Ⅰペテロ5章12~14節 「神の恵みの中に立っていなさい」

 これまで21回にわたり、ペテロの手紙第一を学んできました。きょうは、その最後のメッセージとなります。ペテロは、これまでポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジア、ビデニヤに散って寄留していたクリスチャンたちに対して、試練の向こう側にある救いの喜びを見据えながら、励ましの言葉を語ってきました。その最後のところで彼は、「これが神の真の恵みである」と語り、この恵みの中に、しっかりと立ち続けているようにと勧めるのです。

 Ⅰ.真の神の恵み(12a)

 まず12節の前半をご覧ください。ここには、「私の認めている兄弟シルワノによって、私はここに簡潔に書き送り、勧めをし、これが神の真の恵みであることをあかししました。」とあります。

「シルワノ」とは、使徒の働きにおけるシラスのことです。使徒の働き15章のエルサレム会議では、異邦人キリスト者が割礼を受けなければならないかどうかを議論し、結果として割礼を受けなくても構わないことが決議されたとき、その知らせをパウロやバルナバとともにアンテオケ教会に報告する重要な任務を担ったのが、このシラスです(使徒15:22)。その後、彼はパウロとともに第二次伝道旅行に遣わされ、教会開拓のためにパウロの片腕として働きました。その後、どのような経緯によってかは分かりませんがペテロと行動を共にするようになり、ペテロが信頼した忠実な兄弟となっていたのです。ペテロはここで、この手紙はシルワノによって書き送られたと言っています。この表現は、ペテロが語ったことをシルワノが書き留めたというだけでなく、シルワノが持っていた卓越した信仰と語学の賜物をもって、この手紙が書き記されたということを表しています。おそらく、ペテロが語った要点をシルワノが聞いて、それをまとめたのでしょう。その後でこの手紙を書き終えるにあたり、この12節から終わりまでの最後のあいさつの部分だけを、ペテロが自筆で書き加えたのではないかと考えられています。ですから、11節の終わりに「アーメン」という言葉があるのです。本当はここで終わっていてもよかったのですが、ここからペテロが自筆で、「この手紙はシルワノがいてくれたからこそ、書き送ることができたのだ」と言っているのです。ペテロにとってシルワノは単なる同労者であったと言うだけでなく、なくてはならない信仰の友であり、支えであり、励ましであったことがわかります。

互いに支え合える信仰の友がいるということは、何と素晴らしいことでしょうか。キリストを中心に置いた、互いの愛の励ましは、強い信頼関係で結ばれているがゆえに、大きな益をもたらしてくれます。年齢も、性別も、性格も全く違う者同士がキリストにあって一つとなり、支え合うように導かれ、共に神に仕えることができるというのは、神の恵みと導き以外の何ものでもありません。

それゆえ、神によって導かれた信仰の友を大事にして、人間的な目で見るのではなく、キリストを中心とした霊のつながりを、神が支え合うように導いてくださった友として受け入れることが求められます。

そのシルワノによって書き送られた内容、勧めとはどのようなものだったのでしょうか。ここには、「これが神の真の恵みであることをあかししました」とあります。彼が書き送った内容は、神の真の恵みでした。恵みとは何でしょうか。恵みとは、受けるに値しない者が受ける賜物のことです。言い換えると、自分の力、知恵、才能、意志の強さ、努力、行いによっては得られない、ただ一方的に神からもたらされる恩寵のことです。

ペテロは、この手紙の中で、神の恵みについて9回も言及してきました。それは、この神の恵みに生きることが、キリスト者の生き方の中心であることを示すためです。ペテロが言いたかったことは、一言で言えば、神の恵みだったのです。あなたが強い信仰心をもって頑張って生きるというのではなく、神が一方的に与えてくださったこの神の恵みを味わい、その恵みを喜び、恵みの中を生きることが、信仰生活の中心だと言うのです。それは、夫婦の間でも、また、他のクリスチャン同士でも言える事です。そこに真の尊敬が生まれるのは、相手を「いのちの恵みをともに受け継ぐ者として」(3:7)見ているからです。嫌だなぁと思うこともあるでしょう。何でこんな人と一緒にいなければならないのだろうと嘆くこともあるかもしれません。しかし、私たちは互いに「いのちの恵みをともに受け継ぐ者として召された」ということを思うとき、逆に、そこに愛情とあわれみが溢れてくるのではないでしょうか。

その恵みはまず、私たちを罪の中から救い出してくださった神の救いの御業を通して現されました。神はそのひとり子イエス・キリストをこの世に送り、私たちの罪の身代わりとして十字架で死なれることによって、この方を信じる者を義と認めてくださいました。私たちが何かをしたからではなく、いや何もしないのに、何もできなくても、神の側でそのために必要なすべての代価を支払ってくださったのです。それは恵みではないでしょうか。私たちは、そのようにして救われたのです。それは一方的な神の恵みです。そのことをパウロはこう言っています。

「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、・・あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。・・キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:1-9)

ここには、「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって」とあります。死んでいる者は何もすることができません。しかし、そんな者を神はあわれんでくださいました。神は、その大きなあわれみのゆえに、罪過と罪との中に死んでいた私たちをキリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。

このことを考える時、今年9月に行われたギターコンサートを思い出します。その中で池田宏里さんが、叔父さんの救いについて証してくれました。この叔父さんは池田さんが8歳でギターを始めた時の師匠で、徹底的にギターテクニックを叩き込んだ人です。そのおかげで、池田さんは15歳でソロデビューし、10代後半で6弦ギターから8弦ギターを弾きこなすまでになりました。ところが、池田さんが20歳の時、パタッと演奏活動を止めてしまうのです。それで20代から30代半ばまで約15年間の空白の時を経るのです。その原因は、この叔父さんにありました。この叔父さんはとにかく身勝手な人で、自分の好きなように生きていた人でした。演奏活動であちこちに行くと、そこでいろいろな女性と関係を持ったりしていましたが、それが自分の母親ともあったことを知り、ショックでギターを止めてしまうのです。
それからしばらく父親の実家の青森でリンゴの収穫の手伝いをしていたのですが、そのお昼休みに弾いていたギターの音を郵便配達の人が聞いて感動し、それが当時ノアという音楽ホールを経営していた奥様に伝わり、それで彼は信仰に導かれるとともに奥様と結婚するのです。しかし、経営していた音楽ホールが行き詰まり上京することになるとそこで新たな出会いが与えられ、東京フィルハーモニーオーケストラをバックに演奏するまでになりました。
一方、自分にギターを教えてくれたあの叔父さんはどうなったかというと、演奏でロシアに行ったときに出会った女性と結婚するも別れ、80歳を過ぎて日本に帰国するのですが、誰も身よりがいないということで池田さんのもとに連絡が入るのです。当初はあんなひどい叔父の面倒なんてみたくないと思いましたが、実際に会ってみると昔の面影がなくとても弱々しいというか情けなく見えたので、面倒をみてやることにしました。
叔父さんを入れる都内の老人施設を片っ端に電話しましたが、どこも空いておらず、ただ偶然にというか、神の導きによって救世軍の施設が空いており、その日だったら入所できるということで、入所させていただきました。
ところが、そこはキリスト教の施設でしょ、だからそこでは毎日礼拝があるわけです。そして、その礼拝に出席しているうちに、何とこの叔父さんがイエス様を信じちゃったのです。あれほどワルをしてきた人なのに、ただ「信じます」と言っただけで、罪から救われたのです。
池田さんはその時こう思ったそうです。「ああ、これがキリスト教の救いなんだ」と。叔父さんがかつてどれほど悪いことをしても、どれだけひどいことをしてきても、その罪を悔い改めてイエス様を信じるだけで救われるのです。これがキリスト教の救いなんです。
叔父さんが召される三日前に、もうすぐサントリーホールでコンサートがあって、何とかそこに来てほしいと思っていましたがそれが叶わなかったので、池田さんが師匠の所に出向いてコンサートをしました。

皆さん、これがキリスト教の救いです。主イエスを自分の罪からの救い主として信じるだけで救われるのです。あなたがこれまでどんなことをしてきたかとか、どんな業績を残してきたかとか、どんなに真面目に生きてきたかということと全く関係なく、自分の罪を悔い改めて、神の救いであられるイエス様を信じるだけで救われるのです。何という恵みでしょうか。

しかし、この神の恵みは、救いの恵みだけにとどまりません。10節には、「あらゆる恵みに満ちた方」とありますように、神は、あらゆる恵みに満ちた方です。ペテロがこのことをあえて強調しているのは、確かに罪の中から救われたことは恵みですが、神の恵みはそれだけにとどまらず、苦しい道を通されることもあれば、悪魔が野放しにされて厳しい戦いを強いられることもあるし、また、いろいろな問題で悩むこともありますが、そうした苦しいことも含めそれらすべてが神の恵みであるということです。

人間は、自分にとって良いと思えることしか恵みと感じ取ることができない身勝手な存在です。しかし、神の恵みは、よいと思えることも、悪いと思えることも、つらいことも、うれしいことも、すべてのことにおいて、示されるものです。なぜなら、神はそうしたすべてのことを働かせて、益としてくださるからです。

前回の祈祷会で、ヨシュア記15章から学びました。そこには、ユダ族がくじでイスラエルの南の地帯を相続地の割り当て地が与えられたことが記されてありました。せっかく最初に相続地の割り当て地を与えられたというのに、一番ひどい所が与えられました。イスラエルは北部によく肥えた緑の地が多く、南部に行けば行くほど岩や砂が多い荒地となっているのです。彼らが引き当てた地は最も環境が悪く、住むのにも適さない、農耕にも適さない、荒地だったのです。おそらく彼らは、「何という貧乏くじを引いてしまったんだ」「運が悪いなあ」と思ったことでしょう。しかし、そのような所であったがゆえに、彼らは偶像崇拝の悪しき影響から免れ宗教的な純粋さを保つことができたのです。北部の肥えた地は、確かに環境的には申し分がありませんでしたが、それに伴って農耕神、豊穣神と呼ばれるバアル宗教がはびこっており、こうした偶像との戦いを強いられることになったたからです。それゆえに、やがてイスラエルの北はアッシリヤに滅ぼされてしまうことになります。
それに対してユダ族は、こうした環境的困難さの故に、唯一の神、ヤハウェ信仰から離れることなく、常に純粋な信仰を保ち続けることができました。それだけではありません。この環境的困難さによって、ユダ族はさらに強くたくましい民族へと育て上げられて行きました。そして南イスラエルは、「南王国ユダ」と呼ばれるまでになったのです。すなわち、このユダ部族が南に住んでいた全部族を代表して呼ばれるほどに、強力な部族になっていったということです。

時として、私たちは、自分が望まない困難な状況に置かれることがありますが、そこにも神のご計画と導きがあるのです。ですから、自らの不遇な状況を嘆いて、「ああ、私は貧乏くじを引かせられた」と言って、自己憐憫になってはいけないのです。むしろ、その所こそ、主が私たちに与えてくださった場所だと信じて、主を賛美しなければなりません。

このように、自分の置かれている状況と全く関係なく、そこに生きて働いておられる神の恵みを覚えて感謝することができるということがクリスチャンに与えられている特権であり、信仰の醍醐味なのです。

新聖歌172番に、「望みも消え行くまでに」という讃美歌がありますが、この中には「数えてみよ、主の恵み」と歌われています。この曲を作曲したEDWIN.O.エクセルという人は、この歌の題を「Count your blessings」と名付けています。「Count your blessings」。文字通り、「あなたに賜った恵みの一つ一つを数えなさい」という意味です。この歌は詩篇103:2の「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」が元になっていますが、この賛美によって、どれほど多くの人が生きる希望を与えられたことでしょう。

その中の一人に、蒲田シオン教会の牧師をされておられた、砂山貞夫牧師の奥様の砂山節子先生という方がおられます。戦前、満州伝道の召命を受けた牧師たち数名が満州に赴きました。砂山貞夫牧師もその一人でした。しかしそれは、凄まじい困難や試練が待ち受ける過酷な道でした。節子夫人は、結婚前は宝塚歌劇団にいたこともある美しい方であったそうです。そんな方が、ご主人の伝道への熱い思いに従って、満州に渡り、伝道困難な熱河省興隆(ねっかしょうこうりゅう)、現在の河北省ですね、その地へと赴いたのです。
その伝道は困難を極めました。着任してから1年半後に、長男の正ちゃんがひどい下痢の末に天に召されました。十分な治療を受けられなかったからです。この時の体験を節子夫人はこう語っています。「興隆教会の最初の一粒の麦として、わが子が召されようとは。…皆で輪になって正の遺骸を興隆の河原で賛美のなかに火葬にふしましたときは、涙が溢れてたまりませんでした」
このような試練の中でも、少しずつ伝道の実が実り、信者が与えられていきました。ところが、戦局が悪化すると、ご主人の砂山牧師が召集され、戦場へと送られて行ったのです。残された節子夫人は女手一つで、娘3人を何とか育てます。
戦後、ご主人の砂山牧師は奇跡的に家族のもとに帰ってきますが、間もなく侵入してきた中国共産党の八路軍(はちろぐん、パーロぐん)によって連れ去られ、行方不明になってしまします。節子夫人は、ご主人の帰りを待って、興隆の地に残り続けました。村の女性たちと一緒にミシンかけ、糸をつむぎ、靴下作りで食いつないでいくという生活でした。「一粒のとうもろこしも、真冬に一かけらの石炭もない」ことがめずらしくなかったということです。
そんな窮乏生活のため、次女が栄養失調のため召されてしまいます。そして、節子夫人自身も栄養失調のため失明してしまうのです。
終戦から8年も経ってから、節子夫人は漸くご主人の帰りを待つことを諦めて、日本に帰る決心をします。日本に戻る引き揚げ船の甲板に立った時、節子夫人は暗澹(あんたん)たる思いに捕らわれたそうです。幼い娘二人を抱え、自分は目が見えなくなってしまった。あぁ、これから私は、一体どうやって生きていけばよいのだろうか。そう思った瞬間、止めどもなく涙が流れたそうです。涙の中で、必死になって祈っていた時、節子夫人の耳に聞こえてきた讃美歌がありました。
それがこの賛美歌でした。「数えよ 主の恵み、数えよ 主の恵み、数えよ 一つずつ、数えてみよ 主の恵み」。
この賛美歌の歌詞が、繰り返して節子夫人の耳に響いてきたのです。
「数えてみよ 主の恵み」。
「そうだ、私は目が見えなくても、まだ耳は聞こえる。口はしゃべることができる。手も、足もある。そして、何よりも私には、イエス・キリストがいてくださるではないか」。
節子夫人は、この賛美歌の歌詞によって、共にいてくださる主の恵みに目を向けることができたのです。そうだ、困難の中にも、主はいつも共にいてくださったではないか。あの時も、そして、あの時も。だから、これからも主は必ず共にいてくださるに違いない。節子夫人の心の中の、不安と恐れの荒波が静まり、平安が訪れました。
その後、日本に帰った節子夫人は、盲学校に学び、卒業後は盲人伝道に広く用いられ、日本中の視覚障害者の方々を励まし、慰めてきたのです。

神の恵みは、私たちを罪から救ってくださったばかりでなく、あらゆる恵みに満ちたものです。これが神の恵みであり、真の恵みです。それはいいことばかりでなく、時には喜び、時には苦しみ、時には耐えがたいと思えるような試練もあるでしょうが、しかし、それらすべてを働かせて益としてくださる恵み、それが神の恵みなのです。ここではそれを「神の真の恵み」と言っています。神の恵みは真実な恵みです。それは朝毎に新しい恵みです。私たちにはそのような恵みがもたらされていることを覚え、この恵みを一つ一つ数えながらこの年も終えたいと思います。

Ⅱ.この恵みの中に立っていなさい(12b)

では、このような神の恵みが与えられている私たちは、どうあるべきでしょうか。
12節後半をご覧ください。ここには、「この恵みの中に、しっかりと立っていなさい」とあります。神の真実な恵みの中に入れられた者は、この恵みの中に、しっかりと立っていなければなりません。

しかし現実には、この恵みの中にしっかりと立っているということがどれだけ困難なことであるかを、私たちは実際の生活の中で嫌というほど経験しています。まず、信仰のゆえの試練です。そのような試練に会うとき、それをこの上もない喜びと思いなさい、と聖書に書かれてあっても、私たちは、ただひたすらそこから逃れることしか考えられません。イエス様を信じているためにこんなに苦しい思いをするのなら、いっそのこと信じることを止めてしまった方がどれほど楽なことか思ってしまうのです。

また、世俗化との戦いもあります。悪魔は絶えず私たちに「現実」という二文字をちらつかせては、信仰に堅く立つことが馬鹿らしいように思わせます。そして、この世にある様々な誘惑を通して信仰をゆがめ、さらに信仰から離れてさせようと襲いかかってくるのです。現代の社会は、特にこうした傾向にあります。

ですから、この恵みの中にしっかり立っていることは容易いことではありません。だからこそ、私たちがしなければならないことは、この恵みの中にとどまっているようにと頑張ることではなく、神の恵みがいかに大きなものであるかを心に止めることです。神は、こんな罪深い者をあわれんでくださって、愛する御子を十字架にまでかけて救ってくださったということを信仰によって心に刻み付け、いつも思い起こさなければなりません。だからこそ、私たちはどのような時にも、信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなければならないのです。

預言者エレミヤは、神のさばきによってユダとエルサレムがバビロンによって滅ぼされた時、その激しい苦しみの中で、こう言いました。
「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝毎に新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。」(哀歌3:22-24)
エレミヤが、神のさばきのただ中でも、主を待ち望むことができたのは、彼に降り注がれている主の恵みの大きさを知っていたからです。主のあわれみは決して尽きることがないという信仰があったからです。それは朝毎に新しいということを体験していたからなのです。

それは私たちも同じです。どんなに頭でわかっていても、私たちは本当にもろいものです。すぐに躓いてしまいます。しかし、そのような中にあってもこの恵みに立ち続けていくことができるかどうかは、尽きない神の恵み、朝毎に新しく注がれる主の恵みにとどまっているかどうかで決まるのです。

主の恵みは尽きることがありません。それは真実な恵みです。きょうは恵んでも、明日はわからないというものではありせん。あなたを滅びの穴から救い出してくださった主は、最後まであなたに恵みを注いでくださいます。だから、私たちもこの恵みの中に、しっかりと立ち続けようではありませんか。

Ⅲ.聖徒の交わり(13-14)

最後に13節と14節を見て終わりたいと思います。
「バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。愛の口づけをもって互いにあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。」

この「バビロン」とは、実際のバビロンのことではありません。これは、神に敵対する勢力としてのバビロンのことです。つまり、当時の世俗勢力の頂点はローマでしたから、ここではローマのことを指していると考えてよいでしょう。それは、その後のところに「あなたがたとともに選ばれた婦人」の「婦人」に※が付いていることからもわかります。これは「教会」とも訳すことが出来る言葉です。すなわち、これはローマにいたクリスチャンたちのこと、ローマの教会のことを指して言われていたのです。なぜペテロはこのような暗号のようなものを使って言っているのかというと、彼が置かれていた状況がとても危険だったからです。それで「ローマ」と名指しすることをしないで、「バビロンにいる婦人たち」という言い方をしたのです。ここから、ペテロはこの手紙をローマから書き送ったのではないかと考えられてきました。たぶんそうでしょう。彼は迫害の真っただ中にあるローマの教会と、小アジアの教会とは、置かれた場所は違っても、キリストにあって深く結び合わされた同じ教会であるという理解からそのつながりを大切にして、「よろしく」と言って励ましているのです。

さらに、ここには「また私の子マルコもよろしくと言っています」とあります。このマルコとは、マルコの福音書を書いたマルコです。彼はパウロの第一次伝道旅行に同行しましたが、どういう理由かはわかりませんが、途中で逃げ出してしまったので、一時、パウロから見放されてしまいました。しかし、後にパウロとの関係が修復されてからは「同労者」と呼ばれるまでになりました(ピレモン24)。
そのマルコが、ここで「私の子」と呼ばれています。恐らく、マルコは福音書を書くためにいつもペテロと一緒にいてペテロから話を聞き、ペテロが語ることを福音書にまとめたのだと思います。このマルコもよろしくと言っています。

このことから、クリスチャンというのは、キリストを中心として深くつながっている者であることがわかります。これまで一度も会ったことがなくても、それぞれの地で、主にあって奮闘している兄弟姉妹たちのことを思って祈るのです。

そして最後のところで、ペテロは、「愛の口づけをもって互いにあいさつをかわしなさい。」と勧めています。「愛の口づけ」は、クリスチャン同士の愛と善意の表現です。同じ信仰の戦いを戦い、同じ救いの目標を持っている者として、互いに愛し合い、互いに苦しみを分かち合う者としての思いを、このような形で表現するのです。国によっては習慣や文化的背景も違いますから、必ずしもこのような方法によって愛と善意を表現しなければならないというのではなく、むしろ、神の家族として、ともに一つのゴールに向かって歩む兄弟姉妹として、私はあなたを本当に大切に思っていますという思いを何らかの形で表すことが求められているということです。

そしてペテロは最後に「キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。」と祈って、この手紙を結んでいます。キリストにあって、初めて平安が与えられます。そしてその平安は、キリストにあるすべての者に共有されるのです。主なる神様によって真の恵み、キリストの十字架による救いが与えられた者は、すでに与えられている救いの喜びと感謝があるからこそ、どのような試練・艱難・誘惑の中にあっても、信仰から離れることなく、平安を持って歩み続けていくことができるのです。

こんな短い、しかもすっと読んでしまえば一つも大切な要素がないかのように見える「挨拶」の中にも、たくさんの恵みが込められています。神の恵みによって生きるという、信仰のあり方をしっかり捉え、その恵の中に、しっかりと立つということを心にとめて、キリストにあるあなたがたすべてに、神の平安がありますようにと祈りつつ、このペテロの手紙第一のメッセージを終えたいと思います。

ヨシュア記15章

きょうはヨシュア記15章から学びたいと思います。

 Ⅰ.ユダ族の相続地の境界線(1-12)

 まず1節から12節までをご覧ください。
「ユダ族の諸氏族が、くじで割り当てられた地は、エドムの国境に至り、その南端は、南のほうのツィンの荒野であった。その南の境界線は、塩の海の端、南に面する入江から、アクラビムの坂の南に出て、ツィンに進み、カデシュ・バルネアの南から上って、ヘツロンに進み、さらにアダルに上って、カルカに回り、アツモンに進んで、エジプト川に出て、その境界線の終わりは海である。これが、あなたがたの南の境界線である。東の境界線は、塩の海であって、ヨルダン川の川口までで、北側の境界線は、ヨルダン川の川口の湖の入江から始まり、境界線は、ベテ・ホグラに上り、ベテ・ハアラバの北に進み、境界線は、ルベンの子ボハンの石に上って行き、境界線はまた、アコルの谷からデビルに上り、川の南側のアドミムの坂の反対側にあるギルガルに向かって北に向かう。また境界線はエン・シェメシュの水に進み、その終わりはエン・ロゲルであった。またその境界線は、ベン・ヒノムの谷を上って、南のほう、エブス人のいる傾斜地、すなわちエルサレムに至る。また境界線は、西のほうヒノムの谷を見おろす山の頂に上る。この谷はレファイムの谷の北のほうの端にある。それからその境界線は、この山の頂から、メ・ネフトアハの泉のほうに折れ、エフロン山の町々に出て、それから境界線は、バアラ、すなわちキルヤテ・エアリムのほうに折れる。またその境界線は、バアラから西に回って、セイル山に至り、エアリム山の北側、すなわちケサロンに進み、ベテ・シェメシュに下り、さらにティムナに進み、その境界線は、エクロンの北側に出て、それから境界線は、シカロンのほうに折れ、バアラ山に進み、ヤブネエルに出て、その境界線の終わりは海であった。また西の境界線は、大海とその沿岸であった。これが、ユダ族の諸氏族の周囲の境界線であった。」

いよいよイスラエルの民は、占領したカナンの地の領土の分割を開始します。その最初の分割に与ったのはユダ族でした。なぜユダ族だったのでしょうか。それは14章でもお話ししたように、信仰の勇者カレブに代表されるように、ユダ族が一番信仰による勇気と大胆さを持っていたからです。
元来、ユダ族の先祖ユダは、ヤコブの四番目の子にすぎませんでした。長男がルベン、次男がシメオン、三男がレビ、そして四番目がユダです。ですから、長子の特権という面からすれば、ルベン族が最初に分割に与っていいはずなのに、四番目のユダ族が最初にこの特権に与ったのは、どうしてでしょうか。長男のルベンについては、口に出すのも恥ずかしい罪を犯したことがありました。父ヤコブのそばめ、ビルハと寝たことです。それゆえに彼は長男としての特権を失ってしまいました。創世記49:3には、「ルベンよ。あなたはわが長子。わが力、わが力の初めの実。すぐれた威厳とすぐれた力のある者。だが、水のように奔放なので、もはや、あなたは他をしのぐことがない。あなたは父の床に上り、そのとき、あなたは汚したのだ。彼は私の寝床に上った。」とあります。
二男のシメオンと三男のレビも、父に大きなショックを与える罪を犯しました。妹のディナがヒビ人のシェケムという男に辱められたことに怒り、その町の住民に復讐したことです。彼らはその町の男たちに割礼を要求し、彼らの傷が痛んでいる頃を見計らって、全滅させました。ヤコブはこの二人について、同じく創世記49 :5-7の中で、「シメオンとレビとは兄弟。彼らの剣は暴虐の道具。わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。わが心よ。彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足の筋を切ったから。のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。」と言いました。
ですから、四番目のユダが、主に最初に相続地の分割に与る特権を受けたのです。しかし、ただ兄たちに問題があったからというだけでなく、ユダ族はそれにふさわしい部族でした。それは、信仰の勇者カレブに代表されるような信仰の勇気と大胆さを持っていた点です。

創世記49:9-12のヤコブの遺言の中に、彼について語られていることは勝利、リーダーシップ、繁栄と良いことばかりです。ルベンから取り上げられた長子の権利はヨセフに行きましたが、後にユダの部族からは支配者、王が出ると宣言されました。創世記49:10には、「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。」とあります。そして事実、このユダ族から後にダビデ王が誕生し、さらにその子孫から、やがてまことの王イエス・キリストが誕生するのです。イエス様はこのユダ族から出た獅子なのです。このようなユダ族の優位性が暗示される中で、彼らが土地の割り当ての最初に来ているのでしょう。

さて、ユダ族はどの地を相続したのでしょうか。1節から12節までその境界線が記されてあります。巻末の聖書の地図をご覧いただくとわかりますが、ユダ族が、他の部族の中で、もっとも広い土地を得ていることがわかります。まず南の境界線については1~4節に記されてあります。それは、塩の海、すなわち死海の南端からエジプト川に出て、海、すなわち地中海までです。東の境界線については5節の前半にあります。それは塩の海、すなわち死海の沿岸そのもので、ヨルダン川の川口までです。北の境界線については5節後半から11節までにありますが、ヨルダン川が死海に注ぐ入江から始まり、少々複雑に入り組んでいて、最後は海、すなわち地中海に至ります。西の境界線は12節にありますが、地中海の沿岸そのものです。

いったいこの地はどのようにしてユダ族に分割されたのでしようか。1節を見ると、「ユダ族の諸氏族が、くじで割り当てられた地は・・」とあるように、これはくじで割り当てられました。確かに14章を見ると、カレブがヨシュアのもとにやって来て、この山地を与えてくださいと要求したことに対して、ヨシュアがカレブに与えたかのような印象がありますが、しかし、最終的にくじで決められたのです。ユダ族はくじによってカナンの地の南側が与えられたのです。

ところが、この南部の山岳地帯は不毛の地です。イスラエルの地は北側によく肥えた緑の地が多く、南に行けば行くほど岩や砂が多い荒地となっているのです。ユダ族は最初にくじを引くという特権が与えられたにもかかわらず、彼らが得た地は南側の最も環境が悪く、住むのに適さない地でした。そこは農耕にも適さない、荒地だったのです。いったいなぜこのような地を、主はユダ族に与えたのでしょうか。

そこには、神様のすばらしいご計画がありました。この土地をくじで引いた時、おそらくユダ族の人々は心の中で不平を言ったに違いありません。「せっかく最初にくじを引くことができたのに、こんなひどいと地が当たってしまった。何と運の悪いことだ」と。しかし、そのような地理的に環境が悪いがゆえに、彼らは偶像崇拝の悪しき影響から免れ、宗教的な純粋さを保つことができたのです。北部の肥えた地は、確かに環境的には申し分がありませんでした。しかし、それに伴って農耕神、豊穣神と呼ばれるバアル宗教がはびこっており、こうした偶像との戦いを強いられることになりました。
それに対してユダ族は、こうした環境的困難さの故に、唯一の神、ヤハウェから離れることなく、常に純粋な信仰を保ち続けることができました。それだけではありません。この環境的困難さによって、ユダ族はさらに強くたくましい民族へと育て上げられて行きました。やがてイスラエルが二つに分裂した時、南王国は何と呼ばれたでしょうか。「南王国ユダ」と呼ばれました。すなわち、このユダ部族が南に住んでいた全部族を代表して呼ばれるほどに、強力な部族になっていったのです。

時として私たちは自分が願わない望まない困難な状況に置かれることがありますが、そこにも神のご計画と導きがあることを覚えなければなりません。それゆえに自らの不遇な状況を嘆いたりしてはならないのです。「ああ、私は貧乏くじを引かせられた」と言って、自己憐憫になってはいけません。むしろ、その所こそ、主があなたに与えてくださった場所なのだと信じて、主を賛美しなければならないのです。他の人と比較して、ひどい状況であるならば、それはむしろ幸いなのです。そこに神が生きて働いてくださるからです。また逆に、私たちが他の人よりも優って良い場所が与えられたという時には、自分自身に気を付けなければなりません。高ぶって、自分が神にようにならないように、注意しなければなりません。

私たちは、祈りつつ、信仰によって決断しつつも、なお困難な状況に置かれることがあるとしたら、それは主の御計画であり、主が私たちを通して御旨を成し遂げようとしておられると信じて、主をほめたたえ、喜んでその困難な状況の中で果たすべき役割というものを、しっかりと果たしていこうではありませんか。

Ⅱ.水の泉を求めて(13-19)

次に13節から19節までをご覧ください。ここにはユダ族の代表であるカレブについてのエピソードが記されています。
「ヨシュアは、主の命令で、エフネの子カレブに、ユダ族の中で、キルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンを割り当て地として与えた。アルバはアナクの父であった。カレブは、その所からアナクの三人の息子、シェシャイ、アヒマン、タルマイを追い払った。これらはアナクの子どもである。その後、その所から彼は、デビルの住民のところに攻め上った。デビルの名は、以前はキルヤテ・セフェルであった。
そのとき、カレブは言った。「キルヤテ・セフェルを打って、これを取る者には、私の娘アクサを妻として与えよう。」ケナズの子で、カレブの兄弟オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを、彼に妻として与えた。彼女がとつぐとき、オテニエルは彼女をそそのかして、畑を父に求めることにした。彼女がろばから降りたので、カレブは彼女に、「何がほしいのか。」と尋ねた。彼女は言った。「私に祝いの品を下さい。あなたはネゲブの地に私を送るのですから、水の泉を私に下さい。」そこで彼は、上の泉と下の泉とを彼女に与えた。」

カレブについてはすでに14章で見ましたが、彼は85歳になっていたのに、45年前と同じく今も壮健です、と語り、アナク人の町ヘブロンを攻め取ることを願い出ました。そしてそれを本当に成し遂げた記録がここにあるのです。カレブは14節にある通り、ヘブロンからアナクの3人の息子、シェシャイ、アヒマン、タルマイを追い払います。一人でも恐ろしいはずの敵を3人もまとめてやっつけたのです。14:12でカレブは、「主が私とともにいてくだされば、私は彼らを追い払うことができましょう。」と言いましたが、カレブの素晴らしい点はただ目の前の状況を見るのではなく、主の視点で状況を見つめ直していたことです。人間的にはとても不可能に思えても、そこに主の約束があり、主がともにいてくださるなら、主が御業を成し遂げてくださると信じて前進したことです。その結果、85歳の彼が本当にアナクの子孫を追い払うことができました。これぞイスラエルの模範であり、信仰に歩む私たちの模範でもあります。

しかし、彼がヘブロンからデビル、すなわちキルヤテ・セフィルに攻め上って行ったとき、ある限界に達していたことがわかります。16節には、その際彼は、「キルヤテ・セフェルを打って、これを取る者には、私の娘アクサを妻として与えよう。」と言っています。軍隊の将軍が、このように報償をぶら下げて、ある町を攻略する戦士を募るというのは古代オリエントでは良く見られた習慣でした。後にダビデもエルサレムを攻め取る際、「だれでも真っ先にエブス人を打つ者をかしらとし、つかさとしよう。」(Ⅰ歴代誌11:6)と言って戦士を募っています。それはエブス人が、ダビデに「あなたはここに上って来ることはできない」と言ったからです。それほどエルサレムの攻略は困難でした。そこでダビデはこのように言って勇士を募ったのです。ここでも同じでしょう。「デビル」という町は「至聖所」という意味で、すなわち、人間が入ることができない聖なる場所という意味です。従って、かなり堅固な要塞の町であったことがわかります。いわば「難攻不落」の町だったのです。それはこれまでの歴戦を信仰によって勝利してきたカレブでさえも攻めあぐねていた町だったのです。それで窮地に陥っていたカレブは、このように言って勇士を募ったのです。それは、「自分の愛する娘を報償にするから、だれかあのデビルを攻め落としてみよ」というものであったのです。

これに対してカレブの兄弟オテニエルが名乗りを上げます。彼は次の士師記において、イスラエルの最初のさばきつかさとなる人です。その彼が見事にデビルを攻め取ったので、カレブは約束通りに娘のアクサを、彼に妻として与えました。これはカレブの信仰が良い意味で彼に伝染したということです。その模範にならったオテニエルは祝福を手にすることができました。

ところで、カレブの娘アクサがとつぐとき、オテニエルは彼女をそそのかして、畑を父に求めました。この「そそのかして」という言葉は、口語訳や新共同訳には出てきません。新改訳の改訂版にも出ておらず、改訂版ではこれを、「しきりに促した」と訳しています。ですから、オテニエルが彼女をそそのかしたというよりも、彼は畑が欲しかったというだけなのです。

それに対して、娘のアクサは何と言ったでしょうか。19節のところには、「私に祝いの品を下さい。あなたはネゲブの地に私を送るのですから、水の泉を私に下さい。」とあります。アクサは、畑ではなくその畑を生かすための泉を求めたのです。それでカレブは、娘のこの要求を非常に喜び、上の泉だけでなく下の泉も与えました。この泉とはため池のことです。ため池は、降水量が少なく、流域の大きな河川に恵まれない地域などでは、農業用水を確保するために水を貯え取水ができるよう、人工的に造成された池のことですが、恐らく、このため池を与えたのでしょう。泉を与えると言っても、泉は自然のものですからそれをどこかに持っていくことはできませんから。娘の要求に対して過分とも思えるこの措置は、父親のカレブの言い知れない感動と喜びを表しています。いったいなぜカレブはこんなにも喜んだのでしょうか。それは娘の要求が実に理にかなったものであり、深い真理が隠されていたからです。

このネゲブの地は乾燥した地域であり、畑の収穫のためには、より一層の水を必要とした地でした。つまりオテニエルが要求した「畑」とは収穫をするその場所そのもののことですが、それに対してアクサが求めたのは、その収穫をもたらすために必要な、より根源的なものだったのです。

これは私たちの信仰にとっても大切なことが教えられるのではないでしょうか。とかく私たちは表面的なもの、たとえば、今はクリスマスの時期ですが、そうしたプログラムとか、会場とか、雰囲気とか、やり方とかといったものに関心が向きがちですが、より本質的なもの、より根源的なものはそうしたものではなく、それは祈りとみことばであり、そこから湧き出てくる神のいのち、聖霊の満たしであるということです。私たちはまずそれを求め、そこに生きるものでなければなりません。それを優先していかなければなりません。そうしていくなら、実際的な事柄や、現実的な事柄は必ず変えられていき、私たちのうちに神の御業があらわされていくのです。そうでないと、私たちの信仰は極めて表面的で、薄っぺらいものになってしまいます。そして、人間としての本来の在り方というものを失ってしまうことになるのです。そのようにならないように、私たちはいつも信仰の本質的なもの、根源的なものを求めていかなければなりません。それが祈りとみことばです。また、そこから溢れ出る神のいのち、聖霊の臨在なのです。アクサはそれを求めました。それでカレブは非常に喜んだのです。私たちもこの神のいのちを求めるなら、神は喜んでそれを与えてくださいます。このクリスマスに、私たちが真に求めなければならないものを、もう一度見つめ直したいと思います。

Ⅲ.相続した町々(20-63)

最後に、ユダ族が相続した町々を見て終わりたいと思います。20節から63節までをご覧ください。これはユダ族の相続地で、神がユダ族に与えられた町々がリストです。カナンの地で最も広い領域であったこの地に、ユダ族はどんどんと勢力を伸ばし、これらの町々を占領していきました。しかし、その中でただ一つだけ占領できない町がありました。どこですか?そうです。それは後のイスラエルの都、エルサレムです。そこにはエブス人がおり、ユダの人々は、このエブス人をエルサレムから追い払うことができませんでした。なぜでしょうか。10章ではイスラエル軍はこのエブス人の王アドニツェデク率いる連合軍を打ち破り、11章では、エブス人を含むパレスチナの連合軍を打ち破っています。また15章13節から19節においては、カレブ率いるユダ族は、カナンの中で最も強力な力を誇っていたアナク人さえも打ち破っています。あの巨人ゴリヤテは、このアナク人の子孫です。それにもかかわらず、それほど強くもないエブス人をなぜエルサレムから追い払うことができなかったのでしょうか。

それは、神があえてそのようにされたからです。つまり、神がエブス人に力を与えて、ユダの人々の敵対者として、わざわざそこに置かれたからなのです。私たちには理解を超えることですが、時として神は、このように私たちの身近に、あえて敵対者を置かれることがあります。それは未熟な私たちを整え、成熟させるためです。私たちはこうした敵対者によってさらに訓練されて、その信仰をますます強められていくのです。

それは人間ばかりでなく、植物などにも同じです。植物学者の宮脇明氏はその著書「植物と人間」において、このように言っています。「対立者あるいは障害物というものがなくなると、それは生物にとって最も危険な状態だ。敵対者がいなくなることは、その植物を休息に衰退に追いやることだ。」これは霊的にも言えることであって、自分に敵対してくる人の存在があってこそ、人は鍛えられ、強められ、さらに引き上げられていくのです。であれば、私たちもたとえ自分の思うように事が進まなくても、そこに依然として自分に敵対する人がいたとしても、それは自分の成長にとって欠かす事ができないことであると受け取る、感謝しなければなりません。

その後、このエブス人はどうなったでしょうか。これほどイスラエルを手こずらせ、その手の内に落とし得なかったエブス人ではありましたが、しかし実はダビデが天下を治めた時に、このエルサレムからあっけなく追い出されていきました。もう必要なくなったからです。ダビデの時代はイスラエルにとっての黄金時代であり、絶頂を極めた時でした。それはイスラエルがこのヨシュアの時代からこうした敵によって鍛えられ、成熟させられた結果であったとも言えます。しかし、イスラエルが天下を治めた時は、もうその必要がなくなりました。彼らは強められ、神の御心にかなった成長を遂げることができたので、もはや敵対者を置く必要はなくなったからです。あれほど打ち破ることができない困難な敵であったにもかかわらず、イスラエルの黄金時代の幕開けと共に、彼らは滅んでいったのです。これらはすべて神がイスラエルのために計画されたことだったのです。

私たちの人生にも困難や苦難が置かれることがあります。また、私たちを悩ませてくれる人々が置かれることがありますが、それらは私たち自身が練り鍛えられ、強くされ、神のみこころにかなったものに造り変えていただくための神の御業であることを覚え、そのことを信仰をもって謙虚に受け入れ、それらの苦難や困難から、また敵対してくる人々から学び、よく多くのものを習得していく者でありたいと思います。そうするなら、神は私たちをさらに引き上げてくださり、やがて時至ったならば、主ご自身がそうした困難や苦難を取り去ってくださり、私たちをさらに一段と飛躍した信仰者に成熟させてくださるのです。

Ⅰペテロ5章8~11節 「悪魔に立ち向かいなさい」

 ペテロの手紙第一の最後の章を迎えております。前回のところでは、力強い神の御手の下にへりくだりなさいという御言葉をいただきました。そのためには、あなたがたの思い煩いを、いったい神にゆだねなければなりません。神があなたがたのことを心配してくださるからです。このように、神にすべてをゆだねるができる人こそ謙遜な人であり、そのような人は神から恵みをうけることができます。

 きょうのところには、悪魔に立ち向かいなさい、と勧められています。悪魔に立ち向かうこと、そして次回は最後になりますが、神の恵みの中にしっかりととどまっていることを勧めて、ペテロはこの手紙を締めくくるのです。次週からしばらくの間クリスマスのメッセージを送りたいと思いますので、次回は今年最後の大晦日の礼拝で取り上げることにし、今回はこの悪魔に立ち向かうというテーマだけを取り上げたいと思います。

 Ⅰ.身を慎み、目をさましていなさい(8)

 まず8節をご覧ください。ご一緒にお読みしたいと思います。
 「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」

 「身を慎み、目をさましていなさい」とは、今の時代がどのような時代なのかを見分け、それに祈りつつ備えていなさいという意味です。ペテロは今、ローマ帝国全体に及ぶ迫害を予感しながらこの手紙を書いているわけですが、そのような時にクリスチャンが何もしないでボーっと過ごしていてよいわけはありません。身を慎み、目を覚ましていなければならないと、勧めているのです。なぜなら、あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っているからです。悪魔とか、悪霊ということを聞くと、「またですか、教会に来るとすぐに悪魔とか、悪霊といった非科学的な話になるのですが、そんなのいるはずがないじゃないですか」という声が聞こえてきそうです。悪魔のことを取り上げると、何か過激な思想に走っているかのように思われがちですが、それは実在していて、私たちが気付かないうちに働いています。聖書は悪魔が存在していることと、クリスチャンに対して絶えず攻撃していることを教えています。

 たとえば、エペソ人への手紙6:11~12には、「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:11-12)とありますし、イエスご自身も、悪霊につかれていた男から悪霊を追い出し(ルカ8:26-33)、12弟子を宣教に遣わされた時も、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになられました。まさに福音宣教は霊の戦いであり、悪魔は、さまざまな形で絶えずクリスチャンに戦いを挑んで来ているのです。

この手紙を書いているペテロも、そのような攻撃を受けました。たとえば、イエスが十字架に付けられる前夜、「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」(ルカ22:31)と言われると、「主よ。ごいっしょなら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカ22:33)と豪語したにもかかわらず、その翌日に、大祭司の家で女中に「あなたもあの人の弟子でしょう」と言われると、いとも簡単に、イエスを否んでしまいました。彼はイエスの警告を聞いていても、悪魔の攻撃に屈してしまったのです。それは、彼が身を慎み、目を覚ましていなかったからです。

 ルカの福音書を見ると、このイエスの言葉とペテロの失敗との間には、ある一つの出来事があったことがわかります。それは、ゲッセマネの園での祈りです。イエスは、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちもそれに従いました。いつもの場所に着いたとき、イエス様は彼らに、このように言われました。
「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」(ルカ22:40)
そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、祈っておられました。
「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取り除けてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(ルカ22:42)
イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られました。すると、汗が血のしずくのように地に落ちました。それは激しい祈りの格闘でした。
その時、弟子たちは何をしていたかというと、すっかり眠りこけていました。イエスが祈り終わって、弟子たちのところに来てみると、聖書には悲しみの果てに、とありますが、何はどうあれ眠り込んでいたのです。それで、イエスは弟子たちに言われました。
「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」(ルカ22:46)。
 
「なぜ、眠っているのですか。」心にグサッと刺さる言葉です。おそらくペテロは、その時のことを思い出していたのでしょう。まさに、ペテロがこの手紙を書いていたころの状況は、目を覚まして祈るべき時でした。それは、私たちの時代も同じです。悪魔は、今もクリスチャンを神から引き離そうと躍起になっています。ここには、「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」とあります。皆さんは、獅子がほえたけるのを聞いたことがありますか?私は以前、孫を連れて宇都宮の動物園に行ったことがありますが、ちょうど飼育員に手懐けられたライオンが檻の外に出されていた所を見たことがあります。「触っても大丈夫ですよ」というので尻尾をちょっと触ったら、「ウォー」と大きな声で叫んだのでびっくりしました。それは、動物園の反対側にも聞こえるほどの大きな声でした。まさに、悪魔はほえたける獅子のように、食い尽くすべき獲物を捜し求めながら、歩き回っています。誘惑者として、私たちを神から引き離すために、闇に引きずり込むために、歩き回っているのです。

私たちは様々な形で、この悪魔の力を感じることがあります。それが暴力であり、あるいは国家権力であり、自分の内側に潜む憤りや怒りであったり、あるいは様々な情欲や欲望であったり、強引に私たちを神のもとから引き離し、罪と死の世界に引きずり込もうとするのです。その悪魔に対して私たちがすべきことは、身を慎み、目を覚ましていることです。なぜなら、心は燃えていても、肉体は弱いからです。どんなに私たちが心の中で、「よし、こうしよう」と思っても、そんな決意はすぐにどこかへ吹っ飛んでしまいます。所詮人間は弱いのです。ほえたける獅子が獲物を捜し求めて歩き回っているこの世にあって、私たちが悪魔から守られる唯一の道は、祈り以外にはありません。自分の弱さをよく自覚し、所詮人間というのは悪魔の前にはなす術がないということを自覚して祈らなければならないのです。

Ⅱ.悪魔に立ち向かいなさい(9)

第二のことは、この悪魔に立ち向かいなさい、ということです。9節をご覧ください。ここには、「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」とあります。

「立ち向かう」とは、悪魔の攻撃に対して対決姿勢で、毅然とした態度を取ることです。あいまいな態度が一番危険です。この位は大丈夫だろうとか、私は大丈夫だといった甘い考えが、死を招くのです。ペテロは、イエスからサタン呼ばわりをされたことを決して忘れていなかったでしょう。イエスが十字架の予告をされたとき、彼は「主よ、そんなことがあなたに起こるはずがありません。」といさめると、主は、「下がれ。サタン。あなたは、神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ16:23)ときっぱりと言われました。

このことから、悪魔に立ち向かうということについて、二つのことが分かります。一つは、人間的な愛情が神の道を妨げることがあり、それはサタンの働きによるものであるということです。そしてもう一つは、そうした働きに対しては、毅然とした態度で臨まなければならないということです。それが悪魔に立ち向かう態度です。

では、どのようにして悪魔に立ち向かったら良いのでしょうか。ここには、「堅く信仰に立って」とあります。堅く信仰に立つとは、神を第一にして、悪魔に立ち向かうということです。悪魔はほえたける獅子のようですが、ユダ族から出た獅子であるキリストはそれよりもはるかに強い獅子です。サタンに簡単に縛り上げられて、家財のように捕えられている私たちを、イエス・キリストは解放することができるのです。このキリストの前に静まり、平安を受ける時、キリストの圧倒的な力が私たちを覆ってくださいます。このキリストの力、神の力によって悪魔に立ち向かうのです。

9節後半のところには、「ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来ました。」とあります。それはペテロの時代の人々だけではなく、これまでこの世に生きてきたすべてのクリスチャンが通って来た道なのです。これは励ましではないでしょうか。

私たちはみな、それぞれに戦いがあり、その戦いにおいて、私たちの置かれている状況はみな違います。しかし、サタンに立ち向かう、あるいはサタンと戦いを交えるという点では、古今東西、信仰者はみな同じなのです。サタンとの戦いに倒れて、傷ついて、疲れ切っているのはあなただけではなく、世にある信仰の先輩たちもみな同じ苦しみを通ってきたのです。このことを思うと、励まされます。

旧約聖書Ⅰ列王記18章に、エリヤが偶像神バアルの預言者たちと戦った時のことが記されてあります。彼はその戦いでの勝利の後で急に孤独感と恐れでいっぱいになりました。あんな大勝利を収めたのに、どうしてそんなに怯えているのだろうと不思議に思うほどです。実は、当時のイスラエルの王であったアハブと、その王妃イゼベルがエリヤの預言者の仲間をすべて殺してしまったのです。そして、イスラエルの人々はみな信仰を捨ててしまったのです。それでエリヤは神に向かって、私一人残りました、私一人だけ残りました、と繰り返して、神の御前に打ちひしがれていたのです。
 そのとき、主はどうされたでしょうか。主はエリヤにこう仰せられました。「しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」(Ⅰ列王記19:18)
この言葉は、エリヤにとってどれほど大きな慰めを与えてくれたことかと思います。自分だけかと思ったらそうだはなかった。自分ひとりだけがこんなに苦しんでいるのかと思ったらそうではない、同じようにバアルに膝をかがめない7千人の信仰者がイスラエルに残してあるというのです。それを聞いた時、エリヤはどんなに励まされたかわかりません。
 私たちは戦いに疲れると、自分だけがこんなに苦しんでいると思いがちです。けれども、そうではありません。世にいるあなたがたの兄弟たちもみな同じような苦しみを通ってきたのです。私たちが疲れて孤独になっている時、そんな私たちのために祈ってくれている兄弟姉妹がいるということを覚えておかなければなりません。

Ⅲ.不動の者としてくださる神(10-11)

そればかりではありません。そこには神の助けもあります。10節と11節をご覧ください。ご一緒に読みましょう。
「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。」
ここでペテロは、悪魔との戦いで疲れ果て、苦しんでいる人たちに対して、あなただけではない。世にある信仰者は皆同じ戦いをしているんだ、ということを述べた後で、神も、あなたと共に立ち、戦っていてくださると述べています。

この神はどのような方でしょうか。「あらゆる恵みに満ちた神、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神」です。皆さん、私たちの神は、あらゆる恵みに満ちた神です。そして、私たちをキリストにあってその永遠の栄光の中に招いてくださった方なのです。それは、信仰の結果であるたましいの救いのことです。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これは私たちのために天にたくわえられているのです。このようにして神は、一方的な恵みによって私たちを救ってくださったのです。この神があなたと共にいて、助けてくださるのです。

どのように助けてくださるのでしょうか。ここには、「あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」とあります。確かに、しばらくの苦しみはあります。しかし、苦しみだけでなく、そのあとで完全にしてくださいます。完全にするとは、完全に回復させるということです。口語訳では、「その方はあなたがたをいやし」と訳しています。「完全にする」という訳の方がストレートですが、しかし「いやしてくださる」という訳も尊いです。なぜなら、私たちは悪魔との戦いによって傷つくことがあるからです。悪魔との戦いによって様々に傷ついた私たちの傷を、神ご自身がいやしてくださるのです。

そればかりか、堅く立たせてくださいます。試練に会うとき、私たちの信仰は葦のように大きく揺さぶられますが、神は、私たちが揺れ動くことがないように、しっかりと立たせてくださいます。この「堅く立たせ」という言葉は、岩のようにしてくださるという意味です。この手紙を書いたペテロの、以前の名前は何だったでしょうか。シモンです。シモンは、感情が様々と揺れ動く人物でした。そこが人間らしくて共感を覚えるところでもありますが、あまりにも直感で行動するので、安定さに欠いていました。顔を見ているとよくわかるのです。嫌だったら嫌な顔するし、うれしいとうれしい顔をする。わかりやすい人物でした。でもいつも揺れ動いていました。

しかしそんな彼に、イエス様はこう言われました。
「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」(マタイ16:18)
ペテロというのは「岩」という意味です。シモンは葦のように揺れ動く人でしたが、サタンによって麦のようにふるいにかけられた後、彼は岩のような人になりました。ペテロは今、立派に立ち直って、岩のようになりました。そして、同じように試練の中で苦しんでいる人たちを力づけているのです。

そればかりではありません。強くしてくださいます。「強くし」しとは、「堅く立たせ」と同じです。信仰が建て上げられること、確立することです。しばらくの苦しみはありますが、その後で完全にし、堅く立たせ、びくともしないほど強い信仰者として立たせてくださいます。

そして、最後は、「不動の者としてくださいます」です。なるほど、沢山の試練を通って来られた方は、不動の信仰を持っておられるのがわかります。けれども、人間はどこまでも脆い者です。あんなに信仰が深かったのにという人でも、ある日、突然倒れてしまうことがあります。しかし、どんなことがあっても倒れない方、不動の礎であられる方がおられます。それは、イエス・キリストです。Ⅰペテロ2:6には、こうあります。
「なぜなら、聖書にこうあるからです。『見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。』」
イエス・キリストは、どんなことがあっても動かされることはありません。イエスは不動の礎であり、確かな土台なのです。ですから、彼に信頼する者は、決して失望させられることはありません。私たちが不動な者になり得るのは、これ以外にはありません。あなたが不動な者になりたいのなら、不動であられるイエス・キリストのもとに来なければなりません。ですから、ペテロはこう言っているのです。
「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも入れる石として、霊の家に築き上げられなさい。」(Ⅰペテロ2:4-5)

あなたはイエス様のもとに来ていますか?イエス様という霊の家に築き上げられているでしょうか。私たちは生ける石として教会の中に築き上げられて行くときに、私たちもまた不動の者になるというのが、ペテロの信仰だったのです。おおよそ揺れ動いているばかりいる私たちが、この霊の家である教会の中に組み込まれていくときに、イエス・キリストを信じてこの方により頼んでいくときに、決して失望させられることはないのです。悪魔の試みによって失敗し、もうだめだという時でさえ、あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださるのです。

ビクトル・ユーゴー(1802~1885フランスの詩人・小説家・政治家)原作のレ・ミゼラブル(「ああ、無情」1862)という小説を、皆さんもよく知っておられると思います。
物語の始まりは、わずか一切れのパンを盗んで、なんと19年間刑務所に服役していたジャン・バルジャンが出獄した日から始まります。どこへ行っても水一杯飲ませてくれない、パンを買うお金もない、そんな彼が、教会を訪ねるのです。教会にはミリエルという司教がいて、初対面の彼を出獄して来た人物だと知った上で、一緒に食事をし、そして彼を教会に泊めます。夜中、目が覚めたジャン・バルジャンは、夕食の時にパンが載っていた銀の食器が気になります。そして、司教の寝室に潜り込み、銀の皿を盗んで、逃亡するのです。翌日、うろついていた彼は警察に捕まり、教会に引っ張って来られます。
「司教様、こいつは泥棒です。この銀の皿は、お宅のものですね。ふてぶてしいにもほどがありますよ。こいつは、この皿を司教様からもらったなんて言っています」
 すると、ミリエル司教はそばにあった銀の燭台を持って来て、ジャン・バルジャンにこう言うのです。
「どうした、君。この燭台もお皿と一緒に上げると言ったのに。遠慮したのか?燭台の方は忘れてしまったのか?」
 それで、ジャン・バルジャンは再び牢獄に入ることを免れます。刑事が去って行った後、司教はジャン・バルジャンに言います。
「忘れてはいけません。決して忘れてはいけませんぞ。あなたはもう正しい人になられたのじゃ。あなたのたましいは、すでに神に捧げられていますのじゃ。」

これですね。ペテロが言いたいのは、まさにこれです。「どんなにサタンの戦いが激しかったとしても、あなたはすでに神ご自身によって救いの栄光の中に入れられているのです。神ご自身があなたの傍らにおられる。あらゆる恵みをあなたに与え、あなたが迷い出たら、再びあなたを連れ戻すことがおできになるのです。あなたのたましいは既に神に捧げられているということを忘れてはいけない。」

しかし、物語はこれで終わりません。ジャベルという刑事は、とてもしつこいのです。ジャン・バルジャンの尻尾を捕まえようと何度も彼を追いかけて来ては、彼の有罪を証明して、刑務所に引き戻そうと必死にかぎ回るのです。ジャン・バルジャンは、最初は名前を変えます。名前を変えて正しく生きて、彼はなんと市長にまで上りつめます。それでも、ジャベル刑事は、サタンのようにしつこく、彼を追いかけて来ます。
 しかし、この長い物語の中で、ジャン・バルジャンは最後まで元に戻ることはありませんでした。それは、「あなたのたましいは、神に捧げられた」という、あのミリエル司教の言葉をずっと覚えていたからです。悪に対して、悪をもって報いず、善をもって報い、隣人を愛し、右の頬を打たれれば、左の頬を差し出していくのです。あの日、ミリエル神父の言われた言葉、「あなたのたましいは、すでに神に捧げられています」を忘れないのです。

それは私たちも同じです。あなたのたましいも、神に捧げられたのです。それゆえ、私たちもジャンベル刑事のようなしつこいサタンの攻撃によってつまずいてしまうことがあるかもしれませんが、しかし、忘れてはいけません。あなたのたましいは、神に捧げられているのです。どんなにサタンが激しく攻撃してきても、神は私たちを永遠の栄光の中に招き入れてくださいました。この神が、私たちをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださるのです。

ですから、最も重要なことは、あなたはこの神の永遠の栄光の中に入れられているかどうかです。イエス・キリストを信じて、あなたのたましいが神に捧げられているかどうかなのです。あなたはこの神のご支配の中にいるでしょうか。
主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたもこの生ける石として、霊の家に築き上げられてください。

キリストは、そのためにこの世に来てくださいました。このアドベントの時、このキリストをあなたの救い主として信じ、この方にあなたのたましいが捧げられることこそ、キリストを迎えるのにもっともふさわしい姿勢です。そして、この世にあっては悪魔との激しい戦いがありますが、その中にあっても、この信仰に堅く立ち続けようではありませんか。そして、心から主に賛美を捧げましょう。
「どうか、神のご支配が世々かぎりなくありますように。アーメン。」

ヨシュア記14章

きょうはヨシュア記14章から学びたいと思います。

 Ⅰ.ヨセフの子孫マナセとエフライム(1-5)

 まず1節から5節までをご覧ください。
「イスラエル人がカナンの地で相続地の割り当てをした地は次のとおりである。その地を祭司エルアザルと、ヌンの子ヨシュアと、イスラエル人の諸部族の一族のかしらたちが、彼らに割り当て、主がモーセを通して命じたとおりに、九部族と半部族とにくじで相続地を割り当てた。モーセはすでに二部族と半部族とに、ヨルダン川の向こう側で相続地を与えており、またレビ人には、彼らの中で相続地を与えなかったからであり、ヨセフの子孫が、マナセとエフライムの二部族になっていたからである。彼らは、レビ族には、その住むための町々と彼らの所有になる家畜のための放牧地を除いては、その地で割り当て地を与えなかった。イスラエル人は、主がモーセに命じたとおりに行なって、その地を割り当てた。」

前回は、ヨルダン川の東側の相続地の分割について見ました。今回は、ヨルダン川のこちら側、すなわち、西側における土地の分割のことが記録されてあります。まず1節から5節まではその前置きです。この作業に携わったのは祭司エルアザルと、ヌンの子ヨシュアと、イスラエル人の部族の一族のかしらたちでした。祭司エルアザルはアロンの第三子です。彼がこの作業に関わることは、モーセの時代に主によって命じられていました。その彼と、ヨシュアと、イスラエルの部族のそれぞれの代表が集まってくじを引きました。くじを引くというのは意外な感じのする方もいるかもしれませんが、箴言16章33節に、「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。」とあるように、これは主のみこころを伺う方法であり、この土地分割を決定する方法として主が前もって指定しておられたものでした。

ヨルダン川のこちら側の土地は、主がモーセに命じたとおりに、9つの部族と半部族とにくじで割り当てられました。イスラエルは12部族なのに、なぜ9つの部族と半部族なのでしょうか。その理由が3節にあります。
「モーセはすでに二部族と半部族とに、ヨルダン川の向こう側で相続地を与えており、またレビ人には、彼らの中で相続地を与えてなかったからであり、」
ここまで読むと納得したかのように感じますが、よく考えると、イスラエルの部族は全部で12部族であり、そのうちの2部族と半部族には既に相続地を与え、それにレビ族はイスラエルの各地に散って礼拝生活を助けるため、自分たちの相続地は持たないということであれば、残りは9部族と半部族ではなく、8部族と半部族になります。それなのにここに9部族と半部族とあるのはどういうことなのでしょうか?
その理由が4節にあります。それは、「ヨセフの子孫が、マナセとエフライムの二部族になっていたからである。」すなわち、ヨルダン川の向こう側が2部族半に与えられ、レビ族は特別な待遇となって相続地の分割から抜けた分を、ヨセフ族がマナセとエフライムの二つの部族に分かれて、相続地を受けたのです。なぜヨセフ族がこのような祝福を受けたのでしょうか。その経緯については創世記48章5節にあります。
「今、私がエジプトに来る前に、エジプトで生まれたあなたのふたりの子は、私の子となる。エフライムとマナセはルベンやシメオンと同じように私の子となる。」
この「あなたのふたりの子」の「あなた」とはヨセフのことです。ヤコブはその死を前にして、このヨセフの二人の息子であるマナセとエフライムに対して特別の祈りをささげ、二人の孫は単なる孫ではなく、自分の12人の子どもと同じように自分の子どもとなる、と宣言したのです。子どもであれば、親の相続を受けることになります。ですから、このヨセフの二人の息子は、他のヤコブの子どもと同じようにそれぞれ相続地を受けたのです。このことは、モーセがその死に際してこのヨセフ族に与えた特別の祝福を見てもわかります(申命記33:13~17)。語っていることがわかります。いったいなぜ神は、これほどまでにヨセフを祝福したのでしょうか。

それは、あのヨセフの極めて高尚な生涯を見ればわかります。ヨセフについては創世記37章から50章までのところに詳しく書かれてありますが、兄たちにねたまれてエジプトに売られ、そこで長い間奴隷として生活し、無実の罪で獄屋に入れられることがあっても兄たちを憎むことをせず、ついにはエジプトの第二の地位にまで上りつめることができたからです。それは、主が彼とともにいてくださったからです。ヨセフの生涯を見ると、彼には三つの優れた点があったことがわかります。第一に、彼はどんな苦難や悲運の中にあっても、決して神に呟かず、神を信頼し続け、そして神に従っていったということ、第二に、彼はどんな誘惑にも屈せず、しかも自らを陥れた人々を訴えたりしなかったということ、第三に、彼は自分を奴隷として売り飛ばし、ひどい目に遭わせた兄たちに対して、これを赦し、なおかつ救ったということです。ヨセフはそのような信仰のゆえに、彼ばかりではなく、彼の子孫までもがその祝福を受けることになったのです。彼の子孫は、イスラエル12部族のうち2部族を占めたばかりでなく、その内の一つであるエフライムは非常に強力な部族となって行き、やがて旧約聖書においては、「北王国イスラエル」のことを、「エフライム」と呼んでいる箇所があるほどに、北王国10部族の中でも、最も優れた部族となっていったのです。

このヨセフの生涯を見ると、そこにキリストの姿が重なって見えます。キリストもご自分の民をその罪から救うためにこの世に来てくださったのに十字架に付けられて死なれました。キリストは、十字架の上で、「父よ。彼らをお赦しください。」と、自分を十字架につけた人たちのために祈られました。全く罪のない方が、私たちの罪の身代わりとなって自分のいのちをお捨てになられまたのです。それゆえ、神は、この方を高く上げ、すべての名にまさる名をお与えになりました。

ということはどういうことかと言うと、ヨセフの二人の息子マナセとエフライムが神から多くの祝福を受けたように、キリストを信じて、キリストの子とされた私たちクリスチャンも、キリストのゆえに多くの祝福を受ける者となったということです。私たちは、キリストのゆえに、すばらしい身分と特権が与えられているのです。であれば、私たちはさらにこの主をあがめ、主に従い、主を賛美しつつ、キリストから与えられる祝福を受け継ぐ者となり、その祝福を、私たちの子孫にまで及ぼしていく者でなければなりません。

 Ⅱ.信仰の目を持って見る(6-12)

次に6節から12節までをご覧ください。その地の割り当てにおいて、最初にヨシュアのところに近づいて来たのはユダ族です。そして、ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアにこのように言いました。6節から12節までの内容です。
「ときに、ユダ族がギルガルでヨシュアのところに近づいて来た。そして、ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通したからである。』と言いました。今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。 どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」

カレブとは、イスラエルがエジプトを出て、シナイ山から約束の地に向かって旅をし、その入り口に当たるカデシュ・バルネアで、カナンの地を偵察するためにモーセが遣わした12人のスパイの一人です。モーセは、イスラエルの12部族のかしらに、その地に入って偵察してくるように命じましたが、エフライム族のかしらがヨシュアで、ユダ族のかしらがこのカレブでした。カレブは今、その時のことを思い起こさせています。

当時、カレブは40歳でした。そしてそれから45年間という長い歳月をかけて、ヨシュアとともに民を指導してきました。このカレブの特徴は何かというと、8節にあるように、「主に従い通した」ということです。9節にもあります。彼はその生涯ずっと主に従い通しました。エジプトを出た時は40歳でした。あれから45年が経ち、今では85歳になりましたが、彼はその間ずっと主に従い通したのです。そのように言える人はそう多くはありません。ずっと長い信仰生活を送ったという人はいるでしょうが、カレブのように、主に従い通したと言える人はそれほど多くないのではないでしょうか。私たちも彼のような信仰者になりたいですね。

そんなカレブの要求は何でしたか。12節を見ると、彼はヨシュアに、「どうか今、主があの日に約束されたこの山脈を私たちに与えてください。」ということでした。ずっと長い間主に従い通してきたカレブの実績からいっても、この要求はむしろ当然のことであり、決して無理なものではありませんでした。しかし、このカレブの要求には一つだけ問題がありました。何でしょうか。そうです、そこにはまだアナク人がおり、城壁のある大きな町々がたくさんあったということです。まだイスラエルの領地になっていなかったのです。ですから、彼がその地の割り当てを願うということは、生易しいことではありませんでした。彼はその地を占領するために強力なアナク人を打ち破り、その土地を奪い取らなければならなかったのです。それは、自らに対する厳しい要求でもありました。

この問題に対して、カレブは何と言っているでしょうか。彼はこう言いました。12節の後半です。「主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」すごいですね、この時カレブは何歳でしたか?85歳です。でも、主が共にいてくだされば年齢なんて関係ない、必ず勝利することができると宣言しています。11節を見ると、「しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。」と言っています。この時彼は何ですか?85歳です。普通なら、もう85です、そんな力はありません。若い時は良かったですよ、でも今はそんな力はありません・・、と言うでしょう。でもカレブは違います。今も壮健です。私の今の力は、あの時と同様です。まだまだ戦えます。問題ありません、そう言っているのです。強がりでしょうか?いいえ、違います。事実です。主がともにいてくだされば、主が約束されたように、彼らを追い払うことができます。私は弱くても、主は強いからです。これは事実です。こういうのを何というかというと、「信仰の目を持って見る」と言います。確かに人間的に見れば若くはありません。力もないでしょう。記憶力は著しく衰えました。何もいいところがありません。しかし、信仰の目をもって見るなら、今でも壮健なのです。主がそのようにしてくださいますから、主が戦ってくださいますから、まだまだ戦う力があるのです。私たちもこのカレブのような信仰の目をもって歩みたいですね。

カレブはこの時だけでなく、若い時から、いつもそうでした。あのカデシュ・バネアからスパイとして遣わされた時も、他の10人のスパイは、「カナンの地は乳と密の流れる大変すばらしい地です。しかしあそこには強力な軍隊がいて、とても上っていくことなんてできません。そんなことをしようものなら、たちまちのうちにやられてしまうでしょう。」とヨシュアに報告したのに対して、彼はそうではありませんでした。彼はヨシュアとともに立ち、こう言いました。「いやそうではない。我々には主なる神がついている。だから私たちが信仰と勇気を持って戦うなら、かならずそれを占領することができる。」
12人のスパイの内、10人の者たちは目の前の現実に対して、人間的な計算と考えの中でしか物事を捉えることができず、肉の思いで状況を判断しましたが、しかしヨシュアとカレブの2人は信仰の目を持って神の可能性を信じ、主によって道は開かれると確信し、その状況を判断したのです。その結果、主はこの信仰によって判断した2人を大いに祝福し、この2人が約束の地カナンに入ることを許し、信仰の目を持たなかった他の10人の者たちは、カナンの地に入ることができませんでした(民数記14:30)。

私たちは、現実的な消極主義者にならないで、信仰的な積極主義者にならなければなりません。神のみこころが何かを求め、それがみこころならば、人間的に見てたとえ不可能なことのように見えても、神の可能性に賭け、神のみこころを果たしていかなければなりません。現実を見るなら、確かにそれは困難であり不可能に思えるかもしれませんが、しかし、私たちの信じる神は全能の主、この天地宇宙を統べ治めておられる偉大な方なのです。私たちはこの主により頼み、さらに信仰の目をもって、積極的にありとあらゆる事柄に雄々しく立ち向かっていかなければなりません。

かつて、私が福島で牧会していた時、会堂建設に取り組んだことがあります。それは人間的に見たら全く不可能なことでした。まずその土地は市街化調整区域といって、建物が立てられない場所でした。悪いことに、福島県ではそれまで宗教法人が市街化調整区域に開発許可を得た例は一度もありませんでした。その時、私たちはまだ宗教法人すら持っていなかったのです。また、仮にそれが許可となっても建物を建てる費用がありませんでした。人間的に見たら全く不可能でした。しかし、主が私たちとともにいてくださったので、その一つ一つの壁を乗り越えさせてくださり、立派な会堂を建てることができました。どのようにしてできたのかを話したら、話しは尽きないでしょう。ですから、もし興味のある方がいましたらどうぞ個人的に聞いてください。時間が許す限りお話ししますから。しかし、このことを通して私が学んだ最も重要なことは、会堂はお金があれば立つのではなく、信仰によって立つということでした。それが神のみこころならば、神がともにいてくださるなら、必ず立つのです。私はそれまで多くの牧師の話を伺いながら、その教会は特別に神が働いておきな奇跡を受けたのであって、自分たちは無理だろうと考えていましたが、後で振り返ってみると、それらのどの教会よりも多くの神の奇跡を拝することができたと思います。それは、神がともにいてくださったからです。神がともにいてくださるなら不可能はないのです。

それと同じことが、これからの私たちの前にも置かれています。私たちは神から与えられている福音宣教のために、多くの教会を生み出したいと願っています。霊的に不毛なこの国で、牧師の墓場と言われているこの栃木県の中で、カレブじゃないですが、だんだん年をとってくるという現実の中で、いったいどうやってこれを成し遂げることができるのでしょうか。信仰によってです。カレブのように、主がともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう、と言ったように、私たちもそのように言うことができるのです。

一つの有名な逸話があります。アフリカの新興国に、アメリカから二人の靴製造会社の社員が調査のため派遣されました。この二人の社員は、そのアフリカの新興国を訪れた時に、国民がまだ靴を履いていないという現実に見て、本国に電報を送り、それぞれ違う報告をしました。一人の社員は、「この国の住民は靴を履かない。だから市場開拓は不可能だ」。しかしもう一人の社員はこう打電しました。「この国の住民は靴を履かない。だから大いに可能性あり。」と。

またかつて日本の伝道が非常に困難だと嘆いていた一人の牧師がいました。彼は韓国を訪れた時、韓国の牧師たちの前で、そのことを嘆いてこう言いました。「日本はこのような状況です。日本の伝道はとても難しいです。しかし韓国はいいですね。」
しかしそれに対して韓国の一人の牧師はこう言いました。「いいえ韓国では教会がもうどこへ行ってもあります。飽和状態です。私たちが見るならば、むしろ日本が羨ましい。日本では、いくらでもその可能性が広がっているのですから。」

私たちはどちらの人でしょうか。現実の困難さに戸惑い、不可能と見なし、「もうだめだ」と思ってしまうでしょうか。それとも、むしろ現実がそのような状況だからこそ神の助けを求めてこの現状を打ち破り、そこに確かな実現をもたらそうとする人でしょうか。カレブのように正しい信仰を確立し、神の偉大な御力に信頼して、みこころを行っていく者となろうではありませんか。

Ⅲ.主に従い通したカレブ(13-15)

最後に、その結果を見て終わりたいと思います。その結果どうなったでしょうか。13節から15節までをご覧ください。
「それでヨシュアは、エフネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。それで、ヘブロンは、ケナズ人エフネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。それは、彼がイスラエルの神、主に従い通したからである。ヘブロンの名は、以前はキルヤテ・アルバであった。アルバというのは、アナク人の中の最も偉大な人物であった。そして、その地に戦争はやんだ。」

ヘブロンは、かつてアブラハムが住んでいた場所であり、アブラハムが死んだサラを葬るために購入した土地があるところです。主がアブラハムに現われてくださったところです。たとえそこにアナク人が住んでいようとも、主ご自身が現われてくださった、そのところをカレブは欲していたのです。私たちは、目に見えることよりも、目に見えない、永遠に価値あるものに対して、どこまで情熱を持っているでしょうか。

それで、ヘブロンは、カレブの相続地となりました。それは、彼がイスラエルの神、主に従い通したからです。ヘブロンの名は、以前はキルヤテ・アルバでした。「アルバ」というのは、アナク人の中の最も偉大な人物でしたが、敵がどんなに偉大な人物であったとしても、主の前にも風が吹けば飛んでいくもみがらにすぎません。主はどんな敵をも追い払ってくださいます。私たちも、主がともにいてくださることを信じ、主が約束したことを、信仰によって勝ち取っていきたいと思います。

Ⅰペテロ5章5~7節 「へりくだる者に与えられる恵み」

 きょうは、「へりくだる者に与えられる恵み」というタイトルでお話したいと思います。前回のところでペテロは、教会の長老たちに、「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい」と命じました。それは、この手紙の受取人であった小アジヤにいたクリスチャンたちが、激しい迫害の中にあっても堅く信仰に立ち、神の恵みにとどまっているためです。その鍵は教会の指導者です。教会の指導者たちが、与えられた役割をしっかりと果たすことで教会が強められ群れの羊が守られ、どんな苦難の中にあっても堅く信仰に立ち続けることができます。そこで教会の長老たちに対して、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心からそれをするように、また、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範になりなさいと勧めたのです。

 きょうの箇所には、そうした長老たちの指導に対して、その指導を受ける信徒たちはどうあるべきなのか、その姿勢について教えられています。それは一言で言えば「へりくだる」ということです。

 Ⅰ.みな互いに謙遜を身に着けなさい(5)

 まず、5節をご覧ください。ご一緒に読みましょう。
 「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」

 「同じように」というのは、長老たちが神の羊の群れを牧するにあたり、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、群れの模範となるように、同じように、「若い人たち」も、長老たちに従いなさい、というのです。「若い人たち」とは、年齢的に若いという意味もありますが、ここではむしろ、「長老たち」に従う者という意味での「若い人たち」のことです。つまり、一般信徒のことです。一般信徒に対して、長老たちに従うようにと勧められているのです。なぜでしょうか?なぜなら、長老たちは神によって立てられ、神の御心を行う者たちだからです。ですから、しもべが、たとい横暴な主人であっても従うように、たとい、長老たちが自分たちから見て正しくない、適切でないと思われるような指導をする場合でも、若い人たちは長老たちに従うべきなのです。

いったいどうしたらそのような態度をとることができるのでしょうか。その後のところでペテロはこう言っています。
「みな互いに謙遜を身につけなさい。」
ペテロはここで「みな互いに」と言っています。これは、長老であろうが、若い人であろうが関係なく、ということです。それは、すべての人に求められていることです。もちろん、若者も、長老たちもそうですが、同時に、若い者同士も互いに謙遜でなければならないという意味です。

この「謙遜を身に着ける」という言葉ですが、これは奴隷が仕事をするときに裾などをまくり上げる動作を意味します。つまり、謙遜という姿が板についているようにという意味です。もしかしたらペテロは、最後の晩餐の席で、イエスさまが弟子たちの足を洗われた姿を思い出していたのかもしれません。イエスさまは、夕食の席から立ち上がると、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれました。そして、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗い、腰にまとっておられた手ぬぐいで、ふかれました。イエスさまが着ておられたのは、謙遜という衣でした。この衣を着るように、この衣を身に着けるようにというのです。

なぜでしょうか?その後のところに理由が記されてあります。それは、「神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」この言葉は、箴言3章34節のみことばの引用です。そこには、「あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。」(箴言3:34)とあります。高ぶるとは、自分自身を他の誰よりも重要と考えることです。高ぶる人は自分に信頼しますが、謙遜な人は神に信頼します。高ぶる人は自分に栄光を帰しますが、謙遜な人は神に栄光をお返しします。ですから、神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みをお授けになられるのです。ちょうど、水が高い所から低い所に流れるように、神の恵みは低い所に注がれるのです。そして、高ぶる者には敵対されるのです。

ルカ18章10~14節には、自分を義人だと自認し、他の人を見下している者たちに対して、イエスさまはこのようなたとえを話されました。
 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫をする者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」(ルカ18:10~14)

このたとえの中でパリサイ人は、取税人と自分を比較しました。確かに、彼の生き方は立派でした。彼は取税人のようにゆする者ではなく、不正な者、姦淫をする者ではありませんでした。彼は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、ちゃんとその十分の一をささげていました。しかし、彼が取税人を見たとき、心が高ぶってしまいました。彼は取税人と自分を比較し、「自分はほかの人々のようにゆする者ではない。ことにこの取税人のようではない」と言った途端、彼の心は傲慢でいっぱいに満たされてしまいました。
一方、取税人は、まともなことは何一つしていませんでした。それに彼の祈りも、非常に乏しい。13節には、彼は「遠く離れて立ち」とあります。それが遠慮からなのか、後ろめたさからなのかわかりませんが、神さまから非常に遠い所に立ちました。そして、目を天に向けることができない程、罪深さを感じていたのでしょう。「胸をたたいて」罪を悔いました。ですから、心が砕かれて、「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」と言うしかなかったのです。しかし、神さまは、そんな彼を義と認めてくださったのです。

神殿で誇らしげに祈ったパリサイ人は神さまに受け入れてもらえず、しかし、神から遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、胸をたたいて、神の御前にひざまずいたあの取税人の祈りは聞き入れられました。彼は義と認められました。義と認められて家に帰ったのはパリサイ人ではありませんでした。顔を上げることもできない罪深い男、胸をたたいて悔い改めるしかなかった罪人、しかし、真実にひざまずいて、赦しを請うたこの男だったのです。なぜでしょうか?なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みをお授けになるのです。

ですから、ペテロがここで「みな互いに謙遜を身に着けなさい」と言ったのは、謙遜であるということが単に人間関係における問題だからではなく、それが神様との関係における問題だからです。そもそも神様は、高ぶりを嫌われます。それが長老であろうが、若い人であろうが関係ありません。高ぶりそのものに敵対されるのです。なぜでしょうか?なぜなら、高ぶりこそ罪の本質だからです。

いったいどうして人類に罪が入って来たのでしょうか。それは高ぶったからです。イザヤ書14章12~15節を開いてください。ここには、サタンの起源について言及されています。
「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。」(イザヤ14:12~15)

サタンもかつては良い天使でした。「暁の子、明けの明星」とあるように、非常に輝いた存在だったのです。それなのになぜよみに落とされ、穴の底に落とされてしまったのか。高ぶってしまったからです。私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てある会合の山、これは天の御座のことですが、そこに座ろうとしました。すなわち、いと高き方のようになろうとしたのです。それゆえ、神は彼をよみに落とし、穴の底に落とされたのです。これがサタンの高ぶりであり、神のようになりたいという欲望が彼を滅ぼしました。サタンがエバに、「これを食べれば、神のように賢くなる」と惑わしたのも、そのためです。そのため、私たちの中に「神のようになりたい」という性質があるのです。神のようになりたい、つまり神から独立して、自分の判断で、自分の知恵と自分の思いで生きていきたいと思いが働くのです。イエス様を信じていない人は、自分を信じて、自分で生きていくことは当然のことであると思っていますが、それはそのまま悪魔から来ている考えなのです。高ぶりこそ罪の本質であり、このような傾向から逃れることは、たとえ罪赦されたクリスチャンであってもなかなか困難なことです。

ある若い牧師が、地域のキリスト教団体から、その年の最も謙遜な牧師として表彰されました。教会員もみんな感謝して表彰式に行きました。その式で彼は、最も謙遜な牧師として、謙遜がいかに大切であるかをスピーチしました。
 ところが次の週、教会員がその表彰状をその団体の本部に返しに来たというのです。その理由は、なんとその牧師はいただいた表彰状を額に入れ、それを教会のロビーに飾ろうとしたからでした。「先生、止めてください。これは返上した方がいいです」と、返しに来たというのです。もちろん、これはジョークだと思いますが、でも、同時に真理を突いていると思います。へりくだるというのは、それほど難しいことなのです。

18世紀イギリスのリバイバル運動を指導したジョン・ウェスレー(1703~1791)は、「キリスト者の完全」という書物の中でこう言っています。
「もしあなたが完全に罪から解放されていると信じるなら、まず高ぶりの罪に警戒しなさい。この罪だけは、あらゆる欲から解放された心の人も捉えることができることを私は知っている。」それほど、この高慢の罪から解放されるということは難しいことなのです。

皆さん、なぜ長老たちに従うことができないのでしょうか。なぜ互いに従うことができないのでしょうか。高ぶっているからです。これが罪の本質であって、このことが解決するなら、どのような問題も解決することができるでしょう。なぜなら、神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みをお与えになられるからです。

Ⅱ.力強い神の御手の下にへりくだりなさい(6)

であれば、私たちにとって大切なことは、長老たちに従うかどうかということではなく、神に従うということです。ですから、6節にこうあるのです。ご一緒に読みましょう。
「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」

ペテロは、人間同士が互いにへりくだる必要を述べた後で、本当の問題は神との関係であることを示され、神の御前にへりくだることの必要性を説いています。被造物にすぎない人間が創造主である神の御前でへりくだることは当然のことです。そのことをペテロは、次のことばをもって表しています。すなわち、「神の力強い御手の下にへりくだりなさい」ということです。

神は力強い御手をもってこの世のすべてを支配しておられます。それに比べて私たちは何とちっぽけな者でしょうか。だから、この力強い御手の下にへりくだらなければなりません。「へりくだる」というのは、神の主権の中に自分をゆだねることです。いろいろ、自分に不利なことが起こったとき、「なぜ私をこのような目に合わせるのですか」と神に訴えるようなことをせず、また、神が立てておられないのに、ある重要な位置に自分を置くようなことをしないで、自分の弱さ、足らなさ、小ささを徹底的に認めて、偉大な神の御手に自分の人生のすべてをおゆだねすることなのです。

それは、神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。私たちが徹底的にへりくだる時、神は不思議なことをなさいます。ちょうど良い時に、高くしてくださるのです。たとえば、ヨセフはどうでしたか?彼は17歳の時、お兄さんたちに売られてエジプトの奴隷となりました。エジプトで囚人となったこともあります。しかし、彼が30歳になった時、神は彼を高くしてくださいました。エジプトの宰相となったのです。それはカナンに住んでいた家族がききんで苦しんでいた時でした。それでイスラエル人はみなエジプトに下ることができました。神はちょうどよい時に彼を高くしてくださったのです。

それは私たちの主イエスのご生涯を見てもわかります。主は最後まで神に従順でした。主は自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げ、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるすべてのものが、ひざをかがめて、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。イエスさまは、父なる神の下にへりくだられたので、ちょうど良い時に、神はキリストを高くあげてくださいました。

それは私たちも同じです。私たちも神の力強い御手の下にへりくだるなら、神は本当に不思議なことをなさいます。私たちを地の低いところから、天の高みまで引き上げてくださるのです。それは、この世においても起こることですし、次の世においても同じです。力強い神の御手の下にへりくだるなら、ちょうど良い時に、神が最善と思われる形で、私たちを高くしてくださるのです。

Ⅲ.思い煩いを神にゆだねて(7)

では、どうしたら神の御手の下にへりくだることができるのでしょうか?7節をご覧ください。ここもご一緒に読みましょう。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

この7節は、6節の続きです。6節でペテロは、「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい」と言いましたが、どのようにへりくだったらいいのでしょうか。ここには、「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。」とあります。これは命令形ではなく、現在分詞といって、どのようにして神の力強い御手の下にへりくだったらよいかが説明されているのです。それは、あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねて、です。神の前での謙遜は、私たちの思い煩いを神にゆだねるという姿勢に表れるとペテロは言うのです。

 この「思い煩い」(メリムナ)と訳されているギリシャ語は、「別々の方向に引っ張ること」を意味します。希望は私たちを一つの方向に引っ張りますが、恐れは私たちを反対の方向に引っ張ります。それで私たちは引き裂かれてしまうのです。それは絞め殺すことを表わしています。皆さんも思い煩うことがあるかと思いますが、それがどんなにか人を絞め殺すかをご存知だと思います。思い煩いは頭痛、肩こり、めまい、背中の痛みなど、肉体の障害を引き起こすだけでなく、思考力や消化力にも影響を及ぼします。その上、思い煩ったからといって何も良いものを生み出しません。イエス様も「あなたがたのうちでだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」(マタイ6:27)と言われました。思い煩ったからといって、自分では何もすることができません。ではどうしたらいいのでしょうか。

ペテロはここで、「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。」と言っています。私たちの思い煩いを自分で何とかしようとするのではなく、その思い煩いのいっさいを、神にゆだねなさいというのです。「ゆだねる」という言葉は、投げ捨てて忘れてしまうことを意味します。石を遠くに投げてしまうように、思い煩いを遠くに投げ捨てなければなりません。どこかに投げ捨てて、忘れなければなりません。では、どこに投げるのかというと、神に向かってです。神に向かってあなたの思い煩いを投げ切るのです。これが祈りです。「神さま、私には無理ですから、あなたにすべてを任せます。あなたが解決してください。よろしくお願いします。」と、神に祈り、祈ったらもう忘れるのです。それが「ゆだねる」ということです。

このことをパウロはピリピ人への手紙の中でこのように言っています。「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4:6)これはあなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさいということです。「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:7)

 それなのに、私たちはなぜいつまでも思い煩っているのでしょうか。それは、神様にゆだねると言いながら、本当の意味でゆだねていないからです。思い煩いという石を投げ切ったようでもそれに紐をつけて、何度も何度も引っ張るようなことをしているのです。ですから、ゆだねているようでも、すぐにまた思い煩ってしまうのです。

 実は、へりくだることとゆだねることには関係があります。本当にへりくだってないとゆだねることができません。高ぶっている人は、自分の心配事を決して他人にゆだねません。自分で何とかしようとするからです。本当にへりくだっている人だけが、へりくだった自分の弱さを認める人だけが、ゆだねることができます。ですから、あなたが神に自分をゆだねたいと思うなら、あなたは、神の下にへりくだらなければなりません。それは逆もまた真なりで、あなたが神の下にへりくだるためには、あなたがあなたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなければなりません。これは相関関係があるのです。

 いったいなぜあなたの思い煩いのすべてを、神にゆだねなければならないのでしょうか。ここにはその理由が次のように述べられています。それは、「神があなたがたのことを心配してくださるからです。」私たちが自分の思い煩いを、いっさい神にゆだねるなら、神があなたがたのことを心配してくださいます。ここでペテロが「神があなたがたのことを心配してくださる」の「心配する」(メロー)は、「あなたがたの思い煩いを」の「思い煩う」(メリムナ)とは違う言葉で、「ケアする」とか、「面倒をみる」という意味があります。本当に神様は私たちのことを心配してくださるのか、信じられないという人もいるかもしれませんが、ここではそのように約束しておられるのです。エレベーターで重い荷物を3階まで運ばなければならない時、その荷物をしっかりと抱えたまま立っている人は少ないでしょう。荷物は下に下ろしてよいのです。エレベーターがどんなに重い荷物でも運んでくれるからです。ましてエレベーターよりも遥かに強力な永遠の神の右の手が私たちの下にあって支えてくださっています。思い煩うという荷物も一緒に運んでいただきましょう。

 ですから、へりくだるとは、特別な思いや取り組みではありません。私たちのありのままの姿を神の前で見つめ、その弱さ、足らなさ、いや罪深い姿をも主の御前にさらけ出して、「神さま、どうかよろしくお願いします」と、神様におゆだねするという心の営みです。

 星野富広さんの詩の中に、「あけび」という詩があります。
「あけびを見ろよ。
木の枝にぶら下がり、
体を二つに割って
鳥がつつきにくるのを動きもしないで
待っている
誰に教えられたのか
あんなにも気持ちよく自分を投げ出せる
あけびを見ろよ

星野さんは実がざっくり二つに割れたあけびが、図々しいくらい、気持ちよく、自分を投げ出している様を見て、私たちもそのくらい開き直って、「神さま、頼みます!」と、自分を神様に投げ出すくらいがいいんじゃないか、と言っているのです。

そうです。私たちもあけびになればいいんです。何でも、構わないから、ど~んと来るがいい。それがどんな重荷でも、ぜ~んぶ、イエスさまにゆだねます・・。それでいいんです、と語り掛けているような気がします。

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

 あなたは、重荷をまだ自分で背負っていませんか。あなたの重荷はどんなものでしょうか。それがどんなものであっても、その思い煩いを、いっさい神にゆだねるなら、神があなたのことを心配してくださいます。そう信じて、この神の力強い御手の下にへりくだりましょう。

Ⅰペテロ5章1~4節 「神の羊の群れを牧しなさい」

 ペテロの手紙第一5章に入ります。きょうのテーマは、「神の羊の群れを、牧しなさい」です。2節に、「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。」とあります。「牧する」という言葉は一般ではあまり聞かない言葉ですが、辞書を見ると、家畜を飼ってふやすとか、人民をやしないおさめること、とあります。キリスト教用語辞典では、「牧会をする。聖書で神を羊の牧者、民を羊にたとえているところから来た表現。」とあります。ですから、これは羊飼いが羊を飼うように神の民であるクリスチャンを導くことです。

 私は時々、「神父さん」と呼ばれることがありますが、私は神父ではなく牧師です。皆さんは、神父と牧師がどのように違うかをご存知でしょうか?神父はカトリックと東方教会の聖職者のことで、牧師はプロテスタントにおける教職者のことです。どうしてこのような違いがあるのかというと、たとえばカトリックではローマ教皇をトップに司教、司祭、助祭といった序列があるのに対して、プロテスタントではそうした序列はなく、羊を飼うという働き以外は他の信徒と同じ立場にあるという考え方を持っているからです。

ペテロはここで、「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。」と言っています。いったいなぜ彼はこのように勧めているのでしょうか。これまでペテロは迫害で苦しみ小アジヤ地方に散らされていたクリスチャンたちに、そのような迫害の中にあっても励まされ、堅く信仰に立ち、神の恵みの中にしっかりととどまっているように励ましてきました。そして、これから一段と厳しい迫害が迫っているという中で、そのような試練の中にあっても彼らが堅く信仰に立ち続けるためには、教会の長老をはじめとしたリーダーたちが、自分たちに与えられた役割をしっかりと果たすことで教会が強められることが必要だったからです。教会はリーダーで決まると言っても過言ではありません。その牧師なり、長老がどのような考えで、どのように群れを導くのかによって、教会がしっかりと立ち続けもし、倒れたりもする。ですから、教会の牧師、長老の責任はとても重大であることがわかります。私も牧師のひとりとして、身が引き締まるような思いです。

しかし、これは教会だけのことではありません。国のリーダーや学校の教師、会社のリーダー、家庭の親に至るまで、すべての領域で言えることです。すべてはリーダーで決まるのです。勿論、良い牧師は良い信徒によって育てられ、良い教師は良い生徒によって育てられるという側面もありますから、互いがその役割と責任をしっかり果たすことが大切ですが、いかなる組織においても指導者の役割と責任はとても大きいことは確かです。
ですから、ここでは教会の牧師、長老に対して勧められていますが、それぞれ自分の置かれている立場に置き換えて考えていただけたらと思います。

 Ⅰ.神の羊の群れを牧しなさい(1-2a)

 まず牧者の務めについて見ていきたいと思います。1節と2節の前半をご覧ください。
 「そこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり、キリストの苦難の証人、また、やがて現われる栄光にあずかる者として、お勧めします。あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。」

 ペテロの勧めの対象は、「あなたがたのうちにいる長老たち」です。ペテロの時代は、今で言うところの牧師とか、長老、監督といった制度ははっきりしていませんでした。同じ人がある時は牧師、ある時は長老、ある時は監督というように使い分けられていたようです。ここで「長老」と言われているのはユダヤ教の名残が強いかと思われます。ユダヤ教では民の指導者を「長老」と呼ばれていました。モーセは姑のイテロの助言を受けてイスラエルの民の上に五十人の長、百人の長、千人の長を立てた時、それは、「神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々」出エジプト18:21)でした。それは民をさばくことができる判断力のある人で、群れを治めることができる能力のある人のことです。今でいえば牧師、役員のような立場の人でしょう。パウロは、第一次伝道旅行で小アジヤの各地で伝道した時、教会を開拓すると、弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりととどまるように勧め、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、彼らをその信じていた主にゆだねた(使徒14:22~23)とありますから、その小アジヤの諸教会ごとに長老が立てられていたものと思われます。

ペテロはここで自分のことを、「同じく長老のひとり、キリストの苦難の証人、また、やがて現われる栄光にあずかる者」と言っています。彼は自分を、他の人よりも上にいる者だとか、偉い者であるかのようには考えていませんでした。自分は他の長老たちと同じ立場にあり、そのひとりであると受け止めていたのです。それは彼の中に、これから語る勧めは、彼らだけでなく自分自身にも当てはまることだという思いがあったからでしょう。

また彼は、苦難の証人、やがて現われる栄光にあずかる者とも言っています。それは、彼がキリストの十字架の苦難の目撃者であるということと、キリストが再び来られることによって現われる世で、その栄光にあずかる者であるという確信があったからです。

そのペテロから長老たちに勧められていることはどんなことでしょうか。「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。」(2節)ということです。
先ほども申し上げましたが、牧するとは、羊飼いが羊の世話をするときに用いる言葉です。ダビデは詩篇23篇でこう言いました。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」(詩篇23:1~6)

つまり、牧するとは羊を守り、導き、養うことです。まず羊が健康でいられるようにちゃんと食べ、ちゃんと飲むことができるように、神の御言葉をもって養います。また、羊が病気になれば介抱するように、病めるたましいを慰め、癒されるように祈ります。そして、狼やライオンといった猛獣から守るように、絶えず教会の中に入り込んでくる異端的な教えや偽りの教えかどうか、またその行動はどうか見張り、そういったものから守ります。そのようにして、神の羊のたましいのケアをするのです。それは必ずしも楽な仕事ではありませんでした。はっきり言って、辛いなぁと思うことの連続でしょう。その神の羊を牧しなさいというのです。

その背景には、かつてペテロがイエス様を否定した出来事があったものと思われます。どんなことがあっても、私はあなたについて行きますと豪語したペテロでしたが、彼のそんな決意は脆くも崩れてしまい、イエス様が預言したように鶏が鳴く前に三度も否定したのです。
そんなペテロに対して、復活されたイエス様は特別に目をかけ、彼を回復されました。ガリラヤ湖畔で三度目に弟子たちにご自分を表されたイエス様は、ペテロにこのように言われました。
「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」(ヨハネ21:15)
すると、すかさず彼が、「はい。主よ。私があなたを愛することを、あなたはご存知です。」(ヨハネ21:15)と言うと、主はこう言われました。
「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネ21:15)
このことを三度も繰り返して言われました。繰り返して言われました。なぜイエス様はこのように言われたのでしょうか。それは、この羊を飼うということは、イエス様の愛への応答であるからです。ペテロはイエス様にこのように応えながら、自分の頭の中ではイエス様にそのようにと言われた時、自分の罪が赦されたということ、そしてそのようにして愛してくださったイエス様を、今度は自分が愛するのだということ、それは主の羊を飼うということによって表していくことなのだということをはっきりと理解したのです。つまり、キリストを愛するその延長にキリストの羊を飼うことがあったのです。
私たちは自分の力で人を愛するなんてできません。しかし、キリストが私を愛してくださったので、私も愛することができるのです。ですから、ここでペテロが神の羊の群れを牧しなさいと言ったのは、自分の罪深さを感じ、そんな自分を愛してくださった主イエスの愛の応答として、主にゆだねられた神の羊を飼うようにということだったのです。
それはここに、「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。」と言っていることからもわかります。それは、神の羊の群れであり、神があなたに送ってくださった群れなのです。それは、神様のものであり、イエス様のものなのです。もう少し丁寧に言うと、私たち一人ひとりは、イエス様が愛しておられるイエス様の羊であるということです。

イエス様は、「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」(ルカ15:4)と言われました。また、「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)と言われました。   

ここに私たちの存在感があります。私たちはほんとうに弱く、欠けだらけなものですが、そのような私たちを、主は「わたしの羊」と言って見つけるまで捜し出してくださる、いや、いのちさえも投げ出してくださるのです。私たち一人ひとりはそれほどまでに愛されているのです。大切にされているのです。その人に何ができるかとか、どれだけ奉仕しているかとか、どれだけ献金したかといったことと全く関係なく、私たちの存在そのものを大切にしておられるのです。そんな大切な一人ひとりの羊を牧するということはあまりにも大きな責任であり、あまりにも大きな労苦です。しかし、主は「わたしの羊を、牧しなさい」と言われました。それはイエス様の羊、神の羊なのです。そういう意味では、私たちはほんとうに無力な者ですが、イエス様が私の罪を赦してくださった、その愛の大きさに応えて、神から託されている神の羊の群れを、牧していきたいと思うのです。

Ⅱ.群れの模範となりなさい(2b-3)

ではいったいどのように牧したらいいのでしょうか。第二のことは、牧者の心構えです。2節の後半から3節をご覧ください。
「強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」

ここでペテロは、神の羊の群れを牧する羊飼いとしての心構えを三つ上げています。第一に、義務感からでなく、自発的にしなさいということです。2節に、「強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし」とあります。強制されて牧会するということがあるのでしょうか。人と接する仕事をしている人であればだれもが感じたことだと思いますが、人を動かすことは簡単なことではありません。人を動かすのは山を動かすよりも難しいと言われています。人はそれぞれ自分の考えをもっていて、どちらかというとそうでない考え方をなかなか受け入れられない傾向にあるので、そういう人を導くということは並大抵のことではありません。それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできるのです。神がその人のうちに働いて、その人の中に神の思いが与えられてくださり、そのような人さえも変えてくださるのです。しかし、そこには相当の忍耐と労苦が求められます。時には、「なんで自分がこんなことをしていなければならないのか」とか、「できるならやりたくない」という思いが沸いてくることもあります。

私はある時、あまりにも辛くてある老姉妹にぽつりと愚痴ったことがあります。
「なんで私が牧師になったかわからないんですよ。もっと違う道もあったんじゃないかと思うこともあります。」
すると、その老姉妹がこう言われたんです。
「あら、先生、牧師さんってすばらしいじゃないですか。人のお仕事じゃなくて神様のお仕事をしているんですから。」
それを聞いてはっとさせられたというか、私はそれまで何を考えていたんだろうと恥ずかしくなりました。別に牧師じゃなくても辛いことはたくさんあるのに、ついつい不平や不満を言っていた自分を情けなく感じたのでした。むしろ、神の羊を牧するというのは光栄なことであり、ほんとうにすばらしいことを求めることなのです。なぜなら、それは人に仕えるのではなく、神に仕えることですから。それは神がお許しにならなければできないことです。また、私には妻や家族の支えがあり、このようにすばらしい教会員の方々の祈りがあり、何よりも私のためにご自分のいのちを捨てられたイエス様の大きな愛があるのですから、これほどすばらしい務めはありません。

それなのに、そのように思うことがあるとしたら、それは自分自身が傲慢であること以外の何ものでもありません。それは牧会に限らずすべての奉仕に言えることです。コリント第二の手紙9章7節で、パウロはこのように言っています。
「ひとりひとり、いやいやながらではなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(Ⅱコリント9:7)
主は、強いられてするものを喜ばれません。ひとりひとり、いやいやながらではなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を、義務感からでなく、自発的に、自らささげる人を、仕える人を愛してくださいます。それこそ、神が私たちのために喜んでひとり子さえも与えてくださった大きな愛への応答なのです。

第二のことは、その後に記されてありますが、卑しい利得を求める心からでなく、心を込めてそれをしなさいということです。
牧師や長老が、その働きにふさわしい報酬を得ることは当然ですが、しかし、牧師が報酬を目的として働くとしたら、牧師でなくなってしまいます。まして、不当な方法で利得を追求するようなことがあるとしたらとんでもないことです。昔、預言者エゼキエルはそのような指導者を糾弾しました。エゼキエル書34章2~6節を開いてください。
「人の子よ。イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して、彼ら、牧者たちに言え。神である主はこう仰せられる。ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わなければならないのではないか。あなたがたは脂肪を食べ、羊の毛を身にまとい、肥えた羊をほふるが、羊を養わない。弱った羊を強めず、病気のものをいやさず、傷ついたものを包まず、迷い出たものを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくと暴力で彼らを支配した。彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野の獣のえじきとなり、散らされてしまった。わたしの羊はすべての山々やすべての高い丘をさまよい、わたしの羊は地の全面に散らされた。尋ねる者もなく、捜す者もない。」(エゼキエル34:2~6)
これはイスラエルの牧者だけでなく、私たちにも言えることです。このような牧者になることのないように自戒し、心を込めてこれをするように努めていきたいと思います。

第三のことは、群れの模範者になるということです。3節に、「あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」とあります。
先ほど説明したとおり、私たちが牧しているのは、あくまでも「その割り当てられている人たち」です。神の恵みによって、自分に割り当てられている人たちがいるのであって、恣意的に人々を自分の下に集めるのではありません。もしそのようなことがあるとしたら、そこに自分の言いなりにさせるという支配が入り込んでくることになります。神のみこころではなく、自分の目的を達成するための手段として群れを利用することになってしまいます。ですから、そういうことがないように、ペテロはここで、その人たちを支配するのではなく、群れの模範者となりなさいと勧めているのです。

イエス様は、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られると、世にいるご自分の者たちを、最後まで愛されました。夕食の間のことですが、夕食の席から立ち上がられると、上着を脱ぎ、手ぬぐいを腰にまとわれました。それから、たらいを水に入れ、弟子たちの足を洗われたのです。
「何をなさるんですか」とペテロが言うと、
「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになる。」と言われると、ペテロは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着かれました。いったいなぜイエス様はこんなことをしたのでしょうか。イエス様はこのように言われました。
「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」(ヨハネ13:13-15)
そうです、イエス様は模範を示されたのです。彼らに、互いに足を洗うべきですと説教したのではなく、自らの彼らの足を洗うことで、その模範を示されたのです。ある人は、これを読んで、「イエス様が弟子たちの足を洗われたのは、弟子たちの中にものすごく足の臭い奴がいて、イエス様もさすがに食事をする気にならなかったんだよ。だから、しょうがなく足を洗い始めたのさ。でも一人だけ洗ったらその人を傷つけてしまうから、みんなの足を洗ったんじゃないか」と言う人がいますが、そういうことではありません。イエス様は模範を示されたのです。

パウロは若き伝道者テモテに、「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。」(Ⅰテモテ4:12)と言っていますが、それは外側の行動ではなく、内側の心の在り方です。あまりにも模範を意識しすぎると、くたびれてきますし、偽善的にもなりかねません。ですから、真実にキリストを見習う生活をコツコツと続けるだけでいいのです。

Ⅲ.しぼむことのない栄光の冠を受ける(4)

 最後に、神の羊の群れを牧する者にもたらされる結果を見て終わりたいと思います。4節をご覧ください。ここには、「そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。」とあります。

「そうすれば」というのは、そのように神の羊の群れを牧するならば、ということです。そうすれば、どのような結果がもたらされるのでしょうか。大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄冠を受けることになります。「大牧者」とは、勿論、イエス様のことです。私たちはこの大牧者の下にある小牧者にすぎません。ほんとうの牧者は、私たちの主イエス・キリストです。この大牧者であられるイエス様が戻ってこられるときに、私たちはしぼむことのない栄光の冠を受けるのです。この「栄光の冠」とは何でしょうか?聖書には、義の冠とか、いのちの冠といった冠が出てきますが、それらは救いとの関係で受ける冠のことです。しかし、この「栄光の冠」というのは、キリストのさばきの御座において受ける冠、報いのことです。イエス・キリストを信じる者にはみないのちの冠が与えられます。しかし、クリスチャンのそれぞれの業に応じて報いを受けます。それが栄光の冠です。いのちの冠が与えられるだけでものすごい栄光なのに、さらにその働きに応じて「栄光の冠」が与えられるとすれば、それは二重の栄光です。

この大牧者であられるキリストが戻って来られます。そのとき、あなたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。ですから、私たちは自分たちに与えられた役割をしっかりと果たしていきましょう。

あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。あなたに託されている神の羊の群れとはだれですか。それは神の教会の中の羊の群れかもしれないし、家庭や職場など、教会の外にいる群れかもしれません。しかし、それはあなたが牧するように、神があなたに送っておられる神の羊の群れなのです。その羊の群れを牧しなさい。卑しい利得を求める心からでなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、心を込めてそれをしなさい。その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範になりなさい。そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。

ヨシュア記13章

きょうはヨシュア記13章から学びたいと思います。

 Ⅰ.まだ占領すべき地がたくさん残っている(1-7)

 まず1節から7節までをご覧ください。
「ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。その残っている地は次のとおりである。ペリシテ人の全地域、ゲシュル人の全土、エジプトの東のシホルから、北方のカナン人のものとみなされているエクロンの国境まで、ペリシテ人の五人の領主、ガザ人、アシュドデ人、アシュケロン人、ガテ人、エクロン人の地、それに南のアビム人の地、カナン人の全土、シドン人のメアラからエモリ人の国境のアフェクまでの地。また、ヘルモン山のふもとのバアル・ガドから、レボ・ハマテまでのゲバル人の地、およびレバノンの東側全部。レバノンからミスレフォテ・マイムまでの山地のすべての住民、すなわちシドン人の全部。わたしは彼らをイスラエル人の前から追い払おう。わたしが命じたとおりに、ただあなたはその地をイスラエルに相続地としてくじで分けよ。今、あなたはこの地を、九つの部族と、マナセの半部族とに、相続地として割り当てよ。」

ヨシュアは、モーセの後継者としてカナン征服という神の使命のために走り抜いてきましたが、そのヨシュアも、年を重ねて老人になりました。モーセの従者として40年、そしてモーセの後継者としてイスラエルの民を導いて20年、エジプトを出た時は30歳くらいの若者だったヨシュアも、すでに90歳を越える老人になっていました。それほど主に仕えてきたのですからもう十分でしょう。ゆっくり休ませてあげるのかと思いきや、主はこの老人ヨシュアにこう仰せられました。
「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。」
まだまだ占領すべき地がたくさん残っているので、もっと戦い続けなければならない。休んではならない。もっと働き続けなければならないと言われたのです。

その残っている地は2節から7節までにあるように、南は海岸地域のペリシテ人が住んでいるガザ人、アシュドデ人、アシュケロン人、ガテ人、エクロン人の地等、北はヘルモン山のふもとのバアル・ガドから、レボ・ハマテまでのゲバル人の地、およびレバノンの東側全部。レバノンからミスレフォテ・マイムまでの山地のすべての住民、すなわちシドン人の全部です。こうやってみると、まだかなりの地が残っていることがわかります。その地を占領し、主が彼らに命じたとおりに、その地を九つの部族と、マナセの半部族とに、相続地として割り当てるようにと言われたのです。

人間的に考えるならば、何とも酷なように感じるかもしれませんが、実は、年を重ねても、神の使命のために働き続けるようにという神の言葉の中にこそ、神の深い愛が溢れているのです。一体、人間にとって、また老人にとって、幸福とは何でしょうか?至れり尽くせりの世話をし、働かないで休息のみを与えることが果たして幸せと言えるのでしょうか。そうではない。老年期は素晴らしい可能性に満ちた時代でもあります。

上智大学のアルフォンス・デーケンという教授が「第三の人生」という本を書いておられますが、デーケン教授はその本の中でこのように言っています。それは人間が一生涯で発揮する力は、その持っている力のたかだか10%程度にすぎず、残りの90%は眠ったままで使われずにほとんどの人がその一生を終えていきますが、この老年期こそその90%の部分に手がつけられ、大いなる可能性が開花する時です。というのは、若い時にはどうしても自分の意識的な働き、自我が全面的に出てしまうためこの力を発揮することができにくいが、老人になると、体力が失われ、自分の限界に気づくようになるので、そうした無意識の部分が開発されやすくなるのです。しかも若い時には、どうしても自分の願望や欲望に振り回されて、ほんとうに大切な事柄に集中できない傾向がありますが、老年期においては、大切な事柄に集中して取り組むことができるゆとりが生まれるのです。更に、若い時にはどうしても自分の力により頼みがちになるために、ほんとうの意味で神に信頼することができにくいが、しかし、自分の力の限界をわきまえるようになる老年期には、真実な神への信頼や、ゆだねることが可能になるのです。かくして老年期に近づくほど、残された90%へのチャレンジの道が開かれてくるのです。

聖書を見ると、確かに神はご自身の御心を遂行するにあたり、度々老人を召し出されていることがわかります。たとえば、モーセはイスラエルをエジプトから救い出し、約束の地へ彼らを導くように召されたのは80歳の時でした。また、アブラハムは75歳の時に、約束の地へ出で行くようにとの召しを受けました。聖書においては、神は老人に大きな使命を与え、そのために用いておられるのです。そして、その召しを受けた老人たちは驚くべき力を発揮して、その使命を遂行してきました。

このように、老年期は大きな可能性を秘めた時期でもあるのです。ですから、年を重ねて老人になったと悲観的に捉えるのではなく、年を重ねて老人になった今こそ、今までできなかったことができる大きな可能性を秘めた輝ける季節が到来したと信じて、その使命に向かって前進していかなければなりません。

私たちが神から約束されているものはたくさんあります。私たちは、御霊に導かれ、信仰によって、まだ肉の思いや行ないが支配している部分を殺し、支配するように召されています。神が約束してくださっているものを、実際に自分のものにするには、信仰によって踏み出さなければなりません。神が約束されているものを、信仰によって相続していかなければならないのです。ヨシュアは年を重ねて老人になりましたが、彼には占領すべき地がたくさん残されていました。私たちも占領すべき地がまだまだ残されています。何歳になっても、その神が約束された残された地を、信仰によって相続していきましょう。

 Ⅱ.モーセが与えた相続地(8-14)

次に8節から14節までをご覧ください。8節には、「マナセの他の半部族とともにルベン人とガド人とは、ヨルダン川の向こう側、東のほうで、モーセが彼らに与えた相続地を取っていた。主のしもべモーセが彼らに与えたとおりである。」とあるように、ここには、ヨルダン川の向こう側、東のほうで、モーセがマナセの半部族とともにルベン人とガド人に与えた相続地について記されてあります。モーセは、ヨルダン川の向こう側にいたエモリ人の王シホンと、またゴラン高原であるバシャンのオグの王国を打ち、彼らを追い払い、そこを彼らの28相続地として与えました。しかし、13節をご覧いただくとわかりますが、ゲシュル人とマアカ人とを追い払いませんでした。それでどうなったかというと、彼らはイスラエルの中に住むようになったのです。

Ⅱサムエル13章37~38節をお開きください。そこには、ダビデの息子アブシャロムが王の怒りを買った時、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げたことが記されてあります。なぜゲシュルに逃げたのか?ダビデの妻の一人がゲシュル人だったからです。また、Ⅱサムエル20章14~15節には、ダビデに謀反を起こしたシェバも、マアカ人の住むところに逃げていたことがわかります。
このように、イスラエルにとって、この時彼らを追い払わなかったことが、後で悩みの種になっていることがわかります。イスラエルは相続地が与えられたのに、主の命令に従ってすべての敵を追い払うことをせず、一部の住民をそこに住むことを許したことで、自らに悩みを招くことをしたのです。

それは、自分の肉を追い払わないで、そのままにしておくことで、信仰に死を招くことの型でもあります。聖書には、「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」(ガラテヤ5:24,25)とあります。また、「ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりがそのまま偶像礼拝なのです。」(コロサイ3章8節)ともあります。自分の肉は改善してよくなるものではないので、殺してしまいなさい、と命令されています。ぼろ雑巾はいくら洗濯しても、真っ白にはならないので捨てるほかないように、神は私たちの肉という「ぼろ雑巾」を洗って下さるのではなく、キリストの十字架によってきっぱりと捨て去らせ、まったく新しい心、新しい霊を与えて下さるのです。この肉が対処されていないと、ある時は喜んで「ハレルヤ」と叫び、舞い上がっていても、翌日になると、些細なことで苛立ったり、気がくじかれたりして、喜べなくなってしまうことがあります。エルサレムに入城したイエス様を迎えた群衆も、始めは「ホサナ。ホサナ。」と叫んでイエス様を大歓迎しましたが、数日後には、一変して「十字架につけろ。十字架につけろ。」と叫んでしまいました。これがみじめな人間の肉の姿なのです。キリストはこのような「肉」を殺し、「新しいいのち」に生かすために十字架にかかって死んで下さいました。ですから、私たちは信仰によって肉を捨て去り、キリストのいちの、聖霊の恵みに生かされていかなければなりません。信仰に妥協は禁物です。多少残しておいても、さほど問題ではないという思いが、後で大きな問題へと発展していくのです。

ところで、14節には、「ただレビの部族だけには、相続地が与えられなかった。主が約束されたとおり、イスラエルの神、主への火によるささげ物、それが彼らの相続地であった。」とあります。このことは、33節にも言及があります。このレビ人の相続地については21章に詳しく記されてありますが、彼らには相続地はなく、住むべき町々と、家畜のために放牧地とが与えられました。なぜでしょうか。主が約束されたとおり、イスラエルの神、主への火によるささげ物、それが彼らの相続地であったからです。つまり、彼らは他のイスラエル人が携えてくるいけにえの分け前を受け取ることによって、生活が支えられていたということです。33節には、「主が彼らの相続地」であったとあります。つまり、神そのものが彼らの受け継ぐべき相続地であったというのです。どういうことでしょうか。レビ人は他のイスラエル人のように見える形での相続地よりも、神ご自身によってもたらされる圧倒的な主の臨在、主の栄光を受けるということです。それは、主への礼拝の奉仕に専念できるということです。この世の仕事ではなく、主の仕事に直接携わり、主に集中して生きることかできる。しかも、この世の生活もちゃんと保証されているのです。これほどすばらしい相続はありません。レビ族はそのすばらしい相続を受けるのです。

一体、レビ族とはどういう部族なのでしょうか。出エジプト記32章を開いてください。あの40年の荒野の時代に、イスラエルの民はしばしば不信仰に陥りました。真実な神をないがしろにし、偶像崇拝に陥る時もありました。この主エジプト記32章には、その時の出来事が記されてあります。モーセが神に祈るためにシナイ山に上って行ったとき、イスラエルの民はモーセがなかなか戻って来ないのに嫌気がさし、先だって行く神を造ってくれと、金の子牛を造って拝んだのです。それを見たモーセは怒りを燃やし、宿営の入口に立って、こう言いました。「だれでも、主につく者は、私のところに」、するとこのレビ族がみな、彼のところに集まったのです。そして、宿営の中を行き巡り、偶像崇拝をしている者を殺したのです。レビ族は、モーセのことばどおりに行いました。その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れたのです(出エジプト記32:26~28)。つまり、この時レビ族だけは主に対する忠実さを失わず、モーセの教えを守り、その指導に従って、堕落していった人々を粛正していったのです。これがレビ族です。そしてこの時、モーセはこれを非常に喜び、彼らは以後神の祝福を得、祭司を始めとする聖務に関わる務めにあずかる群れとして、引き上げていったのです。イスラエル12部族の中で、このレビ族はその信仰のゆえに、神に直接仕えるという仕事を専門にするようになったのです。

ゆえにこのレビ族は「聖なる部族」なのです。彼らは神に直接仕える仕事に与ったため、他の部族のように生産活動というものをしませんでした。それに対して、残りの十一の部族は生産活動を行い、それによって得た農産物、あるいは家畜の十分の一を神に献げました。そしてその十一部族の献げ物によってレビ族は養われていったのです。とすると、単純な計算によって考えると、レビ族は他の部族よりも豊かであったということになります。他の部族は一割を神に献げ、残りの九割で生活しました。しかし、レビ族は一の十一部族分、すなわち十一分が与えられていたことになります。しかし、その領地の分配ということにおいては、彼らは何の割り当て地も受けませんでした。

いったいなぜレビ族には相続地が与えられなかったのか。それは主が彼らの相続地であったからです。つまり、神がすべてを与え、満たしてくださるからです。この世の物によって養われるのではなく、主なる神の御手によってのみ養われなければならないという意味です。ですから、神の業に直接携わる者は、神からのみ養われるという姿勢が求められるのであって、この世の仕事に心を動かされたり、手を染めるようなことがあってはならないのです。ただ神様を仰ぎ求め、神様からその糧を得ていくべきなのです。確かに、パウロは生活の糧が得られなかった時にテントメーカーとして働きましたが、それは必ずしも正しいことであったというよりも、そのような必要があったからです。パウロがそのようにしたのは、あくまでも献金について理解していなかった人をつまずかせることがないようにという配慮からだったのです。働き人がその報酬を得るのは当然のことなのです(Ⅰコリント9:10)。神の業に携わる人に求められるのは、レビ人がその務めに専念したように、もっぱら神の働きに集中することです。

であれば、イスラエルの残りの十一の部族の心構えも大切です。レビ族以外の部族は収穫の十分の一を捧げて、レビ族の生活を豊かに支えました。従って同じように信徒は喜んで十分の一を捧げ、聖職にある人々を支えていかなければなりません。このルベン、マナセなどの十一部族が十分の一を献げてレビ族を養ったように、真剣に主に献げていかなければなりません。なぜなら、その献げるということは、単にお金や物を献げるというだけでなく、自分自身を主に献げるという行為だからです。つまり、自分自身を主に差し出す「献身」ということなのです。だとしたら、私たちは喜んで精一杯の献げ物、できれば十分の一の献げ物を持って主に御前に出て行きたいものです。そして喜んで主の前に献身しようではありませんか。

Ⅲ.ルベンの半部族、ガド族、マナセの半部族に与えられた相続地(15-33)

次に、15節から23節までをご覧ください。ここには、モーセがルベンの半部族に与えた相続地について言及されています。彼らは、ちょうど死海の東側、モーセが最後に上ったネボ山があるところに割り当てられました。

ところで、22節には、「イスラエル人は、これらを殺したほか、ベオルの子、占い師のバラムをも剣で殺した。」とあります。ここでわざわざ、ベオルの子、占い師のバラムのことについて言及されています。この占い師バラムとは何者かというと、民数記22章に登場しますが、イスラエルを呪うためにモアブの王であったバラクから雇われた人物です。しかし、彼はイスラエルを呪うどころかイスラエルを祝福してしまいました。そこまではよかったのですが、ついつい金に目がくらみ、モアブの王バラクに助言して、イスラエルの宿営にモアブの娘を起こり込ませてしまいました。その結果、イスラエルの民はモアブの娘たちとみだらなことをし、娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、彼らを招いたので、イスラエルの民は娘たちの神々バアル・ペオルを慕い、それを拝んでしまいました(民数記25:1-2)。それで主の燃える怒りが彼らに臨み、そのバアル・ペオルを拝んだイスラエルの民の2万4千人が神罰で死んだのです。ほんとうに恐ろしい事件でした。その事件を招いたのがこのバラムだったのです。彼は、金によって盲目になってしまいました。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。」(Ⅰテモテ6:10)とパウロは言いましたが、こうした貪りは、神の厳しいさばきを招くことになるのです。

23節には、「ルベン人の地域は、ヨルダン川とその地域であった。これはルベン族の諸氏族の相続地であり、その町々と村々であった。」とあります。ご存知のように、ルベンはヤコブの最初の子どもです。長子は二倍の分け前を受け取ることになっていすが、彼はヤコブのそばめビルハと寝たために、その祝福を失ってしまいました。創世記49章4節には、父ヤコブが死ぬ前に子どもたちを祝福した際、ヤコブはルベンに対して、「あなたは他をしのぐことはない。」(創世49:4)と預言しましたが、そのとおりに、ルベン族ではなく、ヨセフ族がマナセとエフライムの二部族によって、二倍の分け前を受けました。

次に、24節から28節までをご覧ください。ここには、ガド族に与えられた相続地について記されてあります。彼らに与えられた地域は、ヤゼルとギルアデのすべての町々、アモン人の地の半分で、ラバに面するアロエルまでの地、ヘシュボンからラマテ・ハツミバドとベトニムデまで、マナハイムからデビルの国境まで。谷の中ではベテ・ハラムと、ベテ・ニムラと、スコテと、ツァフォン。ヘシュボンの王の王国の残りの地、ヨルダン川とその地域でヨルダン川の向こう側、東のほうで、キネレテ湖の端まででした。巻末の地図「12部族に分割されたカナン」を見ていただくと一目瞭然です。

次に、29節から33節までをご覧ください。ここには、マナセの半部族に与えられた相続地について記されてあります。マナセの半部族は、ガド族のさらに北の地域、バシャンの土地を得ました

最後に、32節と33節をご覧ください。ここには、モーセがヨルダンの向こう側、東のほうのモアブの草原で、彼らに与えた相続地の総括が述べられています。

このように、ヨシュアが割り当てをする前に、すでにモーセによってルベン人、ガド人、そしてマナセの半部族に、割り当て地が与えられていました。なぜ彼らにだけ与えられていたのでしょうか。思い出してください。そこは肥沃な地で、家畜を放牧するのに適していたので、彼らはぜひともそこが欲しいとモーセに要求したからです。すなわち、それは主によって命じられたからではなく、彼らの欲望から出た一方的な要求だったのです。
そのような人間の思いから出たことは、結局、その身に滅びを招くことになります。これらの地域はモアブ人やアモン人、アラム人などの外敵に常にさらされることになり、ついにはアッシリヤによって最も先に滅ぼされてしまうことになります。そして完全に異邦人化されてしまうのです。どんなに人間の目で見た目には良くても、神の判断を待たないと、破滅にもっとも近いところになってしまうということでしょう。アブラハムの甥のロトもそうでした。彼が選択した地は人の目にとても潤っていたかのように見えたソドムとゴモラの近くでしたが、そこはやがて神によって滅ぼされてしまいました。

私たちはこのことから教訓を学びます。それが人の目でどんなに肥沃で潤っているような地でも、神が導いてくださるところでなければ、それは空しいということです。
「測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。」(詩篇16:6)
この信仰によって、ますます主に拠り頼み、主が与えてくださる地を、心から待ち望むものでありたいと思います。

Ⅰペテロ4章12~19節 「火のような試練が来るとき」

 きょうは、第一ペテロ4章後半の箇所から、「火のような試練が来るとき」というテーマでお話します。聖書には、たびたび試練を「火」と表現されています。たとえば、この第一ペテロ1章7節には、「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く」とあります。信仰の試練を火で精錬されると表現しています。きょうの箇所にも、「あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、」とあります。そんな火のような試練が来たら、だれも喜べるものではありません。辛く、悲しく、苦しいでしょう。そんな火のような試練が来るとき、私たちはどのように対処したらいいのでしょうか。

きょうは、このことについてみことばからご一緒に考えたいと思います。キーとなることばは、「喜んでいなさい」(13)「神をあがめなさい」(16)、「真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい」(19)という三つの言葉です。

 Ⅰ.喜んでいなさい(12-14)

 まず、12節から13節の前半までをご覧ください。
 「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。」

 ペテロは、10節で賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」と語り、11節で「アーメン」と言って一区切りをつけると、ここから再びキリスト者の苦難をテーマに取り上げて語り出します。ペテロはこれまでずっと迫害で苦しんでいたクリスチャンを励ますために語ってきましたが、ここから一層力を入れてそれを語ります。というのは、彼らにそれまで以上の迫害が迫っていたからです。彼らにはこれまでもローマ帝国やユダヤ人からの迫害がありましたが、それに加えて、時のローマ皇帝ネロがクリスチャンをターゲットに激しい迫害を始めたというニュースを聞いたからです。それはこれまでのものとは比較にならないほどの激しいものでした。ここではそれを「燃えさかる火の試練」と表現しています。そのような燃えさかる火の試練が来たときどうしたら良いのでしょうか?ペテロはこう言っています。そのような「燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、喜んでいなさい。」と言っています。それを何か特別なケースとして考えるのではなく、むしろそれは想定内のこととして受け止めて、気持ちを落ち着かせるようにというのです。なぜでしょうか。なぜなら、キリストの苦しみにあずかれるのだからです。

ペテロは、試練や苦しみを経験する恵みの一つは、それを通してキリストが受けられた苦しみの何分の一かを経験する事ができることだと言います。主の思い、主の心は私たち人間には、なかなか分かりにくいものです。しかし、私たちが苦しみを経験することによってキリストの心を体験的に理解できるようになるとしたら、それはすばらしいことではないでしょうか。

そればかりではありません。ここには、「それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。」とあります。キリストの栄光が現われる時とはいつでしょうか。そうです、キリストが再び来られるときです。そのとき、主は、これまでの全てのことを正しくさばかれ、報いをもたらされます。この地上において不正があり、曲がったことが行われ、義が踏みにじられることがあっても、キリストの栄光が現われる時、キリストはそれらの全て正しくさばかれ、それに正しく報いてくださいます。ですからそれはクリスチャンにとっては喜びの時なのです。改訂版では、「キリスとの栄光が現われるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。」と訳されています。イエス様も、「喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。」(マタイ5:12)と言われました。

ですから、別にやせ我慢しているのではありません。クリスチャンにとって試練や苦しみにあずかることはキリストを体験的に知ることができるばかりか、キリストの栄光の現われのときに、大きな報いがもたらされるのですから、むしろそれは喜びなのです。だから、もし私たちに燃えさかる火の試練が襲って来るようなことがあっても、それを何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しんだり、こうやっていつも貧乏くじばかり引くんだよなと悲しんだりしないで、それは想定内ですと、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるので感謝ですと受け止め、喜びおどる者でありたいと思います。

 次に14節をご覧ください。ペテロはここでクリスチャンが苦難に会うことが喜びであるもう一つの理由を述べています。それは、そのようにクリスチャンがキリストの名のために非難を受けるようなことがあるとしたら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるということです。どういうことでしょうか。

 元々、キリストを信じる者には栄光の御霊、神の御霊が宿っておられます。しかし、クリスチャンがキリストの名のために、すなわち信仰のゆえに非難を受けるようなことがあるとしたら、それこそ、神の御霊、栄光の御霊が特別に働いてくださる時だというのです。これはほんとうに慰めではないでしょうか。というのは、試練の中にいる人というのは孤独になりがちだからです。そのような時、決して私はひとりじゃない、神様が共におられるということを確信することができるとしたら、どれほど大きな励ましが与えられることでしょう。

 マーガレット・F・パワーズというアメリカ人女性が書いた「あしあと」という詩は、そのことを私たちに思い起こさせてくれます。
「ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」
(「あしあと」マーガレット・F・パワーズ)

 自分が辛く、苦しい時、神にも見捨てられたのではないかと感じることがありますが、そうではありません。むしろ逆です。そのような苦しみの中にある時こそ、栄光の御霊、神の御霊が、私たちの上にとどまってくださるのです。

 Mary Ann Birdという女性が、〝The Whisper Test〞という本を書きました。彼女は普通の子どもとは違い、口蓋裂という、生まれながらに唇が裂けている病気で生まれてきました。今は手術方法が確立されていますが、当時はまだ上手に手術ができない時代でした。それで彼女が学校に行き始めると、その裂けた唇と、食い込んだ、変形した歯で、上手に話ができませんでした。すると「君はどうしたの?」と友だちから聞かれるのです。生まれつきの病気だと説明するよりも、事故でそうなってしまったと答えた方が簡単だったので、「思わず転んだ時に下にガラスがあって、唇を切ってしまった」と答えていました。それはとても辛い経験でした。
ところが彼女が2年生の時に、レオナルドという女性の先生が担任になるのです。その先生は背が低くとっても陽気な先生でした。その先生がある時クラスの子どもたちに「聞き取りテスト」をしました。それは生徒が一人ずつ教室のドアのところに行って片方の耳を塞ぎ、先生がもう片方の耳元でささやいたことを言い当てるのです。「ささやく」ことを英語でWhisperというので、Whisper Testというのです。
彼女の番がやってきました。彼女は、聞き耳を立てて聞いていました。すると、その先生はこうささやきました。“I wish you were my little girl”意味は、あなたが先生の娘だったらよかったのに、という意味です。先生のこのささやいた言葉が彼女の人生を変えるんです。それは彼女が小学校2年生の時でしたが、彼女の人生にとって忘れられない言葉となりました。
そして彼女はそのことばを振り返ってこう言うのです。「それは、神さまがこの先生を通して私におっしゃったことばだ」と。神さまがこの先生を通して私におっしゃったことばが、「あなたはわたしの愛する子だ」。ということだったのです。
孤独と悲しみの中に打ちひしがれていた彼女にとって、そのことばはどれほど大きな励ましと希望を与えてくれたことでしょう。

私たちも同じです。キリストを信じる信仰のゆえに非難を受けたり、苦難に会うとき、何とも言いようのない孤独を感じることがありますが、しかし、そのような時こそ、神の御霊があなたにこうささやくのです。「あなたはわたしの愛する子です」と。それはほんとうに大きな慰めではないでしょうか。もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の神、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

Ⅱ.神をあがめなさい(15-18)

第二のことは、そのようにキリスト者として苦しみを受けるなら、恥じることはない、かえって、この名のゆえに神をあがめなさい、ということです。15節から18節までをご覧ください。
「あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行なう者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。」

人殺しや泥棒、その他、悪を行う者、他人に干渉する者が、苦しみを受けることは、当然のことなので、そのようなことがあってはなりません。しかし、キリスト者として苦しみを受けるなら、それは幸いなことなのです。それを恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなければなりません。なぜでしょうか?17節にはこうあります。「なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。」どういうことでしょうか。

このことばは、少し唐突な感じがしないわけでもありません。というのは、ここでペテロは、あくまでも、神の御心に従って正しいことを行い、それによって苦しみを受けるようなことがあるなら、そのことのゆえに神をあがめなさいと勧めているのに、その理由が、「なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。」とあるからです。その前の文章につながっていないように感じます。しかし、よくみるとこれは不自然ではありません。というのは、ここでは、キリストを信じる群れである神の教会と、福音に従わない者たちの終わりがどうなのかを比較されているからです。それを際立たせているのです。まず神の家である教会です。それが、まず私たちから始まるとすれば、神の福音に従わない者たちの結末はどうなるのでしょうと言って、18節の結論に結び付けているのです。

この17節を、新改訳の改訂版はわかりやすく訳しています。改訂版ではここを、「さばきが神の家から始まる時が来ているからです。それが、まず私たちから始まるとすれば、神の福音に従わない者たちの結末はどうなるのでしょうか。」と訳しています。第三版では、どちらかというと神のさばきが教会から始まるということに強調点が置かれているのに対して、改訂版では、福音に従わない者たちの終わりがどうなるのかということに強調点が置かれています。ここで言わんとしていることは、後者のことです。

そして、ペテロはその結論を18節でこう言っています。
「義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。」
これは箴言11章31節からの引用です。「もし正しい人者がかろうじて救われるのなら、不敬虔な者や罪人はどうなるのか。」どうにもなりません。正しい者、すなわち、神の恵みにより、キリスト・イエスを信じて義と認められた者がかろうじて救われるとしたら、そうでない者が救われるはずがないというのです。

これまで私たちは3章19節の「キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。」とか、4章6節の「というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、」というみことばからの解釈をめぐり、福音を信じないで死んだ人も救われるチャンスがあるのかという、いわゆるセカンドチャンス論について見てきましたが、この箇所をみると、そうした考え方が一掃されます。なぜなら、福音を信じた、いわゆる正しい人でさえかろうじて救われるのであれば、そうでない人たちが救われるということがあるでしょうか。ありません。それは一方的な神の恵みであり、神の奇蹟的なみわざなのです。私たちはみな、地獄に行ってしかるべきなのに、そんな私たちを神はあわれんでくださいました。神はそんな私たちを救うために、御子イエス・キリストを送ってくださいました。私たちはかろうじて救われたのです。

私の父は74歳の時に亡くなりました。その少し前にすでにクリスチャンになっていた母とどうやったら父がイエス様を信じるだろうかと話し合っていましたが、母は、「だめだぞい」というのです。「とうちゃんは何言ってもわがんねがら」と。でも私は何とか父にも信じてほしいと思い、ある日、テープレコーダーとカセットテープを持って家に行き、父に聞いてもらいました。それは本田弘慈先生の「マルコの福音書」からのメッセージテープでした。息子の話はあまり聞きたくないだろうから、他の牧師の話だったら聞いてくれるかもしれないと思って、持って行ったのです。その日、父はいつものようにこたつに座っていました。「いいがい、よく聞いてね。」とテープを流すと、あまりにもいい話なのかすぐに深い眠りに落ちました。一応、一つの話を全部聞いてから父に、「どうだった。とうちゃんもイエス様信じる?」と聞くと、父が突然目を開けて、「うん、信じる」と言ったのです。ずっと寝ていたのにあり得ないと思い、「うそでしょ」と言うと、「ん、ホントだ」と言うのです。じゃ、いっしょに祈ろうと言ったら、素直にイエス様を信じますと祈ったのです。もしかすると、母に何か言われていたのかもしれません。末息子の私の言うことだから、聞いてやろうと思ったのかもしれない。どうして信じると告白したのかわかりません。しかし、それまで何度言っても信じなかった父が、その日に限って信じると信仰を告白したのです。
その週のことです。母から、父が動けないから来てほしいと電話があったので家に行き、父をおんぶして車に乗せて病院に行くと、そのまま入院することになりました。そして、その二日後に父は息を引き取ったのです。そのとき私はわかりました。なぜ父が信じると言ったのか。それはもうすぐ死ぬことを悟っていたからかもしれません。イエス様のことをそんなに知らなかったのに、ただイエス様を信じただけで救われたのです。これがキリスト教の救いです。信じるだけで救われる。何か特別なことをしたわけでもなく、真剣に学んだわけでもない。半分いつも寝ているような人だったのに、罪から救われたのです。これが聖書の言う救いです。これはどんなに知識があっても、どんなに立派なことをしても得られるものではありません。ただ幼子のように救い主イエス・キリストを信じなければなりません。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:9-10)
だから、今でもよく思います。父はかろうじて救われたと。今ごろ天国にぶら下がっているんじゃないかと思います。しかし、それは父だけのことではありません。私たちもそうです。私たちもかろうじて救われたのです。私たちは救われるに値するような者ではなかったのに、神のあわれみによってかろうじて救っていただきました。であれば、神の福音に従わない人たちの終わりはどうなることでしょう。神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなることでしょう。どうにもなりません。

だとしたら、私たちはこのように神の救いを受けた者として、キリスト者として苦しみを受けることがあるとしても、それを恥じたりすることなく、かえって、この名のゆえに神をあがめなければならないのです。

Ⅲ.真実な創造者に自分のたましいをお任せしなさい(19)

ですから、結論は何かというと、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさいということです。19節をご覧ください。ご一緒にお読みしたいと思います。
「ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。」

これが、ペテロがここで言いたかったことです。神のみこころを行ってなお苦しみに会う時、私たちがすべきことは、自分のたましいを、創造者である神にお任せすることです。ここでペテロが、「真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい」と言っているのは興味深いです。ここではさばきのことが言及されているのですから、「公平にさばかれる方」(1:17)とか、あるいは、「正しくさばかれる方」(2:23)と表現した方が自然なのに、「真実であられる創造者」と呼んだのはどうしてなのでしょうか。それは、創造者であられる神が、創造されたすべてのものに対して真実を尽くされる方であるということに、私たちの目を留めさせるためです。つまり、神は救い主イエス・キリストを信じ、彼により頼む者のために、その真実をもって、守り、保ってくださるということです。この方に自分のたましいをお任せする以外に、ほんとうの平安は生まれません。この創造主なる神を信じ、ゆだねきるなら、たましいに深い平安がもたらされるのです。

私たちの主イエスも、あらゆる苦しみと辱めの中で、「正しくさばかれる方にお任せになりました。」(2:23)ご自身が最後の息を引き取られるときには、「父よ。わが霊を御手にゆだねます。(ルカ23:46)」と言われました。私たちのたましいの平安は、この真実であられる創造者に、自分のたましいをお任せすることができるかどうかにかかっているのです。

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えることができるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント10:13)

あなたはいま、どんな試練に会っておられますか。それがどのような試練であっても、真実な神は、あなたがたを、耐えられない試練に会わせるようなことはなさいません。耐えることができるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。そのことを信じましょう。そして、たとえあなたの前に燃えさかる火の試練が襲ってきても、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむのではなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、いっそう喜び、この名のゆえに、かえって、神をあがめ、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしましょう。かろうじてであれ、何であれ、私たちは救われたのです。この救い主に自分のたましいをお任せすること、そこに真の平安があるのです。これこそ、火のような試練が来ても、それを乗り越える道なのです。

Ⅰペテロ4章7~11節 「万物の終わりに備えて」

 きょうは、「万物の終わりに備えて」というタイトルでお話ししたいと思います。7節には、「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え、身を慎みなさい。」とあります。

万物の終わりとはすべての物の終わりのこと、つまり、この世の終わりのことです。そんなことあるはずないじゃないかと言う方もおられるかもしれませんが、聖書は万物には始まりがあったことともに、その終わりもあることを教えています。たとえば、イエス様は弟子たちがエルサレムの神殿をさし示したとき、「まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石が崩されずに、積まれたままで残ることはありません。」(マタイ24:2)と言われました。それは、ローマ帝国によって神殿が破壊されるということとを預言して言われたことですが、それと同時にこの世の終わりに起こることを指して語られたことでした。そして、この世の終わりにはどんなことが起こるのかというその兆候を語りながら、「だから、目を覚ましていなさい。」(マタイ24:42)と言われたのです。

また、ペテロもⅡペテロ3章10節で、「主の日は、盗人のようにやって来ます。」と語り、その時どんなことが起こるのかを預言してこう言っています。
「その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(Ⅱペテロ3:10-13)

ですから、万物の終わりは必ずやって来るのです。問題は、その万物の終わりにどのように備えたらよいかということです。ペテロはここで、「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え、身を慎みなさい。」と言っています。万物の終わりが近づいている今、私たちがすべきことはどこかに逃げたり、避難することではなく、祈りのために、心を整え、身を慎むことです。祈りのために心を整え、身を慎むとはどういうことでしょうか。きょうは、このことについて三つのことをお話ししたいと思います。

 Ⅰ.互いに熱く愛し合う(8)

 それはまず互いに愛し合うことです。8節をご覧ください。
「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」

ここでペテロは、「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい」と言っています。「何よりもまず」とあるのは、何よりも優先して、ということです。万物の終わりが近づいているいま、クリスチャンが他の何よりも優先してしなければならないことは互いに愛し合うことです。ただ愛し合うというのではありません。ここには「熱心に」とあります。「熱心に」とは、「心を込めて」とか「深く」という意味です。なぜクリスチャンでは、何よりもまず、互いに深く愛し合わなければならないのでしょうか?なぜなら、愛は多くの罪をおおうからです。これはどういうことでしょうか。この言葉を一番よく表現しているのはヨハネの福音書8章に見られるイエス様の態度ではないかと思います。

ここには、皆さんもよくご存じの姦淫の現場で捕らえられたひとりの女性のことが記されてあります。律法学者やパリサイ人たちは、律法によれば、こういう御名は石打ちにすべきだとあるが、イエスよ、あなたはどうされるか?と問うと、イエスは、彼らが問い続けてやめなかったので、何やら地面に書いておられれましたが身を起こしてこう言われました。
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(ヨハネ8:7)
すると、年長者たちから始めて、ひとりひとりその場を去って行きました。さすがに彼らも良心の呵責を感じたからです。
そしてイエス様は、その卑しめられた女性に言われました。「あなたを罪に定める者はなかったのですか。」(ヨハネ8:10)
女が「いません。」と言うと、イエス様は言われました。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ8:11)
イエス様は、「わたしもあなたを罪に定めなさい」と言われました。律法学者やパリサイ人たちはこの女の罪を暴き出そうとしました。けれども、イエス様は彼女の罪を暴き出そうとしたのではなくおおいました。それは決して彼女の罪などどうでもいいとか、それを許容したということではありません。罪を悔い改めた彼女に対して、神の深いあわれみを示したのです。いったいこの女が悔い改めたかどうかを、どうやって知ることができるでしょうか?それは、この女性が律法学者やパリサイ人たちがその場を立ち去っても、ずっとそのままそこにいたことからわかります。自分を訴えた者たちがみんなその場を立ち去ったのであれば、彼女もそっと立ち去ることができたはずです。それなのに彼女はずっとそこにとどまっていました。なぜでしょうか?逃げたからと言って、彼女の本当の問題、黒い雲に覆われたような罪の問題の解決にはならないと思ったからです。それよりも、殺されても仕方ないような自分の人生に解決を与えることができる主に、自分の罪の問題を解決していただきたいと思ったのです。その点で律法学者やパリサイたちとこの女性との間には大きな違いがありました。律法学者とパリサイ人たちは、「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」と言われたとき良心の呵責を感じたかもしれませんが、その罪の解決のためにイエス様のもとに来ようとはしませんでした。一方、この女性は自分の罪を嫌と言うほど自覚していただけでなく、その問題の解決のためにイエス様のもとに来ました。もうさばかれても致し方ないような者をさばくのではなく赦してくださるイエス様の前に、自分の罪を悔い改めたのです。ですからイエス様は、「わたしもあなたを罪に定めなさい。」と言われたのです。イエス様は彼女の罪をいい加減に扱ったのではなく、彼女が自分の罪を悔い改めその解決を真剣に求めていたので、罪の赦しを宣言されたのです。

このことは、私たちがいかに罪を赦すという心が必要であるかを教えています。時に、罪に対しては厳しい態度で臨まなければならないこともあります。ほんの小さなパン種がパン全体をふくらませるように、ほんの小さな罪が神の教会全体に影響を及ぼすことがあるからです。けれども、罪を悔い改めた人に対しては罪を赦すこと、おおうことが必要なのです。なぜなら、罪を責める目的はその人が立ち直ることにあるからです。しばしば、「不正を暴かなければいけない」という正義感に燃えて、その罪を暴き出したがる人がいますが、愛は多くの罪をおおうのです。これが神の愛、イエス様の愛です。神は、罪深い私たちを赦すためにそのひとり子をこの世に送ってくださいました。そして、私たちの罪の身代わりとして十字架につけてくださったのです。私たちをさばいたのではなくおおってくださいました。これはすばらしい知らせではないでしょうか。これが福音です。ヨハネはこのように言いました。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:10)
  
神が罪人である私たちをあるがままに愛してくださったということ、そして、そのためにご自身の御子をこの世に送ってくださったという事実は、私たちにどれほど大きな喜びと力を与えてくれることでしょうか。だから、ヨハネはこう言うのです。
「神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのだから、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」(Ⅰヨハネ4:11)
 
万物の終わりが近づいている今、私たちに求められている第一のことは、何よりもまず、互いに熱心に愛し合うことです。愛は多くの罪をおおうからです。

Ⅱ.互いに親切にもてなし合う(9)

第二のことは、互いに親切にもてなし合うことです。9節をご覧ください。
「つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。」

もてなすこと、接待することが、万物の終わりに近づいているいま、祈りのために心を慎み、身を慎むことの具体的なこととして勧められていることに、意外な感じを持たれる方もおられるかと思います。しかし、当時は今のようにホテルや旅館といった宿泊施設が整っていたわけではなかったので、旅人をもてなすことがなければ、巡回して福音を宣べ伝える伝道の働きをすることは困難でした。また、教会もはじめの約二百年の間は建物らしきものを持っていなかったので、礼拝やその他の集会のためには自分の家を開放してくれる人が必要でした。ですから、聖書には旅人をもてなすこと、互いに親切にもてなし合うことを繰り返して語られているのです。パウロは、Ⅰテモテ3章2節で、「監督はこういう人でなければなりません。」と教会のリーダーたちが、このよくもてなす人でなければならないと語っています。それはクリスチャンにとってとても大切な愛のわざであったのです。

しかし、旅人をもてなすことはそんなに楽なことではありません。我が家には国内外を問わず実に多くの来客があります。また、教会の二階に住んでいるので、教会の集会で下がいっぱいの時は二階のダイニングキッチンで集会が持たれます。それは私たちにとってほんとうに感謝なことですが、かなりの負担が強いられるのも事実です。まずそのために家中を掃除しなければなりません。またお食事でもてなすために買い物をしたり、お料理を作ったりと、多くの労苦が伴うのです。すると、ついつい「ああ、もっと広い会堂があったら良かったのに」とか、「もうこんなにまでしてやる必要があるのだろうか」といったつぶやきが出てくるものです。ペテロは、そうした思いを知ってか知らずかわかりませんが、ここで、「つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。」と言っているのです。

私は、昨年の夏に中国の家の教会を訪問しました。上海空港に着くなり家の教会のリーダーが、「今晩、田舎の家の教会の集会があるので、これからまっすぐ行ってみましょう」と私たちを連れて行ってくれました。そこはK市の郊外にある農村地帯でした。行ってみると1階がガレージのような造りの家でしたが、そこに食卓を囲んで座れるようになっており、テーブルにはたくさんのお料理が作って置かれていました。「さあ、どうぞ食べてください」と、そこに私たち夫婦とその家のご主人夫婦、それに家の教会のリーダーたちが座り、その他の方々はみな外で自由に食べていました。その日の夕食は、その家の持ち主を中心として、いえの教会の人たちがみんなで準備されたとのことでした。お手洗いに行くといくつかのパイプを継ぎ合わせてあり、見るからに貧しい家であることがわかれましたが、私たちのために盛大なおもてなしをしてくれたのには、とても心が熱くなりました。
夕食の後で集会をするというので、ここでするのかなぁと思っていたら、歩いて2~3分離れたところでするというのでそちらへ移動すると、そこは古い農家の納屋のようなところでした。100人くらい入るスペースに椅子が並べてあり、私たちは一番前に案内されて座ると、集会は2時間くらい続きました。その間、その家の持ち主であるというおばあちゃんが、私たちのために何度も何度もお茶を注いでくれるのです。せっかくいれていただいたものを飲まないと申し訳ないと思い少しずつ飲んでいると、まだグラスには4分の3くらい残っているのに、またやって来て注いでくれるのです。ニコニコしながら・・。
 あとで同行したOさんに、どうしてこんなに親切にしてくれるのかと尋ねると、Oさんが言われました。「それは当たり前ですよ。中国人は兄弟姉妹には親切にするのです。兄弟姉妹は家族であり、仲間ですから。そういう人たちには親切にするのです。」まさにここで言われていることを文字通り実践しているかのようでした。

万物の終わりが近づいているいま、私たちに求められているのは、このおもてなしです。それは来客に対してのおもてなしということだけでなく、私たちの生き様そのものでもあります。教会に来られる方々を温かく迎えたり、親切にもてなしたりということも含むのです。互いに親切にもてなし合うこと、それは互いに熱心に愛し合うということの具体的な一つの表れでもあるのです。

Ⅲ.互いに仕え合う(10-11)

第三のことは、互いに仕え合うことです。10節と11節をご覧ください。
「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。」

互いに愛し合うこと、互いにもてなし合うことに続いて、ペテロは、互いに賜物を用いて仕え合いなさい、と勧めています。「賜物」とは、神の恵みによって与えられたものです。何らかの価値があってとか、何らかの報酬としてということでもなく、何の価値もなく、何かの報いとしてでもなく、ただで与えられたものです。ここには、「それぞれが賜物を受けているのですから」とあるように、それは、クリスチャンのすべての人に与えられているものです。クリスチャンであるなら例外なく皆、何らかの賜物を与えられているのです。賜物が与えられていないという人はいません。みんな与えられています。その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい、というのです。それは自分の賜物のすばらしさを自慢するためではなく、他の人の益のため、そして、キリストのからだである教会を建て上げるためです。ちょうど家を建てるのに、ハンマーやのこぎりや釘といった違った道具が必要なように、それぞれの違う賜物が用いられ、神の教会が建て上げられていくのです。

そのためには、さまざまな恵みのよい管理者として、その賜物をもって互いに仕え合うことが必要です。ここには、「語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。」とあります。これは二つの賜物が取り上げられているというよりも、教会の二つの重要な働き、すなわち宣教と実際的な奉仕について述べられていると言えるでしょう。「語る人があれば、神のことばとしてふさわしく語り」というのは、神のことばを語る人は、神のことばを語る人らしく神の権威をもって、しかも自分の意見や考えを述べるのではなく、神のみこころのみを伝えるという決意をもって語るべきであるということです。また、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさいというのは、自分の力によってではなく、神から与えられている力によってしなければならないということです。それは自分の力によってではなく、神から与えられたものとしての自覚をもって、惜しむことなく、また、へりくだって仕えることなのです。

具体的な賜物の種類については、Ⅰコリント12章、エペソ4章、ローマ12章に書かれてありますが、その内容は千差万別です。この三つの箇所を照らし合わせてみると、少なくとも18種類以上の賜物があることがわかります。それはまた別の機会に学びたいと思いますが、ここでは特にその最終的な目的は何かということをみたいと思うのです。11節の後半のところをご覧ください。ここには、「それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン」とあります。

これが最終的な目的です。神がそれぞれに賜物を与えてくださったのは、神のさまざまな恵みの管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合うためですが、それはどうしてなのかというと、そのことによって、イエス・キリストを通して神があがめられるためなのです。説教は説教者の力を見せるためではなく、人々を神の御前に連れて行くためになされるものです。奉仕はそれを与える人に感謝や尊敬をもたらすためではなく、人々の心を神に向けさせるためになされるべきなのです。

有名な音楽家、ヨハン・セバスチャン・バッハが、宗教改革者マルチン・ルターに書き送った手紙が残っています。その中でバッハは、「音楽の唯一の目的は、神の栄光が現され、人々の魂が新たにされることでなければならない」と書いています。少なくともバッハはそう思ったのです。彼は自分の音楽を作る目的は「神の栄光を現すことだ」と言ったのです。ですから、彼が書いた楽譜の最後の所に、いつも彼は「S・D・G」とサインしたのです。これはある言葉の頭文字です。それは「SOLI DEO GLORIA」、つまり「神にのみ栄光あれ」という意味です。彼は、新しい曲を作る毎に、この曲が神の栄光を現すものであるように、そしてこの曲を聞く人の魂が新たにされるように、という願いを込めて、曲を作っていったのです。

あなたはどうでしょうか?神のさまざまな恵みの管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合っているでしょうか。その賜物にふさわしく奉仕していますか。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。私には賜物が一つもありませんという人はいません。それぞれが賜物を受けているのですから、その賜物を用いて、互いに仕え合わなければなりません。私たちすべてのクリスチャンが自分自身のために生きることを止め、神のために生きるようになるなら、新しい神の恵みと栄光が教会をおおうことでしょう。すべてのことが神の栄光のために用いられるように、私の小さな奉仕を心から主に捧げたいと思います。そして、このように賛美しましょう。「栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。」これが万物の終わりが近づいているいま、私たちに求められていることなのです。

ヨシュア記12章

きょうはヨシュア記12章から学びたいと思います。

 Ⅰ.ヨルダン川の向こう側の占領(1-6)

 まず1節から6節までをご覧ください。
「イスラエル人は、ヨルダン川の向こう側、日の上る方で、アルノン川からヘルモン山まで、それと東アラバの全部を打ち、それを占領したが、その地の王たちは次のとおりである。エモリ人の王シホン。彼はヘシュボンに住み、アルノン川の縁にあるアロエル、川の中部とギルアデの半分、アモン人の国境のヤボク川までを支配していた。またアラバを、東のキネレテ湖までと、東のアラバの海、すなわち塩の海、ベテ・ハエシモテの道まで、南はピスガの傾斜地のふもとまで支配していた。また、レファイムの生き残りのひとりであったバシャンの王オグの領土。彼は、アシュタロテとエデレイに住み、ヘルモン山、サルカ、ゲシュル人とマアカ人の国境に至るバシャンの全土、およびギルアデの半分、ヘシュボンの王シホンの国境までを支配していた。主のしもべモーセとイスラエル人とは彼らを打った。主のしもべモーセは、ルベン人と、ガド人と、マナセの半部族に、これらを所有地として与えた。」

ここにはイスラエルの民がカナンを征服し、神の約束のごとく、その地がイスラエルのものとなるに至った征服の記録が要約されています。そしてこの1節から6節まではヨルダン川の向こう側、すなわち東側において、モーセの指導の下に占領された地でのことが記されています。そこではエモリ人の王シホンと、バシャンの王オグの二人の王を打ち破り、それをルベン人と、ガド人と、マナセの半部族に、相続地として与えました。

Ⅱ.ヨルダン川のこちら側の占領(7-24)

次に7節から24節までをご覧ください。
「ヨシュアとイスラエル人とがヨルダン川のこちら側、西のほうで、レバノンの谷にあるバアル・ガドから、セイルへ上って行くハラク山までの地で打った王たちは、次のとおりである。――ヨシュアはこの地をイスラエルの部族に、所有地、その割り当ての地として与えた。――
これらは、山地、低地、アラバ、傾斜地、荒野、およびネゲブにおり、ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人であった。
エリコの王ひとり。ベテルのそばのアイの王ひとり。エルサレムの王ひとり。ヘブロンの王ひとり。ヤルムテの王ひとり。ラキシュの王ひとり。エグロンの王ひとり。ゲゼルの王ひとり。デビルの王ひとり。ゲデルの王ひとり。ホルマの王ひとり。アラデの王ひとり。リブナの王ひとり。アドラムの王ひとり。マケダの王ひとり。ベテルの王ひとり。タプアハの王ひとり。ヘフェルの王ひとり。アフェクの王ひとり。シャロンの王タナクの王ひとり。メギドの王ひとり。ひとり。マドンの王ひとり。ハツォルの王ひとり。シムロン・メロンの王ひとり。アクシャフの王ひとり。ケデシュの王ひとり。カルメルのヨクネアムの王ひとり。ドルの高地にいるドルの王ひとり。ギルガルのゴイムの王ひとり。ティルツァの王ひとり。合計三十一人の王である。」

これは、ヨシュアとイスラエル人とがヨルダン川のこちら側、すなわち西側において打ち破った王たちの名前です。何と彼らは31人の王を打ち破り、その地を占領しました。こうやって見ると、彼らは、今のイスラエルの南方の国々、そして北方の国々を重点として、その中部のいくつかの国々をも占領し、これらを所有地としてイスラエルの部族に割り当て地として与えたことがわかります。これが主のしもべモーセとヨシュアが、主にあって成し遂げたことでした。このことは、私たちにどのような教訓を与えてくれるでしょうか。

ヨシュア記は13章を境にして前半と後半に分かれます。前半を総括する12章の終わりに記されていることは、ヨシュアたちがヨルダン川の西側の31人の王たちを打ち破ったということでした。これらの征服した王たちの記録は、ヨシュアたちの霊的な歩みの継続的な戦いの結果と言えます。一回一回の真剣な戦いの積み重ねの記録であり、決して一朝一夕にしてなされたものではありません。そのことを心に刻む必要があります。そして13章1節には、「ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。」とあります。主はヨシュアに、あなたは年を重ねて老人になったが、まだ占領すべき地がたくさんの残っていると言われました。ヨシュアは110歳(24:29)まで生きましたが、おそらくこの時100歳くらいになっていたと思われます。そのヨシュアに対して、「あなたには、まだ占領すべき地がたくさん残っている。」と言われた。神が備えられたカナンの地はまだまだ占領されていない地があり、それを自分の所有地とするようにヨシュアにチャレンジされたのです。これは「あなたは年を取ったが、その人生において私が与えようとしている祝福は無限にある」という意味です。ですから、その地の占領に向けて継続的に戦っていかなければなりません。

これをパウロのことばで言うなら、内なる人が日々新たにされるという継続的な積み重ねが求められるということでしょう。Ⅱコリント4章16節には、「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」とあります。内なる人が日々新たにされ続けるなら、その延長線上に円熟した輝き、熟年の輝きがもたらされるのです。それは、一回一回の真剣な霊的戦いの継続的な積み重ねの結果なのです。

それはまた、私たちにゆだねられている福音宣教の使命においても言えることです。主は、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)と言われました。まだ占領すべき地がたくさん残っているのです。イエス様のからだである教会を建て上げ、その教会を通してすべての造られた者に福音を宣べ伝えていくために、私たちはこのすばらしい働きを止めてはいけないのです。前進し続けなければなりません。私もあと何年できるかわかりませんが、110歳までにはまだまだあります。救い主イエス様のみこころに従い、生涯、主イエス様の弟子として、福音の宣教のために、神の国の到来のために「主よ、私を使ってください」と、仕え続ける生涯を全うしたいと願います。

Ⅲ.ヨルダン川を渡る

ではそのためにどうしたらいいのでしょうか。ここで、1節から6節までと、7節から24節までを比較してみたいと思います。これまで見てきたように、1節から6節までにはヨルダン川の東側においてモーセの指導のもとに二つの王国を征服したことが記されてありました。一方、7節から24節までには、ヨルダン川のこちら側、すなわち西側においてヨシュアの指導のもとに31の王国が打ち破られてきたことが記録されてありました。モーセの下ではアモン人の王シホンとバシャンの王オグの二人の王を打ち破られたのに対して、ヨシュアの下では31の王国が打ち破られたのです。いったいこの差は何なのでしょうか。これは指導者の優秀さの差ではありません。というのは、指導性という点ではモーセの方がヨシュアよりもずっと優れていたからです。申命記34章10節には、「モーセのような指導者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。」とあります。それは、モーセはイスラエルにおいて最高の指導者でした。彼は主と顔と顔とを合わせて選び出されました。彼は旧約聖書において最高の指導者だったのです。ですから、この結果は指導性の優劣によるものではないことは明らかです。では、この差はどこから出たのでしょうか。それは、ヨルダン川を渡ったか渡らなかったかの違いです。それは物理的な意味ではなく霊的な意味においてです。

ご存知のように、イスラエルの民はかつてエジプトで奴隷とされていました。しかし、神はモーセを選び出し、その中から贖い出してくださいました。彼らはエジプトの捕らわれの身から解放されて紅海を渡り、栄光の脱出を成し遂げたのです。これが出エジプトです。このイスラエルの民がエジプトから解放されたという出来事は、私たちが罪に捕らわれていた状態からイエス・キリストによって救い出されたことを表わしています。イエス・キリストの十字架と復活によって、罪と死の支配から解放されたのです。バプテスマはそのことを表しています。私たちはイエス・キリストを信じバプテスマを受けることで罪から救われ、永遠のいのちを受けることができました。

しかし、罪から救われた私たちはそこに留まっているだけでなく、神が与えてくださった約束の地に入るために前進していかなければなりません。乳と密の流れる地に入るためには、さらにもう一つの川を渡らなければならないのです。それがヨルダン川です。いったいこのヨルダン川を渡るというのはどういうことでしょうか。それは、聖霊を受けるということです。もちろん、イエス様を信じた人はみな聖霊を受けています。聖霊によらなければだれもイエスを主と告白することはできません。(Ⅰコリント12:3)また、コリント人への手紙第一12章13節には、「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの聖霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの聖霊を飲むものとされたからです。」とあります。だれでもイエスを主と告白するなら、聖霊を受けているのです。しかし、この聖霊のことがわからない人がいます。聖霊を受けているのに、受けていない人であるかのように歩んでいることがあるのです。

使徒19章1~3節をご覧ください。ここには、パウロが第三回伝道旅行でエペソにやって来たとき、幾人かの弟子たちに出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねたことが記されてあります。どうしてパウロはこんなことを質問したのでしょうか。明らかに彼らの言動がキリストを信じる信仰とは相いれないものを感じたからでしょう。どうもおかしかったのです。それでパウロはこのように質問したのです。
これに対する彼らの答えは「いいえ」でした。「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」彼らは、聖霊が与えられることについて曖昧な理解しか持っていませんでした。クリスチャンなら、自分の罪を悔い改め、イエス・キリストが身代わりとなって十字架にかかって死んでくださり、三日目によみがえられたことを信じるなら、罪の赦しと永遠のいのちが与えられる。つまり、神の聖霊が与えられたことを知っているはずなのに、彼らはそのことを知らなかったし、聞きもしなかったのです。つまり、彼らはイエス様を信じていましたが、その信仰は福音の正しい理解を欠いたものだったのです。
では、彼らはどんなバプテスマを受けたのでしょうか。3節を見ると、彼らは、「ヨハネのバプテスマです」と答えています。「ヨハネのバプテスマ」とは何でしょうか。マタイの福音書3章11節には、「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火のバプテスマをお授けになります。」とあります。つまり、ヨハネのバプテスマとは救い主イエス・キリストを受け入れるための備えとしての、悔い改めのバプテスマのことです。彼らはこのバプテスマは受けていましたが、イエス・キリストによって与えられる聖霊のバプテスマを受けてはいませんでした。聖霊のバプテスマについてはそのことさえわからなかったのです。彼らは、聖霊によってもたらされる救いの恵みと喜びを知らなかったのです。
そこで、パウロはこの聖霊のバプテスマについて話し、主イエスの御名によってバプテスマを授けると、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりしたのです。
ですから、ここでは、よくペンテコステ派の人たち強調しているような、救われた後に受ける第二の恵みとしての聖霊のバプテスマや、そのしるしとしての異言について教えているのではないのです。彼らは、主イエスを信じていても、聖霊について知らなかった。聖霊の喜びや力、平安を知らなかったのです。

このようなことは、私たちにもよくあるのではないでしょうか。イエス・キリストを救い主と信じるならだれでも天国に行けると聞き、信仰によってイエスを主と信じ、受け入れても、このように信じる人たちにもたらされる聖霊の恵みと力がどれほどすばらしいものであるのかを知らないで歩んでいるということがあるのです。イエス様を信じて罪というエジプトから脱出できても、乳と密の流れる豊かな地に入るためにヨルダン川を渡っていないということがあるのです。

イエス様はこのように言われました。
「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37~38)
この「生ける水の川」とは聖霊のことです。だれでもイエス様のもとに来て、飲むなら、すなわち、イエス様を信じるなら、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになるのです。この「心の奥底から」というのは、「腹の底から」という意味です。イエス様を信じるなら、表面的な喜び、表面的な平安ではない、腹の底からの、ほんとうの喜び、ほんとうの平安が与えられるのです。

彼らが、主イエスの御名によってバプテスマを受けると、聖霊が彼らに臨まれ、異言を語ったり、預言をしたりしました。この異言とか預言とは聖霊の賜物ですが、この二つの賜物は、ともに初代教会特有の聖霊の賜物でした。この二つの違いについてパウロは、コリントに書き送った手紙の中で次のように言いました。

「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。」(Iコリント14:2,3)

すなわち、これら12人の弟子たちは、この時から、これまでの堅い殻に閉じこもった禁欲的な生活を捨てて、神に向かって喜びをもって祈りと賛美をし、人に向かっては熱心にみことばの勧めとあかしをするクリスチャンへと変えられたということです。孤立的分派主義が、積極的な礼拝と交わり、伝道の生活へと変わったのです。陰気な禁欲主義は、喜びに満ちた賛美の生活へと変わりました。そうして、それこそが、パウロの福音の結果だったのです。人は聖霊によって新しく生まれ変わるとき、ここで彼らが経験したような、生活へと変えられるのです。

私が言うところのヨルダン川を渡るというのはこういうことです。あなたは聖霊を受けていますか。受けているなら、あなたの人生は、すばらしく豊かな人生となります。31の王国を占領するようになるのです。しかし、受けていながらも、その信仰生活に大きな変化がないとしたら、もしかすると、聖霊に従順であるかどうかをもう一度点検する必要があります。常に御言葉に聞き従い、聖霊に導かれ、満たされて歩むなら、それまでとは比較にならないほどの大きな恵みと祝福に満たされていくのです。

あなたはヨルダン川のどちら側にいますか。こちら側ですか、それとも向こう側でしょうか。ヨルダン川を渡ってください。そして、聖霊に満たされ、導かれて歩もうではありませんか。そうすれば、聖霊の豊かな実を結ぶようになります。また、すでにヨルダン川を渡った人は、そのことで高慢になることなく、むしろ謙遜に日々聖霊に満たされ、主が求めておられることは何かを御言葉に聞き従い、さらに豊かな実を結ぶ者とさせていただきたいと願います。