使徒の働き20章1~12節 「クリスチャンの慰め」

きょうは「クリスチャンの慰め」についてお話したいと思います。ここには、第三次伝道旅行を終えてエルサレムに上るまでに起こったことが記されてあります。1節には、「騒ぎが治まると」とありますが、これは先週見たように、エペソでのアルテミス神殿を巡っての騒ぎのことです。その騒ぎが治まるとパウロはどうしたでしょうか。彼は弟子たちを呼び集めて励ますと、別れを告げて、マケドニヤへ向かって行きました。彼の関心はコリントの教会でした。コリントの教会にはいろいろな問題があって、その解決のために手紙を書き送りましたが、なかなか解決には至らなかったので、自らコリントに赴き、その後でエルサレムに戻ろうと考えていたのです。そこで彼はエペソからマケドニヤに行き、そこからギリシャに行って3ヶ月を過ごしました。このギリシャとはアカヤ州のことを指しますが、コリントの教会のことです。そこで3ヶ月を過ごしてから、シリヤ(エルサレム)に向けて船出したかったのですが、多くのユダヤ人の陰謀があったため、もう一度陸路マケドニヤに引き返し、そこからトロアスへ行き、そしてアソスから船に乗ってエルサレムに戻るのです。その間約1年くらいの年月が流れていますが、ルカはこの間の働きについて真新しいことはほとんど告げておられず、告げているのは何かというと、クリスチャンの励ましや慰めについてです。1節には、「騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし・・・」とあり、2節にも、「そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから・・」とあります。さらに7節からのトロアスでの青年ユテコの居眠り事件です。礼拝中に居眠りをして3階の窓際から下に落ちて死んでしまったユテコが生き返ったのを見た人々は、ひとかたならず慰められたのです。

きょうはこのことからクリスチャンの慰めと励ましについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、クリスチャンの励ましのベースは福音のことばであるということです。第二のことは、兄弟姉妹への配慮を大切にということです。力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきであるということです。第三のことは、弱い兄弟さばくのではなく、いたわり思いやるという姿の中にこそ、クリスチャンの慰めがあるということです。

Ⅰ.みことばによる励まし(1-2)

まず第一に、クリスチャンの励ましのベースは福音のことばであるということを見ていきましょう。1~2節をご覧ください。

「騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。」

3年に及ぶエペソでの伝道は、アルテミス神殿の大騒動という出来事で幕が閉じられました。その大騒動が治まると、パウロは、3年間、夜も昼も涙ながらにみことばを語りつづけてきたエペソの兄弟姉妹に別れを告げマケドニヤに向けて出発しましたが、その際に、弟子たちを呼び集めて励ましの言葉を語るのでした。どのように励ましたのかはわかりませんが、それはおそらくあの第一次伝道旅行で信仰に入った弟子たちに語った言葉と同じ響きを持ったことばだったことでしょう。開いてみたいと思います。14章22節です。

「弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。」

教会に与えられる励ましや慰めというのは、それは単に景気のよい力づけの言葉ということよりも、神の国に向かわしめる言葉、そこに至るための苦難を耐え忍ばせ、希望を抱かせる言葉です。その言葉をもってパウロはエペソの教会を励まし、さらにこのエペソを出発すると第二次伝道旅行で訪れたマケドニヤの町々を旅しながら、そこでも多くの勧めと励ましの言葉を語ったのです。2節に、「多くの励ましをして兄弟たちを励ましてから」とありますが、これは直訳では「多くの言葉で彼らを励ます」になります。他の日本語の訳では「言葉を尽くして人々を励ます」となっています。言葉を尽くしての言葉とは何でしょうか。そうです、その言葉とは福音の言葉であるみことばにほかなりません。教会は何によって励まされ、何によって力づけられるのでしょうか。その一番の励ましはみことばではないでしょうか。もちろん私たちは誰かの言葉によっても励ましを受けることがあるでしょう。しかし、人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようです。草はしおれ、花は散ります。「しかし、主のことばは、とこしえに変わることが」ありません。「あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。(Iペテロ1:24,25)

皆さん、私たちはいろいろなことで心が折れそうになることがありますが、いったいどうやってその中から立ち上がることができるのでしょうか。福音のことばです。皆さんの中に意気消沈している方がおられますか。そういう人はヘブル13:5,6を読んでください。そこには、

「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」

とあります。中には、いろいろなことで心配している方がおられますか。そういう人はIペテロ5:7をご覧ください。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

試練の中におられる方がいますか。その方はIコリント10:13をご覧ください。

「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」

いろんなことで心が疲れたという人がいたら、ぜひマタイの11:28~29を開いてください。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」

自分はどこを開いたらいいかわからないというような人は、ギデオン協会贈呈用の聖書をご覧ください。その中に「おりにかなった助け」~その時あなたはここを読んでください~と丁寧に箇所が紹介されています。牧師や信仰の先輩たちに聞くのもいいでしょう。どのような方法であれ、私たちはこの福音のことばを通して真の慰めと励ましを受けることができるということを覚えておきたいと思うのです。

Ⅱ.兄弟姉妹への配慮を大切に(3-6)

第二のことは、兄弟姉妹への配慮を大切にということです。3~6節までをご覧ください。

「パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた。種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。」

ギリシャにやって来たパウロは、そこで3ヶ月を過ごすと、シリヤに向けて船出しようとしましたが、彼に対する陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにしました。そのときに同行した人たちの名前が4節に出てきます。プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピコの七人です。それに5節のところに再び「私たち」という言い方が出てはますから、ここでルカも合流したことがわかります。この「私たち」は、16章17節のピリピでの伝道の最中で消えていますから、ルカは、あの後ずっとピリピにとどまり、そこで兄弟たちを励ましていたのです。しかし今、パウロたちがエルサレムに帰る途中、このトロアスで合流したのです。神様はパウロの進む旅路を孤独なものとせず、そこに共に歩む人たちを備えてくださいました。それはパウロにとって、どれほど励まされることだったでしょうか。福音を宣べ伝える旅は時に困難を伴い、孤独を感じるものですが、そのような時にこのように共に歩む仲間を備えていてくださったのです。

ところで、ここに記されてある人々とはいったいどんな人たち何だったのでしょうか。まず筆頭に登場しているソパテロは、ベレヤ人であった記されてあります。ベレヤというのはパウロが第二次伝道旅行の時に訪れた町の一つです。それからアリスタルトとセクンドはテサロニケ人であると記されてあります。テサロニケも同じようにパウロが第二次伝道旅行で訪れた町でした。それからガイオとテモテはデルベ人だと記されてあります。デルベというのはパウロが第一次伝道旅行で訪れた町の一つです。そしてテキコとトロピモはアジヤ人でした。あのエペソの町があったアジヤ州です。それにルカがピリピ教会からやってきて合流しています。ですから、このパウロの同行者たちというのは、かつてパウロが訪れた町々の教会の代表者たちだったのです。

いったいうなぜ彼らはパウロに同行したのでしょうか。もちろんパウロの旅路のことを考えて、彼を助け支えるという目的もあったでしょうが、そうした人たちがわざわざ同行するということには、それ以上の理由があったはずです。それは何だったのでしょうか。それを知るためには、この時彼らがどこに向かっていたのかを考えるとわかります。そうです。エルサレムです。19章21節を見ると、「このことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした」とあります。いったい何のためでしょうか。それは前にもお話したことがあるかと思いますが、エルサレムの兄弟姉妹たちに献金を届けるためでした。彼らは今その目的のためにエルサレムに行こうとしていたのです。その旅にそれぞれの地域の代表者たちが同行したのです。ということは、単に献金を手渡すということだけでなく、その献金に託された彼らの思いを通して、その交わりの恵みに預かろうとしていたことがわかります。

しかし、このように各教会から派遣された代表者たちがわざわざエルサレムに向かったというのは、単に交わりの恵みに預かりたいと思ったからだけではありませんでした。彼らがそのようにパウロの旅に同行し、わざわざエルサレムにまで行ったのは、弱い信仰者たちへの配慮のためでした。ご存じのようにパウロがコリントにいた時、彼はそこで天幕作りをしながら伝道していましたが、それは、パウロは信者たちから献金をだまし取っているのではないかとといった誤解があったからでした。そういうスキャンダルがある中で、彼は信者たちの誤解がないようにと自ら働いて伝道したのでした。まして今度は海の向こうのエルサレムに献金を届けようとしているのです。どんなスキャンダルを流す人がでないとも限りません。それにつまずく兄弟も出ないとは限りません。それを防ぐにはどうしたらいいのでしょうか。そうしたお金にパウロが関わらないことです。彼は諸教会からの献金の取り扱いについては、自分が入るようなことをせず、その教会が立てた代表者たちの手で運ぶようにしたのです。

教会には、牧師の許可をもらったり、役員会の承認をとったり、領収書をきちょうめんにとったりと、とても煩雑な事務があります。神の家族、兄弟姉妹の間で、どうしてこんな面倒で他人行儀のようなことが必要なのかと思えるかもしれませんが、それはそのようなことでつまずく弱い兄弟姉妹がいるからで、そのような方々への配慮からなのです。ただ、事の能率や手間の節約といった点だけを考えるなら必要ないと思われることでも、実は、そうしたことでつまずいてしまう兄弟姉妹がいることを考えると、きちんとしておく必要があったわけです。このことをパウロはⅡコリント8:20~21で次のように言っています。

「私たちは、この献金の取り扱いについて、だれからも非難されることがないように心がけています。それは、主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです。」

これがパウロの姿勢でした。どんなことでもそのことでつまずく人がないように、神の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうとしたのでした。

7月に来られたフレッド・タニザキ牧師は、かつて公認会計士をなさっていたという経歴をもっていることから、くお金の相談を受けることが多いのですが、彼がフィリピンかどこかの国に行って教会の会計システムを聞いたとき、何と牧師が一人で全部むやっていたというのです。しかもそれを帳簿に記入しないで、お金があればその中から支払いをするというようなことをしていたのだそうです。それでパスター・タニザキはそれを指摘しました。「いいですか。献金は一度そのまま銀行に預けてください。そこにちゃんと数字が印字されますから、それが一つの証拠となるんです。支払いはその後にするようにお願いします。」

小さなことのようですが、つまずいてしまう弱い兄弟姉妹を配慮して、できるだけ誤解を生むことがないようなすること、それは私たちの信仰にとって大事な心得と教訓でもあるのです。ローマ人への手紙15:1~3に、つぎのような勧めがあります。

「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。」

これはキリストのお姿でもありました。このキリストに見習うことから、キリスト者の慰めもまた生まれくるのではないでしょうか。

Ⅲ.いたわりと思いやる心(7~12)

第三のことは、いたわりと思いやりの心を持つことの大切さです。7~12節までをご覧ください。

「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります。」と言った。 そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。」

一行がそのトロアスに七日間滞在していたときのことです。週の初めの日に、パンを裂くために集まりました。この「パンを裂く」というのは、愛餐のことではなく、聖餐のことです。すでに、もうこの頃から週の初めの日である日曜日に礼拝が行われていたことがわかります。しかもこの集会は、夜行われていました。というのは、当時の異教社会では日曜日が休みではなかったからです。それで人々は一日の労働を終え、主の復活を祝うために、夜集会に集まっていたのです。それはちょうどパウロが翌日に出発を控えていたときのこどてした。パウロの説教にも自然と熱が帯びてきて、夜中まで語り続けました。するとそこへさユテコという青年がやって来て、窓のところに腰を掛けて聞いていたのですが、パウロの話があまりにも長く続いたのか、とうとう眠り込んでしまい、3階から下に落ちてしまったのです。彼を抱き起こしてみると、もう息はありませんでした。死んでしまったのです。パウロは説教を止めて下へ降りて行き、彼の上に身をかがめると、「心配することはない。まだいのちがあります」と言いました。これはこの青年が死んでいなかったいわゆる仮死状態であったということではありません。医者であったルカは「もう死んでいた」と死亡診断書を書いていますから、彼は死んでしまったのです。その青年が生き返ったということです。そこで人々はまた上がって行って、パンを裂き、それを食べてから、明け方まで話し合い、それから出発しました。では、この出来事はいったい何のためにわざわざ書かれたのでしょうか。

ある人々は、これは礼拝中に居眠りすることの罪に対する警告として書かれたのだと考えます。礼拝中に居眠りするなんて不謹慎だというわけです。しかし、ユテコの居眠りがどうして起こったのかを考えると、必ずしもそのことを責めることができないことがわかります。というのは、夜中まで続いた集会を寝ないでずっと聞き続けることはそんなに易しい事ではないからです。特に当時の社会は日曜日が休みではありませんでした。ですから昼間働いたクリスチャンは、こうしてこのように夜の集会に出かけて行ったのです。ユテコが、昼の勤労の疲れから、夜明けまで続く集会で居眠りしたのも無理もありませんでした。私たちは日曜日の午前中に、前日十分休養を取ったとしても、ついつい居眠りしてしまうものです。それに比べたら一日中働いて疲れたままで集会にやって来て、しかもそれが延々と夜中まで続いていたとしたら、居眠りしない方が不思議でしょう。むしろ、居眠りしてでも集会に出ようというユテコの信仰は立派なものでした。

そのうえ、彼が「窓のところに腰を掛けていた」ということを見ると、どうも部屋が満員で本来の座席でない窓辺に追いやられていたのかもしれません。しかもともしびがたくさんともしてあったとしたら、油の煙や人の息で部屋の酸素が不足し空気が汚れていてよけいに眠気を誘ったのかもしれません。しかも、彼が最初から寝るのには最も不適切な窓のところに腰を掛けていたということは、初めから寝る気で集会に参加していていたわけではなかったことがわかります。彼は寝る気は無かったし、眠ってはいけないと思っていたからこそ、一番眠りにくい場所を選び、なるべく眠らないような工夫をしたのではないでしょうか。ですから、これは礼拝中に眠りこけてしまう不敬虔な人に対する神のさばきを描こうとしていたのではないのです。では、この出来事を通してルカは、何を言いたかったのでしょうか。

ある人々は、ここに死人をも生き返らせることのできる神の偉大さが現されていると考えます。確かに、死んだ人が生き返るといった奇跡は、ものすごいことですし、全能の神様を信じる人には、このような偉大な業が現されるということが言えます。しかし、このところをよく見ると、死んだことが生き返ったことをそれほど大げさには書いてはいないことに気がつきます。むしろ、淡々と描かれているのです。青年ユテコが窓から下に落ちて死んでしまった。パウロが行ってみると、確かにもう死んでいたが、パウロは彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえると、「心配することはない。まだいのちがある」と言って生き返らせ、そしてまた上に上がって行き、集会を続けているのです。死人が生き返るということなど当たり前のことなんだよと言わぬばかりです。ここには死人を生き返らせ、罪人を赦す救い主イエス様がおられるんだから、これくらいのことで驚いて礼拝を中止することはないという信仰がみなぎっています。

では、この出来事を通してルカが最も伝えたかったこととはどんなことだったのでしょうか。12節をご覧ください。

「人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。」

人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められたということです。パウロの偉大さでもない、ユテコの幸運でもありません。ユテコの死を悲しんだ教会員全員が、大いに慰められたというところに、この出来事が記された意義があったのです。それは当然のことですよ。死んだ人が生き返ったら、だれだって慰められるに決まっている・・・と言ってはなりません。必ずしもそうではありません。

ある小学校の修学旅行の最中に、ひとりの急病人が出たために、その旅行の日程を変更して早めに学校に帰ったという話がありました。友達も父兄たちもみんな心配して、帰宅した後で、病気の生徒を見舞い、回復すると、「よかった、よかった」と皆で喜び合っていましたが、その直後にトラブルが起こりました。受け持ちの先生からは見舞いの一言葉もあるわけでなく、それどころか、その生徒一人のために全員に迷惑をかけたのだから、親は校長やPTA会長のところに行っておわびをするようにと言ったのです。病気が治ったのは善かったけれど、その病気のせいで自分たちが迷惑を受けたというわけです。病気が治ったということを素直に喜ぶことができなかったのです。

同じような気持ちが教会に起こらないとも限りません。もし私たちの教会の礼拝の途中で子どもが窓から身を乗り出して転落したとしたら、いったい私たちはどのようにそれを受け止めるでしょうか。救急車を呼んで、何とか一命は取りとめた聞いたら「よかった、よかった」と口では言うかもしれません。しかし、心の中では「あの子は何を考えているんだろう。あんなふざけて窓のところで遊んでいるからあんなことになったんだよ。しかも礼拝中なんだから、親ももうちょっと考えないとね。第一、親のしつけがなってない。しつけが悪いからあんなことになったんだよ。それで迷惑するのはこっちだし、そんなことをしていたら証しにもならないよ。」なんて言うのではないでしょうか。

このようにして考えると、人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められたということはすごいことであることがわかります。それは何かというと、このひとりの軽率な若者までも愛してやまなかった心が、教会全体に浸透していたということです。彼らの中には、いのち君であられるキリストがおられるだけではない。あの100匹の羊を持っていた人がいて、そのうちの1匹をなくした時、99匹の野原に残しておいてでも、その1匹を見つけるまで探し歩く羊飼いの姿が、ここに見られるのです。この羊飼いは、いなくなった1匹の羊を見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友達や近所の一たちを呼び集め、「いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください」と言うのです。それと同じ羊飼いキリストの愛の心を、彼らの中にも見るのです。
「なんだって落ち着きのない羊だ。いつもそうなんだから。なんでそうなるの」といった批判的な言葉、態度、思いは見られません。

パウロはトラブル・メーカーの青年ユテコの上に身をかがめ、抱き起こして、自分のからだといのちで抱き締めるようにして、彼を生き返らせました。人々もまた、このひとりの生き死にを、わがことのように抱え込み、ともに泣き、ともに喜んだのです。ここにクリスチャンの慰めの姿を見ることができるのではないでしょうか。

「慰める」ということばは「かたわらに呼ぶ」という意味の言葉で、弱い人をかたわらに置いて呼びかけ、慰め励ますことです。パウロは、信仰に歩むクリスチャンの心を強め励ますために彼らのかたわらに立ち、みことばによって励ましただけでなく、強くない者の弱さをにない、つまずかないように、献金を届ける時でさえ最大の配慮をしましたが、同時にまた彼は、このように勤労の疲れから居眠りをしてトラブルを起こした一人の弱い青年を抱きかかえて立ち上がらせたのです。兄弟たちもまた、弱い者から受ける迷惑よりも、弱く失われた1匹の羊が連れ戻されたことを喜び合います。このいたわりと思いやりこそ、クリスチャンが兄弟を慰め、また兄弟から慰められるところの「慰め」の姿です。教会は本来このようにあるべきなのです。私たちもまたキリストの心を心として、このような慰めを与える者になりたいものです。