Ⅰ列王記12章

今日は、列王記第一12章から学びます。

 Ⅰ.長老たちの助言を退けたレハブアム(1-15)

まず、1~5節までをご覧ください。「1 レハブアムはシェケムに行った。全イスラエルが彼を王とするために、シェケムに来ていたからである。2 ネバテの子ヤロブアムは、まだソロモン王の顔を避けてエジプトに逃れていた間に、レハブアムのことを聞いた。そのとき、ヤロブアムはエジプトに住んでいた。3 人々は使者を遣わして、彼を呼び寄せた。ヤロブアムは、イスラエルの全会衆とともにレハブアムのところに来て言った。4 「あなたの父上は、私たちのくびきを重くしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えます。」5 するとレハブアムは彼らに、「行け。三日たったら私のところに戻って来るがよい」と言った。そこで民は出て行った。」

ソロモンが死ぬと、その子レハブアムが王となりました。レハブアムはシェケムへ行きました。それは、全イスラエルが彼を王とするためにシェケムに来ていたからです。シェケムはエフライム族の主要な町であり、北の10部族が集合するのに適した場所でした。彼は、北の10部族のプライドを傷つけないように、エルサレムではなく、シェケムを選んだのです。

ネバテの子ヤロブアムは、ソロモン王の顔を恐れてエジプトに逃れていましたが、そのエジプトにいた時に、レハブアムのことを聞きました。ヤロブアムについては11章に記されてあります。彼は、アヒヤという預言者によって、「神がソロモンから国を引き裂き、あなたにイスラエルの10部族を与える。」(11:31)と伝えられていました。しかし、ソロモンが彼を殺そうとしたので、彼はエジプトに逃れ、ソロモンが死ぬまでそこにいました。彼は反乱によって神の預言を成し遂げようとするのではなく、神の導きにゆだねようとしたのです。

しかし、イスラエルの人々がヤロブアムのところに使者を遣わし彼を呼び寄せたので、彼はイスラエルの全会衆とともにレハブアムのところに来て、あることを直訴しました。それは4節にあるように、民のくびきを軽くしてほしいということです。ソロモンの時代、王国の維持のために、民は過剰な負担を強いられていました。その過酷な労働と思いくびきを軽減してほしいと訴えたのです。

それに対してレハブアムは何と答えたでしょうか。「行け。三日経ったら私のところに戻って来るがよい。」と言いました。どういうことでしょうか。彼は即答を避けました。三日というのは、エルサレムから助言者たちを呼び寄せるために必要な日数です。もしこの時、レハブアムが彼らの要請に前向きに応えていたなら、当面の間は分裂を避けることができたでしょう。しかし、レハブアムにはそこまでの知恵がありませんでした。かつてソロモンは主から、「あなたに何を与えようか。願え。」(1列王3:5)と尋ねられたとき、ソロモンは「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。」(1列王3:9)と答えましたが、レハブアムはそうではありませんでした。彼に求められていたのは、この善悪を判断して民をさばく心、知恵の心でした。相手の立場を思いやることのできる人こそ人格者であり、知恵ある人です。それは主を恐れることからもたらされます。ですから、私たちはいつも主を恐れ、主に祈り、主のみこころを歩むことによって主から知恵を与えられ、真の人格者となることを目指しましょう。

次に、6~11節をご覧ください。「6 レハブアム王は、父ソロモンが生きている間ソロモンに仕えていた長老たちに、「この民にどう返答したらよいと思うか」と相談した。7 彼らは王に答えた。「今日、もしあなたがこの民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答えて親切なことばをかけてやるなら、彼らはいつまでも、あなたのしもべとなるでしょう。」8 しかし、王はこの長老たちが与えた助言を退け、自分とともに育ち、自分に仕えている若者たちにこう相談した。9 「この民に何と返答したらよいと思うか。私に『あなたの父上が私たちに負わせたくびきを軽くしてください』と言ってきたのだが。」10 彼とともに育った若者たちは答えた。「『あなたの父上は私たちのくびきを重くしました。けれども、あなたはそれを軽くしてください』と言ってきたこの民には、こう答えたらよいでしょう。彼らにこう言いなさい。『私の小指は父の腰よりも太い。11 私の父がおまえたちに重いくびきを負わせたのであれば、私はおまえたちのくびきをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのであれば、私はサソリでおまえたちを懲らしめる』と。」」

レハブアムはまず、父ソロモンが生きている間にソロモンに仕えていた長老たちに相談しました。この長老たちは、恐らく、父ソロモンと同年輩だったと思われます。彼らは王国における職制上の長老であり、経験豊かな政治家たちでした。彼らは、民の負担を軽減し、彼らに親切なことばをかけてやるなら、彼らはいつまでも、レハブアムのしもべとなるでしょうと、助言しました。

一方、レハブアムは、自分とともに育ち、自分に仕えている若者たちにも相談しました。当時レハブアムは41歳(14:21)でした。ですから、これらの若者たちも、それくらいの年齢であったと推定されます。すると彼らは、長老たちのそれとは正反対のことを助言しました。民のくびきをもっと重くし、父ソロモンは彼らをむちによって懲らしめたが、あなたはさそりで懲らしめるというようにと助言したのです(10-11)。「私の小指は父の腰よりも太い」というのは、誇張法です。つまり、つまり父ソロモンよりも、もっと偉大だということです。「サソリ」というのは、金属片を埋め込んだむちのことです。奴隷を打つためのものです。それはソロモンのむちより強力で残酷なものでした。彼は自分の偉大さを誇示しようとしたのです。

1ペテロ5:5にこうあります。「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へり くだる者に恵みを与えられるからです。」川の水が高い所から低い所に流れるように、神の恵みはへりくだった人に注がれます。それなのに彼らは「若さ」ゆえに「自分に出来る」という思いが強くありました。それゆえに彼らは失敗を招くことになります。

12~15節をご覧ください。「12 ヤロブアムとすべての民は、三日目にレハブアムのところに来た。王が「三日目に私のところに戻って来るがよい」と命じたからである。13 王は民に厳しく答え、長老たちが彼に与えた助言を退け、14 若者たちの助言どおりに彼らに答えた。「私の父がおまえたちのくびきを重くしたのなら、私はおまえたちのくびきをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのなら、私はサソリでおまえたちを懲らしめる。」15 王は民の願いを聞き入れなかった。かつて主がシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムにお告げになった約束を実現しようと、主がそう仕向けられたからである。」

三日目に、ヤロブアムとすべての民は、レハブアムのところに戻ってきました。するとレハブアム王は民に厳しく答え、長老たちの助言を退け、若者たちの助言どおりに伝えました。つまり、レハブアムは彼らの願いを聞き入れなかったのです。彼の問題は、知恵ある助言ではなく、自分が聞きたいことを求めたところにありました。若者たちの助言は彼の願いに合致するものだったので、その助言を受け入れてしまったのです。今、NHKの大河ドラマで「鎌倉殿の13人」を放映していますが、源頼朝の後を受け継いだ頼家の姿に似ています。実際はどうであったかはわかりませんが、あのドラマの中で頼家は、頼朝に仕えた13人の家臣たちではなく、自分と同じ年齢の若い者たちを側近に付け、やりたい放題をして失敗します。それに似ています。長老たちの助言ではなく、自分の言いなりになる若者たちの助言を求めたのです。

しかし、この愚かなレハブアムの決断について、別の視点でその理由が述べられています。それは、「かつて主がシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムにお告げになった約束を実現しようと、主がそう仕向けられたからである。」(15)ということです。王国が分裂するというのは、元々、ソロモンの罪に対する神の裁きだったのです(11:11-13)。それがソロモンの生存中に起こらなかったのは、ダビデ契約のゆえです。王国が分裂することは、すでに預言者アヒヤを通して語られていました。それが今起ころうとしていたのです。すなわち、主がそのように仕向けられたことなのです。

それは、主がこのようなレハブアムによる荒々しい態度を起こさせたという意味ではありません。レハブアムが荒々しい態度を取る選択をしたということです。しかし、初めからレハブアムがこのような態度を取ることを知っておられた主が、積極的にこの選択によって王国を分裂させることを意図しておられたのです。主は悪に対して主権を持っておられるという真理を知ることは大切です。悪をもご自分の計画の遂行のために用いられるのです。

しかし何よりも、ソロモンの罪がこのように尾を引いていることを思うと、罪のおぞましさというものをまざまざと見せつけられます。と同時に、私たちもこのような悲惨を招くことがないように、主に指摘される罪があれば悔い改め、いつも主に喜ばれる者であることを求めていきたいと思います。

Ⅱ.北の10部族の反乱(16-24)

次に、16~20節をご覧ください。「16 全イスラエルは、王が自分たちに耳を貸さないのを見てとった。そこで、民は王にことばを返した。「ダビデのうちには、われわれのためのどんな割り当て地があろうか。エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない。イスラエルよ、自分たちの天幕に帰れ。ダビデよ、今、あなたの家を見よ。」イスラエルは自分たちの天幕に帰って行った。17 ただし、ユダの町々に住んでいるイスラエルの子らにとっては、レハブアムがその王であった。18 レハブアム王は役務長官アドラムを遣わしたが、全イスラエルは彼を石で打ち殺した。レハブアム王はやっとの思いで戦車に乗り込み、エルサレムに逃げた。19 このようにして、イスラエルはダビデの家に背いた。今日もそうである。20 全イスラエルは、ヤロブアムが戻って来たことを聞いたので、人を遣わして彼を会衆のところに招き、彼を全イスラエルの王とした。ユダの部族以外には、ダビデの家に従う者はいなかった。」

レハブアムが自分たちの要求に耳を貸さないのを見て、民は王にことばを返しました。「ダビデのうちには、われわれのためのどんな割り当て地があろうか。エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない。イスラエルよ、自分たちの天幕に帰れ。ダビデよ、今、あなたの家を見よ。」

これは、単なる不満の言葉ではなく、戦の叫びです。これは、約40年前にダビデが王として全イスラエルに迎え入れられたとき、イスラエル10部族とユダの人々との間に確執が生じましたが、そのとき、よこしまな者でシェバが語った言葉と同じです(Ⅱサムエル20:1-2)。つまり、北イスラエルの10部族はダビデ王朝に対してずっと不満を抱えていたということです。不当に扱われたという怒りは、そう簡単に消えるものではありません。

この問題を治めるべく、レハブアムは役務長官アドラムを彼らのところへ遣わしましたが、全イスラエルは彼を石で打ち殺してしまいました。それで事の深刻さを理解したレハブアムは、いのちからがらシェケムからエルサレムに逃れました。このようにして、イスラエルはダビデの家に背いたのです。そして、人を遣わしてヤロブアムを招き、彼を全イスラエルの王としました。イスラエルの分裂王国の始まりです。ユダの部族以外はダビデの家に従う者はありませんでした。実際にはベニヤミン族もいましたが、小部族だったので数の内に入っていません。北の10部族によるイスラエルと、南のユダとベニヤミンの2部族に分裂したのです。預言者アヒヤを通して語られた通りです。

ダビデとソロモンが約40年かけて築き上げてきた王国が、数日で崩壊してしまいました。築くのは大変ですが、壊すのは簡単です。愚かな行為は一瞬にしてすべてを壊してしまいます。ここから教訓を学びたいですね。私たちの教会も大田原で開拓して18年が経ちましたが、その間、那須とさくらにも開拓することができました。それはただ主のあわれみによるものですが、そこにどれほどの労苦があったことでしょう。でも壊すのは簡単です。神のみこころに立たないで自分の思いを通すなら、すぐに壊れてしまいます。それは私たちにとって一番残念なことです。教会がみことばの上にしっかりと立てられ、ずっとこの地域で主を証するために、主に従う群れでありたいと思います。

21~24節をご覧ください。「21 レハブアムはエルサレムに帰り、ユダの全家とベニヤミンの部族から選り抜きの戦士十八万を召集し、王位をソロモンの子レハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルの家と戦おうとした。22 すると、神の人シェマヤに次のような神のことばがあった。23 「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、ユダとベニヤミンの全家、およびそのほかの民に告げよ。24 『主はこう言われる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならない。それぞれ自分の家に帰れ。わたしが、こうなるように仕向けたのだから。』」そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。」

外交交渉に失敗したレハブアムは、エルサレムに返ると、ユダとベニヤミンの部族から選り抜きの戦士18万人を召集し、北の10部族と戦おうとしました。

すると、神の人シェマヤに、神のことばがありました。それは、「上って行ってはならない」ということでした。彼らの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならないということです。シェマヤは南で活躍した預言者でした。一方、アヒヤは北で活躍した預言者です。いったいなぜ主はシェマヤにこのように告げられたのでしょうか。それは、主がそのように仕向けられたからです。それは偶然の出来事ではなく、主が導かれたことであるということです。それゆえ、彼らの兄弟たちと戦ってはならないのです。

それで彼らは主のことばに従い、主のことばとおりに帰って行きました。レハブアムはもっと早くこのような態度を取っていれば分裂の危機を乗り越えることができたであろうに、高慢にも「私の小指は父の腰よりも太い」なんて言って、自分の思いを通してしまった結果、北と南は分裂することになってしまいました。しかし、このことも主が仕向けられたことでした。これは主が起こされていることなのだから、自分がそれに対して争ってはいけないと、彼は戦いことを止めたのです。このように、あくまでも自分の思いで突き進み状況をさらに悪化させるのではなく、これも主が仕向けられたことだからと、主の御手にゆだねることも大切です。その時、主が憐れんでくださり、最善に導いてくださいますから。

私たちの人生には自分でも予期せぬ出来事が起こりますが、それさえも主が許されたことであって、その背後で主が導いておられると信じて、どうしてそのようなことが起こったのか自分ではわからなくても、すべてを主にゆだねて、主のみこころに歩むことが求められるのです。

Ⅲ.ヤロブアムの恐れ(25-33)

最後に、25~33節をご覧ください。「25 ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを築き直し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを築き直した。26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に帰るだろう。27 この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえを献げるために上ることになっているなら、この民の心は彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、彼らは私を殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」28 そこで王は相談して金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もうエルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々がおられる。」29 それから彼は一つをベテルに据え、もう一つをダンに置いた。30 このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンまで行った。31 それから彼は高き所の宮を造り、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。32 そのうえ、ヤロブアムはユダにある祭りに倣って、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でささげ物を献げた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえを献げた。また、彼が造った高き所の祭司たちをベテルに常駐させた。33 彼は、自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえを献げた。このように、彼はイスラエルの人々のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえを献げ、香をたいた。」

北王国の王となったヤロブアムは、エフライムの山地にシェケムを築き直しました。彼はシェケムを北王国の首都に定め、そこを補強し、拡張したのです。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを築き直しました。首都をシェケムからペヌエルに移したということです。シェケムはユダに近すぎると判断したのでしょう。ペヌエルはヨルダン川の東側の山地にあったので、そこなら大丈夫だろうと思い、ペヌエルを再建してそこに移ったのです。実は、ペヌエルに移る前にシェケムからティルツァに移動していたことがわかります(14:17)。ですからシェケム、ティルツァ、そしてペヌエルと移動したのです。そして最終的に、オムリ王の時代に首都をサマリヤに定めます。

そして彼は、イスラエルの民の心を自分に向けさせるために、とんでもないことをします。何と金の子牛を二つ作りました。これは明らかに偶像礼拝です。かつてアロンが金の子牛を作って民に拝ませたとき、イスラエルの民の上に神の怒りがどれほど注がれたのかを、彼は知らなかったのでしょうか(出32章)。また、彼はダンとベテルに神殿を設け、その金の子牛を据えました。それによって民が、エルサレムに上らなくても、宗教的儀式を行うことができるようにしたのです。

さらに彼は、祭司を新しく任命しました。31節をご覧ください。ここには、「それから彼は高き所の宮を造り、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。」とあります。彼が任命した祭司は、一般の民の中から選ばれました。民数記18:1~7には、幕屋で仕えることができる祭司は、アロンの子孫から選ばれることが定められていました。アロンが属していたレビ族はそれを手伝うことができましたが、他の者が携わることはできませんでした。それを一般の民の中から選んだというのは、明らかに律法違反です。それは、祭司は彼らが選んだからではなく、神が選び出されたからです。神の選びと召命がなければ、その人は祭司の務めを行なうことができないのに、彼らはそんなことはお構いなしでした。それは彼らの中に神を恐れる思いがなかったことを表しています。

さらに32節を見ると、祭りの日も変更しました。これは仮庵の祭りです。仮庵の祭りは第七の月の15日に行われますが、ここではそれをそれよりもひと月遅らせた第八の月の15日に、行うようにしたとあります。

いったい彼はなぜこんなことをしたのでしょうか。彼は神様から、北王国の確立を約束されていました(Ⅰ列王11:31,11:37~38)。もし彼がダビデのように主の命令を守るなら、彼の王国は主によって守られ、祝福されたはずです。しかし彼は主のことばに背を向け、不信仰に陥ってしまいました。民が自分から離れてしまうのではないかと恐れたからです。そのような時こそ神に信頼し、すべてを神にゆだねて祈ればいいものを、彼は自分の策略で身の安全を確保しようとしたのです。

このようなことが私たちにもあるのではないでしょうか。私たちの人生にも、仕事や人間関係、将来のことで不安を覚えることがあります。そして、そのようなときこそ神様に信頼すべきなのに、自分で何とかしようとするのです。しかし、そういう時だからこそすべてを主にゆだね、主に信頼して歩まなければなりません。たとえ不安があっても、主の御手に落ちることが最善なのです。人間の不安や恐れがもたらす影響力がどれほど大きいかを知り、愚かな自分の策略を捨て、神の御手にすべてをゆだね、神を信頼して歩みましょう。

Ⅰ列王記11章

 今日は、列王記第一11章から学びます。

 Ⅰ.ソロモンの背教(1-13)

まず、1節から13節までをご覧ください。1~8節を読みます。「1 ソロモン王は、ファラオの娘のほかに多くの異国人の女、すなわちモアブ人の女、アンモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヒッタイト人の女を愛した。2 この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入ってはならない。彼らをあなたがたの中に入れてもいけない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われた、その国々の者であった。しかし、ソロモンは彼女たちを愛して離れなかった。3 彼には、七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいた。その妻たちが彼の心を転じた。4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった。5 ソロモンは、シドン人の女神アシュタロテと、アンモン人の、あの忌むべき神ミルコムに従った。6 こうしてソロモンは、主の目に悪であることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。7 当時ソロモンは、モアブの忌むべきケモシュのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。アンモン人の、忌むべきモレクのためにも、そうした。8 彼は異国人であるすべての妻のためにも同じようにしたので、彼女たちは自分の神々に香をたき、いけにえを献げた。」

前回学んだ10章では、ソロモンの栄華がいかにすごいものであったかを学びました。シェバの女王が彼を表敬訪問したときには、彼の知恵と富に圧倒されて帰りました。彼女はそれらを見た時「息も止まらんばかりであった」(10:5)でした。また、ソロモンのところには多くの金が贈られてきたので、すべては金でできていました。銀は、ソロモンの時代には価値があるものとはみなされていなかったほどです(10:21)。さらに、貿易も盛んに行ないました。その一つに、エジプトからの馬と戦車の輸入がありました。10章の最後に、「エジプトから買い上げられ、輸入された戦車は銀六百、馬は銀百五十であった。」とあります。けれども、これは申命記17章に書かれている、主の命令に反することでした。このように、ソロモンの繁栄の陰には、彼の心の隙というか、主の命令に対する認識の甘さがあったことがわかります。そして、今回の11章において、その問題が表面化します。

1節に「ソロモン王は、ファラオの娘のほかに多くの異国人の女、すなわちモアブ人の女、アンモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヒッタイト人の女を愛した。」とあります。前回のところで、馬を増やすこと(軍事力の増強)が禁じられていることを見ましたが(申命記17:16)、多くの妻を持つことも禁じられていました(申命記17:17)。しかし、ソロモンはこの命令にも背きました。

ソロモンには、ファラオの娘のほかに多くの異国人の女、すなわちモアブの女、アンモン人の女、エドムの女、シドン人の女、ヒッタイトの女を愛しました。彼には何と七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいたのです。主はかつてソロモンに、こうした異邦人の中に入って行ってはならない。そうでないと、そうした女性たちによって彼の心が転じて彼らの神々に従うことになると警告されていたのに、ソロモンは彼女たちを愛して止めなかったのです。その結果、その妻たちが彼の心を転じてしまいました。Ⅱコリント6:14には、「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。」とありますが、私たちがその点で妥協すると、それは妥協で終わるだけでなく、主ご自身を否むようになってしまいます。

ソロモンの晩年は、父ダビデとは大きく異なっていました。その妻たちが彼の心をほかの神々へ向けたので、彼は、他の神々も拝むようになったのです。彼はヤハウェ信仰を捨てたわけではありません。そうではなく、主なる神様以外に、妻たちがもたらした偶像神も礼拝するようになったということのです。異国の妻を持つことで、心が二つに分かれてしまい、一方で主を礼拝したかと思えば、他方では外国の妻たちが拝んでいる神々を拝むという何ともチグハグな行動を獲るうになってしまったのです。

ソロモンが拝んだ偶像神は、シドンの女神アシュタロテと、アモン人の神ミルコムです。アシュタロテは、豊穣と性の女神です。その礼拝には淫乱な要素が含まれていました。主に、イスラエルの北にいるシドン人が拝む神です。そしてアンモン人の神です。死海の東では、ミルコムが拝まれていました。これは別名モレクで、子どもをいけにえとして火の中にささげなければいけない神です。レビ18:21は、名指しでミルコムを警戒するようにと命じられていたのに、これにも従いませんでした。さらにソロモンは、モアブ人の神ケモシュとアモン人の神モレク(ミルコムの別名)のために、エルサレムの東にある山の上(オリーブ山)に高き所(祭壇)を築きました。

いったいなぜ彼はこのようなことをしたのでしょうか。それは彼が主から離れ、自らの使命忘れてしまったことです。ソロモンの偉大さは、主から与えられた賜物だったのに、いつしかそのことを忘れ、自分で得たものであるかのように思ってしまったのです。彼は主の目に悪であることを行い、父ダビデのように主に従い通しませんでした。主から離れ、自らに与えられた使命を忘れたことで、彼は背教の王となってしまったのです。

次に、9~13節をご覧ください。「9主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から離れたからである。主が二度も彼に現れ、10 このことについて、ほかの神々に従っていってはならないと命じておられたのに、彼が主の命令を守らなかったのである。11 そのため、主はソロモンに言われた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約と掟を守らなかったので、わたしは王国をあなたから引き裂いて、あなたの家来に与える。12 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたが生きている間はそうしない。あなたの子の手から、それを引き裂く。13 ただし、王国のすべてを引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与える。」」

主はソロモンに怒りを発せられました。それは彼の心がイスラエルの神、主から離れたからです。これまでに主は二度も彼に現れて、ほかの神々に従っていってはならないと命じておられたのに、その命令を守らなかったのです。一度目は、Ⅰ列王記3:5にあります。主はギブオンで彼に現れたとき、彼が願ったことを与えると約束されました。しかし、そこには一つの条件がありました。それは、主の掟と命令を守って主の道に従うなら(3:14)ということでした。もう一回は、ソロモンが神殿を完成させたとき(Ⅰ列王9:2)です。そのときも主は、ほかの神々に従うことの危険性について語られました(9:6-7)。このように主は何度も彼に現れて、ほかの神々に従って拝んではならないと警告してきたのに、それを守りませんでした。

それゆえ、主はソロモンの王国を引き裂いて、彼の家来に与えると言われました。「あなたの家来」とは、ヤロブアムのことです。しかし、それはソロモンの存命中ではなく、ソロモンの死後に起こります。神は、ダビデにお与えになった約束のゆえに、その時まで忍耐されます。ただし、王国の全部を引き裂くのではありません。「一つの部分だけ」は、彼とその子に与えられます。それは、ユダ部族のことです。ベニヤミン族もユダ族に付き従いましたが、ベニヤミン部族は弱小部族だったので、ここでは一つの部族に数えられていません。ユダ族とベニヤミン族が一つとなって、南ユダ王国を形成することになります。

ソロモンの父ダビデも大きな罪を犯しましたが、ダビデの心はいつも主と一つになっていました。それに対してソロモンは、最初は主の御前にへりくだり、知恵と判断力を求めましたが、豊かになるにつれ心が高ぶり、その心が主から離れてしまいました。これがダビデとソロモンの大きな違いです。主は最後までへりくだってご自身を求めることを願っておられます。私たちがどのような状況でも、主から離れず、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主を愛する者となりましょう。最初はよかったけどだんだん悪くなったではなく、最初はパッとしなかったけど、最後はすばらしい信仰を貫いたと言われる生涯を送れるような者となるように、主に思いを集中しましょう。

Ⅱ.外敵の台頭(14-25)

次に、10~14節をご覧ください。「10 ソロモンが主の宮と王宮との二つの家を二十年かけて建て終えたとき、11 ツロの王ヒラムが、ソロモンの要請に応じて、杉の木材、もみの木材、および金を用立てたので、ソロモン王はガリラヤ地方の二十の町をヒラムに与えた。12 ヒラムはツロからやって来て、ソロモンが彼に与えた町々を見たが、彼はそれらが気に入らなかった。13 彼は、「兄弟よ。あなたが私に下さったこの町々は、いったい何ですか」と言った。そのため、これらの町々はカブルの地と呼ばれ、今日に至っている。14 ヒラムは王に金百二十タラントを贈っていた。」

ソロモンが主に背いたために、主は、ソロモンに敵対する者を起こされました。まず、エドム人のハダドです。エドムは死海の南東に位置する国です。彼はエドムの王の子孫でした。かつてダビデの将軍ヨアブは、エドムの男子を皆殺しにしたことがありましたが(Ⅱサムエル8:13-14)、その時の唯一の生き残りがこのハダドです。その時彼は少年でしたが、エジプトに亡命しました。すると、エジプトの王ファラオは、このハダドをことのほか気に入り、彼に家と、食料と、土地を与えました。さらに自分の妻タフぺネスの妹を、妻として与えました。当時ファラオは、ソロモンとは友好関係にありましたが、同時に、将来ソロモンに敵対するであろう人物を養っていたのです。

ハダドは、ダビデと将軍のヨアブが死んだことを聞くと、ファラオに「私を国へ帰らせてください」と願い出ました。その子ソロモンに復讐のために戦いを仕掛けるためです。ファラオはなぜハダドがそのように言っているのか理解できませんでしたが、「とにかく帰らせてください」というので、それを許しました。

もう一人、ソロモンに敵対する者として主は、エリヤダの子レゾンを起こされました。彼は、自分の主人ツォバの王ハダドエゼルのもとから逃亡していた者でした。ダビデがハダドエゼルの兵士たちを殺害した後(Ⅱサムエル8:3-9)、人々を自分のもとに集め、略奪隊の隊長としてダマスコに住み、ダマスコを支配していました。彼は、ソロモンが生きている間ハダドのように悪を行い、イスラエルに敵対し、ソロモンを苦しめました。

ソロモンは、生きている間は王座から追われることはありませんでしたが、このような形で神のさばきを受けました。神はソロモンの罪を罰するために、2人の敵を置かれたのです。南にはハダド、北にはレゾンです。私たちの人生も同じです。主に背くことで、このような警告的なさばきを受けることがあります。それは神からのシグナルです。それは私たちを滅ぼすためではなく、私たちが罪を悔い改めて神に立ち返るための神からの懲らしめなのです。ですから、自分の罪に気付いたら悔い改めなければなりません。そうでないと、最終的にもっと大きな神のさばきを受けることになってしまいます。

Ⅲ.ネバテの子ヤロブアム(26-43)

次に、26~43節をご覧ください。ソロモンが主に背いたことで、主は2人の外敵を起こされましたが、それは外側からだけではありませんでした。内側からの敵も起こされました。それがネバテの子ヤロブアムです。まず26~28節をお読みします。「26 ツェレダ出身のエフライム人、ネバテの子ヤロブアムはソロモンの家来であった。彼の母の名はツェルアといい、やもめであった。ところが彼も王に反逆した。27 彼が王に反逆するようになった事情はこうである。ソロモンはミロを建て、彼の父ダビデの町の破れ口をふさいでいた。28 ヤロブアムは手腕家であった。ソロモンはこの若者の働きぶりを見て、ヨセフの家のすべての役務を管理させた。」

ネバテの子ヤロブアムは、ソロモンの下で働いていた家来です。彼はエフライム族の出身です。エフライム族は、北イスラエル10部族の中でもっとも大きな影響がありました。全部族のまとめ役のような役目があったのです。彼の父親はすでに死んでおり、母親はやもめになっていました。そのヤロブアムがソロモン王に反逆したのです。その事情は27節以降にありますが、ソロモンの神殿やエルサレムの町の補強工事においてヤロブアムは手腕を発揮したので、ソロモンはヨセフの家、つまりエフライムとマナセのすべての役務を任せました。エフライム族は、南ユダ族による統治に対して不満を抱いていた北の10部族のリーダーです。ソロモンから与えられたこの重責は、結果的に王に反逆する機会をヤロブアムに与えることになってしまったのです。

ソロモンは知恵のある王でした。しかし彼はその知恵によって自らの身に困難を招いてしまいました。神から与えられた賜物や知恵も、神を恐れることを忘れた人にとっては、無用の長物どころか、むしろ危険なものになってしまいます。晩年のソロモンは、私たちにとっての反面教師です。

29~40節をご覧ください。「29 そのころ、ヤロブアムがエルサレムから出て来ると、シロ人で預言者であるアヒヤが道で彼に会った。アヒヤは新しい外套を着ていた。彼ら二人だけが野にいた。30 アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、31 ヤロブアムに言った。「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主はこう言われる。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。32 ただし、ソロモンには一つの部族だけ残る。それは、わたしのしもべダビデと、わたしがイスラエルの全部族の中から選んだ都、エルサレムに免じてのことである。33 というのは、人々がわたしを捨て、シドン人の女神アシュタロテや、モアブの神ケモシュや、アンモン人の神ミルコムを拝み、父ダビデのようには、わたしの目にかなうことを行わず、わたしの掟と定めを守らず、わたしの道に歩まなかったからである。34 しかし、わたしはソロモンの手から王国のすべてを取り上げることはしない。わたしが選び、わたしの命令と掟を守った、わたしのしもべダビデに免じて、ソロモンが生きている間は、彼を君主としておく。35 わたしは彼の子の手から王位を取り上げ、十部族をあなたに与える。36 彼の子には一つの部族を与える。それは、わたしの名を置くために選んだ都エルサレムで、わたしのしもべダビデが、わたしの前にいつも一つのともしびを保つためである。37 わたしがあなたを召したなら、あなたは自分の望むとおりに王となり、イスラエルを治める王とならなければならない。38 もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行ったように、わたしの掟と命令を守って、わたしの目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにいて、わたしがダビデのために建てたように、確かな家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与える。39 このために、わたしはダビデの子孫を苦しめる。しかし、それを永久に続けはしない。』」40 ソロモンはヤロブアムを殺そうとしたが、ヤロブアムは立ち去ってエジプトに逃れ、エジプトの王シシャクのもとに行き、ソロモンが死ぬまでエジプトにいた。」

そのころ、ヤロブアムがエルサレムから出て来ると、シロ人で預言者のアヒヤと出会いました。「シロ人」とは、エフライム人という意味です。シロはエフライムの山地にある町で、かつて幕屋が置かれていた聖なる地でした。預言者アヒヤは、ヤロブアムと道で出会いますが、これは神の摂理的なみわざでした。アヒヤは着ていた新しい外套を12に切り裂いて預言を語りました。これは絵画的な方法で伝える預言です。イスラエルの預言者たちは、たびたびこうした方法で預言を伝えました(エレミヤ13:1-11,エゼキエル3:1-3)。アヒヤはこう言いました。「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主はこう言われる。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。」「十部族」とは、北の十部族のことです。ヤロブアムにどれだけの衝撃が走ったことでしょう。

しかし、ソロモンには一つの部族だけが残されます。それは、かつて主がダビデと契約を交わされたからです。この「一つの部族」とは、ユダ族のことです。ベニヤミン族もこの中に含まれていますが、ベニヤミン族は小さな部族だったので、ユダ族と合わせて一つの部族とみなされていました。

ところで、このようにソロモンには一つの部族だけが残されるのはどうしてなのかというと、それはソロモンが神の命令に背いて罪を犯したからです。彼はダビデのように、主の目にかなうことを行わず、主のおきてと定めを守らず、主の道に歩みませんでした。その結果、このようなさばきが下ったのです。

このように罪は、単に霊的な分野だけでなく、現実の世界にまで悪影響を及ぼします。彼らの祝福は、神に従うかどうか、罪から離れるかどうかにかかっていたのです。これは、私たちにも言えることです。私たちは、罪の及ぼす結果がどういうものなのかを見て、いつも主のみことばに従って歩みたいと思います。

また、ここにはヤロブアムに対する約束も語られます。38節です。「もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行ったように、わたしの掟と命令を守って、わたしの目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにいて、わたしがダビデのために建てたように、確かな家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与える。」

これはダビデに与えられた約束に似ています。また、ソロモンに与えられた約束に似ています。これはダビデであろうがソロモンであろうが、あるいは、その他どんな人であろうが、共通している約束です。すなわち、主が命じることを守り行い、主の目にかなうことをするなら、主はその人とともにいて、確かな家を与えてくださるのです。

しかし、結果的に彼はこの約束を守りませんでした。ソロモンのように偶像礼拝に走り、神の祝福を失うことになるのです。これが人間の姿です。このヤロブアムの失敗から、教訓を学びたいと思います。ソロモンはヤロブアムを殺そうとしましたが、彼もエジプトに逃れ、ソロモンが死ぬまでエジプトに留まっていました。

この章の最後の部分には、ソロモンの業績が記されてあります。ソロモンがエルサレムで全イスラエルの王であった期間は、40年でした。ソロモンが死ぬと、その子レハブアムが変わって王となりました。

ソロモンは、神から多くの賜物と祝福を受けていました。ところが、人生の後半に入ると、賜物を与えてくださった方ではなく、賜物そのものや自らの可能性に目を留めるようになりました。そして、主の道から反れてしまいました。偶像礼拝の罪に対する神のさばきは、彼の死後、その王国に下ります。けれども彼は、神のあわれみのゆえに救われていました。確かに彼は神の目にかなうことはしませんでしたが、伝道者の書を彼の作と考えるなら、彼は間違いなく救われていたことになります。彼は、人生の快楽や苦難を通過した後、次のような結論に達しました。「13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。14 神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。」(伝道者12:13-14)

これが、彼の結論です。結局のところ、もうすべてが聞かされていることですが、神を恐れるということ、そして、神の命令を守ること、それが人間にとってすべてなのです。私たちも、多くの祝福を与えてくださる方から離れることなく、いつも主だけを見て、主の目にかなうことを行い、与えられた地上での生涯を全うしたいと思います。

Ⅰ列王記10章

 今日は、列王記第一10章から学びます。

 Ⅰ.シェバの女王(1-13)

まず、1節から5節までをご覧ください。「1 ときに、シェバの女王は、主の御名によるソロモンの名声を聞き、難問をもって彼を試そうとしてやって来た。2 彼女は非常に大勢の従者を率い、バルサム油と非常に多くの金および宝石をらくだに載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあることをすべて彼に問いかけた。3 ソロモンは、彼女のすべての問いに答えた。王が分からなくて、彼女に答えられなかったことは何一つなかった。4 シェバの女王は、ソロモンのすべての知恵と、彼が建てた宮殿と、5 その食卓の料理、列席の家来たち、給仕たちの態度とその服装、献酌官たち、そして彼が主の宮で献げた全焼のささげ物を見て、息も止まるばかりであった。」

「シェバ」とは、アラビア半島にあるイエメン辺りのことです。イエメンは豊富な香料を産出する国でした。先日の礼拝説教はエレミヤ書6章からでしたが、20節に「いったい何のために、シェバから乳香が、また、遠い国から香りの良い菖蒲がわたしのところに来るのか。」とありました。それは、このシェバが豊富な香料を産出する国であったからです。そのシェバの女王がソロモンの名声を聞き、彼のもとにやって来たわけです。何のためでしょうか。彼を試すためです。彼がどれほどの知恵を持っているのかを試すために、難問をもって彼のもとにやって来ました。

シェバの女王は、大勢の従者を率いて、また、バルサム油や多くの金、および宝石を携えてエルサレムにやって来ました。彼女はソロモンに会うと、ありとあらゆる質問をソロモンに投げかけました。するとソロモンは、そのすべての問いに答えました。彼が分からなくて答えられなかった問いは何一つありませんでした。

シェバの女王は非常に驚きました。それはソロモンの知恵と、彼が立てた宮殿、その食卓の料理、列席の家来たち、給仕たち、給仕たちの態度、その服装、献酌官たち、そして彼が主の宮で献げた全焼のいけにえが、彼女が想像していたものよりもはるかに優れていたからです。神の知恵は、こうした一人一人の態度や振る舞い等、見える形で表れるのです。それは神様によって与えられたものだったのです。神の知恵によって生かされている人は何と幸いでしょうか。主を恐れることが知恵の初めです。私たちも主を恐れ、主に従い、主から知恵をいただいて、与えられた人生を歩みましょう。

次に、6~10節をご覧ください。「6 彼女は王に言った。「私が国であなたの事績とあなたの知恵について聞き及んでいたことは、本当でした。7 私は自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、なんと、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさより、はるかにまさっています。8 なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、このあなたの家来たちは。9 あなたの神、主がほめたたえられますように。主はあなたを喜び、イスラエルの王座にあなたを就かせられました。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義を行わせるのです。」10 彼女は百二十タラントの金と、非常に多くのバルサム油と宝石を王に贈った。シェバの女王がソロモン王に贈ったほど多くのバルサム油は、二度と入って来なかった。」

シェバの女王はソロモンに言いました。それはこういうことです。彼女が実際にソロモンに会うまでは懐疑的でしたが、実際に来てみて、それが本当であったことがわかったということ。いや、その半分も知らされていませんでした。ソロモンの知恵と繁栄は、自分が聞いていたうわさなどよりも、はるかにまさっていました。彼女はソロモンのそばで仕え、いつもその知恵を聞くことのできる人たちをうらやましく思い、「なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、あなたの家来たちは。」(8)と感嘆の声をあげました。

そして、このように言って主をほめたたえました。9節です。「あなたの神、主がほめたたえられますように。主はあなたを喜び、イスラエルの王座にあなたを就かせられました。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義を行わせるのです。」これはシェバの女王のことばです。なんと彼女はイスラエルの神、主をほめたたえました。異邦人の女王が、イスラエルの神、主をほめたたえたのです。5:7には、異邦人のツロの王ヒラムもイスラエルの神をほめたたえました。それはイスラエルの神、主によって与えらされたものであると認めたのです。また、それは主の御計画によるものであることを認めました。さらに、それは主がイスラエルをとこしえに愛しておられる証拠であると語っています、また、主がソロモンをイスラエルの王としてお立てになったのは、公正と正義を行わせるためであるという目的にも触れています。すごい洞察力ですね。それほどソロモンの知恵が際立っていたということでしょう。それで彼女はソロモンに百二十タラントの金と、非常に多くのバルサム油と宝石を贈りました。これほど多くのバルサム油は、二度と入ってきませんでした。相当の量のバルサム油を贈ったのです。ソロモンが神によって立てられた王であると認めたということです。

11~13節をご覧ください。「11 また、オフィルから金を積んで来たヒラムの船団は、非常に多くの白檀の木材と宝石を、オフィルから運んで来た。12 王はこの白檀の木材で、主の宮と王宮のための柱を作り、歌い手たちのための竪琴と琴を作った。今日まで、このような白檀の木材が入って来たことはなく、見られたこともなかった。13 ソロモン王は、シェバの女王が求めたものは何でもその望みのままに与えた。さらに、ソロモン王の豊かさにふさわしいものも彼女に与えた。彼女は家来たちを連れて、自分の国へ帰って行った。」

「ヒラムの船団」とは、ソロモンとツロの王ヒラムが協力して運営していた船団のことです。「オフィル」とはアラビアのことを指しています。つまり、ヒラムの船団が、オフィルから非常に多くの金と白檀の木材と宝石を運んで来たということです。これらがソロモンの資金源でもありました。ソロモンはこのヒラムの船団が運んで来た白檀の木材で主の宮と王宮の柱を作り、歌い手たちのための竪琴や琴を作りました。白檀は表面が黒く、中は赤褐色の非常に堅い木材なので、建築の柱やこうした楽器などを作るのに適していました。それが今日まで見たことがないほどの量が運ばれて来たのです。ソロモンはシェバの女王に、彼女が求めるものは何でもその望みのままに与えました。それでシェバの女王はすべての面で満足して、自分の国へ帰って行きました。

このシェバの女王について、新約聖書にも言及されています。マタイ12:42でイエス様はこのように言っておられます。「南の女王が、さばきのときにこの時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし見なさい。ここにソロモンにまさるものがあります。」(マタイ12:42)

シェバの女王は、ソロモンの知恵を聞くために、約2,000キロの距離を旅したのです。しかし、ここにソロモンよりももって優れた方がおられます。私たちの主イエス・キリストです。であれば、2,000キロはおろか、それ以上の関心を示すのは当然のことではないでしょう。しかし、イスラエルの耳は閉ざされていました。あなたはどうでしょうか。イエス様の知恵を聞くために、あらゆる犠牲を払っているでしょうか。イエス様はあなたのすべての犠牲を払ってもあなたの必要を満たすだけの価値があるお方なのです。この方に聞き従いましょう。

Ⅱ.ソロモンの富(14-22)

次に、10~14節をご覧ください。「10 ソロモンが主の宮と王宮との二つの家を二十年かけて建て終えたとき、11 ツロの王ヒラムが、ソロモンの要請に応じて、杉の木材、もみの木材、および金を用立てたので、ソロモン王はガリラヤ地方の二十の町をヒラムに与えた。12 ヒラムはツロからやって来て、ソロモンが彼に与えた町々を見たが、彼はそれらが気に入らなかった。13 彼は、「兄弟よ。あなたが私に下さったこの町々は、いったい何ですか」と言った。そのため、これらの町々はカブルの地と呼ばれ、今日に至っている。14 ヒラムは王に金百二十タラントを贈っていた。」

一年間にソロモンのところに入って来た金の重さは、金の目方で六百六十六タラントでした。1タラントは33キログラムです。仮に1グラムが4,500円だとすると、とてつもない数字になります。1キログラムで450万円となります。であれば1タラントはその33倍ですから、1億4850万円となります。その666倍ですから、現代の価値で989億100万円となります。約1,000億円です。 それだけの量の金が、毎年ソロモンのところにはいって来たのです。

ところで、この666という数字ですが、ご存知のように聖書では「7」が完全数で、「6」はその手前であって不完全を意味しています。黙示録13章に世界を牛耳り、自分を神として拝ませようとする反キリストが出てきますが、その獣の数字が666です。それは「人間を表す数字である」(黙示録13:18)とあるので、これはソロモンに代表される世界の富と栄華を神としている人間の姿を表しているのではないかと考えられます。ソロモンのところにはこうした金のほかに隊商から得たもの、貿易商人の商いから得たもの、アラビアのすべての王たち、およびその地の総督たちからのものがあったので、相当の富と財宝がありました。こうした富を、主を愛するために用いるなら神の栄光を現わすことになりますが、もし金銭そのものを愛するならば、反キリストと少しも変わらなくなってしまいます。

ここでソロモンはそれらの金を何のために用いたかというと、大盾や盾に使いました。大盾1つに六百シェケルです。1シェケルは11.4グラムですから、6,840グラムとなります。ですから、約3千万円の金を使用したという計算になります。それが200個ですから、大盾だけで6億円です。盾は1つにつき3ミナ(1ミナは570グラム)ですから、1個につき約770万円です。それを300個作りましたから、約23億円となります。ソロモンはそれらをレバノンの森の宮殿に置きました。全くの無駄遣いです。意味がありません。

さらに彼は大きな象牙の王座を作り、これにも純金をかぶせました。それは王の威光を示すためでした。王座の背もたれの上部は丸くなっており、ひじ掛けの脇には二頭の雄獅子が立っていました。さらに王座に上る6段の階段の両側には、合計12頭の雄獅子が立っていました。これほど豪華な王座は、それまで誰も見たことがありませんでした。

また、ソロモンが飲み物に用いる器はすべて金です。銀のものはありませんでした。ソロモンの時代には銀は価値あるものとはみなされていなかったからです。すべて純金製です。ソロモンはヒラムの船団のほかにタルシシュの船団も持っていて、こうした船団が金、銀、象牙、猿、孔雀などを運んで来たのです。

このことからも、ソロモンの神への信頼は失われていったことがわかります。なぜなら、モーセの律法には、富の蓄積を禁じているからです。申命記17:17には「また王は、自分のために多くの妻を持って、心がそれることがあってはならない。自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。」とあります。王は多くの妻を持って、心がそれることがあってはならなかったし、自分のために銀や金を過剰に持ってはならなかったのですが、ソロモンはこの両方をいとも簡単に破っていました。ここに、私たちへの警告があります。過剰な金や銀を持つことで、私たちの心が神から離れてしまうことになります。そうした富を持つことで神に信頼することを忘れてしまうからです。イエス様は、「あなたがたは神と富とに仕えることはできません。」(マタイ6:24)と言われました。私たちは神にも仕え、富にも仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじることになるからです。ソロモンと同じ失敗を犯さないために、私たちも自らの心を見張らなければなりません。

Ⅲ.ソロモンの栄華(23-29)

最後に、23~29節をご覧ください。「23 ソロモン王は、富と知恵において、地上のどの王よりもまさっていた。24 全世界は、神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとして、彼に謁見を求めた。25 彼らはそれぞれ贈り物として、銀の器、金の器、衣服、武器、バルサム油、馬、ろばなどを、毎年携えて来た。26 ソロモンは戦車と騎兵を集め、戦車千四百台と騎兵一万二千人を所有した。彼はこれらを戦車の町々、およびエルサレムの王のもとに配置した。27 王はエルサレムで銀を石のように用い、杉の木をシェフェラのいちじく桑の木のように大量に用いた。28 ソロモンが所有していた馬は、エジプトとクエから輸入されたもので、王の商人たちが、代価を払ってクエから手に入れたものであった。29 戦車はエジプトから銀六百、馬は銀百五十で買い上げられて、輸入された。同様に、ヒッタイト人のすべての王やアラムの王たちにも、王の商人たちの仲買で輸出された。」

ソロモン王は、富と知恵において、地上のどの王よりもまさっていました。それは、ソロモンに対する 神の約束が成就したということです。その結果、非常に多くの支配者たちがソロモンに謁見を求めました。彼らはそれぞれ贈り物として、銀の器、金の器、衣服、武器、バルサム油、馬、ろばなどを、携えて来たので、ソロモンはとても富める者になりました。

ソロモンは戦車と騎兵を集め、エルサレムの彼のもとに配置しました。当時、戦車は最強の武器でした。ソロモンは軍事力を高めるために、戦車千四百台と騎兵1万2千人を所有したのです。また、銀を石のように、杉の木をいちじく桑のように大量に用いました。銀も杉の木も大変高価なものでしたが、ソロモンはそれを大量に用いることができました。

しかし、彼はさらに馬をエジプトとクエから輸入しています。戦車は銀六百、馬は銀で百五十です。それは大変高価な買い物でした。いったい何のために彼はこれらのものを輸入したのでしょうか。ヒッタイト人のすべての王たちや、王の証人たちの仲買で輸出するためです。すなわち、仲買人として利益を得るためです。

しかし、戦車や馬を大量に保持することは、モーセの律法に反していました。申命記17:16には、「ただし王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。馬を増やすために民をエジプトに戻らせてはならない。」とあります。その理由は、目に見えるものに信頼を置き、神に信頼しなくなってしまうからです。誤った信頼感は、私たちを危険に方向へと向かわせることになります。いったい私たちの助けはどこからくるのでしょうか。私たちの助けは主から来ます(詩篇121:2)。そのことを覚え、ただ主にだけ信頼しましょう。

このように、ソロモンの富と栄華の背後で、主への愛と献身が徐々に失われていたのを見ることができます。主を愛しているけれども、多くの富を持ち、その富によって知らないうちに心が主から離れていったのです。ヘブル2:1に「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。」とあります。自分は大丈夫と思っているうちに、舟は沖へ押し流され、気づいたときは取り返しもつかない状況になっていることがあります。私たちも押し流されないように、主から聞いたことをしっかり心に留めておきたいと思います。

Ⅰ列王記9章

 今日は、列王記第一9章から学びます。

 Ⅰ.ソロモンに対する主の約束(1-9)

まず、1節から9節までをご覧ください。「1 ソロモンが、主の宮と王宮、および、ソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成させたとき、2 主は、かつてギブオンで現れたときのように、ソロモンに再び現れた。3 主は彼に言われた。「あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目と心は、いつもそこにある。4 もしあなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正直さをもってわたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことすべてをそのまま実行し、わたしの掟と定めを守るなら、5 わたしが、あなたの父ダビデに『あなたには、イスラエルの王座から人が断たれることはない』と約束したとおり、あなたの王国の王座をイスラエルの上にとこしえに立たせよう。6 もし、あなたがたとあなたがたの子孫が、わたしに背を向けて離れ、あなたがたの前に置いたわたしの命令とわたしの掟を守らずに、行ってほかの神々に仕え、それを拝むなら、7 わたしは彼らに与えた地の面からイスラエルを断ち切り、わたしがわたしの名のために聖別した宮をわたしの前から投げ捨てる。イスラエルは、すべての民の間で物笑いの種となり、嘲りの的となる。8 この宮は廃墟となり、そのそばを通り過ぎる者はみな驚き恐れてささやき、『何のために、主はこの地とこの宮に、このような仕打ちをされたのだろう』と言う。9 人々は、『彼らは、エジプトの地から自分たちの先祖を導き出した彼らの神、主を捨ててほかの神々に頼り、それを拝み、それに仕えた。そのため主はこのすべてのわざわいを彼らに下されたのだ』と言う。」」

ソロモンが主の宮と王宮を完成させたとき、主は、かつてギブオンで現れたように(Ⅰ列王3:4~5)、ソロモンに再び現れて言われました。それは、ソロモンが主の前で願った祈りと願いを主は聞かれたということです。主はソロモンが主の名をとこしえに置くために建てた神殿を聖別し、そこにご自身の目と心をいつも置いてくださると言われたのです。これは、神の守りがいつもそこにあるということです。私たちの心が神に向かっているなら、神の目はいつも私たちに注がれているのです。

次に主は、祝福と警告のことばを語ります。まず祝福のことばです。それは、4~5節にあるように、ソロモンが、父ダビデが歩んだように全き心と正直さをもって主の前を歩み、主が命じたことを守り行うなら、彼の王国の王座はイスラエルの上にとこしえに立つということです。

しかし、彼とその子孫が、主に背を向け、主が命じた命令と戒めを守らずに、行ってほかの神々を拝むなら、主が彼らに与えた地の面から断ち切り、主の御名を置くために建てた宮を投げ捨てるということでした。その宮は廃墟となり、そのそばを通る者はみなそれを見て驚き、「いったい主は何のためにこの地とこの宮に、このような仕打ちをされるのだろうか」と言うようになります。私たちは毎週日曜日の礼拝でエレミヤ書から主のメッセージを聞いていますが、この時から約370年後にこのことばが実現することになります。Ⅱサムエル7:11~13にあるダビデ契約は、最終的にはメシヤであるイエスによって成就します。その神の約束を妨害するのは、神の心が変わったからではなく、イスラエルが神に背いたからです。神は常に変わることなく、私たちを見守っておられます。

Ⅱ.ツロの王ヒラムへの贈り物(10-14)

次に、10~14節をご覧ください。「10 ソロモンが主の宮と王宮との二つの家を二十年かけて建て終えたとき、11 ツロの王ヒラムが、ソロモンの要請に応じて、杉の木材、もみの木材、および金を用立てたので、ソロモン王はガリラヤ地方の二十の町をヒラムに与えた。12 ヒラムはツロからやって来て、ソロモンが彼に与えた町々を見たが、彼はそれらが気に入らなかった。13 彼は、「兄弟よ。あなたが私に下さったこの町々は、いったい何ですか」と言った。そのため、これらの町々はカブルの地と呼ばれ、今日に至っている。14 ヒラムは王に金百二十タラントを贈っていた。」

ソロモンが主の宮と王宮との二つの家を二十年かけて建て終えたとき、ソロモンはツロの王ヒラムに、ガリラヤ地方の二十の町を与えました。それはヒラムがこの神殿と王宮の建設のために、ソロモンの要請に応じて、杉の木材、もみの木材、および金を用立てたからです。

ところが、ヒラムはこれらの町々を気に入りませんでした。これらの町々は「カブルの地」と呼ばれ、ないのと同じ、ほとんど価値がない地だったからです。ヒラムはソロモンに120タラントの金を贈っていました。これは膨大な量の金です。ソロモンが与えた町々は、その行為には全く不釣り合いのものだったのです。やがてイエスがこれらの町々に現われ、福音を語られるというのは、興味深いことです。

とはいえ、モーセの律法に照らし合わせるなら、ソロモンがこれらの約束の地を異邦人のヒラムに与えるというのは主のみこころではないことは明らかなことでした。結果的にヒラムがそれを拒否したためそれは実現しませんでしたが、ソロモンは早くも主の掟と定めを破ろうとしていたことがわかります。どんなにすばらしい事業を完成しても、主のことばから離れてしまうなら何の意味もありません。ソロモンの問題は、自分では主に従っていると思っていながらも、このように少しずつすれていることに気付かなかったことです。それは私たちにも言えます。私たちもイエス様に従っていると思っていても、実際のところそうでないことがあります。注意深く主のことばを学び、それに従うことの大切さを教えられます。

Ⅲ.ソロモンの業績(15-28)

最後に、15~28節をご覧ください。ここには、ソロモンの業績がまとめられています。まず15~19節です。「15 ソロモン王は役務者を徴用して次のような事業をした。彼は主の宮と自分の宮殿、ミロとエルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを築き直した。16 かつてエジプトの王ファラオは、上って来てゲゼルを攻め取り、これを火で焼き、この町に住んでいたカナン人を殺して、ソロモンの妻である自分の娘に結婚の贈り物としてこの町を与えた。17 ソロモンはこのゲゼルを築き直したのである。また、下ベテ・ホロン、18 バアラテ、この地の荒野にあるタデモル、19 ソロモンの所有するすべての倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々、またソロモンがエルサレム、レバノン、および彼の全領地に建てたいと切に願っていたものを建てた。」

まず、ソロモンの建築事業です。彼は役務長官を徴用して、主の宮と自分の宮殿、ミロとエルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを築き直しました。ミロとは、シオンの山の端に建てられた塔のことではないかと考えられています。また、エルサレムの城壁は、ダビデが急きょ建設してから50年が経過していたので、修復が必要な状態になっていました。

ソロモンはそれらを修復しただけでなく、ハツォルとメギドとゲゼルを築き直しました。この3つの町は、イスラエルを防衛するうえで極めて重要な要塞の町でした。ハツォルはガリラヤ湖の北方の要で、北からの侵略を塞ぎました。メギドはイズレエル平原の西端に位置し、海沿いの道行を支配しました。ゲゼルは、イスラエルの南西に位置し、南からの敵の侵入を防ぎました。このゲゼルは、エジプトの王ファラオが支配していましたが、ファラオの娘がソロモンと結婚したことで、この町をソロモンに贈り物として与えていました。ソロモンはこのゲゼルを築き直したのです。

その他にもソロモンは多くの町々を建設しました。下ベテ・ホロン、バアラテ、タデモル、ソロモンが所有するすべての倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々等です。彼は建てたいと思っていたすべてのものを建設しました。まさにソロモンが栄光に輝いていた時代です。

しかし、ソロモンが本当に主から命じられたことをことごとく行なったのかと言うと、そうではありません。20~24節をご覧ください。「20 イスラエル人ではない、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民すべて、21 すなわち、この地に残されていた人々、イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用した。今日に至るまで、そうである。22 しかし、ソロモンはイスラエル人を奴隷にはしなかった。彼らは戦士であり、彼の家来であり、隊長であり、補佐官であり、戦車隊や騎兵隊の長だったからである。23 ソロモンには工事の監督をする長が五百五十人いて、工事に携わる民を指揮していた。24 ファラオの娘が、ダビデの町から、ソロモンが彼女のために建てた家に上って来たとき、ソロモンはミロを建てた。」

ソロモンは、イスラエル人ではない、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民すべて、すなわち、この地に残されていた人々、イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用しました。これは、モーセを通して与えられた主の命令から外れています。主の命令は、カナン人などの先住民を聖絶しなければいけないということでしたが、ソロモンはそれらの人々を苦役に課しただけでした。

そればかりではありません。何といっても、彼はエジプトの王ファラオの娘を妻としました。彼女は異邦人ですから、そのような人を妻とすることは主によってかたく禁じられていたのに、彼はそれをも破っていました。破っていたというよりも、深く考えなかったのでしょう。この時点では、異教の妻の悪影響はまだ表面化していませんでしたが、やがてそれが顕著になって現われることになります。11章に入るとソロモンの政略結婚が失敗であったことが明らかになります。ソロモンの栄光の陰には、こうした崩壊の足音が忍び寄っていたのです。

このことは私たちにも言えることです。私たちも自らの信仰を過信し、主の命令に背くことがあると、それが大きなほころびとなってしまいます。小さな失敗、小さな判断のミスが、重大な結果をもたらすことになるのです。ですから、主のみこころから外れたと思ったら、すぐに悔い改めて軌道修正しなければなりません。

最後に、25~28節をご覧ください。「25 ソロモンは、主のために築いた祭壇の上に、一年に三度、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、それらとともに主の前で香をたいた。彼は神殿を完成させた。26 また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエイラトに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けた。27 ヒラムはこの船団に、自分のしもべで海に詳しい水夫たちを、ソロモンのしもべたちと一緒に送り込んだ。28 彼らはオフィルへ行き、そこから四百二十タラントの金を取って、ソロモン王のもとに運んだ。」

ソロモンは、主のために築いた祭壇の上に、一年に三度、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、それらとともに主の前で香をたきました。年に三度、というのは、おそらく過越の祭り、五旬節、そして仮庵の祭りのイスラエル三大祭りのことでしょう。その時に祭壇でいけにえを、香壇で香をたいたのです。勿論彼自身ささげたのではなく、祭司の手にゆだねてのことです。そういう点でソロモンは、純粋な信仰を持ち、主を愛し、主に従おうとしいたことがわかります。

また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエイラトに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けました。「エツヨン・ゲベル」は、アカバ湾の北に設けられた港町です。この港町は、イスラエルが海上に出て行くための唯一の門戸でした。ソロモンはここに船団を設けたのです。この船団はツロの王ヒラムの協力によって成り立っていました。彼らはオフィルへ行き、そこから420タラントの金を取って、ソロモンのもとに運びました。これらの金が、ソロモンの事業の資金となったのです。しかし、こうした金が必ずしも祝福をもたらすものではありません。ソロモンのこうした思いは民への重税策にもつながり、それもまた大きな汚点となっていきます。どのような人生が成功をもたらすのかを、ソロモンの成功と失敗を振り返りながら、学びたいと思います。そして、主を恐れることこそ知恵の初めであり祝福の要であることを覚え、主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさみながら歩みましょう。

Ⅰ列王記8章

今日は、列王記第一8章から学びます。前回と前々回は、ソロモンの神殿と宮殿の建設について学びました。今日の箇所は神殿が完成してそれを神に献げる奉献式に関する記事です。

 Ⅰ.主の契約の箱を運び入れる(1-11)

まず、1節から11節までをご覧ください。「1 それからソロモンは、イスラエルの長老たち、および、イスラエルの部族のかしらたちと一族の長たちをすべて、エルサレムのソロモン王のもとに召集した。ダビデの町シオンから主の契約の箱を運び上げるためであった。2 イスラエルのすべての人々は、エタニムの月、すなわち第七の新月の祭りにソロモン王のもとに集まった。3 イスラエルの長老全員が到着すると、祭司たちは箱を担ぎ、4 主の箱と、会見の天幕と、天幕にあったすべての聖なる用具を運び上げた。これらの物を祭司たちとレビ人たちが運び上げた。5 ソロモン王と、王のところに集まったイスラエルの全会衆は、ともに箱の前に行き、羊や牛をいけにえとして献げた。その数はあまりにも多く、数えることも調べることもできなかった。6 祭司たちは、主の契約の箱を、定められた場所、すなわち神殿の内殿である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れた。7 ケルビムは、箱の一定の場所の上に翼を広げるのである。こうしてケルビムは箱とその担ぎ棒を上からおおった。8 その担ぎ棒は長かったので、棒の先が内殿の前の聖所からは見えていたが、外からは見えなかった。それは今日までそこにある。9 箱の中には、二枚の石の板のほかには何も入っていなかった。これは、イスラエルの子らがエジプトの地から出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれた際に、モーセがホレブでそこに納めたものである。10 祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。11 祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。」

神殿完成のためのメイン・イベントは、契約の箱を移動させることでした。ソロモンは、イスラエルの長老たち、部族のかしらたち、一族の長たちをすべて、エルサレムの自分のもとに召集しました。ダビデの町シオンに置かれていた契約の箱を、すぐ北に位置する神殿の丘まで運ぶためです。それはエタニムの月、すなわち第七の新月の祭りに行われました。この祭りは仮庵の祭りです。神殿は、前年の第八の月(ブルの月)に完成していました(6:38)。ですから、それから約11か月が経過していたことになります。なぜ奉献式をこんなに遅らせたのでしょうか。たぶん、この仮庵の祭りに合わせて行おうとしたからではないかと思います。そうすれば、より多くの民が集うことができるからです。

イスラエルの長老たち全員が到着すると、祭司たちは契約の箱を担ぎ、会見の天幕と、天幕にあったすべての聖具を運び上げました。5節をご覧ください。ソロモン王と、王のところに集まった全会衆は、ともに箱の前に行き、羊や牛をいけにえとして献げましたが、その数はあまりにも多く、数えることも調べることもできませんでした。覚えていますか。ダビデが、オベデ・エドムの家から契約の箱を運び出した時のことを。牛がよろめいたのでウザが神の箱に手を伸ばしそれをつかんだ時、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼はその場で打たれてしまいました。それでダビデは、箱をかつぐ者たちが六歩進む度に、肥えた牛をいけにえとしてささげました(Ⅱサムエル6:1-15)。ここでソロモンも同じようなことをしています。しかし、ダビデのときよりもはるかにいけにえの数が多かったようです。それはあまりにも多くて、数えることも調べることもできませんでした。

そのようにして祭司たちが主の契約の箱を運ぶと、定められた場所、すなわち神殿の内部である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れました。契約の箱には長いかつぎ棒がついていましたが、ケルビムは箱とその担ぎ棒を植えからおおいました。箱の中には、モーセの律法を記した2枚の石の板のほかには何も入っていませんでした。以前は他に二つの物が入っていました。マナのつぼと、アロンの杖です(出エジプト16:33)。マナは、イスラエルが荒野の旅をしているとき、主が毎朝イスラエルのために与えられた食物ですが、このことを記念するために、つぼに取っておきなさいと主が命じたものです。またアロンの杖は、レビ人コラがアロンとモーセに逆らい滅ぼされた後、イスラエルの民がアロンとモーセに与えられた権威を認めていなかったので、主が12部族のかしらを集めて、だれが主に選ばれた祭司であるのかを示すために入れたものに行われたものです。契約の箱の前に置かれた12本の杖の中で、アロンの杖だけにアーモンドの実が結ばれ、花が咲きました。この二つがなかったのは、契約の箱がペリシテ人の地にあったとき、それを取り除いたからではないかと考えられます。あるいは、それはイスラエルが約束の地に行くまでに必要な、一時的な神の証しだったのかもしれません。いずれにしても、契約の箱において大事なのは、この2枚の石の板です。つまり、神のことばです。

祭司たちが聖所から出て来たとき、すなわち主の契約の箱を至聖所に収めた時、雲が主の宮に満ちました(10)。これは主の栄光と臨在を現しています。これは、神がソロモンの建てた神殿を受け入れ、そこに臨在することをよしとされたということです。モーセが幕屋を完成された時も同じでした(出エジプト40:34-35)。それは神殿が完成したからということよりも、ソロモンをはじめイスラエルの民が主を心から慕い求め、主のことばに歩もうとする信仰を、主が喜ばれたということです。それが信仰から出たことであれば、主はそれを喜ばれ、ご自身の栄光と臨在を現してくださるのです。

Ⅱ.ソロモンの祈り(12-53)

12~13節をご覧ください。「12 そのとき、ソロモンは言った。「主は、黒雲の中に住む、と言われました。13 私は、あなたの御住まいである家を、確かに建てました。御座がとこしえに据えられる場所を。」」

「主は黒雲の中に住む」とはどういうことでしょうか。新改訳第三版は「暗やみの中に住む」と訳しています。これは、主は濃い雲の中にご自身の臨在を現わされるということです。そして同時にこれは、主が暗やみの中に住んでいる人間のところに来て住まわれるということを示しています。ヨハネ1章14節には「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられる。」とあります。主は、罪と不法の中に生きている人々の中に、暗やみの中に住んでいる私たちのところに住まわれ、ご自身の栄光を現わされる方なのです。ですからソロモンは、主が臨在してくださることを目的に、主が住まわれる家を建てたのです。

14~21節をご覧ください。「14 それから王は振り向いて、イスラエルの全会衆を祝福した。イスラエルの全会衆は起立していた。15 彼は言った。「イスラエルの神、主がほめたたえられますように。主は御口をもって私の父ダビデに語り、御手をもってこれを成し遂げて、こう言われた。16 『わたしの民イスラエルをエジプトから導き出した日からこのかた、わたしは、わたしの名を置く家を建てるために、イスラエルの全部族のうちのどの町も選ばなかった。わたしはダビデを選び、わたしの民イスラエルの上に立てた。』17 それで私の父ダビデの心にはいつも、イスラエルの神、主の御名のために家を建てたいという思いがあった。18 ところが【主】は、私の父ダビデにこう言われた。『あなたの心にはいつも、わたしの名のために家を建てたいという思いがあった。その思いがあなたの心にあったことは、良いことである。19 しかし、あなたはその家を建ててはならない。あなたの腰から生まれ出るあなたの子が、わたしの名のために家を建てるのだ。』20 主はお告げになった約束を果たされたので、私は主の約束どおりに父ダビデに代わって立ち、イスラエルの王座に就いた。そしてイスラエルの神、主の御名のためにこの家を建て、21 主の契約が納められている箱のために、そこに場所を設けた。その契約は、主が私たちの先祖をエジプトの地から導き出されたときに、彼らと結ばれたものである。」」

これまで神殿に向かって、栄光の主を拝していたソロモンは、神殿の庭にいるイスラエルの民の方を振り向いて彼らを祝福します。ここで彼が語っていることは、神殿建設の経緯についてです。それは主が語られたとおりになされたことであるということです。ここには「主は、・・・と言われた」ということばが繰り返して出てきます。それは主がダビデに命じられたことでした。それゆえ、ダビデはいつも、主の御名のために家を建てたいという思いがありましたが、それは彼のすることではなく、彼の腰から生まれる彼の子がすることであると言われました。それでソロモンは父ダビデに代わりその約束通りに主のために家を建て、主の契約の箱を置くためにその場所を設けたのです。それは、主が彼らの先祖をエジプトから導き出されたときに、彼らと結ばれたものです。つまり、この神殿建設は、シナイ契約の延長線上に実現したことなのです。

この神殿建設をもって、主が約束された土地を獲得するという戦いは実質的に終了しました。そして、ダビデに約束された契約も成就しました。また、そのことによって主の臨在の約束が確認されたのです。つまり、この神殿建設は、神のイスラエルに対して約束してくださったことが実現したことを示しているのです。神の約束は永遠に変わることがありません。このみことばの約束に立って歩む人は何と幸いなことでしょう。主はその人の人生に、ご自身の御業を現わしてくださるのです。

22~53節は、ソロモンの奉献の祈りが記されています。まず22~24節をご覧ください。「22 ソロモンはイスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、天に向かって両手を伸べ広げて、23 こう言った。「イスラエルの神、主よ。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です。24 あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに約束したことを、ダビデのために守ってくださいました。あなたは御口をもって語り、また、今日のように御手をもってこれを成し遂げられました。」

ソロモンはイスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、天に向かって両手を伸べ広げて祈りました。私たちは、祈るとき、目を閉じて、こうべを垂れて、手を組んで祈りますが、聖書の中では、両手を差し伸べて、立って祈るのを見かけます。両手を上に差し伸べるのは、天におられる神に対して、自分が服従し、主が言われることを心を開いて受け入れることを意味しています。

ソロモンはまず、神への賛美と信頼を告白しています。ここには「契約と恵みを守られる方です。」とあります。具体的には、父ダビデに約束してくださったことを、大いなる御手をもって成し遂げてくださったことへの感謝と賛美です。

そして、彼の願いが続きます。25~30節です。「25 そこで今、イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたことを、ダビデのために守ってください。『あなたがわたしの前に歩んだように、あなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に就く者がわたしの前から断たれることはない』と言われたことを。26 今、イスラエルの神よ。どうかあなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたおことばが堅く立てられますように。27 それにしても、神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。28 あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、今日、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。29 そして、この宮、すなわち『わたしの名をそこに置く』とあなたが言われたこの場所に、夜も昼も御目を開き、あなたのしもべがこの場所に向かってささげる祈りを聞いてください。30 あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この場所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたの御住まいの場所、天においてこれを聞いてください。聞いて、お赦しください。」

ここでソロモンはどんなことを願っているでしょうか。ここでソロモンが願っていのは、神の民の祈りを聞いてほしいということです。27節は有名なみことばの一つです。天地を創造された方が、人間が建てた宮などに住むことなどできません。しかし、主はそこに「わたしの名をそこに置く」と約束されました。つまり、主の宮の中にご自身の臨在を現わしてくださると約束されました。それゆえ、神のしもべがこの宮に向かって祈りをささげるとき、それを聞いてほしいというのです。

31~32節をご覧ください。「31 ある人が隣人に罪を犯して、のろいの誓いを立てるよう求められ、この宮の中にある、あなたの祭壇の前に来て誓うなら、32 あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたちにさばきを行って、悪い者にはその生き方への報いとしてその頭上に悪を下し、正しい者にはその正しさにしたがって義をもって報いてください。」

ここにはソロモンの第2の願いが記されてあります。それは「ある人が隣人に罪を犯して、のろいの誓いを立てるよう求められ、この宮の中にある、あなたの祭壇の前に来て誓うなら、あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたちにさばきを行って、悪い者にはその生き方への報いとしてその頭上に悪を下し、正しい者にはその正しさにしたがって義をもって報いてください。」ということです。どういうことでしょうか。これは隣人との争いごとに関することです。だれかが他者に罪を犯して問題になり、お互いに譲らないときは、神殿の祭壇の前で自らが有罪か無罪かを証言しなければなりませんでした。それが「のろいの誓いを立てる」ということです。しかし私たち人間には、究極的には公正な判断を下すことはできません。けれども、主はすべてを知っておられます。そこで、主が公正なさばきを下してくださいと祈っているのです。

第3の願いは33~34節にあります。「33 あなたの民イスラエルが、あなたの前に罪ある者となって敵に打ち負かされたとき、彼らがあなたに立ち返り、御名をほめたたえ、この宮であなたに祈り願うなら、34 あなたご自身が天でこれを聞き、あなたの民イスラエルの罪を赦し、あなたが彼らの先祖にお与えになった地に、彼らを帰らせてください。」

これは、敗戦の原因となった罪が赦されるようにとい祈りです。ソロモンは、罪を犯すことと敵に打ち負かされることを、直接的に関連付けています。事実、イスラエルの民は主の前で悪を行なっているときに、周囲の住民や国々に打ち負かされました。たとえば、アイの戦いで敗北したのは、アカンが神の命令に背いて聖絶の一部を取っておいたからでした(ヨシュア7:1-11)。また、ペリシテ人との戦いに敗れたのも、祭司エリの二人の息子ホフニとピネハスが、主の前に罪を犯したからです(Ⅰサムエル:1-11)。そのようなとき、イスラエルの民がすべきことは、神に立ち返り、悔い改めて祈りをささげることです。ソロモンは、この主の宮、神殿でそのような悔い改めの祈りをするとき、その祈りが聞かれるようにと願っているのです。

第4の願いは、35~36節にあります。「35 彼らがあなたの前に罪ある者となって、天が閉ざされ雨が降らなくなったとき、彼らがこの場所に向かって祈り、御名をほめたたえ、あなたが苦しませたことによって彼らがその罪から立ち返るなら、36 あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたち、あなたの民イスラエルの罪を赦してください。彼らの歩むべき良い道を彼らに教え、あなたの民に相続地としてお与えになったあなたの地に雨を降らせてください。」

これは干ばつの原因となった罪が赦されるようにという祈りです。もし天が閉ざされて雨が降らなくなったとき、その原因はどこにあるのかというと、それは罪です。そのために主が天を閉ざしておられるのです。今週の礼拝でエレミヤ書5章後半からお話しましたが、まさにこのことです。エレミヤ5章25節にこうあります。「あなたがたの咎がこれを追いやり、あなたがたの罪がこの良いものを拒んだのだ。」ですから雨が降らなくなったときは、単に雨が降らないので降らせてくださいと祈るのではなく、まず自分たちが主の前に自分の罪を認め、その罪から立ち返って、雨を降らせてくださいと祈らなければなりません。ここでも大事なのは、状況が良くなることではなく、状況をとおして主との関係を保つことにあります。

第5番目の願いは何でしょうか。災害の原因となった罪が赦されるようにという祈りです。37~40節です。「37 この地に飢饉が起こり、疫病や立ち枯れや黒穂病、いなごやその若虫が発生したときでも、敵がこの地の町々を攻め囲んだときでも、どのようなわざわい、どのような病気であっても、38 だれでもあなたの民イスラエルが、それぞれ自分の心の痛みを知って、この宮に向かって両手を伸べ広げて祈るなら、どのような祈り、どのような願いであっても、39 あなたご自身が、御座が据えられた場所である天で聞いて、赦し、また、かなえてください。一人ひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心をご存じです。あなただけが、すべての人の子の心をご存じだからです。40 そうして、あなたが私たちの先祖にお与えになった大地の上で彼らが生き続ける間、いつもあなたを恐れるようにしてください。」

ここでは想定される災害が列挙されています。たとえば、飢饉とか、疫病、立ち枯れや黒穂病、いなごやその若虫の発生、敵からの攻撃、さまざまなわざわい、病気などです。それらの背後には、やはり罪の問題があります。このような場合には、悔い改めの祈りが必要です。それがどのようなわざわい、どのような病気であっても、神の民イスラエルが、それぞれ自分の心の痛みを知って、この宮に向かって両手を伸べ広げて祈るなら、その祈りを聞いてほしいというのです。それは彼らがいつも主を恐れるためです。主は、私たちが主を恐れるために、こうしたわざわいをもたらすことがあります。わざわいは、神が私たちを見捨てたしるしではなく、神を恐れるための手段の一つであることを覚え、へりくだって主の御前に歩みたいと思います。

第6番目の祈りは、神を恐れる異邦人が祝福されるようにという祈りです。41~43節をご覧ください。「41 同様に、あなたの民イスラエルの者でない異国人についても、その人があなたの御名のゆえに、遠方の地から来て、42 彼らが、あなたの大いなる御名と力強い御手と伸ばされた御腕について聞き、やって来てこの宮に向かって祈るなら、43 あなたご自身が、あなたの御座が据えられた場所である天でこれを聞き、その異国人があなたに向かって願うことをすべて、かなえてください。そうすれば、地上のあらゆる民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じようにあなたを恐れるようになり、私が建てたこの宮で御名が呼び求められなければならないことを知るでしょう。」

ソロモンは、神を恐れる異邦人のためにも祈っています。これは驚くべき内容です。というのは、神殿奉献は、イスラエルにとって国家的行事です。その最中に、異邦人のことも忘れずに、彼らの上に祝福が注がれるようにと祈っているからです。旧約聖書を注意深く見ると、神の祝福と契約にあずかっているのはイスラエル人だけでなく、異邦人もそうであることがわかります。主がアブラハムに約束されたのは、彼の子孫が大いなる国民になることだけでなく、彼によってすべての民族が祝福を受けることでした(創世記12:3)。ですから、ソロモンは異邦人の祈りも聞いてください、とお願いしているのです。

7番目の祈りは、戦に勝利するようにという祈りです。44~45節です。「44 あなたの民が敵との戦いのために出て行くとき、遣わされる道で、あなたがお選びになった都、私が御名のために建てた宮に向かって主に祈るなら、45 天で彼らの祈りと願いを聞いて、彼らの言い分を聞き入れてやってください。」

イスラエルの民が敵との戦いにおいて勝利することができるのは、彼らが主の宮に向かって祈る民だからです。しかし、それは何でもかんでもということではなく、「遣わされる道で」とあるように、主のみこころにかなった戦いに限定されています。約束の地カナンでの戦いは、まさにその良い例です。それは主が遣わされた戦いでした。

8番目の祈りは、46~50節です。「46 罪に陥らない人は一人もいません。ですから、彼らがあなたの前に罪ある者となったために、あなたが怒って彼らを敵に渡し、彼らが、遠くであれ近くであれ敵国に捕虜として捕らわれて行き、47 捕らわれて行った地で我に返り、その捕囚の地であなたに立ち返ってあわれみを乞い、『私たちは罪ある者です。不義をなし、悪を行いました』と言い、48 捕らわれて行った敵国で、心のすべて、たましいのすべてをもって、あなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖にお与えになった彼らの地、あなたがお選びになったこの都、私が御名のために建てたこの宮に向かって、あなたに祈るなら、49 あなたの御座が据えられた場所である天で、彼らの祈りと願いを聞き、彼らの訴えをかなえて、50 あなたの前に罪ある者となったあなたの民を赦し、あなたに背いた、彼らのすべての背きを赦し、彼らを捕らえて行った者たちの前で彼らをあわれみ、その者たちがあなたの民をあわれむようにしてください。」

これは、捕らわれの地から帰還できるようにという祈りです。ソロモンは、イスラエルが捕虜として敵国に捕らわれて行った時のことを想定しています。彼はこのような状況を想像することができました。なぜなら、レビ記や申命記で、モーセがすでにこのような最も屈辱的で、悲惨なイスラエルの境遇を預言していたからです。

ソロモンはここで、「罪に陥らない人は一人もいません」と言っています。彼は人間の罪の性質についてよく知っていました。義人はいない、一人もいない。罪に陥らない人など一人もいません。パウロは、「すべての人が罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない。」(ローマ3:23)と言っていますが、その言葉がソロモンの口からも発せられています。私たちは、自分が何でこんなに罪深い者なのだろうか、なんでこんなに自分で憎むようなことを行なってしまったのか、と悔いるときがありますが、主は初めからそのことをご存知で、それでこのような汚れた者に近づいてくださり、あわれみと回復のみわざを行なってくださるのです。

さて、捕虜として敵国に連れて行かれた時、私たちはどうするべきでしょうか。そのときには真心から悔い改め、エルサレムの神殿の方を向いて祈る必要があります。それが約束の地に帰還する唯一の方法です。そうするなら、神はその祈りを聞き、民を約束の地に帰還させてくださいます。このソロモンの祈りをそのまま実行していた人がいます。ダニエルです。イスラエルの民は、事実、バビロンによって捕囚の民となりました。その中の一人がダニエルですが、彼は一日に三度、窓を開けて、エルサレムのほうを向いて、祈っていました(ダニエル6:10)。彼は、「私たちが罪を犯しました。あなたは正しい方で、正しいことを行なったのです。」と祈りました。その祈りのとおり、イスラエルは約束の地に帰還することになります。

捕囚の民として連れて行かれるということが起こると、私たちは神が自分たちを見捨ててしまわれたのかと思いがちですが、神はいかなる時にも、私たちを見捨てることなく、私たちの帰りを待っておられます。私たちに求められているのは、真心から悔い改めて、神に祈ることです。そうすれば主は私たちの祈りを聞いてご自身のもとに帰してくださるのです。

最後の願いは、51~53節にあります。「51 彼らはあなたの民であり、あなたがエジプトから、鉄の炉の中から導き出された、ご自分のゆずりの民だからです。52 どうか、あなたのしもべの願いと、あなたの民イスラエルの願いに御目を開き、彼らがあなたを呼び求めるとき、いつもその願いを聞き入れてください。53 あなたが彼らを地上のあらゆる民から選り分けて、ご自分のものとされたのですから。神、主よ。あなたが私たちの先祖をエジプトから導き出されたとき、あなたのしもべモーセを通してお告げになったとおりです。」

ソロモンは最後に、「どうか、あなたのしもべの願いと、あなたの民イスラエルの願いに御目を開き、彼らがあなたを呼び求めるとき、いつもその願いを聞き入れてください。」と祈っています。なぜなら、彼らはあなたの民だからです。イスラエルの行ないは、そのさばきを受けるにふさわしい行ないですが、あなたが彼らを選ばれたのですから、お願いします、と言っているのです。イスラエルの民は、地上の諸国の民から区別され、神の計画を推進するための器として選ばれました。出エジプトの出来事も、モーセの律法も、神による選びの証拠です。その選びのゆえに、その民のどんな祈りにも耳を傾けてくださいというのです。

ソロモンはイスラエルの歴史を振り返り、主がいかにご自身の契約に忠実な方であるかを確認しました。そして、その信頼の目をもって未来を見つめ、主の恵みと守りがこれからも続くとの確信を持ったのです。この視点は、私たちにとっても大切です。使徒パウロはこう教えています。「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。」(ローマ8:32)

主イエスの十字架の愛を思う時、私たちは将来への希望を持つことができるようになります。神の変わらない愛を信じて、主にすべてをゆだねましょう。

Ⅲ.民を祝福するソロモン(54-66)

最後に、54~66節を見て終わります。「54 こうしてソロモンは、この祈りと願いをことごとく主にささげ終えた。彼は、それまでひざまずいて、天に向かって両手を伸べ広げていた主の祭壇の前から立ち上がり、55 まっすぐに立って、イスラエルの全会衆を大声で祝福して言った。56 「主がほめたたえられますように。主は約束どおり、ご自分の民イスラエルに安住の地を与えてくださいました。しもべモーセを通してお告げになった良い約束はみな、一つも、地に落ちることはありませんでした。57 私たちの神、主が、私たちの先祖とともにいてくださったように、私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちをお見捨てになることがありませんように。58 私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、私たちの先祖にお命じになった命令と掟と定めを守らせてくださいますように。59 私が主の御前で願ったこれらのことばが、昼も夜も、私たちの神、主のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの訴えや、御民イスラエルの訴えを正しくかなえてくださいますように。60 こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように。61 あなたがたは、今日のように、私たちの神、【主】と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならないのです。」62 それから、王と、一緒にいたすべてのイスラエル人は、主の前にいけにえを献げた。63 ソロモンは主へのいけにえとして、牛二万二千頭と羊十二万匹の交わりのいけにえを献げた。こうして、王とすべてのイスラエルの人々は主の宮を奉献した。64 その日、王は主の宮の前庭の中央部を聖別し、そこで全焼のささげ物と、穀物のささげ物と、交わりのいけにえの脂肪を献げた。主の前にあった青銅の祭壇は、全焼のささげ物と、穀物のささげ物と、交わりのいけにえの脂肪を受け入れるには小さすぎたからである。65 ソロモンはこのとき、ともにいた全イスラエル、すなわち、レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの大会衆と一緒に、七日と七日の十四日間、私たちの神、主の前で祭りを行った。66 八日目に王は民を帰らせた。民は王に祝福のことばを述べ、主がそのしもべダビデと、その民イスラエルに下さったすべての恵みを喜び、心満たされて、彼らの天幕に帰って行った。」

ソロモンは、この祈りと願いをことごとく主にささげ終えると、まっすぐに立って、イスラエルの全会衆を大声で祝福して言いました。56節です。彼は、主が約束どおり、イスラエルの民に安住の地を与えてくださったことをほめたたえています。主がモーセを通して語られた約束は、一つも地に落ちることはありませんでした。みな成就しました。それは私たちに言えることです。聖書に書かれている主の約束は、一つも地に落ちることはありません。みな実現します。

そのことを前提に、ソロモンはここで3つのことを願っています。一つ目は主がともにいて、彼らを見離さず、見捨てることがないように(57)ということです。二つ目のことは、58節にあるように、彼らの心を主に向けさせ、彼らがすべてのことにおいて主の道に歩、主が命じられた命令と掟と定めとを守らせてくださるようにということです。そして三つ目のことは、主が祈りと願いを聞いてくださるようにということです(59)。それは何のためでしょうか。それは、地上のすべての民族が、主だけが唯一の神であることを知るようになるためです。イスラエルは自らの祝福だけでなく、地上のすべての民族に祝福をもたらすために存在しているからです。

これは、私たちにとっても重要なことです。私たちは何のために存在しているのでしょうか。それは私たちの祝福だけでなく、地上のすべての人たちの祝福のためでもあります。そういう意味では、私たちがそのような存在となれるように祈らなければなりません。

それから、ソロモンと、一緒にいたイスラエル人は、主の前にいけにえを献げました。それは牛2万2千頭、羊12万頭の交わりのいけにえでした。これは「和解のいけにえ」です。血と脂肪と内臓は焼いて煙にし、肉を礼拝者が一緒に食します。この交わりのいけにえの目的は、「交わり」にありました。神と民が交わり、民と民が交わります。相当の数の牛と羊がいけにえとして献げられました。この主へのいけにえは、イエス・キリストを象徴していました。キリストは私たちの罪の贖いとして死んでくださったことによって、彼を信じるすべての人が神と和解させられました。「すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。」(Ⅱコリント5:19)神との和解こそ、福音がもたらす祝福です。神との交わりを喜んでいる人は幸いです。私たちもこの和解をもたらす者となりましょう。

Ⅰ列王記7章

 今日は、列王記第一7章から学びます。

 Ⅰ.ソロモンの宮殿(1-12)

まず、1節から12節までをご覧ください。「1 また、ソロモンは十三年をかけて自分の宮殿を建て、その宮殿のすべてを完成させた。2 彼は「レバノンの森の宮殿」を建てた。その長さは百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトで、それは四列の杉材の柱の上にあり、その柱の上には杉材の梁があった。3 また、四十五本の柱の上にある階段式脇間の屋根は、杉材で葺かれていた。柱は一列に十五本ずつあった。4 戸口は三列あり、三段になって向かい合っていた。5 戸口の扉と戸口の柱はすべて四角形で、三段になって向かい合っていた。6 また彼は、柱の広間を造った。その長さは五十キュビト、その幅は三十キュビトであった。その前に玄関があり、その前に柱とひさしがあった。7 また、さばきをするための王座の広間、すなわち、さばきの広間を造り、床の隅々から天井まで杉材を張り詰めた。8 彼の住む家はその広間のうしろの庭にあり、同じ造りであった。ソロモンは、彼が妻としたファラオの娘のためにも、この広間と同じような家を建てた。9 これらはすべて内側も外側も、のこぎりで寸法どおりに切りそろえられた、高価な石で造られていた。礎から軒に至るまで、さらに外庭から大庭に至るまで、そうであった。10 礎は高価な石、大きな石で、八キュビトも十キュビトもあった。11 その上には、寸法どおりに切りそろえられた高価な石と杉材が使われた。12 大庭の周囲には、三段の切り石と一段の杉の角材が使われ、主の宮の内庭や、神殿の玄関広間と同じであった。」

ソロモンは神殿を建設した後で、自分の宮殿を建てました。しかし、ここには何とそのために13年をかけて完成したとあります。主の家、神殿を建てるのに7年かかりました(6:38)。それなのに、自分の宮殿には、完成するまで13年もかかったのです。神殿建設の2倍の年月を要したということです。それは規模においても、金額においても、神殿をはるかに超えるものでした。どうして彼はそのように造ったのでしょうか。その前にこの宮殿全体についてみていきましょう。

logos-ministries.orgより転載

ソロモンの宮殿は5つの部分からできていました。まず2節にあるように「レバノンの森の宮殿」です。これはレバノンの森にあった宮殿ということではなく、レバノンの杉で造られた宮殿という意味です。ここは金による武器を所蔵する場所として用いられました(10:17)。金による武器など、どうやって実用に使えるでしょうか。使えたとしても、それを神殿のすぐ側に置くとは考えられないことです。感覚的にずれています。このレバノンの森の宮殿は、長さ百キュビト(44m)、幅五十キュビト(22m)、高さ三十キュビト(13.5m)でした。

6節を見ると「また彼は、柱の広間を造った」とあります。その長さは五十キュビト(22メートル)、その幅は三十キュビト(13.5m)でした。その前に玄関があり、その前に柱とひさしがありました。

彼はまた、さばきをするための王座の広間、すなわち、さばきの広間を造りました。そして、床の隅々から天井まで杉材を張り詰めました(7節)。ここでソロモン王は民の間の事件を裁き、神のおきてと教えを教えました。そして彼は、自分自身が住む家を造りました。それはさばきの広間のうしろにあり、同じ造りでした。また、彼が妻としたファラオの娘のためにも、この広間と同じような家を建てました。

これらはすべて内側も外側も、のこぎりで寸法とおりにそろえられた、高価な石で造られていました。礎から軒に至るまですべてです。礎は高価な石で、8キュビト(3メートル50)も10キュビト(4メートル50)もありました。大庭の周囲もそうです。それは主の庭の内庭や、神殿の玄関広間と同じでした。どうして彼はこのような宮殿を造ったのでしょうか。

これを神の祝福ととらえるべきなのか、それとも、単なる贅沢ととらえるべきなのか、聖書は何も告げていません。しかし自らの宮殿を神の家である神殿よりも豪華に造ったところに、彼の気持ちの表れを見ることができます。それは神よりも自分のことを重視しているという思いです。主を愛していると言いながら、主よりも自分を高くしていたのです。かつてモーセは神の律法としてこう述べました。「また王は、自分のために多くの妻を持って、心がそれることがあってはならない。自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。」(申命記17:17)彼は自分のために銀や金を過剰に持っていました。それが彼を狂わせたのです。知恵よりもこの世の富と名声を愛する気持ちが表れています。ここにソロモン王国崩壊の兆しを見ることができます。

それは私たちにも言えることです。崩壊は突然訪れるのではありません。それは徐々に忍び寄ってきます。そこに至るまでのいくつかの段階があるのです。早い段階で気付いて、神に向かって修正していく人は幸いです。

Ⅱ.青銅の細工人ヒラムの働き(13-47)

次に、13~47節をご覧ください。まず、13~14節です。「13 ソロモンは人を遣わして、ツロからヒラムを呼んで来た。14 彼はナフタリ部族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。ヒラムは青銅の細工物全般について、知恵と英知と知識に満ちていた。彼はソロモン王のもとに来て、その一切の細工を行った。」

話は神殿建設に戻ります。ソロモンは人を遣わして、ツロからヒラムを呼んできました。ヒラムの母親はナフタリ部族、つまりイスラエル人でしたが、父親はツロの人でした。その父親がすでに亡くなっていて、やもめの子となっていました。彼の父は青銅の細工人だったようで、それを引き継いで彼も青銅全般の細工人になっていました。彼は出エジプト記31章に登場するベファルエルとオホリアブのように、知恵と英知と知識に満ちていました。彼はソロモンのもとに来て、その一切の細工を請け負ったのです。

15~47節には、彼が作った4種類の青銅の作品が紹介されています。最初に出てくるのは、2本の青銅の柱です。15~22節です。「15 彼は青銅で二本の柱を鋳造した。片方の柱の高さは十八キュビト。もう片方の柱の周囲は、ひもで測って十二キュビトであった。16 彼は青銅で鋳造した二つの柱頭を作って、柱の頂に載せた。片方の柱頭の高さは五キュビト、もう片方の柱頭の高さも五キュビトであった。17 柱の頂の柱頭に取り付ける、鎖で編んで房になった格子細工の網を、片方の柱頭に七つ、もう片方の柱頭に七つ作った。18 こうして彼は柱を作り、柱の頂にある柱頭をおおうため、青銅のざくろが格子網の上を二段に取り巻くようにし、もう片方の柱頭にも同じようにした。19 この玄関広間にある柱の頂にある柱頭は、ゆりの花の細工で、それは四キュビトであった。20 二本の柱の上にある柱頭の格子網のあたりで、丸い突出部の周りには、二百個のざくろが、両方の柱頭に段をなして並んでいた。21 この柱を本殿の玄関広間の前に立てた。彼は右側に立てた柱にヤキンという名をつけ、左側に立てた柱にボアズという名をつけた。22 この柱の頂の上には、ゆりの花の細工があった。こうして、柱の造作は完成した。」

柱の高さは18キュビト(約8メートル)、周囲は12キュビト(約5メートル)ありました(15)。その上に青銅で鋳造した2つの柱頭を作って、載せました(16)。柱頭の大きさは5キュビト(約2メートル)でした。さらにその柱頭をおおうために、青銅のざくろが格子網の上を二段に取り巻くようにしました(18)。それはゆりの花の細工がなされていました(19)。下の図をご覧ください。

http://img-cdn.jg.jugem.jp/b56/3863594/20180702_1459771.jpgより転載

ソロモンは、この2本の柱を神殿の玄関広間の前に立てました。右側に建てた柱には「ヤキン」という名をつけ、左側に建てた柱には「ボアズ」という名をつけました。「ヤキン」とは「彼は設立する」という意味で、もう一方はボアズという名で、「力をもって」という意味です。神殿に入る時にいつも、神が力をもって堅く立たせてくださることを思い出すためだったのでしょう。

私たちの生活が堅く立つのは、主の恵みであることを覚えなければなりません。主は力をもって守ってくださいます。あなたがたのうちに良い働きを始めた方は、キリスト・イエスの来る日までにそれを完成させてくださるのです(ピリピ1:6)。

次の作品は、23~26節に出てきます。それは鋳物の海です。「23 それから、彼は鋳物の「海」を作った。縁から縁まで十キュビト。円形で、高さは五キュビト。周囲は測り縄で巻いて三十キュビトであった。24 その縁の下に沿って、瓢?模様が周りを取り巻いていた。一キュビトにつき十ずつの割合でその「海」の周りを取り巻いていた。この瓢箪模様は二段になっていて、「海」を鋳たときに鋳込んだものである。25 「海」は十二頭の牛の上に据えられていた。三頭は北を向き、三頭は西を向き、三頭は南を向き、三頭は東を向いていた。「海」はこれらの牛の上に載せられていて、牛の後部はすべて内側を向いていた。26 「海」の厚さは一手幅あり、その縁は杯の縁のように、ゆりの花の形をしていた。その容量は二千バテであった。」

それは縁から縁まで10キュビト(約4.5メートル)の円形でした。高さは5キュビト(約2.2メートル)、周囲は30キュビト(13.2メートル)でした。巨大な水盤です。これは、祭司たちが身をきよめるためのものでした。幕屋にも祭壇と聖所の間に洗盤があり、祭司たちが幕屋に入る前には、そこで身をきよめましたが、それと同じです。しかし、ここには「海」と呼ばれる巨大な水の洗いがあり、祭司がそこに入り、身を清めました(2歴代4:6)。

「海」は12頭の牛の上に据えられていました。3頭ずつ東西南北を向き、牛の後部はすべて内側を向いていました。これはイスラエルの12部族を象徴していたのではないかと考えられています。民数記2章には、約束の地を目指して荒野を進むイスラエル12部族が、幕屋を中心にして3部族ずつが東西南北に宿営していたことが描かれていますが、これも同じでしょう。しかし、行先が違います。行先は約束の地ではなく、バビロンです。バビロンの王ネブカデネザルによってバビロンに連れ去られることを象徴していたのです。

https://www.ancient-origins.net/sites/default/files/field/image/King-Solomons-Temple.jpgより転載

この鋳物の海は、祭司にはきよめの洗いが必要であることを示しています。神に近づくためには、身を洗ってきよめなければならなかったのです。同じように、私たちも神に近づくためには、身をきよめなければなりません。私たちがきよめられるのはイエスの血によってです。「そういうわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」(ヘブル10:22)そうです、主イエスこそ私たちにとっての「鋳物の海」なのです。

次は、「10個の台と洗盤」です。27~39節をご覧ください。「27 彼は青銅で十個の台を作った。それぞれの台は長さ四キュビト、幅四キュビト、高さ三キュビトであった。28 この台の構造は次のとおり。台には鏡板があり、鏡板は枠にはめられていた。29 枠にはめられている鏡板の上には、雄獅子と牛とケルビムがあり、雄獅子と牛の上下にある枠の表面には花模様が施されていた。30 台には、それぞれ、青銅の車輪が四つと、青銅の軸が付いていて、台の四隅には洗盤の支えがあり、その支えは洗盤の下にあって、それぞれの表面に花模様が鋳込まれていた。31 洗盤の口は冠の内側にあって、一キュビト上に出ていた。その口は丸く、花模様の細工が施され、一キュビト半あった。またその口の上にも彫刻がしてあり、枠の鏡板は四角で、丸くなかった。32 四つの車輪は鏡板の下にあり、車軸は台に取り付けられ、一つの車輪の高さは一キュビト半であった。33 その車輪の作りは戦車の車輪の作りと同じで、車軸も輪縁も輻も轂も、みな鋳物であった。34 それぞれの台の四隅には、四本の支えがあり、支えと台は一体となっていた。35 台の上部には高さ半キュビトの丸い部分が取り巻いていて、その台の上の支えと鏡板は一体となっていた。36 その支えの表面と鏡板には、それぞれの場所に、ケルビムと雄獅子となつめ椰子の木を刻み、その周囲には花模様を刻んだ。37 彼は以上のように十個の台を作った。それらはすべて同じように鋳造され、同じ寸法、同じ形であった。38 それから、彼は青銅で十個の洗盤を作った。洗盤の容量はそれぞれ四十バテ、大きさはそれぞれ四キュビトであった。洗盤はそれぞれの台に一個ずつ、十個の台の上にあった。39 彼はその台の五個を神殿の右側に、五個を神殿の左側に置き、「海」を神殿の右側、東南の方角に置いた。」

彼は青銅で10個の台を作りました。これは10個の洗盤を載せるためのものです。洗盤の大きさは、直径4キュビト(約1.8メートル)、容量は40バテ(約1,000リットル)ありました。かなり大きな洗盤です。これらの水は、数々のきよめの儀式のために用いられました。10個の台は、これらの洗盤を載せるためのものでした。その特徴は、車輪が取り付けてあったことです。車輪がついていたので、どんなに重くても移動することができました。つまり、神殿の中で必要とされる場所に移動させることができたということです。これらの10個の洗盤は、神殿の右と左にそれぞれ5個ずつ置かれました。

https://pbs.twimg.com/media/EtjBHfCVgAEwZSy?format=jpg&name=largeより転載

さらにヒラムは灰壺と十能と鉢を作りました。灰壺は、灰を取るつぼのことで、宿営の外に持ち出すためのものでした。十能は、いけにえを焼き尽くための器具でした。鉢は、いけにえの血をその中に入れて持ち運ぶためのものです。幕屋で作られた器具と同じです。

こうしてヒラムは、自らの役割をすべてやり終えました。「こうして、ヒラムは、ソロモン王のために主の宮でなすべきすべての仕事を完了した。」(40)とあるとおりです。すなわち、彼は2本の柱とその頂にある丸い柱頭、および、柱頭をおおう2つの格子網、10個の台と、その上の10個の洗盤、巨大な海、その海の下の12頭の牛、灰つぼと十能と鉢です。これらの用具は、すべて磨きをかけた青銅で作りました。

ヒラムは異邦人でありながら与えられた役割を、全身全霊をもって忠実に果たしました。彼は自分に与えられた賜物を、主の栄光のためにささげたのです。私たちは一人一人与えられた賜物は違いますが、それを用いて主の栄光を現わすことができます。

Ⅲ.神殿の完成(48-51)

最後に、48~51節を見て終わります。「48 また、ソロモンは主の宮にあるあらゆる物を作った。金の祭壇と、臨在のパンを載せる金の机、49 内殿の前、右側に五つ、左側に五つ置かれる純金の燭台、金の飾り花、ともしび皿、芯切りばさみを作った。50 また純金の皿と、芯取りばさみ、鉢、平皿、火皿を純金で作った。至聖所に通じる神殿内部の扉のちょうつがい、神殿の本殿に通じる扉のちょうつがいも金で作った。51 こうして、ソロモン王が主の宮のためにしたすべての工事が完了した。ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の用具類を運び入れ、主の宮の宝物倉に納めた。」

http://meigata-bokushin.secret.jp/から転載

「こうして、ソロモン王が主の宮のためにしたすべての工事が完了した。ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の用具類を運び入れ、主の宮の宝物倉に納めた。」(51)

これは非常に重要な聖句です。ソロモンは、父ダビデに与えられた神からのビジョン、神殿建設を完成させたからです。ダビデは自分は神殿を建てませんでしたが、その用意をしていました。ダビデのその思いは、その子ソロモンに受け継がれていったのです。信仰の継承というテーマは、私たちにとっても重要であることがわかります。

Ⅰ列王記6章

 今日は、列王記第一6章から学びます。

 Ⅰ.神殿の構造(1-10)

まず1節から10節までをご覧ください。「1 イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは主の家の建築に取りかかった。2 ソロモン王が主のために建てた神殿は、長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビトであった。3 神殿の本殿の前に付く玄関は、長さが神殿の幅と同じ二十キュビト、幅が神殿の前で十キュビトであった。4 神殿には格子を取り付けた窓を作った。5 さらに、神殿の壁に、すなわち神殿の壁の周り、本殿と内殿の周りに、脇屋を建て巡らした。こうして階段式の脇間を周りに作った。6 脇屋の一階は幅五キュビト、二階は幅六キュビト、三階は幅七キュビトであった。それは、神殿の外周りの壁に段を作り、神殿の壁を梁で支えずにすむようにするためであった。7 神殿が建てられたとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や斧や、いかなる鉄の道具の音も、いっさい神殿の中では聞こえなかった。8 二階の脇間に通じる入り口は神殿の右側にあり、螺旋階段で二階に、また二階から三階に上るようになっていた。9 ソロモンは神殿を建て、これを完成させるにあたって、神殿の屋根を杉材でできた雨水溝の列でおおった。10 神殿の側面に脇屋を建て巡らし、その各階の高さは五キュビトにして、これを杉材で神殿に固定させた。」

前回は、ソロモンがツロの王ヒラムに神殿のための杉材を調達してくれるように頼み、両国の間に契約を結んだということを学びました。ここから、いよいよ神殿の建設が始まります。まず、その神殿の構造です。ソロモンが主の家の建築に取りかかったのはソロモンがイスラエルで王となってから4年目のジフの月、すなわち第二の月のことでした。それはイスラエルがエジプトを出てから480年目のことでした。ということは、ソロモンの治世は紀元前971年から931年までであることがわかっているので、この神殿の建設は紀元前966年頃であったということになります。ソロモンは王になってから比較的に短期間の内にこの神殿建設に取りかかったことになります。ちなみに、その480年前にイスラエルがエジプトを出たとあるので、出エジプトの出来事は紀元前1445年頃であったということがわかります。

2節には神殿のサイズが記されてあります。それは長さ60キュビト、幅20キュビト、高さ30キュビトです。1キュビトは約44センチなので、長さ26.4メートル、幅8.8メートル、高さ12メートルです。面積は232平米(70.4坪)ですから、それほど大きな建物ではありません。教会の建物が1階と2階を合わせて約65坪ですから、2階の部分を下に持って来た大きさとほぼ同じ大きさとなります。神殿はかつての幕屋と同じ形をしていますが、寸法はちょうど2倍になっています。

http://www.geocities.jp/gaironweb/picmatop.htmlより転載)

3節から5節までをご覧ください。ここにはその構造が記されてあります。 本殿の前には玄関が付けられました。長さは神殿の幅と同じ20キュビト(8.8メートル)、幅は神殿の前方に10キュビト(4.4メートル)です。また、神殿には格子を取り付けた窓を作りました。なぜ窓が取り付けられたのかというと、幕屋の場合は通気性が良かったので必要ありませんでしたが、神殿はそうでなかったので換気が必要だったからです。神殿の周りには3階建ての脇屋を建て巡らしました。これは祭司たちの部屋のために、また礼拝に必要な物を保管するための倉庫として使用されました。興味深いのは6節にあるように、神殿の壁を梁で支えずにすむような構造になっていたことです。梁で支えなかったら構造上の強度が弱くなってしまいます。それなのに梁で支えなくてもよいようにしたのは、それぞれのパーツがしっかりと組み合わされていたからです。エペソ人への手紙4章16節に「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」とありますが、まさに神の家、神殿はあらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされて建てられていったのです。

7節には、「神殿が建てられたとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や斧や、いかなる鉄の道具の音も、いっさい神殿の中では聞こえなかった。」とあります。神殿の骨格の材料となる石が、建築現場で仕上げられることなく、すでに石切り場で完全に仕上げられていたということです。どうしてでしょうか。日本の住宅会社でもよく、家を建てるときに、すでにそれぞれの部分が組み立てられていて、それを現場でただ組み合わせるという建築方法を取り入れる会社がありますが、まさにそれと同じです。神殿で使われる石も、寸法通り、正確に、すでに石切り場で仕上げられており、現場ではただ組み立てられるだけになっていたのです。そうすることによって神殿の内部では工事の音が一切聞こえませんでした。神が臨在され、神がみことばを語られる場所として、そこは静かに保たれなければならなかったのです。主イエスが朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた(マルコ1:35)のも同じです。イエス様は静かな場所を求めておられました。勿論、物理的にそうでない所にも主はおられますが、もし主と深い交わりを持ちたいと願うなら、物理的にも、内面的にも静かさが求められるのです。

7節をご覧ください。ソロモンは神殿を建て、これを完成させるにあたって、神殿の屋根を杉材でできた雨水溝の列でおおいました。また脇屋も杉材で固定しました。杉材がふんだんに使われたのです。それは、幕屋(移動式の天幕)が暫定的な礼拝の場として与えられていたのに対して、神殿が恒久的な礼拝の場として与えられていたからです。それは、神が恒久的に彼らと共におられることの保証となりました。それは私たちにも言えることです。新約の時代に生きている私たちは、神の聖霊が与えられています。それは、救いの保証でもあります。聖霊は、私たちが御国を受けていることの保証(エペソ1:14)であり、恒久的に神が私たちと共におられることの保証なのです。

Ⅱ.神からの警告と励まし(11-13)

そのような神殿建設の真只中にあって、主はソロモンにこのように次のように言われました。11~13節です。「11 そのとき、ソロモンに次のような主のことばがあった。12 「あなたが建てているこの神殿のことであるが、もし、あなたがわたしの掟に歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしはあなたについてあなたの父ダビデに約束したことを成就しよう。13 わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」」

どういうことでしょうか?神殿建設は確かに大事業ですが、もし本来の神の意図を見失ってしまうことがあるとしたら、何の意味もなくなるということです。とかく私たちは立派な神殿を建築すれば、神の臨在と栄光が現わされると思いがちですが、そうではないと、神は釘を刺しておられるのです。

ソロモンは、イスラエルの繁栄は、神との契約関係の上に成り立っていることを知らなければなりませんでした。つまり彼は主の掟に歩み、主の定めを行い、主のすべての命令を守り、これに歩まなければならなかったのです。もしそうであれば、主はダビデに約束したことを成就してくださいます。ダビデに約束したこととは、あのⅡサムエル記7章13節にあることばです。それは「彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」ということです。「わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」という約束です。この約束の成就は、ソロモンがいかに神との契約関係に忠実に歩むかどうかにかかっていたのです。残念ながら、ソロモンは晩年多くの妻によって偶像礼拝に走り、この命令を守りませんでした。その結果、王国は息子レハムアムの時代に南北に分裂するようになります。

私たちはここから大切な教訓を学びます。それは、こうした祝福と繁栄の陰には落とし穴があるということです。傲慢という落とし穴です。神殿建設という祝福の真只中で主がソロモンにこれを語られたのは、そうした落とし穴に注意するようにとの警告だったのです。はたして自分は神のことばに留まっているかどうか、神の掟に歩み、神の定めを行い、神のすべての命令を守り、神のうちに留まっているかどうかを、吟味しなければならないのです。自分ではそう思っていても、神のみこころからかなり離れているということも少なくないからです。

Ⅲ.神が喜ばれる神殿(14-38)

次に、神殿の内装を見ましょう。14~22節をご覧ください。「14 こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成させた。15 彼は神殿の内側の壁を杉の板でおおい、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側を板でおおった。なお神殿の床は、もみの板でおおった。16 それから、彼は神殿の奥の部分二十キュビトを、床から天井の壁に至るまで杉の板でおおった。このようにして、彼は神殿に内殿、すなわち至聖所を設けた。17 神殿の手前側の本殿は四十キュビトであった。18 神殿内部の杉の板には、瓢?模様と花模様が浮き彫りにされていて、すべては杉の板で、石は見えなかった。19 内殿は神殿内部の奥に、主の契約の箱を置くために設けた。20 内殿の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、純金でこれをおおった。さらに杉材の祭壇も純金でおおった。21 ソロモンは神殿の内側を純金でおおい、内殿の前に金の鎖を渡し、これに金をかぶせた。22 神殿全体を隅々まで金でおおい、内殿に関わる祭壇も全体を金でおおった。」

(http://meigata-bokushin.secret.jp/)より転載

こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成させました。彼は神殿の内側の壁を杉の板でおおい、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側をすべて板でおおいました。神殿の床には、もみの板が使われました。石材が隠れるようにしたのです。その杉の板には、ひょうたんの模様と花の模様が浮き彫りにされていました。その上に金をかぶせました。神殿全体を隅々まで金でおおったのです。

19節には、さらに神殿内部の奥に、主の契約の箱を置くために内殿(至聖所)を設けました。サイズは長さ20キュビト、幅20キュビト、高さ20キュビトの立方体で、そこにも杉の板が張られ、その上に純金がかぶせられました。そこは、主の栄光が現わされる所だからです。

23~28節をご覧ください。「23 内殿の中にオリーブ材で二つのケルビムを作った。その高さは十キュビトであった。24 ケルビムの一方の翼は五キュビト、もう一方の翼も五キュビト。翼の端から翼の端までは十キュビトであった。25 もう片方のケルビムも十キュビトあり、両方のケルビムは全く同じ寸法、同じ形であった。26 片方のケルビムの高さは十キュビト、もう片方のケルビムも同じであった。27 ケルビムは神殿内部に置かれた。ケルビムは翼を広げていて、片方のケルビムの翼は一方の壁に届き、もう片方のケルビムの翼はもう一方の壁に届き、また両者の翼は神殿の真ん中に届いて、翼と翼が触れ合っていた。28 ソロモンはこのケルビムに金をかぶせた。」

内殿の中にオリーブ材で二つのケルビムを作りました。ケルビムは、神の栄光のそばで仕える天使です。彼らは契約の箱を守る役割を果たしていました。ケルビムの単数形はケルブですが、一つのケルブは高さが10キュビト、翼の端から翼の端までも10キュビトでした。その2つのケルビムが並んで翼を広げると、片方のケルビムの翼は一方の壁に届き、もう片方のケルビムの翼はもう一方の壁に届きました。また両者の翼は神殿の真ん中に届いて、翼と翼が触れ合っていました。ソロモンはこのケルビムにも金をかぶせた。

どうしてソロモンはケルビムを作ったのでしょうか。それは神の命令だったからです。神は幕屋の建設にあたり、二つの金のケルビムを作るようにと命じられていました(出エジプト25:18)。それは、そこが最も重要な場所であったからです。そこには十戒が書かれた2枚の2枚の石の板が収められた契約の箱がありました。そしてその上に「宥めの蓋」がありました。そこは神の宥めがなされるところ、贖いの血が注がれるところでした。そこに年に一度だけ大祭司が入り民の罪の贖いをしました。雄牛ややぎをほふり、その血を取って、それをこの宥めの蓋の上に注いだのです。主はそこでモーセと会見し、ご自身のことばを語ると仰せになられました(出25:20-22))。すなわち、そこは神が臨在される場所だったのです。

私たちも、神が命じられた方法によって準備するなら、神はそこにご自身の栄光を現わしてくださいます。新約の時代に生きる私たちの場合は、それはイエス・キリストのことです。私たちはイエス・キリストを通して神に近づき、神と会見することができるのです。

「こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。」(へブル10:19)

次に、29~38節をご覧ください。「29 神殿の四方のすべての壁には、奥の間も外の間も、ケルビムとなつめ椰子の木と花模様の浮き彫りを彫った。30 神殿の床は、奥の間も外の間も金でおおった。31 ソロモンは内殿の入り口を、オリーブ材の扉と五角形の戸口の柱で作った。32 その二つのオリーブ材の扉に、ケルビムとなつめ椰子の木と花模様の浮き彫りを彫り、金でおおった。ケルビムとなつめ椰子の木の上に金を張り付けたのである。33 同じように、本殿の入り口にも四角形のオリーブ材で戸口の柱を作った。34 また、もみの木で二つの扉を作った。片方の扉の二枚の戸は折り畳み戸、もう片方の扉の二枚の戸も折り畳み戸であった。35 ケルビムとなつめ椰子の木と花模様を彫り付け、その彫り物の上に、ぴったりと金を張り付けた。36 それからソロモンは、切り石三段と杉の角材一段の仕切りで内庭を造った。37 第四年のジブの月に、主の宮の礎を据え、38 第十一年のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が設計どおりに完成した。七年かけて建てたのである。」

神殿の「奥の間と外の間」とは、至聖所と聖所のことです。その壁には、ケルビムの彫刻となつめ椰子の木と花模様の彫刻が施されました。さらに、神殿の床は、金でおおわれました。非常に豪華で華麗な意匠です。ソロモンがいかにこの神殿の建設に心血を注いだかがわかります。

聖所と至聖所を区切る扉は、オリーブ材で作られました。幕屋の時は、垂れ幕と幕によって仕切られていましたが、ここでは柱と扉です。その扉にもケルビムとなつめ椰子の木と花模様の彫刻が施され、金でおおいました。また、戸口には五角形の柱が作られました。同じように、本殿の入り口にも四角形のオリーブ材で戸口の柱を作り、もみの木で2つの扉を作りました。それから、神殿の周りに内庭を作りました。外庭よりも切り石三段分、高く作っています。

このようにして、ソロモンは主の家を完成させました。それが37~38節にあることです。「第四年のジブの月に、主の宮の礎を据え、第十一年のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が設計どおりに完成した。七年かけて建てたのである。」

神殿が完成するのに7年かかりました。厳密には7年半です。この神殿はこれ以降、バビロンによって破壊されるまで(B.C.586年)四百年間立ち続けることになります。バビロン捕囚以降、ソロモンの建造物で再建されるのは、神殿だけです。その本質は、神が住まわれる、神が臨在それる場所、神を礼拝する場所です。礼拝の中心は、それまでの粗末な幕屋から豪華な神殿に代わりました。これは大きな祝福ですが、その本質を失うと信仰が形骸化する危険があります。神殿がそこにあるというだけに安住するようになるのです。

しかし新約時代では、神はキリストを信じる者の心に住まわれると聖書は教えています。私たちは神の宮(Ⅰコリント3:16)、聖霊の宮(Ⅰコリント6:19)なのです。聖霊の宮である私たちは、神の栄光を現すことが求められているのです。それはキリストとの生ける関係から生まれるものです。Ⅰペテロ2章2節には次のように勧められています。「あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。」とあります。
私たちも聖なる石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げましょう。これこそ、神が喜ばれ、神がご自身の栄光を現わしてくださる真の神の家、神殿なのです。

Ⅰ列王記5章

 今日は、列王記第一5章から学びます。

 Ⅰ.ツロのヒラムへの要請(1-6)

 まず1節から6節までをご覧ください。「1 さて、ツロの王ヒラムは、ソロモンが油注がれて、彼の父に代わって王となったことを聞いて、自分の家来たちをソロモンのところへ遣わした。ヒラムはダビデと常に友情を保っていたからである。2 そこで、ソロモンはヒラムのもとに人を遣わして言った。3「ご存じのように、私の父ダビデは、周りからいつも戦いを挑まれていたため、主が彼らを私の足の裏の下に置かれるまで、私の父の神、主の御名のために神殿を建てることができませんでした。4 しかし今や、私の神、主は、周囲の者から私を守って安息を与えてくださり、敵対する者もなく、わざわいを起こす者もありません。5 今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。6 どうか、私のために、レバノンから杉を切り出すように命じてください。私の家来たちも、あなたの家来たちと一緒に働きます。私はあなたの家来たちに、あなたが言われるとおりの賃金を払います。ご存じのように、私たちの中にはシドン人のように木を切ることに熟練した者がいませんから。」」

ソロモンが油注がれてイスラエルの王となったことを聞いたツロの王ヒラムは、自分の家来たちをソロモンのところへ遣わしました。ヒラムは、ソロモンの父ダビデと常に友情を保っていたからです。Ⅱサムエル5章11節には、ダビデが王宮を建築する際、ヒラムはそのために必要な杉材や木工、石工を送り、助けていたことが記されてあります。ヒラムがソロモンのところへ人を送ったのは、ソロモンがダビデに代わって王に即位したことを祝福し、父ダビデの時と同じように両国の間に平和な関係を維持するためでした。

するとソロモンはヒラムのもとに人を遣わして言いました。「ご存じのように、私の父ダビデは、周りからいつも戦いを挑まれていたため、主が彼らを私の足の裏の下に置かれるまで、私の父の神、主の御名のために神殿を建てることができませんでした。しかし今や、私の神、主は、周囲の者から私を守って安息を与えてくださり、敵対する者もなく、わざわいを起こす者もありません。今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」(3-5)彼はこのチャンスを生かし、神殿建設の準備を始めようとしたのです。それでソロモンはヒラムのもとに人を遣わして、神殿建設のためのレバノン杉を切り出すように、また、その杉材を切る熟練した職人も送ってくれるようにと願い出ました。勿論、そのための賃金はきちんと支払うつもりでした。

ここで注目すべきことは、ソロモンが「今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」(5)と言っていることです。ソロモンが神殿を建設しようと思ったのは、主の御名のゆえであったことです。それは主が彼を祝福してくださったからでも、自分の政治的な力を誇るためでもありませんでした。主の御名のため、主の御名が崇められるためだったのです。おそらく彼は神がダビデに告げられた約束(ダビデ契約)を知っていたのでしょう。Ⅱサムエル7章11~13節のところで主はダビデにこう言われました。「主はあなたに告げる。主があなたのために一つの家を造る、と。あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」この約束に従って彼は、主の家、神殿を建設しようと思ったのです。つまり彼は、主のみこころが成ることを求めていたということです。

これまで私たちはソロモンの知恵がいかにすばらしいものであるかを見てきましたが、その知恵のすばらしさはどこから出ていたのかというと、ここから来ていたことがわかります。すなわち彼は、神のみこころ(計画)を求め、それに生きようとしていたということです。

私たちが抱く動機もまた、ここになければなりません。神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられることなのかを知り、それを行うということです。つまり、みこころを知り、みこころを行うということです。そのためには、心の一新によって自分を変えなければなりません。

パウロは、ローマ12章1~2節でこう言っています。「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようにしなければならないのです。この「この心を新たにする」という言葉のギリシャ語は「メタモルフィゾー」という語で、意味は芋虫が蝶に変わる過程を指しています。私たちが自分の分を果たしつつ、積極的に自分の思いを一新していく一方で、誰か他の人に変革してもらうという意味が含まれています。つまり、私たちがこの世の方法ではなく、キリストの方法で心の思いを変革していくならば、神である聖霊が私たちを次第にキリストに似た者に変えてくださるということです。そして、神のみこころが何かを知ることができるのです。つまり、神のことばである聖書に従い、自分自身の思いを聖霊に明け渡すことによってできるということです。そうでないと、いつまで経っても自分を変えることはできません。いつも自分の思いが中心となっているので、神様に変えていただくことができないからです。私たちはいつも自分を主に明け渡し、神のみこころは何か、何が良いことで神に喜ばれるのかをわきまえ知るために、神のことばと聖霊によって心を一新し、神のみこころに生きる者となりましょう。

Ⅱ.ヒラムの応答(7-12)

さて、そのソロモンの要請に対して、ヒラムはどのように応答したでしょうか。7~12節をご覧ください。「7 ヒラムはソロモンの申し出を聞いて、大いに喜んで言った。「今日、主がほめたたえられますように。主は、この大いなる民を治める、知恵のある子をダビデにお与えになった。」8 ヒラムはソロモンのもとに人を遣わして言った。「あなたが言い送られたことを聞きました。私は、杉の木材ともみの木材なら、何なりとあなたのお望みどおりにいたしましょう。9 私の家来たちは、それをレバノンから海へ下らせます。私はそれをいかだに組んで、海路、あなたが指定される場所まで送り、そこでそれを解かせましょう。それを受け取ってください。それから、あなたは私の一族に食物を与えて、私の望みをかなえてください。」10 こうしてヒラムは、ソロモンに杉の木材ともみの木材を、彼が望むだけ与えた。11 ソロモンはヒラムに、その一族の食糧として、小麦二万コルと上質のオリーブ油二十コルを与えた。ソロモンは、これだけの物を毎年ヒラムに与えた。12 主は約束どおり、ソロモンに知恵を授けられた。ヒラムとソロモンとの間には平和が保たれ、二人は契約を結んだ。」

ソロモンの申し出を聞いたヒラムは、大いに喜びました。そして、イスラエルの神をほめたたえて言いました。「今日、主がほめたたえられますように。主は、この大いなる民を治める、知恵のある子をダビデにお与えになった。」(7)

ここで注目すべきことは、ヒラムがイスラエルの主をほめたたえていることです。彼がどれほどイスラエルの主を知っていたのかはわかりませんが、おそらく、ダビデとソロモンを通して主のすばらしさを知っていたのでしょう。もしかすると、彼も主を信じていたのかもしれません。

ヒラム知恵のある王でした。彼はソロモンが王位に着いたことを、神がダビデに与えた約束の成就であると見ていたのです。そこで彼は、ソロモンに人を遣わして言いました。それは、杉の木材ともみの木材なら、何なりとソロモンが望むとおりにするということでした。そしてそれをレバノンから海へ下らせ、いかだに組んで、海路、イスラエルに送り届けるというものでした。また、賃金の支払いについては、賃金ではなく、ヒラム一族に食料を与えてほしいということでした。

それでソロモンはヒラム一族の食料として、小麦2万コル、上質のオリーブ油20コルを、毎年ヒラムに与えました。脚注の説明にあるように1コルは230リットルですから、2万コルの小麦とは4,600トンにもなります。10トントラックで460台分にもなります。それに上質のオリーブは20コルですから4,600リットルとなります。2リットルのペットボトルで2,300本分です。これは相当の食糧です。ソロモンはそれだけの食料を、ヒラムの一族に与えたのです。

こうしてヒラムとソロモンの間には平和が保たれ、二人は契約を結びました。すばらしいですね、ソロモンに知恵があったので平和があり、そして契約が結ばれたのです。知恵はこのように平和をもたらします。争いところには、知恵が欠けています。ヤコブの手紙の中にこう書いてあります。「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」(ヤコブ3:17-18)上からの知恵の特質の一つが平和なのです。このような義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれるのです。

ビジネス・コンサルタントのデイビッド・ホルセイガーは、その著「信頼の力」の中で、こう言っています。「お金ではなく、信頼関係こそ、ビジネスと人生における真の貨幣である。」信頼関係こそ、ビジネスと人生においていかに重要であるかがわかります。それを崩すことは簡単ですが、建て上げるのは容易なことではありません。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。私たちは争いをもたらすのではなく、平和をつくる人になるために、平和の種を蒔く者でなければなりません。それは上からの知恵、神の知恵によるのです。

Ⅲ.神殿建設(13-18)

最後に、13~18節までをご覧ください。「13 ソロモン王は全イスラエルから役務者を徴用した。役務者は三万人であった。14 ソロモンは、彼らを一か月交代で一万人ずつレバノンに送った。一か月はレバノンに、二か月は家にいるようにした。役務長官はアドニラムであった。15 ソロモンには荷を担ぐ者が七万人、山で石を切り出す者が八万人いた。16 そのほか、ソロモンには工事の監督をする長が三千三百人いて、工事に携わる民を指揮していた。17 王は、切り石を神殿の礎に据えるために、大きな石、高価な石を切り出すように命じた。18 ソロモンの建築者たち、ヒラムの建築者たち、そしてゲバル人たちは石を切り、神殿を建てるために木材と石材を準備した。」

ソロモンは、神殿を建設するために全イスラエルから役務者を徴用しました。このときに担当したのが、4章に登場した役務長官アドニラムです。役務者は全部で3万人でした。ソロモンはそれを3組に分け、1か月交代で1万人ずつレバノンに送りました。すなわち、1か月間はレバノンにいるようにし、残りの2か月間は家にいるようにしたのです。ここにも彼の知恵がいかんなく発揮されています。こうした徴用は一般民衆の不平や不満を買う政策ですが、イスラエルの民が暴動を起こさずに役務に就くことができるように、こうした配慮をしたのです。それもまたソロモンの知恵に基づくものでした。

また、ソロモンには荷を担ぐ者7万人、山で石を切り出す者8万人がいました。これは切り出された木材や石を運ぶ人たちです。相当の数の人夫が必要でした。9章20~21節には「イスラエル人ではない、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民すべて、すなわち、この地に残されていた人々、イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用した。今日に至るまで、そうである。」とあるので、これらの人たちは、

おそらく、イスラエルにいた奴隷たちだったと思われます。そのほか、工事の監督をする者が3千3百人もいました。

神殿のための木材と石材を準備したのは、ソロモンの建築者たち、ヒラムの建築者たち、ゲバルの建築者たちでした。ゲバルとは、ツロよりもさらに100㌔ほど北に上った地域のことです。そういう人たちが一丸となって神殿建設に当たったのです。

しかし、こうした一大事業には、ある種の危険も伴うものです。たとえそれが主のための働きであったとしても、過剰なまでの規模と栄華を求めるなら、民の負担は耐えがたいものとなり、やがて内側から崩壊を招いてしまうことがあります。私たちも主の御名のためにという事業が、いつしか自分の欲望を満たすものであったり、自分の名誉のためであったりすると、崩壊を招いてしまうことになります。たとえば、会堂建設はその一つです。主の家、主の栄光のためにと始めたプロジェクトが、いつしか人間的になってしまうということがよくあります。そしてそれが原因で教会に混乱を招いてしまうということがあるのです。それが人間の愚かさの一面でもあるわけですが、そういうことがないように、外側の見えるものではなく、見えないものにしっかりと目を留めていかなければなりません。パウロはⅡコリント4章18節でこのように言っています。「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」

神の国は、見えるものではなく、見えないものです。それは永遠に続くものなのです。それゆえ、たとえそれが主の御名のためであったとしても、その本質は見えないものであることを覚えつつ、そうしたものに惑わされることがないように注意しなければなりません。主が与えてくださる神の家を心から喜び感謝しつつ、且、バランスを持ってみこころに歩むことを求めていきたいと思います。

Ⅰ列王記4章

 今日は、列王記第一4章から学びます。

 Ⅰ.ソロモンの高官たち(1-19)

 まず1節から6節までをご覧ください。「1 こうして、ソロモン王は全イスラエルの王となった。2 彼の高官たちは次のとおり。ツァドクの子アザルヤは祭司、3 シシャの子たちのエリホレフとアヒヤは書記、アヒルデの子ヨシャファテは史官、4 エホヤダの子ベナヤは軍団長、ツァドクとエブヤタルは祭司、5 ナタンの子アザルヤは政務長官、ナタンの子ザブデは祭司で王の友、6 アヒシャルは宮廷長官、アブダの子アドニラムは役務長官。」

こうして、ソロモン王は全イスラエルの王となりました。「こうして」とは、3章にあったように、ソロモンが主から「あなたに何を与えようか。願え。」(3:6)と言われたとき、彼が自分ために長寿を願わず、富みを願わず、敵のいのちさえも願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、その知恵と判断の心ばかりでなく、彼が願わなかったもの、たとえば、富みとか誉といったものまで与えられました。彼が生きている限り、彼に並ぶものは一人もいなかったほどです。

その彼の知恵と判断力がどれほど優れたものであったのかを示す逸話が、3章後半にありました。まさに大岡越前みたいな裁きをしました。いや、大岡越前さえもその足元に及ばないほどのさばきでした。それは、母親の情に訴えるものでした。

今回は、その知恵が行政においても発揮されていたことが示されています。どんな知恵があっても、それを発揮することができないと意味がありません。ロシアのウクライナ侵略はまさにその例です。プーチン大統領を恐れて側近のだれもプーチンを止めることができません。プーチンは行政においても、知恵がないことを露骨に表しました。しかし、ソロモンは違います。それは王になると、優れた高官たちを任命しました。

まずツァドクの子アザルヤです。彼は祭司です。彼はツァドクの子であるとありますが、孫です。他に4節には、「ツァドクとエブヤタルは祭司」とありますが、おそらくこれは名誉的な称号でしょう。というのは、この二人はダビデの時代に祭司として仕えていましたが、ツァドクは、ソロモンを支持したので引き続き大祭司職に留まったものの、エブヤタルはアドニヤを支持したので、罷免させられていたからです(2:27)。

3節には、シシャの子たちのエリホレフとアヒヤは書記とあります。書記は非常に重要な職責でした。行政、貿易、軍隊などあらゆる国政に関わる記録を担当したのです。

そしてヨシャファテは史官です。「史官」とは、書記の補佐官のことです。王の日課を記録する役目がありました。彼は、王国の歴史に関する正式な文書を残しました。

そしてエホヤダの子ベナヤが軍団長でした。アドニヤに仕えていたヨアブを処刑するようにソロモンが命じたのが、このベナヤでした(2:25)。

次にナタンの子アザルヤは政務長官です。ナタンとは、ダビデがバテ・シェバと姦淫を行った時、そのことをダビデに告げた預言者です。彼はダビデとソロモンに仕えました。それで彼の二人の息子たちは、政府高官に抜擢されたのでしょう。そのうちの一人アザルヤは政務長官でした。そしてもう一人のザブデは祭司で、王の友となりました。父ナタンと同じような立場です。

次に、アヒシャルは宮廷長官とあります。宮廷長官とは、宮廷内を司る長のことです。英語のNKJVでは、「over the household」と訳しています。宮廷全体を司る人のことです。また、アブダの子アドニラムは、役務長官でした。役務長官とは、国のプロジェクトのために人々を借り出させて労役を課すところの執行者です。彼は、後に、神殿建設に貢献するようになります。膨大な数の役務者を徴用しますが、民の間で不評を買い、ソロモンの子レハブアムの時代に民から石打ちに会い、殺されます(12:18)。

次に7節から19節までをご覧ください。「7 ソロモンは、イスラエル全土に十二人の守護を置いた。彼らは王とその一族に食糧を納めた。一年に一か月分の食糧を各自が納めることになっていたのである。8 彼らの名は次のとおり。エフライムの山地にはフルの子。9 マカツ、シャアルビム、ベテ・シェメシュ、エロン・ベテ・ハナンにはデケルの子。10 アルボテにはヘセデの子。彼はソコと、ヘフェルの全地を任されていた。11 ドルの全高地にはアビナダブの子。ソロモンの娘タファテが彼の妻であった。12 タアナク、メギド、またイズレエルの下ツァレタンのそばのベテ・シェアンの全域、ベテ・シェアンからアベル・メホラ、ヨクメアムの向こうまでの地には、アヒルデの子バアナ。13 ラモテ・ギルアデにはゲベルの子。彼はギルアデにあるマナセの子ヤイルの町々と、バシャンにあるアルゴブの地域で、城壁と青銅のかんぬきを備えた六十の大きな町を任されていた。14 マハナイムにはイドの子アヒナダブ。15 ナフタリにはアヒマアツ。彼も、ソロモンの娘バセマテを妻としていた。16 アシェルとベアロテにはフシャイの子バアナ。17 イッサカルにはパルアハの子ヨシャファテ。18 ベニヤミンにはエラの子シムイ。19 アモリ人の王シホンとバシャンの王オグの領地であったギルアデの地には、ウリの子ゲベル。彼は、その地で唯一の守護であった。」

これだけ膨大な領土を治めるには、行政の組織化が必要となります。そこで彼は、王国を12の行政区に分割し、それぞれの行政区に守護(行政官)を置きました。ここに、その12人の行政官の名前があげられています。15節に出ている「アヒマアツ」以外は、ここにしか登場しません。ソロモンは彼らに徴税の任務を課し、それを王宮に納めさせました。それは膨大な量でした(22-28)。しかし、ここにも彼の知恵がいかんなく発揮されています。それは、「一年に一か月分の食料を治めることになっていた」(7)ということです。つまり、年に一か月間だけ、食料を納めたということです。であれば、行政官たちは、必死になって働いたことでしょう。

この行政区域は、良く見るとかつてから存在していた部族ごとの領土の境界線とは必ずしも一致していません。どうして一致していないのかというと、これによって部族間の敵対感情を和らげようとしたからです。

また、守護(行政官)の中には、ソロモンの義理の息子が二人含まれています。11節の「アビナダブ」と、15節の「アヒマアツ」です。どうして彼は義理の息子を登用したのでしょうか。それは、このように彼らを配置することで、不穏な動きを見張ろうと考えたからではないかと思います。

ソロモンは、過去の貢献度を考慮して人材を登用しましたが、ここでは、能力に応じて行政区の割り当てをしました。実に見事な判断です。それは神の視点からは、神がソロモンを祝福するために、必要な人材を用意しておられたということです。これもまた、神がダビデと交わした約束のゆえであり、ソロモンが主を心から愛し、主のみこころに歩もうとしていたからです。主のみこころにかなった歩をするなら主が祝福してくださると信じて、みこころに歩みたいと思います。

Ⅱ.王国の繁栄(20-28)

次に20節から28節までをご覧ください。「20 ユダとイスラエルの人々は海辺の砂のように多くなり、食べたり飲んだりして、楽しんでいた。21 ソロモンは、あの大河からペリシテ人の地、さらにエジプトの国境に至る、すべての王国を支配した。これらの王国は、ソロモンの一生の間、貢ぎ物を持って来て彼に仕えた。22 ソロモンの一日分の食糧は、上質の小麦粉三十コル、小麦粉六十コル。23 それに、肥えた牛十頭、放牧の牛二十頭、羊百匹。そのほか、雄鹿、かもしか、のろ鹿、そして肥えた鳥であった。24 これはソロモンが、あの大河の西側、ティフサフからガザまでの全土、すなわち大河の西側のすべての王たちを支配し、周辺のすべての地方に平和があったからである。25 ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバに至るまでのどこでも、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して暮らした。26 ソロモンは、戦車用の馬のために馬屋四万、騎兵一万二千を持っていた。27 守護たちはそれぞれ自分の当番月に、ソロモン王、およびソロモン王の食卓に連なるすべての者たちのために食糧を納め、不足させなかった。28 また彼らは、引き馬や早馬のために、それぞれ割り当てにしたがって、所定の場所に大麦と藁を持って来た。」

その結果、ソロモンの王国は繁栄の時代を迎えます。ここには、それがどれほどの繁栄であっかが記されてあります。まずユダとイスラエルの人数です。それは、海辺の砂のように多くなりました。戦時には人口は増えないので、それは戦争のない平和な時代であったことを表しています。それだけ多くの人々が、食べたり、飲んだりして、楽しんでいたのです。

また、ソロモンが支配した領土は、「あの大河からペリシテ人の地、さらにエジプトの国境に至る、すべての王国」でした。それは、神がアブラハムに約束されたことでした(創世記15:18-21)。それが成就したのです。実際支配したのはダンからベエル・シェバまで(25)でしたが、その影響力はすべての地域に及んだのです。

これらの国々は、ソロモンの一生の間、貢物を持って来て彼に仕えたので、相当の量であったと推察されます。

それが22節から28節までに記されてあることです。ソロモンの一日分の食料は、上質の小麦粉三十コル、小麦粉六十コル。それに、肥えた牛十頭、放牧の牛二十頭、羊百匹。そのほか、雄鹿、かもしか、のろ鹿、そして肥えた鳥でした。上質の小麦粉三十コルは6,300リットルです。小麦粉六十コルは、その二倍の12,600リットルです。別に彼がこれらのものを一人で食べていたということではありません。いくら大食いファイターでも無理でしょう。これだけ食べるのは。宮廷で仕えていた人数がどれだけいたかはわかりませんが、いずれにせよ、膨大な量です。ソロモンは、宮廷で仕える人たちのために日々の食料を提供したのです。

これはソロモンが、大河の西側、ティフサフからガザまでの全土、すなわち、大河の西側のすべての王たちを支配し、周辺のすべての地方に平和があったからできたのです。これまでは敵に囲まれ、あるときは従属し、絶えず戦わなければいけない状態でしたが、今は、ぶどうやいちじくの木の下で、つまり城壁によって囲まれる必要がなく、安心して暮らすことができました。

そればかりではありません。ソロモンは、戦車用の馬のために馬屋四万、騎兵一万二千を持っていました。抑止力としての軍隊も持っていたということです。しかし、この点は必ずしも主のみこころにかなっていたとは言えません。というのは、申命記(モーセの律法)には、「王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。」(申命記17:16)とあるからです。ついでに言うなら、「自分のために多くの妻を持って、心がそれることがあってはならない。自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。」(申命記17:15)ともありました。それなのに彼は、この三点セットをすべて手に入れていたのです。

何を言いたいのかというと、そのような繁栄の陰にはこうした危険もあるということです。それがもし与えられたものであるのならいいのですが、自らがそれを欲して手に入れようとするなら、そこには崩壊の危険も隠れているということです。

それは私たちにも言えることです。実は私たちにとって一番危ないのは、私たちが苦しい時よりも、満ち足りた時です。そうした状況に置かれると、いつつしか高慢になって神の言うことを聞こうとせず、自分が神になったかのように錯覚するからです。ですから、繁栄の中にあっても、神の民としての生き方を忘れないように注意しなければなりません。主を恐れることこそ、知恵の始まりなのです。

Ⅲ.ソロモンの知恵(29-34)

最後に29節から34節までをご覧ください。「29 神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。30 ソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵にまさっていた。31 彼は、どの人よりも、すなわち、エズラフ人エタンや、マホルの息子たちのヘマン、カルコル、ダルダよりも知恵があった。そのため、彼の名声は周辺のすべての国々に広まった。32 ソロモンは三千の箴言を語り、彼の歌は千五首もあった。33 彼は、レバノンにある杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣、鳥、這うもの、そして魚についても語った。34 彼の知恵のうわさを聞いた世界のすべての王たちのもとから、あらゆる国の人々が、ソロモンの知恵を聞くためにやって来た。」

ソロモンの知恵は、行政力と経済力だけではなく、学問にも用いられました。「29神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。30 ソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵にまさっていた。」

「東のすべての人々」とは、アッシリヤやバビロンの人々のことを指しています。彼の知恵は、アッシリヤやバビロンの人々やエジプトのすべての知恵にまさっていました。

ソロモンは三千の箴言、格言ですね、これを語り、歌は千五百もありました。聖書の中に収められている箴言には、952の格言があるそうです。ですから、ソロモンが語った箴言の三分の一が聖書に収められた、ということになります。彼の歌は聖書には一つだけ「雅歌」があります。昨年、礼拝で学びました。すばらしい歌でしたね。それは花婿の花嫁に対する愛の歌でしたが、そこにはキリストとその花嫁である教会の愛の歌が暗示されていました。しかも、その最後がすばらしかったですね。覚えていますか。「マラナ・タ」でした。来臨を待望する教会の祈りが預言されていました。このような歌は他に例をみません。ものすごい歌でした。ある人が、「格言を一つでも良いから作ってみなさい。いかに難しいかお分かりになるでしょう。」と言いました。その人は自分の数十年の生涯の中で、たった一つの格言しか作ることができなかったそうです。でも、ソロモンは三千も語ったのです。

また、レバノンにある杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣、鳥、這うもの、そして魚についても語りました。なんと、彼は植物学と生物学にもすぐれていたのです。まさに百科事典のような人です。動く百科事典です。

以前、私が福島で牧会していたとき、アメリカのフィラデルフィアから来たパウエル宣教師夫妻と3年間一緒に働いたことがあります。その夫のダン先生は、とにかく何でも知っているのです。「・・について知っていますか」というと、「それは・・」と言って説明し始めるのです。何でも知っているので、私たちは彼に「動く百科事典」というあだ名をつけました。何でも知っています。しかし、この時のソロモンの知恵は、ダン先生もその足元にも及ばないほどのものでした。周辺諸国の王たちが、そのうわさを聞いて「聞いてみたい」と言って尋ねてくるほどだったからです。後に現在のサウジアラビア、シェバから女王が、ソロモンの知恵を聞きにやって来ます。

いったいどうしソロモンは、これほどの繁栄を手にすることができたのでしょうか。一つには、神の約束がソロモンにおいて成就したからです。たとえば、創世記12章1~9節には、神がアブラハムと契約したことが記されてありますが、それが、ソロモンにおいて成就したのです。また、Ⅱサムエル7章7~17節には、ダビデ契約がありますが、それはダビデの子が世継ぎとなり、平和の約束が実現するということでした。それが成就したのです。

もう一つのことは、神がソロモンに「あなたに何を与えようか。願え。」(3:5)と言われたとき、彼は知恵と判断力求めた結果、神はそれに加えて、彼が願わなかったもの、すなわち、富も誉れも与えると約束してくださいました。ですから、これらのものはすべて神の約束とご計画に基づいて与えられたものなのです。

それゆえ、ソロモンに与えられた課題は、その恵みにどのように応答して生きるかということでした。この疑問に答える形で列王記の記述は続いていきます。そして、ソロモンの人生が私たちに教えていることは、繁栄は時として罠になるということです。このことは、私たちにとっても大きな教訓となります。私たちはいつも主を前に置いて、へりくだり、主を愛し、主の戒めに従って歩む者でありたいと思います。

Ⅰ列王記3章

 今日は、列王記第一3章から学びます。

 Ⅰ.あなたに何を与えようか。願え(1-5)

 まず1~5節をご覧ください。「1 ソロモンはエジプトの王ファラオと姻戚の関係を結んだ。彼はファラオの娘をめとり、ダビデの町に連れて来て、自分の家と主の家、およびエルサレムの周りの城壁を築き終えるまで、そこにとどまらせた。2 当時はまだ、主の御名のために家が建てられていなかったので、民はただ、高き所でいけにえを献げていた。3 ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた。ただし、彼は高き所でいけにえを献げ、香をたいていた。4 王はいけにえを献げようとギブオンへ行った。そこが最も重要な高き所だったからである。ソロモンはそこの祭壇の上で千匹の全焼のささげ物を献げた。5 ギブオンで主は夜の夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」」

ソロモンの治世は、エジプトの王ファラオの娘を妻とすることから始まりました。これは政略結婚です。異教の娘と結婚することについては、申命記7章3~4節で禁じられていました。その理由は、異教徒と結婚することによって惑わされ、まことの神から離れてしまうことになるからです。しかし、ソロモンはこうしたことには無頓着でした。結局彼は、最後は神から離れ、外国の神々を拝むようになってしまいます。しかし、ここでのポイントは彼が異教の娘と結婚したかどうかということではなく、このことがきっかけとなってエジプトと和平条約が結ばれたということ、そして、自分の家と主の家、城壁が築き上げられていったことです。

2節には「高き所でいけにえを献げていた」とありますが、この「高き所」とは偶像礼拝のことではありません。主なる神を礼拝していたところです。このときはまだ主を礼拝するための神殿がなかったので、民は高きところで主を礼拝していたのです。しかし、牛や羊ややぎを幕屋の祭壇においてささげなければなりませんでした(レビ17:2-3)。このような点では確かにソロモンは妥協したり、足りないところもありましたが、彼は父ダビデのように神を愛し、神とともに歩んでいました。そのように、たとえ不完全な状態でも主を愛していたソロモンに、主はご自分の恵みを施してくださいました。

それが4節にあることです。ソロモンはある日いけにえを献げるためにギブオンに行きました。ギブオンは、エルサレムから北東に12㎞にあるベニヤミンの地にある町です。そこが最も重要な高き所だったからです。そこでソロモンは、主の祭壇の上に千頭の全焼のいけにえを献げました。これはソロモンの神への愛と献身を表しています。

すると、その夜主がギブオンで夢のうちにソロモンに現れ、こう仰せられました。「あなたに何を与えようか。願え。」どういうことでしょうか。ソロモンは、信仰的には足りないところがありましたが、純粋に神を愛し、神とともに歩んでいたので、主はご自身を現わしてくださったのです。神の前に忠実に歩む者を、神は祝福してくださるのです。

Ⅱ.ソロモンの願い(6-15)

それに対して、ソロモンは何と答えたでしょうか。6節から15節までをご覧ください。9節までをお読みします。「6 ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。父があなたに対し真実と正義と真心をもって、あなたの御前に歩んだからです。あなたはこの大いなる恵みを父のために保ち、今日のように、その王座に着いている子を彼にお与えになりました。7 わが神、主よ。今あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし私は小さな子どもで、出入りする術を知りません。8 そのうえ、しもべは、あなたが選んだあなたの民の中にいます。あまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど大勢の民です。9 善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

ソロモンが主に願ったのは、善悪を判断して神の民をさばくために、聞き分ける心を与えてほしいということでした。なぜでしょうか。なぜなら、自分がこのように王になることができたのは、父ダビデのゆえに与えられた神の恵みのゆえであるからです(6)。また、彼は小さな者にすぎず、出入りする術を知らなかったからです(7)。すなわち、彼は王としての自分の力量が不足しているということです。彼はそれことを認めていました。そして、そのうえ彼が治めようとしていた民は神の選びの民であり、しかもその数はあまりにも多くて、数えることができないほどなので、それほどの民をさばくためには、それなりの判断力が必要だと思ったからです(8)。すばらしいですね。彼は利己的な願いを脇に置き、神の民の祝福を優先させました。

それに対して主は、何と言われたでしょうか。10節から15節までをご覧ください。「10 これは主のみこころにかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。11 神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを願い、自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、あなたの敵のいのちさえ願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、12 見よ、わたしはあなたが言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに、知恵と判断の心を与える。あなたより前に、あなたのような者はなく、あなたの後に、あなたのような者は起こらない。13 そのうえ、あなたが願わなかったもの、富と誉れもあなたに与える。あなたが生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者は一人もいない。14 また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟と命令を守ってわたしの道に歩むなら、あなたの日々を長くしよう。」15 ソロモンが目を覚ますと、見よ、それは夢であった。彼はエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のささげ物を献げ、交わりのいけにえを献げ、すべての家来たちのために祝宴を開いた。」

10節には、「これは主のみこころにかなった」とあります。そして、彼が自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、敵のいのちさえも願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、主は彼の願いを受け入れられ、彼に知恵と判断の心を与えると言われました。そればかりか、彼が願わなかったもの、富も誉れも与えると約束されました。さらに、もし彼が、ダビデが歩んだように、主の掟と命令を守って主の道に歩むなら、彼の日を長くしよう、と言われました。すなわち、長寿を全うするということです。つまり、ソロモンは主の御心にかなった祈りをすることができたので、主はそれを受け入れられたばかりか、それに加えて多くの祝福を与えてくださると約束されたのです。

ヨハネの手紙第一の中にこのような約束があります。「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」(Ⅰヨハネ5:14)何事でも神のみこころにかなう祈りをするなら、神は聞いてくださる。これこそ神に対する私たちが抱いている確信なのです。

先週の礼拝後に教会の総会が行われ、新年度の活動について話し合いが持たれました。その中で私は、教会の駐車場のために祈りましょうと提案すると、Kさんから、駐車場のためだけでなく礼拝堂のためにもお祈りした方が良いのではないでしょうかという提案がありました。私はそれを聞いて、それは神様のみこころだと思いました。英語の礼拝やキッズのミニストリーなどを考えると、今の場所はかなり狭くなりました。もっと広い場所が必要です。しかし、現状を考えると経済的にはかなり厳しく、会堂建設の話を出すのは難しいのではと思い、そこまでは提案しませんでした。せめて教会に来る人が安心して駐車できるスペースを確保出来たらと思ったのです。しかし、駐車場に限らず主のみこころを求めていくことは大切なことです。今すぐにということではありません。まずそのために祈ることから始めていこうと思ったのです。

私たちは、どちらかというと、現状を見て「できる」とか「できない」と判断しがちですが、大切なのはそれが神のみこころであるかどうかということです。何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信なのです。

ソロモンはなぜそのような祈りをすることができたのでしょうか。いったいどうしたらソロモンのように神のみこころにかなった祈りをすることができるのでしょうか。その鍵は、3節と10節にあると思います。

3節には、「ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた。ただし、彼は高き所でいけにえを献げ、香をたいていた。」とあります。また15節には「ソロモンが目を覚ますと、見よ、それは夢であった。彼はエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のささげ物を献げ、交わりのいけにえを献げ、すべての家来たちのために祝宴を開いた。」とあります。

これを見ると、ソロモンが霊的に強められ、主への献身度が高められたことがわかります。3節の時点で彼は、確かに主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいましたが、まだ高き所でいけにえを献げていました。しかし、彼が夢によってご自身のみこころを示されると、エルサレムの、主の契約の箱の前に立って、全焼のささげ物と、交わりのいけにえを献げました。主の契約の箱とは、主の臨在の象徴です。エルサレムの主の家で、主の前で礼拝をささげたのです。つまり、彼は主を愛し、主の前で主を礼拝する中で信仰が強められ、献身度が高められていったのです。そのような中で主は彼にご自身のみこころを示されたのです。

先日、近藤先生が、月に1度の礼拝でのメッセージのご奉仕のために準備している中で、主が先生に触れてくださり励ましとなっていると話されましたが、それは本当だと思います。私自身、礼拝や祈祷会のためにメッセージを準備する中で主が触れてくださり、深く教えられています。毎週の礼拝ではそのような中から神のことばが語られるのです。聖霊がお一人お一人の心に触れてくださるのは当然のことです。確かに、一人で聖書を読んだり祈ったりする中でも主は語ってくださいますが、であれば、そのような人たちが集まって心を一つにして礼拝する中で、主がご自身のみこころを示してくださるのは当然のことではないでしょうか。

ですから、私たちが神のみこころを知り、みこころにかなった祈りをするためには、ソロモンのように主を愛し、心を尽くして主を礼拝することが求められるのです。そうすれば主は私たちにご自身の思いを示してくださり、御心にかなった祈りができるようになるのです。

Ⅲ.ソロモンのさばき(16-28)

最後に、16~28節をご覧ください。「16 そのころ、二人の遊女が王のところに来て、その前に立った。17 その一人が言った。「わが君、お願いがございます。実は、私とこの女とは同じ家に住んでいますが、私はこの女と一緒に家にいるとき、子を産みました。18 私が子を産んで三日たつと、この女も子を産みました。家には私たちのほか、だれも一緒にいた者はなく、私たち二人だけが家にいました。19 ところが、夜の間に、この女の産んだ子が死にました。この女が自分の子の上に伏したからです。20 この女は夜中に起きて、このはしためが眠っている間に、私のそばから私の子を取って自分の懐に寝かせ、死んだ自分の子を私の懐に寝かせました。21 朝、私が子どもに乳を飲ませようとして起きると、どうでしょう、その子は死んでいるではありませんか。朝、その子をよく見てみると、なんとまあ、その子は私が産んだ子ではありませんでした。」22 すると、もう一人の女が言った。「いいえ、生きているのが私の子で、死んでいるのがあなたの子です。」先の女は言った。「いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子です。」女たちは王の前で言い合った。23 そこで王は言った。「一人は『生きているのが私の子で、死んだのがあなたの子だ』と言い、また、もう一人は『いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ』と言う。」24 王が「剣をここに持って来なさい」と言ったので、剣が王の前に差し出された。25 王は言った。「生きている子を二つに切り分け、半分をこちらに、もう半分をそちらに与えよ。」26 すると生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。「わが君、お願いです。どうか、その生きている子をあの女にお与えください。決してその子を殺さないでください。」しかしもう一人の女は、「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください」と言った。27 そこで王は宣告を下して言った。「生きている子を初めのほうの女に与えよ。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親である。」28 全イスラエルは、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。」

そのような時、二人の遊女が彼のところにやって来ました。ある問題についてさばいてほしいと思ったからです。その問題とは、二人は同じ家に住んでいて、それぞれ三日の差で子を産みましたが、片方の女が夜の間に自分の子の上に伏したために死んでしまったのです。するとその女が、死んだ子をまだ生きている自分の子と取り替えたというのです。これは判断を下すのが非常に難解な事件でした。今の時代のようにD.N.A.鑑定ができればすぐに明らかになりますが、そのようなものが無い時代です。しかも、彼らの他にだれも証人がいませんでした。こうした物的証拠がない中で、ソロモンは正義のさばきを行わなければならなかったのです。これは、ソロモンの知恵がどれほどすばらしいものであったのかを証明するために書かれたものです。いったい彼はどのようにしてこの難題を解決したのでしょうか。

ソロモンは、「剣をここに持って来なさい」と命じると、生きている子どもを剣で二つに切り分け、それぞれの女が半分ずつ取るように命じました。すると生きている子の母親は、自分の子を哀れに思い、その子をもう一方に女に与えてくださいとお願いしました。決してその子を殺さないでくださいと。しかしもう一方の女は、それを自分のものにも、他の女のものにもしないで、断ち切ってくださいと言いました。

するとソロモンは、その生きている子を初めのほうの女に与えるようにと言いました。決してその子を殺してはならないと。彼女がその子の母親だからです。つまり、ソロモンは母性本能と人間としての情を理解して、この難解な問題を解決したのです。本当の母親ならば、自分の手から子どもがいなくなることよりも、子どもの命を大事にするでしょう。この本能を利用してどちらが本当の母親なのかを見極めたのです。これは非常に知恵ある、公正な判断でした。

このさばきを見た全イスラエルは、王を恐れました。なぜなら、神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからです。これは、ソロモンの王国が確立したことを意味しています。ヤコブ1章5節に「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」とあります。私たちに必要なのはこの神の知恵です。

私たちの教会では、毎週日曜日に3つの教会で4回の礼拝が行われていますが、私はそのいずれの週報も書いています。週報の中のお知らせや報告などを書くのは簡単かと思いますが、そうでもありません。書いてみるとわかりますが、ことば使いや伝え方、タイミングを間違えると大変なことになります。本当に小さなことですが、教会全体に与える影響は大きいのです。教会はいつも変化していますから、それに応じて一人一人に配慮し、丁寧に書かなければなりません。ですから、全体の状況を的確に把握してないと書けないのです。それを毎週4枚描き続けるのは簡単なことではありません。そのためには知恵が必要です。上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。

私たちには、この知恵が必要なのです。もし知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めましょう。そうすれば与えられます。あなたは何を願っていますか。それが主のみこころにかなった願いであるなら、主は聞いてくださいます。主のみこころにかなった祈りと願いをするために、ますます主を愛し、心から主に従い、愛する兄弟姉妹とともに、主の前で主に礼拝をささげましょう。