ヨハネの福音書4章43~54節「見ないで信じる者に」

ヨハネの福音書4章から3回にわたってお話ししてきました。第一回目は救いと悔い改めについて、第二回目は礼拝について、そして第三回目は伝道についてです。今日は、この4章の終わりの箇所から、信仰の成長についてお話ししたいと思います。タイトルは、「見ないで信じる者に」です。

 

Ⅰ.見ないかぎり信じない(43-48)

 

まず、43節から48節までをご覧ください。45節までをお読みします。

「さて、二日後に、イエスはそこを去ってガリラヤに行かれた。イエスご自身、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言なさっていた。それで、ガリラヤに入られたとき、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎したが、それは、イエスが祭りの間にエルサレムで行ったことを、すべて見ていたからであった。彼らもその祭りに行っていたのである。」

 

「さて、二日後に」とは、イエス様がサマリヤに滞在されて二日後に、ということです(4:40)。イエス様はそこを去ってガリラヤへ行かれました。ガリラヤに行くことは、当初からの計画でした。しかし、イエス様は一人の魂に飢え渇いた女性を救うためにサマリヤを通過し、その途中スカルというサマリヤの町に滞在されたのです。それは、いわば寄り道でした。しかし、その寄り道は何とすばらしい結果をもたらしたことでしょう。イエス様はその町に二日間滞在し、さらに多くの人々が、イエス様を信じたのです。

 

その二日後に、イエス様はそこを去ってガリラヤに行かれました。なぜなら、イエスご自身が、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言なさっていたからです。自分の故郷では尊ばれないとわかっていたのに、どうしてわざわざガリラヤへ行かれたのでしょうか。そこである人たちは、この44節のことばは、イエスがガリラヤへ行かれた理由を説明しているのではないと考えます。そうでないとさっぱり意味が通じなくなるからです。この新改訳2017ではそのように訳しています。しかし、この44節の冒頭には日本語では訳されていませんが、「そういうわけで」とか「なぜなら」という理由を説明するギリシャ語の接続詞「ガル」ということばがあって、これは明らかにイエスがガリラヤへ行かれた理由を表しているのです。ですから、新改訳聖書第三版では、ここをちゃんと、「イエスご自身が、『預言者は自分の故郷では尊ばれない』と証言しておられたからである。」と訳しています。訳としては、こちらの方が正確です。問題は、であればイエス様はなぜガリラヤへ行かれたのかということです。自分が尊ばれない所には、だれも行きたいとは思わないはずです。それなのに、イエス様はあえてガリラヤへ行かれたのです。そこには二つの理由があったと考えられます。

 

一つは、このガリラヤというのはガリラヤ地方のことであって、ナザレのことではなかったからです。イエス様が言われた「自分の故郷」とはナザレのことであって、ガリラヤ地方全体のことを指していたのではなかったということです。確かにナザレもガリラヤ地方の町の一つではありますが、ナザレの町と他の町とではイエス様に対する感情に明らかに違いがありました。一般的にガリラヤの町々では尊ばれていましたが、ナザレではそうではなかったのです。そこには自分の家族も住んでおり、その家族にとってイエス様は単なる家族の一員にすぎず、神の預言者として尊ばれることはありませんでした。たとえば、ヤコブの手紙を書いたヤコブはイエス様の実の兄弟ですが、彼がイエス様をメシヤとして信じたのはイエス様が復活してからのことでした。それまではただの家族の一員、親切なお兄ちゃんくらいにしか受け止めていなかったのです。

ですから、イエス様がガリラヤに帰っても、ナザレを訪問することはありませんでした。その結果、遠くにいたサマリヤの人たちやガリラヤの他の町々村々の人たちが祝福を受け、近くにいたナザレの人たちが祝福を逃すことになってしまいました。これは何という皮肉なことでしょうか。私たちの祝福は、イエス様とどれだけ近くにいるかということによってではなく、イエス様をどのような目で見、どのように歓迎するかによって決まるのです。イエス様を私たちの人生に歓迎する人になりましょう。

 

では、そのガリラヤの人たちはどのようにイエス様を歓迎したでしょうか。45節をご覧ください。彼らはイエスがガリラヤに入られたとき、イエスを歓迎しました。すばらしいですね。でもどうして彼らはイエス様を歓迎したのでしょうか。その後のところに理由が述べられています。

「それは、イエスが祭りの間にエルサレムで行ったことを、すべて見ていたからであった。彼らもその祭りに行っていたのである。」

なるほど、彼らがイエスを歓迎したのは、過越しの祭りを祝うためにエルサレムに上ったとき、そこでイエスが行われたしるしを見たからです。彼らはガリラヤに帰るなり、エルサレムで起こった不思議な出来事を隣人たちに報告していたのです。ですから、イエス様がガリラヤに到着すると、熱狂的にイエス様を歓迎したのです。

 

でも、これは本物の信仰とは言えません。それは2章23~24節に出てくるエルサレムの人々と何ら変わりありません。そこにはこうあります。

「過越しの祭りの間、イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じた。しかし、イエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。」

イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスを信じましたが、それはどうしてかというと、イエスが行われたしるしを見たからです。ですから、たとえ彼らがイエス様を信じても、イエス様は彼らに自分を任せることはなさいませんでした。つまり、彼らを信頼しなかったのです。イエス様が行われたしるしを見て信じるだけなら、それは本物の信仰とは言えないからです。イエスのなされる御業を見て信じること自体が悪いのではありません。しかし、それは信仰の入口にすぎず、あくまでも神のみことばが真実であるということの証拠としての奇跡であって、そこから本物の信仰へと進んで行かなければならないのです。つまり、イエス様が私たちの罪のために十字架で死んでくださったメシヤ、救い主であるということをしっかりと告白し、新しく生まれ変わるという経験が必要なのです。それが信仰の第一ステップです。それがなければ、どんなに不思議なしるしや奇跡を見ても何の意味もありません。

 

ヨハネは、そのことを示すために、次に王室の役人の息子の話を取り上げています。46節から48節までをご覧ください。

「イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。イエスが水をぶどう酒にされた場所である。さてカペナウムに、ある王室の役人がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところに行った。そして、下って来て息子を癒やしてくださるように願った。息子が死にかかっていたのである。イエスは彼に言われた。『あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。』」

 

イエス様は再びガリラヤのカナへ行かれました。そこはかつてイエスが水をぶどう酒に変えるという奇跡を行われたところです。そこにカペナウムという町から、ある王室の役人が来ていました。この王室とはヘロデ・アンティパスに仕える役人のことで、今で言うと、政府の高官のことです。彼は息子が病気で死にかかっていたので、息子を癒してもらうためにカペナウムからわざわざやって来たのです。カペナウムからカナまでの距離は約30㎞、標高差は約600mあります。その距離を一気に上って来たのですから、彼がどれほど切羽詰まっていたかがわかります。

 

イエス様はいったいなぜガリラヤに行かれたのか、そのもう一つの理由がここにあります。それは、この役人を救いに導くためでした。イエス様は以前サマリヤの女を救いに導くためにわざわざスカルというサマリヤの町に行かれたように、この王室の役人を救うためにわざわざガリラヤへ行かれたのです。「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言なさっていたのに・・です。この役人はどのように救いに導かれて行ったのでしょうか。

 

彼には悩みがありました。彼の息子が病気で死にかかっていたという悩みです。身分が高ければ悩みがないというわけではありません。どんなに身分が高い人でも悩みごとを持っているのです。それは身分が低い人が持っているものとは違うものかもしれませんが、誰にでも悩みがあるのです。そして、その悩みはその人にとっては切実なものなのです。

 

しかしながら、そうした悩みや苦しみが、いつでも人を不幸にするのかというとそうではありません。むしろ、こうした悩みが私たちを救うための(罪から)一つの契機になる場合があります。この王室に役人も息子が病気で死にかかっていたという苦しみの中でイエス様のところへ助けを求めに来ることで、本当の救いを得ることができました。

 

彼はイエス様のところにやって来ると、何と言ったでしょうか。47節を見ると、彼はイエスのところに行き、「下って来て息子を癒してくださるように願った。」とあります。これはどういうことでしょうか。当時、多くの人々が、イエスが祭りの間にエルサレムでなさった「しるし」によって信じていました。ですから、この役人も、イエス様がエルサレムで多くの「しるし」を行ったといううわさを聞いて、イエス様に助けを求めに来たのでしょう。

 

しかし、それに対するイエスの答えは殺伐としたものでした。48節をご覧ください。

「イエスは彼に言われた。『あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。』」

どういうことですか。息子が病気で死にそうなのだから、来て癒してくださいと願うのは当然のことではないでしょうか。それなのに、「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」と言うのは理解できません。癒しを求めることが問題なのではありません。問題は、しるしや不思議を見ないかぎり信じないということです。それはあのガリラヤの人たちと少しも変わりません。彼らがイエスを歓迎したのは、イエスが祭りの間にエルサレムで起こったことを、すべて見ていたからでしたが、それはこの役人も同じでした。彼はイエスがユダヤからガリラヤにやって来たことを聞いて、自分の病気の息子が癒されたのなら信じようと考えていたのです。問題の解決を求めてイエスのところにやって来ることは大切なことです。しかし、それは信仰の入口にすぎず、そこから本物の信仰へと進んでいかなければならないのです。ですから、イエス様はここで、「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」と言われたのです。最初はそれでもいいでしょう。しかし、いつまでもそこにとどまっていてはなりません。そこから一歩進んでみことばに信頼する信仰を持たなければならないのです。

 

マタイの福音書8章に登場するあのローマの百人隊長はそうでした。彼は、イエス様の発せられる御言葉の権威を認め、それに従いました。ちょっと開いて確認してみましょう。

「イエスがカペナウムに入られると、一人の百人隊長がみもとに来て懇願し、『主よ、私のしもべが中風のために家で寝込んでいます。ひどく苦しんでいます』と言った。イエスは彼に『行って彼を治そう』と言われた。しかし、百人隊長は答えた。『主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。と申しますのは、私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。』

イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。『まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。』」(マタイ8:5-10)

 

この百人隊長は、イエスが御言葉を発せられれば、すべてのものはそれに服従すると信じて疑いませんでした。なぜなら、百人隊長である彼でさえ部下に命じれば、部下は必ずそのとおりにしたからです。ましてや、この天地万物の創造主であられる神が発するのであれば、すべてのものがそれに服するのは当然のことです。ですから、わざわざ来てもらう必要もありません。ただそのように言っていただくだけで良かったのです。そうすれば、すべてはそれに従うと信じて疑わなかったのです。

 

しかし、この役人は、まだそこまでの信仰を持ち合わせていませんでした。ですから、「下って来て息子をいやしてください」と願っているのです。何ですか、「下って来て息子をいやしてください」とは。彼はイエス様が下って来て、息子を癒してくださらなければ、息子は直らないと思っていました。しるしと不思議を見ない限り信じられない信仰、そのような信仰しか持ち合わせていなかったのです。

 

それは49節の彼のことばにも現れています。49節で彼はこのように言っています。「主よ。どうか子どもが死なないうちに、下って来てください。」

これはどういうことですか。死んだら終わりだということです。だから死なないうちに来てほしかったのです。イエス様がどんなに偉い方であっても、死んでしまえば、もう手の施しようがないと考えていました。主がよみがえらせる力を持っておられることは信じていなかったのです。

 

それは、あのラザロが病気だった時と同じです。ラザロが死んでから、イエスがマリヤとマルタの家にやって来ると、彼女たちは異口同音にこう言いました。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」(ヨハネ11:32)そうです、彼女たちもまた、死んだら終わりという信仰しか持っていませんでした。

そのような彼女たちにイエス様は何と言われましたか。有名なみことばです。イエス様はこのように言われました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)

 

すばらしい約束ですね。皆さん、私たちの人生には「死」のような出来事が起こることがあります。それが実際の死であることもありますし、もうすべてが終わった、お先真っ暗だというようなこともあります。けれども、イエス様はその死からよみがえりました。イエス様はよみがえりです。いのちです。イエス様を信じる者は死んでも生きるのです。イエス様は死に勝利されました。この方が私たちとともにおられるのです。この方が共におられるなら、私たちに絶望はありません。私たちはこの方にあって、常に勝利ある人生を送ることができるのです。それはしるしと不思議を見なければ信じない信仰からは生まれてきません。それは、見なくても信じる信仰、イエス様の御言葉を信じる信仰から生まれてくるのです。

 

Ⅱ.イエスが語ったことばを信じる(50)

 

そこでイエス様は、この王室の役人の信仰を次のステップへと導かれます。それは、「しるし」に頼る段階から「みことば」を信じる信仰です。50節をご覧ください。

「イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。」

 

「子どもが死なないうちに、下って来てください」という役人の願いに対して、イエス様は「行きなさい。あなたの息子は治ります。」と言われました。「わかりました。すぐに行きましょう」とか、「それは大変ですね。急いて行きましょう」とかではなく、ただ「行きなさい。あなたの息子は治ります。」と言っただけです。どうしてでしょうか。それは、この王室の役人に対して、信仰の飛躍を経験させようと考えておられたからです。

 

すると彼はどうしたでしょうか。「その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。」不思議ですね。あれほど切羽詰まってやって来た人が、「行きなさい。あなたの息子は治っています」と聞いただけで、そのことばを信じたのですから。私だったら、「いいえ、帰りません。あなたが一緒に来てくださるのでなければ、どんなことをしたって帰りません」と言い張ったのではないかと思います。たとえば、自分の孫がそういう状態だったら、「助けてくださいイエス様。何とかしてください。このピンチを乗り越えられたなら、何でもしますから」とか言って強引に連れて来ようとしたのではないかと思います。それなのに彼は、イエスが語ったことばを聞くと、すんなりと帰って行きました。なぜでしょうか?あきらめたのですか?どんなに言ってもだめだ・・・と。そうではありません。彼はこのイエスが語ったことばを信じたのです。彼はここで一つの信仰の冒険をしました。自分の思いに固執するのをやめ、主が言われることに従うことにしたのです。

 

これは、彼の信仰が次の段階に進んだことを示しています。事実、彼が帰途に着いたのは翌日のことでした。つまり彼は、イエス様にこのように言われた後ですぐに家に戻ったのではなく、そこにもう一泊しているのです。なぜそのことがわかるのかというと、後でこの息子の病気が治ったとき、その時刻を尋ねると、「昨日の第七時」と答えているからです。カペナウムからカナまでは30㎞、帰る気であれば帰れたのです。それなのにそこにもう一泊滞在したのは、彼がイエス様の言われたことばを信じたからなのです。確かに状況は絶望的でした。自分の無力さに打ちのめされる思いだったでしょう。しかし、そのような中にあってもイエス様のみことばに信頼することで、嵐の中でも動じない舟の錨のような安心感が与えられたのだと思います。

新聖歌248番の「人生の海の嵐に」は、そのような信仰が賛美されています。

「人生の海の嵐に もまれ来しこの身も

不思議なる神の手により 命拾いしぬ

いと静けき港に着き われは今 安ろう

救い主イエスの手にある 身はいともやすし」

 

私たちもこのようなことをよく経験します。もう自分の力ではどうしようもなくなったとき、すべてを主にゆだねることで人知をはるかに越えた不思議な神の平安を体験するということがあるのです。まさに彼はこれを体験したのです。キリストのことばに信頼すること・・で。

 

しかし、これがなかなか難しいのです。私たちは自分の持っているものをなかなか手放すことができません。自分の結婚にしても、将来のことについても、仕事のことや家庭のこと、あるいは自分の財産やいのちについても、自分でしっかり握りしめているだけで、それを主にゆだねることができなくて苦しむのです。信じなさいと言われても、信じることができなくて、自分で何とかしようともがくのです。それではなかなか主の力を体験することはできません。あなたが今しっかり握っているものを一度手放す時、主はそれを何倍にもして与えくださいます。その時、あなたの信仰も大きく飛躍することができるでしょう。

 

Ⅲ.みことばを体験する(51-54)

 

この王室の役人の信仰はどのように飛躍したでしょうか。彼は、そのみことばを体験しました。最後にそれを見て終わりたいと思います。51節から54節をご覧ください。

「彼が下って行く途中、しもべたちが彼を迎えに来て、彼の息子が治ったことを告げた。子どもが良くなった時刻を尋ねると、彼らは「昨日の第七の時に熱がひきました」と言った。父親は、その時刻が、「あなたの息子は治る」とイエスが言われた時刻だと知り、彼自身も家の者たちもみな信じた。

イエスはユダヤを去ってガリラヤに来てから、これを第二のしるしとして行われた。」

 

彼が下って行く途中、しもべたちが彼を迎えに来ると、彼の息子が治ったことを告げました。そこで、子どもが良くなった時刻を尋ねると、前日の第七時に熱が引いたということでした。それはユダヤの時刻で、今日の時刻では午後1時になります。それはちょうどイエス様が「あなたの息子は治る」と言われた時刻でした。それで彼自身も彼の家の者たちもみな信じたのです。あれっ、彼はイエス様が言われたことばを信じて帰って行ったのではなかったですか?それなのに、イエス様が「あなたの息子は治る」と言われた時刻と息子が癒された時刻が同じ時刻であったことを知って信じたというのはおかしいのではないでしょうか。いいえ、それは、彼がイエス様のことばを信じていなかったということではありません。イエス様が言われたことを信じた結果、本当にそのようになったことを知って改めて信じたということです。つまり、信仰によってみことばが真実であることを体験したということです。

 

皆さん、信仰において大切なことは、このみことばを体験するということです。信仰というのは、まず神のみことばの正しい解釈が求められますが、いくら神のみことばを知っていても、それが頭だけであるとしたら、いざという時に何の役にも立ちません。それこそ、実際の生活の中で自分が思ってもいなかったことが起こると、右往左往し、信仰につまずいてしまうことになるのです。しかし、みことばを体験した人は違います。ちょっとやそっとのことでは動じません。この不動の信仰に至るためには、どうしてもみことばの体験が必要なのです。自分の結婚の問題について、また自分の将来について、自分の仕事や生活、その他あらゆることについて、たえず聖書のみことばに生き、みことばの真実さを体験していく時、不動の信仰に至ることができるのです。その結果、彼だけでなく、彼の家族全員が同じ信仰を持つようになりました。

 

あなたはこの役人のように、イエス様のことばだけに信頼して、そのみことばを体験しておられるでしょうか。それとも、しるしと不思議を見ない限り、決して信じませんという段階でしょうか。しるしと不思議を見て信じる段階からイエス様のことば、聖書のことばに信頼する段階へ、そして、そのみことばを体験する信仰へと進ませていただきましょう。

 

54節を見ると、「イエスはユダヤを去ってガリラヤに来てから、これを第二のしるしとして行われた。」とあります。この奇跡は、ガリラヤでの二回目のしるしでした。「しるし」というのは、証拠としての奇跡です。イエス様が神の子、キリストであるということの証拠としての奇跡のことです。最初のしるしもこのカナで行われました。それは水がぶどう酒に変わることを通して、主はこの自然界をも支配しておられる方であり、私たちに真の喜びをもたらすことができるということを示していましたが、今回の奇跡は、この王室の役人の息子のいやしを通して、主は死にそうな病人をも癒すことがおできになられるいのちの主であられることを示されました。「信じるなら神の栄光を見る」(ヨハネ11:40)のです。ですから、信じない者にならないで、信じる者になりましょう。しるしと不思議を見る信仰から、見ないでも信じる信仰へ、そして、それを体験する確固たる信仰へと進ませていただきましょう。

出エジプト記2章

きょうは、出エジプト記2章から学びます。前回は、ヨセフのことを知らない新しいエジプトの王ファラオが、イスラエルの民が増え広がるのを恐れ、彼らに過酷な労働をさせたことを学びました。しかし、苦しめられれば苦しめられるほど、イスラエルの民はますます増え広がったので、どうにも手に負えませんでした。そこで彼は、ヘブル人の助産婦に、ヘブル人の女に分娩させるとき、もしも男の子なら殺すようにと命じましたが、神を恐れていた助産婦たちは、たとえファラオにそのように命じられてもそれに従わず、ただ神に従いました。殺さないで残しておいたのです。そこでファラオは、すべての民にこのように命じました。「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」

 

  1. 奇しい神のみわざ(1-10)

 

まず、1節から3節までをご覧ください。

「さて、レビの家のある人がレビ人の娘を妻に迎えた。彼女は身ごもって男の子を産み、その子がかわいいのを見て、三か月間その子を隠しておいた。しかし、それ以上隠しきれなくなり、その子のためにパピルスのかごを取り、それに瀝青と樹脂を塗って、その子を中に入れ、ナイル川の岸の葦の茂みの中に置いた。」(1-3)

 

レビの家のある人が結婚すると、妻は身ごもって男の子を産みました。その子の両親の名は、父がアムラム、母がヨケベデです(出エジプト6:20)。彼らは、この子をナイル川に投げ込まなければなりませんでしたが、できませんでした。それで、彼らはその子を三か月間隠しておきました。ヘブル11章23節には、それが信仰によってなされたと言われています。「信仰によって、モーセは生まれてから三か月の間、両親によって隠されていました。彼らがその子のかわいいのを見、また、王の命令を恐れなかったからです。」(ヘブル11:23)ここには、彼らがその子を隠したのはただかわいいという理由だけでなく、王の命令を恐れなかったからである、とあります。つまり、それは信仰によることだったのです。彼らは王の命令を恐れなかったのです。このように、信仰とは人を恐れないことで、神だけを恐れることです。そして、このように神を恐れて生きる人には、不思議な神のみわざが現れます。3節をご覧ください。

 

しかし、三か月が経った頃、もう隠しきれなくなると、その子をパピルス製のかごに入れ、それに瀝青と樹脂を塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置きました。赤ちゃんの泣き声が外に聞こえるのでもう隠しきれなくなったのでしょう。瀝青と樹脂を塗ったのは防水加工をするためです。防水加工をして水がかごの中に入らないようにして、それをナイル川の岸の葦の茂みの中に入れたのです。なぜそんなことをしたのでしょうか?そんなことをしたからといっていったい何が期待できるというのでしょうか。何も期待などできません。でも、もしかしたら、情け深い人の手によって救われるかもしれないと思ったのでしょう。いずれにせよ、彼女はすべてを神の御手にゆだね、ナイルの茂みに置いたのです。ここに彼女のバランスのとれた信仰を学ぶことができます。隠せる間は努力して隠しました。しかし、自分の限界を超えた事柄については、神の摂理にゆだねたのです。

 

するとどうなったでしょうか。4~10節までをご覧ください。

「その子の姉は、その子がどうなるかと思って、離れたところに立っていた。すると、ファラオの娘が水浴びをしようとナイルに下りて来た。侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みの中にそのかごがあるのを見つけ、召使いの女を遣わして取って来させた。それを開けて、見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をかわいそうに思い、言った。「これはヘブル人の子どもです。」その子の姉はファラオの娘に言った。「私が行って、あなた様にヘブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に乳を飲ませるために。」ファラオの娘が「行って来ておくれ」と言ったので、少女は行き、その子の母を呼んで来た。ファラオの娘は母親に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私が賃金を払いましょう。」それで彼女はその子を引き取って、乳を飲ませた。その子が大きくなったとき、母はその子をファラオの娘のもとに連れて行き、その子は王女の息子になった。王女はその子をモーセと名づけた。彼女は「水の中から、私がこの子を引き出したから」と言った。」

 

その子には姉がいました。15章20節を見ると、ミリアムという名の女性です。後に女預言者となります。モーセが生まれたとき、彼女は13歳でした。お母さんから、弟がどうなるか見て来てくれと頼まれたのでしょう。彼女は、離れたところから見ていました。すると、なんとファラオの娘が水浴びをしようとナイル川に下りて来ました。このファラオの娘は、トトメスⅠ世の娘ハトシェプストという人がではないかと考えられています。それにしても、その子がナイルに流されたちょうどその時に、彼女が水浴びをしようとナイルに下りてきたというのはものすごいタイミングです。その確率はあり得ないほど低いものですが、それは決して偶然ではありません。神がそのように導いていてくださったのです。人の目には一見偶然のように思える事柄の中にも、神が働いておられるのです。

 

ファラオの娘は、葦の茂みの中からそのかごを見つけると、召使いを遣わして取って来させました。そして、そのかごを開けて、中を見ると、そこに男の赤ちゃんが泣いていました。彼女はその子をかわいそうに思い、「これはきっとへブル人の子どもです。」と言いました。へブル人とエジプト人の割礼の方法が異なっていたので、それがへブル人の子どもであることがすぐにわかったのです。

 

すると、それを離れたところから見ていたその子の姉がファラオの娘に近づき、こう言いました。「あなた様に代わって、その子に乳をのませるために、私が行って、へブル人の中から乳母を呼んで参りましょうか。」これもすごいタイミングですよね。その子の姉がその様子を見ていなかったら、このように言うことはではなかったでしょう。でも離れた所からずっと見ていたので、「今だ」という時に、このように言うことができたのです。

すると、ファラオの娘が、「行って来ておくれ」と言ったので、彼女は行き、その子の母親を呼んで来ました。それで、その子の母親は息子を取り戻せただけでなく、賃金までもらって乳を飲ませることができたのです。こうしてモーセは、ファラオの娘の特別な保護のもと、実の母親の手によって、公然と育てることが許されました。こんなことってありますか?本当に不思議なことです。その子は、このような不思議な神の御手によって大きく成長していきました。その子の名は「モーセ」です。モーセが大きくなったとき母親は彼をファラオの娘のもとに連れて行き、その子はファラオの息子になりました。これはどういうことでしょうか?これは、彼がエジプトの王女の息子としてエジプトで最高の学問を身につけることができたということです。それは彼が後にイスラエルをエジプトから解放するために大きく用いられたことになります。皮肉にもエジプトの王子として受けた教育が、後にエジプトからイスラエルを解放するために用いられることになるのです。

そればかりではありません。彼がへブル人の実の母親の元で育てられたことで、彼はへブル人としての自覚を失いませんでした。彼が実母によって育てられた期間は彼が5歳くらいになるまでであったろうと思われますが、この時期にへブル人としての自覚とイスラエルの神についての概念を、しっかり確立することができたのです。

ここに幼児教育の重要性を見ることができます。その時期にどのような環境の中で育つかは、その人のその後の人格形成と信仰の形成に大きな影響をもたらします。鮭が生まれたところに戻るように、人は幼い頃に受けた環境に戻ります。「モーセ」という名前は、「引き出された者」という意味です。彼は水の中から引き出されただけでなく、後にイスラエルをエジプトから引き出すために用いられる人物になるのです。

 

2.ミディアンの地に逃れたモーセ(11-15)

 

次に、11節から15節までをご覧ください。

「こうして日がたち、モーセは大人になった。彼は同胞たちのところへ出て行き、その苦役を見た。そして、自分の同胞であるヘブル人の一人を、一人のエジプト人が打っているのを見た。彼はあたりを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺し、砂の中に埋めた。次の日、また外に出てみると、見よ、二人のヘブル人が争っていた。モーセは、悪いほうに「どうして自分の仲間を打つのか」と言った。彼は言った。「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。おまえは、あのエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか。」そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知られたのだと思った。ファラオはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜した。しかし、モーセはファラオのもとから逃れ、ミディアンの地に着き、井戸の傍らに座った。」

 

こうして日がたち、モーセが大人になった頃、一つの事件が起こります。彼が同胞のところに行ってみると、彼らが苦役に服しているのを見ました。そして、自分の同胞を一人のエジプト人が打っているのを見ると、彼はあたりを見回し、そこにだれもいないのを確認して、そのエジプト人を殺し、砂の中に埋めたのです。なぜ彼はこんなことをしたのでしょうか。彼はへブル人としての自覚を失っていませんでした。ですから、同胞のへブル人が苦しめられているのを見た時、黙っていられなかったのです。使徒7章23節には、「モーセが四十歳になったとき、自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こりました。」とあります。彼にはもともとそのようなタイプの人間でした。しかも、それが同胞のへブル人であったので、何とか助けてやりたいと思ったのでしょう。

しかし、ここに一つの誤解がありました。彼は自分がエジプトで高い地位についている者だから彼らを救い出すことができると思っていたことです。しかし、救ってくださるのはあくまでも神であって彼ではありません。そのことが次の事件で明らかになります。

 

次の日、また外に出てみると、なんと、ふたりのヘブル人が争っていました。そこで彼は悪いほうに「どうして自分の仲間を打つのか」と言うと、その人はこう言いました。「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。おまえは、あのエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか。」彼は、神が自分をへブル人の解放者として選んでいると思っていたのに、同胞のへブル人はそのように認めていまいばかりか、彼がエジプト人を殺したことをファラオに密告したのです。それでモーセはファラオが自分を殺そうとしているのを知り、ファラオのもとから逃れ、ミディアンの地に行ったのです。

 

このことについて、ステパノはこのように言っています。使徒7章23~29節です。

「モーセが四十歳になったとき、自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こりました。そして、同胞の一人が虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を打ち殺して、ひどい目にあっていた人のために仕返しをしました。モーセは、自分の手によって神が同胞に救いを与えようとしておられることを、皆が理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした。 翌日、モーセは同胞たちが争っているところに現れ、和解させようとして言いました。『あなたがたは兄弟だ。どうして互いに傷つけ合うのか。』すると、隣人を傷つけていた者が、モーセを押しのけながら言いました。『だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。昨日エジプト人を殺したように、私も殺すつもりか。』このことばを聞いたモーセは逃げて、ミディアンの地で寄留者となり、そこで男の子を二人もうけました。」

 

モーセは、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしていることをみんなが理解していると思っていましたが、実際はそうではありませんでした。むしろ、そのことに反発していたのです。その表れが、あの同胞の「だれがおまえを・・・」という言葉だったのです。彼は、自分の手によって神が同胞に救いを与えてくれると思い、また皆もそのことを理解してくれるものと思っていましたが、実際はそのように思っていたのは自分だけでした。このようなことがよくありますね。みんなもそう思っていると思っていたら全然違っていたということが。全くの誤解です。そもそも自分の力では無理なのです。イエス様は、「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」(ヨハネ15:5)と言われましたが、私たちは、イエス様を離れては何もすることができないのです。それなに、自分の力で何とかしなければならないと思ってしまったことが、彼の大きな間違いだったのです。

 

それで彼はミディアンの地へと逃れて行くわけですが、それは、彼がこのことを学ぶために必要な期間でした。それは四十年にわたる神による準備と訓練の時でしたが、この霊的訓練の時を経て、彼は本当の意味で神に用いられ器となっていきます。それは、神の方法によって彼らを救い出すことはできないということです。

 

私たちはここから学ばなければなりません。神の時、神の方法によらなければ、いかに信仰的な行為であっても、真の祝福をもたらすものとはならないということです。自分にとって神の時はいつなのか、神の方法とはどのようなものなのかを黙想してみましょう。

 

3.ミディアンの地で(16-25)

 

ミディアンの地に逃れたモーセはどうなったでしょうか。16節から23節までをご覧ください。

「さて、ミディアンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちは父の羊の群れに水を飲ませに来て、水を汲み、水ぶねに満たしていた。そのとき、羊飼いたちが来て、彼女たちを追い払った。するとモーセは立ち上がって、娘たちを助けてやり、羊の群れに水を飲ませた。彼女たちが父レウエルのところに帰ったとき、父は言った。「どうして今日はこんなに早く帰って来たのか。」娘たちは答えた。「一人のエジプト人が、私たちを羊飼いたちの手から助けてくれました。そのうえ、その人は私たちのために水汲みまでして、羊の群れに飲ませてくれました。」父は娘たちに言った。「その人はどこにいるのか。どうして、その人を置いてきてしまったのか。食事を差し上げたいので、その人を呼んで来なさい。」モーセは心を決めて、この人のところに住むことにした。そこで、その人は娘のツィポラをモーセに与えた。彼女は男の子を産んだ。モーセはその子をゲルショムと名づけた。「私は異国にいる寄留者だ」と言ったからである。」

 

このミディアンの地がどこなのかは正確にはわかりません。おそらくシナイ半島の南東地域だと思われます。ミディアン人の祭司ですが、彼の名はレウエル(2:18)、またはイテロと言います(3:1)。ミディアン人は、アブラハムの子どもの一人です。サラが亡くなった後、アブラハムはケトラというもうひとりの妻をめとりましたが、その間に産まれたのがミディアンです(創世記25:2)。ですから、ミディアン人はイスラエル人と血のつながりを持っていたのではないかと考えられます。そして、「レウエル」とは、「神の友」とか、「神の羊飼い」という意味です。古代のセムの神「エル」に仕えていたことを示しています。ですから、彼はまことの神を礼拝していた祭司だったのでしょう。そういうところに神はモーセを導かれましたというのも、また不思議なことです。

 

モーセは、そこの井戸のかたわらに腰を下ろしていました。するとそこへミディアン人の祭司の娘たちが、羊に水をやるためにやって来ました。ところが、他の羊飼いたちがやって来て、彼女たちを追い払いました。せっかく汲み上げた水を彼女たちから取り上げて、自分たちの羊に飲ませようとしていたのです。そこでモーセは彼女たちを助けてやり、彼女たちの羊の群れに水を飲ませてやりました。この小さな親切が、この地の祭司であったレウエルとその家族に近づけさせることになります。

娘たちが家に帰ってから、このことを父に告げると、父は、「その人はどこにいるのか。どうして、その人を置いてきてしまったのか。食事を差し上げたいので、その人を呼んで来なさい。」と言ったので、モーセは心を決めて、この人のところに住むようにしました.ただ住むようになっただけではありません。ツィポラという娘を嫁としてもらいました。そして、子供も生まれると、その子の名前を「ゲルショム」と名付けました。それは、「私は異国にいる寄留者だ。」という意味です。これはどういうことかというと、このように名づけることによって、彼は自分がミディアン人ではなくヘブル人であることを証していたのです。

 

こうしてモーセは、ミディアン人の地に住むことになりました。80歳になるまで、40年間、この地で羊飼いをすることになるのです。モーセは「神の友」レウエルのもとで、エジプトでは得られなかった内面の修行を積むことになるのです。彼は同胞からも、約束の地からも遠く離れて生活せざるを得ませんでしたが、そのような所で彼は、主のみこころに全く従うことを学んだのです。

 

23節から25節までをご覧ください。

「それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエルの子らは重い労働にうめき、泣き叫んだ。重い労働による彼らの叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの子らをご覧になった。神は彼らをみこころに留められた。」

 

それから何年もたって、エジプトの王が死にました。彼はイスラエル人をひどく苦しめました。彼らが重い労働にうめき、泣き叫んだとき、その叫びが神に届きました。神は彼らの嘆きを聞かれると、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。そして、神は彼らをみこころを留められました。

 

ここにすばらしい約束があります。イスラエル人はヤコブを通して神から語られてからずっと、400年以上も神からの語りかけを受けていませんでした。神の祝福どころか、ひどい苦しみの中に置かれていました。もう神から見捨てられたのではないかと思っていたでしょうか。しかし、神は決して彼らをお見捨てにはなりませんでした。彼らがうめき、泣き叫ぶその声を聞いておられたのです。そして、アブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた契約を決して忘れておられませんでした。そして、神は先祖たちに与えられた約束を、この世代のイスラエル人によって実現しようとされたのです。そうです、イスラエルを約束の地に再び連れ上るという約束です(創世記45:3-4)。

 

私たちにも、同じです。神は私たちに永遠のいのちを約束してくださいました。私たちはその約束を待ち望み、それが実現するのを期待しています。けれども、この世ではその約束とは反対の、うめきや苦しみの中で叫ばずにはいられない状況に置かれるがあります。敵である悪魔がほえたける獅子のように、食い尽くすべき獲物を捜しながら、歩き回っているのです。その中で私たちは「神は本当におられるんですか」と疑ったたり、嘆いたりしますが、神は私たちの嘆きを聞き、みこころに留めておられるのです。そして、その約束の実現のために、今も働いておられるのです。

 

このエジプトでのイスラエルの叫びは、この世におけるキリスト者の叫びでもあります。しかし、神は私たちの叫びを聞き、私たちをみこころに留めておられます。イスラエルをエジプトから救い出したように、私たちを罪から救ってくださいます。それがイエス・キリストです。神はこのキリストによって私たちとともにいてくださいます。私たちの嘆きと叫びを聞き、そこから救ってくださいます。この神の約束を信じ、神に力を与えていただきながら、与えられた信仰の道を歩ませていただきましょう。

士師記16章

士師記16章からを学びます。まず1節から3節までをご覧ください。

 

Ⅰ.ガザに下ったサムソン(1-3)

 

「サムソンはガザへ行き、そこで遊女を見つけて、彼女のところに入った。 「サムソンがここにやって来た」と、ガザの人々に告げる者があったので、彼らはそこを取り囲み、町の門で一晩中、彼を待ち伏せた。彼らは「明け方まで待ち、彼を殺そう」と言って、一晩中鳴りを潜めていた。サムソンは真夜中まで寝ていたが、真夜中に起き上がり、町の門の扉と二本の門柱をつかんで、かんぬきごと引き抜き、それを肩に担いで、ヘブロンに面する山の頂に運んで行った。」

 

サムソンはガザへ行き、そこで遊女を見つけて、彼女のところに入りました。ガザはペリシテ人

の町の中で最大の町です。つまり、彼はペリシテ人の中心にいたということになります。それは、ペリシテ人全体を敵に回したことを意味していました。彼はそこで遊女を見つけて、彼女のところに入りました。彼は以前もペリシテ人の女に惹かれて結婚しましたが、今度はただのペリシテ人ではありません。遊女です。これは彼がナジル人だからということだけでなく、だれにとっても罪であることは明らかです。それは、彼の霊性がそこまで堕ち、罪に対して無感覚になっていたことを表しています。

 

すると、「サムソンがここにやって来た」と、ガザの人々に告げる者があったので、ガザの人々は、

サムソンを捕らえるために、町の門で一晩中、待ち伏せますが、サムソンは真夜中に起き上がり、町の門の扉と二本の門柱を引き抜いて、それを肩にかつぎヘブロンに面する山の頂まで運んで行きました。これはどういうことかというと、当時、戦いに勝利した軍が、敵の門の扉を運び去るという習慣があったので、サムソンはここで勝利を宣言したということです。それにしても、ガザからヘブロンまでの距離は約60㎞もありました。標高差は約900mです。その距離を彼は重い扉を担いで歩いたのです。

 

サムソンは本当に問題の多い人物でしたが、神はこのような器を用いてご自身の御業を行われたことを見ると驚ろかされます。私たちもサムソンのように罪深く、弱い者ですが、そんな者でも神は用いて、ご自身の御業を成さろうとしておられることをしっかりと受け止めたいと思います。。

 

Ⅱ.ペリシテ人に捕らえられたサムソン(4-21)

 

次に、4節から21節までをご覧ください。まず9節までをお読みします。

「その後、サムソンは、ソレクの谷にいる女を愛した。彼女の名はデリラといった。ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、言った。「サムソンを口説いて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、縛り上げて苦しめることができるかを調べなさい。そうすれば、私たちは一人ひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」

そこで、デリラはサムソンに言った。「どうか私に教えてください。あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょうか。」サムソンは言った。「もし、まだ干していない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」そこで、ペリシテ人の領主たちは、干していない七本の新しい弓の弦を彼女のところに持って来たので、彼女はそれでサムソンを縛り上げた。彼女は、待ち伏せる者を奥の部屋に置いておき、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言った。しかし、サムソンはまるで麻の撚り糸が火に触れて切れるように、弓の弦を断ち切った。こうして、彼の力の源は知られなかった。」

 

その後、サムソンはソレクの谷にいる女を愛しました。名前は「デリラ」です。「ソレクの谷」は、サムソンの故郷ツォルアや国境の町ベテ・シェメシュ、またペリシテ人の町ティムナなどがあるところです。しかし、これ以降の話の展開から判断すると、デリラはやはりペリシテの女であったと考えられます。

 

サムソンがデリラの家にいることを知ったペリシテの領主たちは、デリラにサムソンを口説いて、彼の力の秘密がどこにあるかを調べてほしいと、一つの提案を持ちかけます。それは、もし彼女が調べることができたら、ペリシテの領主一人一人から銀1,100枚を受け取るというものでした。ペリシテ人の領主は5人いましたので、合計で銀5,500枚となります。イスカリオテのユダがイエスを売った代価は銀30枚でしたから、それを考えると、デリラが受け取る報酬は考えられないほど膨大な額でした。つまり、デリラは神に目がくらんだのです。お金のためなら平気で夫を裏切るような女でした。そんな女性を愛したサムソンは本当に愚かです。

 

そこで、デリラはサムソンに言いました。6節です。「どうか私に教えてください。あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょうか。」

するとサムソンは、「もし、まだ干していない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」と答えました。これは嘘です。でも全くの嘘かというとそうではありません。「まだ干していない7本の新しい弓の弦」とは、生乾きの動物の腸のことで、ナジル人にとっては汚れた物でした。ですから、それで縛れば弱くなるというのは、彼からナジル人としての本質を取り去ることができれば自分は弱くなるということを意味していました。ですから、全くの嘘ではなく、わからないであろうヒントが含まれていたのです。それから、7本の新しい弓の弦ですが、彼の髪の毛は7房になっていたことを考えると、髪の毛にその秘密があるということなので、これもまた全くの嘘ではありません。

 

でも、これは非常に危険なやり取りでした。彼はその危険な道を歩み始めていたのです。私たちにもこのようなことがあるのではないでしょうか。この程度なら大丈夫だろうと気持ちから失敗を招いてしまうことがあります。罪と戯れることがないように、そうした道を歩き始めていることに気づいたら、すぐに軌道修正しなければなりません。

 

しかし、幸いにも、彼の力の源は知られることはありませんでした。ペリシテ人の領主たちが、まだ干していない7本の新しい弓の弦で彼を縛り上げましたが、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲ってきます」とデリラが言うと、彼はまるで麻の撚り糸が火に触れて切れるように、断ち切ったのです。

 

するとデリラはどうしたでしょうか。次に、10節から12節までをご覧ください。

「デリラはサムソンに言った。「まあ、あなたは私をだまして?をつきましたね。今度こそ、どうしたらあなたを縛れるか教えてください。」サムソンは言った。「もし、仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛り、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言った。奥の部屋には待ち伏せしている者がいた。しかし、サムソンは腕からその綱を、糸のように断ち切った。

 

デリラは、サムソンが嘘をついたことを知り、さらにサムソンに食い下がります。そこでサムソンは言いました。

「もし、仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」

「仕事に使ったことのない新しい綱」とは、汚れた物に使ったことのない新しい綱という意味です。ここにも、ナジル人である彼の特質を取り去れば、力がなくなるというヒントが隠されています。

そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛ますが、デリラが、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言うと、彼はその綱を、まるで糸のように立ち切ってしまいました。

 

すると、デリラはどうしたでしょうか。彼女は、以前にも増してサムソンに懇願します。13節と14節です。

「デリラは、またサムソンに言った。「今まで、あなたは私をだまして?をついてきました。どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。」サムソンは、「もしおまえが機の経糸と一緒に私の髪の毛七房を織り込み、機のおさで締めつけておくならば」と言った。彼女は機のおさで締めつけて言った。「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます。」すると、サムソンは眠りから覚めて、機のおさと機の経糸を引き抜いた。」

 

サムソンは、「機の縦糸と一緒に髪の毛七房を折込み、それを機のおさで締め付けておくならば」と言いました。そこでデリラがそのようにして再び「サムソン、ペリシテがあなたを襲ってきます。」と言うと、今度も彼はいとも簡単に、機のおさと機の縦糸を引き抜いてしまいました。それも嘘だったのです。しかし、サムソンは、徐々に危険の深みに足を踏み入れていることがわかります。その答えの中には、髪の毛に秘密が隠されていると述べているからです。このように、堕落というのは徐々に進行していきます。サムソンの失敗も、徐々に進行していきました。

 

機の経糸も嘘であるということがわかると、デリラは泣き落としにかかります。15節から17節をご覧ください。

「彼女はサムソンに言った。「あなたの心が私にはないのに、どうして『おまえを愛している』と言えるのでしょう。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのか教えてくださいませんでした。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのか教えてくださいませんでした。」こうして、毎日彼女が同じことばでしきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほど辛かった。ついにサムソンは、自分の心をすべて彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎にいるときから神に献げられたナジル人だからだ。もし私の髪の毛が剃り落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなって普通の人のようになるだろう。」」

これはサムソンにとってとてもきつい状況でした。自分の妻に泣かれることほど男にとって辛いことはないからです。奥さんの立場の方で、夫を何とか口説きたいと思うなら、このデリラのようにすると言いのです。彼がどれほど辛かったかは、16節のことばを見るとわかります。ここには、「こうして、毎日彼女が同じことばでしきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。」とあります。サムソンにとってはかなりのプレッシャーでした。

 

そこで彼はついに、自分の心をすべて彼女に明かしてしまいました。すなわち、彼がナジル人であって、もし髪の毛が剃り落とされたら、彼の力は去り、弱くなって普通の人のようになるということを伝えたのです。なぜなら、髪の毛を剃り落とすということは彼がナジル人ではなくなり、主からの力を受けられなくなるということを意味していたからです。それは彼の不従順が外面的に現れた瞬間でした。これまでも彼は不従順な歩みをしてきましたが、これによって主との関係が最終的に断絶することになってしまったのです。いったいどこに問題があったのでしょうか。すべてはデリラという女性を愛したことから始まりました。罪の誘惑の根を早いうちに立ち切らなかったことが、悲劇的な結果を招くことになってしまったのです。

 

自分の力の秘密を明かしたサムソンはどうなってしまったでしょうか。18節から22節までをご覧ください。

「デリラは、サムソンが自分の心をすべて明かしたことが分かったので、こう言って、人を遣わし、ペリシテ人の領主たちを呼び寄せた。「今度こそ上って来てください。サムソンは心をすべて私に明かしました。」ペリシテ人の領主たちは、彼女のところに上って来たとき、その手に銀を持って来た。彼女は膝の上でサムソンを眠らせ、人を呼んで彼の髪の毛七房を剃り落とさせた。彼女は彼を苦しめ始め、彼の力は彼を離れた。彼女が「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言ったとき、彼は眠りから覚めて、「今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう」と言った。彼は、主が自分から離れられたことを知らなかった。ペリシテ人は彼を捕らえ、その両目をえぐり出した。そして彼をガザに引き立てて行って、青銅の足かせを掛けてつないだ。こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていた。しかし、サムソンの髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。」

 

デリラは、サムソンの秘密のすべてをペリシテの領主たちに明かすと、彼らから約束の銀を受け取ります。そして、サムソンを膝の上で眠らせると、人を呼んで彼の髪の毛七房を切り落とさせました。眠りから覚めたサムソンは、これまでのようにペリシテ人たちを蹴散らそうとしましたが、すでに神の力は彼から離れ去っていました。それで彼はペリシテ人に捕らえられ、両目をえぐり出され、ガザに連れて行かれました。そこで彼は、青銅の足かせをつけて牢につながれました。そこで彼が行っていたことは、臼をひく仕事です。それは婦人のする仕事でした。あの怪力を持ったサムソンが青銅の足かせをかけられ、婦人の労働に服したのです。これは、サムソンにとって最大の屈辱でした。

 

このようなサムソンの悲劇はどのようにして引き起こされたのかというと、彼からその力が取り去られたことによります。私たちクリスチャンも神に反抗し、罪の道を歩み続けるなら、そして、その罪を悔い改めないなら、神の力、聖霊が取り去られることがあるということを覚えておかなければなりません。もし自分から聖霊が取り去られたことに気づいていないなら、それこそ最大の悲劇です。

 

Ⅲ.再び髪が伸び始めたサムソン(22-31)

 

しかし、それですべてが終わったわけではありません。そこに回復の道もあるということを知らなければなりません。最後に22節から31節までを見て終わります。

「しかし、サムソンの髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。さて、ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神ダゴンに盛大ないけにえを献げて楽しもうと集まり、そして言った。「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手に渡してくださった。」民はサムソンを見たとき、自分たちの神をほめたたえて言った。「われわれの神は、われわれの敵を、われわれの手に渡してくださった。この国を荒らして、われわれ大勢を殺した者を。」彼らは上機嫌になったとき、「サムソンを呼んで来い。見せ物にしよう」と言って、サムソンを牢から呼び出した。彼は彼らの前で笑いものになった。彼らがサムソンを柱の間に立たせたとき、サムソンは自分の手を固く握っている若者に言った。「私の手を放して、この神殿を支えている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」神殿は男や女でいっぱいであった。ペリシテ人の領主たちもみなそこにいた。屋上にも約三千人の男女がいて、見せ物にされたサムソンを見ていた。サムソンは主を呼び求めて言った。「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」

サムソンは、神殿を支えている二本の中柱を探り当て、一本に右手を、もう一本に左手を当てて、それで自らを支えた。サムソンは、「ペリシテ人と一緒に死のう」と言って、力を込めてそれを押し広げた。すると神殿は、その中にいた領主たちとすべての民の上に落ちた。こうして、サムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。彼の身内の者や父の家の者たちがみな下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び上げて葬った。サムソンは二十年間イスラエルをさばいた。」

 

22節のことばはおもしろいですね。サムソンの髪の毛は、剃り落とされましたがまた伸び始めました。これはどんなことを表しているのかというと、彼がナジル人としての立場を回復したということです。神に反逆して罪を犯したらそれですべてが終わってしまうというわけではありません。髪の毛は再び伸び始めるのです。神の力、神の聖霊を取り戻す唯一の道は、罪の悔い改めと、神への立ち返りです。それによって、私たちも再びナジル人としての立場を回復することができます。この神の恵み深さを思い出し、今自らの罪を悔い改めて神に立ち返りましょう。信仰によって神の赦しと力を受け取りましょう。

 

さて、ナジル人としての立場を回復したサムソンは、その後どのように歩んだでしょうか。23節からの箇所には、ペリシテ人たちが、サムソンを捕らえたことを自分たちの神ダゴンに感謝するために、宴会を開いた様子が記録されてあります。そこにはペリシテの領主と、多くの男女が集っていました。彼らはサムソンを見せ物にしようと牢から呼んできました。

するとサムソンは自分の手を握っている若者に、宮を支えている2本の中柱に寄りかからせてくれと頼みます。神殿は男や女でいっぱいでした。屋上にも3,000人の男女がいて、見せ物にされていたサムソンを見ていました。

その時です。サムソンは主を呼び求めて祈りました。「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」そして、二本の中柱を探り当て、力を込めて押し広げると、神殿が崩れ落ち、その中にいたペリシテの領主たちと民が死にました。それはサムソンがそれまでに殺した者よりも多い数でした。

 

サムソンの人生は波乱に満ちた人生でした。どんな強敵にも打ち勝つことができた彼が、最も弱い女性に負けました。また、ナジル人として聖別されていた彼が、触れてはならない獅子の死体の中から蜂蜜を取って食べたことで、神の祝福を失いました。しかし、どんなに欠点の多い器であっても、主はご自身のご計画のために彼を用いられました。へブル11章32には、「これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても語れば、時間が足りないでしょう。」とあります。信仰に生きた人たちの中に、彼の名前が刻まれているのです。彼の生き方を見る限り、彼が信仰の人ということにはとても抵抗があるかもしれませんが、そんな彼についてこのように記されているのです。それは、彼がどんなに神に背き、罪の中を歩んでも、髪の毛が再び伸びてきたからであり、言うならば、彼はナジル人として神に選ばれた者であったからです。

 

私たちもサムソンのように罪の中に陥ることもありますが、それでもその罪を悔い改めるなら、再びナジル人として回復することができます。それは私たちの力ではありません。神がそのように選んでおられたからです。神のナジル人として、私たちも生まれるずっと前から神によって選ばれたいたことを思い、いつも悔い改めて、神の道を歩ませていただきましょう。

ヨハネの福音書4章27~42節「目を上げて畑を見なさい」

ヨハネの福音書4章のサマリヤの女から学んでおりますが、きょうは、イエス・キリストを信じたサマリヤの女がどのように変わったのか、また、そのことによってどのような影響がもたらされていったのかを学びたいと思います。

 

Ⅰ.水がめを置いたサマリヤの女(27-30)

 

まず、27節から30節までをご覧ください。

「そのとき、弟子たちが戻って来て、イエスが女の人と話しておられるのを見て驚いた。だが、「何をお求めですか」「なぜ彼女と話しておられるのですか」と言う人はだれもいなかった。

彼女は、自分の水がめを置いたまま町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。」そこで、人々は町を出て、イエスのもとにやって来た。

 

「そのとき」とは、イエスがサマリヤの女と話していた時のことです。そのとき、食べ物を町まで買いに出かけていた弟子たちが戻って来て、イエスがサマリヤの女の人と話しているのを見て驚きました。新改訳聖書第三版には、「不思議に思った」とあります。なぜ不思議に思ったのでしょうか?それは当時の習慣からすれば、あり得ないことだったからです。当時は、ユダヤ人がサマリヤ人に、しかも女の人に話をするなんて考えられないことでした。しかし、「何を求めておられるのですか」とか、「なぜ彼女と話しておられるのですか」と言う人はだれもいませんでした。言えるような雰囲気ではなかったのでしょう。弟子たちには、しばしばイエス様の言動が理解できないことがあったので、あまり気にしなかったのだと思います。

 

そうこうしているうちに、彼女は、自分の水がめを置いたまま町へ行ってしまいました。彼女は水を汲みに井戸までやって来たんじゃないですか。それなのに、水も汲まないで、その水がめを置いたまま町へ行ってしまったのです。いったいなぜ彼女は水がめを置いたまま町へ行ってしまったのでしょうか。

 

それは、彼女の放った次の言葉からわかります。29節をご覧ください。「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。」

彼女が町へ行ったのは、自分を全く変えてくださったキリストを、ほかの人たちに伝えるためでした。

 

このことから、彼女が全く新しく造り変えられたことがわかります。もはや以前のように人々を恐れ、人々を避け、人々が水を汲みにやって来ないような時間を見計らって、水を汲みに来るような人ではありませんでした。自分から積極的に町へ行き、「皆さん、来てください。この方がキリストなのでしょうか。いや、きっとそうです。たぶんそうでしょう。だって私のことを、すべて言い当てることができたんですもの。」と言えるようになったのです。コリント第二5章17節に、「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」とあります。彼女は新しく造られました。この水がめは、彼女が負っていた人生の重荷を象徴しています。彼女はその人生の重荷をキリストの下に下ろすことができたのです。それで彼女はうれしくて、うれしくて、黙ってなどいられませんでした。それで、積極的に自分の方からこの救い主を人々に伝えたいと思うようになったのです。

 

ここで大切なことは、彼女がしぶしぶ町に出て行ったのではないということです。そうせずにはいられなかったのです。これこそ、神の救いの恵みの御業にほかなりません。救いの恵みがその人の中に入ると、それまで持っていた考え方や価値観といったものが少しずつ変えられて行きます。それまでは、すべて自分が中心でした。自分の思いや考えに従って生きていましたが、キリストを信じて新しく生まれ変わると、今度は神中心に生きるようになるのです。神のために少しでもお役に立ちたいと思うようになります。少なくとも、聖書の原則からすればそうなるはずです。そうでないとしたら、どこかおかしいと言えます。

 

最近、聖書入門講座で学ばれたYさんが古本屋を始めたので、先週お祝いを兼ねて出かけて行きましたら、そこに尾山令仁先生が書かれた「教会の歴史」という本がおいてありましたので、「えっ、こういう本も置いておられるんですか。じゃ、これを買います。」と言って買いました。別に、ぜひ読んでみたいと思って買ったわけでなく、ちょっとでもYさんの励ましになればと思って買っただけですが、帰宅してパラパラとめくってみたら最後のところに「日本の教会の歴史」について書いてあったので読んでみましたが、まさに目から鱗でした。

 

尾山先生は、特に明治以降の日本のキリスト教の歴史を振り返りながら、日本では社会の情勢によって教会がころころ変わってきたと指摘しています。たとえば、明治時代の初期の頃、日本が欧化主義には傾いていたころは、近代化の過程にあった日本は、キリスト教に対して、一種の尊敬の念を持っていたので、比較的順調に進展していきましたが、その反動というべき欧化主義とキリスト教の流行をうれえた神道、仏教、儒教の三つの宗教が一致して国家主義を唱えるようになると、欧化主義の衰退とともにキリスト教への圧迫となって動き出し、キリスト教会は衰退の一途をたどるようになりました。その繰り返しだというのです。つまり、キリストがこの世のあらゆるものに優先するというキリスト告白よりも、自国が優先する自国主義が、日本の教会においても、その根本的特徴としてあげられるというのです。簡単に言えば、イエス様を信じても、イエス様よりも自分が中心となっているということです。「それはその時代の日本の教会の特徴であるというよりも、いつの時代の、どの国においても言えることであり、克服しなければならない弱さであると言えますが、それにしても、明治以来、形作られてきた日本の教会の特徴がここにあると言っていいでしょう。」と言っています。

 

これはものすごい指摘だと思いました。日本の教会がなぜ成長しないのか、その根本的な原因がここにある、教会自身の体質の中にあるということを忘れてはならないし、その中で新しい体質の教会が出現することが待望されているわけですが、どうしたら新しい体質の教会が出現するのか、尾山先生はそこまで触れることはありませんでしたが、改めて、その霊的洞察に感心させられました。

 

そして、その尾山先生が触れなかった点、すなわち、どうしたら新しい教会が出現するのかということですが、その答えがここにあるのだろうと思います。つまり、神の恵みによって全く新しい者に造り変えていただくということです。キリストの福音によって新しく造り変えられ、その福音によって神の恵みに触れ続けていくなら、神は私たちをもこのサマリヤの女のように変えてくださるのではないでしょうか。それは私たちの努力や鍛錬によってではできませんが、神にはそれがおできになります。神にはどんなことでもできるからです。神は私たちを新しく造り変え、その心にご聖霊の恵みで満たして下さる時、私たちも黙ってなどいられないような神の御思いに満ち溢れるようになるのです。

 

それは、あの取税人ザアカイを見てもわかります。彼はイエス様と出会い、自分の財産の半分を貧しい人たちに施し、だれかから騙し取った物があれば、それを四倍にして返しますと言いました。だれかにそう言われたからではありません。イエス様に出会い、その救いの恵みに与った結果、そのようにしたいと思うようになったのです。

 

また、パウロもそうでした。パウロは、それまで異端であると確信し迫害していたキリスト教の信仰を宣べ伝えるために、自分の有望な将来をことごとく捨ててしまいました。彼は、その理由を次のように言っています。

「しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。」(ピリピ3:7-8)

パウロは、この救いの恵みに圧倒されて、これまで得であると思っていたものが、損と思うようになりました。それは、キリスト・イエスのすばらしさを知ったからです。それゆえ、彼は、その他の相対的な価値しかないものを、「ちりあくた」と思ったのです。これは、そのように心の中ではっきりと整理することができた人の言葉です。あれも、これもではなく、この一事に励むことができました。それはこの救いの恵みがどれほどすばらしいものであるかを知ったからです。サマリヤの女も同じです。彼女も、そうしなければならなかったのではなく、そうせずにはいられなかったのです。

 

そしてそれは今日も同じです。キリストの救いの恵みを本当に知っていれば、その人の生き方は自ずと変えられて行きます。イエス・キリストの救いのすばらしさを知ったら、この救いの恵みに圧倒されて、神にすべてをゆだね、キリストをすべてに優先して生きるようになるのです。

 

あなたはどうですか?あなたにとって、霊的なことは、他のどんなものよりも重要な価値があると考えていますか?永遠のいのちを持つことは、この地上の過ぎ行くいかなるものよりも重要であると考えておられますか。もしそうであるなら、あなたの行動はおのずと決まってくると思います。

 

どうぞ、イエス様の足もとに、あなたの水がめを下ろしてください。そして、このイエス・キリストが与える水を飲んでください。この水はいつまでも渇くことなく、あなたの内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ますから。そうすれば、あなたも驚くべき変貌を体験することでしょう。

 

Ⅱ.わたしの食べ物(31-34)

 

次に、31節から34節までをご覧ください。

「その間、弟子たちはイエスに「先生、食事をしてください」と勧めていた。ところが、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたが知らない食べ物があります。」

そこで、弟子たちは互いに言った。「だれかが食べる物を持って来たのだろうか。」 イエスは彼らに言われた。「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。」

 

イエス様がサマリヤの女と話しているところに、町まで食べ物を買いに行っていた弟子たちが戻って来ると、サマリヤの女は、イエス様を証しするために町へ行ってしまいました。そこで、弟子たちは自分たちが買って来た食べ物をイエス様に差し出し、食事をしてくださいと勧めると、イエス様は意外なことをおっしゃられました。32節をご覧ください。「わたしには、あなたがたが知らない食べ物があります。」

どういうことでしょうか?弟子たちは、自分たちが町まで買いに行っている間、だれかが食べ物を持って来たのだろうか、と思いました。しかし、これはそういうことではありません。これは34節にあるように、霊の食べ物のことを指していたのです。そのことを、イエス様は次のように言っておられます。

「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。」

 

イエスの食べ物とは、イエスを遣わされた方、つまり父なる神のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。そもそも食べ物というのは、ごはんやパンのように、あるいはお肉や野菜のように、それを食べなければ生きていけないという意味で、その人を生かす命の源であります。しかし、イエス様が言われた食物とは、そうしたな物資的な物ではなく霊の糧のことでした。霊的に満足を与えてくれる食べ物のことだったのです。その食べ物とは何でしょうか。それは神のみこころを行い、神のみわざを成し遂げることです。

 

皆さん、神のみこころとは何ですか?神のみこころは、一人も滅びることなく、真理を知るようになることです。テモテ第一2章4節にそのようにあります。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」神様は、すべての人が、自分の問題に気づき、解決を見いだし、罪赦され、癒され、最善の人生を歩むようになることを望んでおられます。そのみこころを実現するために、神が人となって来てくださいました。それがイエス・キリストです。

 

イエス様はまた、「そのわざを成し遂げることです」とも言われました。イエス様が成し遂げようとしておられる「神のみわざ」とは何でしょうか。それは、私たちの罪をあがなうための十字架の死を意味しています。つまり、十字架において私たちの罪の問題を解決し、神の救いをもたらしてくださることが「神のみわざ」であるというのです。その救いのみわざを成し遂げることが、イエス様の食べ物であり、イエス様の喜び、力であると言われたのです。人のために十字架でいのちを捨てるほどの愛を最後の最後まで注ぎ出し、人の救いの道を整えていく働きが、イエス様の糧であったのです。ですから、イエス様にとっては、サマリヤの女を救いに導くことが神のみこころであり、霊的な満足を得ることでした。

 

あなたの食べ物は何ですか。あなたの霊の糧とは何でしょうか。魂の充足のために、どんな食べ物をいただいているのでしょう。私たちは、よく主の祈りで「日ごとの糧を今日も与えたまえ」と祈りますが、それは、いったいどんな糧なのでしょうか。

ヨハネ6章27節には「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。」とあります。なくなる食物ではなく、なくならない食物、永遠のいのちに至る食べ物のために働くこと、それが私たちの食べ物です。

 

私たちはしばしば問題にぶつかる時、その困難に押しつぶされそうになることがありますが、それは、このことを忘れているからです。すなわち、何のために生き、何のために存在しているのか、何のために働いているのかという根本的なことです。ですから、目先に問題が起こると、それに振り回されてしまうのです。しかし、もし私たちの人生の根本的なこと、すなわち、私たちが生きているのは神のみこころを行うためであるということがわかると、そうした問題に振り回されることから解放され、イエス様と同じような霊的喜びを味わうことができます。それは何にも代えがたい霊的喜びであり、私たちを生かす力となるのです。

 

Ⅲ.目を上げて畑を見なさい(35-42)

 

では、どのようにしてなくならない食べ物のために働けば良いのでしょうか。最後に、35節から42節までを見て終わりたいと思います。35節から38節までをご覧ください。

「あなたがたは、『まだ四か月あって、それから刈り入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに至る実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。

ですから、『一人が種を蒔き、ほかの者が刈り入れる』ということばはまことです。 わたしはあなたがたを、自分たちが労苦したのでないものを刈り入れるために遣わしました。ほかの者たちが労苦し、あなたがたがその労苦の実にあずかっているのです。」

 

ここには救霊のわざについてとても重要なことが記されてあります。つまり、救霊のわざについてどのように考えるべきであるかが教えられているのです。弟子たちは、刈り入れ時まで、まだ四カ月もあると思っていましたが、霊の刈り入れはそれとは違います。物質的な世界では、種を蒔いてから収穫するまでに、一定の時間がかかりますが、霊的な世界ではそうではありません。霊的な世界では、種まきと刈り入れとが同時に起こることがあるのです。このサマリヤの人たちはそうでした。彼らはサマリヤの女を通してイエスの話を聞くと、あっという間に多くの人々がイエス様を信じるようになりました。39節には、「さて、その町の多くサマリヤ人が、『あの方は、私がしたことをすべて私に話した』と証言した女のことばによって、イエスを信じた。」とあります。それで、サマリヤ人たちはイエスのところに来て、自分たちのところに滞在してほしいと願いました。そこでイエスは、二日間そこに滞在されると、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じるようになりました。まさにリバイバルです。サマリヤの町々に起こったリバイバルは、このようにもたらされました。種まきと刈り入れとが、同時に起こったのです。

 

どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。それは、36節にあるように、「蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。」どういうことですか?それは、37節と38節で、イエス様が説明しておられるように、魂の刈り取りにおいては、ひとりの人が種まきから刈り取りまでをするとは限らないということです。私たちが伝道して、だれかが決心をした場合、その多くは、すでにほかの人によって御言葉の種が蒔かれていて、心の準備ができていたということがよくあります。先月バプテスマに導かれたM兄は、幼い頃からクリスチャンの両親に導かれて教会に行っていました。しかし、中学、高校と学校の部活で忙しく教会から足が遠のいていましたが、大学で大田原に来たことがきっかけで信仰の決心へと導かれました。もうそのような心の準備ができていたのです。

ですから、多くの人々を救いに導いたからと言って、決して自慢などできるものではありませんし、すべきでもありません。それはただ神が憐みによって、私たちが失望しないようにと、既に準備されていた人を送ってくださり、巡り合わせてくださったにすぎないからです。

 

この出来事からずっと後に、初代教会において、ステパノの殉教の死を契機として、クリスチャンたちが迫害され、地方へ散らされるということが起こります。使徒の働き8章にある出来事です。その時、散らされた人たちは、みことばを伝えながら巡り歩きました。その中にピリポという伝道者がいて、彼はサマリヤの町に下って行きましたが、そこで人々にキリストを宣べ伝えると、多くの人々がイエス様を信じました。まさかサマリヤでこんなに多くの人々が信じるとは、だれが想像することができたでしょう。そこで、この知らせを聞いたエルサレムの教会は、急きょペテロとヨハネを遣わしますが、彼らはサマリヤへ行って、実際に自分の目でそれを確かめました。ヨハネとは、この福音書を書いたヨハネのことですが、彼は、昔、イエス様がここへ来て、サマリヤの女に御言葉を語られたことと、その時に自分たちに語られたこの御言葉を思い出したに違いありません。

 

ですから、一人が種を蒔き、ほかの者が刈り入れるということばはまことなのです。ある人は種を蒔くように召されていますが、別の人は刈り取りをするように召されています。でも、魂が刈り取られるとき、種を蒔く人と刈り取りをする人はともに喜びます。なぜなら、神の国においては両者ともに神からの報酬を受けるからです。

 

パウロは、このことを、コリント第一3章6~9節で、このように言っています。

「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植える者と水を注ぐ者は一つとなって働き、それぞれ自分の労苦に応じて自分の報酬を受けるのです。私たちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。」

 

大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。この神に期待して、私たちは種を蒔き続けていかなければならないし、刈り取りもしていかなければなりません。神がどのように用いられるかは、問題ではありません。どのように用いられても、神の国の働きに参加させていただけることを喜ぼうではありませんか。ですから、イエス様は、「目を上げて畑を見なさい。」と言われたのです。「色づいて、刈り入れるばかりになっています。」と。

 

あなたはどのような目で霊の畑を見ていらっしゃいますか。畑はもう色づいています。刈り入れを待つばかりとなっています。周りを見ると、まったく色づいていないように見えるかもしれません。特に、日本ではクリスチャンが少ないですから、余計にそう感じるかもしれません。しかし、イエス様は、「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」と言われます。この確信を持って歩んでいきましょう。パウロが言うとおり、「確かに、今は恵みの時、今は救いの日」(Ⅱコリント6:2)なのですから。

ヨハネの福音書4章19~26節「御霊と真理によって礼拝する」

新年おめでとうございます。この新しい年も、共に主を礼拝できることを心より感謝します。

 

今日は、新年最初の主の日の礼拝となりますが、ヨハネの福音書から続いて学んでいきたと思います。前回は4章前半のイエス様とサマリヤの女の会話から、どうしたら「生ける水」を得ることができるのかという救いと悔い改めをテーマに学びましたが、今日はその続きです。今日は、「御霊と真理によって礼拝する」というテーマでお話ししたいと思います。

 

Ⅰ.御霊と真理による礼拝(19-24)

 

まず、19節から24節までをご覧ください。19節と20節をお読みします。

「彼女は言った。『主よ。あなたは預言者だとお見受けします。私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。』」

 

「彼女」とはサマリヤの女のことです。サマリヤの女とイエス様との会話は、一般的な水の話題から、彼女自身の霊的問題へと進み、そんな彼女に対してイエスは、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言われました。つまり、彼女に自分の罪を自覚させ、悔い改めへと導こうとされたのです。

 

すると彼女は、何と言ったでしょうか。19節には、「彼女は言った。『主よ。あなたは預言者だとお見受けします。』」とあります。どういうことでしょうか。彼女は自分の内面が暴露されてしまったとき、自分の前に立っている人が、ただの人ではないことに気づいたということです。預言者だと思いました。

 

この「預言者だとお見受けします」ということばですが、これは彼女がイエス様をメシヤだと認めていたということを示しています。というのは、サマリヤ人はモーセを預言者と認めていましたが、それ以降の預言者は認めていなかったからです。モーセの次に登場する預言者は、メシヤご自身でした。ですから、彼女がここでイエス様に対して「あなたは預言者だと思います」と言ったのは、彼女がイエス様をメシヤ、救い主と認めていたからなのです。

 

ここで、今まで眠っていた彼女の信仰心が呼び覚まされました。彼女は生まれて初めて信仰を自分の問題として考えるようになりました。それまでは自分がどこから来てどこへ行くのか、何のために生きているのかもわからず、ただ彷徨っていましたが、ここに来て初めて自分の心の目を天に向けるようになったのです。

 

すると彼女は何と言ったでしょうか。20節をご覧ください。「私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」

ここで彼女は礼拝のことを話題にしています。どうしてかというと、彼女が信仰について考えた時、ある一つの疑問が生じてきたからです。それは、礼拝すべき場所はどこかということです。サマリヤ人はこの山で礼拝しましたが、ユダヤ人は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言っていたからです。「この山」とはゲリジム山のことです。サマリヤ人は、ゲリジム山こそ聖なる山だと主張していました。そしてそれを裏付けるために、彼らが正典と認めていたモーセ五書を書き換えていました。例えば、アブラハムがイサクをささげたのは、モリヤの山(エルサレム)ではなく、ゲリジム山になっています。それは、ユダヤ人に対抗するためにそのように書き換えたものでした。サマリヤに住んでいる人であれば、サマリヤ人の言うことに従うのでしょうが、彼女の心は開かれたので、このことを尋ねてみたいと思ったのです。

 

それに対してイエスは何と言われたでしょうか。21節とから24節までをご覧ください。

「イエスは彼女に言われた。『女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。』」

 

どこで礼拝すべきなのかという彼女の疑問に対して、イエス様はどこで礼拝するのかということではなく、どのように礼拝するのかが重要だと言われました。このどのように礼拝するのかというのは、どのような仕方で礼拝したら良いのかということだけでなく、どうしたらそのような礼拝をすることができるのかということも含まれていました。いったいどのように礼拝したら良いのでしょうか。

 

23節、24節をもう一度ご覧ください。そのことについて、主イエスは続けてこのように言われました。「しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」

 

ここには、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません、とあります。御霊と真理によって礼拝するとは、どういうことでしょうか。私たちは昨年まで新改訳聖書第三版を使用していましたが、第三版ではここを「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」とあります。実は、このように訳している聖書の方が圧倒的に多いのです。2017版のように「御霊と真理によって」と訳しているのは他にToday’s English Versionという英語の訳くらいで、他のほとんどの訳は「霊とまことによって」と訳しています。「霊とまことによって」と訳すると、心から礼拝するという意味になりますが、「御霊と真理によって」となると、神の御霊、聖霊によって礼拝するということになるので、ニュアンスが若干変わってきます。原語のギリシャ語では「プニューマテイ カイ アレーセイア」となっていますので、「霊とまことによって」となっています。2017版でこのように訳したのは、おそらく「神は霊ですから」に合わせて訳したためと思われます。しかし、このように訳しても特に問題はありません。事実、ピリピ3章3節には、「神の御霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇り、肉に頼らない私たちこそ、割礼の者なのです。」とあります。ここには肉によって礼拝することに対して「神の御霊によって礼拝する」とあります。ですから、「霊とまことによって礼拝する」とは、「神の御霊と真理によって礼拝する」ということと同じことなのです。

 

では、御霊と真理によって礼拝するとはどういうことなのでしょうか。これは、「肉」とか、「物質」、「偽り」に対するものとしての「御霊」、「真理」のことを指しています。具体的にはエルサレムの神殿における礼拝に対する霊とまことの礼拝のことです。どういうことかというと、ユダヤ人たちは、エルサレムにある荘厳な神殿で、律法に従って、動物などのいけにえをささげていれば礼拝していると思っていましたが、それは単なる形だけの礼拝、見せかけだけの礼拝であって、真の礼拝とはそのようなものではないということです。なぜなら、ここに「神は霊ですから」とあるように、神は単なる形だけの、見せかけだけの礼拝を求めておられるのではないからです。神は霊ですから、神の御霊による、霊と真心からの礼拝を求めておられるのです。ですから、この神を礼拝するためには、神の御霊を受けなければなりません。そうでなければ本当の礼拝をささげることはできないのです。

 

しかし、人間はこの神の御霊を失ってしまいました。もともと人間は神のかたちに造られたのに、これを失ってしまったのです。神のかたちとは何でしょうか。神のかたちとは神は霊のことです。人間はもともと神の霊を持つ者として造られたにもかかわらず、最初の人間が罪を犯してしまったことで神様との交わりが断たれてしまいました。それを霊的死と言います。霊的に死んでしまった人間は、神様も、神様の恵みも分からなくなってしまいました。このような人間がどうやって神を礼拝することができるでしょうか。できません。神は霊ですから、その霊によって礼拝しなければならないのに、その霊が死んでしまったわけですから。

 

ですから、神様を心から礼拝するためには、この神の霊を持たなければなりません。どうしたら持つことができるのでしょうか。イエス様はニコデモにこのように言われました。

「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)そうです、人は新しく生まれなければ、神の国を見ることができません。そのためには、自分の罪を悔い改め、イエス様を救い主として信じ受け入れなければならないのです。それが神の示してくださった唯一の方法でした。聖書ではこれを救いと言っています。神は私たちが救われるために、そのひとり子を天から送ってくださいました。それがイエス・キリストです。

 

「だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。」(同3:13-14)

 

ですから、私たちが救われるためには、十字架に付けられたイエス・キリストを信じなければなりません。信じる者は救われます。イエス様を信じる者は罪が赦され、神の御霊を受けることができます。そして、この神の御霊によって新しく生まれた人は、霊とまことによる礼拝することが出来るようになるのです。

 

自分の努力や熱心さだけでは、このような礼拝をささげることはできません。私たちが神を礼拝するためには、どうしても神の霊である御霊の助けが必要なのです。御霊の力によってこそ心からの礼拝をささげることができるのです。

 

Ⅱ.あなたと話しているこのわたしがそれです(25-26)

 

ではどうしたら、その神の御霊を受けることができるのでしょうか。25節をご覧ください。イエス様のことばに対して彼女はこう言いました。

「女はイエスに言った。『私は、キリストと呼ばれるメシヤが来られることを知っています。その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせてくださるでしょう。』」

 

イエス様がサマリヤの女に対して霊とまことによって礼拝することについてお話しすると、彼女はまだ納得がいかないのか、「私は、キリストと呼ばれるメシヤが来られることを知っています。その方が来られるとき、一切のことを私たちに知らせてくださるでしょう。」と言いました。これは、彼女がその御霊によって礼拝するためには、神のメシヤが必要性であることを認めていたということです。

 

それに対してイエス様は何と言われたでしょうか。26節です。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」と言われました。これはものすごいことばです。なぜなら、イエス様がご自分のことをメシヤと宣言されたからです。これは驚きです。メシヤというのは、神ご自身を意味することばでした。ですから、これはイエス様がここで、ご自身を神と宣言されたということなのです。これまで歴史上に多くの偉人と呼ばれる人が出てきましたが、このように自分のことを神と宣言された人は誰もいません。釈迦も、孔子も、だれもこのように宣言した人はいないのです。こんなふうに言える人なんて一人もいないからです。もしこのように言う人がいるとしたら、それはその人が本当にメシヤであるか、それとも、全くのペテン師であるかのどちらかでしょう。しかし聖書が人類に与え続けてきた影響を考えるなら、イエス様がペテン師であることは考えにくいことであり、むしろ、イエス様が言われたこのことばはまことに真実であると言えます。そして、イエス様がこの真実なことばを罪の中にあったこのサマリヤの女に啓示されたというのは、まことに恵み以外の何ものでもありません。

 

この女のイエス様に対する理解がどのように変化してか見るのはおもしろいです。9節では、「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」と言いました。それが11節では「主よ」に変わっています。第三版訳では「先生」です。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。」そして

19節では「預言者」になっています。それが25節になると、「キリスト」と呼んでいます。「私は、キリストと呼ばれるメシヤが来られることを知っています。」と言っています。

イエス様は、彼女が霊的なことを理解できるように少しずつ導いておられたのです。同じように主は、私たちの心の目も開いてくださり、イエス様のことがわかるように少しずつ導いておられます。

 

そんな彼女にイエスは、「あなたと話しているこのわたしがそれです。」と言われました。彼女は、主が目の前におられたのに、それが主であることを彼女はわかりませんでした。

私たちも毎週日曜日に教会に来て礼拝をささげていながらも、ここに主がおられることがわからないということがあります。私たちが御霊と真理によって礼拝をささげるために、まず私たちの霊の目を開いていただく必要があるのではないでしょうか。

 

Ⅲ.今がその時(23)

 

最後に、この御霊と真理によって礼拝をささげる時について考えたいと思います。23節をもう一度ご覧ください。イエス様はこのサマリヤの女に、「この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。」と言われると、「しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時がきます。」と言われました。その「時」はいつでしょうか。今です。「今」がその時です。「今でしょ。」この「今」とはいつのことを指して言われたのでしょうか。

 

それは、イエス・キリストが来られた今のことです。それまでは、こうした礼拝をささげることはできませんでした。それまでは旧約聖書の中で、定められているとおりに礼拝しなければならなかった。それ以外の礼拝は決して神に受け入れられなかったのです。礼拝する場所は、エルサレムであると定められていました。礼拝の仕方も事細かく律法に定められていました。しかし、イエス・キリストが来られた今、そのような礼拝の仕方とは違う「霊とまことによって」礼拝をささげることができるようになりました。いや、あの旧約聖書が定めていた礼拝の規定は、すべてイエス・キリストを指示していたのです。たとえば、出エジプト記に出てくる幕屋の構造の一つ一つは、イエス様のことを指し示していたことがわかります。すなわち、あの旧約聖書の律法にある礼拝の規定は、本体であるキリストを指し示している影のようなものだったのです。動物の犠牲は、キリストの十字架の贖いを示していました。しかし、キリストが来られ、キリストの教会が生まれると、もはやそのように影の礼拝ではなく、本体の礼拝をささげることができるようになりました。その本体がキリストです。ですから、キリストが来られた今は、そうしたさまざまな規定によって礼拝をささげるのではなく、キリストによって、真の礼拝がささげられるようになったのです。今がその時です。このサマリヤの女に現われてくださった主イエス様は、今も生きておられ、私たちが御霊と真理によって礼拝をささげることを求めておられるのです。

 

先々週はクリスマス礼拝でしたが、クリスマスとはキリストのミサ、キリスト礼拝のことです。あの東方の博士たちは、どのようにキリストを礼拝したでしょうか。マタイの福音書2章11節には、「それから家に入り、母マリヤとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。」とあります。彼らはイエス様の前にひれ伏して礼拝しました。皆さんはどうでしょうか。ひれ伏して礼拝しているでしょうか。礼拝とは原語のギリシャ語では「プロスクネオ」と言いますが、意味は「頭を低く下げ、または跪いてほめたたえる」ということです。ひれ伏して礼拝をささげることです。ですから、東方の博士たちはまことの礼拝をささげました。彼らは霊とまことによって礼拝したのです。

 

また、黙示録4章10~11節には、「二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。 「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」とあります。ここにも、24人の長老が「御前にひれ伏して」拝んだとありますね。「御座に着いておられる方」とは、イエス・キリストのことです。彼らはイエス・キリストの御前にひれ伏して礼拝し、「主よ。私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」と言いました。これが賛美です。

 

神を礼拝する時、御前にひれ伏して、ただ神だけを高めなければなりません。しかし今日、どれだけの人がこのような礼拝をささげているでしょうか。この真の礼拝とはかけ離れた状態になってはいないでしょうか。礼拝において、一番大切なのが神様ではなく自分自身で、自分が恵まれ満たされることや、自分の願いが叶えられることだけを求めるようになってはいないでしょうか。神様が高められることよりも、自分が高められることを求めています。

 

しかし、真の礼拝とは「プロスクネオ」、ただ神の御前にひれ伏すことです。私たちはそれができます。なぜなら、イエス・キリストが来てくださったからです。イエス・キリストが来られ、十字架で救いの御業を成してくださることによって、信じる者に永遠のいのち、神の御霊を与えられました。その御霊によって、私たちは真の礼拝をささげることができるのです。今がその時です。

 

私たちは今年、この御霊と真理によって神を礼拝しましょう。神はこのような礼拝者を求めておられます。そして、神はこのような礼拝者の祈りを必ず聞いてくださるのです。

士師記15章

士師記15章からを学びます。まず1節から8節までをご覧ください。

 

Ⅰ.サムソンの怒り(1-8)

 

「しばらくたって、小麦の刈り入れの時に、サムソンは子やぎを一匹持って自分の妻を訪ね、「私の妻の部屋に入りたい」と言ったが、彼女の父は入らせなかった。

彼女の父は言った。「私は、あなたがあの娘を嫌ったのだと思って、あなたの客の一人に与えた。妹のほうがきれいではないか。あれの代わりに妹をあなたのものにしてくれ。」

サムソンは彼らに言った。「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私は潔白だ。」

それからサムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえた。そして、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、二本の尾の間にそれぞれ一本のたいまつをくくり付けた。

彼はそのたいまつに火をつけ、それらのジャッカルをペリシテ人の麦畑の中に放し、束ねて積んである麦から、立ち穂、オリーブ畑に至るまで燃やした。

ペリシテ人たちは言った。「だれがこんなことをしたのか。」すると彼らは「あのティムナ人の婿サムソンだ。あの人が彼の妻を取り上げて、客の一人にやったからだ」と言った。ペリシテ人は上って来て、彼女とその父を火で焼いた。

サムソンは彼らに言った。「おまえたちがこういうことをするなら、私は必ずおまえたちに復讐する。その後で、私は手を引こう。」

サムソンは彼らの足腰を打って、大きな打撃を与えた。それから、彼は下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。」

 

「しばらくたって」とは、14章の出来事からしばくたってということです。サムソンは、ペリシテの娘

が気に入りティムナに下って行って彼女と結婚しましたがその祝宴でした謎かけに失敗し、怒りに燃えて自分の父の家に帰って行きました。その間サムソンの妻はどうなったかというと、彼につき添った客の一人のものとなってしまいました。それからしばらくたってのことです。

 

小麦の刈り入れの時に、サムソンは子やぎ一匹を持って自分の妻の家を訪ね、「私の妻の部屋に入りたい」と言いました。これには「通い婚」という制度が背景にあります。アラブ人の間では、今日でもこの通い婚を実行している人たちがいるそうです。この通い婚では、通って来る夫はみやげ物を持ってくるのが習わしとなっています。サムソンがここで子やぎ一匹を持ってきたというのも、そのためでした。

 

しかし、彼女の父はサムソンを家の中へ入らせませんでした。なぜなら、サムソンが自分の父の家に帰ったとき、娘を別の男に与えてしまったからです。それで、彼女の父は、代わりに妹を妻にしてくれないかと頼みましたが、サムソンは激怒して、「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私は潔白だ。」と言いました。

 

それで彼はどうしたかというと、ジャッカル三百匹を捕らえ、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、その間にたいまつをくくり付け、麦畑の中に放ちました。それで、積んである麦から、立ち穂、オリーブ畑に至るまで、すべて燃え尽きてしまいました。これは、ペリシテ人にとって大打撃となりました。

 

それでペリシテ人たちは怒り、だれがこんなことをしたのかと言うと、ティムナ人の婿であるサムソンだということがわかりましたが、その矛先をサムソンではなく、サムソンの妻と父に向け、彼らを火で焼いてしまったのです。

 

するとサムソンは、「おまえたちがこういうことをするなら、私は必ずおまえたちに復讐する。その後で、私は手を引こう。」と言って、今度は、妻とその父を焼き殺した人々を殺しました。何とも悲しい結末です。いったい何がこのような結果を招いてしまったのでしょうか。

 

サムソンの妻の父は、サムソンを裏切ることで災難を免れようとしましたが、結果的にはサムソンを裏切ったために、その災難を受けることになってしまいました。また、ペリシテの人たちも、それがサムソンの妻とその夫のためだとわかると、彼らを火で焼いて殺してしまったことで、彼らもまた災難を受けることになってしまいました。しかし、これらの出来事は、もとはと言えば神に選ばれたナジル人のサムソンが、その神の命令に背いたことに原因があったのです。彼は神の命令に背いて異邦人と結婚したかと思えば、ナジル人であることを自覚していたのにぶどうの実を食べたり、汚れたものに近づいたりしました。もとはといえば、すべてサムソンが招いた悲劇だったのです。

 

人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになるということです(ガラテヤ6:7)。箴言22章8節、9節には、次のようにあります。

「不正を蒔く者はわざわいを刈り取る。こうして彼への激しい怒りのむちは終わる。善意の人は祝福を受ける。自分のパンを貧しい者に与えるからだ。」

不正の種を蒔く者はわざわいを刈り取ります。反対に、善意の人は祝福を受けます。人は種を蒔けば、その刈り取りをするようになるのです。良い種を蒔けば、良い実を刈り取り、悪い種を蒔けば、悪い実を刈り取るようになります。

サムソンも、サムソンの妻とその父も、そしてペリシテ人たちも、みな悪い種を蒔きました。その結果、悪い実を結んだのです。あなたは、どのような種を蒔いているでしょうか。不正の種を蒔く者ではなく、善意の種を蒔きましょう。神のみことばに従って、正しい道を歩ませていただこうではありませんか。

 

Ⅱ.ろばのあご骨で三千人を打ち殺したサムソン(9-18)

 

次に、9節から18節までをご覧ください。まず13節までをお読みします。

「ペリシテ人が上って来て、ユダに向かって陣を敷き、レヒを侵略したとき、ユダの人々は言った。「なぜおまえたちは、私たちを攻めに上って来たのか。」彼らは言った。「われわれはサムソンを縛って、彼がわれわれにしたように、彼にもしてやるために上って来たのだ。」

そこで、ユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った。「おまえは、ペリシテ人がわれわれの支配者であることを知らないのか。おまえはどうしてこんなことをしてくれたのか。」サムソンは言った。「彼らが私にしたとおり、私は彼らにしたのだ。」

彼らはサムソンに言った。「われわれはおまえを縛って、ペリシテ人の手に渡すために下って来たのだ。」サムソンは言った。「あなたがたは私に討ちかからないと誓いなさい。」

彼らは答えた。「決してしない。ただおまえをしっかり縛って、彼らの手に渡すだけだ。われわれは決しておまえを殺さない。」こうして、彼らは二本の新しい綱で彼を縛り、その岩から彼を引き上げた。」

 

人は種を蒔けば、その刈り取りをするようになるというみことばの原則が、今度はサムソンに適用されます。サムソンがペリシテ人たちに大きな打撃を与えると、ペリシテ人たちが上って来て、ユダに向かって陣を敷きました。レヒはユダ族の領地にあった町です。

 

レヒの人々は、ペリシテ人たちが上って来た理由がサムソンにあることを知り、エタムの岩の裂け目にいたサムソンのところに下って行きますが、ここには三千人でやって来たとあります。なぜこれほど大勢の人たちでやって来たのでしょうか。サムソンは何も持たずに獅子を引き裂いた人です。これだけの人がいれば、どんなに力のあるサムソンでも捕らえることができると思ったのでしょう。

しかし、それだけいればペリシテ人と戦うこともできたはずです。あのギデオンは、主の勇士300人でミデヤン人と戦って勝利しました。それなのに彼らは、それほどの人がいてもペリシテ人と戦おうとしまなかったのです。なぜでしょうか。11節で彼らは、「ペリシテ人がわれわれの支配者であることを知らないのか」(11)と言っていますが、ペリシテ人を倒せると思っていなかったからです。つまり、彼らは主が彼らを救ってくださるということを信じていなかったということです。そのような信仰がなかったのです。

 

私たちも主が救いを与えてくださる方であるということをわきまえていないと、ギデオンのような偉大な主の御業を見ることができないばかりか、このようにかえって神に用いられている器に敵対することで、結果的に主の働きそのものを阻むことになってしまうことがあります。彼らはペリシテに支配されていても、主がそこから解放してくださると信じなければならなかったのです。

 

レヒの人々がそのことをサムソンに言うと、彼は自分に討ちかからないことを条件に、彼らの言うことを受け入れました。それは、同胞のイスラエル人を殺したくなかったからです。こうして、彼は二本の新しい綱で縛られ、ペリシテ人に引き渡されました。

 

ペリシテ人に引き渡されたサムソンはどうなったでしょうか。14節から17節までをご覧ください。

「サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、主の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕に掛かっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、その縄目が手から解け落ちた。

サムソンは真新しいろばのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、それで千人を打ち殺した。サムソンは言った。「ろばのあご骨で、山と積み上げた。ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」こう言い終わると、彼はそのあご骨を投げ捨てた。彼はその場所を、ラマテ・レヒと名づけた。 」

 

サムソンの姿を見たペリシテ人たちは、大声を上げて喜びました。戦わずして、サムソンを捕らえることができたからです。しかし、彼らはサムソンが神のナジル人であることを理解していませんでした。彼には全能の主の力が与えられていたのです。その主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼を縛っていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、焼け落ちてしまいました。すると、サムソンは真新しいろばのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、それで千人のペリシテ人を打ち殺しました。いったいこの力はどこから来たのでしょうか。この力は彼の内側から来たのではなく、神から来たものでした。主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はろばのあご骨で千人の敵を打ち殺すことができたのです。

 

これは、私たちにも言えることです。たとえ、私たちを縛るものがあっても、主の霊があなたに下るなら、その縄目は焼け落ちてしまいます。主の霊はあなたを開放し、自由にすることができるのです。さらに、取るに足りない「ろばのあご骨」のような私たちを用いて、神の敵を打ち破ることができるのです。使徒1章8節には、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」とあるとおりです。

 

あなたを縛っているものがありますか。この新しい一年が、主の聖霊が臨み、敵に勝利する一年とさせていただきましょう。ユダの人々のようにただ敵の言うままになるのではなく、自らを神にささげ、主の勝利を得させていただこうではありませんか。

 

Ⅲ.エン・ハ・コレ(18-20)

 

最後に、18節から20節を見て終わりたいと思います。

「そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主を呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えてくださいました。しかし今、私は喉が渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」

すると、神はレヒにあるくぼんだ地を裂かれたので、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで元気を回復し、生き返った。それゆえ、その名はエン・ハ・コレと呼ばれた。それは今日もレヒにある。こうして、サムソンはペリシテ人の時代に二十年間イスラエルをさばいた。」

 

「そのとき」とは、サムソンがろばのあご骨でペリシテ人千人を撃ち殺したときのことです。サムソンはひどく渇きを覚えました。なぜなら、ユダの人々はサムソンによって助け出されたのに、彼に援助の手を差し伸べようとしなかったからです。そこで彼は、主を呼び求めて言いました。彼は、このペリシテに対する勝利が、主によってもたらされたものであることをよく認識していました。それなにいま喉が渇いて死にそうであり、このままではペリシテ人と戦うことができなくなり、彼らの手に落ちることになってしまうと訴えているのです。

 

すると、神はその祈りにただちに答え、レヒにあるくぼんだ地を裂かれたので、そこから水が出ました。サムソンはその水を飲んで元気を回復し、生き返りました。それゆえ、その名は「エン・ハコレ」と呼ばれました。その意味は、「呼ばわる者の泉」です。

 

皆さん、主は呼ばわれる者の泉です。詩篇34篇6~8節には、「この苦しむ者が呼ぶと主は聞かれすべての苦難から救ってくださった。主の使いは主を恐れる者の周りに陣を張り彼らを助け出される。味わい見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ。主に身を避ける人は。」とあります。

これは、すべてのクリスチャンに与えられている祝福の約束です。私たちが叫ぶ時、主は必ず聞いてくださるのです。あなたは今何に渇いていますか。あなたが主に叫ぶなら、主はその叫びを聞かれ、すべての苦しみから救ってくださいます。主は主を恐れる者の周りに陣を張り、あなたを助け出してくださるのです。このみことばに信頼して、この新しい年も、主に叫び求めましょう。そして、主がどれほどいつくしみ深い糧であるかを味わい、主に身を避ける一年とさせていただきましょう。