きょうはレビ記9章から学びます。まず1~5節までをご覧ください。
「1 エジプトの国を出て第二年目の第一月に、主はシナイの荒野でモーセに告げて仰せられた。2 「イスラエル人は、定められた時に、過越のいけにえをささげよ。3 あなたがたはこの月の十四日の夕暮れ、その定められた時にそれらをささげなければならない。そのすべてのおきてとすべての定めに従って、それをしなければならない。」4 そこでモーセはイスラエル人に、過越のいけにえをささげるように命じたので、5 彼らはシナイの荒野で第一月の十四日の夕暮れに過越のいけにえをささげた。イスラエル人はすべて主がモーセに命じられらとおりに行った。」
1.過ぎ越しのいけにえをささげよ(1-5)
1節を見ると、時は、再び、第二年目の第一月にさかのぼっています。出エジプト記40章17節に戻っています。モーセが幕屋の建設を完成したのはエジプトを出て第二年目の第一の月でした。その月の第一日に幕屋は完成したのです。それから、主はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から彼に告げて仰せられました。それがレビ記の内容です。ですから、この箇所の内容はその時まで遡っていることがわかります。
さて、その時主は(モーセに何を告げられたのでしょうか。イスラエル人に、定められた時に、過ぎ越しのいけにえをささげるようにと言われました。その月の十四日の夕暮れに、その定められた時に、それをするようにと言われたのです。過ぎ越しのいけにえとは、イスラエルがエジプトを出るときにささげたいけにえです。出エジプト記12章3~13節までにそのことが記されてあります。
「3 イスラエルの全会衆に告げて言え。この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。4 もし家族が羊一頭の分より少ないなら、その人はその家のすぐ隣の人と、人数に応じて一頭を取り、めいめいが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。5 あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。6 あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、7 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。8 その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。9 それを、生のままで、または、水で煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。10 それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは、火で焼かなければならない。11 あなたがたは、このようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を引き締め、足に、くつをはき、手に杖を持ち、急いで食べなさい。これは主への過越のいけにえである。12 その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。13 あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。」
ここには、この月の十日、すなわち、第一年の第一の月の十日のことです。おのおのその父祖の家ごとに羊一頭を用意し、それを十四日の夕暮れにほふり、その血を取って家々の門柱と、かもいにつけなければなりませんでした。そして、その夜にその肉を食べました。種を入れないパンと苦菜を添えて。腰には帯を締め、足にくつをはき、手には杖を持っていました。すぐに旅立てるように支度を整えて食事をしたのです。そして、その夜神はエジプトの地を行き巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、初子という初子はすべて打ちました。ただ門柱とかもいに羊の地が塗ってある家だけは、そのさばきを通り越したのです。そこには神の滅びのわざわいがもたらされることはありませんでした。
その一年後に、イスラエルがシナイの荒野で旅を始めるにあたり、主は同じように過越のいけにえをささげるようにと命じられたのです。いったいこれはどうしてでしょうか。それはイスラエルの民にとって過ぎ越しの小羊の血はエジプトから救い出されたときだけではなく、荒野の旅をするときにも必要だったということです。その旅は、エジプトでの救いと切り離されたものではなく、むしろ、贖いによって彼らは荒野の過酷な生活を耐え忍び、前に向かって進み出すことができます。荒野にひそむ危険やわなも、過越にある主の贖いによって避けることができるのです。
それは私たちクリスチャンも同じです。この過ぎ越しの小羊の血とはイエス・キリストの十字架の血潮を表していますが、それは私たちがイエスさまを信じて救われた時だけでなく、その後の信仰の歩みにおいても、常に必要なもののです。そうでなければ、荒野の旅を全うすることはできません。天の都に向かう私たちの信仰の旅においては、常にキリストの血潮に立ち返る必要があるのです。信仰をもってからどのような局面にいようとも、絶えず過去にキリストが成し遂げてくださった十字架のみわざを仰ぎ見ていくものでなければいけません。ですから、イエスさまは、聖餐式を行うようにと命じられたのです。聖餐のパンを裂き、ぶどう酒を飲むことによって、わたしのからだと血を思い出しなさいと言われたのです。それは、私たちが常に初めの愛に立ち返らなければならないからです。初めの愛に立ち返って、十字架の愛を思い出さなければならないのです。
2.もし死体によって身を汚したら(6-14)
次に6~14節までをご覧ください。
「6 しかし、人の死体によって身を汚し、その日に過越のいけにえをささげることができなかった人々がいた。彼らはその日、モーセとアロンの前に近づいた。7 その人々は彼に言った。「私たちは、人の死体によって身を汚しておりますが、なぜ定められた時にイスラエル人の中で、主へのささげ物をささげることを禁じられているのでしょうか。」8 するとモーセは彼らに言った。「待っていなさい。私は主があなたがたについてどのように命じられるかを聞こう。」9 主はモーセに告げて仰せられた。10 「イスラエル人に告げて言え。あなたがたの、またはあなたがたの子孫のうちでだれかが、もし死体によって身を汚しているか、遠い旅路にあるなら、その人は主に過越のいけにえをささげなければならない。11 第二月の十四日の夕暮れに、それをささげなければならない。種を入れないパンと苦菜をいっしょにそれを食べなければならない。12 そのうちの少しでも朝まで残してはならない。またその骨を一本でも折ってはならない。すべて過越のいけにえのおきてに従ってそれをささげなければならない。13 身がきよく、また旅にも出ていない者が、過越のいけにえをささげることをやめたなら、その者はその民から断ち切られなければならない。その者は定められた時に、主へのささげ物をささげなかったのであるから、自分の罪を負わなければならない。14 もし、あなたがたのところに異国人が在留していて、主に過越のいけにえのおきてと、その定めに従ってささげなければならない。在留異国人にも、この国に生まれた者にも、あなたがたには、おきては一つである。」
しかし、もし人が死体によって身を汚し、その日に過ぎ越しのいけにえをささげることができなかったらどうしたらいいのでしょうか。死体によって身を汚していた人はどうしてその日にいけにえをささげることができなかたのかというと、宿営の外に追い出されていたからです。覚えていらっしゃいますか、5章2節のところで、ツァラアトの者、漏出を病む者、死体によって身を汚している者は、すべて宿営の外に追い出せとありました。ですから、そのような人は過ぎ越しのいけにえをささげることができなかったのです。そのような人たちはどうしたらいいのかということです。
するとモーセは彼らに言いました。8節です。「待っていなさい。私は主があなたがたについてどのように命じられるかを聞こう。」このことについてモーセは考えたこともなくわからなかったので、彼は主に伺いを立てました。ここにモーセの謙遜さが見られますね。「モーセと言う人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。」(民数記12:3)とありますが、彼は本当に謙遜な人でした。わからないことはわからないと正直に認めた上で、答えを知っておられる方に伺いをたてたのです。これが本当に謙遜な人の姿です。
ではその問いに対する神の答えはどういうものだったでしょうか。10~14節をご覧ください。それは一ヶ月遅れの、第二の月に過越の祭りを守るようにというものでした。なぜなら、それはとても重要なことだったからです。過ぎ越しのいけにえをやめるようなことがあったら、その者は民から断ち切られなければなりませんでした。過ぎ越しのいけにえのおきては、少しでもはぶいてはいけませんでした。すべて過ぎ越しのいけにえのおきてに従って捧げなければなりませんでした。
実際に一か月遅れで過ぎ越しのいけにえをささげたという例があります。Ⅱ歴代誌30章1~5節です。この時ユダの王ヒゼキヤはアッシリヤの攻撃に対して、まず宗教改革を行うのです。主に過ぎ越しののいけにえをささげることから始めました。それは第二の月の十四日のことです。なぜなら、身を聖別した祭司たちの数が十分ではなかったからです。そこで、イスラエルとユダの全会衆に呼び掛けてエルサレムに集まり、過ぎ越しのいけにえをささげるようにと手紙を書き送ったのです。その結果はご存知のとおりです。アッシリヤの王セナケリブがエルサレムを包囲するのですが、主は、アッシリヤの王の手からイスラエルを救い出されました。主はひとりの御使いを遣わし、アッシリヤの陣営にいたすべての勇士、隊長、主張を全滅されたのです(Ⅱ歴代誌32:21)。まさに十字架の血潮による勝利です。たとえそれが一か月遅れであっても、それははぶくことができない重要なことであり、それが神の命令に従ってささげられるとき、そこに偉大な神の力と勝利がもたらされるのです。それは最初の過ぎ越しの祭りに優とも劣らない神の祝福なのです。
このことから教えられることは、この過ぎ越しの祭りは聖餐式に相当するということを申し上げましたが、聖餐式では自分を吟味することが求められています(Ⅰコリント11:28)。それが偶発的かどうかとかかわりなく、死体に触れたままで、汚れたままで聖餐にあずかることは避けなければなりません。この場合の死体とは罪、汚れのことです。自分の中に罪、汚れがあるなら、聖餐をひかえるべきです。けれども、たとえその時に聖餐にあずかることができなくても、次の機会にはあずかることができるのです。その罪を悔い改めて、イエスの十字架の血によって聖めていただくことによってです。いや、その1分前でも、自分をよく吟味し、そこに汚れがあるなら、それを悔い改めて聖めていただくことによって、私たちはこの十字架の贖いにあずかることができるのです。
つまり、私たちは何度でもやり直しをすることができる、ということです。イスラエルの民が死体にさわって自分の身を汚したように、私たちも自分の身を汚すことがあります。それゆえ、主の集会の中にある恵みにあずかることができないことがあります。自分は失敗した。もうだめだ。教会に行っても、おとなしくしておこう。または、そんなにイエスさまに対して熱心になる必要はない。私はだめだ、と意気消沈することがありますが、神は完全なやり直しを与えてくださっているのです。私たちは神に立ち返って、新たにキリストの基準に従った生活をやり直すことができるのです。いや、やり直さないといけないのです。自分で勝手に、その基準を落として、キリストから少し距離を離しながら生きるのではなく、主が与えられた二回目のチャンスを精いっぱい生きることが求められているのです。
3.雲の柱火の柱(15-23)
次に15~23節までをご覧ください。
「9 主はモーセに告げて仰せられた。10 「イスラエル人に告げて言え。あなたがたの、またはあなたがたの子孫のうちでだれかが、もし死体によって身を汚しているか、遠い旅路にあるなら、その人は主に過越のいけにえをささげなければならない。11 第二月の十四日の夕暮れに、それをささげなければならない。種を入れないパンと苦菜をいっしょにそれを食べなければならない。12 そのうちの少しでも朝まで残してはならない。またその骨を一本でも折ってはならない。すべて過越のいけにえのおきてに従ってそれをささげなければならない。13 身がきよく、また旅にも出ていない者が、過越のいけにえをささげることをやめたなら、その者はその民から断ち切られなければならない。その者は定められた時に、主へのささげ物をささげなかったのであるから、自分の罪を負わなければならない。14 もし、あなたがたのところに異国人が在留していて、主に過越のいけにえのおきてと、その定めに従ってささげなければならない。在留異国人にも、この国に生まれた者にも、あなたがたには、おきては一つである。」15 幕屋を建てた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは夕方には幕屋の上にあって火のようなものになり、朝まであった。16 いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。17 雲が天幕を離れて上ると、すぐそのあとで、イスラエル人はいつも旅立った。そして、雲がとどまるその場所で、イスラエル人は宿営していた。18 主の命令によって、イスラエル人は旅立ち、主の命令によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた。19 長い間、雲が幕屋の上にとどまるときには、イスラエル人は主の戒めを守って、旅立たなかった。20 また雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。
21 雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らはただちに旅立った。昼でも、夜でも、雲が上れば、彼らはいつも旅立った。22 二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立たなかった。ただ雲が上ったときだけ旅立った。23 彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命令によって、主の戒めを守った。」
次に、イスラエルの民が旅立つときに、導き手となる雲の柱、火の柱について書いてあります。モーセが幕屋を建てた日から雲が幕屋をおおいました。夕方には幕屋の上に火の柱があって、それが朝までありました。いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。雲が天幕を離れて上ると、すぐそのあとで、イスラエル人はいつも旅立ち、そして、雲がとどまるその場所で、イスラエル人は宿営していました。 雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らはただちに旅立ちました。昼でも、夜でも、雲が上れば、彼らはいつも旅立ったのです。彼らとしては、突然雲が上がっても、まだ出発したくないという時もあったでしょうが、それでも、昼でも、夜でも、雲が上がれば、いつでも旅立ったのです。また、一日でも、二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立ちませんでした。ただ雲が上ったときだけ旅立ったのです。長い期間、宿営していたら退屈になってしまうかもしれませんが、それでも彼らは雲がとどまっている限り、宿営をつづけました。
これはどういうことでしょうか。それは、イスラエルが主の命令によって旅立ち、また主の命令によってとどまったように、私たちも主の導きに従って進まなければならないということです。私たちの生活は彼らの生活よりもずいぶん便利になりました。いつでも行きたい所に行き、泊まりたい所に泊まることができます。やりたいことをし、やりたくないことはしない、何でも自由にできます。けれども、そのような自由が必ずしも良いとは限りません。何の問題もないようでも、実はそこに大きな落とし穴があるのです。
ヤコブはこう言っています。「聞きなさい。『きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。』と言う人たち。あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』(ヤコブ4:13-15)」
主のみこころなら、です。私たちのいのちは完全に、主によりかかっています。ですから、主のみこころのみを求めて、主のみこころが成し遂げられることを願い求めて、生きていかなければいけません。人生の行程に、突然の変化があるかもしれません。しかし、柔軟になるべきです。主がなされることを眺めていき、そしてその導きにしたがうべきです。
イスラエルに与えられていたのは雲の柱でした。それは神がそこにおられ、彼らを導いておられることを表していました。同じように、神は私たちに聖霊を与えて、私たちの歩みを導いておられます。中には、「イスラエルはいいなぁ、はっきりとした形で導かれて・・・。雲のように目に見えるものがあったらどんなにいいだろう。迷うことなく、思い煩うこともなく、安心して進んでいけたに違いない。」確かに彼らには目に見える形での道しるべが与えられていました。しかし、だからといってそれでよかったのかというとそうでもないのです。というのは、彼らはそのような確かな道しるべが与えられていたにもかかわらず、不平や不満を言って神の怒りを買っていたからです。彼らは目に見えるものがあっても文句を言っていたのです。大切なのは、それは目に見えるか見えないかというとこではなく、見えても見えなくても、従順に従うことです。
でも神様は私たちに新しい道しるべを与えてくださいました。それは目には見えませんが、私たちの中に住み、私たちを導いてくださる神の聖霊です。神は今、聖霊によって私たちを導いておられるのです。確かにそれは目には見えませんが、私たちの歩みを確かにしてくださる方です。なぜなら、それは私たちの内に住んでくださるからです。そのうちなる聖霊の声によって歩めるというのは何と幸いなことでしょうか。大切なのは、神がどのように導いておられるかを知るということともに、その導いてくださる神の御声に聴き従うことです。私たちに与えられたこの信仰の歩みを、神の聖霊の導きに従って歩んでいくものでありたいと思います。