使徒の働き21章1~16節 「主のみこころのままに」

きょうは、「主のみこころのままに」というタイトルでお話をしたいと思います。ミレトでエペソの教会の長老たちと別れを惜しんだパウロは、いよいよエルサレムを目指して一路進んで行くことになります。それは、主イエスのエルサレムに上る最後の旅が決死の旅であったように、その前途に暗雲が漂っているものでした。それでも彼をエルサレムへと進ませたものは何だったのでしょうか。それは主のみこころであったということです。

きょうは、この主のみこころに生きたパウロの姿から三つのことを学びたいと思います。第一のことは、パウロは自分に与えられていた使命に生きていたということです。第二のことは、パウロは覚悟を決めていました。どんな覚悟でしょうか。死ぬ覚悟です。第三のことは、パウロはすべて主にゆだねていました。

Ⅰ.使命に生きる(1-6)

まず第一に、パウロは神から与えられた使命に生きていました。1~6節までのところですが、まず3節までをご覧ください。

「私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。」

ミレトを出帆したパウロはコスに直行し、翌日ロゴスに着くと、そこからパタラに渡りました。ここでフェニキヤ行きの船に乗り換えるとシリヤに向けて航海を続け、ツロに上陸しました。ここで船荷を降ろすことになっていたからです。このツロに上陸したパウロ一行は、船が積荷を降ろす間の一週間、ここに滞在することになりました。この間、彼らは何をしたでしょうか。4節です。

「私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。」

彼らはこのツロの町で、弟子たちを見つけ出してそこに滞在しました。使徒11章19節に、「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行った」とありますが、このツロには、かつてステパノの迫害の時に、エルサレムから散らされた人たちの伝道によって、多くの弟子たちがいたからです。それにしても、なぜ彼らはわざわざ弟子たちを見つけ出して、そこに滞在しようと思ったのでしょうか。この「見つけ出して」ということばは、「あちこちを尋ね回ってやっと見つけ出す」という意味です。今日のように住宅表示や電話帳などがあって、簡単に人を探せるような時代とは違い、人を捜すには、かなり苦労しなければならなかった時に、どうしてそこまでして捜し回る必要があったのでしょうか。それは彼らが滞在する場所がなかったからではありません。それほどまでしても、そこにいる弟子たちと会いたい、交わりたいと思ったからです。それが信仰者の交わりというものです。

そうした兄弟姉妹との交わりは一週間にも及びましたから、実に深いものがあったでしょう。最初は互いに遠慮していも、2~3日も一緒にいるうちに、次第に心が溶け合ってきていたと思います。そのように時、このツロの人たちに御霊によってあることが示されました。それは、パウロがエルサレムに上って行くと、そこでなわめと苦しみが待っているということでした。そこで彼らはパウロに、エルサレムに上って行かないようにと、しきりに忠告しました。ツロの人たちにとっては、エルサレムでの迫害によって散らされた伝道者によって信仰に導かれた経緯がありましたから、かつて自分たちを救いに導いてくれた人たちの苦しみや困難というものは、自分のことのように身近に感じていたのかもしれません。それだけに迫害に人一倍敏感だったものと思われます。そういう彼らがパウロの身を案じ、エルサレムに上って行かないようにと忠告するのは当然のことでした。しかし、パウロはそれでもエルサレムへの旅を続けます。5~6節です。

「しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。」

ツロの弟子たちによって上って行かないようにと忠告を受けたにもかかわらず、それでもエルサレムを目指して旅を続けることにしたのはどうしてだったのでしょうか。それは、それが神のみこころだったからです。彼がエペソに滞在していたときに御霊に示されていたことを思い起こしてみましょう。19章21節です。そのところには、

「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとで、エルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。」

とあります。また、その後ミレトの港でエペソの長老たちに語ったことばの中にも次のような言葉がありました。20章23節です。

「ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。」

パウロがエルサレムに行くこは神のみこころでした。そこでなわめと苦しみが待っていることくらい百も承知です。それでも彼がエルサレムに行かなければならなかったのは、諸教会から集めた献金を届けることによって聖徒たちの交わりに与りたいと思っただけでなく、最終的にはローマに立たなければならないと思っていたからなのです。それが神のみこころでした。ですから、そこにどんな障害が置かれていようともそれらを乗り越えて上っていくことこそ、神が喜んでくださることだと確信していたのです。

それでは、この4節のところで、このツロの人たちが「御霊に示されて」忠告したというのはどういうことなのでしょうか。しかも後でアガポという預言者も登場し彼は実演付きで、エルサレム上京の危険を語っています。エルサレムに行くことと、それを引き止めることのいったいどちらが主のみこころだったのでしょうか。確かにツロの人たちや預言者アガポなど、パウロがエルサレムに行くことに反対した人々は、パウロがエルサレムに行けば迫害を受けるようになるということを御霊によって示されましたが、エルサレムに行っては行けないとは言われていませんでした。それは彼らがパウロのことを思うあまりに出てきた人間的な思いだったのです。パウロは、そんなことは百も承知。事実、彼自身、御霊によって、そのように示されていました。にもかかわらず、それでも彼がエルサレムに上っていかなければならなかったのは、単に彼が行きたかったからではなく、どうしてもしなければならないことだったからなのです。それは20章23,24節の彼のことばによく現されていると思います。

「ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」

それが彼に与えられていた使命でした。その使命を果たし終えることができるなら、彼のいのちは少しも惜しいとは思わなかったのです。自分に与えられた使命に生きようとする思いが、たとえそこに大きな困難があるということがわかっていたとしても自らを進ませていく原動力となるのです。

皆さん、皆さんにはどんな使命が与えられているでしょうか。その使命がまだはっきりしていないという方は、おぼろげながらでもいいです。それを確立することが大切です。しかもそれは自分がしたいことではなく、神様が自分にしてほしいと願っておられることです。自分はこのために生きているというものです。オーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーは、真に自分らしく生きるために必要なのは未来への希望だと言いましたが、クリスチャンにはこの希望が与えられています。それは天国の希望です。それが私たちにとって最もすばらしい使命です。それと同時に、この残された生涯が本当に意味あるものであるために、この自分に与えられている使命を思いめぐらすということは有意義なことなのです。パウロが、「この任務を果たし終えることができるなら」「自分の走るべき行程を走り尽くし」と言っているように、私たちもまた、自分に与えられている任務はこのことですと具体的に言えたら、どんなに幸いなことかと思うのです。

Ⅱ.覚悟を決める(7-13)

第二のことは、覚悟を決めるということです。7~13節までのところに注目してみましょう。ツロの弟子たちに別れを告げたパウロたちは、そこからトレマイに向かい、そこで一日滞在すると、その翌日にはカイザリに着きました。そこにはあの七人の伝道者のひとりであるピリポがいたので、そこに滞在しました。このピリポとは、8章に出ていた人物です。8章40節には、「それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤへ行った」とあります。あれ以来彼は、ずっとこのカイザリヤで伝道していたのです。その間に家庭を持ち、四人の娘さんも与えられ、それぞれ主に仕える者になっていました。そんな折り、アガポという預言者がパウロのところに来て、次のように言いました。10~12節です。

「幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。
彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。」

このアガボという人物も使徒11章27節のところに登場していた人ですが、ピリポのところに滞在していたパウロのところにやって来て、「聖霊がお告げになっています」と言って、エルサレムで待ちかまえている危険について、「こんなふうになる」と実演付きで生々しい仕方で警告を与えたのです。先のツロでの警告に続いて、二度目の警告です。しかも今度は「こんなふうになる」ともっと現実味を帯びた警告です。パウロに同行していた人たちはさすがに今度ばかりはと、その土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムに上らないようにとお願いするのでした。それまではらはらしながらも黙ってパウロを見ていた一行も、ついにこの引き止め工作に身を乗り出したわけです。カイザリヤは、ユダヤ地方都市の駐在都市でしたから、ここまで来ればもう目的も果たしたも同然だから、献金は自分たちがエルサレムの教会に届けますから・・・・とでも頼んだのでしょう。しかし、パウロの返答は意外なものでした。13節です。

「するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでえなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた」

何とそうした人たちの願いも振り払って、それでもエルサレムに行くと言ったのです。いったいパウロはなぜそのように言ったのでしょうか。ある人たちは、パウロはエルサレムに行くことにおいて躍起になりすぎて、弟子たちの忠告と御霊の示しに背く罪を犯してしまったと考えます。そうだとすると、14節のところで彼が聞き入れようとしなかったとき、彼らが「主のみこころのままに」と言って黙ってしまったのは、だだっ子のような気ままなパウロに手を焼いて、「もうどうにでもなれ」と突き放したのだと考えます。しかし、果たしてそうなのでしょうか。そうではありません。なぜなら、パウロにとっては、主イエスの御名のためならば、エルサレムで縛られることはおろか、死ぬことさえも覚悟していたからです。パウロにとって最も重要だったことは縛られることから逃れたり、死ぬことから逃れることではなく、主のみこころのままに生きることだったからです。パウロはローマ6章5節で、次のように言っています。

「もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。」

また、ピリピ人への手紙3章10,11節でも、次のように言っています。
「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中から復活に達したいのです。」

パウロの願いは、イエス様のようになることでした。イエス様のようになるとはどういうことでしょうか。キリストの死と同じ状態になることです。そのイエス様はどうだったのか。ルカの福音書13章33節を開いてみましょう。

「だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

これは、あるパリサイ人がイエス様に、「ヘロデがあなたを殺そうとしているから、ここから出てほかの所へ行きなさい」と言ったことばに対して、イエス様が言われたことばです。たとえだれかが自分を殺すようなことがあっても、エルサレムに向かって進んで行かなければならない。きょうも、明日も、次の日もです。なぜなら、人の子がエルサレム以外の所で死ぬことなどあり得ないからです。同じようにパウロは、きょうも、明日も、次の日もエルサレムに向かって進んで行かなければなりませんでした。彼はイエス様の死と同じような状態になりたかったからです。

昔からクリスチャンの必読の書とされてきたものに、トマス・ア・ケンピスが書いた「キリストにならないて」という本がありますが、クリスチャン生活というのは何かというと、それはせんじつめればキリストのようになることなのです。キリストにならいて、キリストのように、キリストのイミテーション・コピーになることです。パウロはまさに、キリストに習って生きようと決意していたのです。主のみこころならば、たとえそこで死ぬようなことがあったとしても、それに従おうとするのがキリストに習うクリスチャンの姿です。問題はそういう覚悟があるかどうかです。

実際、この時パウロはかなり動揺していたと思います。それが定められた道だとひたすらエルサレムに向かって進んで行こうとしているのに、身近な信仰者から、いや、同労の仲間かたちからもしきりに「行かないように・・」と言われたらわけですから。もし皆さんがこの時のパウロの立場だったらどうでしょう。愛する夫、あるいは妻から、あるいは家族から、「お願いだから、わざわざ苦しむようなことはしないでちょうだい。」と泣いてせがまれたら、その願いを振り払ってまでも進んでいこうとするでしょうか。この時パウロは「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。」と言っていますから、彼らの言葉によってパウロ自身相当動揺していたし、心がくじかれるような思いであったのは確かです。それでも彼が、エルサレムに向かって進んで行こうとしていたのはどうしてだったのでしょうか。それは、彼がキリストに捕らえられていたということがありますが、それだけでなく、「御名のためなら」とい人生の方向付けがあったからです。キリストの御名のためなら、たとえ辛いこと、苦しいことがあっても、いやそれで死ぬようなことがあったとしても、進んでいくという覚悟があったのです。どれだけ覚悟があるかです。それは信仰生活だけのことではなく、私たちの人生のすべて局面で言えることです。

数年前に娘の体が動かなくなって、車いす生活を余儀なくされたとき、正直、私は心の中でこれからどうしようかと思いました。娘も不自由だろうけれども、自分も身動きがとれなくなってしまうのではないか。果たして自分にそんなことができるかどうかと悩みました。その時私に与えられた思いは、この「覚悟を決める」ということでした。できるかできないかではなく、できるだけのことをすると覚悟する。そうすればきっと道が開かれると。問題はその覚悟ができないことです。自分のことであれこれと考えて思い悩んでしまう。そうではなく、すべてのことに主が働いておられ、主が最善に導いてくださると信じて、目の前に置かれた一つ一つのことを行っていくのです。そうした覚悟があれば、必ず道が開かれるのです。パウロは「御名のためなら死ぬことも」という覚悟があったからこそ、そういう方向付けがあったから、エルサレムに向かって進んで行くことができたのです。

Ⅲ.すべてを主にゆだねて(14-15)

第三のことは、パウロはすべてを主にゆだねました。14,15節をご覧ください。

「彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。」

パウロは、自分の人生のすべてを神にゆだねました。つまり、自分の判断に頼らず、周りの勧めにも動かされず、すべてを主にゆだねたのです。そのようなパウロの決断に対していっしょにいた弟子たちも、その意志を止めることができないと知り、すべてを主のみこころにゆだねました。私たちを創造し、私たちを救われた神に、私たちの進むべき道をゆだねなければなりません。信仰者の道は決して楽ではありませんが、神にゆだねた人の人生は、神がちゃんと責任を取ってくださいます。私たちの生も死も、そして生き方もすべで神にゆだね、みこころのままに進んで行かなければならないのです。

パウロは20章24節のところで、「自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証する任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」と言っています。つまり、自分の生涯はキリストに捕らえられ、聖霊に縛られた生涯なんだから、その生涯の走るべき行程がエルサレムまでならエルサレムまで、ローマまでならローマまで、イスパニヤまでならイスパニヤまでと、とにかく走り抜くところまで走り抜く、それがパウロを突き動かしていた人生観だったのではないでしょうか。エルサレムであろうがローマであろうが、はたまたイスパニヤであろうが、いずれの地に行ってもいのちの危険はあります。イエスの死をいつもこの身に帯びています。けれども主イエスの御名のために生きるようにと主イエスによって捕らえられ、キリストの十字架の死によって死んでいたはずの自分のいのちが生かされた以上は、とにかく与えられた走るべき行程は何があっても走り抜くというのが彼の生き方だったのです。あとは神にゆだねます。結果はどうであれ、それが自分に与えられた道ならば、その道を走り抜くというのが彼の人生だったのです。

キリストによって与えられた私たち一人ひとりの人生もまた、とにかく神によって与えられた走るべき行程は何があっても走り抜くというパウロの生き方にならって、ただ主のみこころのままに進んでいきたいと思うのです。そして、このようにパウロを生かしめたキリスト・イエスのご愛の大きさに思いを馳せながら、弱い私たちのうちに働いてこの道を歩ませてくださる聖霊の神に信頼して、私たちのエルサレムに向かって進んで行きたいと思うのです。