Ⅱ列王記17章

 今日は、Ⅱ列王記17章から学びます。

 Ⅰ.アッシリア捕囚(1-23)

まず、1~6節をご覧ください。「1 ユダの王アハズの第十二年に、エラの子ホセアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間、王であった。2 彼は【主】の目に悪であることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。3 アッシリアの王シャルマネセルが攻め上って来た。そのとき、ホセアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。4 しかし、アッシリアの王はホセアの謀反に気がついた。ホセアがエジプトの王ソに使者たちを遣わし、アッシリアの王には年々の貢ぎ物を納めなかったからである。そこで、アッシリアの王は彼を捕らえて牢獄につないだ。5 アッシリアの王はこの国全土に攻め上り、サマリアに攻め上って、三年間これを包囲した。6 ホセアの第九年に、アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせた。」

話は再び北イスラエルに移ります。ユダの王アハズの第十二年に、エラの子ホセアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間、治めました。彼は主の目の前に悪を行いましたが、彼以前の北イスラエルの王たちのようではありませんでした。どういうことかというと、彼以前の王たちのように、ネバテの子ヤロブアムの道を歩まなかったということです。当時の政治状況が極めて深刻であったため、そういう余裕がなかったのでしょう。というのは、3節にあるように、アッシリアの王シャルマネセルが攻め上って来ていたからです。そのときホセアは彼に服従して貢ぎ物を治めましたが、その裏でエジプトの王ソと連携して、アッシリアに対抗しようとしていました。このことに気付いたアッシリアの王シャルマネセルは激怒し、彼を捕らえて牢獄につなぎました。

その後、アッシリアの王は北イスラエルの首都サマリアに攻め上り、3年間これを
包囲しました。そしてホセアの治世の第九年にアッシリアの王はサマリアを完全に攻め取りました。そしてイスラエル人をアッシリアに捕え移し、彼らをバラフとゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせました。アッシリア捕囚です。アッシリアの政策は、サマリアの住民を他国に移住させ、別の民族をそこに移り住まわせることによって、彼らがアッシリアに反抗する力がなくなるようにすることでした。

北王国はB.C.931~721年まで約200年間存在しましたが、ここに完全に消滅することになりました。いったいこのようになってしまったのでしょうか。次の7~12節を見るとその理由がわかります。「7 こうなったのは、イスラエルの子らが、自分たちをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王ファラオの支配下から解放した自分たちの神、【主】に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、8 【主】がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからである。9 イスラエルの子らは、自分たちの神、【主】に対して、正しくないことをひそかに行い、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町に高き所を築き、10 すべての小高い丘の上や、青々と茂るどの木の下にも石の柱やアシェラ像を立て、11 【主】が彼らの前から移された異邦の民のように、すべての高き所で犠牲を供え、悪事を行って【主】の怒りを引き起こした。12 【主】が彼らに「このようなことをしてはならない」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。」

彼らがこのようになったのは、彼らが自分たちをエジプトから解放してくださった主に対して罪を犯し、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからです。最後の王ホセアは、エジプトに援助を求めました。なんという皮肉でしょうか。700年以上も前にそこを脱出したエジプトに救いを求めたのです。

彼らは、自分たちの神、主に対して、正しくないことをひそかに行いとあるように、全面的に主から離れていたわけではありませんでした。主を礼拝することと並行して、これらのことを行ったのです。9節の「すべての町に高き所を築き」とは、偶像礼拝の場所のことです。彼らはすべての町に高き所を築き、石の柱やアシェラ像を立て、主が彼らの前から移された異邦の民のように、すべての高き所で犠牲を供え、悪事を行って主の怒りを引き起こしたのです。主が彼らに「このようなことをしてはならない」と命じておいたにもかかわらず、です。

主はどのように彼らに語られたのでしょうか。13節には、「主はすべての預言者とすべての先見者を通して」とあります。主は預言者と先見者をイスラエルとユダに送り、悪の道から立ち返るように、そして主の定めと掟を守るようにと伝えました。つまり、これは以前から警告されていたこであるということです。滅びは突如として襲ってくるのではありません。彼らには何度も悔い改めの機会が与えられていましたが、彼らが預言者たちの警告を無視し続けたので、最終的に滅びが彼らを襲ったのです。今が恵みの時、今が救いの日です。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」(ヘブル3:7-8)のです。

16節と17節をご覧ください。ここには、彼らが仕えた空しいもの、主が倣ってはならないと命じられた、周囲の異邦の民の偶像がどのようなものであったのかが記されてあります。「16 彼らの神、【主】のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。17 また、自分たちの息子や娘たちに火の中を通らせ、占いをし、まじないをし、【主】の目に悪であることを行うことに身を任せ、主の怒りを引き起こした」

彼らはまず自分たちのために鋳物の像、二頭の金の子牛の像を造り、それをダンとベテルに置いて拝みました(Ⅰ列王12:28~29)。これがヤロブアムの罪です。また、サマリアにアシェラ像を立てました。アシェラとはカナン人の豊穣の女神です。さらに彼らは、天の万象を拝み、バアルに仕えました。バアルも豊穣の神です。アシェラは女神ですが、バアルは男神です。周囲の異邦の民が拝んでいたポピュラーな偶像でした。彼らはそれも取り入れたのです。また彼らは、自分の子どもたちを人身供養のためにささげるようなことまでしました(Ⅱ列王16:3、申命18:10)

そこで、主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを取り除かれたのです。ただユダの部族だけが残りました。つまり彼らが取り除かれたのは、彼らの不信仰の故であったということです。不信仰と罪は、今も私たちを神から遠ざけるものです。すみやかに悔い改めて、神のもとに立ち返らなければなりません。

次に、19~23節までをご覧ください。「19 ユダも、彼らの神、【主】の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習にしたがって歩んだ。20 そのため【主】はイスラエルのすべての子孫を蔑み、彼らを苦しめ、略奪者たちの手に渡し、ついに彼らを御前から投げ捨てられた。21 主がイスラエルをダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムはイスラエルを【主】に従わないように仕向け、そうして彼らに大きな罪を犯させた。22 イスラエルの人々は、ヤロブアムが行ったすべての罪に歩み、それから離れなかったので、23 【主】は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれた。今日もそのままである。」

それは北王国イスラエルだけでなく、南ユダ王国も同じです。彼らも、彼らの神、主の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習に従って歩んだので、彼らもまた御前から投げ捨てられることになります。ユダもまた捕囚の憂き目にあったということです。バビロン捕囚のことです。列王記の著者は、バビロン捕囚後にこの記録を書いているので、ユダもイスラエルと同じ道を辿ったことを伝えているわけです。

主はダビデ王朝を引き裂き、それをヤロブアムに与えました。しかし、ヤロブアムはイスラエルを主に従わないように仕向け、金の子牛を礼拝させました。それ以来、イスラエルの民はその罪から離れなかったので、主が預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から取り除かれたのです。イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれることになっりました。今日もそのままであるとは、列王記の著者がこれを書いている時点で、イスラエルのアッシリア捕囚が続いているということです。彼らは、エジプトの奴隷の状態から解放され、約束の地に導かれ、聖なる国民とされたのに、神に反逆することによって、これらの祝福を失ってしまったのです。

Ⅱ.アッシリア捕囚の結果(24-33)

次に、24~33節をご覧ください。「24 アッシリアの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしてセファルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住まわせた。こうして、彼らはサマリアを占領して、その町々に住んだ。25 彼らはそこに住み始めたとき、【主】を恐れなかったので、【主】は彼らの中に獅子を送り込まれた。獅子は彼らの何人かを殺した。26 彼らはアッシリアの王に次のように報告した。「あなたがサマリアの町々に移した諸国の民は、この土地の神についての慣わしを知りません。それで、神が彼らのうちに獅子を送り込みました。今、獅子が彼らを殺しています。彼らがこの土地の神についての慣わしを知らないからです。」27 そこで、アッシリアの王は次のように命じた。「おまえたちがそこから捕らえ移した祭司の一人を、そこに連れて行け。行かせて、そこに住まわせ、その土地の神についての慣わしを教えさせよ。」28 こうして、サマリアから捕らえ移された祭司の一人が来てベテルに住み、どのようにして【主】を礼拝するべきかを教えた。29 しかし、それぞれの民は、それぞれ自分たちの神々を造り、サマリア人が造った高き所の宮にそれを安置した。それぞれの民は自分が住む町々でそのようにした。30 バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネルガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、31 アワ人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイム人はセファルワイムの神々、アデラメレクとアナメレクに自分たちの子どもを火で焼いて献げた。32 彼らは【主】を礼拝したが、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。33 彼らは【主】を礼拝しながら、同時に、自分たちが移される前にいた国々の慣わしによって、自分たちの神々にも仕えていた。」

アッシリア捕囚が行われた結果、どうなったでしょうか。アッシリアの占領政策は、占領地の優秀な人材をアッシリアに連行し、人口が減少した占領地にアッシリア人を送り込むというものでした。こうすることによってそこで雑婚が生まれ、将来における復讐行為を防ぐことができるからです。アッシリアの人たちは、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、セファイルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住ませました。

しかし、そうしたサマリア人たちがイスラエルの町々に住み始めたとき、彼らは主を恐れなかったので、主は彼らの中に獅子を送り込まれました。それで、獅子が彼らの何人かを殺したのです。そこで彼らはアッシリアの王にそのことを報告しました。するとアッシリアの王は、彼らがサマリアから捕え移した祭司の中からひとりを選び、サマリアに送り返すようにと命じました。

こうして、サマリアに捕らえ移された祭司の一人が来てベテルに住み、どのようにして主を礼拝すべきかを教えましたが、それぞれの民は、それぞれ自分たちのために神々を造り、サマリア人が造った高き所の宮にそれを安置しました。それぞれの民は自分が住む町々でそのようにしました。バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネルガルを造り、ネルガルとはバビロンの偶像です。ハマテの人々はアシマを造り、アワの人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイムの人はセファルワイムの神々、アデラメレクとアナメレクに自分たちの子どもを火で焼いてささげました。つまり、サマリアが多神教と混合宗教の地になってしまったということです。サマリアに移住した雑多な民が、それぞれの神々と習慣を持ち込んだからです。おそらくサマリアから捕え移された祭司の一人がベテルに住み、どのようにして主を礼拝すべきかを教えたとき、ヤハウェ礼拝と金の子牛礼拝が混合した宗教を教えたのではないかと考えられます。というのは、このベテルにはあのヤロブアムが造った金の子牛が置かれていたからです。

その結果、どうなりましたか。32~33節をご覧ください。「32 彼らは【主】を礼拝したが、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。33 彼らは【主】を礼拝しながら、同時に、自分たちが移される前にいた国々の慣わしによって、自分たちの神々にも仕えていた。」

主を礼拝しながら、自分たちが移される前にいた国々の慣わしに従って、自分たちの神々を礼拝するというスタイルが生まれました。つまり、イスラエルの神、主を、もうひとりの神として、すでにある神々のリストに加えるようなことが起こったのです。しかし、これはモーセの律法で厳しく禁じられていることでした。十戒の第一戒には、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」とあります。これが容易に破られることになってしまったのです。このことは、私たち日本人にも言えることです。聖書の神、真の神を信じていても、それが既にある土着の宗教の一つに加えられる形で信じていることがあるからです。しかし、聖書が教えていることは、まことの神は唯一であって、その神以外に神々があってはならないということです。真の神だけを信じ、この神に仕えなければなりません。

ところで、この個所にはサマリア人の起源について記されてあります。サマリア人は、人種的にはイスラエル人と中近東の諸民族の混血によって誕生したため、ユダヤ人からは偏見の目で見られるようになりました。ヨハネの福音書4章にあるサマリアの女の話は、こうしたことが背景にあります。ユダヤ人がサマリア人と付き合いをしなかったのは、サマリア人が人種的に混血族だったからです。しかし、イエスはそのサマリア人を愛されました。そしてイエスの愛は、サマリア人だけでなく極東の地に住む私たち日本人の上にも注がれているのです。

Ⅲ.主だけを恐れなければならない(34-41)

最後に、34~41節見て終わりたいと思います。「34 彼らは今日まで、以前の慣わしのとおりに行っている。彼らは【主】を恐れることはなく、【主】がイスラエルと名をつけたヤコブの子たちに命じられた、掟や定めや律法や命令のとおりに行うこともない。35 【主】はイスラエル人と契約を結び、次のように命じられた。「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝み、これに仕えてはならない。これにいけにえを献げてはならない。36 大きな力と、伸ばされた腕をもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った【主】だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえを献げなければならない。37 主があなたがたのために書き記した掟と定めと律法と命令をいつも守り行わなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。38 わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。39 あなたがたの神、【主】だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」40 しかし、彼らは聞かず、以前の彼らの慣わしのとおりに行った。41 このようにして、これらの民は【主】を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。」

「彼ら」とは、アッシリアの王によってサマリアに移された諸国の民のことです。彼らはこの列王記が記されている時点で、以前の慣わしに従っていました。彼らは主を恐れることはなく、主が定めた掟や定めに従うこともありませんでした。

一方、主はイスラエルの民とは契約を結ばれました。それは、ほかの神々を拝みこれに仕えてはいけないということです。これにいけにえをささげてもいけません。彼らを大いなる力と、伸ばされた腕をもって、エジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主にだけ仕えなければなりません。そうすれば、主はすべての敵から彼らを救い出されると。しかし、残念ながら彼らはその主の命令に聞き従わず、以前の慣わしに従いました。つまり主を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えたのです。それは彼らだけではありません。その子たちも、孫たちも同じです。その先祖がしたとおりに行いました。

彼らには真の意味で主への畏れがありませんでした。もしあれば、刻んだ像に仕えることはできなかったはずです。彼らの主への礼拝は、形式的なものにすぎませんでした。混合宗教の悪影響は、それいたら何世代にもわたって続くことになります。私たちも悪の種を蒔くのではなく、信仰の継承を自分の代から始めていきたいと思います。

エレミヤ25章15~38節「憤りのぶどう酒の杯」

エレミヤ書25章に入ります。今日は1~14節から「70年の終わりに」というタイトルでお話します。12節にありますね、「70年の終わりに」。「七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──【主】のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。」
  ユダの民は、主のことばに聞き従わなかったのでバビロンの王に七十年間仕えることになります。しかし、その七十年の終わりに、主はバビロンを滅ぼし、これを永遠に荒れ果てた地とします。そして代わりに世界を治めたペルシャ帝国の王キュロスによって、ユダの民は約束の地に帰還することになるのです。主が預言者を通して語られた通りです。それは期間限定の捕囚でした。70年の終わりに、主はご自身が語られたとおり、彼らが元いた場所に帰らせるのです。確かに苦難、困難があっても、その先をしっかり見ている人は幸いです。その先にある回復と希望を見つめて離れない人は、どんな苦難に遭っても堅く立ち続けることができるからです。今日は、そのことを考えながら、この個所を読んでいきましょう。

Ⅰ.しきりに語りかけたのに(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。1節には「ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年、バビロンの王ネブカドネツァルの元年に、ユダの民全体についてエレミヤにあったみことば。」とあります。
  ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年とは、B.C.605年のことです。この年にネブカドネツァルがバビロンの王に即位しました。その元年に、主がエレミヤを通して、ユダとエルサレムの民全体に語られたことばがこれです。24:1には、「バビロンの王ネブカドネツァルが、ユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダの高官たち、職人、鍛冶をエルサレムから捕え移してバビロンに連れて行ったあとのこと」とありますが、それはB.C.597年のことでしたから、ここでは時代が遡っていることがわかります。年代順で言えば、この25章は21章の前に来る内容ですが、それがどういうわけか、ここに納められているのです。

エレミヤは、その年に主が語られたことばをユダの民全体とエルサレムの全住民に語りました。その内容は3~7節にあることです。「3 「ユダの王、アモンの子ヨシヤの第十三年から今日まで、この二十三年間、私に【主】のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった。4 また、【主】はあなたがたに、主のしもべである預言者たちを早くからたびたび遣わされたのに、あなたがたは聞かず、聞こうと耳を傾けもしなかった。5 主は言われた。『さあ、それぞれ悪の道から、あなたがたの悪い行いから立ち返り、【主】があなたがたと先祖たちに与えた土地に、いつまでも、とこしえに住め。6 ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そのようにすれば、わたしも、あなたがたにわざわいを下さない。7 しかし、あなたがたはわたしに聞き従わなかった──【主】のことば──。そして、あなたがたは手で造った物でわたしの怒りを引き起こし、身にわざわいを招いた。』」

ヨシヤ王の治世の第十三年とは、B.C.627年のことです。エレミヤはその年に預言者として召され、主が語られることばを語り続けてきました。その期間、何と23年間です。彼は23年もの間、主がユダの民に語られることばを絶えず、しきりに語りかけてきたのです。それなのに、彼ら聞きませんでした。それはどういう内容だったかというと、5節と6節にあるように、いたってシンプルなものでした。それは、それぞれ悪の道から立ち返り、主が彼らの先祖たちに与えた土地に、いつまでも、とこしえまでも住むように、というものでした。ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならないと。ただ神を愛し、神のみことばに従って歩むようにという、実にシンプルなメッセージでした。

しかし、彼らはそのエレミヤが語る主のことばを聞きませんでした。エレミヤが23年間もしきりに語りかけたのに、だれも彼の話に耳を傾けなかったのです。だれも彼の招きに応えようとしませんでした。収穫はゼロだったわけです。それはエレミヤにとってどれだけ忍耐を要したことかと思います。私は牧会を始めて40年になりましたが、もしだれも聞いてくれなかったら、恐らく続けることができなかったのではないかと思います。だれも信じなかったら、や~めた!となっていたと思います。でもエレミヤはそうではありませんでした。彼は23年間も語り続け、だれも彼の語ることばに耳を傾けようとしなくても語り続けました。たとえ目に見える収穫がなくても、たとえ目に見える成果がなくても、彼は語り続けたのです。しきりに語りたけました。それは実際のところは神が語りかけておられたことでした。神がエレミヤを通して語っておられたのです。だれも聞かなくても、だれもご自身に立ち返らなくても、神はずっと語り続けてくだったのです。神は本当に忍耐深く、あわれみ深い方ですね。新聖歌188番に「救い主は待っておられる」という讃美歌がありますが、救い主はずっと待っておられるのです。あなたが心の戸を開くのを、ずっとずっと待っておられる。それこそ23年間どころじゃない、もっともっと長い間待っておられるのです。そう思うと、感動で胸が熱くなります。こんな自分勝手で罪深い者のために、神はしきりに語りかけ、忍耐してずっと待っておられるのです。

神が私たちに願っておられることは、私たちが聞き従うことです。聞き従うことはいけにえにまさります。それなのに彼らは聞き従いませんでした。この「聞かなかった」ということばに注目してください。ここには「聞かなかった」とか、「耳を傾けなかった」ということばが繰り返して出てきます。それが強調されているのです。8節にも「聞き従わなかった」ということばがあります。皆さん、イスラエルの歴史は、一言で言えば、神への反逆の歴史です。あなたの歴史はどうでしょうか。あなたの生活はどうでしょうか。あなたの人生はどうですか。しきりに神が語りかけているのに聞かないということはないでしょうか。いつも聖霊に逆らっている歴史、逆らっている毎日、逆らっている人生であるということはないでしょうか。

リビングライフというディボーションの月刊誌の中に、韓国のキム・ウォンテという牧師が書いたエッセイが掲載されていました。
  サハラ砂漠の西側には「サハラの中心」と呼ばれる小さな町があり、多くの旅行客がこの町を訪問しようと砂漠を訪れるそうです。しかし、レビンという人がこの町に来る前までは、その町は全く開放されていない立ち遅れた場所でした。町の人々は一度も砂漠を出たことがありませんでした。何もない砂漠から出ようと試みましたが、一度も成功できませんでした。レビンは町から抜け出せない理由を尋ねると、返ってくる答えはすべて同じでした。「どこに向かって歩いても、出発した場所に戻って来てしまうのです。」
  そこでそれが本当かどうかを試すために、レビンは北に向かって歩き始めました。すると三日で砂漠を抜け出すことができたのです。では、なぜ町の人々は抜け出すことができなかったのか。次にレビンは町の青年を一人連れて、青年が行く方向について行きました。昼も夜も歩き、11日目には再び町に戻ってきました。ついに、レビンはその町の人々が砂漠を抜け出せない理由を見つけました。何だと思いますか。誰も北極星を知らなかったのです。レビンは前回の実験に参加した青年に、昼間は十分休んで、夜になったら北極星の後についていくようにと言いました。その青年がレビンの言葉通りにすると、3日で砂漠を抜け出すことかできたのです。後日、青年は砂漠の開拓者となり、開拓地の中心には彼の銅像が立てられました。その銅像にはこのような文字が刻まれているそうです。「新しい人生は、方向をしっかりと見つけた時に始まる!」

皆さん、これは私たちの人生にも言えることではないでしょうか。新しい人生は、方向をしっかりと見つけた時に始まります。私たちの歴史は、イスラエルの民のように神への反逆の歴史です。神がしきりに語りかけているのに聞こうとしないで逆らい続けています。でもそんな不従順な道から立ち返り、神のもとに帰れば、いつでも神は私たちに触れてくださり、赦し、もう一度神の子どもとして歩めるように回復してくださいます。あなたに求められていることは、主のみことばに聞き従うことです。主が遣わされた預言者たち、主の働き人たちの権威を認めて、彼らが伝えることばに耳を傾けて従うことなのです。新しい人生は、方向をしっかり見つけた時に始まります。私たちはその方向を軌道修正し、神に立ち返り、神のことばに従って歩んでいるかどうかを点検しなければなりません。そうすれば、あなたは神の取り扱いを受け、神にしかできない御業があなたの内になされ、あなたは良いものに変えられるのです。

Ⅱ.70年のバビロン捕囚(8-11)

次に、8~11節をご覧ください。エレミヤが主のことばを絶えず、しきりに語りかけたのに、それを聞かなかったユダの民に対して、主はどうなさるでしょうか。「8 それゆえ、万軍の【主】はこう言われる。『あなたがたがわたしのことばに聞き従わなかったから、9 見よ、わたしは北のすべての種族を呼び寄せる──【主】のことば──。わたしのしもべ、バビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せて、この国とその住民、その周りのすべての国々を攻めさせ、これを聖絶して、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とする。10 わたしは彼らから楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともしびの光を消し去る。11 この地はすべて廃墟となり荒れ果てて、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。」

主のばに聞き氏は違わなユダの民に対して、主はバビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せ、その国とその住民、その周りのすべての国々を攻めさせて、これを聖絶し、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とします。その結果、10節にあるように、それまで普通になされていた日常の営みがすべて消えてしまうことになります。楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともしびの光が消えてしまうことになるのです。ひき臼の音とは、結婚して料理を作る時、包丁でまな板を叩きますよね、その音です。それはまさに平和な暮らしのシンボルですが、その音が消えてしまうのです。現代風に言うならば、電子レンジの「チン」でしょうか。それとも電子ジャーの「ピー、ピー、ピー」でしょうか。その音が聞こえなくなってしまうのです。バビロンによってそうした平和な生活が破壊されてしまうからです。
  また、ここには「ともしびの光を消し去る」とあります。どういうことでしょうか。これは部屋を明るく照らしていた電気が消えて暗くなってしまうということです。もうそこに住んでいる人はいなくなります。そこはすっかり廃屋となってしまうのです。それは彼らが主のことばに聞き従わなかったからです。その結果、バビロンの王ネブカデネツァルに70年間仕えることになります。

ところで、9節にはバビロンの王ネブカデネツァルのことが「わたしのしもべ」と呼ばれています。4節にも「主のしもべである預言者たち」とありますね。主の預言者であれば「主のしもべ」と言われても納得できますが、異教の王、しかもユダの民を虐殺するような悪辣で非道な者が神のしもべと呼ばれていることには少なからず抵抗を覚える人もいるのではないでしょうか。いったいこれはどういうことでしょうか。確かにダニエル書4章を見ると、ネブカドネツァルはダニエルを通してダニエルが信じていた真の神を信じ、この神をあがめ、賛美し、ほめたたえるようになります。そういう意味では、確かに彼は神のしもべであったと言えるでしょう。でもここで彼が「わたしのしもべ」と呼ばれているのはそういう意味ではなく、あくまでも神のさばきを実行する道具、お尻叩き棒として「主のしもべ」と呼ばれているのです。ということはどういうことかというと、主なる神の支配はこうした異教の指導者にも及ぶということです。神は、こうした異教の指導者さえも用いてまでも、ご自身の民を懲らしめられるのです。それは彼らが主のことばに聞き従わなかったからです。神のみこころは5節にあるように、いつでも、とこしえに、彼らが約束の地に住むことだったのに、そんな神のみこころを踏みにじり、神のことばに聞き従わないことを選んだために、自らにわざわいを招いてしまったのです。その神の懲らしめ、神のさばきの道具の一つが、バビロンの王ネブカドネツァルだったのです。そういう意味で彼は「主のしもべ」と呼ばれているのです。

それはユダの民だけに言えることではありません。私たちにも言えることです。もし私たちが口先では「神様愛します」「あなたをあがめます」と言いながら、心にたくさんの偶像を抱え、神がしきりにみことばを語りかけてもそれを全く無視し背信に背信を重ねるなら、神はご自身のしもべバビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せてあなたを攻めさせ、これを聖絶し、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とするのです。神はありとあらゆるものを道具として、ご自身に背く神の民を懲らしめられるのです。そういう意味では、今あなたが抱えている苦しみも、その結果であると言えるかもしれません。
  でも、安心してください。あなたのその苦しみは、あなたが神に愛されているという証拠でもあるのですから。それは、あなたが神の子どもであることの証拠でもあるのです。そうでなかったら、懲らしめや訓練を与えることはなさいません。神はあなたを愛しておられるのでむちを加えられるのです。へブル12:5~6にこのように書いてあり通りです。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」

だから、悲観しないでください。だから、私はもうだめだと思わないでください。私にはもう希望がないと言わないでください。あなたが素直になって神のことばに聞き従うなら、あなたは神の御取り扱いを受け、義という平安の実を結ぶことになるからです。

Ⅲ.70年の終わりに(12~14)  

最後に、12~14節をご覧ください。「12 七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──【主】のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。13 わたしは、この地の上にわたしが語ったすべてのことばを実現させる。それは、エレミヤが万国について預言したことで、この書に記されているすべての事柄である。14 多くの国々と大王たちは彼らを奴隷にして使い、わたしも彼らに、その行いに応じ、その手のわざに応じて報いる。』」

ここに「70年の終わりに」とあります。バビロンは、イスラエルを懲らしめる道具として神に用いられますが、そのバビロンも70年の終わりには、彼らの咎のゆえに罰せられ、永遠に荒れ果ててしまうことになります。一時は権勢を振るったバビロンも、創造主なる神のことばに聞き従わなければさばかれることになるのです。そして主はバビロンの次に、世界を治めたペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせ、ユダの民をエルサレムへ帰還させる道を開かれます(エズラ1:1-4)。主はユダの民ばかりでなく、すべての国民、すべての国を治めておられるお方なのです。

ところで、ここには「70年の終わりに」とありますが、これはユダの民がバビロンで捕囚の生活を送るのは70年間であると預言されているのです。それは期間限定の捕囚であったということです。この期間限定というのがいいですね。季節は秋ですが、この秋限定のスイーツが販売されています。期間限定のマロンケーキとか、期間限定のさつまいもドーナッツとか、なんだかスイーツばかりですけれども、私は甘いものが大好きなので、この期間限定のスイーツが大好きです。そしてここにも期間限定が登場します。ユダの民がバビロンに捕えられる期間です。それが70年と定められていたのです。それがいつまでなのかわからないとお先真っ暗になってしまいますが、主は本当に優しい方ですね。捕囚という悲劇が起こる前に、その期間をちゃんと定めておられたのですから。70年間です。これはユダの民にとってどんなに大きな希望だったかと思います。確かに70年という年月は途方もない年月ですが、それはいつまでも続くものではない、その先には回復がある、希望があるという約束は、彼らにとって大きな励ましとなったに違いありません。

ところで、皆さん、この70年という期間がどのようにして定められたかご存知ですか。ある人は、この「7」が完全数であり、「10」も完全数なので、これは神のさばきの完全さと徹底さを表している象徴的な数字だと考えていますが、そうではありません。これは、律法の書に予め定められていた期間でした。Ⅱ歴代誌36:21を開いてください。ここにはこうあります。「これは、エレミヤによって告げられた【主】のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。」
  イスラエルの民が約束の地に入ってから490年間ずっと破り続けてきた掟がありました。それがこの安息年の定めです。それはレビ記25章にありますが、7年ごとに農地を休ませなければならないという規定です。それなのに彼らは約束の地に入ってから490年の間、ずっとこれを破り続けてきたのです。それで神は490年を7年で割った年数、すなわち70年間をバビロン捕囚の期間として定められたのです。この規定を破ればどうなるかということを、この中で定めておられたわけです。ですからこれは人の思い付きでも、偶然その期間になったというのでもなく、予め神が定めておられた期間だったのです。

でも、だれもこの70年間というエレミヤの預言を信じていませんでした。ただ捕囚の民としてバビロンに連れて来られたという悲惨な現実を呪うばかりでした。しかしそんな中でこのエレミヤの預言に目を留め、信じ、しっかりと待ち望んでいた人物がいました。ダニエルです。ダニエル書を書いたダニエルです。ダニエルは、第一次バビロン捕囚の時(B.C.605)にネブカドネツァル王によってバビロンに連れて行かれました。その後、バビロンはメド・ペルシャ帝国によって滅ぼされメド・ペルシャの時代になりますが、ダニエルはそこでもペルシャの王たちに仕えました。そのダニエルに、このエレミヤのことばが大きな影響を与えたのです。ダニエル書9:2にはこうあります。「すなわち、その治世の第一年に、私ダニエルは、預言者エレミヤにあった【主】のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。」

捕囚の民としてバビロンにいたダニエルは、ペルシャの王ダレイオスがカルデア人の国の王となったその元年、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が70年であることを悟ったのです。それが今、私たちが見ているエレミヤ書25:11~12のみことばです。彼は私たちが今、見ている同じエレミヤ書の箇所を見ていたのです。そこで彼はその期間が70年であることを悟り、そのメッセージをしっかりと心に留めて、その期間をずっと待ち続けたのです。これは期間限定の懲らしめであるということ、国が滅亡したかなたに希望があるということ、回復があるということを信じたのです。だからダニエルはどんな迫害に遭っても堅く信仰に立ち続けることができたのです。たとえライオンの穴の中に投げ入れられても、です。神のことばによってその先が見えていたからです。

これは私たちにも言えることです。私たちの人生にもいろいろな苦しみや困難があるでしょう。でもみことばによってそれがどういうことなのかを悟り、その先にあるものをしっかりと見つめるなら、そこにどんな苦難があってもそれを乗り越えることができます。パウロは、「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ8:18)と言っています。確かに、将来に希望を持っている人は、試練を乗り越えることができるのです。ダニエルがみことばによって今まさに自分がそこにいることを知り、奮い立ったように、私たちもみことばによって自分がいる場所を知り、それがどういうことなのかを悟るなら、どんな境遇にあっても奮い立つことができるのです。

その代表的な聖句を見て終わりたいと思います。エレミヤ29:10~14です。「10 まことに、【主】はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。14 わたしはあなたがたに見出される──【主】のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──【主】のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』」

この29:11は非常に有名な箇所です。この聖句がどのような文脈で語られているのかというと、この70年の期間限定が満ちる時、彼らを約束の地に帰らせるという神のご計画がいかに将来と希望を与えるものなのかを伝えることの中で語られたことでした。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだと。あなたもこの神のご計画を知るなら、それがわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたに将来と希望を与えるためのものであることを知ることかできるのです。そして、たとえ試練の中にあっても神のことばは必ず成ると信じて、将来に希望を持つことができるのです。その人の信仰は、生きて働くからです。

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Ⅱ列王記16章

 

 今日は、Ⅱ列王記16章から学びます。

 Ⅰ.主の目にかなうことを行わなかったアハズ(1-4)

まず、1~4節をご覧ください。「1 レマルヤの子ペカの第十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となった。2 アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、彼の神、【主】の目にかなうことを行わず、3 イスラエルの王たちの道に歩み、【主】がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでした。4 彼は高き所、丘の上、青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えた。」

北イスラエル王ペカの第17年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となりました。それは、B.C.735年です。アハズは20歳で王となり、エルサレムで16年間治めました。しかし彼はその父祖ダビデと違って、彼の神、主の目にかなうことを行いませんでした。彼はイスラエルの王たちの道に歩み、主がイスラエルの前から追い払われた異邦の民のも忌むべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでしました。彼は高き所、丘の上で、青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えたのです。自分の子どもたちに火の中を通らせるというのは、カナン人の偶像礼拝の一形態です。それはモレクという神の礼拝でした。青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えたとは、国中の至るところで偶像礼拝を行ったということです。その程度があまりにもひどかったので、列王記の著者は「青々と茂るあらゆる木の下で」と誇張法を用いてこのように表現したのです。

これまでのユダの王たちの主な特徴は、ダビデの道に歩み、主の目に正しいことを行なったが高き所は取り除かなかった、ということでしたが、このアハズ王は違います。彼は北イスラエルの王たちと同じように、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪を行ったように、異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、主の目にかなう道とは反対のことを行ったのです。

ここには、「主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、忌むべき慣わしをまねて」とあります。このような異邦の民の慣わしをまねてはならないことは、彼らが約束の地に入る前からモーセを通して語られていたことでした。申命記7:1~3にはこうあります。「1 あなたが入って行って所有しようとしている地に、あなたの神、【主】があなたを導き入れるとき、主は、あなたよりも数多くまた強い七つの異邦の民、すなわち、ヒッタイト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人をあなたの前から追い払われる。2 あなたの神、【主】が彼らをあなたに渡し、あなたがこれを討つとき、あなたは彼らを必ず聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。また、彼らにあわれみを示してはならない。3 また、彼らと姻戚関係に入ってはならない。あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としたりしてはならない。」

彼らが約束の地に導き入れられた時には、必ず彼らを聖絶しなければなりませんでした。何の契約も結んではいけなかったのです。彼らにあわれみを示してもいけませんでした。勿論、婚姻関係に入ってもいけませんでした。なぜなら、彼らは息子たちを主から引き離し、ほかの神々に仕えさせるからです。ですから、彼らを根絶やしにしなければならなかったのです。それなのに彼らはその地の異邦の民を追い払うどころか彼らの忌むべき慣わしをまねて、自分の子どもたちに火の中を通らせるようなことをしました。妥協したのです。このように、神の命令に背いて妥協すると、悲惨な結果を招いてしまうことになります。

パウロはコロサイ3:5で「ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。」と言っています。こうした偶像礼拝と関わりを持つなではなく、殺してしまいなさいと言うのです。捨て去らなければならないのです。そのようなものを残しておくなら、そのようなものに妥協するなら、アハズのように霊的堕落を招き、悲惨な結果を招いてしまうことになるからです。

Ⅱ.アッシリアにより頼んだアハズ(5-9)

次に、5~9節をご覧ください。「5 そのころ、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来て、アハズを包囲したが、攻め切れなかった。6 このとき、アラムの王レツィンはエイラトをアラムに復帰させ、ユダの人々をエイラトから追い払った。ところが、エドム人がエイラトに来て、そこに住みついた。今日もそのままである。7 アハズは使者たちをアッシリアの王ティグラト・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から救ってください。」8 アハズが【主】の宮と王宮の宝物倉にある銀と金を取り出して、それを贈り物としてアッシリアの王に送ったので、9 アッシリアの王は彼の願いを聞き入れた。アッシリアの王はダマスコに攻め上り、これを取り、その住民をキルへ捕らえ移した。彼はレツィンを殺した。」

そのころのことです。アハズに一つの問題が起こります。何とアラムの王レツィンとイスラエルの王ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来たのです。なぜアラムの王レツィンとイスラエルの王ペカがアハズと戦うためにエルサレムに上ってきたのかというと、アッシリアが台頭し、アラムを攻めて来ていたからです。それでアラムとイスラエルはアッシリアに対抗するために同盟を結びアッシリアに対抗しようとしたのですが、それに南ユダも加わるようにとけしかけたのです。でもアハズは加わろうとしなかったので、ユダに戦いをしかけたのです。おそらくアハズは、アラムや北イスラエルほどアッシリアの脅威を感じていなかったのでしょう。むしろ、融和策を取った方が賢明だと思ったのです。それでアラムの王のレツィンとイスラエルの王のペカはエルサレムのアハズのところに攻めてきましたが、攻め切れませんでした。

イザヤ7:2を見ると、この時のアハズの心境が描かれています。アラムがエフライムと組んだという知らせがもたらされた時、彼の心は林の木々が風にゆらぐように揺らいだ、とあります。それで彼はアッシリアの王ティグラト・ピレセルに使いを送って援助を求めたのです。実はその時主がイザヤを彼のもとに遣わして、「気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない。あなたは、これら二つの煙る木切れの燃えさし、アラムのレツィンとレマルヤ子(ペカ)の燃える怒りに、心を弱らせてはならない。」と語るのですが、アハズはその動揺を抑えようと、アッシリアに助けを求めて問題を打開しようとしたのです。

これが人間の考えることです。人は何か問題が起こると、その場しのぎの解決や対策を講じようとします。ちょうどコンビニでインスタント食品を買うように、その場しのぎの神々を手に入れようとするのです。しかしそれは一時的な解決をもたらしてくれるかもしれませんが、ほんとうの解決にはなりません。ユダはアッシリアに助けを求めることでその場の危機をしのぐことができたかもしれませんが、後でほんとうの危機がやって来ることになります。「昨日の友が今日の敵」というようなことが起こります。何とそのアッシリアによって脅かされることになるわけです。アハズはアッシリアと同盟を結ぶことで、確かにつじつまが合ったかのように見えますが、そのつけは30年後に大きく膨らんで返ってくることになるのです。B.C.701年にアッシリアの王セナケリブがエルサレムにやって来てこれを包囲し、陥落させる寸前にまで追い込むことになるのです。

アハズはアッシリアの王への贈り物として、神殿と王宮にあった銀と金を送りました。つまりアハズは自ら進んでアッシリアの従属国となることを選んだのです。その結果どなりましたか。アッシリアの王は彼の願いを聞き入れ、アラムの首都であるダマスコに攻め入り、これを取り、その住民をキルへ捕え移しました。そして彼はレツィンを殺しました。すなわち、B.C.732年にアラムが、またB.C.722年にはサマリアが滅ぼされます。ユダの王アハズにとっては「してやったり」という気持ちだったでしょう。自分が思っていたとおりになったわけですから。アラムとイスラエルの攻撃という難局を乗り越えることができました。でも、それは真の解決ではありませんでした。イザヤ9:5~8を見ると、この時アハズが主をないがしろにしてアッシリアにより頼んだことを責めておられます。先ほども申し上げたように、やがてユダはそのアッシリアによって苦しめられることになるのです。それは、ユダの王アハズが主をないがしろにして、アッシリアにより頼んだからです。

Ⅲ.アハズの霊的堕落(10-20)

アッシリアに援助を求めたアハズの行為は愚かなことでしたが、そのことで彼はとんでもないことをしでかします。10~16節をご覧ください。「10 アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに会うためダマスコに行ったとき、ダマスコにある祭壇を見た。アハズ王は、祭壇の図面とその模型を、詳細な作り方と一緒に祭司ウリヤに送った。11 祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから送ったものとそっくりの祭壇を築いた。祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから帰って来るまでに、そのようにした。12 王はダマスコから帰って来た。その祭壇を見て、王は祭壇に近づき、その上に上った。13 彼は全焼のささげ物と、穀物のささげ物を焼いて煙にし、注ぎのささげ物を注ぎ、自分のための交わりのいけにえの血をこの祭壇に振りかけた。14 【主】の前にあった青銅の祭壇は、神殿の前から、すなわち、この祭壇と【主】の神殿の間から動かし、この祭壇の北側に置いた。15 それから、アハズ王は祭司ウリヤに次のように命じた。「朝の全焼のささげ物と夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のささげ物と穀物のささげ物、この国の民全体の全焼のささげ物と穀物のささげ物、ならびにこれらに添える注ぎのささげ物を、この大いなる祭壇の上で焼いて煙にせよ。また全焼のささげ物の血といけにえの血は、すべてこの祭壇の上に振りかけなければならない。青銅の祭壇は、私が伺いを立てるためのものとする。」16 祭司ウリヤは、すべてアハズ王が命じたとおりに行った。」

アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに遭うためにダマスコに行きました。これはアハズがティグラト・ピレセルを表敬訪問したということです。自分たちの窮地を救ってくれたアッシリアに感謝の意を伝えようとしたのです。そこで彼が見たものは、巨大な祭壇でした。これは勿論、異教の祭壇です。アラムのものである可能性もありますが、おそらくアッシリアのものでしょう。彼はその祭壇を見て感動しました。そしてどうしたかというと、その祭壇の図面と模型を、詳細な作り方と一緒にエルサレムにいる祭司ウリヤに送りました。それと同じものを制作するためです。何と愚かなことでしょうか。アッシリアに援助を求めること自体愚かなことですが、そのアッシリアの神々を自分たちのところに導入しようとするのはもっと愚かなことです。おそらく彼はアッシリアの祭壇を見て、そのすばらしさに、それと同じ祭壇を作れば自分たちも強くなれるに違いないと思ったのでしょう。何とも安易な考えです。彼はさっそくその図面と模型を、作り方と一緒に祭司ウリヤに送りました。

それを受け取った祭司ウリヤはどうしたかというと、アハズ王がダマスコから帰って来る前にそれとそっくりの祭壇を築きました。アハズ王もアハズ王ですが、祭司ウリヤもウリヤです。それがいかに愚かなことかを考えずに、ただアハズ王の言うことに従ったのですから。当時の祭司がいかに堕落していたかがわかります。

アハズ王はダマスコから帰って来ると、その祭壇を見て、祭壇に近づき、その上に上りました。そこでいけにえをささげたということです。彼は全焼のいけにえと、穀物のささげ物を焼いて煙にし、注ぎのささげ物を注ぎ、自分のための交わりのいけにえの血をその祭壇に振りかけました。そして、元からあった祭壇は、新しい祭壇の北側に移動させられました。

これは、とてつもない背教です。祭壇でのささげものは祭司しか行なうことができませんでした。それなのに、ここではアハズ自らがささげ物をささげています。礼拝は本来、神に対してなされるものですが、彼はそれを自分の益のために利用したのです。また、主によって命じられて造った青銅の祭壇は、その新しく造られた異教の祭壇によって、横に追いやってしまいました。つまり、異教の祭壇よりも価値が劣るものとみなしたということです。

アハズ王がやったことはとんでもない礼拝の逸脱行為ですが、ややもすると私たちもこれと同じような過ちを犯してしまうことがあります。主を礼拝するための祭壇が自分の目的を達成するために利用することがあるとしたら、このアハズと何ら変わらないことをしていることになります。自分の礼拝が純粋なものになっているかどうかを吟味しなければなりません。

15~16節ご覧ください。「15それから、アハズ王は祭司ウリヤに次のように命じた。「朝の全焼のささげ物と夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のささげ物と穀物のささげ物、この国の民全体の全焼のささげ物と穀物のささげ物、ならびにこれらに添える注ぎのささげ物を、この大いなる祭壇の上で焼いて煙にせよ。また全焼のささげ物の血といけにえの血は、すべてこの祭壇の上に振りかけなければならない。青銅の祭壇は、私が伺いを立てるためのものとする。」16 祭司ウリヤは、すべてアハズ王が命じたとおりに行った。」

アハズは祭司ウリヤに命じて、朝の全焼のささげものと夕方の穀物のささげ物と夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のささげ物と穀物のささげ物、この国の民全体の全焼のささげ物と穀物のささけげ物を持って来るようにと命じました。そこで主にいけにえをささげるためです。彼は自分が偶像礼拝の罪を犯しただけでなく、ユダの国のすべてのいけにえを偶像礼拝にするように仕向けたのです。ユダの人々が持ってくるものはみな、アハズが自分の趣味でこしらえた、自分勝手な神にささげられたのです。そして、主の祭壇は伺いを立てるために、つまり、占いのために用いられることになりました。

それに対して祭司ウリヤはどうしたかというと、それが主のみこころに反するものであることを知りながら、すべてアハズ王が命じたとおりに行いました。これが主の命令に従うのであればすばらしいことですが、偶像礼拝を推進するためのものでしたから、とんでもない従順であったと言えます。

最後に、17~20節をご覧ください。「17 アハズ王は、車輪付きの台の鏡板を切り離し、その台の上から洗盤を外し、またその下にある青銅の牛の上から「海」も降ろして、それを敷き石の上に置いた。18 彼は、宮の中に造られていた安息日用の覆いのある通路も、外側の王の出入り口も、アッシリアの王のために【主】の宮から取り除いた。19 アハズが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。20 アハズは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにダビデの町に葬られた。彼の子ヒゼキヤが代わって王となった。」

ソロモンが建てた神殿の説明書には、動物のいけにえを洗うための10の洗盤がありました。それは車輪付きで、移動可能のものでした。また、非常に大きい、青銅の洗盤もありました。牛や海が装飾されている洗盤です。アハズはこれらを移動させたり、取り除いたりしました。なぜこのようなことをしたのかはわかりません。ただここに「アッシリアの王のために主の宮から取り除いた」とありますので、それはアッシリアの王のためであったこと間違いありません。

人はここまで堕落するのかと思ってしまいますが、けれどもこれが人間の現実なのです。このことはクリスチャンと言えども起こり得ることです。ペテロは、その手紙の中でこう言っています。「20 主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。21 義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうがよかったのです。22 「犬は自分が吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。」(Ⅱペテロ:20-22)

これは決して他人事ではありません。主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされることがあります。アハズが経験したように、林の木々が風にゆらぐように揺らぐことがあります。そのような時、主ではなく主以外のものにより頼むことがあるとしたら、私たちもアハズのように堕落してしまうことがあるということです。そうならないために必要なことは何か。ペテロが彼の手紙の最後のところで言っていることが重要ではないかと思います。すなわち、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」(Ⅱペテロ3:18)

私たちの心が林の木々が揺らぐように揺らぐ時、それでも信仰に堅く立ち続けることができるのは私たちの考えや力によるのではなく、一方的な主の恵みによります。私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長すること、それがどんな時でも主により頼むために必要なこと、信仰から信仰へと進むために必要なことなのです。

エレミヤ25章1~14節「70年の終わりに」

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エレミヤ書25章に入ります。今日は1~14節から「70年の終わりに」というタイトルでお話します。12節にありますね、「70年の終わりに」。「七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──【主】のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。」
  ユダの民は、主のことばに聞き従わなかったのでバビロンの王に七十年間仕えることになります。しかし、その七十年の終わりに、主はバビロンを滅ぼし、これを永遠に荒れ果てた地とします。そして代わりに世界を治めたペルシャ帝国の王キュロスによって、ユダの民は約束の地に帰還することになるのです。主が預言者を通して語られた通りです。それは期間限定の捕囚でした。70年の終わりに、主はご自身が語られたとおり、彼らが元いた場所に帰らせるのです。確かに苦難、困難があっても、その先をしっかり見ている人は幸いです。その先にある回復と希望を見つめて離れない人は、どんな苦難に遭っても堅く立ち続けることができるからです。今日は、そのことを考えながら、この個所を読んでいきましょう。

Ⅰ.しきりに語りかけたのに(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。1節には「ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年、バビロンの王ネブカドネツァルの元年に、ユダの民全体についてエレミヤにあったみことば。」とあります。
  ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年とは、B.C.605年のことです。この年にネブカドネツァルがバビロンの王に即位しました。その元年に、主がエレミヤを通して、ユダとエルサレムの民全体に語られたことばがこれです。24:1には、「バビロンの王ネブカドネツァルが、ユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダの高官たち、職人、鍛冶をエルサレムから捕え移してバビロンに連れて行ったあとのこと」とありますが、それはB.C.597年のことでしたから、ここでは時代が遡っていることがわかります。年代順で言えば、この25章は21章の前に来る内容ですが、それがどういうわけか、ここに納められているのです。

エレミヤは、その年に主が語られたことばをユダの民全体とエルサレムの全住民に語りました。その内容は3~7節にあることです。「3 「ユダの王、アモンの子ヨシヤの第十三年から今日まで、この二十三年間、私に【主】のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった。4 また、【主】はあなたがたに、主のしもべである預言者たちを早くからたびたび遣わされたのに、あなたがたは聞かず、聞こうと耳を傾けもしなかった。5 主は言われた。『さあ、それぞれ悪の道から、あなたがたの悪い行いから立ち返り、【主】があなたがたと先祖たちに与えた土地に、いつまでも、とこしえに住め。6 ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そのようにすれば、わたしも、あなたがたにわざわいを下さない。7 しかし、あなたがたはわたしに聞き従わなかった──【主】のことば──。そして、あなたがたは手で造った物でわたしの怒りを引き起こし、身にわざわいを招いた。』」

ヨシヤ王の治世の第十三年とは、B.C.627年のことです。エレミヤはその年に預言者として召され、主が語られることばを語り続けてきました。その期間、何と23年間です。彼は23年もの間、主がユダの民に語られることばを絶えず、しきりに語りかけてきたのです。それなのに、彼ら聞きませんでした。それはどういう内容だったかというと、5節と6節にあるように、いたってシンプルなものでした。それは、それぞれ悪の道から立ち返り、主が彼らの先祖たちに与えた土地に、いつまでも、とこしえまでも住むように、というものでした。ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならないと。ただ神を愛し、神のみことばに従って歩むようにという、実にシンプルなメッセージでした。

しかし、彼らはそのエレミヤが語る主のことばを聞きませんでした。エレミヤが23年間もしきりに語りかけたのに、だれも彼の話に耳を傾けなかったのです。だれも彼の招きに応えようとしませんでした。収穫はゼロだったわけです。それはエレミヤにとってどれだけ忍耐を要したことかと思います。私は牧会を始めて40年になりましたが、もしだれも聞いてくれなかったら、恐らく続けることができなかったのではないかと思います。だれも信じなかったら、や~めた!となっていたと思います。でもエレミヤはそうではありませんでした。彼は23年間も語り続け、だれも彼の語ることばに耳を傾けようとしなくても語り続けました。たとえ目に見える収穫がなくても、たとえ目に見える成果がなくても、彼は語り続けたのです。しきりに語りたけました。それは実際のところは神が語りかけておられたことでした。神がエレミヤを通して語っておられたのです。だれも聞かなくても、だれもご自身に立ち返らなくても、神はずっと語り続けてくだったのです。神は本当に忍耐深く、あわれみ深い方ですね。新聖歌188番に「救い主は待っておられる」という讃美歌がありますが、救い主はずっと待っておられるのです。あなたが心の戸を開くのを、ずっとずっと待っておられる。それこそ23年間どころじゃない、もっともっと長い間待っておられるのです。そう思うと、感動で胸が熱くなります。こんな自分勝手で罪深い者のために、神はしきりに語りかけ、忍耐してずっと待っておられるのです。

神が私たちに願っておられることは、私たちが聞き従うことです。聞き従うことはいけにえにまさります。それなのに彼らは聞き従いませんでした。この「聞かなかった」ということばに注目してください。ここには「聞かなかった」とか、「耳を傾けなかった」ということばが繰り返して出てきます。それが強調されているのです。8節にも「聞き従わなかった」ということばがあります。皆さん、イスラエルの歴史は、一言で言えば、神への反逆の歴史です。あなたの歴史はどうでしょうか。あなたの生活はどうでしょうか。あなたの人生はどうですか。しきりに神が語りかけているのに聞かないということはないでしょうか。いつも聖霊に逆らっている歴史、逆らっている毎日、逆らっている人生であるということはないでしょうか。

リビングライフというディボーションの月刊誌の中に、韓国のキム・ウォンテという牧師が書いたエッセイが掲載されていました。
  サハラ砂漠の西側には「サハラの中心」と呼ばれる小さな町があり、多くの旅行客がこの町を訪問しようと砂漠を訪れるそうです。しかし、レビンという人がこの町に来る前までは、その町は全く開放されていない立ち遅れた場所でした。町の人々は一度も砂漠を出たことがありませんでした。何もない砂漠から出ようと試みましたが、一度も成功できませんでした。レビンは町から抜け出せない理由を尋ねると、返ってくる答えはすべて同じでした。「どこに向かって歩いても、出発した場所に戻って来てしまうのです。」
  そこでそれが本当かどうかを試すために、レビンは北に向かって歩き始めました。すると三日で砂漠を抜け出すことができたのです。では、なぜ町の人々は抜け出すことができなかったのか。次にレビンは町の青年を一人連れて、青年が行く方向について行きました。昼も夜も歩き、11日目には再び町に戻ってきました。ついに、レビンはその町の人々が砂漠を抜け出せない理由を見つけました。何だと思いますか。誰も北極星を知らなかったのです。レビンは前回の実験に参加した青年に、昼間は十分休んで、夜になったら北極星の後についていくようにと言いました。その青年がレビンの言葉通りにすると、3日で砂漠を抜け出すことかできたのです。後日、青年は砂漠の開拓者となり、開拓地の中心には彼の銅像が立てられました。その銅像にはこのような文字が刻まれているそうです。「新しい人生は、方向をしっかりと見つけた時に始まる!」

皆さん、これは私たちの人生にも言えることではないでしょうか。新しい人生は、方向をしっかりと見つけた時に始まります。私たちの歴史は、イスラエルの民のように神への反逆の歴史です。神がしきりに語りかけているのに聞こうとしないで逆らい続けています。でもそんな不従順な道から立ち返り、神のもとに帰れば、いつでも神は私たちに触れてくださり、赦し、もう一度神の子どもとして歩めるように回復してくださいます。あなたに求められていることは、主のみことばに聞き従うことです。主が遣わされた預言者たち、主の働き人たちの権威を認めて、彼らが伝えることばに耳を傾けて従うことなのです。新しい人生は、方向をしっかり見つけた時に始まります。私たちはその方向を軌道修正し、神に立ち返り、神のことばに従って歩んでいるかどうかを点検しなければなりません。そうすれば、あなたは神の取り扱いを受け、神にしかできない御業があなたの内になされ、あなたは良いものに変えられるのです。

Ⅱ.70年のバビロン捕囚(8-11)

次に、8~11節をご覧ください。エレミヤが主のことばを絶えず、しきりに語りかけたのに、それを聞かなかったユダの民に対して、主はどうなさるでしょうか。「8 それゆえ、万軍の【主】はこう言われる。『あなたがたがわたしのことばに聞き従わなかったから、9 見よ、わたしは北のすべての種族を呼び寄せる──【主】のことば──。わたしのしもべ、バビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せて、この国とその住民、その周りのすべての国々を攻めさせ、これを聖絶して、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とする。10 わたしは彼らから楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともしびの光を消し去る。11 この地はすべて廃墟となり荒れ果てて、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。」

主のことばに聞き従わなかったユダの民に対して、主はバビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せ、その国とその住民、その周りのすべての国々を攻めさせて、これを聖絶し、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とします。その結果、10節にあるように、それまで普通になされていた日常の営みがすべて消えてしまうことになります。楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともしびの光が消えてしまうことになるのです。ひき臼の音とは、結婚して料理を作る時、包丁でまな板を叩きますよね、その音です。それはまさに平和な暮らしのシンボルですが、その音が消えてしまうのです。現代風に言うならば、電子レンジの「チン」でしょうか。それとも電子ジャーの「ピー、ピー、ピー」でしょうか。その音が聞こえなくなってしまうのです。バビロンによってそうした平和な生活が破壊されてしまうからです。
  また、ここには「ともしびの光を消し去る」とあります。どういうことでしょうか。これは部屋を明るく照らしていた電気が消えて暗くなってしまうということです。もうそこに住んでいる人はいなくなります。そこはすっかり廃屋となってしまうのです。それは彼らが主のことばに聞き従わなかったからです。その結果、バビロンの王ネブカデネツァルに70年間仕えることになるのです。

ところで、9節にはバビロンの王ネブカデネツァルのことが「わたしのしもべ」と呼ばれています。4節にも「主のしもべである預言者たち」とありますが、主の預言者であれば「主のしもべ」と言われても納得できますけれども、異教の王、しかもユダの民を虐殺するような悪辣で非道な者が神のしもべと呼ばれていることには少なからず抵抗を覚える人もいるのではないでしょうか。いったいこれはどういうことでしょうか。確かにダニエル書4章を見ると、確かにネブカドネツァルはダニエルを通してダニエルが信じていた真の神を信じ、この神をあがめ、賛美し、ほめたたえるようになります。そういう意味では彼も神のしもべと言えるでしょう。でもここで彼が「わたしのしもべ」と呼ばれているのはそういう意味ではなく、あくまでも神のさばきを実行する道具、お尻叩き棒として「主のしもべ」と呼ばれているのです。ということはどういうことかというと、主なる神の支配はこうした異教の指導者にも及ぶということです。神は、こうした異教の指導者さえも用いてまでも、ご自身の民を懲らしめられるのです。それは彼らが主のことばに聞き従わなかったからです。神のみこころは5節にあるように、いつでも、とこしえに、彼らが約束の地に住むことだったのに、そんな神のみこころを踏みにじり、神のことばに聞き従わなかったため、自らにわざわいを招いてしまったのです。その神の懲らしめ、神のさばきの道具の一つが、バビロンの王ネブカドネツァルだったのです。そういう意味で彼は「主のしもべ」と呼ばれているのです。

それはユダの民だけに言えることではありません。私たちにも言えることです。もし私たちが口先では「神様愛します」「あなたをあがめます」と言いながら、心にたくさんの偶像を抱え、神がしきりにみことばを語りかけてもそれを全く無視して背信に背信を重ねるなら、神はご自身のしもべバビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せてあなたを攻めさせ、これを聖絶し、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とするのです。神はありとあらゆるものを道具として、ご自身に背く神の民を懲らしめられるのです。そういう意味では、今あなたが抱えている苦しみも、その結果であるのかもしれません。
  でも、安心してください。あなたのその苦しみは、あなたが神に愛されているという証拠でもあるのですから。それは、あなたが神の子どもであることの証拠でもあるのです。そうでなかったら、懲らしめや訓練を与えることはなさいません。神はあなたを愛しておられるのでむちを加えられるのです。へブル12:5~6にこのように書いてあり通りです。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」

だから、悲観しないでください。だから、私はもうだめだと思わないでください。私にはもう希望がないと言わないでください。あなたが素直になって神のことばに聞き従うなら、あなたは神の御取り扱いを受け、義という平安の実を結ぶようになるからです。

Ⅲ.70年の終わりに(12~14)  

最後に、12~14節をご覧ください。「12 七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──【主】のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。13 わたしは、この地の上にわたしが語ったすべてのことばを実現させる。それは、エレミヤが万国について預言したことで、この書に記されているすべての事柄である。14 多くの国々と大王たちは彼らを奴隷にして使い、わたしも彼らに、その行いに応じ、その手のわざに応じて報いる。』」

ここに「70年の終わりに」とあります。バビロンは、イスラエルを懲らしめる道具として神に用いられますが、そのバビロンも70年の終わりには、彼らの咎のゆえに罰せられ、永遠に荒れ果ててしまうことになります。一時は権勢を振るったバビロンも、創造主なる神のことばに聞き従わなければさばかれることになるのです。そして主はバビロンの次に世界を治めたペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせ、ユダの民をエルサレムへ帰還させる道を開かれます(エズラ1:1-4)。主はユダの民ばかりでなく、すべての国民、すべての国を治めておられるお方なのです。

ところで、ここには「70年の終わりに」とありますが、これはユダの民がバビロンで捕囚の生活を送るのは70年間であると預言されているのです。それは期間限定の捕囚であったということです。この期間限定というのがいいですね。今、季節は秋ですが、この秋限定のスイーツが販売されています。期間限定のマロンケーキとか、期間限定のさつまいもドーナッツとか、なんだかスイーツばかりですけれども、甘いものが好きな私はこの期間限定のスイーツが大好きです。そしてここにも期間限定が登場します。ユダの民がバビロンに捕えられる期間です。それが70年と定められていたのです。それがいつまでなのかわからないとお先真っ暗になってしまいますが、主は本当に優しい方ですね。捕囚という悲劇が起こる前に、その期間をちゃんと定めておられたのですから。70年間です。これはユダの民にとってどんなに大きな希望であったかと思います。確かに70年という年月は途方もない年月ですが、それはいつまでも続くものではない、その先には回復がある、希望があるという約束は、彼らにとって大きな励ましとなったに違いありません。

ところで、皆さん、この70年という期間がどのようにして定められたかご存知ですか。ある人は、この「7」が完全数であり、「10」も完全数なので、これは神のさばきの完全さと徹底さを表している象徴していると考えていますが、そうではありません。これは、律法の書に予め定められていた期間でした。Ⅱ歴代誌36:21を開いてください。ここにはこうあります。「これは、エレミヤによって告げられた【主】のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。」
  イスラエルの民が約束の地に入ってから490年間ずっと破り続けてきた掟がありました。それがこの安息年の定めです。それはレビ記25章にありますが、7年ごとに農地を休ませなければならないという規定です。それなのに彼らは約束の地に入ってから490年の間、ずっとこれを破り続けてきました。それで神は490年を7年で割った年数、すなわち70年間をバビロン捕囚の期間として定められたのです。この規定を破ればどうなるかということを、この中で定めておられたわけです。ですからこれは人の思い付きでも、偶然その期間になったというのでもなく、神が予め定めておられた期間だったのです。

でも、だれもこの70年間というエレミヤの預言を信じていませんでした。ただ捕囚の民としてバビロンに連れて来られたという悲惨な現実を呪うばかりでした。しかしそんな中でこのエレミヤの預言に目を留め、信じ、しっかりと待ち望んでいた人物がいました。ダニエルです。ダニエル書を書いたダニエルです。ダニエルは、第一次バビロン捕囚の時(B.C.605)にネブカドネツァル王によってバビロンに連れて行かれました。その後、バビロンはメド・ペルシャ帝国によって滅ぼされメド・ペルシャの時代になりますが、ダニエルはそこでもペルシャの王たちに仕えました。そのダニエルに、このエレミヤのことばが大きな影響を与えたのです。ダニエル書9:2にはこうあります。「すなわち、その治世の第一年に、私ダニエルは、預言者エレミヤにあった【主】のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。」

捕囚の民としてバビロンにいたダニエルは、ペルシャの王ダレイオスがカルデア人の国の王となったその元年、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が70年であることを悟ったのです。それが今、私たちが見ているエレミヤ書25:11~12のみことばです。彼は私たちが今、見ている同じエレミヤ書の箇所を見ていたのです。そこで彼はその期間が70年であることを悟り、そのメッセージをしっかりと心に留めて、その期間をずっと待ち続けたのです。これは期間限定の懲らしめであるということ、国が滅亡したかなたに希望があるということ、回復があるということを信じたのです。だからダニエルはどんな迫害に遭っても信仰に堅く立ち続けることができたのです。たとえライオンの穴の中に投げ入れられても、です。神のことばによってその先が見えていたからです。

これは私たちにも言えることです。私たちの人生にもいろいろな苦しみや困難があるでしょう。でもみことばによってそれがどういうことなのかを悟り、その先にあるものをしっかりと見つめるなら、そこにどんな苦難があってもそれを乗り越えることができます。パウロは、「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ8:18)と言っています。確かに、将来に希望を持っている人は、試練を乗り越えることができるのです。ダニエルがみことばによって今まさに自分がそこにいることを知り、奮い立ったように、私たちもみことばによって自分がいる場所を知り、それがどういうことなのかを悟るなら、どんな境遇にあっても奮い立つことができるのです。

その代表的な聖句を見て終わりたいと思います。エレミヤ29:10~14です。「10 まことに、【主】はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。14 わたしはあなたがたに見出される──【主】のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──【主】のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』」

この29:11は非常に有名な箇所です。この聖句がどのような文脈で語られているのかというと、この70年の期間限定が満ちる時、彼らを約束の地に帰らせるという神のご計画がいかに将来と希望を与えるものなのかを伝えることの中で語られたことでした。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだと。あなたもこの神のご計画を知るなら、それがわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたに将来と希望を与えるためのものであることを知ることかできるのです。そして、たとえ試練の中にあっても神のことばは必ず成ると信じて、将来に希望を持つことができるのです。その人の信仰は、生きて働くからです。

Ⅱ列王記15章

 今日は、Ⅱ列王記15章から学びます。

 Ⅰ.ユダの王アザルヤ(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。「1 イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。2 彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレム出身であった。3 彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。4 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。5 【主】が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。6 アザルヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。7 アザルヤは彼の先祖とともに眠りについた。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子ヨタムが代わって王となった。」

話は、再び南ユダになります。イスラエルの王がヤロブアムの時、その27年目に、アマツヤの子アザルヤが南ユダの王となりました。彼の別名は「ウジヤ」と言い、ユダの王たちの中では善王に数えられています。彼は16歳で王となりました。というのは、彼の父アマツヤが北イスラエルとの戦いに敗れ連行されていたからです。アザルヤは、その時に王に即位しました。それは、B.C.767年のことです。

彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行いました。しかし、父アマツヤ同様、高きところは取り除きませんでした。高き所とは、偶像礼拝が行われていた場所のことです。そこを破壊せず放置しておいたのです。そのため民はなおも、その高き所でいけにえを捧げたり、犠牲を供えたりしていました。これは、律法に違反していたということです。モーセの律法では、主が定められた場所以外でいけにえを捧げることが禁じられていました(申命記12:2~7)。それをことごとく破壊しなければならなかったのにしませんでした。偶像礼拝のために用いたものを、神を礼拝するために用いることはできません。けれどもアザルヤは、それを取り除かなかったのです。これは私たちにも言えることです。私たちも過去の罪と決別しなければなりません。その上に信仰を築き上げることはできないからです。

その結果、アザルヤはどうなったでしょうか。5節には、「【主】が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。」とあります。彼は主に打たれてツァラアトに冒されました。ツァラアトは重い皮膚病で、汚れているとされていたので、社会から隔離されなければなりませんでした。彼は隔離された家で生活することを余儀なくされたのです。それで息子のヨタムと共同で統治することになりました。それは10年間続くことになります。これは神のさばきによるものでした。最終的に彼は先祖たちとともに眠りにつき、その遺体は、ダビデの町の王たちの墓に葬られました。

アザルヤはユダの王たちの中で最も影響力のあった王のひとりです。彼の働きによってユダは領地を拡大することができました。主なる神の祝福を受けたのです。にもかかわらず、最終的に彼はツァラアトに冒されて隔離された生活を強いられました。いったい何が問題だったのでしょうか。そのような祝福の陰に高慢という落とし穴があったのです。箴言16:18には、「高慢は破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」私たちはこのアザルヤの失敗から学び、どんな時も主の御前にへりくだって歩みたいと思います。

Ⅱ.北イスラエルの王たちと第一次アッシリア捕囚(8-31)

次に、8~31節をご覧ください。ここには、ユダの王アザルヤの時代に北イスラエルの王たちはどうであったかが記録されています。北イスラエルでは、謀反が繰り返され、王たちが目まぐるしく交代し、ついにはアッシリアによって滅ぼされてしまうことになります。「8 ユダの王アザルヤの第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカリヤがサマリアでイスラエルの王となり、六か月の間、王であった。9 彼は先祖たちがしたように、【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。10 ヤベシュの子シャルムは、彼に対して謀反を企て、民の前で彼を打ち殺し、彼に代わって王となった。11 ゼカリヤについてのその他の事柄は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。12 【主】がかつてエフーに告げられたことばは、「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」ということであったが、はたして、そのとおりになった。13 ヤベシュの子シャルムは、ユダの王ウジヤの第三十九年に王となり、サマリアで一か月間、王であった。14 ガディの子メナヘムは、ティルツァから上ってサマリアに至り、ヤベシュの子シャルムをサマリアで打ち、彼を殺して、彼に代わって王となった。15 シャルムについてのその他の事柄、彼が企てた謀反は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。16 そのとき、メナヘムはティルツァから出て、ティフサフとその住民、その領地を討った。彼らが城門を開かなかったので、その中のすべての妊婦たちを打ち殺して切り裂いた。17 ユダの王アザルヤの第三十九年に、ガディの子メナヘムがイスラエルの王となり、サマリアで十年間、王であった。18 彼は【主】の目に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。19 アッシリアの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀千タラントをプルに与えた。プルの援助によって、王国を強くするためであった。20 メナヘムは、イスラエルのすべての有力者にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリアの王に与えたので、アッシリアの王は引き返し、この国にとどまらなかった。21 メナヘムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。22 メナヘムは先祖とともに眠りにつき、その子ペカフヤが代わって王となった。23 ユダの王アザルヤの第五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリアでイスラエルの王となり、二年間、王であった。24 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。25 彼の侍従、レマルヤの子ペカは、彼に対して謀反を企て、サマリアの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエを打ち殺した。ペカには五十人のギルアデ人が加わっていた。ペカはペカフヤを殺し、彼に代わって王となった。26 ペカフヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。27 ユダの王アザルヤの第五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリアでイスラエルの王となり、二十年間、王であった。28 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。29 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移した。30 そのとき、エラの子ホセアはレマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打ち殺して、ウジヤの子ヨタムの第二十年に、彼に代わって王となった。31 ペカについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。」

ここから、アザルヤすなわちウジヤがユダで王であったときの、イスラエルの王について書かれています。謀反から謀反へ、短い期間しか王たちは統治しませんでした。アザルヤの第三十八年に北イスラエルの王となったのは、ヤロブアムの子ゼカリヤでしたが、その治世はわずか六か月でした。それは彼が先祖たちがしたように、主の目の前に悪であることを行ったからです。彼はイスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかったからです。彼はヤベシュの子シャロムの謀反によって殺されます。それでシャロムが、彼に代わって王になりました。

ここで注目したいことは、それはかつて主がエフーに告げた通りであったということです。12節に、そのことが記されてあります。主はエフーに「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」(Ⅱ列王10:30)と告げられましたが、はたして、そのとおりになったのです。彼はアハブ家の者たちに対して主が心に定めたことをことごとく行いましたが、その後、ヤロブアムの道を歩んだことによって、神の祝福がとどめられてしまったのです。それで彼(エフー)に告げられた通り、彼の子孫は四代目までイスラエルの王座に着くことができましたが、その後、家系が途絶えてしまったのです。ゼカリヤはその王朝の四代目の王だったのです。

謀反を企てたヤベシュの子シャルムは、ユダの王ウジヤの第三十九年に王となりましたが、その治世はわずか一か月でした。ガディの子メナヘムによって殺されてしまったからです。これは北王国の歴史では2番目に短い記録です。最短は、ジムリの7日間です(Ⅰ列王16:15~20)。シャルム王朝は北王国では第六番目の王朝でしたが、彼一代で終わりました。

彼の後に王となったのは、シャルムを暗殺したメナヘムでした。メナヘムはティルツァから出て、ティサフとその住民、その領地を打ち、その中のすべての妊婦たちを打ち殺して切り裂くということをしました。ティサフの住民は彼を王として認めず、城門を閉じて抵抗姿勢を示したからです。それでメナヘムはこの町を攻撃し、徹底的に破壊したのです。それにしても自国民の妊婦を切り裂くなんて何とも残忍な男です。彼がこのような残忍な行為に及んだのは、抵抗する可能性のある他の町々を恐れされるためでした。今でも北朝鮮などでは公開処刑が行われていますが、同じようなことです。

メナヘムは、イスラエルの王となると、サマリアで十年間王として治めました。彼は主の目の前に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れませんでした。

19節と20節をご覧ください。ここにⅡ列王記では初めてアッシリアについての言及があります。「アッシリアの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀千タラントをプルに与えた。プルの援助によって、王国を強くするためであった。メナヘムは、イスラエルのすべての有力者にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリアの王に与えたので、アッシリアの王は引き返し、この国にとどまらなかった。」

「アッシリアの王プル」とは、ティグラテ・ピレセル3世(Ⅱ列王15:29)のことです。当時、イスラエルに敵対していたシリアの力が弱くなり、代わりにアッシリアが台頭しつつありました。そのアッシリアが北王国に侵入して来たのです。それでメナヘムはどうしたかというと、アッシリアに犯行するのではなく、アッシリアの援助によって自らの統治を強くしようと考えました。それで彼はアッシリアの王プルに銀一千タラントを与えました。メナヘムはこれを、イスラエルのすべての有力者に銀五十シェケルを供出させることによって集めました。この五十シェケルというのは、当時アッシリアで奴隷ひとりの価格とされていた額です。そのことは、イスラエルの民がアッシリアの奴隷となったことを象徴しているかのようでした。真の神に仕えない人は、やがて別のものの奴隷となります。私たちはキリストにあって自由にされた者です。私たちが使えるのは真の王であり神であられるイエス・キリストだけであることを覚え、この方だけに仕えましょう。貢物を受けたプルは、満足してアッシリアに引き返し、北王国にとどまりませんでした。

メナヘムが死んだ後でイスラエルの王となったのは、その子ペカフヤでした。彼はユダの王アザルヤの第五十年にサマリアで王となり、2年間、北王国を治めました。彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れませんでした。北王国の後半の王たちは、力によって王座に着いた者たちばかりですが、ペカフヤの場合は例外で、王位を父メナヘムから継承しました。しかし、彼の治世は二年間という短い期間で終わりました。彼もまた、謀反によって暗殺されたからです。

彼を殺したのは、彼の侍従、レマルヤの子ペカです。ペカは彼に対して謀反を企て、サマリアの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエを打ち殺しました。侍従とは、軍の司令官のことです。彼にはヨルダン川の東岸から来て加わった50人の部下がいました。彼らとともにペカフヤを打ったのです。「サマリアの王宮の高殿」は砦のようになっており、町の中では最も安全な場所ですが、彼はそこで殺されました。どんなに安全と思われる場所であっても、神から離れたら限界があります。ペカフヤの問題も、主の目の前に悪であることを行ったことです。神から離れたらどんなに安全だと思われる砦でも危険です。真の安全は、ただ全能者であられる神イエス・キリストの御翼の陰に宿ることです。

ペカフヤの後に北王国の王となったのは、彼を暗殺したペカです。ペカはサマリアでイスラエルの王になると、20年間イスラエルを治めました。彼もまた、彼以前の王たちと同じように、ネバテの子ヤロブアムの罪から離れることはありませんでした。

29節と30節をご覧ください。このイスラエルの王ペカの時代に、アッシリアのティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移しました。第一次アッシリア捕囚です。B.C.734年のことです。サマリアの町は残っていましたが、次の王ホセアの時にサマリアも陥落し、北イスラエルは完全に滅びてしまうことになります。ここまで、イスラエルが悪を繰り返し、謀反に謀反を重ね、神に立ち返ることがなかったからです。

このとき、エラの子ホセアはペカに対して謀反を企て、彼を撃ち殺し、彼に代わって王になりました。そのホセアも後にアッシリアによって滅ぼされ、北王国は完全に滅んでしまうことになります。B.C.722年のことです。

悲しいことですが、主を立ち返ることをせず悪に悪を重ねる民は、滅びの道をたどるしかありません。今からでも決して遅くはありません。神は悔い改めてご自身の下に立ち返る者を赦し、受け入れてくださいます。悔い改めることの重要性とどこまでも忍耐してそれを待っておられる神の恵みを改めて覚えさせられます。

Ⅲ.信仰を試す神からのテスト(32-38)

最後に、32~38節をご覧ください。「32 イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。33 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼の母の名はエルシャといい、ツァドクの娘であった。34 彼は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。35 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。彼は【主】の宮の上の門を建てた。36 ヨタムが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。37 そのころ、【主】はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送り始められた。38 ヨタムは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにその父ダビデの町に葬られた。彼の子アハズが代わって王となった。」

イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となりました。ウジヤ王は52年間という長い間ユダを治めました。その後に王となったのがウジヤの子ヨタムです。彼は25歳で王になると、エルサレムで16年間、王でした。

彼はすべて父ウジヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行いましたが、高き所は取り除くことができませんでした。それで民はなおも、高き所でいけにえを捧げたり、犠牲をささげたりしていました。つまり、偶像礼拝の場をそのまま容認したということです。偶像礼拝はそれほど民の心に沁みついていたということです。それを取り除くことは並大抵のことではありません。それはヨタムに限ったことではありません。私たちの心の偶像を取り除くことも容易いことではありません。神の力が無ければ決して取り除くことはできません。神の力、聖霊の力をいただいて、心の偶像を取り除きましょう。

このヨタムが行った良い業の一つは、「主の宮の上の門を建てた」ということです。それは神殿の北の門を再建したということです。これは主を礼拝することを促すための行われた工事でした。彼は数々の良い業を行いましたが、肝心なことが抜けていたら、それらのことはすべてむなしいものになります。それは神を第一にして生きることです。神を愛し、神に信頼し、神に従うこと。これに勝る良い業はありません。主が求めておられることは、主に聞き従うことだからです。彼はこの肝心なことが抜けていたので、彼の良い業も何の意味もありませんでした。

37節をご覧ください。「そのころ、【主】はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送り始められた。」

「そのころ」とは、ヨタムとその子アハズの治世のころのことです。南王国は、北方からの攻撃に悩まされていました。アラムの王レツィンと北王国の王のペカが、ユダに圧力をかけていたのです。彼らは南王国を味方につけて、アッシリアに対抗しようとしていたのです。ユダの王たちは困難な決断を迫られていました。アラムの王レツィンと北王国の王ペカの同盟に参加してアッシリアと戦うか、それとも逆に、アッシリアの援助を受けて、レツィンとペカの同盟国と戦うかです。37節には、これはユダに対して主が送り始められたことであるとあります。すなわち、主が期待していたのはそのどちらでもなく、ただ主だけに信頼して歩むことでした。すなわち、地上の権力に頼るのではなく、ただ主だけに信頼することです。そうです、こうした北からの脅威は、ユダの王の信仰を試す主からのテストだったのです。それは主が私たちにも送っておられるものです。こうした信仰の試練に会うとき、あなたはどのように対処していますか。試練の時こそ信仰の真価が問われます。人間的な考え、肉の思いで決断するのではなく、ただ神を見上げ、神に信頼しましょう。それが神が喜ばれる道であり、真に私たちが守られる道なのです。