなければならないのです。ですから、このパウロの憤りは、いわば神の義から出た聖なる憤りだったのです。
今日の私たちはどうでしょうか。臭い物にはふたをする的な、あまりにも物わかりのいい存在にはなってはいないでしょうか。ただ沈黙しているだけの、この世と調子を合わせて、なるべく波風が立たないようにと息を潜め、存在感のないとい、見て見ぬふりをしているような、そんな存在になってはいないでしょうか。イエス様は「あなたがた、地の塩です。」(マタイ5:13)と言われました。「もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩をつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」(同)私たちは地の塩なのです。地の塩になるようにがんばりなさいとか、地の塩になるでしょうといった希望的観測で語られたのではなく、「地の塩です」なのです。「塩」というのは味けをつけたり、腐敗を防止する役割がありますが、私たちをその塩だと言われたのです。世の中の他の人々から見たら、「何だってクリスチャンは味けのない、つまらない人たちなんだろう」と言われるかもしれませんが、でもイエス様は「あなたがたは地の塩だ」と言われたのです。ただイエス様についていくだけの取るに足りない小さな者ですが、イエス様がそのように言っておられるのですから、私たちはその塩の役割を果たしていく者でなければならないのです。神の御名が汚されるようなことに対してただ黙ってそれを見ているというのではなくて、パウロのように、心に憤りを抱くような者でなければならないのです。
いったいパウロはどうしてそのような憤りを感じることができたのでしょうか。過去何百年もの間、多くの人々がこの町にやって来ては同じ光景を眺めたことでしょう。しかし、この時のパウロのように憤りを抱いた人が果たしてどれだけいたでしょうか。おそらくほとんどいなかったのではないかと思います。そうした人たちとこのパウロとでは何が違っていたのでしょうか。
それは目のつけどころです。目が後ろについていたということではありませんよ。見方が違っていたということです。ほかの人たちとはこの目のつけどころが違っていたのです。他の人たちは、この文化の都にやって来ては、その壮大な建築物とそこに飾られた彫刻の数々の見事さに圧倒され、息もとまらんばかりに、「すごい。すごい」とただ驚嘆したでしょうが、パウロはそうではありませんでした。彼は、こうした文化の都にやって来てその数々の芸術作品を見ても、決して神の目から離れて見ることはしませんでした。いつでも神の目を通して見ていたのです。神がそれをどのようにご覧になっておらるのかという思いで見ていました。ですから、それがどんなにすばらしい芸術作品であっても、それは偶像にほかならないということ、また、そこでどんなに高い哲学が論じられていても、それは神抜きのただの議論にすぎないということを鋭く見抜くことができたのです。
皆さんはいかがでしょうか。どんな目をもって物事を見ていらっしゃるでしょうか。神の目から見たその研ぎすまされた心の持ち主にしてはじめて、パウロのように聖なる憤りを持つことができるのです。日本にはよく歴史的な建造物や彫刻として仏像などを見ることがありますが、そうした偶像も仏教芸術として鑑賞し、この世の人々と同じ目の位置でしか見ることができないとしたら、ここでパウロが抱いたような聖なる憤りを持つことはできません。もちろん、そうした偶像の数々を見たからといってそれをやみくもに破壊するというのも問題です。そうした偶像が無くなり、この天地を造られた真の神の御名があがめられるように祈り、そのために知恵と忍耐をもって取り組んでいかなければなりません。そのためには絶えず神の目を通して物事を見ていくことが大切なのです。この世と調子を合わせるのではなく、何が良いことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一心によって自分を変えなければなりません。ご聖霊の助けによって、いつも塩味の効いたクリスチャンとしての歩みを保っていかなければなりません。
Ⅱ.イエスと復活とを宣べ伝える(17~18)
第二のことは、そのような聖なる憤りは宣教の情熱を生み出すということです。17,18節をご覧ください。
「そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか。」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい。」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。」
17節には、「そこでパウロは・・」とあります。町中が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じたのでパウロは、という意味です。そこでパウロはどうしたのでしょうか。彼は、会堂ではユダヤ人たちや神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じました。つまり、そのような聖なる憤りが、彼にみことばを語らせたということです。彼はそうした偶像に溢れている状況を見て、もういてもたってもいられなくなったのです。
私たちがみことばを伝えたいと思うのは、それは神のみことばに教えられているところの救いがあまりにもすばらしいので、ひとりでも多くの人にこの恵みを伝えたいと思うからですが、他方、ここにあるように、あまりにも神からかけ離れた現実の姿を見て、じっとしてなどいられないというところにも、その動機が与えられのです。そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じました。
するとそこにエピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていました。エピクロス派というのは、紀元前300年ごろエピクロスという人がアテネで開いた学派で、快楽こそ人生の主要な目的であるという教えです。ですから英語で快楽主義のことを何というかというと、「エピキュリアン」(Epicurean)と言います。このエピキュリアンというのは本来、このエピクロスの教えを奉じる哲学者たちという意味ですが、その教えが快楽こそ人間の本性であると唱えたことから、これを信じる人たちを快楽主義者、エピキュリアンと呼ぶようになったのです。
また、ここにはストア派と呼ばれる哲学者たち出てきます。このストア派という人たちは買い物ばかりしている人たちのことではありません。ストア派というのはやはり紀元前300年ごろのことですが、ゼノンというキプロス人によって唱えられた教えを信じていた人たちです。この人たちは汎神論といってすべてが神であるという考えから、世界=神なんだから人生の主要な目的はこの宇宙精神と一つになることだと唱えました。それは実際生活においては禁欲主義、厳粛主義となって現れました。よく「ストイック」という言葉を聞きますが、あのストイックというのは「ストイシズム」から出た言葉で、このストア派の影響によって生まれた一つの精神的態度のことです。なぜこの学派がストアと呼ばれるようになったかというと、この教えを始めたゼノンという人が柱廊で教えたことに由来しています。「柱廊」のことをストアと言ったので、柱廊で教えている人たちのことストア派と呼んだわけです。
このエピクロス派やストア派の哲学者たちは、パウロと論じていてどう思ったでしょうか。「このおしゃべりは何を言うつもりか」とか、「彼は外国の神々を伝えているらしい」と言いました。この「おしゃべり」という言葉は「種をついばむ鳥」という意味ですが、そこから「広場のくず拾い」、「浮浪者」などを指すようになり、ついには、あちらこちらから知識を「受け売りする者」を意味するようになりました。28節にはパウロがギリシャ哲学を引いて説教していますから、そうしたパウロの態度を自分の知識をさらけ出す知識の受け売り人であるかのように見えたのでしょう。そして、そうした受け売りの知識はレベルが低いと見下し、聞く耳を持たなかったのです。
それから他の人たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい」と言いました。それはパウロがイエスと復活とを宣べ伝えていたからです。彼らにとってはイエスが神であり、父なる神はこのイエスをよみがえらせたという説教を聞いたとき、新しい神々としか理解することができなかったのです。彼ら自身も多神教を信じていたので、そうした類の新しい宗教の一つにしか映らなかっのでしょう。
何ということでしょう。これほどの知識を持ちながら、神が御子イエスをこの世に遣わし、私たちの身代わりになって十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられたことによって、信じるすべての人に罪の赦しと永遠のいのちが与えられるというこの単純な福音のメッセージがわからなかったとは。彼らは超一流の知性の持っていた人たちですよ。そうした人たちがこんなに単純で、簡単なことが理解できなかったというのは不思議です。パウロは後に同じギリシャのコリントにあてて書いた手紙の中で次のように言っています。
「知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」(Ⅰコリント1:20~24)
この世の知恵によっては神を知ることができません。神は宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定めてくださいました。十字架につけられたキリストは、そうしたこの世の知恵者たちにとっては愚かであり、つまずきでありましょうが、信じる人にとっては、キリストが神の知恵、神の力なのです。そして、私たちが伝えるべきメッセージは、この十字架のことばです。
そしてパウロは、この知的な空気が漂うアテネの町で、時代の最先端の学問を担う哲学者たちに対して、いつものようにこの十字架のことばを語りました。イエスと復活とを宣べ伝えたのです。その具体的なメッセージについては次週改めて学びたいと思いますが、28節などを見ると確かにパウロはこの哲学者たちにも理解できるようにと当時の哲学者の言葉などを引用して語ってもいますが、その本質はイエスについてであり、十字架と復活についての言葉でした。彼はギリシャの哲学者たちには福音の言葉は幼稚な教えのように感じるだろうからと、もっと博学をさらけ出して言葉巧みに話そうとしたのではなく、福音のメッセージをストレートに語ったのです。時に語る者には、伝える方法に心奪われて、その内容までもすりあわせるようになり、現代人の理性には合わないのではないかと奇跡を否定したり、復活を否定したりするような誘惑が襲ってくることがあります。あるいは、現代人には受け入れにくいからと罪を語らないで、愛のメッセージだけを語りたいと思うような誘惑にかられることがありますが、そうではなく、聖書そのものを、福音をストレートに語っていかなければならないのです。
そもそも人々が関心を持ちにくいからと聖書を語らず、耳あたりの良い人情話をしたり、主の教会であるよりも地域のコミュニティーであることを求め、福音を語るよりもイベントやプログラムで人を集めようとすることは、本末転倒なのです。そうやって人を受け入れやすく、わかりやすくと福音を薄め、広げ、延ばしにのばしても、結局のところ何の味もない、薄味の、歯ごたえのないつまらないものになってしまいます。主イエス・キリストの福音は、決して暇つぶしや余興として聞くような言葉ではないし、そのようにして聞けるような言葉でもないのです。人目を引くはでな服装や振る舞いをすることや見栄を張ることを「伊達や酔狂ではない」と言いますが、まさに伊達や酔狂で伝道などできないのです。なぜなら、この福音のメッセージそのものが命のこもったものだからです。私たちはそのような福音によって救われ、今この福音を宣べ伝えているのです。そういう自覚をしっかりと胸に刻みながら、この福音の言葉をまっすぐに宣べ伝えていくものでありたいと思うのです。
Ⅲ.新しい教え(19~21)
ですから第三のことは、この神の知恵を受け入れ、神の知恵を持って生きるようにということです。19~21節をご覧ください。
「そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。
私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」 アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。」
そこで彼らはどうしたでしょうか。19節には、そこで彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、彼の語っている新しい教えがどんなものか聞かせてほしいと言いました。アレオパゴスというのは、人々が集まって町の運営や様々な重要事項を話し合うための会議が開かれていた所ですが、そこに連れて行って、パウロの話を聞かせてほしいと言ったのです。しかしそれはこのアテネの人たちがパウロの語っていた言葉を信じようとしていたからではなく、新しいこと、何か物珍しいことへの関心からのことでした。というのは、彼らは何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日々を過ごしていたからです。そうやっては次々と新しい思想や宗教を取り入れては、それを消費し、捨て去って、また耳新しい別の教えや珍しいことに耳を傾ける。そうやって暇をつぶしては、様々な思想や哲学の話を余興として聞いて時を過ごしていたのです。実に虚しい日々です。しかし、意外とこのようにして日々を過ごしている人も少なくないのです。どんな人でも新しいものに対する好奇心と、古いものに対する執着心との両方の要素を持っていますが、進歩的な人と言われる人はどちらかというと新しいものに対する関心が非常に強く、新しいものがいつでもいいものだと考え、それを追い求める傾向があります。いわゆる流行を追い求めているのです。アテネの人たちがパウロの話を聞きたいと言ったのは、まさにそうした理由からでした。しかし、どんなにイエスとその復活を宣べ伝えても、その真意を理解するのではなく、ただ新しいものへの関心だけでは、聖書が提供している神の救いの恵みと神の国のすばらしさを体験することはできません。大切なのは、いつまでも変わることのない神の言葉を聞き、それを受け入れ、ここに生きることです。そうすれば、永遠に変わることのない神の深い愛を感じながら、日々感謝と賛美の人生を送ることができるのです。
パウロが語ったイエスと復活の言葉は、確かにアテネの人たちにとっては新しい教えでしたが、それはいわゆるアテネに群がっていた人たちが求めていた「新奇さ」とは違います。彼らの求めていた新しさは、今日のジャーナリズムが提供しているような新しいニュース、つまり週刊誌の新しさであって、しばらくすると古くなっていってしまうようなものですが、しかし、福音の新しさはそういうものではありません。福音の新しさは、ほんとうの意味での新しい教えなのです。それはこの世の知恵や知識によっては到底知ることの出来ない神の啓示に関するものだからです。アテネの学問も芸術も文化も、すべてが一蹴されてしまうようなほんとうの意味での新しい教えなのです。しかし、どんなことがあっても色あせることのない永遠のいのちに関する教えなのです。草はしおれ、花は散ります。しかし、この主のことばはとこしえに変わることがてありません。どんなことがあっても裏切ることがないのです。
皆さんは何を頼って生きていらっしゃいますか。ほんとうに頼りになるのはこの新しい教え、真理のみことばと、その中に記されてある真実な方ご自身です。
「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」(Ⅱテモテ2:13)
常に真実であられるこのお方に信頼して、私たちも新しい歩みをさせていただこうではありませんか。
これまで何度か紹介したことのあるマーガレット・F・パワーズさんが書いた「あしあと」という詩があります。
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」
どんなことがあっても見捨てたりはしない神、永遠の腕が下に(申命記33:27)感じながら生きる人生は、どんなに励まされる人生でしょうか。ただの新しい教えではない神についてのほんとうの教えである福音を信じて、幸いな人生を歩んでいただきたいものです。